第三十二話
presented by ミツ様
第三新東京市・右京ヶ原
風に大きくなぶられる薄の原。
その一部がガサガサと音を立てて動いた。
叢を掻き分けて現れたのは相田ケンスケ。彼は小銃を構え、匍匐前進をして進んでいる。
手にしているのは勿論本物の銃ではない。ネットで購入したモデルガンだ。彼は行動迷彩服を着込み、一人サバイバル訓練をしていたのだった。
うつ伏せで進む鼻に蒸れた草の匂いがした。草花が昼間の間に吸い込んだ熱気が夜の冷気により吐き出されているのだろう。森全体から白いモヤのようなものが立ち昇っていた。
生臭い匂いが鼻孔をつく。周囲は夜露を沁み込ませた湿気で咽返りそうだ。常人なら思わず顔を顰めてしまいようなものだが、ケンスケは不思議とこの匂いが嫌いではなかった。
大きく息を吸い込む。
「気をつけ!」
ケンスケは突然大声を出して立ち上がり、ピンと背筋を伸ばして直立不動の体勢を取った。
「第1小隊、番号!1,2,3,4,5……」
そう叫ぶ彼の周りには勿論誰もいない。これはケンスケがよく行う夏季訓練の一環なのだ。
「よーし、みんないるな」
一人満足気に頷くケンスケ。
ミリタリーオタクによる一人芝居…はたから見たら異様な光景に映るだろう。自分の趣味が特殊な部類に属することは自覚している。他の友人からも奇異な目で見られていることも知っていた。
しかし、ケンスケはそんな趣味に生きる自分を結構気に入っている。
「ハッ!?いかん、敵襲だ!!”ダダダダダダダダッ!”」
パッと地面に伏せるケンスケ。彼はこの訓練にあたって、様々な状況を想定したプログラムを組んでいる。どうやら今回は敵からの襲撃を受けたというシチュエーションらしい。
「前方の叢に敵小隊を発見!目標、敵地鉄条網まで、躍進距離50メートル。突撃!」
突撃!突撃!と、繰り返し叫びながら突進していく。
「ドッパーン!うわあ、やられた!」
だが、逆に敵の砲撃を受けたらしい。ご丁寧に爆発の擬音までつけて派手にぶっ倒れてみせた。
ゼイゼイ荒い息を吐きながら芝居を続けていくケンスケ。どうやら設定は、上官と部下の別れのシーンらしい。
「小隊長殿!」「行け、相田。行くんだ!」「しかし、私は小隊長殿を置いて……」「馬鹿もんッ!」「ぐわッ!!」
一人芝居が佳境の中、自分で自分にビンタをかまり、そのまま倒れ込んだ。
風の音。
暗い夜の宙空で雑木林の梢が鳴っていた。
「よっと…」
暫くの間、その場で蹲っていたケンスケだったが、流石にバカバカしくなってきたのか溜息を吐きながら徐に立ち上がり、今夜の宿泊地点と定めておいたテントの処まで歩いていった。
パチパチと焚き火が弾ける音。
サバイバル用のテントの前で飯盒が炊かれている。
テントの中には数丁の小銃と手榴弾のモデル、ランドナビゲーションのための地図とレンザティックコンパスが置かれており、まさにケンスケの趣味の小宇宙が形成されている空間だった。
帰ってきたケンスケは寝袋の上で一人寝転がっていた。
本来なら嬉々として訓練スケジュールを消化しているところだが、今は携帯用黒板に自分で書いた夏季練成訓練作戦概要の文字を、ただぼうっと眺めているだけだった。
グツグツと聞こえてくる飯盒の煮える音。
相田ケンスケ…彼は昔から要領が良く、大抵の事はそつ無くこなせる少年だった。
勉強などは殆ど努力しなくても成績はいつも上位につけている。
そうでもなければいくら放任主義の父親といっても、自分の趣味を許してはくれなかっただろう。
そんなケンスケのライフスタイルは”楽しむ”こと。
世界とは、良くも悪くも彼にとっては玩具箱なのだ。
勿論彼の人生においても辛い事がなかったわけではない。厳しい現実も理解しているが、彼はどんな状況でも客観的に物事を楽しむ余裕をもっていた。
だがあの日…。
友人を嗾けてロボットの戦闘見物に行ったあの日。
ケンスケは生まれてはじめて圧倒的な死の恐怖に直面した。
これまで多少の軍事知識もあり、サバイバル訓練をこなしていた自分は、どんな局面でも生き延びる自信があった。しかし、実際には本物の戦闘を前にそんな一介の中学生の知識など何の役にも立たないことを実感させられただけだった。
使徒という化け物を前に、ただ何も出来ず震えていたのだ。
悔しかった。
自分がただの無力な存在と認めたくなかった。
表情を歪ませるケンスケの脳裏に、転校生の少年の姿が過ぎる。
碇シンジ…。
外見は軟弱そうに見えるが、はじめて会ったときから自分とは違う世界に生きる人種だと直感していた。
その感は当たっていた。彼はケンスケが憧れるロボットのパイロットだったのだ。
自分では到底辿り着けぬ場所に立つ存在。
彼と自分は違う存在なのか…。
俺は彼にはなれないのか…。
…いや、違う!
ケンスケの表情が険しくなる。
あの力があれば、俺だって……。
紫の鬼神。ケンスケが欲して止まない力の象徴。
そう考え天井を睨み付けたとき、外で物音がした。
ぱっと跳び起きて小銃を構え外に出る。暗い森の中は、夜露と共に霧が立ち込めていた。
しばらく周囲の様子を窺っていたが何の気配も感じられない。どうやら梢が風に騒ぐ音を何かと勘違いしたらしい。
無言で銃をおろすケンスケ。
どれだけ考え事をしていたのか、気が付くと飯盒の火はすでに消え、中は冷え切っていた。
ふと空を見上げる。
頭上には黒い梢越しに垣間見える星々が、ぼんやりと白っぽい光を放っていた。
小さく溜息を吐く。
手元のモデルガンが急に軽く感じられた。
こんな気持ちでは訓練に身が入るはずがない。
明日には帰ろう…。
ケンスケはそう思い、テントに戻るとそのまま寝袋の中に潜り込んだ。
早朝。
テント用具一式を自転車に積んで山を降りたケンスケは、自宅付近のバス停留所でこれも彼に負けず劣らずの大きな荷物を抱えた一組の親子に出くわした。
普段なら気にも留めずに通り過ぎるのだが、一方が知った顔であったため慌ててブレーキを踏み振り返る。
向こうも気が付いたのか、ケンスケの方に視線を向けた。
困ったような、泣いているような笑顔…。
「委員長…?」
佇んでいた人物は、彼のクラスメートの洞木ヒカリだった。
地上・NERV保安諜報施設
そこはコンクリートで壁も天井も打ち付けられた狭い部屋だった。
部屋にはベッドと小さな椅子だけが備え付けられており、窓も無いその場所は鉄格子がないだけで留置場に近かった。
その椅子にシンジは先ほどからじっと座っている。
何も無い刻だけが少年を通り過ぎていった。
どれだけ時間が経過したのか、
やがてドアの開く音が聞こえ、一人の女性が入ってきた。ミサトだった。
「元気そうね…」
ミサトが静かな声で少年に話しかける。
「…どうして病院を抜け出したりしたの?みんな心配していたわよ……」
彼女はシンジ発見の報を聞いてすぐ、少年が保護されている保安部施設に車を走らせた。一心に少年の身を案じてのことだ。
だが、そんなミサトにシンジは何の反応も示さない。いや、はなからミサトの存在すら気付いていないように、天井にある沁みのような部分をただじっと見つめていた。
「エヴァの修理もリツコ達が頑張っているわ。だから早くシンジ君も身体を直さないと……」
尚も応えようとしないシンジ。ついに痺れを切らしたのかミサトは前々から抱えている不満をぶちまけた。
「いい加減にしなさいッ!!そうやって、自分を隠して、騙して……それじゃあなたが何を考えているのかわからないじゃないッ!」
叫んだ瞬間、ミサトはしまったという顔になる。
こんな事を言うつもりじゃなかった。
戦闘で負傷し街を徘徊していた少年。
おそらく身体も心もボロボロの状態だったろう。
ミサトは作戦指揮官としてパイロットのメンタル面でのケアも任されている。そんな自分が感情に流された発言をしては元も子もなかった。
気まずい沈黙が流れる…。
それが埃となり、床に降り積もるのではないかという長い時間が過ぎたとき、ようやくシンジがこちらを振り向いた。
何か話しかけようとしたミサトだったが少年の貌を見た瞬間、ハッと息を呑む。
「申し訳ありません」
声を失っているミサトに、このときシンジがはじめて口を開いた。
冷たい、というより感情の起伏に乏しい渇いた声が部屋に響く。
声変わりの済んでいない少年期独特の声質だけに、その不気味な音律はかえって人の心に薄ら寒いものを感じさせた。
「……もういいわ。後はゆっくり休みなさい」
ようやくそれだけを告げて部屋を退出するミサト。
ガシャンと扉が閉まる音が聞こえたとき、そこには闇と一人の少年だけが取り残されていた。
扉を閉め外に出たとき、ミサトは大きく息を吸い込んだ。
重苦しい圧迫感に晒されていた為、身体が新鮮な酸素を欲していたからだ。
電灯の人工の光すらたいそう眩しいものに感じられる。
背中に冷や汗が浮かんでいた。
あの時見たシンジの眸…。
深海の底に澱んだように燻り続ける漆黒の闇…。
少年の貌にはまるで表情といものが無かった。
そのときミサトは理解したのだ。
シンジが見つめていたのは天井ではない。もちろんミサトでもない。
彼は…その眸に、心に、何も映してはいなかったのだ。
あれはまるで…。
微かに胴震いが生じる。
ミサトはあの眼に見覚えがあった。
そう、あれはあの日…世界の半分が終焉を迎えた運命の日……。
15年前・南極大陸
『非常事態、非常事態。総員、防護服着用。第2層以下の作業員は、至急セントラルドグマ上部へ避難してください』
施設内にけたたましい警告音が鳴り響く。地下実験場は眼も眩むほどの夥しい光に包まれていた。
『表面の発光を止めろ!予定限界値を超えている!』
実験を担当してる科学者の一人がモニターを確認しながら緊迫した声を上げた。額には粘い汗を滲ませている。
『アダムにダイブした遺伝子は、既に物理的融合を果たしています!』
『A.T.フィールドがすべて解放されていく…』
『槍だ!槍を引き戻せ!』
『ダメだ、磁場が保てない!沈んでいくぞ!』
別の科学者も半狂乱になって叫ぶ。
『泣き言を言うな!僅かでもいい、被害を最小限に食い止めるんだッ!』
『構成物質のクォーク単位での分解だ!急げ!』
『了解!ガフの扉が開くと同時に、熱滅却処理を開始!』
だが、その奮闘虚しく、拘束されている光の巨人は既に胎動を始めていた。
『すごい…歩き始めた……』
呆然と呟く声。
まるで、神話の時代の神々の降臨を思わせる荘厳な姿。
このときになって彼らはようやく理解したのだ。
人知を超えた存在、それをまるで玩具を見つけた子供のように弄んだその罰が下されようとしているのだと…。
『地上からも歩行を確認!…な、何なんだよ、アレッ!!?』
外部偵察室からも恐怖で抑制を欠いた通信が入る。誰も彼もが目の前でおきている現象を理解出来ないでいた。
『コンマ1秒でいい!ヤツ自身にアンチA.T.フィールドに干渉可能なエネルギーを搾り出させるんだッ!』
『すでに変換システムがセットされています!』
科学者達が矢継ぎ早にコンソールを操作した。主モニターに浮かぶ「カウントダウン進行中」の文字…だが、すぐに絶望的な響きが実験室に木霊した。
『ダ、ダメだッ!S2機関と起爆装置がリンクされています、解除不能!』
『何だってッ!?』
『羽を拡げている!地上に出るぞ!』
誰かがそう叫んだ途端、閃光にも等しい強烈な光が閃いた。そして、光は雲を引き裂き、衝撃波を引き連れて”それ”が顕現した…。
”光の巨人”
それは轟音と共に天空に突き上げ、やがて成層圏をも貫いて絶望に染め上がった空に四枚の羽が拡がった。
その瞬間、大地が激震し、海が荒れ狂い、雷鳴が轟き、オーロラが崩れた!
南極の地下施設をすべて壊滅された禍々しい光の奔流は、更に咆哮のような叫びを上げ広がり続ける。
物凄い衝撃によって吹き飛ばされる船舶。灼熱を炎を浴びたが如く累々と横たわる炭化した屍骸。
幼心に見た地獄絵図。調査隊から唯一奇跡的に生存したミサトは身体と心に大きな傷を負い、何年も言葉を失ってしまった。
あのときの事は良く覚えていない。
ただ無明の闇だけが彼女の前に拡がっていた。誰もいない、誰も存在しない、自分自身すらいない世界。
それからだ、暗い処がキライになったのは…。
ミサトはもう一度扉を振り返る。
シンジの見せたあの眼…。
あれは、自分と同じ眼…。
でも、何故…?
「葛城…」
突然名前を呼ばれて我に返ると、そこにはNERV諜報部の男が立っていた。
諜報部の中で彼女をそう呼び捨てに出来る者は一人しかいない。笑顔を浮かべるミサト。
「剣崎君…。そっか、剣崎君の班がシンジ君を発見してくれたのね。ありがとう……」
「気にするな、仕事だ…」
剣崎と呼ばれた男はそう言いサングラスを外した。
意思の強そうな瞳に引き締まった唇。冷静沈着を絵に描いたような男だ。彼の名は剣崎キョウヤ。NERV保安部の一員でミサトとは大学時代の同期でもある。
「そういえば剣崎君、身体の方はもう大丈夫なの?大怪我したって…」
剣崎は第一次頂上決戦の折、民間人を救出しようとして重症を負っている。本人の驚異的な生命力により奇跡的に一命は取り留めたらしいが、本来なら職場復帰はまだずっと先だと聞かされていたからだ。
「ああ、医者が大袈裟に騒いでいただけさ…。そんなことより、サードをロストしたのは俺達の責任だ。すまなかった」
「いいのよ、無事に見つかったんだし…」
「そう云えば、赤木も珍しく取り乱していたな?」
「じゃあリツコの処に連絡入れたのは剣崎君?あんな短い会話で察するなんて相変わらず感が鋭いわね」
「加持ほどじゃないけどな…」
「あのバぁカの話は止めてくれる?」
この場にいない男の話題を振られ、途端に仏頂面になるミサト。
「…お前も相変わらずだな」
わかりやすい性格の友人に一瞬苦笑いを浮かべた剣崎だったが、ふと改まった顔に戻るとサングラスを掛け直してミサトを見つめた。
「ひとつ、真面目な質問をしていいか?」
「なによ、いきなり?」
「サード…碇シンジ君の事だ……」
「シンジ君?」
ミサトが鸚鵡返しに聞き返す。
「葛城、お前から見て彼…碇シンジ君をどう思う?」
「どう思うって…」
そう云われてミサトは言葉を詰まらす。剣崎の疑問…それはミサト自身がずっと抱いていた事だからだ。
「一介の諜報部員が護衛対象を一々詮索するのはルール違反かもしれない。だが、あの少年をはじめて見たとき……何て云うか、違和感を感じた」
「違和感?」
「俺も報告書は読んだ。サードに関する情報はあらかた頭に入っているつもりだった。だが……」
それが一致しない。
表向きは報告書通りの無口で人付き合いが苦手そうな内向的な少年だ。
我というものが無く、こちらの命令にも従順に従っている。
だが…何かが違う。
まるで演じているかのような不自然さを感じる。どこがどうという事ではないが、例えば決められたキャストの中に一つだけ異物を混入したような…そんな絶対的な違和感をもたらしている。
馬鹿げた話と一笑に付されるかもしれないが、長年培われた感…警戒心といったものがずっと頭から離れないでいた。
「ホント、鋭いわ」
しかし、ミサトは剣崎を笑わなかった。
「アタシもそれが知りたいと思っているのよ」
そう答えた彼女の表情にはある決意が滲んでいた。
「…こっちだ」
廊下を先に歩いていた剣崎が扉を開く。
ミサトが中に入ると、そこは先程シンジが軟禁されていた場所とほぼ同じ間取りの部屋があった。
ただ違う点は、ベッドの代わりに部屋の中央に置かれた机がある事と、そこに何人かの若者が座らされている事だ。
「彼ら…?」
剣崎に確認を取ったミサトは冷たい視線で若者たちを見やった。全員が全員とも険のある目つきをしており、荒んだ印象を受ける。
その内の一人が新たに現れたミサトに向かって大声で吠え立てた。
「な、ナンなんだよ、アンタ達は!?オレ達何もしてねーじゃんッ!!」
「そうよ、早く帰してよッ!」
厚化粧の女もヒステリックに叫ぶが、その表情に怯えの色が見て取れた。
彼等は知っているのだ…ここがNERVの諜報機関であることが…。
そして、そこに目を付けられた自分達がどうなってしまうかも…。
どうやら無抵抗の人間を集団で襲う事は出来ても、自分達よりも遥かに強い存在の前にはただ虚勢を張ることしか出来ないらしい。
「アンタ達にはここ一週間で十数件に渡る強盗及び傷害事件が確認されているわ。しょっ引かれるには十分でしょ…?」
ミサトが鋭い視線で睨み付けると、それだけで不良達は黙り込んでしまった。
「別にアンタ達をどうこうしようってんじゃないの…。ただ、ちょっち訊きたい事があるのよ……」
感情を殺したように語るミサトを前に、不良達は不安げに互いの顔を見合わせた。
To be continued...
(あとがき)
こんにちは、ミツです。
『シークレット〜』のキャラを出してみましたが、今後も出演するかはまだ未定です。
只でさえ展開遅いのにこれ以上…ですもんね。
最後に、こんな作品に感想メールを送ってくださる皆々様。
ありがとうございます。感謝感激です。
ではでは。
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