暁の堕天使

hollow編

第五話

presented by 紫雲様


3月10日―
 窓から差し込んでくる朝陽に顔を顰めながら、アスカは目を覚ました。布団に包まって眠っていた彼女の隣には、同じように布団に包まって眠っているレイの姿がある。
 愛用の携帯電話に手を伸ばす。表示されているのは3/10 AM6:45という、予想通りの日付であった。
 布団から身を起こし、着替えを手にすると風呂場へ向かう。熱いシャワーを全身に浴びて眠気を吹き飛ばし、身支度を整える。
 鏡を覗き込み、どこから見ても問題ない姿であると確認した上で、彼女はシンジが横になっている部屋へ入った。
 シンジに異常が無い事を確認すると、誰もいない空間に向けて声をかける。
 「ランサー、いるんでしょ?」
 「ああ、いるぜ。何かあったのか?」
 スッと姿を現すランサー。
 「傷は大丈夫?」
 「ああ、問題ない。今すぐ戦闘になっても、大丈夫なぐらい調子がいいぜ」
 「それならいいわ。でも、2度と死ねないから注意してよね。もうループは起きないんだから」
 昨夜行われたバゼットとランサーの戦いは相討ちだった。だがランサーの死亡により、ランサーは一時的に聖杯へと戻っている。その為、聖杯の起動に必要な7体のサーヴァントの死による魔力の補充という条件が整ってしまっていた。
 「ああ、分かっている。これからが本番だ、マスターも油断すんじゃねえぞ」

柳洞寺地下、大聖杯の間―
 「完璧ね。全く文句のつけようがないぐらい、完璧に稼働しちゃってるわ」
 凛の言葉に、隣いたルヴィアも頷いて見せた。大聖杯は7体のサーヴァントが還った事により、しっかりと動き出していた。
 「でも壊す訳にはいかないのでしょう?」
 「そうよ。今、壊せば第4次聖杯戦争の二の舞よ」
 その結果の1つが、2人が想いを寄せる少年である。何もかも失った少年の歪み具合には2人は言葉もないほど呆れたものである。
 踵を返した2人の後ろに、守護者たるサーヴァントが無言で続く。
 「アヴェンジャーはいつ頃、行動を開始するかしらね?」
 「さすがに、今すぐという訳にはいかないでしょう。でも、用心だけはしておきましょう。何かあればすぐに動き出せるようにね」
 2人は大聖杯の間に続く道に、魔術的なトラップを複数仕掛けた上で、衛宮邸へと足早に帰還した。

第3新東京市NERV本部―
 「それで、状況は?」
 「はい、本日未明より、冬木市を中心として、人には感じられないほどの小さい地震が断続的に起こっています。震源地は柳洞寺の地下。深さは比較的浅いようですが、この辺りには地震の原因となる要素は見受けられません」
 「分かった。念の為に、冬木市にいる葛城君達にもその事を伝えておいてくれ」
 「はい、分りました」
 マヤの退室を見届けると、冬月は大きなため息をつきながら、来客用のソファーに腰を下ろした。もう年か、そんな自嘲が心に浮かぶ。
 「ほう、珍しいな。お前が疲れて座り込むとは」
 最終便の飛行機に乗って北海道から帰ってきたゲンドウである。色々考えたい事もあり、昨夜の内には本部へ帰還せず、適当なビジネスホテルで一泊しての帰還であった。
 「碇。さすがにこの年では徹夜は堪える。夜中に叩き起こされてから、ずっと起きていたんだぞ」
 「すまないな。交代するから、仮眠室で休んでくると良い。辛ければ、今日は休んでくれても構わんぞ」
 「いや、その前に確認したい事がある」
 真剣な表情の冬月に、ゲンドウが向かい合うように腰を下ろす。
 「シンジの事だな。何から聞きたい?」
 「彼は無事だったのか?」
 「無事とは言えんな。だが我々が手を出せる状況ではなかった。ここから先は、俺とお前だけの秘密だ。他言無用で頼む」
 そう前置きした上で、ゲンドウはシンジに起きていた事を伝えた。
 サードインパクトの後、半年の放浪生活の末に辿り着いた冬木の地。そこで遭遇した聖杯戦争という、魔術師同士の殺し合い。それにシンジが参加し、養父・綺礼を手にかけたという事実に冬月は顔を強張らせた。
 「何と言う事だ・・・」
 「ああ」
 いつになく沈んだゲンドウの言葉に、冬月もまた視線を落とす。
 「シンジは聖杯戦争の最終局面において、体を乗っ取られた。アンリマユという、人類最古の悪の神性にな。シンジは自分の使徒としての能力を悪用されるのを防ぐ為に、ロンギヌスを召喚し、自分もろともアンリマユを滅ぼそうとしたのだ」
 「あの時のロンギヌスの落下。それが真実だったのか。では、あの時すでにシンジ君は」
 「そうだ。シンジはあの時、すでに・・・」
 言葉もない2人。ゲンドウの頬を、音もなく流れ落ちていく滴が光る。
 「今、冬木の地でシンジの友人達が、シンジを取り戻すために動いてくれている。だが魔術に関して俺達は素人だ。何の知識もない。これほど自分の無力さを恨めしく思った事はないぞ」
 「確かに、私達は魔術に関して何も知らない。だが違う事で協力する事はできる。これを見ろ、先ほど、葛城君に連絡した資料だ」
 冬月から渡された資料に、目を通していくゲンドウ。その顔が徐々に強張っていく。
 「本日0時頃から、冬木市を断続的に襲っている、微小な地震に関する情報だ。今、他にも異常がないかどうか確認を急がせている。分かった事については、すぐに葛城君へ知らせる手筈だ」
 「ああ、それで構わない。対外的な広報活動は、適当な理由をつけてしばらく休止。しばらくは、この件にNERVの全力を注ぎこませる事とする」
 「分かった。それが良いだろう」
 そこへノックの音が響く。
 「おはようございます、冬月副司令。あら、あなた!」
 「ああ、今帰ったリツコ。カナエはどうした?」
 「カナエでしたら託児所に預けてあります。まだ眠っている筈ですから、起きる前に迎えに行きますわ。それより、シンジ君はどうでしたか?」
 ゲンドウの妻となったリツコにとって、シンジは義理の息子である。実母の事を考えれば、心のどこかで嫉妬の炎が燻るのは自覚しているが、それをシンジに向けるのは過ちである事は、十分に理解していた。
 「シンジは非常に難しい状態だ。今、現地で専門家が動いている」
 「でしたら、私も向かいます。シンジ君のチルドレン時代の健康管理や、生体データの保管は私がしていましたから」
 明らかに、リツコはシンジが事故か何かで重態にあると勘違いしていた。ゲンドウもその事にすぐ気がつき、慌てて口を開く。
 「いや、それは大丈夫だ。それに、言いにくいことだが、今のシンジは君が知っているシンジではない。サードインパクトによって使徒として覚醒してしまったシンジなのだ。人間の医学常識が通用しないのだ」
 「ですが・・・」
 「リツコ、お前がシンジを心配してくれるのは、本当に嬉しい。だがこの件に関しては、現地にいる彼らに全てを任せるしかないのだ」
 何か言いかけたリツコだったが、言葉を発するよりも早く口を閉ざしてしまった。ゲンドウの苦渋にみちた表情に、自分が口を出すべきではない、そう判断したのである。
 「それより、リツコ。お前に頼みたい事がある。技術部・監査部・諜報部・作戦部の全戦力に、冬木市で起きている異常事態の調査を行わせろ。広報部には本部の対外通常業務をしばらくの間、完全に休止とする事を通達させろ。理由はMAGIの緊急メンテナンスとでもしておけ。お偉方が騒ぐだろうが、それについては私が対応する。保安部はこれに乗じて動き出すであろう馬鹿どもの相手をさせろ。あとで本部へのクラッキングを試みようとする者達を、一網打尽にする為の罠でした、そう言い逃れる事ができるようにな」
 「はい、分りました」
 「情報収集に関してはお前を責任者に、伊吹一尉と日向一尉を副責任者として就かせる。疲れている所をすまないが、交代制で勤務に当たってくれ。何か異常が起これば、すぐに冬木市の葛城一佐へ連絡を入れる事。私達への連絡は、その後で構わない」
 短く承諾の返事をするリツコ。
 「青葉一尉には、広報と保安の責任者を兼任してもらう」
 ゲンドウの決断に、NERV本部に緊張が走った。

Interlude―
 何度目だろう、ここで目を覚ますのは。
 そんな事を考えながら、バゼットはソファーから身を起こした。闇に支配された一室は静けさに包まれている。
 「よう、随分とまあ景気の悪いツラしてんな。我が愛すべきマスター様?」
 「今更、何のつもりだアヴェンジャー。私が怒っていないとでも思っているのか!」
 「別に怒られなきゃならない理由はないと思うぜ?」
 半ば呆れたような口調のアヴェンジャーに、バゼットが殺気を込めて睨みつける。
 「だってそうだろ?俺はあんたの願いを叶えてやったんだぜ?死にたくない、生きたいっていう願いをよ。まだ思い出せねえかい?」
 「何を訳の分らない事を!」
 「だーかーらー、言峰綺礼っていう神父に、片腕引き千切られて聖杯戦争から離脱しただろうが!」
 バゼットの体がビクッと竦む。言峰綺礼。その名前を、彼女は良く知っていた。
 「俺は死にかけたあんたと契約してやったんだ。死にたくない、生きたい、その願いを叶える為に、この無限ループする4日間をプレゼントしてやった。俺にとっても、あんたの存在は都合が良かったからな」
 「都合?」
 「ああ、聖杯戦争を再現したのもその為さ。俺の目的は、他のサーヴァントを殺す事で、聖杯に力を貯め直す事。その為にはマスターという存在が欲しかったのさ。こう見えても俺は英霊だ。受肉していない以上、マスターという存在を利用しなきゃ、現界できねえんだよ・・・全く、余計な手間暇だぜ。本当なら、あいつの体を使って、受肉できたってえのによ・・・」
 ブツブツと不満を呟くアヴェンジャー。
 「まあいいさ。俺はあんたのおかげで目的を果たす事が出来た。だから、ここでサヨナラだ」
 「アヴェンジャー!」
 「ん?そんなかたっぽしかない腕で、俺と喧嘩するってえのか?忘れたのか?あんたがどれだけ強くても、人間である限り俺には勝てないんだぜ?」
 アヴェンジャーがその一言を告げた瞬間、バゼットの片腕は音もなく姿を消した。
 その光景を、バゼットは茫然と凝視する。
 「さあ、楽しい楽しい地獄の始まりだ!人類の天敵たる俺様主演の人類殺戮劇。存分に楽しませて貰おうか!」
 「アヴェンジャー!」
 咆哮とともに、バゼットはアヴェンジャーへ襲い掛かった。

3月11日―
 「助かったわ、ありがとうね」
 「いえ、これも司令の指示ですから、お気になさらず。それでは失礼します」
 今朝早くから衛宮邸を訪ねてきていた技術部職員を門前で見送ると、ミサトは邸内へと戻ってきた。そんなミサトに、当然の如く質問の声が飛ぶ。
 「葛城さん、結局さっきの人は何をしに来たんですか?楽しみは後に取っとくものよ、と言われたから黙っていたけど」
 「そうね、百聞は一見に如かずとも言うし、まずは見せてあげるわ」
 居間には、衛宮邸に寝起きしているメンバーが勢揃いしていた。その視線は、今の片隅にセッティングされた機械に注がれている。
 「インターネットか、だがこのパソコンは・・・」
 「それはリツコのハンドメイドの一品よ。性能だけを追求した、キワモノってとこかしらね」
 「インターネット?ハンドメイド?」
 携帯電話も使えないほど機械音痴な凛に、頭を抱えるアーチャー。
 「な、何よ!」
 「いや、気にするな。遠坂家が機械音痴なのは十分に理解している。だから君は触るなよ?間違いなく壊すからな」
 「う、うっさいわね!言われなくたって近づかないわよ!私だってパソコンが安くない事ぐらい理解してるわよ!何十万円も弁償したくないわ!」
 「そうねえ・・・性能を価格にすれば・・・安くても200万は下らないんじゃないかしら」
 ミサトの言葉にピシッと固まる凛。他のメンバーもその価格には多少の驚きはあったのか、お互いに視線を交わし合っている。平然としているのは、お嬢様であるルヴィアと現代の金銭感覚に疎いサーヴァント達、NERV出身のメンバーだけであった。
 「シロウ、200万円とはどれぐらいの価値なのですか?
 「そうだな、セイバーに分りやすい感覚だと・・・中華まんを2万個、もしくはうちの食費が月に20万だから10ケ月分ってところか」
 「シロウの手料理10ケ月分!?凛!貴女は絶対に近づいてはいけません!」
 「うっさいわね!この腹ぺこ大王が!」
 「それは言われなき侮辱だ!戦場においてどれだけ食料が大切か、貴女は何も理解していない!」
 妙な方向に舌戦がずれた2人をよそに、ミサトが簡単にまとめられたスペックに目を通しながら説明を続ける。
 「何せ、リツコが能力の全てを注ぎ込んだ一品だからね。大きさこそ普通のデスクトップだけど、ウィザード級のハッカーがいれば、こいつでペンタゴン辺りと電脳戦をやれるわ」
 「そんな恐ろしい事はしないで下さいね?」
 「大丈夫よ、必要なければやらないから」
 必要ならやるんだ、心の中で突っ込む士郎。
 「さて、それじゃあ本部からの情報を受け取るとしますか」
 本体を起動させ、慣れた手つきで次々に処理を進めていく。やがてプリンターから各種情報が吐き出されてくる。
 「今、出ているのは、今日の未明から起きている地震についての情報よ。感じられないほど微細な地震が、5分辺りで何度起きているか、という内容ね」
 「・・・ほう、確かに異常な数だな」
 「こちらは地震の専門家の意見ね。地震が起きる筈のない場所で、起きているのは異常だという意見よ。震源地は柳洞寺の地下というのも確定されているわね」
 すでに大聖杯が動き出している事は理解していた一同であったが、改めて突きつけられた事実に、緊張が走る。
 「異変はそれだけじゃないわ。世界中で小さい地震が観測されている。火山活動も活発になり始めているわね。地上だけじゃなく、海底でも活動が観測されている。これが偶然とは思えないわね」
 「そうね、だとするとこちらも準備は整えておきましょう。特に一般人への神秘の漏洩対策は重要よ。ループが終わった以上、放っておいてもループすれば記憶がリセットされるなんて都合の良い状況は終わったんだから」
 「そうですわね。私とイリヤとリン、それからキャスターで結界を張りましょう。何かあれば、すぐに遠隔起動可能な結界を。朝までグッスリ眠ってくれるような効果で良いかしら?」
 「その辺りはキャスターとも相談しましょう」
 
Interlude―
 夜の帳が下りた頃、1軒の空き家から人影が這い出てきた。
 短くカットされた髪の毛に泣き黒子。身にまとうのは、実用性一点張りのスーツ。その片腕が、風に吹かれてブラブラと頼りなく揺れている。
 人影の正体はバゼットであった。
 「クッ・・・だが、ここで突っ立っている訳には・・・」
 体に走る痛みに顔をしかめながら、彼女は人気のない夜道を歩きだす。
 彼女は、負傷していた。
 
昨夜、アヴェンジャーの真意を聞かされたバゼットは、人類では決して勝てない存在であるアンリマユに襲いかかった。
 だが当然の結果として返り討ちに遭ったバゼットは、一縷の望みを託して令呪を使用した。
 アヴェンジャー自身が、自分が現界するにはマスターが必要だ、という言葉を覚えていたからである。
 しかし、令呪は反応しなかった。
 アヴェンジャーの双剣を必死で凌ぎながら、愕然とするバゼット。残された片腕の甲には、3画の令呪が輝いていると言うのに。
 『おいおい、マスター。アンタ、ボケてるだろ。令呪はサーヴァントに対する絶対命令権だが、その糧となっている魔力は聖杯から送られてくるものだ。そして、その聖杯の中にいるのは、この俺なんだぜ?』
 バゼットが決断するのは早かった。選択したのは逃走。即断即決である。
 窓ガラスを破りながら2階から飛び出すバゼット。そのまま彼女は飛び降りるのではなく、不安定な木の枝に着地。そこで足を止める事無く、枝から枝へと飛び移りながら走り抜けていく。
 そんなバゼットを追撃する事もなく、アヴェンジャーは破れた窓の内側から、夜闇をジッと見つめていた。

 アヴェンジャーとの戦闘から丸一日。全身を蝕む痛みと気だるい疲労感、ささくれ立った精神の高ぶりに、バゼットは歯ぎしりしていた。
 バゼットという存在がアヴェンジャーにとって都合の良い駒であった事。自分が第5次聖杯戦争において、戦う前に言峰綺礼の騙し討ちで敗北していた事。その事を忘れて必死に戦ってきた道化その物だった自分。
 全てがバゼットを苛んでいる。だが何よりも腹立たしいのは、現状である。殺すには絶好の機会であるにも関わらず、アヴェンジャーは追撃を選択しなかった。アヴェンジャーとバゼットは、未だに令呪を通しての繋がりがある。だからアヴェンジャーがその気になれば、バゼットを補足する事は容易い事である。だというのに、未だに追撃が無い。それはアヴェンジャーがバゼットに対して、殺すだけの価値もない女。追撃するだけ時間の無駄。追いかけて始末するのも面倒くさい。そのようにしか考えていないのではないかとしか思えなかった。
今にして思えば、遠坂凛が前の4日間において、アヴェンジャーについて思わせぶりな事を口にしたのも、凛が事実を知っていたからではないかと思うようになっていた。
 屈辱が心と誇りを焦がし、怒りで噛み切った唇から鮮血が滴り落ちる。
 もし、この場で果てる事ができれば、どんなに楽だろう。
 例え自殺とまではいかなくても、令呪の刻まれた残る1つの手を破壊すれば、アヴェンジャーは現界できなくなる可能性は高い。そして自分には、言葉だけで力を発揮する逆行剣フラガラックが存在する。その気になれば、残った片手を粉砕する事など容易かった。
 それを躊躇わせたのは、最後に戦った赤い槍の男の存在。
 自殺すれば、彼には二度と会えなくなる。腕を破壊しても止血できない以上、死ぬのは間違いない。
 バゼットは悔しげに顔を歪めながら、夜の街を走り続けた。目指す目的地は、冬木の管理者、遠坂家。
 「クソ・・・我ながら情けない・・・」
 目的地が見えてきた事に安堵の溜息を吐きながら、バゼットは残る力を振り絞って、再び歩き出した。

3月12日―
 「様子は?」
 「問題ないわ。そのうち目を覚ますわよ」
 湯気の立つ緑茶を啜りながら、凛が応じる。
 時刻は朝の10時。
 いつも朝は弱い凛が、血相を変えてアーチャーとともに外へ飛び出したのは、士郎が朝食の準備をしている時であった。
 一体、何があったんだ?と訝しげに思う士郎。その疑問が解けたのは、凛が同行者を連れて戻ってきた時であった。

 「遠坂!その人は!」
 「士郎!とりあえず布団を用意して!詳しい事は後で!」
 士郎が敷いた布団へ、アーチャーが抱きかかえていたバゼットを寝かせる。
 「で、一体、何があったんだ?」
 「今朝早く、遠坂の家の侵入者を報せる結界に反応があったのよ。で、行ってみたらコイツが倒れていたって訳」
 バゼットは全身が血と誇りで汚れていた。綺礼に奪われた片腕は、当然の如く存在していない。
 「朝から一体、何事・・・」
 客間に入ってきたルヴィアが、一瞬、硬直する。だが状況を見てとると、即座に凛とともに応急処置へ入った。
 「ルヴィア!とりあえずヤバそうな傷だけ優先的に塞いで!他は後回し!」
 「分かってますわ!」
 騒動に気づいたのか、衛宮邸で寝起きする者達が次々に起きてくる。そしてその中にはランサーの姿もあった。
 己を召喚した最初のマスターの変わり果てた姿に、ランサーの眦が徐々に吊りあがっていく。
 そこへ凛の叱咤が響いた。
 「ランサー!アンタも治癒のルーンが使えるんでしょう!手伝って!」
 「・・・ああ、分かった」
 怒りを押し殺しながら、手慣れた手つきで治癒のルーンを刻んでいく。
 やがて処置が終わったのか、凛が大きなため息をつきながら立ち上がった。
 「遠坂、この人、大丈夫なのか?」
 「見ためは酷いけど、致命傷は無かったわ。ただ失血と疲労が酷いのよ。しばらくは休ませておくしかないわね」
 未だに痛みが走るのか、時折、バゼットが顔を歪ませる。
 「それで、バゼットの腕だが・・・」
 「昨日今日引き千切られた、という傷じゃないわ。完全に皮膚も張っているし、全く問題ない。しばらくは様子見ね」
  
 士郎が注いだ緑茶で、凛が一息入れる。
 基本的に凛は朝に弱い。にも拘らず、バゼットというトラブルに対応する為、朝早くから行動した反動のせいか、どことなく調子が悪そうに見えた。
 「遠坂、眠いのなら少し寝てきたらどうだ?」
 「そうねえ・・・」
 士郎の言葉に、赤い悪魔がニヤリと反応した。そのままコタツの中に頭を突っ込む。
 「遠坂?」
 凛の行動を把握できず、戸惑う士郎。だが凛の顔が、急にコタツの中から出てきた。
 「ちょうど良い敷布団があるから、使わせて貰おうかしら?」
 「と、と、と、遠坂!?お前、一体何して・・・」
 傍目に見れば、コタツを背負った凛が、士郎を押し倒しているようにも見える光景である。
 「お、俺は!」
 「む・・・動くな」
 金縛りをかけられ、全身硬直状態に陥る士郎。彼の眼前では、蝙蝠の羽に悪魔の尻尾を露わにした赤い悪魔が、勝利の笑みを浮かべていた。
 だが彼女は忘れていた。現在の衛宮邸にいるのは2人だけではないという事に。
 スパンッという音を立てて開かれる衾。
 「先輩!お煎餅持って・・・きま・・・」
 「シロウ!稽古の前に・・・話・・・でも・・・」
 「シェロ!ちょっとお願いが・・・ある・・・」
 聖剣でも切り裂けないのでは?と思わせるほど硬い空気が居間を支配する。
 士郎は金縛り状態なので、逃げる事など不可能。
 凛は悪戯の為に無理な体勢なので、やはり逃げる事など不可能。
 「うふふふ・・・センパイ・・・ネエサン・・・」
 「シロウ、リン、覚悟は良いですか?」
 「昼前からこのような人目のある場所で・・・」
 戦闘態勢に入った3者3様の姿に、士郎は心の中で赤い悪魔を罵倒しながら覚悟を決めていた。

 数分後、今後の予定と対策を練る為に居間へ入ってきたアスカとランサーは、そこで起きていた修羅場の光景に、無言のまま衾を閉めてその場を立ち去った。

夜―
 「・・・ここは・・・」
 深い眠りから目を覚ましたバゼット。その視界に飛び込んできたのは、見慣れない和室の光景であった。
 記憶を遡ろうとするバゼット。そこへ声がかけられた。
 「よう、目を覚ましたか。随分とまあ、眠りこけていたもんだな」
 「・・・ランサー?」
 「ああ。正真正銘、アンタが呼び出したランサーだ」
 かつての僕の言葉に、バゼットは複雑極まりない表情を返す事しかできなかった。今のランサーはアスカのサーヴァントであるし、バゼットのサーヴァントは一応アヴェンジャーである。例えかつては主従であっても、今は聖杯戦争参加者として戦いあわねばならない立場であった。
 「ランサー、私は」
 「・・・お前が起きた事を連中に伝えてくる」
 バゼットの言葉を遮り、立ち上がるランサー。
 「ランサー!」
 「バゼット、お前は戦士だろうが。振り向いている暇があるのなら、前を見ろ。俺の知っているバゼット・フラガ・マクレミッツはそういう女だ」
 静かに閉められる衾。
 「ありがとうございます、ランサー」
 ピシャン!と自分の頬を叩いて気合いを入れ直すと、バゼットは壁に掛けられていたスーツを着込み、自分の成すべき事を成すべく廊下を歩きだした。

 バゼットから齎された情報は、士郎達に大きな衝撃をもたらした。
 アンリマユが受肉して世界に姿を現すとなれば、事実上、人類は敗北したも同然だからである。
 「人類の全滅・・・確かに悪の神性としてみれば、当然の行動なのかもしれないけど、厄介すぎるわね」
 「できれば協会へ応援を頼みたい所ではありますが、来るとしても準備に時間がかかります。それに一般人を機密保持の為に口封じされる事を思えば、やはり私達だけで解決するしかないでしょうね」
 「ああ、俺達で何とかしようぜ」
 士郎の言葉に、全員が頷き合う。
 「・・・及ばずながら、私も協力させて貰いたい。アヴェンジャーを召喚したのは私だからな、マスターとして責は取らなければならない」
 バゼットの言葉は、少しでも戦力が欲しい士郎達にしてみれば、渡りに船だった。彼女の戦闘力の高さは、サーヴァント達が身をもって証明している。
 「そういえば、アタシ訊きたい事があるのよ。アヴェンジャーってどんな顔してんの?アタシは直接見た事無いから、知らないのよ」
 「顔ですか?そうですね、こんな感じでしょうか・・・」
 バゼットが手近な紙に、ササッと描きあげる。お世辞にも上手とは言えない絵ではあったが、アヴェンジャーの特徴はハッキリと描かれていた。
 「・・・本当に、こんな顔?」
 手渡された絵を覗き込んだアスカが、その身を強張らせた。だがすぐに立ち上がると、バゼットの手を乱暴に掴んで力任せに引きずっていく。
 突然の強行に、士郎達は唖然と見送るばかりであった。
 アスカは衾を開いて、シンジが寝ている部屋へと入っていく。
 「レイ、少しだけそこをどいて。バゼット、本当にこの顔なのね?」
 アスカが指さした仮死状態の少年。その顔に歴戦の執行者は凍りついていた。
 「・・・アヴェンジャー・・・」

Interlude―
 凛とルヴィアが魔術トラップを仕掛けた大聖杯の間。そこに1人の少年がいた。
 真名をアンリマユ。聖杯戦争においてはアヴェンジャーとして呼び出された存在。
 彼は魔術トラップを気にする事無く、奥へ奥へと入り込んでいく。だが不思議な事に、罠は1つも発動しなかった。
 やがて彼は辿り着いた。7体のサーヴァントによって、十分に活性化された聖杯の前に。
 「ククッ、良いねえ、魔力が溢れていやがる。普通の魔術師なら根源への到達を狙うんだろうが、俺様はそんなもんに興味はねえ。俺様が望むのは、ただ1つ」
 溢れかえっている魔力の中に、無造作にアンリマユが手を突っ込む。
 「破壊と混沌が撒き散らされる舞台劇。本当なら俺様自ら人類大虐殺の筈だったが、もっと面白いこと思いついちまったからな。全力で足掻いてもらうぜ?」
 かつて『碇シンジ』と呼ばれていた少年の顔のまま、アンリマユは高らかに宣言した。
 「さあ、始めようか!15体の使徒の再来だ!エヴァンゲリオンも無しにどこまで足掻けるか、見せてもらうぜ!」

―使徒戦役、再び。今度の舞台は冬木市―



To be continued...
(2011.06.19 初版)


(あとがき)

 紫雲です。今回もお読み下さり、ありがとうございます。
 今回は聖杯戦争にも関わらず、バトル要素の少ない展開となりました。まあバゼットの合流に焦点が置かれていたので、仕方ないと言えば仕方ないのですが。
 しかし今回の話でバゼットも士郎陣営に加入となり、これでアンリマユとの対決となるのですが、最後の展開通りエヴァンゲリオン要素をぶち込んでみましたw
 これについてはプロット通りの展開です。どうせエヴァとのクロスなんだから、使徒を出したいなあと考えた結果が、聖杯による使徒の蘇生です。エヴァが無く、第3新東京市という迎撃都市でもない冬木市を舞台に、サーヴァント・魔術師陣営vs使徒という生存戦争が繰り広げられる事になります。
 それでは、また次回も宜しくお願い致します。



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