正反対の兄弟

第五十二話

presented by 紫雲様


バウンティハンターギルド―
 ジェイル救出の依頼を成し遂げ、2000万ドラクマの賭け金をせしめたゲンドウとキョウコ。ジェイルもギルド付設の酒場専属料理人という新たな職を手に入れ、一応は平穏を取り戻した翌日。ゲンドウとキョウコは来客を迎えていた。
 「・・・何で来たんだ。これでは有耶無耶にしようとした努力が台無しではないか」
 「全くね。マーリアが言っていたでしょ?アタシ達賞金稼ぎは護衛をやっちゃいけないのよ」
 「それは十分に理解しておる!じゃが、妾はそんなのは嫌じゃ!お主らは命の恩人ではないか!」
 周囲では、強面の賞金稼ぎ達が2人の身分を無視した暴言に、事の成り行きを固唾を飲んで見守っている。同時にテオの護衛としてついてきた正騎士達は、こめかみに青筋を立てながら怒声を必死になって堪えていた。
 だが良く考えてみれば、滑稽な光景ではある。片方は報酬なんていらないと突っぱね、もう片方は報酬を受け取ってくれ、とごり押しする。そこに裏があればまだしも、テオドラにそんな考えは全く無い。寧ろ純粋な感謝の念を持っているからこそ、テオドラは皇族と言う身分でありながらも、呼びつけたりはせずに直接足を運んでいる。それはゲンドウやキョウコにも理解出来た。だがその感謝の念が、今の2人にとっては有難迷惑なのも事実である。傭兵ギルドに文句をつけられるのが面倒臭いからであった。
 「悪いが帰って欲しい。君の気持ちは分かるが、余分なトラブルを抱え込むような暇は私達には無い」
 「傭兵ギルドが問題だと言うなら、こちらで何とかする!妾は恩知らずにはなりたくないのじゃ!それが母上やマーリアが教えてくれた事なのじゃ!」
 堂々巡りの事態に、ゲンドウが『強制的に連れ帰ってくれ』とばかりに後ろの正騎士に視線を向ける。だが正騎士達にしてみればゲンドウの思惑など知った事では無い。彼らにしてみれば『姫様の御恩情を早く受け取れ』と怒鳴りたくて仕方が無かった。
 そんな時だった。
 ギルドのドアが開き、人影が姿を見せる。その人影は周囲の空気は無視して、カウンターに立っていたカインに近付き、封筒を渡しながら何かを囁く。
 厨房から出ていくカイン、しばらく立つと、カインは戻って来て来客と一緒にセシリアの元へと案内して行く。
 その光景を、ゲンドウとキョウコは不審そうに眺めている。その内に、今度はカインが1人で戻って来た。
 「おいゲンドウ、キョウコ。ギルド長が緊急の用件で呼んでるぜ。テオドラ姫様と一緒に、ギルド長の部屋へと向かってくれ」
 「「・・・はあ?」」
 「良いからとっとと行けって言ってんだよ!」
 まるで急きたてられるかのように移動するゲンドウとキョウコ。その後にテオドラと正騎士達が続く。
 ギルド長の部屋へ入る一行。中にはセシリアと、来客がもう1人待っていた。
 「よく来てくれたわね、2人とも。テオドラ様はそちらにお座り下さい」
 「うむ。ありがとうなのじゃ・・・ん?」
 テオドラが既に室内にいた来客者の顔を覗き込み、次の瞬間、絶叫した。
 「父上!?」
 「「はあ!?」」
 唖然とするゲンドウとキョウコ。護衛代わりの正騎士達は、慌てて非礼を詫びて膝まづいて礼を取る。
 「よいよい、それより卿らは下がっておれ。ここから先は内密の話になるからな」
 ヘラス帝国皇帝の言葉に、正騎士達が席を外す。その上で、皇帝はゲンドウ達に顔を向けた。
 外見年齢は40代後半。豊かな髭をたっぷりと蓄えた、渋い男である。今の格好は薄汚れたコート姿だが、キチンと正装すれば威風堂々たる姿に変わる事は容易に想像出来た。
 「この度は娘テオドラを助けて貰って感謝している。俺の事はマイクと呼んでくれ。昔から、そう呼ばれておったのでな」
 「この人は皇帝になる前は、冒険者として活動していたのよ。勉強嫌いなアホ皇子、女好きなダメ皇子としても有名だったけどね。マイクというのはその頃の通り名って訳」
 「あの頃が懐かしいぜ。久しぶりに遺跡荒らしにでも行きたいが、周りが煩くてな。口を開けば『危険だからお止め下さい』だ。安全な遺跡荒らしなんて物があったら、こちらがお目にかかりたいくらいだ」
 ヤレヤレと肩を竦めるマイク。
 「宝物手に入れて、場末の酒場で姉ちゃん相手に朝になるまで安酒かっくらって高鼾で満足するまで眠りてえもんだぜ」
 「この腐れ親父は小さい娘の前で何を戯けた事を言っているのかしら?」
 「そう思うなら、セシリア。お前こそギルド長なんて止めて俺の所に来いよ。お前ほど気が合う女を、俺は他に知らん。お前の為なら後宮の2つや3つ用意してやるぜ」
 初めて目にした実父の一面に、テオドラが呆気に取られる。ヘラス帝国皇帝マイクロフトと言えば、剣豪皇帝として名を知られる武人としても有名であった。反面、政治に関しては、あまり優秀ではないものの、他者の意見を受け入れる度量の広さ故に、支持者はかなりの数に上るのも事実である。
 「その手癖の悪さを何とかしろと言ってるのよ。それよりここへ来た用件を済ませたらどうなの?」
 「ああ、そうだった・・・実はお前達に内密で仕事を頼みたい。事は非常に重大な問題だ。場合によっては帝国その物が傾きかねないほどにな」
 「・・・まずは話を伺いましょう」
 ソファーに座り直すゲンドウとキョウコに、マイクロフトが咳払いをすると口を開いた。
 「実は帝国内部に巣食っている、ある勢力の内偵を頼みたいのだ」
 「・・・それこそ、陛下直属の密偵の出番ではないですか?」
 「確かにそうなのだが、連中を使う訳には行かないのだ。何せ、連中にまで手が伸びている可能性があるのでな」
 その言葉に、ゲンドウが無言で続きを促す。
 「判明しているのは、その一派が軍部に強い影響を持っている事だ。今回の3方向同時侵攻作戦は、全て軍部の主導で行われているからな」
 「・・・軍が陛下の命令も受けずに出動したと!?」
 「独断専行も良いとこだ。おかげで迷惑を被るのはこちらだよ。最悪、俺の帝位辞退も必要になるかもしれんが、それは構わない。軍が暴走している責任は、確かに俺にあるからな」
 父の言葉に、テオドラが心配そうに父親を覗き込む。そんなテオドラの頭を撫でて上げる事で、マイクロフトは娘を安心させようとした。
 「だが俺が責任を取るだけではだめだ。首謀者を見つけ、問題の禍根を断ち切らねば、暴走は何度でも起こるだろう」
 「それで内偵ですか」
 「その通りだ。まずは奴らを油断させる為に、密偵にも指示を下す。だが彼らは囮、本命はお前達だ。ヘラス帝国に巣食う闇を調べて貰いたい」
 想像以上に高難度の依頼に、さすがにゲンドウとキョウコも唸り声を上げて悩みだした。 
 「報酬についてだが、セシリアから話は聞いている。お前達の求める魔法研究者と設備を与えよう。無論、口外はしないし悪用もしない事を誓う。研究資料については、全て処分する事も約束しよう」
 「・・・それを信じろと?」
 「俺はセシリアに嫌われたくないんでな。もっとも、こちらは金で依頼でも構わないぜ。金の方が良ければ5000万ドラクマを出そう」
 考え込むゲンドウ。依頼その物が高難度であるのは間違いないが、報酬は魅力的であった。
 「今回の依頼、仮に受けるとすれば王宮へ入りこむ必要があります。それについては、どのように対応されるつもりですか?」
 「お前達はテオドラの恩人だからな。まずはテオドラがお前達を恩人として招き、そこで息があったから個人的に仲良くなりたいという我儘で開始する。その後は最強のバウンティハンターとしての実力から、護衛者として抜擢という筋書きでどうだ?」
 「そうね、この子の護衛者としてなら動きやすそうよね。少なくとも王宮の中を動くだけなら十分だわ。事実上のフリーパスチケットもあるし」
 「俺様の娘をチケット扱いとは剛毅な娘だ。セシリアが認めただけはあるな」
 苦笑するマイクロフトに、セシリアが『でしょう?』と無言で語りかける。
 「それに教師役としても2人は申し分ないわよ。2人は旧世界の知識、特に魔法が関係しない一般知識や学術知識についても詳しいからね」
 「それはいい。こちらに渡って来るのは魔法関係者ばかりだからな」
 「2人が妾の先生になると言う事か?父上」
 嬉しそうな娘の言葉に、マイクロフトが鷹揚に頷く。
 「この依頼、受けても良いんじゃない?ゲンドウ」
 「そうだね、ここで躊躇っても意味は無いか。よし、この依頼引き受けよう」
 「よし、頼んだぜ。それと筋書きについて打ち合わせをしておきたいんだが、時間はあるか?」
 その言葉に、ゲンドウとキョウコは頷くと、セシリアやテオドラを交えて相談を開始した。

翌日、ヘラス帝国テオドラ皇女私室―
 「笑いを堪えるのが大変だったのじゃ!謁見の時間は退屈でつまらぬのじゃが、今日ばかりは別だったのじゃ!」
 「そうよねえ、まさかコイツの強面が、ここまで破壊力抜群だったとは思わなかったわ」
 謁見の間には、多くの王宮関係者が並んでいた。国政に関わる大臣や上級貴族達、王族の身の回りの世話をする侍従長、更には護衛役の近衛騎士達である。
 そんな彼らが、ゲンドウの強面にすっかり呑まれてしまった光景は、そう簡単にお目にかかれる物では無い。事実、玉座に座っていたマイクも笑いを堪える為に、謁見の間中、ずっと自分の太ももを抓っていたからであった。
 「あのねえ、人の顔を笑いのネタに使わないで欲しいんだけど」
 精神的に参ってしまったのか、いつの間にか普段の高圧的な口調が消えてしまっているゲンドウ。そのせいもあってか、テオドラは今まで以上にゲンドウに対して打ち解けていた。
 「実戦経験豊富な騎士達は警戒しすぎて剣に手をかけるわ、陰謀が日常茶飯事な貴族達は恐怖心から意図的に視線を逸らすわ、他に何を笑えと言うのよ!」
 「全くなのじゃ!おかげで父上の評判は上がったようじゃがな。侍従長が言っておったわ。さすがは陛下、犯罪組織の長を相手に一歩も引けを取らぬとは、とな」
 テオドラの言葉に、キョウコが『プッ』と噴き出し、テオドラと同時にお腹を抱えて笑いだす。一方、いつの間にか賞金稼ぎから犯罪組織の長にクラスチェンジされてしまったゲンドウは、露骨に顔を顰めるばかりである。
 「王宮内も阿鼻叫喚の地獄絵図だったのじゃ!役人達は物陰から怯えて様子を伺い、女官達は誘拐されたくない、手篭めにされたくないと悲鳴を上げて逃げまどい、細かいとこまで煩い教師達は侍従長に一身上の都合で退職願を出したそうじゃ!」
 「最っ高よ!まさか顔1つで巨大国家をここまで混乱に陥れるなんて!」
 「極めつけが父上との会話じゃ!特技は?と聞かれて、真面目に料理と返した時の周りの顔!」
 「テオドラ、もう止めて!本気で笑い死んじゃうから!」
 テオドラは枕に拳を叩きつけながら爆笑。キョウコはヒーヒー言いながら床に蹲っている。唯一、ゲンドウだけが手ずから淹れた紅茶を口に含みながら無言を貫いていた。
 「だって!料理長が言っていたのじゃ!料理長の座を暴力で奪うのですか!?とな!」
 「止めて!お願いだから、もう止めて!」
 「・・・2人とも、いつまで笑っているんだよ・・・」
 だがゲンドウのぼやきは、2人にとっては更なる笑いを導く為の呼び水でしかなかった。2人の笑い声は更に大きくなり、ゲンドウは不愉快そうに窓の外へと視線を向ける。
 そんな所へ、正装姿のマイクロフトが入って来た。
 「やれやれ、騒がしいな。まあ気持ちは分からんでも無いが」
 「・・・陛下まで彼女達に味方するのですか?」
 「仕方あるまい。今日ほど腹筋を鍛えておいて良かったと思った事は無かったぞ」
 手ずから椅子を引き寄せて、膝を組んで座るマイクロフト。ゲンドウが入れた紅茶に無造作に手を伸ばし、グイッと一息で呷る。
 「それはそれとしてだ、少々、真面目な話をさせて貰おうか。2人についてだが、キョウコ殿にはテオドラの護衛兼教師役という立場を任せる事になった。ゲンドウ殿については、申し訳ないが護衛は不可能となってしまった。実は、周りからの反対意見があまりにも強すぎてな」
 「ゲンドウ、アンタ最高よ!」
 「じゃ、じゃが父上!それではどうするのじゃ!?」
 笑いを抑えきれないキョウコとテオドラに、マイクロフトがアッサリと言い放った。
 「俺の相談役と言う事にしておいた。ゲンドウ殿は旧世界の知識も豊富だからな、専門家として雇い入れる事は可能だ。つまり俺の個人的なオブザーバーと言う訳で、事実上、王宮内なら後宮以外はどこでも出入り可能だ」
 「・・・まあその方が良いかもしれませんね」
 「悪い事ばかりではないぞ?例えばキョウコ殿と違って国政の場に助言者として席が与えられる。そういう意味では、違った情報を手に入れる事が出来るチャンスではあるな」
 マイクロフトの言う事には一理ある。例えテオドラ付きの護衛者となっても、全ての場所に顔を出せる訳ではない。テオドラ自身がまだ子供である以上、国政の場などに顔を出せる訳がない。そういう意味では、国政の場にゲンドウが顔を出す事が出来るのは、意味がある事であった。
 逆に、ゲンドウでは立ち入れない場所に、キョウコとテオドラは踏み入る事が出来る。その一例が後宮である。子供のテオドラと、護衛役のキョウコ。両者ともに少女である事を考えれば、咎められる事は決してないと断言出来た。
 「連中はどこまで入りこんでいるか、全く分からんからな。2人には面倒をかけるが、宜しく頼むぞ」

翌日、ゲンドウside―
 この日、ゲンドウはマイクロフトの特別顧問として最高会議の場に出席していた。列席者は国政に関わる大臣10名、書記役を務める上級貴族が1名、王位継承候補者である第1皇子ライナス、第1皇女カミュが出席していた。
 全員が席に着く。だが普段とは違う緊張感に、列席者の中で赤いドレスに身を包んだ、ロングヘアーの美女カミュが口火を切った。
 「陛下。何故、この場に部外者がおられるのですか?」
 「彼は私の知恵袋だ。故に特別顧問として列席させている。何より、口の堅さについては折り紙つきだ。何も心配はいらぬ」
 公の場では『俺』から『私』に一人称を切り替えるのが癖である父に対して、カミュは少しキツイ印象のある吊り目を伏せつつ、静かに座った。
 「父上。私もお尋ねしたい事がございます。特別顧問と伺いましたが、彼はどのような知識を持っているというのですか?」
 「彼の場合は知識も豊富だが、それ以上に知恵に優れているのだよ。実は私と彼は、初対面では無いのだ」
 マイクロフトの言葉に、列席者達が無言のまま説明を求める。
 「私が街へ息抜きに出かけている事は、そなた等も知っておろう。その際、私は自分の手に余る問題の解決の為に、彼の知恵を借りていたのだ。もっとも、彼がテオドラの命の恩人だった事には驚いたがな」
 「良く分かりました。不躾な質問をお許し下さい」
 短く刈り込まれた金色の頭を下げて、ライナスが座る。普段は軍務に就いている為か、その体は軍服に包まれている。しかし顔立ちその物は温和である。
 「さて、では彼からも自己紹介をして貰おうか。ゲンドウ」
 「名はゲンドウ。旧世界の出身です。特別顧問ではありますが、国政に対して口を挟むつもりはありません。どうかお気になさらずに」
 相変わらず犯罪組織のボスの様なゲンドウに、列席者達は複雑極まりなかった。口を挟むつもりがないなら帰れと言いたいのだが、万が一を考えると下手に嫌みの1つも口に出来ないのである。
 「特別顧問殿に質問があります。国政に口を挟むつもりが無いのであれば、どうしてこの場におられるのですか?」
 強気な外見のカミュであるが、中身も強気というか豪胆である。挑発的な瞳でゲンドウを見据えて『さあ答えてみなさい』と言わんばかりに挑発する。
 「・・・私が断る事は可能だった。だがそんな事をすれば、陛下の顔に泥を塗る事になる。ヘラス帝国皇帝は在野の人間1人すら満足に御せないのか、とな。そんな歪んだ評判を立てさせる訳にもいかぬ故、期限付きで招聘に応じさせていただいた。皇女殿下には御納得頂けたかな?」
 「カミュ、落ち着きなさい。父上には父上の考えが有るのだ」
 「・・・分かっております。特別顧問殿、不躾な質問をお許しいただきたい」
 視線を合わせず、謝罪の言葉だけ口にするカミュ。そんなカミュを窘めながら、苦笑するライナス。
 「いえ、お気になさらず。見ての通りの風来坊故、無礼の段はお目こぼし下さると助かる」
 その言葉にカミュがフン!と鼻を鳴らして横を向く。一方のライナスはカミュの機嫌がしばらく戻らないと判断してか、無言で椅子に座りなおした。
 「さて、では本日の議題についてだ。まずは軍部の独断専行による侵攻作戦と、グレート・ブリッジの連合による再奪還についてだ。ライナス、まずは軍部の状況について報告を」
 「はい、現在3名の将軍がアリアドネー、アルキュレー大平原、シルチス亜大陸に向けて侵攻しています。不幸中の幸いだったのは、グレート・ブリッジには将軍が1人もおらず、人命的損失・情報の流出が防げたと言う点にあります」
 「ライナス殿下の仰られる通りです。将軍がいなくなっては、ヘラス帝国にとっては大損害となりますからな」
 「ラインブルグ国務大臣殿の言われる通りです。3名の将軍についても、忠節と能力の高さで鳴らした武人。今回の一件も愛国心の行き過ぎが原因と思われます。どうか父上には将軍に対する慈悲深い判断をお願い致します」
 ライナスの言葉に、ラインブルグ国務大臣を筆頭に6名の大臣が賛同の声を上げる。他の4名は苦り切った顔で、カミュは露骨に顔を顰めていた。
 「ライナス。そなたの意見は参考として覚えておこう」
 「ありがたき幸せにございます、父上」
 「ついてはカミュよ。私はそなたの意見を聞きたい。遠慮なく申してみよ」
 マイクロフトから水を向けられたカミュが、ここぞとばかりに口を開いた。
 「軍部の独断専行は明らかです!軍部はヘラス帝国皇帝の命令なくして動く事は禁じられております!今回の一件は、北の連合との間に余計かつ無意味な戦の戦端を開いてしまいました!その責任はあまりにも重すぎます!」
 「ふむ。ではカミュよ、そなたはどうしたら良いと考える?」
 「厳罰有るのみです!3名の将軍については即時帰国の上で軍の私物化という罪状による公開処刑!その取り巻きについても同様です!彼らは皇帝という存在よりも、将軍を選んだのですから!」
 苛烈なカミュの意見に、ライナスを筆頭とする将軍擁護派から抗議の意見が上がる。しかし擁護派に与しない4名の大臣らも、カミュの意見に納得出来る物を感じたのか、無言のまま何度も頷いていた。
 「ふむ。確かにカミュの言う事にも一理あるな・・・ゲンドウ殿。そなたの意見を聞かせて貰えぬか?私はそなたの知恵に何度も助けられておる。そなたが口を挟みたくないという気持ちは理解出来るが、曲げて頼みたい」
 マイクロフトの言葉に、全員の視線が集まる。
 「・・・私の意見は1つです。罰行われざれば、即ち用ならず。これは旧世界で名を馳せた、2000年以上前の軍略家が遺した訓えです」
 その言葉が意味する所に、ライナス達将軍擁護派が顔色を変える。ライナス自身も軍人であるが故に、命令系統の重要さぐらいは理解しているからであった。
 「これ以上は御寛恕願います、陛下」
 「うむ、貴重な意見感謝する。無理を言って済まなかったな」
 「いえ、お気になさらず」
 再び無言に戻るゲンドウ。だがライナスが血相を変えて立ち上がった。
 「父上!本気でそのような無頼者の言葉を採用なされるのですか!」
 「ライナス。私は彼の意見を聞いただけだ。まだ何も決断してはおらん」
 父の言葉に、ライナスがグッと押し黙って椅子に座る。その際、ゲンドウに対して強烈な視線を向けたが、ゲンドウのサングラスの奥に隠された瞳を射ぬくほどの物では無かった。
 「3名の将軍については、私も熟慮した上で明朝までに結論を出そう。では次の議題についてだが・・・」
 
ヘラス帝国皇帝私室―
 「・・・会議に出てみた感想はどうだったかな?」
 「どこも同じですね、権力闘争に明け暮れる事しか考えていない事は」
 「耳が痛い事を言ってくれるな。だが事実だからこそ、反論出来んわ」
 手ずから酒に手を伸ばすマイクロフト。ゲンドウにもすすめながら、一息でグイッと空けてしまう。
 「ライナスも悪い子ではないのだがな。どうも煽てられると弱いらしい。今回もラインブルグ国務大臣辺りに煽られたかもしれんな」
 「・・・いずれは国父に、そんな筋書きですか?」
 「だろうな。まあ王家なんて、どこへ行ってもそんな物だろうよ。珍しい事では無いわ」
 2杯目を手酌で注ぐマイクロフト。
 「ゲンドウ、お前はカミュをどう見た?」
 「・・・上に立つ者として規律を守る点は良い事だと思います。今回の意見についてだけであれば満点ですが、彼女は補佐役の方が性に合っているかもしれませんね。私の見る限り、彼女の味方についた4人の大臣は消極的賛成という立場でしたから。周りから見れば規律に拘り過ぎて、ついていけないというのが本音ではないでしょうか?緩衝役となるべき者が傍にいれば、きっと彼女はその才能を存分に発揮出来るでしょう」
 「お前もズケズケと言う奴だな。さすがは最強のバウンティハンター、胆力も人並み外れているらしい」
 苦笑しながら、2杯目を飲み干すマイクロフト。だが折角の美酒を楽しんでいないのは、誰の目にも明らかだった。
 「では陛下、私は仕事に戻ります」
 「ああ、頼んだぞ」

後宮―
 一方、その頃。キョウコはテオドラとともに後宮を移動していた。名目は新たな教師兼護衛者としての挨拶である。
 後宮にいるのは、テオドラにとって義理の母親に当たるマイクロフトの正妻リリア皇妃と、リリアの次女リィナである。
 リリアは外見年齢40台前半、髪の毛をうなじで纏め、豪奢なドレスに身を包んでいる。敢えて髪の毛を纏めている事を考えると、あまり髪の毛を伸ばすのは好きではないのかもしれないと、キョウコは考えた。
 「貴女が新しくテオドラ付きの教師となったキョウコですね?まだ幼く見えますが、どのような知識をもっているのかしら?」
 「アタシが持つのは旧世界の知識。特に魔法が関係しない科学分野の知識にございます。陛下はそこの所をお考えになられたのだと推測しております」
 「ほう?旧世界の知識とな?」
 好奇心も露わに、身を乗り出すリリア。
 「あちらには魔法が無いと聞いておるが、それは事実か?」
 「はい。正確には、魔法の存在はあちらに住む魔法使い達によって隠蔽されております。例え魔法の存在を口にした所で、愚者の戯言としてしか扱われません。代わりに科学技術が発達している世界でございます」
 「なるほど、1度は行ってみたい物ですね・・・キョウコ、テオドラはまだ幼い。貴女の知識、テオドラに惜しみなく注いで上げて下さい」
 「はい。確かに承りました」
 女同士の謁見を無事に済ませたキョウコは、テオドラに手を引かれて別の部屋へと向かう。そこは一番奥まった所にある部屋だった。
 「リィナ姉上!妾じゃ、テオドラなのじゃ!」
 「・・・テオドラ?入って来て良いわよ?」
 中から聞こえてきた声に、テオドラがドアを開けて入る。中にいたのはベッドから半身を起した、痩せ気味の少女である。
 「姉上!お体は大丈夫か?熱は無いか?」
 「私はいつも通りよ、それより、今日はお客様がいるのね?」
 「そうなのじゃ!妾の新しい教師となったキョウコなのじゃ!こう見えても旧世界の事について詳しい知識を持っているのじゃ!」
 リィナが珍しそうにキョウコへ目を向ける。
 「初めまして、アタシはキョウコと申します。テオドラ皇女様付きの教師となりました。旧世界出身故に、いささかこちらの礼義には疎い所は御座いますが、御寛恕いただければ幸いです」
 「私はヘラス帝国第2皇女リィナと申します。こちらこそ宜しくお願いしますね。テオドラはやんちゃだから、その点だけは気をつけて下さい」
 「姉上!それは酷い言い方なのじゃ!」
 頬を膨らませる幼い妹の姿に、リィナがクスクスと笑う。
 「あー!また妾を子供扱いしおって!」
 「しょうがないじゃない。テオドラは私の妹なんだから。ほら、こっちにおいで」
 テオドラを招くと、後ろから抱きかかえるようにしてベッドに座らせる。そこへ枕元に置かれていた櫛を利用して、少し乱れていた妹の髪を整えだす。
 「はい、完成。どうかしら?」
 「・・・姉上は本当に上手じゃな・・・」
 差し出された手鏡を見ながら、テオドラが悔しげに呟く。それを耳にしたリィナが、小さく噴き出した。
 「これぐらい、慣れれば貴女にも出来るわよ」
 「むう・・・妾は自分で出来んのじゃ。何度やっても、姉上のように上手に出来んのじゃ」
 「私が幾らでも教えてあげるから拗ねないの、ね?」
 仲の良い姉妹の姿に、キョウコの顔にそれとなく笑みが浮かぶ。その様子に、テオドラがキョウコを指差した。
 「キョウコ!そなたまで妾を子供扱いするのか!?」
 「そうですね、ゲンドウならば頭を撫でるでしょうが、テオドラ様はそれを御希望ですか?」
 「ずえったいに嫌じゃ!」
 テオドラの幼さ故の過剰反応に、キョウコとリィナはプッと噴き出した。

 後宮での謁見終了後、テオドラはキョウコを連れてテオドラの私室へと戻っていた。
 「そういえば、テオドラ。どうしてアンタは後宮の外に住んでる訳?」
 「・・・あそこにいると母上の事を思い出してしまうのじゃ。それがたまらなく辛くて父上に頼んで部屋を移して貰ったのじゃ」
 「なるほどね。アンタも苦労するわね」
 よしよしとばかりに頭を撫でるキョウコ。テオドラも素直に撫でられていたが、突如ハッと顔を上げた。
 「子供扱いするなと言うておろうに!」
 「アンタはまだ子供よ、それを認めないと、いつまで経っても大人にはなれないわよ」
 「・・・そなたはたまに、意地悪になるな」
 拗ねたようなテオドラの態度に、キョウコはクスッと笑うと紅茶を注ぐ。
 「ゲンドウほど上手じゃないけど、はい」
 「・・・ありがとうなのじゃ。それで、何か分かった事はあるか?」
 「まだ始めたばかりよ?それより訊きたい事が有るんだけど、良いかしら?」
 黙って頷くテオドラ。キョウコの質問とは、家族構成についてだった。
 「父上の正妻がリリア母上じゃ。とても上品じゃが、意外に好奇心の強い性格でな、色んな事を趣味としておる。父上との間には3人子供がおるのじゃ。長男がライアス兄上で軍人として働いておる。次が長女でカミュ姉上、普段は外交交渉の仕事に就いておって、周辺諸国との折衝役を務めておる事でも有名な人じゃ。最後が次女のリィナ姉上。じゃがリィナ姉上は見た目通り病弱なのじゃ。生まれつき体が弱くて、ほとんど部屋の中で過ごしておるのじゃ」
 「性格面を教えて貰っても良いかしら?貴女から見た感想で良いわ」
 「リリア母上は明るい方なのじゃ。いつも笑顔を絶やさそうとはせぬ。ライアス兄上はいつも大臣達と何かを話しておる。よほど頼りにされておるんじゃろうな。妾にも優しくしてくれるぞ?カミュ姉上は厳しい方なのじゃ。正直、妾は一番苦手なのじゃ。リィナ姉上は優しい方なのじゃ。妾は一番大好きなのじゃ」
 テオドラの言葉に、フムフムと頷くキョウコ。もしキョウコが1人で会った際に、大きく性格が違えば、裏表のある性格の持ち主と言う事になるのだから、それはそれで重要な情報ではあった。
 そこへコンコンと窓ガラスから音が聞こえてきた。その音にキョウコが反応して窓を開く。すると中へ小鳥が飛び込んできた。
 「ゲンドウ、そちらの成果は?」
 『面白いぐらい嫌われているね。詳しい事は後で話すよ』
 「ふうん、嫌悪か用心か、そのどちらなのかで相手の実力も分かるんだけどね」
 窓を閉めながら、キョウコが席へ戻る。
 「2人とも、その小鳥じゃが何でゲンドウ殿の声が出るのじゃ?」
 『そういえば説明していませんでしたね。これは式神と言って、紙で作られた使い魔です。この式神を通して、遠くにいる者達と会話する事も出来るんですよ。まあ紙だけに、耐久力は無いも同然ですが。ちなみに今は軍部の施設の中にいます』
 「ゲンドウ。アンタの実力を信じていない訳じゃないけど、気をつけなさいよ。バレたら大変だからね?」
 『その点は大丈夫。別に潜りこんでいる訳じゃないから』
 小鳥が発した言葉に2人が『は?』と声を上げる。
 『正面から堂々とお邪魔したよ。魔法世界に名高いヘラス帝国の武人の生活を、直接目にしたいという理由でね』
 「・・・良く許可が下りたわねえ」
 『あちらにも思惑はあるみたいだからね。それに旧世界の軍人とどう違うか知りたいんですよ、と言ったら騎士達が乗り気になっちゃってね』
 キョウコには、騎士達の心理が手玉に取る様に理解出来た。世界は違えど、同じ軍人。加えて騎士達は強さを追い求める。ならば旧世界の軍人の知識を得る事は、決して意味が無い訳ではない。
 『それじゃあ軽く挨拶回りしてくるよ。式神は戻すから、型紙だけ回収しておいてね。それじゃあ』
 ボンッと音を立てて、小鳥が型紙へと戻る。それを回収したキョウコは、ニッコリ笑いながらテオドラへ顔を向けた。
 「向こうの事はゲンドウに任せておいて、アタシ達もやる事やりますか」
 「む。何をするのじゃ?妾も協力するぞ?」
 「じゃあ机につきなさい。ここからは教師と生徒だからね」
 テオドラの抗議の声が上がったのは、勿論、言うまでも無い事であった。

ヘラス帝国軍部―
 正面から『見学希望』という理由で乗り込んできたゲンドウに対して、軍部施設を仕事場とするライアスは苦り切っていた。
 感情的に断りたいのは山々ではあるが、ゲンドウが望んでいるのは一般見学者用コースであり、時間帯的にも見学時間中だったので断る理由が無かったのである。
 何よりライアスにとって不可解なのは、騎士達―特に若手の騎士を中心にして、ゲンドウと間に話が弾んでいると言う事実であった。
 現在、ゲンドウがいるのは正面入り口の、吹き抜けのロビー。ライアスはそれを5階から見下ろしている。そこへ普段からライアスの取り巻きを務めているクロムベルガー軍務大臣が寄って来た。
 「殿下、いかがなされましたかな?」
 「あれだ」
 「なるほど、特別顧問殿ですか。しかし殿下がお気にかけられる程の男では御座いませぬ。それに陛下の御信頼は、殿下に集まっておりますれば・・・」
 その言葉に、ライアスが機嫌良さそうに鼻を鳴らす。だがどうしてもゲンドウが気になるのか、視線を外す事が出来ないでいた。
 「それにしても、奴は一体、何を話しているのだ?無口な印象があったのだが、何故若い奴らは、ああも話が弾んでいるのだ?」
 「分かりました、少し調べさせましょう」
 後ろについていた副官をロビーへ走らせる。しばらくの後、戻って来た副官から報告を受けたクロムベルガーが口を開いた。
 「旧世界の軍人の生活と、こちらの騎士達の生活を照らし合わせて相違点を見出しているようです。騎士達は少しでも強くなりたいと望む故、強くなる為のヒントを得ようとしているようですな」
 「ハッ!知識だけで強くなれれば苦労はせんわ!・・・待てよ?・・・おい、クロムベルガー。面白い事を思いついたぞ。あの無頼者に身の程を弁えさせてやる」
 ニヤリと笑うと、ライアスはロビーへと足を向けた。

 「これはこれは特別顧問殿。見学申請がありましたから、何事かと思いましたよ」
 その声に、騎士達が一斉に頭を下げる。その対応に満足感を覚えるライアス。だがゲンドウは儀礼にのっとった会釈だけで済ませた。
 「私の好奇心を満たす為です。ですが騎士の方々の向上心の強さには驚きました。きっと将来は強くなられるでしょう」
 「これは嬉しい評価ですな。彼らにとっても励みになるでしょう。ところで特別顧問殿は武においても実力者と伺いました。もし宜しければ、一手、指南をお願い出来ますかな?」
 「私にですか?あまり参考になるとは思えませんが・・・」
 あまり乗り気で無さそうなゲンドウに対して、ライアスがここぞとばかりに切り込む。
 「机上の知識では無い事を見せて頂きたいのです」
 「そこまで言われてしまっては断れませんね。分かりました、ご指南させていただきましょう。どちらで行いましょうか?」
 「・・・練武場に案内します。こちらへ」
 こう出ればゲンドウは逃げるだろうとライアスは考えたのだが、ゲンドウの反応は全く違う物であった。
 何せゲンドウは体格だけならひ弱な男である。強面ではあるが、組み易しとライアスが判断したのも無理は無かった。
 ライアスにとっての不幸は、バウンティハンターという存在の実力について、父親ほど詳しく知らなかった点である。だからこそ、ライアスの挑発がゲンドウの秘めた実力について察する事が出来ずにいた。
 「殿下。私の相手を務めるのは、どなたになるのですか?」
 「騎士団長3名を用意しています。いずれも剣の使い手としては有数の実力者ですが、特別顧問殿のお眼鏡に叶うかどうか・・・」
 「なるほど。長命種族であるヘラス族の騎士だとすれば、外見年齢以上に経験を積んでおりますからな。きっと強いのでしょう」
 『強くて当然だ!』と心の中で絶叫するライアス。そんなライアスの心境を知ってか知らずか、ゲンドウは呑気に口を開いた。
 「そういえば殿下も陛下直伝の剣を使われると聞きました。もし宜しければ、騎士団長が終えられた後で、一手御指南致しましょうか?」
 「・・・ええ、3人を退けられたらお相手をお願い致しましょう」
 ライアスのこめかみに、青筋が浮かび上がる。それはクロムベルガーも同様であった。何せゲンドウに『御指南致しましょうか?』と言われたのだから、現役の軍人として頭に来るのも無理は無い。特にゲンドウが外見だけを見れば、ひ弱な男にしか見えないのだから当然である。
 「さあ、着きました。見学者として若手を中心に集まらせておりますが、これについては御容赦願いますよ?」
 「構いません。では」
 剣も持たずに練武場の中央へと向かうゲンドウ。そんなゲンドウをライアスが慌てて呼びとめた。
 「特別顧問殿!剣を持たずにどうするのですか!」
 「実は私、武器を使った事が無いのです。師匠にも匙を投げられるほどに、才能が無かったものですから」
 アングリと口を開くライアスとクロムベルガー。まさかゲンドウがそこまでド素人とは欠片ほどにも想像していなかったのである。そんな2人をおいて、ゲンドウは1人中央へと歩いて行く。
 2人が正気に戻った時には、ゲンドウは既に中央に立っていた。目の前には帯剣している3人の騎士が立っている。
 「ゲンドウと申します。本日は宜しくお願い致します」
 「・・・殿下から伺ってはおりますが、本当に宜しいのですか?それも武器無しで」
 「構いません。武器を使って自分の足を切りたくないですから」
 そんな理由で現役の騎士相手に素手で勝負を挑む人間は、魔法世界においても初めてだったのは間違いない。現に3人の騎士団長も、見学している騎士達も言葉を失って静まり返っていた。
 「では始めましょうか。いつでもどうぞ」
 右手はポケットに入れたまま、準備運動がてら左手をグルグル回しているゲンドウ。だがゲンドウの視線が3人の騎士団長全てに向けられている事に、騎士団長達はすぐに気付いた。それは3対1での戦いを前提としている事を意味する。だからと言って3人がかりで挑むなど騎士の沽券に係わる大問題。故に騎士団長の1人が他の2人を抑えて進み出た。
 「まずは私から参ります。怪我をしても後悔せぬように」
 そう言うなり上段からの振り下ろしの一撃を放つ。だが次の瞬間、剣を振りおろしていた騎士団長は轟音とともに、練武場の壁を砕きながら見学者席に飛び込んでいた。
 朦々と立ち込める土埃。その中から『しっかりして下さい、騎士団長!』『誰か担架持って来い!』という怒号が聞こえてくる。
 「先ほども申したが、私には武術の心得は無い。その手の才能が全く無かったのだ。私に出来るのは、基本的な身体能力を限界まで強化する事だけだ」
 「・・・身体強化?」
 「そうだ。さきほどの攻撃は振り下ろす一撃よりも早く、相手を全力で突き飛ばしただけだ。単純だろう?」
 手合せとは言え、戦闘という行為に触発されたのか、ゲンドウの口調が変わっていた。だが騎士団長達にしてみれば、そんな事に気付かない程の衝撃である。
 何せただ突き飛ばす。その単純な行為が練武場の破壊である。事ここに至って、ゲンドウが油断出来ないド素人である事を、残された2人の騎士団長も理解した。
 「来るが良い」
 そう言われて気楽に目の前に立てるものでは無い。だが2人の騎士団長の内、年上の方がズイッと前に歩み出た。
 「卿は下がっておられよ。全く迂闊であった、自分の不明を恥じる他は無いな」
 「キリル殿?」
 「思い出したわ。ドラゴンスレイヤーの称号を持ち、最強と呼ばれるバウンティハンターの事を。貴方であろう?」
 ドラゴンスレイヤー。その称号に、練武場が静まり返る。
 「私1人で倒した訳ではない。その点だけは誤解しないで貰いたい」
 「そのような事は関係無い。貴方相手であれば、躊躇う事無く全力で勝負を挑めます。ヘラス帝国第1近衛騎士団長キリル、参る」
 咆哮とともに攻撃を仕掛けるキリル。その神速の踏み込みと、強烈な破壊力を秘めた剣撃に対して、強化した身体能力だけで勝負を仕掛けるゲンドウ。練武場の地面が爆音とともに砕け散るが、その一撃はゲンドウを捉えるまでには至らなかった。
 その光景を、離れた所で見ていたライアスは、唖然とする他なかった。キリルの実力はヘラス帝国においても5本の指に入ると言われるほどである。ライアスが知る限り、キリルを打倒出来るのは、剣豪皇帝と言われるマイクロフトしかいない。
 そんなキリル相手に、身体能力だけで勝負を挑む事が出来るゲンドウの実力の高さは、完全に予想外であった。
 ただゲンドウも、キリルの実力には手こずるのか、先ほどのように一撃必殺とはいかずにいた。ゲンドウの実力を認めたキリルには油断が無いのだから、当然と言えば当然である。何より技術の差は、ゲンドウにとって致命的であった。
 「ど、どうやら何とかなりそうですな」
 「ふ、ふふ、焦らせおって。所詮は無頼者、キリルの前には」
 その瞬間、ライアスの視界に火花が散った。遅れてやってくる、頭頂部への鈍痛。
 「ぶ、無礼者!私を誰だと・・・父上!?」
 「騒がしいと思って何をしているかと思えば・・・クロムベルガー!何故、このような愚行を許した!」
 「も、申し訳ございません!」
 突然の皇帝登場に、小さくなるしかないクロムベルガー。もう一方のライアスも、言い訳すら出来ずに口籠るしかない。
 「全く・・・2人ともそこまでにせよ!」
 マイクロフトの一喝に、キリルが思わず手を止める。その隙をついて、ゲンドウが大きく距離を取った。
 「助かりました、陛下。もう少しでやられる所でした」
 「ゲンドウ殿。そなたは術師であろうに、無理に騎士に付き合う必要はなかろう」
 「前衛役がいない以上、自分で務めるしかありません。無い物ねだりは致しません」
 ゲンドウが自分のような前衛タイプで無い事を知り、目を丸くするキリル。それほどまでにゲンドウの身体強化は異常な完成度であった。
 「まあ良かろう。ゲンドウ殿の実力を間近で見られただけでも儲け物だ。ところで、まもなく晩餐なのだが、ゲンドウ殿にも御出席をお願いしたい」
 「分かりました、喜んで出席させていただきます」
 「うむ。では行こうか」
 踵を返したマイクロフトの後に、一礼したゲンドウが続こうとして、足を止める。
 「キリル殿。明日の夕方は空いておられますか?」
 「私ですか?ええ、空いておりますが」
 「もし御迷惑でなければ、酒食を如何ですか?こう見えても料理には自信がありますので」
 「よ、喜んでお付き合いさせて戴きます!」
 「それは良かった。詳しい事については、また明日と言う事で。それでは失礼させて戴きます」
 そういうと、ゲンドウは早足でマイクロフトを追いかけた。

晩餐会―
 この日はマイクロフトの発案により、ゲンドウとキョウコを主賓として招いた晩餐会が行われていた。出席者はマイクロフトを筆頭とする皇族、大臣クラスの文官、上級貴族、騎士団長以上の軍人、帝都に居住している外国の大使達である。
 皇帝主催の晩餐会ともなれば、政治的にも重要度は高い。その為、妻を同伴する者、社交界デビューの為に息子や娘を連れてくる者も決して珍しくは無い。
 だが漆黒のスーツに身を包んだゲンドウの悪人振りには言葉が無いのか、誰1人として視線を合わせられずにいた。それどころか気の弱い参加者の中には、恐怖で倒れて運ばれていく者すら出るほどである。
 「・・・やはり、私は退席した方が良いように思うのですが」
 「何を言われるか。貴方にはここに参加する資格は十分にある。気になされる必要は全くありません」
 「そうそう、折角だから楽しみなさいよ!いっそダンスの申し込みでもしてみたら?」
 近衛騎士団長としての正装に身を包んだキリルは、短く刈り込んだ頭髪や、苦み走った顔立ち、顔を斜めに走る傷痕の事もあり、周囲の女性達から熱い視線が送られている。
 一方、赤いドレスに身を包んだキョウコは、まるで社交界デビューしたばかりの、懸命に背伸びする少女のように見えて、周囲から温かい視線が注がれていた。
 「あのねえ、キョウコ。僕がダンスを申し込んで、相手がショックで引きつけでも起こしたら、僕には責任が取れないんだよ?」
 「どうせだから伝説を作ってきなさいよ!ヘラス帝国の歴史に名前を刻みこんできなさい!」
 キョウコの発言に、少し離れた所で給仕達を監督していた侍従長が目を丸くして、激しく首を左右に振る。その隣では女官長が額を抑えて溜息を吐いていた。
 ちなみにキョウコのドレスを見たてたのは、この女官長である。折角の上物の素材と張り切ったのは良いのだが、中身は外見とかけ離れている事に気付かなかったのが致命的であった。
 「そもそも僕はダンスなんて出来ないんだよ。キョウコなら出来るかもしれないけど」
 「そりゃあ、教育の一環として覚えたからね」
 「おお、どうやら愉快な話で盛り上がっているようだな」
 美酒を讃えたグラスを手に、マイクロフトがテオドラとともに近寄って来る。テオドラは薄いブルーのドレスを纏い、髪をアップしていた。
 「陛下、本日はお招きいただきありがとうございます」
 「良い良い。そなたにはそれだけの価値があるからな。いっそ正式に私に仕えぬか?そなたの実力ならば、宰相を任せても構わぬのだがな」
 「酒席の戯れ、ですな」
 正面切って断りマイクロフトの顔に泥を塗る訳にもいかない為、酒の席の冗談として収めようとするゲンドウ。その思惑に気付いたマイクロフトが、ニヤリと笑いながら美酒を一息で空けて見せる。
 「全くセシリアが羨ましいわ。よくもまあ、これほどの珠玉を見つけた物だ。それも2つ同時にな」
 「まさに神のみぞ知る、という所でございます。偶然、セシリア殿にお会いする事が無ければ、今頃はどこを放浪していたか、トンと見当がつきません」
 「なるほどな、そういう物か」
 にこやかに団欒するマイクロフトとゲンドウ。その横ではテオドラがキョウコと仲良く会話しながら、御馳走に手を出している。そんな時だった。
 「歓談中に失礼します。陛下、特別顧問殿」
 「おお、カミュか。どうした?」
 カミュは男装の麗人とでも言うべき姿だった。ドレスではなく、外務大臣としての衣装に身を包み、ヘラス帝国内に居住している外国の大使を相手にしていた所を切り上げてきたのである。
 「陛下、悪い報告です。アリアドネーが連合に与すると正式に宣言を致しました」
 「・・・そうか、ゲンドウ殿。そなたの読みは、1つ目が当たったな」
 「・・・はい、出来れば外れて欲しかったのですが」
 ピクンと反応するカミュ。その目がゲンドウを正面から捉えた。
 「特別顧問殿は、この事態を予想されていたのか?」
 「はい。アリアドネーが宣言したからには、周辺の小国やオスティアも倣うでしょう。いわばヘラス帝国対周辺諸国連合という図式になります」
 「・・・そこまで言うからには、何か解決案はないのですか?」
 きな臭い高度な政治的会話に、周辺の注目が集まりだす。
 「・・・手は打ってありますが、芽が出るかどうかは神のみぞ知る、という所でしょうか」
 「特別顧問殿。貴方は今日、ここへ招かれたばかりの筈。なのに手を打ってあるとは、どういう意味ですか?」
 「私は帝都に居住する身です。自分の身を守ると言う意味でも、戦乱に巻き込まれたくない。だから自己防衛の意味で、数日前に手を打っておいた、というだけの事です。それがたまたま、ヘラス帝国にとっても戦乱終結の鍵となる可能性を持っている。ただそれだけの事です」
 ゲンドウの言葉に、軽く眼を見張るカミュ。周囲もどよめくが、ゲンドウの実力を把握しきっていない為に、どこまで信じて良いか分からずに、隣人と囁きあっていた。
 「まあそんな不確実な方法よりは、より確実な手段を持って戦乱を終結させるべきでしょう。そうは思われませんか?皇女殿下」
 「特別顧問殿の言われる通りではあるが、事はそう簡単には進まぬだろう。それとも何か妙案でも?」
 「そうですね。手段さえ選ばなければ、幾つか案はあります。ですがヘラス帝国としての立場を考えれば、大半の案は認める事は出来ないでしょう。唯一、妥協ラインとして考えられる案は、皇女殿下も気づいておられる筈です」
 その言い方に、カミュがもっともらしく頷く。だがその案を通す為には、父であるマイクロフトの決断が必要だった。
 「それについては、私からも働きかけさせて頂こう。陛下、後ほどお時間を割いて頂きたいのですが、宜しいでしょうか?」
 「うむ。そなたの頼みとあれば断る訳にもいかぬだろう。後で来るが良い」
 父王の許可に、カミュが無言で頭を下げる。同時にゲンドウもまた、頭を下げた。
 「だが今は主催者として振舞わねばならぬ時。カミュ、そなたもヘラス帝国皇女として振舞うのだぞ?」
 「はい、では失礼致します」
 踵を返すカミュ。その背中が晩餐会参加者の人垣の向こう側に消えた所で、マイクロフトがヤレヤレと肩を竦めてみせる。
 そこへ、別の聞き覚えのある声が聞こえてきた。
 「父上」
 「おお、ライアスか。何かあったか?」
 「は。会議での件なのですが」
 その言葉に、マイクロフトが微かに眉を顰める。軍部の独走という事態は、下手に広まれば皇帝の権威失墜と捉えかねられない危険な状況である。それを多くの外国の大使や、貴族や騎士達がいる中で口に出せばどうなるか?その程度の事は、政治に関しては疎いマイクロフトでも気付く事が出来た。
 だがライアスは、その事には全く気付いていないらしく、意気揚々と口を開こうとし―
 ガシャン!
 突然の皿が割れる音に、全員の視線が集まった。何事かと視線を向ければ、ゲンドウが床に片膝を着いていたのである。お皿の落下は、膝を着いた際にテーブルクロスの端を引っ掛けてしまった事が原因であった。
 「特別顧問殿、どうなされた!」
 「申し訳ありません。どうやら古傷が開いたようでございます。この様に大切な晩餐会ではございますが、中座を認めて頂いても宜しいでございましょうか?」
 「無論だ。すぐに侍医を、いや私が連れていく方が早かろうな。キリル!供をせよ!キョウコ殿もついてくるが良い!」
 周りが何か言うよりも早く、行動を起こしてしまうマイクロフト。咄嗟にゲンドウの脇に手を伸ばすと、皇帝自ら肩を貸して全速力で侍医のいる医務室へ強制連行という前代未聞の珍事が発生したのである。
 慌てて後を追いかけるキリルとキョウコ。取り残された格好のライアスは、呆然としたままポツンと取り残されていた。

 晩餐会会場を後にした4人は、手近な空き室へと飛び込んだ。
 部屋に入るなり、自分の力で立ち上がるゲンドウ。同時にマイクロフトが、フウッと一息つきながらソファーに座りこんだ。
 「助かったぞ、ゲンドウ。全く、とんだエライ目に遭ったわ」
 「一体、どういう事でございますか?」
 未だ、状況を把握しきれていないキリルの言葉に、マイクロフトがコメカミを揉み解しながら理由を説明する。その内容に、唖然とするキリル。
 「そのような理由が・・・」
 「全くライアスめ、踊らされ過ぎだわ。だが、どうしたものか。ゲンドウ、何か妙案は無いか?」
 「それはありますが、問題はございません。今夜中に皇女殿下が陛下の下へ来る事になっております」
 「なるほどね。元凶がいなくなってしまえば問題は起こらない。そう言う事ね?」
 キョウコの言葉に、キリルがギョッと体を強張らせる。だがマイクロフトは、溜息を吐く事しか出来なかった。
 「せめて減刑で済ませてやりたかったのだがな・・・」
 「お気持ちは分かります。ですが陛下の採決に対して既得権益という理由から赦免運動を起こされたりしてしまっては、陛下の顔へ泥を塗るどころか、軍部の規律にまで影響を及ぼす事になります。そして先ほどの殿下の行動を考えれば、恐らくは煽てられて確実に赦免運動を起こすでしょう」
 「だろうな。待ち受けるのは暴走し続ける軍部による、泥沼の長期戦だ。一番被害を被るのは、力無き民達。それぐらいは俺にも分かってはいるんだがな・・・キリル」
 突然、主に名前を呼ばれて、全身をキリルが硬直させる。
 「卿に命じる。すぐにカミュをここへ連れてこい。先ほどの件で、俺が呼んでいると伝えてな」
 「は!慎んで御命令、承ります」
 「それとここで見聞きした事については他言無用だ。良いな?」
 黙って頷くと、踵を返すキリル。すぐに晩餐会の会場へ戻ったが、それほど待たせる事無くカミュを連れて戻って来た。
 「陛下、お呼びだと伺いましたが」
 「うむ、そこに座れ。それからキリルよ、誰もこの部屋へ近づかない様に見張っておれ。これは勅命だという理由でな」
 「は!それでは失礼致します!」
 キリルが廊下に出て周囲を警戒する。その気配を察した上で、カミュが口を開いた。
 「陛下」
 「今は陛下で無くても良い。それとゲンドウとキョウコ殿も同席させる。問題は将軍達の件だ。早急に解決しなければならない状況に陥ったわ」
 「・・・先ほどの兄上の行動ですか?」
 無言で頷くマイクロフト。
 「だが問題なのは、その方法だ。規律に照らせば帝都へ召喚し、自決させるのが筋だろう。だが今の状況でそれを行う余裕は無い。ライアスが動きだす前に何とかしなければならないからな」
 「・・・しかし、一体どうされるつもりなのですか?父上」
 「問題はそれよ。今は綱紀粛正よりも将軍を片づける方が優先だ。綱紀粛清は後任の指揮官に念入りに行わせる事で解決させる」
 父の決断に、言葉も無いカミュ。そこでゲンドウが口を開いた。
 「・・・差出がましいかもしれませんが、1つだけ方法が有ります。陛下と皇女殿下の御協力があれば、何とか出来ると思われます」
 「本当か!?」
 「はい。必要な物は長距離瞬間移動を可能にする魔法具と、変装用魔法具です。私とキョウコが陛下の特使として隠密裏に訪問。3人の将軍を暗殺して参ります」
 苦虫を噛み潰したような表情のマイクロフト。カミュも同じだが、暗殺という手段以外に方法が無いのも事実であり、不承不承認めると言った体である。
 「同じ日に、3人同時に死んでいただきます。死体を見つければ、指揮官が赴任するまで副官が臨時の指揮官として対応してくれるでしょう。そしてこちらから派遣する指揮官には、戦線を無闇に拡散させないように言い含めておくのです。連合側が攻めてくる以上、撤退は出来ません。ならば戦線を睨みあいへ持ち込ませ、その間に政治的手段による外交的解決を考えるべきです」
 「父上。私も特別顧問殿の意見に賛成です。最早、他に方法はありません」
 「・・・仕方あるまい。ゲンドウ殿、それからキョウコ殿。済まないが頼む」
 頭を下げるマイクロフト。その姿にキョウコが『任せなさい!』と胸をドンと叩いてみせる。
 「では今からすぐに動きましょう。魔法具が整い次第、すぐに出発します。陛下、申し訳ありませんが」
 「うむ。カミュ、お前の所に長距離移動用の魔法具があったな。すぐにゲンドウ殿に貸してやってくれ。俺は変装用の魔法具を調達してくる」



To be continued...
(2012.09.23 初版)


(あとがき)

 紫雲です。今回もお読み下さり、ありがとうございます。
 今回はお笑い→シリアスという流れでの展開で話を作りました。それにしてもゲンドウの華麗なるクラスチェンジ。間違いなくジョブ適正はSランク級でしょうw彼が犯罪組織の長になったら・・・そういうSS書いてみるのも楽しいかもしれませんねw
 話は変わって次回です。
 次回はいよいよ完全なる世界コズモ・エンテレケイアが登場します。
 前線指揮官暗殺という密命を受けたゲンドウとキョウコ。そんな2人の前に現れる1人の魔法使い。
 ゲンドウはまだ知らない。
 プリームムと名乗る魔法使いと深く関わる事になる、己自身の未来を。
 そんな感じの話になります。
 それでは、また次回も宜しくお願い致します。



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