暁の堕天使

hollow編

第四話

presented by 紫雲様


3月10日―
 部屋に射し込んできた朝陽に照らされて、アスカは目を覚ました。
 布団の中で寝惚け眼を擦りながら、ゆっくりと昨日の13日の事を思い出していく。
 「・・・やっぱり、殺されなくても10日には戻るのね・・・」
 隣で眠っているレイを見ながら、アスカは勢いよく身を起こした。
 「アスカ、行くわよ」
 
 朝食を済ませ、最早、日課となったランサーとの鍛錬を終わらせた後、アスカは教会へと足を向けた。
 見慣れた花壇を通り抜け、教会の礼拝堂へと向かう。
 だがアスカが礼拝堂の扉に手をかけるよりも早く、扉が内側から開け放たれる。同時に飛び出してきた人影が、アスカに勢いよくぶつかった。
 「キャッ!」
 「あ、ごめんなさい!」
 一声謝ると、人影はそのまま全力で走り去った。尻もちをついたアスカが、痛みを堪えて顔を上げると、金髪の小さな人影は教会の下り坂を転び落ちるかのように走り去っていくところである。
 「な、何なのよ・・・」
 「あら、また来られたのですか?」
 振り向いたアスカ。そこにはいつものシスター服姿のカレンが立っていた。
 「ちょっと、アンタんとこの子供、躾がなってないわよ?」
 「ええ、後で御仕置きですね」
 ニッコリと微笑むカレン。アスカの背中に走る寒気。
 間違いなく、こいつはろくでもない事を考えている。
 そう考えたアスカは、即座に身を翻し―次の瞬間、全力で真後ろに引っ張られた。
 「あら、どちらへ行かれるんですか?」
 「どちらって、帰るに決まってるでしょうが!」
 「それは困ります。貴重な奴隷を逃がしてしまった貴女には、それ相応の責任がある筈ですから」
 「それこそ、アタシには関係ないでしょうが!」
 激昂するアスカだが、威嚇などカレンには通用しない。柳に風とばかりに受け流す。
 「さあ、仕事はたくさんあります。とりあえずは礼拝堂の床掃除から始めますよ」
 「だからアタシは関係ないでしょうが!」
 アスカの姿は礼拝堂の向こう側へと呑みこまれた。

 「全く、何でアタシがこんな事しなきゃならないのよ!」
 モップ片手に石畳の床を擦りながら、アスカがぼやく。そこへ洗濯物を干し終えたカレンが顔を出した。
 「どうやら真面目にやっているようですね」
 「アンタねえ、無理矢理手伝わせておいて、そういう事言う訳?」
 「もしサボっていたら差し入れを止めようと思っただけです。手を止めて、こちらに来て下さい。中庭にちょうど良い所があります」
 茶器と菓子を手にしたカレンの案内に従い、礼拝堂から中庭へ移動する。
 「ここです」
 「へえ・・・」
 そこは日当たりの良い芝生の上だった。背中を預けるのに都合の良い木が生えている。春先ということもあり、緑の若芽が少し顔を覗かせていた。
 「紅茶は好きかしら?」
 「ええ、好きよ」
 「そうですか、それなら良かった」
 ティーカップに琥珀色の液体を注ぐカレン。カップから漂ってくる、爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。
 用意された御菓子を齧りながら、紅茶に口をつけるアスカ。そんなアスカを、カレンは不自由な両目でジッと見つめた。
 「・・・アタシの顔に何かついているの?」
 「いえ、そうではありません。世界を救った英雄と聞いてはおりますが、正直、そうは見えないほど子供っぽかったので、人違いだったのだと思っただけです」
 「オーケー。喧嘩を売るならいつでも買ってやるわよ」
 バキバキと指を鳴らし始めるアスカに、カレンは大袈裟にため息をつきながら応えた。
 「全く、血の気の多い人ですね。少しぐらい献血してきたらいかがですか?」
 「大きなお世話よ!」
 ボルテージが上がりっぱなしのアスカに、カレンは肩を竦める事で応える。
 「・・・別に貴女をからかう為に声をかけたのではありません。少しは落ち着いたらどうですか?」
 「ほほお?それじゃあどういう目的で声をかけたのかしら?」
 「奴隷の代わりです」
 前につんのめるアスカ。その横でカレンがマイペースに紅茶に口をつける。
 「貴女のように人の話を聞かない方でも、神は無限の愛を注いで下さいます。世を儚んで拗ねていないで、その身を起して、私の話を聞いていただけないかしら?」
 「とっとと言いなさいよ!これ以上寄り道するようだったら、遠慮なくぶん殴るわよ!」
 最早マジギレ寸前のアスカ。未だかつて、これほどおちょくられた経験がアスカには無かった。
 「ちょっとした予言です。運命が大きく動こうとしています」
 「運命?」
 「はい。状況が整いました。あと1体のサーヴァントが死ねば、繰り返される4日間は終わりを告げます」
 アスカの手からカップが転げ落ちる。中身が大地に零れ落ち、地面へと吸い込まれた。
 「それって・・・」
 「先に言っておきますが、終わりを告げるのは繰り返される4日間だけです。彼が目覚める訳ではありません」
 「どういう事よ!詳しい事を教えなさい!この4日間はシンジの力を流用している何者かの仕業なんでしょう!?」
 手元のティーポットから、紅茶を注ぐカレン。
 「・・・彼の準備が整いつつあります。繰り返される4日間、その中で命を失い、再び聖杯の力で蘇ってきたサーヴァントはセイバー、アーチャー、アサシン、真アサシン、キャスター、ライダーの6体となりました。聖杯を起動する為には7体のサーヴァントが必要ですが、既に6体も条件を満たしているのです。残るサーヴァントは英雄王、バーサーカー、ランサー、アヴェンジャーの4体」
 「それって・・・まさか!」
 「貴女の想像通りよ。6体のサーヴァントが、聖杯と繋がってしまった。あと1体が繋がれば、完成した聖杯がこの世に再び現れるでしょう。アンリマユという絶対悪の望みを叶える為に」

Interlude―
 いつもの如く目覚めたバゼットは、アヴェンジャーを伴ってすぐに行動を起こそうとした。
 彼女にしてみれば、無限ループする4日間に気づいているのは、自分だけだという思い込みがある。故に、この4日間で聖杯を入手しようと強い決意を持っていた。
 だが彼女は違和感を感じた。何がおかしいのかしばらく考えた彼女は、相棒と呼ぶべきサーヴァントの姿が、どこにもない事に気が付いた。
 「アヴェンジャー!どうしたのですか!」
 彼女の呼びかけに、何の反応も無い。館内は静まり返ったままである。
 テーブルの上に無造作に置かれていたパズルに視線を落とした後、バゼットは足音も荒く、館の外へと出て行った。

 静かな夜の新都を、バゼットは単独で歩いていた。
 聖杯戦争の最中に、サーヴァントを連れずに歩くなど、自分の死刑執行書にサインをするような自殺行為以外の何物でもない。にも関わらず、彼女は1人だった。
 彼女がこんな愚行をしている理由は2つ。
 どうせ死んでもやり直せるという安心感。もう1つは相棒であるアヴェンジャーの不在が原因である。
 この状態で他の主従と戦闘になれば、敗北は間違いない。だが引き籠るという安全策は彼女の気性からすれば我慢できない。結果として、彼女は情報収集を兼ねて夜の新都を歩いていた。
 人気のない夜の町。全く頼りにならないアヴェンジャーへの怒りを抱えながら歩いていたバゼットは、ふと感じた気配に思わず足を止めた。
 身構えるバゼット。そんな彼女の眼前に、静かに降り立った小さな影。
 「・・・これは、使い魔?一体、誰が・・・」
 『相変わらず元気そうね、ミス・バゼット』
 「その声!遠坂凛!」
 目の前に舞い降りた小鳥から発せられた声に聞き覚えのあったバゼットは、すぐに使い魔の主に思い至った。
 『サーヴァントがいないようだけど、喧嘩でもしたのかしら?』
 無言を貫くバゼット。今、戦闘になればどの主従が相手であっても、バゼットに勝ち目はない。だが馬鹿正直に答える義理は彼女にない。
 『ま、いいわ。貴女が答えてくれるとも思えないしね。それより本題に入らせてもらうわ。貴女、本当に今のままで良いのかしら?』
 「何を言いたいのか、良く分らないのですが」
 『簡単なことよ。無限ループする4日間。それが間もなく終わりを告げるという事実よ』
 バゼットの体が硬直する。告げられた内容にも驚愕したが、凛が4日間を繰り返している事に気づいているという事実が、それ以上の驚きをもたらした。
 「い、一体、何を・・・」
 『嘘だと思うのなら、教会へ行ってごらんなさい。シスター・カレンに話を聞けば良いでしょう。あの女は監督役だからね、公平に・・・対応してくれるわよ』
 口ごもるバゼット。完全に会話の主導権を握られてしまった彼女には、全く成す術が無い。
 『バゼット。貴女に1つだけ良い事を教えてあげる。聖杯戦争御三家の1つ、遠坂家当主として、貴女に教えてあげられる事実をね』
 「・・・何を・・・」
 『サーヴァントは確かに人の枠では測れない存在。抑止の守護者、と呼ばれるだけの事はある、規格外の存在なのよ。それは事実。でもね、その心は人間と同じ』
 「何を、何を言いたいのですか!」
 『人には信用できる者もいれば、信用できない者もいる、という事よ。それは貴女にも理解できるでしょう?私達マスターとサーヴァントは令呪を通して契約をしている。でも令呪は信頼の証という訳ではない。令呪があってもマスターを裏切るサーヴァントもいれば、逆に令呪が無くても傍にいようとするサーヴァントもいる。バゼット、貴女は一体どちらなのかしらね?』
 目の前の鳥から、凛の魔力が静かに消えていく。即興の使い魔の役目を解かれた小鳥が飛び去っていく姿を眺めながら、バゼットは怒りにまかせてアスファルトを殴りつけていた。

3月11日―
 この日、アスカはミサトとともに穂群原学園へ足を伸ばしていた。校門を越えて少し歩くと、グラウンドの方から練習に励む生徒達の声が聞こえてくる。
 聖杯戦争の為、2月はほぼ休校であった。その為、生徒達は仮校舎で春休みを返上して勉強しなければならない。
 時刻は午後3時。土曜日という事もあり、学校内には部活動に励む生徒達しか残っていない。だが欧米系の容貌を持ち、さらには世界で最も名高い知名度を誇るアスカと、『名将』の2つ名を持つミサトの組み合わせは、瞬く間に生徒達の間に伝播していく。
 誰もが手を止めて周囲と囁く中、2人に近づく影があった。
 「遅れちって、ごみん」
 「・・・せめて変装ぐらいしてきて下さい・・・」
 「良いの良いの、どうせ・・・だしね」
 苦言を呈したのは凛である。ミサトの言い分を理解できない彼女ではないが、ミサトの楽観すぎる言動に、頭痛を感じ始める。
 「それより、案内よろしくねん♪」
 「はあ・・・こちらです、ついてきて下さい」
 凛の先導に素直についていく2人。その足が止まったのは、案内を始めてから5分ほどしてからである。
 「吹奏楽部のメンバーには、少しだけ席をはずして貰っているわ。アイツが使っていた物は、部長に頼んで出しておいてもらったわよ」
 無人の音楽室は、きっちりと整頓されている。その片隅に、チェロケースが立てかけられていた。
 「部長に随分追及されたわ。言っとくけど、貸しだからね」
 「オーケー、オーケー。この借りは必ず返すわよ・・・ほら、アスカ」
 ミサトに背中を押されたアスカが、恐る恐るチェロケースへ手を伸ばす。
 ケースの中には、古びたチェロが一式。学校の備品なので、どこにもシンジが使っていたという形跡は無い。
 だがアスカにはシンジが使っていたのだという確証があった。学校の備品なのに、このチェロは丁寧に掃除され、手入れされていたからである。その事が素人目にも判断できるほど、チェロは大事にされていた。
 「・・・シンジ・・・」
 アスカの瞳から、ポタポタと滴が落ちる。その後ろで佇んでいたミサトが、時計を確認すると声をかけた。
 「アスカ、そろそろ時間よ」
 「・・・チェロしかないの?アイツが使ってた譜面とかは?」
 「それは断られたわ。『言峰君がいつ復帰してもいいように、譜面はそのままにしておきたい』ですって」
 凛の言葉に、アスカは大きく頷いた。

 3人は音楽室を離れると、その足でシンジのクラスへと向かった。
 すでにアスカとミサトの来訪というイベントに、残っていた生徒達が校内へ来て、ざわついている。
 このままでは2人が目的を果たせないと判断した凛は、足を止めると全員に聞こえるように声をあげた。
 「貴方達、いい加減にしなさい!ここは遊び場じゃありませんよ!」
 遠坂凛の存在を知らない生徒は、穂群原学園には1人もいない。校内で常にトップ争いに関わってくる優秀な成績。運動神経も抜群(幼い頃から綺礼の指導のもと、八極拳を学んでいたのだから当然である)、加えて2年連続での校内ミスコン優勝者。その上、冬木市でも有名な資産家の当主である。知らない者がいる方がおかしい。
 普段から声を張り上げる事などなく、学校では完全に猫を被り続けてきた凛が、初めて声を張り上げて叱咤したのだから、その効果は抜群であった。
 「こちらの2人は御客様です。無神経な対応をすれば、それは穂群原学園の生徒達は礼儀を知らない人間の集まりという烙印を押される事になります。それが分かっていて、好奇心丸出しでこの場にいるのですか!」
 シーンと静まり返る生徒達。そこへパンパンと手を叩きながら割って入る人影があった。
 「遠坂の言う通りだ。すぐにクラブ活動に戻るなり、帰宅するなりするんだな」
 そこには弓道着姿に、弓を手にしたままの綾子が立っていた。その隣には、生徒会長である一成が、更にその後ろには楓・鐘・由紀香の陸上部3人娘の姿がある。
 「美綴の言う通りだ。すぐに解散したまえ」
 「そうそう、それでも解散しなかったら、私が相手になってやる」
 早くも利き腕をグルグル回して喧嘩の準備に入る楓に、鐘がこれ見よがしにわざとらしくため息をつく。
 とは言え、一度火の点いた好奇心が収まるには、野次馬の数が多すぎた。そんな微妙な雰囲気の中、近くの教室のドアが開く。
 「どうした?何で入ってこないんだ?」
 「しろ・・・じゃなかった、衛宮君、実は」
 「ああ、そういうことか。準備は出来てるから中に入って。それからみんなに頼みたい事があるんだ」
 士郎の言葉は、その場にいた全員の心に染み渡る様に届く。
 「この2人は真剣な理由があって、ここに来ているんだ。頼むから、引き揚げてほしい」
 その言葉に、生徒達が少しずつではあるが踵を返していく。その光景に、凛達が唖然とした。
 この場にいるメンバーは、凛を筆頭に、誰もが名前を知る有名人である。それは士郎についても同じことが言えるが、彼だけは他のメンバーと一線を画していた。
 穂群原学園で、程度の差はあっても、士郎に借りの無い生徒はいない。備品の修理、人手の無い時や困っている時の手助け。特に士郎と同学年の2年生となれば、彼の存在は異様なまでに大きい。
 その士郎に頼まれてしまっては、誰も文句など言える訳がない。明らかに、自分達の借り分の方が大きいし、何より士郎が善人である事を誰もが理解しているからであった。
 「・・・むう・・・」
 「遠坂、ほっぺた膨らませてないで入ってこいよ。ほら、惣流さん達も、準備はしておいたから」
 人気のない教室の中に、整然と机が並んでいる。その内の1つに士郎は2人を連れていく。
 「ここがシンジの席だ」
 その言葉に、アスカの手がスッと机に伸ばされる。落書き1つ無いその机は、真面目なシンジの性格を象徴しているかのようであった。
 「学校でシンジが関係している所はそれぐらいかな。あとはこれ、さっき蒔寺から貸して貰って・・・」
 士郎が取り出したのは、1冊のアルバムである。それを開いた瞬間、士郎とアスカは硬直し、その後ろにいたミサトは一瞬唖然としたものの、すぐにお腹を押さえながら笑い始めた。
 その光景に、不信感を覚えた一同がアルバムを覗きこむ。そして、やはり同様に硬直してしまった。
 「おい!蒔寺!お前どういうつもりでこんなもの最初に持ってきたんだ!」
 「あ?私の勝手だろ、このブラウニー」
 開かれたアルバムの1ページ目。そこに貼られていたのは、文化祭で女装していた時のシンジの写真であった。メイドから始まり、お嬢様、シスター、和服と全て揃っている。
 確かにシンジの事を知りたいと言ったのはアスカである。だが、よりにもよって女装写真を最初に持ってくることはないだろうと誰もがアスカに同情する。
 そんな中、鐘がアスカに近づき、ポンポンとその肩を叩いた。
 「すまないな、アスカ嬢。あの女は悪戯好きなのだ」
 「・・・大丈夫よ、ちょっと驚いただけだから・・・」
 「そう言って貰えると助かる。まああの女は防御に回ると弱いのでな、隙があったら仕返ししてやってくれ」
 「どういう意味だよ、氷室!」
 鐘の言葉に反応し、くってかかる楓。
 「ん?言っていいのか?衛宮の家に泊まった時、言峰に胸を見られて半日泣いていたのはどこの誰だったかな?」
 「それを言うなあ!今すぐ忘れろ!」
 「しかも、言峰は平然と朝食の準備に戻って、結局、お前の独り相撲だっただろう」
 「うう、由紀っち、氷室が虐めるんだよお・・・」
 嘘泣きする楓に、困り果てる由紀香。そこへアスカが口を挟む。
 「・・・胸を見た?どうしてそうなった訳?」
 「いや、朝起きたばかりの私が衾を開けたところに、言峰が通りかかってな。偶然、中が見えて・・・お、おい?」
 「ふうん・・・そういう事があったんだ・・・へえ・・・独りで苦しんでいると思っていたのに・・・そういう事してたんだ・・・あのスケベ・・・」
 突如、アスカの口調が変化した事に、周囲が無意識の内に後ずさる。
「あの馬鹿シンジ!アタシという女がいるのに!戦自娘に眼鏡娘にレイだけならまだしも!マヤにリツコにミサトも危険なのに!」
「あ、アスカ?どうしてそこで私が出てくる訳?」
「ミサト?アンタ、シンジの前で下着姿で普通に歩いていたでしょうが!どうみても誘惑してたじゃないのよ!このショタが!」
「人聞きの悪いこと言わないでちょうだい!第一、私は!」
そこでミサトが口を噤む。思い出したのは、戦自が攻めてきた時にシンジと交わした大人のキスと続きの約束。
ミサトのこめかみを、一滴の冷汗が滴り落ちていく。
「・・・私はショタじゃない!」
「ミサト?アンタ、確かに今、口ごもったわね?その理由、教えて貰いましょうか?」
「気、気のせいよ!他に他意は一切ないわ!」
自らの命の危機を感じ取り、慌てて弁解するミサト。嫉妬に狂ったアスカがどんな行動を採るのか分らない以上、下手に喧嘩は売れない。実に賢明な判断である。
「ミサト!シンジはアタシのなのよ!手を出したら・・・コロス・・・」
「だ、だから、私はショタじゃないって言っているでしょうが!シンちゃんは単なる弟よ、弟!からかうのが関の山よ!」
「その言葉、違えたら・・・覚悟しておきなさいよ?アンタの手足を切断して、止血だけはした状態で野良犬の餌にしてあげる。苦しみ抜いて死ぬと良いわ。アタシは馬鹿シンジと一緒に、アンタの目の前で死んでやるから」
必死になってコクコクと頷くミサト。今のミサトはどうやって自分の身を守るかで精一杯である。何せ、極限状況下であったとはいえ、大人のキスをしているのだ。万が一、目覚めたシンジがそれを口にしたら・・・
顔を青褪めさせていくミサトに満足したのか、アスカがやっと攻撃の手を緩める。
「・・・アレが地だったんだ・・・」
「・・・想像外だったな、全く予想できなかったぞ」
「ふむ、アスカ嬢は極めてというか、病的なまでに嫉妬深い、いやストーカーじみた一面を併せ持つ性格のようだな。蒔の字、今日中に遺書を用意しておけ。時間はあまりないぞ?」
「氷室の言う通りだな。蒔寺、お前は面白い奴だったよ」
「氷室!美綴!洒落になってねえよ!私は被害者なんだぞ!見られただけだぞ!」
「はあ・・・強烈な性格なんだねえ・・・」
「そうか、惣流さんはヤンデレだったのか」
1人を除いて他人事のように感想を口にする一同だったが、アスカの追及は終わらない。
幽鬼の如く静かに、だが妙な威圧感を放ちながら、アスカがユラアッと振り返る。
「確か、蒔寺さんだったわね?」
「は、はい!蒔寺楓!陸上部所属!17歳!家は呉服屋です!」
アスカへの恐怖感に呑まれた楓は、パニックの真っ只中にあり、自分が何を言っているのかも把握できていないようであった。
楓の両肩をガシッと掴み、逃げられないようにする。楓も陸上部のエース。身体能力には自信があったのだが、軍で鍛えられ、更には重苦しいほどの激情に身を焦がしているアスカを振り払う事は出来なかった。
まさに蛇に睨まれた蛙である。
「シンジに見られたのよね?その後、シンジと・・・」
「してません!一切、していません!やましいところは一切ございません!見られたのも事故です!」
「・・・そう。わざとだったら切り落とそうと思ったけど、止めとくわ」
全員が心の中で『何を?』と質問したが、アスカはそれに答えを返す事無く、静かに不気味な笑みを浮かべている。
(か、葛城さん?何とかして下さいよ!)
(無茶言わないで!私だって結婚前に死にたくないわよ!)
変な方向へスイッチを入れてしまったアスカを止める事の出来る人材は、この場にいなかった。

Interlude―
冬木教会―
 昨夜、凛と遭遇したバゼットは、凛の思惑通りに冬木教会へと足を延ばしていた。
 アヴェンジャーの姿は傍に無く、バゼット1人での訪問である。
 礼拝堂へ続く扉を開くと、そこには来訪を予期していたカレンが立っていた。
 「貴女が監督役だな?お初にお目にかかる、サーヴァント・アヴェンジャーのマスターでバゼットという」
 「ええ、貴女の事は知っているわ、ミス・バゼット。それで今晩の訪問だけど、どのような事を訊きたいのかしら?」
 「全てを。昨夜、遠坂家のマスターから聞いた。この4日間が終わるとはどういう事なのだ?あれはアヴェンジャーの能力なのではないのか?」
 その言葉にカレンは答える事無く、手近にあった長椅子を指さし、そこへ座るように促す。バゼットもそれに抗う事無く、素直に腰を下ろした。
 「簡単な事です。アヴェンジャーはこれ以上、4日間を繰り返す必要はないと判断したから、力を使うのを止めようとしているのです。納得できたかしら?」
 「できる訳がない。確かにアヴェンジャーが力を使うのを止めれば、4日間が繰り返される事はなくなる。それは道理だから私にも理解できる。私が分らないのは、アヴェンジャーがどうしてそんな事をしたのか?なのだ」
 「この繰り返される4日間で、貴女は6体のサーヴァントを倒した。あともう1体、サーヴァントが死ねば、聖杯はこの世に顕現する。アヴェンジャーは、この4日間で貴女が確実に7体目を倒すと判断したのでしょうね」
 「7体目?それはどういう意味だ?」
 「聖杯戦争は7騎のサーヴァントと7人の魔術師によって行われる生き残り戦。最後まで勝ち抜いた1組の主従だけが、万能の願望機たる聖杯を入手できる」
 聖杯戦争の謳い文句に、バゼットが何の迷いもなく頷いてみせる。
 「ですが、それは偽りなのです。正確には、7体のサーヴァント全てを生贄としなければ聖杯は完成しない。最終的に生き残れるサーヴァントは存在しないのです」
 「そんな・・・では、アヴェンジャーはそれを嫌がって・・・」
 「はあ・・・全く、お人好しというか、愚か者というか・・・」
 わざとらしく大きなため息を吐くカレンに、バゼットが不愉快そうに顔をしかめる。
 「良いですか?聖杯の完成には7体のサーヴァントが必要。ですが、8体目がいれば話は変わってくる」
 「・・・その話しぶりだと、8体目がいると言う事か?」
 「ええ、8体目のサーヴァントどころか、10体目までこの冬木市には存在しています。アヴェンジャーはその内の1人と、貴女をぶつけたいんですよ。そして魔術協会に忠誠を誓う貴女にしてみれば、背を向ける事などできない」
 アヴェンジャー以外に存在する3体のサーヴァントという情報に、バゼットは明らかに顔色を変えた。
 「聖杯戦争の監督役として、私が教えられるのはここまでです。もしそれ以上の事を知りたいのであれば、郊外にあるアインツベルン家を訪ねなさい。聖杯戦争御三家の中で、
唯一、詳しい事を知っている彼らであれば、貴女の疑問に答えてくれるでしょう」

3月12日―
 「さて、例の件だけどアーチャー、貴方の鷹の目で確認してみた限りでは、どうだったかしら?」
 「ああ、教会へ入っていく姿を確認した」
 アーチャーの言葉に、アスカが面白そうに頷いてみせる。
 「でも、アヴェンジャーの目的が気になるわね。アヴェンジャーは一体、何がしたいのかしら?」
 「新しい監督役の言葉から推測するならば、何らかの目的の為に、聖杯を入手する事が目的なのだと思いますが、アンリマユには願望機たる聖杯を必要とする理由がない。なぜならアンリマユ自身が、聖杯ですから」
 ルヴィアの言葉に、頷く一同。
 「それなら説明がつくかもしれないわ」
 突然の言葉に、全員が振り向く。そこには珍しく、シンジの傍を離れたレイが立っていた。
 「アンリマユは確かに聖杯。でもそれは、完全な聖杯ではないのだと思うわ」
 「レイ、それはどういう意味?」
 「もしアンリマユが完全な聖杯なら、すでに目的を叶える為に聖杯としての力を使っている筈だからよ。だって聖杯の中身はカラだったもの」
 レイの言葉に、凛がポンと手を打った。
 「世界の上書き光あれ!」
 「そう。碇君は世界を上書きする為の動力源として、聖杯の中身に手をつけている。つまり、聖杯の中はカラッポなのよ。でも碇君は上書きされた世界でも、サーヴァントが生きていけるように、碇君自身を動力源とできるようなシステムを付け加えた。だから、そこに目を付けた」
 「そうか!聖杯の中身はサーヴァントが死ぬ事で補充される。そしてこの冬木市にはサーヴァントが複数存在している。ならば、そのサーヴァントを殺してしまえば・・・」
 聖杯戦争が50年周期なのは、サーヴァントを呼び出す為のエネルギーとして、地脈から50年という時間をかけて力を蓄える必要があるからである。その後、呼び出されたサーヴァントを消滅させる事により、より巨大なエネルギーとして聖杯の中に蓄え、願望機として起動させる。言い換えるなら、50年をかけて貯めた力を初期投資することで、サーヴァントという大きな見返りを得る『投資』と表現できる。
 本来ならアンリマユも50年を待たねばならなかったが、シンジの『みんなを救いたい』という願いが、皮肉にもアンリマユにとっての幸運となったのである。
 何せ自分が呼び出さずとも、最初からサーヴァントが存在しているのである。アンリマユがこの状況を利用しようとするのは、ある意味当然であった。
 「バゼットというマスターは、その隠れ蓑として良いように踊らされていたんだと思う」
 「・・・そうか、時間稼ぎってことね」
 コクンと頷くレイ。
 「残る1体のサーヴァント。アンリマユ以外だと英雄王、バーサーカー、そして」
 全員の視線が、赤い槍の担い手へと注がれていた。

Interlude―
アインツベルン城郊外の森―
 「あの化け物が!」
 珍しく罵り声を上げながら、バゼットは夜の森を疾走していた。
 カレンの助言に従い、アインツベルン城へ来たのは良いのだが、致命的な事に彼女はこの森にいる守護者の事を知らなかったのである。
 突如、目の前に現れた鉛色の巨人―バーサーカー。その正体がサーヴァントである事を看破した事までは問題なかった。問題だったのはその後である。
 聖杯戦争のマスターとして、当然の如く敵の排除に取り掛かるバゼット。それに対してバーサーカーは主である少女を守るべく、その巨大な斧剣を手にバゼットへ襲い掛かった。
 だがバゼットとバーサーカーでは、あまりにも実力に差があり過ぎる。
 人間と英霊の基本的な身体能力の差だけではない。
 いくらバゼットが攻撃しようとも、バーサーカーの12の試練を打ち破るほどの『格』がないのである。一方、バーサーカーの攻撃は、掠っただけでバゼットをあの世に送るだけの破壊力を秘めている。
 不利を悟ったバゼットは、バーサーカーの異様なまでの防御力は、常時発動型の宝具ではないだろうかと当たりをつけ、逆光剣フラガラックを撃ち込んだ。逆光剣フラガラックは常時発動型宝具である12の試練に反応。見事、カウンター能力を発動させ、バーサーカーの心臓を抉った。
 だが即座に蘇り、再度襲いかかるバーサーカー。この時点で、バゼットは自分と目の前のサーヴァントの相性は最悪だと判断。戦闘は引き上げて、城へ向かう事を最優先方針に切り替えたのである。
 だがバーサーカーにとっては、そんな事は関係ない。
 主に害をもたらす存在だと考え、バゼットを倒すべく最短距離で移動を開始する。無数の樹木を蹴散らしながら爆走するバーサーカーの姿に、さすがのバゼットも背筋に寒気を覚えた。
 このままでは追いつかれる。
 少しでも距離を引き離すべく、打開策を考える。
 「これしかないか」
 右手で自分の足に『強化』のルーンを施し、一時的に筋力を増強。走る速度を上昇させる。あとでリバウンドが返ってくるのは予想できたが、ここで使わなければ追いつかれるのは確定である。
 自分の走る速度が上がったのを確認すると、バゼットはポケットからライターを取り出した。バゼットには煙草を吸う趣味はないのだが、魔術協会の封印指定執行者として非合法活動に従事する彼女にしてみれば、いつ依頼が来るかわからない。特に時間を争う、人外の討伐依頼ともなれば、人気のない郊外や遺跡まで出向くのは当たり前の事である。そう言った場所で、いつ野宿してもいいようにライターに限らず便利な小道具は普段から持ち歩いている。
 そんな小道具の1つであるライターに、バゼットは手早くルーンを刻み込んでいく。刻み込んだのは『炎』『光』『強化』。
 3つのルーンを刻み込んだライターを、バゼットは振り返りざまにバーサーカーの顔面目がけて投じた。単なるライター相手に、バーサーカーは当然の如く、防御の気配すら見せない。
 次の瞬間―
 ゴグワアッ!
 「WOOOOO!」
 ライターが爆発を起こした。バーサーカーの顔面を容赦のない閃光が襲う。続いて舐め上げるように包み込む炎。
 ルーンを施したライターによる即席の閃光手榴弾。ライターのガスに引火させ、閃光で視界をふさぎ、さらに炎で苦しめる。さらにそのどちらもが『強化』のルーンによって強められている。
 さすがに12の試練に守られたバーサーカーを倒せるような威力はない。だがバーサーカーの視界を塞ぎ、僅かとはいえ足止めさせる程度に驚かす事なら可能だった。
 まるで巨人の咆哮から逃げ去るかのように、バゼットはアインツベルン城目がけて走り去った。

アインツベルン城―
 「へえ、まさかここまで来られるとは思わなかったわ。サーヴァントも連れずに、よくバーサーカーをかわせたわね」
 バゼットの前には、夜空の下で紅茶を楽しんでいる少女がいた。テラスに置かれた白い円形テーブルの上には、最高級品である白磁のティーセット一式が置かれている。
 「・・・貴女がアインツベルンのマスターか?」
 「そうよ。魔術協会の封印指定執行者さん」
 「失礼。私の事はバゼットと呼んでもらいたい」
 「そう。なら私の事はイリヤで良いわ」
 先ほどまでバーサーカーの気配が森から感じられたのだが、今は欠片ほどにも感じられない。目の前の少女が、バーサーカーに静かにするように命じたのだろうと考えると、バゼットは改めて椅子に座り直した。
 「それで、要件は?」
 今、この少女を不意打ちすれば、あの狂戦士を労せずして倒せる。そんな考えがバゼットの脳裏をチラッと掠める。
 だがその考えは、バゼットの視線が捉えた、自身の令呪によって吹き払われた。仮にも目の前にいるのは、あの狂戦士を鼻歌交じりで使役するほどの魔術師。そしてこの場所はバゼットにとって敵地であり、目の前の少女にとってはホームグラウンド。不意打ちに対抗するための手段ぐらい準備しているだろうし、僅かの時間があれば、令呪でバーサーカーを召喚できる。見かけに騙されれば、手痛い目に会うのは必至と冷静に判断した。
 「私がここに来たのは、真実を知る為だ。私のサーヴァント・アヴェンジャーに関する真実を。彼の目的を知りたい」
 「アヴェンジャーの真名はご存じかしら?」
 「それは聞いている。アンリマユ。かつて、ペルシャの拝火教において絶対悪の神とされ、一神教のルシファーのモデルとなった悪神。もっとも奴に言わせれば、最弱のサーヴァントだと言っていたがな」
 「そうね。元をたどれば、彼は単なる人間だもの。善を最上の価値とする小さな村において、村人たちが自らの信仰をより高める為に、自分達の中にある悪意を映した象徴的な存在―可哀そうな生贄。それが彼」
 湯気の立つ紅茶を口に含み、ホウと一息つく。紅茶の香りが湯気とともに、イリヤの鼻孔をくすぐった。
 「彼はね、第3次聖杯戦争においてアインツベルン家が呼び出したサーヴァントなの。でも結果は敗退。理由については言うまでもないわね?」
 「そうだな。奴の実力では、勝ち残るのは難しい」
 「そこで終われば問題はなかったのよ。でもそこでトラブルが起きた。願望機の魔力は本来は透明。でも、そこへ悪意の象徴たるアンリマユが還ってしまった。その結果、聖杯はアンリマユに汚染され、歪んでしまったの。破壊という行為を通じてしか、願いを叶える事が出来ない欠陥品の聖杯にね」
 初めて知った真実にバゼットは驚くよりも早く、熟練の執行者らしく情報が信用できるかどうか検討を始める。とは言え、判断するには材料が足りない。彼女はイリヤから更に情報を集めようと、黙って話に耳を傾けた。
 「第4次聖杯戦争は、勝利者である衛宮切継が聖杯を破壊した為に、聖杯はその力を発揮する事はなかったわ。そして貴女の知らない第5次聖杯戦争も、違う理由で聖杯は力を発揮しなかったのよ」
 「第5次?一体、何を・・・」
 「貴女の感覚で第5次と捉えている今回の聖杯戦争は、敢えて言うなら第6次なのよ。第5次聖杯戦争は、2月14日をもって終結しているわ。その事実を知らないのは、貴女だけなの」
 愕然とするバゼット。その手が小刻みに震えだす。
 「とは言っても、貴女にしてみれば納得できないでしょうね。貴女は自分が見た物でなければ、認めそうにない性格だから」
 「当たり前だ!それに、貴女の言う事が真実だとして、どうしてそれがアヴェンジャーに関係してくるというのだ!」
 「大いに関係しているわよ。でもそれは本人から聞いた方が良いでしょうね。私がどれだけ言った所で、貴女は信じてくれそうにないもの」
 押し黙るバゼット。確かにバゼットはイリヤの言葉を信じない。いや、バゼットの心のどこかで、何かが『それ以上聞いてはいけない』と警鐘を鳴らしていた。
 「だから、貴女はまず7体目のサーヴァントを倒す事を考えなさい。貴女に相応しい相手を用意してあげるわ」
 「・・・それはどういう意味だ?何故、お膳立てなどする?」
 「ここまで言われれば、貴女は引き下がれないでしょ?明日の夜、冬木教会で待っていなさい。監督役である彼女には、アインツベルン家の代表として、私が話を通しておきます。貴女は7体目を倒せば良い。そうすれば貴女の探している彼が、理由を教えてくれるでしょうね」
 バゼットは拳を握り締めながら席を立つと、足早にその場を立ち去った。

3月13日―
 この日、アスカは外へ出る事無く、朝からランサー相手に長柄武器の練習に励んでいた。朝一番で衛宮邸にかかってきた電話。それは教会からの連絡であった。
 『今晩、ランサーとそのマスターは教会へお越しください。彼女が教会へ、7体目を倒しに来られます』
 その言葉に、ランサーは稽古の間もずっと顔を顰めていた。彼を最初に呼び出したマスターとの再会。彼女が彼の知るままの彼女なのかどうかは分らない。だが避けては通れぬ道でもあった。
 稽古は昼食の後も続けられ、夕飯も間近な時間になって、やっと終了した。食事を済ませた後、2人は手早く身支度を整えて戦いの準備に入る。
 ランサーはゲイボルグさえあれば良いので、準備と言えるほどのものはない。
 アスカは士郎が投影して強化した薙刀と、加持が用意してきたスタングレネードをポケットに忍ばせた。あとは動きやすく丈夫なジージャンとジーパンに身を包み、髪の毛を短く切り揃える。
 妹分の出陣に、ミサトは露骨に不安な表情を浮かべていた。アスカの護衛としてついていきたいのは山々だが、相手が最強クラスの武闘派魔術師とあっては、ミサトに出番はない。
 ランサーという規格外の護衛がいるから大丈夫と自分に言い聞かせるミサト。それでも自分にも何かできないかと、出発のその時まで考えを巡らすところが、いかにもミサトらしかった。
 『アタシは大丈夫。心配いらないわ』
 教会でバゼットが戦うと分かっている以上、他のコンビが動かずに黙っている訳がない。だが戦いに横槍をいれるような事をすれば、間違いなくランサーが激怒する事も理解している。だから全員、遠くから戦いを見届ける事を決めていた。
 ミサトや加持もできる事ならアスカについて行きたかった。だが衛宮邸にいるマスターとサーヴァント全員が教会での戦いを見届ける以上、2人までついて行けば、レイとシンジしかいなくなる。それを考えれば、さすがに無理強いはできなかった。
 そして、深夜。
 教会の前で、アスカとランサーはバゼットを待っていた。士郎達はカレンから『この戦いに絶対に横槍を入れないこと』を条件に、教会の中で戦いを見届ける許可を出した。
 時刻は23時半。日付が変わるまであと30分といった所で、ランサーが背中を預けていた壁から身を起こした。
 「来たぞ」
 その忠告に、アスカが薙刀を握る手に力を入れる。
 「マスター、バゼットは強敵だ。今のマスターじゃ勝てねえよ。今日のところは見るだけにしておきな」
 「・・・いいわ、その代り、絶対勝ちなさいよ!」
 「そうだな、勝つだけなら余裕なんだ。いくらバゼットが強くても、所詮は人間。英霊である俺に勝てはしない。こいつを解放せずに攻めれば、バゼットは何もできんだろう」
 呆気に取られるアスカ。だがランサーは真剣だった。
 「だが、それじゃあ駄目なんだ。俺にも誇りがある。戦士として、男としての誇りがな」
 「・・・誇りの為に確実に勝てる手段を捨てるの?馬っ鹿じゃない?」
 「そう言われると否定はできねえが、こればかりは性分なんでな。まあ男なんて馬鹿な生き物だ。運が悪かったと思って諦めてくれ」
 わざとらしく大きなため息を吐くアスカ。
 「シンジも馬鹿だったけど、アンタも馬鹿ね。これからは馬鹿犬と呼ばせてもらうわ」
 「犬って言うな!犬って!」
 「分かったわ。じゃあ勝ちなさい。勝てなかったら、アンタの事、ずっと犬呼ばわりしてやるからね。朝会ったら『おはよう、馬鹿犬』、昼会ったら『こんにちは、馬鹿犬』って呼んであげる」
 「・・・とことん、やる気を削いでくれるマスターだな、ホント・・・」
 アスカの言葉に、教会の中にいたメンバーが必死で笑い声を押し殺す。その事実に気づかないまま、ランサーはアスカとともにバゼットを待ち受けた。そんな2人の前に、スーツ姿の美女が姿を現す。
 「遅いじゃない、ミス・バゼット。待ちくたびれたわよ」
 「・・・貴女がサーヴァントのマスターか?」
 「そうよ。私は惣流=アスカ=ラングレー。名前ぐらいは聞いたことあるでしょ?でも安心しなさい、戦うのは私じゃないから」
 その言葉に、ランサーが前に踏み出した。
 「何者だ?」
 「クラスはランサー。槍の英霊だ」
 「ランサー?何を言っている。聖杯戦争にランサーなどというクラスは」
 「存在しているだろうがよ。マスター」
 ランサーの言葉に、バゼットが顔を強張らせる。
 「何を言っている?私は貴方のマスターではない・・・いや、何故だ?何故、貴方の顔に見覚えが・・・」
 頭痛を堪えるかのように、歯を食いしばり、頭を抱えるバゼット。その体は小刻みに震えている。まるで怯えるかのように。
 「分らない・・・確かに見覚えがあるのに、分らない!貴方は誰だ!」
「アンタは俺のマスターに刃を向ける敵だ。だから、ここで死ね」
 「・・・いや・・・そんなの・・・いや・・・」
 突如、心の中に湧き上がった衝動に負け、後ろへ後ずさるバゼット。目の前のランサーを名乗るサーヴァントが何者かは分らないが、バゼットの中の何かが『戦いたくない!』と激しい叫び声をあげていた。
 「構えろ、バゼット。お前は戦士だろうが!」
 ランサーの怒声に、バゼットはハッと顔をあげた。自分が成すべき事を思い出す。それは7体目のサーヴァントを倒すこと。
 「・・・そうだ。私にはやる事がある!」
 「そうだ、それでいい」
 槍を構えるランサー。その赤い槍に、己の全魔力を注ぎ込む。
 「いきなり宝具だと?」
 驚いたバゼットだったが、相手が宝具を解放すると分かれば、ただ黙って見ている訳にはいかない。バゼットもまた、フラガラックを起動させた。
 「後より出でてアンサラー
 バゼットの背後に、銀色の球体が浮かぶ。必殺の一撃、確実な勝利を確信したバゼットの顔に、笑みが浮かぶ。
 それとは対照的に、ランサーは不愉快そうに顔をしかめた。
 「・・・変わっちまったな、アンタは・・・だからこそ、今のアンタは見るに堪えがたい!」
 何を?とバゼットが訊き返すよりも早く、行動を起こすランサー。決定的な一言を告げる。
 「刺し穿つ死棘の槍ゲイボルグ
 「先に断つ者フラガラック!」
 逆光剣フラガラックは、その軌跡を誰の目にも捉えられる事もなく、ランサーの心臓を正確に貫いた。
 勝利を確信したバゼット。だがその目の前で、ランサーは口から血を滴らせながらも不敵に笑う。
 何故?
 バゼットが疑問に思った時には手遅れ。フラガラックが時間を遡ってのカウンターならば、ゲイボルグは因果律―運命に干渉して、一撃を放とうという行動よりも前に、命中したという事実を確定させてしまう宝具。例えフラガラックが時を遡ろうとも、ゲイボルグの一撃は、運命によって決定されている。
 赤い槍に心臓を貫かれたバゼットは、驚愕の表情のまま崩れ落ちる。そんなバゼットにランサーは静かに歩み寄った。
 「こいつは返しておくぜ」
 自らの耳にしていたイヤリングが、バゼットの前に落とされる。その見覚えのあるイヤリングを、バゼットは最後の力を振り絞って握りしめた。
 特に奇抜でも、宝石をあしらった訳でもない銀色のイヤリング。だが、彼女には見覚えがあった。
 「私・・・知ってる・・・これを・・・知ってる・・・」
 その言葉を最後まで聞く事無く、ランサーはバゼットに背を向ける。
 「待って・・・ランサー・・・」
 その言葉を最後に、バゼットは空気へ溶け込むかのように姿を消した。

 致命傷を食らいつつも、意地と誇りだけで立っている相棒の姿に、アスカは呆れたように声をかけた。
 「本当に、男って馬鹿ね」
 「・・・あれでも俺の最初のマスターだ。義理は果たさんとな・・・」
 「まあいいわ。アンタは少し休んでなさい。次はこき使ってやるからね、シンジを取り返す為に。覚悟しておきなさい!」
 「全く、人使いの荒いマスターだぜ。せいぜい、お手柔らかに頼むぜ」
 ランサーもまた、その姿を静かに消した。
 1人取り残されたアスカは、教会の中から外へ出てこようとする気配には気づいたものの、そちらを振り向こうとはしなかった。
 満天の星空を見上げ、精一杯の声を張り上げる。
 「シンジ!待ってなさいよ!」
 少女の眦から零れおちた滴を、月と星だけが見届けていた。



To be continued...
(2011.06.12 初版)


(あとがき)

 紫雲です。今回もお読み下さりありがとうございます。
 今回はシリアスストーリーの筈なのに、何故かヤンデレ(というか病み属性のみか?)アスカの登場ですw楓、御愁傷様w
 それとは別に、かつての主に勝負を挑むランサー。これは完全に原作通りです。今後の展開の為にも、この対決は必要だったので敢えて手は加えていません。ですが次回から、原作とはかけ離れた展開に致しますので、もう少しだけお待ち下さい。
 話は変わって次回ですが、アヴェンジャーの思惑が明らかになります。それに対してアスカ達はどう動くのか。頑張って書きあげますので、最後までお付き合い下さい。
 それでは、また次回も宜しくお願い致します。



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