天使と死神と福音と

第拾弐章 〔己の半神〕
V

presented by 睦月様


第三新東京市の上空には依然としてレリエルが浮いていた。

漆黒に白の幾何学模様のゼブラ
その周囲を数台のヘリが周回しながら情報を集めている。
その一機にミサトの姿があった。

「・・・・・・」

ヘリから身を乗り出してじっと球体と地面の影を交互に見ている。

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一時間後
レリエルの黒い影の淵から少し距離を取った位置に戦車隊がぐるりと影を包囲している。
ミサトは双眼鏡でその包囲位置を確認していた。

『第2戦車小隊、配置完了』
『了解。現在位置のまま待機』
『サブレーダー回線開きます。情報送れ』
『確認。C回線にて発信』
「国連軍の包囲完了しました」

背後で青葉が現状を報告するがミサトは黙って頷くだけで振り返ることはない。

「・・・影は?」
「動いていません。直径600mを越えたところで、停止したままです・・・でも、地上部隊なんて役にたつんですか?」

青葉の疑問はもっともだ。
そもそも戦車隊ごときでどうにかできる相手ならエヴァだけでカタがつく。
それなのになぜここにいるのかというと・・・

「・・・戦自のお偉方の虚勢よ、証拠に包囲したはいいが一発も撃ってないでしょ?彼らに出来るのはこれが精一杯、下手に刺激してこれ以上広がるのが怖いのよ。犠牲者が出れば責任問題が出てくるからね」
「なるほど、向こうには使徒の優先権はネルフにあるって言う大義名分がありますからね…」
「そう言うこと」

ミサトは身を翻すと背後に設置されたテントに入っていく
ここが臨時の前線基地だ。
中にはリツコをはじめとして技術系のスタッフが詰めてレリエルの解析を行っている。

「・・・結果として、あれはなんなの?」

データーを分析していたリツコに背後からミサトが聞いた。
かなり面倒そうだったがリツコは頭を掻きながら集めた情報から結論を話す。


「じゃあ、あの影が使徒の本体な訳?」
「そう、直径680メートル、厚さ3ナノメートルのね…その極薄の空間を内向きのATフィールドで支え、内部はディラックの海と呼ばれる虚数空間・・・多分、別の宇宙につながっているんじゃないかしら…」

リツコの難しい説明はほとんどわからなかったが現状がかなり切迫した状況と言うのはわかる。
特に別の宇宙などとSF小説くらいでしか聞かない単語だ。

「あの球体は?」
「本体の虚数回路が閉じれば消えてしまう・・・上空の球体こそが影にすぎないわ」
「初号機を取り込んだ黒い影が目標か・・・」

ミサトが苦い顔になる。
ガンヘットがあの影にありったけの火力を叩きこんだのはリアルタイムで見ていた。
それでもレリエルは爆発の閃光も振動も爆風も飲み込んでしまったのだ。

相手が宇宙と同じ広さを持つとすればどんな火力を持ったとしても線香花火以下だろう。

「…なにか方法はないの?」
「……ひとつだけ、方法とも言えない方法があるわ…」
「気乗りしなさそうね?」
「まあね…」

リツコはその方法を説明した。
それを聞いたミサトの顔がコマ送りのように変化する。

「エヴァの強制サルベージっ!?」
「現在、可能と思われる唯一の方法よ。 992個、現存する全てのN2爆雷を中心部に投下、 タイミングを合わせて残存するエヴァ各機がATフィールドを使い、使徒の虚数回路に1/1000秒だけ干渉すわ、その瞬間に爆発エネルギーを集中させて使徒の形成するディラックの海ごと破壊する」
「でも、それじゃあエヴァの機体が・・・シンジ君がどうなるか!!救出作戦とは言えないわ!!!」

たしかにすでに作戦と言えるレベルではない。
これに救出とつける奴がいたら正気ではないだろう。
ATフィールドでレリエルのフィールドにわずかな穴を開け、そこにN2の爆発を集中させることで殲滅する言う事だ。

「ミサト、言ったでしょ?唯一の方法だと・・・」
「でも!!」
「…すでに司令がGOサインを出してるのよ…」
「なんですって!!」

組織のトップが認めたのだ。
中間管理職のミサトが異を唱えたところで何にもならない。
この作戦はミサトの頭上を通り過ぎるのみだ。

「リツコ!!あんた!!!」

ミサトはリツコの襟首を握って詰め寄った。
応えるリツコは無表情

「落ち着きなさいミサト…」
「これでどうして落ち着けって言うのよ!!シンジ君はどうなってもいいっていうの!?」
「・・・アンビリカル・ケーブルを引き上げてみたら、先は無くなっていたそうよ」
「うっ…」
「…すでにシンジ君が飲みこまれて何時間経っていると思っているの?シンジ君が下手に動かずに生命維持モードにしたとしても持って16〜17時間…」
「……」
「わかるでしょ?他に方法も時間もないの…シンジ君の生き残る可能性もわずかながらあるわ。」

ミサトは黙ってリツコから手を離した。
この場でリツコを怒鳴りつけて時間を食えばどんどんシンジの生存の可能性が消えていく。
シンジが生きる可能性をゼロにしたくはない。

「ここにいるよりあなたにはやるべきことがあるでしょ?」
「でも…」
「いるだけでなにも出来ないなら自分の出来る事をしに行きなさい!!はっきりいって邪魔よ!!」

リツコの言葉にミサトは一瞬リツコを睨んだが黙ってテントを出ていった。
その後姿を見送ることもなくリツコはモニターに向き直った。

「先輩…」
「マヤ、今は仕事をしなさい…」
「はい…」

テントの中は気まずい空気が支配するがスタッフは黙って仕事を再開する。

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アスカとレイそしてマナとケイタは臨時発令所の近くのテントに集まっていた。

「あたしが悪いのよ…ミサトさんに意見しなければ・・・」
「いや、僕がガンヘットをもっと早く走らせることが出来たなら・・・」

テントの中心でマナとケイタがうつむいている。
特にマナはいつもの元気さからは考えられないほどに落ち込んでいた。
シンジが自分たちを助けるために影に飲まれたことで責任を感じているのだ。

「…あんたたち、いいかげんにしなさいよね!!」

いいかげんたまりかねたアスカが叫んだ。
空気が重過ぎる。

「“〜だったら”とか“〜してれば“をつければ誰にだって責任を押し付けられるじゃない!!」
「でもアスカ!!」
「うっさい!!」

マナが瞳に涙をためながら反論しようとするがアスカがさらに大きな声で一括する。

「…あたしだって、もうちょっとはやくあいつに気づいていれば…」

アスカが悔しそうに唇をかむ。
結局彼女もシンジのことが心配なのだ。

「…何だかんだ言っても皆ひきずっているじゃないか…」

ケイタがぼそっと呟いてレイを見る。
彼女だけはさっきから何もしゃべらずにじっと自分の手を見ている。
エヴァごしだったとは言えシンジの命綱を握っていた手だ。

「…アンタ達のせいじゃないわよ…」

いきなり聞こえた声に全員の視線がテントの出口を見る。
そこにいたのは厳しい顔のミサトだった。

「…最初の時点で使徒の力も見定めずに出撃させたあたしの責任よ…」
「で、でもミサトさん!!」
「マナさん!!…おちついて…」

ミサトの鋭い声にマナが驚いて動きを止める。

「…そのほかにも配置を変更したりした判断はあたしがしたのよ…すべての責任はあたしにあります。」
「だからってミサト…」

アスカがなんとも言えない表情でミサトを見る。
確かにミサトはこの場の責任者だ。
それだけにシンジと初号機が戻らなければ何らかの責任を取らされるだろう。
ただでさえ罰されるのが分かっていてさらにシンジのことを心配しているミサトを責める気は子供たちにはない。
しかしそれで納得しないのがミサト本人だ。

「…もっと考えるべきだったのよ…アンタ達を戦場に出している私達に出来る事はそれくらいしかないってのに…」

ミサトは皆に向かって深く頭を下げた。

「本当にごめんなさい」
「「「「「……」」」」」

それを見た子供たちは一同に戸惑った。
こんな時どう返したらいいかの経験は足りなかった。
慰める言葉が思い浮かばない。

「・・・・・・・」

誰もが動けずにいるとテントの外がにわかに騒がしくなった。
「関係者意外立ち入り禁止」と言う声が聞こえる
だれか保安部の人間と問答をしているようだ。

バキ!!
「邪魔だ!!」

なぜか打撃音の後に文句の言葉がして静かになった。
次の瞬間、テントの出入り口が開いて黒い人影が入ってくる。
ライダースーツを着た凪だ。

「霧間先生、何でここに?」

マナが驚いた顔で凪に聞いた。

「シェルターにムサシが何が起こっているか知らせに来たんだ」

凪がそう言うと続いてムサシとマユミが入ってきた。
マユミもムサシも顔が青ざめている

「ま、まて!!」

保安部の人間が後ろから追いかけてきたがそれを見たミサトが事情を話して止めた。
どうやら物分りの悪い保安部の人間を張り倒しながらここまで来たらしい。

騒ぎの張本人である凪は後ろで起こっている騒ぎなど完全に無視している。
無言で周りを見まわすと一直線にレイのもとに向かった。

「・・・話しは聞いた。」

そう言ってレイを抱き寄せる。
一瞬レイは驚いた顔になるが次の瞬間には自分から凪にしがみついた。
嗚咽混じりの声で話し始める。

「シ、シンジ君が!!」
「落ち着くんだ綾波…あいつなら間違いなく大丈夫だ。」

凪はそう言ってレイの頭を撫でてやる。
しばらく嗚咽が聞こえていたが、それが収まってもレイは凪から離れなかった。

「・・・みんなにも言っておく、わかっていると思うがシンジはあれでかなり非常識な奴だ。まず死んでないと保証してやる。だから死体を見るまで取り乱すんじゃない・・・いいな?」

凪の言葉に全員がうなづく
それをミサトは感心しながら見ていた。
さすがというか役者が違う。
おそらく凪はムサシから事情を聞いた時点でこの場で誰が一番ショックを受けているか悟ったに違いない。
だからこそ真っ先にレイに駆け寄ったのだ。
なんと言ってもレイはシンジを救えるかもしれない位置にいたわけだし、シンジとの付き合いもこの中で一番長い
それにレイの中でシンジの存在はかなり大きいものだ。

(かなわないわね・・・)

ミサトは素直に負けを認めた。
自分ではこれほど簡単に子供たちのケアを出来なかっただろう。
これが教師と言うものかと羨望すら感じる

そんな事を考えていると凪がミサトを振りかえった

「・・・葛城さん?」
「え?あ、はい」
「ネルフはこれからどう動くつもりなんですか?」

凪の言葉に全員の視線がミサトに集まった。
確かにそれは無視できない問題だ。
ミサトはその視線を受けとめて覚悟を決めた。

「…皆にこれからの事を話します。」

ミサトの説明が進むに連れ、全員の顔がけわしく歪む

「…ちょっと待ってよミサト…N2を大量にあの影に放り込む?」
「…そうなるわね」

その言葉にアスカが切れた

「ざっけんじゃないわよ!!シンジはどうなんのよ!!そんな中で生き残れんの!?」
「……」

ミサトは答えられなかった。
これは救出作戦と呼べるものではない。

「惣流、落ち着け」
「で、でも凪先生!!」

ミサトに飛びかかりそうになっているアスカを凪が背後から羽交い締めにして止めた。
アスカの動きが完全に止まる。

「葛城さん?」
「はい」
「他に方法はないんですか?」

凪の言葉にミサトは苦しそうな言葉で答えた。

「…私には方法が思いつかないわ…リツコはそれが私達に出来る唯一の方法だって…リツコがそう言った時は本当に手がないのよ…」
「だからって!!」

腕の中のアスカが暴れたので凪は口をふさいで黙らせた。
他の皆にも暴発しないように視線で釘を刺す。

「…シンジが生き残る確率は?」
「……」

ミサトは具体的な事は聞いていない
しかしその方面に疎いミサトでもその確立が0より上だとは思えなかった。

「……」
「なんとか言いなさいよミサト!!」
「惣流、落ち着け」
「凪先生もなんでそんなに落ち着いてるんですか!!」
「落ち着けといっているだろう!?シンジなら十分生き残る可能性がある!!」
「「「「「「「え?」」」」」」

全員が凪の言葉に驚いた顔になる。

「あいつはいろいろ“異常”だからな、“爆発のエネルギー”くらいで死ぬと思うか?」

凪の言葉に全員が悟った。
シンジの異常なところ…その左手に宿る力…【Left hand of denial】(否定の左手)
すべての“現象”を否定するの能力を使えばたとえN2の爆発のエネルギーすらも否定できるはずだ。
全員の顔に希望の光が宿る。
訳がわからず困惑しているのは事情を知らないミサトだけだった。

「そうか、そうとわかったらちんたらしてらんないわ!!」
「惣流?もう少し言葉使いとか…淑女を心がけないと将来後悔するぞ?」
「いいんですよ凪先生!行くわよレイ!?エヴァの準備をしなくっちゃ!!」

アスカの言葉にレイが頷いてテントを出ていった。
そこにさっきまでの暗い影はない。
シンジを救う可能性が残っているのだ。
救えなかったことを悔やんでいる暇はなかった。

「な、何なの?」
「葛城三佐」
「はい?」

ミサトが振り向くとマナ達が並んで立っていた
顔がさっきまでと正反対に生き生きしている。

「ガンヘットで作業の手伝いに向かいます。ご許可を」
「そ、そうね、お願いするわ」
「「「了解!!」」」

三人は駆け足でテントを出ていく。
その姿はやるべき事に真っ直ぐ進む力強さに満ちていた。

「…どう言う事なの凪さん?」
「さあ、山岸?俺達はシェルターに帰るぞ、ここにいても一般人の俺達は邪魔なだけだ。」
「はい…」

マユミの声は少し寂しそうだった。皆がシンジのために動いているのに自分だけなにも出来ないのが悔しいのだろう。
しかし凪もマユミも一応は一般人だ。
ここで出来ることはない。

「…ちょっと待ってくれる、凪さん?」
「え?」

テントを出ようとした凪をミサトが引き止めた。

「…ちょっと話したい事があるの……」

ミサトの真剣な顔に凪は頷きを返す。

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仮設本部のテントはあわただしく人が動いていた。
その中心にいるのはリツコだ。

「そう、そちらの準備は出来たのね?了解」

電話の受話器に話し掛けながらキーボードを叩いている。
作戦の準備は着々と進んでいた。

同じようにシンジに残された時間も削られていっている。

「こんちわ〜」

そんな中に能天気な声が入ってくる。
加持だ
方手にトレイを持っている。
その上にはここに詰めている人数分のコーヒーが乗っていた。

「加持君?」
「陣中見舞いだよ」

加持は全員にコーヒーを配り、最後にリツコのテーブルにコーヒーカップを置いた。

「ありがと」

リツコは手を休めてコーヒーを手に取る。

「・・・どんな感じだい?」
「・・・・・・一応の指示は出し終えたわ・・・」

加持の質問に簡潔に答えるとリツコはコーヒーに口をつけた。
だが次の瞬間、リツコは不満そうに口からコーヒーを離す。

「・・・まずいわね」
「あれ?気に入らなかった?結構いい豆なんだがね?」
「入れ方がなってないのよ」
「コーヒーにも紅茶みたいなゴールデンルールがあったのかい?」

リツコの不満そうな顔に加持は苦笑で答えた。

「お詫びに少し息抜きしない?」
「え?」
「10分位でいいからさ、外を歩くと気分転換になるよ?」

いきなり加持が言った事にリツコは少し考えた。
とりあえず指示は終わっているから10分位なら問題は無い、それに・・・

リツコがチラッと加持を見ると顔は笑っていたがその視線に何か含むものを感じる。
何か連れ出したいわけがあるのだろう。

「・・・いいわ」
「え?先輩?」
「指示は一通り出してるからそのとおりにチェックしておいてちょうだい」
「は、はい」

加持とリツコは連れだってテントを出て行った。

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「それで?何が目的なのかしら?」

第三新東京市を見下ろせる高台に二人は来ていた。
ここからだと空中の球体もその下の影も良く見える。

「ん?ただデートに誘いたかっただけだよ」
「そう?じゃあこれで満足でしょ」

リツコは加持に背を向けて歩き出した。
まったく躊躇なしだ。

「ち、ちょっと待ったリッちゃん、悪かったよ」
「最初からそう言えばいいのよ」

あっさり加持に振り向くと加持の横に立って町を見下ろす
第三新東京市は見るも無残な状態だった。
全てのビルは傾き、背の低い建造物は影に飲まれて跡形も無い。

「相当に大雑把な作戦だよね?」
「・・・他の方法は無いのよ・・・あったら教えてくれる?」
「いや、さっすがに相手が宇宙と同じくらい大きいと俺程度の頭ではね・・・司令はなんって言ってるんだい?」
「・・・初号機の回収を最優先」
「パイロットは無視か・・・葛城は何て言ってる?」
「何も言わないわよ、言ってないもの・・・それともシンジ君より初号機の回収を優先させてるって言ってくれるの?・・・あなたが?」
「賢明だね、言わないほうが正解だ。葛城のことだから司令室に怒鳴り込むだろうからな」

加持は隣にいるリツコの顔を見た。
それに答えるようにリツコも加持を見返す。

「・・・正直なところ成功の可能性は?」
「聞かないほうがいいわよ、マイナスがつかないほうが不思議なくらいだもの」

リツコはあっさり言い切った。
人類が虚数空間などというものに対面したのはおそらくこれが初めてだ。
そもそもどう対応していいかわからない。

結局のところ単純な方法しかない。
要するに力押しである。
しかし、たとえN2が10桁分あろうとも効果があるとは思えない。
なんせ相手は広大な”空間”なのだ。

「それでも希望はあると思っている?」
「なぜ?」
「N2の配備を急がせてるだろう?シンジ君が生きているうちにかい?」
「・・・このまま行けばシンジ君に残された時間に30分ほど余裕が出来るわ・・・」

リツコは再び第三新東京市を見下ろす。
町を飲み込もうとしている影の中に彼と初号機がいるはずだ。

「しかし、無茶な作戦はネルフの専売特許だろう?」
「・・・どういう意味かしら?」
「オーナインシステムの初号機をいきなり実戦投入・・・」
「それは・・・」
「まあ起動云々はこの際放っておくにしてもいきなり呼びつけたシンジ君を放り込んで戦場に放り込むわ戦闘指示がまともに出ないわATフィールドが使えるかわからないわ・・・」
「・・・・・・」
「これで勝てる可能性が0以上だったら世の中がおかしいよ」

リツコは加持の言葉を黙って聞いていた。
反論の余地がない。

「大体、エントリープラグかコアを一撃で貫かれていたら暴走すら出来なかったろうに・・・」
「・・・っ」

加持の言葉にリツコは一瞬息を飲んだがすぐに思い直した。
考えてみればこの男ならわざわざそんな無茶をした理由を知っていてもおかしくは無い。

加持はにやりとした笑みをリツコに向けた。

「他にもあるぞ?極めつけはあの空から落ちてきた奴、あれは良くぞ受け止めたもんだ。確率なんていうレベルじゃない、まさに奇跡だな」
「・・・でも、その奇跡の中心人物は今はいないのよ?」
「リッちゃん、何言ってるんだ?」
「え?」

リツコは呆けた顔になるが加持は笑って第三新東京市を親指で指した
正確には町の中心で何もかもを飲み込もうと口をあけている影を・・・

「彼ならあそこにいるだろう?いないどころかど真ん中にいるじゃないか」
「・・・加持君、あなたシンジ君が内部から何かするって考えてるの?」
「おかしいか?」
「・・・宇宙と同じ位に広い空間なのよ?初号機のエネルギーはほとんど無い。・・・それでも、もし何か出切るとしたら人間技じゃないわよ?」
「案外そうかもしれないな・・・」
「え?」

加持は面白そうに頭上のレリエルの影を見る。

「彼の記録を見ていて思ったんだ。俺たちの常識に彼を当てはめようとするのは間違いなんじゃないんだろうかってな・・・」
「・・・・・・」

リツコは加持の言葉に息を呑む
加持が言った事はリツコも感じていた事だ。
シンジの異常さは自分たちの理解を超えている。

「・・・彼は俺達の予想を鼻で笑うように軽々と飛び越えていく・・・組織でも特殊な訓練でもない、それは彼自身に俺達の理解を超えた何かがあるような気がしてならないんだ」
「・・・・・・それでシンジ君のことを追い掛け回しているわけ?」
「ストーカーみたいに言われると悲しいね、リッちゃんも似たようなもんだろう?」

リツコは苦笑を浮かべるだけで答えなかった。

「それに、ドグマでのシンジ君の問いに答えてない」
「・・・そうね、私も返事はしていない」

加持を横目にリツコも空に浮かぶ球体を見た。
依然として町を睥睨するように浮かんでいる。
その中にいる少年・・・

「さて、そろそろ10分過ぎるな、退散するよ」

加持はそう言って歩き出した。
その後姿にリツコが声をかける。

「・・・ねえ加持君、あなたシンジ君の味方?それとも敵?」
「今のところどっちともいえないね」
「そう・・・なら気をつけたほうがいいわよ、彼の敵は世界の敵らしいから・・・」
「…何それ?」
「さあ、シンジ君が以前そう言ってたのよ、世界の敵になるなら「容赦しない」って言われたわ、凄い殺気のおまけつきでね」

リツコは加持に背を向けて歩き出した。
二人ともお互いを振り返らず背中同士だ。

「・・・少なくとも私は彼を敵に回したいとは思わない」
「・・・・・・同感だね」

そのまま二人は反対方向に分かれた。

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「スパイ容疑?俺とシンジに?」

ミサトに話があるといわれて呼び出された凪はミサトの言葉に素っ頓狂な声を出す。
かなり意外な話だ。

「いえ、一部の人間がそう考えてるってことよ」

凪の頭の中には一瞬でその一部のリストが出来上がった。
おそらくゲンドウ、冬月それに加持あたりだろう。

「・・・なるほど、でもなぜ俺まで?」
「あなたがマルドゥック機関を調べたことがあるのは聞いたわ」

情報源は間違いなく加持だと当たりをつけて凪は作り笑いを浮かべる。
自分がマルドゥック機関を調べたことは、むしろ今まで追及されなかったことの方が意外だった。

「それで、俺にそれをわざわざ言うのは何故ですか?」
「本当なの?」
「・・・俺がスパイなら本当のことを言うわけないじゃ無いですか?」

凪の言う事は正論だ。
わざわざ自分からスパイです等と言うアホなスパイもいないだろう。
しかしミサトの顔は真剣だった。

「・・・私は本当のことが知りたいの」
「・・・・・・それはネルフの作戦部長としてですか?それとも葛城ミサト個人として?」
「両方よ」

ミサトは凪の質問に即答する。
まったく迷いがないのは相当な決意の表れだろう。

「作戦部長としてはシンジ君やあなたが何故ネルフに来たのか知る必要があります。・・・それ以外にも葛城ミサト個人としてはやめてほしいと思っているわ」
「・・・・・・なぜ?」
「ネルフは国連直属の組織よ、当然機密の漏洩には厳しいわ、最悪の場合拘束や何らかの処分もありうる・・・できればそんなことになってほしくない・・・」
「・・・公と私で理由があるわけか・・・」

凪はため息をついた。
ミサトの言うことは正論だ。
真剣にシンジのことを心配している。
凪個人としては話してもいいのだが・・・・

「悪いが俺が知っていることはシンジがいいといわなければ言うわけにはいかない・・・」
「・・・ええ、ドグマでもシンジ君に味方でもない人に言うわけにいかないって・・・」
「ちょっと待った!」

凪がミサトの言葉に待ったをかける。
その表情は険しい。

「え?」
「今聞き捨てならないことを言ったな?ミサトさん、ドグマでシンジと会っただと?」

ドグマはいろいろな意味で重要な場所だと認識している
そこでシンジとミサトが会うなどただ事ではない。
凪の口調が驚きで年上に対するものからタメ口に近いものに変化した。
地がでている。

「・・・・あ」

ミサトは凪の言葉に自分が失言をしたのに気づいた。
ドグマに関することは機密に該当する。

しかし、同時にミサトは確信した。
シンジと同じだ
目の前の凪はドグマのことも、おそらくその先の秘密も知っている。
そうでなければこんな顔はしない

「・・・凪さん、あなたドグマのことを知ってるのね?」
「・・・・・・」

凪はうかつな事をしてしまったと舌打ちした。
どうやらミサトとお互い様らしい。
いつもの凪らしくない失敗だった。

「俺には答える事は出来ない」
「なぜ!!」

ミサトは真剣な顔で詰め寄る。
それを凪は無表情で見返す。

「…そもそもなんでそんな事を気にするんだ?」
「なんでって…」
「シンジには確かにあんたに秘密にしている事がある、だがシンジがその気になればネルフなんぞすでに崩壊している。これだけ見てもシンジが人類を守ろうとしている事くらいわかるだろう?何が問題なんだ?」

凪の言葉を受け止めたミサトがうろたえる。
たしかにネルフは今やシンジが中心となっている部分が多い
それは自分も含めて彼に直接影響された人間達をみればわかる
さっきの子供達がいい例だ。
大人たちは子供たちのように表に出してはいないがその影響はある。

「私は…シンジ君を含めたあの子達を家族と思っている」
「……」
「だからシンジ君が危ない事をしているとしたら止めさせたい…それだけなの…」

ミサトはうつむいた。
その肩が小刻みに震えている。

「ふう…」

凪はため息をついた
正直こういうのには弱い

「…俺に教えられる事は少ない」
「教えてくれるの!!」
「……いえる事なら」

凪は一旦言葉を切るとミサトに向き直った。

「…まず、俺達はネルフをどうこうしようと思っちゃいない」
「ええ、それはわかっているわ、それが目的ならとっくにやっているでしょうしね」
「結構」
「目的は?」
「それは言えない」

凪の言葉には拒絶の音色があった。
この事に触れるなと言う暗黙の意思表示だ。

「次に、シンジはどこの組織にも所属しちゃいない」
「スパイじゃないって事?じゃああなたは何でマルドゥックを調べたの?」
「あの加持って人にも言ったが…聞いてないのか?」
「……いいえ」

どうやら加持はミサトに重要なことは何も話さなかったらしい。

ミサトも加持がなにも言わなかったので怒ったようだ
こっそり心の閻魔帳に書きこんでおく

「まあ、マルドゥック機関を調べようと思うこと自体は当然と言えば当然だろ?」
「…そうね」

シンジはネルフを信用してはいない。
それもいろいろな意味で理解できる。
自分がパイロットに選ばれた理由を知りたいと思うのは当然だ。

「次に俺達は人類の滅亡なんぞ望んでいない、ただ目的はある。そのためにネルフに手をかしているだけだ。・・・この際だからはっきり言っておくが俺やあいつはネルフなんてどうでもいい」
「分かってはいるけど・・・ちょっち問題発言ね、シンジ君も?」
「シンジは多少はこだわりがあるかもしれんがな・・・あいつはどうだかな・・・」

ミサトはブギーポップの存在を知らないため、凪の言葉に違和感を感じたが黙って次の言葉を待つ。

「正直、ネルフの掲げる使徒殲滅は俺達の目的とも合うんだ」
「じゃ、ネルフを利用してるって事?」
「ネルフもシンジを利用しているだろ?どっちもどっちだよ」

ミサトは凪の言葉を否定できなかった。
凪が言う事は全て事実

その言葉を最後に凪はミサトに背を向けた

「俺に言えることはここまでだ」
「待って、何故目的を言えないの?」
「さあね、少なくともシンジはアンタは知らないほうがいいと思っている」
「・・・・・・私じゃ足手まといって言うの?」
「・・・いろいろと危険なんだそうだ、シンジの奴はそれに誰かを巻き込むのを嫌う・・・大事な人なら余計に・・・理由はそれで十分だろう?」

凪は顔だけで背後のミサトを振り返った。

「あんたも気づいてるんだろうがシンジの奴はいろいろと複雑なものを抱えている。しかも全部が全部面倒くさいものだ。」
「・・・・・・」
「シンジのことを家族のように思ってくれてるのはわかっているが・・・」

ミサトを見る凪の顔が緩む。
どうやら苦笑したようだ。

「・・・もう少しだけ待ってやってくれないか?」
「え?」
「別にあいつも理由もなく黙っているわけじゃない、ミサトさんに話すべきだと思ったらあいつは自分から話す。」

ミサトの脳裏にドグマでのシンジの言葉が思い出される。
自分が彼の敵か味方か・・・

「シンジの奴が話さないのはまだその時じゃないからだ。」
「・・・つまりもっとがんばれってこと?」
「そうかもしれないな、まったく14歳のくせにませた奴だ」

凪は笑いながら歩き出した
背後に向けて手をひらひらと振っている。
それを見送るミサトの口元も笑みの形になっていた。

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「遅いわよミサト!?」

ミサトがテントに戻ってくるといらいらしたリツコの雷が落ちた。
それも仕方がない。
この十数時間不眠不休で作業しているのだ。
ストレスもたまる。

「ごみ〜ん」

リツコの剣幕にミサトは拝み倒しで謝った。
もはや言い訳無用である。

「?・・・あなた、何かあった?」
「へ?何にもないわよ?」
「そう?」

リツコはミサトの苦笑いを見ながら不思議な物を感じていた
確か数時間前に自分の襟首を掴んだときはもっと余裕のない雰囲気だったはずだ
現にさっきの言葉も怒鳴り返されるのを予想して反論の言葉まで考えていたのに・・・

「ああ、まあちょっちいろいろあったのよね〜」
「・・・そう?」

その態度に何があったか気になったがリツコは追求しなかった。

「それで、どんな状況?」
「・・・配備は完了したわ、零号機と弐号機も準備できている。」
「そう、シンジ君に残された時間は?」
「・・・・・・おそらく後30分もないわね・・・」
「急がないとね・・・」

リツコがそういうとマヤがモニターを操作して外の様子を映し出す。
モニターに空中のレリエルが映った
もっともモニターに映っている球体は影らしいので厳密には違うかもしれないがその周囲には無数の戦自の大型輸送ヘリが飛んでいる。

『輸送ヘリ、全機到着!!』
『N2の最終安全ロック解除!!』
『使徒の周囲の戦車隊に退去命令!!』
『了解、あと0015で完了します!!』

次々に報告が入るのをミサトとリツコは黙って聞いていた。

「準備完了」

青葉が全ての準備が完了した事を告げる。

「了解、エヴァに通信をつないで」
「了解」

リツコの指示でマヤが零号機と弐号機に通信をつなぐ
モニターにレイとアスカの顔が映った。

「アスカ、レイ、聞こえる?」
『『はい』』
「もう一度作戦を確認するわ「そんなことはいいわ」ミサト?」

リツコが作戦の確認をしようとしたとき、ミサトが通信に割り込んだ。

「あんた達がやるべきことは一つだけ、シンジ君をあの影から引きずり出しなさい、いいわね?」
『当然でしょ!!』
『了解しました、ミサトさん』

アスカとレイはミサトの言葉にしっかりと頷き返した。
もはやそれ以上の言葉は要らない。

「よっしゃ!!期待してるわよ」

ミサトはそういうと通信を切った。
これ以上はなしても二人のテンションを下げるだけだ。
通信を切って来るべき瞬間に備えさせる。

「ちょっとミサトあなたね!!」
「先輩」
「なによマヤ!?」
「二機のシンクロ率が90%を越えました。」
「・・・本当なの?」

リツコはモニターを覗き込んだ。
そこにある表示はレイが92,4%アスカが94,6%だった。
かなりの高シンクロ率だ。
二人のテンションの高さが如実にあらわれている。

「・・・・・・」

リツコはミサトを振り返った。
この状況は間違いなくミサトの言葉が原因だろう。

当のミサトは真剣な顔でモニターの中のレリエルをにらんでいた。

「・・・作戦を開始します。N2全弾投下用意・・・」

ミサトの号令で上空に待機していた輸送ヘリの下部が開く

「投下!!」

号令と共にヘリから大量のN2が投下された。
その数は992個
人類のもてる最強の破壊の力が重力にしたがって影に落ちていく

そして最後の一個まで影に飲まれた。

「爆破まで後1分!!」

マヤがカウントを始動させた。
60から0に向かってカウンターが進んでいく

『『ATフィールド!!全開!!』』

零号機と弐号機からアスカとレイの声が届く
計器には強力なATフィールドが感知された。

そのまま時間だけが進む・・・

5・・・4・・・3・・・2・・・1・・・・・・・・・・・・0

モニターの中のレリエルには変化がない

誰も何もいえなかった。
予定ではすでに何らかの動きがあるはずだ。

1分・・・2分・・・

「・・・・・・失敗?」

誰かの遠い声がみんなの耳に届いた。

「マヤ・・・ATフィールドは?」
「・・・・・・依然展開中です・・・」

誰も何もいえなかった。
そのまま無言の状態がしばらく続く
シンジに残された時間が時の針に切り刻まれていく

『あんた達何してんのよ!!』
『シンジ君はまだ生きてる!!』

アスカとレイの言葉が届くが誰も答えない。
二人は今もフィールドを張り続けている
やめてしまえばシンジが死んでしまうというように・・・

「アスカ・・・レイ・・・」

ミサトは消えそうになる気力を奮い立たせて二人に話しかける。
告げる言葉は作戦の終了・・・それはシンジの死を認めるようなものだ。

しかし・・・言わなければいけない
自分以外に言うべき人間はいない
思えばこうなる事は覚悟しておかなければならなかったのだ。

シンジが初めてこの町に来て初号機に乗ったときに・・・
使徒との戦闘でシンジが・・・死ぬ事を・・・

「・・・覚悟はしていたはずなんだけれどな・・・足りなかったか」

ミサトはモニターのレリエルを見る。
その顔に表情はない

「・・・使徒に復讐する理由ができちゃった・・・」

父の死で使徒に復讐するのは筋違いだとシンジに教えられた。
しかし・・・そのシンジはいない・・・使徒に・・・殺された。
あるいは戦場に送り込んだ自分たちのせいで・・・

「・・・・・・ドグマでの返事、言えなかったな・・・」

ミサトはそう言うとアスカとレイに通信をつないだ。
シンジの死を告げる最初で最後の言葉をつむぐために・・・

ドクン!!

「「「「「「え?」」」」」」

いきなり空間を振るわせた鼓動のような音に皆が顔を上げる。
・・・・・・・・次の瞬間・・・・・・・世界が震えた。






To be continued...

(2007.08.11 初版)
(2007.10.13 改訂一版)


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