間乃章 〔月下泡幻〕
後編
presented by 睦月様
「この世には便利な言葉があるな。因果応報・・・水木チドリを殺した君は誰かに殺されても文句は言えない。」
「な、なにを言っているんだ!?」
いきなり雰囲気が変わったシンジに冴島も藤井も面食らっていた。
その迫力に気圧されて一歩も動けないでいる。
「いつまでそこに隠れているつもりだ?」
しかし、ブギーポップの視線は冴島と藤井を通り過ぎたその先を見ている。
「そこにいるんだろう?大貫先生?」
ブギーポップの顔に左右非対称の笑みが浮かんだ。
視線の先で闇が動き、隠れていた人物が現れる。
同時に冴島と藤井はいきなり無表情になって道を空けた。
「何で僕がいることが分かった?いや、それより何故水木チドリを殺したのが僕だといえる?」
そこにいたのはブギーポップの言うとおり大貫だった。
その顔には余裕の笑みが浮かんでいる。
「三人のうち誰かだとは思っていた。彼女の兄である水木タカシが学校に来たとき・・・ちょっとうかつだったな・・・」
「なにが?」
「覚えていないのか?「水木チドリは妊娠していた。」と言ったんだよ。そこの冴島さんはね、最も言わせたのは君だろうが・・・」
確かに冴島はそう言ってタカシを責めた。
大貫もそれは覚えている。
ブギーポップの言うとおり大貫が言わせたのだから当然だ。
「身内である水木タカシさえ知らない事実を何で知っていた?さらに他の全員が驚いていた中で君ら三人だけは驚いていなかったな・・・警察のほうからそんな話はあっていないことくらい調べはついている。操っているにしろ本人にしろ、あの場にいなかったなら逆にそんな答を返せるはずが無い」
「・・・なるほどね・・・しかし証拠にはならないな・・・」
「それだけじゃない」
ブギーポップの顔ににやりと意地の悪い笑みが浮かぶ。
「どういうことだ?」
「今回の敵はひどく臆病者だ。」
「な・・・に?」
「とぼけるなよ」
大貫の顔が歪んだ。
矜持を傷つけられたらしい。
やはりプライドは高いようだ。
「水木チドリを自殺と言う形で殺した。自分で手を下さず・・・しかも自分の手駒に彼女の悪い噂を流させて疑いの目を外そうとした。」
「・・・・・・何が言いたい?」
「今夜・・・・あのメモはわざと三人全員が見れるようにしていおいた。なのにここに来たのは二人、一人だけ後ろからこっそりついて来る臆病な人間・・・わざわざ誰かと言う必要はあるまい?」
「そうかよ!!」
ブギーポップの言葉の終わりと共に大貫は己の能力を解き放った。
大貫の能力・・・自ら【A soldier of King】(王の兵隊)となずけたこの能力の本質は意識の共振・・・自分の意識と相手の意識を共鳴させることによって自分の意識を上書きして意のままに操ると言うものだ。
そしてそのトリガーは認識、発動のための手順はまず自分が相手を認識する事、そして相手も自分を認識する事、そしてお互いが相手の目を見て向き合った状態を数十秒間持続させることで大貫は相手の深層心理に共鳴するイメージを植え付ける。
意識の共鳴と言う能力のためにブギーポップはその存在が複数あるように感じてしまったのだ
刷り込みの手順が少々面倒だがこれを受けた者達は大貫が自分の意識をふるわせることによって大貫の操り人形に成り下がる。
しかも本人達の知らないところで刷り込まれ、共鳴しているときには意識が上書きされているために誰も気がつかない。
「たとえば戦争とかでなら他の国に行ってそこにすんでいる人間を戦力に出来るんだ。究極の兵力だと思わないか?碇?」
大貫は目の前で動きの止まったブギーポップに上機嫌で話し掛けた。
完全に自分の手の内に落ちたとおもってはしゃいでいる。
「今はまだ30メートル位の範囲内の奴にしか共鳴させられないが最近成長しているらしくてな、範囲が広がってきている気が・・・」
「・・・やはりプライドは高いが低脳だな・・・確認もせずにしゃべりすぎだ。」
「な・・・に?」
返って来た言葉に大貫が呆気に取られた。
能力に必要な手順は全てクリアーしている。
だから目の前のブギーポップはいま【A soldier of King】(王の兵隊)の支配下にいるはずだ。
大貫の意識は間違いなく震えていた。
その証拠に冴島と藤井は完全に支配下にいる。
しかしブギーポップはそんな事にお構いなく左右非対称の笑みで大貫を見ている。
その笑みが馬鹿にしている様で大貫の神経を逆撫でした。
「なにがおかしい!?」
「僕にその手の精神支配系の能力は効かない。君がどんなに意識を震わそうと僕の方にはふるえるべき心は無いからね。」
「くっつ!!」
ブギーポップの言うことは理解出来なかったが能力が役に立たないと言う事は確かだ。
大貫が舌打ちするとその背後の教室の扉が開いて教師や生徒が数名出てくる。
本人はその人垣の後ろに下がった。
「やはり臆病な性格をしているな・・・」
「だまれよ!!」
ヒステリックになった大貫の言葉と共に冴島が飛び掛ってきた。
その速度は完全に人間のそれを超えている。
「やれやれ、それが君の逆鱗か?」
ブギーポップはつまらなそうに掴みかかってきた冴島の腕を掴むと投げ飛ばした。
壁に背中から当たった冴島は地面に叩きつけられるがすぐになんでもないように起き上がる。
「ほう・・・操り人形だけに痛みも感じず肉体の限界まで能力を使えるのか・・・僕に似ているな・・・」
「ふん!!そんな余裕見せている暇があるのか!?」
何時の間にか後ろの廊下にも人影がある。
事前にブギーポップが感じた世界の敵の気配を持つ人間が全て集まってきているらしい。
「昼間から集めておいたんだ。逃がさないぞ!!」
「自分が臆病で一人で何も出来ないって事をそんな声を大にして言ってどうする?」
「なに!?」
ブギーポップの口調がシンジの物に変わった。
駆け出したシンジは藤井に肉迫するとその額に左手を添える。
次の瞬間、左手が白い光を発した。
ズシン!
大柄な藤井の体が床に沈む。
あわてたのは大貫だ。
「お、お前!!殺したのか!?」
「水木先輩を殺したくせに殺人が怖いのか?・・・ああ、そうか・・・死体が怖いから自分で殺さずに自殺させたわけか・・・あんたと一緒にするな」
床に倒れた藤井は意識が無いが確かに呼吸をしていた。
どうやら気絶しているらしい。
「な、何をした!?」
「ぼくの【Left hand of denial】(否定の左手)は全ての現象を否定する。もっとも何かに影響を与えるためには直接触る必要があるけど・・・この人の”心が共鳴している”と言う現象を否定しただけだよ。いきなりリンクしていたのが切れて気絶したようだけど、それはそれで好都合・・・いくらなんでも気絶して意識が無い人間と意識を共振させる事は出来ないだろう?」
「くっ!!」
大貫の顔に焦りが浮かんだ。
確かに気絶して意識の無い人間に能力は使えない。
シンジの言うとおりだ。
「そ、それがどうした!!こっちにはまだまだ駒がある!!」
藤井一人を動けなくしてもまだ30人以上の教師や生徒がシンジを囲んでいる。
周囲を見回したシンジは明らかな侮蔑の視線を大貫に向けた。
それを見た大貫の顔がさらに赤くなる。
「何見てやがる!!」
「生徒や同僚を駒扱いか・・・教師として思うところは無いか?」
「やかましい!!」
大貫の怒声と共に周囲の人垣が一斉に飛び掛ってきた。
シンジの姿がすぐに人の群れに飲まれて押しつぶされる。
「はっはは、生意気な事言ってこの程度じゃねえか・・・」
「だから・・・人の力を利用しているだけの寄生虫ごときが舐めた口叩くなよ。」
心臓が凍ったと大貫は感じた。
横目で背後を見れば息が掛かりそうなほど近くに白いシンジの顔がある。
その左手が白い光を放っているところを見ると押しつぶされる寸前に空間を否定して瞬間移動したらしい。
「がっ!!」
大貫は避けるまもなくシンジの左手に頭を掴まれる。
ろくに体を鍛えてもおらず、能力は他人任せな大貫が避けられる道理は無い。
次の瞬間、ひとつに折り重なっていた人の山が糸の切れた人形の山になった。
「共振させているあんたの意識の震えを止めるのが一番早いよね」
「ひ、ひいいい」
大貫は逃げ出した。
自分の能力は完全に役に立たなくなった。
周りに利用できるような人間はいない。
恐怖に駆られた大貫は一目散にシンジから遠ざかっていく・・・その足元の生徒や同僚の教師を蹴飛ばしながら・・・
「・・・つくづく教師失格な人間だな・・・」
(そんな人間でなければこんな事はしない。)
「それもそうですね・・・」
シンジも大貫を追って駆け出した。
足元の生徒や教師達を踏まないように気をつけて・・・
---------------------------------------------------------------
「ひ、ひいいい」
大貫は必死に逃げていた。
彼の能力は自分の手足として使える人間がいなければ役に立たない。
今のように周りに人間がいなければ文字通りの裸の王様だ。
「で、出口!!」
やっと外の出るための扉にたどり着いた大貫の顔に笑みが浮かぶ。
人目のあるところにいけばシンジも簡単には手を出せないし、いざとなれば新しい駒を手に入れることも出来るかもしれない。
大貫は喜びと共に扉の取っ手に手をかけた。
ストン!
「え?」
扉を開けようとした手から感触が消えた。
目の前の床に何かが落ちる。
「俺の手?」
それは鋭利過ぎるほどの切断面を見せる大貫の右手・・・
「ひ、ひぎゃああああ!!」
「言ったはずだよ」
痛みを一瞬忘れさせるような静かで自動的な、聞き覚えのある声に大貫が振り返る。
そこにいたのはブギーポップだった。
右手にワイヤーを構え、左手は・・・銃の形で大貫を指している。
「今日ここで君を狩ると・・・ね」
ドン!!
「げふう!!」
打ち出された衝撃波が大貫を吹き飛ばす。
手加減していたために打ち抜かれてはいない。
廊下をごろごろと転がっていった大貫は階段のところで止まる。
「うわああああ」
傷の痛みを無視するほどの強烈な恐怖が大貫の体を動かす。
血の流れ落ちる右腕を腕で握って止血すると階段の上に駆け上がった。
「・・・それでいいんだ。」
ブギーポップもゆっくりと歩き出す。
---------------------------------------------------------------
大貫は逃げていた。
途中の階で教室に入ってやり過ごそうとかそういうことは頭にない。
あれはそんなことでごまかせるような相手じゃないと本能が語っている。
逃げて距離を置かなければ殺されると言う思いが大貫に必死で階段を駆け上がらせた。
そもそも彼は今日ここに命がけの鬼ごっこをするために来たはずではなかった。
生徒指導室にいつの間にか置かれていたメモ・・・その真実を探り、相手を自分の駒にして隠蔽する。
必要ならまた自殺させてチドリを妊娠させた相手に仕立てるつもりだった。
「それが何でこんなことに!!」
大貫の中では簡単なことだったはずなのに今の大貫はブギーポップの言った通り狩られる側の存在だ。
自分のなにが悪かったのかすら分からない。
彼は知らなかった・・・自分と同じような能力を持つ者たちがいることを・・・
彼は知らなかった・・・自分の能力を歯牙にもかけない存在がいることを・・・
彼は知らなかった・・・この世界には彼のような間違った方向に伸びた枝を切る神の農夫がいることを・・・
やがて大貫は屋上に出るための扉にたどり着いた。
両開きのそれを体当たりして開けるとその先に倒れこむ。
「ぜ、はああ!!」
走りすぎて息が切れた大貫が咳き込んだ。
ちょうどそのとき雲が晴れて屋上に月の光が差す。
「ん?・・・っつ!!!」
大貫は全身の血が凍るのを感じた。
自分の周囲だけがいまだ影の中にある。
細長い筒のような影の中に・・・
「問おう・・・なぜ水木チドリを殺した?」
その声は永久凍土の氷より冷えてツララのごとく大貫の背中から心臓を貫いた。
中途半端な答えは即座に死に繋がる。
大貫の目の前に一枚のプリントが飛んできた。
それはチドリの進路指導の紙、一番上にチドリの名前、真ん中に進路希望として保母、そして最後に指導した教師として大貫の名前がある。
「彼女の周囲を探っても男の影がないはずだ。進路指導を隠れ蓑に手を出したな?」
「し、知らない!!」
「うそをつけ」
言葉とともに強烈な殺気が来た。
その一言だけで大貫は呼吸さえ困難なほどに金縛りになる。
「たぶんその能力でどれだけ言うことを聞かせられるか・・・その実験だったんだろう?趣味と実益を兼ねた実験・・・違うか?」
「う・・・」
「おそらくその違和感に最初に気がついたのは彼女だ。自分の体だからな、しかも彼女は保母を目指していた。体調の変化が妊娠に似ているくらいは思ったかもしれないが操られていると言う事を知らない彼女は自分が妊娠したと言う事実に思いいたらない。受験前のストレスと考えていたのかな?そしてそれを相談するのはやはり自分を指導していた教師・・・それを相談されて、おもい当たることがある君はすぐに妊娠の事実に気がついた。」
大貫の顔色はどんどん悪くなっていく。
それを見ればブギーポップの言葉を肯定しているようなものだ。
「・・・妊娠が進んで6ヶ月を越えれば胎児の血液型がわかる。そうなってしまうと彼女の近くにいて、しかも遺伝した血液型によって自分が子供の親と言うことがばれるかもしれない。生まれた後でDNA鑑定と言う手もある。そうなればいろいろな意味で破滅だ。教師としても・・・能力がばれればどんな扱いをされるかわかったものじゃないしな・・・だから殺した。」
「し、仕方なかったんだ。」
大貫は背後のブギーポップを振り返った。
その態度は卑屈の一言に尽きる。
そんな大貫にプギーポップは背筋の寒くなるような冷笑を向けた。
「仕方なかった?」
「そ、そうなんだ。馬鹿な生徒達の相手でストレスが溜まっていたんだ。だからあんな事をしてしまったんだよ!!心神耗弱って奴なんだ!!情状酌量の余地があるだろう!?」
「心神耗弱ね・・・」
ブギーポップの瞳には何の感情も浮かんでいない。
それこそ大貫すらどうでもいいと言う感じだ。
「その理屈・・・彼に通じるかな?」
「え?」
大貫は気がついた。
屋上に出てきたときに開けた両開きの扉がゆっくり閉まっていく。
そこにいた人物を見て大貫は息を呑んだ。
片方の扉の裏には黒いライダースーツを着た凪・・・もう片方の扉の裏にいたのは・・・水木タカシ・・・
今までの話を全て聞いていたのだろう。
がたがたと震えている。
「霧間凪」
ブギーポップの言葉に凪はため息をつくとアーミーナイフを一本取り出してタカシに渡す。
それを受け取ったタカシはじっとその刃に写る自分の顔を見た。
「ち、ちょっと待ってくれ!!何をするつもりだ?」
「知らないね、彼に聞けば?」
凪の言葉も冷たい。
その横を通ってタカシが前に出る。
「ひっ!!待ってくれ!!」
「お前が・・・お前なんかのために・・・」
タカシの目は大貫しか見ていない。
血走った目には明確な殺意が浮かんでいる。
大貫は気おされてじりじりとあとずさった。
カシャン!!
しかし、屋上の広さには限界がある。
端に追い詰められた大貫は柵に阻まれて動きが止まった。
「う・・・・あああああああ」
同時にタカシが走り出す。
その手に持つナイフの切っ先は大貫を狙っていた。
「ふ、ふざけんな!!!」
大貫は能力を発動させた。
うまくいけばタカシを操れるかもしれない。
(そしてこいつを人質に・・・)
「ここまで来て余計な抵抗をするなよ。」
ヒュッツ
自動的な言葉と共に風切り音が聞こえた。
「ぎゃあああ」
大貫の右耳が切り飛ばされた。
ブギーポップのワイヤーだ。
大貫の意識が外れた隙にタカシが駆け込んでくる。
ゾブ!!ガシャン!!
肉に刃が滑り込む音ともに大貫の体が金網に押し付けられる。
「あ・・・・う・・・」
ヒュン!!
大貫が信じられない思いで自分から生えたナイフの柄を見ると同時に空間をワイヤーが走って金網を切断する。
切り取られた金網は大貫と一緒に暗い地面に落ちて行った。
「はあ・・・はあ・・・」
残されたのはナイフととそれを握る手を紅に染めたタカシだけだった。
がたがた震える手に別の手が添えられる。
「お疲れさん」
凪だった。
ナイフからタカシのこわばった指を引き剥がして取り上げる。
血に濡れたナイフを手放したタカシはその場にへたり込んだ。
「・・・あんたの悪夢はもうすぐ終わる。」
タカシにそう言うと凪はさっきまでブギーポップのいた場所を見る。
そこにはすでに何もいなかった。
「本当に・・・後味がわるいな・・・」
---------------------------------------------------------------
「コヒュ〜コヒュ〜」
地面に打ちつけられた大貫だが・・・まだ生きていた。
その口から漏れる息には異音が混じっている。
地面に叩きつけられたときに肺を損傷したらしい。
「・・・ああ、やっぱり生きていたか・・・」
文字通り瀕死の重傷の中で大貫は見た。
自分を見下ろす見覚えのある顔を・・・
「だ・・・だずげ・・・」
「おや、割とまともに話せるんだな・・・チドリ先輩はうめき声をあげる事も出来なかったのに・・・」
シンジの声は何処までも冷たい。
同情や憐憫などかけらも無かった。
「悪いけれどこのままあんたが死ぬとタカシさんに迷惑がかかる。」
大貫はその言葉に一縷の望みを見出した。
確かにこのまま自分が死ねば水木タカシは残りの人生を殺人犯として送る事になる。
シンジはそれを気にしている・・・どう言う形であれ生き残れるかもしれないという淡い希望が大貫に宿った。
「・・・何を考えているかわかるけれど・・・」
パン!!
シンジは白く輝く両手を拍手のように打ち鳴らす。
手を開くとそこには白い光を放つ球体が浮かんでいた。
「期待には答えられないな・・・あんたはいなかったことになってもらう。」
「がっつぐう。」
大貫は目を見開いた。
シンジの言葉も衝撃的だがそれ以上に目の前に浮かんでいる球体・・・その異常さが大貫にも理解できたようだ。
あるいは生存本能が全てを無に返す力を感じたのかもしれない。
折れている手足を無理やり動かして逃げようとするが・・・・・・無駄だ。
「ちょうどその位置なんですよ水木チドリさんが死んだのは・・・」
大貫ははっとして地面を見る。
そこにはかなり薄くなってしまったが水木が死んだ事を示す白線がうっすらと残っていた。
「あの日は満月だったんですけど・・・今日は雲で隠れています。」
確かに今は月が雲に隠れている。
シンジはもはや動くことも出来ない大貫を蔑みの眼差しで見下ろした。
「月さえも見苦しすぎて貴方を見たくないのかもしれませんね・・・」
「や、やめでぐれ!!」
シンジはまったく大貫に取り合わない。
必死で搾り出した悲鳴にも無感動だ。
「代わりにこれで勘弁してくださいな」
そう言うとシンジは【Impact of nothing】(無の衝撃)を叩きつけた。
悲鳴をあげる暇もなく大貫が光の中に消える。
「・・・ぼくは本当はとても残酷な人間なんですよ。」
その言葉を受け取るべき人間は何処にもいない。
シンジはじっと水木チドリが死んで、大貫が消え去った場所を見ていた。
A few days later
・・・その言葉を聞いたのはどのくらい前だったか覚えていない。
アニメの台詞だったのか漫画の台詞かあるいは誰かの演説だったのか・・・まあ、そんな事に大した意味は無いのでどうでもいい。
問題はその言葉だ
『人の命の重さは地球と同じ』
その言葉を聞いた当時のシンジは・・・えらく偽善的な言葉だと思った。
それから数年・・・ちょっとだけ大人になったシンジは・・・
「いま思うともう少し素直な方が可愛げもあったろうに・・・結構ひねくれていたのかも知れないな・・・」
自分の過去を顧みながら誰にも聞こえないように呟くシンジは教室の自分の席で授業の終了を待っていた。
なんとなく周囲を見回すとクラスメート達がいつもと変わらない日常をすごしている。
半月もしない内に二人の人間が同じ校舎の中からいなくなった(一人は最初からいなかった事になっているのでまた状況が違うが)と言うのに早くも日常が復活している。
「あの時感じた事は正しかったと言うことか・・・」
シンジは過ぎ去った日に感じたものを再確認した。
世界は回り続ける。
あの言葉が本当ならこの世界は地球二つ分の価値を無くした事になるだろう。
しかし世界はその歩みに微塵の停滞も見せず現在を過去にしていく。
(案外世界って言うのも大雑把で容赦無いもんだな・・・)
授業終了のチャイムを聞きながらシンジはそんな事を思った。
大貫が死んで・・・いや、消え去って・・・世界はそれを無かった事にして黙殺している
消えた影響は皆無ではないがせいぜい湖に立った小さな波紋程度のものだ。
じきに修正されて納まる。
そして水木チドリの自殺・・・たとえ大貫の存在が無くなったとしても彼女の死んだと言う事実は変わらない。
能力が覚醒する前のcancelerのときから死という状況だけは否定できなかった。
なぜなら死はそれ自体が無だからだ。
シンジの能力はあくまでゼロに戻すこと・・・たとえば凪の炎を作りだす能力、これにシンジの能力をぶつけると作り出された炎のプラスがゼロになって炎は消滅する。
逆に物が壊れたりする状況はマイナスに相当する。
以前、使徒に【Impact of nothing】(無の衝撃)を使ってその存在を無かったことにしたとき、使徒によって起こされた破壊というマイナスはゼロになり、町は元通りになった。
死と言う概念はこれに近い。
理由は漠然としているがおそらく死んだ人間は一瞬でゼロの状態になるのだろう。
それ以上プラスにもマイナスにも変化出来ないゼロの状態・・・ゼロに何をかけてもゼロなようにゼロだからこそシンジの能力が効かない。
だから死んだと言う事実だけは覆せない・・・と言っても変化はある。
大貫を消した後、チドリの死に関する事で二つのことが修正されていた。
まず、チドリはの死は自殺じゃない。
もともとあれは殺人で自殺じゃなかったわけだがその犯人である大貫は最初からいなかったことになっている。
しかしチドリが屋上から落ちて死んだと言う事実はあるため、屋上の金網が老朽化していて誤って落ちたという”事故死”に変化していた。
そして、これも当然だが・・・チドリは妊娠していなかったことになっている。
【Impact of nothing】(無の衝撃)は因果も含めて対象を完全に消し去る能力だ。
最初からいなかった人間が子供を作る事は出来ない。
そのためチドリのお腹の中にいた子供も大貫が消えた事によりいなかったことになった。
(結局は同じか・・・世界はこんな矛盾すらも修正してなんでもなかった事にしてしまう。)
二人の真実を知るのはシンジとブギーポップだけだ。
あの場にいた凪やタカシも大貫がいなかったとして記憶が修正されているだろう。
だから二人の真実を知るのもシンジだけ・・・
「シンジ君?」
「え?」
物思いに沈んでいたシンジは何時の間にかそばに誰かが立っているのにも気がつかなかった。
目線を上げると赤い瞳と視線が交差する。
「レイ?どうかした?」
「今日は買出しに行かないと・・・」
「そう言えば今日はぼく達が食事当番か・・・」
「それにシンクロテストがあるわ。」
シンジはうんざりした気分になる。
はっきり言って気が進まない事この上ない感じだ。
しかしネルフもあれで国際組織なわけだから「今日は気が進まないのでパス」などというふざけた理由では休めない。
かといって気が進まない理由を正直に話すわけにはいかない。
シンジは少し疲れを感じながら荷物をまとめるとレイと一緒に教室を出る。
扉を出たところで見知った人物と鉢合わせした。
「冴島先生・・・」
そこにいたのは生徒指導の冴島だった。
横には藤井もいる。
「おや?碇君は今帰りかね?」
「え?あ、はい・・・」
「気をつけて帰りなさい。」
冴島を知っている人間なら耳を疑っただろう。
もちろんシンジも驚いている。
彼の口からこんな人を労る言葉が出るなど予想もしなかった。
「ははは!!碇、お前部活には入らないか?」
「え?」
今度は藤井だった。
いつも無口だったはずなのに大声で豪快に話してくる。
「お前もネルフ関係で大変だろうが見るだけでもいろいろ違うもんだぞ?」
「はあ・・・」
「今度見学に来たらどうだ?それじゃあこれから職員室に行かなきゃならんからな!!」
そういってさわやかに右手を上げると冴島と藤井は去っていった。
「・・・誰だあれ?」
「?・・・生徒指導の冴島先生と藤井先生・・・」
「・・・やっぱり?」
レイがそういうなら自分の見たものは見間違いの類じゃないと言うことになる。
(多分、大貫がいなくなったのが原因だ)
(え?ってことはあいつ日常的に能力使っていたんですか?)
(詐欺の手管だね、そばに周りに当り散らす人間がいてその標的になった人に自分が優しくすると好感度が上がると言うことさ)
(藤井先生は?)
(にぎやかな人間がそばにいると目立てないと思ったんだろう)
すごい理屈だが藤井を見た後では納得できる。
おそらくはさっきの二人がもともとの素なのだろう。
少なくとも冴島は前のいやな性格よりはいい。
---------------------------------------------------------------
「く!!!」
シンジは両手に持っている食材の重さにくじけそうになった。
基本的に買出しはシンジがやっているために他の皆の当番の時の分も食材を纏め買いしている。
なぜかと言うと他の皆には食材の目利きなどできないから・・・
「シンジ君・・・大丈夫?」
横に並んだレイはシンジと同じくらいの量を持っているが涼しい顔をしている。
それも当然の事で彼女の能力は強化・・・たとえ100キロの荷物であっても実質10キロの感覚で持上げる事が出来るのだ。
だからシンジは荷物の多い買出しにレイを連れていく事が多い。
時々他の女性陣の目は怖かったりする・・・デートじゃないのに・・・
「つ、付き合わせちゃってごめんね」
「・・・いい・・・それよりもうすこし私が持つ?」
「いや・・・男として女の子より軽い物を持つのは・・・」
はっきり言ってしまえば力だけなら大人のプロレスラーでもレイには勝てない。
掴まれたらシンジでも抵抗出来ないと思っている・・・実際布団の中に忍び込んでこられて羽交い絞めにされたら絶対に抜け出せないわけだから確かめるまでも無い。
「どうして?」
「男のプライド・・・ってあれ?」
シンジは見覚えのある人物を見かけてて立ち止まる。
「水木タカシさん・・・」
「え?・・・ああ、碇シンジ君か・・・よかった」
名前を呼ばれた事でタカシもシンジに気がついたらしい。
シンジにむかって足早に駆け寄ってくる。
「良かった?」
「君を探していたんだ・・・時間はあるかな?」
「・・・・・・」
シンジは少しだけ考えたが行動は早かった。
携帯を取り出して記録されている番号にかける。
『シンジ君?どうかしたの?』
「あ、リツコさん?」
『今日のシンクロテストの時間までには本部に入ってね』
「ええ、テストの時間が近いのは知っていますよ。」
『?、それなら何しているの?』
「何しているか?それなんですがちょっと外せない用事が出来まして・・・今日休んでいいですか?」
『・・・・・・』
沈黙が来た。
細かな雑音が入るのは震えているからだろうか?
『何言っているかわかっているのかしら?』
「言いたい事はわかるんですけど・・・体調不良って事じゃだめですか?」
『いいわけないでしょう!!』
リツコの言う事はわかるし予想通りだ。
シンクロなど日常的にブギーポップとやっているからシンクロテストなど必要ないのだが、それを知らないリツコ達には中学生のわがままとしか写らないだろう。
だからシンジも切り札を切る。
「リツコさん・・・この前、猫のきぐるみのネット通販見てましたよね?あのファンシーで実際着たらちょっと所じゃなくはずかしもこもこしたデザインのやつ・・・」
『・・・・・・』
「第三にくる郵便物って重要書類以外検閲されてますから誰がネットで取り寄せたかも丸分かりになるんですが・・・もしリツコさんがあれを注文していたらちょっと恥ずかしいんじゃないかな〜なんて・・・」
『なにが言いたいのかしら?』
「いえ、”たまたま”ぼくもそれが気になってちょっと取り寄せようかな〜なんて思っているんですよ・・・大人用のLサイズ・・・」
シンジの顔にはゲンドウに負けない位のにやり笑いが浮かんでいる。
「でもそんなにほしいわけじゃないので見たらリツコさんの好きな方法で処分してもらおうかな〜って思うんですけど」
『・・・頭痛と腹痛でいいかしら?』
「ついでにレイの分もお願いできます?」
『レイまで?・・・見返りは?』
「確かあのきぐるみは4種類でしたよね?白と黒と三毛にブチ・・・フルコンプでどうです?」
『乗ったわ」
リツコの返事は即答だった。
話はそれで終わり、タカシを振り返ったシンジの顔は一仕事終えた満足げな顔だった。
目の前の水木の顔が少し引きつっているのは大きな問題じゃない。
「どうしたんですか?」
「これを返しておこうと思ってね・・・」
タカシがさし出したのはシンジの傘、以前公園で話したときに貸したものだ。
どうやらこれを返すためにシンジを探していたらしい。
「返せてよかった。」
「いつでも良かったのに・・・」
「いや・・・今じゃないと返すことが出来なくなるから・・・」
「え?」
「遠くに行くんだ。」
「・・・そうですか・・・この町を離れるんですか・・・」
「ああ・・・」
タカシは大貫の事を覚えていない。
だから公園での会話も大貫に関係している部分は記憶に残っていないのだ。
本来、タカシにチドリの仇を討たせるのは余計だった。
【Impact of nothing】(無の衝撃)をつかえば妹の仇を討ったと言う記憶はタカシに残らないことはわかりきっていた事だ。
チドリの名誉を守るだけならタカシに任せる必要はかけらも無い。
それなのにあえてタカシにやらせたのはシンジの精神衛生のためだ。
たとえ忘れてしまうとしても仇を討たせてやりたかった。
もちろん人を刺した記憶などこれからのタカシに必要は無い。
そんな記憶はシンジが覚えて置くだけで事足りる。
「俺の出身は北のほうでね・・・チドリを実家の墓に入れてやりたいんだ。両親にチドリが”事故”で死んだことも報告しないとならないし」
「・・・その後は戻ってくるんですか?」
「・・・・・・いや、そのまま地元に残ろうと思う。墓の面倒とか見なくちゃならんし・・・俺の家族はいなくなってしまったからな・・・気ままな物さ、ネルフにも辞表を出してきた。」
「そうですか・・・」
シンジは思わず微笑んでいた。
それを見たタカシの顔がいぶかしげな物になる。
「何故うれしそうなんだ?」
「こんな町・・・いないほうがいいっての分かっています?」
この町は使徒の危機にさらされている。
おそらくは世界でもっとも危険な町だ。
正確な意味で戦場、そんなところにいれば何時巻き添えで死んでも文句はいえない。
「・・・それにそれが彼女の願いでもある。」
「え?」
思わずタカシは聞き返していた。
シンジの口調が妙に自動的な物に変化したからだ。
隣に立っているレイだけはブギーポップが出て来た事に気がついた。
「早くに両親を亡くした彼女にとって君は親であり信頼する兄だった。・・・そして彼女は死の瞬間にも一人残される君の事を心配していたよ。」
タカシはその言葉に疑問をもたなかった。
何故そんな見てきたように語れるのか・・・そんな疑問すら沸かない。
ただ・・・目の前の少年が言う事は全て真実だと言う根拠の無い確信だけがある。
「そうか・・・あいつ・・・」
タカシは頷くとシンジ達に背を向けた。
背中越しにシンジに話しかけてくる。
「・・・・君達はここに残るんだな・・・」
「僕にはやらなきゃいけないことがある・・・」
「そうか・・・君も死ぬなよ・・・」
「ぼくは死にませんよ・・・」
ブギーポップとシンジが入れ替わった。
「そうか・・・」
シンジの立場を知っているタカシにはそれ以上言う事が出来ない。
振り返らずに去っていく。
「シンジ君?あの人は・・・」
「・・・・・・レイ?」
「何?」
「パフェって食べた事ある?」
いきなり脈絡の無いシンジからの質問にレイの頭の中にクエスチョンマークが浮かんだ。
「・・・ないわ」
「じゃあ食べに行こう。ぼくのおごりで、決定」
「え?」
レイが意味を理解する前にシンジは歩き出していた。
慌ててレイもその後を追いかける。
「どうしたのシンジ君?」
「今日はちょっとだけいい事があったから機嫌がいいんだ。」
「さっきの男の人の事?」
「そんなところ」
シンジはくすくすと笑いながらレイの手を取って早足になる。
いきなり手を握られたレイが赤くなるが構ってはいられない。
今はこの愉快な気分を少しでも長く・・・
すべてはシンジだけが知る物語・・・
それは月の下に見た泡のようにはかない幻・・・
Fin...
(2007.08.25 初版)
(2008.02.24 改訂一版)
作者(睦月様)へのご意見、ご感想は、または
まで