暁の堕天使

聖杯戦争編

第十三話

presented by 紫雲様


2月13日未明。柳洞寺地下大聖杯へ通じる地下道―
 桜救出の手立てを見つけた一同は、すぐに大聖杯へと向かった。
 殺すのではなく、助ける。その方法を手に入れた彼らの顔には、希望が満ちている。
 苦しみ続けていた妹を、助けたいと願う凛。
 苦しみに気づいてやれなかった、妹分を助けたいと願う士郎。
 闇に呑まれた揚句、自分のようにする訳にはいかないと誓うシンジ。
 心の闇から解放し、自分とは違う道を歩ませてみせると誓うライダー。
 その強い想いを支えに、一行は地下道を突き進んでいた。

大聖杯の間―
 「・・・セイバー」
 「はい、何でしょうか?サクラ」
 「先輩達が来たみたいなの。丁重におもてなしをしてあげて」
 桜の言葉に、セイバーが黙って頷く。
 2人の前には、漆黒の太陽―聖杯の呪いが浮かび上がっていた。
 「誰を足止めするかは、セイバーに任せるわ。もっとも、相手はランサーになりそうだけど」
 「正直、私もそれが希望です。先ほどは決着をつけられませんでした故」
 「いいわ、じゃあランサーは頼むわね。他は私が相手をします」
 そのまま闇の中へと姿を消していくセイバー。その姿が消えた頃、別の場所から老人の笑い声が聞こえてきた。
 「ついにここまで来たか、桜よ」
 「ええ、ここまで辿り着きました、御爺様」
 「うむうむ。儂の想像以上に、お前は頑張っておる。これなら儂が聖杯を手に入れる事ができるじゃろうて」
 もはや人を辞めている臓硯には、聖杯の呪いによって犠牲者が出る事など、全く考慮にすら値しない。
 勝利を夢想する臓硯。だから気付かなかった。
 背後に走る痛み。崩れ落ちていく己が体に。
 「わ、儂を裏切るか!じゃ、じゃが、儂は死なんぞ!それはお前が良く知っておるだろう!」
 「ええ、勿論です。ちゃんと考えてありますよ」
 「さ、桜?」
 「御爺様にはここでリタイヤしていただきます。そう、御爺様の本体ごと」
 桜が己の胸を外気に晒す。その左胸目がけて、彼女は自分の右手を突き立てた。
 「・・・ふ・・・ふふ・・・やっと、やっと自由になれたわ、御爺様」
 鮮血とともに左胸から引きずり出される一匹の蟲。
 「聖杯の魔力が、私を癒してくれる。ずっとこの時を待っていたんですよ。御爺様」
 瞬く間に、元通りの形を取り戻していく桜の胸部。だが臓硯には、それに目を向ける余裕は全くない。
 「さようなら、御爺様。500年間、無駄な時間をご苦労様でした」
 桜の形の良い細い指が、臓硯の本体である蟲を簡単に潰していた。

地下道―
 走り続ける一行。先行していたランサーとライダーの足を止めたのは、闇の向こうから静かに迫ってくる、強大な殺気であった。
 闇の中から現れた、魔剣使いの少女。彼女の登場に、ランサーがゆっくりと歩み出る。
 「よお、セイバー。今度こそ、決着をつけようぜ」
 「勿論だ。先ほどサクラから、ランサー以外は通して良いと許可を頂いてきた。私の相手はランサー、いやクー・フーリンただ1人だ。相手をして貰おうか」
 「いいねえ!この時を待っていたぜ!」
 これが最後の戦いになる事を、ランサーは予想していた。だからこそ、全力でセイバーを倒してみせると己に誓う。
 「ランサー、ここは任せたよ」
 「ああ、勿論だ」
 「先に行って待ってる。僕のサーヴァントは、ランサー1人だけだからね」
 脇を駆け抜けていくシンジ達を、セイバーは一顧だにしない。その視線は、全てランサーへと注がれている。
 その最中、ランサーは懐からルーンの刻まれた石を取り出した。数は4つ。それを四方に投げていく。
 四方からうっすらと放たれる光に、セイバーが不審げに眉を顰める。
 「こいつは四枝の浅瀬アトゴウラ。この陣を敷いた戦士に敗走は許されず、この陣を見た戦士に退却は許されない。我ら赤枝の騎士に伝わる一騎討ちの大禁戒だ」
 「・・・ならば、我も改めて名乗ろう。我はアーサー=ペンドラゴン。ブリテンの騎士王、円卓の騎士を束ねる唯一無二の王なり」
 「俺はクー・フーリン。光の神ルーグの子にして、武の女神スカアハに教えを受けた者。そして今はランサーとして、言峰シンジを主と仰ぐ戦士だ」
 魔槍と魔剣が3度目の激突を果たした。

地下空洞―
 一行が辿り着いた時、聖杯の呪いは限界にまで膨れ上がっていた。
 地下とは思えないほど、広大な空間。その一角に、漆黒の太陽のように浮かぶ存在。それこそが聖杯の呪い。
 「ようこそ、おいでくださいました」
 「桜!もうやめろ!臓硯なんかの思惑に従うな!」
 「御爺様ですか?御爺様でしたら、もうこの世にはおりません。つい先ほど、無駄な500年の人生に終止符を打ちましたから」
 あっけらかんとした桜の言葉に、愕然とする士郎。
 「ずっと前から、機会を狙っていたんです。御爺様は私の心臓に、本体を寄生させていたんですよ?私の魔力を盗み取っていたんです。文字通り、寄生虫だとは思いませんか?」
 「さ、桜?」
 「私は自分の意思で聖杯を手に入れてみせます!」
 桜の足元から、巨大な影が姿を現していく。影の数は都合6体。
 「これもアンリマユの姿の1つ。無限にわき出る悪意の僕。無駄だとは思いますが、好きなだけ足掻いて下さい」
 「・・・桜・・・気づいてやれなくてゴメンな・・・でも、桜は助けて見せるから」
 士郎が、一歩前に歩み出る。同時に凛とルヴィアが魔術刻印を最大稼働。魔力の大量生産に入る。
 「体は剣で出来ている。血潮は鉄で心は硝子」
 「先輩、何をするつもりですか?命乞いをするんじゃないんですか?」
 「幾度の戦場を超えて不敗。ただの一度の敗走もなく、ただの一度の勝利もなし」
 士郎の体を27ある魔術回路が力を得て激しく稼働していく。
 「担い手はここに独り。剣の丘で鉄を鍛つ」
 「先輩?」
 「ならば、我が生涯に意味は不要ず、この体は無限の剣で出来ていた!」
 士郎を中心に世界が書きかえられていく。炎が地下道を切り裂き、荒れ果てた荒野へと変化させていく。大地に刺さるは無限の剣。赤い空には巨大な歯車が、静かに動き続けている。
 その予想外の光景に、桜が動く事も忘れて立ち尽くす。それは『無限の剣製アンリミテッド・ブレイド・ワークス』を初めて目の当たりにしたルヴィアやイリヤも同様であった。
 「これが・・・シェロの心象風景ですの?・・・なんて寂しい・・・」
 「問題ないわよ。士郎は独りじゃない、だからこれから変わっていく」
 凛が荒野の一点を指差す。そこにあったのは、見事な彫刻が施された黄金の剣。大地ではなく、石に突きたてられた選定の剣―勝利すべき黄金の剣カリバーン
 だが凛が見せたかったものは、それではなかった。剣が刺さった石の台座、そこに絡みつくように生えている、緑色の蔦。その蔦からは、赤い花と青い花が、一輪ずつ咲いていた。
 「士郎!私達の力、好きなだけ持っていきなさい!ちゃんと桜を助けなさいよ!」
 「ああ、任せろ」
 士郎が顔を上げる。その視線が捉えたものは、6体の悪意の僕。
 「桜、行くぞ。魔力の貯蔵は十分か?」
 轟音とともに、無限の剣が6体の僕に襲いかかった。

地下道―
 ガキン!
 激しい音が、地下に響いた。更に、続けざまに耳を塞ぎたくなるような甲高い音が、絶えることなく、鼓膜を叩く。
 神速の刺突が無数に突きこまれれば、魔剣が一度に複数の刺突を薙ぎ払う。返す刃で魔剣が喉元を切り裂こうとすれば、魔槍の先端が魔剣の柄に突きこまれ、剣の軌道は大きくずれる。
 絶好の機会に、魔槍は更なる速さをもって襲いかかる。複数の刺突ではなく、一撃に全霊を込めた必殺の一撃。まさに槍の英霊の面目躍如といえる一撃を、剣の英霊たるセイバーは、柄で見事に防いでみせた。
 だがここで防御だけで終わるようなら、セイバーの称号には相応しくない。柄に叩きこまれた力を逆に利用してのけるつもりだったセイバーは、左手だけで柄を握っていた。結果、手を中心に剣が回転。真下から掬いあげるような斬撃となって、ランサーの命を狙おうとする。
 その一撃を、左足を剣の峰に叩きつける事でランサーは防いでみせた。ランサーはあくまでも攻撃を選択。槍で防ぐような時間は、今の彼には存在しない。
 顔面―両目と口内に狙いを絞った3連続の刺突がセイバーに襲いかかる。必殺の攻撃をセイバーは己の左の籠手を魔槍に叩きつける。右目を狙っていた一撃は弾かれ、左目を狙っていた一撃はこめかみを掠り、口を狙っていた一撃は、左腕の籠手を砕いて突き刺さっていた。
 致死の一撃を防いだ代償として左腕の損傷。十分すぎるほどの成果である。だが剣の英霊たるセイバーは、その程度の結果に満足はしない。
 彼女は貪欲なまでに更なる結果を望む。己の特性たる魔力解放を全力で発動させ、左腕の筋肉を締めつけて魔槍の穂先を絡め取る。同時に魔剣を振りかぶり、激しい一撃をランサーへ叩きこむ。
 セイバーの魔力解放すらも利用した筋肉の締め付けに、ランサーの槍を抜く時間が余分にかかった。
 己の左肩を狙って振り下ろされる一撃を、避けられないと判断したランサーは、被害を最小限に食い止めるべく。思い切って前に踏み込む。
 剣先ではなく、鍔に近い部分がランサーの左肩に食い込む。その刃が鎖骨を叩き斬る瞬間に、ランサーは愛槍を再度突きこんだ。
 狙いは左胸。心臓が位置する場所。
 セイバーの直感が警告を発する。それに従い、セイバーは攻撃ではなく、槍を避ける事に力を割いた。
 噴き出る赤い奔流。
 セイバーの負傷は左腕の貫通した傷と、左胸の脇を抉られた傷。
 ランサーの負傷は左の鎖骨一本。
 サーヴァントたる彼らにしてみれば、どれも致命傷とは言えない。放っておけば、自己再生によって塞がる程度の傷である。
 だが彼らは回復を待とう等という考えは持っていなかった。
 『少しでも早く主のもとへ』
 ただその一念だけを支えに、再び武器を構える。
 だが愛剣を青眼に構えたセイバーは敵の構えの異様さに気づいた。
 ランサーは、右肩に担ぐように、愛槍を構えていたのである。加えて、全身から濃密な魔力が立ち上っている。
 「セイバー、何をしている?出し惜しみをするなよ?」
 ランサーの言いたい事は、セイバーにもすぐに理解できた。その身に宿った魔力の全てを愛剣に集中させていく。
 「突き穿つゲイ
 「約束されたエクス
 2人が手にする宝具は、それぞれが象徴する色に輝き始める。
 「死翔の槍ボルグ!」
 「勝利の剣カリバー!」
 真紅の流星と、漆黒の奔流が正面からぶつかりあった。

地下空洞―
 目の前で繰り広げられる光景に、桜は愕然とした。
 彼女が僕とするのはアンリマユの一部、悪意の僕である。その戦力は無限。尽きる事を知らない、永遠の悪夢その物。
 対する士郎は、固有結界により無限の武器を精製し、神話にその名を轟かす無数の武具をもって悪意の僕を串刺しにし続けた。
 だが士郎の攻撃はそれだけではない。
 「壊れた幻想ブロークン・ファンタズム!」
 宝具の自壊による破壊。その破壊が悪意の僕を追い詰めていた。
 確かに悪意の僕は、無限に湧き出る最悪の戦力である。だが呼びだされたそばから全て破壊されてしまっては、無限の戦力も、その力を振るう事なく消滅せざるを得ない。
 士郎の魔力の要は、凛とルヴィアにあることは、桜にも分かっている。だがその要を攻撃しようにも、攻撃の駒となる悪意の僕は一方的に壊されるばかり。これでは桜も攻勢に転じる事等できない。
 持久戦に持ち込めば、桜に勝利が転がり込む。それは事実である。だが桜にも弱点は存在する。それは聖杯の破壊。無限の力の源を破壊されてしまっては、さすがの桜も、力を失う事は確定している。
 実際、士郎達と桜との間に戦端が開かれてすぐに、シンジが聖杯目がけて移動を開始していた。桜にしてみれば足止めしたいのは山々なのだが、士郎がいる限りそれは叶わぬ願いである。
 だからこそ、桜はこの戦いに短期勝利を得なければならなかった。聖杯を破壊されるよりも早く、シンジを捕捉する為に。
 だがそれは士郎達も理解している。彼らにしてみれば、桜を殺す事は論外。どうあっても生け捕りか、完全降伏にまで追い詰める必要がある。だからその気になれば桜を殺す事は可能であっても、実行する訳にはいかない。結果として、消耗戦を繰り広げざるをえないでいた。
 しかし長期戦となれば、有限の魔力しか持たない士郎達が敗北するのは確実。だからこそ士郎達は、直接戦闘以外の手段での勝利を求められた。
 「桜!もうやめるんだ!」
 「嫌です!私は、私は全てを無かった事にするんです!」
 桜がそこまでして聖杯を求める理由。それに気付けない士郎達ではない。特に実の姉である凛にしてみれば、桜をここまで追い詰めた存在に対する怒りは、天を貫くほどに大きかった。
 一人の少女として桜に刻み込まれた過去の重さ。それは凛にしてみれば、想像する事しかできない重さである。例え実姉であれ、軽々しく『分かる』等とは言えなかった。
 だからこそ、桜が哀れでならなかった。桜にしてみれば、自分の過去を士郎に知られる事だけは、避けたかったからに違いないからである。しかし現実として、桜は士郎に過去を知られ、こうして刃を交えざるを得なくなってしまった。
 士郎と桜。血縁ではない。同居もしていない。にも拘らず、互いに家族と認め合った関係。
 互いに武器を向けざるを得ない2人。その心中は如何ばかりかと、凛はその苦しみを想像することしかできない。
 本当に悪いのは誰なのか?
 間桐家に桜を養子に出す事を決定した、父・時臣か?
 桜の苦しみに気付いてやれなかった、自分や士郎か?
 それとも直接的に桜を追い込んだ、間桐臓硯か?
 どれもが均等に責任がある。それこそが真実。
 士郎も桜も、互いに武器と敵意を向け合う等、絶対にしたくない筈である。
 だが現実として、2人は命のやり取りを行っている。
 士郎の言葉は桜に伝わらない。なぜなら、桜は今の自分を士郎に見られたくないから。罪に塗れた自分を見られたくないから。
 桜の苦しみは、士郎に伝わらない。なぜなら、士郎にとって桜は一番ではないから。士郎にとっての悪夢は、彼にとっての一番が失われる事だから。
 だから、凛は静かに決断を下した。
 「もう、やめなさい、桜」
 「姉さん、今さら何を言うつもりですか?私から正真正銘、先輩を奪ったくせに、まだ被害者ぶるつもりですか?」
 「そんなつもりはないわよ。だって、自分の想いを素直に出せなかった貴女が、悪いんだから。そんな意気地無しだから、貴女は私に士郎を取られたのよ」
 桜の表情が凍りつく。
 「自分が汚されているから怖気づいたんでしょ?桜、貴女は本当に救いようのない大馬鹿者よね」
 「な、何を、何を言っているんですか!姉さん!」
 「貴女は士郎の事を何にも理解していなかった、そう言う事。士郎はね、馬鹿なのよ。貴女が汚れていようが、そんな事、士郎は気にしないわよ。士郎はいつでも、貴女を家族として認めていた。単に貴女が、家族という居心地の良い場所に、妥協点を見いだしてしまっただけだったのよ」
 怒りで顔を引きつらせる桜。今までに倍する数の、悪意の僕を顕現させ、凛を屠ろうとする。
 「言いたい事はそれだけですか!私を詰って、優越感に浸りたいだけなのでしょう!」
 「・・・ホント、馬鹿よね。私、桜の苦しみに気づいてあげられなかったんだから。姉妹揃って大馬鹿者だわ」
 「遺言は十分ですか?そろそろ消えて下さい、不愉快です」
 桜の意思に従い、僕が動き出す。士郎も迎撃に入るが、僕の数と耐久力の大きさに、拮抗状態を維持するのがやっとであった。
 「私ね、生まれて初めて父様を憎んだわ。父様が貴女を間桐なんかに養子にださなければ、こんな事は起きなかったんだから!」
 「姉さん?」
 「私が遠坂の跡取りになれば、桜は間桐の家で笑って暮らせる。ずっとそう思い込んでいたのよ!桜が幸せだと思っていたからこそ、私はどんなに辛い修業にも、歯を食いしばって耐える事が出来た!それが、それが全部、無意味だったなんて!」
 その時、凛が浮かべた表情に、桜が呆気に取られていた。
 「桜!遠坂の家に帰ってきなさい!お姉ちゃんが守ってあげる!遠坂と間桐の盟約なんて知ったことか!」
 「・・・姉さん・・・」
 「貴女には悪いけど、私、士郎の事、本気なのよ。だから貴女に譲ってあげるなんて事は言えない。衛宮士郎は遠坂凛が本気で手に入れたいと望んだものだから。でもライバルとして私と士郎を取り合うと言うのなら歓迎よ。正面から士郎を奪ってみせなさい!」
 桜の動きが止まる。僕も桜の心の動きが反映されたのか、完全に無防備な姿を晒していた。
 「ミス・トオサカ。シェロは私の夫になる方です。勝手に自分の物扱いしないで下さいませ」
 「あら、それはどういう意味かしら?私の方が先だったのよ?」
 「気き捨てなりませんわね。よろしい、この場で決着を着けましょうか?勝った方がシェロの妻の座を得るのよ」
 突如始まった女の戦いに、士郎は下手に口を挟む事も出来ずに、戸惑うばかりである。そんな士郎の前で、敵である桜を無視して火花を散らし始める凛とルヴィア。
 その光景に、桜が小さく笑った。
 「・・・その勝負、私が勝ったら、私が先輩の奥さんになれるんですね?」
 「そうよ。桜、貴女に参加する度胸があるなら・・・来なさい」
 「そうね。ミス・トオサカの顔は見飽きました。新顔が入ってくるのなら、私も歓迎しますわ」 
 笑顔の凛とルヴィア。その傍らで困ったように苦笑いしている士郎。その光景に、桜は決断した。
 「・・・先輩。1つだけ良いですか?」
 「何だ?」
 「間桐桜は、先輩の事が好きです。私、先輩の事を諦められません。先輩は、私の事をどう想っているんですか?」
 無防備なまま、桜が一歩歩み出る。
 「俺も好きだよ、桜。たださ、俺って鈍いから、好きと愛しているの違いが、未だにわからないんだ」
 「先輩らしいですね。でも良いです。私が先輩の1番になって見せますから。姉さん達には負けません。だから・・・私を助けて下さい!」
 「ああ、勿論だ。少しだけ目を瞑っていろ」
 士郎の手に現れる、破戒すべき全ての符ルール・ブレイカー。その刃が桜に突き立てられると同時に、桜はアンリマユから解放されていた。
 静かに崩れ落ちる桜。そこへ今まで手出し出来ない身を歯噛みしていたライダーが駆け寄って抱き起こす。するとライダーに抱き起こされた桜が、うっすらと目を開けた。
 「サクラ、無事で良かった!」
 「ライダー・・・先輩を守ってくれてありがとう・・・」
 「いえ、サクラが無事でいて下されば、それだけで十分です!」
 桜を抱きかかえたまま、立ち上がるライダー。そのまま士郎達に顔を向ける。
 「ですが、まだ戦いは終わっていません。先行したランサーのマスターに合流しなければいけませんから」
 「そうだな、シンジが心配だ。ライダーは桜を頼む」
 「ええ、分かりました」

聖杯へと至る道―
 間近に見えてきた聖杯の姿に、シンジは己の役割を再確認していた。呪いを飲み干し、力へ還元し、世界を再構成する事。それが彼の役目である。
 その為に、力を貸してくれた仲間達の顔を思い出しながら、シンジは足を止める事無く聖杯への道を突き進んでいた。
 「見えてきたわね。シンジ、何があるか分からないわ。油断だけはしないでね」
 「うん。分かってる」
 聖杯の専門家と言って良いイリヤとともに、シンジはひたすら走り続ける。
 だがその足が突然止まった。
 道の途上に佇む人影。その顔に、シンジは見覚えがあった。
 「と、父さん?」
 「ほう?まさかお前が来るとは思わなかったぞ。それで聖杯をどうするつもりだ?」
 「僕が聖杯の呪いを飲み干します。その後、聖杯を完全破壊する」
 その返答に、綺礼は笑い声をあげた。
 「そうくるか!聖杯の呪いを飲み干す、それは想定外の答えだったな」
 「僕も父さんに訊きたい事があります。どうして父さんは生きているんですか?ランサーのゲイボルグで、確かに心臓を貫かれた筈です」
 「簡単な事。我が心臓は、前回の聖杯戦争の際に聖杯の呪いによって再構成された代物なのだ。例え破壊された所で、聖杯がある限り私は何度でも蘇る」
 綺礼が軽く腰を落とす。
 「お前の答えは面白いが、それを認める訳にはいかんのだ。まもなくアンリマユがこの世に生まれる。私はそれを祝福せねばならんのだからな」
 「・・・父さん、最後に1つだけ言わせてください」
 「ふむ、言ってみるがいい」
 あくまでも構えは維持したまま、綺礼が先を促す。
 「僕は貴方を倒します。僕の肩にはみんなの願いが乗っている。だから、僕は諦める訳にはいかない!」
 シンジの背中から現れる4対8枚の翼。そんなシンジの覚悟を見てとったのか、イリヤが無言で後ろに引いた。
 「よかろう、シンジよ、来い!」
 
 大聖杯に通じる地下道を、士郎達は全力で走り続ける。やがて後方から高速で接近してくる気配を感じた。
 「無事だったのか、ランサー!」
 「まあな、さすがに危なかったけどよ。途中でセイバーへの魔力供給がストップしたおかげで、かろうじて勝てたわ」
 そういうランサーは、全身に傷を負っていた。青い戦装束はズタズタに裂け、至る所から流血している。左腕に至っては、肘から先が消し飛んでいた。
 その身に宿る魔力も減衰しており、明らかに衰弱している。
 そのあまりにも痛々しい姿に顔を顰めるが士郎達だったが、ランサーは笑って流した。彼にとってセイバーは、間違いなくバーサーカーに匹敵する、強力な敵だった。だからこそ、死力を尽くした戦いを味わえた事に、深い満足感を覚えていた。
 「正直、あれが無かったら、相討ちだったな」
 「・・・そうか・・・セイバーは最後に何か言っていたか?」
 「・・・いや。ただ死に顔は笑っていた。それだけだ」
 ライダーは桜の護衛として地下空洞に止まっている為、ここでランサーの援軍がきたのは士郎達にとっても有難い事であった。
 強力な援軍と合流し、聖杯目指して走り続ける一同。その両足が、突然止まった。
 「ハアッ」
 発声とともに、力強く踏み込む綺礼。その震脚から得られた力を、拳に乗せて正面に突きだす。
 その一撃を、シンジは両腕を交差させて防御する。拳の勢いに負けて、吹き飛ぶシンジ。だがタダでは負けないとばかりに、右腕を勢いよく振りかぶる。
 その動きに呼応するかのように、ATフィールドが刃となって綺礼に襲いかかる。その一撃を紙一重で見切って、掠り傷で済ませた綺礼の技量は、間違いなく超一流の達人と呼ばれるに相応しいものであった。
 「馬鹿な!どうして綺礼の野郎が生きてるんだ!」
 ランサーの呟きは、凛も同様であった。アインツベルン城の戦いにおいて、綺礼はランサーのゲイボルグによって心臓を貫かれ、さらには塔から転落していたからである。
 そんな彼らの呟きをよそに、戦いは更に続いて行く。
 綺礼が3本の黒鍵を手に握り、すぐさま投擲する。
 轟音とともに放たれた黒鍵は、3本すべてがシンジの両肩と腹部に突き刺さっていた。
 喀血するシンジ。さがその顔は、決して綺礼から外そうとしない。
 好機と感じて追撃を仕掛けようとした綺礼だったが、直感に従い、即座に後ろへ飛び退いた。
 その行動に、シンジが黒鍵を抜きながら、悔しそうに顔をゆがめる。
 「そうだったな、お前には先程の『刃』があったな。さすがに至近距離から撃たれては、幾ら私でも躱わすことはできん」
 「そういう余分な事には、すぐ気がつくんですね。いや、貴方を引っ掛けようとした僕の『悪意』に感応したんですか?」
 「ふむ、そう言う事にしておこう。いかにも私らしいからな」
 あくまでも悠然とした態度を崩さない綺礼。異常なまでの再生能力とATフィールドを使いこなすシンジに対して、不利なのは綺礼のほうである。だが彼は、自らが不利だとは欠片も考えていなかった。
 シンジは防御の要であるATフィールドを攻撃に回す為、防御として利用していない。加えて、綺礼はアンリマユを通じて、アサシン・ハサンの記憶からシンジの弱点であるコアの存在を知りえていた。
 先程の黒鍵は、その為の布石。確実にコアを捉える為の、ブラフ。自分はコアの存在など知らないと思わせる為のハッタリでしかない。
 そこへ落ち着いた桜を伴い、ライダーが戦場へと辿り着いた。更に、戦いの邪魔にならない様に、遠回りしながらイリヤも士郎達に合流する。
 綺礼とシンジ。2人の戦いに気付いたライダーは、援護に入ろうと鉄杭を手にするが、ランサーに止められた。
 「手を出すな、これはマスターの戦いだ」
 「しかし!」
 「下手に手を出せば巻き込まれるぞ。マスターはATフィールドを刃にして放っているからな」
 ランサーが槍で示した先には、真っ二つに裂けた岩壁があった。その裂け目は、まるで刃物で切り裂いたかのように、滑らかな断面を晒している。それも小さな裂け目ではなく、はるか奥深くにまで届く、巨大な裂け目であった
 今回、召喚されたサーヴァントの中で同じ真似が出来るものが、果たしているだろうか?
 そう考えたからこそ、ライダーは黙って退いた。
 だが、綺礼も、そして戦いを見つめていた士郎達も全く想像しなかった事が起きた。

 聖杯戦争において、シンジが『攻撃』を行ったのは初めてだった。それまでは最前線に立つ事はあっても、それは囮や敵の攻撃を食い止める事が役目であったからである。
 そんなシンジは、使徒として初めて攻撃衝動に身を任せていた。
 (父さんは決して止まらない。いや、止まるつもり等全く無いんだ。僕の言葉なんて、父さんの心には届かない)
 その現実に、シンジは実父ゲンドウの事を思い出した。
 どれだけゲンドウを慕っても、ゲンドウは応えてくれなかった。それがゲンドウの不器用な性格故であった事を、サード・インパクトで全人類と1つになった経験を持つシンジは理解している。
 だが理性では納得しても、心が納得するとは限らない。
 小さな頃から抱えてきた『父さんは僕の事が嫌いなの?』という心の叫びが、シンジの心の中を吹き荒れる。
 そして目の前には、シンジを殺そうと刃を向ける養父の姿があった。
 
 その瞬間、シンジの中で限界まで堰き止められていた何かが破裂した。

 「WOOOOOOOOO!」
 物静かなシンジが、咆哮を上げるという異常な光景に、驚きを感じた。
 たった一人、その声に深い縁のあったイリヤだけが反応した。
 「まさか・・・『狂化』!?どうしてシンジが!」
 この場にいた者達は誰も知らない。かつてエヴァンゲリオン初号機を駆っていたシンジは、多くの使徒を撃墜してきた。戦闘技術も無く、戦う覚悟も無かったシンジが、トップエースと呼ばれるほどの功績を残せた最大の要因。それは恐怖や憎悪、怒りといった負の感情を糧とした狂気である。
 その狂気がもっとも色濃く表れた戦いが、ゼルエル戦である。内蔵電源が切れるまでの5分間、シンジは自身より戦闘技術のあるアスカやレイが、潤沢な武装を与えられながらも掠り傷一つ与えられなかったゼルエルに対して、武器も持たずに、それどころか片腕を途中で失ったにも関わらず、素手で圧倒していた。動力源さえ確保していれば、間違いなくゼルエルは初号機の前に轟沈していた筈である。
 その狂気に、シンジは身を委ねた。
 一瞬、シンジが綺礼の視界から消え失せた。
 勘に従い、両腕を頭上で交差させる。同時に岩でも落ちてきたかのような衝撃が、綺礼を襲った。
 前方宙返りからの踵落とし。その速さを衝撃に変えた一撃は、綺礼をして驚かせるに足りる一撃であった。
 だが暴走したシンジは、この程度で止まらない。
 自由な左足で、即座に綺礼の胴体目がけて全力で蹴りつける。肋骨が纏めて数本、へし折れる音が地下に響く。
 「馬鹿な!これほどとは!」
 口から鮮血を零しながらも、反撃に転じる綺礼。
 いまだ空中に止まり続けるシンジ目がけて、ショートアッパーを放つ。だが拳が捉えたと思った時には、シンジは姿を消していた。
 まるで獣のように、四つん這いの体勢を取るシンジ。その様はまさに『捕食者』であった。
 正面から綺礼に襲いかかる。
 迎え打つ綺礼。左腕で牽制の突きを放つ。
 その突きに、シンジは自ら額をぶつけに行った。その衝撃の大きさに、シンジの額は割れ、綺礼は左腕があらぬ方向へと折れ曲がる。
 だがシンジには使徒としての再生能力がある。瞬く間に、シンジの傷は塞がれていく。
 肉や骨を断った所で意味は無い。確実に殺す一撃が必要。
 それが綺礼の出した結論であった。
 右腕は健在。両足も震脚を使いこなすには十分。加えてシンジは至近距離にいる。おまけに今は、ATフィールドを使う気配が無い。理性を手放すと、ATフィールドは使えないのかもしれないと、綺礼は判断した。
 体を内部から粉砕する発剄の一撃に、全てをかける。
 大地を粉砕するほどの踏み込みから得られた力が、掌という凶器を通してシンジに襲いかかる。
 だから全くの予想外だった。
 掌を止める赤い障壁。愕然とした綺礼の前に現れたのは、蒼銀の髪に赤い瞳の少女。
 (碇君は私が守る)
 綾波レイの存在を綺礼は知らなかった。それが敗因。
 綺礼にできた一瞬の隙を、今のシンジは見逃さなかった。
 首筋に歯を突き立て、全力で噛み千切る。噴水のように噴き出る鮮血に全身を濡らしながらも、シンジは止まらない。
 最後の足掻きとばかりに、シンジの顔に手を伸ばす綺礼。必死で動かすその手が、シンジの眼帯を苦し紛れに地面へ落とす。
 その間に、無残な傷口にシンジは両手をかける。そのままシンジは狂気に従った。
 次の瞬間、言峰綺礼は首を引き千切られ、その命を永遠に停止させた。

 引き千切られる綺礼。その光景に、一同は愕然としていた。
 凛とルヴィアは目の前で繰り広げられた光景に、両足を小刻みに震わせていた。士郎は干将・莫耶を投影し、2人の前に壁となって立ちはだかるが、その顔色は青ざめている。士郎の片足にしがみついたイリヤも、凛達同様その体を震わせていた。
 ライダーは仕舞っていた鉄杭を取り出して戦闘態勢をとり、震える桜を背後に庇う。
 戦闘経験豊富なランサーですら、見た事も無い狂戦士の戦いぶりに、背筋に寒気を感じていた。
 戦闘中毒者を自認するランサーであったが、このシンジと戦いたいという欲望は沸いてこなかった。
 今のシンジは、怖いもの知らずのランサーですら、本能的に恐怖を感じるのである。
 バーサーカーも異常だったが、あれは純粋な力の塊であった。例えるなら天災。手のつけられようも無い、神意の具現。逃げる場所など無い、だから諦めるか開き直るしかない。
 だが目の前にいる、彼がマスターと認めた少年は違った。
 あれは殺意の塊。まるで夜の森で出会ってしまった肉食獣。食物連鎖の頂点に立ちうる絶対的上位者。逃げる場所はいくらでもある。迎撃する事だって可能かもしれない。だがいつかは必ず殺されるというだけ。なまじ希望がある分、こちらの方がより残酷である。
 ただ何事にも例外は存在する。
 新たな獲物を探そうとするシンジを、レイが優しく抱きしめる。
 (もういいの。もう終わったのよ、碇君。だから落ち着いて。私の知っている、碇君に戻って)
 「・・・綾・・・波?」
 (落ち着いたみたいね、良かった)
 レイの頬笑みに、シンジの両目から静かに狂気が消えていく。それに伴い、背中に展開していた翼も、その姿を静かに消していた。
 そんなシンジの変わりように、士郎達もシンジが正気に戻ったと判断して、全身を緊張から解き放って脱力する。
 「・・・久しぶりだね、綾波。直接会うのは3年ぶりかな」
 (そうね。こうやって、直接言葉を交わせて嬉しいわ)
 「迷惑、かけちゃったね。ごめんね綾波」
 (ううん、いいの。碇君は私の大切な絆だもの。だから碇君が困っていれば、私はいつでも助けてあげる)
 シンジを抱きしめたまま、レイは視線を変えた。
 (初めて見る人がいるわね。碇君、紹介して貰える?)
 「うん、いいよ。金髪に青いドレスの人がルヴィアさん。紫の髪で長身の女性がライダーさん。ライダーさんの後ろにいるのが間桐さんだよ」
 (初めまして。私は綾波レイ。エヴァンゲリオン零号機パイロット、ファーストチルドレンの綾波レイ。そして第2使徒リリスの因子を受け継ぐ者)
 ペコリと頭を下げるレイの姿に、ルヴィアが当然の質問をする。
 「ええと、コトミネとはどういう御関係なのかしら?」
 (私は碇君のお母さんであり、妹でもあるの。碇君のお母さんと、第2使徒リリスの遺伝子。その双方を受け継いでこの世に生まれてきた命。それが私、綾波レイ)
 「幻想種と人間のハーフ?いえ、遺伝子結合・・・デザイナーズチャイルドとでも言えば良いのかしら・・・」
 (私にもよく分からない。でも1つだけ分かっている事がある。私にとって、碇君は1番大切な絆であるという事。それだけは分かっているわ)
 シンジとレイ。2人の関係が複雑な物である事だけは、全員理解できた。
 (それより碇君。事情は大体、理解しているわ。私も手伝ってあげる)
 「ごめんね、綾波。本当なら、もっと早く解放させてあげられたのに・・・また僕の中で眠らないといけなくなるね」
 (いいのよ、それぐらい。それより早く向かいましょう。時間が無いのでしょう?)
 その言葉に、頷くシンジ。聖杯への道のりを邪魔する者は、もういない。
 「みんな!僕が呪いを飲み干す!そうしたら、みんなで大聖杯を壊して!」
 黙って頷く一同。それぞれが最大火力の準備へ入る。
 それに背を向けて、シンジは聖杯の呪いへと手を伸ばした。
 焼けつくような痛みと苦しみ―あらゆる悪意がシンジを襲う。
 その悪意ごと、力を体内に取り込むシンジ。やがて全て取り込み終えたシンジが、その場から離れた。
 「みんな、破壊をお願い」
 「ああ、分かった」
 真紅の流星が、純白の閃光が、2条の宝石が、黄金の光が、聖杯を打ち砕く。
 光の乱舞が消えた後には、もう何も残っていなかった。
 「よし、後は僕の仕事だ。それじゃあ世界を書き換えるね」
 「待ってくれ、具体的にどう書き換えるつもりだ?」
 「対象は全世界。内容は聖杯戦争で出た死傷者を蘇らせる事と、それによって生じる生存者の記憶に生じる記憶の矛盾の書き換え。それから父さんと間桐さんの御爺さんについては、蘇生から外すよ。あまり言いたくないけど、蘇ってもまた変な事しそうだから」
 納得したように頷くランサーとライダーである。
 「一成や美綴さん達の記憶も書き換えない。遠坂さん達にとっては、その方が良いでしょう?折角の協力者だからね」
 「そうね、それで頼むわ」
 「了解。それから聖杯戦争で死んだマスターやサーヴァントも蘇らせるつもりだよ」
 それには驚いたのか、全員がシンジを見つめた。
 「サーヴァントはマスターから魔力を受け取る事で現界出来る。でも僕からも現界に必要な最低限の力は供給できるようにしておく。平和に暮らす分には、問題ない程度にね。みんなはどう?」
 「・・・私は認めますわ。コジロウに再会できるなら、これほど嬉しい事はありません」
 「私も賛成!バーサーカーに会えるんだよね!」
 「そうね、アーチャーに再会したら、まず最初に引っ叩いてあげないとね」
 「セイバーに会えるのか・・・頼むな、シンジ」
 ランサーは肩を竦めて苦笑い。ライダーは仮のマスターを思い出したのか、どことなく不満気である。だが隣に立つ桜が笑っているのを見ると、強く反対する気は失せていた。
 「よし、じゃあ始めるよ」
(碇君、サポートは任せて)
 「うん、頼むよ・・・ATフィールド展開」
 シンジの背中から4対8枚の翼が浮かび上がる。
 「因果律―アカシックレコードに接触開始・・・世界の書き換えを開始する」
 目の前で繰り広げられる世界の書き換え―根源への接触『第六法』に、凛・ルヴィア・イリヤの視線が集まる。
 (碇君、緊張しすぎよ。ほら、大丈夫だから、それはこちらで受け持つわ)
 「うん、ありがとう綾波」
 (・・・こちらは解決したわ)
 「よし、じゃあ行くよ!」
 シンジの全身から、強烈な光が放たれる。
 光は全てを飲みこみ、あらゆる事象に優先して世界を上書きしていく。
 時間にして僅かに5分ほど。だがその成果は、すぐに目の前に現れた。
 セイバーが、アーチャーが、コジロウが、ハサンが、バーサーカーが、キャスターが、ギルガメッシュが、葛木が、慎二が、その姿をこの場に顕現させていく。
 その光景に、歓声が起こる。目の前で繰り広げられた光景は、まさに『奇跡』以外の何物でもない。
 同じ頃、病院で臓硯の策略の犠牲となった者達も、全て世界の上書きによって、その姿を取り戻していた。
 喜びに打ち震える士郎達。蘇った者達は、何故蘇ったのかと首を傾げ、次にそれぞれに対応した愛情表現を受けていた。
 セイバーは士郎に手を取られ、微かに赤面している。
 アーチャーは泣きながら頬を叩いてくる凛に、何も言えずに戸惑っている。
 バーサーカーはイリヤを肩に乗せ、その喜びの声を黙って聞いている。
 コジロウはルヴィアの手を取り、その無事を喜んでいる。
 キャスターは同じく蘇った葛木に抱きつき、涙を流している。
 ハサンは不貞腐れた慎二を新たなマスターと認めたのか、その背後に佇んでいる。
 ギルガメッシュはランサーから綺礼の最後を伝えられ『そうか』とだけ呟く。
 その光景をライダーは桜とともに、笑顔で見つめていた。
 完璧なまでハッピーエンド。どこにも漏れは無い、幸せな結末。

 だから気付かなかった。

 「綾波!逃げて!」
 「碇君!」

 その叫びに、緊張が走る。
 ランサーに当る衝撃。思わず受け止めたランサーは、そこに肉体を取り戻した綾波レイの姿を見つけた。
 「ランサー、綾波を頼む!」
 「ダメ!碇君、やめて!」
 レイを逃がす為、シンジはレイの体を構成し、そこにレイの魂を定着させ、自分から切り離していた。
 何故、そんな事になったのか?
 シンジの体から現れている4対8枚の翼。その全てが漆黒に染まっていた。その表面は不気味に波打ち、時折、赤い光を放っている。
 「まさか、アンリマユ!?でも、どうして!」
 「お前なんかに、お前なんかに、この体は渡さない!」
 ポッカリと開いたシンジの失われた片目。その光景に、凛の脳裏に答えが閃いた。
 「聖骸布の守りがない!」
 失われた隻眼はシンジの弱点。故に聖骸布で守っていた。
 その守護が、綺礼との戦いの最中に失われていたのである。
 「誰か!碇君を助けて!お願いだから助けて!」
 レイの悲痛な叫びに、サーヴァントが構えるが、どう考えても打開策が無い。
 「・・・来い!神殺しの槍ロンギヌス!」
 シンジの叫びに応じ、遥か宇宙の彼方を漂っていたロンギヌスの槍が、光を超えた速度で、主であるシンジの元に姿を現す。
 天空より飛来し、大地を砕きながら地下空洞に現れた二股の真紅の槍。それが秘めたる力に、誰もが声を出せない。
 「・・・宝具・・・」
 「ウソでしょ・・・宝具が現存なんて・・・」
 「そんな・・・俺でも解析できない?」
 絶句するルヴィア・凛・士郎。
 だがシンジの目的を理解したレイは、声を張り上げた。
 「あれを破壊して!碇君が死んじゃう!」
 それが意味する事に気付いたサーヴァント達は、即座に行動を起こす。
 「約束された勝利の剣エクスカリバー!」
 「騎英の手綱ベルレフォーン!」
 「燕返し!」
 「I am the bone of my sword.偽・螺旋剣カラドボルグ!」
 「王の財宝ゲート・オブ・バビロン!」
 「突き穿つ死翔の槍ゲイボルグ!」
 無数の宝具が真紅の槍に突き刺さる。更にはキャスターの高速神言による特大の稲妻と、バーサーカーの斧剣、ハサンのダークが襲いかかった。
 だが次の瞬間、彼らは凍りついた。
 必勝を期した全サーヴァントによる一斉攻撃。その全てをロンギヌスは全く受け付けなかったのである。
 あまりも強すぎる幻想に、愕然とするサーヴァント達。だがその攻撃が、ロンギヌスの秘密を見破る時間を与えた。
 「ATフィールドだ!あの槍はATフィールドなんだ!」
 一度、解析を弾かれた後も、必死になって解析を続けていた士郎は、ロンギヌスの特性を見抜いた。
 無数のATフィールドから構成された神の槍。それこそがロンギヌスの正体。
神殺しの槍ロンギヌス!主として命じる!僕ごとアンリマユを貫け!」
 穂先を主に向ける真紅の槍。だが少年を主と認める槍の担い手が、それを防ごうと体を張って間に入る。
 穂先を掴み、全力で押しのけようとするランサー。
 「マスターはやらせねえ!」
 ランサーの咆哮に応えたかのように、彼の全身の筋肉が隆起する。それだけではない。眦はつり上がり、口は耳元まで裂けていく。その姿は、まさに神話に謳われた狂戦士クー・フーリンその人であった。
 「逃げろマスター!」
 「・・・ごめんね、ランサー。令呪を持ってマスターとして命じる!」
 愕然とした表情のランサー。主が何をするつもりなのか、嫌でも理解してしまった。
 「止めろ!マスター!」
 「ランサー!神殺しの槍ロンギヌスから離れろ!」
 令呪による強制転移を発動させるシンジ。それに抗える訳もなく、ランサーは離れた場所に転移する。
 転移と同時に、再び駆け寄ろうとするランサー。
 だが、その思いは報われなかった。
神殺しの槍ロンギヌスが命に従い、主を貫く。

「マスター!」

「イ・・・イヤアアアアア!」


 ランサーの怒号とレイの慟哭。全ての視線が集まる中、神殺しの槍ロンギヌスは二股に分かれた先端を1つに捩らせながら少年を串刺しにする。
 そして槍は、まるで少年の体へ吸い込まれるように姿を消していく。

 「・・・アスカ・・・もう一度だけ・・・会いたかった・・・」

 それが少年の最後の言葉となった。



To be continued...
(2011.05.01 初版)


(あとがき)

 紫雲です。今回もお読み下さり、ありがとうございます。遂に暁の堕天使・聖杯戦争編もここまで辿り着きました。この展開は最初から考えていた展開でしたが、如何だったでしょうか?良い意味で期待を裏切る事が出来たのであれば幸いです。
 狂戦士化したシンジとランサーも書けましたし、個人的には満足しておりますwでも神話通りの狂戦士化クー・フーリンの描写は止めておきました。膝関節が逆に曲がるって理解出来ないしw
 話は変わって次回です。
 次回は聖杯戦争編最終話になります。シンジを失った士郎達。そんなシンジの過去を聞かされた彼らの下す決断とは?
 そしてNERVもまた、ロンギヌスの落下という現実に対して動きだします。同時にシンジの喪失は、アスカにも影響を及ぼす事に。過去の罪を突きつけられる事になったアスカはどうするのか?そんな話になります。
 それではまた次回も宜しくお願い致します。



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