贖罪の刻印

第十五話(通常版)

presented by ミツ様


  NERV本部・技術研究室

 

カタカタと規則正しく鳴り響く音。

眼鏡を掛けながらパソコンのディスプレイと向かい合っているリツコ。その傍らでシンジは珈琲を啜っている。

シンジは日課であるシンクロテストと銃撃シミュレーションを終えたあと、リツコの技術研究室へ来ていた。

ここ最近は毎日こうだ。訓練終了後は必ず少年はこの部屋にやって来る。

これは、シンクロ率訓練に対する精神及び身体的な異常の検査と称して行われているが、目的は別にあった。

リツコにしてもシンジにしても、他人には聞かれたくない秘密がある。

その点、ここなら”目”や”耳”などの監視装置や盗聴機器の存在を心配する必要が無いからだ。

「ご免なさい、ちょっと立て込んでいてね」

暫くコンソールを操作していたリツコが手を休め、眼鏡を外してシンジの方を振り向いた。

「いえ、気にしないで下さい。……美味しいですね、この珈琲」

「有難う…」

リツコはそう言って、自分も専用のマグカップに口をつける。

疲れた脳にカフェインが沁み渡った。

「ちゃんと真面目に訓練を受けているみたいじゃない?」

「勿論ですよ。……”人類の未来の為”ですから」

シンジは珈琲の煙を顎にあてながらすましてこう告げた。

「…貴方がその台詞を言うと、この上もなく滑稽に聞こえるわね……」

「でしょうね。僕もそう思います…」

皮肉を軽く受け流し、シンジは小さく忍び笑いを漏らす。

その悪意の篭った笑いにリツコは一瞬鼻白んだ。

「…まあ良いわ。そんなことより、シンクロ率の方がまったく上がらないのはどういう訳かしら?」

想像はつくけど……リツコは胸の中でそう呟きながらも尋ねてみる。

ここ数日、射撃訓練や格闘訓練はともかく、肝心のシンクロテストにおいてシンジの成績はまったくの横ばい状態だった。

それに関してミサトなどは不満を口にしている。

いくら生身の訓練を積んでもエヴァ自体を動かすシンクロ率が伸びなければ意味が無いからだ。

リツコから「一週間やそこいらでシンクロ率は急上昇したりしない」という説明を受けて一応は納得したようだが、今後もこの状態が続くとまた何か騒ぎ出すだろう。

毎度の事だが、友人のこの感情任せの態度には相変らず頭が痛い。

「…さて?真面目にやってるんですけどね……」

そんな苦労など知った風もないようにシンジは嘯くと再びカップに口を付ける。

そんな少年の様子をリツコは黙って観察していた。

 

シンジのシンクロ率が上がらない理由には見当がついている。

通常のエヴァとのシンクロはコアに取り込まれた近親者との親和性において成る。

だが、シンジは自身を『十八番目の使徒』と名乗った。

ならば、使徒のダイレクトコピーであるエヴァとは同じ存在…魂の目覚めていない現在の初号機ならば容易にシンクロ出来るということだ。

あの最後のシ者……渚カヲルのように。

直接シンクロ…。

チルドレンのコアを介した間接的なシンクロではなく、エヴァそのものの力を100%引き出すことが出来ればあの超絶ともいえる戦闘力も頷けるというもの。

しかし、それならば何故シンクロテストの際には上がらないのか?

それは無用の疑念を避ける為か、…それともただ単に面倒臭いだけなのか。

彼の態度を見ていると、その両者かもしれないという考えが頭に浮ぶ。

 

「…多分、リツコさんの考えているとおりですよ」

シンジが悪戯っ子のように笑いかけた。

その邪気の無い笑顔に以前のシンジの面影を垣間見る。

しかしそれも一瞬で、再び漆黒の瞳に澱んだ炎を灯すとリツコに向き直った。

今日ここに来た目的は他にあるからだ。

リツコもシンジの表情の変化に察したように頷くが、その表情には躊躇いの色があった。

「……本当に良いのね?」

「ええ…お願いします」

念を押すようなリツコの口調に、シンジは腕の裾を捲くって右腕を差し出した。

「少しチクッとするわよ」

だが、殆ど痛みを感じさせる事も無く血液を採取すると注射針を引き抜く。

「これでOKよ…」

「次のステージに要する時間はどのくらい掛かりますか?」

ガーゼで腕を押えながらシンジは訊いてきた。

「…そうね……二ヶ月、といったところかしら……」

「そうですか。……楽しみですね」

底冷えする笑みを浮かべるシンジ。リツコは肌が意味も無く泡立つのを感じていた。

 

 

 

「それじゃ僕はこれで…」

「シンジ君…ちょっと待ってくれないかしら?」

用事も終わり、立ち上がりかけたシンジを呼び止めるリツコ。

「何です?」

「…貴方とレイの病室での映像……消しておいたわ」

そう答える表情はやや憮然としていた。

シンジも、自分ならMAGIを操作して消すと踏んでの行動だったのだろうが、やや軽率ではないか、という感が拭えないでいたのだ。

「…そうですか」

「程々にしておくことね。あまり目立った動きをするとこっちもフォローし切れないわよ」

「肝に銘じておきます。……ああ、そうそう」

そう言って何を思ったのか、シンジはリツコに顔を近づけると、軽く頬に口づけをした。

「っ!?」

「ありがとうございます、リツコさん…」

「えっ、な……!?」

突然の不意打ちに脳内でシナプスが爆発したようにパニックに陥る。

「……な、何のつもり…?」

漸くそれだけの言葉を紡げたが、動揺著しく赤らめた顔を隠す事も出来ないでいた。

「だから、感謝の気持ちですよ」

薄く笑いかけ、更に身体を密着させる。

(…そうやって女を自分の意に従わせようとするところ…ホントそっくりね……)

「………やっぱり親子よ、貴方達は……!ん…っク……」

そう皮肉ったリツコの唇を、少年の口が塞いだ。

 

 

 

  NERV本部・技術研究室

 

【ピピッ!】

 

呼び出しの電子音が鳴り来訪者が来た事を告げる。

デスクの上のカメラを見ると、そこには友人の作戦部長が立っていた。

『リツコ〜〜〜』

インターホン越しにミサトの声を聞いたリツコは溜め息を吐いた。

どうしてこの友人はこういうタイミングにいつも顔を出すのだろう。

正直…今は誰とも会いたくない気分だったが、そうかと言って追い返すわけにもいかず、機器を操作して扉を開く。

「……何か用?」

「つれないわねぇ〜〜。大学からの親友が会いに来てるってぇのに………って、どったのリツコ?顔赤いけど……?」

「…っ!?…な、何でもないわ……」

開口一番のミサトの突っ込みにやや狼狽するリツコ。何故か洋服の裾を慌てた様に抑えた。

「ふ〜〜ん…まっ、イイか。ねぇ、それよりシンジ君は?」

ミサトがキョロキョロと部屋を見渡し、シンジがいないかどうか確認する。

「……もう、帰ったわ」

素っ気無い風に告げたが、その頬にやや赤みが増したのは気のせいだろうか。

だが、その言葉に見るからに落胆した表情を浮かべるミサト。

「げっ、マジ…!?」

「何か用事があったの?」

怪訝に思ってリツコが尋ねる。

「イヤ…何ね……。シンジ君が通う中学校への手続きがようやく終了したからそれを知らせに来たんだけどさ……」

ミサトは自分の指定席である丸椅子に腰掛けると、はぁ〜〜っと大きな溜め息を吐く。

「どうしたの?溜め息なんか付いて」

「アタシ…シンジ君に嫌われてるんじゃないかなぁ、って思って……」

そう言って、机に突っ伏し落ち込んだ声を上げた。

「…どうしてそう思うの?」

「だって、あの子…シミュレーションでも実地訓練でもアタシとはほとんど言葉を交わさないのよ……」

「無視されているってわけ?」

「それとも違って……コッチの言う事はちゃんと聞いてくれるんだけど……」

何と言うか…心を開いていない…。

何処か余所余所しい…。

ミサトにはそう感じるのだった。

それでなくとも子供を戦場に送っている事に良心の呵責を感じ、シンジに対し追い目があるミサトである。

何とか人間関係でも改善して心の負担を軽減したかった。

そういう思惑もあり、『シンジ君の学校復学でポイントアップ作戦』を実行しようとしたのだが、見事な空振りで終ってしまったようである。

「仕方が無いんじゃない?…彼、あまり話すのは得意そうじゃないみたいだから」

「アンタとは話してんでしょ?」

「…別に、大したことは話してないわ」

「どうかしら?随分仲良さそうに見えるけど…アタシと違ってさ……」

口を尖らせながらミサトが言う。直属の上司である自分よりも、リツコの方が親密そうに見えることが何となく不満なのだ。

無論、ミサトの邪推だが、端から見ればリツコがシンジを手懐けているようにも見えるのだろう。

「…実は、いまだにシンジ君とどう接して良いのか分かんないのよ……」

机に頬を潰したままミサトは弱音を吐いた。

「リツコぉ……アンタはどうしてんの?普段、シンジ君とどんな風に話してんの?」

「どんな風って…普通よ」

「その普通が分かんないんだって!……良いわねぇ〜〜、アンタは好かれててっ!」

拗ねたように頬を膨らましてみせる。

「……別に好かれているわけじゃないわ。…それに、嫌われている方が良いかもしれないわよ……」

「何でさ?」

その言葉の真意が分からず訊き返すミサト。

リツコはミサトから視線を逸らし、鉄のような冷たい声で答えた。

「…相手が死んだ時、哀しまずにすむわ……」

「なッ…!何言ってんのよッ!アンタッ!!」

咎める口調で声を荒げるミサト。

「彼はエヴァのパイロット、そして此処は要塞迎撃都市。……ありえない話じゃないでしょ?」

「それはッ!…でも……」

リツコの指摘にミサトは何も言えない。

彼女とて理解している。

此処は友達を作る社交場でも遊技場でもなく、人類の命運をかけた戦場なのだという事を。

そして自分はそこの作戦指揮官。

彼ら子供達に”死ね”、”殺せ”と命令する立場の人間だ。

それを解った上で、自分は今此処にいる。

何故か?

理由はいくつかある。

「仕事だから…」

「自分の選んだ道だから…」

「15年前の悲劇を目撃した張本人だから…」

だから己がならなければならない!

…しかし、どんなに立派なお題目を並べても、彼女の中のもう一人の自分はその本当の心を知っていた。

本当の心…。

それが復讐の為だということを……。

自分の人生を狂わせたバケモノの存在をどうしても許すことが出来ない!

父を奪い、身体に一生消えない傷を追わせた神の遣いとやらが目障りで仕方が無い!

セカンドインパクトでは何十億という人間がその命を落としている。

親の死に絶望し、恋人の死に悲嘆し、子供の死に慟哭し、そして運命を呪いながら死んでいった人間の数は一体どれほどいただろう…。

生き延びた人々は皆地獄を見てきたのだ。

自分一人が悲劇の主人公と浸るほど傲慢ではない。

浅ましい感情だと解っている。

あまりにも個人的な欲望だと熟知している。

だが……どうしようも無くソレはあるのだ。

心の中に棲み続けるドス黒い感情…それでも彼女の中の『良心の部分』はそれを直視したくなかった。

自分の中にそんなおぞましい負の心が存在する事など認めたくなかった。

でも、リツコの言葉で自分の中の厭な部分を再認識してしまう。

シンジがパイロットになる事を知らなかったという言い訳は通用しない。既にレイがファーストチルドレンとして登録されていたのだから。

彼を迎えに行ったときにそれは予想されて然るべきものだった。

子供が殺し合いの矢面に立つ。それに耐えられないのなら作戦部長の職を辞めるという選択肢もあった。でも、結局その道は選ばなかった。

これでは子供達の命よりも自分の感情を優先したと取られても仕方が無い。

そんな自分がシンジ達と友好に接したいと願う事は”偽善”なのだろうか…?

例えソレが『罪悪感』の裏返しだとしても…。

俯き、眉を顰めるミサトにリツコは言葉を続ける。

「…私達はそういう処にいるの。余計な感情はナンセンスよ……」

「…………」

静寂に埃が積もる程の長い沈黙を経た後、ミサトが顔を背けながら小さく呟いた。

「冷たいのね、アンタ……」

そのまま目をあわせずに技術室を後にする。

この時リツコの顔を見ていれば気付いたかもしれない。……彼女の言葉が、まるで自分自身に言い聞かせているように悲痛な響きに満ちていた事に。

 

 

 

  NERV本部・地下電算室

 

吐く息も凍り付くかと思われる暗蒼色の広大な部屋。

電子モニターの反射のみが光沢を放つその薄暗い空間に蒼い髪の少女の姿があった。

先日、病院を退院した綾波レイは自宅マンションへは戻らず、その足でこの電算室へやって来たのだ。

レイはMAGIと直結されたデータバンクに、シンジから手渡されたIDカードを使って端末を操作している。

 

調べる事は一つ。

 

「…これがあの人の望み……。わたしはただの代わりでしかない……」

レイはコンソールから手を離すと、誰に聞かせる事もなくポツリと呟いた。

ディスプレイに映し出されている”人類補完計画の全容”。

自らの傀儡を育て、約束の刻にただその至高の存在と巡り逢う為だけの悲喜劇。

…これが自分の存在理由。

…司令の望み。

その真実を知った時、自分に向けられていたあの笑みが急速に崩れていくのを感じた。

あの人の眼差しは自分に向けられていたものではない。

真紅の瞳から一筋の光が頬を伝わってくる。

「…これは涙……わたし、泣いているの……?」

掌にこぼれた銀色の雫を見詰めてレイは呟いた。

「はじめての涙。わたし、悲しいの……?」

絶望にも似た極鮮色の闇が意識を飲み込んでいく。

「わたしは…どうすれば……?」

少女の発した呟きは、壁や天井に達するより早く薄暗闇の空気に吸い込まれてしまい、誰の耳にも聞こえる事はなかった。




To be continued...


(あとがき)

こんにちは、ミツです。
第15話にもR指定版があります。
ただ、今回はちょっと過激かも?ご希望の方は注意してください。(^^;
では次回も頑張ります。

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