第三新東京市から灯火が消えていく。

 地上の光が失われるに連れ、満点の星々が自らを誇示し始める。

 勢力を増していく天空の輝きの中でも、満月は他を圧倒していた。

 その光景は、第三新東京市のみではなく、日本中で起こっていることだった。

 ――ヤシマ作戦

 これまでに二度戦った生物状の使徒達とは違い、クリスタルのような外見の非生物的な今回の使徒は、攻撃防御共に以前の使徒達とは段違いの 力を備えていた。

 エヴァのATフィールドと特殊装甲をも打ち破る威力と正確な射撃精度の加粒子砲と、相転移空間が肉眼で確認出来る程強固な ATフィールドという能力。

 葛城ミサトが空中要塞と表現した使徒に勝つために練られた作戦の名称である。

 その内容は、敵の防御を打ち破る威力と長距離射程をもった武器による攻撃という、単純かつ強引なものだった。

 弓より銃、銃より大砲、大砲より航空機、航空機より弾道弾、敵を上回る射程という戦争の歴史にも合致した作戦だったが、 実行するのは簡単ではなかった。

 まずネルフには、目的を達成できるだけの性能を持った武器がなかった。

 ――他の組織から武器を徴発することで、それはクリアできた。

 ネルフには、目的を達成するだけの武器に必要なエネルギーがなかった。

 ――日本中からかき集めることで、どうにかできた。

 今、地上から明かりが失われているのは、これから実行されるヤシマ作戦によるものだった。






魔鏡

第参話

presented by 剣牙虎様







 周りから光が失われていく。それが示す事実に、シンジの震えが増していった。

 昨日までマナ達と普通に暮らしていたのに、今の状況はなんなのだろう? なんで、訳のわからないモノと命を懸けて戦わなきゃ いけないんだ?

 ――わけがわからない。

 恐怖でシンジは混乱に陥っていた。怯えた目で忙しなく周囲を見回し、ほんの僅かでも気が紛らわすことができる何かを探す。

 だが、シンジの周りには何もありはしなかった。

 集中するパイロットの邪魔をしてはならないと、ネルフが気を回しているのだから当然の事だ。

 目立った物は何も無く、話しかける相手もいない。それでも、震える体を抱きしめ、キョロキョロと忙しなく何かを探す。

 それを繰り返しているシンジは、恐怖と混乱を際限なく増やしていた。

 セカンドインパクトから十五年。復興が順調にいっている国々では、当然のことながら治安も回復してきている。

 インパクトから数年の間存在していた、世界規模での地獄のような暮らしも、少なくとも日本では見られなくなっていた。

 シンジはそんな中で暮らしている少年の一人だ。命の遣り取りを前提にした戦い、いわゆる殺し合いなど知っているはずがない。

 そんな少年が突然、死ぬかも知れない戦いになんの前触れもなく放り込まれたら……。

 戦闘が起きるまでの間、誰かが気を紛らわせるならまだしも、シンジの周りには誰もいなかい。理不尽に命を失う恐怖を、長い時間を掛けて 味わう普通の少年。

 ネルフは、その事の大きさにまるで気付いていなかった。

 これから起きる戦闘をイヤでも思い起こさせるエヴァを視界に入れないように、周りを見回していたシンジの目に月の光に照らされ ながら歩く綾波レイの姿が入った。

 恐怖を少しの間でも忘れれるかも知れない相手の出現に、シンジは急いで立ち上がると、震える足で必死にレイの元へと向かう。

 エヴァのあるシンジの方へと歩くレイ。少しでも早く人と接したいがために、レイへと歩くシンジ。二人がは同じ方向に歩いていた。当然、 二人がそのまま歩き続ければ接触することになる。

 そして歩き続ける二人がぶつかりそうな距離になったとき、レイはシンジの横を通るように位置をずらそうとした。

 普段なら絶対にしないだろうし、性格的にできないだろう。

「あ、綾波さん……」

 シンジはレイの名を呼びながら、縋り付いた。

「…………」

 人の体の温もりに、シンジの何かが壊れた。

 縋り付いたまま崩れ落ちたシンジは、感情のままに泣き、全て吐き出していく。

「怖いよ、死にたくないよぉ……なんで僕がしなきゃならないんだ……いやだぁ……」

 崩れ落ち地面に膝をついているシンジはレイの腹部に頭を当てながら、一心不乱に泣いていた。

 怯える幼子のように泣きじゃくっているシンジの頭を、暖かい何かが包み込んだ。

 温もりを頭に感じた瞬間、シンジは一瞬驚いたように泣くのを止めたが、すぐにその温もりに溺れるように静かに泣き始めた。

「…………」

 これまでとは違う、安心しているような泣き声の響く中、時間が過ぎていった。

「……貴方は何故エヴァに乗るの?」

 泣き声も収まり始めた頃、レイは小さな声で聞いた。

「……僕は、乗るのが怖い。使徒なんかと戦いたくない。今すぐにでも逃げ出したい。……けど、やらないと、大切な人達がどうなるか わからないんだ。だから僕は、乗らなくちゃいけないんだ」

 そう言い終えると、レイの腹部に当てていた頭を離し、満月の下、幻想的な紅い眼を見つめながら、シンジは尋ねる。

「綾波さんは何故エヴァに乗っているの?」

「……私にはエヴァに乗ることしか、残っていない。絆の無くなった私には、他に何も無いもの」

 手の届かなくなった何かを見ているような、どこか寂しそうなレイの紅い眼。

 なぜかシンジには、レイの感じている思いが、理解できた様な気がした。

 それは、父に捨てられた頃、両親といる子供を見るたびに感じていたものと、同じに見えたから。

 だからかも知れない。

 シンジは立ち上がると、レイの眼を真正面から見つめる。

「たとえ、大事な何かを無くしても……もう一度、手に入れることができるかも知れないじゃないか。
 ――失ってしまったのと、同じぐらい大切なモノをさ」

 彼女には僕が何を言っているのか、わからないかも知れない。見当違いなことを話そうとしているのかも知れない。

 だけど、言わずにはいられない。

 僕が、マナと出会えたように、彼女もいつか手に入れることができるかも知れないから。

 ――だから。

「綾波さんだけで見つけられないのなら、僕も手伝う。そんな風に考えなくて良いように、手伝う。
 だから、エヴァに乗ることしかないなんて、何もないなんて、そんなこと、言うなよ……」

 決意をこめ話し出したシンジだったが、感情が高ぶりだすと、言葉も途切れ途切れになり、泣きはらしていた目にも再び 涙が溢れ出した。

 そんなシンジを、無言で見つめる、レイ。だがその目は、動揺を示すかのように、揺れ動いていた。

 静寂が二人を包む中、作戦開始を告げるアラーム音が鳴り響いた。

「時間よ、行きましょ……」

 そっとシンジから視線を外すと、レイはエヴァへと向かった。

 月の光を浴びながら歩くレイは、煌めく蒼銀の髪が幻想的で、透き通る様な白い肌がどこか切なかった。

 そんなレイの歩いていく後ろ姿に、初めて会った時と同じ切なさを感じたシンジは、思わず声を掛けた。

「綾波さん!」

「……なに?」

「……あ、あの。また、また後でね!」

 クルッと振り向いたレイに、驚いたシンジは、巧いこと動揺を隠すことは出来ず、しどろもどろだったがどうにか答える事が出来た。

「――ええ」

 そんなシンジに、クスリとも笑わず、レイは軽く肯くと、再びエヴァの下へと向かい歩き始めた。









 ヤシマ作戦開始時刻は午前零時。タイムリミットまで後わずかという事もあり、移動作戦指揮車では緊張感が時が経つごとに 高まっていた。

「――シンジ君、レイ、もう少しで作戦開始の時刻よ。二人とも準備は良いかしら?」

「問題ありません」

 レイの淡々とした返事はあるものの、シンジからは何も来ない。

「シンジ君! 聞こえてるの!? シンジ君!」

 整った眉を顰めて怒鳴る、ミサト。その声量に驚いたように、シンジは周囲を軽く見まわすと。

「あ……あ、は、はい! 聞こえています」

「――なら、いいわ」

 不測の事態かと焦ったものの、緊張しているのだとわかり、ミサトは安堵の溜め息を漏らした。

 その時、視界の端に、俯いている童顔の女性が映る。

 オペレーター席で俯いている女性は、リツコ直属の部下である、伊吹マヤ二尉だった。

 露骨にならないように、そっとマヤの顔を窺うと、彼女は目を伏せ何かに耐えているようであった。

 そんなマヤの様子に、思う所があったミサトは、周囲を見回した。

 ――ミサトの予想は当たっていた。

 ミサトの部下である、日向マコト二尉を始め、ほとんどの者たちが憂いに満ちた表情をしていたのだ。

 仕方ないと言えば、仕方ない。当然と言えば、至極当然のことだった。

 なにせ、碇シンジという、何も知らない十四歳の少年を、何の訓練も無しに戦闘に出しているのだから。

 ただでさえ、綾波レイという十四歳の少女に任せて戦っていた事で、大人として不甲斐なさや罪悪感を感じていたのだ。その上での、 今回の出来事。

 思う所があって、当然なのだ。

「シャキッとしなさい! そんなんでどうすんの!」

 ゆっくりと、一人一人を睨むように、周りを見回す。

「子供達を戦わせてんのよ、最善を尽くすことが最低限の義務ってもんでしょうが!」

 そう言うと、マヤ達は何かに気付いたように、目に力がこもった。

 集中しだした、マコトやマヤ達にミサトは満足するが、スクリーンのシンジを見ると暗澹たる気分になってしまう。

 自分の意思で戦うレイや、ドイツのセカンドチルドレンとは違い、目の前のシンジは無理矢理乗せたのだ。

 仕方がなかったとはいえ、あの脅迫はやりすぎではなかったのか?

 あれ以来、シンジは自分やリツコは勿論、ネルフの職員達にも、敵意と憎悪の籠もった視線を向けている。

 彼にとっては、ネルフというものが敵なのだ。……使徒ではなく。

「……シンジ君。何か問題はないかしら?」

「別にありません」

 素っ気ない言葉。だが、その目はこちらを射抜くようだった。

「……そう」

 自分のやっていることに、忸怩たるものを感じながらも、退くことは出来ない。

 目蓋を降ろし、ただ時が過ぎるのを待つ。

 午前零時を告げる、アナウンスが響いた。

「レイ、日本中のエネルギー、あなたに預けるわ。頑張ってね!」









「はい」

 気負いも衒いもない淡々とした、レイの声。

「第一次接続開始!」

「第1から第803間区まで送電開始」

「冷却システム異常なし」

「陽電子流入順調」

「第二次接続開始!」

「全加速器運転開始」

「強制収束器運転開始」

「全電力、双子山仮設変電所へ!」

「第三次接続問題なし!」

「最終案全装置、解除」

「撃鉄、起こせ!」

 順調に進んでいっている様子に、ほっと胸をなで下ろす、シンジ。

「第七次最終接続!全エネルギー、ポジトロンライフルへ!」

 その声を合図に、カウントダウンが始まる。

「9……8……」

「うまくいって……!」

 シンクロしたエヴァから伝わる盾の感触。使わないですむことを祈りながら、数が進むのを待ち続ける。

「7……6……5……」

「目標内部に高エネルギー反応!」

 マヤの叫び声に、シンジは思わず盾を構えた。

「なんですって!」

 不測の事態が起こったことがイヤでもわかる、ミサトとリツコの声に、盾を持つ手に自然と力が籠もる。

 恐怖に包まれていると、強い白い光が隣で光った。

 零号機が放ったポジトロンライフルの一撃は、使徒目がけ伸びるが、湖の上で使徒の放った加粒子砲と交差する。

 互いに干渉し合った光撃は、螺旋を描きつつ目標へと突き進んだ。

 市街地と二子山に着弾すると、閃光と共に衝撃波が周囲を襲った。

「う、うわぁ……!」

 恐る恐る周りを見回すと、衝撃波に煽られたネルフの車両があちらこちらにあった。

 口元にうっすらと笑みが浮かぶ。

 粘り着くような、黒い喜びが、シンジの心に湧き上がった。

「第二射!急いで!」

 焦り、叫ぶ、ミサトの声も、今のシンジにとっては最高の歌に等しい。

「はっ!」

 口元がハッキリと歪んだ。

「目標に高エネルギー反応!」

「やばい!?」

 使徒が光った。

 瞬間、何故か、体が自然と動いた。

 迫り来る、白撃。気付けば、その前にいた。

「シンジ君!?」

 女性に呼ばれたような気がした。

 盾が赤く輝き出す。

 ドロリと、飴細工のように溶けていくのが、見える。

「盾がもたない!」

「まだなの!?」

「ははっ!」

 どこからか聞こえる女性の声に、暗い笑い漏れた。

 そして、何故かゆっくりと、コマ送りでもしているかのように、盾を突き抜けた白い光線が、一瞬ごとにこちらへ向かって来る。

「あははははっ!」

 胸が熱い。焼けるようで、燃えるようで、とても面白い。笑いがこみ上げてくる。なんだかとっても楽しかった。









「あははははっ!」

 人を写さなくなってしまったスクリーンから笑い声が響いている。作戦指揮車には、楽しそうな笑い声が響いていた。

「ま、まだなの!?」

 顔を真っ青にしたミサトは、笑い声を掻き消そうとでもするような大声で、

「第二射は! まだなの!?」

 泣いているような震えた大声で、怒鳴った。









 愉快で。爽快で。痛快。

 耳に入った声が、心地よかった。

 胸を燃やすような何かは、いまでは全身に行き渡っている。

 そして、それも、心地良い。

「はっ! はははははぁ!」

 口から出るのは、笑い声。目に見えるのは、真っ赤で真っ黒で暗い世界。鼻には、つーんとした臭い。

 なんでか、歯の根が合わなくなってきた。笑い声も、途切れ途切れで変な声になってきた。

 それが、またおかしい。頭が溶けそうなのも、またおかしかった。









 零号機による使徒殲滅が成功したはずだというのに、作戦指揮車の者たちは一歩も動くことが出来ずにいた。

 全員、スクリーンを恐怖に引きつった顔で見ていた。

「亜ぁ……把っ! 破ハ……」

 すでに、スクリーンから聞こえる声は、笑い声にもなっていない。

 ただ、響く、異様な声。忘れることが出来そうにない、声。

 だがそれも、徐々に、少しずつ、小さくなっていく。

 暫くすると、スクリーンからは何も聞こえなくなった。

 痛いような静寂の中、シンクロ率を示すコンソールがただ赤く光っていた。






To be continued...


(あとがき)

 ども〜、剣牙虎で〜す。魔鏡第参話、如何でしたでしょうか?

 書いてるうちに変なテンションになっちゃって、も〜、最後の方はシンジ君がえらいことになってしまいましたよ。

 ホントは最初の実戦で洒落にならない恐怖。と言うことで、オシッコ漏らしちゃうようなビビリ方にしようかと思ったんです けどね〜。

 気付いたら、恐怖通り越して、壊れてしまいました。

 これが俗に言う、新兵がよくかかる病気、でしょうか? ――全然違いうし。

 他にも、綾波さんとシンジ君の絡みがどうも妙な方向に行ってるしさぁ。SSって、ホント難しいね〜。

 大まかなプロットだけきちっと書いて、細かな話は思いつきのメモ程度。てな、感じで書いてんですけど。気付いたら、 大まかには筋通りだけど、細いとこはなんだか凄いことに。細いとこも、プロット練った方が良いんですかね?

 他の人って、どうなんでしょうね。

 なんか愚痴っぽくなった、後書きでしたが、第肆話も読んで下さい。武士の如く、一所懸命がんばりますんで。では、また。



作者(剣牙虎様)へのご意見、ご感想は、メール または 感想掲示板 まで