天使と死神と福音と

第拾弐章 〔己の半神〕
W

presented by 睦月様


震撼する世界・・・その原因を求めて時をしばし遡ろう。

「・・・ん」

シンジは非常灯だけの薄暗いエントリープラグの中で目を覚ました。
ここに来てから数時間たつが寝る以外に出来ることがない。

「・・・本の一冊でも持ってくればよかったかな?」

のんきな事を言いながらシンジは初号機のモニターをONにする。
プラグの中に七色の光が走って外の風景が映し出された。

「相変わらず真っ白か・・・漫画なら完全に手抜きの絵だな」

レリエルに飲まれたシンジは気づいたらこの場所にいた。
それ以来周りに変化がない。
真っ白い空間が広がるのみだ

「レーダーもソナーも返ってこない・・・空間が広すぎるんだ・・・ 」

レーダーはともかく、何故陸上兵器にソナーなどついているのかはかなり疑問だ。
海中でのエヴァは無力に近いのはガギエル戦で立証されているのだが・・・どのみちここでも何の役にも立たないらしい。

シンジは初号機のモニターを消した。
再び非常灯だけの薄暗いプラグに戻る

ためしに空間を削って移動してみたりしたがこうまで周りに変化がないと本当に移動しているかすら怪しい。

「・・・そういえば何故あのとき【Left hand of denial】(否定の左手)は発動しなかったんでしょう?」

シンジは天井を見ながら呟いた。
問いかけの相手はブギーポップだ。

(おそらく、世界が違ったからだろうね)
「世界が違う?」
(あの使徒はそのままゲートのようなものだった。それはわかるね?)
「はい、あの影の暗闇を抜けたらいきなりこんなところですからね」
(ここからは予想でしかないが、あの影が使徒の本体で一方通行のゲートなんだろう)
「一方通行のゲートですか?」
(そう、証拠にどこにもぼく達がここに来た時に通った影がない)

周囲は真っ白な空間だ。
そんな影などがあれば見落とすはずがない。
あの穴が一方通行だったというのは間違いないだろう。

(君は影に左手を突っ込んだ状態で能力を使った…多分あれがまずかったんだと思うよ)
「…どう言う理屈です?」
(まずあの使徒に【Left hand of denial】(否定の左手)が効かなかった理由、使徒の本体が向こうの世界に存在していてこの世界には存在していなかったという可能性…君の否定の力が世界の向こう側まで届かなかったんだ。物理的なものじゃないしね)
「能力が届かなかった?」
(君の能力は両手を中心に発動する。だから何かの拍子に両手が使えなくなるとその力を使う事が出来なくなるんだろうね)
「…なるほど、まさかそんな欠点があったなんて…」

確かにシンジの能力は両の手、それも手首から先が中心になって発動する。
そのために今回のように手を封じられれば上手くつかえなくなるということになるのだ。
最も手を縛った位では意味がない。
何らかの能力のようなもので封じるかそれこそ切り落とすかする必要があるだろうが

「・・・・・・」

シンジはシートに座りなおした。
確かにブギーポップの言うとおりなら説明がつくが・・・こんな状況で自分の能力の欠点が出てくるとは・・・ついていない。
おかげでにっちもさっちも行かない状況だ

シンジはプラグスーツにつけられている時計を見た。

「生命維持モードに切り換えてから12時間・・・あと残り4、5時間か・・・」

シンジはエントリープラグの天井を見ながら呟いた
別に閉所恐怖症でも暗所恐怖症でもないが狭い空間に閉じ込められているのはいい気分はしない

(・・・シンジ君?)
「はい?」
(後悔してるかい?)
「・・・なにを?」

シンジの言葉にわずかな沈黙が二人の間に落ちた。

「・・・・・・正直、心残りはあります。でも普通の死に方が出来ないくらいの覚悟はとっくに出来ています。」

この六年間の事がシンジの脳裏に蘇る。
ブギーポップに協力すると決めたシンジがまず初めにした事・・・それは自分が死ぬという覚悟だった。
何かの歯車が狂えば自分が世界の敵に殺されることは十分ありうる。
主人公が死なないのはファンタジーの中だけだ。

しかしそれでもシンジはブギーポップに協力すると決めた。

「ここにぼくがいるのはそうやって自分で人生を選んできたからです。・・・結果としてこんな状況ですがそれは全てぼくが決めて歩いてきた事の証明ですからね・・・それは誇っていいことだと思っていますよ・・・自分で言うのもなんですが」
(そうか・・・)

ブギーポップは何も言わなかった。
二人の間には余計な会話がいらないくらいの絆がある。
むしろ言葉にするほうが無粋というものだろう。

「水が濁ってきてる・・・浄化能力が落ちてきているんだ・・・」

LCLに小さなゴミのようなものが漂い始めた。
エントリープラグ内のLCLの循環が悪くなってきてLCLが凝固をはじめたのだ。
成分が血液に近いため赤い結晶ができてきている。
いずれもっと増えるだろう。

「・・・別に死にたいわけでもないんですが・・・」

シンジはそう言って瞳を閉じた。
ゆっくりとシンジは眠りに落ちて行く。

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ガタン・ゴトン・ガタン・ゴトン・・・

カンカンカンカンカン・・・

体が揺られる感覚がある・・・
踏み切りの鐘の音がうるさい・・・

「・・・え?」

シンジが瞳を開けると見覚えのない風景があった。

いつの間にか一両だけの電車の座席にシンジは座っていた。
レトロな車内にはシンジ以外には誰もいないようだ。
窓の外は夕焼けに狐色になった草原

「・・・どこだここ?」

シンジはぼんやりした頭で考える。
寝起きのせいか頭がうまく働かない。

「・・・・・・いつこんな電車に乗ったんだっけ?」
『・・・忘れちゃったの?』

シンジの独り言に誰かが答えた。
気だるそうな仕草でシンジが正面を見ると反対側の座席に誰かが座っている。

小学生くらいの男の子だ。
シャツに半ズボンを着ている。
帽子を深くかぶっていて顔は見えない。
こんな子・・・いただろうか?

「・・・君は・・・いつからそこにいるの?」

どうにも頭に霞がかかったような感じではっきりしない。
頭がぼうっとして自分の名前もおぼろげな感じになる。

『最初からいたよ?気づかなかった?』
「え?・・・そう?」
『クスクス・・・まだ寝ぼけてるの?』
「・・・そうかも知れない・・・頭がぼうっとして重いんだ」

帽子の下から見える口元が笑いの形につりあがる。
どこがどうと言う訳ではないが何か嫌な笑い方だ。

「・・・電車に乗ってるって事はぼくは何処かに行こうとしていたんだよね・・・どこに行こうとしてたんだっけ?」
『わからないの?』
「いや、覚えてないんだ。ぼくがどこに行こうとしていたのか・・・」
『そう・・・』

シンジはなぜか男の子から視線をそらした。
なぜかこの子を見ると落ち着かない感覚に襲われる。
妙に気恥ずかしい感じだ。

「・・・君は誰?」
『君はぼくのことを知ってるはずだよ?』
「・・・・・・ぼく達・・・何処かで会ったっけ?」
『覚えてないの?』
「ごめん・・・」
『いいよ・・・』

シンジの言葉に男の子は首を傾げるが気を悪くしたわけではないようだ。
笑みの形に唇を吊り上げたまま話し続ける。

『ぼくは君だよ、人は自分の中にもう1人の自分を持っている。自分という物は皆2人で出来ているものさ・・・』
「・・・え?」
『実際に見られる自分とそれを見つめている自分だよ。碇シンジという人物だって何人もいるんだ・・・ 葛城ミサトの心の中にいる碇シンジ・・・赤木リツコの中の碇シンジ・・・惣流・アスカの中の碇シンジ・・・綾波レイの中の碇シンジ・・・山岸マユミの中の碇シンジ・・・霧島マナの中の碇シンジ・・・霧間凪の中の碇シンジ・・・・・・碇ゲンドウの中の碇シンジ・・・・・・君は知り合いが多いんだな・・・みんなそれぞれが違う碇シンジだけど、どれも本物の碇シンジさ・・・』

男の子はシンジを真正面から見る。
その顔はシンジのよく知る顔だった

『そして僕は碇シンジの心の中の碇シンジだよ』

シンジはじっと男の子の顔を見る。
それは子供の頃の自分だった。
おそらくは5歳位だろう。
さっき感じた感覚は昔の自分を見たからだったのかと妙な納得をする。

「・・・信じられない」
『 ・・・それはぼくが言いたいよ。君はいつまで自分と他人を偽り、騙すんだい?』
「騙す?」
『そうやって現実から逃げているんだね・・・』
「逃げる?・・・ぼくが?なぜ?」

シンジの瞳にはっきりとした理性が戻りはじめる。
同時に強烈な違和感がシンジを襲ってきた。
違和感の元は目の前にいる昔のシンジだ。

『この世界には辛い事が多いすぎるからね・・・』
「・・・否定はしないけれどさ・・・」
『楽しい事を数珠の様に紡いで生きてゆく事なんて出来ないんだよ・・・』
「当然でしょ?」
『え?』

子供のシンジがなぜかうろたえる。
すでにシンジはいつものペースを取り戻していた。

「楽しい事ばかり続けばそれになれるのが人間なんだよ。苦しい事があるからこそ楽しい事、嬉しい事がよりはっきり感じられる。そう思わないか?」
『え?・・・え?』
「・・・まだちょっと早かったかな?光が強いほどに影はその色を濃くする。同時に光は影があるからこそその存在を認識する事が出来る」
『・・・よくわからない、何が言いたいの?』
「簡単に言うとつらい事も捨てたもんじゃないってところかな・・・」

シンジは反対側の座席に座る幼いシンジに笑いかけた。
幼いシンジはなぜかおびえている。

「さて、そろそろ教えてくれないかな?」
『な、何を?』
「君は一体誰だ?」

その一言に幼いシンジが驚いた顔になる。

『ぼ、ぼくは君だ、碇シンジだ』
「嘘だね」
『なんで!!』

幼いシンジが叫んだ。
対してシンジは余裕の笑いを浮かべている。
すでにペースはシンジのものだ。

「君はぼくじゃないよ、だって・・・」

幼いシンジはシンジの言葉を最後まで聞かずに座席から飛び降りた。

「・・・ぼくは自分の半身を知っている。」

シンジはじっと目の前の幼い自分を見る
シンジの視線と言葉に幼いシンジは逃げ出した。
車両の出口に向かう。

『・・・あ』

しかし辿り着く事は出来なかった。
扉の前にはすでに先客がいたのだ。

それは漆黒の影よりさらに黒い夜色のマントと筒のような帽子をかぶった人物・・・
白粉をつけたような白い顔が目の前の幼いシンジを見る。

「彼がぼくの半身だよ」

背後には座席から立ち上がったシンジが近づいてきていた。
幼いシンジは二人にはさまれて逃げることが出来ない。

「・・・・・・」

ブギーポップはその右手を掲げた。

手の周囲にきらめく光がある。
全てを切り裂く鋼線のワイヤーだ。

そのまま無表情で振り下ろそうとして・・・

「ブギーさん、率直過ぎますよ・・・」

いつの間にかブギーポップの隣に現れたシンジがその腕を掴んでいた。
どうやら能力で移動したらしい。

「・・・シンジ君、そうは言うがこの子は何か危険だ。」
「だからって消してしまえって言うのもないでしょ?」

シンジとブギーポップは至近距離で見詰め合う。
幼いシンジはそれを黙ってみていた。
完全な三竦みだ。
碇シンジの顔を持つ3人がじっと動けないでいた。
場合によってはシンジとブギーポップが直接殺しあうことにもなりかねない。

『フフフフフフッ』

いきなり聞こえた笑い声にシンジとブギーポップがその方向を見る。
笑っていたのは幼いシンジだった。

「・・・何を笑っている?」
『ははっゴメンゴメン』

愉快そうに笑う幼いシンジはさっきまでのおびえたところがなくなっている。
どうやら演技だったらしい。
代わりに何処か浮世離れした雰囲気を醸し出していた。

『君達は本当に面白いね・・・』
「・・・君は一体誰だ?」
『ふふっ碇シンジ君、君を試して悪かった。ぼくは君たちのことが知りたかっただけなんだ』

幼いシンジの姿が徐々に消え始める。
まるで空間に溶けるCG映像のようだ。

『・・・お詫びに力を貸してあげる。』

次の瞬間、幼いシンジの姿が光になってはじける。
強烈な光の本流にシンジとブギーポップが飲まれた。

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「はっつ!!」

シンジはシートから飛び起きた。
どうやら眠っていたらしい。
周囲を見回せば変わらずエントリープラグの中だ。

「なんだったんだ今のは・・・夢?」
(いや、精神世界のことではあるが現実だよ)

シンジの疑問にブギーポップが答えた。

「やっぱり、ブギーさんがいたって事はあそこは初号機の?でもあの子は・・・」
(それはまちがいないが・・・何か来た)

ブギーポップが何かを感じてシンジに注意を促した。
シンジはとっさにモニターをつける。

「なんだあれ?」

そこに映ったのはドラム缶のようなシルエットをした何かだった。
しかもひとつではなく大量に浮いている。

「なんだ?」

次の瞬間、一斉にに爆発して強烈な閃光を発する。
思わずシンジはその光の強さに目をつぶった。

「くう!!」

本能的に【Left hand of denial】(否定の左手)を発動させて対応した。
初号機の左手が光を発して閃光を否定する。

程なく閃光も収まり元の白い世界に戻った。

「なんだったんだ?さっきのは・・・」
(爆発物のようだったね、もっともこの世界の広大さにはたいした意味をもたなかったようだけれど・・・)
「何がしたかったのかはわからないけれど物騒な事するな・・・」

シンジはため息をついた
かなり息苦しくなってきている。
周囲に浮かぶLCLの結晶の数も増えていた。
そろそろ限界かもしれない。

(・・・シンジ君?)
「え?はい・・・」
(何故初号機を動かしてるんだい?)
(・・・・・・え?)

見るとモニターには二本の紫の手が左右に掲げられている。

「ぼ、ぼくじゃない・・・」

初号機の手は多少の空間を間に挟んだ状態で手のひらを中に向けて掲げられている。
それはシンジ達にあるものを連想させた。

(シンジ君、これは・・・)
「やっぱりそう思います?・・・でもどうにかできるとは思えないんですが・・・」
(・・・試してみる価値はあるんじゃないかい?)
「・・・そうですね、あの子はぼくに力をかしてくれるっていってたし・・・」

シンジは初号機とシンクロを始めた。
同時に初号機の掲げられた両の手が白い輝きを帯びる。

「・・・・・・【Impact of nothing】(無の衝撃)・・・・・・」

初号機の両手が拍手のように打ち鳴らされる。
白の世界をさらに純白に塗り替えるような光が生まれた。

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ドクン・・・ドクン・・・
    ドクン…ドクン…


異様な音が第三新東京市中に響く。
あるものは嫌悪を、あるものは安らぎを感じるそれはまるで心臓の鼓動のようだ。

「状況はっ!?」

ミサトのあせった声に応えたのは日向とマヤ。

「解りません!!」
「全てのメーターが振り切られています!!」

しかし、その答えは簡潔で役にたたなかった。
それも仕方がないとは思うがミサトにも余裕がない。
舌打ちをしてリツコを見る。
この状況が説明できる最後の防波堤は彼女だ。

リツコはただ黙ってモニターを食い入るように見ていた。

「・・・・・・」

ミサトは黙ってリツコの横に並んでモニターを見る。

リツコの横でミサトが見たものは上空に浮いた球体。
レリエルの影であるそれが脈動するかのように膨らんだりしぼんだりしている。
文字通り心臓のような動きをしていた。

周囲に響いている音の発生源は間違いなくこいつだろう。

「・・・アスカ、レイ使徒から距離を取りなさい」

ミサトの指示がいまだ影の淵でこの状況にあっけに取られていたアスカとレイに届く。

『ミ、ミサト、でも・・・』
『シンジ君がまだ・・・』

アスカとレイの反論にミサトは頷く
二人の気持ちはわかるが何が起こるかわからない以上あまり近くにい続けるのは得策じゃない。
だからミサトは・・・

「あんた達もシンジ君とつき合い長いんだからそろそろわかるでしょ?」
『『え?』』
「こんな事他の誰が出来るって言うの?”N2の影響じゃない”に今月の給料かけてもいいわよ」

ミサトの笑いをこらえたような言葉にアスカとレイが頷いてレリエルから距離をとる。
どうやら信じてくれたようだ。
ミサトとしても確信があるわけじゃないが二人を下がらせるためにはシンジが戻ってこようとしているといったほうが二人も素直に従ってくれる。

「・・・最近子供たちの扱いうまくなったわね?」
「何の、まだまだですよ」

ミサトの脳裏には凪のことが浮かんでいた。
彼女に比べたら自分など

「それよりも何が起こるのかわからないの?」
「…無理言わないでよ…」

上空のレリエルに細かなヒビが入る。
球体全体に広がった。

バキンンンン

金属的な音と共にレリエルのひび割れた球体から二本の腕が突き出した。
同時に血のように赤い液体がその腕を濡らす

その腕を基点としてレリエルのひび割れた球体が崩壊を始めた。

突き出した腕はその周囲を砕きながらさらに外に出て行く

手首・・・肘・・・二の腕・・・

「し、初号機・・・」

その言葉は誰が呟いただろうか・・・
赤いレリエルの鮮血にその身を濡らしながら出てきたのは角を持つ鬼
その紫色の体はレリエルの流す赤の色が重なって黒に近くなっている。

「・・・信じられない、エネルギーはもうないはずなのに・・・」

リツコの呟きは呆然としながらも何処かに嬉しそうな響きが混じっていたことに気づくものはいなかった。

「我ゥ唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖」

人でもなく・・・獣でもなく・・・天使でもなく・・・
福音の名を持つ異形の巨人は世界を認識すると吼えた
雛鳥が卵から孵る瞬間に似たその行為はいかなる意味を持つのか・・・

『・・・これがエヴァ・・・あたし達こんな物に乗ってるの・・・』
『・・・・・・』

アスカの呆然とした言葉にレイが無言で答える。

「何てものを・・・何てものをコピーしたのっ!?私達は・・・・・・」

リツコの呟きにミサトはいぶかしげな顔になる。
モニターに映る光景は現実を軽く離れた光景だ。
エヴァが使徒のコピーだとしてもこれほどの事が出来るものなのだろうか?

(・・・まだいろいろと秘密があるって事かしらね…シンジ君なら全部説明できるのかしら…)

レリエルは初号機の上半身を外に出した状態で落ちていく
球体が影に触れた瞬間、影は初号機を吸い込む代わりに落ちた場所を中心に放射状にヒビが走った。

「倶ッ雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄」

レリエルの残骸から初号機が抜け出してきて大地を踏みしめる。
叫びと共にATフィールドが発生し、地面の影に走ったひびから無数のかけらが巻き上げられる。

「護瑠瑠瑠瑠瑠!!!」

黒いかけらが舞い踊る中心にはいまだ天に向かって初号機が吼えていた。
その姿は堕天使の黒い羽に祝福されて地上に降臨した死神の様でもあり、生誕の悲しみを呪う罪人の様でもあり、そして生きる事の全てを訴えかける賢者の様でもあった。

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・・・・・・なんだ?

シンジは違和感を感じた。
虚数空間で無の概念能力を使ったところまでは覚えている。

どうやらその後気絶してしまったようだ。自分が寝かされているのがわかる。
睡眠不足のときのように動くのも億劫でまぶたを開ける事さえ面倒くさい。

だがシンジの感じた違和感はそういうものではない

違和感の元は自分の唇から来ている。
何かやわらかくて温かいものが唇に当てられているようだ。

そしてさらに・・・

ふ〜〜〜〜〜
  ふ〜〜〜〜〜

何か熱い気体が口から流し込まれてきた・・・2回・・・

シンジがこれは何かと考えていると唇に触れている感触が消えた。
どうやら離れたらしい

・・・あれ?

自分の胸の部分に何かが押し当てられた。
どうやら手のようだ。
二つの手が心臓の部分に押し当てられているのを感じる。

・・・・・・一体なんなんだ?

シンジが何とか自分を奮い立たせてまぶたを開けようとした瞬間・・・

「一!!」 ドン!!「ごふ!!」
 「二!!」 ドン!! 「がはっ!!」
  「三!!」 ドン!! 「うぐ!!」
   「四!!」 ドン!! 「ぎお!!」
    「五!!」 ドン!!  「うが!!」


心臓の位置に連続で叩き込まれた衝撃でシンジはあの世に旅立ちかけた。
寝かされるため衝撃は外に逃げずにシンジの体にそのまま叩き込まれる。

「ううううう」

寝起きに永遠に眠らされそうになったシンジがうめく
しかし彼女にとっては関係ない

「シンジ君!!」
「うお!!」

さらに誰かが首に抱き着いてきて首に回された腕が気道を絞める。
シンジはチアノーゼを起こして窒息しそうになった。

「よかった!!」
「だ、だれだ?」

シンジが見るとオレンジ色の髪の少女の顔が目の前にある。

「マ、マナ?」
「よかった、シンジ君が蘇生してくれて・・・」
「蘇生?・・・事情を説明してくれる?」
「だってシンジ君を初号機から出したらぐったりして意識がなかったんだもの、だから人工呼吸と心臓マッサージをしたのよ」

マナの目には涙が浮かんでいる。

「なるほどね…」

人工呼吸と心臓マッサージは一般人でも習う
戦自では必修科目だろう。
中学生とはいえマナがその知識を持っていてもおかしくはない。

(考えてみれば首の後ろにはタオルがあって気道を確保しているし、ちゃんと二回息を吹き込んで5回心臓マッサージしていたし・・・結構冷静だったのか?それとも散々教え込まれたことに体のほうが反応したか・・・って!!)

シンジはそこで重要な事実に気がついて唇に手を当てる。

人工呼吸…マウス・トウ・マウス…口をつけた状態で息を吹き込む行為…
あの唇に感じた柔らかい感触の正体は…

(・・・・・・つくづく普通のキスに縁がないな・・・)

シンジは首にマナをぶら下げたままため息をついた。
4回のキスの相手が全部違う上にその状況が命がけか不意をつかれたからというのは問題ありまくりの気がする。

(ついでにぼくはただ気絶していただけなんだけど…バイタル(生命反応)とらなかったのか?)
(きっと気が動転してたんだろうね)

人工呼吸はともかく心臓マッサージは心臓が止まっていない人間にするものではない
実際、それでアバラの骨が折れる事もあるのだ。
しかし目の前っで泣きじゃくるマナにそんな野暮な事は言えない。
彼女は自分の事を本気で心配してくれたのだ。
一回や二回死にかけるくらいでがたがた言うまい。

シンジは冷や汗をかきながらも笑う…抱き着いているマナには見えなかったがその顔は引きつっていた。

「「「「シンジ(君)!!」」」」

名前を呼ばれて声の方向を見るとアスカ、レイ、ムサシ、ケイタの四人がこっちに走ってきていた。
シンジはマナに抱きつかれたまま手を振る。
大丈夫という意思表示だったのだがそれを見た四人の駆けて来る速度が上がった。

その勢いのままそれぞれの拳がマナを避けてシンジに叩きこまれる。
喜びのあまりなのかマナに抱きつかれたシンジに殺意があったのかは知らないがまったく四人に手加減はなかった。

シンジは悲鳴より早く再び意識を失った。

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シンジの目の前でパイプ椅子に座ったミサトが顔を真っ赤にしている。
体は小刻みに震えていた。

しかし怒っているわけじゃない・・・笑いをこらえているのだ。

「あっははは、それで皆に殴られたの?」

ミサトの我慢が決壊した。
シンジの話しを聞いて大爆笑する。

病室のベットの上でぶすっとしたシンジがそっぽを向く。
その顔や体には青あざがついていた。
レリエルとの戦いより殴られたダメージの方が大きいのはどうだろう…

「ミサトさんまでそんなこと言うことないじゃないですか」
「ごみんね〜、若いっていいわよねまさに青春って感じ?」
「青い春なんて誰が言い出したんでしょうかね…青い春だからって青あざつけてれば世話ないですよ…」
「まっそれがあんた達のスキンシップっしょ?」
「…なにか体を張った込みコミュニケーションですね…」

シンジの言葉にミサトがまた爆笑する。
いい加減うるさかったのでシンジがナースコールに手を伸ばしたのを見たミサトが笑いをこらえた。

「・・・で?」
「え?」
「何か話したいことがあるんじゃないですか?」
「あら?ばればれ?」

ミサトがとぼけながらシンジを見る。
その顔はいまだに笑っていたが目の色が真剣なものに変わった。

「・・・今、この部屋の耳は聞こえなくなっているわ」
「・・・・・・盗聴器ですか?」
「そう、ドグマでの返事をしようと思ってね・・・」
「それはそれは・・・」

シンジは苦笑する。
こんなに早く答えが聞けるとは思っていなかった。
特にミサトにとっては・・・

「結論から言うとリツコはシンジ君の敵じゃないらしいわ、味方でもないけれど・・・」
「・・・どっちつかずですね、どういうスタンスなんです?」
「あいつ・・・シンジ君のファンらしいわ・・・」
「・・・は?」

予想外のミサトの言葉にシンジが呆ける。
それを見たミサトがしてやったりな顔で小さくガッツポーズをとった。

「まあ、とにかくシンジ君を観察しているのが面白いらしいの」
「・・・ストーカー宣言ですか?・・・技術部のトップはとんでもないですね・・・わかってましたけれど・・・」
「・・・・・・一応その親友のあたしの立場は?」

シンジは病室から外の遠い空を眺めた。
視線の先は遠い。

「・・・類は友を呼ぶ?」
「なんでよ!!」
「ところで加持さんのほうはどうなんです?」
「スルーすんな!!・・・加持には聞いてないわ、いいたけりゃ自分で言う奴よ・・・」
「なるほど・・・」

シンジはミサトの顔を正面から見た。
ここからが本番だ。

「それでミサトさんはどっちなんですか?」
「・・・私はシンジ君の味方よ」
「・・・・・・」
「でも何も聞かないわ」
「・・・はい?」

予想外のミサトの言葉にシンジが聞き返す。
ちょっと意外な答えだ。

「・・・・・・なぜ?」
「何を黙っているのか知らないけれど今まで言わなかったって事は結構難しい事なんでしょ?」

ミサトの言葉にシンジは黙って頷いた。

「作戦部長としては聞いておかないとまずくないですか?」
「知っていれば止めなきゃなんないかも知んないじゃない?けど知らなかったなら話は別よ。そこまで責任はとれっまっせ〜ん」
「・・・いいんですか?」
「あなたはネルフに所属してないでしょ、だから厳密には私の部下でもない。さっすがに一般人みたいなシンジ君のプライベートまで詮索する権利はないわよ。」
「・・・・・・ひょっとしたらとんでもない事しようとしてるかも知れませんよ?」
「見くびってもらっちゃあ困るわね、これでもシンジ君の倍も生きてんのよ、人を見る目はあるつもり・・・」

ミサトは椅子から立ち上がるとシンジに背を向けて部屋を出て行く。

「何か私の力が必要になったら言いなさい。待ってるわ・・・」
「ぼくを信用するんですか?」
「今までのシンジ君のことを見ていればそう悪い事にもならないでしょ?」

扉の取っ手に手をかけた状態でミサトは首だけシンジを振り返る。
その表情はシンジを心配するものだ。

「あんまり無茶しないでよ・・・」
「ネルフの作戦以上に無茶な事って早々ないですよ?マナから聞いたんですけれどN2を4桁近く放り込むなんて無茶の極みでしょうが?」

ミサトの背中が震えて苦笑したのがわかった。
そのまま振り返らずにシンジに向けて手を振ると病室を出て行く。
さすがのミサトも無茶だったと思っている。
でも他に方法がないのも分かっていた・・・例えどんなに確率が低かろうとそれでシンジが助かるなら・・・だからシンジが無事に帰ってきたことが何より嬉しい。

「何か妙な吹っ切れ方してますね・・・」
(そのほうが彼女らしいさ)

シンジは苦笑しながら頷くとベットに倒れこんだ。
真っ白い天井が見える。

「知ってる天井か、そろそろ飽きるくらい見てるな…」

シンジは怪我や戦闘の後の検査をネルフ直属のこの病院でしている。
もうこの病室にもなれたものだ。

(でも、どうやってぼく達はこの世界戻って来れたんでしょう?)
(君の無の概念能力が原因だと思う。)
(でもあんなに広い空間を消滅させるなんて・・・)
(そこのところはあの少年が関係しているはずだ。)

ブギーポップが言うあの少年とはもちろんあの幼いシンジだ。
シンジの中にいるシンジとか言っていたが大嘘だろう。
明らかにシンジの姿をした別の何かだ。

(あの子が?)
(あの子は多分君の能力の特性を初号機を使って増幅したんだと思う)
(増幅?)
(綾波さんとは違うな、君が能力を使った時点でエネルギーを流し込んで増幅したというところかな)
(そんな、初号機のエネルギーは切れかけていたはずなのにどこから・・・)

初号機の内臓電力は切れかかっていたのは間違いない。
だからこそシンジはあんな臨死体験モドキをしてしまったのだから
なのにどこからそんなエネルギーを持ってきたたのだろうか?

(さあね、それ以外の答えがないんだからどこからか都合したんだと思うが、それ以上は見当がつかないな・・・)

実際、初号機は今までにも勝手に動いた前例がある。
そのときもどこからエネルギーを持ってきたのだろうか?

(・・・分かりませんね・・・何も、でも何故ぼくの力を使ったんです?)
(おそらく、あの少年がシンジ君に求めたのは力の大きさじゃなく質だろうね)
(質?)
(そう、無の概念能力の特性、あの世界にはなにもなかった。それはつまり無の空間ということだろう?)

ブギーポップの言葉にシンジは黙って頷く。
確かに真っ白で何もない世界だった。

(しかし君はそのなにもない空間で無の概念能力を使ってしまった。…ということは無の空間に無の概念能力が“有る”ということになる。)
(…はあ?)
(無の空間に無の概念能力が“有る“という矛盾、そして無の空間を無の概念能力で”無にする”という矛盾…その二つが干渉しあって無限の空間が有限になったんだと思うよ。そうだね…(−1)×(−1)=(+1)・・・だろ?)

シンジはブギーポップの言葉を反芻するが正直いまいちよくわからない。
あの少年がシンジの能力を起爆剤にしたということだろうか?

(そんな無茶な事が起こったんですか?)
(全ては想像さ)

シンジはため息をついた。
常識はずれな状況に離れてるがさすがに世界一つ分どうにかしたのは初めてだ。
間違いなく人類で初体験だろう。

(・・・それにしても・・・初号機を操る事が出来るなんて・・・あの子は一体・・・)

シンジの脳裏に幼いシンジの姿をした“何か”の姿が思い出される。
初号機にユイが取り込まれているのは知っているがあれは断じて母ではない。
もちろんシンジでもない・・・とすれば一体何者だろうか?

(あの世界は初号機の内面世界だ。そこにいたあの子も初号機と無関係ではないだろう)
(で、でも初号機の中にいるのは…母さんの筈だ。あの子は母さんじゃない、何時もシンクロしている感じと違いすぎる…)
(たしかにね、でもそんな存在は珍しくはないだろう?)
「え?」

シンジは思わず声に出して聞き返した。

(一つの体に二つの心…僕達とよく似てるね…)
「・・・・・・え?」
(そう、前に初号機の気配は零号機や弐号機よりも大きいといった事を覚えているかい?)
「・・・はい」
(大きいはずだよ。なんせ二人分だ。)
「そんな、それじゃ・・・」
(おそらく初号機は…)

ブギーポップの次の言葉にシンジは息を飲んだ。

(…僕達と同じように…一つの体に二つの魂を持つ存在だ。)

運命というものが本当に存在するのか…
あるいは同じ存在同士が引き合った必然なのか…
それは無数の流れが交差するこの世界において奇跡のようなものだ…


人はただ進む事しか出来ない。
その歩みにどれほどの運命と必然の奇跡があるのか…それを知ることはきわめて難しい
そして…
シンジが初号機に出会ったことすら…


これは少年と死神の物語






To be continued...

(2007.08.11 初版)
(2007.10.13 改訂一版)


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