贖罪の刻印

第十九話

presented by ミツ様


  第三新東京市・街頭

 

『…ただいま、東海地方を中心とした関東中部全域に特別非常事態宣言が発令されました。住民の皆様は速やかに指定のシェルターへ避難してください。繰り返します。住民の皆様は速やかに指定のシェルターへ避難してください……』

街角に設置された拡張スピーカーから避難警報のサイレンと共にアナウンスが流れる。

住民達は各々不安な表情で荷物を抱えながらシェルターへ向かって行った。

情報規制により詳しい事情までは知るべくもないが、此処に住む全員が非常事態宣言の理由はわかっている。

 

そう……

 

人類の敵…

 

第四の神の御遣いが顕れたのだ…

 

 

 

  第三新東京市・地下モノレールトンネル

 

NERV本部へ続く職員専用の直通車両は、ゆるやかなカーブを描きながらジオフロント内へと入っていった。

車両に乗っている乗客は少年と少女の二人。

その内の一人、綾波レイは先ほどからじっと窓の外を眺めている。

モノレールは徐々に速度を上げ、暗闇を映し出す窓からではもう降りているのか昇っているのかさえ判断が付かなくなっていたが、ナビに映っている電光式路線図の無機質な数字が地下へ向かって進んでいるのを示していた。

車両にはもう一人…碇シンジもいたが、互いに離れた場所に座っていた二人は一言も会話を交わすことはなく、ただ列車が通過する規則的な音だけが聞こえている。

…突然、視界が開けた。

トンネル内を抜けたのだろう、疾走していたモノレールの壁が切れ、目前には巨大な地下都市が広がっていた。

長大なリニアレールが放射状に伸びている天井からぶら下がっているビル群、ジオフロント内には川や小さな山林もあり、集光ミラーから差し込む陽光が気化した結晶の様に煌めき、緑の中で光と影のコントラストを奏でている。

まるで地上の箱庭をそのまま地下へと運んできた風光だが、二人がその様な光景に感嘆するはずもなく、高架線を走るモノレールが施設に到着すると同時に別々のドアから降りていった。

 

 

 

  NERV本部・第一発令所

 

「目標を光学で捕捉!領海内に侵入しました」

本部付きオペレーターの報告で、中央にある数十基のパネルで格子状構成されている主モニターが展開する。

そこに映し出されている浮遊する巨大な未確認物体の姿。

昆虫の様なフォルムに暗赤色の外皮で、円盤状の頭部とそこから後方に伸びる腹部には一対の腕と節足動物を思わせる8本の脚の様なモノが見える。

前回のヒト型とは全く趣を異にするその姿に、発令所に勤める職員の中から戸惑いにも似た溜め息が吐き出された。

「…それにしても、碇司令の留守中に第四の使徒襲来か……思ったより早かったわね」

先ほどからモニターを険しい表情で見詰めていた作戦部長のミサトが口を開く。

「前回は15年のブランク。今回はたったの三週間ですからね」

「こっちの都合はお構いなしってことね。…女性に嫌われるタイプだわ」

日向の言葉に軽口で応えるが、彼女の瞳は猛禽類の如く鋭い輝きを放っている。

そこには今度こそ自分の手で使徒を倒すという強い決意が込められていた。

だが未だに指揮権はNERVに譲渡されてはいない。戦自にも面子というものがあるのだろう…その威信をかけ、厚木と入間の全戦力による対空迎撃戦が展開されていた。

発砲する重戦闘機。山裾部の迎撃システムからも砲弾の雨が飛びかっているが、残念ながら相手の外皮に傷一つ付ける事が出来ないでいる。

それどころか、まるで障害など無いかのように悠悠と飛翔を続け、第三新東京市に侵入しつつある使徒を、ミサトは苦々しく見詰めていた。

「ファーストチルドレン・サードチルドレンの両名、本部に到着しました!」

情報担当の青葉からシンジ達の到着の報が入る。

「そう……レイは待機、シンジ君はプラグスーツ着用後、第七ケージに向かわせて」

「了解」

「急がせて、恐らく直にコッチにお鉢が回ってくるわ…」

ミサトはモニターに映る異形の神に鋭い視線を送りながらそう指示を下した。

 

 

 

  NERV本部・第三エリア地下通路

 

鉄道の自動改札のような外見のゲートを潜り、地下廊下を歩いている間もシンジとレイは終始無言のままだった。

扉を抜け、長い長いエスカレーターにさしかかった時、漸く沈黙をかき消すようにレイが口を開く。

「…あなたは何故、此処に来たの?」

前を向いたまま静かに語りかけるレイ。

何故こんなことを少年に話しかけたのか分からない。

電算室での件以来、レイは胸の奥に何かじりじりとした不快感が急速に広がっていくのを感じていた。

それを具体的に言葉に表すことは未だ出来ない…そんな感情、今まで一度も経験したことのない感覚だったからだ。

…いや、深層心理の中ではずっと以前からあったのかも知れない。

ただ、気付いていなかっただけなのかも知れない。

自分だけが感じる異質な存在。

世界から一人だけ取り残されていく。

焦燥…孤独…不安…それがゲンドウに対する異常な執着心へと繋がっていたとも考えられる。

しかし、その絆に歪が生じてしまった…。

信じていたものが目の前から崩れ落ちていく。

少女は今、圧倒的な孤独に苛まれていた。

シンジに問いかけたのも、無意識に彼の中にも自分と同等の”異質”を感じた所為なのかも知れない。

しかし、少年はそんな少女の思いなど意に返さず、唇を僅かに歪めながらこう言ってのける。

「”別に来たくて来たわけじゃない…特にあんな父親の為なんかにね……”」

「ッ!」

その言葉を聞いた瞬間だった。レイの脳裏は灼熱した棒を押し付けたように熱くなった。

振り向き様力一杯右手を振るう。

 

パンッ!

 

小気味良い音が周囲に響いた。

レイは自分の唯一といってよい存在に対して冒涜を施した少年をキッと睨み付ける。

平手打ちをされたシンジの口から滲む一筋の血。

だが…彼は臆することも無く、それを拭うことも無く、口元を嗜虐に…そして自虐に歪ませると、少女を真正面から見詰め返した。

「……ホント、人って面白い反応をするよね……」

そう語った少年の表情を見て、レイはぞくりと身を竦ませる。

ヒトとしての感情など全く感じさせない魔性の笑み…。

虚無の深淵より這い出てきたかの如き闇色の眸…。

レイは冷たい手が喉元に迫る様な圧迫感に襲われた。

「…わたしが信じられるのは……碇司令だけ」

喘ぐような口調で漸くそれだけの言葉を紡ぐ。

それはまるで自分に言い聞かせるようなか弱い響き…。

しかし、シンジは「そう…」と無表情に呟いただけで、冷徹な態度に変化は見られない。

そんな少年の態度に、再びレイは憤りを感じた。

「あなた、信じられないの?お父さんのことが…?」

「偽りの絆に縋って生きていきたいのならそうするがいいよ…どの道を選ぶかはキミの自由だ」

「…………」

澄みきった狂気の眸がレイを射抜き、口端からは赤く濡れた舌を覗かせる。

レイは言い知れぬ恐怖で身動きが出来なかった。

熱に浮かされたように呼吸を荒げ、胸を押える蒼髪の少女。

これまで彼女を纏っていた殻が割れ、世界が融け出していく。

 

”苦しい…わたしのココロ……”

”何故…?”

”ワタシノココロハコワレテシマッタノ…?”

 

レイは、意識が霧散し、すべてが蹂躙され、犯されていく絶望的な感覚を覚えた。

それでも尚、狂気の鬼気は無慈悲にそして圧倒的に彼女を責め立てる。

全身の産毛が総毛立ち、失神してもおかしくないような緊張が最高潮に達する直前、通路に設置されているスピーカーからアナウンスが流れてきた。

『報告…。サードチルドレン・碇シンジはプラグスーツ着用後、第七ケージへ向かわれたし…、尚、ファーストチルドレン・綾波レイはブリーフィングルームにて待機。…繰り返す、サードチルドレンは……』

 

 

不意に周囲を覆い尽くしていた凶暴すぎるほどの圧迫感が止んだ…。

 

 

「…時間だ、もう行かなきゃ……」

少年が呟く。

その瞬間、極度の緊張感からの解放で腰から崩れそうになるレイ。

シンジはそんな少女に一瞥をくれると、まるで関心無く立ち去ろうとしたが、ふと何事かを思い出してレイの耳元に貌を寄せた。

「そうだった…キミに頼みたいことがあったんだ……」

囁きかける少年の言葉……それはまるで忍び寄る堕天使の声。

「………………………………………るといい

「…ッ!?」

その内容に驚愕の面持ちで顔を上げたレイだったが、その時少年は背中を向けて枝分かれした通路を歩いて行く後だった。

取り残された蒼髪の少女は、その後姿をずっと見送っていた……。

 

 

 

  第三新東京市・市街地

 

「…それでは2−Aの皆さんは係りの人の指示に従って避難場所に移動して下さい!」

此処はC−06区画にある地下シェルターへの入口。

ローカル線の全線が運転を中止し、外部への脱出が不可能となった現在、多数の住民がジオフロントへ避難する為に集まっていた。

第一中学校の生徒も例外ではなく、牽引していた教師が拡張機を使って誘導している。

作業中のNERV職員も混じってエレベーターに乗る人がごった返している中、クラス委員である洞木ヒカリは碇シンジと綾波レイの姿を探していた。

「…どこ行ったんだろう、あの二人……」

先程から二人の姿を見かけていない。

シンジは転校間もなくここの地理にも疎い身だ…、またレイの方も学校をよく休みがちで避難訓練など今まで受けた事が無かった…、彼女は二人が避難行動から逸れてしまったものと思い、担任にその事を報告した。

「あの、先生…」

ヒカリの言葉に出席簿を確認していた老教師が振り返る。

「どうしたんです、洞木さん?あなたのクラスはもう呼ばれましたよ」

「…実は、碇くんと綾波さんがまだ来ていないんです」

「え?…碇君達、ですか……?」

「きっと逸れたんだと思うんです。もう少し待った方が良いんじゃないでしょうか?」

「いや、それは…」

「…?」

何故か言い澱む老教師をヒカリが不審がっていると…

「アイツは来ィへんで…」

「えっ!?」

突然背後から声をかけられ吃驚するヒカリ。振り向くと、そこには鈴原トウジと相田ケンスケの二人が立っていた。

「鈴原…どういうこと?」

「…………」

しかし、ヒカリが問うてもトウジは何故か不機嫌そうな表情のまま話そうとしない。

代わりに傍らにいたケンスケが口を開いた。

「あの転校生はNERVのロボットのパイロットなんだよ。だから避難所に来るわけないさ」

その言葉を聞いて反応したのは周りで聞いていた2−Aの面々である。

「ええッ!??」

「マジかよ、相田!?」

皆、一様に驚きの表情を浮かべている。それはそうだろう、自分達のクラスメイトがパイロットとして戦っているというのだから。

真相を聞こうと、ケンスケの周囲に人垣ができた。

「ああ、オヤジのデータにあったからね。アイツはその為にこの街にやって来たのさ」

得意げに語るケンスケにオオ〜ッ!とどよめくクラスメイト。

「スゲェ!」

「カッコイイ〜ッ」

「学校の誇りよね!」

次々とシンジを褒める称賛の言葉がでてくる。

だが、そんな無責任な言葉にどうしようもない憤りを覚えたのか、先刻まで黙っていたトウジの癇癪がついに爆発した。

「やかましいッ!!」

「…ッ!!???」

クラスメイト達は何故怒鳴られたのか分からずに唖然としてトウジを見詰める。

そんな彼らをキッと睨みつけ、

「これから街がぶっ壊されんねんで!人だって死ぬかも知れん!!それでも嬉しいんか!?喜んでられんのか!!?」

「…………」

シンッと静まりかえる一同。

怒鳴ったトウジは、肩を怒らせてその場を去っていく。

ケンスケはやれやれと肩を竦めながらその後を追って行った。

 

 

「なあ、何イラだってるんだ?」

生徒の集団から外れ、シェルター前の扉で腕を組んで仁王立ちしているトウジに話し掛けるケンスケ。

「別に…何でもないわい……」

トウジはぶっきらぼうに答えた。

「……ひょっとして、さっきのこと後悔してる?」

「…ッ!?」

何気ないその言葉に、ピクリと反応するトウジの肩。

ケンスケが言っているのは先程の校舎裏での件のことだ。

「二度はやり過ぎたかなぁ…なんて思ってる?」

「べ、別にワシは…」

そう言いながらもトウジはあからさまに狼狽え、ケンスケから視線を逸らすと俯いて黙り込んだ。

「なぁ…あの時アイツ、お前に何言ったんだ?」

「…………」

「トウジの性格は知っているよ。理由も無しに二度も殴るようなヤツじゃないってこともね…」

その言葉に、何かを考え込むように両の拳に目を落としていたトウジは、静かに語り始めた。

「…『別に好きで乗っているわけじゃない』……アイツはそう言ったんや」

搾り出すように言ったトウジの顔に苦渋の色が浮かぶ。

”あんな勝手なヤツが街で暴れ回って、妹を傷つけたんか!”

ギリッと噛み締める奥歯の音。

無論、シンジを責めるのは筋違いだということは分かっている。だが、ヒトの感情は理性では割り切れないものなのだ。

だから殴った、殴らずにはいられなかった。

憤りに対し捌け口を求める…これも人の精神構造の中では自然な流れなのかも知れない。

「ウソッ!?信じられないな、俺だったら涙流して喜ぶべき状況なんだが…」

そんな彼の苦悩など知らず、ケンスケが素っ頓狂な声を上げる。

トウジは、軍事ヲタクという特殊な価値観を持った友人に苦笑いを浮かべるしかなかった。

「世の中、お前みたいなヤツばっかやない、ちゅーこっちゃろ」

「何言ってんだ!トウジの方こそ漢のロマンってものが分からないのか!?」

「生憎ワシはそんなもんにキョーミは無い」

「かぁ〜〜ッ!悲しい!俺は悲しいぞぉ、トウジぃッ!!」

天を仰ぎながら嘆くケンスケ。それを呆れた表情で見やったトウジは、ふと何かを見上げるように遠くの山々を見詰めた。

心地良い風、色深き緑…そこにはいつもと同じ、そしてこれからも変わらないと思っていた風景が広がっている。

だが、今の彼にはそれらの日常の景色が酷く脆く虚ろなものの様に思えて仕方無かった。

「アイツは、これから戦うんか……」

たなびく風に短い髪をなぶられながら、少年はポツリと呟いた。

 

 

 

  日本・小笠原沖

 

晴れ渡った空と澄みきった海、どこまでも続く大海原に二つの碧さがそれぞれの美を競い合っている。

その果てしない海の一角に一隻の艦が浮かんでいた。

甲板にはクレーン装置や小型の潜水艇まで装備しているこの大型艦は、NERVの誇る海底サルベージ艦である。

その巨大さは隣接しているNERVの特務艦が艀並に見えることからも用意に想像ができるだろう。

その特務艦”むらさめ”の艦橋で、海上で行われている作業をじっと観察していた男のもとに通信が入り、受信したオペレーターが慌てて報告する。

「…司令!!本部より入電!未確認生命体が第三新東京市に進行中!現在、戦略自衛隊第3師団と交戦中です!」

騒然とする艦内。だが、NERV司令・碇ゲンドウは「そうか…」と一言発しただけでサングラス越しに海の一点を見詰めながら佇んでいた。

「あの…宜しいのですか…?」

艦長席に座っていた壮年の男が控え目に進言してくる。

特務艦”むらさめ”の艦長である矢矧テツヤは戦略自衛隊より出向してきた人物である。

元友軍の危機、しかも未確認生命体の正体はどう考えても先日現れた使徒と呼ばれる化け物と同種の存在だろう。

この非常時にNERVの最高責任者である男が動じないのが不思議であった。

「…今戻ったところで間に合うまい。戦闘指揮権は葛城一尉に一任してある…問題は無い」

「しかし…」

尚も言い募る矢矧にゲンドウがおもむろに視線を向ける。その瞬間、彼が放つ傲然とした気が辺りを圧した。

息を飲んだ様に静まりかえる艦内。

「艦長…」

「は、はッ…!」

物静かとさえ思える口調…しかし、その言霊には無条件で平伏しそうになるほど迫力があった。

いつの間にか矢矧の身体は緊張で硬直しており、全身にじわりと嫌な汗が浮かび上がっている。

ゲンドウから漂う見えない恐怖の糸に絡み付けられ、心までが凍て付かされる思いだった。

「君達は与えられた任務をこなせればそれで良い。作業を継続したまえ…」

「りょ…了解しました……」

矢矧は上ずった声で漸くそれだけの言葉を発する。

戦自に居た頃からNERV司令・碇ゲンドウの豪腕・辣腕ぶりは耳にしていた。

色々悪い噂の絶えない男だったが、どのような問題があろうとこの歳でNERVのトップに君臨している威厳は本物で、今自分に命令を下しているその姿は戦慄に値し、畏敬の念を掻き立てられずにはいられなかった。

恐れを抱きながらも黙々と作業を開始するクルー。

ゲンドウも何事も無かったかのように再び視線を海面へ向ける。

時化でも来るのだろうか…そこは先ほどまであれほどの蒼さを誇っていた大海とは一変して、冷たい灰色の世界が混沌の淵から侵食しだしてきていた。

「…雨が降る前には雲が出るものだ……」

ゲンドウが静かに呟く。

「手札は多いに越したことはあるまい…イレギュラーも含めてな……」

澱んだ深淵の色に染まっていく大海原を見詰めながら、男の唇は冷たく歪んでいた。




To be continued...


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