正反対の兄弟

第一話

presented by 紫雲様


京都、関西呪術協会総本山―
 カコーンという鹿威しの音が響く。
 もうすぐ世間一般では夏休みがやってくる頃、関西呪術協会の長、近衛詠春は客を迎えていた。
 彼の前にいるのは、Tシャツにジーパン姿の少年である。
 詠春は、この少年をある事情から養子として迎え入れ、陰陽師として修行をつけていた。修業期間は僅か3ヶ月。見習い陰陽師と呼ぶもおこがましいほど、入門したばかりの少年であったが、それでもこの少年の将来に期待をかけていた。
 それは関西呪術協会が1000年以上昔から集めてきたあらゆる書物を、わずか3カ月で諳んじてしまった事からも分かる。それだけではない。少年は術に関しては未熟だが、気の力を利用しない星読みや風水といった物に関しては、すでに詠春を上回るほどの才覚を見せていた。
 だがその期待は木っ端微塵に砕かれてしまった。
 少年自身も気づいていなかった異能が発覚した時、少年は関西呪術協会において居場所を無くしてしまった。
 詠春も少年を庇護するべく動き回ったが、ついにその動きは報われる事無く、最悪の事態を迎えてしまったのである。
 「すまない。私にもっと力があれば、守ってあげられたのに」
 「詠春さんが必死になって動いて下さった事は知っています。きっと、そういう星の巡りだったんです」
 「いや、そんな事は理由にすらならない。親として、子を守るのは当たり前の事。その当たり前の事が、私にはできなかった」
 関西呪術協会において少年の味方であるのは、僅かに2人。他は全て少年の敵にまわっていた。それほどまでに、少年の異能は際立っていたのである。
 「・・・関東魔法協会には義父がいます。義父には君の異能以外の事は全て伝えてあります。表向きは木乃香の追加護衛として派遣という形式を取りますが、実際には好きなように生活してくれて構いません。義父にも許可は貰っています。陰陽術を捨てたければ、捨てるのも良いでしょう」
 少年はしばらく考えていたが、顔を左右に振った。
 「陰陽術は捨てません。これは僕に必要な力ですから」
 「そうか。分かった、それも良いだろう」
 「はい。では時間なので、出発する事にします」
 脇に用意してあったスポーツバッグを手に取ると、少年は詠春とともに外へ出た。
 その最中、少年へ無数の無遠慮な視線が突き刺さる。中には少年へ敵意を言葉で紡ぐ者もいた。
 (・・・何という事だ・・・確かにこの子の力は危険かもしれん。だが苦しんでいるのはこの子なのだ。何故、それが分からないんだ・・・)
 詠春の言葉は、多くの部下達の心には届かなかった。何度も言葉を尽くし、説得にあったが、考えを改めた者は1人もいなかった。
 申し訳ないという気持ちの詠春は、少年へ顔を向ける。
 少年の表情は無表情のまま。感情の一片たりとて浮かび上がってはいない。
 (・・・ああ、もう諦めてしまっているのか・・・何故だ、何故この子に救いが無いのだ・・・)
 鳥居を潜り、外へと向かう2人。その前に人影が立ちはだかった。
 「行くんか」
 「・・・はい。不出来な弟子で申し訳ありませんでした」
 「阿呆!お前のどこが不出来な弟子だと言うんや!どう考えても、関西呪術協会の中でお前以上に陰陽師として高い才能を持っとった奴はおらへん!」
 怒声の主は、関西呪術協会において若手の実力者の1人と目されている天ヶ崎千草であった。
 「たった3ヶ月で、お前は星読みや風水に関しては、経験だけは豊富なジジイどもに次ぐだけの実力を身に付けた。それのどこが不出来や、言うてみい!」
 「千草さん、この子は」
 「長の言いたい事は分かっとります!本当に不出来なのは、弟子を守れんかったうちやという事も!この子はうちに迷惑をかけたくないだけやという事も!この子は何も悪うない!本当に悪いのは!」
 「師匠!」
 少年の張り上げた声に、千草は思わず声を飲みこんだ。
 「それ以上言えば、師匠の立場が悪くなります。僕がここから姿を消し、二度と現れなければ、全て丸く収まるんです。それが現実なんです」
 「この・・・馬鹿弟子が!」
 千草は堅く握りしめた拳を怒りで震わせていた。だがその拳を振り下ろす先はどこにもない。
 全力で近くの木に拳を叩きつけた後、千草は懐から1本の短刀を取りだした。
 「これは長と一緒に作った餞別や。符の代わりとして使う事ができる。いつか役に立つ時が来るかもしれへん。持っていけ」
 「・・・ありがとうございます」
 「忘れるな。関東の連中にお前の異能がばれれば、同じ事の繰り返しになる。それだけは気いつけや。それにお前の対応も変えや。もっと年相応の対応をするんや。お前なら、それぐらいできるやろ」
 師の言葉に素直に頷くと、少年は短刀を受け取った。そのまま1人階段を下っていく。
 そして途中で振り向いた。
 「今までお世話になりました。御二人とも、お体にはお気をつけ下さい」
 「・・・阿呆!うちの心配なんて100年早いわ!」
 「向こうで何かあったら、義父を頼りなさい」
 少年は頭を下げると、静かに立ち去った。

埼玉、麻帆良学園―
 3ヶ月間寝起きした関西呪術協会を後にした少年は、休む事無く電車を乗り継ぎし、その日の内に麻帆良学園都市へとやってきていた。
 「確か、この駅だな・・・麻帆良学園中央駅、うん間違いないな」
 目的地が間違ってない事を確認すると、少年はスポーツバックを担ぎ直して駅の外に出た。
 真夏の太陽が、容赦なく少年に降り注ぐ。
 「・・・とりあえず、誰かに道を訊ねるか」
 キョロキョロと辺りを見回す。ちょうど駅へ向かってきている少女の集団がいる事に気付く。
 「ちょっと道を教えて貰えないかな?」
 「ん?」
 少年の問いかけに、少女達が足を止める。
 訊き返してきたのは、先頭を歩いていたロングヘアーに眼鏡の少女だった。前髪の中から2房だけ触覚のように髪の毛が飛び出ていた。
 「麻帆良学園の女子中等部はどう行けば良いのかな?」
 「・・・どのような要件ですか?顔も見せようとしない人に、下手に教えるのはどうかと思います」
 そう切り返してきたのは、小柄でロングヘアーの少女だった。手には『抹茶マンゴーミルク』と印字された怪しげなジュースを手にしている。
 さらにその背中に隠れるように身を縮こまらせた少女が、コクコクと頷いていた。
 「目の周りに醜い火傷があってね、他人には見せたくないから隠してるんだよ」
 「そんな事、信用すると思うですか?」
 「まあ、普通は無理だと思うよ。僕も信じて貰えるとは思ってないから」
 キョトンとする少女達。
 「迷惑掛けてゴメンね。他の人に訊くよ」
 「別に教えてあげてもええよ」
 スポーツバックを担ぎ直した少年に声をかけたのは、今まで静かにしていた、ロングヘアーの少女だった。
 「木乃香!?」
 「別に悪い人やなさそうや。道を教えるぐらい、ええやろ」
 「そうだね。もし何か問題あれば、先生が何とかしてくれるだろうし」
 「・・・2人がそう言うのなら」
 一番分かりやすいルートを少年に教える少女達。教え方が上手だったせいか、少年はスンナリと道順を覚えてしまった。
 「ありがとう。今日中に会わなきゃいけない人がいるから助かったよ」
 「ふうん。誰に会いに来たの?」
 「ここの学園長だよ。近衛近右衛門って言う人なんだけど、知ってる?」
 少女達が知らない訳がない。毎日通っている中等部の最高責任者なのだから。
 「お爺ちゃんに用なん?」
 「お爺ちゃん?・・・そういえば木乃香って呼ばれていたね。ひょっとして詠春さんの娘の木乃香ちゃん?」
 「そうや。お父様の知り合いなん?」
 どうも妙な方向に話が流れてきたぞ、と他の少女達が固唾を飲んで2人のやり取りを見守りだす。
 「そっか、じゃあついでだから自己紹介しておくよ。僕はシンジ。近衛シンジというんだ」
 「・・・近衛シンジ?」
 「そう。今年の5月に詠春さんの養子になったんだ。だから木乃香ちゃんから見れば、義理の兄、ってことになるんだよ」
 「そうなんや!うちお兄ちゃんが欲しかったんや!」
 ニコニコと上機嫌に笑いだす木乃香。
 「そうや、うちの友達紹介するえ!」
 「そうか、木乃香のお兄さんだったんだ。私は早乙女ハルナ。よろしくね!」
 「・・・綾瀬夕映です。とりあえず自己紹介だけはしておきます」
 「・・・宮崎のどか、です・・・」
 ハルナは比較的友好的、夕映は警戒、のどかは尻込みと実にバラバラな反応である。それに対して、シンジは一歩下がりながら応じた。
 「宮崎さん、男性恐怖症みたいだね。少し離れておくよ」
 「・・・どうして分かったですか?説明を要求するです」
 「大した事じゃないよ。僕が道を訊ねると同時に、綾瀬さんの背中に隠れたでしょ?その時点で対人恐怖症か、極度の上り症のどちらかだと思った。でも顔色を見る限り、上り症の人に特有な照れが無い。そうなると対人恐怖症という事になる。ここまでは良いかな?」
 シンジの説明を聞いていたハルナと木乃香が『おお』とどよめく。その一方で、夕映とのどかは緊張と警戒心を限界まで跳ね上げていた。
 「ただ宮崎さんは、こうして友達と一緒に行動している。これは対人恐怖症の人にはありえないんだよ。だって他人と接する事自体が恐怖なんだからね。だとすると、宮崎さんは対人恐怖症じゃない、という事になる。じゃあ、何で僕から隠れたのか。それを考えたら、男性恐怖症なんじゃないかと思ったんだ」
 「・・・納得はできましたが、不気味なほど頭の回転が早いですね」
 「まあ、対人恐怖症については身に覚えがあったからね。少し前まで、僕がそうだったから」
 この答えは予想外だったのか、少女達が呆気に取られた。
 「さて、それじゃあ僕はそろそろ行くよ。道を教えてくれてありがとう」
 「待った待った!木乃香のお兄さん、ちょっと待った!」
 シンジを呼びとめたのはハルナであった。その眼鏡をキュピーンと光らしながら、シンジにズイッと迫る。
 「私達、すぐに買い物終わるんだよ。直接案内してあげるから、少しだけ待ってくれないかな?」
 「「ハルナ!?」」
 驚いたのは夕映とのどかである。友人の行動が全く理解できず、戸惑っている。
 「一体、何考えてるですか!?」
 「ふっふっふ。ネタの匂いがプンプンするのよ!このパル様の勘に間違いは無い!」
 大きく溜息を吐く夕映。のどかはオロオロし、木乃香はニコニコとシンジを見つめている。
 「そう?それなら待ってるよ」
 「よし!5分だけ待ってて!さあ、買い物さっさと終わらせるわよ!」
 怒涛の勢いで目的の店に飛び込んでいくハルナ。その後ろ姿を面白そうにシンジが見ている。
 「早乙女さん、面白い人だね」
 「・・・こう言っては何ですが、ハルナを面白いと評した人は初めてです」
 「そうなんだ。ところで早乙女さんって漫画家希望なの?」
 「・・・どうして分かったですか?」
 露骨に警戒する夕映。そんな少女に苦笑しつつ、説明する。
 「さっきネタって言ってたでしょ。ネタっていう言葉はマスコミ関係者か、作家が使う言葉だよね?」
 「・・・確かにそうです」
 「あとは早乙女さんの指のペンダコだよ。マスコミや小説家希望なら、パソコンを使う人が多いから、あれほど大きなペンダコはできない。それだけだよ」
 言われてみれば納得できる説明ではある。だがこの短い時間で、ペンダコの大きさまで覚えているというのは異常というしかない。
 「失礼だとは思いますが、正直、気味が悪いです。初対面の女の子をそこまで見ているなんて、異常者と言われても否定できないです」
 「ゆ、夕映、それは言い過ぎやで!」
 「ですが木乃香。貴女のお兄さんを自称するこの人は、あまりにも不気味です。百歩譲って目を隠しているのは良いとしましょう。ですが推理力といい、観察力といい、普通の人とは思えません」
 険悪な空気が立ち込める。そこへ買い物を終わらせたハルナが駆け戻ってきた。
 「お待たせ!・・・って、何かあったの?」
 夕映の説明に、ハルナも驚いたのかシンジを唖然と見るしかない。
 「何と言うか、不気味というより、私は驚いたよ。木乃香のお兄さん、よくそこまで観察できたね」
 「・・・別に観察してた訳じゃないんだけどね」
 「だったら、どう説明するですか!ジロジロ見てたから気づいたんじゃないですか!?」
 夕映の剣幕に、しばらく考えていたシンジは、ふと思いついたように財布を取りだした。
 「誰でも良いんだけど、そこのコンビニで適当な文庫小説を1冊買ってきてくれないかな?ジャンルは何でも良いから、ページ数が記入されているのを買ってきて」
 「何を訳の分からない事言ってるですか!」
 「綾瀬さんの疑問に答える為に必要なんだよ」
 「ええわ、うちが買うてくる」
 シンジから1000円札を預かった木乃香が、コンビニへ走っていく。やがて1冊の文庫小説を手に戻ってきた。
 「これでええん?」
 「ありがとう、十分だよ。10分だけ待っててね」
 手渡された文庫小説に、シンジが目を通していく。シンジが何をしようとしているのか、ハルナは興味深々で、夕映は敵意丸出しで、のどかは恐る恐るシンジを見ていた。
 「・・・お待たせ。それじゃあ綾瀬さん。適当なページを開いてみて」
 「開いたですよ」
 「じゃあページと適当な行数を教えて。内容を暗誦するから」
 シンジが何をしようとしているのか、気付いた少女達が目を丸くした。
 「25ページの3行目の段落改行から言うですよ」
 次の瞬間、シンジは一字一句間違いなく、文章を諳んじてみせた。これには夕映も敵意を忘れて、呆気に取られてしまった。
 「ちょっと待つです!じゃあ57ページの5行目の段落改行は!?」
 やはり一字一句間違いなく、シンジは諳んじてみせた。
 「間違いない!完全記憶とか言うやつでしょ!」
 「早乙女さんの答えが正解だよ。僕は一度見た物は、全て記憶してしまうんだ。例えそれが視界の片隅を横切っただけであってもね。ペンダコに気がついたのも、記憶を再検証したからだよ」
 少女達は言葉も無かった。異常なまでの観察力どころか、ここまで常識を超えた能力を持っているとは誰も思わなかったのである。
 「・・・ジロジロ見ていた訳ではない事は分かりました。失礼な事を言いました、ごめんなさいです」
 「綾瀬さんが謝る必要は無いよ。そう思われても仕方ない事だから」
 目元が見えないシンジだが、口調からして怒っている訳ではない事は、夕映もすぐ気がついた。
 「木乃香。貴女のお兄さんを疑ってごめんなさいです」
 「ええよ、そんな」
 あっという間に元の雰囲気に戻る少女達。この仲直りの早さは、元々仲が良いからこそできる事である。
 「それにしても、木乃香のお兄さん、凄いね。それって生まれつき?」
 「・・・違うよ。4月ぐらいから急にこうなったんだ。それはそうと、そろそろ学校へ案内をお願いしてもいいかな?」
 「そうだった!よし、行くわよ!」
 ハルナの先導のもと、中等部へと向かう一行。その途中、ハルナが何気なく問いかけた。
 「木乃香のお兄さん、どうして養子になったか、訊いても良い?」
 「別に大した事じゃないんだけどね。2000年にセカンド・インパクトがあった事は知ってるよね。それでたくさんの人が亡くなった事も」
 コクンと頷く一同。
 「僕の母親はね、その時南極にいたんだよ。南極調査の一員としてね」
 「マジ!?」
 「ただその時、お腹の中には僕がいる事を母さんは知らなかったんだ。僕を妊娠している事に気付かないまま、母さんは南極へ調査に出かけた。日本へ婚約者を残し、調査が終わったら結婚しようと約束してね」
 ネタの匂いに、ハルナが『それでそれで』と身を乗り出して続きを催促する。のどか達も話には興味があったのか、シンジと距離をとったままではあるが、ジッと話に耳を傾けていた。
 「ちなみに、その婚約者の名前は青山詠春と言う名前だったんだ」
 「・・・へ?それってお父様の事やん!」
 瞬間、ブッと口に含んでいたジュースを夕映が噴き出す。
 「じゃ、じゃあ母親違いの兄妹!?」
 「そう言う事。何せ爆心地である南極にいて、生き残れるとは思わなかったんだよ。それに母さんも運良く南米に流れ着いて救助はされたけど、結局意識は戻らなかった。それでもお腹が大きくなっている事で、妊娠している事だけは分かったから、手術で僕を取りだしたんだよ」
 「はあ、何と言うか生まれながらに激動の人生ね」
 ハルナの感想に、のどかがウンウンと頷く。
 「結局、僕は親なしの子供として、南米から日本へ送還されてはきたものの、保護者がいなかったから孤児院で暮らしてきたんだ。でも同じ孤児院の子供が難病にかかってね、移植の必要があって、僕も色々調べられたんだよ。そしたら僕の遺伝子情報が、詠春さんと似ている事が判明してね」
 「お兄ちゃん、本当に凄い偶然やったんやな」
 「そうだね。僕が養子に入った理由はそんなとこだよ」
 実父の知られざる過去は、木乃香にとって驚愕の一言につきた。
 「とまあ、道案内の御礼がてらにアドリブ話を提供してみた訳だけど、面白かった?」
 「「「「・・・は?」」」」
 「だから全部作り話」
 歩きながらスポーツバッグを担ぎ直す少年の声色は、不自然に揺れていた。笑いを押さえようとして。
 「・・・全部、ウソですか!?」
 「そうだよ。あくまでも即興のアドリブだから。楽しんで戴けたら幸いです」
 「幸いじゃないです!」
 「お兄ちゃん!」
 ガーッと詰め寄る夕映と木乃香。ハルナは『ネタに使えるか?』と考え、のどかは笑い声を押さえるのに必死であった。
 「だって、本当の事言っても信じて貰えそうにないから」
 「本当の事言うです!」
 「近衛詠春隠し子説。婿養子という立場上、ストレスを抱え込んで愛人作っていたというのはどうだろう?」
 「どうだろう?っていう時点で作り話じゃないですか!」
 シンジの胸元を掴んでガクガク揺さぶる夕映。いつになく突っ込みの激しい友の姿に、隣にいた木乃香は呆気に取られている。
 「まあ、養子と言うのは本当だよ。詠春さんは婿養子だから、現在の当主である近右衛門さんの意見も聞かずに僕を養子になんてできない。だから学園長に訊けば、僕が養子だと言う証明はできるよ」
 「まあ、いいです。その代わり、学園長室までついて行かせてもらうです」
 「はいはい、それじゃあ道案内お願いするよ。えっと、確か綾瀬おでこちゃんだったよね?」
 「ワザとらしく間違えるなです!第一おでこちゃんとは何ですか!」
 (((夕映が玩具になってる・・・)))
 未だにシンジの胸元を掴んでガクガク揺さぶっている夕映の姿に、少女達は全く同じ事を思っていた。

学園長室―
 『開いておるぞ、入ってきなさい』
 「失礼します」
 「無視するなです!」
 ガチャッと音を立てて開くドア。そこにいた一行の姿に、室内にいた教師3人組は開いた口が塞がらなかった。
 シンジの姿については、詠春から事前に連絡が来ていたので驚く事は無かった。
 だがコアラのようにシンジにしがみ付き、全力でガクガクと揺さぶっている夕映の姿と、笑いを堪えている3人の少女達の存在は全くの予想外だったのである。
 「初対面で何じゃが、何かあったのかね?」
 「いえ、道案内の御礼がてら、ちょっとした作り話をした所、予想外に反応が良かっただけです」
 「ええい!素直にしゃべるです!」
 ガクガクと揺さぶり続ける夕映の肩を、近寄ってきたグラマラスな女性がポンポンと叩く。
 「綾瀬さん、そろそろ抱きつくのを止めて貰えないかしら?」
 「だから私は!・・・!?」
 声にならない悲鳴を上げて、夕映が飛び退く。その顔は耳まで真っ赤に染まっている。
 「いやいや、2−Aでもクールな方だと思っていたんだが、意外な一面を見れたな」
 「先生!」
 「分かってるよ、夕映君。でもすまないけど、少しだけ静かにして貰えるかな?僕達は彼と自己紹介をしあっていないのでね」
 渋々、後ろへ下がる夕映。そこで正面に座っていた、異形の後頭部を持った老人がコホンと咳払いした。
 「改めて自己紹介と行こうかの。儂は近衛近右衛門。この学園の学園長をしておる。君の事は婿殿から聞いておるよ」
 「ありがとうございます。僕は近衛シンジ。5月に詠春さんの養子となりました。しばらくこちらで生活させて戴きます」
 「ふぉっふぉっふぉ。しかし儂と君は祖父と孫という間柄になる訳じゃ。もちっと気楽に話をしてくれんかのう?」
 近右衛門の言葉に納得したのか、シンジはニコヤカに笑顔で応じる。
 「そうしますお爺ちゃん」
 「ふぉっふぉっふぉ。よろしくなシンジ。それとこちらの2人を紹介しておこう」
 「初めまして、シンジ君。僕はタカミチ・T・高畑。その子達の担任教師なんだ」
 そう名乗ったのは、無精ひげを生やした体格の良い男性教師であった。その体格の立派さとは対照的に、優しそうな顔つきである。
 「私は源しずな。学園長の秘書みたいなものよ、よろしくね」
 腰まで髪を伸ばしたグラマラスな女性も、タカミチに続いて挨拶する。
 「近衛シンジです。こちらこそ、よろしくお願いします」
 シンジの礼儀正しさに好感を持ったのか、2人とも友好的な雰囲気だった。
 「なあなあ、お爺ちゃん」
 「木乃香か、どうしたんじゃ?」
 「お兄ちゃん、どこに住むんや?落ち着いたら遊びに行きたいんや」
 孫娘の無邪気な一言に、近右衛門はフォッフォッフォッと笑って応じる。
 「実はのう。シンジには木乃香がおる女子寮の寮監を務めて貰う予定なんじゃ。じゃから入り口脇の寮監室が部屋になるんじゃよ」
 「「は?」」
 「そうなんや。ありがとな、お爺ちゃん」
 無邪気な木乃香とは対照的に、訊き返したのは夕映とのどかである。2人とも『何故?』と疑問を浮かべている。
 ハルナは『女子寮に男が寝起きするなんて・・・これはネタの予感!』と考えキュピーンと眼鏡を光らせる。
 「婿殿から聞いておるよ。シンジは料理が得意だというでな、寮の厨房も任せるつもりじゃ。つまり寮の管理人兼、厨房の料理人という訳じゃ」
 「お爺ちゃん、仕事をするのは良いんだけど、それ以外の時間はどうなるの?」
 「支障が無ければ、何をしても構わんよ。要望のあった図書館島への訪問も認めておるからの。後であちらの司書に紹介してやろう」
 にこやかに会話する近右衛門とシンジに、額を押さえて夕映が呻き声をあげる。
 「血の繋がりは無いと言うのに、この2人が祖父と孫である事がとても納得できるのはどうしてなのでしょうか・・・」
 その感想に、のどかがコクコクと頷いていた。

 孫娘達としずなを下がらせた後、近右衛門は居住まいを正した。そこにいるのは、好々爺ではなく、関東魔法協会最大の実力者である。
 「さて、では改めて紹介といこうかの。儂は近衛近右衛門。日本におる西洋魔法使いを束ねる関東魔法協会の長じゃ。関西呪術協会の長、近衛詠春の直弟子、近衛シンジ。陰陽師としての修業期間は5月〜7月の僅か3ヶ月。だが星読みや風水に関しての実力は、すでに婿殿を上回り、あちらの長老格に匹敵するほどだと聞いておる。いや、経験さえ積めば、一年以内に最高クラスの占者に育つと、婿殿は太鼓判を押しておった。間違いないかの?」
 「ええ、ほぼ間違いないです」
 「なるほどのう。じゃがそれほどの才を持ちながら、どうしてあちらを追放されたんじゃ?確かに儂らの西洋魔法は、陰陽術に比べれば探知系の術は劣っておる。じゃがそうだとしても、君の才は間違いなく、あちらにとって有益な物だった筈じゃ」
 「・・・色々あったんですよ、色々ね」
 どこか疲れたような口調のシンジに、近右衛門が眉を顰める。だからと言って、一組織の長として、追及の手を緩める訳にはいかなかった。
 「そこを説明して貰えんかの?」
 「それはできません。だって、僕を疑っている人に全てを話すと思いますか?僕の見た所、高畑先生は相当の実力者だ。僕を叩きのめす事など朝飯前でしょう?」
 シンジが何を言おうとしているのか、近右衛門が首を傾げる。
 「僕はもう気付いているんです。万が一、僕が奥の手を用意していた時の事を考えて、貴方が伏兵を配置している事をね。僕の右後ろに銃を手にした褐色の肌の女性、左後ろには刀を抜きかけている女の子がいるでしょう?」
 学園長室に緊張が走った。近右衛門もタカミチも、まさかシンジが事実に気付いているとは全く予想していなかったのである。それは隠れ潜んでいた2人も同じであった。
 「多分、認識阻害符。それも魔法使いにも有効な特注品。ここまで警戒されてたら、信用していないと言われたも同然です」
 「何故じゃ、何故分かったんじゃ!」
 「僕もね、全てを詠春さんに伝えている訳じゃないんですよ?」
 唖然とする近右衛門。孫となった少年は、致命的なまでに経験が無い。だからこそ組みやすしと思っていたのだが、それが自分にとって致命的なミスであった事を悟った。
 「・・・驚いたよ、本当にね」
 銃を手にした女性が姿を現す。手慣れた動作で銃を仕舞いながら、シンジへ近づく。
 「私は龍宮真名。中等部2−Aの生徒だ。それから向こうが」
 「桜咲刹那。同じく2−Aの生徒です。それより、どうして私達に気付いたんですか?私も龍宮も、認識阻害符で姿を消した上で、気配も殺していました。普通なら気付く事なんて無理な筈です」
 「認識阻害符っていうのは、視界に映った存在を見なかった気にさせる代物だ。でもあくまでも見なかった気になるだけ。記憶に残らない訳じゃない」
 「確かにそうだが、その説明では無理がある。記憶に残っていたとしても、注意して思い出す事などできないだろう?意識していない=無意識の記憶なんだから」
 真名の問いかけは当然である。刹那も同じ気持ちなのか、異論を唱えようとしない。
 そしてタカミチと近右衛門は、自分の策が失敗した以上、ここは少女達に任せようと判断したのか、沈黙を保っていた。
 「僕の場合は例外なんだよ。僕は注意を向けていなかった事でも思い出せるんだ。龍宮さん、今この部屋の写真を撮れば、写真がある限り、この部屋に誰がいたのか説明できるだろう?」
 「そうだな、当然だ」
 「僕がやったのはそういう事だよ。確かにこの部屋に、あの子達と入った瞬間は、気付かなかったよ。その符のおかげでね。でも『思い出す』という行動をとれば話は別だ。僕の記憶には、はっきりと2人の姿が刻み込まれていたよ」
 驚きで目を丸くする真名と刹那。近右衛門も両目を丸くしていた。
 「そうか!シンジ君、君は完全記憶の持ち主なんだね?」
 「そう言う事です。認識阻害符は僕には通じません」
 「いやはや、とんでもないどんでん返しだよ」
 タカミチは笑いながら、詠春から送られてきた書類に視線を落とした。
 「詠春さんは知らなかったんだね?君が完全記憶の持ち主である事を」
 「ええ、話した事はありませんから。とんでもなく物覚えは良いね、と褒められた事はありますけど」
 「・・・確かに書かれているな。知識の習得速度が非常に早い、と。道理で関西呪術協会の全資料を3ヶ月で読破できた訳だ」
 もはや苦笑いするしかないタカミチである。書類に書かれている通りであれば、15歳でしかない目の前の少年が、完全に自分達を手玉に取った事を理解したのである。
 「学園長。ここは僕達の非礼を詫びるべきです。僕達は間違いなく、選択肢を誤りました」
 「そうじゃのう。儂らが悪かった。すまない」
 「ええ、今回の件の代償として、僕の事は不問にする事を要求します。それが呑めないのであれば、僕はここを立ち去ります。どちらでも好きな方を選んで下さい」
 近右衛門は呻き声を上げるしなかった。確かに組織の長としては、追及に失敗した以上は追い出すか、力に訴えるかしかない。しかし相手は自分の娘婿の直弟子であり、養子である。力に訴えるのは明らかに間違っている。であれば追い出すしかない。
 だが追い出すにしても、シンジの実力はあまりにも惜しかった。西洋魔法の欠点は、戦闘に特化するあまり、探知系が少ない事である。術の種類も少なければ、探知系術者の数も少ない。だからこそ、近右衛門達は個人的なコネクションや、インターネットによる情報収集を要として、常日頃から情報を集めている。特にインターネットに関しては、魔法使いの1人である明石教授を担当責任者に据えているほどである。
 だがそれだけでは物足りないのも事実であった。
 その点、経験こそ無いが、陰陽師として才覚に富んだシンジの存在は、その穴を埋めてあまりある。陰陽師という一点に限れば刹那も陰陽術を使えるが、彼女は戦闘補助的な物しか習得しておらず、純粋な探知系の術はあまり習得していなかった。
 なにより新たに判明した完全記憶という稀有な才能と、それを利用し関西呪術協会の全資料を覚えているとなれば、生きたデータバンクと言って良いほどである。それどころか図書館島で関東魔法協会の資料も読み漁れば、確実に将来の関東魔法協会の要となりうる存在とも言えた。
 「良かろう。その条件を呑もう。責任は儂が持つ」
 「分かりました。ではこれから、宜しくお願いします」
 一礼すると、シンジは退室しようと踵を返す。それを近右衛門が慌てて呼びとめた。
 「待ってくれ。もう1つ、説明していない事があるんじゃ」
 「何でしょうか?」
 「ここへ来る途中、大きな樹を見たじゃろう?儂らは世界樹と呼んでおるが」
 確かにシンジの記憶に、巨大な樹があった。
 「この学園には多くの魔法使いが教師や生徒として生活している。彼らはここで学園生活を送ると同時に、世界樹の魔力を求めてやってくる侵入者の撃退も仕事としておるんじゃよ」
 「それを僕にやれ、と言うんですか?僕に戦闘力が無い事ぐらい、知ってるでしょう?」
 「確かにの。じゃがこうも書かれておる。お主は個人戦闘能力は皆無に近いが、集団戦闘において実力を発揮するとな。婿殿がえらく褒めておるぞ。6月に四国で封印から目覚めた牛鬼を、お主が中心となって滅ぼしてのけたそうではないか」
 「牛鬼を!」
 刹那が驚いたのも仕方ない。日本の闇の中には、数多くの妖怪が存在する。その中でも牛鬼とよばれる存在は、最強種の1体として目されている。
 「それは買被りですよ。あの牛鬼は封印から抜け出したばかりでストレスを貯め込んでいた上に、飢えていました。はっきり言ってしまえば、本能で動く猪突猛進の力馬鹿だっただけです。そんな奴なら、罠にはめる事ぐらい造作もないでしょう?」
 「そんな事を平然と言ってのけた揚句に、実行してのけた事自体がとんでもない事じゃと思うがのう。相手が牛鬼となれば、1対1なら魔法先生クラスで無ければ対抗はできんのじゃぞ?」
 「戦闘は他のメンバーがいましたから、僕は力を貸しただけです」
 厄介事に巻き込まれたくないシンジにしてみれば、世界樹防衛戦力として巻き込まれたくなどないというのが本音だった。だが詠春が報告書に書いている以上、シラを切り通す事は不可能である。だから他のメンバーの功績だと強調したのだが、近右衛門はその程度の言い訳で誤魔化されるほど甘くは無かった。
 「お主が確立した血の契約についても書かれておる、と言ってもかのう?これの効果の程については、婿殿自らが相手を務めたのであろう?」
 露骨に舌打ちしてのけるシンジ。確かに近右衛門の言葉には、嫌と言うほどに心当たりがあった。
 「・・・学園長、血の契約とはどんな物なのですか?説明をして頂きたいのですが」
 刹那の言葉に、真名も同じように頷く。
 「儂ら西洋魔法使いが従者に使う『契約執行』は知っておるじゃろう?あれを模倣した簡易版じゃよ。血の契約を結ぶと、シンジから力が供給される。その供給が続く限り、気であれ魔力であれ無尽蔵に力を使えるようになるそうじゃ」
 「何ですか!そのトンデモナイ術は!」
 「婿殿が神鳴流の決戦奥義で試してみたそうじゃが、何発撃っても疲労がこなかったそうじゃ。確かにシンジ自身は弱いじゃろう。じゃがサポートに回れば、これほどの実力者はおらんよ」
 シンジがわざとらしいほどに大きな溜息を吐く。
 「シンジ。こちらとしては、ただ働きをさせるつもりは無い。それ相応の報酬は約束する。何より、この学園都市に住む力無き者達の為に、立ち上がってはくれんかの?」
 「・・・分かりました。協力しますよ」
 「良し、では宜しく頼むぞ。それから世界樹の防衛は、常にチームを組んで当たっておる。お主には、そこにいる龍宮君と桜咲君と組んで貰うつもりでおる。その事を覚えておいてくれ」
 
 パタンと閉まったドアの向こうから、3人が立ち去っていく足音が聞こえてくる。
 その足音を聞きながら、近右衛門はフーッと一息ついた。
 「やれやれ、一時はどうなるかと思ったぞ」
 「全く、僕もヒヤヒヤしましたよ。詠春さんから預かった子が、どっか行ってしまったなんてなるんじゃないかと思ったら・・・」
 「タカミチ君、あまり苛めんでくれんかのう。儂も予想外じゃったんじゃ」
 すっかり冷めてしまったお茶を啜りながら応じる近右衛門。タカミチも煙草を取り出すと、灰皿を手にフーッと紫煙をくゆらせた。
 「ところで、あの子が養子に入った経緯についてですが」
 「婿殿によれば、かつての盟友からの頼みじゃと言っておるのう」
 「・・・盟友?ひょっとしてナギ・・・」
 首を左右に振る近右衛門。
 「最後まで表に出てこなかった紅き翼アラルブラ最後の2人ラストメンバー。その片割れから頼まれていた、そう書かれておる」
 「最後の2人ラストメンバー!そうか、確かにいました。ヘラス帝国からの協力者が」
 「盟友の頼みと言う事もあって、婿殿は受け入れたそうじゃ。もっとも、婿殿も詳しい事はあまり聞いておらんそうじゃがのう」
 窓際に近寄るタカミチ。ガラス窓の向こうには、女子寮へ向かう3人の姿があった。
 「・・・しかし、この判断が吉となるか凶となるかは微妙じゃ。タカミチ君、念の為、シンジの事をそれとなく見ておいてくれ。切れすぎる刃は、持ち主の手を切り裂いてしまう物じゃからのう」
 「ええ、分かりました。半年後にはネギ君が修行に来ますしね」
 「そう言う事じゃ。頼んだぞ」

 スポーツバッグを肩に担ぎながら歩くシンジは、明らかに困っていた。
 先ほどのやり取りの結果、世界樹防衛戦力として組み込まれてしまったからである。
 「・・・近衛さん、そんなに戦うのが嫌なのかい?」
 後ろからの真名の問いかけに、シンジは素直に頷いた。
 「もともと争い事は好きじゃないんだ」
 「だったら、何で陰陽師になんてなったんだい?」
 「それしか道が無かったからだよ」
 だが仕方なくで始めた結果が、この目の前の少年である。
 「だったら、陰陽師を止めればいいだろう?」
 「そう言う訳にもいかないんだ。確かに詠春さんからは陰陽術を捨てていいと言われたよ。無理に続けるより、自分の好きな様に生きていけ、と言いたかったんだろうね」
 京都を出てから、まだ数時間しか経っていない。にも拘わらず、今朝のやり取りは数年前の出来事のように感じられた。
 「詠春さんには恩義がある。だからそれを返さないといけない」
 「妙な所で律儀な性格だね、近衛さんは」
 「だね。自分でもそう思うよ」
 自嘲するシンジ。そこへ今まで沈黙を保っていた刹那が口を開いた。
 「失礼ですが、木乃香御嬢様の事については」
 「・・・聞いてるよ。あの子には内緒にした上で、護衛の手助けをするように言われているよ」
 「ならば、私は五月蠅い事は言いません。それだけ分かっているのであれば、十分ですから」
 目の前の少年が関西呪術協会から追放されている事、恩人である詠春の養子である事を加味した上で、刹那はある程度は信用しても良いだろうと判断した。
 やがて3人の足が止まる。目の前には『麻帆良学園女子学生寮』というプレートが貼り付けられている。
 「・・・何で一歩踏み入れるだけなのに、これほど緊張しないといけないんだろう・・・」
 この一言には、真名も刹那も言葉が無かった。と言うより、フォローのしようが無い。
 「今は夏休みですから、まだマシですよ?」
 「そうだね、そう前向きに考えるしかないか」
 玄関ロビーに入る3人。その3人を歓声が出迎えた。
 ズラッと並んでいるのは、この寮に住んでいる少女達である。
 この不意打ちには驚いたのか、シンジは言葉もない。その一方、戦闘者として高い実力と経験を持つ真名と刹那は、すでに気配を察知していたので、全く驚かなかった。
 「お兄ちゃん、帰ってくるの遅いえ?」
 ムスッとした表情の木乃香に、シンジがゴメンゴメンと軽く謝る。
 「せっちゃんに龍宮さん、お帰り」
 「ああ、ただいま」
 「・・・はい、ただいま帰りました。申し訳ありませんが、失礼します」
 スッと立ち去る刹那。それをどこか悲しそうに見ている木乃香。そんな2人を真名がヤレヤレと肩を竦めて眺めていた。
 「それより木乃香のお兄さん!歓迎会を用意してあるんだから、食堂へ来て貰うよ!」
 「・・・そういう事らしいです」
 相変わらずハイテンションなハルナと、ジュースを飲んでいる夕映。学園長室で別れた時と全く変わらない2人に、シンジは笑って応じる。
 「それじゃあ、荷物だけ置いてくるよ。それからで良いかな?」
 「オーケイオーケイ!思いっきり騒いじゃうよ!」
 
食堂―
 今日は日曜日という事もあって、学生食堂は利用者が1人もいなかった。おかげで、こうして歓迎会ができるのだが。
 ジュースで乾杯しながら、主役を務めるシンジは、言うまでもないが質問の嵐に晒されていた。
 何せ、女子寮に同年代の少年が寮監としてやってきたのである。気にならない方がおかしかった。
 正直、外見だけをみれば、目元を隠しているシンジは怪しい事極まりない。だが木乃香の兄という立場が、不信感を和らげていた。
 一斉にきた質問。だが彼は聖徳太子ではない。複数の質問を一度に聞き分けられるような耳は持っていないのである。
 「ちょっと待って。答えるから質問は1つずつにしてくれるかな?」
 「なるほど、もっともだね。よし、ここからは2−Aのパパラッチこと、朝倉和美が仕切らせてもらうよ!」
 (・・・パパラッチって褒め言葉じゃないと思うんだけどなあ)
 シンジの内心に気付く事無く、質問タイムが始まる。
 「まず年齢は?」
 「15歳。一応中3だよ」
 「そうなの!?私達の1こ上じゃん!」
 どよめく少女達。
 「彼女はいるの?」
 「いや、いないよ」
 「好みのタイプは?」
 「うーん、特にないかな。でも、元気な方が良いかな」
 「趣味は?」
 「チェロの演奏かな。それなりにはできるよ」
 いきなり返ってきた高尚な答えに、ざわめきの声が上がる。もっとも『チェロって何?』『チョコの種類じゃないの?』という頓珍漢なやり取りがあったのは、いかにもこのクラスらしかった。
 「どうしてそんな年齢で寮監なの?それも女子寮だよ、ここ?」
 「寮監という仕事に就いたのは、学校には通ってないから。女子寮なのは学園長の仕業なので、僕はノータッチ」
 「学校通ってないって、それ、マズイでしょ!」
 「大丈夫だよ。飛び級で中学だけは卒業しておいたから」
 風香の問いに対する答えは事実である。京都にいた3ヶ月の間に、近衛シンジという名前で、結果を出して有無を言わさず強引に中学を卒業していたりする。
 「この学生食堂の料理も担当するって聞いたけど?」
 「家庭料理なら何でもできるよ。専門家には負けるけどね。作るのは朝と夜だから、その気になったら食べに来てよ」
 円の問いに対する答えに反応した生徒が数人。料理で競おうとしているのか、それとも食欲を刺激されたのかは、少女達の名誉の為に割愛。
 「養子って聞いたけど、どうして養子になったの?」
 美砂の質問にピクンと反応したのは図書館探検部メンバーである。
 「実は、僕の本当の父親がこの学校にいるんだけどね、世間体という奴で認知されてないんだよ」
 どよめく少女達。だが図書館探検部は、先ほどとは違う話に困惑気味である。
 「お母さんが死んじゃってから、僕は孤児院に入っててね。最近まで、実の父親が誰かも知らなかったんだ。そこへ僕の事を聞きつけてやって来たのが、木乃香のお父さんだった詠春さんと言う訳」
 「中々壮絶な人生アルね。ところで、その実の父親とは誰アルか?」
 古菲の問いかけは、少女達にとっても好奇心を刺激される内容であった。何より、世間体の為に息子である事を認めないという不実な男に対しての怒りもある。
 「名前は近衛近右衛門と言うんだよ」
 ブホッとジュースを噴き出す少女が数名。それ以外は全員、見事に笑い転げている。
 「ややわ〜爺ちゃんたら〜」
 早くもトンカチを取り出す木乃香。実の祖父に人誅を下す気、満々である。
 「木乃香、落ち着くです!この男が昼間にもアドリブで話を作った事を忘れたですか!」
 「酷いなあ、僕の事を信用していないんだね?」
 「当たり前です!」
 「落ち着けって、綾瀬」
 笑いを押し殺した和美が仲介に入り、何とか場を収める。
 「ところでパルから聞いたんだけど、完全記憶だっけ?一度見れば覚えちゃうって本当?」
 「本当だよ、試しに今から自己紹介してみてよ。全部覚えるからさ」
 これは面白そうだと乗り気になる一同。この場に来ていた全員が、次々に紹介をしていく。
 「・・・よし、覚えたよ。じゃあ、アイウエオ順に言ってみようか。最初は明石裕奈さん。バスケ部所属で、お父さんは大学部の明石教授。専攻は情報処理」
 「おお、正解だよ、宜しくね」
 「こちらこそ宜しく。次が麻帆良のパパラッチこと朝倉和美さん」
 「・・・事実ではあるんだけど、正面切ってパパラッチと言われると、辛いものがあるなあ・・・」
 『自分でパパラッチって言ってたよね?』と思いつつも、賢明な事にそれを口にはしない。
 「報道部に所属していて、いつもネタを探して走り回っている。緊急連絡先は麻帆良新聞、内線B09−3780。食事はいつも食堂を使っている」
 「うお、マジで覚えてるの!?」
 「ウソを吐いた覚えはないんだけどね?」
 内線番号まで記憶している事に、ざわめく少女達。目の前の少年が、とんでもない人間である事に、遅まきながら気付いたようである。
 だが緊張感は続かなかった。
 「次は綾瀬おでこちゃん。愛称は夕映」
 「ワザと間違えるなです!」
 一瞬の静寂の後、爆笑に包まれる食堂。その間に、シンジは夕映のおでこに手を伸ばしつつ会話を続ける。
 「僕とおでこちゃんの仲でしょ?」
 「そんな誤解を招くような発言をするなです!というかおでこに触るなです!」
 「いやあ、僕、おでこに女性を感じるんで」
 シンジの胸元を掴むと、ガクガクと揺さぶり始める夕映の姿に、少女達は止めに入るどころか、苦しそうに笑い続けるばかりである。
 「分かった分かった、言いすぎたから手を離してくれないかな?」
 「全く、とんでもない事を言うなです」
 「はいはい。所属は図書館探検部と哲学研究会と児童文学研究会のかけもち、と」
 
次々進んでいく自己紹介の確認。だが中には罠を仕掛ける者もいた―
 「超鈴音さん。所属はお料理研究会、中国武術研究会、ロボット工学研究会、東洋医学研究会、生物工学研究会、量子力学研究会。あとは超包子っていうお店を経営中」
 「残念。足りない物があるヨ」
 「悪いけど引っ掛けは通じないよ。足りない物は無い」
 断言したシンジに、超が舌を出して笑ってみせる。その対応に、周囲が『おお!』とどよめく。
 「どうやら本物みたいネ、私も見たのは初めてヨ」

 「次は鳴滝風香さんか。ところで妹の史伽さんと入れ替わってるみたいだけど、引っ掛けは通じないよ?」
 「な、何を言ってるのかな?」
 「お互いに髪形を変えた時に慌てたせいだろうね、さっきの自己紹介の時と髪形が微妙に違ってるんだよ、2人ともね」
 愕然とする鳴滝姉妹。
 「くう、失敗するとは!」
 「あうう、お姉ちゃん、失敗しちゃったです〜」
 これには周囲も驚いたのか、マジマジと鳴滝姉妹を見つめ直す。しかし、はっきり言って違いなど全く分からない。
 「・・・木乃香殿の兄上は、本当に凄いでござるな。拙者は2人と一緒に暮らしているでござるが、全く気付かなかったでござるよ」
 「僕の力は万能じゃないから、裏をかく方法なら幾らでもあるよ」
 その言葉には興味を惹かれたのか、姉の風香が『どうすればいいの?』と詰め寄る。
 「最初から交代した状態でくればいいだけだよ。そうすれば僕の裏をかく事が出来るからね」
 「そっか!そう言う事か!よし、次は騙してみせるからね!」
 意気揚々と席に戻る双子姉こと風香。だがその後ろ姿を見送った楓は、シンジの口元が笑いを堪えようとしていた事で、ピンと気がついた。
 (最初から交代してくると分かっていれば、騙される訳がござらんな)

 「最後はザジ・レイニーデイさん。でもここには曲芸部なんてあるんだ、凄いとこだね」
 「・・・」
 「学園祭でサーカスをやるんだ。へえ、それは一度見てみたかったなあ。今まで、一度もサーカスって見た事無いんだよね」
 「・・・」
 「来年の学園祭でもやるって?そっか、その時は見に行くよ」
 ザジと会話するシンジという光景に、学級委員長であるあやか以外は、全員、同じ事を考えていた。
 (どうやって意思の疎通をしてるんですか?)

歓迎会が終了した頃、時計の針はすでに夜の7時を回っていた。
「もう7時か、早いなあ」
「ホントだ!片づけ、そろそろ始めないと!」
手分けしてテキパキと片づけを始める一同。しかし家事に慣れている分、シンジや木乃香、楓は特に手際が良い。
あっという間に片づけ終える。そこで、ふとシンジが口を開いた。
「そういえば、2−Aはここにいるメンバーで全員なのかな?」
「違うえ。うちと同室のアスナ、それからエヴァちゃんと茶々丸さん、それから葉加瀬さんと長谷川さんがおらへんよ」
「そうなんだ。また機会があったら紹介して貰えるかな?」
「うん、ええよ」
傍目から見ていると、実に仲の良い兄妹である。
「お兄ちゃんはこれから、どうするんえ?」
「とりあえずは荷物の整理かな。私物は少ないからすぐに終わると思うけど。あとはお風呂入りに銭湯へも行かないといけないな」
「そっか、じゃあ後で遊びに行ってもええ?」
「そうだね、9時頃には部屋に戻っておくよ」
寮監室へ姿を消したシンジと分かれると、少女達は各自の部屋へと戻っていく。そんな中、2−Aにおいて馬鹿ピンクの称号を持っているまき絵が口を開いた。
「でもあの記憶力は凄いよねえ、私も欲しいなあ、そうすればテストなんて怖くないのに」
切実極まりない言葉に、夕映や楓を始めとした者達が数名頷く。
だがそんな少女達をきつい言葉が切り裂いた。
「完全記憶なんて、無い方が幸せヨ。木乃香のお兄サンの前では、絶対に口にしない方が良いネ」
「・・・超殿。それは何故でござるか?」
「完全記憶というのは、例え忘れたい事でも忘れる事ができないヨ。人は辛い事があれば、それを忘却する事で生きていくネ。でも、忘れる事が出来ないとしたら、その人はどうやって生きていけば良いカ」
カランと音を立てて、夕映が手にしていたボールペンを落とした。
「夕映は麻帆良に来る前に、大好きなお爺ちゃんを亡くしたと聞いているネ。でもその時の悲しみが、今も引き続けているとしたら生きていけるカ?何年経とうとも、お爺ちゃんが死んだ時の悲しみを、昨日の事の様に思い出すしかないとしたら、どうするネ?」
超の言葉を、少女達は互いに顔を見合せながら、ゆっくりと理解しあった。
「それに苦しみは1つじゃないネ。人間と言うのは、愛する人、家族、友人、同僚、色んな人達と離別を繰り返して行くものネ。その離別の悲哀や苦痛を全て覚えているしかないとしたら、君達はどうするネ?」
「・・・確かに完全記憶が羨ましい、等とは言えぬでござるな」
「そう言う事ネ。少なくとも私はそんな物は欲しくないヨ。私はそんな重荷を背負って生きていける自信は無いからネ」

寮監室―
 コンコンというノックの音に、シンジは顔を上げた。
 「開いてるよ、入っておいで」
 「えへへ、お邪魔します」
 入ってきたのは木乃香である。その後ろには活発そうな、ツインテールの少女が立っている。
 「お茶を入れるから、上がって座っててよ」
 「おおきに、お兄ちゃん」
 部屋に置かれた座卓。そこに用意されていた座布団に、チョコンと座る。
 「ほら、アスナ、ここ」
 座布団をパンパンと叩いて催促する木乃香の姿に、アスナも恐る恐る腰を下ろした。
 「ごめんね、お茶菓子はさっきの残りしかないんだ」
 「うちはお腹一杯やから、アスナにあげてくれへん?」
 「いいよ、はい、どうぞ」
 「あ、ありがとうございます」
 お茶とともに差し出されるお菓子が数点。同時に、アスナのお腹がクーッと鳴る。
 「ひょっとして、何も食べてないの?」
 「アハハ、実は・・・」
 「アスナ、補習で高畑先生に捕まってたんや」
 「木乃香、それは言わないでって言ったでしょう!」
 賑やかな会話に、シンジはクスッと笑うと立ち上がった。
 「軽い物作ってあげるよ。ラーメンぐらいなら、すぐにできるから」
 「え?で、でも!」
 「良いから良いから、そこで待ってて」
 近右衛門が気を利かせたのか、冷蔵庫の中には食材がいくらか仕舞われていた。
 「アレルギーとかはあるかな?」
 「いえ、無いです!」
 「了解。少し待っててね」
 時間にして僅か5分ほど。アスナの前には良い香りのする野菜ラーメンが用意されていた。
 「伸びないうちにどうぞ」
 「・・・いただきます」
 恐る恐る一口目を口にするアスナ。だが美味しいと分かると、箸の速度を徐々に上げて行く。
 シンジと木乃香が見守る中、アスナは綺麗にラーメンを平らげてしまった。
 「・・・美味しかった・・・本当にこれ、インスタントなんですか?」
 「そうだよ。口にあったみたいで良かったよ」
 「お兄ちゃん、今度、うちにも作ってや!」
 「ああ、良いよ。今度作ってあげるよ」
 和やかな空気が、6畳間の和室に広がっていく。
 「自己紹介しておくよ。名前は近衛シンジ。木乃香の兄だよ。今日から寮監として赴任したんだ、よろしくね」
 「私は神楽坂アスナっていいます。木乃香とは初等部の頃からの友達です」
 「そうだったんだ、これからも木乃香と仲良くしてあげてね」
 シンジの言葉に『勿論です!』と返すアスナ。その様子に、木乃香がクスクスと笑っていた。

同時刻、女子寮屋上―
 満天の星空の下、龍宮真名は手すりにもたれながら空を見上げていた。
 そこへ聞こえてきた足音に、視線を落とす。
 「刹那か、御嬢様の護衛は良いのか?」
 「御嬢様はシンジさんの所にいる。今は大丈夫だろう」
 「まだ初日だぞ?すっかり信用してるんだな」
 からかうような口調の真名に、刹那がムッと表情を変える。
 「・・・少なくとも敵ではない。それだけだ」
 「全く、素直じゃない奴だ」
 肩を竦めてみせる真名。それに対して何か言おうとした刹那の口を、真名が咄嗟に封じた。
 「刹那、用心だけはしておけよ?」
 「・・・どういう意味だ?」
 「関西呪術協会を追放された理由については未だに不明だからだよ。何か問題を起こしたという事も、十分にありえるからな」
 真名の言葉に、刹那も頷くしかない。確かに何かあれば近右衛門が責任を取るのは確定しているが、それがシンジを信用できるかどうかに繋がる訳ではないからである。
 「それにな、あの男、まっとうな陰陽師ではなさそうだ」
 「それは、修業期間3ヶ月であれば、仕方ないのでは?」
 「そういう意味じゃない。刹那、私の眼の事は知っているだろう?」
 真名の目は魔眼。常人では見えぬ物を、その眼は明らかにする。
 「あの男の全身に、鎖のような物が見えた。あれは良い物じゃない。どちらかというと呪いの類だろうな」
 「・・・呪い?」
 「ああ。どうやら呪いの向きは、あの男に向いているようだったから、お前の御嬢様に矛先が向く事はないだろう。だが万が一という事はありえる。用心を忘れるなよ?」



To be continued...
(2011.09.17 初版)


(あとがき)

 紫雲です。今回もお読み下さり、ありがとうございます。
 新作『正反対の兄弟』、今週から連載を開始させていただきます。今後とも、宜しくお願い致します。
 AEOEではありますが、NERVメンバーについては中盤以降の登場になる予定です。基本的には麻帆良祭の中盤以降という所でしょうか。ただスポット的に登場シーンは作る予定です、回想シーンみたいな感じで。
 それからシンジについて幾つか捕捉を。
 まず性格が変わっています。これについては理由があります。良かったら理由を推測して楽しんでいただければ幸いです。
 2つ目ですが、完全記憶(写真記憶)は現実に存在する完全記憶とは、ハッキリ言って違いすぎます。これは演出上の理由が原因です。
 3つ目ですが、今作においてもシンジに直接攻撃能力は基本的に持たせません。陰陽師である以上、気の使い手ではあります。その為、気で身体強化して喧嘩すれば強いのですが、達人には技量差で勝てないと言った感じです。具体的には3−A四天王にすら勝てません。
 他の点については、作中で随時説明と言う感じで対応していきます。
 それでは、また次回も宜しくお願い致します。



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