堕天使の帰還

本編

第十二章

presented by 紫雲様


士官用個室、加持居室―
 1人用ベッドと簡易テーブルと椅子。それだけが置かれている狭い室内に、シンジと加持は向かい合って座っていた。加持の顔は笑っているが、目は真剣そのものである。対するシンジはと言えば、表情から感情が消えうせていた。見る人が見れば、まるで能面だと思うだろう。
 (・・・こいつは・・・こんな顔する子供が・・・)
 「加持さん、これから話す事は全て事実です。質問はあとで受け付けますから、とりあえず聞いてもらえますか?」
 「分かった」
 そしてシンジは語りだした。自分が3rdインパクトを経験し、第2使徒リリスの力を得たレイの犠牲と引き換えに過去へと遡ってきたこと。遡ってきたのは4年前であり、この4年間は3rdインパクトを防ぐため、新しい家族に自分を鍛えてもらっていたこと。2年前、ドイツのハンブルクで起きた猟奇事件に飛鳥が巻き込まれたとき、それを助けに入ったこと・・・
 「僕個人の大まかな流れは、だいたいこんな感じです」
 「あの事件、君が関わっていたのか」
 「はい。でも飛鳥は僕の知る明日香じゃなかったんです。あの戦いの中で、僕が好きになった明日香じゃなかった・・・」
 ガックリと項垂れるシンジ。
 「僕は決めたんです。僕は飛鳥と綾波を今度こそ護りぬく。それこそ僕が果たすべき贖罪なんです。3rdインパクトで、あの赤い世界を生んだのは僕の中に芽生えていた『全て無くなれば良い』という破滅願望でした。そんな世界を生むような罪人には、幸せになる権利なんてないんです。僕はこの世に生れてくるべきじゃなかった・・・」
 「シンジ君、それは思い詰めすぎだ」
 「良いんです。今ここにいる僕は、多くの罪の上に立っているにすぎない。罪を犯した以上、償うのが当然のことなんです。裁いてくれる人がいないのなら、自分で裁くしかないんです」
 話半分に聞いていた加持だが、シンジの心の苦痛は真実であると直感していた。今まで多くの嘘つきや、演技をする同業者にも多く接してきた経験が加持にはある。その経験がシンジが事実を口にしている、と叫んでいた。
 「加持さん、僕はあなたが望む真実、2ndインパクトの真相を知っています。それをあなたに教えます。その代わり、あなたにしてもらいたい事があるんです」
 「・・・聞こう」
 「1つ目は僕の協力者として、3rdインパクトを防ぐこと。その手始めとして、あなたが秘密裏に運んでいるアダムに、発信機をつけてもらう事です。加持さんなら、それぐらいは持ち歩いているでしょう?」
 「まあな。だがすぐにバレると思うぞ?」
 「大丈夫です。今晩中に解決しますから」
 「分かった。あとで細工をしておこう」
 加持の承諾を受けると、シンジは次の頼みを口にした。
「2つ目はミサトさんの事です。ミサトさんは、あの世界であなたが暗殺された後、ずっと泣いて暮らしていました。あなたも『8年前に言えなかった事を言うよ』それだけを伝言に残したまま、世を去りました。こんな悲しい未来を繰り返さないでください」
 シンジの言葉は加持の心を鋭く抉った。8年前に言えなかった事、それは加持にとって何よりも大切な言葉だったから。
 「3つ目は飛鳥の事です。飛鳥を護る。その誓いに偽りはありません。でも隣に立って幸せになる事を、僕自身が許せない。だから僕が飛鳥の前から去った時、僕の代わりに飛鳥を幸せにできる人を見つけてあげて欲しいんです。傲慢に思われるかもしれないけど、もう僕には他の方法を思いつけないんです」
 「分かった。覚えておこう」
 「ありがとうございます。では加持さんが求める真実、それを話します」
 南極大陸に眠っていた第1使徒アダム。その調査に送り込まれた葛城調査隊。2ndインパクト前日に南極を立ち去ったゲンドウと背後にいたSEELE。第1使徒アダムを調べたのは葛城教授が提唱していたS2機関を実証するため。アダムへ接触するため、連れてこられていたゼロ・チルドレンというべきミサト。結果、S2機関は暴走し、アダムをなんとか卵にまで還元できたが、余波により2ndインパクトが起きてしまった事・・・
 「これが真実です」
 「そうか・・・教えてくれてありがとう・・・」
 「お願いですから、口外はしないで下さい。僕が3rdインパクトを防ぐ、その日までは黙っていてほしいんです」
 黙って頷く加持。それにホッとしたシンジは、重い鉄のドアを開けつつ振り返った。
 「長話になりましたね。そろそろ戻りましょうか」
 「シンジ君、一つだけ教えてくれ。君は、今も明日香の事を・・・」
 「はい。僕の想いは4年間、全く変わりません。でも、どれだけ望んでも、僕はもう明日香には会えないんです。エヴァに固執して、プライドが高くて、自信に溢れていて、とても勝ち気で、素直じゃなくて、でもみんなには決して見せなかった、泣き虫だった明日香。本当はどこにでもいる、普通の女の子だった明日香。僕にとって、もう一つの太陽だった明日香・・・」
 振り返ったシンジの顔は、今にも泣きだしそうだった。
「僕の事を打算抜きで正面から見据えてくれた明日香。笑いかけてくれて、泣かれて、憎まれて、怒られて、そして好きになった明日香。僕は、明日香にはもう二度と逢えないんだ!」
 拳を鉄製のドアに叩きつけるシンジ。鈍い音が立ったが、シンジは痛がる素振りすら見せなかった。そのまま廊下へ出ていく。人影一つない廊下は、限りなく冷たく、寂しい光景であった。まるで今のシンジの心のように。
 「すいません、ムキになってしまって。飛鳥が痺れを切らしてそうです。早く食堂へ向かいましょう」
 「すまんシンジ君、煙草が切れたみたいだ。自販機で買ってくるから、先に行っててくれないか?」
 「はい、じゃあ先に行ってますね」
早足で立ち去るシンジ。その姿が廊下から消え去ったのを見届けると、加持は隣室のドアを静かに開いた。
「飛鳥、盗み聞きはよくないぞ?」
「加持さん、アイツが過去から時間を遡ってきたって・・・」
暗闇に包まれた隣室にいたのは、蒼白な顔をした飛鳥であった。
「俺にはウソだとは思えなかった。何より今のシンジ君は、つい先日まで一般人だった彼が知りえない情報を知っていたからな」
「アタシ、2年前の記憶が飛んだ頃から、よくアイツの夢を見るの。夢の中でアイツ、いつもアタシに謝ってるの。もう二度と近づかないから、さよなら飛鳥、って泣きそうな顔してるの・・・」
「記憶は戻ったのか?」
首を横に振る飛鳥。
「アタシ、その時にアイツに何か酷いことしちゃったのかも・・・」
「そうかもしれない。だが違うかもしれない。俺に分かるのは、シンジ君にとって過去に愛した明日香という女の子が、とてつもなく大きな存在として、心の中にいることだけだ。それも未だに血を流し続けるトラウマとしてな」
「加持さん・・・」
「しばらくは飛鳥が盗み聞きしていたことは黙っていた方がいいな。聞かれたと知ったら、多分、シンジ君の心を苦しめる事になる」
 「・・・アタシは・・・アタシは、どうすればいいの・・・?」
 青い顔をした飛鳥の両眼から、透明な雫が流れ落ちた。

士官食堂―
 (・・・遅いなあ、加持さん。飛鳥もどこ行ったんだろう)
 寄り道もせず、まっすぐに席へ戻ったシンジは、先ほどの会話が盗み聞きされていた事に全く気付いていなかった。幾ら死徒化して五感が鋭くなっても、動揺していては宝の持ち腐れである。
 (そういえば、そろそろガギエルが来る頃だよな・・・ん?それってマズイんじゃ)
 ハッと気がつくシンジ。前回のガギエル戦は、ガギエルが攻めてきた時には弐号機の側にいた。だが今回は弐号機どころか、そばに飛鳥すらいない。
 「しまった!」
 「どうした、シンジ君。忘れ物でもしたのか?」
 「え!?えっと、家の戸閉まり確認してなかったな、と・・・」
 「財団のセキュリティつきなんだ、心配する事はないだろう」
 笑って受け流すウィリス。シンジも『そうですね』と愛想よく流すが、内心では激しく動揺していた。
 弐号機を起動できないまま戦闘になってしまっては、完全に終りである。
 「えっと・・・ウィリスさん、僕、弐号機を一度見てみたいんですけど、ダメでしょうか?」
 「ん?それならラングレー特務准尉に頼むべきだな。後ろにいるぞ」
 慌てて振り向くシンジ。そこには視線を下に向ける少女が立っていた。
 「えっと・・・その・・・」
 どこか気まずい空気が漂う。それを見かねたウィリスが口を挟んだ。
 「ラングレー特務准尉。ブリュンスタッド特務准尉が弐号機を見たいそうだ。良かったら案内をしてあげてくれ」
 「・・・分かりました・・・こっちよ、サード」
 「あ、ありがとう。飛鳥」
 食堂から立ち去る子供達。
 (・・・何かあったのか?さっきとは雰囲気が違いすぎるが・・・喧嘩、という訳でもなさそうだが・・・)
 
弐号機輸送船オセロー―
 記憶にある弐号機が仰向けに固定されている光景に、シンジはガギエルの襲来も忘れて懐かしさに浸っていた。初めて行った、明日香との共同作戦であるタンデムシンクロ。その時の記憶は、4年経った今でも、全く色褪せていなかった。
 (明日香・・・君はどこに行っちゃったんだよ・・・)
 懐かしさと悲しみを浮かべるシンジ。その顔を見つめる飛鳥の胸中は複雑極まりない。
 (こいつは、アタシをずっと見ていてくれたのよね。その時のアタシがどう想っていたかは分からないけど、なんでこいつのことを嫌いになったんだろう?)
 シンジの秘密を盗み聞きしてしまった事を、飛鳥は後悔していた。ちょっとした好奇心が、こうも自身を苦しめる事になるとは想像すらしていなかったのである。
 (最初に強烈に印象付けて、主導権握ろうと思ってたのに・・・こいつに比べたら、アタシって子供じゃない・・・)
 「・・・ねえサード、一つ、訊いても良い?」
 「何?」
 「アンタは何でエヴァに乗るの?」
 シンジの眼が、飛鳥の顔を正面から見つめる。
 「護りたいから。僕の大切な人達を護りたいから。そのために僕はエヴァに乗る事を自分で決めたんだ。最後まで何があっても諦めない。石に齧りついてでも、最後まで戦う事を諦めない、そう自分で決めたんだ・・・」
 飛鳥が見たシンジの双眸は澄んでいた。まるで飛鳥自身の心を映し出すかのように、シンジは真剣に飛鳥を見ていた。
 「私は・・・私にはアンタみたいな目的は無いの・・・」
 「飛鳥?」
 「私は自分のために戦ってるの。惣流=飛鳥=ラングレーという存在を、周りに認めさせたいだけ、それだけのために戦ってるのよ・・・なんか、自分がイヤになる」
 座り込む飛鳥を見て、シンジは戸惑っていた。前回のガギエル戦ではこんな話はしなかったからである。明日香はいかに弐号機が優れているのか、胸を張って誇っていた。その時とは、あまりにも状況が違いすぎた。
 (何でこうなる?明日香は自信に充ち溢れていた。飛鳥だって、そうじゃないとおかしいのに)
 とりあえず飛鳥を慰めようと腰を下ろすシンジ。そこへ爆音が轟いた。
 「まさか・・・!」
 慌てて振り返ったシンジの視界には、天を衝くかのような大きな水の柱が立っていた。その柱の真下には、真っ二つにへし折れた軍艦がゆっくりと沈みつつあった。
 「飛鳥!使徒だ!弐号機で撃退しよう!」
 「・・・うん、分かった」
 明らかに覇気のない飛鳥。そんな彼女の姿に、シンジは心の中に不安が広がっていくのを感じ取っていた。



To be continued...
(2010.02.06 初版)


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