この世界において・・・人の想像できることは大抵において起こりうるらしい。

しかし、それが自分にとって良いことなのか悪いことなのかは別だ。

現にシンジは目の前で起こっていることがどちらなのか判断できない。

「・・・・・・」

それをはじめて認識したのはシンジの耳だった。

周囲に降る雨にかき消されそうに鳴るほどのかすかな声・・・
下校途中のシンジは空耳かと思い周囲を見回した。
そして路地の隅に丸まって蹲っている”彼”を見つけたのだ。

「・・・・・・どうしたものかな・・・」

見た感じまだ赤ん坊のようなものだ。
おそらく親とはぐれるか何かしたのだろう。
ほうっておけばよくて数日、場合によっては今日にもこの命は費える。
そうなるのを知っていて見なかったことにするのは後味が悪い

「・・・仕方ないよね」

面倒なことになると分かってはいるがほうっては置けない。
シンジは自分に言い訳をして”彼”に手を伸ばした。
それに対する彼の応えは・・・

ガブ!!

指先に感じる痛みと噛み付かれたという事実・・・それが彼とシンジのファーストコミュニケーションだった。
思えばこれが始まりだったのだろう。
まさかこの一件が巡りめぐってネルフ存亡の危機にまで発展するとは・・・このときは誰も予想しなかった。






天使と死神と福音と

第玖章 外伝 〔一期一会〕
前編

presented by 睦月様







帰宅したシンジは台所で鍋を見ながらこれからどうするかを考えて憂鬱な気分になった・・・要するに気が重いということだ。

「どうしたものかな・・・本当に・・・」

シンジは自分の指先に巻かれた絆創膏を見ながら誰に言うでもなく呟いた。
彼が噛み付いた傷は深くはないが血がにじんでいる。
一応消毒はしておいた。

(彼に関して君には責任があるからね、それとも元の場所に戻してくるかい?)
「それじゃ間違いなく死んでいたでしょう?それが出来ないから拾ってきちゃったんですよ」
(それなら彼に対して何が出来るか考えることだ。自分のやったことなんだから責任は取らなければならない。それを分かっていて彼をつれてきたんだろう?)
「そうですけど・・・」

ブギーポップの言葉は正論だ。
シンジは彼に対して責任がある。
それを分かっていて彼を見捨てることが出来なかった。

だが・・・正直なところシンジはこういった事の経験がない。
何事にも初めてはあるものだが、同時に初めての事はたとえそれが何であれ不安なものだ。

「まあ、いろいろと背負い込むのには慣れています。」
(気苦労の耐えない慣れだね)
「言わないでくださいよ・・・自分でも分かっているんですから・・・」

シンジはため息をつくと目の前の鍋を持ち上げた。
底の浅い小皿を一枚取り出すと鍋の中身を皿の上に落とす。
それは真っ白い牛乳だった。
鍋で温めたのでホットミルクということになる。

「よ~しできた。」

シンジは皿を持つとリビングに運ぶ。
テーブルの上に皿を置くとそれに気がついたのかテーブルの上においていたタオルが動いた。
どうやら下に何かいるらしい。

「にゃ~」

タオルの端から小さな泣き声と共に彼が姿を現した。

つり目、緑色の瞳、体を覆う白い毛とピンと張った耳・・・真っ白い一匹の猫がそこにいた。
おそらく生まれてさほど時間が経っていないのだろう。
子猫と言うにも小さい体をタオルのしたから抜き出して来た。

シンジが雨の中で見つけたものこそ彼だ。
猫はまずシンジを見上げ、そして周囲を警戒するように視線をあっちこっちにめぐらせる。

そんなしぐさすら愛らしい。
シンジは皿に入れたホットミルクを猫の前に差し出した。

猫は目の前のミルクに鼻を引くつかせたが危険がないと判断すると舌を出してなめ始めた。
ピチャピチャと言う音を立てながら一心不乱にミルクを舐め取っていく。
どうやらかなりお腹をすかせていたらしい。

そんな猫をシンジは微笑んでみていた。

「「「「「ただいま~」」」」」

シンジが子猫を見てまったりしていると玄関が開いて聞き覚えのある声がした。
確認するまでもなくアスカ、レイ、マナ、ムサシ、ケイタだろう。
皆それぞれに自分の家があるくせにシンジの家に入ってきてただいまと言う・・・いや、別にシンジも気にはしていないが・・・

「シンジ~今日は夕食はアンタの当番・・・って何よそれ!!」

アスカの絶叫に子猫が反応して体をすくませた。
驚いたようにアスカを見るとのどを鳴らして威嚇している。

「ど、どうしたのアスカ・・・ってきゃ~!!」

アスカの肩越しにこっちを見たマナの絶叫に再び子猫が体をすくませる。
しかしマナの声は明らかに喜悦の叫びだ。

「なんなんだ?」
「え?猫?」
「シンジ君、どうしたの?」
「まだ赤ちゃんみたいですけど・・・」

ムサシ、ケイタ、レイ、マユミがシンジの前にいる子猫を見て驚いた。
アスカやマナのように叫ばなかったのは目の前で二度も叫ばれたからだろうか?

「帰り道に見つけてね、ほっとけなかったんだ。」

シンジはそう言うと子猫に手を伸ばして・・・ガブ!!

「噛み癖があるのはどうにかならないもんか・・・」

子猫はシンジの指に噛み付いて釣り下がっている。
まだ子猫なだけに噛む力が弱くていいところ甘噛みと言った感じだ。

シンジは子猫を指にぶら下げたまま移動させてミルクの皿の前に戻す。
少し手を振って指から離れさせた子猫はミルクの皿とシンジを交互に見たが、まだ物足りなかったのかミルク舐めに戻った。

「シンジ・・・あんた拾ってきちゃったの?」
「見つけちゃった以上、見捨てると後味が悪そうだったから・・・」
「だからって・・・」

アスカが呆れるのも分かるが・・・どうしようもないことはあるものだ。
それこそネルフが威圧的に命令してくる事などは冷笑一発で拒否できるがこの子猫のような無垢な存在を見捨てることは出来ない。

「ね、ねえシンジ君?」
「ん?」
「だ、抱いてもいいかな?」

いいかな?とお伺いを立てておきながら返事を待たずマナがふらふらと子猫に近づいていく。
夢遊病者のような動きだがその目がきらきらと光っている。

「かまわないけどそいつ噛み付いてくるよ。」

シンジの注意も聞こえちゃいないらしい。

「みぃ~?」

いきなり抱えあげられた子猫は食事を中断されたのが不満だったのかミルク皿に手を伸ばすが当然届かない。
マナは子猫を抱きなおすと赤ん坊を抱えるようにその胸の中に収める。

「あったか~い、やわらか~い」
「・・・なんでだよ。」

子猫を抱くマナはご満悦だがシンジは面白くなかった。
マナに抱かれた子猫は抵抗もしないでマナの腕の中で丸くなっている。
それどころか目の前にあるマナの顔を舐めると言うサービス付だ。

・・・初対面で命の恩人のシンジに噛み付いたくせに・・・男女差別は良くないと思う。

「マ、マナさん・・・わ、私にも・・・」
「マユミ、いいわよ」
「フミュ~?」

マユミの手の中に納まった子猫は身じろぎしながら小さく鳴いた。
マユミの肩に前足をかけて立ち上がるとマユミのほほを舐める。

ざらっとした感覚にマユミの顔がほころんだ。

この子猫・・・かなりの癒し系スキルを持っているようだ。

「綾波さんも抱いてみて」
「わ、私?」

レイがいきなり話を振られてあわてたがホクホク顔のマユミはレイの腕の中に子猫を入れた。

「にゃ?」

いきなり手渡されて驚いたのは子猫だ。
不思議そうにレイを見上げている。
やはりレイにも噛み付かない。

やはりオスだけに女の子にはフェミニストになるのだろうか?
恐るべし野性の本能・・・というか男の本能・・・

「温かい・・・そう、これが命なのね・・・」

何か妙な方向にトリップしている。
母性本能に目覚めたのかもしれない。

「何言っているのよレイ・・・って!何で私に渡すの!?」

一言言おうとしたアスカにカウンターのごとくレイが子猫を差し出す。
アスカにも持ってみろと言うことだろう。
いきなりのことにあわててしまったがおもわずアスカも受け取ってしまう。

「あ・・・う・・・」
「みゃ~」

アスカは手の中にあるあまりにも小さな命に戸惑った。
自分を見上げてくる大きな瞳に吸い込まれそうになる・・・さらに・・・

「みゃう」

子猫がアスカの胸に頭をこすり付けてきた。
しかも制服の布地の感触が気持ちいいのか目をつぶっている。

「あう・・・」

強烈だった。
一撃でATフィールド(理性)を貫いてコア(心)をぶち抜かれたアスカが陥落した。

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「・・・事情は分かったが・・・どうするんだ?」

遅れて帰ってきた凪が呆れた声を出す。

「どうしましょうかね・・・」
「こうなることが分かっていて連れ帰ってきたんだろう?」

ちなみに話の中心である子猫は・・・部屋の床で遊んでいる。
相手をしているのはもちろん子猫のかわいさにノックダウンされた4人の少女達。
どこからか持ってきたネコジャラシで子猫と遊んでいる。

「わかっていても見捨てることができなかったんですよ。そのあたりは察してください。」
「・・・といってもな・・・この猫生まれてから数日ってところだろう?ちゃんと世話してやらないとそれこそ命に関わるし、第一そんな状態の猫をほうっておけないじゃないか、ここにいる皆は全員学校とか仕事がある。昼間はどうしようもなくこの猫の面倒を見る奴がいないぞ?」
「う・・・」

凪の正論にシンジがうめいた。
確かに言っていることは間違いじゃない。
重要なのは子猫だがシンジ達にも事情がある。

「それに・・・俺は猫どころかペットを飼ったことがない。他の皆もな、子猫といっても人間の赤ん坊と同じデリケートなものだ。専門的な知識もないのに育てるのは無謀だと思うが?」
「で、でもペンペンもいるし・・・」
「あれは別格だ。」

さすがに生まれたばかりの子猫とビール片手にあのミサトと同居が続けていられる温泉ペンギンを同列に扱うことは出来ない。

・・・というよりあれは本当にペンギンだろうか?
実のところミサトよりしっかりしているし、本当はミサトの飼い主がペンペンということはないだろうか?
益体のない想像だがなんとなく否定できない説得力を感じる。

「・・・気は進みませんが方法ならあります。」
「なんだそりゃ?」
「専門家にお願いしようかと・・・」

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翌日・・・

ネルフ幹部の一人・・・赤木リツコ・・・

自他共に認めるネルフで最も忙しい人物である。
彼女の肩書きは技術部部長、その仕事はエヴァそのものの整備から始まり、新兵器の発案と開発、第三新東京市に無数に設置してある兵装ビルのメンテナンス、果ては戦闘時における技術面からの助言など多方面に渡る。

技術部の長である彼女が人並み以上に忙しいのは当然で、彼女がネルフの屋台骨の中心といっても過言じゃない。
そんな日々忙しい彼女は本日、自分の執務室で仕事をしていた。

彼女の執務室は100%仕事の為の資料やら何やらで出来ているといっても過言じゃなかった。
棚は資料があふれんばかりに詰め込まれているし、机の上には現在進行形の仕事が山になっている。
まさに仕事をする為の部屋だ。

ピンポーン

そんな彼女の執務室のインターフォンがなった。
それを耳にしたリツコが顔をしかめるが書類からは目を離さない。

「ミサト・・・またサボりに来たわね・・・」

彼女の親友であるところの葛城ミサトは時々この執務室にやってきて愚痴などをこぼしていく。
普段なら彼女もそれほど気にせず息抜きの感じでミサトに付き合うが・・・なんと言っても時期が悪い。

サハクィエル戦で傷ついた初号機は見た目よりはるかにダメージを受けていた。
そのために技術部は大忙し・・・そのトップであるリツコの疲労と心労はとっくにレットゾーンを越えている。
リツコの心は今猫の額ほどの広さしかない。

親友だろうがなんだろうが今のリツコにとっては神経を逆なでするだけのものでしかない。

自動扉が開く音がして室内に誰かが入ってくる気配があった。

「ミサト・・・いい度胸ね、私の忙しさは知っているんでしょう?ふざけた理由で私の仕事を邪魔するつもりなら容赦しないわよ?」
「そんなに忙しいんですか?」
「え?」

予想外の声にあわてて書類から視線を前に上げるとそこにいたのはミサトじゃなかった。
いたのは学生服を着たシンジだ。

「あ、あら?ごめんなさい。てっきりミサトだと思って・・・」
「そんなにいつもここに来るんですか?」
「そうね・・・忙しいときに限ってね・・・」

フフフッと笑うリツコの顔が怖い。
相当に溜まっているのだろう。

主に不満が・・・

「そうですか・・・いつもエヴァを壊しているぼくが言えることじゃありませんけど、ご苦労様です。」
「いいのよ、シンジ君のせいじゃないから」

シンジ達はいつも命をかけて戦っているのだ。
大人達が出来ることはサポートでしかなく、それに弱音を吐く事は出来ない。
シンジ達のサポートすら放り投げてしまえばそれこそ大人失格だ。
正しい意味で役立たずと言うことになる。

「でもそうなると他の人を当たらないといけないか・・・」
「そういえばなんで私のところに来たの?」
「ええ、実は相談があったんですが・・・」
「相談?」

リツコが首をかしげる。
シンジが自分に頼みごとがあるとは珍しいことだ。

「何かしら?興味があるわね?」
「でも忙しいんでしょう?」
「内容を聞いてみないと返事も出来ないでしょう?」

シンジはリツコの言うことが正論だと思い。
持ってきたナップサックをリツコに見せた。

「にゃ~?」

それを見て、声を聞いたリツコが硬直する。
それは真っ白な白猫だった。

テルテル坊主のようにナップサックから頭だけを出している。
そのつぶらな瞳がリツコを捉えた。

「シ・・・シンジクン・・・ナニカシラ?・・・コレ?」
「実は昨日、雨の中で偶然見つけちゃって、でもぼくって猫を飼ったことないから育て方も分からないし、こんな小さな子猫をほうっておくわけにもいかなくて・・・」

シンジは申し訳なさそうにナップサックから子猫を取り出す。
子猫は不思議そうな顔でシンジとリツコを交互に見るが何が起こっているのかわかっていない。

「ぼく達って学校とかもあるし、こんな小さい子猫を家に一匹にしとくわけにもいかなかったんで、前にマヤさんからリツコさんが猫を飼っているって聞いたことがあったんで・・・」
「エエ・・・タシカニカッテイルワ・・・」
「それでリツコさんに相談に乗ってもらえないかって・・・ところでさっきからなんで棒読みなんです?」
「キニシナイデ・・・」

シンジの言葉に応じながらもリツコの視線は子猫から離れない。
なんと言うか・・・ロックオンされた感じだ。

子猫のほうはじっと見られているくせに物怖じしていない。
と言うかじっとリツコを見つめ返していて目をそらさない。

「・・・・・・」

じっと子猫を見るリツコ・・・じっと見返す子猫・・・

じじっと子猫を見るリツコ・・・じじっと見返す子猫・・・

じじじっと子猫を見るリツコ・・・じじじっと見返す子猫・・・

(なんなんだこの状況は?)

当人達よりそばで見ているだけのシンジが先に根を上げた。
完全に一人と一匹の世界だ。
当事者の一人だったはずなのに完全にハブにされてシカト状態に置かれている。

しかし、いい加減話が進まないと思ったのかリツコが動いた。
リツコが子猫に対して右手を差し出す。

「にゃ?」

猫は不思議そうにその手を見て数瞬・・・

「カプ」

リツコの指を舐め始めた。
まだ小さな子猫の舌がリツコの指を舐め上げて唾液が指を濡らす。
リツコの背筋に静電気のような甘い痺れが走った。

「っつ!!!」

なんと言うか・・・リツコの目の色が変わった。

「シンジ君!?」
「なんでしょうか?」
「この子預からせて!!?」
「え~っと・・・」

シンジは迷った。
確かにシンジはこの猫の世話をリツコに頼みに来た。

・・・しかしだ。
今のリツコは見た目にも内面的にも普通じゃない。
どう普通じゃないかと言えば顔が高揚している上に瞳には星が入っているんじゃないかと思うぐらい光っている。
しかもコレだけシンジと話しているくせにまったくシンジを見ていないし、しようとしていない。
その瞳はただひたすらに子猫に注がれている。
それにリツコは今死ぬほど忙しいはず。

果たしてこんな状態のリツコに子猫を託していいものか?

「お願い!!」
「大声出さなくても聞こえていますって・・・でもいいんですか?仕事が忙しいんでしょう?こんな子猫にかまっている時間なんて・・・それにこいつ噛み癖ありますよ?」

チラッと見れば子猫はまだリツコの指を舐めていたが噛んではいない。
やはりこいつ・・・男のシンジは噛むくせに相手が女だと噛まないらしい・・・なんて現金な・・・・
しかも子猫はさらに両手足でリツコの腕を挟んでじゃれ付いている。

「ふふふっ母猫の母乳と勘違いしているみたいね、どう見てもまだ母猫から授乳している時期だから」

リツコの言葉にシンジはなるほどとうなずく。
シンジの指に噛み付いたのもそれが原因だろう。
母猫扱いされたシンジは複雑だが相手はまだ赤ん坊のようなものだ。

そしてそれに気づくリツコ・・・やはり伊達に猫好きではない。

・・・まあ少し不安な部分があるが・・・主に子猫を見るちょっと危ない系の視線とか・・・しかし自分たちが世話をするよりはるかにましだろう。

「それじゃあお願いできますか?」
「もちろんよ!!」

リツコの姿は誰も見たことがないほど輝いていた。

シンジが出て行くとリツコは猫がじゃれ付いている右手をそのままに左手で内線を取った。

「あ、マヤ?」
『先輩ですか?どうかしたんですか?』
「ちょっと用意してほしいものがあるんだけど・・・」
『はい、どうぞ』

マヤの言葉によどみはない。
リツコは技術部の責任者であると共に科学者だ。
いきなりのひらめきで新しい実験のプランが浮かんできたりするもんだから助手のマヤはそんな状況に慣れきっている。

『必要なのは実験施設の予約ですか?それともMAGIをつかいます?』
「猫用のトイレと砂、それと首輪もあったほうがいいわね」
『・・・・・・・・・・・・・は?』

長い沈黙と共にマヤは聞き返した。
言われたことが理解できなかったらしい。

『あ、あの~先輩?』
「大至急必要なの、わかるわね?マヤ?」
『え?は、はい?』
「十分以内に持ってきて、ああ、それとミルク用の哺乳瓶も、もちろんミルクは忘れましたなんてベタなボケはいらないわ。」
『ち,ちょっと先輩!?』
「頼んだわよ・・・あなただけが頼りなの・・・」

リツコは言いたいことだけ言うと内線を切る。
その瞬間にはリツコの脳みその容量は100%子猫に食われていた。
もはや他のものは目に入らない。

「ふふふ・・・」

リツコは猫を抱き上げると目の高さに持ち上げる。

「な~?」

不思議そうに見返してくる子猫の首に親指を押し当ててくすぐってやる。

「ごろごろ・・・」

猫は気持ちよさそうにのどを鳴らした。
それを見らリツコの最後の防波堤が突破される。

「ああああ~~~~~

さらにリツコは子猫の前足を持つと肉球を指で押す。
それに合わせて子猫の手から爪が出たり入ったりした。

「あああああああああああああああ~~~~~~

いきなりリツコは床に寝そべると子猫を抱えたまま左右に転がる。

右にごろごろ・・・壁までたどり着くと今度は反対側にごろごろ・・・

執務室の壁から壁にごろごろ転がる姿は異様だ。
しかもきっちり子猫をつぶさないように気をつけながら転がっていて微妙に芸が細かい。

「な~」

子猫もご機嫌らしい。
順応性の高い猫だ。

しばらくリツコにとって至福の時間が過ぎて・・・

「先輩!言われた物買って来ました!!」

いきなり執務室の扉が開いてマヤが入ってきた。
息を弾ませているところを見ると走ってきたらしい。
両手には売店で購入した猫用のトイレや砂などを持っている。

「え?先輩?」

室内に入ったマヤは床で転がっていたリツコを見下ろし、リツコは硬直したマヤを見上げる。

・・・なんとも気まずい数秒間が過ぎた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ごほん!」


リツコは咳払いをひとつすると立ち上がった。
しかし子猫を放すことはしない。
服の汚れを払うとつかつかと自分のデスクまでいって子猫を乗せ、椅子に座った。

そのままゲンドウポーズを取ってマヤを見る。

「・・・・・・・・・あの・・・・・・・先輩?」
「問題ないわ」
「問題ないって・・・」
「問題ないわ」
「・・・」

どうやら力技で反論を封じるつもりらしい。
追求されたくないだろう・・・はっきり言ってさっきのリツコの姿は誰も見たことがない彼女の一面だ。
誰にだって見られたくないプライベートな部分がある。

もっとも、完全にリツコの自業自得なのだが・・・

(最近先輩も忙しかったし・・・)

マヤもそう考えて自己完結した。

実際、子猫一匹でリツコのガス抜きが出来るのなら安いものかもしれない。






To be continued...

(2007.07.14 初版)
(2007.07.28 改訂一版)
(2007.09.08 改訂二版)
(2007.10.06 改訂三版)


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