正反対の兄弟

第十四話

presented by 紫雲様


仮契約騒動の翌日―
 「兄貴、助かりました。今回ばかりはマジで死ぬかと思ったス」
シンジが思いついた『鳥葬の刑』から、一晩明けて解放されたカモは、涙ながらにネギへ感謝の言葉を述べていた。
 「夕方になるとカラスが集団で俺っちを見てるし、夜になるとフクロウが近くを飛んでるし、明け方には蛇が紐を伝って下りてこようとしたんスよ!」
 「そ、それは災難だったね、カモ君」
 「当たり前でさ!このまま黙っていたら、男が廃るってもんっス!絶対にやり返してみせまさあ!」
 シャドウボクシングそのままに、両足で立ち上がりながらシュッシュッとフックを虚空に向けて放つカモ。そんな意気軒高なカモに、ネギは困ったように諭す事しかできない。
 「シンジさんは、とても温厚な人なんだよ。あの人があそこまで激怒したのは初めて見たよ」
 「そんな事、関係ねえっスよ!」
 「ダメだよ、カモ君。シンジさんは陰陽道っていう魔法の使い手だし、僕をサポートしてくれている人なんだ。すごく良い人なんだから、絶対にダメだよ」
 いつになく強い意志のネギに、カモは渋々折れる。そもそもカモが仮契約を急きたてたのは『ネギに仮契約をさせた』という実績を盾に、『下着泥棒による服役からの脱獄』をうやむやにさせるのが狙いであった。結果として、ネギはシンジと仮契約を結び、主従となっている。その事実は、カモにとっても利用できる事実であった。
 「あ、兄貴がそこまで言うのなら・・・」
 「それにね、僕もシンジさんに注意されたよ。一般人である宮崎さんを騙すようにして仮契約を結ぶなんて許されない事だ。そんな事をする人には、立派な魔法使いマギステル・マギを目指す資格なんてない、ってね」
 「・・・そこまで言われちまうと、俺っちも何も言えねえっス」
 「カモ君も気持ちだけは貰っておくからね、ありがとう。それより、そろそろ木乃香さんが起きる時間だから、バレないようにね?」
 
麻帆良学園下駄箱―
 アスナ、木乃香とともに登校したネギは、下駄箱で靴を履きかえるとキョロキョロと周囲を見回していた。
 その態度に不審を感じたカモが、そっと耳元に囁く。
 (兄貴、さっきから何をキョロキョロしてんだよ)
 (ちょ、ちょっとね)
 「おはよう、ネギ先生」
 ビクッと振り向くネギ。そこにいたのはエヴァンジェリンと茶々丸である。
 「今日もまったりサボらせてもらうよ。ネギ先生が担任になってから、色々と楽になった。ふふ、猛るのは構わないが、お互い、学校では大人しくしておいた方が身の為だぞ?」
 杖にかかっていた手を、ゆっくりと離すネギ。
 「そうそう、ネギ先生が頼りにしているお兄ちゃんだが、昨日、あいつと交渉してな。あいつは今回の件に不介入の立場となったぞ」
 「何ですって!?」
 「まあ、こちらもあいつの出した条件を守らねばならぬが、それはネギ先生には関係の無いことだ。せいぜい、頑張るんだな」
 手を振りつつ、去っていくエヴァンジェリン。一瞬、ネギの肩に乗っているカモに視線を向けた後、鼻を鳴らしながら背を向けた。そしてその後ろを、一礼した茶々丸が静かに追いかける。
 「う、うわああああああん!」
 「ちょっと、ネギ!木乃香、先に教室へ行ってて!」
 泣きながら走りだすネギ。その後ろを、カモとアスナが慌てて追いかけた。
 「兄貴!しっかりしろよ!」
 「だって、だって!僕は何も言い返せなかったんだ!」
 ガックリと項垂れるネギの姿に、憤慨するカモ。早速、報復行動に移ろうと、どこからか取りだしたオコジョサイズの釘バットを手に走りだそうとする。
 「兄貴!舎弟の俺っちが、ぶっちめて来てやんよ!」
 「エヴァンジェリンさん、実は吸血鬼なんだ。それも真祖」
 「故郷へ帰らせていただきやす」
 「こらこら」
 ハシッとカモの尻尾を掴み取るアスナ。彼女はネギを元気つけようと声をかけた。
 「シンジさんが、アンタを裏切るような事をするとは思えないわ。きっと理由があるのよ、ドッジボールの時みたいにね」
 「・・・アスナさん・・・」
 「だから、元気出しなさいよ。ね?」
 ネギはしばらくの間アスナを見上げた後、グシグシと涙を拭きながら立ち上がった。
 「それより、兄貴。あの真祖と喧嘩してるみたいだけど、よく生き残れたな。それにあの後ろの女から契約の気配を感じたんスけど」
 「そうだよ。茶々丸さんはエヴァンジェリンさんのパートナーなんだ。今も僕は、あの2人に狙われているんだよ」
 「・・・それなんだけどさ、ちょっと疑問に思っていた事があるのよね」
 アスナの言葉に、ネギが首を傾げた。
 「桜通りの吸血鬼が、エヴァンジェリンちゃんだというのは分かったわ。でも、何で今頃になって、血を吸い始めたの?ネギがここに来たのは2月よ?その気になれば、今までにも血を吸う機会はあった筈よね?」
 「エヴァンジェリンさんの目的は、僕の血を吸って封印を解除する事なんです。僕の父さんに魔力を極限まで削られて、この地に封じられているらしくて」
 「なるほど。そういう事っスか」
 手すりの上に仁王立ちしながら、カモがニヤッと笑う。
 「恐らく、あの真祖は特定の条件下―多分、満月でないと血を吸えないんスよ。吸血に必要な牙すらも、封印の影響下なのかもしれないっス!」
 「それじゃあ、次の満月までは安全と言う事?」
 「そうっスね。それなら良い案があるっス!」
 カモの言葉に、ネギは目を輝かせ、アスナは驚きながら詰め寄った。
 「兄貴と姐さんが仮契約して、相手の片一方を2人がかりでボコッちまうんだよ!」
 「ええー!何それ!」
 「僕とアスナさんが仮契約!?」
 「姐さんの体術は、昨日、見せていただきました。身のこなしも抜群ですが、1人の人間をミサイルのように蹴り飛ばした、あの筋力!良いパートナーになれやすぜ!」
 『フフッ』とほくそ笑むカモ。確かに、その点だけを考慮すれば、アスナはパートナーとして優秀な素質を持っている。
 「それに兄貴、1人で真祖と戦えるんっスか?兄貴のパートナーは、真祖の言う事を信じれば、不干渉―力を貸してくれない、って事っスよ!」
 「そ、それは・・・」
 「私は嫌よ!何でパートナーなんてやらないといけないのよ!」
 顔を赤く染めて断るアスナ。だがそんな態度では、カモの良い餌食である。
 「ああ、もしかして姐さん、中3にもなってまだ初キッスを済ませてないんスね?それじゃあ抵抗あるでしょーな」
 やれやれとわざとらしく肩を竦めるカモ。更に大きな声で『ハア』とため息まで吐いて見せる。
 「べ、別にチューくらい何でもないわよ!」
 「じゃ、OKと言う事で。兄貴はどうです?」
 「ちょ、待ちなさいよ!」
 乗せられた事に気付いたアスナだが、すでに手遅れ。話はトントン拍子に進んでしまう。
 「分かった、やるよ、僕!アスナさん、1度だけ、1度だけで良いですから、お願いします!」
 必死になって頼み込むネギ。その態度に、アスナは折れる事を決めた。
 「仕方ないわね、1度だけよ?」
 渋々と承諾するアスナ。その足元では、カモがチョークを使って仮契約の魔法陣をサッと書き上げてしまう。
 「じゃ、いきますぜ?仮契約パクティオー!」
 魔法陣が光輝き、ネギとアスナを照らしだす。アスナは湧き上がってくる高揚感を振り切るように顔を左右に振ると、ネギの顔を両手で挟んだ。
 「い、いくわよ?」
 「は、はい」
 目を閉じるネギ。アスナの顔がゆっくりと近づき―
 「姐さん!おでこじゃ中途半端っスよ!」
 「い、良いでしょ!何でも!」
 「えーい!とりあえず仮契約パクティオー、成立!」
 カモの手元に、一枚のカードが姿を現した。

放課後―
 エヴァンジェリンと茶々丸は2人で学園の敷地内をあてもなく歩いていた。
 「茶々丸。しばらくは私の傍を離れるな。ネギ・スプリングフィールドに助言者がついたかもしれんからな?」
 「それは近衛さんの事でしょうか?」
 「近衛シンジが相手であれば、わざわざ警告などせん。あの男は私を敵に回すより、交渉で譲歩を引き出そうとするタイプだからな。仮に喧嘩を売ってくるとしても、それは最後の手段だろう」
 暖かい日差しを浴びながら、2人は綺麗に舗装されたレンガ道をゆっくりと歩く。
 「私が気にしているのは、身の程を弁えない助言者だ。あの坊やの肩に乗っていたのはオコジョ妖精だ。奴等は人間と同等の知性を有する。恐らく、昨日の侵入者に違いあるまい」
 「では、捕縛しますか?」
 「面倒臭いから止めておく。あの坊やが管理するなら、任せておけば良いだろう」
 そこへ、背後からタカミチが『おーい、エヴァ』と近寄って来た。
 「学園長がお呼びだ。1人で来いってさ」
 「分かった。すぐ行くと伝えろ。それから茶々丸、必ず人目のある所を歩くんだぞ?」
 コクンと頷く茶々丸。
 「何の話だよ、また何か悪さしているのかい?」
 「うるさい。貴様には関係のないことだ」
 
 今の時期は4月。川の堤防沿いには、奇麗な桜並木ができている。
 そこの植込みの一画に、ネギ達は身を潜めていた。
 (茶々丸って奴が1人になった!チャンスだ!ボコッちまおうぜ!)
 (ダメだよ!人目につくとマズイんだから!)
 (辻斬りみたいで嫌ね・・・一応、クラスメートだし)
 3人の前には、堤防沿いを歩く茶々丸の姿があった。そんな彼女の前に、道路に座り込んで泣いている小さな女の子がいた。その頭上には、赤い風船が木の枝に引っかかっている。
 茶々丸はそれに気づくと、背中のバーニアを解放。炎を噴き出しながら、空中へと飛び上がり、風船を確保する。
 「お姉ちゃん、ありがとー!」
 泣きやんだ女の子は、満面の笑みを浮かべていた。そんな女の子に、茶々丸は片手を上げて別れを告げると、再び歩き出す。
 「アスナさん。茶々丸さん、今、飛びましたけど、どんな人なんですか?」
 「・・・どんな人と言われても・・・」
 「いや、どう見てもロボだろ?」
 アスナとネギが、同時に『えええええっ!』と叫び声をあげる。
 「へ、変な耳飾りだとは思ってたけど!」
 「うおおい!見りゃ分かんだろう!」
 「わ、私、メカって苦手だから」
 「ぼ、僕も」
 「そういう問題じゃねえよ!?」

その後も、3人による茶々丸の監視は続いていた。だが―
 「いつもありがとうございます、茶々丸さん」
 歩道橋では息を切らして階段を上っていたお婆ちゃんをおんぶし、御礼を言われていた。
そして町中を歩いていると、幼い子供達が『茶々丸だー』と無邪気に近寄ってくるのである。
 そしてまたある時は―
 「警察に連絡を」
 「子猫がドブ川に」
 汚く汚れた川の中を、一匹の子猫が段ボール箱に入れられて流されていた。誰もが見ているだけの中、茶々丸は服が汚れるのも厭わずに、躊躇う事無くドブ川の中へと入って行った。そして子猫を救いだし、周囲から拍手喝采を浴びた。
 この光景には、3人も言葉が無い。
 「ちょっと!滅茶苦茶良い奴じゃないの!しかも、街の人気者だし!」
 「え・・・えらい!」
 「い、いや、油断させる為の罠かも!」
 今更ながらに、茶々丸を闇討ちする事に躊躇いを覚え始めたネギとアスナに、カモは必死である。
 そんな3人に気付く事無く、茶々丸は助けた子猫を頭に乗せながら、延々と歩き続ける。やがて茶々丸が足を止めたのは、ある建物の裏手であった。
 茶々丸が来ると、周囲に隠れていた無数の猫達が近寄って来た。餌を用意する茶々丸に身を摺り寄せ、精一杯甘えようとする。更には空からも鳥達が舞い降り、茶々丸の傍で囀り始めた。
 「「良い人だ」」
 ホロリと涙を流すネギとアスナ。カモはこのままではいけないとばかりに、力説した。
 「兄貴は命を狙われたんですよ!しっかりして下さいよ!心を鬼にして、一丁、ポカーッとお願いします!」
 「で、でも・・・」
 「・・・しょうがないわね・・・」
 躊躇いがちに、茶々丸の前に姿を現す2人。茶々丸はちょうど餌をやり終え、片づけを済ませた所だった。
 「・・・こんにちは。ネギ先生、神楽坂さん・・・油断しました。ですがお相手はします」
 スクッと立ちあがった茶々丸。だがネギとアスナは割り切れないのが目に見えて分かるほど、表情に躊躇いを浮かべていた。
 「茶々丸さん。僕を狙うの、やめていただけませんか?」
 「申し訳ありません、ネギ先生。私にとってマスターの命令は絶対ですので」
 「うう・・・仕方ないです・・・」
 アスナと顔を見合わせると、ネギは背中に背負っていた杖を手にした。
 「では、茶々丸さん」
 「・・・ごめんね」
 「神楽坂明日菜さんですか・・・良いパートナーを見つけましたね」
 茶々丸もまた戦う為に、手に持っていた猫の餌やり道具を地面に落とす。お互いに戦う態勢を整えた。
 「行きます!契約執行10秒間シス・メア・パルス・ペル・デケム・セクンダスネギの従者ミニストラ・ネギ神楽坂明日菜カグラザカアスナ』!」
 ネギの援護を受けたアスナが、一瞬で茶々丸の懐に飛び込む。その体の軽さと速さに、アスナ自身も驚きを覚えていた。
 虚を突かれた茶々丸を突き飛ばすように前蹴りを放つ。茶々丸は体勢を崩した。
 「はやい!素人とは思えない動き・・・!?」
 茶々丸が気付いた時には遅かった。ネギから茶々丸目がけて放たれた11本の魔法の矢が自身に向かって飛んでくるのを、茶々丸はまるで他人事のように捉えていた。

時は少し遡り、中等部校舎の屋上―
 まだ夕食の準備を始めるまで時間があったので、シンジは校舎の屋上へとやってきていた。というのも、校舎内は生徒達がいるので、考え事には向かなかったらである。
 ポケットから仮契約カードを取り出したシンジは、それをジッと眺めた。すでに使用方法や、どんなアーティファクトが出てくるのかは確認していたものの、この仮契約カードがあまりにも不思議な代物だったからである。
 「・・・来れアデアット
 魔法の隠匿には気を使っていたシンジだったが、これに限っては、特に気にする必要は無かった。大きさは一般乗用車並みだが、このアーティファクト自体に認識阻害が常時発動しているので、言われなければ一般人は認識する事ができないのである。
 空を翔ける鳥のようなデザインの高速飛行用アーティファクト『空翔けるものケルプ』。それがシンジの得たアーティファクトであった。
 使用には若干の制限はあるものの、それでも便利と言えば便利な代物である。
 「去れアベアット・・・持っていて、困る事はないんだけどな・・・どうしたものかなあ・・・」
 シンジはネギとの仮契約をどうするかで悩んでいたのである。別に仮契約など無くても、シンジはネギを助けるつもりでいた。だから敢えて仮契約という形を取る事はないのではないかと考えたのである。
 そんな時だった。
 仮契約カードから、ネギが悩み苦しんでいる感情がシンジへと伝わってきたのである。
 「何があったんだ・・・来れアデアット!」
 再度、空翔けるものケルプを呼びだすと、シンジは即座にネギの所へと飛んだ。

 「魔法の射手サギタマギカ連弾・光の11矢セリエス・ルーキス!」
 自らに向かって飛んできた11本の魔法の矢。それを茶々丸は機械の目で冷静に眺めていた。
 体勢を崩した今の自分に、これを凌ぐ方法は無い。
 「追尾型魔法至近弾多数。よけきれません。すいませんマスター。もし私が動かなくなったら、猫の餌を」
 「・・・やっぱり駄目ーーーっ!」
 ネギの声に反応する魔法の矢。だがその決断は僅かに遅かった。
 着弾の瞬間、閃光と轟音が戦場を支配した。
 「兄貴!やったぜ!」
 「ああ・・・そんな・・・」
 土煙がもうもうと沸き起こる。やがて吹き込んできた風が、土埃を吹き飛ばし―
 「「「なっ!?」」」
 3人は言葉を無くした。そして茶々丸も、目の前で何が起こったのかを理解できずに固まってしまった。
 「・・・無事・・・か?・・・」
 ドサッと音を立てて、仰向けに崩れ落ちたのはシンジだった。シンジが空翔けるものケルプで到着した時、すでにネギが魔法の射手サギタマギカを放っていたのである。破術で防ぐ間もなかった為に、シンジは自分の体を盾に使って茶々丸への直撃を防いだのだった。
 慌ててネギとアスナが駆け寄り、その惨状に顔を真っ青に変化させた。そして邪魔をしたシンジに文句を言おうとしたカモすらも、その光景に全身を震わせ始めた。
 シンジの胸部は、魔法の射手サギタマギカの直撃を食らい、肉が爆ぜ、剥き出しになった肋骨は砕け散り、脈打つ心臓が見えていたのである。
 ゴフッと噎せかえるシンジ。その口から飛び出た血飛沫が、ネギとアスナの顔にピピッとかかった。
 自分達の決断が引き起こした事態に、3人は頭の中が真っ白になっていた。
 「・・・ネギ・・・君・・・神楽・・・坂・・・さん・・・」
 途切れ途切れに名を呼びながら、シンジは震える両手で2人の手を掴んだ。そして2人の手を、自身の心臓へ押しつけた。
 伝わってくる鼓動と、体温の暖かさ。血まみれになる自身の手と、生臭い血臭に、やっとネギとアスナの目に光が戻る。
 「「シンジさん!」」
 「・・・よく・・・覚えて・・・おくんだよ・・・命の・・・重み・・・を・・・」
 「それ以上、喋らないで!」
 「・・・ダメ・・・だよ・・・ネギ君・・・命は・・・決して・・・取り戻せない・・・」
 それでも必死にネギとアスナを諭そうとするシンジに、2人は頷く事しかできなかった。それに納得したのか、シンジが満足そうに頷く。
 「・・・ミスは・・・取り・・・返せる・・・から・・・ね・・・」
 「死なせはしません!」
 咄嗟に行動を起こした茶々丸が、シンジを抱き上げてバーニアを吹かす。そのまま全速力で、主であるエヴァンジェリンの元へと帰還した。

学園長室―
 突然の訪問にも関わらず、近右衛門は嫌な顔1つせずに訪問客に入室の許可を与えた。
 「それで今日は・・・ネギ君!何があったというんじゃ!」
 近右衛門が顔を上げたそこには、手を真っ赤に染めたネギとアスナが立っていたのである。2人とも顔を真っ青にし、両目から涙を流してしゃくりあげていた。
 「ご、ごめん・・・なさい・・・」
 「ネギ君!一体、何があったんじゃ!」
 「僕・・・もう、立派な魔法使いマギステル・マギにはなれません・・・」
 膝から崩れ落ち、嗚咽を漏らすネギ。近右衛門に理解できたのは、尋常ではない事態がネギとアスナを襲ったのだろうという予想であった。
 「2人とも。何があったのか、儂に教えてくれ。何があったと言うんじゃ?」
 やがて嗚咽の中から聞きとれた内容に、近右衛門もまた顔を真っ青に変じさせた。
 咄嗟に近くにあった電話機へ手を伸ばす。
 「高畑君!すぐに学園長室へ来てくれ!大至急じゃ!」

エヴァンジェリン邸―
 ドアをぶち破っての従者の帰還に、主であるエヴァンジェリンは目を白黒させていた。
 「な、何があった!茶々・・・」
 鼻につく血の匂い。そして茶々丸が抱きかかえた、見覚えのある人影―
 「茶々丸!すぐにソファーに寝かせろ!それから、倉庫からありったけの魔法薬を持ってこい!」
 「イエス、マスター!」
 可愛らしい人形の館は、一転して戦場へと変わった。
 エヴァンジェリンの目は、冷静に目の前のシンジを捉えていた。肋骨を通して見えるのは、脈打つ心臓。荒い息を繰り返すシンジは、時折、血の塊を苦しそうに吐き出している。
 (・・・まずいな。皮膚もそうだが、大胸筋が吹き飛んでいる)
 茶々丸が持ってきた魔法薬を手に、早速、治療に取りかかるエヴァンジェリン。だが魔法薬を渡そうとした茶々丸の手が、凍りついたように固まっていた。
 「おい!何をしている!」
 「・・・マスター。近衛さんは、先ほど肋骨が吹き飛んでいた筈です」
 「・・・何だと!?」
 もう一度、シンジに目を向けるエヴァンジェリン。その目の前で、今度は引き千切られた傷の断面から、ゆっくりと新しい筋肉と皮膚が再生を始めていた。
 これにはエヴァンジェリンも驚いたのか、治療を忘れて、その異様な光景に釘付けとなってしまった。
 「これは再生か!?」
 「ですがマスター。近衛さんは吸血鬼ではありません」
 「ああ、それは分かっている。一体、どういう事だ?」
 2人が見守る中、遂に傷は完全に塞がってしまった。やがて苦しんでいたシンジの息も徐々に安らかな物へと変わっていく。
 「・・・良くは分からんが、手を出す必要はなさそうだな。それより茶々丸、何があったのか説明しろ!」
 事の一部始終を説明する茶々丸。それを聞いたエヴァンジェリンの顔に、怒りが浮かんでいく。
 そんな時だった。
 手首を何かに掴まれた感触に、エヴァンジェリンが顔を向ける。そこには、早くも体を起こそうとしているシンジがいた。
 「ば、馬鹿か、お前は!?そのまま横になっていろ!」
 「そんなにとんでもない殺気をまき散らされたら、横になる事も出来ないよ。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。約束した筈だよ、ネギ君達を殺さない、と」
 前髪が流れた今のシンジは、その素顔を露わにしていた。十分に美形と呼べる容貌が、強い意志でエヴァンジェリンを射抜いた。
 「僕にとってネギ君は弟だ。神楽坂さんは妹だ。弟妹が間違った道を歩こうとしている時に、止めるのは兄として当然の役目だ。そして弟妹が危険に晒されている時に、守るのも兄の役目だ。それでも貴女がネギ君達を殺めようとするなら僕は・・・近衛シンジはエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの敵になる!」
 「・・・おい、調子にのるなよ。近衛シンジ」
 「だからどうした、吸血鬼の真祖。貴女が強い事など百も承知だ。それでも僕は、あの2人を守る。それが僕のやりたい事だ!」
 エヴァンジェリンが全身から魔力を放って周囲の温度を低下させれば、シンジは全身から気を放ち始める。やがてシンジの両目が赤く染まっていくにつれ、放たれていく気の圧力は、加速度的に上昇した。
 「・・・チッ・・・詠春め、本当に良い拾い物をしたもんだ。まさかここまで私に喧嘩を売れる度胸があったとはな・・・良いだろう。だが1つだけ条件をつける。それを呑めるなら、あの2人については見逃してやる」
 沈黙を肯定と判断したエヴァンジェリンは、口を開いた。
 「近衛シンジ。お前は何者だ?お前は人ではあるまい。私が求めるのは、お前の正体だ」
 「・・・僕の正体は使徒。下らない老人の思惑で、人間を辞めさせられた存在だよ」

 駆け込んできた見覚えのある人影に、エヴァンジェリンは眉を顰めた。
 「フン。随分とまあ、遅い到着だったな。ジジイ」
 「シンジは、シンジはどうなったんじゃ!」
 「今は昏睡中だ。面会謝絶だから、会わせる訳にはいかんぞ」
 茶々丸が蹴破ったドアは、未だに破壊されたまま放置されている。その為、春にしては肌寒い風が吹きこんできていた。
 「それよりジジイ。シンジの事はどうやって対外的に説明するつもりだ?」
 「とりあえずは出張先で、急病にかかって入院と言う事にしておくわい。寮の厨房仕事については、心当たりに任せるつもりじゃ」
 「そうか。それで近衛近右衛門。関東魔法協会の長として、お前はどう行動するつもりだ?あの坊やを罰するのか?今回の一件、途中経過はどうあれ、あの坊やがシンジを殺しかけた事は事実だからな」
 エヴァンジェリンの言葉に、近右衛門はその顔に苦渋の色を浮かべた。
 「ネギ君とアスナ君は、現在は寮で謹慎させておる。高畑君がついておるので、何かあれば連絡が来るわい。2人の処分については、これから開く緊急会議次第じゃが・・・儂は今回の件は握り潰すつもりでおる」
 「ハッ!そこまで坊やの経歴に傷をつけるのが嫌か?」
 「否定はせんよ。今回は儂の監督不行届きで落ち着かせる。ネギ君についてじゃが」
 ドサッとエヴァンジェリンの向かいに、近右衛門が腰を下ろす。
 「処分は必要なかろうよ。ネギ君もアスナ君も、自分で自分を責め立てておる。特にネギ君はショックが大きかったのか、自ら立派な魔法使いマギステル・マギを諦めるとまで言ってきおった」
 「なるほどな、心が折れたか。だが存外につまらん結果だな」
 そこへ茶々丸が2人分の紅茶を用意して姿を現した。そして2人の前に、ティーカップを置いていく。
 「・・・学園長先生。余分な事かもしれませんが、ネギ先生に一言、伝言をお願いできないでしょうか?」
 「茶々丸?」
 「マスター。私は近衛さんに命を救われました。ならば闇の福音の従者として、一度は近衛さんが望む行動を取らねばならないと思います」
 従者の言葉に、誇り高い主は、面白そうに頷いた。彼女にとっても、このままネギがイギリスへ帰国するのは都合が悪いのである。
 「良いだろう。好きにしろ」
 「ありがとうございます、マスター。伝言は一言だけです。近衛さんの最後の言葉を思い出すように。それだけ伝えて下さい」
 「・・・分かった、伝えよう」
 ペコリと一礼すると、茶々丸はリビングから退室した。そのまま廊下を歩いていく音が聞こえてくる。
 「ジジイ。もう一つ訊いておきたい事がある。お前は近衛シンジの素生について、何か知っているか?」
 「・・・どういう意味じゃ?」
 「お前が奴と赤の他人であるなら、説明するつもりはない。赤の他人には、説明しても意味が無いことだからな。だがお前と奴の間に、義理の孫と祖父以上の関係があるのであれば、教えてやっても構わないぞ?」
 沈黙がリビングを支配する。近右衛門は眉毛に隠された両目でエヴァンジェリンを射抜くように視線を向けていた。だがギリッと歯ぎしりすると、一言一言噛みしめるように口を開いた。
 「・・・儂も婿殿も、シンジの素生は知っておる。シンジがまだ乳飲み子だった頃から知っておるからの。当然、シンジの両親も知っておるわい」
 「ならば、近衛シンジがどんな人生を送ってきたか、それも知っていると言う事か?」
 「そこまでは知らん。儂や婿殿がシンジに会ったのは、シンジが3歳だった頃まで。あの子の母親が亡くなって以来、完全に繋がりは途絶えておったんじゃよ」
 む、と口籠るエヴァンジェリン。伝えるべきかどうか、微妙極まりない関係であった。
 「シンジに何があったんじゃ。あの子の母親、ユイ君は儂にとっては義理の姪。いや娘と呼んでも良いほどに可愛がっておったんじゃ」
 「・・・義理の姪だと?どういうことだ、それは!」
 「儂の死んだ妻と、ユイ君の母親は、実の姉妹だったんじゃ。そしてシンジと木乃香は、母親同士が従姉妹。つまりハトコになるんじゃ」
 エヴァンジェリンが苦虫を噛み潰したように、表情を変えた。だが、この時点でエヴァンジェリンは近右衛門に自分が手に入れた情報を教えなければならない事にも気付いた。
 「良いだろう、教えてやる。あれは最早、人間ではない。近衛シンジの言葉を借りるならば、奴は『人間を辞めさせられた』そうだ」
 「何・・・じゃと・・・」
 「気になるなら、自分で調べて見るんだな。だがお前の周りにいる『正義の魔法使い』はどうでるかな?実に楽しみだよ」
 
麻帆良学園女子寮中等部―
 すっかり塞ぎこんでいるネギとアスナに、木乃香はすっかり困惑していた。2人を連れて来たタカミチも、扱いかねているのか困ったように2人を見つめるばかりである。
 「高畑先生、何があったん?」
 「それは、僕も口にするのを禁止されているんだよ。ごめんね」
 「そうなん?じゃあ、仕方ないなー。ウチはお風呂はいってくるなー」
 木乃香の視線は、ケージに入れられているカモへと移った。だがカモもまた、ケージの隅で丸くなったまま、全く動こうとしていなかった。
 そんな一同を置き去りに、木乃香は大浴場へ向かう為に部屋を出ていく。そのドアが閉められた所で、タカミチの携帯電話が鳴った。
 「はい、高畑ですが・・・はい、分かりました。そう伝えれば良いんですね?・・・はい、分かりました。では、そのように」
 ピッと電話を切るタカミチ。そのまま彼は、塞ぎこんでいるネギとアスナの肩を、少々乱暴に揺さぶった。
 「・・・タカミチ?」
 「・・・高畑先生?」
 「君達に伝言だ。シンジ君の最後の言葉を思い出して欲しい。そう伝えるように頼まれたよ」
 「・・・最後の・・・言葉?・・・シンジさんの?」
 焦点の合っていない瞳のまま、ネギとアスナが反芻するように何度も呟く。
 「最後の・・・言葉・・・ミスは・・・取り返せる・・・」
 シンジの血で染まっていた手をジッと見つめながら、何度も繰り返し呟く2人。やがて2人は恐る恐る顔を上げた。
 「でも、僕にできるのかな?だって、僕は・・・」
 「ネギ君。僕には何も断言できない。君の背負った物を肩代わりしてあげる事もできない。でもね、1つだけ言える事がある。転んだ後、起き上がらなかったら、二度と歩けないんだよ?」
 「・・・高畑先生・・・」
 ネギとアスナは、朱に染まっていた手に、もう一度視線を落とす。しばらく、ジッと手を見つめていた2人は、顔を上げると互いに頷きあった。
 「・・・タカミチ。僕を学園長の所へ連れていって」
 「自分が何を言っているのか、分かっているのかい?」
 「僕は逃げちゃダメなんだ。今逃げちゃったら、シンジさんの期待を裏切る事になるから。だから!」
 タカミチが視線をずらすと、アスナもまた強く頷いていた。2人の瞳に宿る強い意志の輝きに、タカミチは自分が見惚れていた事を自覚した。

麻帆良学園中等部会議室―
 近右衛門の招集した緊急会議に集まったのは、魔法先生を中心とする関東魔法協会幹部達。タカミチだけはネギとアスナの監視と言う事で欠席しているが、それ以外は全員集まっていた。
 「では今回の議題じゃ。実はネギ君が殺人未遂を犯してしまった」
 場が静まり返った後、全員が大爆発を起こした。会議室自体は魔法で防音処理を施しているが、それでも不安にかられるほどの声量である。
 「学園長!誰が被害にあったのですか!?」
 「被害に遭ったのは、孫のシンジ。ネギ君の報告によれば、シンジはネギ君の魔法の矢を正面からくらい、胸部の筋肉と肋骨を全損。心臓を目視できるほどの怪我を負ったそうじゃ」
 「何ですと!?」
 ますます紛糾する会議室である。そんな中、落ち着きを取り戻すのが早かった、刀子が当然の質問をした。
 「学園長。ネギ君がお孫さんを慕っていたのは、誰もが知っています。何故、そのような事になったのですか?」
 「うむ。実はの・・・」
 近右衛門の口から語られた真実に、招集された者達は頭を抱え込んだ。幹部の大半は、エヴァンジェリンに対して思う所がある。だから、これ幸いとエヴァンジェリンを責めたかった。何せ桜通りの吸血鬼事件の犯人と判明したのだから当然である。だが、それ以上にネギの責任は大きすぎた。
 「シンジは現在、エヴァンジェリンの所で治療中。面会謝絶状態じゃ」
 「・・・回復の目処は立っているのですか?」
 「少なくとも死ぬ事は無いそうじゃ」
 最悪の事態だけは避けられた事に、ホッとする一同。誰もがネギに『人殺し』という烙印を押したくなかったのである。特にナギ・スプリングフィールドを『特別な英雄』として見ている者たちほど、その傾向は強かった。
 「それで、ネギ君の処分についてじゃ。ネギ君には仮契約相手のアスナ君ともども、寮で謹慎させておる。しかし2人はまだ幼い上に、自分が犯した罪をハッキリと自覚し、自らを責めておる。故に・・・」
 近右衛門の言葉に、幹部達は黙ってしまった。ネギの将来性を考慮すれば、確かに近右衛門の選択肢は、1つの考えとしてあり得る物である。だが本当に、それで良いのだろうかと悩んでしまっていた。
 答えの出ない状況に、誰もが自分の意見を口に出すのを躊躇った。
 「待って下さい!」
 聞き覚えのある声に、全員が振り向いた。そこにはタカミチに連れられた、ネギが立っていたのである。
 「タ、タカミチ君!君にはネギ君達の監視を頼んでおいた筈じゃぞ!」
 「ネギ君がどうしても伝えたい事があるそうです。アスナ君をこちらにいるメンバーに会わせるのは時期尚早ですので、廊下に待機させていますが、まずはネギ君の話だけでも聞いていただけませんか?」
 「・・・ふむ、ではネギ君。君は何を言いたいのかの?」
 「僕は、僕は罪を犯しました!その罪は償わないといけないんです!」
 10歳とは思えないネギの気迫に、大人である幹部達が言葉を失った。
 「シンジさんが言ってました。ミスは取り返せばいい、って。だから僕は罪を償いたいんです!僕がやってしまった事を、自分で償わないといけないんです!」
 「・・・言っている意味が分かっておるのかの?」
 「はい!二度と立派な魔法使いマギステル・マギを目指せなくなっても構いません!二度と魔法を使えなくなっても構いません!それでも僕は罪を償いたいんです!」
 困ったのは近右衛門である。ネギの真っ直ぐさは好感が持てるのだが、あまりに真っ直ぐすぎるのは手に余る。特に、今のネギがそうであった。
 「じゃがのう。魔法を使えなくなったら、ネギ君はどうやってエヴァンジェリンと戦うつもりなんじゃ?まだ決着がついておらんのじゃろう?」
 「そ、それは・・・そうですけど・・・」
 「どうじゃ?まずはエヴァンジェリンとの決着を着けてから、罰を受けるというのは。こちらも罰を与えるにしても準備に時間がかかるのでな」
 渋々、頷くネギ。
 「エヴァンジェリンにしても、ネギ君がここにいる間が勝負なのでな。明後日の夜を待ちなさい」
 その言葉に、反応したのは幹部達である。明後日に何があるのか、誰もが理解していた。
 数人から反対の声が上がる中、近右衛門は目を閉じた。
 (・・・本当に、これで良いんじゃろうな、エヴァンジェリン)



To be continued...
(2011.12.17 初版)


(あとがき)

 紫雲です。今回もお読み下さり、ありがとうございます。
 今回はエヴァンジェリン戦前夜、とでも言うべき話です。
 ネギやアスナを守る為、エヴァンジェリンすら敵に回す覚悟を見せるシンジ。そして魔法の恐ろしさを体感したネギは、夢を諦めてでも贖罪の道に進もうとする。そんな感じの話に纏めてみました。楽しんで頂けたら幸いです。
 ちなみにシンジのアーティファクト『空翔けるものケルプ』ですが、一神教の智天使ケルプから取っています。理由としては、アーティファクトの名前はラテン語だけではない事。シンジのアーティファクトが高速飛行用であり、丁度、神の戦車を運ぶ役目を持ったケルプと一致したからです。最初は天鳥船とかも考えたんですが、エヴァで日本神話ネタ使うのは、ちょっと違和感があったので断念しましたw
 話は変わって次回ですが、エヴァンジェリン編後編となります。
 魔法使いとして最後の戦いへ臨むネギは、アスナととともにエヴァンジェリンへと挑みます。その戦いの最中、エヴァンジェリンと不戦を約束したシンジは・・・そんな感じになる予定です。
 それでは、また次回も宜しくお願い致します。



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