第十六話
presented by 紫雲様
エヴァンジェリン戦の翌日―
晴れて無罪放免となったネギは、アスナとともに街へとやってきていた。ここ数日、迷惑を掛けた謝罪と、仮契約相手として共に戦ってくれたお礼を言う為に。
「アスナさん、ありがとうございました」
「いいわよ、それぐらい」
ネギの奢りのコーヒーを口につけるアスナ。その目の前では、器用にエスプレッソを飲もうとしているカモがいる。
「なあなあ、そういえば旦那はどうしたんだ?」
「旦那?それって誰よ?」
「昨日の仮契約の間、エヴァンジェリンを押さえていてくれた兄さんっスよ」
その言葉に、やっと該当人物を思い出す2人である。
「シンジさんが旦那・・・似合わない呼び方だわ」
「だって兄貴じゃ、ネギの兄貴と混同しちまうからな」
「まあ、良いわ。シンジさんなら昨日の罰で、ペナルティの真っ最中よ」
『エヴァンジェリンとグルになっての悪戯』という事の収め方をしたシンジは、魔法先生達の反感を買い、ペナルティとして世界樹防衛基本作戦の見直しという仕事を押し付けられていた。と言うのも、シンジには襲撃犯を捉えた作戦立案者という実績があり、どうせ罰を受けさせるなら、麻帆良にとって利益のある罰にしようという考えが大勢をしめたからである。
真相を知る近右衛門やタカミチにすれば心苦しい判断であったが、ここで罰を与えなければ別の問題が生じてしまう事もあり、罰を認める事にした。もっともこの罰は、良く考えれば非常に機密性の高い重要な仕事である。ならば将来的にシンジを関東魔法協会の要職に就けようと考えていた近右衛門にしてみれば、願ったり叶ったりの罰でもあった。
そんな理由もあって、シンジは羅盤を片手に龍脈の調査に勤しんでいる。ちなみに今日の監視役は明石教授と高音である。2人とも、この調査が終われば、敵の出現ポイントどころか、時期まである程度予想できると聞かされて興味深々であった。
「旦那には迷惑かけちまったからなあ」
「そうよねえ。シンジさんが悪戯者って汚名を被ってくれたから、ネギは服役しなくて済んだ訳だし」
「あうう・・・シンジさんには頭が上がりません・・・」
丸テーブルに突っ伏すネギ。だがその眼は、アスナの肩越しに立っている人影を捉えていた。
「エヴァンジェリンさん、こんにちは」
「・・・気安く挨拶を交わす仲になったつもりはないぞ」
「こんにちは、ネギ先生。アスナさん」
仏頂面のエヴァンジェリンとは対照的に、茶々丸は礼儀正しくお辞儀をする。そんな2人を見て、アスナがニヤッと笑った。
「聞いたわよ、エヴァンジェリンさん。アンタ、ネギのお父さんの事、好きだったんだって?」
ブーッとコーヒーを噴き出すエヴァンジェリン。600年を生きた吸血鬼の真祖の威厳など欠片も無い。
「き、き、貴様あああああ!やっぱり私の夢をおおおおお!」
「・・・そうだったのですか?マスター」
「うるさい!」
恥ずかしさのあまりネギの首を締めつつ、律儀にも従者に反論するエヴァンジェリン。
しかし、すぐに落ちついたのか、静かに椅子に座りなおした。
「だが、奴は死んだ。10年前にな・・・」
過去のナギとのやり取りを思い浮かべながら、エヴァンジェリンは続ける。
「私の呪いも、いつか解いてくれるという約束だったのだがな・・・まあ、くたばってしまったのならば、仕方あるまい・・・」
「ま、待って下さい!僕、父さんと会った事があるんですよ!」
「何だと?奴は確かに死んだ。お前は奴の死に様を知りたかったんじゃないのか?」
コーヒー片手に、身を乗り出すエヴァンジェリン。その顔には『適当な事言ってると、ただでは済まさんぞ』とハッキリ書かれている。
「違うんです。だって6年前の雪の夜、僕は確かにあの人に会ったんです。その時、この杖を貰ったんです!」
「・・・奴が・・・サウザンドマスターが生きていると言うのか?・・・フフ・・・ハハハ・・・ハーハッハッハ!そうか!奴は生きていたのか!」
一転して上機嫌に変わるエヴァンジェリン。その様子にアスナは少々呆気にとられ、茶々丸は嬉しそうに笑顔を作る。
「坊や。京都に行ってみろ。そこに奴が一時期、住んでいた家がある筈だ。奴の死がウソだと言うのなら、何か手掛かりくらいはあるかもしれん」
「京都!?あの有名な街ですよね?でも困ったな・・・休みも旅費もないし・・・」
「ふうん、京都かあ・・・ちょうど良かったじゃん。ねえ?」
「ハイ」
アスナの言葉に、相槌を打つ茶々丸。そんな2人を、ネギは首を傾げながら見ていた。
学園長室―
「修学旅行の京都行きは中止!?」
近右衛門に呼び出されたネギは、ショックで床に崩れ落ちた。つい先程まで、修学旅行で京都に行くと聞かされたネギは『これで父さんの手がかりを探せる!』と喜びの絶頂にいたのだから、ガックリするのも仕方ないかもしれなかった。
「まあ、落ち着きなさい。まだ決定した訳ではない。ただ先方―関西呪術協会が嫌がっておってのう」
「関西呪術協会?」
「そうじゃ。儂らが所属する関東魔法協会とは、昔から仲が悪いんじゃよ」
顎鬚を擦りながら、近右衛門は一字一句噛みしめるように、丁寧に説明する。
「今年は魔法先生が1人行くと伝えたら、京都入りに難色を示してきたんじゃ。多分に嫌がらせのつもりじゃろう」
「そんな事をするんですか!?」
「じゃがの、本気で関東魔法協会を毛嫌いしている者は、正直言って、少数派なんじゃよ。大半は儂らが関西呪術協会にちょっかいをかけてこないなら、敢えて自分から喧嘩を売る必要は無い、という穏健派が大多数を占めておるんじゃ」
関西呪術協会の実情を説明され、ウーンと考え込むネギである。
「今回の嫌がらせは、少数派が騒ぎたてた結果じゃよ。じゃがの、儂としてはそろそろ仲直りしておきたいんじゃ。その為の特使として、ネギ君には修学旅行に京都へ同行し、向こうの長にこの親書を渡して貰いたいんじゃよ」
「は、はい!分かりました!」
「うむ。ひょっとしたら、道中、少数派による妨害工作があるかもしれん。一般人には迷惑をかけぬとは思うが、用心だけは忘れんようにの」
親書を受け取るネギ。肩に乗っていたカモが、珍しそうに親書に視線を向ける。
「関西呪術協会の事で分からない事があれば、シンジに話を聞きなさい。あれは関西呪術協会を良く知っておるからの」
「シンジさんですか?」
「うむ。あの子は昨年の夏まで、関西呪術協会に在籍しておったんじゃよ。更に言うなら、あの子の陰陽道の師匠の1人は、向こうの長じゃ」
目を丸くして驚くネギとカモである。木乃香の兄で、学園長の孫とは聞いていたのだが、関西呪術協会の長にコネがあるとは欠片も予想していなかったからである。
「だ、だったら、どうして特使が僕なんですか?シンジさんなら顔パスなんじゃあ」
「あの子は関西呪術協会を追放された身でな、向こうの長から身柄を引き取ってくれるように頼まれておったんじゃ。だから京都にまでは同行できても、関西呪術協会の本部へは絶対に立ち入ろうとしないじゃろう。故に、ネギ君に頼みたいのじゃ」
「はい!分かりました!」
翌日―
修学旅行用の服を買う為に、ネギは木乃香やアスナとともに街中へショッピングに出かけていた。麻帆良は学園都市という事もあり、修学旅行というイベントに合わせて、至る所でバーゲンを始めていたからである。
これ幸いとばかり、ネギを着せ替え人形としていた木乃香だったが、その際にネギのポケットから姿を見せている物に気がついた。
「ん?何やの、これ?」
木乃香が手にしていたのは、仮契約 カードである。
「あー!かわええなー!」
「こ、木乃香さん!?」
カードを羨ましそうに見つめる木乃香。もともとグッズ商品を集めるのが好きなので、彼女が興味を引かれたのも仕方が無いかもしれない。
「これはアスナやな。それからこっちはお兄ちゃんか」
(・・・ちょっとネギ、これ何?)
(仮契約の証ですよ)
ヒソヒソと会話するネギとアスナ。
「ちゃんと近衛シンジって書かれてるんやな」
木乃香に差し出された仮契約カードに目を通すネギ。符を構えたシンジの足の部分には、はっきりとKONOE SINJIと記載されていた。
改めて、マジマジとカードを見直すネギである。その一方で、木乃香はアスナの仮契約カードを食い入るように見つめていた。
「それにしても綺麗でかわえーなー。ウチもほしーわー」
その言葉に、カモの目がキュピーンと輝いた。
その後、試着室でカモに唆されたネギの口車にのった木乃香が頬っぺたにキス。不完全な仮契約を果たした2人だったが、それがアスナにバレて、首謀者であるカモは折檻を受けたそうである。
買い物終了後―
ズタボロになったカモを鷲掴みにしたアスナは、ネギと木乃香とともに時間潰しがてらウィンドウショッピングを楽しんでいた。
だがある光景に気付いた瞬間、アスナはネギと木乃香の襟元を掴むと、咄嗟に物影に飛び込んだ。
「ど、どないしたん?アスナ」
「し!静かに!」
口に手を当てて静かに、とジェスチャーするアスナ。それから眼で『あっちを見て』とアイコンタクトをする。
釣られるように視線を向けた木乃香とネギは、小さく『あ!』と声を上げた。
(・・・アスナ、追いかけるえ)
(OK。行きましょうか)
(あわわわ・・・そっとしておいてあげましょうよ〜)
だがネギの思いも空しく、3人と1匹は尾行を開始した。
紳士服取扱店―
「これなんて、どうかな?」
「うーん、ちょっと物足りないかなあ・・・」
シンジは修学旅行用の服を買う為に、紳士服専門店にいた。一応、教員扱いで京都へ行くので、スーツ姿を求められたのである。
ところが致命的な事に、シンジはスーツを持っていなかったのである。その為、タカミチが買いに行っている紳士服専門店へ顔を出したのである。できればタカミチに同行をお願いしたい所だったが、残念ながら所用でタカミチは同行できなかった。他に紳士服の購入に付き合ってくれる者に心当たりも無かったシンジは、店員さんに相談すればいいやと気楽にお店へ向かったのである。
しかし街に出てみれば、バッタリとハルナ・夕映・のどかと遭遇。シンジの買い物の理由を知ったハルナは『私が見立ててあげる!』と張り切って同行を希望したのである。
「無地の白のYシャツじゃダメかな?」
「甘い!甘すぎる!どうせなら薄い水色や黄色とかのパステルカラーの方が良いわよ!ネクタイだって必要なんでしょ!?」
ハルナの剣幕に、タジタジとなるシンジ。少し離れた所では、40代ぐらいの女性の店員さんが、口に手を当てて笑いを必死に堪えていた。
ちなみに夕映やのどかも同行したのだが、2人は初めて入った紳士服専門店で好奇心を刺激されたのか、シンジ達に構う余裕すらなかった。
「えっと、これとこれの組み合わせで、まず1つは決定ね。それから次は・・・」
ハルナがシンジを着飾らせようとするのにも訳がある。ハルナにしてみれば、正直な所ライバルなど増やしたくないという思いはある。
と言うのも、潜在的ライバル候補が意外に多いからであった。ハルナが見る所、聖ウルスラの高音や、本校に通う愛衣や芸大付属の萌は仲の良い先輩・後輩という感じである。親友の1人である夕映は意地の悪い兄とからかわれる妹という関係であるし、最近は鳴滝姉妹や美空もそれに近い関係となりつつある。木乃香は純粋に仲の良い兄妹だが、シンジが養子である以上、決して油断はできない。理由は分からないが、普段は世捨て人的な雰囲気を漂わせているエヴァンジェリンも、シンジが相手であればそれなりに会話はする。真名・刹那・楓も、やはりハルナには理由は不明だが、シンジとよく話しているのを見かけている。そして最大の強敵として、相坂さよが挙げられた。60年通して初めて自分を見て貰えた相手である為か、さよはシンジに無条件で好意的なのである。
「全く、悩ませられるわ・・・」
「ん?どうかしたの?」
「ううん、何でも無いです!それより、こっちこっち!」
だがライバルが増えると分かってはいても、シンジには着飾って貰いたいという思いもあった。矛盾してはいるが、複雑な乙女心と言う奴である。
何せ、普段のシンジは目元を隠しているので、容貌は標準以下。というか不審人物扱いされてもおかしくない。
そのせいでシンジは評価が低いのだが、ハルナはシンジがそうではない事を知っている。
(・・・最初は一目惚れだったんだよね・・・)
いつのまにか本気になり、一度は振られ、それでも振り向かせてやると思った相手。一見すると欠点の無いパーフェクト超人に見えるが、それでも意外な所で欠点を見つける事が出来る。
その一例がファッションである。
「そういえばシンジさん、いつも制服でネギ先生の補佐してますよね?」
「そうだよ。あれ高等部の制服だからね。制服だと何を着て行こうか悩まなくて済むから便利だよ」
「そりゃあまあそうだけど、普段の私服は自分で買っているんでしょう?」
「そうだよ。といってもバーゲン品だけど」
ネクタイを手に取りながら、自分なりにYシャツとの組み合わせを考えているらしいシンジに、顔を綻ばせるハルナ。組み合わせ自体は褒められたものではないが、自分で考えている分、まだマシである。
「私から言わせて貰えるなら、あの平常心は止めた方が良いと思うな」
「そうなの?」
「うん。あれはシンジさんには似合わないと思う」
バッサリと切り捨てるハルナに、シンジも苦笑いするしかない。
「まいったなあ。僕の私服ってああいうのばかりなんだけど・・・」
「だったら、ここが終わったら私服も買いに行くわよ!」
「ええ?まだ買うの!?」
すでに一軒目で疲れ切っていたシンジであった。
その後、夕映やのどかと分かれたハルナは、シンジとともに私服を買いに街へ繰り出した。
ちなみに夕映とのどかが後をつけているのは言うまでも無い。
その途中でアスナやネギ、木乃香も合流し、追跡者は更に数が増していた。
(・・・みんな、暇ねえ・・・)
(その言葉、そっくりそのまま返すです)
彼女達の視線の先では、ハルナがシンジのズボンを見立てていた。最初、シンジが選んだのは迷彩柄のズボンだったのだが、ハルナは即座に却下し、他のズボンを試着させたのである。
(お兄ちゃん・・・迷彩柄は幾らなんでも無いと思うえ・・・)
(全くです。戦場にでも行く気なのでしょうか?)
木乃香の感想に、夕映が街で見かけた『飲むヨーグルト強炭酸』を味わいながら同意する。同じものをネギも勧められたのだが、ネギは一口目で飲み干すのを素直に諦めた。
(・・・今度は上着みたいですね・・・え?ええ!?)
硬直するのどか。周辺にいたアスナ達も、シンジの選択に言葉を失っていた。
(何でそんな特攻服みたいな物の前で止まるですか!)
シンジはお店の一画に飾られていた白い学ランの前で足を止めていたのである。ハルナが気付いて手に取る前に止めさせたようだが、時折、チラチラとみていた。
(・・・ハルナも大変やなあ・・・)
(・・・良く考えてみれば、シンジさんがファッションセンス皆無なのは仕方ないですよ。あの人の過去が話してくれた通りだとすれば、お洒落なんてさせて貰えなかった筈ですから)
(確かにそうよね・・・)
アスナ・木乃香・夕映はシンジの過去の一端を直接聞いている。のどかはハルナと一緒に夕映経由で耳にしていたので、夕映の言葉には素直に頷いていた。
(アスナさん、シンジさんって何かあったんですか?)
(・・・一言でいえば、まともな親じゃなかったって事よ)
やがて買い物は終わったのか、レジで精算するシンジとハルナ。買い物は全て終わったらしく、2人揃って寮へと足を向けた。
「そろそろ私達も帰りましょうか」
「そやな。思いがけない追跡劇で疲れたえ〜」
翌日―
桜子・円・美砂のチア部3人娘は、修学旅行用の私服を買いに、街へと足を伸ばしていた。
普段は麻帆良学園都市から出る事も無いので、久しぶりの外出と言う事で全力ではしゃいでいる。
「良い天気だし、いっちょカラオケでも行こうか!9時間耐久だよ!」
「よーっし!幾らでも歌っちゃうよ!」
「コラコラ、予算少ないんだから無駄遣いしてると」
ツッコム円。だが2人はそんなツッコミ等全く聞いていない。
「ゴーヤクレープ1つちょうだい!」
「あ、私も!」
「話聞け!そこの馬鹿2人!」
早くも頭を抱える円である。何のために街まで来たんだか、と独り呟いていると、声をかけられた。
「釘宮さん達も来てたんだ。今日は部活は休みなの?」
「近衛さん!?どうしてここに?」
基本的に、シンジは贅沢とは無縁だし、着飾る趣味も持っていない。なので、シンジと街で会うとは全く予想していなかったのである。
「ちょっとした買い物だよ。こっちまで出てこないと、良いのが無かったんでね」
ゴーヤクレープを手に入れた2人も、シンジに気付いて駆け寄ってきた。
「それで、何を買いに来たの?」
「筆だよ。ここの裏通りに良い商品を扱っている所があるって教えて貰えたんで、そこへ行く途中なんだ」
「筆?絵とか描くのに使う筆?」
「そうだよ。良かったら一緒に来る?骨董品なんかも取り扱ってるみたいでね、雪広さんが教えてくれたんだ」
委員長のお勧めというお店なら、敷居が高い事ぐらいは容易に想像がつく。だがそんなお店の商品とやらを、一度ぐらい見てみたい、という好奇心もあった。
「2人ともどうする?私、ちょっと見てみたいんだけど」
「良いんじゃない?時間はあるしね」
「よっし!それじゃあ、行こうか!」
こうしてシンジは、チア部3人娘とあやかに教えて貰ったお店へと足を向けた。
雑貨店『向日葵』―
表通りから1本入った裏通りに、そのお店はあった。レンガ風の建物は、こじんまりとした小さな建物である。
「ここか」
「近衛さん、どうみても委員長が来るようなお店には見えないんだけど」
「でも商品は良いらしくてね、ここの主は掘り出し物を探してくるのが得意らしいんだ」
『へえ』と感心したように呟きながら、お店に入る4人。カランカランとドアに付けられたベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
お店のレジに座っていた少女が声をかける。3人娘は好奇心の赴くままに店内を物色し始め、思ったよりも良心的な価格に、目を見張っていた。
「こんにちは。商品の取り寄せをお願いしていた近衛シンジです」
「はい。御希望の商品は、ここ・・・に・・・その声、まさか碇君!?」
商品を取り出そうとしていた少女が、慌てて立ちあがった。黒い長髪に、眼鏡を掛けたエプロン姿の、大人しそうな文学少女である。
「・・・山岸さん!?」
予想もしなかった出会いに、硬直する2人。3人娘も突然の出来事に、思わず耳を澄ませてしまう。
少女の手が、震えながらシンジの前髪をよける。普段のシンジなら止めただろうが、過去のシンジを知る少女が相手では、隠す理由もなかった。
露わになった、かつての面影を残す少年に、少女が顔を歪める。
「・・・変わらないんですね。少し大人っぽくなったけど、昔と全く変わらないんですね」
「そうかな?」
「そうですよ。でもどうして前髪を伸ばしているんですか?」
「色々理由があってね。できれば訊かないで欲しいんだ」
ちょっと困ったようなシンジの口調に、少女はクスッと笑う。
「・・・NERVはどうしたんですか?」
「あそことは縁を切ったんだ。悪いけど、できればその話も止めて欲しい。もうあそこには戻りたくないんだよ」
「はい、いいですよ。碇君には命を救われましたから。それぐらいなら約束できます。誰かに訊かれても、知りませんって答えておきますから。それで良いですか?」
「うん、ありがとう。それと今は近衛という名字なんだ。できれば近衛で呼んで欲しい」
山岸マユミ。使徒との戦いの最中に出会い、別れた少女との1年半ぶりの再会だった。
アルバイトの時間がもうすぐ終わる事を聞いたシンジは、久しぶりに再会したマユミと話をしようと時間を約束して店を出た。
その後を、チア部3人娘が当然のように追いかける。
「近衛さん、かなり可愛い子だったけど、昔の恋人?」
「違うよ。中2の時のクラスメートでね、文化祭でバンドを組んだ時に、あの子にボーカルをお願いしたんだよ」
「ちょ、ちょっと待って!すっごくツッコミたいんだけど!近衛さんがバンド!?さっきの大人しそうな子がボーカル!?」
桜子が驚くのも無理は無い。他の2人も顔を見合わせて頷きあう。
「色々あってね。成り行きでバンドをやったんだ。あの子―山岸さんっていうんだけど歌が上手なんだよ。一見すると、ただの大人しい女の子にしか見えないだろうけどね」
「へえ・・・」
「でもこんな所で会うとは思わなかったな。てっきり外国にいると思ってたから」
その言葉に『外国?』と訊き返す美砂。
「山岸さんのお父さんは、国連の職員なんだ。だから以前クラスメートになった時も1ヶ月経たないうちに転校しちゃってね」
「1ヶ月で転校って、滅茶苦茶大変じゃない?」
「だと思うよ。友達作る事もできない、って言ってたからね。山岸さん、いつも独りだったから」
いつも独りの学校生活。その寂しさはどれほどの物なのか、美砂達には想像すらできなかった。3−Aはいつも賑やかで、常に笑顔に溢れているから。
「さてと、僕はしばらく山岸さんを待つ事にするよ。釘宮さん達もあまり遅くならないようにね」
そう言うと、シンジは適当に時間を潰す為に、手近な所にあった本屋へと姿を消した。
麻帆良学園女子寮中等部―
携帯電話の鳴る音に、ハルナは気づいた。ディスプレイに表示されているのは、柿崎美砂である。
「もしもし?」
『早乙女!大変よ!今、どこにいるの!?』
「ん?自分の部屋だけど・・・」
買ってきたお菓子をのどかや夕映と食べながら、他愛のないお喋りをして楽しんでいたのである。幸い、原稿の〆切には余裕もあり、まだ自由を満喫していられた。
『良い?すぐに駅前へ来なさい!大変な事になったわよ!』
「ど、どうしたのよ?」
『近衛さんの昔の女よ!』
「何いいいい!シンジさんの昔の女あああああ!?」
ハルナの声量は、女子寮全体に響き、何事かと全員が廊下へ顔を出していた。室内にいたのどかや夕映も驚いて、飲んでいたジュースに噎せっている。
『私達が尾行しておくから、早く来なさいよ!敵は強敵だからね!歌が上手な文学少女よ!しかもすっごい可愛い、元・同級生!』
「すぐ行くわ!」
慌てて身支度を整えるハルナ。そのまま全速力で飛び出していく。
「ゆえゆえ!」
「分かってるです!追いかけるですよ!」
同じく後を追いかける夕映とのどか。だがハルナの声量はあまりにも大きすぎた為、女子寮にいた3−Aメンバー全員が追いかける事になるとは、誰も予想していなかった。
30分後―
アルバイトを終えたマユミは、学校指定の制服に着替えてお店から出てきた。そこへシンジが歩み寄る。
「山岸さん、この辺りの学校に通ってたの?」
「近いと言えば近いけど、麻帆良ではないの」
「そうなんだ。それはそうと、どこか喫茶店でも行こうか。奢るからさ」
その言葉に、クスッと笑うマユミ。
「まるでナンパしてるみたいです。そういえばさっきも女の子3人連れてましたよね?」
「あの子達は、僕が寮監を務めている寮の子だよ。偶然、ここで鉢合わせたんだ」
「分かりました、信じてあげます。その代わり、紅茶をケーキ付で奢って貰いますからね」
そう笑いながら告げると、マユミはシンジの手を取り、行きつけの喫茶店へと足を向けた。
「おお、あの子やるわね。近衛さんをリードしてるよ」
「見かけからは想像できないほど、アグレッシブな性格なのかな?」
「早乙女、早く来ないとまずいぞ!」
3人の前では、オープンテラスで談笑しているシンジとマユミがいた。昔話に花が咲いているのか、和気藹々とした雰囲気である。
「シンジさんは!?」
「遅かったじゃない・・・って、アンタらねえ、何、全員で来てんのよ!」
そこには3−Aメンバーがズラッと立っていた。いないのは寮に住んでいないエヴァンジェリンと茶々丸ぐらいである。
「しかもさよちゃんやネギ先生まで来てるし」
「「あはははは」」
「それで、相手と言うのはどこにいるんだ?」
冷静な真名の言葉に、円が無言でオープンテラスの一画を指差す。
「名前は山岸マユミ。近衛さんが第3新東京市に住んでいた頃の元・同級生。文化祭で近衛さんとバンドを組んだ事があって、彼女はボーカルを務めた事があるそうよ。クラスメートだったのは1ヶ月だったらしいけど、あの様子を見る限りでは、性格面の相性が良かったんじゃないかな?」
「しかし綺麗な御仁でござるな。どちらかというと美人と言うよりは、可愛いと言うべきでござるか」
「クッ!可愛いと言うなら私達の方が!」
不用意な発言をする風香。史伽が慌てて止めようとしたが、既に遅かった。
「風香ちゃん?私のシンジさんに手を出すつもりなのかな?」
「ヒイイイイイイイッ!」
恐怖心から、楓の背中に隠れる風香。一瞬だが、ハルナの髪の毛が蛇のように揺れ動いて見えたのは、気のせいに違いないと史伽は必死で思いこんだ。
「でも近衛さんの元の名字を知る事が出来たのは、予想外だったよ。あの子、近衛さんのこと『碇君』って呼んでたからね」
その言葉に、思わず楓が訊き返す。
「釘宮殿。今、『碇』と言ったでござるか?」
「うん、そう言ってたよ。あの子が碇君って呼んだら、今は近衛だからそう呼んで欲しいって言ってたわ」
「碇・・・第3新東京市・・・まさか・・・」
何やら考え込む楓。真名や刹那が訝しげに楓を見るが、楓は思考に忙しいのか、全く反応しない。
「お、どうやら移動するみたいだ。みんな、後をつけるよ?」
少し歩いたシンジとマユミは、小さな公園の一画に座って話をしていた。
「ねえ、近衛君。今はどんな事をしてるんですか?さっき寮監って言ってましたけど」
「寮の管理者と、厨房の責任者を務めてるんだ」
「そうなんですか。お仕事は楽しいですか?」
「楽しいよ。1年365日通して、暴走してくれる寮生がぎっしりいるからね。昔の事なんて、思い出す暇もないぐらいだよ」
かつてはシンジもマユミも、大人しく寡黙な、ハッキリ言ってしまえば暗い性格だった。マユミの場合は過去のトラウマや、頻繁に転校していたという事情もあったのだが。
「そういえば、山岸さんがバイトしているのにも驚いたよ。何でまたあそこで?」
「お店の雰囲気が気に入っちゃったんです。張り紙で募集してたから、履歴書も持たずに突撃しちゃって。幸い、お父さんの仕事も落ち着いてきていたし、しばらくはこの辺りにいられる事になったというのも理由なんですけどね」
昔からは考えられないほどのアグレッシブさに、目を見張ったシンジである。
「私、第3新東京市から離れる日に自分を変えようって誓ったんです。私が自分を変える事が出来たのは、近衛君のおかげなんですよ、ありがとう」
「僕は何もしてないよ。山岸さんが強かったんだよ」
「そんな事無い。あの時、近衛君が飛び降りた私を助けてくれなければ・・・きっと使徒の宿主となった事に絶望したまま、地面に叩きつけられて死んでいた・・・」
今でもたまに悪夢に見るほどの恐ろしい体験。それほどまでに、使徒の宿主となった経験は、強い恐怖をマユミに与えていた。
「本当にありがとう。あの時、近衛君が助けてくれたから、私は今、こうして幸せに生きていられるんです」
正面からの感謝の言葉を口にしてきたマユミに、シンジは束の間だが、見惚れていた。
「ちょ、ちょっと良い雰囲気すぎない?」
「近衛さん、幾らなんでもマズイよ!」
「はは、連絡したのはまずかったかな」
チア部3人娘の後ろには、漆黒のオーラを放つハルナが出現していた。史伽や夏美、のどかやネギといったメンバーは、楓や千鶴らの背後に隠れている。それほどまでに、ハルナのプレッシャーは大きかった。
「ハ、ハルナ。今は我慢するですよ」
「ふふふ、何を言っているのかな?ゆえ吉くん。私は何にも怒っていませんよ?」
「ヒ、ヒイイイイイイイ!」
さすがにこれ以上はハルナが暴走しかねないと判断したのか、3−A武道四天王による強制捕獲案すら出てくる始末である。
「みんな、ここは任せてな」
「木乃香?」
「ウチは妹やから、お兄ちゃんの近くに行っても、何も不思議はないえ」
ポンと手を叩く一同。確かに木乃香の言う通りである。
「頼んだわよ、木乃香!」
「任してや」
「お兄ちゃん!」
聞き覚えのある声に、シンジは顔を上げた。そこにいたのは、私服姿の木乃香である。
「木乃香。今日は買い物?」
「うん、そうや。それよりお兄ちゃん、隣の人は誰や?」
「ああ、この人は山岸マユミさん。昔の同級生だよ。山岸さん、この子は木乃香。養父の娘でね、僕の妹になるんだ」
「それで名字が変わっていたんですね。初めまして、木乃香さん。私は山岸マユミと言います」
ペコリと頭を下げるマユミ。木乃香も慌ててお辞儀で返す。
「ところでな、お兄ちゃん。うち、1つだけ確認しておきたいことがあるんや」
「何?」
「うちはハルナと山岸さんの、どちらをお義姉ちゃんと呼ぶ事になるんやろうか?」
絶句するシンジ。そこでマユミも感づいたのか、眼鏡をキラーンと光らせる。
「近衛君、妹さんのクラスメートにご執心なんですか?」
「妹のウチから見ても、満更ではないように見えるんやけどなあ・・・」
「こ、木乃香!」
「何、言うとるんや。一度はハルナの事振ったのに、デートに誘ってるやん」
言葉も無いシンジ。客観的に見れば、未練があるとかその気があるとか思われて当然である。
「近衛君、いつからそんなに女たらしになっちゃったんですか?奥手で優しかった碇君とは大違いですね」
「山岸さん!?」
「木乃香さん、良かったら第3新東京市時代の近衛君について話してあげましょうか?」
「興味あるわ」
「止めてくれ!」
本気で慌てるシンジに、クスクスと笑いだす2人。『興味があったらアルバイト先まで来て下さいね』というマユミに、シンジが顔を覆う。
「でもね、木乃香さん。私が近衛君と恋愛関係になる事は多分、無いと思うの。だって私達は、あまりにも似すぎているから。まるで自分自身を鏡で見ているようにね」
「そうなん?」
「近づけば近づくほど、自分自身を見せつけられるような感じになっちゃうんです。私のお父さんはね、本当のお父さんじゃないの」
その言葉に、木乃香が目を丸くする。
「山岸さん、その事は口にしない方が」
「大丈夫よ。私は今のお父さんの事が大好きだから。だから、私はもう、あの事で苦しんではいないの」
ニコッと笑うとマユミは言葉を続けた。
「私の本当のお母さんはね、本当のお父さんに殺されちゃったの」
絶句する木乃香。物陰で耳を澄ましていた3−Aメンバーも、同じように言葉を失っていた。
「だからかな、私は私と同じように苦しんでいた、近衛君に惹かれたんです。私は本当のお父さんじゃない、という理由でお父さんに対して心を閉ざしていました。でも、同じような心の傷を持っていた近衛君なら、私の苦しみを理解してくれるんじゃないかと思ったから」
「山岸さん・・・」
「近衛君、ううん碇君。私はね、碇君がここにいる理由を訊ねたりしない。あの頃に碇君が課せられていた事を考えれば、あの後、きっと酷い事があったんだって想像できるから」
ザーッと風が吹き、桜吹雪がシンジとマユミの間を遮るかのように舞い散る。
「あの頃の碇君は、頼りなく見えたけど、私にとっては命の恩人で、ヒーローだったんです。だから私は、第3新東京市を離れる時に、今度、碇君に会う時には『今は幸せだよ』って言えるようになろうと思いました」
「・・・僕は・・・」
「大丈夫です。碇君は強い人ですから。今は体を休めているだけで、必ず立ちあがる事が出来る人です。私はそう信じているんです」
マユミの両手が、シンジを引き寄せる。木乃香が止める間もなく、シンジとマユミが一瞬だけ1つになっていた。
「これは、命を救って貰ったお礼です。それと決別。碇君が『今は幸せだよ』って言えるようになったら、またあのお店へ来て下さい。今度は私が自分で作ったお菓子で、一緒にお喋りしたいですから。それじゃあ、またね。会えて嬉しかったよ、碇君」
そう告げると、マユミはシンジの呼びとめる声を置き去りに、公園から走り去った。
追いかけようとして、だが足を止めてしまった兄の姿に、木乃香は口を開いた。
「お兄ちゃん、追いかけなくてええん?」
「・・・山岸さんは過去と折り合いをつけているんだ。過去に折り合いをつける事が出来ない今の僕が、傍に寄って良い相手じゃないんだよ」
「ふうん・・・まあお兄ちゃんがそう思うとるんなら、ええんやけどな」
時計にそっと視線を向ける。時間はまもなく午後の3時を迎えようとしていた。
「少し時間を潰してから帰るかな・・・木乃香は?」
「ううん、どうしようかなあ・・・」
「だったら私に付き合って下さい!」
突然の声に、ビクンッと身を竦ませるシンジ。振り向いた先には、腰に手を当て仁王立ちしているハルナがいた。
その肩越しには、どこか見覚えのある顔が鈴なりにならんでいる。
「・・・何、この野次馬の集団は?」
「そんな些細な事はどうでも良いんです!さ、私が振り回してあげますから、行きますよ!」
「ちょ、ちょっと!?」
首根っこを引っ掴まれて、ハルナに強制連行されるシンジ。その姿は、あっという間に人混みの中へと消えてしまった。
「あはは、ハルナ、物凄い顔しとったな」
「考えてみれば、ハルナはシンジさんに一番近い場所にいるです。なのに、ハルナは直接シンジさんから過去を教えて貰った事がないんです。そこへ今日の一件ですから、よほど腹が立ったのではないでしょうか?」
夕映の言い分に、全員が揃って頷く。そもそも養子入りする前の名字すら、知らなかったのだから、ハルナが嫉妬するのも仕方ないかもしれなかった。
「まあ明後日からは修学旅行だし、パルも少しは進展するんじゃないかな?」
「そうだね、少しぐらい協力してあげるとしますか」
To be continued...
(2012.01.01 初版)
(あとがき)
紫雲です。今回もお読み下さり、ありがとうございます。
修学旅行前日譚と言うべき話でしたが、如何だったでしょうか?
作者として言わせて頂ければ、今回は『山岸マユミ、シンジを振る!』と言った感じの話に仕立てたつもりです。
ゲーム版のマユミは気弱かつ大人しい性格でした。今作においても基本コンセプトは残して、だけど芯が強い女の子へ成長した。そんなイメージで纏めたつもりですが、皆さんから見たらどうでしょうか?手前味噌ではありますが、結構、好感の持てる性格へと成長させたつもりです。
対するシンジは、マユミの変貌に自分の現状を突きつけられ、困惑します。シンジの立ち位置は、ネギを導く加持の様な立場ですが、所詮はまだ15歳。過去に囚われ続け、成長を止めてしまっていた。その事実に気付いたシンジは、マユミを引きとめられずに見送る・・・と言った感じです。
意識して恋愛要素(ハッピーエンドではないですが、綺麗な終わり方)を増やしてみましたが、楽しんで頂ければ幸いです。
話は変わって次回ですが、修学旅行編となります。
原作においてはネギのライバルであるフェイトや小太郎が登場。更にシンジの師匠でもある千草も登場し、ネギやシンジの行く手を阻みます。
大体5〜6話ぐらいになりますが、次回も宜しくお願い致します。
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