第十三章
presented by 紫雲様
弐号機エントリープラグ内部―
「飛鳥、準備は良いかい?」
シンジの問いに黙って頷く飛鳥。シンジから見ても、少女は明らかに調子が悪い。体ではなく、精神的な不調であることはシンジも薄々気づいたが、このような場合にどう対応すればいいのか全く分からずに困っていた。
今のシンジは制服のままである。飛鳥もまたヘッドセットにワンピースのままエントリープラグに乗り込んでいた。
「・・・弐号機、起動・・・基本言語は・・・日本語で・・・」
虚ろな声に機械が反応し、プログラムが立ちあがっていく。だが弐号機は起動せず、大きな警告音がうるさく鳴り響いた。
「なんで、なんで弐号機が起動しないんだ!」
弐号機が起動しない。シンジにとって、完全な計算違いであった。原因が飛鳥の不調にある事は彼にも分かっている。だが起動できないほど酷いとは思わなかったのだ。
「飛鳥、一体、君に何があったんだ?」
「分かんない、分かんないわよ・・・アタシは、アタシはアンタみたいに強くない・・・アンタみたいに・・・」
もしLCLが無ければ、シンジは気付いていただろう。飛鳥の青い瞳が涙を湛えていたことに。
(・・・飛鳥、ごめん。少しだけ、君の弐号機に触るよ・・・)
シンジの手から、音もなくエーテライトが伸びた。
(・・・飛鳥のお母さん、いませんか?惣流=キョウコ=ツェぺリン博士、僕の声が聞こえていたら、応えてください)
シンジは弐号機のコアに眠る、キョウコに直接コンタクトを取ることにした。エーテライトは対象の感情や思いすらも共有することができる。それならコアに眠る物とも接触できるのでは?と考えたのである。
(僕はシンジ。エヴァンゲリオン初号機パイロット。認めたくはないけど、碇ユイの息子と言えば分りますか?)
『・・・ユイの子供・・・確かに見覚えがあるわ・・・』
(お願いです、力を貸してください。飛鳥を助けるのに、飛鳥のお母さんである、あなたの力を貸してほしいんです)
シンジのそばに近寄ってきたのは、飛鳥によく似た顔立ちの女性であった。
『・・・あらあら、困った娘ね。思い悩んだ挙句に、袋小路に嵌っちゃうなんて・・・いいわ、飛鳥のお尻を叩いてあげれば良いのかしら?』
(声をかけてくれるだけでも十分ですよ。今の飛鳥は戦う理由を見失ってしまったんです。でもキョウコさんが弐号機の中にいると知れば、きっと立ち上がれます)
『あなたは飛鳥を支えてくれないのかしら?』
少し意地悪げなキョウコの口調に、シンジは『ごめんなさい』と口にした。
(僕には、飛鳥の側にいる資格なんてない。あなたには全てを教えます)
エーテライトを通して、全ての真実をキョウコに教えるシンジ。
『・・・シンジ君、あなたはそこまで明日香のことを・・・』
(僕は飛鳥を明日香の代役にするつもりなんてありません。だから飛鳥の傍にはいられない。僕にできるのは飛鳥を護ることだけです)
シンジの言葉に、キョウコは軽い溜息をついた。
『いいわ、飛鳥の事は私に任せて』
(じゃあ、僕も戻ります。あなたをエーテライトで操るのは失礼ですから、久しぶりにシンクロさせてもらいますね)
飛鳥内面世界―
(アタシ、もう戦えないよ・・・ゴメンネ、シンジ。アタシが盗み聞きなんてしなければ、アンタも死ななくて済んだのに・・・)
『何、内に籠ってんの、飛鳥!それでも私の娘なの!?』
(マ、ママ・・・?)
顔を上げた飛鳥の前には、幼い自分を無条件に愛してくれた、心優しい女性が立っていた。
(ママ!ママ!)
『飛鳥、あなたが戦えない理由、分かってる?』
黙って頷く飛鳥。彼女は精神年齢こそ実年齢より幼いが、頭の回転が悪い訳ではない。むしろ頭の回転は実年齢以上であるし、軍事訓練によって状況を冷静に把握する能力にも秀でているのである。
『飛鳥、戦う理由が無くても、今は戦うべきよ。ここで死んでしまったら、あなたは理由を見つけることすらできなくなってしまうのよ?』
(ママ・・・)
『それにね、今死んだら、シンジ君はどうなるの?一緒に死んでも、あなたを見てくれるとは限らないわよ?』
(ママ!アタシはアイツのことなんて!)
『飛鳥、シンジ君が飛鳥ではなく明日香を見続けているのが嫌なら、シンジ君をあなたに振り向かせてみせなさい。あなたなら、きっとできるわ』
(ママ、アイツの秘密、知ってるの?)
飛鳥の問いかけに、キョウコは黙って頷いた。
『私の可愛い飛鳥。ママはいつでも弐号機の中であなたを見ているわ。あなたは私のたった一人の娘なんだから』
(ママ・・・)
『飛鳥、戦いなさい。シンジ君があなたが帰ってくるのを待っているわ。困ったことがあったら、彼に相談しなさい。きっと助けてくれるから』
(うん、ありがとう・・・ママ・・・)
弐号機エントリープラグ内部―
エーテライトを回収したシンジは、うるさいほど響いていた警告音が鳴りやんだ事に気がついた。
「弐号機、シンクロスタート」
「飛鳥!」
「待たせたわね、サード。アタシはもう大丈夫だから」
「行こう、飛鳥」
立ち上がる弐号機。オセローから旗艦までの距離は、それほど離れてはいないが、飛び移るには助走距離が欲しいところであった。
「飛鳥。旗艦への最短距離をとって。旗艦にケーブルを持って来てある!」
「サード?」
「僕を信じて、飛鳥。必ず足場は作る」
「分かった!行くわよ、サード!」
言い切るなり海へ飛び出す弐号機。重力に引かれて落ちる弐号機は、途中でその落下が止まっていた。
「まさか・・・ATフィールドで足場を作ったの?」
弐号機の真下、海の上に漆黒のATフィールドが姿を現していた。
「飛鳥、旗艦へ急いで。ケーブルを繋げないと、バッテリーが上がる」
内蔵電源―残り0:52
「サード、足場は頼むわよ」
踏み切る飛鳥。全長40メートルを超える真紅の巨人が海上を駆け抜ける。その光景は軍艦から見ていた者、脱出し海上を漂っていた者、全てに驚きをもたらしていた。
「弐号機、着艦しまーす!」
外部音声で報告しながら着艦する弐号機。空中でクルッと一回転すると、タイミングよく漆黒のATフィールドが現れ、全ての衝撃を静かに吸収する。
甲板から逃げ遅れていた者達は、至近距離で行われた巨人の曲芸に、束の間、見とれていた。
「これで、電源はよし、と」
『弐号機!聞こえるか!』
「ウィリス三佐、状況をお願いします!」
「ブリュンスタッド特務准尉も乗っていたのか!」
エントリープラグ内部へ聞こえてきた声に、僅かに安堵を覚える2人。
「目視で確認した限りでは、表面上にコアは見受けられない。恐らく体内だ」
(・・・そういえば、前回は口を無理矢理あけて、零距離射撃で倒したけど)
「あれだけ巨体だと、皮膚の厚さも馬鹿にできないだろう。正直ナイフでは歯が立たない。ここはわざと呑みこまれて、中から攻撃する方がよさそうだ」
「一寸法師ですか、さしずめ打ち出の小槌はプログナイフかな」
クスッと笑うシンジに、飛鳥が『何それ?』と首を傾げる。
「鬼を退治するのに、お腹の中から攻撃した小人の物語だよ」
「オッケイ。作戦は分かったわ。それじゃあ、いきますか」
その頃、空母オーバー・ザ・レインボウ甲板上の物陰―
「なんとかなったか」
甲板の片隅で、加持は着艦した弐号機を見つめていた。加持の眼には、今の弐号機は活き活きしているように見えた。
「どうやら飛鳥も持ち直したようだな・・・」
右手に持ったトランクに目を落とす。その中に眠っているアダムには、シンジの依頼通り、超小型の発信器が取り付けられていた。
煙草を取り出し、フーッと紫煙をくゆらす。
「ま、たまには他人に自分の命を預けてみるのも面白いか。頑張れよ、二人とも」
「しかし、あの使徒、海中なのに動きが速いわね」
巨大な波飛沫を立てながら、海中を駆けるガギエル。その速度は時速に換算すれば、ゆうに100kmは出ている。
「ま、使徒だからね。それより奴も気づいたみたいだ、準備は良いかい?」
「サード、足、引っ張んじゃないわよ」
飛鳥は笑顔を浮かべていた。今まで一人で全てをこなしていた彼女にしてみれば、他人との共同行為など自分の足を引っ張る余分な行為でしかない。だがシンジは違った。シンジのエヴァの操縦技術の高さ、それは飛鳥を上回るからだ。
問題なのは、それが飛鳥にとって嫉妬の対象となりうる点である。
ところが、それが表に出てこない。それどころか飛鳥がシンジに頼もしさすら感じるのは、彼が彼女よりも4つ年上であることに理由があった。飛鳥は孤高を貫く少女だが、加持のような例外も存在している。それは自分よりも精神年齢が高く、ありのままの自分を見てくれる存在であるということ。
シンジの場合、飛鳥を『護るべき存在』として捉えている。そして全てが終われば、姿を消すことを明言している。飛鳥にしてみれば面白くないが、母の言葉がそれを受け止めていた。
『シンジ君をあなたに振り向かせてみせなさい』
(分かってるわ、ママ!アタシのこと、見ていてね!)
一瞬、弐号機の四眼に、緑の光が灯った。
「飛鳥!来るぞ!」
「分かってる!シンジはATフィールドで旗艦を守って!」
空中に躍り出るガギエル。その全長は200メートルを超えていた。
時速100kmに及ぶ速度に重力落下の加速、巨体に伴う重さを加えた衝撃は、常識を超えた破壊の力を秘めている。直撃すれば空母であっても、一撃でスクラップと化す。
「フィールド、全開!」
逆行してきて以来、初めてシンクロしたシンジは、かつて最高値のシンクロ率を叩きだしていたその実力をフルに発揮していた。
弐号機の眼前に現れる漆黒の壁。ガギエルは轟音を立ててATフィールドにぶつかると、そのまま海上へと落下した。
「行くわよ!」
それを追って海中へ飛び込む弐号機。ぶつかった衝撃が体に残っているせいか、ガギエルの動きは緩慢としていた。
水中用装備ではないが、高いシンクロ率に物を言わせて、無理矢理海中を進む弐号機。
新横須賀港到着後に判明した、この時の飛鳥のシンクロ率は99.89%。理論限界値に達していたのである。
瞬く間に接敵する弐号機。口内へ乗り込んだ弐号機を迎撃すべく、ガギエルは単純な行動をとった。
上下から迫る鋭い歯の列。その内の1本が、弐号機の胴体を掠め、装甲ごと脇腹を引き裂いていた。
「キャアアアアアアアアアア!」
フィードバックしてきた痛みに耐えきれず、朦朧となる飛鳥。そんな少女を覚醒させたのは、自分に触れてくる温もり。
うっすらと目を開ける飛鳥。
インダクションレバーに伸びていた少女の両手の上に、少年の手が伸びていた。少年は操縦席の横から手を伸ばしていた。その顔を苦痛に歪めながら。
「シンジ!」
「飛鳥!痛みはこっちで引き受ける!だから、早くコアを!」
シンジの叫び。飛鳥は両眼に強い意志の光を宿らせ、プログナイフを構えた。標的は正面で明滅する赤い球体コア。
「これで、終わり!」
激しい火花を撒き散らしながら、プログナイフがコアに突き刺さった。
第6使徒 ガギエル殲滅―
To be continued...
(2010.02.06 初版)
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