深夜、NERV本部・司令官公務室に一本の直通電話がかかってきた。時間帯はどうあれ、直接ここに電話をかけられる者など限られた数しかいない。ゲンドウはおもむろに受話器を取って耳にあてた。
「キミか…」
『お久しぶりです』
電話の主は男のようだ。まだ若い。盗聴等を警戒して外からかけているのか、声の奥から風の巻く音がかすかに聞こえてくる。
『予定通り、今日の便でドイツを発ちます。ただ、”お客様”が一名割り込まれまして…』
「ああ、聞いている」
『…で、どうします?私の方で対処しましょうか?』
男の問い掛けに、ゲンドウは卓上に目をやる。そこにはいくつかの資料の他に、一人の男の顔写真が添付されていた。
「いや、その必要は無い。キミは、弐号機と共にアレを運んできてくれればそれで良い…」
『わかりました。では、日本で…』
受話器を置き腕を組み、何かを考え込むようにじっと虚空を見詰めるゲンドウ。
漆黒の部屋の下、モニターの光で映えるサングラスの奥の瞳は、ぞっとするほど冷たい表情を浮かべていた。
第三十七話
presented by ミツ様
第三新東京市・商店街
やわらかな日差しが降り注ぐ街並み。
店の前でアイスの当たりクジを当てた子供達がはしゃいでいる。
どこか散歩にでも行きたくなるような晴れやかな朝だが、街の至る処で聞こえるコンクリートを砕く破砕音や鳴り響くホイッスルがその陽気さを打ち消していた。
第三新東京市は現在復旧作業が急ピッチで進められている。
迎撃ビルの外壁や屋上にはミサイルが装填され、兵装ビルにはクレーンでパレットライフルやガトリングガンが運ばれて、前回の使徒戦の傷は徐々にだが癒えつつあった。
「いやしかし、少しずつ街も元通りになってきたな」
駅ホームの自販機で缶コーヒーを買った青葉が、同じ出勤途中の日向とマヤに話しかける。
「政府と国連との調整も何とか上手くいったみたいだよ」
「私達の忙しさは相変わらずだけど…」
漫画雑誌を読みながら電車を待っている日向と、紙袋一杯に詰まった洗濯物を抱えたマヤが俯き加減に呟いた。
「休暇が貰えるだけマシってもんだよ。…ん?どうしたんだい、マヤちゃん。何か元気ないみたいだけど…?
「あっ…、ううん、何でもないの…」
「ふぅん…」
そう言って笑顔を見せるマヤに怪訝な表情を浮かべながらも、青葉は手にした缶コーヒーを一気に呷った。
環状線・地下駅ホーム
駅のホームに滑り込んでくるカートレインに飛び乗った三人は、日経新聞を読んで座っている冬月コウゾウに出くわした。
「お、おはようございます」
「ああ、おはよう」
意外な先客に、やや緊張気味に挨拶をする三人。
「今日はお早いんですね」
「まあね、上の街だよ」
冬月は新聞をずらしてアゴで合図をした。
「ああ、評議会の定例ですね」
「ここのところ毎日だ……まったく、碇のヤツは昔から面倒事はみんな私に押し付けるからな」
憮然と言い放つ冬月だったが、青葉たちにしてみればどちらも上司である。どうリアクションを返したらよいか迷っていると、背後から声がした。
「お久しぶりですな、冬月副司令」
声のした方向に冬月が振り返ると、以前雑誌記者を名乗った熊野タツミがいつものとぼけた風貌で近づいてきた。
突然の珍客の登場に戸惑いの表情を浮かべる冬月。青葉も驚いた様子で固まっている。
「キミは…!?」
「お知り合いですか?」
マヤが尋ねると、熊野は無精髭を生やしたむさくるしい顔を近づけてにこりと微笑んだ。
「よろしく、国際タイムズの熊野タツミと言います」
「は、はあ…」
「いやあ、職場にこんな可愛らしいお嬢さんがいるとは羨ましいですなぁ」
「そ、そんな…」
可愛いと煽てられて真っ赤な顔で俯くマヤ。しかし、冬月は訝しがる視線を逸らしてはいない。
「何故…、キミが此処に?この先は直通のはずだが…」
慎重に言葉を選ぶように話しかける冬月とは対照的に、熊野はのんびりとした口調で朗らかに答える。
「おや、通達がいってませんでしたか?使徒と呼称する未確認生物に関する情報公開の一環として、民間から取材陣がNERV本部へ赴くことになったのですが…」
「では、マスコミからの派遣というのは…」
「はい、ワタシになります」
これからよろしく、と邪気のない笑みを浮かべて挨拶を交わす熊野。
その時、カートレインがトンネル内を抜けた。
眼前に広がるジオフロントの全景。
「お、見えてきた!」
熊野が窓にのしかかるように外を眺め、その壮観たる光景に感嘆の声を上げる。
「ほ〜〜う、こりゃ凄い!本物のジオフロントだ。ウチのカミさんにも見せてやりたいくらいですなぁ〜〜!」
子供のように感激する熊野の後姿を、冬月は厳しい表情で見つめ続けた。
NERV本部・第二実験場管制室
広大なドーム状の実験空間に煌煌たる照明が照射されている。
中央には先の戦闘で倒した使徒の亡骸が横たわっていた。摘出したコアの周辺部では足場が組まれ、散乱した破片にはブルーシートが掛けられている。
リツコとミサトがいる第二実験場管制室にはクリッブのケーブルを通じて情報がリアルタイムで送られてきており、使徒の残骸に集まる十数名の研究所員の分析作業を見守っていた。
リツコのような科学者にとってこの時間は至福といってもよい時間だろう。しかも今回は前回の知識の蓄積もある。手元のデータに目を移しながら膨大な資料をメモリに収め、ときどき難解な知識の一端が読み取れる度に勝ち誇ったように笑みを浮かべていた。
「…んで、何か解ったの?」
先程から解析作業を黙って見ていたミサトがおもむろに口を開いた。作業を中断された形となったリツコは、やや険しい表情をミサトに送るとパソコンの画面を促す。
「こっちのモニターを見て…」
覗き込むミサト。
「使徒…生物・非生物の概念を超えた謎の自立型超兵器。A.T.フィールドと呼ばれる位相空間を展開する能力を有し、通常攻撃を一切受け付けないほどの防御力と圧倒的な攻撃力を持つ。単独兵器としての性格上、自己修復機能・機能増幅能力をも有する完全生命体……」
表示されたパソコンの画面には、第三使徒と第四使徒の3D画像と難解極まりない数学体系の術語が並べられていた。はっきり言って世界最高峰の学術評議会でもない限り、意味の見当すらつかない内容である。
「動力炉は予想通り『スーパーソレイド機関』ね。そしてそれを構成する物質は未知の純結晶金属のようだわ」
「未知の金属…?」
「このデータを見ればわかるように原子が複雑に結合して一つの結晶となっている。この基本的な構造の中に様々な機能を形作る情報を持っていると推測出来るわ…。そう、まさにこの一つ一つは一個の生命体と言っても過言じゃないわね」
「そんなものが本当にこの世に残ってたワケ?」
信じられないといった感で眉を顰めるミサト。それもそうだろう、この科学が進んだ時代に地上に未だ解明されない事象が存在していたなんて…。
「私達より、敵さんの世間の方が少しばかり広いってことね。例えばコレ…」
そう言ってリツコは画面にもう一つのアイコンを表示した。
「この未知の物質は粒子と波の性質を併せ持つ光のような特性を持っていると推測できるわ…そして、これが使徒独自の固有波形パターン」
「コレってまさか…?」
ある可能性に気付いたミサトは驚きの声を上げる。
「そう…構成物質の違いはあるものの、信号の配置と座標は人間のそれと酷似してるわ。99.89%までね」
「……良くわかんないケド、それって人間の近いってこと?」
「そうとも言えるわね。分析結果が進めばより詳しい証明ができるはずだけど…改めて人間の知恵の浅はかさというものを感じるわ…」
「今までのリツコの説明を聞く分には…、使徒の遺伝子は有機的なものでなく、結晶体ってことよね」
ミサトの呟きにリツコは僅かに口元を綻ばせた。
いろいろ人間的に未熟なところもある彼女だが、こと事態に対する把握力と応用力では目を見張るものがある。使徒迎撃の作戦部長も伊達ではないということか。
「ミサト、遺伝子結晶理論って知ってる?」
「知るわけないでしょ…」
膨れ面を浮かべ即答するミサトに苦笑いを浮かべたリツコは、手元のコーヒーを一口啜ると説明を始めた。
「ケアンズ・スミス博士の唱えた説で、彼は粘土鉱物の結晶こそが地球に最初に誕生した生命であると主張したわ。自己複製システムを持つ鉱物結晶は、その結晶の成長過程において層から層で情報を遺伝させていった…」
「…リツコ先生、もうちょっち簡単に説明してくんない?」
「ところがその結晶遺伝子に炭素分子が付着し、当初は補助的な情報伝達をしていたに過ぎない有機分子が複製を重ねていく途中で高度な機能を持ち始めたのよ…」
ミサトの”ちゃちゃ”を軽く受け流しながらリツコは更に話を続けた。ミサトは諦めにも似た溜息を吐いた。こうなってしまったら説明が終わるまでは彼女は”こっちの世界”に帰ってはこない。リツコの瞳が思いのほか輝いて見えるのは単なる気のせいではないだろう…。
「これが言う『遺伝子の乗っ取り』ね。結晶はその役割を終え、我々の有機生命が誕生したというわけ。…どう?なかなか興味深いレポートだと想わない?」
やっと講義を拝聴し終えたミサトは、そこでおもむろに口を開く。
「…つまり、今ある使徒の襲来は、追いやられた結晶遺伝子の反攻とでも言いたいワケ?アンタにしては随分ロマンチストね」
「知らなかった?科学者はロマンチストなものなのよ」
リツコはそう言って薄く笑った。
「結局のところ、解らないことだらけってことじゃない…」
皮肉もまったく意に介さないリツコに、やや不機嫌な口調でこたえるミサト。
「リツコ先生のご高説は承ったけど、結局アタシ達が使徒と戦う為にはどうしても汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンの力が必要ってことでしょ?……どうなの、いつ頃使えそう?」
別モニターには調整槽に浸かるエヴァ初号機の姿があり、首が持ち上げられ、接合中の左腕が映し出されている。
「左腕部は予備のパーツを接合するからいいけど…問題は頭部ね。アポトーシスの進行状況が思ったより酷くて……再生にはまだ時間がかかるわ」
「まだるっこしいわねぇ。こうちゃちゃっと修理出来ないの?」
「エヴァはロボットじゃない、人造人間だって言ったでしょう?そう簡単にはいかないわよ」
「でも早急に体勢を整えないと、ますますパイロットの負担が増加するわよ?」
「チルドレン達の…そうね」
はじめて表情を曇らせるリツコにミサトが呟く。
「…酷よね、人類の存亡をあの子達に背負わせるなんて」
そう、自分達はエヴァの操縦を14歳の子供達に委ねなければならない。
碇シンジに…。
そのとき、ミサトは何か言いたげな視線をリツコへ向けた。
「…そう言えば、シンジ君の具合はどうなの?ここんトコ姿を見かけないけど…?」
「そうね、身体的ダメージは回復に向かっているけど、まだまだ訓練が出来るレベルじゃないわ」
「ふ〜ん、そう……」
そう言って言葉を濁らす。
ミサトの口調の変化に気付いたリツコは無言で煙草に火を点けた。煙を肺まで吸って一気に吐き出す。
「…何か、言いたそうね」
「別に…ただ作戦部長としてはパイロットの健康状態は逐一把握しておく必要があるだけよ」
何やら意を含んだもの言いが返ってきた。
「…最近、いろいろ調べているみたいじゃない?」
シンジに絡んだ不良達や第壱中学校の生徒に、ミサトが接触を図った事は保安部から報告を受けている。それを暗に示唆したのだが、彼女は悪びれもせずにリツコを真っ向から見つめた。
「まあね…誰かが答えを教えてくれないから、自分で調べるしかないわ」
「”好奇心は猫を殺す”…ヘタに首を突っ込むと寿命を縮める事になるわよ」
「なにそれ…警告のつもり?」
険しい表情でリツコを睨みつけるミサト。その瞳には、脅しには屈しないという強い光があった。
「忠告よ、友人としてのね…」
「そう言われてアタシが黙って引き下がる性格じゃないってのは、アンタが一番わかってると思うけど…?」
紫煙を挟んで対立する瞳と瞳。無言なる旋律が空間を占めていく。
どれほど視線を交わしていただろう…。
「そう…そうだったわね」
そう言って先に視線を外したのはリツコの方だった。彼女は灰皿に煙草を押し付けると、目を伏せてそっと呟く。
「ミサト…」
「なによ…?」
「コード707を調べてみなさい」
「!?…リツコ?」
リツコの口から出た意外な言葉に戸惑ったミサトが、更に問いただそうとしたその時、
「いやはや壮観ですなぁ、これが噂の使徒とかいう化け物ですか?」
「ッ!?」
突然の声に驚いてミサトが振り返ると、何時の間に入って来たのだろう。そこには年の頃50歳くらいの男が立っていた。
「だ…誰です、あなたは!?」
「いやいや、お構いなく」
その男はミサトにかまわず、物珍しそうに辺りを見渡しながら手元に持ったデジカメでパシャパシャと撮影を開始する。
「だ、ダメですよ熊野さん。勝手に入っちゃ…」
管制室に後から入ってきたマヤが、慌てて熊野の腕を引っ張る。その様子を見ていたリツコがやや冷たい口調でマヤに話しかけた。
「マヤ……此処は関係者以外立ち入り禁止のはずよ?」
「す、すみません……!」
リツコの機嫌の悪さを敏感に感じて涙混じりに誤るマヤだったが、熊野はそんな彼女達の機微を知ってか知らずか、人懐っこい笑みを浮かべながら帽子を取って挨拶をした。
「これは申し送れました。ワタクシ、こういう者です」
そう言って懐から取り出した名刺をリツコとミサトに差し出す。ミサトは名刺と目の前の男を代わる代わる見比べて訝しむ。
「…国際タイムズの熊野タツミ?」
よれよれのくだびれたシャツにだらしなく外したネクタイ。手入れのされていない無精髭のその男は、一流新聞社の記者にはお世辞にも見えない。
「本日付けでNERVの独占取材を仰せつかりました。良い記事書きますんで、よろしくお願いします」
「それじゃ…あなたが国連からのお目付け役?」
ミサトの瞳が鋭さを増す。不機嫌な表情を隠そうともしない。
それはそうだろう。いうなればこの男は自分達の失態を監視する為に派遣されたようなものだ。だが、キツい口調で聞き返すミサトを熊野は軽く笑って受け流した。
「まさか、ワタシャ只のしがないサラリーマンですよ。しかし此処はホントに美人さんが多い。こりゃカミさんにヤキモチ焼かれますかな?」
そう言って豪快に笑う。
人を食ったような態度にも見えるが、どこか憎めない男だ。
「しかしこのホトケさんも、こなると無残なものですなぁ……」
そして、どこまで本気なのか、一通り撮影を終えた熊野は使徒の亡骸に向かって南無南無と合掌をしてみせる。
機先を削がれてしまったのか、そんな様子を呆れた表情で眺めていたミサトだったが、リツコは無言で前に進み出ると熊野のデジカメを取り上げた。
「こちらの備品は保安部で検閲後、本部退去時にお返しします」
そう言われて慌てたのは熊野である。滑稽なくらい情けない顔を作ってリツコに拝みかける。
「いや〜、カンベンしてくださいよ。上の承認は貰ってるんですがね…」
「そうですか、ですが此処は例外はありません」
熊野は冬月副司令や広報部長の名まで出すが、そんな反論がリツコに通用するはずもない。あっさり流されてカメラは没収されてしまった。
「はぁ……まいったなコリャ。商売道具を取り上げられちゃ仕事はムリですな…。じゃあね、お嬢ちゃん。いろいろ世話になったね」
熊野は頭を掻きながらマヤに手を振ると、仕方ない仕方ないと呟きながら管制室を出て行ってしまった。
「随分、あっさりしたものね…」
熊野が退出したことを見届けたミサトが呟く。
「そう見える?」
「ええ、もちょっち食い下がるものかと思ったケド…」
「その必要がないからよ…」
「どういう意味?……まさか!?」
何かを察したミサトに、リツコは意味ありげに微笑んだ。
「ご明察。多分、服のどこかに別のカメラを仕込んでいる可能性があるわ」
「なんてヤツ!」
慌てて熊野の後を追おうとしたミサトをリツコが止めた。
「いいのよ、ほっときなさい」
「何でさ!?」
「あの手のタイプはそう簡単にシッポを掴まされたりしないわ。それに、どうせ機密はいつか洩れるものよ…」
まして第三新東京市はその性格上、オーバーテクノロジーの集積地であり各国企業スパイの巣窟である。街で2.30人ほど無差別にチョイスすれば、合法・非合法を問わず情報収集関係者が見つかるわ…、と事も無げに言ってのけた。
「…じゃあ、何でさっきはカメラを取り上げたのよ?」
涼しい顔をしているリツコに、ミサトはジト目を送る。
「だからといって、あまり気分の良いものじゃないわ…」
ちょっとしたイジワルよ…とこぼして唇の端を吊り上げる。
その一瞬、悪魔の笑みに似た友人の顔に冷や汗を流しながら、ミサトは深々と溜息を吐いた。
「ホント、性格ワルいわ……アンタ……」
ミサトにそう酷評された女科学者は、温くなったコーヒーの不味さに顔をしかめながら、すました顔で仕事を続けていた。
管制室を出た熊野は、職員用ラウンジで一人お茶を啜っていた。
時折ネクタイピンに手を当てて何やら弄んでいる。そこにはリツコの予想通り超小型の隠しカメラが仕込んであった。
「やれやれ…、顔に似てキツい姉ちゃんだ……」
そう言って無精髭を撫で上げた熊野の顔は、まるで悪戯好きの小僧のように笑っていた。
To be continued...
(2007.10.06 初版)
(2007.12.15 改訂一版)
(あとがき)
こんにちは、ミツです。
オリキャラが少しずつ話に絡み始めてきてますが、今回もシンジ君の出番は無し。
チルドレン達の扱いがあまり良くないなぁ、本作は。(^^;
とりあえず次回も頑張ります。
最後にこんな作品に感想メールを送ってくださる皆様。
ありがとうございます。感謝感激です。
ではでは。
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