天使と死神と福音と

第捌章 〔明かされし神実〕
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presented by 睦月様


カチャカチャ

シンジはすばやく六人分の紅茶を入れてテーブルに並べていく。
普段ならこのメンバーが揃っていれば賑やかなものだが今日は口を開くものはいない。

シンジがドアを開けた向こうにいたのはレイ、アスカ、マナ、ムサシ、ケイタの五人・・・
招き入れられたシンジの家のリビングで五人はそれぞれ椅子に座る。
いつもシンジの家で食事をとるため、自然と自分の座っている椅子に座っていた。

「今日はちょっと奮発して紅茶の葉のいいものを使ってみたんだ。」

皆に紅茶入りのカップを配り終わったシンジが自分の椅子に座りながら嬉しそうに言った。
確かにいい香りがリビングに充満している。
セカンドインパクト以降こういう嗜好品は貴重だ。

「さあ、どうぞ」
「「「「「・・・いただきます」」」」」

シンジに促されて皆がカップに口をつける。
確かにシンジが薦めるようにかなりのうまさだが皆シンジのことに気をとられていて味などわからなかった。
それに気がついているシンジは少し残念そうだ。

「そういえばミサトさんは?」
「今日は使徒の後片付けで泊り込み」
「そうなんだ」

そのまましばらくお茶会は続く・・・無言で・・・
口火を切ったのはやはりアスカだった。

「・・・シンジ?」
「なに?」
「あんた・・・何者よ?」

直球ど真ん中で聞いてきた。
とって回った言い回しや論点をぼかしたりしない。
ただ純粋に答えだけを求めている。

「何者っていってもね、碇シンジだよ。」
「嘘よ!!」
「今いきなり人格否定されたのか?」

シンジは笑うが他の皆は真剣だ。
冗談で済ますつもりはないらしい。
それを見てもまだシンジには余裕があった。

「まあ、アスカにだってぼくの知らない部分があるでしょ?それと同じ」
「そんなわけないでしょ!!あたし達は見たのよ!!あんた普通じゃないわ!!!」
「・・・言いたい事はわかるよ」

シンジは苦笑する。
自分でも分かりすぎるほどに分かっていることだ。

ここにいる皆には出来れば知られたくはなかったが・・・

「その上で聞くけれど・・・今日のことは見なかったことにしない?」
「「「「「え?」」」」」

一同から驚きの声が出る。
シンジの顔は真剣だ。
真剣に今日見たものを見なかったことにしろと言っている。

・・・しばらくは誰も口を開かなかった。

「ふざけるなよ?」

その言葉の主を見るとムサシだった。
シンジを睨んでくる。

「・・・俺はお前との付き合いは短いが尊敬していたんだ。あの戦闘だって驚いたが・・・それでもお前が命がけで何かしようとしているのはわかった。そんな”友達”をほうってのうのうとしてろって言うのか!?」
「そ、そうだよシンジくん!!」

ムサシの言葉にケイタが同意した。
こっちもかなり興奮している。

「僕達、護衛だったのに何にも出来なかった。シンジくんがなぜあんな事が出来るかは知らない、でも黙ってみてるなんて出来るわけないじゃないか!!」

シンジはケイタの言葉に天井を見上げて考え込んだ。

・・・・・・さて・・・どうしたものか・・・

「・・・シンジくん?」

名前を呼ばれたシンジが視線を下ろして見ればレイだった。

「わたしは・・・シンジくんを信じている」

その赤い目が真っ直ぐにシンジをとらえて離さない。
彼女の心を代弁しているような真摯さだ。

「わ、わたしも!!」
「フ、フン悔しいけれどあんたには借りもあるしね」

マナが手を挙げて同意し、アスカは真っ赤になってそっぽを向く。

シンジは頭を掻きながら5人を見回した

「最初にいっておくとぼくの知っている事ってのはきっつい話だよ?しかも”こっち側”の話だ。」

シンジの言葉に場の雰囲気が緊張する。
言うまでも無く地下でシンジ達が繰り広げた戦闘の世界の話って事だ。

「もちろんぼくも危険だが、知ったら君らも危険になる。その覚悟があって聞いてるのかな?」

そこには戦闘でしか見たことの無い厳しい表情のシンジがいた。
ここからならまだ引き返せる。
そう無言で語っていた。

「き、聞いて見なくちゃわかんないじゃない!!」
「あのね、アスカ?はっきり言えば関わるなって言っているんだよ。」

アスカが言う事もわからなくは無いが好奇心だけで踏み込んでいい事じゃない。
一歩でも足を踏み入れればその瞬間から死の可能性が付き纏う。
そんな世界だ。

ドン!!

「うるさい!!」

アスカがテーブルをたたいて立ちあがる。
そのままシンジにつめよって襟首をつかんだ。

「あんたはすごいわよ!!ええ、みとめてあげるわ!!!あたしなんかとは違うってね!!!!」
「……アスカ……」

アスカの目は潤んでいた。
泣きながら怒っている。

「でも・・・だからってあたしは守られてばかりは嫌なのよ!!」

その言葉に他の皆もうなずく
皆同じ気持ちのようだ。

(どうするんだい?)
(・・・頃合かもしれません、どっちにしろネルフにかかわっている時点で無関係ではいられませんし、それならいっそ・・・)
(・・・好きにするといい、君が選んだ事なら反対はしない)

シンジはため息をついた。
これ以上のごまかしは彼らの心配ではなく侮辱にしかならない。
年貢の納め時のようだ。

「わかったよ・・・」
「シンジ・・・」

アスカはシンジの襟から手を離した。
シンジは地の底まで沈んでいきそうな深い溜息をつく。

「女の涙って反則だよな・・・」
「な、何言ってんの!!!!」

アスカは両手で自分の顔を覆うが真っ赤になってるのはしっかりわかる。
しかしシンジがにこりとも笑っていないのを見て頭を冷やす。

「何が聞きたい?」
「ぜ、全部よ、あんたの知ってること全部話しちゃいなさい!!」
「ふむ」

シンジは横目でレイを見た。
自分に視線が向けられた事に気づいてきょとんとしている。

(・・・こっちもそろそろけりをつけるべきか・・・)
(そうだね、いいかげん彼女も自由になるべきだ)

シンジはアスカに向き直ってしゃべり始めた。

「教えてもいいけれど一つ条件がある。」
「え?何よ?」
「ぼくの秘密を話す前にネルフの秘密を見てもらいたい。」
「「「「「ネルフの秘密?」」」」」

一同が理解できないといった表情になる。
それも仕方ない、シンジの秘密を聞きに来たのにいきなりネルフの秘密を先に知れとはどういうことだろうか?

「そう、ネルフの秘密」
「どういうことなのシンジくん?」

マナがシンジに質問した。
ここにいる中でシンジ以外はネルフに所属している。
自分たちの所属している組織、しかもシンジの口ぶりからだと機密クラスの秘密だろう。

それを知ると言うことは・・・場合によっては反逆罪で処分される可能性もある。

「ネルフってなんだと思う」
「え?人類を救うために活動している国連直属の組織じゃないの?」
「・・・どうもそれだけじゃない」

シンジがレイを見るときょとんとした視線で見返してくる。
シンジの言う意味がよくわかってないらしい。
じっとシンジを見ていた。

「レイ?」
「な、なに?シンジくん?」
「レイにはひとつだけお願いしたい事があるんだ。」
「お願いしたい事?」

レイが不思議そうに聞いてきた。
シンジは黙ってうなずく。

「そう、お膳立てはぼくがするけれど最終的にはレイがしなくちゃならない事なんだ。」
「・・・なんなの?」
「レイがこれから生きていくうえでとても大事な・・・儀式かな?」
「儀式?」

シンジの瞳は真っ直ぐにシンジからはなれない。
お互いの瞳の中の自分が見える。

「終わった後でならぼくを恨んでくれても構わない、でも一度だけでいいからぼくを信じてくれないか?」

シンジの口調はこれ以上なく真剣なものだった。
ただ事ではない様子に他の皆は口を挟む事も出来ない。

「・・・いいわ」
「本当に?」
「ええ」

レイはシンジに最高の笑顔で答えた。
それだけで答えは十分だろう。

「私がシンジくんを信じないなんて・・・ありえない」

レイの毅然とした宣言にシンジの胸が痛んだ。
おそらくこれからこの少女を傷つける。
自分のエゴでだ。
たとえそれが彼女のためであったとしても・・・

そんな二人をムサシとケイタは不思議な物を見る目で、アスカとマナはなんか面白くない目でじっと見ていた。
シンジが再び一同を見回した。

「皆も考えてほしいんだ。これから教える事はいろんな意味で危険だし信じていたものを失うかもしれない。それでも知りたいのか?」

その言葉に緊張が高まる。
こんな状況で嘘をつく必要もない。

シンジの言っていることは真実だろう。
これから自分たちは危険で自分達の信じていたものを否定されるような真実と向き合わなければならないらしい。

「個人的には引き返したほうがいいよ?
「・・・シンジ?」
「アスカ?」

いきなりアスカの拳が襲ってきた。

ガシッ!!

シンジは黙って殴られた。
殴ったほうのアスカは絶対避けると思っていたので逆に硬直してしまっている。

「な、何で避けないのよ!!」
「いろいろとね、ぼくも殴られるくらいの事はしてるからね・・・」
「え?・・・ああっもう!!」

アスカは癇癪を起こしたように地団太を踏んだ。
何か悔しいらしい。

「とにかく!!あんたは一人で背負い込みすぎなのよ!!」
「・・・かもね」
「かもじゃない!!ああ!!もう!!とっととあんたの知ってる事教えなさいよ!!」
「・・・いいの?」

シンジの質問にアスカが胸を張る。
いつもどおりの仁王立ちだ。

「そんな覚悟がないんだったらここにはこないわよ!!」

その一言に皆がうなずいた。
シンジはそれを見ると黙って席を立った。
自分の部屋に戻るとスポーツバックを引っ張り出してきて肩にかける。

「じゃあ行こうか?」
「そのバック・・・」

シンジのバックを見たマナが気づいた。
いつもシンジが持ち歩いているバック・・・そして・・・

「あの黒いマントが入っているのよね?」
「・・・取り出すところから見られてたんだ?」
「ええ、あのマントはなんなの?」
「それには今のところ答えられないね、ネルフの秘密を知った後でなら教えて上げられるけれど」
「何でなの?」

マナの質問にシンジは苦笑で答えた。

「多分信じられないから、ぼく個人の秘密でもあるし」
「気になるわね・・・」

シンジが笑いながら玄関に向かったので皆その後に続いた。
扉を開けた先に人影を見てシンジが思わず身構える。

「そんな構えなくてもいいだろうシンジ?」
「え?あ、凪さん」

そこにいたのは黒いつなぎに身を包んだ凪だった。

「何してるんですか?こんな時間に?」

あたりは真っ暗なのにシンジの家の玄関に突っ立っていればそれは聞くだろう?
凪が苦笑する。

「なに、御一緒しようと思ってな、それに未成年の外出には保護者の引率が必要じゃないか?」
「そりゃ〜そうですが、いいんですか?」
「もちろん、例の物は俺も一度見ておきたかったからな」
「そうですか、でも実際助かりますよほんと、この人数でどうしようかと思ってましたから」

シンジと凪のやりとりに全員が呆然とする。
あまりにも自然な会話だ。
最初に正気に戻って復活したのはムサシだ。

「な、なんで霧間先生がここに!?まさか先生もなんですか!!」
「ん?」

凪がムサシとそのほかの皆を見回した。
見返す視線はすべて困惑の瞳

「まあ、そんなとこだ。俺もシンジの言う“こっち側“に入ってるんだろうな、”あいつ”やシンジのような理不尽な事は出来んが似たようなもんさ」
「あいつ?」

あっけらかんと言い切る凪に一同の思考が止まる。
まさかシンジだけじゃなく凪まで自分たちの常識の外にいたとは・・・

「ん?何してるんだ?時間はないんだ、シンデレラの魔法が解ける前にさっさと行こう。」
「シンデレラの魔法?まあ、行って見ればわかりますよね」

シンジと凪は並んで歩き出した。
その後ろで予想外の秘密の暴露に皆が固まっていた。

自分たちの知らないところでシンジ達は遥か先に進んでいたらしい。

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「どうですか?」
「ああ、さすがに停電の後で警備システムは完全じゃないな、しかも使徒の後始末とあわせて混乱している。忍び込むにはうってつけだ。」
「これがシンデレラの魔法ですか?」
「ああ、時間制限があるとこなんてしゃれてるだろう?」
「・・・急いでくださいよ?」

シンジはノートパソコンでハックをしている凪の横からモニターをのぞきこんだ。
よく分からないが何かのプログラムが走っているらしい。
おそらく目くらましのプログラムだ。

「しっかしこんな技術どこから?」
「まあ、いろいろとな、伊達に年食っちゃいないよ。しかしやはりネルフは前身が研究施設だな、まだまだ甘い」

凪とシンジの背中をほかの皆は無言で見ていた。
手出しできる状況ではない。

今いる場所はドグマの近く、ここまでシンジと凪の先導で誰にも気づかれずに来ていた。

「…よっし、これでいいだろう、2時間ぐらいだが監視カメラにはダミーのデータが流れるようにした」
「ご苦労様です」
「しかしいいのか?後1時間くらいはどうにかなりそうだぞ?」
「いえ、おそらく監視カメラが必要になるでしょう」
「?…わかった」

シンジは背後にいた皆に向き直った。

「ここからは本当に危険だ。詳しいことを言えないのは悪いがここで決断してほしい。覚悟もなくこの先に踏み込むのは無理だ」

シンジの最後通告に皆の顔がこわばる。
予想以上にネルフの秘密とは大きな物らしい。

そんな中で一歩前に出たのは…レイだった。

「…覚悟なんて要らない、私はシンジくんを信じている…」

レイの毅然とした言葉にほかの皆も頷いた。
シンジは無言で頷く。

シンジと凪を先頭に全員で深いネルフの闇に降りていった。
まるでそれは地獄の穴のように・・・

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「…なんなのよこれ」

ドグマ最深部に来た少年達と少女達の見たものは自分たちの予想を遥かに超える存在だった。

赤い湖とその中心に突き立つ十字架にはりつけられている白い巨人……
しかもこの巨大な空間に充満する血のにおいに思考力も働かない。

シンジは横目でレイを見た。
他の皆のように驚いてはいないが別の意味でふるえている。

「シンジ!!なんなのこれは!!」

アスカがシンジに詰め寄る。
対するシンジは平然としていた。

「これがLCLプラントだよ」
「え、LCL…」

言われてみればこの血のにおいは自分たちには慣れ親しんだ匂いだ。
この場所でLCLが作られていると言うことなのだろう。

「プラントって言ってもあれの垂れ流す体液なんだけれどね」

そう言ってシンジは十字架の巨人を指差す。
十字架に沿って下半身の無い巨人から赤い体液が流れ出している。

「う!!」

アスカが口元に手を当ててうずくまった。
吐き気が来たらしい…顔が真っ青だ。
無理もないだろう、毎日のようにこれを飲み込んで肺に入れていたんだから・・・

「アスカ!!」

マナがアスカにかけよって背中をさすってやる。
自分も真っ青な顔だが気丈にも取り乱さない。
アスカを気遣う事で心の平静を保っているのかもしれないが

「シ、シンジ?」

ムサシがシンジに話しかけた。
しかしその足は震えている。

「……これがお前のいってた秘密か?」
「そうだよ、まだ序の口だがね、だから知らないほうがいいって言ったんだ。」

シンジの言葉に全員の顔がさらに青くなる。
その言葉の意味はシンジと凪はこれ以上の秘密を知っているということだ。

「どうする?こっから先はもっとつらいかもよ?」

その言葉に皆引いてしまった。
これ以上の事など想像も出来ないのだろう。

「……ふざけんじゃないわよ」

見るとアスカがふらつきながら立ちあがっている。
なかなかの精神力だ

「これはあんただけの話じゃないわ!!アンタのものさしで勝手にあたしの事を判断してもらいたくないのよ!!」
「アスカ?」
「…教えなさいアンタのすべてを、見なかったことにするなんて選択、惣流・アスカ・ラングレーにはないわ!!」

アスカは真っ直ぐに立ってシンジを睨みつける。
その姿は凛々しい戦乙女のものだ。

その後姿は見るものすべてに勇気と言う武器を与え、一歩を踏み出すきっかけとなるもの…

マナ達はその姿に後押しされアスカに続いて立ちあがる。
たとえその足が震えていようと揺るぎ無い意思のもとに・・・

シンジと凪はそんな光景に目を細める。

「じゃあ続けようか、使徒ってどんなものだと思う?」
「「「「「え?」」」」」

予想外の言葉に皆意表をつかれた。
マナが代表で自分の知ってることを話し始める。

「人類の敵でドグマにあるアダムと接触しようと…ってあれがアダムなの?」

マナは驚いて巨人を指差す。
それを見たシンジは首を振った。

「その話は半分くらい嘘だよ。とりあえずあれはアダムじゃないしね」
「「「「な!!」」」」

アスカ、マナ、ムサシ、ケイタが驚きの声を出す。
……レイは声も出せないほどに真っ青だ。

「あれは多分二番目の使徒だよ、アダムじゃない。それにね最初使徒はアダムじゃなくってあれを目標にここにきていたみたいだ。」
「そんな、じゃあアダムはどこなのよ!!」

シンジはレイが息を飲むのを感じた。
アスカがたまらずシンジに詰め寄る。

「今はここにあるよ、でもアスカがここにくるまではなかったんだ」
「どういうことよ!!」
「つまりアスカと弐号機を送ってきた太平洋艦隊はアダムを乗せていたんだ。つまりあの人たちはアダムの護衛だったんだよ。」
「そんな…」
「ついでに弐号機もね、あの時ぼくとミサトさんがあそこにいたのも使徒が来るのを予想しての保険だよ」

アスカはシンジの話しを聞くとうつむいた。
自分の中のプライドが崩れたのだろう。
マナが慰めようと近づく前にアスカからくぐもった笑い声が漏れる。

「くくくっバカにされたモンね…シンジ、アンタもそれを知ってて笑ってたんでしょ?」

シンジが無言でアスカの顔を持ち上げると青い瞳に涙があった。

「…言い訳になるけれどあの時アスカに話したらアスカが危険だった」
「…今はいいっての?」
「君を信頼しているから…」
「…信頼はしてくれてるんだ…」

アスカはシンジを突き飛ばして後ろを向く
目元をぬぐっているらしい。

そのまましばらくして振りかえったアスカはいつもの彼女だった。

「よっし!ふっか〜つ!!さあ!!!きりきり話してもらいましょうか!!!!」

アスカは勤めて元気よくふるまう。
痛々しくもあるその姿にシンジは問いかける。

「いいのか?」
「くどい!!」
「そっか…」

シンジはアスカの頭をなでてやった。

「…バカにしないでよ」
「いいじゃないか」

アスカは抵抗しなかった。
シンジのなすがままだ。

シンジはしばらくそうした後、話し始めた

「さらに言うとあれは初号機と零号機の元だ」
「元?」
「そう、エヴァは使徒の細胞を原材料にして作られている」
「「「「な!!」」」」
「弐号機はアダムの細胞だけれどね」

全員が驚愕の叫びを上げる。
人類を守るための最終兵器が使徒と同じものだとは予想もしなかったらしい。

「……」

ただ一人、レイだけは黙ってシンジを見ていた。
もはやシンジが何を知っていても驚く事は無い。
……シンジなのだから……
シンジはすごい
そんなことはとっくにわかっていた事だ。
しかしそれが完全に自分の予想の上をいっただけのこと
だとしたらシンジが必要と言った“覚悟”とは……

「レイ?」
「え?シ、シンジくん?な、なに?」

いきなり自分の名前を呼ばれて考え事をしていたレイは少し慌てた

「そろそろレイに選んでほしいんだ…」
「え?選ぶ?」
「そう、君が君であるかどうかの…選択…」

シンジは悲しそうな顔でレイを見た。
それを見たレイの胸が痛む
シンジのこの顔は間違い無く自分のせいだろう。
理由も意味もわからない。
でもわかる。
この少年がこんな顔をするのはいつだって周りの人のためなのだ。

他の四人はシンジの雰囲気に口を挟めない。
凪はもとから何もしゃべってなかった。
この件に関してはシンジに一任しているらしい。
大人が子供たちの中に入っていくのはこじれると思っているのもあるが何より子供たちを信じていた。

(大人ってのもつまらんものだな)

凪は心の中で苦笑した。

レイはしばらく迷った後…シンジの目をその赤い目で真っ直ぐに見返した。

「わたしは……シンジくんを信じている……」
「……うん」
「だから……」

その赤い瞳は揺るがない
シンジが何を自分に求めているかはよくわからない。
でもそれに答えたい。
だから答えは決まっていた。

「シンジくん…私の覚悟は出来てるわ…」

レイの答えにシンジは返せる言葉を一つしか持たなかった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・わかった。」

……少女に選択のときが迫る。

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「ふう…」

リツコは重いため息をついた。
彼女がいるのはドグマにある一室、人工進化研究室と呼ばれる場所…

そこは部屋の中央に奇妙なパイプで構成された脳のようなものが天井から下がりその下に一人用と思われる円筒形のガラスの水槽…
周囲はぐるりと水槽になっているが今はシャッターがしまっている。
今の彼女にその中味を直視する勇気は無い。

彼女は中央の水槽の前でキーボードを操作していた。

「…なんでこんなことしてるのかしら…」

リツコはボソリと呟く。
この研究は彼女の本位ではない。
かっては自発的にやっていた事だが今となっては苦痛でしかない。
それならやめればいいと思うかもしれないが…もはや遅かった。

「…先輩…」

リツコが振り向くとそこには自分の後輩である伊吹マヤがいた。

「…私、先輩の事は尊敬してますし…憧れです…でも納得は出来ません。」
「マヤ…」

リツコがこの研究をやめれない理由…それが彼女だった。

リツコは自分だけなら問題無いのだ。
今までやってきた事を思うなら研究を止めた時点で機密保持のために“処理”されてもおかしくない。
それはいい…いろいろと心残りはあるが(もっぱらシンジの秘密とか)仕方ないとも思う。
しかし、“その後”はどうだろう?

……考えるまでも無い
ゲンドウは間違い無くマヤに研究を続けさせる。
今現在ネルフにリツコの後釜が出来るとしたら目の前の後輩以外に誰がいるだろうか…
そうなったら彼女の人生はめちゃくちゃ…しかも彼女はその重圧に耐えられない……残るは自分と同じように“処理”される道しかない。

「マヤ…潔癖症は生きてく上でつらいわよ」
「……」

マヤは何も答えなかった。

言葉を濁したリツコも顔をしかめる。
彼女を巻き込んだのは自分なのだ。
言えた義理じゃない……

リツコはため息と共に目の前の空の水槽を見る。
そこには数ヶ月前までとある少女がたびたび入って研究に協力していた。
しかし彼女はもうそこにはいる事は無いだろう。

「…碇シンジか…」

今現在も彼女の傍らで彼女を守りつづける“最強”の存在…
自分の心は彼の秘密にとらわれてどれほどになるだろう?

やけを起こしてしまわないのは彼の抱える秘密が今の彼女をつなぎとめる鎖の一つになっているからだ。

「そして綾波レイ…」

リツコはキーボードを操作してレイの個人情報を呼び出した。
この前行われた健康診断の結果だ。

ここにはゲンドウにも報告してない“秘密”がある。
考えてみれば当然なのだ。
レイがこの部屋にこなくなってしばらく経つ。
彼女はその特殊な生い立ちから体の細胞が不安定なのだ。
この部屋はそんな彼女の体を調整する意味もあった。
…しかし

「ふう…とかくこの世界は不思議だらけって事ね…」

おそらくゲンドウもそのあたりを計算しているはずだ。
体細胞が不安定なレイの命を握っている以上、レイは究極のところでゲンドウに逆らえない。
そろそろレイが泣きついてくると思ってるんだろうが…

「…このままでは無理でしょうね」

そう呟いたリツコは仕事に戻った。
気が重い……

いっそのことこの施設を破壊してしまえば問題は解決しそうなもんだがそんな事をすれば問答無用で処理されるだろう。
……八方塞だ。

「…どうしたらいいのかしらね…」
「そんなに嫌ならやめればいいんじゃないかい?」

リツコは慌ててマヤを見る。
彼女も驚いた顔で自分を見ている。
二人とも相手を見て驚いているということはさっきの声が二人のものではなかったということだ。

二人はあわててこの部屋の出入り口を見る。
そこに立っていた者を見た瞬間……2人は死を覚悟した。

それは影が形を持って立ちあがったような奇妙な筒型のシルエット…
身長は小柄で中学生くらいだろう。
同じような筒型の帽子を目深にかぶっていてその白い顔の半分と黒い唇しか見えない。

「簡単な事だ。君がその手を止めればいい」

その怪人物は静かに自動的な口調で話す。
男か女かわからない声だ。

だがその存在をよく表している。
聞くまでも無い…目の前のこいつは“死神”だ。
自分たちがどんな抵抗をしてもこの存在のリストに載ってしまえば後は死ぬしかない…そんな存在…その死神が突然動いた。

「マヤ!!」

一瞬でマヤに肉薄して右手を突き出す。
マヤの体が一瞬浮き上がって崩れ落ちる。
その体を黒いマントから伸びた腕が抱きとめた。

「マヤ!!」
「心配しなくていい、彼女には気を失ってもらっただけだよ」

リツコの叫びに何でも無いように答えてゆっくりとその体を地面に寝かせる。

「あ、あなたは…」
「ブギーポップだよ。赤木博士」

目の前の怪人物が名乗った名前にリツコは聞き覚えがあった。

その名前を言ったのは誰だったか…目前の人物の雰囲気と理解不能な状況に思考が廻らない。
だから一つずつ思い出す。

(た、確かシンジくんが何か言っていたような…)

そこからは芋ズル式に記憶が戻ってくる。
それは都市伝説…
黒いマントと帽子をかぶっている…
男か女かわからない…
神出鬼没…
そして…

「その人間が一番美しい時にそれ以上醜くなる前に殺す…死神」
「そう言われているね」
「本当にいたなんて…」

リツコの目にブギーポップの口の片端がつりあがるのが見えた。

「な、なぜここに?」

必死で声を絞り出したリツコにブギーポップが答えた。

「ここを使い物にならなくするためだよ」
「な!!」
「特にこの大きな水槽の中のものをね」

予想を遥かに上回る答えにリツコが硬直する。
震える声で必死に言葉をつむいだ。

「な、なんで?」
「簡単に言うと邪魔なんだ、これがあると後々ね」
「あ、あなたはこれが何なのか知ってるの?」
「もちろんだよネルフもえらく非人道的な事をするもんだね?…いや、むしろ…ネルフだからかな?」
「そ、それは…」

リツコはなんとなくデジャブーを感じていた。
こんなやり取りを誰かとしたような覚えがあるが思い出せない。

「条件があるわ・・」
「君に条件を出す自由が残っていると思っているのかい?」
「…そうね」

リツコは振るえる手で白衣のポケットからリモコンを取り出した。
ブギーポップに向けて突き出す。

「あなたがこの水槽の中のものが目的ならこのリモコンを渡すわ」
「なんだいそれは?」
「水槽の調整用のリモコン、これを操作すれば水槽の循環が止まる。“水槽の中のもの”はほとんど間をおかずに分解されるでしょうね…」
「ほう…」

ブギーポップが関心を示したのを見たリツコは意を決して最後の交渉に入る。
ここからが正念場だ。

「これを使えば楽にあなたの目的を遂げられる。そのかわり“おねがい”があるの…」
「なにかな?」
「そこに寝ているマヤは見逃してくれないかしら?」
「この人を?」

ブギーポップの顔が一度床に倒れているマヤに向いてリツコに戻った。

「ええ」
「君はどうする?」
「…私は今更許されようとは思わないわ、死神がじきじきに刈り取ってくれるって言うなら科学者として興味があるわね」

これでリツコは自分の持っているカードを使い切った。

それにここを破壊するのが目的なら自分たちの命は眼中にないかもしれない。
後は自分とマヤの命を乗せた天秤がこっちに傾くのを祈るしかないだろう。
最悪でもマヤだけはここを生きて出さなければ申し訳が立たない。

「まあ、君たちをどうこうする事は目的じゃないし」

リツコは心の中で喝采した。
自分は賭けに勝ったのだ。

しかしまだ油断は出来ない。

「ありがたいわね」
「いや、しかし意外だったな、少しは執着や抵抗をすると思っていたんだがね?」
「こっちにもいろいろとあるのよ。あなたがこれを破壊すると言うなら私達の方にもメリットがあるの」
「そうかい」

ブギーポップがリツコに近づく
一瞬逃げるかどうか迷ったがリツコはそのまま不動を貫いた。
逃げて逃げられる存在じゃない。

「ついでに君にも眠ってもらおう、気絶させられて抵抗できなかったと言えばいいわけには十分だろう?」
「あら?やさしいのね?」

リツコが目の前の死神の手にリモコンを落とすのと同時に鳩尾に衝撃が来る。

急速に意識を刈り取られる一瞬にリツコはよく知る少年の声と顔を見た気がした。

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帽子をずらして顔を出したシンジがリツコが気絶した事を確認する。

「…おわったよ」

シンジが背後に呼びかけると通路の暗闇から人影が現れた。
レイだ……いつも白い肌がさらに血の気をうしなって蒼白になっている。

「シンジくん…」

体中が震えてている。
無理も無い、ここは彼女が最も来たくなかった場所

「なんなのここ?」

レイの後ろからアスカが現れた。
アスカを先頭に他の皆も部屋に入ってくる。

「あっ!リツコ!?シンジ、アンタ何したのよ!!」
「何もしてないさ、邪魔だから寝ててもらってるんだよ」
「邪魔って…マヤもいるじゃない…」
「一応関係者だからね…」

シンジはリツコから受け取ったリモコンをレイに手渡す。

「シンジくん…」
「レイ、選択のときだ」

2人のただならぬ空気に周りの皆は入りこめない。
何が起こっているのかわからないがかなり重要なことのようだ。

「シンジ?ここが例の場所なのか?」
「はい」
「そうか…わかった。」

ここにいる者達の中でシンジとレイ以外にこの部屋の真実を知る凪がうなずいた。
凪はアスカ達を促して退席しようとする。

「え?凪先生なんでですか?」
「いいから、ここからは綾波の問題だ。」
「で、でも・・・」

それを見たシンジが後を追うために歩き出す。

「・・・待って」

レイがうつむいたまま呟いた。
その声に全員が振り向く。

「シンジくん・・・」
「・・・なに?」
「知ってたの?私の事?」
「うん・・・」
「・・・いつから?」
「ここに来る直前にそういった存在がいることは教えてもらっていた。それがレイだってわかったのはケージで初めて会った時、これも教えてもらったんだけどね・・・」

顔を上げてシンジを見た赤い瞳からしずくがこぼれる。
ぼろぼろとこぼれる雫は宝石のように周囲の光を反射しながらレイの頬を伝う。

「・・・じゃあ全部知ってて・・・」
「・・・うん・・・」
「どうして教えてくれなかったの?」
「レイに強くなってほしかった、こんなのは言い訳だってわかってる。でも約束したから・・・」
「約束?」
「そう覚えてるかな?君を守るって言った約束?」

忘れるわけがない。
大事なシンジとの絆なのだから・・・

「結局ぼくにはこうするしかなかった。それが君を傷つけることだとしても・・・」

レイはそれは違うと思う。
シンジは今まで何度も自分を守ってきた。
使徒との戦いでもそれ以外でもシンジのやさしさは感じていた。
だからこそシンジを信じているのだ。
今まで彼ほど自分のことを思ってくれた人はいなかった。
ゲンドウたちは優しかったがそれは意味が違うやさしさだったと今ならわかる。

レイは言葉の変わりに行動した。

「え?レイ?」

シンジはいきなり胸の中に飛び込んできたレイに驚いた。
そのまましがみついて離れない。

「シンジくん?」
「なに?」
「ありがとう」
「・・・うん」

シンジもやさしくレイを抱きしめてやる。
それを見ていた皆は暖かいものを感じていた。
もはや意味も理由も必要はない。
ただ今日この場で一人の少女が呪縛から解き放たれようとしている。
その事実だけで十分だ。

「シンジ?」
「はい?」

凪がシンジに声をかけた。

「お前は綾波についていてやれ」
「・・・・・・はい」

凪は振り返って再び皆と一緒に部屋を出ようとする。

「ちょっと待ってください」

レイが凪を呼び止めた。

「?・・・綾波、どうした?」
「霧間先生も・・・知ってるんですか?」
「・・・・・・ああ・・・」

凪が沈痛な表情になる。
出来れば追求してほしくなかった。

「シンジに聞いていた。すまない・・・」
「いえ、それよりお願いがあります。」
「・・・・・・なんだ?」
「一緒にいてくれませんか?」

その言葉に凪が目をむく
予想外の言葉だ。

「綾波、それは・・・」
「ダメですか?」
「しかし・・・綾波、たとえ家族にでも秘密はあるものだ。それにこの事は決してお前の中で小さい事じゃない。無理に全員に知ってもらう必要なんてないんだぞ?」

凪の言葉を聞いたレイが微笑む。とてもはかない微笑だった。
しかしその笑みには決意の色がある。

「大丈夫です。」
「だが・・・」
「いいんです。シンジくんと先生は私のありのままを知って拒絶しなかった。」
「綾波・・・」

凪は思わずレイに駆け寄って抱きしめる。
強く・・・優しく・・・レイという存在を確かめるように・・・

「大丈夫だ、俺とシンジは何があろうとお前を拒絶したりしない。俺達を信じろ・・・」
「・・・はい」

レイは凪に抱きついた手を強く握った。
このぬくもりを離さないように・・・

しばらく経ってレイは凪から離れる。

「もういいのか?」
「はい」

レイはシンジと凪に背を向けリモコンを見る。
恐れる事など無い
自分を支えてくれる人たちの視線を感じる。
思い出されるのはシンジと病室であったときの事・・・
あの時自分はシンジに自分の真実を受け入れてほしいと願った。
しかしその夢はすでにあの時かなっていたのだ。
なんという喜びだろう。
自分を真に理解してくれる人がいる。
自分を支えてくれる人たちがいる

今の自分に恐れるものなどない。
自分を信じてくれるものたちの期待にこたえよう。
自分はこれほど強いのだと証明しよう。
それが綾波レイが自分で選んだ道なのだから・・・

他の4人は状況が理解できてないがこれからレイにとって重要な事が行われるという事だけはわかる。
だからこそ口を挟んではいけないと思う。

ガコン・・・・

レイがリモコンを操作して周囲の水槽のシャッターを開ける。
次の瞬間、そこにあるものを見て4人は自分の目を疑った。

「・・・なによこれ・・・」

アスカの言葉は4人の総意だった






To be continued...

(2007.06.30 初版)
(2007.07.14 改訂一版)
(2007.10.06 改訂二版)


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