贖罪の刻印

第二十八話(通常版)

presented by ミツ様


  NERV本部・最高司令官公務室

 

薄暗闇の広がる公務室では、リツコによって本部地下施設内の被害状況が報告されていた。

それを聞いている男達の顔にはどちらも焦燥の色が濃い。

事務机の前に置かれたモニターから零れる蒼白い光がその疲労振りを一層強調していた。

「ダミープラントが破壊されただと…!?」

「…どう云う事だ?」

声質は低いが苛立ちが篭められていた。

「使徒のターミナルドグマ侵入に際して、地下大深層施設に甚大な被害が出てしまいました…」

「バカなッ…あそこには別個独立した機能を内蔵し、例え本部の電力が停止した時であっても別系統から……」

信じられないといった感で呻く冬月に対し、リツコは冷たい表情で答えた。

「いえ、電装系の故障ではありません。…物理的な破壊です」

「なにッ!?」

「地下R-32セクションのLCL温度調整及び酸素循環機器が破損し、生命維持供給ラインに物理的切断が生じてしまったのです。…運悪く警報システムも破壊されており、事態を把握した時には既に素体はアポトーシスが進行し過ぎていて手の施しようがありませんでした……」

「全てが水の泡……か」

「私の責任です。申し訳ありません」

リツコが頭を下げるが、彼女に謝られたところでどうにもならない。男達は失望の念をもって互いの顔を見詰めた。

地下ダミープラント施設の崩壊。

そして、綾波レイのクローン体の破壊。

このことは、SEELEにすら気付かれていない自分達の切り札の一つが永遠に失われたという事を示すものだった。

「不幸中の幸いとしてMAGIに残った膨大なデータが生きておりますので、ダミープラグの作成は可能ですが……」

「換えは効かない、か…」

「はい」

「ふむ……どうする、碇?」

冬月は傍らに座るゲンドウを視線を送る。

相変らず表情を隠してはいるが、その手の指が食い込むように強く握り締められているのを見逃さなかった。

「…レイは本部に移す」

感情を抑えて命じるゲンドウに、冬月は嘆息混じりにこたえた。

「そうだな。それが良かろう……」

「たとえ素体を失ったとはいえ、他の駒は我々の手中にある…まだまだシナリオは修正可能だ」

状況は芳しくなくても、壊滅的な崩壊には至っていない…。

それがNERVのTOPが下した判断だった。

その時、影の様に控えていたリツコの唇が僅かに歪むが、ほんの一瞬で消えた為、誰も気付く者はいなかった。

 

 

 

  ???

 

『碇の処遇……本当にあれで良いのですか?』

冷たい深遠の中、虚空に浮かび上がっている影から機械音混じりの声が零れる。

『もう少し出来る男と思っておりましたが、こうも見掛け倒しとは…』

『左様、我々の寛容にも限度があります。道を切り開く者と通る者…同一人物である必要は無いのですからな…』

SEELEメンバーの一人であるゲーリッヒ・エイクシルが熱をこめて発言した。

『何か策があるのかね』

『はっ…国連査察団の件、これを逆に利用出来ないかと……』

『具体的には?』

『我が一族の端に連なる者を使います。…見事彼奴の首に鈴を付けてご覧にいれましょう』

『…任せよう。だがくれぐれも慎重にな』

『ありがとうございます』

議長のキールの承認を得られると、これに気を良くしたゲーリッヒは嬉しそうに軽口を吐いた。

『しかし、サードの出頭とは……碇に対する嫌がらせにしては少々露骨過ぎましたかな?』

『…本当にそう思っておるのか?』

『は?他に何か…?』

キールから感じる暖かみの欠片のない言葉に、やや戸惑いを覚えるゲーリッヒ。

それは他のメンバーも同様で、何故議長がそこまでサードチルドレンに拘るのか不審に思っていた。

ゲーリッヒにしてみてもゲンドウすら見下しているのである。ましてやその息子の事など小物にも映ってはいない。疑問の念は人一倍強かった。

『お前が知る必要はない…後の事は任せる……』

キールの言葉に冷然たるひびきが強まる。

もう何も話す事などない…と言いたげな態度に鼻白んだように口を噤んだゲーリッヒだったが、畏怖と嫉妬を綯い交ぜにした視線でじっとキールを睨み付けた。

(ふん……盟主気取りになっているのも今のうちだ……。)

僅かに口元を歪ませる。

(いずれ俺がその座を奪い、至高の存在になってやる……。)

瑣末な自己の妄執のみが肥大した醜悪な怪老は、虚空の闇の中、簒奪の幻想を夢見ていた。

 

 

 

  NERV本部・最高司令官公務室

 

「しかし、査察団とはな……」

ダミー開発の件は暫く置いておき、今現在直面してる問題を解決しなければならない…。冬月は先程ゲンドウとSEELEとの間で行われた会議の話題を持ち出した。

「おそらく合衆国の横槍だろう。3号機の引渡しを繰り上げさせた為に芳しく思っていないようだ…」

「委員会でも御せなかったのか…」

「機に敏感な連中だからな」

「さしずめ3号機の件も自分達の武力を横取りされたとでも思っているんだろう。『正義はすべて我にあり』か……傲慢な連中だ」

冬月は肩を竦める。

「…好きにさせるさ。前世紀、自由の名のもとに力をもって他国を侵略し続けてきた時代とは違う。結果ヤツ等に訪れたのは何だ?…諸外国からの反感、孤立、深刻なインフラ、大量の失業問題……所詮は歴史に取り残されつつあることにも気付かん俗物共だ。いつまでも大国を気取る夢を見ていたいならそうするがいい……」

ゲンドウが侮蔑をこめてそう呟いた。

 

アメリカ合衆国

世界の軍事力の過半数を占めていた大国は、かつて”世界の軍隊”を自認していた超大国と呼ばれていた。

しかし、2000年に起きたセカンド・インパクトが世界情勢を一変させる事になる。

干ばつや水害・飢餓などの自然災害が世界各国で発生し、異なる人種・宗教観による民族紛争が次々と湧き起こったのだ。

これらの劇的な情勢の変化に各国首脳は様々な方向性を模索する事となる。

大破壊の直接の影響を蒙った南半球…その中でも『アフリカ大陸』は食糧難・宗教思想上の対立から今でも民族間の紛争が絶えない。

『中国』は20世紀後半に社会主義体制が崩壊し自由主義経済が台頭していたが、セカンドインパクト後は国内の海外企業を統制する抜本的な政策転換が行われた。

『ロシア』は解体した旧ソビエト連邦加盟国を再構成、東欧諸国も取り込み、新たな経済圏設立に取り組んだ。結果、豊富な埋蔵資源の運用により経済の建て直しに成功する。

『ヨーロッパ』では1993年に発足したEUを更に発展解消し、世界初の共同国家連合体『NEU』を設立した。

そして『東南アジア諸国』もヨーロッパにならい、国という枠済みを超えた選択を取り始めた。

特に旧ユーラシア諸国連合国家は再編された国連加盟国を中心に『東南アジア圏共同体』を設立。その後も各国に協力関係を呼びかけ、高度な生産技術を持っていた日本に対しても経済共同体計画を提案してきたのである。

だがこれは『アメリカ』にとっては少々好ましからざる事態となった。様々な政治的・経済的圧力をかけてきたが、バレンタイン条約により在日駐留部隊を撤退させた事(これは後に、南沙諸島における中国とベトナムの軍事衝突を機に発足される国防省直属『戦略自衛隊』の引鉄ともなる)が決定打となった。2002年には日本も対等の権利を有した条約を批准し『東南アジア圏共同体』に加盟することとなった。

これにより環太平洋経済活動に大きな打撃を与えられた合衆国であったが、更に追い討ちをかける事態が生じた。

カナダ・メキシコという北米自由貿易地域のメンバーが相次いで造反したのである。

その理由は、中南米諸国に対して行った経済援助削減政策が原因とされている。

アメリカは深刻なインフラと大量の失業問題解決、そして治安維持の為に防衛費の増加などに力を入れ自国の強化・防衛を図っていったが、合衆国の援助を受けられなくなった中南米諸国の経済情勢は悪化の一途を辿ることになってしまった。

この一国の力を増す為に行った強硬政策は近隣諸国からも反感を買い、次々と同盟国が離反していったのは皮肉の一言で片付けるには重々しすぎる事態だったろう。

それでも未だ世界最高の軍事力をもって国連においての発言力を確保してはいるものの、その求心力は確実に低迷してきていた。

ゲンドウの揶揄はその事に起因するものだろう。

 

そんな二人の会話を沈黙をもって見詰めていたリツコだったが、次にゲンドウの口から出た言葉は彼女にとって聞き逃せない事態だった。

「…それと、委員会がサードの出頭を要請してきた」

「シンジ君を……どう言う事だ?」

冬月が疑問を口にする。

「ターミナルドグマでの戦闘の際、シンジが”アレ”を目撃した可能性があると言っている。その事実確認だそうだ」

「まあ、理屈だが……議長の焦りのようなものを感じるな。こちらに対するプレッシャーのつもりか?」

「老人達の真意まではわからん…」

「…では、シンジ君はSEELEとは無関係という事か……?」

「欺瞞、という事もある…」

ゲンドウはそう呟いたが、傍らで聞いていたリツコは別の可能性を考えていた。

(SEELEがシンジ君を疑っているの…?)

確かに報告書と違う人物像、シナリオと大きくかけ離れた事象…この少年が現れてから彼等の歯車に狂いが生じ始めている。

だが、シンジは外に対しては徹底的に自我を殺していた。

NERVの一員としてあくまでも従順に与えられた任務をこなしており、当初、懐疑の念を抱いていた冬月ですら思い過ごしと考える様になっていたのだ。

しかし……それでも隠せないものがある。

それは、ヒトの本能の根付くもの…。

すべてを突き動かす感情。

憎悪……心の裡を駆け巡る激しく言葉では言い尽くせない程の強い念。

少年の、能面の様な表情に隠された煮え滾る激情。

それを感じ取った者がいるとしたら…?

それに危惧を覚えた者がいたとしたら…?

汗がリツコの全身をじっとりと濡らす。はっと自分の手を見ると、それは知らない内に固く握り締められ、爪が肉に食い込んでいた。

(SEELEの動向…調べる必要があるわ……)

リツコが深い沈黙の理に思考を沈めてる間にも、ゲンドウ達は今回のSEELEの真意について考えを巡らせていたが、なにぶんにも与えられた情報が少な過ぎる為にすべて憶測の域を出る事はなかった。

「ふむ…どちらにせよ油断は禁物だな」

「…ああ」

結局、今後の相手の出方を見守るということで一応の結論を得たゲンドウはリツコを一瞥し次の要求を告げた。

「赤木博士、至急レイの所在を本部内に移せ…」

「わかりました…」

頭を下げ公務室を退出するリツコだったが、云い様のない不安が胸中を覆っていた。

 

 

 

  ルーマニア クルデア・デ・アルジェシュ郊外

 

冷たい氷の反射が地に積雪をゆらめかせている。見上げる空は重く、どんよりとした雲が大地を覆い尽くそうだった。

それもそのはず。カルパチア山系の麓にあるこの街は、セカンドインパクトによって海抜が上昇した現在でもさらに400m以上は高い。

朝晩の冷え込みの辛さときたら常夏に慣れた日本人には想像が出来ないものがあるだろう。

一見、ただの田舎町にも見えるこの場所だが、中世時代にはワラキア公国の首都だったこともある由緒ある場所であり、ワラキア公ネアゴエ・バサラブによって建立されたマノレ修道院や、カルパチア山脈を抜ければ小説『ドラキュラ』の舞台ともなったトランシルヴァニアのシビウ大聖堂などがある。

そんな歴史豊かな白銀の世界を、一台の黒いリムジンが走り抜けていた。

向かう先は街の郊外。

そこには鬱蒼とした森が広がっており、人の営みを感じさせないほど深遠たる静寂に包まれている。車がさらに進んでいくと道のはるか向うに見え隠れする大きな屋敷が姿を現してきた。

車はその敷地内へ入っていく。

大きな門の前に車が到着したとき、仕掛けられたガード用TVカメラと電子閉鎖装置が作動した。

門の脇には鉄柵が設けられており番犬用のシェパードがいきり立ったように吼え続けている。そんな犬の怒声の中をリムジンはゆっくりと進んでいった。しばらくして豪華な建物の前で静かに停まる。

車内から出てきたのは金髪で色白のほっそりとした男だった。

歳の頃は三十代後半。高級そうな仕立ての良い白の背広を着こなし、イタリア製の革靴を履いている。

縁無しの丸眼鏡をかけたその姿は一流企業の商社マンを思わせた。

容姿も服装に似合った理知的な顔立ちだなのだが、その眼が違っていた。

蛇のように滑っこく細い瞳が眼鏡の奥で陰湿な光を宿している。

折角の美貌もこの眼がすべて台無しにしている。おそらく誰にも好かれることはないだろう。他者に対する生来の侮蔑と冷酷さに加え、肥大しきった自尊心がすべて表情に現れていた。

その男は唇を歪めながら豪華に造られた玄関の門をくぐる。

五百坪に達する建物の中には、金にあかせて集めた世界中の珍品骨董品が備えてあった。

しかし男はそんなモノには目もくれず、地下室への階段を降りていく。

コンクリートと鉄骨の通路をしばらく歩くと、奇怪な絵柄で飾られた鉄門の前で足を止めた。

逆三角形に七つの目を配した不可思議な図案…。

男がノックするより早く、鉄門が重々しい音を立てて開いた。

その地下室は狭いが地上にある部屋以上に豪華な造りをしていた。

足首まで埋まりそうな紫の絨毯、黒壇のテーブル、深い色合いのオーク材の家具、壁にはルネサンス時代の彫刻や各種の銘酒がずらりと並んでいる。

そんな部屋の中央に置かれているソファーに、ガウンを纏った老人が深々と腰をおろして両眼を閉じていた。

「何の用だい、叔父上?」

男の声に反応したのか、肥大し脂ぎった腹の下を窮屈そうに擦りながら老人が眼を開く。

「来たか、マルファス…」

思ったよりもよく張った声が地下室に響いた。

この屋敷の主であり秘教組織SEELEのメンバーでもあるゲーリッヒ・エイクシル。

鷲鼻の上にちょこんと乗った小さすぎる瞳、その鬼相から滑上げるような湿った視線が送られ、マルファスと呼ばれた男は一瞬寒気を覚える。

温度が低いからというわけではない。空調は正常に作動している。

この傲慢な男にしても老人の放つ醜悪な瘴気は脅威だった。もう慣れたとはいえ、顔や手ばかりかスーツの下の素肌まで総毛立つのは不快な限りだ。

「…用件を早く言ってくれないカナ。今日は二人の女性とディナーの約束をしているんだ」

マルファスが居心地悪そうな顔であたりを見渡しながら軽口を言った。

無意識に手でワイシャツの襟元をなぞる。

「早速だが、お前には日本に行ってもらうことにした…」

静かだが有無を言わせぬ声音に、男の頬がピクリと反応した。

「日本?何だってボクが…?」

明らかに不服な声を出して答える。

「あんな黄色いサルの国になんて行きたくないね。大体…」

「拒否は許さん!」

陰惨で凄みがかった声に思わず押し黙るマルファス。

甥が殊勝な態度になったのを見届けると、ゲーリッヒは徐に口を開いた。

「碇ゲンドウという男を知っているな…」

「ああ、あの嫌味な日本人か…サルの分際でいつも人を見下した態度を取っていたな……」

「儂がSEELEで栄達する為にはどうしてもあの男の首が必要なのだ。お前には儂の手足となって働いてもらおう」

老人の口からは有無を云わせぬ威圧的な響きがあった。

マルファスは一つ溜め息を吐き、しかたなさそうに頷く。

「やれやれ…まあ良い、他でもない叔父上の頼みだ。…で、いつ出発すればいいんデス?」

「一週間後だ、国連の査察団として日本へ向かえ。幕僚本部には話は通してある」

「わかったよ、たまにはゲテモノも美味そうだ…」

マルファスののっぺりとした顔がいやらしく唇の端を吊り上げる。

それは、見た誰もが嫌悪感を感じる爬虫類のような笑みだった。




To be continued...


(あとがき)

こんにちは、ミツです。
今回もオリキャラが登場…でもなんてゆーか最低一族の誕生ですね。
ちなみにこちらにもR指定版があります。
ご希望の方にはお送りしますが、本編にはまったく影響ないので興味のない方は見なくても全然大丈夫です。
最後にこんな作品に感想を送ってくださった皆様。
ありがとうございます。感謝感激です。
ではまた次回に。

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