暁の堕天使

hollow編

第三話

presented by 紫雲様


3月10日―
 「・・・うう・・・ん・・・朝?・・・」
 眠い目を擦りながら、アスカは目を覚ました。枕元の時計は、朝の6時半。同室のレイはまだ眠っていた。
 厨房で朝食の支度をしていた士郎にシャワーの使用の許可を求めると、アスカは熱いお湯を頭から被って、眠気を完全に吹き飛ばした。
 髪の毛を乾かし、身支度を整える。
 「ランサー、いるんでしょ?」
 「何だ?」
 「率直に訊くわ。どこまで覚えてる?」
 アスカの問いかけに、現界化したランサーはハッキリと答えた。
 「どういう理屈かは分らねえが、マスターと13日の深夜に、無限に湧き出る化け物どもと戦った事は、しっかり覚えている」
 「そう。ならその最後で、私があいつらに殺された事も覚えているわよね?」
 押し黙るランサー。マスターであるアスカを守り切れなかった事に、責任を感じているのだろう。
 「別にアンタを責めたい訳じゃないの。アタシが気にしているのは、連中の正体よ。連中、何者か分る?」
 「いや、俺には分らねえ」
 「OK。まずは連中の正体も調べないといけないようね。やる事はたくさんあるわ、行くわよ、ランサー」
 自分で頬を叩いて気合いを入れると、アスカは部屋を静かに出た。

 朝食後、アスカはすぐに、士郎や凛達との作戦会議に入った。
 幸い、彼らはアスカが閉鎖空間を繰り返しているという仮説を覚えていたので、全員がアスカをスンナリと受け入れた。
 「まず全てを覚えているのはアスカとレイね。私達はアスカがこの4日間を繰り返しているという事実は知っているけど、具体的にどんな体験をしてきたのかは覚えていない。あとアヴェンジャーがタルウィとザリチェという双剣を使い、何らかの形で聖杯の呪いであるアンリマユと関係があるんじゃないか?という仮説は覚えているわ。以上の事から、記憶を継承できないと思われる私達であっても、ある程度印象の強い記憶は、部分的に持ちこす事が可能だと断言できる。ここまではいいわね?」
 凛の言葉に頷く一同。
「となると、あとは他の連中がどうなっているか、現状を調べる必要があるわ。特にマスターとサーヴァント、私達に協力してくれている魔術師でない一般人―綾子や柳洞君達ね」
 凛の発言に、全員が一斉に頷く。
 「桜、貴女は慎二をお願い。ルヴィアはイリヤの所へお願い。私はキャスターの所へ。士郎は柳洞君達を頼むわ。手が空いているようだったら、葛城さんや加持さんも士郎の手伝いをお願い。それからアスカなんだけど」
 「私は教会へ行って来たいのよ。どうしても確認しないといけない事があるから」
 「いいわ、じゃあそちらをお願い」
 アスカは頷くと、ランサーとともに居間を後にする。その足音が聞こえなくなるまで、士郎は凛の服の裾を掴んでいた。
 「・・・士郎、どうしたの?アスカには聞かせられない事?」
 「ああ、正直、教えても良いのかどうか判断できないんだ。相談に乗ってくれ」
 その言葉に、同席していた者達が士郎に顔を向ける。
 「あのな、最後の日にシンジを見た」
 一瞬の空白。
 「士郎?一体、何があった訳?」
 「最後の日に俺とセイバーは、アヴェンジャーとそのマスターと戦ったんだ。結果は俺達の負けだったんだが」
 「どういう事!士郎とセイバーが負けたって言うの!」
 「シロウ!詳しい事を教えていただきたい!私には最後の日の記憶が継承されていないのです。一体、何があったのですか!」
 凛に同調するかのように、セイバーもまた納得できないとばかりに士郎へ詰め寄っていく。
 「セイバーがアヴェンジャーのマスターに切りかかった時、アヴェンジャーがマスターの盾となって切られた。けどその時にアヴェンジャーは宝具を使ったんだ」
 「宝具?どのような宝具ですか?」
 「偽り写し示す万象ヴェルグ・アヴェスターという呪いの宝具だ。効果は自分が負った傷を相手にも強制的に負わせる相討ちの宝具だよ。そのせいでセイバーは重傷を負ってしまい、約束された勝利の剣エクスカリバーを使うしかなくなったんだ」
 悔しげに拳を握り締める士郎。その脳裏には、決定的な光景が映し出されていた。
 「セイバーは約束された勝利の剣エクスカリバーを使った。けど次の瞬間、セイバーは左胸を貫かれて即死したんだ。アヴェンジャーのマスターの宝具のせいで」
 「宝具ですって!アヴェンジャーのマスターは人間じゃないの?ひょっとしてキャスターのようなサーヴァントだとでも言うの?」
 「アヴェンジーのマスターがサーヴァントではないのは間違いない。ただ人間かどうかまでは断言できないよ。俺に分かったのは、あのマスターが使った宝具の情報だけだ。あれは血脈に宿る宝具だ。魔術師の家系が魔術刻印を代々継承するように、その血脈に宿った宝具なんだよ。代々の当主に伝わる特殊な儀式を行う事で作り上げ、その当主のみが扱う事のできる逆光剣フラガラック。その効果は時間を遡ってカウンター攻撃を行い、先に相手を殺してしまう事で、攻撃されたという事実を無かった事にする究極の迎撃兵装―切り札殺しだ」
 士郎が小さくトレースオンと呟く。その手の中に、銀色の球体が出現する。
 「こう見えても『剣』だから、俺でも投影できるんだよ。オリジナルのランクはAランク相当。切り札の打ち合いになったら、フラガラックに勝てる宝具は存在しない」
 「厄介な宝具ね・・・でも手の内が分かれば対処の方法はあるわ。それで、士郎。セイバーがフラガラックに敗れたのは理解できたわ。でもそれと、言峰君がどうして繋がる訳なの?」
 「アヴェンジャーだよ。あの時、アヴェンジャーの顔が見えたんだ。普段は人間の形をした『闇』という感じだったのに、アヴェンジャーの素顔が見えたんだ。入れ墨だらけだったけど、間違いない。アヴェンジャーの顔はシンジの物だった」
 全員の視線が、士郎からレイへと移る。
 「・・・あなたの言う最後の日、私は碇君の傍にいたけど、碇君は身動き一つしていなかったわ」
 「ええ、それは事実でしょうね。言峰君の体はこの家にあった。多分、言峰君の失われた魂をアヴェンジャーが手に入れた。そんな所でしょうね」
 「・・・アスカにはしばらく黙っていましょう。あの子の事だから、間違いなく突撃するわ」
 ミサトの言葉に、全員が静かに頷いた。

冬木教会―
 礼拝堂から聞こえてくるパイプオルガンの音色。僅かの乱れも感じられない旋律に、アスカが少しだけ顔を顰める。
 「どうかしたのか?マスター」
 「・・・カレンのオルガン。最初は上手だと思ったのよ。でも何でかな、今はそう思わない。まるで機械が弾いているように感じたの」
 「ほお。俺には良く分からんが、マスターはそう感じるのか」
 同じように礼拝堂へと立ち入るアスカ。椅子に座り、演奏が終わるのを待っていると、カレンは演奏を中断。アスカに顔を向けた。
 「今日はどのような御用件でしょうか?」
 「要件は1つだけ。アンタ、何者なの?どうしてあの時、化け物の集団の中に、アンタがいたのか、アタシはその理由を知りたい。場合によっては実力行使も辞さないわ」
 「・・・私は聖職者、神に仕えるものです。救済を求める哀れな魂に、手を差し伸べる事の、どこがおかしいというのですか?」
 これには意表を突かれたのか、アスカが目を丸くする。
 「彼らはその存在意義故に、救われる事が無い。私はその苦しみを少しでも和らげる為に、あの場におりました。ただそれだけです」
 「それだけって・・・」
 「私から見れば、彼らもまた人間です」
 両手を胸の前で組み、両目を瞑って祈りを捧げるカレン。
 「貴女が私を疑うのは自由です。どうしても気になると言うのなら、後ろの槍兵に命じて私を殺させなさい。抵抗はしません」
 「アンタ、自分が何を言っているのか、分かっているの?」
 「どちらにしろ13日が終われば、元通りになるのです。知らない訳ではないでしょう」
 黙りこむアスカ。カレンの言う事は正しいから、アスカには何も言えない。第一、アスカにとっての目的は情報の入手であって、カレンの殺害等ではないのだから。
 しばらくの間、アスカはカレンを睨みつけていたが、やがて背中を向けた。
 「帰るわよ、ランサー。要件は済んだわ」
 礼拝堂の扉が開かれる。そのまま立ち去ろうとしたアスカの背中に、声がかけられた。
 「お急ぎの様ですので今日は止めませんが、今度来る時は時間をとって下さい」
 「何を聞きたい訳?」
 「貴女が助けようとしている、少年の事です。私は彼に興味がある。どんな人間だったかを知りたいのです」
 「・・・馬鹿な男よ。ただそれだけ」
 どこか寂しげに、アスカは呟いた。

Interlude―
 「よお、気分はどうだい、マスター?デートでも行ってみねえ?」
 「ええ、貴方の能天気な声を聞いていると、無性にいたぶりたくなってきますね。幸い貴方はサーヴァント。人権等気にする必要も無い」
 「ちょっと待てって!軽いジョークだろ!張りつめたマスターの気分を和らげてあげようという、この俺の優しい気使いが理解できないのかよ!」
 「ええ、ですからサンドバックになって下さい。私のストレス解消の為に」
 悲鳴を上げながら、部屋から飛び出る相棒の姿に、わざとらしく大きなため息を吐くバゼット。彼女の視線は、傍らに転がっていた、テニスボールをいれる筒のような物へと向けられる。
 「・・・やはり、使わねばならなかったか・・・」
 筒から出てきたのは、銀色の球形の物体。バゼットを魔術協会の切り札たらしめている最強の武装。
 「弾数は残り3発。残るサーヴァントはライダーともう1人のアサシン。両方に1つずつ使ったとしても、まだ残りに余裕はある」
 思案にふけるバゼット。
 「残り2体。まずは当たってみて情報を集めましょうか」
 ハンガーに掛けられていたスーツを着込むバゼット。姿見の鏡で格好を整える。一瞬、自身が隻腕に見えたが、良く見直せばそんな事は無い。きっと疲れているのだろうと結論付ける。
 「アヴェンジャー!行きますよ!」
 
 夜の路上。衛宮邸で夕食を済ませた桜とライダーは、間桐邸への帰路にあった。
 2日に1回、彼女達は間桐の家へ帰宅する。聖杯戦争の前までは必ず毎日帰宅していたのだが、聖杯戦争の終結後、士郎の周辺に恋敵たりえる存在が3人も現れて、事実上の同居状態にある事。更に桜自身にも以前から衛宮邸に部屋があった事から、桜もまた同居するつもりであった。
 だが問題は、彼女が間桐の後継者であるという点である。
 間桐の魔術は慎二には伝えられていない。加えて慎二も魔術師になろうという考えは全く持っておらず、高校卒業後は家を出て、どこか遠くの大学に進学予定である。
 この時点で、桜には間桐の魔術も家も捨てるという選択肢は存在していた。それは事実である。何せ桜には、間桐家の魔術刻印がない。そういう意味では、既に間桐の魔術は絶えてしまっているのだ。
 そんな彼女が間桐の家を継ごうとした理由。それは桜自身が決めた事にあった。
 『一から間桐の魔術を創り直します。私が経験した蟲使いの魔術ではなく、もっと自然に触れ合えるような虫使いの魔術。それこそ私が目指す魔術です』
 この決意には誰もが賛同した。凛は多少不満があったようだが、それでも妹の決断に祝福の言葉を贈っていた。
 間桐家という魔術師の開祖になる。
 その道は深く険しい。だが桜に諦めるつもりはない。優しい姉達が見守り、ライダーという師匠が導いてくれるのだ。加えて常に彼女の前を、想いを寄せる男が『正義の味方』という目標目指して全力で走り続けている。その横に並ぼうと、桜は決意も新たに努力の日々を送っていた。
 だから今の彼女は、とても明るい性格に変わりつつあった。間桐の家へ帰る時、その顔から笑顔が消える事も無い。
 その笑顔を守る為に、ライダーは常に桜の傍にいる。
 そのライダーが、鉄杭を構えて戦闘態勢に入った。
 「出てきなさい、気付かれていないとでも思っているのですか?」
 「・・・残念ですね。苦しませずに済めば、その方が良かったでしょうに」
 出てきたのはバゼットとアヴェンジャーである。バゼットはいつものスーツ姿、アヴェンジャーはタルウィとザリチェの2刀流。だがその姿は相も変わらず影法師。まるで剣だけが夜闇の中に浮いているような印象すら感じられる。
 「貴女方ですね、アヴェンジャーとそのマスターと言うのは」
 「知っているなら話が早い。さあ、始めましょう」
 桜を庇うライダーに、バゼットとアヴェンジャーが同時に襲いかかる。その攻撃を凌ぎながら、警告を発するライダー。
 「逃げて下さい、サクラ!」
 「ううん、ライダー。私も戦うわ。これ以上、私は逃げてはいけないの。だからライダー、私の傍にいて。私が勇気を持てるように」
 「・・・ええ、分かりました、マスター!」
 己の持つ2つの魔術―虫使いと虚数魔術―。桜はその中でも比較的安全な虫使いの魔術を行使した。
 桜の全身から迸る魔力が、大地に流れ込む。次の瞬間、周辺一帯に嫌な空気が立ち込めた。
 細かい音が断続的に聞こえ出す。
 「最後の警告です。退いて下さい」
 だがバゼットも退く訳にはいかない。聖杯戦争に勝ち残り、聖杯を持ちかえると言う任務を果たさなければならないから。
 「断ります」
 「・・・そうですか・・・分かりました。お願い、力を貸して!」
 まるで桜の言葉に従ったかのように『それら』は動き出した。その光景は、まさに『群れ』。
 道路を、ブロック塀を、夜空を、辺り一面全てを埋め尽くすかのような虫の群れ。
 道路を埋め尽くす蟻の大群がギチギチと顎を鳴らし、夜空を蜂の群れが羽音を立ててホバリングをしている。ブロック塀の上では毒を持つ虫が隙を伺うようにバゼットに視線を向ける。
 この光景はさすがに驚いたのか、バゼットは思わず足を止めてしまった。
 致命的な隙。
 次の瞬間、ライダーの鉄杭がバゼットの左胸に突きたてられ―はしなかった。代わりにアヴェンジャーの右肘から先が消し飛んでいた。
 「いってええええええ!何すんだ!」
 「アヴェンジャー!」
 ライダーが怪力スキルを用いて、トドメにはいる。袈裟がけに肉を抉られるアヴェンジャーの姿に、ライダーが勝利を確信した。
 「偽り写し示す万象ヴェルグ・アヴェスター
 ニヤリと笑うアヴェンジャー。同時にライダーの上半身から鮮血が噴水のように噴き出る。
 愕然とするライダー。昼間に警告されていたと言うのに、ライダーは一撃で仕留められなかった事に歯噛みした。
 「しまった!」
 「残念だったな、美人の英霊さんよ。てめえも道連れだ!」
 「それはこちらの台詞!くらえ、騎英ベルレ・・・」
 切り札を発動させようとしたライダーだったが、士郎の情報を思い出し、慌てて発動を中断させる。
 (いけない、今はマズイ)
 ザックリと切り裂かれた胴体に、失われた右腕。だがアヴェンジャーは残された左手だけで武器を保持しつつライダーに襲い掛かってくる。まるで痛みなど感じていないかのように。
 「・・・厄介な男ですね、しつこいのは嫌われますよ?」
 「はっ!面白いこと言う姉ちゃんだな!つれないこと言わないで、最後まで付き合ってくれよ!」
 徐々に速度を増していくアヴェンジャーの攻撃。アヴェンジャーもライダーも、戦士としての経験は無い。そうなると純粋に身体能力に勝る方が有利になる。その点でいえば、明らかにライダーが有利なのだが、ライダーはバゼットにも注意せねばならない為、思い切った行動に出られずにいた。
 そのライダーの躊躇いを見透かしたかのように、バゼットが限界まで引き絞られた弓から放たれた矢のように飛び出していく。狙いは桜。
 桜は虫使いの魔術で迎撃するつもりではいたが、実戦経験が豊富な訳でもないし、そもそも気質的に戦闘には向いていない。これ見よがしに虫を呼び出したのも、どちらかというと威嚇の意味合いが強かった。
 だからこそ、突然、自分が狙われた時、桜は体を硬直させてしまい、僅かな迎撃の時間を失ってしまった。
 「邪魔!」
 ライダーが全力を込めた前蹴りでアヴェンジャーを蹴り飛ばす。そのままライダーは叫んだ。
 「騎英の手綱ベルレフォーン
 ライダーにしてみれば、もはや、フラガラックによる迎撃の危険等と言っていられる状況ではない。桜が殺されてしまっては元も子もない。ならば危険を冒してでも、使わざるを得なかった。
 ライダーの眼前に現れる鮮血の魔法陣。その光景に、バゼットはニヤリと笑いながら足を止める。
 「後より出でてアンサラー
 バゼットの笑みに、ライダーは自分が踊らされた事を自覚せざるをえなかった。全てバゼットの思惑通りに事を進まされている。
 悔しげに歯ぎしりしながら、ライダーが光に包まれる。
 「先に断つものフラガラック!」
 ライダーの左胸に開いた、小さな穴。
 因果を捻じ曲げ、時を逆行して放たれる先制の一撃によって相手を殺し、攻撃されたという事実を無かった事にしてしまう『切り札殺し』と呼ばれる迎撃兵装。後から出したのに、相手よりも先に放った事になる究極のカウンター。
 それがバゼットの家に代々伝わる宝具・逆光剣フラガラックの能力である。
 ライダーの姿が消滅し始めていく。
 「ライダー!」
 「サクラ・・・逃げて・・・」
 自分が死ぬ。その瞬間も、ライダーは桜を心配していた。サーヴァントを失ったマスターが辿る末路は1つ。
 当然、バゼットやアヴェンジャーに桜にかける情けは無い。
 慎二と違い、桜は2人の姿を見ているし、何より戦場に立っているのだから。
 だが2人は間桐桜という魔術師の覚悟を見誤っていた。
 何より、桜とライダーの絆を知らなかった。
 周囲に展開していた虫達が、一斉に2人へ襲いかかる。
 「ライダーの仇!」
 襲いかかる虫の群れ。単体であればそれほど脅威ではないが、群れとなれば話は変わってくる。
 そんな2人を、ライダーを失った悲しみと怒りから、執拗に追撃する桜。本来、戦術知識どころか戦闘経験すらろくにない桜なのだから、歴戦のバゼットにしてみれば手玉に取る事は不可能ではなかった。ましてや英霊であるアヴェンジャーにしてみれば、魔術で操られるだけの自然界の虫など、とるに足らない。
 だがそれを許さないほどの桜の気迫に、バゼットは撤退を決断した。アヴェンジャーはタルウィで、バゼットは炎を象徴するルーンで虫の集団を蹴散らし、かろうじて戦場からの離脱に成功した。

3月11日―
 「ああ、心配掛けさせて済まなかったな」
 『桜は僕の妹だ。別に衛宮に礼を言われるような筋合いは無いよ。とりあえず桜はアサシンに守らせているから、そう伝えておいてくれ』
 「分かった、また何かあったら連絡する」
 ガチャンと受話器を置く士郎。そんな士郎に声がかけられる。
 「シェロ、サクラの様子は?」
 「アサシン―ハサンが護衛に就いているそうだけど、とりあえず怪我は無いそうだ。でもライダーを倒されたショックで、寝込んでいるらしい。あれだけ仲が良かったんだから無理も無いけどな」
 「あとでリンが見舞いに行くと言っていましたわ。サクラの事は彼女に任せましょう」
 士郎とルヴィアが居間へ戻ると、早速、情報交換が行われた。
 「まず4日間の事を完全に覚えているのはイリヤと教会のカレンね。覚えていないのは葛木や慎二、柳洞君達。葛城さんや加持さんもここに含まれるわね。だけど彼らは無意識のうちに変化している。恐らく、世界の上書きに順応したんでしょう」
 凛の言葉に頷いて見せるアスカの横で、レイが口を開いた。
 「覚えている人達、共通点があるわ」
 「綾波さんも気づいたみたいね?」
 「ええ。その2人は聖杯に深い関係があるわ」
 イリヤは聖杯の器という役目を背負った存在。だから聖杯とは、深い関係がある。本来なら桜もそうなのだが、桜の場合は士郎の破戒すべき全ての符ルール・ブレイカーにより聖杯との繋がりを断たれている。そのせいで桜は完全には覚えていなかった。
 カレンは聖杯戦争の監督役。その彼女が聖杯と繋がりがあるのは、ある意味当然である。
 アスカとレイは聖杯とは直接関係は無い。だが聖杯の呪いに取りこまれたシンジとは、関係がある。レイは3 年に渡りシンジの中で眠りにつき、アスカはシンジの右目や体の一部を受け継いでいる。2人とも魔術的に表現するなら、シンジ=聖杯との間にパスが繋がっている状態であった。
 士郎や凛達も令呪を通して聖杯とは繋がっている。だが全ての記憶をはっきりと覚えている訳ではない。知っている者から言われれば『ああ、そういえば』と返せる程度なのである。
 「だんだん、この世界のルールが分かってきたわね。この世界では『死』すらも覆る。それは倒された人達が蘇っている事から断言できる。そうよね、アーチャー?」
 「うむ。凛の言う通りだ。前回、私達がアヴェンジャーとそのマスターを倒す前の日、ハサンは連中に倒されているからな」
 「そうね。自慢じゃないけど、私も前回の最後に日に殺されているわ。でもこうして生きている。それはアーチャーが証明できるわ」
 「ああ、全くおかしな世界だな」
 肩を竦めるアーチャー。そのアーチャーにセイバーが質問する。
 「そういえば、重要な事を訊き忘れていました。アヴェンジャーのマスターですが、やはり女性でしたか?恥ずかしいが、私は覚えていない。教えて貰えればありがたい」
 「ふむ。まず性別は女性で背丈はライダーと同じぐらいか。服装だが、男物のスーツだったな。髪の毛は短く、裾を刈り込んでいた。明らかに戦いを生業としていると、君ならば一目で判別できるだろう。あとは左目の下に泣き黒子があったぐらいか」
 「なるほど」
 頷くセイバーとは対照的に、ランサーが険しい表情を作る。だが彼は沈黙を保ち続けた。
 
Interlude―
 次の目標を求めて、バゼットとアヴェンジャーは再び夜の街へと繰り出していた。
 『サーヴァントの気配なら分かるから、俺に任せてくれよ』
 そう断言したアヴェンジャーであるが、現在に至るまで、彼が気配を誤った事は一度も無い。確かに彼は断言した通り、サーヴァントの元へとバゼットを導いていた。
 それはこの日もそうだった。たった1つ誤算があったとすれば、それは相手だった。
 「・・・まさか貴女だったとは・・・ミス・バゼット・・・」
 「それはこちらの台詞です、ミス・エーデルフェルト」
 この日、巡り合ったのはルヴィアとコジロウであった。互いに顔見知りであり、同じ時計塔に在籍する魔術師。それが戦わない理由とはならない事等、ルヴィアも百も承知である。だがそれを押し止めてまで質問しなければならない事があった。
 「どうして貴女が生きているんですか!貴女は殺されたと聞いていますよ!」
 「何を訳の分からない事を。私はこうして生きています。この極東の国においては、ゴーストは足が無いと聞き及んでいますが、私には足がある」
 スッと身構えるバゼット。その立ち姿は協会きっての封印指定執行者に相応しい実力を垣間見せるものであった。
 「ふむ。南蛮の無手の格闘術、興味を惹かれるな」
 愛刀を手に、前に歩み出るコジロウ。
 「こちらは2対1でも構わぬ。来るがいい」
 「随分と自信があるようだな、サーヴァント」
 「自信が無ければ、このような大言壮語は吐かぬよ。我が主に代わりにお相手仕る。我が名は佐々木小次郎、クラスはアサシン。400年ほど前の、この国の侍よ」
 「400年?まさか、貴方は人間だったのか?神話の住人ですらないと?」
 「無論。生まれはしがない農民の出よ。神の血も魔性の血も、この体には流れておらん」
 目の前のサーヴァントの出自には意表を突かれたバゼットだったが、すぐにそれが過ちであったと気づいた。不自然なほどに、愛刀を背後に引き寄せたコジロウ。その実力を見て取ったのか、顔色が目に見えて変化する。
 「さあ、参られい」
 「アヴェンジャー、向こうの言葉に甘えます」
 「へえへえ。それじゃあ、やろうか」
 先手必勝とばかりに、襲いかかるバゼットとアヴェンジャー。コジロウを挟みこむかのように挟撃した2人だったが、コジロウは刹那の瞬間にアヴェンジャーの首を躊躇いなく刎ね飛ばした。
 まさに一瞬の攻防。運が悪ければ、今の一撃で自分は死んでいた。切り裂かれた左腕の袖に視線を落としたバゼット。その背筋に、冷たい冷や汗が流れ落ちる。
 だが、それ以上にバゼットは己の目を疑っていた。彼女の眼が捉えたのは、同時に走った3本の軌跡―
 「・・・何者だ、貴方は。今、確かに同時に3本の攻撃が・・・」
 「ほう、よく見極めたものだ。人の身でありながら、大したものだ」
 無行の位に構えを戻したコジロウ。一見、無防備極まりないが、バゼットにしてみればこれ以上ないほどに危険極まりない存在であった。
 「以前、マスターから聞いたのだが、どうやら某の燕返しは、第2魔法とやらと同じ力を持っているそうだ。ただ某は無学故に並行世界等と言われても、よく理解できなかったが」
 目の前のサーヴァントが、神話の世界の住人でこそないものの、恐るべき剣士であることはバゼットにもよく理解できた。
 だが宝具も持たない単なる人間の剣士が、剣技を磨き抜いた末に第2魔法を再現した攻撃を身につけていた等、予想外も良いところである。
 「ミス・バゼット。コジロウの言っている事は事実です。コジロウの燕返しは第2魔法を再現した同時多重攻撃。そして剣技故に、私達の魔術と違って魔力を消費するような事はありません」
 愕然としたバゼット。長期戦になればなるほど、魔力を利用するバゼットは不利に追い込まれる。加えてアヴェンジャーも離脱している以上、もはや選択肢は1つしかない。
 「後より出でてアンサラー
 バゼットの背後に浮かぶ、銀色の球体。それが意味する物を、コジロウもルヴィアも士郎から聞いている。
 絶対確実な死を約束する究極の迎撃兵装、逆光剣フラガラック。
 だが、敢えてコジロウは誘いに乗った。
 燕返しの態勢に入るコジロウ。
 それを見たバゼットは、当然の如く勝利を確信した。バゼットにしてみれば、まさか前回倒された士郎がフラガラックの能力をルヴィア達に伝えていた等とは、欠片ほどにも考えない。目の前の剣士は、己の必勝を確信して必殺の技で攻撃してくる。その油断を突く絶好の機会だと思いこんだ。
 「秘剣、燕返し」
 「先に断つ者フラガラック!」
 3本の軌跡は走る事無く、コジロウの左胸に小さな穴が開く。
 だがバゼットは勝利を感じる事は出来なかった。
 何の前触れもなく口から溢れ出る鮮血。その視線は激痛を訴える、自身の左胸へと向けられる。
 平均より豊かな胸から突き出ている、不気味な色をした黒い腕―
 「・・・馬鹿・・・な・・・アサ・・・シン・・・だと・・・」
 崩れ落ちるバゼット。その体は、静かに空気へ溶け込むかのように消えて行った。
 「コジロウ!」
 駆け寄ってきた己の主を、コジロウは晴れやかな笑みを見せながら出迎える。
 「・・・主よ、礼を言わねばならんな。燕返しは最高の剣技だと思っていたのだが、更なる高みを見せていただけた。次は時を越えねばならんな」
 「コジロウ、ごめんなさい。私は貴方を」
 「言うな、主よ。私は満足している。それに主には、やらねばならぬ事があろう?次の4日間が来れば再び出会えよう。その時には、また主の為に剣を振るおう」
 そこで力が尽きたのか、コジロウもまた空気へ溶け込むかのように静かに消えた。
 「・・・協力、ありがとうございました」
 「良いんです、ライダーの仇でしたから」
 「こちらの妹殿に力を貸せ。それが我が主の命である。貴殿に礼を言われるまでもない」
 街灯に照らされたその姿は、真アサシンと桜である。ライダーの仇を討つ為、桜は慎二を説き伏せてハサンを借り受けるとルヴィアに合流。バゼットの情報を掴むためにコジロウの犠牲を前提とした作戦を知ると、そこに乗ったのである。
 「コジロウさんには悪い事をしましたが、ルヴィアさん、何か分りましたか?」
 「・・・ええ、幾らかは。これから帰って、情報を検討します」
 ルヴィアの目に、強い光が宿っていた。
 
3月12日―
 「・・・と、言う訳なのです」
 ルヴィアの報告に、ランサーは誰が見てもはっきりと分かるほど、その顔に怒りを浮かべていた。
 バゼットは彼にとって最初のマスター。紆余曲折を経てアスカをマスターと仰ぐ立場ではあるが、それでもバゼットへの感情が消滅した訳ではない。
 「・・・一度、直接会ってみる必要があるな・・・」
 もしバゼットが生きていた、となればそれは喜ぶべき事である。
 だが、そのバゼットは本当に無事なのだろうか?
 例えば死体となっていたバゼットを操っている者がいるのかもしれない。もしくは生きていたとしても、精神を操られているのかもしれない。
 確証を掴めない以上、ランサーのストレスは募るばかりである。
 「それで、これからどうするつもり?」
 「それなんだけど、そのバゼットと言う人について調べるべきだと思う」
 アスカの言葉に、ルヴィアが先を促す。
 「アサシン、アンタそのバゼットという人と戦ったのよね?戦闘スタイルはボクシングだった?こんな感じで構えて」
 実際にボクシングのファイティングスタイルをとって見せるアスカに、ハサンが無言で頷いて見せる。
 「やっぱりおかしいわよ。バゼットと言う人、片腕を無くしている筈よね?どうして両手で構えをとっていた訳?」
 「なるほど。あのマスターには両腕があったな。両手ともに黒い手袋を嵌めていたので皮膚は確認していないが、義手ではあのように滑らかな動きはできん」
 「・・・つまり、偽物の可能性が高い。そう言う事か!」
 ランサーの怒りのボルテージは止まる所を知らない。もはや手の着けようが無いほどに、激怒していた。
 「ランサー。アンタには悪いけど、そのバゼットという人が襲撃された場所へ案内してほしい。この際、遺体の有無は確認しておくべきだと思うわ」
 「ああ、分かってる。ついてきな」
 
冬木市郊外の洋館―
 ランサーの案内の元、一行は郊外にある古びた洋館に足を延ばしていた。
 同行者はルヴィア。凛はショックから回復しきっていない桜のもとに、士郎はレイの護衛も兼ねて自宅で留守番である。
 ランサーが先頭に立ち、階段を昇っていく。やがて一際広い、応接室のような部屋へと案内された。
 部屋の中央には小さめのテーブル。それを挟むように、3人がけのソファーが2つ。装飾品の類はほとんどなく、僅かに絵画が1枚架けられているだけの寂しい部屋である。
 「これだ」
 ランサーが指差したのは、どす黒く変色した血痕である。広さは直径1m弱。絨毯に染みついたそれは、まるで墨汁のようであった。
 「・・・確かに、相当の出血量ね。多分致死ラインギリギリよ」
 アスカの言葉に、ルヴィアが厳しい目で血痕を見つめる。その間に、周囲をグルッと回るアスカ。
 「血痕が続いている様子もない。少なくとも、出血したまま移動はしてないわね。そのまま失血死したか、もしくは応急手当をしてどこかに運ばれたのか・・・」
 「失血死であれば、遺体が無いのが気になります。誰かが回収したという事かしら?」
 「理屈の上ではそうなるわね。でも死んだ直後に運んだと仮定すると、運んだ奴の足跡が無いのが矛盾するわね」
 アスカの言葉に頷くルヴィア。
 「仮に応急手当てを施されて、運ばれたと仮定する。でもこちらも矛盾があるわ。応急手当といっても出血を0に出来る訳じゃない。運ぶ途中で血の跡が残っていてもおかしくないの。なのに、どこにもそれらしい形跡は無い」
 アスカがドアを開ける。木の廊下には埃は積もっているが、どこにも血痕は無い。
 「ルヴィア、魔術師としてのアンタに質問があるんだけど」
 「何かしら?」
 「魔術で血液を補充する事は可能かしら?要は輸血ね」
 「・・・不可能ではありませんわ。私だって、その気になればやれない事はありません。ですが、実際に行うとすれば、分の悪い賭けになります。仮に血液を補充できたとしても、血液の内部に含まれている赤血球や白血球まで補充できる訳ではありません。必要成分を補充出来ずにアウト、と言った所ですね」
 ルヴィアの説明に、アスカが大きく頷く。
 「治療専門の魔術師だったら、どうかしら?」
 「私よりは成功確率は高いでしょう。ですが、この冬木の町で治療の魔術の使い手となると」
 一行の脳裏に浮かんだのは、シンジと綺礼である。
 「綺礼は加害者だ。敢えてバゼットを助ける理由が無い。マスターの場合は、それだけの技量が無い」
 「どういう意味?ランサー」
 「聖杯戦争の時に、マスターが言っていたんだよ。傷は塞げても、血液は補充できないってな。実際にライダーに血を吸われた女を病院へ運んで、輸血させたんだ。間違いはねえよ」
 「そうなると、バゼットが生きていたと仮定するなら、どこかの病院で輸血をさせたと考えるのが自然ね
 アスカの言葉に3人が大きく頷く。
 「加持さんに頼んで、その辺りを調べて貰った方が良さそうね。とりあえずは、そっちの調査待ち、そんなところかしら」
 
3月13日、衛宮邸―
 「ルヴィア、加持さんからの報告書よ」
 「思ったより早かったわね」
 アスカからの報告書に目を通していくルヴィア。やがて、フウッとため息をついた。
 「バゼットと思しき該当者は無し、か」
 「そうみたいね。おかげでランサーがピリピリしちゃってるわよ」
 「彼の事を考えれば、仕方ありませんわ」
 紅茶で一息つきながら、書類の細部まで目を通していくルヴィア。
 「表裏を問わず、身元不明の20代女性の遺体報告も無し。生死については不明のままだけど、誰かが何らかの目的で、洋館からバゼットを連れ去っているのは間違いないわね」
 「殺すのではなく、利用するのが目的、といったとこかしらね?」
 「恐らく、ね」
 降り立つ沈黙。そこへガラッと音を立てて衾が開いた。
 「ふーん、感心感心。ちゃんと待たせないように、待っていてくれたみたいね」
 「まあね。イリヤ、貴女に訊ねたい事があるの。少し良いかしら?」
 アスカからの御指名に、座布団に座ったイリヤが、卓袱台の上に置かれていた御菓子に手をつけながら頷いてみせる。
 「何を訊きたいのかしら?」
 「化け物について。前回の今日の深夜に、私を殺した黒い怪物。その正体を知りたい」
 「ふうん。でもどうして私な訳?」
 「突然再開された聖杯戦争と無関係とは思えないからよ。もし関係があるのなら、聖杯を創ったアインツベルンの者なら、何か知っててもおかしくないでしょ?最初はリンやサクラに尋ねたんだけど、あまり芳しくなかったのよね」
 しばらく考え込むイリヤ。だが、すぐに顔を上げる。
 「あれは聖杯の呪い―アンリマユの一部よ。彼らは言いかえれば群体。貴女が目にした化け物は、アンリマユの末端であると同時に本体でもあるの」
 「どうやったら倒せるかは分かる?」
 「全滅は不可能よ。いくら倒しても、聖杯が存在する限り、あの怪物達は何度でも蘇ってくるわ。無限の残骸とは、良く言った物よね」
 「つまり聖杯を壊すしかない、と言う事?」
 コクンと頷くイリヤ。
 「壊すだけなら士郎でもセイバーでも壊せるわ。でも下手に壊すと、万が一シンジと聖杯に繋がりがあった場合、悪影響を及ぼしかねない。だから短絡的に壊す事だけは止めて欲しいの」
 「そうね、いつでも壊す事が可能だと言うのなら、焦って壊す必要も無いわ。それにバゼットやアヴェンジャー、カレンの思惑も気になる。まずはそちらを調べてからにするわ」



To be continued...
(2011.06.04 初版)


(あとがき)

 紫雲です。今回もお読み下さり、ありがとうございます。
 今回はライダーとコジロウが脱落し、倒されたサーヴァントの数は6体になりました。いよいよランサーの兄貴にも御出陣頂こうと考えております。
 同時にhollow編も、これから正念場を迎える事になります。アスカの戦いに、もうしばらくお付き合い下さい。
 それではまた次回も、宜しくお願い致します。



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