天使と死神と福音と Outside memory

序章 〔無垢なるがゆえの罪〕
後編

presented by 睦月様


・・・すでに空は薄暗くなっていた。
ステインはまだ帰らない。

「・・・・・・」

シンジがいるのは睦月邸の屋根の端、その姿はブギーポップのマントを羽織っている。
足場の悪さを感じさせない直立不動でじっと下を見下ろしていた。

視線の先には門の前で我が子を待つ父の姿がある。
その胸にはいまだに幻影のナイフが刺さっていた。

ナイフはシンジの【canceler】でも抜くことは出来なかった。
幻のナイフはそもそも実体が無い。
シンジが力を伝えるためには対象に触る必要がある。
握ることの出来ない幻のナイフでは【canceler】で否定出来ない。

(おそらく自覚が無いんだね、自分の能力に対して・・・)
「そのせいですか?気配が感じにくいのは?」

ユタカにはシンジの正体と事情を話している。
もちろんステインが世界の敵で自分がそれを刈る人間であるということも・・・
それを聞いた上で・・・ユタカは黙って頷いた。

(あの子にとっては世界の敵としての力もただ便利だと言うだけなんだろう・・・しかしこのまま成長すればいずれ世界の急所を突くかも知れない、それは困る。)
「・・・言われなくても・・・わかっています」

ステインが家を出た後・・・シンジ達も探しに出た。
そこで見たものは額と心臓を貫かれた死体・・・おそらくステインが不快感を持つようなことをしたのだろう。

もはや見境などなく・・・被害者の中には子供も混じっていた。
それでもシンジ達は必死でステインを探した。
夜中にステインが遊んでいた公園、近くでステインの行きそうなところを片っ端から回ったがステインの姿は見つけられなかった。

必死で探す二人をあざ笑うかのようにまったく関係ない方向から救急車の音がする。
駆けつければ案の定急所にナイフの一撃を食らった死体・・・

世界の敵としての気配を発散しないステインはブギーポップにも見つけられなかった。
そして、遊びつかれたステインが家に帰っているかもしれないと一縷の望みをかけて家に戻ってきた。
しかしもちろんステインの姿はない・・・それを確認した二人は最後の決断をした。
もはやどんな理由があろうと見逃すことは出来ない。

・・・ステインはいずれここに帰ってくる。
彼が帰れる場所はここだけだからだ・・・必ずここに現れる・・・終わらせなければ・・・。

そして今、シンジはマントを着て屋根の縁に、ユタカは家の玄関前に立って・・・それぞれがじっと待っている・・・ステインが帰ってくるのを・・・

「・・・もう救えないんですね・・・」
(無理だろうね、救われるには罪を重ねすぎた。)
「でも・・・あの子は自分の罪を理解してませんよ?」
(理解できずに罪を重ねてしまうのもまた罪なんだよ。)

シンジはただ無表情にユタカと門を見下ろす。
視線がユタカの背中から移動した。
柵状の門で視線が固定される・・・あの門は檻だったのだ。
ステインと言う危険な存在を閉じ込めるための檻・・・

ステインだって好奇心はある。
外に出たいと思うのは当然だ。
しかし彼は外の世界には自分の思い通りに行かない事があるのを知らなかった・・・いや、理解できなかった。
自分の邪魔をする存在・・・それを子供の安易な発想で・・・排除したに過ぎないのだ。

(・・・あの子の罪はなんだか分かるかい?)
「人を殺したことですか?」
(たしかにそれは法律的に言えば第一級の罪だね・・・でもね・・・)

シンジがブギーポップと入れ替わる。
濃密な血の匂いが近づいてくるのを感じた。

「・・・自分の力の危険性を理解できなかった罪・・・何かを殺す事のタブーを理解できなかった罪・・・そして・・・」

キ〜

門が軋んだ音を立てて小柄な人影が入り込んできた。

「・・・無垢で何も知らなかった罪・・・」

家に帰ってきたステインは笑っていた。
いつものように明るく・・・無邪気に・・・

「・・・おかえり」

ユタカも応えて笑う。
自分に出来る限り自然な笑みを無理やり作って。

「ただいま」
「楽しかったかい?」
「うん」

ステインの笑顔には一点の曇りも無かった。
ただ単純に嬉しかったとその笑みが語っている。
それを見たユタカの顔が辛そうに歪むが、それも一瞬・・・再び笑顔になる・・・息子に見せる最後の顔は笑顔がいい。

「どうかしたの?」
「いや、ステインが楽しかったのならいいんだ。」

ユタカの中にこれまでの思い出が蘇る。

何故こんな事になってしまったのだろう・・・
自分は妻をつらい形で無くした。
だからステインはなくしたくなかった。
それだけだったのに・・・

ただ辛かった。
息子が不憫でならなかった。
親馬鹿といわれても構わない。
この世界でステインの味方になってやれるのはユタカしかいないのだ。

ステインはそんな父親を不思議そうに見ている。
やはり理解できないようだ。

「ステイン・・・」

ユタカはステインに近づく。
ステインはそんな父親を不思議そうに見ていた。

ステインに近づいたユタカはステインを抱きしめる。
力強く・・・
ステインはあまりにきつく抱きしめられたので苦しそうだ。

「お父さん、苦しいよ」
「お前の罪は・・・私のせいだ・・・」
「・・・・・・」

それを見たブギーポップが飛んだ。

「あれは・・・」

ステインはそれを見た瞬間理解した。
あれは自分を殺しに来た存在だ。
今まで自分がしてきたように無慈悲に自分を殺すために舞い降りてくる・・・そんな存在

「う、わあああ」

ステインの中に”殺される”と言う恐怖が芽生えた。

それは今まで忘れていた感情・・・母親が殺されるのを見た瞬間に封印した衝動・・・

「いやだ!!!!!」

それはたやすく生存本能と結びついた。
ユタカの腕の中でステインが暴れる。

「離して!!あいつは僕を殺す死神だ!!!」
「ああ・・・そして彼は解放してくれる・・・私たちの罪を・・・」

そう言っている間にも黒い影は近づいてくる。
ステインも必死で父を振りほどこうとするがびくともしない。

「離して!!」

その瞬間、ユタカの全身が震えた。
急速に腕から力が抜けて崩れ落ちようとする。

しかしステインはそれを見ようともしない。
ステインが自分を殺しにくる死神の姿を見上げた瞬間・・・

ストン

軽い音とともにわずか5歳の世界の敵は闇に飲まれた。

「・・・・・・」

身を起こしたブギーポップはすでにシンジになっていた。
世界の敵を倒した事でブギーポップは沈んでいったのだ。

地面には親子が折り重なるように倒れている
すでにユタカも事切れていた。

死因はやはり心臓の位置にある刺し傷だ。
ステインがユタカの胸に刺していたナイフを実体化させたのだ

「・・・・・・」

シンジは無言でそれを見ていた。
その”事実”が二人の救いになる事を願わずにはいられない。

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一ヶ月が過ぎて・・・
シンジは睦月邸の門の横に立っていた。
あの日・・・ステインにはじめて声をかけられたのと同じ場所で日差しを避けている。

昨日までは現場検証などで黄色いテープが張られていたが、今では誰もいない。
この家の住人も含めて・・・

ステインがその手にかけた人たちは老若男女とわず数十人に及んだ
連続殺人の爪痕はいまだにはっきりとこの町に残っている。

身内が犠牲になった者、愛するものを失った者・・・沢山いるということしか分からない。
その悲しみの数も同じだけの数、この町に存在するのだろう。

最後の殺人から一ヶ月が過ぎたがこの町はいまだ日常を取り戻せていない。
この傷がいえるのにはまだまだ時間がかかるだろう。

「ここの親子も犠牲になったんですって」
「本当に?いい親子だったのに・・・」

道の先から近所の主婦が話ながら歩いてきた。
内容はどうやらユタカ達の事の様だ。

「ええ、どうやら例の殺人鬼がこのお宅に入り込んだらしいんです。それで・・・」
「まあ、あの男の子も?」
「二人共だそうです。」
「可愛そうに、まだ5歳だったでしょ?」
「ええ」

睦月親子は連続殺人の最後の被害者と言う事になっている。
ユタカはまさに連続殺人と同じ手口だったのでそう考えるのが当然だろう。

「でもお子さんは目立った傷は無かったらしいですよ」
「そうなの?」
「ショック死じゃないかって・・・お父様が目の前で殺されたショックで・・・」
「なかのいい親子でしたものね・・・」
「多分お父さんは子供を守ろうとしたんじゃないかしら、体のあっちこっちに傷があったそうよ・・・」

二人の主婦はため息をつきながら歩き去る。
シンジは無言で二人の話を反芻していた。
主婦達の会話は睦月親子に対するこの町の人間の一般的な認識だ。
そしてシンジは二人の知らないことも知っている。

ユタカは遺言書を書いていたらしい。
その中には自分達が殺人鬼に襲われて二人とも死んだら財産を処分して被害者の救済に当てる事、そして自分達の遺体は外国にある妻と同じ墓に葬ってほしいと言う事・・・二人には他に親族がいなく、この遺言は速やかに実行されるだろう。
ユタカは自分がステインに殺されることを見越していたのだ。

・・・一歩下がって見ればユタカの行為は偽善だ。
今もこの町にはステインの殺人で心に深い傷を負ったものや戻らない命がある。
それらに言わせれば少々の金などすずめの涙だろう。

もしシンジが本当のことを話せばどうなるか・・・
まず誰も信じないだろう。
しかしひょっとしたら救われる人がいるかもしれない。

それでもシンジは本当の事を誰にも言うつもりは無かった。
確かに睦月親子には同情の余地はあるがそれを差し引いても許されないことをしたと思う。
それでも最後に見た二人の姿を考えれば誰かに言う気にはなれなかった。

「・・・・・・多分これがぼくの罪・・・かな・・・」

最後に見た二人はしっかりと相手を自分に抱き寄せて眠るように死んでいた。
二人の穏やかな死に顔が目に焼きついて離れない。

ステインの体に目立つ傷を残さなかったのはブギーポップなりの配慮かもしれない。
たとえ死んでいるとしても父親の目の前で息子を無残に殺すのを避けたのだろうか・・・答えは出ないし、出す気も無い。

「帰るか・・・」

寄りかかっていた壁から身を離して影から出て歩き出す。
今度はステインのように声をかけてくる人間はいない。

「・・・・・・熱いな・・・」

日差しはステインに声をかけられたあの日と同じように強かった。
まとわりつくような熱気の中、シンジは家路をたどる。

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「ただいま〜」

シンジは帰りの挨拶をしながらプレハブを開ける。
だがこの言葉に返事が返って来た事は一度も無い。
ここに住んでいるのはシンジだけだから・・・

「おかえり」

だから返事が来たときには心底驚いた。

「え!?あ・・・先生・・・」

そこにいたのはシンジの叔父だった。
なぜか自分を先生と呼ばせている変わり者
いつもはこの離れのプレハブに来たこともないのになぜか部屋の真ん中に入ってきていた。

「どうしたんです?」
「ああ、手紙が着てたんでな・・・ほれ」

先生が差し出したのは一通の手紙・・・

「それじゃあな」

そういうと先生はさっさと出て行った。
もともと愛想はよくないが何か妙なものを感じて封筒を見る。

裏返した封筒にある差出人に眉をしかめた。
同時に疑問の全てが氷解する。
どうやら叔父は巻き込まれないように逃げたらしい。

「・・・・・・彼方よりの手紙か・・・彼方よりはるかに遠い気もするけれど・・・」

差出人・・・碇ゲンドウ

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「・・・っていう感じでぼくは手紙を受け取ってこの町に来たんだ。」

シンジは顔を上げる。
語り終わる頃にはビール缶は空になっていたが気がつかなかった。

「・・・ってなんで皆寝てるんだ?」

シンジの視界には全員が寝ている姿があった。
全員、頬に涙の跡がある。

話す事に夢中になっていたがどうやらシンジの話を聞いて泣いていたようだ。
みんな泣き疲れたのだろう。

「・・・仕方ないな」

シンジは苦笑すると女の子達を自分の寝室に運んで寝かせた。
毛布をかけることも忘れない。

ムサシとケイタは放置でもよかったがソファーに寝かせて毛布をかけてやる。
さすがに女の子達と違って重かった。

「せっかく作ったのにな・・・」

誰も食事を食べなかったらしい。
テーブルの上の料理にラップをかけると冷蔵庫にしまった。

「さて・・・ぼくはどこで寝よう・・・」
「もう寝るのか?」

シンジが振り向くと玄関に凪がいた。

「何時からいたんです?」
「お前が話し始めたあたりで帰ってきたんだ。お前は話に夢中できずかなかったようだがな、話の終わりと同時に部屋を出て今戻ってきた。」
「何のために?」
「もう少し付き合え」
「なんにです?」

シンジの言葉に凪は右手に持っているものを出した。
それは一本のビン

「酒ですか?」
「桃のリキュールだ。あんまりアルコール高くないし甘くてうまい。」
「甘党なんですね?」
「お前も今夜はビールって感じじゃないだろ?」

シンジは苦笑して頷く。
簡易な折りたたみ式の机と椅子を二つ、凪にはグラスを二つ渡して部屋を出る。
向かう場所は屋上

チン

澄んだグラスの乾杯の音が静かな夜風に乗って響く

「いいんですか?ぼく中学生ですよ?」
「野暮な事言うな」
「案外不良教師なんですね」

二人はそろって笑った。
不意にシンジの顔に影がさす。

「・・・ぼくは結局何も出来なかった・・・」
「そうでもないだろ?」
「もっとうまく出来たような気がします・・・」
「そんなもんさ、人生なんて後悔で出来てるようなもんだ。」
「そうでしょうか?」
「いくらでも後悔すればいい、ただ俺たちはその後悔が人より大きくはあるがな・・・」

凪はグラスを傾ける。
リキュールの味を堪能しているようだ。
シンジも一口飲んでみるが美味かった。
花の香りで心が落ち着いていく。

「今夜はもう少し話せ」
「え?」
「あるんだろう?他にも引っかかっている世界の敵の事とかさ・・・」
「はあ・・・」

シンジは頭をかいて苦笑する。
案外凪には全てお見通しなのかもしれない。

「そうですね、どれがいいかな・・・」
「そんなの決まっているだろう?」
「え?」

凪は笑いながらシンジと自分のグラスにリキュールを注ぎ足した。

「俺が聞きたいのは一つだけ、少年と死神の物語だよ。」






Fin...

(2007.08.11 初版)
(2008.02.24 改訂一版)


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