第六話 大切な人
presented by ピンポン様
「サキエルがやられた……」
中心に1と書かれた縦に長い長方形のモノリスからそのような言葉が聞こえてきた。
ここはゼーレの極秘会議を行う電子上の空間。前回は12のモノリスが時計の文字盤のように並んでいたが、今回はそれよりもモノリスの数が一つ少なく、10の数字が抜けていた。
「やはりリリンか……」
「ヤツには心など備わっていなかったのでは?」
「これでまた一つ使徒が減った」
周りから口々に愚痴が洩れる。
それは徐々にヒートアップしていき、ざわめきが大きくなってきたところで、最初に言葉を発したモノリスから大声が聞こえてきた。
「静まれ!」
それを切っ掛けに辺りは静寂に包まれた。
「やったのはリリンではない…………エヴァンゲリオンがサキエルを殺したのだ」
スピーカーからは男の苦々しい声が聞こえてきた。
「何と!」
「エヴァは使い物にならないのではなかったのかね?」
「これはまずいよ……由々しき事態だ」
「そうだ……リリスの紛い物であるエヴァごときに、アダムより造りし使徒が負けるなど有ってはいかん!」
「キール議長、どうされるおつもりで?」
その最後の声が聞こえると、他のモノリスはキールからの返事を聞くべく静まりかえった。
「慌てることはない。エヴァは第三新東京市でしか使えん。それに、サキエルを殺したのはエヴァの暴走によるものだ」
キールは動揺を微塵も見せずに、落ち着き払った声で言った。
彼のその態度に他のメンバーも何とか落ち着きを取り戻したようだ。
「しかし、暴走したからといってサキエルを殺せるものか?」
「エヴァとは一体なんなのだ?」
「詳しく調べる必要がある」
「キール議長……」
一人話し出すと周りもそれに連れて話し出した。また、ざわざわしてきたのをキールが苛々してると、8と書かれたモノリスからしっかりとした声が聞こえてきて、そちらに耳を傾けた。
「何だ?」
「私に提案があります」
「ほう、言ってみろ」
「はい。それは…………」
その提案とやらを8のナンバリングは長々と自信たっぷりにキールに説明していた。それを聞いた彼は暫く考えた後「よかろう」と重々しい口調で言った。
「だが、失敗は君の死を意味する」
「分かっております」
その死の宣告にも怯んだ様子を見せず言い放った。
「では、これにて会議を終わる……全てはゼーレの為に」
キールがそう言うと彼のモノリスが音を立てず消えていった。
「「「「「「「「「「ゼーレの為に」」」」」」」」」」
他のメンバーも彼に続き次々と消えていった。
それらが消えた後には真っ黒い空間だけが残った。
真っ白な清潔感溢れる部屋の中に、ベッドに横たわる一人の少年がいる。彼の腕からは細い管が延びており、すぐ横にある点滴に繋がっていた。
この病室の中には彼一人しかいない。しかし、備え付けてある小さな机には、誰かが置いていったお見舞いのフルーツがあった。それを見る限り、とても新鮮とは言い難く、彼が何日も起きていないということが明らかだった。
只今の時刻はついさっき日が昇ったばかりの朝方で、彼が目を覚まさなくなってからお見舞いに来ている彼の幼なじみがそろそろ来る頃だ。
だが、今日は違った。彼に掛かっている柔らかそうなシーツがもぞもぞと動き、彼の瞳がパッチリと開いたのだ。彼の瞳が見慣れない天井を捉える。
「…………知らない天井だ……」
まだはっきりしない頭でシュウジがそっと呟いた。
彼が寝ぼけた頭で周りを見渡すと、どうやら自分の部屋でないことが分かったようだ。上半身を起こして虚ろな瞳で前方を見ている。
(……ここはどこ? …………病院? でも、どうしてこんな所に……そうだ、確か使徒が来て……)
徐々に頭がはっきりしてきて数日前の事を思いだしてきた。そして彼は脇腹を怪我したのを思い出し、病院服をまくって確認してみた。
(!? 傷一つ無い! どうして!? まさか、あれは夢だったの? ……そんなわけ無い…………じゃあ、どうして……)
彼が使徒にやられた脇腹を見てみると、そこには傷一つ無く、綺麗な日焼けの跡が無い肌があるだけだった。彼が軽く混乱していると「コンコン」というノックの音が聞こえて、応えてもいないのに勝手にドアが開いた。
「おじゃまするわよ、って、シュウジ! あんた目が覚めたの!?」
どうせまだ寝てると思っていたアスカは、シュウジが目覚めてるのを見て、彼に駆け寄っていった。
「碇君! 大丈夫!?」
レイもアスカと一緒に毎朝来ていた様で、彼が起きてるのにビックリしていた。
「アスカ、綾波……おはよう」
しかしシュウジはそんな二人の心配などお構いなしとばかりに笑顔で挨拶してきた。
「おはよう、じゃないわよ! 全く、あたし達がどれだけ心配したと思ってんのよ!?」
「そうよ! 碇君は三日も目を覚まさなかったんだから!」
二人はそんなシュウジの態度に怒鳴る。
「え!? 僕は三日も寝てたの!?」
レイの言葉が以外だったらしく、目を丸くして驚いていた。
「ええ。あれから私達三人は病院に運ばれたんだけど、碇君だけ目を覚まさなくて……」
「それより、あいつにやられた傷はどうなのよ?」
アスカが心配そうに訊いてきた。
「うん。何かよく分かんないんだけど、傷一つ無いんだ。ほら?」
そう言って、自分のお腹を見せる。
「……ホントだ」
「……どいうことよ」
それを見た二人は小さく呟いた。
「……それより、使徒はどうなったの? 僕たちが無事って事はアスカか綾波が倒したんでしょ?」
そういえば、っと思い出したことを訊くシュウジ。
「……あたしは知らないわ……あの後、すぐやられたから……」
アスカが顔を歪めてそう言った。
「……私も知らない……気が付いたらここにいたの……」
レイは表情を消してそう言う。
「え? で、でも! 僕らがここにいるって事は使徒を倒したんだよね?」
「「……」」
動揺しながら訊くシュウジに無言で返す。
「ど、どういうこと?」
「あら。目が覚めたのね? シュウジ」
再びシュウジが二人に訊き返したところで、ユイが病室に入ってきた。彼女はその重い雰囲気など全く知らん、といった感じで明るく言った。
「母さん……」
にこにこしながら近づいてくるユイ。
「母さん、使徒は? 僕たちはどうして生きてるの?」
ユイに訊くシュウジ。アスカとレイも真剣に彼女を見ている。
「教えてください」
「おばさま……」
彼女達は目が覚めて真っ先にユイに訊いたのだが「シュウジの目が覚めたら一緒に教えるわ」と言って教えてくれなかったのだ。だが、一刻も早く知りたい彼女達はユイに食い下がったが、何も教えてくれず、諦めてシュウジが起きるまで待っていたのだった。
「ちゃんと話すから落ち着いて」
ユイの言葉に椅子から立ちかけていたレイとアスカはちゃんと座り直し、深呼吸してから彼女を見た。
「じゃあ、話すわね?」
先程のおちゃらけた様子とは違い、ユイが真面目な顔でそう言うと、シュウジ達はしっかりと頷いた。
シンジの目の前には血の海と、炎の壁が広がっていた。彼の足下には肩から滴ってる血の所為で、赤い水たまりが出来ているが、どうやら気付いていないようだ。
彼の腕の中には、先程圧倒的な力でサキエルを殺したシュウジが裸で眠っていた。彼がそれを確認すると、思い出したようにレイとアスカの元へと歩いていった。シュウジを腕の中から落とさないようにゆっくりと。
彼女達の元へ行き、様子を見る。レイは殴られて気絶してるだけなので大したことは無いが、アスカの方は未だ肩から多量の血を流している。シンジも肩をケガしているのだが、こんなケガには慣れているのでさほど気にならない。今は自分のことより彼女達の事が心配だったのだ。
ゼーレに居た頃、自分にやっていたようにアスカの肩を応急処置して、何とか止血することに成功した。そこで思い出したように携帯電話を取りだしユイに連絡を入れた。
「……母さん? すぐに僕らの所に来て。アスカが大ケガしてるんだ…………うん………………後で詳しく話すよ…………それじゃあ」
電話を切ったシンジはシュウジ達を見る。
血に濡れて気絶している彼女達を見ながら、先程の彼女達の恐怖に歪んだ顔を思い出して、彼はとてつもない罪悪感に襲われた。
(……僕の所為だ…………皆がケガをしたのは全部僕の所為だ…………僕が初めから戦っていればこんなことには……)
自分を責めるシンジの顔は徐々に下に向いていく。
(……それに、サキエルの言う通りだ…………僕は皆に好かれる資格なんか無い……僕は、シュウジ達を見殺しにしたんだから……)
今やシンジは地面に座り込んでうずくまっていた。
「あなたは人間なの?」
先程のレイの脅えた声が頭にこびりつく。
「お前は化け物だよ」
容赦ないサキエルの言葉が胸に突き刺さる。
(……僕は、人間じゃない……僕は、化け物…………僕は……)
その時、上空からヘリコプターの音が聞こえてきた。
彼がゆっくりとそちらを向くと、ヘリは彼からちょっと離れた位置に着地した。ドアが勢いよく開き、中からユイが飛びかからんばかりに出てきた。
「シンジ! 大丈夫!?」
シンジに向かって駆け寄ってくるユイ。
「……母さん……僕は大丈夫。僕よりもアスカの方が……」
心配そうな彼女に、シンジはどこか元気の無い声で呟く。
「何言ってるの! 凄い血じゃない!」
ユイはそう言うと彼のシャツを剥ぎ取り、肩の応急処置を始めた。
彼はさっき考えていたことがぐるぐると頭に回り、行動に移すことが出来ず、ユイのされるがままにされていた。そして取り敢えずの治療が終わりシンジに問いただすユイ。
「一体何があったの? こんな風になるなんて……」
彼女は炎が広がっている後方を見て、それからサキエルの肉片を見ながら呟いた。
「……帰ったら全部話すよ。それより、アスカを……」
虚ろな顔のシンジの事が気になるユイだったが、アスカの肩に付いてる多量の血の跡を見て彼に従った。
「……そうね。じゃあ、皆をヘリに乗せるのを手伝って」
「うん……」
てきぱきと動くユイを視界に捉えながら、どこかはっきりしない頭で彼女を手伝った。
「シンジ……本当に大丈夫?」
ヘリに皆を乗せ終わり、ユイとシンジも乗り込んで後は帰るだけとなった。そこで、先程からおかしいシンジの様子が気になるユイは、心配そうに訊いた。
「大丈夫だよ……」
しかし、シンジは大丈夫とはほど遠いい顔だった。
彼の様子を詳しく訊きたいユイだったが、ネルフに着いたらゆっくり訊こうと思い、それ以上は追求しなかった。ヘリの中には戦いに勝ったというのに、重苦しい空気に支配されていた。
ネルフに着いたシンジ達を、レナ、キョウコ、ゲンドウ、ナオコが色々質問責めにしてきた。だが、ユイがまずはシュウジ達を病室に運び、検査することが先だと言い、レナ達も同意して皆の検査を始めた。
レイとシュウジは何の外傷も無かったが、アスカの肩は酷いものだった。しかし、すぐに治療を初めたのが良かったのか、大事には至らなかった。シンジの肩も治療しようとしたのだが、シンジが頑なに拒否したので、何も出来なかった。
子供達の状態も落ち着き、何があったのかシンジに訊くべく、彼ら六人は司令室へと場所を移した。
そこで、先程の戦闘の一部始終を語るシンジ。それを聞いたユイ達は驚愕した。何故なら、エヴァが暴走するなど考えたことも無かったからだ。暫くの間、沈黙が続く。しかし、シンジが頭を下げたことによってそれは終わった。
「すみませんでした」
いきなり頭を下げて謝るシンジに大人達はビックリした。
「ちょ、ちょっとどうしたの? シンジ」
彼の態度に焦りながらユイが訊いた。
「すみませんでした」
だが、事情を話そうとせずそれしか言わない。
「シンジ君?」
レナが怪訝な顔でシンジを見る。
「……あの使徒の男の子と何かあったの? さっきから様子がおかしいし……」
ユイが心配そうな声で尋ねる。
「…………」
シンジは顔を上げるも何も言わない。ただ泣き出しそうな顔をしているだけだった。
「……どうした……シンジ」
心配そうな表情のゲンドウがシンジに近寄りながら訊く。
遂に耐えきれなくなったシンジは、ポツリポツリと話し出した。
「…………シュウジが、綾波が、アスカが……ああなったのは僕の所為だ…………僕がさっさとサキエルを倒していれば、あんな事には……」
そう言ったシンジの瞳からは大粒の涙が流れていた。
「シンジ……あなたの所為じゃないわ。これは…………」
「僕の所為だ! 僕が皆に嫌われたくなくてただ見ているだけを選んだ僕の所為だ! 僕は……僕は、化け物のくせに……人間に、人に好かれよう何て思ったのが間違いだったんだ……」
ユイの言葉を遮って大声で叫ぶシンジ。最後には涙声でとても小さな声だったけれども。
「……シンジ」
彼の言葉を聞いて何も言えなくなるユイ。
ゲンドウや他の大人達もシンジの気迫に押され何も言えず、ただシンジを見ているだけだった。シンジは彼らに向かって何も言わずに司令室を出ていった。後に残された大人達は、今シンジが言ったことを必至に考えていた。
司令室から出ていったシンジは、何処かの薄暗い通路を黙々と歩いていた。彼は目的地に向かいながら、さっきユイ達に言ったことを考えていた。
(……あんなこと言うつもりじゃなかったのに…………あれじゃ、母さん達を責めてるみたいだった…………悪いのは、全部僕なのに……)
彼の顔には後悔に彩られた表情と、さっき流した涙の跡がありありと見て取れた。
彼が向かう先はもう決まっているのだろう。幾度となく通った分かれ道を、迷うことなく思うがままに進んでいった。途中、彼は一度足を止めた。その視線の先には『第三分室』と書かれており、それを見た彼はほんの一瞬だが懐かしい顔になった。
それからも、延々と歩いていき、漸く行き止まりに着いた。そこには巨大な扉があるのだが、厳重にロックされてるようだ。彼が見たことも無いような電子機器が扉の横に幾つも付いており、何かカードを通すスリットの様なモノがあった。
彼はどこからかネルフのIDカードを出しそれに通した。すると『LOCKED』と書かれていた英文字が『OPEN』に変わり、大きな扉が開いたのだった。
それを確認すると彼はカードをしまい、しっかりとした足取りで中へと入っていった。
中は途中で途切れてる道が一本あるだけで、その道の周りは赤い液体で満たされていた。彼はその道の先端まで歩いていくと上を見上げた。そこには、とても大きな十字架に張り付けにされた巨人が大きな一本の槍で刺されていた。
その巨人は顔が七つ目の面で顔を隠されており、体全てが真っ白だった。上半身はしっかりとあり、その手は大きな釘で十字架に張り付けられている。しかし、巨人の下半身は無く腰の辺りで途切れており、その先は何か人の様な形のモノが突出していた。
ここが地獄だと言われたら、百人が百人、間違いなく信じるであろう場所。そんなところにシンジは一人でいるにも関わらず、彼は自分でも気づかない内にうっすらと微笑んでいた。
シンジが目を閉じると彼の体が光り出し、宙へとその身が浮かんだ。そして巨人の顔の前まで飛んでいき、そのままじっと動かなかった。その視線の先には七つ目の面がある。
「リリス……」
彼はその巨人に向かってそう呟いた。
それからシンジが地面に降り、その部屋から出ていくまでに一日もの時間が経っていた。彼がその長い時間、何をしていたのかはシンジとリリスしか知らない。
シュウジの病室は先程の騒がしい感じとはうって変わって、シンとした空気が流れていた。ユイがシュウジ達にシンジから聞いたことを全て話したのだった。
「「「…………」」」
それを聞いた三人は何も言えなかった。
あの圧倒的な強さのサキエルが、何も出来ずに殺されたのがショックだったのだ。自分達の力が何一つ通じず、冷徹な彼が小馬鹿にしたように笑うのを思い出し、皆体が震えていた。
そんな中シュウジは自分が人を殺した罪悪感にさいなまれていた。チルドレンになった時、使徒と戦うことを決意した彼は、殺す殺さないをどこか隅に追いやって考えないようにしていたのだ。だが、現実にそれが起こると自分が怖くなってきたのだ。自分の意志でやったわけではないが、自らの手で人を殺した、という事実が彼を追い詰めていたのだ。
「……母さん……僕は、人を……殺した……」
途切れ途切れにそう言うと、ユイに縋るような目を向けた。
「……シュウジ、あなたは悪くないわ。悪いのは私たち大人よ……だから、自分を責めないで」
そして、シュウジの頭を胸に抱きかかえた。
ユイの言ったことを頭で考えるも、人殺し、の三文字が彼の頭にちらついた。だがユイが、ぎゅっと抱きしめてきた温もりで、幾分か落ち着きを取り戻したようだ。それでも、彼の罪悪感が消えることは無いが。
「…………エヴァって一体なんなの? そんなに恐ろしいモノ何て初めて聞いたわ」
その二人を見ていたアスカがポツリと呟いた。
それを聞いたユイはシュウジから身を離し、すまなさそうに話し出した。
「それは、私たちにも分からないわ……それを知っているのはリリスだけなのかもしれない……」
「リリス?」
「ええ。私たち人間を造った神の名よ」
子供達は初めて聴く単語に怪訝な顔をする。彼女達はエヴァになれるが為にある程度の情報は知っているが、特大の極秘情報は聞かされていないのだ。
「そのリリスっていう神様ならどうしてエヴァの事を知ってるの?」
レイが不思議そうに聞く。
「エヴァはリリスを真似て生み出したからよ。……結局のところ、私達にもよく分かっていないの……」
「そんなわけ分かんないモノをあたし達に使わせてるっていうの!?」
初めて聞いた情報に激昂するアスカ。
「ごめんなさい……でも、私達には時間が無いの……」
訳の分からない言い訳をするユイにもっと聞きたかったが、申し訳なさで泣きそうな顔になってる彼女に、アスカはこれ以上何か言うことが出来なかった。
それから暫くの間、誰も口を開かなかった。シュウジは少しは落ち着いたとは言え、元々内罰的な彼は自分の罪に自分を責めている。アスカはさっきのユイの言ったことを必至に考えていた。ユイはシュウジの様子を気に掛け、どうすれば立ち直ってくれるか考えていた。そこで、レイがあることに気付いた。
「……そういえば、どうしてシンちゃんはあそこにいたの?」
彼女が病院で目を覚ましてから、深く考える余裕が無くて、その事をすっかり頭の外に追いやっていたのだ。
「そうよ! シンジは学校を早退したのに何で使徒と対面してたのよ!」
アスカもまたその事を忘れていた。
二人の視線がユイに降り注ぐ。
「シンジは学校から帰る途中に攫われたの」
「「え!?」」
ユイは本当のことを話すわけにはいかないと、今とっさに作った嘘で誤魔化す。
「あの使徒に攫われて人質にされていたらしいの、それでシンジは……」
「「……」」
そんな彼女の嘘をあっさり信じた二人はただ呆然としていた。しかし、レイはシンジとここで会ってないことに気付いて訊いてきた。
「……あれ? そういえばシンちゃんはどこにいるの? ここに来てから一度も会って無いけど……」
レイが思い出したかのように言った。
レイとアスカはシュウジが目覚めるまでネルフから一歩も外に出ず、ジオフロントに閉じこもっていたのだった。それなのに、シンジの姿を一度も見てないことに今初めて気が付いたのだ。
「シンジもジオフロントにいるわ。でも、どこに居るかは分からないけど……」
ユイは悲しそうな声でそう言った。
あの司令室で話した時以来、シンジとは一度も会ってないのだ。彼女は会って話をしたいと思っているのだが、シンジの方が人を避けているのだ。
「じゃあ、私シンちゃんを捜してきます」
そう言ったレイは、椅子から立ち上がり颯爽と病室から出ていった。
後に残ったのは、自分の殻に閉じこもっているシュウジと、今更ながらにエヴァに不信感を持ったアスカだった。そして、ユイは今までの生活が壊れていくようで、ただただ怖かった。
ジオフロントはとてつもなく広い。ネルフ本部の中だけならそこまででもないが、ジオフロント全てと言えば、小さな村よりも広大であった。
レイはそんな所からシンジ一人を捜そうというのだ。歩いて探すのであれば、彼女一人では到底不可能。だから彼女はまずマギを使ってシンジを探すことにした。
ネルフ本部、発令所に入っていく。多少苦手な相手でも目的を果たすためにしかたない、と割り切ってナオコに助力を求めることにしたのだ。
「ナオコさん。ちょっと調べてほしいことがあるんですけど……」
発令所にある一台のコンピューターの前で、何やら仕事をしてるらしいナオコに申し訳なさそうに声を掛けた。
「あら、レイ。もう体は大丈夫なの?」
作業の手を止めてレイに振り向く。
レイが目を覚ましてから会うのはこれが初めてだったのだ。勿論、アスカも彼女とは会っていない。
「はい。私はアスカみたいにどこかケガしたってわけじゃないから」
「そう。それで、調べて欲しい事って?」
「あの〜、シンちゃんって今どこにいるのかなって……」
「シンジ君? ちょっと待ってね」
そう言うとナオコは凄い早さでキーを叩き始めた。だが、暫くすると手を止め、レイに向き直った。
「ごめんなさい……シンジ君が今どこにいるか分からないわ……」
「へ?」
予想外の答えに間抜けな声を出すレイ。
ジオフロントを完璧に管理してるマギを使えばすぐに分かると思ったのだ。実際、彼女が実験をさぼって隠れてたことがあったのだが、すぐにマギに見つけられ、目一杯怒られたという苦い経験があった。それなのに、分からないとはどういうこと、と考えていた。
「マギにシンジ君のデータをまだ入力してないのよ。それで、彼の位置が特定できないの。ごめんなさいね」
ナオコを疑わしそうに見ているレイにそう説明した。
実際の理由はそうではない。普通は個人のIDカードを通してジオフロント内を移動して、その痕跡がマギに残るのだが、最高ランクのカードはマギに探知されないようになっているのだ。そして、シンジはゲンドウからそのカードを貰っていた。好きな様に移動できるように、と。勿論、それだけが人を捜す方法ではない。監視カメラに映ってもマギに報告されるのだが、シンジはその死角を通り、一切自分の形跡を残していないのだった。
「……そうですか……分かりました」
そんな事を知らないレイはあっさりとナオコの言うことを信じた。
彼女はふらふらと発令所から出ていき、何処へともなく歩いていった。彼女が無意識に向かっているのは、ジオフロントにある屋内自然公園だった。そこには、綺麗な噴水があり、自然に溢れていてとても気持ちがいいのだ。
自然公園に着いた彼女はいつも腰掛けてるベンチに座り、噴水をボーッと見ていた。だが、噴水の奥の方に人影が見えてそちらに歩いていくと、そこにはシンジが居た。
シンジは噴水の奧にある川に足を入れて、心ここにあらずといった感じで座っていた。
「シンちゃん……」
レイの声を聞いたシンジはゆっくりと振り向いた。
丸一日の時間を使ってシンジがリリスと対面してからというもの、サキエルに言われた事や、司令室でユイ達に言ったこととはまるで違うことを考えていたのだった。
それからというもの、彼は夢遊病者のような足取りでふらふらと歩き、自分が何処に向かっているのかさえ分かっていなかった。そんな状態でも昔の癖で、監視カメラには映らないよう無意識に行動していた。
彼はジオフロントの山の中に入っていったり、何処か研究室の一室に閉じこもっていたりしながら、食わず飲まずで過ごしていた。その間、誰一人として他人と会わなかった。いや、彼が人を避けていたのだ。
そんな中、彼の知らないところでシュウジが目を覚ましていた。その時、彼は屋内の自然公園にいた。彼以外誰もいなくて、川の流れる音と、噴水の音があるだけだった。彼は靴を脱いで自然に川に足を入れていた。
「……冷たい」
さらさらと流れる川は、彼の凍てついた心に冷たすぎた。
そのまま意識がハッキリしないまま、暫くボーッとしていたのだが、背後から声を掛けられて久しぶりに他人と相対することとなった。
「シンちゃん……」
シンジが振り向くとそこにはレイが立っていた。
「……綾波」
彼はそれ以上何か言うことも無く、視線を川に戻した。
いつもと違うシンジの態度に戸惑うレイだが、彼の隣に腰を降ろし彼女も川に足を入れた。
「冷たい……けど、気持ちいい」
レイは楽しそうに笑った。
「……」
そんな彼女を無視して自分の殻に閉じこもっているシンジ。
「シンちゃん……何かあったの? 様子がおかしいけど……」
心配そうにシンジを覗き込む。
「……」
しかし、それすらも無視してレイと目を合わせないようにする。
「この前の戦いのこと? そうだよね、あんな怖いことがあったんだし……シンちゃんだって攫われて怖かったよね?」
何も言ってくれないシンジから視線を外し、彼女も何処かから流れてくる川を見た。
「……」
だが彼は優しい彼女の声にも反応しない。
レイも自分を無視するシンジに、どう声を掛ければいいか分からなくなって黙ってしまう。いつもの優しいシンジとは全く違う彼に戸惑い俯いてしまった。
永遠に続くかと思われたその沈黙は、シンジのとてもとても小さな声で終わった。それは川の音で聞き逃してしまいそうなくらい小さな声だった。
「…………綾波は、僕が人じゃなかったらどう思う……」
「え?」
レイは突然話し掛けてきたシンジにビックリして彼を見た。けれど、彼の視線はまだ川に向いていて、彼女を見てはいなかった。
「……僕が、人でも、使徒でも無くて…………もっと別の、生命体だったら……」
意味不明なシンジの言葉に怪訝な顔をするレイ。だが、彼がとても悲しそうな顔をしてるのを見て優しく微笑んだ。
「何とも思わないわ」
その言葉にゆっくりとレイに視線を向けるシンジ。
「だって、シンちゃんはシンちゃんだもん。それ以上でもそれ以下でも無いわ。私にとって大切な人よ」
レイは優しくそう言うと、シンジに向かって優しい笑みを見せた。
「綾波……」
シンジは呆然と呟く。
「だからそんな顔しないで。いつもみたいに笑って? ね?」
そう言ったレイは、そっとシンジの手を握った。
その彼女の温もりが、彼の冷え切った心をほんの少しだが解凍した。その結果、彼はレイに向かって自然と言葉を発していた。
「ありがとう。綾波」
そして、その手を優しく握り返して、シンジはいつもの様に笑った。でも、その瞳からは止めどなく涙が溢れていて、いつもの透き通るような笑顔ではなかった。けれど、レイはそのシンジの笑顔を見て、彼と初めて会った時のことを思い出していた。その時もシンジは涙を流しながら微笑んでいて、とても神秘的に見えたことを。しかし、今のこの笑顔はその時に見たそれよりも、より一層綺麗に見えた。
「ほら、涙を拭いて」
ポケットからハンカチを取りだしシンジの涙を拭いてあげるレイ。
「うん、ごめん。もう大丈夫だから」
自分の顔を拭いてるレイの手を掴み、大丈夫と笑ってみせる。
それを見たレイは、いつものシンジに戻ったと思って嬉しくなり、自然と笑顔になった。彼女の笑顔を見たシンジは心の中が暖かくなっていき、さっき触れた手の温もりよりもっと大きな温もりが欲しくなって、それを行動に移した。
「ちょっとこうしてもいい?」
「え?」
そう言うとシンジはいきなりレイを抱きしめた。
「ちょ、ちょっとシンちゃん!?」
急に抱きしめられたレイは頬を赤く染めて、恥ずかしさから大声を出した。
「……少しだけだから」
だが、彼女の体をシンジが大切なモノを扱うかのように優しく抱きしめ、彼の切ない声が彼女の耳に響かせると、レイは自分も暫くこのままで居たいと思った。だから、彼女もシンジの背中に手を回し優しく抱きしめ返した。
二人は暫くの間、一言も口を開かないで、ただただ抱き合っていた。触れ合っている素肌がとても心地の良いモノで、心も触れ合っているかのようだったから。いや、彼らの心は溶け合っていたのだろう。二人の顔には満面の笑みが浮かんでいたのだから。
To be continued...
(あとがき)
作品とは全然関係ないんですが、エヴァの11巻を読みました。初号機がカヲル君を握ってる場面、二人を人に置き換えて草原でシンジがカヲル君の首を絞めるシーンが好きでした。コミックを読み終わって、早く劇場版を見たいな〜っと思う今日この頃でした。そんなわけで、これからもよろしくお願いします。
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