贖罪の刻印

第三十八話

presented by ミツ様


  筑波・戦自研究所

 

僅かに赤みを帯びた山際の陰から、朝陽がゆっくりと姿を現そうとしていた。

日本に四季があった頃、この山は「西の富士、東の筑波」とも云われ、朝は藍、昼は緑、夕は紫と刻一刻と表情を変える優美な姿は万葉の昔から詩歌に謳われているほどであった、

しかし現在、その紫峰の裾野には戦略自衛隊の兵器開発工場が建造されており、その舗装された道を一台の軍事用ジープが走っている。

「隊長、もうすぐ着きますよ」

車が林の中の緩いカーブに差し掛かったとき、運転していた鈴谷二尉は隣のシートに座る東雲三佐に話しかけた。

「しかし本当にいいんですか?これは明らかに命令違反ですよ」

「構わん、責任は俺が持つ。それよりそのT兵器の事について何かわかったか?」

「苦労しましたよ。一応機密扱いですから、なかなか入手できなくて…」

「お前さんの苦労話は今度ゆっくり聞くから、早く教えろよ」

あっさり流された鈴谷はやや不満そうだったが、車のダッシュボードから『極秘』と書かれた数枚のレポート用紙を取り出すと東雲に手渡した。

「『T兵器』…正式名称は『トライデント級陸上軽巡洋艦』と呼称されています。我が軍が今から6年後に想定される大戦に投入するため開発・試作した機体で、メイン動力炉には熱核型原子炉を搭載。背部スラスターにハイドロジェット方式を採用したことにより地上はもとより、水上・水中においても高い機動力を発することが出来る次世代汎用戦車となっています」

「ふむ…それで武装はどうなっている?」

コピーを重ねた上に黒塗りのケシ部分の多さに閉口した東雲は読むのを諦め、鈴谷に聞き返した。

「どうやら機体そのものに固定武装はなく、オプションとして機首に機関砲、そして肩のパイロンにミサイルランチャーを装備可能です。汎用戦車の異名どおり、様々な状況に対応する設計のようです」

基本スペックとしては申し分ない。十分に戦自において次期主力の兵器になるだろう。

だが…。

「…これで、使徒の持つあのバリアみたいなヤツに通用するのか?」

素直な感想を述べる東雲に、少し肩を竦めて鈴谷は答えた。

「そこまでは…もともと設計思想自体バケモノ相手には想定されてないでしょうし…」

「贅沢は言ってられん、か…」

極秘資料を後ろのシートに放り投げた東雲は、眼前に迫る灰色の建物を見詰めながら静かに呟いた。

 

 

 

モーターの回転音、ピストンの圧搾音、エンジンの響き…様々な轟音が耳に押し寄せてきた。そこは巨大な工場だった。ドーム球場を数個丸ごと飲み込んでしまうほどの広さがある。周りには解体された戦車や用途の解らない兵器類が雑多に積み上げられ、天井からはガントリークレーンが何個も下がっていた。

興味深げに東雲達が工場内を見渡していると、頭上のキャットウォークから作業着を着た若い男が二人を伸びとめた。

「よう、鈴谷!」

「名取!久しぶりだな」

鈴谷が手を上げて階段を駆け上がっていく。名取と呼ばれた男は鈴谷の手を取り握手を交わすと今度は東雲の方へ敬礼をした。

「東雲三佐ですね。自分は名取ケンジです。そこの鈴谷とは防衛大時代の同期でして…」

名取ケンジは年の頃二十代前半、中肉中背でやや童顔の顔立ちをしていた。

本人もそれを気にしているのだろう。顎に豊かな髭をたくわえ風格を出そうとしているのだが、もとが童顔なだけにお世辞にも似合っているとはいえない。

「ああ、聞いている。今日は無理を言ってすまなかった」

「いいえ、鈴谷の我が侭ぶりは大学の頃から慣らされていますから。よく昔は寮を抜け出す片棒を担がされたものです」

「おいおい…主犯格はお前だろうが!」

そんな他愛ない交わしながら、東雲達は油のすえた臭いや煙が立ち昇る工場内を歩いていった。

途中、忙しげに行き来する何人もの作業員達をすり抜けて進んでいくと、ふいに視野が開けた場所に出た。眩い照明が東雲の眼を射る。

それは工場の中央にあった。

大きさは数十メートルはあるだろう。並みの戦車など比べ物にならない巨大な体躯(いや、もはやこれは戦車とは呼べないシロモノだろう)は、それを支える後脚が異様に大きく、機首に当たる部分が前方にせり出している。その躍動感溢れる独特のフォルムは獰猛な肉食恐竜を彷彿とさせた。

ボディカラーはスティールブルー。そして機体の各所には試作機を示すオレンジのラインが施してある。

「これが……」

圧倒されたように呟く東雲をみて、整備士の名取は誇らしげに答えた。

「そうです。これがトライデント級陸上軽巡洋艦・『雷電』です」

 

 

 

  NERV本部・自動販売機前

 

「煙草、あるかい?」

青葉が休憩時間を利用してコーヒーを飲んでいるところに、新聞記者の熊野が近づいてきた。

その人懐っこい笑みを見詰めながら、青葉は無表情に言葉を返す。

「…すみません。此処は禁煙になってるんです」

「やれやれ、愛煙家には世知辛い世の中になったもんだねぇ…」

熊野は肩を竦めながらポケットから小銭を取り出して自販機に投入する。そこからペットボトルのお茶を取り出すと、青葉の座るベンチの真後ろに腰をおろした。

「いいんですか、俺と接触なんかして…」

誰にも聞かれないように小さい声で囁く青葉。

「オペレーターのお嬢ちゃんや眼鏡の兄ちゃんにも取材はしているよ。お前さんにだけ話かけないのはかえって不自然だろう?」

「だからってこんな処で…」

「なに、此処には”眼”はあっても”耳”は無いみたいだからな。口の動きさえ気をつければ大丈夫さ」

熊野は口をすぼめるような妙な表情をしていた。

話をしているようには見えない。誰の耳にも聞こえない。おそらく青葉の耳にしか届かない無音の声が、熊野のすぼんだ口から伝わっているのだ。

「……よく調べてありますね」

青葉の方はそんな芸当に驚いた風もなく、小さく呟いた。

「そんなことより、NERVは未だ今回の件に関しての公式会見を開かないようだな?」

「そりゃそうでしょ。被害規模全体の把握にはまだ時間を要しますからね。…それに、そういう煩わしさを免れる為に貴方が呼ばれたんでしょ?」

「なるほどねぇ…、お互い宮使いはツライなぁ…」

本気なのか冗談なのか解らない口調でそう笑った熊野だったが、ペットボトルの中身を一気に呷るとやや表情を引き締めた。

「なあ…」

「何です?」

訝しげな表情で聞き返す青葉。

「碇シンジ君、だったかな?……あのコ、一体何者だ?」

「えっ?」

「この前、一度会ったんだ」

「熊野さん、アンタ、また勝手なことを…」

非難を篭めた口調で囁く青葉だが、熊野はそれを無視して淡々と語りだした。

「今まで色んな人間を見てきたよ、それこそ腐るほどな。…だが、ありゃ初めてだ。何て云うか…本能的な恐怖を感じたよ」

青葉は意外なものでも見るような眼差しを熊野に向けた。彼の記憶の中で、この男がそんな台詞を吐いたのを聞いた事がなかったからだ。

「危険な”匂い”のする人間ってヤツはよ、職業柄、カンて働くんだ。”危ねぇ!近づくな!”ってよ…。だが、彼に関してダメだった……。いや、そんなものとは次元が違う……そう、人間とは絶対的に隔絶した”なにか”。……ただただ…怖かった」

「熊野さん…」

青葉が何か言いかけた時…、

「あっ、青葉くん!いたいた」

二人の会話を割って入るようにマヤが現れた。青葉は動揺して慌てて立ち上がり、熊野から距離を置く。

「あっ、熊野さんもいたんですか?こんにちは」

「こんにちは、お嬢ちゃん」

律儀に挨拶を交わすマヤに、熊野はにこやかに手を振って応えた。幸いマヤが不審に感じている様子はない。

「マ、マヤちゃん…どうしたの?何か急用?」

青葉が話をはぐらかすと、マヤは思い出したように両手を叩いた。

「そうそう、さっき保険の田中さんが探していましたよ」

「保険の?まいったなぁ…あの人、ここんとこ加入しろ加入しろうるさくて…」

渋い顔を浮かべる青葉に、熊野が人の良い笑顔を向ける。

「ハハ、こんなご時世だ、保険にはしっかり入っていた方がいいな。じゃあ取材協力ありがとう。いい記事書かせてもらいますよ」

そう言いながら青葉の肩に手を置き、例の口をすぼめた表情でそっと呟く。

「…ま、恐怖以上に面白くもあるよ。益々興味が沸いてきた」

ギクリと振り返る青葉をからかうように、熊野は片目を瞑って見せて去っていった。

「知らないッスよ……ホントに」

疲れたように呟く青葉を、マヤは不思議そうに見詰めた。

 

 

 

  筑波・戦自研究所

 

「…もう完成しているんじゃないのか?」

新品のオイルが漂う機体の臭いを嗅ぎながら、東雲は名取に尋ねた。

「試作機ながら機体の性能は十分です。ただ…」

「ただ?」

「あっ、ちょうど今からパイロット候補生の操縦訓練が始まります。ご覧になられますか?」

何かを言いよどんだ名取に促され、東雲達は工場内の一角に間切りされたブースに案内される。

そこに設置されていたのは奇妙な円筒状の物体だった。

直径は2メートル弱。全体をコイルによって支えられており、密閉式で外からその内部を覗き込むことは出来ない。

壁には発電装置や変圧器や無線機のようなものが雑多に並べられており、床に這うケーブルに繋がれていた。

そして、そこに現れたパイロットの姿を見て東雲は怪訝な声を上げた。

「あれが…パイロット?」

東雲が驚いたのも無理はない。パイロットスーツを着込んで現れた兵士女性…しかも、少女といっても差し支えないような年頃の子供だったからだ。

東雲の表情からその心裡を読み取った名取は、肩を竦めながら説明する。

「この試作機は、お世辞にも居住性が良いとはいえません。だから身体の小さい少年兵がパイロットに選ばれるんです」

ヘルメットを被った少女がハッチを開け円筒体の中に入っていった。どうやらあれがコックピット模したシミュレーター装置らしい。

円筒体の映像はブースに設けられたコントロールモニターから見てとれる。速度計、燃料計、無線装置、ジャイロ・スコープ等の計器盤に囲まれた内部は思った以上に窮屈そうだった。

計器盤の左右には操縦桿があり、それぞれ両手に対応している。少女はそこから伸びているコンソールチューブを両手のグローブに接続してモニター越しに軽く頷いて見せた。

準備は完了したようだ。

「よし、訓練開始!」

名取の指示のもと、操縦訓練が開始された。

東雲は、そのときになってはじめて円筒体を支えていたコイルが何の為ものかわかった。いきなり操縦席が四方八方に激しく揺れ始めたのだ。

いや、揺れるなどという生易しいものではない。殆ど突き上げられ、振り回され、叩きつけられる、といった表現の方が相応しい。

常識では有り得ない角度に機体が傾く。すぐさま反転し上昇したかと思うと、すぐに錐揉み旋回をかけながら急降下を繰り返していく。

まるで暴走した遊園地遊具のようだ。油圧装置の作動音が雷鳴のように鳴り響いている。

少女は機体をコントロールするどころか、舌を噛まないようにしているのが精一杯のようだった。

”操縦桿を握り締めろ”、”ペダルを踏み込め”、”クラッチが甘い”、”ギアを上げろ”。”そんな事ではトライデントは乗りこなせないぞ”、そう指示が飛ぶが少女はただただ激しいGに振り回されている。

「おい…危険じゃないのかッ!?」

東雲がそう口にしたとき、訓練中の少女がたまらず両手の操縦桿を離した。

次の瞬間、スピーカー越しに響き渡る少女の悲鳴。

モニターでは、何度も跳ね上げられ、シートに激しく叩きつけられている少女の姿が見てとれた。ジャイロ・スコープの針も振り切れっぱなしだ。

「いかんッ、装置を止めろッ!!」

名取も慌ててそう叫ぶが慣性の法則には逆らえない。急激な円筒体の動きが止まって少女が救い出されたのはそれから十数分後のことだった。

「マナッ!」

コックピット・ハッチに数人の少年が駆け寄っていく。こちらもパイロット候補生なのだろう。年齢的に少女と同世代だ。

救出された少女は気を失っていた。顔色が真っ青で、額や口からは血を流している。おそらく内臓系も負傷したのだろう、残念ながら彼女がパイロットになるのはもう絶望的のようだ。

 

 

 

「…これが、兵器として使い物になるのか……?」

少年達に抱えられてその場を去る少女を横目で見ながら東雲は呟いた。

「なんと言うか…このトライデントは機体性能を重視するあまり、搭乗者の安全を軽視したような設計となっておりまして……」

名取が申し訳なさそうに弁解する。先程彼が言いよどんだ理由がやっと解った。

「つまり、欠陥品というワケか…」

「これでもある程度の改良は施しているんですが…」

東雲は冷たい口調で呟く。整備班である名取を責めても仕方ないことだが、こんなパイロットを消耗品のように扱う機体では実戦で使用できるレベルになるにはまだ先の話だろう。彼の表情からは失望の色がありありと見てとれた。

その時である、

「貴様等、こんな処で何をしているッ!!」

突然、背後から叱責の声がかけられた。

「榊一佐だ、マズイな…」

名取が、しまったと顔を顰める。

「榊…?」

「榊キョウゴ一佐です。此処の責任者でもあります…」

東雲もその顔に見覚えがあった。以前、府中の総括本部で会った男だ。自分を見詰めていた冷淡な視線が印象に残っていた。

敬礼を施す東雲達を無視して榊は相変わらず横柄な態度で怒鳴りつける。

「名取、貴様がコイツ等を此処に連れ込んだのかッ!?」

「そ、それは…」

「いえ、自分の独断であります。名取二尉に責任はありません」

名取を庇うように前に立つ東雲だが、榊はそんな彼を睨み付けると不愉快そうに言葉を荒げた。

「誰が発言を許可したか!?東雲三佐!」

「はっ、申し訳ありません!」

「東雲三佐、貴様は参謀本部での通達を聞いていなかったのか!?本来なら軍法会議ものだぞッ!即刻立ち去りたまえ、此処は貴様が出入りする場所ではないッ!」

頭ごなしの命令に一瞬ムッとする東雲だったが、上官には逆らえない。再び敬礼を施すと鈴谷を伴って工場を立ち去ろうとした。しかし、ふと榊の後ろに控えていた人影に眼がいく。

軍人ではない。一見すると官僚風のインテリ然とした男だった。着ているスーツには『日本重化学工業共同体』と書かれたロゴが入っていた。

(…日重?何で民間企業がこんな処に……?)

訝しがる東雲を他所に、二人の男は奥のブースへと入っていった。

 

 

 

「しかし…確かのあの三佐の言ったとおり、あれではパイロットの安全は保障出来ませんね」

日重のロボット開発責任者である時田シロウは、東雲達の立ち去る姿を見届けながら先程のトライデントの運動シミュレーションについての率直な意見を述べた。

「ご心配は無用、すでに解決策は検討してあります。いつまでもNERVの時代ではありませんよ。…そうでしょう、時田さん?」

「確かに…」

自信満々に話す榊に相槌をうつように頷く時田。

特務機関NERVは「人類の未来を守る為」に、対使徒迎撃要塞都市である第三新東京市や汎用人型決戦兵器・人造人間エヴァンゲリオンを建造した。しかし、その開発・維持コストには莫大な費用と労力がかかっており、いくら立派なお題目を並べても裏には「金」という現実問題が付きまとうのは、現在・過去・未来、どんなに時代が変わっても変わるこの無い悲しい事実であった。

NERVに関連する企業が「NERV利権」ともいえる莫大な利益を受ける一方で、その恩恵を与えられないものたちもまた存在する。そうした企業は単体ではNERVとその周辺組織に対抗出来ない為、複数の企業が結合し共同対を形成する傾向が見られた。時田の所属する『日本重化学工業共同体』もそうした企業の一つである。

特に日重の結成には、国連直属の超法規的組織であるNERVを快く思わない日本政府が後押ししたという噂も流れており、政治的にも軍事的にも複雑な背景が見え隠れしていた。

「それより、本日あなた方をお呼びしたのは他でもない…」

「日重製のOSとオートバランス・システムの技術提供の件…でしょう?」

榊が切り出す話の先を続けるように、時田が口を開いた。

「流石は時田さんだ、話が早い」

「…ですが、我が社といたしましても、これらはトップシークレットの機密事項です。おいそれとは……」

「わかっております。無論タダとは云いません。見返りとして我が軍からは極秘裏に入手したNERVの決戦兵器の内部資料と、日重が現在開発している直立型自走兵器に関しては一切介入しない事をお約束します」

「介入しない、とは?」

何やらきな臭い雰囲気に訝しげな表情を見せる時田。

「…たしか、日重の会長と内務省長官の万田さんとは懇意の間柄だとか…?余計な憶測で騒ぎ立てる週刊誌の連中もさぞ多い事でしょうな……」

榊の言葉に底意地の悪い悪意のようなものを認め、そういうことか…と、時田には得心がついた。

日本重化学工業共同体が社運をかけて挑んだ今回の”JAプロジェクト”だが、肝心の新型エンジンの開発に手間取っていた。しかし、工期を遅らせたくない会社側からの強い要望で今回の開発発表には小型原子炉搭載機の採用が決定されたのだ。

セカンドインパクト以降、甚大な被害をもたらす危険性のある原子力関連は政府の管轄となっている。そのため日重は内務省をはじめ数名の与党議員に働きかけを行い、半官半民で開発した対使徒戦闘用ロボットという体裁で事を進めているのである。

しかし、それらを政府との不正な癒着とみて幾つかのマスコミが動き出しているのも事実で、榊の指摘はそれを暗に示唆したものだった。

「どうです?お互いにとって悪い条件ではないはずでが…」

「そうですね…」

そう言われても時田には反論の余地などない。

榊にしてみれば対等の条件のつもりなのだろうが、これでは人質を取って交渉してくる強盗と大差ない。しかも理解しているのかしていないのか、政府の要人すら脅迫の材料に使うとは…、時田は嫌悪感を表に出すまいと無表情の顔を取り繕うのに必死だった。

そして、さらに始末の悪い事に、榊には内心この契約を守る気すらも毛頭なかった。

たかが民間企業の直立型自走兵器といっても彼のような生粋の軍人からしてみれば戦自の意を無視した行動は到底許されないのだ。内務省に対する国防省のメンツもある。誰かを首輪役にする必要があった。

先程の東雲の顔を思い出す。

(これ以上周りをウロチョロされるのも面倒だ。つまらん役だが、あの様な上層部の意向を蔑ろにしがちな男には分相応な任務だろう…)

そう呟いた榊の瞳には狡猾な光が宿っていた。

 

 

 

  NERV本部地下大深層・マルボルシュ第三区画

 

漏斗状の大穴を成しているNERV本部の地下大深層は、最上部の第一圏から最下部の第九圏までの九つの圏から構成されている。

そこの第八圏・マルボルシュ。別名『悪意者の地獄』と称される場所の第三の嚢にある『枯聖者の間』にリツコとシンジの姿があった。

シンジは橙色の水溶液に満たされたカプセルに身を浸している。

このカプセルはエヴァのエントリープラグを模しているのだろう、満ちていた液体がいずこかへ流れ透明度の高い硬化アクリルの扉が開くと、シンジはLCLに満たされながら何も身に付けていないその姿で歩み出てきた。

傍らの端末で作業をしていたリツコがタオルを差し出す。

「これで第二ステージも終了したわ。残るは…」

「最終ステージ…そして”花粉を運ぶ蜜蜂役”の選別ですね」

渡されたタオルで身体を拭き、衣服を纏いながらシンジが小さく呟いた。

「それに関しては大丈夫だと思うわ。前回のノウハウもあるし、なにより”女王蜂”が蜜の存在を放っておくはずがないわ…」

「では、これで僕の役目は終わったという事ですね…」

「シンジ君…?」

怪訝な表情を少年に向けるリツコ。

肌を重ねたあの晩以来、シンジとはほとんど会話らしい会話をしていない。

もともと他人に対して深い干渉を好まない性格だったが、リツコから見ても時折見せる少年の虚無的な表情に、以前以上の危うさを感じていた。

だが、だからといってリツコの方から何某かのリアクションを取る事は出来ないでいた。彼女自身、今の自分の感情に整理がつかない状況なのだから。

そんな自分の不器用さに嫌気をさしながらも、努めて事務的な事を話していった。

「…早急の問題は次の使徒の事ね。一応準備はしてあるけど……」

次の戦闘に備えて、リツコはポジトロンライフルと電磁シールドを施した楯を既に用意していた。

無論そこはリツコの事、ただの準備で終わる筈がない。

ポジトロンライフルは試作機をスタンドアローン型に改良し、陽電子の貯蔵ユニットを外装式のマガジンにする事で取り回し性と連続発射を可能にした。対光波防御兵器にしてもSSTOの急造仕様から専用シールドを建造し、防御力も14%向上してある。

肝心の陽電子の方は、F-21エリアの第8環状線を利用した高周波加速空洞の完成には至っていなかったが、それでも従来通りジオフロントの球型空洞を加速器のレールに仕立てており、ポジトロンライフル運用直前に生成できる手筈になっていた。

これで作戦部長であるミサトにそれとなく敵情報を与えれば、彼女の事だ、前回同様『ヤシマ作戦』を立案する事など容易だろう。

何も問題は無い。その筈だった。

でも…と、彼女の心は告げる。

言いようの無い不安が頭から離れないのだ。

何か取り返しのつかない過ちを犯している。だが、それが何だかわからない………そんなもどかしさ。

「…前回どおりに今回も成功するとは限らない」

「それは、そうね…」

シンジの発した言葉に、リツコは戸惑いながらも頷いた。

「そして何より、世界は僕達を排除しようとしているのかもしれない」

「シンジ君…あなた……ッ?」

リツコが驚きの声を上げる。

澱みなく流れる歴史の流れにおいて、自分達はその中に投じられた異分子でしかないのでは…。

世界にしてみれば、それは”悪”でしかないのかもしれない…。

どんな人間も時代の子である運命からは逃れる事は出来ないのかもしれない…。

それは彼女自身が前々から考えていたことだ。

「何が善か?何が悪か?…僕の成す行為にどのような意味があるのか?またそれを看過する事がいかなる結果を生み出すのか?それは僕にもわかりません。いや、そもそもこの世界に単純な善悪など存在しないのかもしれない。でも……」

少年は自らの拳を握り締めた。

定められた運命…そんな絶望した世界のどこに未来がある?

人と人との心を一体化させたところで何も起こり得ない。

終焉による新生…そんなものは進化ではないのだ。

「僕の生き方は僕が決める。誰に云われたからではない。貴女に云われたからでもない。ヒトを捨ててでも…成さねばならぬ事があるから……」

「シンジ君…」

「僕のする事が間違っているというのなら、誰かがそれを止めに来るでしょう……。それともリツコさん、貴女が止めますか…?

ゾッ、とするほどの無機質な眸を受け、リツコは何もこたえる事が出来なかった。

 

 

 

様々な人の思惑が縺れ合い、運命は廻り始めていく…。

しかし、それが事態を最悪の方向へと導いていくのだが、現時点でそれを知る者はいなかった。




To be continued...

(2007.12.08 初版)
(2007.12.15 改訂一版)


(あとがき)

こんにちは、ミツです。
何とか年内中に38話を仕上げる事が出来ました。
最近は忙しくて中々小説を書く時間をとることが難しくなってきました。まとまった休みがほしいなぁ…。
まあグチを言っても仕方ありません。次回も頑張りますので応援よろしくです。
ではでは。

作者(ミツ様)へのご意見、ご感想は、メール または 感想掲示板 まで