正反対の兄弟

第四話

presented by 紫雲様


麻帆良学園中等部女子寮食堂―
 時刻は朝の7時。クラブの朝練等もあり、普段は2−Aのメンバーも、半分も来ていれば多いほどの食堂である。だが今日に限っては、ほぼ全員が集まっていた。
 彼女達は不自然な笑みを浮かべながら、厨房の中で忙しく動いているシンジをこっそり見ては、その度にクスクスと笑っている。
 さすがにシンジも気になったのか、その手を止めた。
 「・・・僕の顔に何か付いてる?」
 「いや、何も付いていないでござるよ」
 楓の返事に、全員が一斉に頷く。首を傾げながら仕事を再開するシンジだったが、新たなお客が差し出した食券に手を止めた。
 「おはよう。あれ?初めて見る人だね」
 「ん?そういえばいつもの人と違うな、ひょっとしてアンタが新しい寮監か?」
 「そうだよ。近衛シンジ、そこにいる木乃香の兄だよ。君が長谷川さんだね?」
 「私は自己紹介した覚えはないんだけどな・・・」
 拒絶感丸出しの千雨。彼女にしてみれば昨夜遅くに実家から帰ってきたばかりで、今、初めて会ったばかりなのである。しかも相手は目元まで前髪で隠した、怪しさ大爆発の男である。加えて突然名前を呼ばれたのだから、不審に思うのも仕方ない事であった。
 そこへ珍しく―というか、入学以来、初めて食堂で朝食を摂っていたあやかが歩み寄った。
 「おはよう長谷川さん」
 「委員長か、おはよう。で、朝から何か用?」
 「ちょっと誤解を解いておこうと思いまして」
 あやかがボソボソと千雨に耳打ちする。
 「完全記憶?まさか全員分の名前と顔を覚えているっていうのか?」
 「そうだよ。一応、この寮にいる人達の名簿は確認しているからね。はい、ご注文の朝定のAセット」
 お盆の上に置かれる、洋風の朝ご飯。コーンスープの香りが、千雨の食欲を刺激する。
 「・・・何つーか、またこの女子寮に変人が集まったという訳か」
 「僕のどこが変人なのさ。それについては断固抗議するよ。僕は単なる一般人だ」
 朝食を摂っていた少女達が、一斉に首を左右に振った。
 「何で!?僕ほど目立たない人間がどこにいると?」
 「シンジさんほど目立つ人間を、私は見た事がありません」
 刹那の冷静な突っ込みに、向かいに座っていた真名が力強く頷いている。
 「そんな、僕は平穏無事に目立たず慎ましやかに、静かな生活を営みたいだけなのに」
 「ここにいる時点で、それは無理だと思うな」
 アスナの的確なツッコミに、シンジが崩れ落ちる。物陰に隠れてしまっているので見る事は出来ないが、すすり泣くような声は聞き間違いではないだろうという事だけは、千雨にも分った。
 「まあ、強く生きてくれ。私は一般常識人として関わり合いになりたくないから」
 千雨の冷静すぎるスルーに、一部から笑い声が零れる。その笑い声を聞き流しながら、千雨はまだ近くにいたあやかに問いかけた。
 「ところで、何でこんなに集まってんだ?というかアンタがここにいるなんて、初めて見た気がするんだがな。いつも那波や村上と一緒だろう?」
 「おほほ、今日は特別でして」
 事実、あやかと同室の那波と村上も、この場で朝食を摂っていた。
 「まあ、しばらくいれば分りますよ。はい、こちらへ」
 「お、おい!」
 千雨の手を取り、引っ張っていくあやか。2人が席へ着いた所で、別のお客が姿を見せた。
 「おはようございますです」
 「お、おはようございます」
 「ああ、おはよう」
 夕映とのどかから食券を受取り、手早く準備するシンジ。そこで彼は首を傾げた。
 「早乙女さんはどうしたの?いつも3人一緒なのに」
 「その言い方にはそこはかとなく語弊があるような気もしますが・・・何してるですか!早く来るですよ!」
 「・・・お、おはようございます・・・」
 昨夜に比べれば、大分、落ち着いた様子のハルナが姿を現した。
 「おはよう、早乙女さん。えっとB定食だね?」
 「は、はい!」
 微妙にギクシャクとした動き。赤くなっている両頬。事態が飲み込めなかった千雨も、さすがにピンときた。
 (・・・おい、まさか早乙女の奴、そういう事なのか?)
 (正解です。どうも昨日、何かあったらしくて・・・)
 (おいおい、幾らなんでも怪しいだろうが、アイツは!近衛の兄だか何だか知らねえが、早乙女の奴、頭は大丈夫なのか?)
 朝食を受取り、モソモソと食べだすハルナ。その動きに全員の注目が集まっている。
 「・・・早乙女さん、いつもと様子が違わないか?」
 シンジの呟きに、ビクンと身を震わせるハルナ。そしてシンジの頭の回転が早い事を知っている図書館探検部メンバーや、真名や刹那は『気づいたのか!』と驚いたように身を乗り出す。
 「早乙女さん、夏風邪は治りにくいから病院へ行った方がいいよ?」
 ガゴンと頭をテーブルに落とす少女が数名。ハルナはショックで固まったまま、ピクリとも動かない。そんな彼女の肩を、鳴滝姉妹と裕奈が慰めるようにポンポンと叩く。
 (・・・そうだよね。まさか僕が好意を向けられるなんて、天地が引っくりかえってもある訳ないよね)
 自分に価値を見いだしていないシンジが、それが正解であると気づく事はなかった。

午後、寮監室―
 近右衛門との面会を済ませた後、シンジは次の世界樹防衛戦の作戦の打ち合わせの為に、真名と刹那を部屋へ招いていた。だが2人のジト目に、及び腰である。
 「・・・僕、何かした?」
 「いえ、何にも」
 「近衛さんが女たらしだと思っただけさ」
 「はあ!?」
 「「鈍感」」
 わざとらしく大きな溜息を吐く2人の少女に、シンジは困惑するばかりである。
 「まあ、いいさ。彼女には自分で頑張って貰おう。それより、近衛さん。私達を呼んだ理由だけど」
 「ああ、次の襲撃だけど、今度の金曜日だよ」
 途端に、視線を鋭くする2人。
 「理由を尋ねても良いかな?」
 「情報元は秘密だよ。でも間違いは無いと思う。僕自身の調査から予測したのと一致するしね」
 「裏付けは取ってある、と言う訳か。それで?」
 「敵を一網打尽にする」
 シンジの言葉は、2人に大きな衝撃を与えていた。そもそも、そんな事ができれば、今まで防衛戦を行ってきた意味が無いからである。
 「手順としては、次回の襲撃で敵の尻尾を掴んで拠点を調べる。あとはお爺ちゃんの政治工作で追い詰めていく。そんなとこだよ」
 「そんな簡単に行くんですか?」
 「そちらは問題無いよ。相手はこちらを過小評価しているからね。火薬庫の側で火遊びをする意味を、全く理解していないんだから」
 程良く冷やした麦茶を差し出すシンジ。氷がカランと音を立てる。
 「ただ問題があってね。戦力が足りないんだよ。密偵としての能力、最低でも尾行に優れた人の協力が必要なんだ」
 「尾行か・・・まずは作戦を聞いてからだな」
 真名の言葉に、シンジが作戦の概要を説明する。刹那は策略となると門外漢なので反応は薄かったが、戦場を生き抜いてきた真名は『ほう?』と納得したように頷いた。
 「問題は刹那だな。それだけの長時間を耐えられるかどうか、だ」
 「それは僕の血の契約でカバーする。30分という時間制限はあるけど、相手を撤退へ追い込むには、十分すぎるほどの時間だからね」
 「ふむ、刹那さえ良ければ、私は賛成だな。戦力についても心当たりがある。どうする、刹那?」
 「・・・龍宮の判断を信じよう」
 刹那の言葉に、真名が頷く。彼女は視線をシンジへ向けた。
 「追加戦力への報酬は?」
 「お爺ちゃんから龍宮さんと同額出すと約束を取り付けてるよ」
 「それなら問題は無いな。よし、金曜日は策通りに動こう」
 「それじゃあ、木曜日の夜に、またここに集まってほしい。その時に必要な物も渡すからね」

木曜日、夜―
 寮監室には真名が連れてきた助っ人を含めて、4人の姿があった。
 「木乃香殿の兄上も、裏の関係者でござったか」
 「見習い陰陽師の卵だけどね。宜しく頼むね、長瀬さん」
 「任せるでござるよ、にんにん」
 部屋の中央に置かれた卓袱台には、人数分の麦茶と、シンジが色々と書き込んだ地図が置かれていた。
 「まずこの4人を2手に分ける。まず龍宮さんと長瀬さんは、このポイントに隠れていてほしい」
 「ああ、問題無い」
 「色々用意しておいたから、状況に応じて使い分けて」
ゴトッと音を立てて、シンジが大きなナップサックを卓袱台に置く。中から出てきたのは、暗視ゴーグルを始めとした、夜間戦闘用の装備一式である。
「また揃えた物だな」
「下手に術を使うと、敵に察知されかねないからね。特に敵側は、魔法使いを警戒している筈だ。となれば、科学技術に対する警戒は自然と疎かになる」
「それで、この装備と言う訳でござるか」
「使うかどうかは現場の判断に任せるよ」
ふむ、と頷くと楓はナップサックを手元に引き寄せた。忍びとして鍛えた楓は、当然の如く夜目は利く。だが何があるか分からない以上、準備しておいて損は無い筈だった。
「まず2人には、召喚主を探して貰う。僕の予想が正しければ、この赤い丸をつけたAからEまでの5か所のどこかにいる筈だ」
「・・・その理由は?」
「敵は龍脈の噴き出し口を利用して手勢を送ってくる。その出現ポイントは、この青い丸の部分」
指を差すシンジ。
「ここへ学園結界を越えて送り込むには、この5か所以外に起点は存在しない。それは僕の調査から断言できる。だから、まず2人は戦闘よりも敵の捜索を第一に考えてほしいんだ」
「了解でござる」
「次に敵を見つけたら、これで連絡をしてほしい」
シンジが取り出したのは、人数分の無線通話できるインカムであった。
「これを使えば、結界の有無など関係なしに連絡が取れる。それまでの間、僕と桜咲さんで、敵を全て食い止める」
「分かりました、何とかしましょう」
「そしてこちらは2人から連絡が有り次第、最大火力で一気に攻め立てて、召喚主を撤退に追い込む。敵は半分嫌がらせのつもりで攻めてきている筈だから、何よりも我が身の安全を第一に考えるだろう。そこを龍宮さんと長瀬さんは尾行してほしい」
「尾行者を2人にした理由を尋ねても良いでござるか?」
楓の問いかけに、シンジはアッサリと答えた。
「念の為だよ。2人いれば想定外のアクシデントがあった場合でも、対応しやすいでしょう?最終的に、相手の拠点を発見したら終了だ。何か質問は?」
「もし尾行がばれた場合は?」
「その時は迷わず撤退して。命あっての物種だからね」
「相手が乗り物、例えば車を用意していた場合は?」
「その時は車のナンバーだけ確認しておいて。電車は過去の襲撃時刻から考える限り、まず無いと判断して良いと思う」
シンジの言葉に、全員が揃って頷いた。

翌日、深夜―
 満月が夜空を煌々と照らす中、刹那とシンジは迎撃の位置に着いていた。
 「そろそろ時間だ。じゃあ契約するよ?」
 「それは良いんですが、どうするんですか?」
 「ああ、こうするの」
 指先に短刀を走らせ、血を滴らせる。
 「桜咲さん、これ咥えて」
 「・・・はい!?」
 「だから、血ごと指を咥えて」
 刹那の顔が、うっすらと赤くなる。
 「で、ですが!」
 「そうして貰えないと、契約が結べないんだよ」
 それでも羞恥心から躊躇いを覚える刹那。そこへ不穏な気配が立ち込め始めた。
 「マズイな、もう来ちゃったみたいだ。桜咲さん早くして、時間がない!」
 「え、ええ?で、でも流石に・・・」
 そうこうしている間に、姿を現す鬼の群。地面から湧き出るように、ワラワラと姿を現す。
 「何を躊躇ってるの!?」
 「何をって、躊躇うのは当たり前です!私の事を何だと思ってるんですか!」
 遂に羞恥心が限度を超えたのか、刹那が逆上した。その光景を現れた鬼達は、ポリポリと頭を掻きながら遠巻きに眺めている。
 「親分、俺達、出る場所間違えたんですかねえ?どう見ても男と女の別れ話に見えるんですが」
 「寄寓だな。俺にもそう見える」
 「誰が別れ話ですか!」
 ガーッと吠える刹那。その刹那の姿に、鬼の親分がポンと手を打った。
 「思いだしたわ。嬢ちゃんは確か、嫁の貰い手が無い嬢ちゃんやったな」
 ビシッと刹那のこめかみに、恐ろしいほど太い青筋が浮かび上がった。その音の大きさに、シンジが思わず後ずさる。
 「黙れええええええ!神鳴流決戦奥義!真・雷光剣!」
 「ま、待って!桜咲さん!」
 シンジの制止の声は、爆音にかき消されて刹那の耳には届かなかった。

作戦は開始前から崩壊した―

同時刻、龍宮・長瀬サイド―
 インカムから聞こえてきたとんでもない爆発音に、真名と楓はお互いに視線を交わし合っていた。
 「おい、近衛さん!何があった!」
 『ちょっとしたトラブルが発生した。でも心配はいらない!』
 「本当に大丈夫でござるか!?刹那殿や木乃香殿の兄上殿の命の方が、遥かに大事でござるよ!機会は今日だけと限った訳ではないでござろう!」
 インカムからは、相変わらず轟音が聞こえてくる。シンジが攻撃能力を持っていない事は真名も知っているので、原因は刹那だろうと既に当たりはつけていた。
 『いいかい?作戦立案者として断言する。この程度のトラブルなら修正は可能だ!予備戦力を出せば、時間は稼げる。だが今まで以上に時間制限がきつくなったのは確かだ。だから作戦を一部変更する!』
 「・・・分かった。指示をくれ」
 『君達に単独行動をして貰う。龍宮さんは5か所あるポイントの内、まずA地点を確認してからB地点へ向かってくれ。長瀬さんはC地点からD地点だ。これで調査時間を半減できる!』
 シンジの指示に、真名と楓が互いに頷きあう。
 『E地点については、こちらで調査する。けどこちらの報告前に、2人の調査ポイントに術者がいなかったら、こちらの指示を待たずにE地点へ向かってほしい。作戦の目的は尾行のまま、これに変更はない!』
 「分かったでござる」
 『頼んだよ!』
 ブツッと切れる無線。
 「さて、楓。少し本気を出すとするぞ」
 「そうでござるな。向こうにばかり負担を負わせる訳にはいかぬでござるよ」
 そう言うと、2人は夜闇の中へと姿を消した。

 「神鳴流奥義!雷光剣!」
 振り下ろされた夕凪から稲妻が走り、鬼を3体消し飛ばす。最初から全力全開の刹那は完全に理性が飛んでいた。
 後の事を全く考えていないので、すでに気は尽きる寸前。肩で息をし、いつ倒れるかも分らない。
 そこへシンジの投じた小さな小石が、刹那の頭目がけて飛んだ。
 「痛!」
 「正気に戻ったかい?桜咲さん」
 「・・・わ、私・・・」
 後頭部を摩りながら、周囲を見回す刹那。自分の行動の結果に、今更ながらに気がつくが、時間は戻らない。だがシンジは平然としていた。
 「構えて。ここから挽回するよ」
 刹那から視線を逸らしながら、シンジがインカムに向かって告げる。
 「アクシデント発生。援軍をお願いします」
 『了解』
 次の瞬間、シンジのすぐ傍に魔法陣が浮かび上がった。転送系の魔法陣の中に現れた人物に、刹那が声を上げる。
 「高畑先生!」
 「やれやれ、どうやら厄介事が起きたみたいだね」
 「問題ありません。まだ挽回できる範囲ですから」
 符を放って鬼を一体ずつ消し飛ばしながら、シンジが応じる。
 「ふむ、どうすれば良い?」
 「前方50m地点まで移動します。高畑先生は援護を、桜咲さんは護衛をお願いします。しばらくの間、僕は完全に無防備になりますから」
 「分かった、任せなさい。桜咲君、まだ諦めるのは早いぞ?」
 「は、はい!」
 タカミチが先陣を切りながら、敵の群に突撃を開始する。居合拳の弾幕が鬼を消し飛ばし、そこから運良く漏れ出た鬼を、シンジの符と刹那の剣閃が確実に還していく。
 「この辺りかい?」
 「少しだけ死守してください。頼みましたよ!」
 シンジが懐から式神用の人形を取り出す。それを地面の一画に押しつけながら、気を込めていく。
 狙いは真名と楓からもっとも遠い場所にあるE地点への、自分の姿を模した式神の遠距離移動である。
 「いけ!」
 そのまま龍脈を通して、式神を操作する。本来のシンジなら、離れた場所に式神を召喚するなど不可能。そもそもそれだけの技術がない。
 だがここだけは例外だった。
 龍脈は例えるなら、インターネットの回線のような物である。龍脈から力を汲み取るような真似は不可能でも、少しだけ通らせて貰うぐらいなら可能であった。
 だが―
 「グブアッ!」
 式神が地上に出たと同時に、シンジは胸を押さえて吐血した。
 「シンジ君!」
 「まさか、返しの風ですか!?」
 敵は呪詛返しを利用して、シンジの式神を消滅させつつ、術者であるシンジへ致命の一撃を送りこんできていた。ただの式神に返しの風を利用するほどの術者が相手であった事に、刹那が今更ながらに戦慄を覚える。
 膝を地面につけるシンジ。自身のミスが発端となって招いた事実に、刹那が顔を歪める。
 しかし、シンジはそれ以上は崩れ落ちず、インカム目がけて怒鳴った。
 「敵はE地点だ!それと作戦変更!敵の尾行ではなく、生け捕りに変更だ!麻酔弾があれば、それを使ってくれ!」
 『・・・分かった。作戦変更に従う。だから死ぬんじゃないぞ?』
 ブツッと切れる通信。そんなシンジ達の周辺に、更なる鬼が姿を現す。
 「そんな、まだ増えると言うのか・・・」
 「いや、これは好機だよ」
 思わず振り向く刹那。シンジはニヤッと笑う。
 「敵は逃走を放棄して、僕の息の根を止める事を選んだ。だからチャンスなんだ!欲張りすぎた馬鹿を2人が生け捕りにするまで、耐えればいい!」
 至近にいた刹那を、シンジがグイッと引き寄せる。
 「文句は後で聞くよ」
 「!?むが・・・」
 シンジが唇を刹那に押し付ける。そのまま口中に溜まっていた血液を流しこんだ。
 突然の事態に、目を丸くする刹那。だが唇はすぐに離れる。
 「我、藤原之朝臣近衛家之従者、シンジ也。是より桜咲刹那と、血之契約を結ぶ物也」
 詠唱の終了と同時に、刹那の全身から大量の気が立ち上った。
 「これは!」
 「桜咲さん」
 静かな呼びかけに、刹那が視線を向ける。
 「誇りを取り戻しておいで。時間は血が燃え尽きるまでの30分。それだけは忘れないように」
 「・・・はい!」
 夕凪を振りかぶりながら戦い始めた刹那と、シンジを守る様に逆方向へ回り込んだタカミチを見ながら、シンジは作戦の成功を確信した。
 (・・・マズイな、返しの風が思ったより、きつかった・・・)
 意識が徐々に遠のいていく。やがて静かに崩れ落ちた。

 「高畑先生!」
 「落ち着くんだ!シンジ君は出来る限りの仕事をしてくれた。あとは僕達の出番だ」
 「は、はい!」
 意識を失ったシンジを守るように立ち回るタカミチと刹那。2人の猛攻の前に、鬼達は瞬く間にその数を減らしていく。
 そんな時だった。
 「なんや?もう終わりかい」
 親分格らしい鬼が、つまらなそうに呟いた。すでにその体は半透明へと変わりつつある。
 「どうやら龍宮君達が確保してくれたようだな」
 「ええ、そうみたいですね」
 次々に姿を消していく鬼達。やがて最後の一匹が消えた所で、タカミチはシンジを抱き起した。
 「・・・マズイな。僕は彼の治療の為に、先に戻っているよ。悪いが龍宮君達の事は頼む」
 「は、はい!」
 ポケットから転移符を取り出すと、タカミチは惜しげもなくそれを使った。
 「それじゃあ、後の事は頼んだよ」

世界樹前広場―
 タカミチの転移は、今回の防衛線に出てきていた関係者達に驚愕を齎していた。
 予備戦力として待機していたタカミチが、前線に出たのもそうだったが、帰りにまで高価な転移符を利用した上に、瀕死のシンジを連れてきたからである。
 「治癒を頼む!肺か心臓にダメージを負っている可能性があるんだ!」
 タカミチの言葉に、慌てて駆け寄る瀬流彦。もともとシンジに対しては中立の存在なので、すぐに体が動いたのである。
 「原因は分かりますか?」
 「返しの風だと言っていた。恐らく直接ダメージがいっている」
 「分かりました。高畑先生は彼の上着を脱がしておいてください。シャークティー先生も手伝ってください。この中では貴女が一番治癒系が得意なんですから」
 さすがに指名を受けては、見て見ぬふりをする訳にもいかず、治療に取りかかる。だがシンジの上半身を見た瞬間、彼女達は凍りついていた。
 「・・・何ですか、これは?彼は正気ですか?」
 シンジの上半身には、鎖のような刺青が施されていた。その数は合計15本。そしてそれら全てから、寒気を感じるような力を感じたのである。
 「呪刑縄」
 「え?」
 「関西呪術協会での刑罰の1つです。重犯罪を犯した者の力を封じるペナルティ。それが呪刑縄と呼ばれるこの鎖の刺青です。これ1つあれば、並みの術者は力を9割方封じられてしまいます」
 刀子の説明に、周囲がざわめく。何せシンジは1つどころか15本も鎖が走っている。世の中には念には念を、と言う言葉があるが、これは幾らなんでも異常だった。
 「刀子先生。これは解除できるんですか?」
 「解除方法は、残された力を鍛え上げ、鎖を自力で破壊するしかないんです。そしてこの鎖の力の源は、彼の封じられている力その物です」
 「・・・今は治療を優先しましょう。犯罪者とは言え、見殺しにする訳にはいきません」
 シャークティーの言葉に、周囲の温度が下がる。どちらかというと敵対的な空気が大勢を占める中、タカミチの声が静かに響いた。
 「シャークティー先生。今の発言は撤回して下さい。シンジ君は犯罪者ではありませんから」
 「何を言っているのですか?先ほど、この鎖は刑罰だと言う説明があったではないですか?」
 「それが間違いなんです。この鎖は」
 そこへ遅れてやってきた刹那達が駆けつけてきた。楓は肩に襲撃者らしい男を担いでいる。
 「刹那、無事でしたか」
 「刀子さん!シンジさんは!」
 「今、治療中です」
 刹那達がシンジへと近寄る。そしてシンジの上半身を走る鎖に、真名が顔を強張らせた。
 「これは呪いか!それも15個もの呪いなんて!」
 「・・・呪刑縄・・・」
 「刹那殿、大丈夫でござるか?」
 刹那は呪刑縄の意味を理解している。だからシンジが犯罪者であったと思ってしまい、言葉を失ってしまった。
 だがすぐに思い直した。
 「刀子さん、シンジさんは助かりますよね?」
 「刹那?」
 「シンジさんは私のミスを取り戻す為に、わざと返しの風を受けて、襲撃者を探したんです!私が、私が悪いんです!敵の挑発に乗って、見境なく暴れたりしなければ、こんな事にはならなかったんです!」
 自分への怒りのあまり、刹那は悔し涙を浮かべていた。そして妹弟子が初めてみせた涙に、刀子も言葉を無くす。
 「それだけじゃない。私に名誉挽回の機会さえ与えてくれた!」
 治療中のシャークティーに、刹那がしがみついた。
 「お願いです!シンジさんを助けて下さい!」
 「桜咲さん?」
 「呪刑縄の意味ぐらい知ってます!でも、私はシンジさんがそんな悪い人だなんて思えないんです!この人は、私が失敗しても怒りませんでした。それどころか、励まして、挽回するチャンスを与えてくれました!そこまでしてくれる人が、悪人な訳ありません!」
 刹那の叫びに、シャークティーは呆気に取られた。そこへタカミチが静かに口を開く。
 「・・・この鎖はね、シンジ君が詠春さんにお願いして、つけて貰ったものだそうだ」
 「詠春様が?」
 「そうだよ。シンジ君は呪刑縄を15本も使わないと、力を封じ込める事が出来なかったそうだ。1本がメインで残り14本が保険なんじゃない。同時に15本使わないと、封じる事が出来ないほど、力が巨大なんだそうだ」
 タカミチの言葉は、全員から言葉を失わせていた。
 「高畑先生。それは本当なんですか?本当だとすれば、その力は御嬢様を遥かに上回るという事になりますが・・・」
 タカミチが黙って頷く。彼の脳裏には、かつて『力』を持っていた為に、兵器として活用されていた1人の少女の姿が浮かんでいた。
 「シャークティー先生。治療の進行具合はどうですか?」
 「・・・問題はありません。生命力も強いみたいですし、このままいけば持ち直してくれますよ」
 「だそうだ。これで少しは安心できたかい?桜咲君」
 安心して虚脱した刹那が、その場に崩れ落ちる。そこへ近寄ってくる影があった。
 「どうやら危険は脱したようじゃのう」
 「学園長!」
 「やれやれ、ヒヤヒヤさせてくれる孫じゃわい」
 ふぉっふぉっふぉ、と笑っている近右衛門。だがその眼は笑ってはいない。殺気すら籠っている視線は、静かに楓が担いでいる襲撃者に向けられている。
 「楓君。それが襲撃者じゃな?シンジは何か言っておったかの?」
 「いえ、拙者は特には聞いておらぬでござる」
 「ふむ。龍宮君や刹那君はどうかの?」
 真名は楓同様、その場に居なかったので首を左右に振るしかなかった。だが刹那は違った。
 「・・・そういえば、こう言っていました。敵は逃走じゃなくて、シンジさんを殺す事を選んだ、と」
 「ふむ。それは重要じゃな。よし、分かった。この件は儂が預かっておく。ガンドルフィーニ君と神多羅木君は、その襲撃者を運んでくれるかの?」
 「分かりました」
 楓から襲撃者を受け取ると、2人は近右衛門に何かを耳打ちされ、その場を後にした。
 「それと今回の件じゃが、緘口令を敷く」
 「理由をお聞かせ願えませんか?」
 「下手に騒ぐと、関西呪術協会の穏健派が敵に回りかねないからじゃ。シンジはその辺を心配して、儂に事後処理を頼んでいたんじゃよ」
 そう言い残すと、近右衛門は静かにその場から立ち去った。

麻帆良学園中等部女子寮、寮監室―
 時刻は既に夜の2時。静まり返っていた暗闇の寮監室に、灯りが灯った。
 「よし、じゃあシンジ君を看ていてくれるかな?」
 「は、はい」
 一緒に入ってきた刹那達にシンジを預けると、タカミチは押し入れから布団を取り出して、床に敷き始めた。
 眠りやすいように、ズボンを脱がせるタカミチ。その手が、一瞬だけ止まる。
 (ふんどし?今時珍しいな)
 「・・・まあ、こんなところか」
 依然として意識を失ったままのシンジに掛け布団をかけると、タカミチは笑いながら振り返った。
 「君達もそろそろ寝た方が良いだろう。彼については僕が看ておくから」
 「で、ですが!」
 「刹那殿。ここは高畑先生に任せるでござるよ」
 割って入ったのは楓である。いつも笑みを絶やさぬ彼女は、この時も笑顔のまま刹那に言葉をかけた。
 「刹那殿も疲労が激しい筈でござる。今は体を休めるでござるよ。幸い、明日は土曜日でござるからな」
 「で、でも・・・」
 「では、こう言い直してやろう」
 ニヤッと笑いながら真名が決定的な言葉を紡いだ。
 「近衛さんと明日の朝まで2人きり。そんな所を早乙女達に見られたら、一体、どうなる事かな?」
 「た、龍宮!」
 「おや、シンジ君は早乙女さんとそういう仲なのかい?」
 窓を開けて煙草を燻らせていたタカミチが、驚いたように会話に入ってきた。
 「まだ早乙女の片想い、ってとこさ。綾瀬もそれに近いけど、あれはじゃれあってるだけだね」
 「ほほう?真名殿、真実は隠すべきではないと思うでござるな、拙者は」
 ピクンと反応する真名。何気に懐の拳銃に手を伸ばしている。
 「楓。余計な事を言わぬが身の為だと忠告しておこう」
 「分かったでござるよ、にんにん」
 夏休み前からは想像もできないほど、生徒達の人間関係が複雑になりつつある事に、そこはかとなく不安を感じるタカミチである。
 「言っておくが刹那君だけじゃないぞ。龍宮君も長瀬君も、体を休めるべきだ。刹那君を強制連行しがてら、眠りなさい」
 「「了解(でござる)」」
 「龍宮!?長瀬さん!?私は!」
 左右からガシッと刹那を挟み込む真名と楓。そのままズルズルと強制連行する。
 そんな教え子達を見送りながら、タカミチは実に愉快そうに、至福の一服を楽しんでいた。



To be continued...
(2011.10.08 初版)


(あとがき)

 紫雲です。今回もお読み下さり、ありがとうございます。
 今回は麻帆良世界樹攻防戦(後編)となります。策を練ったは良いものの、アクシデントによって作戦開始前に作戦は崩壊w刹那は良くも悪くも女の子ですから、まあこういう展開も有りかなあ、と考えました。そういう意味では、シンジの呪いと上手く噛み合ってくれましたね。せっちゃん、ナイスw
 あと忘れちゃいけないのが、ネギま!ツンデレキャラの双壁チウこと長谷川千雨の登場です。今回は顔見せ程度ですが、彼女の出番はこれからです。本格的な登場は、もうしばらくお待ち下さい。
 それと原作と違い、楓が魔法の存在を知る事になります(原作では、エヴァンジェリン戦のネギの家出でしたが)。楓も重要なキーパーソンですので、今後も頻繁に登場する事になります。今後の活躍にご期待下さい。
 さて、話は変わって次回予告です。
 次回はホノボノ路線に突入。戦いを終え、平穏な学園生活を送るシンジ。少女達との距離が徐々に縮まる中、シンジは麻帆良の生活に溶け込んでいくが・・・という感じの話になります。
 それでは、また次回も宜しくお願い致します。



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