贖罪の刻印

第三十話

presented by ミツ様


  NERV本部・女子職員更衣室前

 

「…あら、今上がり?」

私服に着替えて更衣室から出てきたマヤに、栗毛のショートヘアの女性が声をかけてきた。

彼女の名は阿賀野カエデ。

MAGIの三つのコンピューター…バルタザールの主任オペレーターであり、マヤとは同期にあたる。優しい性格や、料理や手芸が得意といった家庭的なところで趣味があい、同僚の中では一番親しい存在だ。

彼女の隣にはこれまた同僚の大井サツキと最上アオイの姿もあった。

「うん、何とかメドが立ったしね。今日はこのまま帰るつもり」

マヤも笑顔で返す。

「イイなぁ、私達は完徹っぽい…」

カエデと反対に髪をロングに纏めた女性…大井サツキが愚痴っぽく溜め息を吐きながら呟いた。

ロシア系のハーフであるサツキは、大人びた魅力を持った美人で一見近づき難い印象を受けるが、酒に目がなく姉御肌の気さくなところもあった。

「仕方ないです。本部システムの第二への移行が5.79%も遅れていますから…」

そう言って冷静に語る女性の名は最上アオイ。

物事を常に理論的に考える彼女は、理知的な眼鏡と相俟って高級官僚や大企業の秘書を思わせる。

彼女達もそれぞれメルキオール・カスパーの担当であり、優秀なオペレーターであった。

「スイマセン、お先して…」

自分だけが帰ることに若干の罪悪感を覚えるマヤだが、アオイが微かに笑ってこたえる。

「いえ、気にしないで下さい。いつもの大井さんの我侭ですから」

「ちょっとアオイ、それはヒドいんじゃない」

すかさずサツキが反論し、そのまま言い合いになる。

もっともそれは他愛無いじゃれ合いといった類のもので、アオイもサツキもお互いの言葉のやり取りを楽しんでいる感じがした。

一見、正反対の性格に見える二人だが、案外良いコンビなのかもしれない。

そんな二人の喧嘩にカエデが仲裁に入る。

「もう、二人共いい加減にしないと赤木博士から大目玉食らっちゃいますよ」

その効果は抜群のようで、二人の言い合いがピタリと止む。

「そ、そうだった…」

「…急ぎましょう」

やはりリツコの名は偉大らしい……慌てて駆け出そうとする二人。

それを苦笑いしながら付いて行こうとしたカエデだったが、ふと思い出したようにマヤの方を振り返った。

「そういえば……マヤ、聞いた?」

「なに?」

「サードチルドレンの子が行方不明なんだって」

「ホント!?」

「さっき保安部の人達が慌ててたから……どうやら病院から抜け出したみたい」

カエデからの情報に驚きを隠せないマヤ。

それはそうだろう。シンジは重体で二週間以上の安静が必要と知らされていたからだ。そんな身体で何処へ姿を消したというのか。

「やっぱり、怖くなって逃げちゃったのかなぁ?」

「無理もないでしょうね。あんな目に会っては……」

何時の間にかサツキも加わってシンジに同情的な意見を述べるが、ただ一人、場の輪から一歩後に控えていたアオイだけが「そうでしょうか…」と、皆と違う感想を語った。

全員の視線が彼女に注がれる。

「殆ど話した事はないんですが、あの子……普通の14歳の少年とはどこか違う感じがします」

「どこかって、どこが…?」

「…具体的にどう、とは言えないんですが……」

サツキの指摘に、聡明さを売りにしている彼女には珍しく言い澱む。

「アオイらしくないわね…そんな奥歯にモノが挟まったような言い方」

「ええ、わかっています…」

理論的に解決出来ない感情に自分自身がもどかしさを感じているのか、そのまま押し黙ってします。

そんな彼女の態度にカエデとサツキは訝しげに顔を見合わせた。

しかし…アオイの直感は正しいのかもしれない。

普段の物静かなシンジの態度に忘れがちだが、マヤにしても初の使徒戦後に見た少年の貌に恐怖で引き攣ったのもだ。

あんな狂気に彩られた眸を持つ者が普通でいられる筈が無い…そんな思いが頭を過ぎる。

その後いくつが言葉を交わして三人と別れたマヤだったが、何故か胸の奥に広がる不安感を無視する事が出来なかった。

 

 

 

  第三新東京市・新歌舞伎町

 

厚く立ち込めた灰色の雲が第三新東京市の上空を覆い、黒く澱んだ雨がコンクリートの大地を打ちつけている。

すでに日は落ち、街灯もまばらな通りをトウジは沈んだ表情で歩いていた。

シェルターを抜け出した一件でNERVにこってり絞られてから数日経つ。

軽い気持ちで戦闘見物に行った行為がとんでもない状況を招いてしまった事を知らされ、少年は心の底から自分の軽率な行動を悔いていた。

その後、保安部や作戦部長を名乗る女性から何故あの場に居たのかを事情を訊かれ、トウジはすべてを話した。

妹が使徒との戦闘で巻き込まれて入院した事。

学校でロボットのパイロットと噂された少年を殴った事。

シンジに謝罪したいと申し出たトウジだったが、今は面会謝絶と断られ、こうして解放された後も鬱屈した気分のままやり切れない日々を過ごしていたのだ。

「ワシは…どないしたらええんや……」

思わず弱音を吐くトウジ。

もともと深く考え事をするのが苦手な上に、湿気を含んだ粘着性の高い空気が肌に纏わりつき、更に少年の不快指数を増大させていた。

「…ん?何や……?」

早々に家に帰ろう…そう思ったトウジだったが、通行人の何人かが奇異な表情である一点を見詰めているのに気付いた。

その視線の先を追ってみると、路傍に奇妙な集団があった。

街を徘徊する不良グループだ。その集団が一人の少年を取り囲んでいる。

身体中に包帯を巻いた病院着姿の子供だった。

雨に濡れた包帯はぼろぼろに乱れており、顔色は蒼白で眸に精気の欠片もない。まるで夢遊病患者の様な姿を見てトウジは思わず絶句した。

「あ、アイツ……!?」

間違いない。異様な風体で佇むその姿はあの少年……碇シンジだった。

 

 

各国との折衝を経てようやく進んだ復興作業だったが、、作業順位は本部やジオフロントなどの重要施設が優先され、民間レベルまで十分に行き届いているとはいえない。

何とか生活に必要な備品や食料品は配給され、混乱は最小限に抑えられてはいるものの、未だシェルター住まいを余儀なくされている者もいる。

街が荒むと人々の精神も荒廃していくものである。

鳥や野良猫がゴミ箱を漁る姿が目立つ雑路…そこを男女6人連れのグループが我が物顔で闊歩していた。歳の頃は十代後半から二十代前半で目付きは誰もが悪い。鋭いというよりも険がある。

明らかに暴力を拠所とする類の人種だ。

彼等は街の混乱を楽しんでいた。

不良等にとっては使徒の襲来だの、人類の危機だの、そんなものはどうでもよかった。

今が楽しければそれでよいのだ。

この一週間で十件の恐喝強盗事件を犯した。

金属バットで店中を叩き壊し、金目のものを手当たり次第に盗んでいった。

追いすがってきた店員の胸に、ナイフを突き立てて脅したりもした。

警察機構が未だ不完全な現状は不良達のやりたい放題だった。

先程も見ず知らずの老人にいきなり襲い掛かり暴行した挙句、懐から財布を抜き取って立ち去ったばかりだった。地べたに這い蹲ったまま動かない老人など知った事ではない。不良達によって自分達の欲望がすべてなのだから。

思ったより実入りが少ないのを愚痴っていると、彼等の眼の前を病院着姿の子供が歩いてきた。

見るからに陰気ような餓鬼だった。

ぼろぼろの包帯を纏ったその姿は、まるで浮浪者のようだ。

不良達はこの手の汚い格好をした人間が大嫌いだった。街のゴミだとも思っている。自分達の心こそ醜く、澱んだものであるのだが、その事にはまったく気付いていない。

大方どこぞの病院から抜け出して家族でも探しているのだろう。丁度良いカモが見つかった、と口元に薄ら笑いがへばりついた。双眸にもギラギラとした凶暴な光が窺える。獲物でも見つけたような肉食獣の放つ光だった。

すれ違う瞬間、ワザと肩をぶつけた。

「痛ぇッ!!」

男の一人が大袈裟に転ぶ。

「オイッ!ぶつかっておいてワビも無しかぁッ!?骨折れちまったじゃねぇかッ!!」

「ホントだ、折れてるぜ。こりゃ治療費が必要だなぁ〜〜」

「だろ?後遺症にでもなったらどう責任取ってくれるんだぁ!?」

「おいガキ!100万で許してやる。親の通帳からでもパクって持って来い!」

持ち前の毒々しい気が全身から発散され、凶気に満ちた視線を少年にぶつける。

並の人間ならそれだけで震え上がってしまうだろう。

自分達を圧倒的強者と信じ込んでいる不良達は、下卑た笑いを浮かべながら少年を取り囲んだ。

 

 

「アカン!囲まれとるやないかッ!?」

トウジは慌てて駆け寄ろうとしたが、その肩を掴む者がいた。

「あの子はキミの友達かい?」

「うおッ!?」

驚いて振り返ると、そこにはくたびれたワイシャツを着た中年の男が立っていた。

地味な、印象に残らない顔立ちをしている。どこの酒場にも一人はいそうな肉体労働者、そんな風貌の男だ。男は手に競馬新聞を握り締めていた。それでバナナの叩き売りでもしたらとても似合いそうだ。

「…ッ!…な、なんやねん、オッチャン!?」

「オッチャンは酷いなぁ…これでも独身なんだぜ」

とぼけた様な、それでいて人懐こい笑顔を浮かべながら男は近づいてくる。

「どうやらタチの悪い連中にカラまれているみたいだな。…ヤバいなぁ、あのままじゃ……」

丸めた新聞でポリポリと頭を掻きながら呟く男…熊野タツミの言葉は、口調とは裏腹にどこか面白そうな響きを含んでいた。

 

 

不良達に脅されて囲まれている少年だが、その表情に脅えの色は見られない。

ただ静かに「…離せ」とだけ口を開く。すると、鼻にピアス穴を空けた男が凄んだ形相で睨みつけてきた。

「離せだぁ!?ガキが調子に乗ってんじゃねーぞッ!!」

「謝った方がいいよぉ。コイツ、キレるとマジやばいから」

「やっちゃえばイイじゃん、こんなヤツ」

プン、と鼻につく香水をかけた女達がやたらと耳障りな声を張り上げながらピアス男を挑発する。

「そうそう、調子に乗ったお子様にはお仕置きしてやんねぇーと」

「世間のキビしさってやつを教えてやれや」

髪を茶髪に染めた男とニキビ面のニット帽子もそれを呷った。

「…この手を離せ……」

もう一度少年が呟く。男達は一瞬顔を見合わせ、次の瞬間にはゲラゲラと爆笑した。

「おお〜おお〜怖い怖い」

「粋がるねぇ〜〜ボウヤ」

「コイツ、自分の立場わかってないんじゃない?」

嘲りを含んだ声が響く中、ピアス男が歯を剥き出しにして吼える。

「あんま調子に乗ってんじゃねぇぞコラ!痛い目見たくなかったらさっさと金を……ッ?」

ピアス男がシンジの肩を力任せにぐっと掴んで引き寄せた。

シンジがその男の手を握り返す。

…ただ、それだけだった。

「ぐぁッ!?」

突然男が悲鳴を上げた。

ぽきぽき、と骨が折れる音がした。

あまりにもあっさりした行為に、誰も反応が出来なかった。

「手が、手がぁあぁあぁぁああぁッ!!」

泣き叫んでのた打ち回るピアス男。

その滑稽にも哀れな姿を見て、仲間達の思考回路が回復した。

「ど、どうしたッ!?」

「…このガキが俺の手を……っ!ちきしょう、指が折れたぁッ!!」

「テメエ、よくもッ!」

ニット帽子の男がそう叫んで尻ポケットからナイフを取り出した。

こういう暴力を好む男は面子というものを非常に気にする。暴力ですべてを思い通りにしてきただけに、それが通用しないと自分の存在価値自体を否定されたようで容易く逆上してしまうのだ。

意味不明の声を張り上げながら襲い掛かる男。

だが、その凶器が少年の顔に届く事はなかった。

「ひぎィィッ……!」

悲鳴を上げてその場に昏倒する。

攻撃する寸前、一体何が起こったのか。そこにいる全員が理解出来なかったろう。いや、たとえ空手の有段者でもその肩口の動きすら見極められなかったかもしれない。

「ど、どうしたってのよ!?」

「この野郎ッ!!」

残った全員が走り寄り、茶髪の男がシンジの髪を掴んだ。

仰け反るようにして振り向いた少年とはじめて眼が合う。

「…ッ!?」

暴力沙汰には慣れっこのはずの不良達の全身が、突然、硬直した。

「あ……ぁ………」

開けっ放しの口から、痴呆じみた間抜けな声が洩れる。

悪寒が背中を走った。

物理的な寒さとかいった類のものではない。本質的なおぞましさに対して、人間の本能が作動させる警戒信号であった。

自分達の肩にも届かぬ、一瞬前までは見下していた華奢な少年から、突然身を切るような気配が湧き上がったのである。

圧倒的な鬼気に、なす術もなくそこに佇む不良達。

「……まだ、やるのか………?」

低く腹に切り込む響きの声が耳に届いた。

「…今は、誰でもいい気分なんだ……」

薄氷を張った池のような緊張が辺りを圧し包む。

「別に、お前達でも………」

修羅を思わせる凄絶な形相は、まさに死神そのものだった。




To be continued...

(2006.12.09 初版)
(2007.02.24 改訂一版)


(あとがき)

こんにちは、ミツです。
なんか今回、H×Hのようなヒキにしてしまいました。早く連載始まってほしいですねぇ。

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