使徒が嫌い、でもエヴァは好き

第二話 欠けた欠片を、

presented by ピンポン様


 開け放した窓から爽やかな風がカーテンを優しくたなびかせる。さほど広くもない部屋の中に一人の少女が立っていた。彼女は、壁に掛けているコルクボードの前で何かを見ているようだ。

 そこには、たくさんの写真が所狭しと張り付けてあり、少女は一つの写真を手にしていた。その写真の中には入学式であろうか、三人の少年少女と、三人の大人が桜をバックに移っている。

 歳は三十代半ばだろうが、見かけは二十代にしか見えず、その女性達はスーツ姿で皆微笑んでいた。青い髪の少女は隣にいる二人の幼なじみに向かって笑っている。赤髪の少女はそっぽを向いており、黒髪の少年は涙目で赤くなった頬を押さえていた。

 少女は一枚の写真を見ながら口元を緩め穏やかに微笑んでいる。彼女はこの写真を撮った時から、毎朝見るのが半ば習慣と化していた。

「あれから二年かあ……この時は良かった、何も考えなくて楽しかったから……」

 少女は昔を懐かしむように楽しそうに笑っている。

「……でも、レイはこの時から…………」

 急に難しい顔になり写真の中の一人の少女をじっと見る。

 少女は暫く写真を眺めていたが、そろそろ学校に行く準備をしなくては遅刻する、と思った母親が乱暴にドアを開け部屋の中に入ってきたのを機に、彼女の優しい時間は終わりを告げる。

「アスカ! いつまで寝て……って、起きてんじゃない。早くしないと遅刻するわよ!」

 開口一番に怒鳴り声を上げたキョウコだったが、アスカの様子を見ると台風が去っていくかのようにさっさと部屋から出ていった。

 母親の叱咤にいつものアスカらしく言い返したりせず、写真を元の場所に張り付け、彼女は夢遊病者のような足取りでリビングに向かった。





 アスカは毎朝起こしている手の掛かる幼なじみの元へ行くため、彼の住む家の呼び鈴を鳴らしドアノブを手前に引いた。

 いつもはユイが、アスカが来るのが分かっているので、起きたら鍵を開けることにしているのだが、今日は何故か鍵が閉まったままだった。

 シュウジを起こしに来るようになってから、ユイが鍵を開け忘れたことが一度として無かったので、アスカは怪訝に思いながらも、もう一度呼び鈴を鳴らした。

 暫く待っても誰も出てこないので、ドアを思いっきり叩こうと拳を握りしめたところで、家の中からちょっと慌てた足音が聞こえてきた。

 彼女の目の前のドアが開き、パジャマ姿のユイが顔を出す。

「ごめんなさいねアスカちゃん。ちょっと寝坊しちゃって」

 彼女の頭には今起きたことを証明するかの如く、細く短い髪の毛が元気にあちらこちらに向いていた。

「はあ……でも珍しいですね。おばさまが寝坊するなんて」

 ホントに珍しいことがあるものだな、と思いながらもアスカは笑って答える。

 だが、彼女の笑顔を見て自然に微笑む訳で無く、ユイはどこか無理をして作ってるような愛想笑いを浮かべながら家の中に入っていく。

 ユイの身に何かあったことは一目瞭然だった。ふらふらと家の中に入っていくユイの後ろ姿を呆然と見ていたアスカだったが、目の前でドアが閉まり慌てて彼女の後を追った。

 リビングにはいつも顔を隠しながら新聞を読んでいるゲンドウがいなかった。

「おじさまはもう出掛けたんですか?」

 大抵この時間にいるのだが、ゲンドウはネルフのトップに立つ人間として忙しい日々を送っており、泊まりがけや朝早くに出勤するのはそう珍しいことでは無い。

「え……ええ。あの人は昨日の夜から仕事してるから……」

 別のことを考えていたユイは、咄嗟に答えれず言葉に詰まる。

 彼女は寝坊したわりに、慌ててパジャマを着替えるとか朝食を作るなどということを一切せず、ぼーっと椅子に座っていた。

 アスカはユイの態度に疑問を覚え怪訝な顔をする。いつもとはまるで違う彼女の変調ぶりに問いただそうとして口を開きかけるが、ふと目に入った時計の針が予想以上に進んでいることに気づき、ユイの様子が気になるも、慌ててシュウジを起こしにいった。





 いつも通りシュウジをたたき起こしたアスカは、彼を引っ張りながら家の外へと出ていった。

 玄関の前で待っていたレイに色々文句を言われるも、時間が無いので三人とも急いで学校へと走っていった。

 通学路の半分くらいまで来ると、アスカは自分の左手首を確認する。彼女の目に写し出されたのは、短い針がもうそろそろ9に差しかかろうとしている可愛らしい赤い腕時計だった。

 すでに一時間目が始まっているのは変えられない事実である。彼女は諦めたように走るのをやめて、後ろを走っている二人に向かって振り向く。

「もう一時間目が始まってるわ……急いでも意味無いから歩いていきましょ」

 彼女の前で息を切らしている二人に向かって溜息をついた。

 シュウジとレイは話すのも辛いのか、荒い息を吐きながら力無く頷くだけだ。

 暫く黙って歩いていた彼女たちだが、思い出したようにシュウジに視線を送り口を開くアスカ。

「ねえ……今朝のおばさまの様子なんか変じゃなかった? 寝坊するのも珍しいけど……何ていうか、心ここにあらずって感じで……」

 彼女は腕を組みながら首を傾げる。

 「え? ぼ、僕は準備に忙しかったから、母さんの様子なんて見てなかったけど……」

 自分のことで精一杯だった彼は、良く分かんないや、といった感じで肩を竦めてみせる。

「そういえば……昨日の夜、おばさまとおじさまは急な仕事とかでネルフに行ったわよね? あたしが帰る時にもまだ帰ってきてなかったし……ネルフで何かあったのかしら?」

「さあ? 夜ネルフに行くことなんて珍しく無いじゃないか……アスカの考えすぎだよ」

 そんな話よりも今は眠気が勝っているらしく眠そうにあくびをするシュウジ。

 腕を組みながらそのまま考えに没頭していたアスカは、この手の話が大好きなレイが目を輝かせていたことなど知る由も無かった。

「何々!? ユイおばさまがどうしたの?」

 何かと噂好きのレイは嬉しそうにアスカに詰め寄った。

「あたしも知らないわよ! ……ていうか、ホントあんた人の噂とか好きね……」

 アスカは呆れたように流し目を送る。

「だ、だって面白いじゃない! それにアスカだってそういうの好きじゃない!」

 うぐっと一瞬詰まったレイだが反撃を試みる。

「あんたほどじゃないわよ! だいたい…………」

 彼女たちの言い争いは徐々に激しくなっていき、先程の会話からは全く以て関係の無いレイの恥ずかしい失敗談にまで発展していた。二人から発せられる大声を聞いているシュウジは、疲れきった顔で呆れたように溜息を吐いた。

 最早肉眼で確認できる学校からは、一時間目の終了を知らせるチャイムの音色が、彼女たちの耳に空しく鳴り響かせていた。










 普段、この時間にこの家には誰もいないのだが今日だけは違った。テレビからは空しく「…………日、金曜日。午前九時をお伝えします。次のニュースは…………」と原稿を読み上げる中年のアナウンサーが写っている。

 リビングには、未だパジャマ姿のユイが椅子に座ったままじっと動かず、何かを考えているようだった。自宅の電話が彼女の目を覚まさせるように鳴り響き、のろのろと電話機に向かい受話器を手に取る。

「…………ええ、分かっています」

 普段から丁寧語で話す彼女の様子からは誰と会話してるのか検討も付かない。

 それほど長い時間話していたわけでもなく、受話器を元の位置に戻すと漸く動き始めた。きびきびと着替えを始め、朝食も摂らずに家から出ていった。

 いつもはゲンドウと一緒に車でネルフに向かうのだが、彼は昨日の夜から帰ってきてない。その事を忘れ駐車場に行くも車が無いことに気づき、ぶんぶんと頭を振りその場を後にした。

 時折夫が仕事などでいない時、ユイは電車でネルフまで向かっていた。最寄りの駅からネルフまでは十分少々といったところだ。

 十分も歩くと見知った駅に着き慣れた動作で切符を買う。世間一般の人はもう出勤しており、ホームには人がちらほらといるぐらいだった。

 彼女は改札口に切符を通し、程なくして来た電車に乗り込む。

 電車の中にはまばらに人がいるだけで楽に座席を確保することができた。

「ふう……」

 疲れたように軽く溜息を吐く。

 漸く頭の中がすっきりしてきたのだろうか、朝の様子とは違いまだ少し頼りないが、段々といつもの毅然とした彼女に戻っていった。

 ユイを乗せた電車が走り出し、窓から映る光景はゆっくりと変化していく。彼女は移り変わっていくその光景を、認識できているのか分からないぐらい虚ろな瞳で捉えていた。どうにか『今』に集中しようとしても、ネルフを通り過ぎたのにも気付かないほどで、昨夜の出来事が頭の中を駆け巡っていた。










「久しぶり? かな。母さん」

 ユイの目の前には、十二年前に姿を消して以来、一日たりとも忘れたことの無かった息子が立っていた。

 彼女の瞳には、自分の罪の象徴であるかのよう変色してしまった細い銀髪、深い紅の瞳、透けるような真っ白い肌が写っている。

 ユイは自分の目と耳を信じられなかった。今まで彼女は、シンジの消息をずっと追っていたが何一つ掴めず、生きているのかさえ分からなかったからである。

 三年前にスーパーコンピュータ『MAGI』をネルフが完成させた。分からないことはほとんど無いとまで言われるマギを以てしても、シンジの事は全く分からなかったのだ。だが、その結果は一つの事実を浮かび上がらせる。

 ネルフの敵対組織『ゼーレ』の事である。ゼーレとは裏社会のトップに古来から君臨する謎の組織である。一昔前までネルフの上位組織だったがある時を境に決別した。今では完全に敵対しており、スパイを幾度となく送り送られあいをしている。ネルフは何人もの犠牲を払い、ゼーレの計画を調べることに成功していた。

 プロテクトが異常に高いゼーレには全くマギが効かない。スパイからの報告で、そこにシンジがいることを確認できなかったが、彼が捕らわれてる可能性が非常に高かった。

 何が起きているのか全く分からないユイだが、確かめなくていけない事があるので、どうにか唇を動かし口を開いた。

「ほ、本当に……シ、シンジなの?」

 やっとの事で絞り出した声も震えていて、とても小さな声だった。

「僕は碇シンジだよ。母さん」

 シンジは生まれて初めて会うと言ってもいい母親に対し、全く緊張した様子も無く穏やかに微笑んでいた。

 そこに立っている少年は、ゼーレの送り込んだ偽物かもしれないのだが、ユイがそれを疑うにはあまりにも長い年月が経ちすぎていた。もはや彼女に、この事実を信じないという考えは無く、シンジを見ている瞳から大粒の涙を流した。

「ず、ずっとあなたに、ぅぅ……会いたかった!」

 何故シンジがここにいるのか、などといった事はどうでもよく、彼女の目の前にいるシンジはシンジであり、もう二度と離れたくない、という意思を込めてキツクキツク抱きしめた。

「僕も会いたかった……母さん」

 笑顔だったシンジも自然と涙が溢れてきた。

 されるがままだった彼も、今までの寂しさからか次々と溢れてくる涙を拭わず、母の背中に腕を回し優しく抱き返した。

 暫く抱き合っていた二人だが、ユイがいつまで経っても戻ってこないのを心配して、ゲンドウが玄関まで様子を見にやってきた。

「ユイどうし……むっ、誰だ貴様は!」

 ユイの様子を見に来たゲンドウだったが、見知らぬ男(ゲンドウからは頭しか見えない)と抱き合ってる姿が見え、大声で怒鳴る。

 ゲンドウに気づいたユイは、渋々といった感じで、名残惜しそうにシンジから体を離す。

「あなた……」

 息子との感動の再開を邪魔され、涙に濡れた瞳で睨んだようにゲンドウを見る。

 ゲンドウは彼女の様子にちょっとビビリながらも男を睨み付ける。

 目の前に立つのどう見ても少年であり、浮気では無いらしいとホッとする。だが、よく見るとその少年には見覚えがあり、探してやまなかった人物と瓜二つだった。

 彼はそんなことあるはずがない、と思いながらも訊かずにはいられなかった。

「ま、まさか…………シンジ……か?」

 こちらを楽しそうに見ている少年に近づく。

「そうだよ、父さん。会いたかった」

 シンジは本当に嬉しそうに笑った。

 ゲンドウは頭の中で、今までのシンジに対する情報を必死に検索していたが、有益な情報を引き出すことが出来なかった。

 目に映る情景をどこか夢見心地のまま見ていたが、ゲンドウの脳が一斉に活性化すると、彼にしては珍しく早口になり一気に捲し立てた。

「生きていたのか!? 何故ここにいる!? 今までどこにいた!?」

 彼はシンジの肩を掴み質問を浴びせる。

「うん……話すと長くなるから、どこか場所を移さない? ここにはシュウジもいるんでしょ?」

 今まで穏やかだったシンジの顔が急に険しくなった。

「ああ、そうだな……しかし、何故シュウジの事を知っている?」

 軽く落ち着きを取り戻したゲンドウは、シンジの言うとおりだと思うも、何故か知らないはずのシュウジの事を知っており吃驚する。

「まあ、それも含めて話すから……」

 そう言い残してシンジは外に出ていった。

 残されたユイとゲンドウは、何から何まで急な展開に着いていけず、一瞬硬直するも慌ててシンジの後を追った。ユイはシュウジの事を思い出し、彼の部屋に向かって「急な仕事が入ったからネルフに行って来るわ!」と言い残し家を後にした。





 ゲンドウの運転する車に乗り三人はネルフに向かった。ユイは車の中で色々とシンジに訊いたりしたのだが、彼は何も答えず「着いたら話す」と言って何も教えてくれなかった。ネルフに着き、司令室に向かっていたゲンドウだったが「ドグマに行こう」とシンジが言ったので、驚きながらも二人は頷いた。

 セントラルドグマに降り三人は黙々と歩いていた。

 ユイは昔を思い出すため、この場所をあまり好きになれなくて、ここに来る時はいつも険しい顔をしていた。

 中々に長い通路を歩き、三人は第三分室と書かれた部屋に辿り着いた。ゲンドウは、所々錆び付いたドアノブを回し部屋の中に入っていく。その後にシンジが続き、一瞬立ち止まるもユイは重い足取りで入っていく。

 一歩足を踏み入れると、部屋の中は薬品の臭いで充満しており、中を見渡せばシンジが一週間だけ使っていたベッドがそのまま残っており、その時使われた医療機器や治療薬何かが埃を被っていた。

 ユイとゲンドウは自責の念に駆られ、顔色悪く辛そうに顔を顰めていたが、シンジは以外にも微笑んでいた。

「僕は昔、ここにいたんだね」

 あたかも覚えているかのように懐かしそうに辺りを見回す。

「まさか……覚えているのか!?」

 ゲンドウは驚愕した顔でシンジに訊く。

「覚えてないよ。あの頃、僕は三歳だったんでしょう?」

 顔を二人に向けシンジは二人の様子を伺う。

「ええ。それにあの時、あなたは意識が無かったし……」

「それとシンジ……今まで何処にいた?」

 ユイとゲンドウは真剣な眼差しでシンジを見る。

「たぶん、父さん達も分かっているんでしょう? ……僕が今まで何処にどこにいたのか……」

 何かを思いだしたのか急に辛そうに語る。

「…………やはり……ゼーレか?」

 ゲンドウはできれば違っていて欲しいと思いながらもシンジに訊く。

 彼は父の真っ直ぐな視線を受け、こくりと頷いた。

「……そう、僕は今までゼーレにいた…………」

 覚悟していたはずのユイだったが、その言葉を聞いて急に泣き出し床に手を付いた。

「父さん達が見つけられなかったのはしょうがないよ……僕はずっと地下にいたから」

「地下? 何処だ? そして何故お前は出てこれた?」

 ゲンドウは、もはや口もきけないぐらい泣いてうずくまっている妻の変わりに、シンジにとって辛いことだと分かっていても訊かないわけにはいかない。

「場所はドイツだけど今はもう無いよ。跡形もなく消滅したからね。僕が出てこれたのはそこにいたからなんだ」

「消滅? どういうことだ?」

「父さん達も知っている通り、あいつらはA計画を進めていてね……その時の暴走した力がその施設ごと消滅させたんだよ……」

「やはりあの計画を…………だが、何故お前は生きている? 完全に消滅したのだろう?」

「それは、もう分かっているんでしょう? 僕の中にリリスの力が宿っていることに……」

「…………ああ………………すまなかった……私の力が足りないばかりに…………」

 言葉で済ませれると思ってもいないのだが、ゲンドウは言わずにはいられなかった。

 そして、シンジに深く深く頭を下げた。

 今まで会話に加わって来なかったユイも、全部聞いていたのか立ち上がり、涙を拭いて凛とした顔を息子に向けた。

「シンジ……本当にごめんなさい…………謝って済むものではないけれど……」

 彼女も夫に並び深く頭を下げた。

 シンジは両親に頭を下げられ困ったような顔をしながら慌てた。

「や、やめてよ二人共! 僕は恨んだりしてないから! あの時はそうしなきゃ僕は死んでいたし……父さんと母さんには感謝してるんだ」

 彼はユイとゲンドウに一気に捲し立てた。

「それでも、私達のやったことは許されることじゃないわ」

「しかし、いかなる理由があろうとも許されることではない」

 二人は頭を上げ真剣にシンジを見ながら同時に言った。

 どうしたものか、と困っていたシンジだったが、何かに気づいたユイが口を開く。

「待って……ここに来た時も言ってたけど、シンジはどうしてあの時の状況を知っているの?」

 彼女はシンジの言葉に疑問を持ち訊く。

「そうだな……それに、何故シュウジの事も知っているのだ?」

 二人からの質問に心なしか俯くシンジ。

「それは…………どうして僕がゼーレにいるのかあいつらが楽しそうに言ってたんだ……「お前の両親は実の息子のお前を実験体にした挙句、私達に売ったんだ」って……その時の僕はゼーレのいい人形だったから、何も疑わずに信じたけど…………」

 彼はそこまで言った時、ゲンドウとユイが哀しそうにしているのに気づき頭を上げる。

「でも! ある時から僕は僕になったんだ! そして、母さん達の事を徹底的に調べた。ゼーレにはゲヒルン時代からの情報が全て筒抜けだったから……それで全てを知ったんだ。家族の事も分かって、僕に双子の弟がいるのを知った時はびっくりしたけどね」

 そこまで語ったシンジは最後には笑顔だった。

 ユイとゲンドウは息子の笑顔を見て何も言えなくなってしまった。

 シンジは今まで親の愛情も受けずに、どのような環境で育ったか二人には何も分からないが、彼らの想像するよりも酷い環境で育ったであろう事が分かる。それなのにも関わらず、立派に成長していた息子の姿を見て、二人の目からは自然と涙が溢れていた。

 だが、ゲンドウはシンジが話した中に無視できない内容があったことに気づき、サングラスを外して涙を拭った。

「シンジ……ゲヒルン時代からの情報が筒抜けというのは確かか?」

「本当だよ。ゼーレには、ゲヒルンから今までのE計画が全て洩れてる……」

「何て事だ…………だが、何故ゼーレは我々を放っておく?」

「それは……ネルフにはチルドレンがいるけど、たった三人しかいないから無視してるみたいだよ」

「ならば……ゼーレにはもっと多くの……」

「うん……」

 今まで知らなかった予想外の事態に深刻になるゲンドウとユイ。

「でも、どうしてゲヒルンのE計画を放っておくのかが分からないんだ……」

 困惑した顔でぽつりと呟くシンジ。

「!! シ、シンジ! あなた、な、何を知っているの!?」

 シンジの呟きが予想外の事でユイは叫んだ。

「? さっき言った通りだけど?」

 何をそんなに取り乱してるのか分からず困惑する。

「まさか! あなたも知っているの!?」

「知ってるよ。死海文書の事も、リリスの事も」

「!! シンジ! あなたは……………………」










『………………うてん。まもなく終点です。お忘れ物の無いよう、お気をつけ下さい。くりかえ………………』

 冷房がガンガンに効いた広い車内に、機械的な女性の声のアナウンスが響き渡る。

 昨夜の事を思い出し深く考え込んでいたユイは、いつの間にか終点まで来ていた。彼女が乗った駅は始発の次の次であり、目的地のネルフはそこから二つ目だ。それがどういう訳か、考えに没頭していた彼女は一時間近く電車に揺られていたのだ。

 彼女が現実に戻ってきた頃には時遅く、終点まで連れてこられていた。

 電車が無事駅に停車すると、ユイは軽く溜息を吐き、ゆっくりとした動作で立ち上がった。同じ車両には彼女の他に二人しかおらず、ここが第三新東京市の外れであることがすぐに分かった。電車から降りるとネルフに戻る為逆側へと歩き出す。

(だめね、こんなじゃ……一番辛いのはシンジなのに……)

 シンジが全てを知っており、それでいてあんな笑顔をする息子を見ているのがユイには辛かった。

 今現在シンジは、昨日から泊まってネルフにいるのだが(ゲンドウも)、彼女は一刻も早く会いたいという気持ちと、笑った顔を見るのが辛いという気持ちが押し合っていた。

「……いっそ憎んでくれればよかったのに…………」

 本当は全然そんなことを思っていない彼女だが、シンジに対する負い目から思ってもいない事を呟く。

 ユイは神妙な顔をしながら今来たばかりの電車に乗り込んでいった。










 第一中学校が終業のチャイムを鳴り響かせる中、おしゃべりをしたり帰り支度を始めている生徒で3−Aの教室はごった返していた。シュウジも例外ではなく、ケンスケとトウジと窓辺に座り何かを話していた。

「今日はネルフのバイトは入っとるんかい?」

 トウジは、不定期にネルフに行き何やらバイトをしているらしいシュウジに訊く。

「本当はあったんだけど、さっき連絡が来て休みになったよ」

 シュウジが笑いながら答える。

「ふーん、じゃあ三人でゲーセンでも行こうぜ?」

 ケンスケがいじっていたビデオカメラを鞄にしまう。

「うん、いいよ。じゃあ……」

 シュウジが何かを言いかけると、後ろからものすごい勢いで襟首を引っ張られた。

「ちょっと待ちなさい! あたし達も行くわよ!」

 アスカがシュウジの襟首を離して仁王立ちで立っていた。

 シュウジは首元をさすって「ゲホッ、ゲホッ……」と苦しそうに咳をしながら、恨めしそうにアスカを見ている。勿論、そんなシュウジなどシカトのアスカ。

「もしかして……あたし達って、私も入ってんの?」

 レイがちょっと嫌そうな顔をする。

「あったり前じゃない! あんたもネルフから休みって連絡来てんでしょ!? それともなんか用事でもあんの?」

 アスカがレイに、ずいっと近寄る。

「べ、別に何も無いけど……」

 レイは何故か顔を赤くする。

「じゃあいいじゃない! ……? なに顔赤くしてんのよ?」

 更に詰め寄るアスカ。

「な、何でもないわよ! ほ、ほら! 皆行っちゃったわよ! 早く行かないと!」

 誤魔化すように先程まで三バカがいた所を指で指す。ちゃっかりヒカリも着いていったようだ。

「あ! あいつら〜! このあたしを置いて行こうなんて許されると思ってんの!?」

 アスカは大声で叫びながら教室を出ていった。

「ふう……」

 軽く溜息を吐くレイ。

 彼女は昨日たった一度あっただけのシンジのことが頭から離れなかった。初めてあった男の子に携帯の番号を教えたことなど無かったレイは、昨日何故教えたのかが分からなかった。ただもう一度会いたい、話をしたいと思い、またあの高台に行こうと考えていたのだった。

 暫くそのまま外を見ていたが、ふと視線を下に移すと何故か地面に倒れている三バカと、彼女に向かって「早く降りてきなさいよ!」と叫んでいるアスカがいた。

 レイは苦笑しながらも、鞄を手に取り教室を飛び出した。





 彼女達六人はあの後レイが合流してから予定通りゲームセンターに行ったのだった。どのような状況だったかと言うと……その後をまとめてみたので以下を参照にしてもらいたい。

 レイが教室から急いで皆の所に行くと、アスカにやられたのだろうか、トウジとシュウジの服が土まみれのぼろぼろになっていて地面に倒れていた。

 ケンスケはと言うと、気を失っているのか、鼻血を出しながら仰向けに倒れてぴくりともしなかった。彼の傍らにはヒビの入ったメガネがぐちゃぐちゃになって転がっていた。

 レイが事情は知らないが、これは流石にやりすぎではと思いアスカを見ると、彼女は口元を歪ませてこれ以上ないぐらい楽しそうに笑っていた。

 この顔をしているアスカを相手にしてはいけないことを十二分に知っている彼女は、心の中でケンスケに向かい合掌していた。

 唐突にケンスケが起きあがると、鼻血を拭き、壊れたメガネを見ても文句を言う訳じゃなく、何事も無かったかのように、鞄から新たなメガネを取り出し「こんな事もあるかと思って、予備をいつも持ってるんだ」と予備のメガネをかけ、レンズを怪しげに光らせた。

 そこで何を思ったのかアスカが「こんの! 変態が〜!」と叫びメガネの上から殴りつけた。勿論ケンスケのメガネは壊れ、止まりかけていた鼻血が勢いよく吹き出して再び気を失った。

 のろのろと起きあがったシュウジとトウジは現状を見てアスカに詰め寄った。一歩彼女に近寄ったシュウジの目の前には、血に濡れたアスカの拳があり「これ以上近寄ったら、メガネと同じ状況にするわよ」と身も凍るような低い声で言われ「すいませんでした!」と叫んだそうな。

 レイがヒカリに「何があったの?」と訊くもなにも教えてくれず、首を横に振るだけだった。トウジとシュウジに目で訴えるが、二人は肩を竦め、何も分からないと両手を天に向けた。

 そこから何故か機嫌の悪いアスカの命令で、ケンスケを置き去りにしてゲームセンターへと向かったのだった。

 アスカを除いた四人は、彼女が怖くてびくびくとしていたが、ケンスケがいないと全く持っていつものアスカだった。それからというもの、五人はケンスケをすっかり忘れ楽しく遊んでいた。

 しかし、間の悪いことに回復したらしいケンスケがやってきた。

 彼は何事も無かったかのように鼻栓をしながらメガネをかけていた。先程の事などすっかり頭にないようで、皆の中に加わってきた。

 ケンスケの容貌を不思議に思ったシュウジは「ケンスケ……メガネどうしたの?」と訊いたところ「ん? ああ、スペアは沢山あるからな」と笑いながら鞄の中を見せた。

 五人が鞄の中を覗くと、そこはメガネの楽園だった。

 鞄の中にぎちぎちに詰まったメガネ! メガネ! メガネ!

 呆れて物も言えない五人。

 それよりも、メガネにいくら使っているのか非常に気になったヒカリは「相田君……こんなに集めてどうする気だったの? それと、メガネにいくら使ったの?」と訊くところ「何言ってんだよ委員長! メガネをかけるやつなら当たり前じゃないか! 費用は高々二十万程度だよ? まあ、それぐらいの損害は想定の範囲内だからね」と不敵に笑った。

 バカバカしくなった四人はケンスケを置いて歩き出した。

 何故かケンスケの元に残ったアスカはいやらしく笑い、いきなり彼の鞄を奪うともうダッシュで何処かに走り去っていった。

 一瞬、何が起こったか分からなかったケンスケだが、事態の深刻さに気づくとアスカを探し始めた。

 ゲーセンの中を隅から隅まで(女子トイレも)必死に探したが、何処を探しても彼女はいなかった。皆に手分けして探して貰おうと思い急いで皆のとこへ向かった。

 そこにはカーレースをしている五人の姿があった。

 何故か皆の所にいるアスカの元に大急ぎで詰め寄るケンスケ。

 プレー中のアスカの肩を掴み「惣流! 俺のメガネどこにやったんだよ!」と叫びながら前後に揺すった。

 その時一位を独走していたアスカだったが、ケンスケの余計な邪魔が入りクラッシュしてゲームオーバーになってしまった。

 肩を怒らせながらケンスケに振り向くアスカ。その目は怒りに支配されており、さながらエヴァ初号機の暴走を彷彿とさせる姿だった。

 そんな初号機をものともせずケンスケは「どこにやったんだよ! あれが無いと落ち着かないんだよ! 頼むよ惣流! 返してくれよ!」と泣き叫んでいた。

 だが、初号機がそんなことで怯む筈もなく、いきなりケンスケの服をビリビリに破き地面にはっ倒した。そして、足下に置いておいたケンスケの鞄を開け、上半身裸のケンスケにメガネの雨を降らせた。

 ケンスケは喜び勇んで「良かった……ホントに良かった……」と泣きながらメガネ達を抱きしめていた。

 その姿を満足げに見てアスカは何処かに電話をかけていたが、他の四人はケンスケのあまりなその光景に呆然とする。

 もう満足なのかケンスケは涙を拭き、メガネ達を鞄にしまおうとしたところで、彼は誰かに肩を叩かれ「ちょっと署まで来て貰おうか」と言われ後ろを振り向く。

 そこには四人の警察官がいて、素早い動きでケンスケを確保した。連行されていくケンスケは「ちょっ! 俺のメガネ! メガネが〜!」と喚いていたが、警官二人に左右をがっちり固められ連れて行かれた。

 アスカは連れて行かれるメガネの後ろ姿を見ながら中指を立てていた。

 残った二人の警官は無線に向かって「只今、目標を確保しました。……はい。…………ええ、通報通りものすごいメガネ狂でした。………………はい、それでは」と無線を切り、ケンスケの荷物を抱えて立ち去っていった。

 四人は一斉にアスカを見るがまるで何事もなかったかのように「もう一回勝負よ!」と言い残しゲームの筐体の前に座った。

 その場に残された四人は暫く呆然としていたが「早くしなさい!」とアスカが怒鳴りながらこちらを振り向いたのを見て固まった。その目は狂喜に染まっており「次の獲物は誰かしら?」と言っている気がしたので、ケンスケの二の舞はごめんだと思い四人は大人しく従った。

 当初アスカは、彼女に何かをしでかしたケンスケに(大事なメガネを奪ってやったらどんな反応をするかしら?)と警察沙汰にする気は全く無かったらしい。

 だが、彼女が楽しく遊んで、しかもぶっちぎりの一位だったのにメガネのせいで、屈辱のビリをとったことによって堪忍袋の緒が切れ、今回の作戦を即座に思いついたらしい。

 やはりメガネがいないといつものアスカなので、ケンスケの事は忘れ皆で楽しく遊んだ。ひとしきり遊んだ後、帰路に着く五人だったが、勿論の事ケンスケの話題は一切出なかった。

 ケンスケがアスカに何をしたのかは謎に包まれたままである。以上が今回行われた『相田! メガネに散る!』であることを記録しておく。










 辺りはもうすっかり日が暮れて真っ暗になっていた。トウジとヒカリは大分前に分かれ、レイ、アスカ、シュウジは自分達の住むマンションに辿り着いていた。

 三人がそれぞれの家の前まで来て別れの挨拶をしたところで、アスカが思い出したようにシュウジに振り返った。

「そうだ! 今朝おばさまの様子がおかしかったから、帰ったら訊いた方がいいわよ」

「? ……ああ、そういえば様子がおかしいって言ってたね」

 最初、何のことだか分からなかったシュウジだが、思い出したようでしっかりと頷いた。

「ぼけぼけしてんじゃないわよ! バカシュウジ! じゃあね!」

 アスカはバシッと音が聞こえるぐらい強くシュウジの背中を叩き帰っていった。

「い、痛いよアスカ……って、もういないし……」

 溜息を吐きながら涙目で背中をさする。

「アハハ……またね、碇君」

 レイも笑いながら帰っていく。

「うん。またね、綾波」

 シュウジはそう返すと家の門をくぐっていった。

 「ただいま〜」

 彼は靴を脱いで家に上がろうとしたが、何か違和感があり立ち止まる。

 靴を見るといつもより一足多い。

「? 誰か来てるのかな? でも、この靴は子供用だよね……」

 自分の靴と大差無い大きさの靴を見て考え込む。

 気にしててもしょうがないのでリビングに歩を進める。それほど長くもない廊下を歩き、リビングのドアを開けすぐ近くにいたユイを見る。

「ただいま。母さん誰か来てるの? 僕と同じようなサイズの靴があったんだけど……」

 彼は見慣れた母の後ろ姿に話しかける。

「あら、おかえりなさいシュウジ。あなたに紹介する人がいるの」

 振り返ったユイは満面の笑みだった。

 「? (アスカは母さんが変だって言ってたけどいつも通りじゃないか)……それで、僕に紹介したい人って?」

 シュウジはアスカの思い違いだよと思いながらユイに訊く。

「それは……」

 何か言おうとするユイだったが、そこから離れた所にある部屋の襖が開くと同時にその口は閉じられた。

 部屋から出てきて、こちらに歩いてくる人影は二つだった。一人はゲンドウ、もう一人は彼の影になっていて、その姿はシュウジからは見えなかった。

「…………座れ」

 偉そうに歩いてきたゲンドウは何故かシュウジの目の前に仁王立ちして、暫く息子を睨んでいたかと思うと急に命令口調で座るよう促す。

「(何で父さんは息子に対して威圧するんだよ)……ハア、分かったよ」

 ゲンドウに続いて部屋から出てきた少年には気づかなかったらしく大人しく従う。

 ユイの隣にシュウジが座り、ユイの正面にゲンドウ、シュウジの前には先程ゲンドウの後に着いてきた少年が座る。

「? え〜っと、その子は誰なの?」

 シュウジは彼の正面に座っている少年に今気づいたようだ。

 その少年は、幼なじみであるレイと同じアルビノのように見える。髪の毛は綺麗な銀髪で、瞳は深い紅。シュウジはその男の子の顔がどことなく自分と似ているように見えたが、髪や目の色の違いでで、やっぱり似てないやと思った。

 彼がそのような事を考えていると、サングラスの奧から目をギラつかせ再びシュウジを睨むゲンドウ。彼はひとしきり息子を睨んでいたが何か満足したように、ニヤリと笑い口を開いた。

「それを今から説明する…………黙って聞いていろ」

 地の底から沸いてくるような低い声で再三睨む。シュウジはこの変態にもう溜息しかでない。

 いつの間にやら新聞紙を丸くしていたユイが、息子を威圧するゲンドウをそれで叩く。

「なに言ってんですか! どうしていつもシュウジを威圧するんです!?」

 怒ったようにゲンドウを睨む。

「ム! ……別に威圧してる訳ではない……父親の威厳を見せているだけだ」

 ユイの剣幕に動じた様子が無く、しつこいようだがシュウジを睨む。ユイが再び腕を振り上げ、もう一度いい音を響き渡らせる。

「全く! なに考えているんだか分かりませんね……」

 疲れたように溜息を吐くユイ。

 その時、ずっと我慢していたのだろうか、もう押さえきれない感じの少年っぽい笑い声が聞こえてきた。三人が声の主を一斉に見ると、そこにはお腹を押さえながら楽しそうに笑っている少年がいた。

「アッハッハッハ! な、なに言ってんのさ! 父さん! アハハ!」

 少年はホントに楽しそうに笑っていた。笑いすぎて涙まで出てるが、それを拭き取るとユイに視線を向ける。

「あ〜面白かった。……いつもこんな感じなの? 母さん?」

「恥ずかしいったらないわね……いつもはこんなに絡まないんだけど、シンジがいるから浮かれてるんでしょう……」

 ユイは醒めた目をゲンドウに向ける。

「な、なにを言っている! 普段と変わらないではないか!」

 珍しく焦った様子で、ゲンドウの視線はユイと少年を行ったり来たりしている。

 その様子を見て再び少年が笑いだす。

 だが、今まで呆然と三人の様子を眺めていたシュウジだが、聞き捨てならない事を聞き、椅子を弾き飛ばさんばかりの勢いで立ち上がった。

「ちょ! ちょっと待ってよ!」

 彼にしては珍しく大声で怒鳴る。

「その子が何で僕の母さんと父さんに「母さん、父さん」って言ってるのさ!!」

 そのシュウジの様子に、ふざけていた他の三人は笑うのをやめて彼を見る。顔を真っ赤にして息を荒くしているシュウジにユイが真剣な視線を送る。

「聞いてシュウジ……その子はあなたのお兄さんなのよ」

 彼女の口調はいつに無いほど真面目なものだった。

 シュウジはユイが何と言ったか暫く理解できないでいたが、母の言葉をもう一度頭の中でゆっくりと再生した。

「………………え?」

 彼は信じられない思いで目の前に座る少年を見る。

 視線を受けた少年は、シュウジの視線を真っ向から受け止め、ゆっくりと綺麗に微笑んだ。

「初めまして、僕はシンジ……碇シンジ。よろしくね? シュウジ」

 シンジは立ち上がりシュウジに右手を差し出した。

 握り返すわけでなくシュウジの右手は力無くぶら下がっており、驚愕に彩られたその瞳をただただ目の前の少年に向けていた。

 突然のことに理解したくないシュウジは、やがてぶつぶつと何か呟きながら俯いた。彼の呟きがおさまったかと思うと、今度は肩をわなわなと震えさせた。

 予想以上にシュウジがショックを受けてるのを見て、ユイがこの状況を説明しようと口を開く。

「シュウジ、あのね……」

「裏切ったな! 父さんも母さんも僕の気持ちを裏切ったんだ!」

 彼女の言葉を無視するように一気に叫ぶと、彼は玄関に向かって走っていった。

「シュウジ!」

 ユイが驚いて叫ぶが、シュウジはもう家の外に飛び出していた。

 玄関のドアの閉まる音が勢いよく聞こえてくる。暫く呆然としていたが、残った三人は顔を見合わせると同時に頷き、急いで彼の後を追った。





 セカンドインパクトの影響で年中暑苦しい季節になってしまった常夏の国日本。

 夜とはいえ、まとわりつくような暑さが付いてまわり、全力で駆けている少年からは滝のような汗が髪の毛から滴っている。

 少年は目的地が決まっていないのか、ただただ一心不乱に走っていた。まるで嫌なことから逃げていくかのように。

 人気が全く無く、電灯が一、二本立っているだけの公園にその少年は来ていた。彼は公園の中心に立っており、膝に手を置き前屈みになりながら息を荒く吐いていた。

「ハア、ハア、……何だよ…………僕の兄さんってどういう事だよ……」

 誰に言い聞かせるわけでなく小さな声で呟く。

 呼吸が大分落ち着いてきたのか、少年は前方にあるブランコに向かってふら〜と歩いていき腰をかけた。

 暫くゆっくりとブランコを漕いでいたが、隣に誰かが座ったのをきっかけに動きを止める。

「…………シュウジ……」

 シュウジの隣に腰を下ろしたのは、先程彼の兄だと告げられた少年だった。シュウジは彼から目を背け、無視するかのようにブランコを小さく漕ぎだした。

 そんな彼に嫌な顔一つせず、ゆっくりと口を開くシンジ。

「いきなりだったからびっくりしたよね?」

 満点の星空が輝く夜空を見上げ、シュウジに優しく話し掛ける。

「…………訳分かんないよ……急に兄さんだなんて言われても…………」

 シュウジはブランコを漕ぐのをやめ俯く。

 その様子を見ていたシンジは、俯いてよく見えない横顔を眺めた。やがて、ゆっくりとした動作で右手を動かす。

「それには色々理由があるんだ……まずは落ち着いて帰ろう?」

 シュウジの肩に手を掛け、出来るだけ優しく話した。

「嫌だ! 母さんも父さんも嫌いだ!」

 シンジを拒絶するように肩から手を振り払い、大声で叫び立ち上がった。

 肩で息をしながらシンジに背を向けるシュウジ。シンジも立ち上がり、シュウジの後ろ姿を呆然と眺めていたが、一歩彼に近づき口を開いた。

「…………僕の事を嫌ってもいいから……自分の親を悪く言うようなことはやめて……」

 今までとは違い、とても弱々しい声にシュウジが振り向く。そこには今にも泣き出しそうで、哀しみに満ちたシンジの顔があった。

 彼の急激な変化に驚いくシュウジ。だが、先程自分が言った言葉を思い出したのか、バツの悪そうな顔になる。やがて消え入りそうな小さな声で「……うん…………ごめん……」と呟いた。

 とても小さな声だったがシンジの耳に届いたらしく安心したような顔になった。彼はゆっくりと歩き出しシュウジの前に立つと、深紅に染まった瞳に優しさをのせ目の前の少年に向けた。

「じゃあ、ひとまず帰ろうか? 二人とも心配してると思うし」

 シュウジはシンジの穏やかな声に頷く。

 シンジはシュウジの様子に微笑み、声を掛けること無く歩き出した。その彼の後ろにシュウジは黙って着いていき、隣に並ぶことは無かったが離れすぎない位置を保っていた。二人は家に付くまで一言も話さなかったが、何故だかその空気が懐かしく感じ、痛いぐらいの沈黙はとても心地が良く、不思議と楽しくもあった。





 シンジが公園の中にいるシュウジの姿を発見した時、公衆電話からユイの携帯電話に電話を掛け「連れて帰るから家で待ってて」と連絡を入れていた。ユイとゲンドウは彼を信じて家に帰り大人しく待っていた。

 子供達が家に戻ってくると、そこには心配していたユイと憮然とした姿のゲンドウがいた。まだ二人を許したわけではないシュウジは、目を合わすことなく椅子に腰掛けた。シンジは苦笑しながらも彼に続き腰を下ろす。

 ユイは先程のシュウジの様子を思い出し、幾分迷いながらも意を決したように口を開いた。

「あのね、シュウジ……」

「母さんいいよ。僕から話す」

 だがシンジは、そんな彼女の言葉を遮ぎり目で制した。

 シュウジは大人しく話しを聞いているも、やはり俯いたままだった。シンジはこちらを見ないと分かっていても、真剣な表情で彼を見る。

「……シュウジはサードチルドレンだよね?」

「! な、何で知ってるのさ!?」

 唐突に全然関係の無い極秘情報を言い出したシンジに慌てて叫んだ。

 チルドレンの事を知っているのはネルフの中でも極一部の関係者だけで、今までネルフに来たことが無いシンジが知っているわけ無いのだ。

 そんなことお構いなしにシンジは言葉を続ける。

「僕が第一人者って言えば分かるかな?」

「!」

 端から聞いていたら何のことか全く分からないが、シュウジは彼の言ったことを正確に理解したようだ。

「僕とシュウジは一卵性双生児なんだ」

「!!」

 尚も驚き、急な話の転換に着いていけないシュウジ。

「なのに何故、僕の髪と目がシュウジと違うか分かる?」

「ちょ、ちょっと待って! 色々ごちゃごちゃしてるけど僕と君が双子っていうのは本当なの!?」

 全く話の流れが分からないシュウジは、頭の中を混乱させながらゲンドウに視線を向け叫んだ。

「事実だ」

 そんな彼に淡々と答えるゲンドウ。

「そんな……」

「…………続きを話すよ? 僕は生まれた時シュウジと同じく黒髪、黒目だったんだ」

 頭を押さえながら虚ろな目をしているシュウジに優しく話す。

「え? じゃあ、どうして……」

 彼は力の入っていない瞳をシンジに向けるが、やはり先程見た通りに銀髪、紅目だった。

「E計画の後遺症みたいなものかな? それで僕の見た目が変貌したんだ。そんな僕の姿がゼーレの目に触れるのを恐れた父さん達は、僕を人の目の届かないところに隠していたんだ」

 シンジは今日、ユイとゲンドウとで自分の過去をどうやって話すか考えていたが、嘘と真実を織り交ぜて話す事にしていたのだった。

「……? それが本当ならどうして今になって出てきたの?」

「ゼーレがA計画を完成させた事が分かったからだよ」

「!!」

 驚愕に目を見開くシュウジ。

「僕にはエヴァの素質が無い。けれどこの変わり様でゼーレの実験体にさせられたかもしれないからね」

 シュウジは驚くことが多すぎて混乱している。

 だが彼は、自分の知らないことを知っているシンジの言ったことが全て真実とは考えられなかった。そこで今までの話が嘘であることを祈りながらゲンドウを見る。

「…………どこからどこまでが本当なの?」

「全て事実だ」

 だがそんな淡い希望もゲンドウによってあっさりと砕かれた。

 シュウジは何故チルドレンである自分に知らないことを、目の前にいる少年が知っているのか気になったが、ゲンドウに言わせると全部真実らしいので、今までのシンジの話を頭の中でもう一度再現した。その中で今まで考えないようにしていたある事実が浮かび上がった。

「…………僕は戦わなくちゃいけなくなったんだね……」

 彼はいつかその日が来るだろうと思っていたが、できればこのまま何事も無く平和な日常を送りたかった。

「ああ……そのためのエヴァだ」

 ゲンドウは感情のこもらない声で答える。

 現実を受け止めなくてはいけないのは分かっているが、やはり怖くて恐怖からか体を震わせ俯くシュウジ。

 そんな息子の姿を見て自責の念に駆られたユイは、大きな瞳から大粒の涙を流しシュウジに近づいていった。

「ごめんなさい……あなた達子供に戦わせて……本当なら私達大人がやらなくちゃいけないことなのに……」

 彼女は震えてる息子を優しく抱きしめる。

 シュウジは彼女のぬくもりで段々と落ち着いき、体の震えが止まるとそっと体を離した。

「いいんだ……これは僕が選んだことだから」

 さっきまで弱々しく泣きそうな顔をしていた彼は、未だ涙を流してるユイに力強い瞳を向けた。

「……ごめんなさい…………そしてありがとう……」

 ユイは泣き笑いのような顔になった。

「泣かないで母さん。……僕は大丈夫だから」

 彼女を安心させるかのように、シュウジは優しく微笑んだ。

 涙を拭い、ユイも彼に向かって微笑む。

 暫く二人はその場に立って微笑みあっていたが、まだ話が終わっていないことに気づき椅子に腰掛けた。僅かに巡回しながら、不安の残る瞳をシュウジに向けるユイ。

「………………話しは戻るけど、シンジがこれから一緒に暮すことに……シュウジはどう思う?」

 彼女が、大分落ち着いたとはいえさっきのシュウジの取り乱し方を思い出し不安げに訊いた。

「それは……僕たちが本当の兄弟だっていうなら……拒む理由は無いよ…………たった四人の家族なんだから」

 シュウジは微笑しながらユイを見る。その言葉を聞いた彼女は本当に嬉しそうに笑った。

 今まで口を開かず傍観していたシンジだったが、シュウジの言葉がとても嬉しくて微笑んでいた。そして先程出来なかった握手をしようと右手を差し出す。

「それじゃあ、これからよろしくね? シュウジ」

「うん、こちらこそよろしく。兄さん」

 シュウジがその右手をしっかりと握り返す。そして二人は顔を見合わせて笑いあった。

 その光景はユイとゲンドウが十二年前に失い、追い求めてやまなかったものであった。二人は喜びに打ち震え歓喜の涙を流し、眩しいものを見るかのように目を細めて微笑んだ。

 暫く彼らはその暖かい空気に酔いしれていたが、子供達のお腹から空腹を訴える腹の虫が元気に声を上げたのを切っ掛けに動き出す。

 ユイが二人を見ると、シュウジが顔を赤くして恥ずかしそうにしているのが目に映った。それを見て彼女は口元を綻ばせる。

「そろそろお腹も減ったことだしご飯にしましょう? ほらあなた! そこ片づけて! 邪魔よ!」

 彼女は嬉しそうにキッチンへと向かっていった。

「ユ、ユイ〜!」

 狼狽えたように情けない声を上げるゲンドウ。

 今までのゴミのような生活から、長い間求めていたありふれた日常を手に入れ、シンジは心の底から嬉しそうに笑った。シンジに吊られるようにシュウジも楽しげに笑っていた。

 漸く笑いがおさまったシンジだが、先程のゲンドウを思い出して声を殺して笑う。

「クックッ……ホント母さんには頭が上がらないんだね? 父さん」

 彼は無表情を装っているゲンドウを楽しそうに見る。

「問題ない」

 ゲンドウは威厳を保とうとして、いつものゲンドウポーズをする。

「はあ〜」

 その父の様子を見てシュウジは溜息を吐く。そして双子は顔を見合わせて笑いあった。

「そんなことより今まで兄さんはどこにいたの? 色々話を聞かせてよ!」

 楽しそうにシンジに詰め寄るシュウジ。

「うん。今まではね………………」

 そしてシンジはとても楽しそうに笑いながらシュウジと会話していた。彼等四人は今までに感じたことの無い不思議な一体感を感じながら、夜遅くまで楽しげな声に囲まれ語り合っていた。

 そこにあるのはエヴァも、ネルフも、ゼーレも関係無い、極普通の一つの家族の形。

――止まっていた時計の針が長い年月を掛けてゆっくりと動き始める瞬間だった。






To be continued...


(あとがき)

 どうも、ピンポンです。今回でちょっと物語を進めてみました。当初の予定ではシリアス一辺倒に進め、途中の子供達のゲーセンシーンはもっと穏やかに終わらせるはずだったのに、書いてる内に自然とああなっちゃいました……。この作品の設定では、シンジは家族と生き別れており、十二年の歳月をもってやっと再開するとのことです。なぜ離れていたのか、今までシンジが何をしていたのかは、これから徐々に物語が進むにつれ明らかになっていきます。では、これからもよろしくお願いします。

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