何故このような事態に陥ったのか…?戦いの中、シンジは努めて考えない事にした。

焦りや迷いは、思考や反応を鈍らせる。彼はそれを長く苦しい実戦経験を通して、肌で理解している。

今は目前の敵を倒す。ただ、それだけだ。

使徒の放つ光線を跳んで躱した初号機は、そのまま渾身の力を込めてプログナイフを振り下ろす。刃が一気に肩口から腰までを切り下げた。

一刀両断される使徒の身体。しかし、真っ二つに砕いた外皮からシンジは見た。二つの光り輝く光球を。

「何ッ!?」

シンジが驚きの声を上げると同時に、切断された断面が泡立ち、そこから脱皮するように身体を突き破って新たな肉体が出現した。

髑髏の仮面がこちらを滑つける。”二対の敵”から放出される凄まじい殺気に、シンジは悪寒を覚えた。

息をつく暇もなく発せられた閃光が初号機に襲い掛かってきた。眩い光条から身を躱し反撃に転じようとするが、もう一対の分身が触手でプログナイフを叩き落した。

シンジの注意が一瞬逸れた…、その瞬間である。

振り向いたモニターの先に、使徒の伽藍な眼窩が大映しになる。

(…拙い!)

シンジは機体を後退させる。だが、相手の攻撃のスピードが一瞬勝っていた。

迫り来る凶器の刃が胸部装甲を破壊し、コアもろ共一気に貫く。

凄まじい衝撃。エントリープラグのLCLが沸騰したように泡立ち、罅が疾った内壁が轟音と共にコックピットを押し潰す。

自らが圧壊する瞬間、咄嗟にA.T.フィールドを展開させようとしたが、光の障壁が全身を包む間もなく、意識は暗闇の底に呑み込まれた。







贖罪の刻印

第四十一話

presented by ミツ様







  NERV本部・発令所

 

黒煙吹き荒れる空。焼き尽くされた大地に浮かぶ禍々しく巨大なシルエット。

発令所のモニターが回復したのは、使徒の触手が初号機の胸部装甲を貫いて背中へ突き抜けた後だった。

リツコは何か冷たいものが胸の中に差し込んできたように感じられた。身体がどこまでも落ちていくような失墜感を覚える。殆ど立っていることも難しい。

まさかこんな事になろうとは思いもしなかった。あのシンジが…!?初号機が…!?

しかし。現実はリツコの予想も希望も裏切り、まさに最悪の結末を導き出そうとしてる。

使徒は、串刺しにした初号機をまるで獲物のように頭上に掲げ、さらに光線を掃射する。

至近距離からの攻撃に、全身をズタズタにされた初号機は爆炎と共に崩れ落ちた。

「…な、何てことだ。あれじゃ…、中のパイロットは……」

青葉の呻きを、しかしリツコは耳に入っていなかった。

(そんな…、そんな馬鹿な……)

リツコの思考は、ずっとそんな埒も無い事を繰り返している。

この悪意ある現実には何か大いなるものの意思が働いている…そんな気さえしてくる。自分達は芝居を演じる役者のように、操られ動いているのではないか…?そもそも人間には。自由意志など無いのではないか…?

現実的なリツコには極めて珍しく、ともすれば形而上学的な思いに思考を避難させようとしている。それほど打ちひしがれ、ショックを受けていた。

だが、動揺を隠せないのは何もリツコばかりではない。

上層部の二人もまた、リツコ同様…いや、それ以上に衝撃を受けていた。

「…碇、これでは……」

「…………」

冬月の震える声に、ゲンドウは沈黙をもってこたえた。しかし、その指先は固く握り締められ、小刻みに震えている。

動揺していないと云えば嘘になる。いや、だれよりも叫びだしたいのは自分だ。この十数年間の努力が無に帰そうとしているのだから。だが、ゲンドウは狂いだしたくなる感情を押し殺して零号機のレイに通信を送った。

「…レイ、戦闘を継続せよ」

無謀ともいえるその命令に、リツコは慌てて司令席を振り返る。

「無理です!零号機も戦える状態ではッ!」

「構わん…初号機の回収が最優先だ」

謹厳な声に圧されるように、リツコは押し黙る。

コアがあそこまで破壊されてしまっては、その中に閉じ込められた魂(現在はユイの魂は無いが)がどのような状態になるか…、誰にでも解る理屈ではある。

だが、それでも男は諦めない。諦める事を知らない。

リツコはゲンドウの持つ執念というものを改めて垣間見たような気がした。

命令を受けたレイは、傷ついた零号機を立ち上げ射撃モードに入った。

しかし、ポジトロンライフル自体の損傷は軽微だったが、運悪く管制機器の一部が壊れてしまい、MAGIからのデータが送られてこない。もとより観測データを前提とした兵器である為、これでは磁場偏差が解らずなかなか照準が定まらないでいた。

「…直接照準に変更、撃ちますッ!」

それでもレイは乱れた照準の中、スコープに敵影を捉え引鉄を引く。

ポジトロンライフルに蓄えられた膨大なエネルギーは、次の瞬間、一気に解放された。

分裂した為に防御能力が弱まったのか、零号機の攻撃は片割れの使徒の右肩を吹き飛ばした。だが、驚くべき事に今度はその肩口に残りの使徒が触れると、見る見るうちに元の一体に結合してきく。

ライフルを構えたまま、レイは唖然とした表情を浮かべた。そのあまりの非常識な出来事に、発令所の面々も声も出ないでいる。

「…駄目だわ。使徒は傷を負うたびに分離・合体の肉体再構成を繰り返す事で損傷を無くしている。コアへの同時過重攻撃でなければ、あの敵は倒せない……」

文章を棒読みにでもしたような、生気の感じられないリツコの呟きに、傍らでオペレートをしていたマヤは怪訝な表情を浮かべた。

リツコの優秀さは誰よりも自分が一番理解している。しかし、何故、分析もせずに今見たばかりの敵の能力をこれほど正確に把握出来るのか…?

だが、そんな疑問を差し挟む余地もなく、再び一体に結合した使徒は、今度は零号機に襲い掛かった。

最強の使徒を相手に、手負いの零号機では相手にもならない。たちまちのうちに掴まれ破壊の餌食にあう。

絶望に彩られる発令所。だが、それでも司令官のゲンドウは命令を下した。

「迎撃準備。持てる戦力の全てを投入して、目標を殲滅せよ!」

兵装ビルが稼動し、VTOL機が編成を組み一斉に攻撃を開始する。おびただしい数のミサイルが火を噴き炸裂し爆発した。炎と黒煙が幾筋も上がるが、所詮は蟷螂の斧。使徒の反撃を受け一瞬にして瓦礫の塊へと転じてしまった。

再び強烈な光が地上を薙いだ。閃光は瞬時のうちに赤黒い炎に変わり、それが見る間に膨れ上がると、爆発音を響かせ周囲の建物が木っ端微塵に吹き飛ぶ。

第三新東京市の街並みが紅蓮に包まれ、そこかしこに炎が噴き上げられ暗い空をあかあかと染め上げていった。

『力』を司る天の御遣い。その攻撃力はまさに容赦ない。あらゆるものを薙ぎ払い、粉砕し、蹂躙し、滅殺する。

「駄目です…。使徒の侵攻、食い止められません……」

青葉がかすれた声で呟いた。この超上の化け物の行く手を阻めるものなど存在しない。

深い絶望の中、誰もが迫り来る己の運命を悟った。

 

 

 

 

 

その時である…。

 

 

 

 

 

一瞬、激しい戦闘のさなか、海が凪ぐような空白が訪れた。

風が止み、音が途絶え、草木も何かに萎縮するように静まり返る。

しかしそれも一瞬のこと、徐々に大気が鳴動を始めた。空気も帯電するようにピリピリと圧力を増す。喩えるなら、それは暴風雨の前兆に似ていた。

「な、何が起こっているの…ッ!?」

ジオフロントの本部にいながらも、リツコは頭髪が逆立ち、肌が痛いほどひりつくのを感じる。それはこの場の全員が実感しているのだろう。皆、不安な面持ちでお互いを見回していた。

何かが起ころうとしている…。それが何かはわからない。しかし、大気に凄まじいエネルギーが漲って、今にも爆発しそうなのだ。

突如、地上から一条の光が天空を貫く。

皆がその光に目を奪われた瞬間、大地の震えと共に地鳴りのような慄きが聞こえてきた。

それはまるで、はるか地の底から響いてくる獣の呻き声のようだ。決して這い上がれぬ地獄から、途切れる事なく怨嗟の声が上がっている。

雨雲のように重く垂れ込める黒雲から雷鳴が轟きだし、突然、目の前の空間が爆発したように雷光が落ちた。

その蒼い閃光の中、くっきりと何かの陰が刻み付けられた。

「エ、エヴァ……」

誰かが、うわ言のようにそう呟いた。

異様な圧迫感に包まれる中、皆は見たのだ。燃え上がる炎の中心に顕現する紫の鬼神の姿を。

暗黒の空を駆け巡る稲妻に映えるその姿はまるで、黙示録の終末に雷鳴を伴って現れるという獣を連想させた。

「しょ、初号機…再起動!?そんな…、信じられない!」

「エネルギー急上昇!?…いえ、違います!次元測定値が反転!マイナスを示しています。計測不能、数値化出来ません!」

「ま、まさか…ッ!?」

青葉やマヤからの報告に驚きを隠せないリツコ。震えるその唇から、力ない声が漏れた。

初号機のダメージは深刻だ。いや、この状態では稼動する事さえ有り得ないはず。装甲は破壊され、身体は半ばまで吹き飛び、曝け出された内臓はズタズタに破裂し、大量の血を噴出させている。

だが、満身創痍の姿である初号機はどこか超然とした様子で立ち尽くしており、対峙する使徒の眼窩も、まるで何か恐ろしいものでも見るかのように紫の鬼神を見返していた。

「使徒が…怯えているッ?」

リツコが唖然と呟く。突如、初号機が瘧にかかったかのように震えだすと、天空に向かって吼えた。空気を振動して伝わるそれは、心を打ち砕きかねないほどの狂気を孕んでいる。

その咆哮に共鳴するかのように雷鳴が轟き、炎が舞い散り、黒煙が螺旋を巻いて上昇していく。

空が赤く、そして黒ずむ中、震える身体を掻き毟るように両腕を掲げる初号機。見ると、全身から眩い光が溢れ出し、それが一つの形を模っていた。

鮮烈なる光を伴って顕現せしもの…。それは光り輝く片翼の翼だった。翼は灼熱する太陽よりも激しく、圧倒的な存在感を伴って雄雄しく羽ばたいていく。

「こ、これは…ッ!?」

司令席に座っていたゲンドウが低く呻いた。彼の脳裏にはデジャブともよべる光景が甦っている。

「…アンチA.T.フィールド!?拙いぞ、碇。アレを今ここで起こすわけには…ッ!!」

冬月もまた最悪の予測をしてゲンドウに詰め寄るが、今の彼等にはどうする事も出来ない。ただ状況を見守るのみだ。

「ユイ…」

NERV総司令官は、狂おしいほどの激情を込めて小さく呟いた。

モニターでは使徒が初号機に向かって触手を繰り出していた。だが、必殺の刃は無造作に振るわれた翼に触れた瞬間、淡いオレンジのような飛沫を上げて飛散してしまう。

思いがけない現象にたじろぐ使徒。その使徒に紫の鬼神が襲い掛かる。

拳が使徒の顔面に炸裂した。砕け、抉れ、爆ぜる頭部。瞬時に分裂する使徒。だが、その片割れに光の奔流が迸った。片翼の翼から放たれた無数の羽根が片割れの半身を直ちに無に…、いや、原始の海へと還させる。

再び一つに戻ろうとする使徒に、今度は初号機の蹴りが浴びせられた。ふらつく身体を拳で殴り倒し、頭突きで打ち砕く。

「……あれが、エヴァなの?」

VTOL機で向かっていたアスカは、目の前で繰り広げられている凄絶な光景を見て微かに震えてる。傍らに座っていたミサトは回復した通信機をむしり取って本部に繋いだ。

「リツコ!一体、どういう事なのッ!!?何が起こっているのッ!?」

『ミサト!?そこから退避して、早く!!』

「状況を説明して!あの光は……!」

『説明してる暇はないわ!早く逃げなさい!!』

しかし、そう叫ぶリツコの声も、ミサトの耳には届いていない。

「あ、あれは…!?あの光は………、まさか、まさか……ッ!?」

茫然と呟くミサトの眼前で、初号機の翼が天に向かって激しく起立する。

その瞬間、鮮烈を極める膨大な光が世界を押し包んでいった。




To be continued...


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