装甲車が道路の両脇に控えているという、物々しい雰囲気の検問所を幾つも通った。

 当然のことだが、検問所では検問を受けなくてはならない。応対をしてきたのは軍人だった。検問をしていたのは軍隊、 それも戦自らしい。

 問題なのは、車を運転している黒服に対しての戦自の対応……。

 ”ネルフ”

 黒服がその名を出すと、彼らは忌々しそうな顔をするものの、なんの手続きもせずにこの車を通した。

 軍をも黙らせる”ネルフ”。そこに所属しているらしい”父”。

 正直、得体が知れない。

 第三新東京市に近づきにつれ増していく、軍人と兵器の量と相まって、不安と焦燥が際限なく膨れ上がっていくのがわかった。

 だが、そんなものは全て吹き飛んだ。

 あまりにも馬鹿馬鹿しい光景。非常識すぎるそれは、思わず自分の正気を疑ってしまったほどだ。

 あれが、第三新東京市に浮かぶあれが、自分の呼ばれたのと関わりのないこと。

 ――なんてはずがないに決まっている。

 今すぐここから立ち去りたいのを、第二新東京にいるマナ達を思い出し我慢する。

「……逃げちゃダメだ。……か」

 ふと、昔の口癖が零れでた。






魔鏡

第弐話

presented by 剣牙虎様







 ネルフ本部の中には、ケージと呼ばれている広い空間がある。

 そこには、エヴァンゲリオンと呼ばれる巨大な人型の物体が、紅い水に浸かるようにいた。

 福音と呼ぶには抵抗を感じさせる凶悪な外見をしたエヴァンゲリオンは、いるだけで強い圧迫感を感じさせ、その空間がケージと 呼ばれているのを納得させた。

 ケージで、紫色のエヴァンゲリオンを見つめる葛城ミサトの顔色は優れない。

 日本人女性の平均を上回るスタイルと美貌をもった彼女は、ネルフ本部戦術作戦部作戦局第一課課長であり、ネルフの存在理由の一つにして 切り札でもあるエヴァンゲリオンの作戦指揮を担当する作戦本部長も兼任していた。

 彼女の兼任している役職、作戦本部長はネルフの存在意義ともいうべき対使徒戦の指揮官だ。29歳の若さと一尉という階級の低さで こなさなくてはならないことが、彼女を思考の海に溺れさせている原因である。

 ――という訳ではない。

 使徒の襲来が起きるまでは、実績というモノがなかったことから悩まされてはいた。

 だが、使徒が襲来し、その撃退に二度成功したことにより作戦本部長としての実績は作られ、異議を申し立てる声は当初に比べ格段に 小さくなっている。失敗の許されない立場とはいえ、今の彼女が顔色悪くさせる程の問題ではない。

 ならば、何が原因なのか?

 それは、彼女の人としての、軍人としての良心が認めることのできない茶番劇を、演じなければならないからである。

 認めることができないならば、反対すればいい。それこそ、職を賭してでも。

 だが、彼女にはそれができない。彼女の最大の目的には、作戦本部長という立場が最適だから。

 本来ならば、たいして悩むことなく反対しているはずの事柄を、無理矢理に良識を押さえ封じ込みながら、積極的に推進しなければ ならないのだ。

 心の平衡を保つためにも、自分を誤魔化さなければならなかった。屁理屈だろうが、言い訳だろうが、自分を弁護し、自己正当化する 必要があった。

 顔から血の気を失っているのが、どこかで欺瞞なのだと気付いているからだとしても。

「――ミサト」

 聞き慣れた声がミサトを呼んだ。自分の世界に入り込んでいたミサトは、その声に意識を取り戻した。

 振り返ると、同僚で大学からの付き合いでもある、赤木リツコがいた。

 リツコは、技術開発部技術局一課所属E計画責任者。その役職は、平時でのエヴァンゲリオンに関する最高責任者といっても過言では ない。その上、ネルフの脳髄とも言うべき第七世代有機コンピュータMAGIの実質的な管理者と言うべきマギシステム保守責任者 でもある。

「あまり思い詰めない方が良いわ」

 いつもの冷静沈着な顔のリツコだが、その声にはどこかミサトを心配するような響きがあった。

「…………」

「仕方がない事。それは、貴女も解っているでしょう」

 言い含める様にリツコは言った。

「でも!」

 何かを耐えるように床を睨むミサトが叫ぶと、リツコは音を立てずに笑った。

「言いたいことは解るけど、私達には手段を選んでる余裕なんてないの。大を救うために小を切り捨てる。世界を再びあの地獄にしないため にも、やらなければならない事なのよ」

 先程の自己欺瞞に苦しむミサトによく似た雰囲気を纏いながら、リツコは確かに笑っていた。

 だが、手を握りしめ俯いていたミサトには、暗く澱んだ目で何かを嘲笑うリツコを見ることができなかった。









 ここまで案内してきた黒服が扉の前で止まると、シンジの方を向く。

「――ここだ」

 扉の向こうに自分を捨てた父がいる。そう思うと、自然と手にしているパンフレットに力が籠もった。

 あまりにも自然に手に力が入ったことに、シンジは苦笑した。随分前に両親のことは自分の中で決着を付け、吹っ切っている。

「はずだったんだけどなぁ」

 溜め息と一緒に小さく呟いた。

 想像もしていなかった感情に気を取られていると、視界に光が飛び込んできた。

 突然のことに、シンジが目を細め、明かりに慣れようとしていると、

「初めまして、碇シンジ君。私は葛城ミサト。作戦本部長をしているわ」

「赤木リツコよ。技術開発部E計画責任者をしているわ。これからよろしく、碇シンジ君」

 ネルフの制服らしい物を来た女性と、白衣を身に纏った金髪の女性が挨拶をしてきた。

「碇シンジです。……父はいないようですが?」

 周りを見るが、父の姿はない。この二人が黒服に替わり、案内をしてくれるのか尋ねようとするが、明かりに慣れた目が見た光景に 絶句した。

「……なっ!」

 開けた視界に入り込んできたモノは、底冷えするような威圧感を持った紫色の巨大な鬼。

「これは人の造り出した究極の汎用人型決戦兵器人造人間EVANGELION初号機。人類の使徒に対する最後の切り札となる 存在よ」

「使徒?」

 リツコが言った兵器というには、あまりに生々しい雰囲気を持った目の前のモノに、シンジは圧倒されながら尋ねた。

「人類に敵対し、三度目のインパクトを起こす存在。シンジ君も、ここに来る途中で見たはずよ」

「……あの巨大な青いヤツですか?」

 リツコは肯いた。

「――シンジ君」

 呆然と初号機を見ていたシンジは、彼を呼んだ女性、葛城ミサトの方を向いた。

「貴方に、エヴァンゲリオン初号機のパイロットになって貰いたいの」

「……僕が、ですか?」

「ええ」

「冗談……ですよね?」

「冗談ではない。お前が乗るのだ」

 声がした方向を、弾かれたようにシンジは見た。

 初号機の後方上部に位置する調整室に立つ男に、微かに覚えている父ゲンドウの姿が重なる。

「……父さん」

「赤木博士から説明を受けろ」

 ゲンドウの声には、長い間会っていなかった息子に対する情はもちろん、なんの感慨も含まれていない。

「なに言ってんだよ! 人を無理矢理連れてきて、いきなり訳のわからないことを……!」

「お前は、エヴァンゲリオン初号機のパイロット、サードチルドレンとして選ばれたのだ。初号機に乗り、使徒を滅ぼす義務がある」

「義務だと……母さんが死んだ後、僕を捨てて逃げたアンタが、勝手なことを言うな!」

 淡々と話すゲンドウとは対照的に、シンジの目は血走り、声は怒りで震えていた。

「もう一度言う。お前は、エヴァンゲリオン初号機パイロットサードチルドレン”碇シンジ”だ」

 見知らぬ親戚に捨てるように預け、母の命日に会おうとも顔を見ることもせず立ち去り、部下を使い無理矢理連れ込み、挙げ句の果てには 人類の切り札のパイロットとして戦うよう命令された。

 父ゲンドウのやること全てが、自分の意思を無視していた。

 傲然と見下ろすゲンドウを、シンジは一歩も引かずに怒りと拒否をこめて睨んだ。

 どちらも反らすことなく続けられていた睨み合いは、ゲンドウがリツコとミサトに視線を移したことで一端終わった。

「…………」

 ゲンドウの視線に、ミサトは悲痛な表情を浮かべるが、次の瞬間には何事もなかったかのように引き締まった顔をしていた。

「碇シンジ君」

「なんです?」

 シンジは意思をこめた目を、ゲンドウからミサトへ移す。

「国際連合直轄非公開組織特務機関ネルフは、碇シンジをエヴァンゲリオンパイロットサードチルドレンとして任命します」

「何を……」

「拒否は認められません。これは決定事項です」

 有無を言わせないミサトに、シンジは動揺しながらも、反論しようとするが。

「黙って受け入れた方が良いわよ」

 凍えるような声に機先を制された。

「貴方がサードチルドレンだと言うことは、すぐに知れ渡るわ。いえ、組織によっては、もう知っているかも知れないわね。
 それに、戦わなかったとしても、サードチルドレンという事実は無くなりはしない」

 リツコは冷たい目でシンジを見据えた。

「ネルフとしては、チルドレンを他の組織から守り通したい。だけど、サードチルドレンはネルフの一員でないどころか、非協力的。
 ……困ったわね。貴方の命が危機にさらされているのに、指をくわえているしかないみたいよ?」

 嘲るように、リツコは冷たい笑みを浮かべた。

「人を勝手に巻き込んだうえに、脅迫か!」

「私は事実を教えてあげただけ。人聞きの悪いことを言うものじゃないわ……」

「ふざけるな!!」

 薄く笑うリツコに、シンジが飛びかかった。

 だが、拳がリツコの顔に届く前に、ミサトが防いだ。

 腕を捻り上げながら、床に押さえつけられるシンジを、リツコは見下ろし、

「もう一つ教えてあげるわ。危険なのは貴方だけじゃないの、親しい人も巻き込まれるかも知れないわね。
 たとえば、実の親のように慕う人達とか、幼なじみの女の子とか」

「マナ達に何する気だ!」

 ミサトに間接を決められた腕が鈍い音を立てるが、シンジは狂ったように暴れる。

「別に私達は何もしないわ」

 言外に「他の連中のことまでは知らない」と、リツコが言っているのは、だれにでも解ることだ。

 当然、シンジにもそれは伝わっていた。

「…………」

 無言で見下ろすリツコに向けられたシンジの目は、視線で人が殺せるかも知れないと思わせる程のものだった。

 シンジの前に立ち見下ろしていたリツコはしゃがむと、目線の高さをシンジとほぼ同じ所まで近づけた。

「シンジ君が、サードチルドレンとしての立場を受け入れてエヴァに乗ってくれるなら、チルドレンの精神安定という名目で、マナさんだった かしら? その子や、貴方が望む人達を、ネルフは護衛することが出来るわ」

 同じ目線で優しく諭すように、シンジへ語りかけるリツコ。その口元は微笑んでさえいた。

 シンジの口から、耳に残る歯を噛みしめる音が、漏れる。

「……何をすればいい」

「私は、数あるうちの方法の一つを提示してるだけ。シンジ君が無理してまで受ける必要はないわよ」

「僕は、サードチルドレンとして、何を、すれば、宜しいのでしょうか」

 耐えるように、一言一言話したシンジの唇は、本人さえも気付かぬうちに噛み切られ、赤い血が止まることなく流れ落ちていた。









 夜の二子山を彩る明かりの中、先程初号機の起動実験をすまし、基本的な動作訓練を終えたばかりのシンジは、気怠そうに周りを 見回す。

 周囲には山道を埋め尽くすような無数の車両と、必死の表情で仕事をしているネルフの職員が見えた。

 彼らは、山に遮られて今は見えない幾何学的な形状の使徒に勝つため、休むことなく動いている。

 人類を守るために、寝る間も惜しみ働くネルフの職員。

 だがシンジには、彼らが、自分を戦場へ送り出す道先案内人にしか見えなかった。

 何も知らない十四歳の少年が、戦場に立つことを当然だと思っている集団。人類を守るためならば、如何なる手段であろうが許されると 思っている集団。

 ――それが、ネルフ。

 ネルフに対する、シンジの基本的な認識はそう言うものだった。

 そして今、戦場という地獄に引きずり込んだ悪魔とも言うべき者たちが、仮設基地の扉を開けたシンジの目に入った。

 気怠そうだったシンジの目に生気が戻り、憎悪の炎がちらつき始める。

 シンジにとって、作戦を説明するためにあるのだろうスクリーンの前にいるミサトとリツコは、孤独から救ってくれたマナと、実の子の ように愛してくれる霧島夫妻という、掛け替えのない存在を巻き込み危険に晒そうとする忌むべき者達であり、明確な敵だった。

「シンジ君、そこにいる子はエヴァンゲリオン零号機パイロットのファーストチルドレン綾波レイ、貴方の同僚よ」

 ミサトの紹介した少女は綺麗だった。蒼銀の髪、真紅の瞳、透き通るような白い肌、特徴的なそれらが彼女のもつ淡い雰囲気と相まって 幻想的でさえあった。

「碇シンジです。よろしく」

「……綾波レイ」

 言葉少ない彼女は存在感があまりにも希薄で、シンジは思わず右手を出していた。

「なに?」

「握手よ。シンジ君はレイと仲良くしたいんだって」

 にやにやと事態を楽しみながら説明するミサト。

「……わかったわ」

 ほんの少しの間考えると、レイはシンジの手を握った。

「よ、よろしく、綾波さん」

「ええ」

 これから戦争をするとは思えない、二人の微笑ましい様子を見るミサトの顔は暖かいものだったが、暫くすると何かに耐えられなく なったのか沈痛そうな表情で俯いた。

「もう良いかしら?」

「あ、はい」

「本部でもう聞いたでしょうけど、確認のためにもう一度説明するわ」

 そう言うと、リツコは手元を操作しスクリーンに画像を映し出す。

「これが今回の使徒。強力な加粒子砲と、相転移空間を肉眼で確認出来る程強力なATフィールドを展開するわ」

 スクリーンに、加粒子砲で破壊されるダミーバルーンと、こちらの攻撃を防ぐ時に発生したATフィールドが写し出された。

「そしてこれが今回使用する戦自研から借りてきたポジトロンライフル。急遽エヴァでも扱えるように改良したものだから、耐久性は たいして無いと思っておいて」

 続いてポジトロンライフルの映像が映り、リツコは使用上の注意を説明していく。

「最後にこの盾。これも急造だけど、元はSSTOの底部に使われていたものに、電磁コーティングをしたものよ。これなら敵の砲撃にも ある程度は耐えられるわ」

 そこまで説明すると、リツコに変わりミサトがスクリーンの前に来た。

 ミサトが操作をすると、スクリーンには今回の作戦内容が表示された。

「本作戦における各担当を伝達します。シンジ君が防御を担当。レイは砲手を担当よ。
 この振り分けは、今作戦ではより精度の高いオペレーションが必要となるから、エヴァと銃器の扱いに慣れたレイが砲手に 決められたの」

「僕はどうすれば良いんですか?」

 震える膝を押さえたシンジが、ミサトに尋ねた。

 シンジの青ざめた顔から逃れるように、ミサトは目を背けながら答える。

「レイの射撃がはずれたときの備えがシンジ君の役目よ」

「……詳しくお願いします」

「ポジトロンライフルは性質上、一度発射すると冷却や再充電ヒューズの交換などで、次に撃てるまで時間がかかるの、 シンジ君には……」

「使徒が加粒子砲を撃ったとき、盾と自分の身でその時間を稼ぐ役目ですか」

 説明するミサトを遮り、シンジは震える体を抱きしめながら、力無く話した。

 紙のように白い顔になったシンジの唇は紫に変色しており、そこから紡がれた内容に、ミサトはシンジから目だけではなく顔ごと 背けた。

 ジッと、顔を背けたミサトを見つめるシンジ。血の気の失せた顔に存在する、唯一血が集まっている充血した目を、シンジは無言で ミサトに向け続けている。

 誰も動くことのできないこの異様な雰囲気は、ミサトがシンジの顔を直視しながら肯くまで続いた。






To be continued...


(あとがき)

 サキエルファン、シャムシェルファンの方々(いるのか?)彼らは出てきません。既に遠いお星様になっています。

 という訳で、いきなりラミエル戦です。

 ちょっち妙な場面で終わった感じですが、参話はお月様とお星様の下でのシンジとレイの語らいの後バトルって感じなので、ちょうど 二話でおわるしここで止めても良いかな〜って思って、止めちゃいました。

 さて、本題ですが。魔鏡第弐話如何でしたでしょう?

 原作よりも手段を問わない(原作も結構酷いもんだけど)ネルフの皆さん(主にゲンドウ君)。

 原作よりも早々に深く悩んじゃってる(そう書いたつもりなんだけど)ミサトさん。

 オマケにシンジはネルフを敵扱い。

 原作最後の方のくら〜いシリアスが、早速と降臨しています。受け入れてもらえるんでしょうか? この話。ちょっと心配ですわ。

 文章力が未熟きわまりないですが、良ければ参話も読んで下さい。がんばりますんで。

 剣牙虎でした。ではまた。



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