天使と死神と福音と

第拾壱章 〔Re-ignition〕
U

presented by 睦月様


朝の碇邸
シンジはいつものように朝食の準備をしていた。

ここに見るものがいれば今日の彼がいつもより上機嫌なことに気がつくだろう。
どうやらご機嫌らしい。

シュー

「ん?」

いつもより早い時間に玄関の自動扉が開く音がする。
シンジが見ると凪だった。

「おはようございます。今日は早いんですね?」
「ああ、昨日は夕食を遠慮したからな・・・」

凪はいつも自分の座る椅子に腰掛けた。
その姿が少し疲れているように見えるのは気のせいじゃあるまい。
かなりきついのだろう・・・その痛みもつらさも凪以外には分からない。

「ちょっと待っててくださいね」

シンジは用意していたものに火を入れる。

「急がなくていいぞ?今日は俺が早すぎただけなんだ」

凪の言葉に答えずシンジは小さめの一人用の土鍋を凪の前に持ってきた。

「おじやです。今朝も来なかったら持って行こうと思って、体調悪いんでしょ?」
「・・・すまんな、気を使わせてしまったか?」
「いえ」

シンジの笑顔に促されて蓋を開けると中身は卵を溶かしたものを流し込んでねぎを散したベーシックなおじやだった。
シチューやおかゆなどの流動系の料理は食材の栄養素を十分に取り込める上に病人でも食べやすい。

シンジは白いレンゲと小鉢を差し出す

「いただくよ」
「どうぞ」

凪は息を吹きかけて冷ましながら口に運ぶ。

「これはうまいな」

凪は素直に料理の出来をほめた。
おじやや煮物で重要なのは出汁である。
ここを間違わなければ失敗する事はありえない。
逆に言えばどれだけ美味しい出汁を作れるかがこの料理のすべてだ。
シンプルだからこそシンジの料理のほどが分かる。

「凪さん?」
「ん、なんだ?」

シンジは一拍おいてから話し始めた。

「昨日、ぼくの能力のことを話しました。」

凪の手が止まる。

「・・・そうか・・・よかったのか?」
「はい、皆受け入れてくれました。・・・母さんのことは話せませんでしたが・・・」

やわらかく微笑むシンジを見て凪も同じように笑う。
シンジが決めてそうしたのなら凪には何もいう気はない。
母親のことに関しても時期を見て話すつもりなのだろう。

「あいつらもわかってきたじゃないか」

そう言って凪は食事を再開した。
程なく土鍋の中身がなくなると共に食事が終わる。

「凪さん?」
「ん?なんだ?」
「今度は凪さんの番ですよ」

その言葉に凪があわててシンジを見る。

シンジは無言でポケットに手を入れてあるものを取り出した。

「シンジ・・・それは・・・」

凪の目の前に突きつけられたものはエジプトの十字架、アンクに魂を宿したエンブリオだ。

『よ〜う、久しぶりだな!!』
「どういうことだ?」
『シンジに頼まれたんだよ。お前さんの中の能力を見てくれってな』

凪がシンジを見るとその瞳は真っ直ぐに凪を見ていた。

『・・・やっぱりお前さん、能力に目覚めかけてるな?』
「・・・・・・お前には関係ない」

エンブリオの言葉に凪が視線をそらす。
だがエンブリオは構わず話し続けた。

『そうは思えんな、あんたそのままじゃ死ぬぜ』
「なに?」
『今のアンタは風船のようなもんだ。いずれ割れる。しかもたちのわりぃ〜事に破裂したら”燃え移る”ぞ?自分でも気づいてんだろ?』
「・・・・・・」

沈黙は肯定の意味を持つ。

「彼のことを気にしてるのか?」

自動的な口調に凪が見るとシンジの顔はブギーポップのものだった。
凪の表情が不機嫌なものになる。
今一番会いたくない人間だ。

「まさか彼が命をかけて封じた能力を開放してしまえば彼が死んだ意味がなくなると思ってるわけじゃあるまい?」
「・・・お前に何がわかる?」
「所詮自分以外の誰かがわかろうとしたところでどれほどわかるというんだ?」
「・・・それでも俺を救わなければあの人は統和機構から裏切り者として処分される事は無かった。」
「それすらも傲慢というものだ。彼が選んで行動した結果が君がここにいる証だろう?君は彼の選択を否定するのか?」

凪に答える言葉はなかった。

「・・・どの道無理だ。俺は本当にこの力を制御する事が出来ない。」

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LCLに満たされたエントリープラグの中でシンジは今朝の凪との会話を思い出していた。

(何が問題なんでしょうかね?)
(以前の場合は成長しきっていない彼女の体が能力の可能性に耐え切れずに死にかけた。しかし今回は違う、おそらく心理的なものが能力の目覚めの邪魔をしている。)
(それは凪さんを助けるために統和機構を裏切って処分された人の事ですか?)

シンジはブギーポップから大まかな事を聞いていた。
その合成人間は統和機構でMPLSを捜す役割を担っていたらしい。
しかし、彼は凪が能力に目覚めかけた事を知ると統和機構を裏切って特殊な薬品を奪取、それを使って凪の目覚めかけた可能性を摘んだらしい。
そこにどんなやり取りがあったのかシンジは知らない。
知る必要も無いと思う。
それを知っていいのは凪とその合成人間、そして最後を見届けたブギーポップだけだろう。

(シンジ君…)
(はい?)
(彼女は救世主(メサイア)コンプレックスだ。)
(自分が正義の味方になって世界を救うって言うあれですか?)
(その通り、彼女は彼に正義の味方になれと言ったそうなんだ)
(…それは)

凪が言ったとしたら10年以上前の話しだろう。
内臓疾患で入院していた時の事のはずだから彼女の年齢が二桁になっていたかどうか・・・

(もちろんそれは子供の時の話だし当時の彼女は自分に未来が無い事を悟っていたからそんな無茶なことを言ったんだろう。)
(しかし頼んだ本人は自分を助けて死亡…その遺志を継いでるんですか?)
(彼女だってバカじゃない。この世界の不条理を知っている。)
(それでも求めてるんですか?正義の味方になることを?)
(義理堅い話だよ。…彼女はこの事を知らなかったはずなんだが、無意識に理解していたのかもしれないな…彼女にとって能力を外に出さないことは彼に対するけじめかもしれない…他に形見も無いわけだし)

それに対してシンジは何も言う事が出来なかった。
第三者が何を言ってもそれはやはり部外者の言葉だ。
凪の心を動かせるのはその死んだ合成人間だけだろう。

シンジがそんな事を考えているとリツコから通信が入った。

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実験場の管制室では実験の最終チェックが行われていた。
目の前にあるガラスの向こうには拘束された初号機と零号機がある。

「シンジ君、準備はいい?」
『いつでもどうぞ』

モニターの中のシンジはリツコの声に答えるとシートに座って力を抜く
彼が座っているのは乗りなれた初号機のエントリープラグではない。
いつもレイが座っている零号機のエントリープラグであり、当然そのエントリープラグが入っているのは零号機だ。

今回の実験は機体を交換しての起動実験だ。
パイロットが負傷した場合や機体が損傷したときに機体を交換しての戦闘続行が出来れば万が一の備えになる。
シンジが最初に来たときのような素人を乗せると言うお粗末な事をしなくてよくなるというのが実験の趣旨である。

[ねえリツコ?」
「なによミサト?」
「なんで司令たちまでここにいるの?」

実験を指揮する管制室の後ろのほうの席にはゲンドウと冬月がいた。

「・・・・・・知らないわ」

リツコはそっけなく言うが本当は知っている。
あの二人はこの実験によってレイのパーソナル・パターンの計測を指示して来た。
今回の実験ではそのあたりが重要なのでデータを採取する絶好の機会なのだ。
それを基にしてダミープラグの計画に役立てるというのが狙いらしい。
もっともそれどころじゃない状況が現在進行中なのだが…

「・・・被験者は?」
「若干の緊張が見られますが、神経パターンに問題なし・・・ですが」
「やっぱりだめなの?」
「はあ…シンクロ率5,64%…起動指数にまったく到達していません」

マヤの目にはモニターの中の数字が映っている。
その一番上にはAyanami Reiの文字があった。

リツコは初号機に回線をつなぐ。

「レイ?ひさしぶりの初号機の調子はどう?」
『…シンジ君の匂いがする。』
『な〜にが匂いよ、いやらしいわね』

通信の途中でアスカが割り込んできたがリツコは無視した。
今はそれどころではない。

「六分儀?」
「…私を拒絶するつもりか…ユイ…」

背後でゲンドウと冬月が何やら話しているがこれもどうでもいい

「ねえリツコ?」
「何、ミサト?」
「確かレイは初号機とシンクロ出来てたわよね?」

レイは以前数ヶ月かかりはしたが初号機とのシンクロには成功していたはずだ。
実際、シンジが最初にこの町に来た時に脅しとはいえ初号機に乗せようとしていた経緯もある。

「なのになんでシンクロ出来ないの?」
「…多分シンジ君が優秀過ぎたせいね」
「はあ?」

初搭乗でいきなり限界とされていたシンクロ率をたたき出した上に100%を超えるシンクロ率をたびたび出し、初号機の潜在能力を余すところ無く使えるシンジは最高の素材だ。

「え〜つまりシンジ君のせいで初号機は小市民(雑食家)からグルメ(美食家)になったんでレイでは満足できなくなったってこと?」
「……まあ近いものがあるかもね」
「なんって贅沢な…」

ミサトの言葉に女性職員とモニターの中のアスカとレイも頷く。
男性職員はそれは違うだろうと思ったが懸命にも突っ込みを入れない。
それが誰にとっても幸せになれる方法だと熟知しているがゆえに・・・

「…簡単に言うとね、あんたの作った料理を食べた後でシンジ君の手料理を食べたら…はたしてあなたの料理を食べたい人がいるかしら?」
「ち、ちょっちひどくない?」
「あら?誉めてるのよ?どうやったら食べられる食材で食べられないものが作れるのか興味あるわ。」

理論的な説明になっていないがそれでも完全に的外れとも思っていない。
なんと言ってもエヴァには文字通り心がある。

初号機に取り込まれたユイだ。
二人はほぼ毎日と言っていいほどシンクロしている。
シンクロとは心を重ねる行為、だとすればシンジの魅力を一番よく知っているのは彼女だろう。

要するに乗っているのがシンジじゃないので中にいるユイが不機嫌になり、ストライキをしているということだ。
頭にストライキの鉢巻を巻いてアスカのように仁王立ちでほほを膨らませているユイを想像したリツコは軽く笑ってしまった。

ちなみに自分の料理にだめだしされたミサトは管制室の隅でいじけている。
背中が煤けていた。

「でもね、ユイさん…いくらシンジ君が魅力的でも親子はいただけないわ…近親相姦は問題よ」
「?…先輩?」
「あ、何でもないのよ。シンジ君の機体相互交換試験の準備をお願い」
「はい!」

リツコの小さなつぶやきを聞いたマヤが不思議な顔でリツコを見るがリツコは慌てて指示を出してごまかした。
下手に聞かれると伝家の宝刀「不潔!!」が飛ぶ。
それは正直勘弁してほしい。

『私は実験に参加しなくていいの?』

スピーカーからアスカの声が聞こえた。
彼女が乗っているのはいつもどおり弐号機だ。
今回、彼女だけは普通の起動実験をする。

「弐号機は特別なのよ…」
『そうなの?』

アスカが不思議そうな顔をするのがモニターに映った。

「確かに、弐号機の互換性・・・効かないわね」
「パーソナル・パターンが酷似してますからね、零号機と初号機…」

いつの間にか復活してきたミサトの疑問にマヤが答える。
マヤもすべてを知らないので仕方がないが初号機と零号機のパーソナルが似ているのはその取り込まれた人物によるところが大きい。

「だからこそ、シンクロ可能なのよ」
「あれ?でもシンちゃん弐号機と書き換えなしでシンクロしてなかった?」
「うっ…」

リツコがうめく、マヤも固まっていた。
実際のところ書き換えすらしない状態では指一本動かせないはずだ。
それどころか異物と判断されるはずだがシンジは海で弐号機を一時的にでも操った。
専門家であるリツコとマヤにはいまだに信じられない。

唯一説明が出来そうな本人はどんな追及も飄々と軽くかわしてしまう上にこちらのカードはシンジの言葉を否定するには役不足…かくして真実は今だ闇の中ということだ。

『あの〜まだですか?』
「はっ・・・ご、ごめんなさいねシンジ君、マヤ実験開始するわよ」
「はい、先輩」

退屈していたシンジの言葉にリツコが応えて指示を出すとマヤがキーボードを操作してプログラムを立ち上げる。

「パーソナルパターンの変更はすんでいるわね?」
「はい、すでに完了しています。」

リツコはなんとなくシンジなら変更なしでもシンクロ出来そうな気がしたが今回はあくまで機体交換が可能かどうかの実験なので次回の実験リストにいれておく事にした。
試す気は満々らしい。

「では零号機による機体相互互換試験、被験者・碇シンジで行います。実験開始」
「「「「了解」」」」

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『エントリースタートしました』
『LCL電化』
『第一次接続開始』

通信機からの声と共にエントリープラグの中が七色に発光し実験場の風景が映る。

『シンジ君どう?初めての零号機は?』
「いつもと違うせいですかね?ちょっと変な感じがしますよ。緊張します。」
『そうよね、いつもはレイ専用だから女の子の部屋にお邪魔してるって感じ?』
「・・・何か含みがあるような気がしますが、そんなものかもしれませんね女の子の部屋に入った事、あまり無いですから…」
『あら?でもシンちゃん時々あたしの部屋に入ってるじゃない?』

通信機の向こうで男性陣の驚きの声と女性陣の悔しそうな声が聞こえた。
めがねをかけた某オペレーターは机に頭を打ち付けている。

「ミサトさんを“女の子“って言うのは無理があるんじゃないですか?」
『女を年で判断すると痛い目見るわよ?』
「無視しますよ?いいですね?ぼくがミサトさんの部屋に入るのは掃除のためでしょうが?」

モニターの中で逃げようとしたミサトの襟首をリツコがつかむ。

『ちょっと待ってシンジ君…ミサト、あなた・・・シンジ君に何させてるのかしら?』
『だ、だってあたしが掃除するより遥かに片付け上手いんだもの!!適材適所よ!!』
『ミサトも自分で掃除くらいしなさいよ?だらしないんだから〜』

ミサトとリツコの言い合いに通信機でアスカが乱入してきた。
やはり同居人だけあって詳しい。

『アスカの裏切り者!!アンタだってシンジ君に洗濯物頼んでるじゃない!!』
『あたしの場合は時々でしょ』

モニターのアスカが胸をそらす。
そう言う問題かと思うがアスカはにとっては当然の事らしい。
どこからそんな自信が生まれてくるのだろう?

「でも洗濯物に時々下着が混ざってるのはどうかと思うよ。」

シンジの一言でアスカは沈黙した。
あらためてシンジ達の力関係がはっきりした会話だった。
管制室の後ろのほうで冬月が額に手を当てて「また恥をかかせおって・・・」などと呟いていたと言うがだからどうしたという事は無い。

「ふう…」

シンジがため息をつくと肺に残っていた空気が泡になって口から出てきた。
通信では問題ないといったが、実際の所・・・シンジは零号機の”気配”を感じていた。
初号機とは微妙に違う感じ・・・

(これがレイの気配か…)
(どんな感じだい?)
(やはり初号機の気配と近いものを感じる。やっぱりレイの人間の部分は母さんの…)

記憶を取り戻したシンジがその結論に達するのにはさほど時間はかからなかった。
すなわち“レイの人間としての部分がどこから来たのか?”ということだ。

(…業が…深いな)
(業を背負ってない人間なんかいないさ)

シンジはうつむいて何かを言い返そうとしたがそのまま黙った。
口に出せば陳腐な言葉しか出てこない。

そのままシンジは零号機とのシンクロを始めた。

「う・・・」

思わずシンジは呻いた。

綾波レイ・あや波れい・綾ナミレイ・綾波れい・アヤナミレイ・綾なみレイ・アヤ波れい・あや波れい・綾ナミレイ・綾波れい・アヤナミレイ・綾なみレイ・アヤ波れい・綾波れい・アヤナミレイ・綾なみレイ・アヤ波れい・あや波れい・綾ナミレイ・綾波レイ・あや波れい・綾ナミレイ・綾波れい・・・

(大丈夫かい?シンジ君?)
(なんとか・・・)

シンジの頭の中にはレイとの記憶が矢継ぎ早に思い出されていた。
もちろん自分の意思ではない。
シンクロを始めたとたんにこれだ。

(これは・・・零号機?)
(らしいね、君の記憶にアクセスして綾波さんの記憶を引き出しているようだ。)
(なぜそんな?)
(君と綾波さんとの接点を探している。おそらく零号機は初号機や弐号機よりも専用機の色合いが濃いんだ)
(た、確かに自分の分身とシンクロしていますからね・・・シンクロもそれだけ制限が強いのかも・・・)

シンジは取り合えず自分のイメージを強く意識した。
精神に働きかける能力への対抗策は【ONE】のように奇襲や不意打ちでない限り精神的な強さが物を言う。
とくにこのようなイメージを流し込んでくる場合は自分を見失わないようにするのが重要なのだ。

(まあ、自己紹介とでも思えばいいよ)
「じ、自己紹介?」

ブギーポップの平然とした言葉に思わず口に出して叫んでしまったが幸い通信は切れていた。

(自己主張するために君の記憶を覗いて綾波さんの記憶を検索してるんだと思えばいいんじゃないか?)
「こ、これが自己紹介ですか?精神に異常が出そうな自己紹介なんて過激すぎますよ!?」

ブギーポップは冗談を言わない・・・おそらくこれもマジで言っているのだろう。

「うう・・・」

シンジは気分が悪くなってきた。
零号機の中にいるのはレイの予備の体らしい。
強制的に思い出されるレイの記憶にシンジは酔っていた。

「い、いい加減にどうにかしないと何が起こるかわからんな・・・」

今はシンジに意識があるので零号機のストッパーになっているようだが気を失った場合何が起こっても保証できないと思う。
いきなり拘束具を引きちぎって零号機が暴れだしたとしてもおかしくない状況だ。

(シンジ君?そろそろこのじゃじゃ馬をおとなしくさせよう)
「賛成です!!」

シンジは即座に返事をするとブギーポップとシンクロを始めた。
一方的な零号機からの侵食を気合と共に押し返す。

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「……はい?」

気がつけばシンジはどこかの部屋の中に立っていた。
部屋の真ん中には手術台のようなベットが一つ、周囲の壁も部屋というより手術室のような感じだ。
とても簡素で退廃的な感じのする部屋だ。

手術台の上には赤いワンピースを着た小さな女の子が寝ている
シンジはこの部屋と女の子に見覚えがあった。

「どうやら押し返した瞬間に勢いがつきすぎて向こうの意識にアクセスしてしまったようだね」

背後から聞こえてきた声にシンジが振り向くがそこにいた人物を見て絶句してしまった。
筒のようなシルエット
夜色のマントと同じ色の筒のような帽子
白い顔と対照的に黒い唇
そして何より自分そっくりの顔…

「…つかぬことを聞きますがブギーさんですか?」
「どうやらそうらしいね、ここはいわば精神的な場所みたいだから君と僕とが別々に存在できるらしい。」

シンジは何も言う言葉が出なかった。
この町に来る以前からいろいろと常識外れな状況や人物に会って来たがこれは極めつけだ。

「…君も十分非常識だと僕は思うよ」
「は!?人の心を覗いたんですか?」
「読まなくても長い付き合いだからね…何を考えているか大体分かる。」
「さようですか…」

自分と同じ顔としゃべると調子が狂う
しかも口調が自動的なので調子がさらに狂う。
シンジはとりあえず女の子に向き直った。

「・・・とりあえずこの子は・・・」
「薄い水色の髪にこの顔は間違いなく綾波さんだろ?」
「や、やっぱり・・・」

ブギーポップの言葉どおりにシンジの目にもそう見えるということは勘違いではないらしい。
この部屋もドグマで見たものと同じだ。

・・・シンジはとりあえず彼女を起こすことにした。
そうしなければ何も始まらない。

「うっ・・」

しばらくぐずった後、目を開けた少女の瞳はやはり赤い色・・・

「おはよう」
「・・・おはよう」

少女はまだ半分寝ぼけているらしい。

「・・・じいさんだれ?」
「・・・・・・・・・・・え?」

その言葉を理解するのに数秒かかった。
この子は今じいさんと言った。
少なくともシンジは見た目も年齢もじいさんと呼ばれる覚えはない。
シンジは背後のブギーポップを見るがブギーポップは無表情に見下ろしているだけだ。
当然同じ顔をした彼のことでもないだろう。

「ね、ねえ?じいさんってだれ?」

少女は無言でシンジとブギーポップを指差す。
やはり意味不明だ。

「・・・なんでぼく達がじいさんなの?」
「?・・・碇所長がいってたわ、じいさんって・・・」
「・・・碇所長?」

シンジはいやな予感がした。
どうも当たりそうな気がする。

「それって碇ゲンドウ?」
「うん」

やはり当たったようだ・・・まったく嬉しくないが

「・・・ちょっと教えてほしいんだけれど・・」
「なに?」
「君のお名前は?」
[綾波レイ」

どうやら間違いないらしい。
この少女はレイだ。
シンジは背後のブギーポップに向き直った。

「どういうことなんですか?」
「ここにいるということは彼女が零号機の中にいる綾波レイということだ。」
「でも零号機の中にいるって事はレイのクローン体なんでしょ?この子は人格ありますよ?」

シンジの言葉にブギーポップは数秒考える。

「・・・推論でいいかい?」
「どうぞ」
「おそらく彼女は一人目の綾波さんだ。」
「え?」
「彼女が以前自分は二人目といっていたからね」
「で、でもレイがいるって事は魂が今の体に移行したって事でしょ?」

ブギーポップはシンジの後ろにいたレイに近寄ると身をかがめて同じくらいの目線になる。
いつもの自動的な口調で小さなレイに話しかけた。

「こんにちわ」
「何?じいさん・・・」

レイはやはりブギーポップのことをじいさんといった。
ブギーポップの自動的な口調にも物怖じしていないのはさすがというべきか・・・小さくてもレイはレイということのようだ

ブギーポップもじいさんと呼ばれたことをまったく気にしないで話しかける。

「君は何故ここにいる?」
「え?」
「最初からここにいたわけじゃあるまい?」
「・・・・・・」

ブギーポップの言葉に幼いレイは何かを思い出そうと首をひねる。
何かに思いついたのか頷くと話し始めた。

「発令所でばあさんに会ったの?」
「ばあさん?」
「赤木って人」
「赤木・・・か」

ネルフ関係で赤木の名前は一人しか知らない
ブギーポップは背後のシンジを横目で見る。
シンジも同じ意見のようだ。

「それでどうした?」
「話してたらばあさんが急に怖い顔になって・・・」

その状況を思い出したのかレイの体が震えだした。

「ば、ばあさんはあたしの首を絞めてきて・・・」
「・・・もういい、すまなかったね」

ブギーポップは小さなレイをマントの中に入れて抱きしめた。
レイも応えてブギーポップにしがみつく。

しばらくそうしているとレイの体から力が抜けた。
レイを見ると目を閉じて寝息を立てている。
眠ってしまったらしい

「赤木か・・・やっぱりリツコさんのお母さんなんでしょうね・・・」
「・・・自殺しているらしいからね、たぶんこの子を殺したと思った瞬間に命を絶ったんだろう。」

やりきれないといった感じにシンジが頭を振る。
シンジとブギーポップはレイが起きるまで待っていろいろ話した。

「もうすぐここに君とそっくりなお姉さんが来る。」
「お姉さん?」
「・・・その人は君と仲良しになりたがってるんだ。お友達になってくれる?」
「お友達・・・・・・わかった。」

レイは不思議そうな顔をしたがうなずいてくれた。
帰り際にブギーポップのマントの端を握るレイをあやしてシンジ達は現実に戻る。

「なつかれちゃいましたね」
「・・・君ほどじゃないさ・・・」
「皮肉ですか?」

ブギーポップは片方の目を細めるだけで答えなかった。

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拘束具に体を拘束されながら苦しそうにうめいて身をよじっていた零号機の動きが止まる。

「す、数値が正常な状態に戻っています」
「なんですって!!」

リツコは驚いてモニターを見る。
何とか通信が繋がってエントリープラグ内が映し出された。
そこには瞑想のように少しだけ目を開いたシンジがいる。

「シンジ君!!大丈夫なの!?」
『ミサトさん?ぼくは平気です。』

シンジの言葉に管制室全体から安堵のため息が漏れる。

(どういうことかしら?)

リツコの視線はモニターのシンジと実験場で拘束されている零号機の間で行ったり来たりしていた。
すでに零号機の動きは止まっていてその単眼には理性の光がある。
完全にシンジの管理下にあるようだ。

(・・・まさか意思の力だけで零号機を屈服させた?まさかね・・・)

ありえないとは思うが今までの経験からリツコはシンジならその可能性もあると考えていた。

「・・・またやってくれたわね」

リツコにとってシンジが何かをするのを見ることは楽しみになっていた。
なにせ彼はまったく自分を退屈させないのだ。
彼がなにか信じられない事をするたびにこの胸の鼓動が高鳴る。
血液が沸騰するような熱い感情に埋め尽くされる。

「リツコ?なんでそんなに楽しそうなの?」
「楽しそう?私が?」
「だって笑ってたでしょ?」

ミサトの言葉に手近なモニターを見ると鏡のようになった部分に写る自分は確かに笑っていた。
子供のように瞳が熱い。
鏡を見れば充血しているか星でも入っているかのごとく輝いているだろう。

「・・・ほんと退屈しないわね、彼も・・・それにかかわった私も・・・」
「ん?なんか言った?」
「いえ、何にも」

そういうとリツコは自分の仕事に戻る。
すでに彼女の顔は無表情に戻っていたが内心はかなりうかれていた。

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「っで?結局どういうこと?」

いつもの夕食時の第一声がそれだった。
当然言ったのはアスカだ。
しかしそれを聞いたのはシンジでは無くブギーポップ
今回の説明はシンジよりブギーポップがしたほうがいいという判断からだ。

「どうやらあの人(ゲンドウ)綾波さんが完全に死んでいない状態で零号機の中に取り込ませたらしいね」
「それは・・・」

アスカが傍らのレイを見る。
レイは黙ってシンジの言葉を聞いていた。
それを見たブギーポップも話を続ける。

「そのせいでまだ仮死状態の体に残った魂とすでに今の肉体に移動し始めていた魂が分断されてしまったんだ。」
「そ、それで大丈夫なの?」

マナがレイのほうを心配そうに見ながら聞いた。
魂の分断など、それがどういう結果をもたらすか予想も出来ない。

「とりあえず問題ないみたいだね、零号機の中の綾波さんも大丈夫みたいだし」
「で、でも・・・」
「それにもうどうしようもないんだよ」
「え?」

全員がいぶかしげな顔でブギーポップを見る。
その顔はいつもの左右非対称な笑みだった。

ブギーポップが視線をめぐらせると赤い視線と交差した。
レイの赤い瞳がブギーポップを真っ直ぐに見る。
覚悟を決めたいい眼だ。

「分かれた直後なら一つにもどれたかも知れないけれどね・・・元が同じ魂でも今の綾波さんじゃ一つに戻る事は出来ない。」

レイはブギーポップの話を黙って聞いている。

「綾波さんはいろいろな経験で零号機の彼女とは比べ物にならないくらいに歪んでいる。」
「え?」
「悪い意味じゃないよ?要するに成長しすぎてしまったという事さ、それに比べて彼女はずっと眠っていたわけだから成長のしようが無い」

ブギーポップの言葉は自動的でどんな感情も読み取れない。

「まあ、君の双子の姉妹といったところかな」
「姉妹?私の?」
「他に言い表せる言葉が無い。」

レイはブギーポップの言葉を反芻していた。
自分には親も兄弟もいないと思っていた。
それなのにいきなり姉妹がいるなどと・・・

「レ、レイさん?」

マユミの言葉に顔を上げるとレイは泣いていた。

「これは涙・・・そう、私は嬉しいのね・・・」

ぽろぽろと泣きながら笑うレイは嬉しそうだった。

「今度シンクロするときに呼びかけてみるといい。彼女は目覚めているからきっと応えてくれる。」

ブギーポップの言葉に泣きながらレイは何度もうなずく。
皆は優しい瞳でそんなレイを見つめていた。

「ねえシンジ?」
「ん?」

アスカの呼びかけにシンジが答えた。
ブギーポップは引っ込んだらしい。

「なんでそのちびレイはアンタの事じいさんって呼んだの?」
「ちびレイって・・・まいいか、その原因は司令だよ。」
「司令?なんで?」

全員意味がわからなかったらしい

当のシンジはうっすらと笑ってる。
引きつった笑みが妙な雰囲気を醸し出していた。

「育児なんかできるわけ無いんだよなあの人に・・・」
「ね、ねえどういうこと?」
「・・・だからさ、レイって中学に上がるまでドグマ出た事…無かったんだよね?」

シンジの言葉にレイがうなずく。

「・・・あの人、レイに絵本を渡したらしいんだ。童話の・・・とりあえず子供だから…」
「絵本?」
「童謡の絵本って必ずおじいさんとおばあさんが出てくるでしょ?」

基本的に童話では個人名や役職名はでてきてもお兄さんやお姉さんの単語は出にくい
しかし、そんな中でおじいさんとおばあさんはたいていの童話で一度は出てくる。

「・・・それはつまり?」
「つまり・・・レイは男の略称をじいさん、女の略称をばあさんとしか知らなかったらしい、お兄さんとかお姉さんとか言う言葉があることすら知らなかったよ。」

全員の視線がいっせいにレイに向いた。
その視線にレイがたじろぐ。

「で、でも童話だけってことも・・・あるの?」

ケイタがあきれたような顔で聞いてくる。
答えるシンジは怒りを無理やり押さえ込んだような笑いだ。

「レイは重要人物だったからね、テレビも見た事なかったらしい・・・」
「そ、それでいいの?」
「いいわけないでしょ!!それでも「問題無い」の一言であの人は済ませちゃってたんだよ!!!問題大有りだろうが!!!!」

シンジも流石に堪忍袋が切れかけているらしい。
全員から深いため息が漏れた。

「ほとんどドグマの中で過ごしていたもんだから当然他人とのコミュニケーションも進歩してなかったんだ。子供って事もあるけれど特に目上の相手に対する敬意とかはまったくだね、口が悪いって言うかかしましいって言うか・・・」

シンジの言葉にレイが真っ赤になる。
どうやら恥ずかしいらしい。

彼女は確実に以前の自分なのだから他人事ではない。
子供のころの自分の恥ずかしい話しをされるノリに近いかもしれない。

「とにかくあの人に子育てを任せるのはまずいということだよ。それが出来てたらもうちょっとましな性格になってただろうに…」

ため息混じりのシンジの言葉は実感がこもっている。

「母さんもあの人のどこに惹かれたのか…ぼくには予想も出来ないよ」

シンジの言葉は全員の一致した思いだった。






To be continued...

(2007.08.04 初版)
(2007.10.13 改訂一版)


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