Die Endwelt...

Rel. 1.0(HTML) : 9/23/2005
A.S.G. (Project-N)
原案 : 斎藤 和哉
文章 : 茂州 一宇


 

──── 誰かと分り合える事

 良い方向であれば嬉しい事

 時によっては哀しい事

 

──── すれ違う事

 気付かなければ何でも無い事

 気付いてしまうと悲しい事

 

──── 拒否される事

 好意を持っていれば悲しい事

 嫌悪を感じている時には嬉しい事

 

──── 完全に拒否される事

 それはとても悲しい事

 

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『良く壊れずに残ったよね……』

『本当……』

 僕達が見ているのは明石海峡大橋。衛星写真でも確認したが、鳴門大橋も無事な筈だ。

 明石海峡大橋はその特徴的で美しいワイヤで支えられた橋梁を僕達だけに見せていた。

 

 巨額の資金を投入し、結局その負債を抱えたまま世界は終ってしまった。これは、日本の負債を象徴するモニュメントの一つとも言える。そして一部の橋が落ちてしまったため、もっと悲惨なモニュメントとなってしまったルートが後二つ在る。

(結局、どのルートも負債は償却出来なかったのか……)

 

 セカンドインパクトで元南半球がひどい惨状になり、合衆国北部やカナダや北欧が寒帯に完全に覆われてしまってから、世界経済の中心は日本やシンガポールを中心としたアジア各国に移っていた。

 日本も復興が必要だったとは言え世界中の金が集る市場になっていたのだ。そう、政策さえしっかりとしていれば、色々と改善出来る機会は有った筈なのだ。

 問題は、そう簡単に政治体質を変化させる事が出来なかった方が大きく、慢性的な赤字体質はさほど改善される事無く続き、結局はサードインパクトで全てが無意味になるまで解消される事は無かった。

(そりゃ、ネルフみたいな無駄金を使う組織が在れば……、改善される訳も無いんだけど……)

 そして僕はその組織に関わり、その組織から出る金で生きて来たのだ。

(結局は、僕は、罪深い者か……。そして、償う事すら許されぬ者……)

 

 僕が黙ったまま橋を見詰めている間、アスカが心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。彼女は気付いているのだろうか。世界の経済を混乱させたネルフと言う組織に在籍し、その組織の恩恵を受け生きていたと言う事に。

(出来れば……、気付いて欲しく、無いけれど……)

 

 素直で繊細さが表に出て来た彼女にとっては、残酷な事実。でも、気付かなければ心を乱す事も無い。こんな世界になった今となっては、知る必要すら無い事だろう。

 

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 欧州ではこう言う巨大な橋は珍しく、北欧に在る橋もここ迄は大きくない。少し心配そうな声でアスカが尋ねてくる。

『これで四国に渡れるの?』

『うん。徳島県に繋がってるんだ』

 そう、この橋で淡路島に渡る事が出来る。そして、鳴門大橋を渡れば徳島県に着く。三ルート在った橋の中で最もシンプルな構成。ただ、このルートの二つの橋はどちらも巨大なもので、計画が立てられた当時の技術や建設時期の見積り技術では、鳴門大橋の方が建設不可能だったが、予想以上の技術の進歩によって建設が可能になったと言う経緯が有る。

 

『徳島県?』

『うーん、何て言うかなぁ……。アスカは阿波踊りなんか知らないだろうし……』

 常夏になったとは言え、人と言うものは暦を意識する。日本人なら良く知っている祭だが、ずっとドイツに住んでいた彼女には馴染の無い話だろう。来日後ずっと住んでいた第三新東京市は、使徒迎撃都市だった事もあり、祭などと言うものとは無縁の地だったから尚更だ。

 

『何か特産品は有ったの?』

『特産品ねぇ? これって言うほど有名な物は……。あぁ、“半田素麺”とか言うちょっと変った素麺が有ったかな』

 僕も徳島の事は良く知らない。何せ、生れてからずっと、日本の東寄りの地に住んでいたのだ。変った素麺の事を知ったのも、単に家事を請負っていたからこそ。

 セカンドインパクトによる気候の変化で、四国には、これと言う特産物は殆ど無くなってしまっていたから、どんな所かも良く知らないと言うのが実際の所。四国八十八ヶ所巡りと言うものは残っていたし、聞いた事は有った。でも、子供の僕には興味が湧く事では無かったのも事実だ。

 知識を整理した結果、昔は色々と特徴の有った地だと言う事だけは良く分ったのだけれど……。

 

『何処が変ってるの?』

『太いんだよ』

 そう……、初めてデパートの食品売場で見た時には、びっくりしたのを覚えている。

 

『え?』

『普通の素麺の三倍くらいの直径が有るのかな』

 それが主な特徴で、他はさほど他の素麺と変っている訳では無いらしい……。

 

『ず、随分太い素麺ね』

『そうだね。それが売りでもあったらしいんだけど…。一応、第三新東京市のデパートに置いてはあったんだよ』

 置いてはあったけれど……。興味は有ったのだけれど……。

 

『でも食卓には載らなかったわね』

『うん。ブランド物の素麺は、少し高いんだ……。他にも、“揖保の糸”とか“小豆島素麺”とか有るけど、食卓には載らなかっただろう?』

 これが大きかった。普通の素麺に比べると随分と高かったのだ。結局は、眺めるだけで一度も購入した事も、口にした事も無い。

 

『言われても、違いが分らないわ……』

『まぁ、日本人でも中々区別は付かないらしいんだけど、ね』

『そうなの?』

 通の人だと味の差が分るそうだけれど、そこまでこだわっている人を僕は知らない。もっとも、僕の交友範囲の狭さはひどいものだったから、知人の数が数える程しかいないのだけれど……。

 僕自身は、ブランド物の素麺を食べた事が無いので、どう違うのか良く分らない。

 

『そう言うものなんだよ。安物よりはずっと美味しいらしいんだけどね』

『そう。ドイツじゃヌーデル (Nudel) は頻繁に食べる物じゃ無かったから、食べてみたかったわね』

 そう言えば……。

 欧州では麺類はパスタ以外余りメジャーじゃ無いんだっけ…。カップラーメンはある程度普及していると聞いた事が有るけれど……。

 

 セカンドインパクト以降、世界中の小麦の主要生産地の多くが生産不能地域になってしまい、生産地を移動せざるを得なかったのが、かなり大きな問題を生んでいた。

 新しい生産地は、主にロシア東部やアフリカの国々だったのだが、農地の整備を行うには年単位で時間が掛る。結果的に昔ほど豊富に小麦が手に入らなくなったが故に、パンの生産量が大きく減って高価になってしまった。多くの国で、ジャガイモなどを主食にせざるを得なかったとも聞いた。世界の人口が半減したとは言え、それを支えるだけの農産物が無かったのだ。

 日本は幸いと言うか、冷害が無縁の地になったが故に、強引な政策で工業的大規模農業の導入を行い、生産効果が低い事は承知の上で休耕田も全て再利用し、米や麦の増産に成功。生産量が足りないながらも、大きく食生活を変える必要は無かった。それでも、国内自給率を 80%程度まで上げるのがやっとだったのだが…。

 サードインパクト前の数年辺りには、小麦の生産量も伸び、欧米の食生活も徐々に安定してはいたが、主食を輸入に頼らざるを得なくなったため、多くの国の国力が極端に低下してしまっていた。出来るだけ自給率を上げようとした国々では、合成栄養剤も広く使われたのだが、どうしても自然に生産された物と比べると色んな面で劣っており、評判は良くなかったし、健康な生活を送る上でも問題が多かった。

 

『素麺は乾麺だし、酸化防止剤が入ってる事も多いから、少し酸化してるのさえ我慢すれば食べれると思うよ』

『それは素敵ね。少し楽しみだわ』

 アスカが軽く微笑んでいるのを見て僕はほっとする。最近は、変化も刺激も無い日々が続いている事も有り、どうしても気分が少しだけ落込んだ様な感じの日が多かったのだ。

 

『日本には色んな麺が有るし、海外の麺類もメジャーなのは取入れてたから、もう少し色んな物を出せたら良かったんだけどね…』

 そこまで言って、僕は少し後悔していた。この話題は、過去の嫌な事に繋がっているから……。これは、彼女も余り思い出したくは無いだろう。彼女はこの事に繋がる人物と“”に深く傷付けられ、最後には精神が崩壊寸前まで行っていたのだから……。

 

『あぁ、あの味覚音痴の浪費家がいたんじゃ……ね……』

『ん……、うん。そうだね……。嫌な事、思い出させちゃったね』

 

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 そう……、問題の女性を知る者達の心に触れたから識っていた。残っていた僅かな彼女の心にも触れたから識っていた。

 

 彼女は決して悪人では無かった。悩んでもいたようなのだが、現実逃避気味で、結局は僕達チルドレンを家族としては見ていなかったのには腹が立ったが…。

 そもそも、あの同居が間違っていた。別居していて、お互いにある程度の壁が在れば問題は少なかっただろうが、同居により殆どの事が悪い方に進んでいたのだから。

 そして、彼女は自分で抑える事の出来ない復讐心を抱え込んでしまっていた。それが僕達を家族や隣人では無く、戦闘のコマとして扱う方向へと進ませた。

 更に、周りにいる大人にも恐ろしい程に偏った思考回路の人間が揃っていた事にも驚かされる。最も偏っていたのが、父さん……、碇ゲンドウだろう。

 

 ネルフと言うのは負の感情が渦巻く最悪の環境だったのだ……。

 

 そして……、僕達の心が弱かった事……、いや、弱く育てられた事が更なる悪循環を生み……。

 利用され……。

 この紅い世界が出来た。

 

 もっとも、この紅い世界は、想定していたものとは微妙に違うらしいのだが……。

 それでも、この結末を最も望んだ者達にとっては、それなりに満足出来る世界であったようだ……。僕は、彼らの満足した心に触れた後の事は知らないから、今どうなのかは分らないが……。

 とは言え、個を保たず群体が混じった特殊な状態の生命体になってしまった紅い海の人々には、もう深い苦しみも悲しみも無いらしい。足りない心を他の者の心で埋める事で全てを満たしているのだから。

 だが、それは全ての前進を放棄する事にも繋がった。だから、この星 ── 地球 ── は死の星と成果ててしまったのだ。

 

 僕とアスカ、二人だけが生活する広大なゴーストタウン……。

 

 信じられない事に、こんなに心の弱い僕達二人だけの星になってしまった…。

 可能性を少しでも信じた僕が馬鹿だったのだろうが、これは世界を滅ぼした僕に対するでもあるのだろう……。アスカはそれに巻込まれた、唯一の不幸な人……。

 

 綾波やカヲル君も不幸なヒトだったけれど、彼らは……もう、この世にはいないから……。ある意味幸せなのかも知れない……。

 

 僕はずっとアスカの側にいたいけれど、それは良い事なのか……。

 もう、許されるかどうかの判断は全て僕達二人だけに委ねられている世界だから、望み叶う範囲で生きるしか無いとは言え……。

 

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 僕は、何とか気まずい雰囲気を紛らわそうと、慌てて別の話題を振ってみる。

『あ、あぁ、それでね……、ちょっとした観光地ではあったんだ』

『観光地? でも、小さな街でも、観光地と言われている所なんて沢山在るわ…』

 ガイドブックを見れば分るが、日本中細かな観光地だらけなのだ。とは言え、メジャーな観光地はそれ程多くは無い。こう言った事は、欧州の方でもそう変りが無いのだろうか。

 

『ここはね、地形や海底の構造が少し変ってて、世界でも中々見れないものが見れる所なんだ』

『何が見れるの?』

 

 僕自身映像でしか見た事が無いもの……。地軸がずれてから昔とは少し雰囲気が変ったらしいけれど今でも見る事の出来る自然現象……。

 

『今でもね、鳴門の渦潮は、問題無く見られるみたいだよ。衛星写真にも写ってたから』

『渦潮?』

 アスカが住んでいたドイツに海は無い。それに、寒帯寄りの亜寒帯だから、殆ど暖かくなる事が無く、水辺と言うものは寒々しい所になっていた筈。そして、彼女は日本へ移動して来る迄、海と言うものを映像や写真以外で見た事すら無かったのだ。海に囲まれた島国に住む日本人に比べると、海に関する知識はどうしても少なくなってしまうだろう。

 

『ほら、この写真を見てよ』

 僕は、最近訪れた街の書店で入手していた観光ガイドを開くと彼女に見せる。そのガイドには、迫力の有る大きな渦潮の写真が掲載されていた。

『わぁ……凄い……』

 

『危ないから、鳴門大橋から見下ろす事しか出来ないけどね……』

 それよりも、この紅い海の渦潮を見た時に僕達がどんな風に感じるのかが少し心配だったが…。

 

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 巨大な橋を渡るのは中々新鮮な体験だった。僕達が生れる前には、関東にも大きな橋が在ったけれど、セカンドインパクトと旧東京でのテロが重なり、日本の大きな橋は、四国に架かっている三つのルートだけしか残っていなかったから…。

 

 

 徳島県側に渡った次の日、時間を見計らって、渦潮を見るために造られた床の一部がガラス張りの“渦の道”と名付けられた遊歩道へ向った。

 

『……確かに、良く見えるんだけど』

 やはりと言うか、その微妙な光景にアスカが何となく言葉を濁している。

 

『……紅いと、余り…………綺麗じゃ無い…か』

『渦は……凄いんだけど……、何か……変な感じ』

 渦自体はサードインパクト前と大差無かった。だが、青い海と、紅い海ではこんなにも違ったものに見えてしまうと言うのも良く分った。

 血の色程濃くはなくても、血が混ざった水が渦巻いている様な感じに見えるのだ。正直、気分が悪い感情の方が大きい。それはアスカも同じだった様で、お互いに顔を見合わせると、無言で車まで戻った。

 

『折角来たけれど……、あれは……、もう見たくないわ……』

『そうだね……。僕も……あれは……』

 何となく気まずい雰囲気のまま僕はギアを一速 (ロー) に入れ街へと向った。

 

 今夜は、この街の民家に泊ろうか……。

 

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 翌日、僕は街中の店を物色していた。だが、目当の物は中々見付からない。

 

『地元じゃ、そんなに沢山扱ってないってやつかな……。でも、確か、そんなに有名な物じゃ無いから、地元周辺での消費が多かった筈なんだけど……』

 

 僕は目を伏せ知識を整理してみる。

 やはりそれなりに地元で流通していた様だ。

 

『ん……? でも、売ってた店が……、偏ってるのか……。こっちかな……』

 

 知識の中で取扱っていたらしい店を探し出して、そちらへと向う事にする。

 

『3km 程先……? 無いよりはいいけど……』

 

 僕は、そろそろ昼が近い事もあり、走ってそちらへ向う。全力疾走しても殆ど疲れる事の無い身体が便利ではあるが、何となく悲しい……。

(ふぅ……。人間じゃ無いってのは、重々承知してるんだけど……。割切れないか……。人の心は、機械の様に単純じゃ……無い……か……)

 

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 僕が戻ると、昨日泊った民家の縁側で、アスカが不安そうにしていた。

 

『ごめん……、中々、見付からなくて……』

 僕は、木の箱と大きな段ボール箱を抱えたまま彼女に声を掛けた。

『ううん……。戻って来てくれたから……いい……』

 

 僕は二つの箱を縁側の上に置くと、アスカをそっと抱寄せた。彼女は少し震えながら、強くしがみついて来る。僕は優しく彼女の頭をなでながら、彼女が落着くのを待った。

 これが、長く彼女を待たせた時に繰返される事。僕の心に鈍い痛みが増えて行く……。

(髪が……、もう随分と傷んでる……。肌も、余り色艶が良くない……。本当に……これで良かったの……、アスカ?)

 

 

 彼女が落着いた後は久しぶりのまともな炊事。

 強めの火力が欲しかったから、カセットボンベを使うコンロを使って湯を沸かす。出汁の方は真空パックされた鰹節を使って取っている。

 

 全部街で調達してきた物……。

 

 普段は車に積んでいる電気コンロや IHヒーターを使っているので、それに比べると調理がずっとやりやすい。

 

 

『初めてだから……上手く茹でれるかどうか、保証出来ないけど……』

 そう、入手して来たのは半田素麺“一箱”と調理器具や調味料など。問題は、僕自身、普通の素麺を茹でた事は有っても、半田素麺を茹でた事は無いと言う事だ。一般的な素麺よりは太く、うどんよりは細い。素麺とうどんの製法の差も有るから、適切な茹で時間を知らない。

 

『私も……、もう少し料理が出来れば……』

『それは言わないで欲しいな……。出来る事をすればいい世界なんだから』

 僕は時々彼女が口にする言葉に苦笑せざるを得ない。昔と違って、彼女は洗濯や炊事もする様になった。でもそれは二人でした方が効率が良いからに過ぎない。微生物さえいなくなったこの世界で人間が暮すのは辛い事の様だ。実際、彼女の体調は余り芳しくは無い。僕が出来る事を彼女に押しつけるのは良くない事。彼女の負担は必要最小限に減らさなければならないのだから。

 

 結局、茹で上がった麺は少し茹ですぎて、腰が無くなってしまった。こう言う麺が好きな人もいるけれど、僕もアスカも腰の有る方が好みだから、大失敗と言える。

 

『ごめん……。茹で過ぎちゃったよ……。次、作る時には……多分上手く茹でれると思うけど……』

『う、うん……。でも、出汁は良く出来てる……。ここ暫くは、既製品ばかりだったから、ずっと美味しいわ』

『有難う。確かに、最近は既製品に頼った食事が多かったかな……』

 静かだけれど、誰にも邪魔される事の無い食事。

 誰かと共に食卓を囲める幸せ……。

 

(アスカは……、実父と義理の母と住んでいたから、一人の食卓が続いた事は……無かったんだろうな……。そう考えると……、僕は、こんな世界でも、幸せに暮せている……)

 そして、いつもの疑問のループに陥りそうになるのを抑える。する事が無いと言うのは、どうしても不毛な思考を生み出しやすい。そして、元々、そう言う不毛な思考に陥りやすい性格なのだから……。

 

(静かすぎる世界は……、群体を求める者には……暮し辛いか……)

 

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 幾つかの街に数日ずつ滞在した後、徳島県を後にし、そのまま海岸線に沿って車を走らせていた。そして今は、高知県の室戸岬を経由して安芸と言う地にやってきている。山越えの道も在るのだが、この旅は急ぎ旅では無いから出来るだけ街の多い海岸沿いを走っている。

 ここに至る迄、ずっと海が見えていたけれど、本州とは違って、いまいち整備されていない道。どことなく田舎っぽさを感じさせる街々。

(こう言うのも……、いいかな……。人がいなくなった街ってのは、ビルなんかが多い程虚しいから……)

 

 紅くはなってしまったけれど、ずっと向うまで広がる海。心地良く響く波の音……。

(誰もいないから、波の音が……これだけ綺麗に聞えるのかな……)

 僕は、何となく淋しい気持になって、軽く溜息を漏した。

 

 

『今日は、この街で過そうか…?』

『ええ。四国って、過しやすい街が多くて、いいわね』

『そうだね……。大きな街の方が過し辛いからね……』

 サードインパクト前なら、少し不便だっただろう。しかし、今の僕達には、ゆっくりと落着ける街の方が良い街なのだ。少々不便でも、そんなのは余り問題では無い。

 

 僕達は、この街に数日滞在する事にした。

 

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 夕暮時。紅い空と紅い海も、夕暮の時ならば違和感は少ない。昔より赤みが強くなった程度と割切る事が出来るから…。

 

 僕は半ズボンに着替えると、臑が少し漬かる程度の所で、海ではしゃぐアスカを見ていた。

 泳げないのもあるけれど、こんな気持の悪い海で泳ぎたいとも思わない。とは言え、今の僕は、溺れても死ねないのだろうけれど……。

 

 彼女は紅い水で服が濡れるのも気にせずにはしゃいでいる。楽しいと思える事が少なくなった世界だ、彼女が笑顔になれる事が少しでも有ると言うのが嬉しい。

 

 

 暫く打寄せる波と戯れていた彼女が不意に声を掛けてきた。

 

『青い頃に、シンジと、海に遊びに来たかったわ……』

『そうだね……』

 僕は、まだ海が青かった頃の事をぼんやりと思い浮べる。

 良く考えると、僕も海に来た事は余り無い。

 

『私達、修学旅行、行けなかったのよね……』

『うん。アスカと一緒に青い海を見たのは、初めて会った時とイスラフェルの時にかな…』

 

 そのどちらも使徒絡みの事。余り良い思い出は無い。それ以上に、あの頃の事を思い出すと、時々怒りが込み上げてくる事が有ったから、余り思い出したくなかった。身勝手な大人達に利用されていた日々を思い出してしまうから。それに気付かず家族ごっこをしていた事にはもっと腹が立つから…。そしてその怒りで、力が暴走するのが怖いから…。

 

 

『あ……』

 彼女が少し恥ずかしそうに頬を染めて、僕から視線を外した。

『どうしたの……?』

 

 僕が問い掛けると、とても言い辛そうに下を向いている。僕が「言い辛い事は無理に言わなくてもいいよ」と言おうとした時に、彼女はようやく決心が付いたのか、小さく呟いた。

 

『あの時は……、ご免なさい……』

『あの時?』

 あの時と言われても……。それに、彼女が海絡みで僕に謝らなくてはならない様な事が有っただろうか?

 

『初めて会った時……。私、思いっきりシンジの頬を……』

『あぁ……。あれも、今となってはいい思い出だよ』

 そう。あんな出会い方だったけれど、今では思い出すと、あの頃に……、何も識ら無かった頃に戻りたくなる衝動を覚える、いい思い出。もう取戻せない“世界が生きていた刻 (とき) ”の一コマ。

 僕は、何となく懐かしくなって、アスカに微笑み掛けた。

(そう言えば、もう何ヶ月も笑ってなかったっけ……。ずっと仏頂面してたのかな……)

 久しぶりに明るい気分になったのが嬉しかった。あの日から、良い事がちっとも無くなってしまっていたから…。

 

え……? あ……

 何故か僕の顔を見たアスカが顔をもっと赤くして俯いてしまった。

 

『どうしたの?』

 僕が彼女の顔を覗き込むように尋ねると、彼女は両手で顔を覆ってしまった。

 

『もう、知らない……』

『な、何なんだよ…?』

  


§03. Leugnen... 


 

 今日の彼女はいつもよりずっと明るい。そして、妙に可愛く感じる。あの日を境にアスカは棘の有る言動をしなくなった。でも、妙に消極的でずっと心配していたのだ。これを切っ掛けに、もう少し明るく元気になってくれると良いのだけれど…。

 

 

 辺りが徐々に闇に包まれ始めた。夕日が殆ど沈んでしまったからだ。そして、今日も雲が少ないので月が良く見える。

 あの日以来、雨は纏って降る日が多くなり、曇天の日が少なくなった。主な水源の海が、紅い海に変ってしまったからだとは思うのだけれど、根本的な原因は良く分らないし、積極的に知りたいとも思わない。

 

 

 アスカは沈む夕日を眩しそうに目を細めながら見送っている。

『この世界でも、夕暮は……綺麗ね……』

 

 これが青い海ならばロマンチックなのかも知れないけれど……。

 海の色は夕日の光を浴びてまるで血の色……。昼に比べればずっと綺麗だけれど、僕は余り好きになれない。それに、日が沈んだ後、紅い月に照らされる海が、紅く光っているのは少し不気味だ。

 

(彼女が好きならば、飽きない程度に海辺で夕日を見送るのも悪くは無いかな…)

 そんな事を僕が考えていると、微妙な感情が乗せられた彼女の声が聞えた。

 

えっ……?

 彼女が驚いたような顔をして水面を見詰めている。

『誰? 何を言いたいの……?』

 

 どうも彼女の様子が変だ。海に向って話し掛けているように見える。

 

『アスカ、どうしたの?』

『シンジ……。貴方は何も感じないの…?』

 僕には彼女が言っている事が理解出来なかった。何が起きているのだろう?

 

『え? 何を言ってるの?』

 僕は不思議そうに彼女に尋ねる。

 

が聞えるの……。誰かの……』

誰かの?

 誰かの……声……? 誰もいなくなったこの世界に……?

 そりゃぁ……、いなくなった訳じゃ無くて、この紅い海にみんなが混ざってるだけなんだけど……。それは実質的にはいないも同然……。となると、彼女は誰の声を聞いたのだろう?

 僕が思考の海へ沈み掛けた時に、彼女の驚いた様な声で現実に引戻された。

 

『えっ……。何なの……? どうして……? シンジ……。そ、それは……?!

 彼女が僕の足下を指さし、驚いたような顔をしている。

 

 足下を見て僕も驚いた。何故か僕の足下の水だけが透明なのだ。昔の海の色……。それも僕の足下の周り半径 1m 弱だけが……。

 

(どうして……?)

 

 理由は分らないが、僕の周りから紅い色が逃げる様に無くなってしまっているのだ。彼女の足下ではそんな事は起っていない。

 

 僕は紅い海の人々に拒否されているのだろうか……。それ程に僕は罪深い者なのだろうか……。

(分らないよ……)

 でも、何となく悲しいものを覚える。

 それが顔に出てしまったのだろう、彼女が心配そうに僕に近付いて来て提案する。

 

『シンジ……、もう、陸に上がろっか?』

 彼女が気遣ってくれるのが嬉しかった。誰からも否定されたような気分だったから尚更嬉しかった。

 

 僕は、淋しさを消す事は出来なかったけれど、少し心に暖かいものを感じ、アスカを軽く抱きしめていた。

 

『シンジが私の側にいてくれるように、私もシンジの側にいるから……』

(それで、本当にいいの?)

 

 僕がいつも繰返している答の出ない心の中での問い掛けに、彼女は気付いていたのだろうか。

 

『シンジ……。貴方の事だから、きっと、私の側にいていいのか悩んでるんでしょ?』

 僕は答える事が出来なかった。色んな感情が渦巻いて、どうしても声に出せなかったのだ。

 

『いいの……。側にいてくれれば……。シンジと混ざり合うのは嫌だった。それは一つになるのが嫌だったから……。心の奥底をシンジにだけは触れ続けて欲しく無かったから……』

『それは……』

『分ってる。シンジは私の心の奥底に触れたわ。私もシンジの心の奥底に触れたから……』

『その……』

 僕は、何となく気まずく横を向こうとしたが、彼女が真剣な眼差しで僕の瞳を覗き込んでいるので、実行に移せなかった。

 

『それはいいの……。もう過ぎた事だから……。でも、今はもうお互いの心は見えないわ。これは私が望んだ世界でもあるのよ……』

『あ……』

 そう言う考え方も有った事に僕は初めて気付いた。自虐的な性格を持っているが故に、全て僕のせいだと思っていたから……。

 

『シンジが望んだ世界も、こんな世界じゃ無かったんでしょう?』

『う……、うん……』

『私もそう……。でも……』

 そう呟くと彼女は海を横目で悲しそうに見ている。

 

『他には……、誰も帰って来なかっ…た……』

『…………』

 彼女は僕と、基本的には同じ事を考えていたのだろう。しかし、この世界の行く末のとなったのはなのだ。その事だけは変えようが無い。破滅に導いた事実も消えはしない。

 

『……ふふ、変な話ね。こんな世界になって、私は人の温もりを求めていたって自覚出来たのよ』

『それは……』

『シンジも同じなのよね……。結局は似たもの同士か、私達……』

 彼女はそう言うとぎゅっと僕に抱付いてきた。

 

『私達、どうしても後ろ向きに考えがちだわ……』

『そうだね……。でもアスカは、前向きだったじゃ無いか……』

 僕はそう言って、はっとした。これは禁句では無いのかと……。彼女の心に触れて、彼女の事を識っているのに……。

 

『知ってるんでしょう? 私のあの頃は、後ろ向きな考えから逃げる為に……、現実逃避気味に演じてた性格……、ううん、そんな高尚なものじゃ無いわね。あれはただの意地に過ぎなかったって事も……』

『ごめん……』

『いいの……。だから、私はその仮面を脱ぎ捨てる事の出来たこの世界に、ほんの少しだけど感謝してる…』

『アスカ……』

 

 僕達は月の光に照らされながら、お互いの目を真っ直ぐと見つめ合っていた。

 

 

 僕達はきっとずっと、色んな事に後悔したり、悩んだりして行くのだろう。だけどだからこそ人間らしいとも言える。そしてそれが僕達の望みでもあったのだから。

 

 ゆっくりと車を停めた堤防側の民家まで歩いて戻ると、僕達は無言で月を見上げていた。

 

 僕は……、アスカの側にいてもいいんだろう……。多分。

 でも……。

 

 僕は、どうしてもその先に在る未来を思い浮べてしまっていた。

 

 僕は……。 

 

 

 

 

To be continued...


(著者より哀を込めて)

 和哉です。前半が異様に長いのですが、良く見れば分りますが、内容が殆ど有りません (^^; 。今回のテーマは殆ど後半の短い文章だけなんですよね (^^;; (ぉぃぉぃ)

 で、この話迄で、基本的な部分は語り終えました。後は、(暗い)2 結末に向けた話になります。困った事に、§4 より後は、もっと暗くなって行くんですね……。そろそろ嫌気がさしてる人が多そうな気が……。

 ここが折返し地点ですので、後三話程お付合い頂ければ幸いです (実は、最終話のベースは、ほぼ書上がっていたりします)


 茂州です。妙に長いのに、内容が無くて驚いていますが、元の話にはこのエピソードは在りません。テーマが後半の短い内容だけだから、こうなってしまったらしいです。いいのかな……、こんな展開で。


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