第十八話
presented by ミツ様
第三新東京市・第壱中学校
始業開始前の休憩時間、教室ではふざけて取っ組み合いをしている男子生徒やファッション雑誌を見ながら髪をいじり合っている女子生徒など各自思い思いにたむろっている中、クラス委員長である洞木ヒカリはパソコンで学級日誌をつけていた。
髪を後ろ二つに束ねただけの髪型と頬のソバカスが少々野暮ったくも感じるが、ヘンに化粧慣れた今時の女子中学生に比べれば遥かに清楚な印象を受ける少女だ。
日誌のキーを押すと、欠席欄には『綾波レイ』と『鈴原トウジ』の名が続いている。
彼女は習慣的に二人の名を入力するが、ふと顔を上げると窓際の席に座っている一人の少女の姿を見とめた。
クラスの雰囲気から隔絶した様に、一人窓の外を眺めている蒼い髪の少女。頭には包帯、片目に眼帯、右腕にはギブスがはめられている。
怪我をして休んでいたのかしら…ヒカリは欠席欄の彼女の名前を消去したが、そこに入力されているもう一人の名に目が止まり眉を顰めた。
もしかしたら……。
何か言いようの無い不安に駆られたヒカリは立ち上がると、相田ケンスケの座る席に近づいていく。
玩具の戦闘機をハンディカメラに映しながら何やら遊んでいる少年に、ヒカリは話しかけた。
「相田君…この前のプリント、鈴原に渡しておいてくれた?」
「え…?あ〜、いや……何かトウジん家、留守みたいでさ……」
ヒカリの言葉に、ケンスケは机の中のプリントを慌てて奥に仕舞い込む。
「相田君、鈴原と友達でしょ?…気にならないの……?」
「こないだの騒ぎで、怪我でもしたのかな?」
惚けた様にはぐらかすケンスケに、ヒカリの顔が青褪めた。
「うそ!?テレビじゃ怪我人はなかったって……」
「まさか、あの爆心地見たろ?怪我人だって10人じゃそこいらじゃきかないって…死人だって……」
ガラッ…
ケンスケがそこまで言った時、黒ジャージ姿の髪を短髪にした少年が教室に入ってきた。
「鈴原!」
「なんや、随分減ったようやの……」
鈴原と呼ばれたジャージ姿の少年は、教室を見渡しながら関西なまりの声で話し掛けてくる。
彼の言うとおり、教室のあちこちで空席が目立っていた。
「疎開だよ、そ・か・い。みーんな転校しちゃったよ」
トウジの言葉を受けてケンスケが答える。
将来は遷都されるとはいえ、第三新東京市の主目的は要塞都市。戦闘が起こる事は覚悟の上のはずだった。
だが、人というものは予め災厄を予測して行動することなど出来ない。尚且つ、予測していたとしても目の前にその現実が迫らなければ本当の意味で理解出来ないものなのだ。
加えて使徒の存在は情報規制で一般の人間には周知されていなかった。そのため住民に覚悟などあるはずもなく、直接NERVと繋がりの無い一般企業に従事している人々は使徒襲来の後、慌てて荷物をまとめて街を出て行った。
無論、NERV職員でも家族を田舎に疎開させようとする人間が後を絶たないので、この第壱中学校の生徒数も減少しているというわけなのだ。
「ま、街中であれだけハデに戦争されちゃしょうがないけどね」
「喜んどるのはオマエだけやろな。生でドンパチ見れるよってに」
「へへ…まあね」
得意げに笑うケンスケ。
「トウジはどうしたのさ?こんなに休んじゃってさ、…この間の騒ぎで巻き添えでも食らったの?」
ケンスケの何気ない一言にトウジの顔が歪んだ。
「………妹のヤツがな……」
「妹?」
「…瓦礫の下敷きになってしもうて。…命は助かったんやけど、ずっと入院しとんのや。ウチんとこ、オトンもオジイも研究所勤めやろ?ワシがおらんと、アイツ病院で一人になってしまうからな……」
「…鈴原……」
普段見せたことのない辛そうなトウジの表情に、ヒカリは言葉も出ない。
一見、粗野に見えるこの少年が、外見に似合わずとても家族思いなのをヒカリは知っていた。
自分にも家族はいる、もしその内の誰かが…などとは考えるだけでも恐ろしい。
ヒカリにはトウジの悲痛の気持ちが痛いほどわかった。
「しっかし、あのロボットのパイロット、ほんまにヘボやなッ!無茶苦茶腹立つわッ!味方が暴れてどないするっちゅうんじゃ!!」
トウジは思いきり右拳を自分の左の掌に叩きつける。出来ることなら今すぐソイツをぶちのめしたい…拳にはそんな怒りが込められていた。
「それなんだけど、知ってる?転校生が来たんだ」
「テンコウセイ?」
「あれだよ」
ケンスケが指差した方向…窓際の列に見慣れぬ少年がただ座って外の景色を眺めていた。
彼の周りには誰もいない…。
転校生ということで最初は物珍しげに集まっていたクラスメイトも、少年の誰も寄せ付けない雰囲気に鼻白み、一週間近く経った今では誰も彼に話し掛けることはなくなっていたのだ。
「…なんや、暗そうなヤツやな?まあ、このご時世に転校してくるとは難儀なこっちゃ」
「そんなことよりアイツ…あのロボットのパイロットって噂があるんだ」
「な、なんやと!?」
ケンスケの言葉に驚いてトウジが振り返った。
「ちょ、ちょっと、何言ってるのよ相田君!?」
ヒカリの方は呆れた様な声をあげる。だが、ケンスケが鼻の上で眼鏡をかけ直すと得意気に話し始めた。
「だって考えてもみなよ、怪獣が攻めて来るこの時期に転校なんておかしいじゃないか。…それに、俺にはちょっとしたソースがあってね……」
実はケンスケは、NERV勤めをしている父親のコンピュータをハックしてNERVの情報を掴んでいるのだ。
そこにはロボットのパイロットは14歳の子供とあり、ケンスケは先日転校してきた少年が怪しいとにらんでいた。
ただ、授業中に送ったメールも無視され、尚且つ近づき難い雰囲気を発する少年に確かめる術も無く、今日までモヤモヤした気分を味わっていた。
「俺の見立てでは十中八九間違いないね。…アイツがロボットのパイロットだよ」
そう言った後、ケンスケの眼鏡が光を反射して光る。
ここまで言い切ったのには訳がある。ケンスケはこの際、友人を嗾けて事の真相を探ろうと図っているのだ。
もし人違いなら謝れば良いし、本当なら彼に頼んでパイロットに推薦してもらおうとも考えていた。
「…アイツが……」
ケンスケの思惑通り、トウジはじっと窓際に座る少年を睨み付けていた。
ここにもう一人、教室の輪から外れた者がいる。
綾波レイ…蒼い髪と紅い瞳を持つ少女。
退院後、無事登校してきた彼女だったが、シンジ同様周りに隔意の壁を作るその性格では友人と呼べる者など皆無であり、痛々しい包帯姿にも関わらず誰も彼女に話し掛ける者はいなかった。
無論、そんなことをこの少女が気にするはずもない。
レイは先程から手元に握った真っ赤なカードをじっと見詰めていた。
それはあの不可解な少年から手渡された真実の扉を開く魔法の鍵。
それによってレイは知った……自分の本当の正体を。
そして、ゲンドウが補完計画を目指す本当の理由を。
…司令は言った、お前は”人類補完計画”の為に存在するのだと……。
…司令は言った、それこそが人類の希望であり、お前と人との”絆”なのだと……。
…でも、今は司令の欺瞞が見える。
…あの人にとって、補完計画などどうでも良いものだった。
…あの人の望みは唯一つ。…そして、わたしはその為の道具…いえ、ただの”代替品”でしかなかった。
…自分の妻の面影を映すための人形。
…だからなの?あの時わたしを助けたのも…?
レイの表情が僅かに歪む。
…あの時見せた笑顔は偽りのものだったの…?
…あの時感じた絆は幻だったの…?
胸がザワつく。
…このキモチワルイ思いは……なに?
まだ明確な意思に表すことが出来ないが、言いようの無い不快感が身体全身を支配する。
レイはふと、視線を窓際に座る一人の少年に向けた。
……自分に禁断の果実を喰べさせた少年を。
「…碇シンジ、サードチルドレン。碇司令の息子……」
レイが誰に聞かせる事もなく、小さく呟く。
一体何故こんなものを自分に渡したのだろう…。
彼は司令の息子ではないのか…?
それが何故こんなことを…?
…病院に現れたとき、彼はわたしのことを『リリス』と呼んだ。
…その時は驚いたけれど、彼はすべてを知っていた……。
…でも何故…何故彼はそれを知り得たの……?
…わからない。
そうやってまた堂堂巡りを繰り返す。
レイは自覚すらしていないが、ここ数日、彼女の思考を占めるのは殆どシンジの事だった。
彼の行動から目を逸らせない。気がつくと視線で追っている自分がいる。
今もそうだ。レイは無意識にシンジ見詰めている。
そして、その少年に近づいて行く人影があった。
名前は知らない。ただ、いつもジャージを着て関西訛りで喋る少年だ。
「おい、テンコウセイ。…ちょっと顔かせや……」
ジャージの少年がシンジを教室の外へ連れて行こうとする。何故かその後を…これも名前は知らないが、いつもカメラを持ち歩いている少年が付いて行った。
…何をする気だろう?
レイの視線が自然とその姿を追った時、鞄に入れあった携帯電話の着信音が鳴る。
その着信メールを見て、レイは席を立ち上がった。
「…非常招集…行かなきゃ……」
第壱中学校・校舎裏
バキッ!!
校舎裏に鳴り響く打撲音。
「……スマンのう、テンコウセイ。…ワシはお前を殴らなイカン。殴っとかな、気ィ済まんのや…」
レイがそこに辿り着いた時に見たものは、地面に倒れたシンジと、それに向かって両拳を鳴らしているトウジの姿だった。
「悪いね。コイツの妹、この間の騒ぎで怪我しちゃったもんでさ。……じゃ、そう言うワケで」
片手で拝む真似をするケンスケ。
「今度戦う時は足下よう見てから戦えやッ!!」
そう言い、立ち去ろうとするトウジに、あの少年が何か呟いた。
小さい声だったのでレイには聞き取れなかったが、踵を返したトウジが怒りの形相で振り向いてその胸倉を掴む。
「お、おい、トウジ…それ以上はマズイって……」
さすがにケンスケが止めようとするが、頭に血が昇ったトウジにはきかない。再びシンジを殴りつけ、地面に這わした。
「フザケんのも大概にせいや!こんガキャッ!!」
トウジが更に殴りかかろうとした瞬間、それを遮るように甲高い声が校舎裏に響く。
「ちょっと、アナタ達!こんな所で何やってるのッ!!?」
声の主はクラス委員長の洞木ヒカリだった。彼女は持ち前の正義感からトウジ達の様子が気になりやって来たのだろう。
「や、ヤバイ!おいトウジ、委員長だ!」
焦ったケンスケがトウジの肩を掴む。
「チッ…ええか、テンコウセイッ!次同じ事したら、ワシがお前をぶっ殺すからな!そう覚えとけや!」
そう捨てゼリフを吐いてシンジを突き飛ばすと、トウジはそのまま駆け出した。
「あっ、待ってくれよトウジ!……あれ?」
ケンスケもその後に続くが、そこではじめて無表情に自分たちを見詰めているレイの存在に気付く。
「…何で綾波がここに?」
「なんや、見世物やないで!」
意外な人物が意外な場所にいたころに不審がるが、走ってくるヒカリの姿に慌てる二人。
「コラ!アナタ達、待ちなさい!」
「ヤベっ…オイ、行くでケンスケ!」
「あ、ああ……」
トウジ達は脱兎の如く駆け出していった。
「待ちなさいって!…綾波さん、碇君をお願い。私はあの二人をとっちめるから!」
三人が三者其々の反応を示しながら駆け去っていく姿を見送った後、レイはシンジのところに歩き夜。
それは別に彼の様子を気遣ってのことではなく、シンジに使徒の襲来を伝える為であったのだが、仰向けに寝転がる少年の顔を見たとき、一瞬、怪訝な表情を見せた。
「…碇くん、非常招集よ」
「そう…」
レイの言葉に、シンジはそう言って起き上がる。
服についた埃を払いながら歩き出す少年に、唐突にレイが尋ねた。
「…どうして?」
「ん?何…?」
いつものことだが蒼髪の少女の言葉には抽象的なものが多い。質問の意味が分からず少年は聞き返した。
シンジの視線を受けたレイはもう一度口を開く。
「…何が楽しいの……?」
「何のこと?」
「…貌…笑ってる……」
その時はじめて少年は気付いた。
自分の唇が歪んでいることに……。
使徒戦で見せた狂気の笑みではない。それよりも、自分自身を皮肉るような……そんな自虐的な笑み。
「…同じ人間が、同じ状況下で、同じ判断をすれば、同じ行動になるって何かの本で読んだことがあったけど……ホントだったんだね…」
シンジは嘲りを含んだ口調でこう漏らした。
「…どういうこと?」
レイの疑問に「いや…別に」と、言葉をはぐらかす。
そんな少年を少女は見詰める。
…初めて逢った時から不可解な少年だった。
一見何の変哲も無い少年……しかし、最初に感じたものは”絶対的な違和感”。
どこにいても、何をしていても常に異様な印象を与えてしまう少年。
レイには、彼が決して周囲の雰囲気とは相容れようとしない存在に見えた。
今回もそう…
普通、人に殴られたなら、怒るか、怯えるか、…そんな態度をとる。
殴られて笑うことなど無いだろう。
それぐらいは自分にも分かる。
だが、自虐的な笑みを浮かべ、殴られた事もまるで他人事のように語る目の前の少年をどう表現すれば良いのか……。
もっとも、これ以上訊いても少年が話すことなど無いと判断したのか…レイはあえて追及しようとはせず、代わりに懐からIDカードを差し出した。
「…返すわ」
「そう……」
何やら意味ありげな笑みを浮かべ手渡されたカードを胸ポケットに仕舞ったシンジは、そっと顔を近づけると蒼髪の少女に囁くように尋ねた。
「…どうだった?…禁断の実を喰した気分は……?」
「…………」
深淵を思わせる虚ろな眸に見詰められ、レイは答えることができない。
「真実は劇薬というけど、キミにとっての林檎はどんな味がした……?」
「…何故、こんなものをわたしに見せたの?」
漸くそれだけを口にると、少年は透明な水面を思わせる冷たい表情で語った。
「これからこの街を中心に一つの舞台の幕が開く…。誰もが己の欲望の為、人を欺き、争い、蹴落とし、利用しようとする……血で血を拭う壮大な笑喜劇の始まりさ。そして、フィナーレではこの世界に住む人間一人一人が苦い決断に迫られる刻がやって来るだろう……」
そう言って、シンジはさも愉しげに唇を歪める。
「……その時、キミはどちらに付く?」
新たな使徒の襲来を告げる警報が鳴り響く中、ナイフの様な冷たい微笑を浮かべる少年の横顔を、蒼髪の少女はじっと見詰めていた。
To be continued...
(あとがき)
こんにちは、ミツです。
今回から第四使徒戦編スタートです。
と言ってもまだまだ序盤…こんなゆっくりとしたペースでは2・3話では終らない気がします……。
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