堕天使の帰還

27祖編

第三章

presented by 紫雲様


 シンジがアルトルージュに引き取られて2年が経った。
 その間、シンジには27祖として最高の英才教育が施され、その内のいくつかは『まあ及第点だな』という評価を貰える程度には、実力をつけていた。
 そして、その2年の間にも、シンジと27祖の関係に変化が生じていた。

 「兄さん、ただいま!これ、お土産です!」
 最新のアーミーナイフを渡された『殺人貴』の呼称で呼ばれる人物は、シンジにとって『兄』という存在へ変わっていた。姉達には相談できない事であっても、彼には相談できるため、傍目には仲睦まじい兄弟に見えていた。

 「姉さん!また喧嘩ですか?お土産、捨てちゃいますよ?」
 この頃になると、シンジはアルトルージュから『お使い』を頼まれるようになり、報酬として幾ばくかの金銭を貰うようになっていた。その金銭を、彼は『お使い』の帰りにお土産を買うための代金としていたのである。
 ちなみにお土産の内容はというと・・・
 アルトルージュ:黒を基調とした、世界各地の民族衣装
 リタ:BL小説(退廃趣味な為、ツボにはまったらしい)
 スミレ:世界各地の地酒(ただし度数60以上限定)
 3人とも出歩くという事自体が少ないため、お土産はとても喜ばれていた。

 「リィゾさんとフィナさん、それからプライミッツ=マーダーにもあるからね!」
 彼ら(プライミッツ=マーダーは除く)は、当初はアルトルージュの添え物としか、シンジの事を見ていなかった。だがシンジを鍛える中で、彼らなりに情が湧いたのか、笑顔で会話をする光景が、チラホラと見られるようになっていた。
 リィゾは年経た刀剣類、フィナは少年アイドルグループの写真集(たまにコンサート等のチケット)がお土産である。
 ちなみにプライミッツ=マーダーはシンジの手料理を喜ぶため、いつもお土産は料理の材料である。

 「師父、ヴァンさん、お爺ちゃん、ただいま!」
 ゼルレッチは魔法使いであり、魔術を極めたと言って人物である。その彼に新しい趣味が加わった。それは『辺境の魔術書の収集』である。発端はシンジが陰陽術の書物をお土産に持ち帰った事であった。それ以来、シンジはゼルレッチの愛弟子へと昇格している。ちなみに今回の魔術書はラテン語でこう書かれていた・・・『黄衣の王』。
 ヴァンはシンジを自身の後継候補として扱うようになった。やはり27祖としてよりも、経営者としての一面の方が強いせいかもしれない。シンジも最初はお土産に悩んだものだが、最近ではすんなり発見できるようになった。
 それは資金不足で大々的に自社開発商品を売り出せない、中小企業が開発した新商品の広告の束である。ヴァンは情報に価値を見出しているのだが、さすがに家族経営がメインの零細企業の情報まで把握している訳ではない。その為、シンジが持ち帰ってくるカタログは、彼にしてみれば黄金以上の価値があり、ヴァン=フェム財団の支援を受けた小さい企業は嬉しい悲鳴を上げ、財団もまた相応の見返りを手に入れていた。
 『お爺ちゃん』と呼ばれた人物は、死徒27祖第17位『白翼公』トラフィム=オーテンロッゼである。アルトルージュと反目していた彼がこの場にいるのは、彼の陣営に属するリタの影響が非常に大きい。
 最初は『リタを骨抜きにした小僧の顔でも見てやろうか』と乗り込んできたのだが、彼もまた『天使の微笑み』の前に敗北を喫したのである。普段はフィクサーらしく『暗黒街のボス』『政界のドン』といった感じの老人であり、その判断力・決断力も冷酷非情という評価がもっとも正しい。それがシンジの前では『お小遣いあげような』と言い出しかねない好々爺に変わるのであった。
 ちなみに、そんな彼へのお土産は世界各地のお菓子であった。どうやら無類の甘党であったらしい。

 「シオンさん、お仕事忙しいのか。久しぶりにアトラス院まで遊びに行こうかな?」
 シオンはアトラス院の筆頭である為、公務も忙しく、他のメンバーに比べてシンジといる時間は比較的少なかった。加えて、シンジが高速分割思考を3つまでしか実行できなかった為、修行を続ける必要がなくなってしまったというのも理由である。
 とはいえ、仲が疎遠になる訳でもなく、こうしてシンジの方からアトラス院へ出向く事も多々あり、最近ではアトラス院へも顔パスとなっている。
 そんな彼女へのお土産は、『兄』の近況報告であった。

 「シンジ、ちょっと頼まれて欲しい事があるんだけど・・・」
 雲一つない、快晴と言って良いほど空の晴れ渡った満月の夜の事である。偶然からアルトルージュがチェロを持っている事を耳にしたシンジは、かつての事を思い出し自室でチェロを演奏していたのであった。
 足元にはプライミッツ=マーダーが両眼を閉じて音色に聴きほれている。しかしその前足は白いスーツを着た動物性蛋白質の物体をしっかりと押さえつけており『絶対に邪魔させん!』と言わんばかりであった。
 「・・・プライミッツ=マーダーは良いでしょう。ですがフィナ、あなたは一体何をしているのですか?」
 「おお姫様、本日もご機嫌麗しゅう。その御質問についてですが、私の為したいように為すべく愛弟子の室内へ入ったところ」
 メキョ
 奇妙な音であった。フィナは完全に沈黙し、その口は言葉を紡ぐことはできない。
 (全く・・・私の弟に手を出すな!)
 少し不機嫌になったアルトルージュは、周囲を見まわし手頃な椅子へと腰掛けた。そして弟が紡ぎだす音色に、ウットリと聴きほれる。
 やがて演奏が終わると、アルトルージュは小さいながらも、はっきりとわかる拍手をもって、弟の演奏を評価した。それに対し、シンジは顔を赤らめながらも、小さい声で『ありがとう』と返す。
 「良い音色ね、あなたさえ良かったら、また聴きにきても良いかしら?」
 「姉さんが望むなら、いつでも弾くよ。遠慮しないでね」
 互いにほほ笑む姉弟。
 「ところで・・・シンジに頼みたい事があるんだけど、良いかしら?」
 「いいよ、僕は何をすればいいの?」
 内容を聞く前に了承するシンジ。どうやら時間を遡ろうが、人間を卒業しようが、お人好しな性格は基本として根付いてしまっているらしい。
 「実はね、最近ハンブルクで吸血事件が起きているらしいの。最初は猟奇殺人かと思ったんだけど、どうやら死徒が絡んでいるみたいなの」
 「・・・まさか?ハンブルクって言えば目と鼻の先なのに?ここには姉さん達がいるというのに、そんな所で騒ぎを起こすなんて・・・」
 「私も同感よ。それを聞いた時、私も耳を疑ったわ。まあ私の事すら知らない程度の死徒だとすれば、間違いなく目覚めたばかりの新米でしょうね。そこでシンジ、あなたにはこの新米死徒の捕獲を頼みたいのよ」
 「生け捕りで良いんですね?殺さなくても良いのなら、喜んで引き受けます」
 現在に至るまで、シンジは人智を超えた修行の日々を送ってきている。当然の結果として自分の命の危機というべき状況にも何度か遭遇しているのだが、未だに他人の命を奪うという行為に対して、嫌悪感を持っているのである。
 このため、シンジに嫉妬を抱く者たちは、陰で『出来損ない』と揶揄していた。シンジもその事を知っているのだが、自分が嫉妬されて当然の状況にある事を理解しているため、一度も激昂したことはない。
 もしリィゾやゼルレッチの耳に入れば、シンジは『軟弱者』と一喝され、鍛練の追加が待っている。その後で『出来損ない』呼ばわりした死徒に対して、大人気無い報復行為が始まるのも決定的であった。良くも悪くも、シンジは可愛がられている。
 「でも、これだけは忘れないで。私達の存在が明るみになるような事があってはならない。その時には非情に徹すること。これだけは約束して頂戴。死徒と人間の間で、全面戦争が起こるような事態だけは避けないといけないの。分かるわね?」
 「・・・はい・・・」
 アルトルージュの右手が、そっとシンジの頬に触れた。
 「あなたの優しさは、私にはとても眩しく見える。でもその優しさが、いつかあなたの命を危うくする気がしてならないの。あなたはもう少し、利己的になっても良いと思うんだけどね」
 姉の言葉に、シンジは心の中で答えを返していた。
 (僕は『過去に戻ってやり直したい』という願いの為に、綾波を犠牲にした。自分の為に、綾波の命を踏みにじった。僕は世界中で一番利己的だよ、姉さん)
 
 シンジはハンブルクへ一人で来ていた。今までの『お使い』は交渉やメッセンジャーといった平和的な『お使い』であったため、特に命の危険もなく(シンジを殺す=アルトルージュ一派との全面戦争であるため、シンジを殺そうとする組織はいなかった)万事無事に仕事を成し遂げていた。
 しかし今回は相手が言い分を聞き入れなければ『即戦闘』となってもおかしくない状況である。新米死徒とシンジの実力を比べれば、新米死徒が万単位で襲いかかってもシンジの勝ちは揺らがないほどに鍛えられていた。だが頭では分かっていても心は別である。シンジの身を守るため、秘密裏に行動を起こした27祖は5体・・・
 『このタワケ者どもが!』
 一喝したのはゼルレッチである。姉3人と白スーツと白い犬は懸命にシンジの身を守るという大義名分を盾に必死で抗弁したのだが、第2魔法を利用した座敷牢に放り込まれてしまっては、さすがに行動することは不可能であった。
 そんな裏事情に気づくこともなく、シンジはハンブルクの街を当てもなく歩いていた。
 本来なら既に情報が手に入っており、あとは捕まえるだけなのだが、今回だけは違う。
 なぜならゼルレッチから『今回は全て一人でやってみろ』と言われたからである。
 「そうは言っても、情報ってどうやって集めればいいんだろう?テレビゲーム通りなら酒場だろうけど、僕、一応子供だしなあ」
 客観的に見て、シンジは現在12歳である。ちなみに死徒は成長しないのだが、シンジは時間の経過とともに身長・体重が増加していた。この不思議な状況に、かの大魔法使いはあっさりとこう言った。
 『ま、世の中にはそんなこともあるじゃろ。死徒だからと言って成長してはいけない、というルールはどこにもないからの』
 良くも悪くも大雑把な師父の言葉を思い出し、クスッと笑うシンジ。そんなシンジの目の前に突如壁が出現する。
 ポフ、と音をたててぶつかったシンジは、自分が誰かにぶつかった事に気づいた。
 「きみ、こんな夜遅くに何をしてるんだい?お父さんやお母さんは?」
 闇の世界に名高い死徒27祖の末弟を呼びとめたのは、強面をスーツに包んだおじさんの集団―刑事さんであった。
 「ここにいるのはお使いに来たからです。両親はいません。保護者はいますけど」
 「保護者の名前、聞かせてもらえるかな?」
 シンジもさすがに気がついた。『自分は家出少年かなにかと思われているらしい』事に。
 さすがに不審人物として留置場へ入れられることは無いだろうが、それでも補導などされては、良い笑い者である。
 誰を保護者にしようか迷ったが、彼はあっさりと決断した。
 「保護者はお爺ちゃんです。名前はトラフィム=オーテンロッゼと言います」
 欧州暗黒街の超VIP(実際には政界・財界にとっても超VIPだが)の名前は、その場に混乱をもたらした。煙草を吸っていた40過ぎの刑事は、大量に煙を吸いすぎて咳きこんだ。よそ見をしていた20代の新米は、路面の石ころにつまずいて派手に転んだ。コーヒーを飲んでいた30前後の刑事2人は、お互いの顔目がけてコーヒーを吹きかけあった。
 「あの、大丈夫ですか?」
 「ああ、すまん。気にしないでくれ。少し経てば落ち着くから」
 叩き上げの敏腕刑事として名を馳せていた彼、フォルカー=シュタンテルは必死になって自制を心がけていた。彼は悪に対しては厳しいのだが、同時に優しい心を持ち合わせている。
 『たとえ目の前の少年が、あの悪名高い人物の孫であったとしても、この子供には何の罪も無いのだ。もしこの子の前で、あの人物が『優しいお爺ちゃん』だったとしたら?この子はとても素直に見える。自分たちの発言で、この子の心に傷を残すような真似は決してできないではないか!』
 フォルカーの心構えは、間違いなく称賛されて然るべきである。2ndインパクト以来、法を破る『法の番人』など珍しくもない光景であるというのに。そんな彼だからこそ、下からは人望を集め、上からは疎まれて出世街道から外されているのだが。
 「さすがに子供一人で出歩くのは、おじさんは感心しないな。最近、この辺りでは悪い人がうろついているんだよ」
 基本的にのんびり屋であり、鈍感なシンジであるが、さすがにこの言い回しには気がついた。彼らは間違いなく、件の猟奇事件の情報を握っていると。
 「ひょっとして、新聞に載っていた事件の事ですか?」
 「君、新聞を読んでいるのかい?」
 「はい。先生に言われてから読むようになりました。ここへ来る前にも新聞は読んだんですけど、あまり詳しくは載っていなくて・・・もし良かったら詳しい事を教えて頂けませんか?危険な所とか、事件が頻発しているエリアが分かれば、そこには近づかないようにしますから」
 シンジの発言に、その場にいた4人は目を見張った。子供特有の好奇心丸出しで質問されたのなら、全く相手にはしなかっただろう。最悪、少年課へ連れて行くだけで済むのだから。しかし、目の前の少年は『自己防衛』のために、危険なエリアを教えてください、と頼んでいるのである。
 素直そうな見た目とは裏腹に、非常に理性的な判断をする少年だ、という評価を4人は下した。それでもただの一般人なら、『危険だから』という理由で教えなかっただろう。そうならなかったのは『トラフィム』の名前が大きかった。
 万が一にも、この子が被害に遭い命を落としたら?想像しただけで身震いがする。間違いなくトラフィムは逆上し、ハンブルクは火の海に沈むであろう。そして、その見解は大筋において間違いのないものであった。
 そんな未来図を避けるためなら、危険地帯に近づいてほしくなどない。幸い、この子供は火薬の傍で火遊びをするようには見えない。それならば教えてあげた方が良いだろう。そう判断したフォルカーは『絶対に近づいてはいけないよ』と念を押した上で、ある繁華街の名前を挙げたのである。
 「ありがとうございます。でも先生の言った通り、情報は重要なんですね。教えてもらえなかったら、今からそこへ向かう所でした」
 教えておいてよかった。4人が一斉に安堵のため息をつく。
 「ところで、君に情報の重要性を教えた先生って、誰なんだい?おじいさんのとこの人かな?」
 「いえ、お爺ちゃんの知り合いです。ヴァン=フェム先生と言って毎日2時間、政治経済の授業をして下さるんです」
 世界で5本の指に入る巨大財閥の会長の名前は、もはや一刑事の手に負えるレベルをはるかに超えた。
 後に、フォルカーはこの時の心境をこう語っている。『警官としてのメンツなど捨て、ドイツ軍の猛者から護衛部隊を緊急要請するべきかどうか悩んだ』と。

NERVドイツ支部−
 「あー、こう毎日毎日訓練じゃ、頭がおかしくなりそうよ。さっさと使徒でも攻めて来いっていうのよ!」
 確かに使徒の襲来は避けえない事実ではある。しかし、使徒の襲来を待ち望むのは、極一部の悪人だけのはず・・・なのであるが、彼女もまた、襲来を待ち望んでいたようだ。
 「飛鳥、弐号機も無しで何をする気なの?護衛としては、あなたに神風アタックなんてしてもらったら困るんだけどね」
 「誰があんな自爆攻撃なんてするもんですか!」
 「そう?飛鳥って頭良い割には、墓穴掘りまくっているように見えるけどね」
 2ndチルドレンこと惣流=飛鳥=ラングレーと、その護衛である葛城ミサト。二人の掛け合い漫才と言って良い会話は、もはやドイツ支部の名物となりつつある。
 あまり大きな声では言えないが、ドイツ支部の上層部は飛鳥の戦闘力の向上と、SEELEからの指示のため、彼女にマインドコントロールを施している。その後ろめたさのせいか、飛鳥と親しく会話をする職員はほとんどいない。いるとしても事実を知らない下級職員だが、彼らが飛鳥と接する機会など、はっきり言って存在しない。そのため、ミサトが本部から護衛として派遣されるまで、彼女は孤独の中で暮らしてきたのである。
 そんな少女にとって、陽気な性格のミサトは絶好の喧嘩相手となった。大半の職員は二人を仲の良い姉妹と認識しており、ミサトも本部から派遣された護衛として常に傍にいる事を心がけているからである。
 「ミサト、少し羽伸ばさない?あんたがいれば、支部長もうるさく言わないでしょ?」
 「まあ、気分転換も必要か。私もビール飲みたいしね」
 2人は知らなかった。現在、彼女達がいるハンブルクは猟奇事件が起こっているという事実を。飛鳥の場合は上層部の意向により、外部の情報を制限されているためである。これは少女の攻撃的な性格が、外部からの情報によって修正されるのを未然に防ぐための処置であった。そしてミサトは新聞などには目を通さないし、早起きしてテレビのニュースを見ることなど絶対にあり得ない。
 
 そして2時間後・・・
 「大変です!2ndの信号ロスト!」
 「何?護衛の葛城は!」
 「現在、繁華街から信号の反応があります!」
 案の定、ミサトはビールを痛飲するあまり、飛鳥の護衛を忘れていた。飛鳥もまた、夜のハンブルクの冒険という刺激を味わうべく、故意にミサトを酔わせて護衛を放棄させていた。
 ドイツ支部保安部隊が急行した場所には、50代の陽気な親父達と飲み比べを楽しむ、将来の本部作戦部長の姿しかなく、ドイツ支部の至宝とまで呼ばれた少女の姿は、どこにもなかったのである。代わりにあったのは、内蔵発信機を壊された、赤い携帯電話だけであった。

 「ふう、この辺りか。早速探さないとね」
 気の良いお巡りさんの集団(シンジ主観)と別れた後、彼はすぐさま、お巡りさんの善意を裏切った。
 死徒である彼にしてみれば、夜の闇など何の障害にもならない。
 とは言っても、二本の足と二つの眼だけで探すのは、効率が悪い。
 (・・・気配ないかな・・・お、ビンゴ!)
 少し離れたところから感じる同族の気配に、彼は喜んだ。死徒としての身体能力をフルに発揮し、屋根を飛び越えつつ気配へと近づいていく。
 (こっちに気づいていないのか?やっぱり新米さんみたいだな)
 やがて到着したのは、借り手などいない倉庫であった。ドアが中途半端に開いていて、中から声が漏れていた。
 「こんばんわー・・・あ?」
 倉庫の中には2つの人影があった。一人は20歳前後とおぼしき男性である。衣服は汚れ、浮浪者のように見えた。そしてもう一人は、紅茶色の髪をした少女であり、男を睨みつけ、涙を堪えながら悪態をついている。まだ血は吸われていないようだが、よっぽど激しくあばれたのか、服は所々が破れていた。そして男に顔を殴られたのか、口の端からは血が流れ、両手を柱に縛り付けられている。
 そのどちらもが、シンジの登場に呆気にとられた。
 「・・・明日香!お前、よくも明日香を!」
 かつて愛した少女との再会は、シンジに歓喜ではなく、憎悪と怒りをもたらした。
 右手に闇が生じ、ナイフのような刃を構成する。シンジが習得した、虚数魔術の応用である。虚数魔術は術者の負の感情を源とするため、その使用には最善の注意が求められている。少なくとも、激情に任せて使って良い力ではない。
 「こいつは俺の餌だ!」
 男は懐からベレッタを取り出すと、躊躇いもなく撃った。その間、僅か1秒も無い。
 抜き打ちの速度から判断する限り、銃の腕前は非常に高い。その上、殺し合いという経験も豊富なのだろう。
 だがそんな男であっても、シンジの対応には反応できなかった。
 シンジの目の前に、赤い壁が生じ、全ての弾丸を空中に縫いとめてしまう。
 男がパニックに陥る間に、シンジはその懐へ飛び込んでいた。そして闇の刃を、躊躇いもなく振るう。
 虚数魔術のメリットは、物理・精神両面から攻撃されるのと同時に、物理的な防具は意味を成さない点である。これが他の魔術(例えば火炎の魔術とか)なら多少は効果があるのだが・・・
 闇の刃は、シンジの技量の冴えもあり、その力を思う存分に発揮させた。首・両手・両足・腹部等々。かつて死徒だった男は、一瞬にして解体された。その個数は14個。わずかに師の記録には届かなかった。
 一瞬、遅れて噴き出す鮮血。赤い奔流はシンジの体にまんべんなく降り注ぐ。
 男の消滅を確認したシンジは、明日香との再会に喜び、
 「無事かい?明日香・・・」
 「いや、こないで!」
 飛鳥の口から出た言葉は拒絶の言葉。恐怖に彩られた心が紡ぎだす本音。
 「あ、あんた何者よ!今の壁は何!」
 「ぼ、僕は君を・・・」
 「来ないで!化け物!人殺し!」
 飛鳥は誰が見ても分かるほど、恐怖でガクガク震えていた。その眼は鮮血で彩られたシンジ自身へ向けられている。同時にシンジもまた気づいた。今の飛鳥はATフィールドの存在を知らなかった事に。それは、飛鳥が自分と違って過去から遡っていない事を意味していた。
 「来ないで!来ないでよ!」
 「僕は・・・」
 「いや、あんたなんて知らないわよ!ママ、助けて、ママ・・・」
 飛鳥はパニックに陥った。両手が縛り付けられている事も忘れ、必死で逃げだすべく暴れ続ける。ついに皮膚がロープとの摩擦に耐えかね、徐々に赤く染まりだした。
 やがて少女は恐怖から解放されるため、意識を手放した。
 失神し、動かなくなった飛鳥。その両手を不当な拘束から解放するシンジの動きは、明らかに鈍っている。
 死徒としての怪力を発揮すれば、ロープを引きちぎる程度容易いことだ。だがシンジはそれすらも満足にできなかった。
 10分以上経ち、やっとアスカを開放したシンジ。だが、その顔からは陰りのない笑顔は消えうせていた。
 「ごめんね、ごめんね、飛鳥。怖い思いをさせてごめんね」
 死徒は死ぬと灰と化すため、後始末をしなくて済む。そのおかげで死徒の存在が明るみにならなかったことだけは幸いであった。シンジは自分の上着を飛鳥に着せると、そのまま護衛にはいる。
 「せめて君の護衛が来るまで・・・そしたら・・・」
 シンジの呟きは、闇の中へと消えた。

 翌朝、保安部隊が飛鳥を発見した時、彼女は一人で床に転がっていた。その体が彼女のものではない、少年用の上着とセーターに包まれていたことから、ドイツ支部は、服の持ち主が事情を知っていると判断、持ち主を特定するべく動き出した。
 衣服は高級ブランド品であり、特定は容易いと思われた。だが店側は『お客様のプライバシーに触れることはできません』と突っぱねたからである。状況からして、服の持ち主はアスカを助けた側であるのは間違いなかったのと、店自体にヴァンやトラフィムの圧力がかかったのも理由であった。
 2日後に目を覚ました飛鳥は、記憶が抜けていた。当時の夜の事を全く覚えていないのである。診察した医師は『強いショックにより、脳の防衛機構が作動し、記憶を忘れることで、正気を保とうしたと思われる』という判断をくだした。
 そして飛鳥もまた、自分の身に何が起きたのか分らないという不安を抱えつつも、再び訓練の日々に戻った。
 それからしばらくして、彼女は時折、夢を見るようになる。
 自分と同じ年齢、黒髪の会った事など一度もない少年の夢。少年はいつも謝罪の言葉を繰り返す。そして最後の言葉は、毎回同じであった。
 『もう二度と近づかないから・・・さよなら飛鳥・・・』
 少年の夢は、彼女に半身を奪われたような、悲しみをもたらすようになった。

 この一件は、当初の予想通りに進めば、簡単に終わるはずであった。
 だが事件は27祖に大きな影響を与えることになる。
 帰還したシンジは姉に報告もせず、誰とも言葉を交わすことなく、自室に閉じこもってしまったのである。
 部屋の中から聞こえてくるのは、シンジの嗚咽と『ごめん飛鳥、ごめん綾波』という言葉だけであった。外からいくら心配しようとも、全く反応がないのである。
 「仕方ない、しばらく様子を見よう」
 シンジが兄と慕う男の言葉に、27祖達も『シンジには時間が必要だ』と考え、その場から離れようとした、その時であった。
 敢えて表現するなら意識が捩じれた、と言うべきだろうか?
 この違和感の正体に、最初に気づいたのは3人。フィナ・スミレ・プライミッツマーダーである。他の者たちも、その正体に遅れて気がついた。
 その世界は『孤独』に満ちていた。他に誰もいない『孤独』。世界にたった一人という『孤独』。誰も自分を理解してくれない『孤独』。心許せる者のいない『孤独』。
 赤い海と白い砂に支配された、死に満ちた世界。そこには『孤独』しかなかった。
 「これは、固有結界か!」
 その『孤独』の中に存在するのは、一人の少年。その傍には誰もいない『孤独』な少年の姿は、27祖達にある言葉を連想させた。

 数日が経ち、悲しみと絶望に染まったシンジの顔からは、天使のような微笑みは完全に失われていた。27祖達は知らなかったが、シンジの表情は過去に遡る前、NERVに来る前の『仕組まれた子供』であった頃と同じ顔であった。
 その顔を見た兄姉達は誰も言葉を発したくはなかった。だが意を決したアルトルージュは、シンジにある伝承を伝えた。
 シンジは初め呆然とし、そして激しい拒絶を示した。『僕は弟でいたい!弟子でいたい!友達でいたい!それだけなのに、何でダメなの!』
 その悲痛なまでの叫びに、27祖達は妥協を示した。
 『固有結界を使わぬこと』
 もし使えば、その時は運命に従ってもらう、と。
 シンジの27祖の継承は、条件付きで放棄されることとなった。

 そして2年後、運命の日が訪れた・・・



To be continued...
(2010.01.09 初版)


(あとがき)

 はじめまして。紫雲と言います。
 こちらのホームページのSSを読んでいたのですが、ちょっと自分でも書きたくなって挑戦しました。
 拙い文章ですが、よろしくお願いします。
 ちなみに原作と違うキャラについては、基本設定にリストアップしてありますので、そちらをご覧ください。



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