贖罪の刻印

第十六話

presented by ミツ様


  NERV本部・第一発令所

 

深夜。

発令所のオペレーター机で、伊吹マヤが投射式ディスプレイを見詰めながら居残りの仕事をしている。

MAGI本体がある下部の統合分析室にも職員は数名いたが、発令所内にこの時間まで残っているのは彼女一人だった。

「ふう…」

先程から計算式をじっと睨み付けていた目に疲労を感じ、思わず溜め息が漏れる。

キーボードの配置は、人工工学的に操作しやすいといわれる扇型になっているが、流石に長時間も同じ体勢で酷使していた身体は悲鳴を上げていた。

「う〜〜ん…」

マヤは身体のコリを解そうと、両手を上げて伸びをうつ。

(連日連夜の徹夜作業…年頃の女の子のする仕事じゃないわよねぇ……)

肩をコキコキ鳴らせながらそう愚痴をこぼしていると、背後から音も無く近づく影があった。

「…マヤちゃん」

「きゃっ!?」

いきなり声をかけられ、マヤが大きな声を上げた。

人は気が緩んだ時に声をかけられると想像以上に吃驚する。

しかも彼女は人一倍怖がりな方だ。

真夜中…しかも、誰も周りにいないと思ったうえでの不意打ちだ。彼女でなくても驚くだろう。

おずおずと涙目で振り返るマヤ。

しかし、そこにいるのが知人だと気付いて、すぐに安堵の表情を浮かべた。

「なんだ、青葉さんかぁ〜……ああ、ビックリした」

彼女を驚かせた張本人…青葉シゲルが笑いながら珈琲の入った紙コップを手渡す。

「ごめん、ごめん。脅かすつもりは無かったんだ」

「あっ、ありがとうございます」

マヤは笑顔で受け取ると、すぐにディスプレイに向き直り、先程まで続けていた計算結果を確認した。

「え…っと、打ち間違えは……ないわね」

青葉が肩越しに覗き込む。

「何してたんだい?」

「ああっ、ダメです!勝手に覗かないでください」

マヤが顔を赤くしてモニターを隠した。

「イイじゃないかぁ、知らない仲じゃないんだしぃ」

からかう様に片目を瞑るが、潔癖症の気がある彼女は半眼で冷たく切り捨てる。

「…フケツ」

キツイ一言を喰らった青葉は、若干頬を引き攣らせながら話を逸らした。

「ハ…ハハ……。そ、そう言えばマコトの姿が見えないな、アイツもこのところ残業続きだったから流石に今日は帰ったか……?」

「日向さんはデブリーフィング・ルームで兵装ビルの配置チェックをしています。…今日も泊り込みみたいですよ」

「やれやれ…アイツもマメだなぁ……」

青葉は溜め息を吐きながら頭を掻く。

陽気で社交性もあり、また仕事も出来る有能な自分の友人。

10人の人間が見れば10人とも「彼は良い人」と答えるだろう。

その意見に青葉も異論は無いが、彼にはマコトが”他人に役立つ人間だと認められたいが為”に頑張っているように見えるのだ。

別にそれが悪いと言っている訳では無いが…もう少し楽に生きたらいいのに、とも思う。

もっとも、それを直接本人に言ったりはしない。

人それぞれの生き方だし、自分の余計な一言で関係を拗らせたくもないという考えもあった。

それが人間関係を形成していく上での最低限のルールだと思っているが、そんな考えは、何事にも真剣になれずどこか醒めている自分に対するコンプレックスの裏返しなのかもしれない……。

(まっ、こんな考え自体、歪んでるんだけど……)

青葉は自嘲気味に唇を顰めた。

「…じゃあ此処はマヤちゃん一人?……赤木博士と一緒じゃないなんて珍しいね」

「も〜う、失礼ですよ。私だっていつもセンパイとくっ付いているわけじゃありません!」

青葉の言葉を皮肉と感じたのか、頬を膨らませながらマヤは抗議するが、その姿は歳を感じさせぬほど幼いものだった。

「ハハ、ゴメンゴメン。…で、何やってたの?」

「えっと…センパイの指示でMAGIのセキュリティ・システムのバージョンアップをしてたんです」

「バージョンアップ?」

「はい。何でもメルキール・バルタザール・カスパーの3基に、完全に外部から独立したシステムを構築したいらしくて…」

そう話すマヤの言葉に青葉が怪訝な表情を浮かべた。

「…何だってそんなに厳重にする必要があるんだい?今までのだって相当なモンだろ?」

「さあ、センパイは完璧主義者ですから……」

MAGIのセキュリティ・システムは、想定されるあらゆる侵入に対して幾重ものフェイルセーフを考えて設計されていた。

それは最先端の科学技術を誇るNERVの総力を結集した、まさに世界最高レヴェルのものだ。

例え、ある回線から密かに本部に侵入するハッカーがいたとしても、個々に性質の異なる複数の探知機が重層的に監視しており、万が一そのどれか一つを奇跡的に潜り抜けたとしても、必ず他の”眼”によって発見される仕組みになっていた。

しかもそれをコントロールするMAGIは文字通り世界最高の生体コンピューターであり、事実上MAGIへの外部からの侵入は不可能と考えられている。

ましてや敵は使徒である。

いかに未知の相手とはいえ、あの巨大なバケモノが電脳戦を仕掛けてくるなど、青葉には考えられない。

いや、きっと誰もがそう思うだろう。

だが…今回の措置が使徒以外を想定しているのだとしたら?

そこまで思い至った彼は、ある可能性を示唆した。

「…他組織による本部のハッキング攻撃でも想定しているのかな……?」

「そんなっ!?一体何処かそんな事をして来るって言うんです!?」

マヤは信じられない面持ちで青葉を振り返る。

実際、特権意識が強く秘密主義のNERVは、流石に露骨なところは無いが世界各国から反感を買っているのは事実なのだ。

また、それをのぞいたとしてもオーヴァー・テクノロジーを独占する機関の秘密を探ろうと策動する国や企業は多いのだ。

青葉は諜報部という立場上、そのような裏の社会の汚さは熟知しているのだが、この潔癖症の気がある娘には少々酷な話だったのかもしれない…。

思わずとはいえ、口にすべき話題では無かった…彼は少し後悔した。

「あっ…いや、ちょっと勘繰り過ぎかな?考えてみればそんな馬鹿な事するわけないよねぇ。ウチが負ければ世界は滅びるんだからさ」

「…そう、ですよね……」

「そ、そう言えば、赤木博士は?今日は全然見えなかったケド?」

慌てて誤魔化すように話題を変える。

「あっ…センパイは今、第二実験場に行ってます」

「そっか…零号機か……」

マヤの言葉に青葉の表情が曇った。

…32日前、地下第二実験場で行われた起動実験の際に、零号機が突然暴走しエントリープラグを強制エジェクトしたのだ。

緊急射出されたプラグは壁や天井に激しく激突し、床に二度・三度と激しく打ち付けられた。

その場にいた碇司令が真っ先に駆けつけて助け出し一命は取り留めたが、零号機パイロットが助かったのは僥倖といっても良かった。

ある意味、管理者の失態ともいえる事件だったが、何故かその場において責任を取らされた者はおらず、青葉も立場上それ以上のことは言えなかった。

「センパイ…このところずっと元気が無かったんですけど、最近はいつもの調子が戻ったみたいで私も嬉しいです」

マヤは何故かほっとした様に話し出す。

青葉も一ヶ月ほどリツコが屈託したままでいた事を知っている。

確かにあの時の彼女は、普段の姿からは想像も出来ないほど生彩に欠けていた。

勿論人間である以上、バイオリズムの調子云々等はあると思うが、あれは異常だった。

全く生気というものが無かったからだ。

面持ちは窶れ、全身に虚無感が漂っていた。

それが変わったのは…。

 

 

(使徒の襲来……いや、正確にはあの少年が来てからか……)

 

 

「…そう言えば、シンジ君は今日から学校だったかな……?」

何気なく黒髪の少年の話を持ち出す。

「はい。友達が出来て少しでも気分転換をしてくれれば良いんですけど……」

マヤは言葉の真意に気付かずに普段通りに答えるが、青葉はただ曖昧な表情を浮かべて頷いただけだった。

 

 

 

  第三東京市・第壱中学校

 

 

キンコンカンコン……

 

 

予鈴を告げる鐘の音が2年A組の教室に響く。

しかし、まだ担任が到着していないこともあり、生徒達は互いに他愛も無い会話に花を咲かせていた。

その教室の中に一人、眼鏡をかけた少年…相田ケンスケは愛用のカメラのアタッチメントレンズを磨いている。

去年の正月に自分の小遣いと彼の『稼ぎ』を合わせて購入したソレは、今一番のお気に入りだった。

ケンスケはおもむろに教室をフェンダー越しに捉えて見る。

もう始業時間だというのに机に空きが多く見られる。

見渡せば、生徒の数も大分疎らになってきていた。

原因は先日の怪獣騒ぎ。

街中で戦闘が行われれば当然かもしれない。誰もが皆、恐怖を抱き疎開をはじめているのだ。

しかし、この少年は違っていた。

 

こんな面白いビックイベント、見逃してどうする!

 

彼は趣味のカメラと同様、いやそれ以上にミリタリーマニアであった。

週末ともなればモデルガンを担ぎ山に赴きサバイバルゲームに勤しんだり、学校を休んで軍艦見物に行ったりもしている。

好奇心も強く、NERV勤めの父親から聞かされた今回の事件に関しては心が躍った。

父親も自分の話に興味を示す息子を嬉しく思ったのだろう、ついつい非公開とされる情報までも漏らしてくれた。

未知の敵生命体。

人類が創り出した巨大ロボット。

まさにケンスケが夢にまで見た光景がこの街で展開されたのだ。

もし自分が噂のロボットのパイロットに選ばれれば、絶対格好良く敵を倒してみせる。

少年はそう思っていた。

 

カラッ…

 

教室の扉が開く。

もはや定年に近い白髪頭の老教師が入ってくる。教室の生徒も急いで自分の席に着いた。

「今日は転校生を紹介する。……入りたまえ」

教壇に立った老教師は間延びした小さな声で口を開き、廊下に向かって声をかける。

ザワめく教室。

「男子か?女子か」という無害な声が飛び交う中、一人の少年が教室に入ってきた。

転校生という日常と異なるファクターは、中学生にとっては刺激のあることなのだろう。

しかもこの時期だ。入ってきた少年を見詰めるクラスの顔に好奇の表情が浮んでいた。

その視線を一身に受けた少年は、教壇の前に立つと静かに自己紹介を始める。

「……碇シンジです。よろしく…」

簡潔すぎるほどの挨拶を済ませ、軽く頭を下げた。

「じゃあ碇君、…そこの空いている席に座って下さい」

「わかりました」

担任の教師が指示した席に向かってシンジが歩き出す。

その姿にじっと視線を注ぐクラスメイトの目。

ケンスケもその一人だった。自慢のカメラを少年に向ける。

だが、その瞬間、眼鏡の少年はある種の違和感を覚えた。

ハタから見れば華奢な体格と細面な容貌で少女に間違えられるかもしれない。艶やかな黒髪も印象的だ。

冷めたような瞳も、クールと評せなくも無いかもしれない。

実際、クラスの女子の何人かが小声で囁き合っていた。

だが…とケンスケは訝しがる。

転校生の少年には、まるで表情と言うものが見てとれないのだ。

人間の顔は、目鼻立ちだけで成立するものではない。それらの造作が色々な感情の篭った表情と一体化して、はじめて個性を持った顔になるのだ。

しかしフィンダー越しに覗くその瞳は、整った顔立ちとは異なり異様なほどの無機質さを放ってるようにケンスケには見えた。

そう、まるで何ものをも映してはいないかのように……。

(……なんだ?コイツ…)

それが、相田ケンスケが碇シンジに抱いた第一印象だった。

 

 

 

第壱中学校にほど近い、建造中の高層ビル群の一画。

剥き出しの鉄骨が立ち並ぶ空地の側に、ひっそりと隠れるように一台の車が停車していた。

解体してしまった方が早いような年代モノの国産車だが、サイドガラスを下ろし望遠レンズで校舎を窺っている一人の男がいる。

人懐っこい愛嬌のある顔立ちに、無精髭を生やした風体。

合同記者会見後に冬月に質問を投げかけた男だった。

その男は先程よりレンズの一点を凝視している。

高画像処理された視界の先に学生服を着た一人の少年の姿を捉える。男は口元に僅かな笑みを浮かべた。

「ほ〜う、あの子が碇シンジ…。重要観察対象者の一人、か……」

車中の人物…熊野タツミが顎鬚を撫で上げ、どこか面白そうな口調で呟いた。




To be continued...


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