堕天使の帰還

本編

第三章

presented by 紫雲様


NERV医療部病棟―
 コンコン
 軽いノックの音。中から『どうぞ』という声が聞こえてきた事を確認し、シンジは病室へ入った。
 個室の中で返事をしたのは、アルビノの少女、綾波レイである。
 「・・・あなた、誰?」
 「僕はシンジ=ブリュンスタッド。シンジでも、ブリュンスタッドでも、好きな方で呼んでよ」
 「そう、分かったわ。私は綾波。綾波レイよ」
 レイのか細い声に、懐かしさを覚えるシンジ。かつて自分のために、その身を犠牲にした少女の顔が、シンジの心を激しく揺さぶった。
 「あなた、なぜ、泣いているの?」
 「目にゴミが入っただけだよ・・・でも君が死ななくて良かった」
 「シンジ君、一つだけ教えて。あなたは碇司令の息子ではないの?私は、そう聞いていたのに」
 レイの質問は、当然の疑問であった。レイにしてみれば、シンジの姓は碇であるはずなのだから。
 「僕は、あの男とは縁を切っている。僕の家族、僕の大切な人達は、他にいるんだ。だから碇ではなく、ブリュンスタッドを名乗っているんだよ」
 「どうして?どうして、そんな事を言えるの?私が望む絆、それをそんな簡単に切り捨てるなんて・・・」
 その時、レイの目に浮かんでいた感情は―憎悪。自分が持つ、たった一つだけのゲンドウとの絆。それを無価値と言い捨てるシンジに対して、レイは生まれて初めて憎悪を抱いた。
 「それはね、綾波。僕が一方的に、あの男に捨てられたからさ。気がついた時、僕は駅のホームで一人泣いていた。君の言葉を借りるなら、あの男は僕との絆を簡単に切り捨てたのさ」
 その時、シンジの両目に浮かんでいたのは、まぎれもない悲しみ。
 「僕にとっての大切な家族、大切な絆はドイツにある。だから寂しくはない。僕を正面から見てくれる人達、僕の帰る場所を守ってくれる人達がいるから」
 「・・・帰る場所・・・?」
 「そう、帰る場所。僕が帰った時『おかえり』と言ってくれる人、出かけるとき『いってらっしゃい』と言ってくれる人、そして僕がここへ来る時『何かあったら、助けを呼びなさい』そう声をかけて心配してくれた人がいる場所なんだ」
 「・・・私には、そんな場所は無い・・・」
 レイの瞳にうっすらと浮かんだ透明な雫は、ゆっくりと頬を流れ落ちていく。
 「どうして・・・どうして、私は泣いているの?」
 「寂しいから、悲しいからだよ。人間は、悲しい時には泣くんだよ。だから君は、れっきとした人間なんだ」
 「あなた、一体・・・」
 綾波はジッとシンジを見つめる。その耳元へ、シンジはそっと囁いた。
 「綾波の中に使徒の遺伝子が混じっていることも、地下の水槽の中の事も、全て知っている。それでも、僕は断言する。綾波は人間だ。ただ一つの命しか持たない人間だ」
 「・・・!」
 「僕は、綾波と絆を結びたい。朝、学校で会ったら『おはよう』、別れる時には『またね』そう言えるようになりたい。僕は綾波と新しい絆を作りたいんだ」
 茫然とするレイ。自分の正体を知ってなお、シンジは自分との絆を望んでいる事に、レイは驚きを感じていた。
 「私は・・・私は・・・人間じゃないのよ?だって、碇司令がそう言ってたもの」
 「人間さ、綾波は。人間と言えないのは、僕の方だろうね、間違いなく」
 「シンジ君?あなた、一体・・・」
 レイの問いかけに、シンジは寂しそうに首を横に振った。答えるつもりはない、という意思表示に、レイの両眼に悲しみが浮かぶ。
 「綾波、君にプレゼントがあるんだ、受け取ってくれるかな?」
 レイが首を傾げる。ドアを開けて室内へ入ってきたのは、グラマラスな美女、スミレであった。
 「この人は、僕の姉さんでスミレ。姉さん、お願い。綾波の友達になってあげて。綾波はあの男のせいで、心が成長していないんだ。僕がいない時、綾波を助けてほしい」
 シンジの頼みに、スミレがニコリとほほ笑む。
 「初めまして、レイ。私はスミレ。シンジに言われなくても、あなたとなら絆を結びたいわ。これから、よろしくね」
 スミレが右手を差し出し、握手を求める。レイは釣られるように手を差し伸べていた。だがシンジはその光景に驚いていた。
 スミレは仮にも27祖の一角。人類を家畜扱いこそしていないが、スミレにとって本来は人間など餌でしかないのである。スミレがレイを同格の存在として扱い、握手までするとは、シンジにとって完全に予想外であった。
 「シンジ、この子、感情は少ないけど、健気な子だと思うわよ。同じ女として、応援してあげたいわね。私的には、ハンブルクの彼女より、この子を妹にしたいわ」
 「ね、姉さん!」
 シンジが叫び、スミレが笑い、レイが初めての握手に頬を染める。
 穏やかな昼下がりであった。
 レイの病室を辞した後、シンジとスミレはヴァンが手を回しておいた高級マンションへと帰った。
 「シンジ、一つ教えてちょうだい。あの子の中に使徒の遺伝子が混じっている、あれってどういうこと?」
 「そのままの意味だよ。綾波は、第2使徒リリスと碇ユイのハイブリッドクローン。かつて碇ユイのサルベージが行われた際、碇ユイの代わりに出てきた子供。僕から見れば、妹みたいな存在なんだ」
 シンジは両手を固く握りしめていた。死徒の力はいともたやすく、手の平を食い破り、マンションの廊下に赤い鮮血の水溜りを作った。
 「ごめんなさいね、あなたにとっても辛いことだったのに」
 「大丈夫だよ、この程度で潰れたりはしないから。それより、姉さん。もう一つだけ、僕の我儘を聞いてほしいんだ」
 スミレが言葉を続けるように促す。
 「綾波をここへ引き取りたい。今の綾波は、道具としてしか生かされていない。僕は綾波に、人間として生きる事の喜びを知ってほしいんだ」
 その願いは、スミレの笑顔と言う形で受け入れられることになる。
 
緊急放送から3日後―
 NERVには激震が走り続けていた。一般からの大量の抗議のメール・電話は、NERVが連絡先を公開していなかったため、処理能力に障害が生じることは無かった。だが世界各国の首脳部や、国連・経済界の重鎮からの抗議電話が鳴りやむ事はなく、総務部はノイローゼに陥った職員がカウンセラーの予約待ちをしているほどである。
 それらの抗議の中に、ゲンドウを名指しで非難した人物がいた。京都に住む日本経済の重鎮、碇源一郎である。ゲンドウの義父であり、ユイの実父、そしてシンジの実の祖父であった。
 『ゲンドウに今後一切、碇の姓を使用する事は許さん、そう伝えろ』
 緊急放送から30分後に入った電話は、その言葉を持って切られた。事務総長命令により、謹慎状態にあったゲンドウへ伝言という形で伝えられることになる。それ以降、ゲンドウは旧姓の六分儀へと戻った。
 そして、ついに事務総長によるNERV新体制が発表された。
 
降格となるのは、六分儀ゲンドウ、准将から二佐へ、司令から副司令へ。
 冬月コウゾウ、一佐から三佐へ、副司令から総務部部長へ。
 葛城ミサト、一尉から二尉へ、作戦部部長から作戦課課長へ。
 各支部の部長職以上は、1階級降格へ。
 本部所属尉官以上の全職員は、1階級降格へ。
 新しく就任するのは、UN空軍太平洋方面所属、栗林准将、本部司令へ。
UN空軍大西洋方面所属、ウィリス大尉、三佐へ昇格の上、作戦部部長へ。

減俸は六分儀ゲンドウ、冬月コウゾウ、ともに終身30%カット。
葛城ミサト、終身10%カット。

エヴァンゲリオンパイロットは作戦課から外れ、司令直属とする。またパイロット補充のため、ドイツ支部所属、2ndチルドレンを日本本部所属に変更する。

発表の3日後、発令所―
 「新しく司令となった栗林だ。以後、宜しく頼む」
 「同じく作戦部部長を務めるウィリスです。日本語は普通に話せるので、以後、よろしく」
 栗林は50前後の温和な顔立ちをした、壮年の男性。意思が強そうに見える、太い眉毛が特徴であり、すでに何度も万を超える軍隊を指揮した経験を持っている。
 ウィリスは20代前半、一見ひ弱そうな優男に見えるが、世界各地で激戦を経験し、射撃に関してはUNで間違いなくトップ。戦闘機を扱わせれば5指に入ると言われ、小隊指揮官や中隊指揮官としての経験も持つ猛者である。
 かつての自分の居場所を奪われたゲンドウやミサトにしてみれば、心中は複雑なものがある。特にゲンドウにしてみれば、知られてはマズイ秘密を山ほど抱えている身であるからだ。
 だがゼーレの後押しもあり、NERVの活動である使徒迎撃にのみ栗林は携わることになり、人類補完計画(表向きは2ndインパクトからの復興と、使徒迎撃を果たした後の世界再建計画という内容になっている)はゲンドウが引き続き最高責任者となる事が決定している。
 こうなった理由は『迎撃と再建、その両方を一人が担当するのは負担が大きく、それが原因で六分儀・元司令は失敗した。六分儀は戦闘については素人であるため、戦闘は新・司令である栗林司令に迎撃計画の全てを任せ、世界の復興という計画性の高い仕事こそ、文官肌である六分儀が担当すべきだ』という意見が認められたからである。
 さらに『復興計画担当者には、戦闘の指揮をする発令所に席を置く必要はない。六分儀には反省の意味も込めて、最下層のエリアを仕事場所にしてもらおう』という大義名分をこじつけて、セントラルドグマをゲンドウ専用の仕事場所としたのである。
 SEELEの目論見通り、栗林はこれを了承。栗林にしてみれば、ことさらゲンドウに嫌味を言う趣味もないし、失脚した前・司令の姿をせせら笑う趣味もない。ゲンドウが自ら最下層での勤務を望むのなら、好きにさせておけばいい、と考えたのである。司令に選ばれた理由の一つである性格面の高潔さが、逆にSEELEやゲンドウにとって助けとなったのは皮肉な巡り合わせであった。
 そして、ゲンドウの腹心であった冬月とリツコは、毎日、セントラルドグマと発令所を往復する破目になる・・・

同日、武道場―
 NERVも保安部や諜報部がある以上、生身での戦闘は避けられない。そのため、射撃や白兵戦の技術向上のための場所があるのは当然のことである。
 その畳が敷き詰められた武道場に、シンジは立っていた。エヴァは搭乗者の動きを再現するため、搭乗者の技量が高ければ、それだけエヴァも強くなる。そのためにもシンジには白兵戦の鍛練をしてもらうべきだ、という意見が作戦部職員からだされ、新しい部長であるウィリスもそれを了承したのである。
 ウィリスはシンジの身上書には目を通している。そのどこにも武道の練習を積んだ形跡が無かったため、まずは基礎からと考えていた。
 ところが武道場に胴着を着て入ってきたシンジを見て、すぐに違和感を感じた。その正体を探るべく、試しに空手の正拳突きをやらせてみたのである。
 やはり空手の経験はないせいか、その姿には無駄も多い。だが速さそのものは遙かに標準を上回っていた。
 『もしや?』
 ウィリスの脳裏に疑念が浮かんだ。
 「高月、シンジ君と組み手を。ルールは空手限定の寸止めのみ。柔道技は禁止だ」
 「了解です、三佐どの」
 保安職員としては小柄な高月が、腰を軽く落として半身に構える。その高月の懐へ飛び込んでいくシンジ。
 しばらくの間、互いに拳や蹴りの応酬が続く。そのシンジの動きを見たウィリスは、自分の疑念が正しかったことに確信を持った。
 「それまで!シンジ君、どうして君は動きがぎこちないんだ?どこか怪我でもしているのか?」
 戻りかけていた高月が、シンジへと振り向く。あの応酬の際、手加減していたとはいえ、シンジは彼のスピードについてきていたのだ。正直『中学生レベルを超えている』と認めていたのだが、それでも実力を発揮できていなかったのか?と。
 「怪我はしていません。ただ本気を出せないだけなんです」
 「ふむ、体調でも崩したのかい?風邪気味なら赤木博士の診察を受けた方がいい」
 「違います。僕、ルールがある戦闘は苦手なんです。僕が習った戦闘は、基本的に何でもありでして今みたいに『空手限定』とか『寸止め』とか言われると、半分以上技を禁止されてしまうんです」
 シンジの発言に目を剥く保安部職員。『財団の跡取り』『レイの為に戦う少年』といった姿に、彼らは好意を持っていたのだが、この発言にはカチンときた。暗に手加減していたと言われたも同然だからである。
 だがウィリスは違った。戦場での殺し合いを経験している彼にしてみれば、同じ理由で全力を出せなかったからであった。
 「わかった、ルールを変えよう。だが怪我をされては困るのでな、急所攻撃だけは禁止だ。高月、もう一度だ。本気を出して構わんぞ」
 再び対峙する二人。『始め!』という合図とともに、シンジが高月の足元へ再び飛び込む。今度は地面を這うかのように。
 慌ててローキックで牽制する高月。だが蹴り足より前の地点で、シンジは右足で床を蹴り、左足の突き蹴りで高月の顔面へと襲いかかった。
 シンジの狙いはタックル。そう思い込んでいた高月は、急に狙いを下から上へと変えられ、防御するだけで精一杯である。想像以上の威力を秘めていた下からの蹴りを凌いだのも束の間、直後にがら空きになっていた左胸に軽い打撃を受けた。
 シンジがナイフを持っていたら、自分は死んでいた。そう理解した高月は、素直に敗北を認めた。
 「まいった、俺の負けだ。しかし、強いな君は」
 「さっきの蹴り技は、単なる奇襲攻撃。種が割れてれば通じることのない一発芸です」
 「そういう割には、かなり練習を積んでいたんじゃないのか?動きもスムーズで、無駄がない。まるで水が流れるようだ」
 ウィリスの褒め言葉に、照れるシンジ。
 「兄さんから教えてもらったんです。兄と言っても血の繋がりはないし、お互いに兄弟のように思っているだけですけどね」
 「素手での戦闘を習ったのかい?」
 「はい。打撃・間接・投げ・絞め・急所攻撃と何でもあり。ただ本来なら短刀―ナイフも組み合わさるんです。あともう一人、戦闘の先生がいるんですが、その人からは両手剣を使う西洋剣術を習いました」
 あっけらかんと説明するシンジ。ウィリスがシンジの掌を見てみると、その皮膚は剣ダコに覆われていた。
 「なるほど、それならばエヴァの武装にも両手剣があった方がいいだろう。俺から技術部へ申請しておこう」
 「ありがとうございます」
 シンジの言葉に、ウィリスはひ弱そうな外見には似合わない、男くさい笑みを見せた。



To be continued...
(2010.01.16 初版)


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