天使と死神と福音と

第拾陸章 〔神食する恐怖〕
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presented by 睦月様


相変わらずの強い日差しが森羅万象の形を写し取って地面に黒く縫い付ける。
・・・要するに日差しが強すぎて暑いと言いたいだけだ。

「すいません、初対面の人に・・・」
「気にすることはない」
「それじゃあ遠慮なくいただきます。」
「・・・ありがとうございます。」

シンジとレイはキールと名乗った老人に頭を下げた。

三人はショツピングセンターから近くの公園に移動していた。
長めのベンチに端からレイ、シンジ、そしてキールの順で座っている。

シンジとレイの手にはキールからもらったジュースがあった。

(それで、一体全体この人誰なんです?)
(ゼーレのメンバーでNO.1のモノリスの人)
「ぶっ!!」

思わずシンジは噴出した。
喉に一気に入った炭酸に咳き込んでしまうが何とか持ち直す。

「どうかしたのかね?」
「ゲフ・・・ああ、すいません、なんでもないんですよ。ちょっと一気に飲んでむせただけです。」
「そうかね?ゆっくり飲むといい、焦らずにな」
「あ、はい、そうですね・・・」

シンジはあわてて取り繕ったがその顔はちょっと引きつっていた。
本当は目の前で自分に心配の声をかけてた老人の素性に驚いたのだが、まさか堂々と言うわけには行かない。
相手に気づかれたと疑われるほどのものでもないがゼーレの議長が目の前にいるとなると話は別、用心に越した事はない。

(それってゼーレのトップじゃないですか!!なぜこんなころに普通にいるんですか!?)
(知らないよ、そのあたりは本人が目の前にいるんだから直接聞けばいいだろう?)
(え?・・・まあそうですね・・・ってそれが出来たら苦労しませんって!!)
(それにしても相変わらずかなり無理をしているな・・・)
(あっさりスルーしましたね、まあいいですけど・・・それより、わかるんですか?)

ブギーポップの言葉にシンジは横目でキールを見る。
どこにでもいそうな普通の老人に見える。
見る限り、特にどこがどうと言う感じはないがブギーポップにはわかるのだろう。

(かなり体をいじっている、人工の器官もかなり埋め込んでいるようだ。それがなければとっくに寝たきりかあの世に行っているね)
(そんな状態でここまで来たんですか?)
(そうまで無理を通してここに来る用があったんだろうさ)
(なぜ?)
(君が目的だろう?)
(男にストーカーされて喜ぶ趣味はないんですけどね、そんな半死人のような状態でのストーキングなんてどれだけ命がけなんだ?)

シンジもキールの目的に興味が出てきた。
なんといってもネルフの上位組織であるゼーレのトップである。
そんな人間がわざわざ自分から不自由な体を引きずって会いに来たのだ・・・理由が気になる。

「あの〜キールさん?」
「ん?どうかしたかね?」
「この町の人ですか?」

とりあえず口火は無難に切る。
初対面の相手への言葉としてはおかしくない。
キールは少し考えるそぶりをして口を開く。

「・・・いや、遠くから来たのだ。」
「遠く?」
「海外から・・・日本には来たばかりだ。」
「そうですか」

お互い自然な会話をしている。
二人とも深追いはしないが何気ない会話の中でも相手を観察することは怠らない。

キールは軽く笑うと横のシンジを見た。
その視線はやはりシンジを観察している。

「第三には観光に回るような場所もないですが、何のために?」
「この町に来た理由かね?」
「まあそうですね、不躾ですがこの町はそん所そこらの町よりはるかに危険ですよ?」

二人とも笑顔なのに妙な緊張感がある。
シンジはキールを、キールはシンジを見ている・・・どちらもまったく引く気はないようだ。
お互いの視線が外れない。

「・・・人に会いにきたのだ。」
「人?誰にですか?」
「その人物とはもう会うことが出来た。」
「そうですか」

シンジは誰がとは聞かなかった。
おそらく自分のことだろうし、初対面の人間が追求し過ぎるとかえって不自然になる。
下手に踏み入って鬼や蛇が出るのは考え物だ。

「・・・君こそそんなに危険な町になぜ留まっているのかね?」

今度はキールが踏み込んできた。
かなり本質に迫ることなのでシンジは少し言葉と内容を選ぶ。

「ぼくの場合はこの町にいるといろいろ都合がいいからですよ。」
「都合?」
「ええ、最初は不本意でしたが、まあぼくの目的のためにはこの町の存在は都合がいいのです。」
「・・・それは君個人の目的かね?」
「そうですよ。」

レイは横で会話をじっと聞いていた。
一見日常的な会話に聞こえるがシンジの秘密を知るものにとっては話しの内容がただ事ではない。
偶然に知り合った者同士の世間話の域を超えている。
場合によっては危険かもしれない程にきわどい。

しかし、レイはシンジ達の会話に介入せずに黙っている。
それはひどく簡単な事、シンジが何を考えているのかはわからないがレイは全面的にシンジを信頼しているからだ。

隣に座るこの愛しい少年は今までも自分に考えもつかないような深い思慮を示していた。
この会話にしても必要があるからしているのだろう。
理由は後で聞けばいい。

(・・・たとえこれが原因でシンジ君が危険になっても私がシンジ君を守れば問題ない・・・シンジ君は私が守る。)

それはレイの中にある揺るがない決意であり願い。
ただそれだけでよかった。

「「「きゃはははっ!!」」」

いきなり響いた奇声に三人の視線が同じ方を見る。
そこにいたのは高校生の集団だった。
制服を着ているので間違いはあるまい。
イヤリングやらネックレスなどをジャラジャラさせて女生徒は化粧までしている。
体全体で自分達が不良ですと自己主張していた。

男が3・女が2の計5人はベンチに陣取ると携帯やらおしゃべりやらに興じる。
それ自体はなんら問題はないが無意味に大声で喋り捲るので公園内の静かな雰囲気がぶち壊しだ。

「・・・彼等は迷惑と言うものを知らないのだろうか?それとも知っていながら取るに足らないと思っているのだろうか?」
「両方でしょう。」
「両方?」
「迷惑の意味は知っていても理解はしていない。そしてそれは自分に対するものではないからわかろうともしない・・・」

キールはふたたびシンジに視線をもどす。
応えてシンジもキールを見た。

「君は迷惑の意味を知って、さらに理解しているのかね?」
「多少なりとも・・・少なくとも時と場所を選ぶくらいには・・・」
「ふむ、ならばなぜ彼らにはそれがわからないと思う?」
「あの人たちはぼくじゃないですから・・・」

シンジの言葉を聞いたキールは大きくうなずく。

「その通り、所詮人は生まれるときも死ぬときも一人だ。分かり合うことなど出来ないし出来たと思うことは思い上がった幻でしかない。」
「・・・おっしゃることはわからなくもないですが・・・人と言う生き物はいろいろですから、そのまやかしのぬくもりすら求めずにいられない人達は多いと思いますよ。」
「おいこら」

不意に会話に割り込んできた声にシンジとキールが前を見る。
そこにいたのは件の高校生達の集団だ。

正直なところシンジは彼らが近づいてきていることには気がついていたがあえて無視していたのだ。
彼らの行動を注意する気はなかったし面倒ごとを呼び込む気はさらになかった。

「さっきからなんか俺達の話をしていたようだけど?」

男の一人がシンジとキールを威圧するように見下した態度を取る。
どうやら耳はいいらしい。
それなのになぜあんな叫ぶように会話しなければならないのかは謎だと思う。

「いえいえ、ぼく達は人間の本質について話をしていただけです。」
「そんな話、退屈なだけだよネ?」

別の男がシンジの横に座っているレイに話しかけた。
どうやらシンジに声をかけたのはレイに話しかけるための取っ掛かりにしたかっただけのようだ。

話しかけられたほうのレイは男にいぶかしげな視線を向ける。

「・・・退屈じゃないわ」

レイの答えは簡潔だった。

はっきり言ってレイの眼中にこの男達はいない。
むしろ話しかけられて迷惑そうにしている。

「ホント?うそでしょ〜、ところでさ、君中学生?」
「ええ、中学二年生・・」
「今から俺達遊びに行くんだけどさ、女の子の数が一人足りないんだ。一緒に遊びに行かない?」

どうやらレイを遊びに誘いたいらしい。
完全にナンパだ。

レイはその申し出に対し首を横に振った。
速攻で躊躇がない。

「いい、これから帰って夕ご飯をシンジ君と作るの。」

そう言ってレイが指差したのはシンジと一緒に買った物の入ったビニール袋だ。
中には今夜の食材と日用品が詰まっている。

「はは、見事に振られたようだな、彼女はこの少年と一緒に夕食を作る方がいる楽しいらしい」

自分の横から聞こえた声に全員が同じ人物を見た。
声の主はキールだ。
なにやら面白そうに笑っている

「君らは本当に仲がいいのだな、いっそのこと夫婦になってしまえばいいのではないか?」
「茶化さないでくださいよ。」

キールとシンジの言葉に無表情だったレイが真っ赤になってうつむいた。
初々しい反応だが・・・しかし、高校生達は面白くなかったようだ。

「そんなものこいつに任しときゃあいいじゃねえか」

そう言ってレイに話しかけた男は買い物袋を拾い上げるとシンジに押し付けた。
シンジはその態度にむっとする。

「さっ、これでいいだろう?」

しかしレイの答えはやはり同じだった。
あっさりとレイは首を横に振る。

「なさけないわね〜」
「もうやめといたほうがいいんじゃない?それとも私達だけじゃ不満だって〜の?」
「うっせえ!!」

背後にいた女生徒たちの野次にレイに話しかけた男が怒鳴り返した
どうにも納まりがつかないらしい。
このまま馬鹿にされているのが我慢ならないのだろう。
ひどく幼稚な思考だ。

男はレイの肩に手をかける。
力づくで言うことを聞かせるつもりのようだ。

「いいかげんにしませんか?」

横から伸びた手がレイの肩に乗っている手を掴む。
シンジの腕だ。
万力のように男の手を締め上げる。

「そろそろ暗くなります。一応彼女の保護者代理みたいなものなんで、夜遊びを教えるのはまだ早いと思うんですよ。」

シンジ達は最大限譲歩した。
笑みを絶やさずに話し掛けたし、刺激しないように言葉も選んだ・・・が・・・

「ふざけんなよ・・・お前はお呼びじゃないんだよ」

どうもレイに袖にされた怒りがシンジのほうを向いているようだ。

他の二人の男子高校生は面白くなってきたという感じにニヤニヤ笑っている。
二人の女子高生はそんな状況をはやしたて始めた。

(まあ予想通りと言えば予想通りか・・・)
(どうするんだい?)
(手加減くらいはしますよ。)

手を捕まれていない二人がシンジと距離を測りだした。
かなり喧嘩なれしているらしい・・・もっとも、それはあくまで喧嘩レベルでの話でだが・・・

シンジの掴んでいる手の主がわめきだした。

「離せよ!!」
「先にレイの肩から手を離してくださいな」
「ふざけんな!!」

残る二人の内一人がシンジに殴りかかってきた。
正面から躊躇なく顔面を狙っている。
手を掴んでいる上にキールとレイに挟まれた形でベンチに座っているシンジは避けられない。

「ふむ・・・」

シンジは慌てず騒がずに最小限で動いた。
掴んでいる手の間接を逆にとって自分の目の前に誘導する。
それは自分に殴りかかってきている男との間にちょうど割り込む形だ。

ボグ!!

シンジに向かっていた拳は見事に男の顔に吸い込まれて鈍い音を立てる。
かなり本気で殴りに来ていたようだ。
打撃の音が鈍く大きく響く。

「なにすんだ!!」
「わ、わりい!お前が目の前にくるから!!」

殴られた男が殴った男の胸倉をつかんで怒鳴りあいになる。
二人が言い争う間に残った一人が動いた。
座っているシンジの背後から蹴りかかる。

狙いはシンジの後頭部、これまた手加減が感じられない蹴りだ。
しかし所詮はアマチュアの高校生の蹴りの域を超えてはいない
もちろんシンジはそんなものに当たるほど間抜けではなかった。
当然、前に体を倒して避けようとしたが・・・

ガシ!!

「な!!」

シンジめがけて蹴り出されていた足が止まる。
細い腕が足首を持って空中に固定していた。

「レイ?」

高校生の集団は信じられないものを見た。
中学生の女の子の細腕が男子高校生の体を腕一本でその場に捕らえて放さない。
もちろん、レイは自分の腕を能力で強化しているのでこの程度は簡単なことだった。

「シンジ君を傷つける事は・・・ゆるさない」

レイの目はマジだ。
本気で目の前の高校生達を排除しようと考えている。

キールに向けられていた警戒が高校生達にシフトしたらしい。 

「ぎゃあああ!!」

どうやらレイが手に力をこめたようだ。
足を掴まれた男がのた打ち回る。

レイの能力の上限はおよそ10倍、単純にレイ本来の握力が20キロだとする。
その十倍となると握力はおおよそ200キロ・・・リンゴが素手でつぶせるほどの握力だ。

「レイ、そのくらいでいいから」
「わかったわ」

シンジの言葉にうなづくとレイはあっさり足を離した。
足の支えがなくなって倒れこんだ男が慌てて離れるが足を引きずっている。
筋でも違えたかもしれないが人を蹴ろうとしたのだからそれ相応の酬いはあって然るべきだろう。

「な、なんなんだよお前ら」
「ただの中学生ですよ、それよりそっちの足引き摺っている人はいいんですか?折れているかもしれませんよ?」

高校生達ははっとなってうずくまっている男に駆け寄った。
今まで妙に静かだったのはどうやら痛みでしゃべれなかったらしい。
声も出せずにうめいているようだ。

「ちょっと大丈夫なの!?」
「なにこれ!!すっごい腫れてんじゃん!!何よあの馬鹿力!!」

女子高生達が男の足を見て騒ぎ出した。
キーキー響く甲高い声がうるさい。

倒れている男の足首がまくったズボンから見えた。
レイの掴んだ部分が手の形に鬱血している。
しかもかなり腫れていた。

「なんてことすんだ!!」
「なんて事も何も、ぼくは何もしてないし、レイは足を掴んだだけでしょ?それよりいいんですか?病院に連れていった方がいいと思いますけど?」

シンジもレイもベンチに座ったままだ。
その状態で高校生を三人のしたのだから尋常な範疇ではない。

高校生達は不満そうだったが仲間の足の様子が普通ではなかったので黙って従った。

ただ・・・仲間を支えながら公園の出口に向かう間もずっとシンジを睨んでいる。
シンジは応えてにこやかに手を振ったがさらに睨む顔がきつくなった。
どうやらお気に召さなかったらしい。

「・・・折った?」
「そこまではしていない・・・捻挫くらいはしていると思うけど多分一週間くらいで治ると思う。」
「まあそのくらいならいい薬か・・・」

仮に折れていても正直知った事ではないとは思うが、さすがに本当に折ってるなら多少は罪悪感がある。
しかし一週間程度なら許容範囲内だ。

「確かにこの町は物騒なようだな・・・」

キールも相変わらずベンチに座っていた。
シンジは作り笑いで表情を隠してからキールを見る。

(煽っておいてヌケヌケと・・・)

さっきの高校生達の行動は十分に予想可能だった。
あの状況でわざとシンジがレイの思い人であることを明かすことで男の引っ込みをつかなくしたのだ。
そうすれば見るからに本能で動くタイプの彼らは腕力に訴えるだろう。

そこから先は消去法だ。
まず基本的にレイは除外される。
わざわざナンパしたと言うことは多少なりとも気になっているはずだ。
危害を加える可能性は低いし、怪我をさせる必要性は皆無だ。

次にキール・・・これは最初から問題にならない。
もともと彼らはキールに興味があって声をかけてきたわけではないし、積極的に邪魔をしたわけでもない。
しかも老人は基本的に弱者だとこの国では教えている。
道徳的なものが多少でもあれば躊躇するはずだ。
老人を痛めつけて楽しむ趣味がなかったのもあるだろう。

そして彼らが不満を発散するはけ口がどこに行くかということだが・・・もちろんシンジだ。
同性の若い男で多少痛めつけても問題はないくらいの少年・・・
どのくらい痛めつけるつもりだったかは知らないが彼らの憂さがはれるまでは危害を加えるつもりだったのだろう。
簡単に状況を見返せばそういうことなのだ。

(さすがはゼーレのトップか・・・)
(侮れませんね・・・)

明らかな挑発だった。
高校生達に対してではない。
シンジに対する挑発だ。

キールはさっきの連中にシンジの相手をさせてシンジがどう対応するのか?実力的にはどの程度のもなのか?を測ったのだ。

もちろんそれに気がつかないシンジでもない。
適当にあしらうつもりだったのだが・・・レイの存在を忘れていた。
レイの性格からシンジが対処できるとわかっていてもシンジを守るために動くのは予想してしかるべきだったのだ。
それを読みきれずにレイを巻き込んで目立ちにくいとはいえ能力を使わせてしまった。
それをキールが見逃したとも思えない。

(・・・今回は完全に負けだね、シンジ君?)
(はい・・・)

シンジも素直に負けを認める。
まだ致命的なミスは犯していないが目の前の老人相手では気を抜くことが出来ない。

キールがさっきの高校生達をダシに使うことを考え付いたのは彼らが公園に入ってきてから後のはずだ。
ほんの数分でけしかけることを思いつき、何気ない会話でシンジに誘導するまでの手順は鮮やかというしかない。
キールの権謀術数のほどが伺える。

「・・・シンジ君?」

いきなり自分の名前を呼ばれてシンジがキールの顔を見る。
サングラス越しの自分を見る視線とぶつかった。

「・・・何ですか?」
「もしまだ時間があるようならその辺りの店でお茶でもどうかね?」

どうやらキールはこのままシンジを帰すつもりはないらしい。
おそらくはシンジがキールのことを怪しんでいることにも気がついているはずだ。
だがあえてこの老人は火中の栗を拾い、虎穴に入るつもりである。
その胆力には感心するしかない。

そしてシンジもまたキールをこのまま返すつもりはなかった。

「・・・ええ、喜んで・・・」

二人は作った笑顔で笑いあう。

・・・どうやら二人の静かな戦いはまだ続くようだ。

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公園からわりと近場にある路地の裏にぽつんとある喫茶店・・・内装は9割がた木製のロッジのような店内にクラッシックな装飾品を嫌味にならない程度に並べてあって店長のセンスのよさを感じさせる。
この店がいつからここで営業していたのか詳しく知るものはいない。
店長が無口であまり話すことを好まないので彼の名前や年齢を知るものも少ない。

そんな穴場のような店に夕方にさしかかろうかと言う時刻、三人の来客があった。
中学生のような男女と老人が一人の計三人・・・シンジ達だ。

「いらっしゃい」
「どうも」

店長は無愛想に頷くと三人を奥の席に案内する。
円形のテーブルに三人は等間隔に座った。

「ご注文は?」
「ぼくとこっちの子にはココア、キールさんは?」
「コーヒーをもらおう」

店長は一礼するとカウンターに向かった。
余計な口は一切きかない。
かなり寡黙な男のようだ。

「・・・・・・よく来るのかね?」
「時々ですね・・・」

ここに来ようと言い出したのはシンジだ。

実はここはシンジの知る穴場の一つで静かな店内の雰囲気が気に入っている。
もっとも、いつ来てもほとんど客の姿を見た事がないのではやってはいないようだがシンジにとってはどうでもよかった。
店内はいつ来てもきれいに掃除されているし、なんといっても店長本人が客がいないのをあまり気にしていない。

シンジとしてもわずらわしい思いをしないで気楽に時間を過ごせるのがありがたかった。

「おまちどう」
「ありがとうございます。」

店長が注文した物をトレーに載せてやってきた。
シンジ達が受け取ると店長はやはり無言でカウンターに戻って行く。

「・・・無愛想な男だな・・・」
「そこがいいんじゃないですか」
「人間関係を築くのは苦手かね?」

キールの質問にシンジは苦笑する。
昔はそうだったかもしれない。
ブギーポップと出会う前の話だが。

「そうでもありませんよ、相手にもよりますがね、でも時には名前すら知らないけどお互いを知っている関係と言うのもこれでなかなかよいものです。」
「余計な気を使う必要がないからかね?」
「そんなところですね。」

シンジは注文したココアを手に取る。
そのまま掲げるようにキールに見せた。

「たとえばこのココア、ぼくは普通のココアを頼んだんですけど・・・」
「生クリームが乗っているな・・・」

シンジは笑った。
レイの分にもクリームが乗っている。

「多分いつも一人でくるぼくが客を連れてきたんでサービスしてくれたんでしょう。さすがにコーヒーにクリームを入れるわけには行かなかったんでキールさんのはそのままだったようですね」

シンジは店長のいるカウンターを見て目礼する。
店長の答えは親指を立てることだった。
無口ではあるが結構面白い人物らしい。

「シンジ君はいつも一人で来ているの?」
「そうだよ、他に誰かを連れてきた事はないからレイがはじめてかな」
「初めて・・・」

初めての単語にレイの顔がほころぶ。
嬉しいらしい。

「君とあの店主は・・・お互い名前すら知らないのかね?」
「そうですね、ぼくもあの人も顔見知り以上の関係ではありません。」
「いい店だな・・・」
「本当に・・・」

シンジは横目で店長を見ながら内心で謝罪する。

ここに来たのはキールをもてなすと言うこともあるがもう一つ理由がある。
万が一にでも戦闘になった場合に周囲の被害を最小限にするためだ。
キールがゼーレのトップだとするなら護衛の一人もついてきているはず。
妙な気配や尾行されている感じはしないが護衛が合成人間だとするなら完全に気配を消しているということも考えられる。
そんな相手と下手なところでやりあうことにでもなれば周囲の被害は計り知れない。

理想は町の死角にあって人気のない場所・・・しかしあからさまな場所に連れていくとすればキールが危険と判断して途中で仕掛けてくるかもしれない。
ある程度は条件を妥協して辿り着いたのがこの喫茶店だ。

店長には悪いが客がいないことを見越してここまで連れてきた。
もし戦闘になったとしてもレイもいる。
店長一人だけなら何とか出来るはずだ。

もっとも・・・その場合、店がどれだけ被害を受けるかはわからない。
そんな事になったら・・・もちろんあの店長には十分に修理代を払うつもりだが・・・もうこの店には来れないだろう。
この店の心地よさが失われるのはシンジにとってもつらい。

いろいろな意味でやりあうのは勘弁してほしいのがシンジの本音だがキールがどう動くのかは未知だ。
もし直接やり合うとしたら、さすがにキールを生かして返すわけには行かないだろう。

「・・・シンジ君?」
「なんですか?」
「君は人間をどう思うかね?」
「はあ?」

まったく理解不能な哲学的話を唐突に振ってきたキールをシンジはいぶかしげに見た。
それに気がついたキールは苦笑する。

「難しい質問ですね・・・」
「深く考える事はない。思った事を素直に教えてくれんかね?」
「・・・そうですね・・・人間ほど不自然なものもないと思いますよ。」
「不自然?何を持って不自然と言うのかね?」
「悩み、苦しみ、喜び、笑い、泣く・・・ひどく不安定だ。」

キールはシンジの答えに満足したようだ。
大きく頷いてシンジを見る。
サングラスの下の視線はシンジから離れることがない。

「確かにな・・・人はみな心に縛られながら生きている。」
「他の生き物はそんな事考えたりはしないでしょうしね、人間だけが生きる意外の事で苦しみや喜びを知る事が出来る。」
「・・・ふむ、君は人の不安定さがどこから来るのかわかるか?」
「考えた事もないですね」
「そうか・・・例えば人というものが生まれながらに心の一部が欠けているとしたらどうだ?」

キールの一言にシンジの視線が細くなった。
補完計画の概要はユイから聞いて知っている。
どうやらキールはいきなり話の本質に入るつもりようだ。

「人の心が欠けている?・・・面白い意見ですね、でもぼく達は心が欠けていてもこうやって生きていけますよ?」
「生きていくだけならな・・・しかしそのかけた部分からこぼれだす焦燥を抑えることはできない・・・それは人が生きつづける限り埋まる事のない業だ。」
「・・・何が言いたいんです?」
「もし・・・もしの話しだが、すべての人間が一つになり、唯一の存在になれば・・・お互いの心において我々のかけた心は補完される・・・そうは思わないか?」
「壮大な話ですね・・・・・・実現したとして・・・それは人と言えますか?」
「人じゃなければなんだと言うんだ?ただ群れになっているものが一つに固まるだけだろう?本質はあくまで人だよ。」

表面上笑っているが二人の間には張り詰めた空気が固定されているような圧迫感がある。
横で見ているだけのレイも圧倒されて口を挟めない状態だ。

「それを望まない人がいるとしたら・・・どうします?」

シンジはニヤリと笑った。
キールも表面的にはニッコリ笑っている。
しかし本心はどちらも明かさない、あくまで顔は笑っているだけという感じだ。

「少なくともぼくはご遠慮しますよ。」
「何故かね?もしそれが実現するとしたらと言う話しだが・・・人は周囲の人間との間に感じる焦燥や軋轢から開放される。」
「わざわざそんな事をしなくても・・・たとえばこのココアに生クリームを乗せてくれた店長・・・・・・逆に心に空白がなければわざわざそんな手間をかけないでしょう?」
「無いからこそか・・・君の意見も面白いな・・・」
「こういった何気ない役得と言うのは捨てがたい物なんですよ。」
「たしかにな・・・」

キールとシンジは笑って自分のカップを口元に運ぶ。
傍目から見れば孫とそれに付き合っている老人に見えるだろう。
しかし二人の関係を知るものが見れば目をむいたに違いない。

三人のカップは急速に空になった。

「もう一杯いかがです?」

シンジの言葉にキールは頷いた。
店長に向かって手を上げるとゆっくりと店長がカウンターから立ち上がって近づいて来る。
三人はそれぞれ自分の飲み終わったカップを店長に渡しておかわりを注文した。

その時にキールがコーヒーではなくシンジ達と同じクリーム乗せココアを頼んだのは・・・どうやら少しうらやましかったらしい。

ほどなく、店長がトレーに三人分のココアを持って歩いてくるのにあわせて再び甘い香りが近づいてくる。
テーブルにおかれた生クリームの乗せココアを三人はしばらく無言で堪能する。
店内は三人の立てるかすかな音だけが支配していた。
まるで時間の止まったような静寂が心地いい

「・・・しかし、おもしろいね・・・」

シンジの纏う雰囲気が一変した。
その口調は今までと違って感情と言うものの感じられない自動的なものだ。

ブギーポップがでてきた事にレイだけが気づいた。
付き合いの長さは伊達ではない。

(・・・ほう)

内心でキールは感心した。
目の前のシンジは左右非対称の顔で皮肉げに笑っている。
しかしキールが感心したのはそんな表面的なものではない。

感情が読めなくなったのだ。
さっきまでのシンジから感情を読むのは難しかったが多少はわかった。

しかし今のシンジからはその部分がまったくなくなっている。
一見笑っているようだが底が読めない。
まるで自動的な機械と向かい合っているようだ。

「心の欠損をお互いの心で補完しあうか・・・クク・・・」

ブギーポップは声を殺して笑った。
それは馬鹿にしているようでありながら哀れんでいるようなどちらにでも取れる笑いだ。

「何がおかしいのだ?」
「いや、・・・よく似た話を知っているからね」
「なに?」

さすがに驚いたのかキールの笑顔が消えた。
しかしそれも一瞬のことですぐに作り笑いの顔になる。
世界を裏から牛耳るゼーレのトップともなるとポーカーフェイスは呼吸と同じくらい自然にできるようだ。

「その男は”四月の雪”と呼んでいたな、人の心の強い部分を移植しあうことで心の欠損を埋めようとしていた。つまりはそれと同じことなんだろう?」
「・・・それで、その試みは成功したのかね?」
「もちろん失敗したさ」
「・・・なぜだ?」

キールの言葉にわずかだが戸惑いが混じっている。
ブギーポップの語ることが自分たちの未来を示唆しているように感じたからだ。

「人の心はそんな切ったり貼り付けたりできるほど単純なものじゃない、たとえ一時的に変化したとしてもいずれは元に戻る。結局は同じことだ。」
「・・・・・・それが失敗の理由か・・・」
「もし、それを達成できるのならもはや人の技じゃないね、いわゆる神の領域って奴だ。」

ブギーポップは左右非対称の笑顔で笑っている。
いつのまにかキールの顔からは表情が消えていた。
素のキールが覗いている。

「もし・・・あなたなら・・・それでもやるかい?」
「私がその立場にあるとしたらという意味かね?」
「もちろん全てはIFの話しだ。」

皮肉げな笑いを崩さないままにブギーポップはキールを正面から見る。
キールも自分を見る目から視線をそらさない。

レイは一触即発と言う言葉の意味を知った。

「ミスター・キール、あなたは何を望む?」

ブギーーポップは面白そうにキールの答えを待った。
対するキールは即答しない。
じっくり今までの言葉の一つ一つを考えている。

「君は・・・君は何か望むことがあるかね?」
「僕の方が聞いているんだけどね・・・まあいいさ、僕にはこれと言って望む事はない」
「何もかね?・・・夢の無い話だ。中学生が夢の一つも語れないのではこの国の未来は暗いな・・・」
「寝ながら見る夢は見た事が無いな、起きて見る夢は僕にとって蜃気楼と同じでね、」
「蜃気楼か・・・」

キールは頷くと窓の外を指差す。
そこにはまだ強い太陽の光のために水溜りのようにゆがんで見える部分がある。

「・・・あれも蜃気楼の一種だ。」
「逃げ水か・・・」
「逃げ水?」
「日本での呼び名だよ。蜃気楼の一種で光の屈折があたかも水のように見える現象・・・もちろんそんなものありはしない、追いかければ同じだけ逃げていく水・・・だから逃げ水・・・」
「・・・なるほどな」

シンジの説明を聞いたキールはなるほどと頷いた。
確かにゆがんだ光景は水溜りのように見える。
そこに見えているのに触る事も出来ない幻の水辺・・・

「あるいは手を伸ばせば・・・その逃げ水にも手が届くかもしれん」
「・・・そうまでして求める価値があるのか?」
「追いつけば・・・そうすればのどの渇きを癒すことも出来よう。」
「それによって失うものには目をつぶる?大事な何かを失ってまで癒す必要があるのかい?」
「・・・・・・・少なくとも私は望むだろうな・・・そのくらいの覚悟はとっくに決めている。」

そのまましばらく二人は口を開かなかった。

お互い動かない。
二人の視線は窓から見える逃げ水を見ている。

カチャ

キールとブギーポップはそれぞれ自分のカップを手にとって一口だけ口に含んだ。

「・・・おいしいココアだ。」
「ええ、・・・ここのは自分のお気に入りなんですよ。」

ブギーポップはシンジと入れ替わったらしい。
シンジはキールに向けて微笑む。

答えるようにキールもその口元が笑みの形になった。
それからお互いは話すこともなくココアの味を楽しんだ。

沈黙はお互いが名残惜しそうにココアを飲み干すまで続いた。

「・・・どうやら君とは意見が合わないらしいな・・・」
「残念です。合わせる気はないんでしょう?」

キールは苦笑して席を立つ。

「君は合わせる気はあるのかね?」
「いえ・・・」
「残念だ・・・ひどく・・・」

そこまで言い終えるとキールは席を離れた。

「ああ、一つ言い忘れた。」

シンジの口調が再び自動的になる。
カウンターに向かおうとしていたキールの足が止まってシンジを振り返った。

「”四月の雪”が失敗した理由・・・人の心が複雑すぎた事と、それにもうひとつ・・・それはこの世界のありようを変質させることだから、いわゆる世界の危機だね、やり切れるわけがない。」
「・・・何故だね?」
「世界の危機にはそれを防ぐための存在が現れる。」

さすがにこれにはキールも呆けた。
いきなりファンタジーな方向に話が飛んだので意図を測りかねているらしい。
言われたことの意味が理解できなかったようだ。

「・・・まるで正義の味方だな・・・」
「それの敵になるということは必然的に悪になるということだね」
「・・・年寄りからの忠告だと思って聞いてほしい・・・正義や悪などと言うものは所詮は主観の違いでいくらでも変わるものだ。」
「それならばせめて自分の正義に従うべき・・・と言うことかい?」
「・・・あるいは君がその正義の味方かな?」
「そんな上等なものじゃない・・・死神とか殺し屋とか呼ばれた事はあるがね・・・」

キールは言葉の代わりにニヤリと笑った。
ブギーポップも左右非対称の顔で笑っている。

しかし二人はこれを宣戦布告のようなものだと感じていた。

「ならば君は私が世界の危機とやらを起こす気なら私を殺すのかね?」
「君も世界の敵となるつもりかい?・・・なら覚悟を決めることだ。生憎と僕は敵に容赦してやれるほどやさしくも自信家でもないから・・・」
「・・・・・・おぼえておこう」

ブギーポップの話が終わるとともにキールは身を翻す。
そのまま無言で振り返らず出口に向かった。

「まいどどうも」
「ありがとう、彼らの分も私が払う。」

カウンターでシンジ達の分も含めて支払いを終わらせるとキールは店長に礼を言って扉を開けてでていった。

「・・・・・・」

シンジは窓から外に出たキールを見る。
程なく黒い高級車がキールの前に止まって後部の扉が開く。
そのまま身をかがめるとキールが車内に乗り込のが見えた。
すぐに扉が閉まって車は走り去って行く。

「・・・シンジ君?」
「ん?」
「あの人・・・誰?」
「・・・ゼーレのトップ」

シンジの言葉にレイは息を呑んだ。
そんな大人物だとは予想していなかったらしい。

「よかったの?」
「なにが?」
「あの人・・・」

心配そうな声にシンジが横を見るとレイの視線とぶつかった。
シンジを上目使いで見ている。
どうやらかなり心配させてしまったようだ。

「・・・いいんだよ。様子見で来たようだったし・・・」
「でも・・・」

レイの言葉にシンジはにっこり笑った。
心配ないという風にレイの手を握ってやると徐々にレイの顔に安堵が浮かぶ。

「やっぱり只者じゃないね、最初から最後まで護衛の人間の気配を感じなかった。ひょっとしたら本当に一人で来ていたのかも、多分護衛にぼく達が気づいて話しがぎこちなくなるのを嫌がったんだと思うけど・・・大胆だな、アレがゼーレのトップというのも頷けるよ。」

シンジは素直にキールを賞賛した。
正直、最初から最後までキールのペースで進んでいたような気がする。

「・・・でも多分ぼく達は何処までいってもわかりあう事は出来ないと思う。」
「シンジ君・・・」
「それがちょっと残念かな・・・」

キールの去って行った方向を見ながらシンジはボソリとつぶやいた。
レイはそんなシンジの横顔を黙って見ている。






To be continued...

(2007.09.08 初版)
(2007.11.24 改訂一版)


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