暁の堕天使

聖杯戦争編

第十二話

presented by 紫雲様


2月12日、衛宮邸、朝―
 トントントントントン・・・
 リズミカルな物音に、美綴綾子は目を覚ました。携帯電話にメールでも入ったのだろうかと寝惚け眼を擦りながら確認する。だがメールは来ていなかった。
 いまいちハッキリしない意識に首を傾げながら、グルッと周囲を見回す。そこにはキチンと布団の中に体を入れて眠っている鐘と、布団を蹴り飛ばしている由紀香と、隣に寝ていたイリヤにしがみついて眠っている楓の姿があった。
 由紀香の意外な寝相の悪さに、驚きを覚えつつ、記憶を辿っていく。
 その内、だんだんと思いだしてきた。
 病院での一件の後、帰宅時間が遅れた彼女達は、結局士郎の好意に甘えて泊っていく事にしたのである。
 女性陣は居間に、一成は客間にと寝る場所を提供され、そのまま眠りについた事を思い出す。
 そこで、脳裏にクエスチョンマークが閃いた。
 イリヤには衛宮邸に自分の部屋がある、だから本来なら自分の部屋で眠れば良いのだが、昨日だけは違った。『修学旅行みたいに、みんなで眠ろうぜ』とお誘いを受けたイリヤの希望で、彼女はここで眠った。
イリヤが士郎にとって、義理の妹であるという説明には綾子達も驚いたものの、イリヤの士郎への懐き様を見れば十分に納得できた。
問題なのは、凛・ルヴィア・ライダーである。
綾子は、凛達に個室が用意されている事を知らなかった。夜遅くまで魔術の修業を行っていると言う説明は聞いていたものの、今更になって凛達はどこで眠っているんだ?と疑問を持ったのである。
その時、廊下を歩く音が聞こえてきた。ちょうど良いやとばかりに、綾子がガラッと衾を開ける。
「おはよう、言峰」
「おはよう、美綴さん。もう少し寝ててもいいよ。まだ朝ご飯できてないから」
「おはようの次がそれかよ。こんなに可愛い女の子の艶姿を見て、感想の一つもないのかい?」
そう言われて、改めて綾子を上から下まで見直すシンジ。
「・・・別に普通じゃないの?ボタンが外れて、中身が見えてる訳じゃないんだから」
「そういう返事を聞きたい訳じゃなかったんだけどね。まあ、いいや。それより遠坂達は知らないか?」
「遠坂さんなら自分の部屋じゃないかな?まだ寝てると思うよ。低血圧が酷いみたいだから」
そんなお喋りをしていると、部屋の中から複数の起きる気配がしてきた。
「・・・美綴か・・・何、お喋りしてるんだよ・・・」
「蒔寺。一応、前ぐらい隠しておけよ」
「は?別にいいだろ、女しかいないんだからよ」
そう言った楓の目が、次の瞬間、点になった。
彼女の目の前には、エプロン姿のシンジが、1つしかない目で楓を正面から見ていたからである。
「・・・な、なななな!」
「おはよう、蒔寺さん。一応僕もいるから、前の膨らみぐらい隠してくれると嬉しいんだけど」
「●☆▲□×!」
奇声を上げて布団に潜りこむ楓。鐘が枕もとの眼鏡をかけながら、周囲の様子を探る。
「・・・おはよう、言峰。それはともかく、女性の寝姿を見るのは、あまり良い趣味とは思えんが?」
「いきなり御挨拶だね。僕は廊下を歩いていただけだよ。それにこう言っては何だけど、単なる寝起き姿だけなら、見慣れているから何とも思わないよ」
「ほほう?詳しく聞かせてもらおうじゃないか、君の華麗な女性遍歴を」
「そんな艶のある話じゃないよ。スタイルの良い29歳の保護者が、黒のレースの下着姿で室内歩き回ったり、もう1人の同居人がバスタオル1枚で闊歩してくれたりしたから、見慣れちゃっただけだよ」
布団の中ですすり泣く楓を慰めるイリヤ。その姿を眼の端に捉えつつ、楓と綾子が同時にため息をつく。
「哀れだな、蒔の字。情欲の対象にすらならんとは」
「というか、単なる脂肪の塊扱いだったな。さすがに同情するぞ」
「・・・何か僕、間違えた?」
「「いや」」
「それなら良いんだけど・・・それじゃあ、僕は朝ご飯の準備してるから、7時までに布団上げておいてね、頼んだよ」
衾を閉め、立ち去るシンジ。楓のすすり泣く気配は止む気配は見せず、由紀香は未だに眠り続けている。
「とりあえず、顔だけでも洗いにいくか?」
「そうだな。さすがに寝直す気にはなれん」

朝食の時間、居間―
 布団を片付け、顔も洗い、身嗜みを整えた一同は、シンジが作った朝食の配膳をしていた。そこへ一成・ランサー・ライダーが姿を現す。
 「よう、おはようさん。良い匂いだな、マスター」
 「たくさんあるからね。全部、食べてくれていいよ」
 未だにショックから立ち直れない楓をのぞき、全員でテキパキと準備を進めていく。そこでふと、イリヤが声をあげた。
 「シンジ、私シロウ起こしてくるね」
 「そっか、じゃあよろしくね」
 「うん、任せて!」
 トテトテと廊下を歩いていくイリヤ。やがて準備が整え終わった所で、イリヤが戻ってきた。
 「あれ、士郎は?」
 「揺すっても起きてくれないのよ」
 「はあ?しょうがない、私が起こしてきてやるよ。イリヤ、部屋を教えてくれる?」
 「いいわ、こっちよ」
 綾子とともに姿を消すイリヤ。次の瞬間、綾子の絶叫が響き、さらにドタドタと大きな音を立てて綾子が居間へと駆けもどってくる。
 「ど、どうしたの?」
 「ななな、何でもない!」
 「何でもない訳ないでしょ。いいよ、僕が起こしてくる」
 立ち上がったシンジの裾を、綾子が咄嗟に掴んで引きとめる。
 「ダメだ!言峰、お前は行っちゃダメだ!」
 「はあ?別に士郎が裸で寝ていたとしても、僕は平気だけど」
 「衛宮だけなら止めたりしないよ!・・・あ」
 シーンとなる居間。不思議そうに見上げてくるイリヤにどう説明するべきか悩むライダー。その近くでは、ランサーがクックックと笑い声を上げている。一成は般若心経を唱え出し、鐘は眼鏡をかけ直す。由紀香はキョトンとした表情のまま、楓の面倒をみる事で忙しい。
 「はあ、そういう事ね。多分、もう一人は遠坂さんか。それじゃあ、起こしに行くのはマズイな。とりあえずルヴィアさんだけ起こしてくるよ」
 「ダメだ!言峰!」
 「・・・ひょっとして?」
 真っ赤になりながら、躊躇いがちにコクンと頷く綾子。ランサーが堪え切れずに大爆笑する。
 「士郎・・・」
 「そりゃあ、疲れて起きてこれんだろうよ。マスター、寝かしておいてやりな」
 「だね、それじゃあ先に食べてようか」
 
正午、居間―
 昼食が並ぶ中、そこには見慣れぬ物体が転がっていた。
 その物体とは、全身をガンドで撃ちすえられた士郎とシンジである。
 何故、こうなったのか?
遡る事1時間ほど前、歩きづらそうな凛とルヴィアは、起きてくるなり好奇の視線と歓声に晒された。それが意味する所に気付くなり、2人は羞恥心から暴走。後ろにいた士郎目がけてガンドの嵐を放ったのである。
 瞬く間にミイラ男となった士郎。だが悲劇はこれだけでは終わらなかった。
 冗談交じりに、シンジが昼食で作ったご飯は御赤飯である。これに凛が過敏に反応し、再び暴走。綾子から御赤飯の意味の説明を受けたルヴィアも参戦し、晴れて堕天使の名を冠する少年は、友人と同じくガンドの嵐の前に轟沈していたのである。
 「まったく、冗談でもやっていい事と悪い事があるわよ」
 「今回ばかりは、ミス・トオサカと同感です」
 私は無実です。そう言わんばかりの2人の態度に、士郎とシンジは複雑な表情である。
 「ふむ。衛宮、一つ尋ねたいのだが?」
 「俺に答えられる事か?」
 「ああ、問題ない。それで、どちらが本命なのだ?」
 恋愛探偵の異名をとる鐘の問いかけに、爆笑するランサー。問われた士郎は凍りつき、その両側を『赤い悪魔』と『青の獣』にガッチリとホールドされていた。言うまでも無く、士郎の両腕は2人の胸の谷間に挟まれている。
 「もちろん、私よね、士郎?」
 「あら、私に決まってますわ、シェロ?」
 「あ、あのなあ・・・」
 お腹を押さえて『笑い死ぬ』と悲鳴をあげる綾子。誰も助けを差し伸べる気配が無い事に困り果てた士郎は、一縷の希望を託して同性の友人に助けを求める。
 「衛宮よ。恋愛には疎い故、俺には助言できん。すまんな」
 「シンジ!頼む、助けてくれ!」
 「いっそセイバーさんと間桐さんも一緒に幸せにしてあげなよ。イスラム教では4人まで奥さん持てるし」
 ガックリ肩を落とす士郎。だが悪魔の追求が止む気配は無い。
 「ほほお。さすがは士郎ね、私達だけじゃ物足りないんだ?」
 「ミス・トオサカの言う通りです」
 「ちょっと待て!誰もそんな事言ってないだろ!」
 「「だったら、どっちを選ぶのよ?」」
 文字通りの修羅場の光景に、観客達は無責任に囃したてる。
 さすがに憐みを感じたのか、ようやくシンジが助け船を出した。
 「ところでさ、どうしてまたそんな事をした訳?普段の士郎の性格からしたら、2人とも相手にしちゃう事自体、違和感があるんだけど」
 「あら?それはどういう意味かしら?」
 「だって士郎、朴念仁だし」
 大きくため息を吐く凛とルヴィア。確かに士郎の鈍さは筋金入りである。そんな士郎が同時に2人と関係を持つ事自体、違和感がありすぎた。
 「要は魔力確保の問題よ。士郎に切り札を使わせるには、士郎だけでは力が足りない。そうなると、どっかから持ってこないといけなくなる。その為には、こうするのが一番手っ取り早かったのよ」
 「手っ取り早かったって・・・」
 「いいわよ、あとでちゃんと責任は取って貰うから」
 凛の説明に、一成が士郎に近寄り、その肩をポンポンと叩く。
 「衛宮、あとで寺へ来い。俺が祓ってしんぜよう」
 「あら、それはどういう意味かしら?」
 「なに、文字通りの意味だ。友人に取り憑いた女怪を祓って何が悪い」
 バチバチと飛び散る火花。その光景をよそに、ルヴィアが行動に移る。
 「シェロ?ミス・トオサカは必要だからというのが理由のようですが、私は違いますわよ?」
 「ル、ルヴィア?」
 「シェロ、貴方でなければダメなのです。この戦いが終わったら、正式にエーデルフェルト家へ来て下さい。貴方以外に、私の夫は考えられません」
 「ちょっと待て!このハイエナ!」
 再び始まる女の戦いに、観客達はお腹の底から笑っていた。

 昼食を済ませた後、今後の方針について相談しようとしていたところへ、加持が顔を出しに来た。
 「よお、お疲れさん」
 「加持さん!」
 「これは差し入れだ。多めに持ってきたつもりだったが、足りんかもしれんな」
 苦笑しながら、加持が段ボール箱を手渡す。中には当面の食糧が入っていた。
 そんな仲の良い2人の姿に、陸上部3人娘が凛へ説明を求める。彼女が『言峰君のお兄さんみたいな人よ』と答えると、納得したように頷いていた。
 「しかし、冬木はもう駄目かもしれんな」
 「どういう事ですか?」
 「死都になってしまった、そう言う事さ。街の住人が死に絶えたゴーストタウン。一度だけ見た事があるが、今の冬木は気配がそっくりだ。住人も勘の良い連中は、自発的に避難を始めているしな」
 その言葉に、身を乗り出したのは凛とルヴィアであった。
 「詳しい事を聞かせて」
 「ついさっき、市長が冬木市民の避難勧告を決定したそうだ。午後1時をもって正式に避難勧告が発表。その後、戦自の協力を得ながら、順次市外への避難を行うそうだ」
 加持がそう言いながら、テレビを点ける。そこには鐘の父親である氷室道雪市長が、市民への避難勧告を告げていた。
 「表向きは地中深くから発生している有毒ガスからの避難だそうだ。市長達は真実を知らない。だがこのまま放っておけば、行方不明になる犠牲者は際限なく増え続けると判断したんだろう。苦肉の策とは言え、評価できる決断ではあるな」
 「・・・氷室さん、それに柳洞君。悪いんだけど、お父さんに連絡を取って貰える?向こうがどれだけの現状を把握しているのか。今後、どんな行動方針を取ろうとしているのか、それを知りたいのよ」
 「ふむ。分かった、手伝おう」
 「そうだな、恐らく寺のみんなも避難に協力しているだろう。聞くだけは聞いてみる」
 携帯電話を取り出した2人を横目に見ながら、士郎がランサーの肩を叩く。
 「ん?どうした、坊主」
 「ランサー、悪いけど道場へ来てくれないか?今は少しでも強くなりたい。修行相手をしてほしいんだ」
 「ほう?まあ、マスターさえ問題なければ、俺は構わねえがよ」
 その言葉にシンジが頷いたのを確認すると、ランサーは立ち上がった。
 「よし、じゃあ行こうか」
 「ああ、頼む」
 廊下へ姿を消す2人を見送りながら、凛は必死で頭を巡らせていく。
 「ルヴィア、時計塔の様子を調べる事はできるかしら?」
 「問題ありませんわ。それはこちらで調査しておきましょう」
 「ええ、頼んだわよ。それから、イリヤ。結界の強化をしたいの。あとで手伝ってちょうだい」
 コクンと頷くイリヤ。
 「ライダー、貴女は屋敷の警備をお願い。それから問題は貴女達よね・・・」
 凛の視線が、綾子・楓・由紀香に向けられる。
 「そうね、電話で街の噂を集めて貰えないかしら?」
 「噂?」
 「そう、噂よ。昨日、貴女達が見た影、あれに関する噂を集めてほしい。頼める?」
 コクンと頷く3人。
 「あとは言峰君だけど」
 「すまないが、シンジ君を貸して貰えないか?」
 「分かったわ、それじゃあ言峰君は加持さんと一緒に行動してちょうだい」 
 
 庭の片隅に、シンジと加持は立っていた。
 「シンジ君。まだ自殺したいと考えているかい?」
 その言葉に、シンジは笑みを浮かべながら答えた。
 「今更ですけど、自殺は止めました」
 「・・・そうか、よかった」
 「この聖杯戦争が終わったら、第3新東京市へ戻るつもりです。碇シンジの居場所は無くなりましたが、言峰シンジの居場所を作る事ならできると思う。どうしたら罪を償えるかは分らないけど、アスカが許してくれるとも思えないけど、僕は僕なりに生きていこうと思うんです」
 どこか晴れ晴れとして物すら感じられるシンジの表情に、加持は抱えていた問題が1つ解決した事を理解した。
 「戸籍は父さんが2年前に偽造してくれていますし、今なら冬木市から引っ越してきた言峰シンジとして生きていけます」
 「シンジ君。君は立派になった。俺が言うのもなんだが、初号機へ乗っていた頃の君は痛々しくて見ていられなかった。だが今の君は違う。君は全てを受け止めて、前に歩き出せるようになったんだな」
 「褒めすぎですよ、加持さん。僕は弱いままです。決断はしたけど、でもアスカに拒絶される事が怖くて仕方ない。それは事実なんですから」
 士郎の決断から学んだシンジの変貌は、加持にとっても望外の喜びだった。加持の予想では、シンジを変えられるのはレイとアスカだけだと思っていたのだから当然である。
 「でもその為には、聖杯戦争を終わらせなきゃいけない。堕ちた間桐さんを助け出し、黒幕の臓硯という魔術師を何とかしなきゃいけない」
 「・・・俺は君に危険な事をして欲しくない。でもそうはいかない事も理解している。だからせめて、君達全員が無事に帰ってきて欲しい。それだけが俺の願いだよ。」
 「約束します、加持さん」
 ポケットから煙草を取り出し、紫煙を燻らす加持。そんな加持に、シンジがからかうように言葉をかける。
 「ところで、加持さんはどうするんですか?ミサトさんとよりを戻さないといけないんでしょう?」
 「・・・そうだな。まずは指輪でも買っていかないとな。あとはもう一度、プロポーズのやり直しから始めないと・・・」
 「大丈夫ですよ、ミサトさんは加持さんの事が好きですから。きっと待ってますよ」
 その言葉に、加持が呆気に取られたようにシンジを見た。その後、表情をフッと緩める。
 「・・・今の君を見て、俺も、やっと兄らしい事がしてやれた気がするよ。ありがとう、シンジ君」
 「大袈裟ですよ」
 「大袈裟じゃない、単なる事実だよ。
 久しぶりに見た弟分の笑顔に、加持は明るい未来の到来を感じた。

深夜、衛宮邸―
 居間には完全に戦闘態勢を整えたシンジ達が集合していた。魔術的な戦闘ができない加持や一成、綾子達は、凛とルヴィア達が結界を張った一室へ避難して貰っている。
 何があっても、明日の朝まで部屋から出ないこと。
 それだけが一成達に課せられたルールであった。
 彼女達が考えた作戦は、実に単純である。
 まずは向うの攻撃を受けて立つ。それを凌いだ後、聖杯戦争の根本である『大聖杯』の元に急行し、一気に破壊するというものであった。
 昼食後、一成達は情報収集に専念していた。その結果、病院での一件以後、アンリマユが動いている気配は無いと判断したのである。
 何故、動いていないのか?聖杯と繋がっている以上、そこから供給される魔力は、無限に近い。それなのに、何故?
 考えた末に出た結論は、敵が準備に入っているのだと考えた。
 もし向うから襲撃を仕掛けてくるなら、夜に来るだろう。それを凌ぐか、もしくは襲撃自体が無ければ、朝になったら大聖杯の破壊に向かう手筈である。
 臨戦体制の中、時間だけが過ぎていく。やがて日が変わるまで1時間を切った所で、ついに動き出した。
 衛宮邸に鳴り響く、警戒の音。
 ランサーとライダーは愛用の武器を構え、干将・莫耶を手にした士郎とともに最前線に立つ。
 後方支援役は凛とルヴィアとイリヤ。彼女達を守る様に、シンジがいつでもATフィールドを発生できるように準備に入る。
 庭に漂い出す、濃密な魔力。だが濃密ではあるものの、その魔力は淀んでいた。こうなると魔力というよりは、瘴気と表現したほうが適切かもしれない。
 そんな庭の一角に、音も無くアンリマユが現れる。その隣には、セイバーを伴っていた。
 「随分とまあ、遅かったじゃねえか。待ちくたびれたぜ」
 「安心するがいい、ランサー。今日は思う存分、相手をしてやろう」
 言うなりセイバーがランサーに襲いかかる。重装甲に物を言わせた、捨て身の上段からの斬り下ろしの一撃を、ランサーは愛槍で受け流しつつ、戦いの舞台を徐々に移動させていく。
 そんな戦いをよそに、動き出すアンリマユ。各自が攻撃態勢に入る中、ライダーが叫び声を上げる。
 「おやめ下さい、サクラ!貴女の手で、守りたい者を殺すつもりですか!」
 「・・・あれが・・・桜?」
 呆然とする士郎。背後にいた凛達も、同様である。
 助けようと願っていた相手が、サーヴァントの天敵の正体であったなど、全くの想定外であった。
 「サクラ!私の声が聞こえないのですか!サクラ!」
 「ふふ、元気そうで嬉しいわ。ライダー」
 アンリマユの中から、見覚えのある少女の姿が出てきた。だがその姿は、記憶にある少女とはかけ離れた姿である。紫のロングへアーは、銀色へと変じている。瞳の色は、鮮血のような真紅へ変わっていた。そして左頬には、悪魔の爪痕を連想させるような、漆黒の模様が現れていた。
 「サクラ!みんなが貴女を助けたいと願っているのです!お願いですから、おやめ下さい!」
 「ダメよ、ライダー。私はお腹が空いてるの。だから食べたくて仕方ないのよ」
 桜の視線が、ライダーから移動する。士郎達を順番に見ていくが、その視線がシンジの所で止まっていた。
 「ふふ、その強大な力の気配・・・最高ですね」
 「間桐さん?」
 「言峰先輩。私と1つになりましょう。貴方が抱える闇は、私の闇と同じです。私達はきっと仲良くなれると思うんです。さあ、一緒に・・・」
 アンリマユをローブ状に変化させた桜が、静かに歩きだす。
 「桜、止まりなさい。それ以上動けば、私は貴女を攻撃しなければいけなくなるわ」
 「・・・どうして、邪魔するんですか?遠坂先輩。貴女はいつもそう。いつも私の邪魔をする・・・」
 「桜?」
 「そうでしょう?先輩の隣を、私は貴女に奪われました。もうこの家には来ちゃいけない、そう言いましたよね?」
 「桜、それは違う!」
 凛の叫びも、今の桜の心には届かない。
 「違いません。私にとって、この家への来訪は、唯一の救いでした。それを貴女は、私から奪った」
 「違う!お願いだから聞いて!」
 「貴女に何が分かると言うんですか?間桐で私が受けてきた苦しみの欠片も知らない貴女に、何が分かると言うんですか?姉さん」
 ビクッと身を震わせる凛。
 「遠坂の家から引き離された私を待っていたのは、蟲による苦痛の日々でした。何故、私だけがそのような思いをしなければいけなかったんですか?私は、そんな目に遭わなければいけないほど、悪い子供だったんですか?」
 「・・・桜・・・」
 「毒物で体を痛めつけられ、絶望で心をすり潰され、蟲に体を作りかえられ、挙句の果てには多くの魔術師の男に汚されてきた。姉さん、貴女が遠坂の家で幸せに暮らしている間、貴女の妹は絶望に身も心もすり潰されていたんですよ?」
 凛が膝から崩れ落ちる。その両目に浮かんでいるのは、悲痛という感情その物。実の妹襲っていた過去の事実を知らずにいた事に、凛は自分の心が折れた事を理解した。
 「そんな私にとって、唯一の救いだったのが、この家へ来て先輩と一緒に食事を作る事でした。でもそのささやかな楽しみを、私は貴女に奪われた」
 「・・・違う・・・私は・・・」
 「違うでしょう?姉さん、貴女は私を追い出したかっただけです。違うと言うなら、何故、兄さんがリタイヤした時に、私にもう来ても良いと伝えてくれなかったんですか?」
 「そうじゃない・・・私は貴女を聖杯戦争に巻き込みたくなかっただけ・・・」
 心を折られた凛に、いつもの覇気は感じられなかった。
 「でも、もう良いんです。先輩も姉さんも、私の中で1つになる。そうすれば、全て解決するんです。だから1つになりましょう?」
 ゆっくりと歩み寄る桜。手を出す訳にもいかず、武器を構えたまま逡巡する士郎とライダー。ルヴィアは宝石を構えたまま放つべきかどうか悩み、イリヤは崩れ落ちた凛の肩を必死で揺する。
 だから誰も想像しなかった。
 桜の前に、赤い障壁が出現するという事態に。
 「・・・どうして・・・どうして私を拒絶するんですか?言峰先輩は私と同じじゃないですか。どうしてなんですか?」
 「違うよ。僕と君は同じじゃない」
 「同じです!私と同じで、闇を抱えているじゃないですか!」
 「違うんだよ、間桐さん。敢えて言うなら、君の可能性の1つが僕になるんだ。負の感情に負けた挙句、行きつく所まで行ってしまった存在。絶望と憎悪の赴くままに、世界の破滅を願った存在。それが僕。19番目の使徒、ルシフェルだ」
 キョトンとする桜。彼女は間違いなく、シンジの言葉の意味を理解していない。それはシンジの素姓を知らないルヴィアも同様であった。
 「今から3年前、第3新東京市で起こった使徒戦役。その戦いの最後で、僕は自分の負の感情に負けてしまった。結果、僕は自らの手で全人類を全滅させたんだよ、サード・インパクトを起こしてね」
 「サード・インパクト?何を訳の分からない事を言ってるんですか?」
 「そう思うのも無理は無いよ。今あるこの世界は、使徒としての僕が再構成した世界だから。因果律―君達魔術師が根源と呼ぶ、アカシックレコードへの干渉。それが僕の能力なんだ」
 後ろで絶句しているルヴィア。桜もまた、シンジを唖然としたまま見る事しかできない。
 「僕が君の可能性の1つと言ったのは、僕達があまりにも似ているから。でも、決定的に違う点がある。負の感情に支配された君は、これから聖杯の魔力を振りまいて、世界を壊滅させるつもりなんだろう?違うかな、間桐さん」
 「・・・確かに、そうです・・・」
 「世界を負の感情に従って滅ぼす。それは僕の行動と同じなんだ。だから、僕は君の可能性の1つだと言ったんだ」
 「だったら、私の気持ちが分かるでしょう!」
 勢い込んで、桜が詰め寄る。その拳を障壁に叩きつけて、シンジに言葉を叩きつける。
 「私と貴方が似ているというのなら、私に協力して下さい!言峰先輩!」
 「悪いけど、それはできない。僕は過ちを犯した事を自覚している。だからこそ、僕は君を止めなければいけないんだから」
 「過ち?復讐するのが過ちだと言うんですか!」
 「復讐は単なる自己満足。正しいかどうかなんて関係ないよ。過ちというのは、感情に負けて人類を全滅させた事。君がこの町で負の感情に溺れて、人間を捕食したようにね」
 シンジの視線が、桜を正面から見据える。
 「僕はね、この世界を滅ぼされる訳にはいかないんだよ。この世界は、僕が好きな女の子にとって、たった1つの揺り籠なんだから」
 「揺り籠?」
 「そうだよ。僕はね、ただ1人の女の子の為だけに、この世界を再構成したんだ。人類を救いたかった訳じゃない。僕は惣流=アスカ=ラングレーという女の子に幸せになってほしかった。僕のせいでトップエースの称号も地位も失い、僕を憎む事でしか生きる事のできなかった女の子を助けたかった。それが僕と君の決定的な違いなんだよ。僕はアスカを助けたい。では、君は士郎をどうしたいんだ?」
 「わ、私は・・・先輩と・・・」
 よろめく桜。
 「先輩を・・・殺し・・・違う!私は・・・私は・・・」
 「間桐さん、今ならまだ戻れる。道は厳しいけど、贖罪する事は不可能じゃない。だから戻ってくるんだ」
 シンジがフィールドを消し去り、桜に近寄る。その行動に桜が後ずさる。
 「僕の中の闇は、君のアンリマユと同じ。全人類の悪意の欠片なんだよ。世界を再構成する際、僕は全ての人類の精神に干渉したんだ」
 その言葉に、全員の視線が集まった。
 「全ての人間の中にある悪意の心を、少しずつ僕に移す。代わりに、僕のアスカへの想いを移した。だから、僕の中にもアンリマユは眠っているんだよ」
 「どうして、そんな事をしたんですか?」
 「アスカを守る為。全ての人間にアスカへ好意を持たせる事で、アスカの身を守ろうとしたんだよ。僕にとって、アスカは一番大切な人だったから」
 桜が首を左右に振りながら、ゆっくりと後ずさる。
 「おかしいとは思わなかった?アスカは天使の名前を冠した使徒を殺して英雄となった。でも考えてみなよ。世の中には過激な原理主義過激派とよばれる宗教活動家がたくさんいる。キリスト教であれイスラム教であれ、それは同じ事だ。それに使徒戦役で家族や財産を失った人達は多くいる。だけど批判はほとんどないし、過激なテロ活動も無いだろう?それは何故?」
 「・・・人類全てに、言峰先輩の彼女に対する好意が宿ったから?」
 「そうだよ。僕はアスカに幸せになってほしいんだ。それじゃあ、君はどうなの?」
 「私?」
 桜の足が、後ずさるのを止める。
 「君は士郎に幸せになってほしいの?それとも殺したいの?」
 「わ・・・私は・・・私は・・・」
 不安そうに双剣を構える士郎へ視線を向ける桜。だが突然、頭を押さえて崩れ落ちる。
 同時に服のように桜を覆っていたアンリマユが激しく暴れ出し、尋常ではない魔力を周囲へまき散らす。
 「あ、頭が・・・頭が・・・痛い・・・」
 「サクラ!」
 思わず駆け寄るライダー。だがそれよりも早く、駆け寄った者がいた。
 「ライダー、近づかないでもらおう。サクラは聖杯の依り代。これ以上、無理はさせられない」
 漆黒の魔剣をライダーに突きつけていたのはセイバーであった。桜の異常を感知したセイバーは、とっさに戦いを中断し、桜の元へ駆けつけたのである。
 「セイバー、撤退します」
 その声に視線が集まる。幽鬼のように頼りない姿ながらも、その身から放たれる瘴気のような魔力は、以前にもまして強烈な気配を伴っていた。
 「一度、引き揚げさせていただきます。私達は大聖杯の所で待っています。準備が出来たら来て下さい」
 そのまま足下の影に姿を消していくセイバーと桜。その行動を誰も止める事は出来なかった。

 完全に気配が消えた事で、一同はやっと気を抜く事が出来た。とは言え、シンジの素性を知ったルヴィアだけは、魔術師としての好奇心から激しい追及を行っていた。
 場合が場合なので、士郎が仲裁に入る。ルヴィアも状況を把握し直し、全てが終わったら説明する事を条件に、一旦は矛を収める事に同意した。
 しかし、すぐに追撃という訳にもいかず、彼らは居間へと戻ってお茶で小休止を取る事にしたのである。本来ならすぐにでも大聖杯へ向かいたいところだったが、意気消沈した凛の事があった。
 熱いお茶で一息吐いているうちに、凛がポロッと漏らした。
 「・・・私・・・馬鹿だよね・・・あの子の苦しみ、何にも知らなかった・・・」
 「遠坂・・・」
 「ごめんね、士郎。私・・・私・・・」
 「そう思うなら、尚のこと、桜を助けよう。そうだろ?」
 目を赤く腫らした凛が、その言葉に小さく頷く。その光景に、ルヴィアが『今回は貸しにしておいてあげますわ』と強気な態度ながら、どこか不満そうにしていた。
 「・・・でも、無駄じゃ無かった。そう思うよ」
 シンジの言葉に、視線が集まる。
 「間桐さんを助ける手段が見えたよ」
 「本当か!」
 「間桐さんとアンリマユには魔術的な繋がりがある。事実上、一体化してはいるけど、そうでもない。だからこそ、僕の言葉に激しく動揺していた」
 脳裏に浮かぶ桜の姿。シンジの言葉に動揺し、頭痛を訴えた彼女は、アンリマユを制御できずに暴走させていた。
 「魔術的な繋がりがあるなら、士郎が無効化できる。キャスターの宝具を使ってね、そうだろ?」
 「・・・投影開始トレース・オン
 士郎の手の中に現れる、実戦には使えない形状をした短剣。キャスターの宝具『破戒すべき全ての符ルール・ブレイカー』である。
 「少なくとも、桜を助ける事はできるみたいだな」
 「そうだね。あとは聖杯の破壊だけど、それも士郎に頼むしかないかな?」
 「破壊自体は不可能じゃない。でも中身はどうする?10年前聖杯を壊した結果、中身が零れ落ちて大火災に繋がった。じゃあ、今度はどうする?」
 「それについては、僕に考えがある」
 シンジがグルッと周囲を見回す。
 「聖杯の呪いは、僕が受け入れる」
 「マスター!」
 「ランサー、他に方法はないんだ。サーヴァントである限り、聖杯の呪いには決して太刀打ちできない。そうなると、この中では幻想種である僕が、一番成功の可能性が高い。それに呪いの秘められた力を逆に利用すれば、この冬木を救う事ができるかもしれないんだ」
 その言葉の意味に気づいたのは、イリヤであった。
 「シンジ、貴方は・・・」
 「そうだよ。聖杯の呪い、それを僕の中へ力として取り込む。その取りこんだ力を動力源として、もう一度世界を書き換えるんだ。聖杯戦争で失われた命を取り戻す。死都となりつつあるこの町を、蘇らせてみせるよ」



To be continued...
(2011.04.24 初版)


(あとがき)

 紫雲です。今回もお読み下さり、ありがとうございます。
 毎回、恒例だったサーヴァント・ステータスが今回はありません。前回の黒セイバーことセイバー・オルタで全員の紹介が終わったからです。なので今回からは、通常のあとがきに戻りました。
 今回ですが、最終戦に向けての前哨戦がテーマです。桜救出の決意を新たに、動きだす士郎。前向きに未来を見据えて、罪を背負って生きていこうと覚悟を決めたシンジ。そんな2人を中心に、冬木の街を救うべく全員が一致団結して動く。そんな話にしたつもりです。
 話は変わって次回ですが、大聖杯の話になります。
 同時に暁の堕天使・聖杯戦争本編におけるクライマックスとなります。負の念に囚われたまま士郎達を待ち受ける桜。闇に堕ちながらも、一介の戦士としてランサーとの決着を望むセイバー。そして聖杯を飲み干し、冬木を救おうとするシンジの話になります。
 それでは、また次回も宜しくお願い致します。



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