堕天使の帰還

本編

第二十四章

presented by 紫雲様


第3新東京市郊外上空―
 バラバラと音を立てて飛行する軍用ヘリ。その中に、2人の男が座っていた。
 「昨日、キール議長からクレームが来ていたぞ?六分儀」
 「どうせまた、下らない事を言ってきたんだろう」
 「まあな。計画遅延が目に余る、と言っていた。ダミーシステムはドイツで開発させているから問題はないが、重要な人類補完計画が遅れているのが気に食わないようだ。最後には、お前の解任を仄めかしていたぞ?」
 「ふん、老人どもに何ができるというのだ」
 相変わらず強気のゲンドウ。その態度に冬月が眉間に皺を寄せる。
 「強気過ぎるのも問題だぞ?失敗するなとは言わないが、失敗は教訓として活用すべきではないか?」
 「ふん、アダムの事か。あれなら問題ない。赤木博士に命じて、弐号機の素体から細胞を培養させ、アダムを復元する計画を立てさせたからな」
 「まあ、いいさ。お前がそこまで言うのなら、俺は何も言わんよ」
 冬月が窓の外へと視線を向ける。ヘリから見下ろす光景は絶景である。
 「それより、あの男のことだが、どうするつもりだ?」
 「まだ泳がしておこう。今はこちらの力が少ない。利用できる限りは、利用すればいい」
 「そうか、それなら放っておこう」
 「問題はMAGIだ。財団のプログラムのせいで、接触ができん。お前の名前を使い過ぎるのも、疑惑を招く事に繋がる。こちらの方が、はるかに切実な問題だ」
 ゲンドウの視線は、はるか地平線の先をジッと見据えていた。
 「赤木博士に何とかできないのかね?」
 「ああ、白旗を揚げていた。もはや彼女の存在価値も無い。アダム再生計画が終われば用済みだよ」
 「やれやれ。お前という男は・・・」

第3新東京市、市立第1中学校―
 お昼休みの時間、屋上でチルドレン3人組はノンビリとお弁当を食べていた。今日の弁当も、シンジの御手製である。
 飛鳥は好物中心、レイは野菜と魚中心、シンジはちょうどバランスの良い組み合わせにされている。
 「飛鳥!」
 屋上に響いた声は、委員長であるヒカリの声である。
 「ヒカリ、どうしたの?そんなに急いで」
 「飛鳥に聞きたい事があったの。飛鳥って、ブリュンスタッド君とは付き合ってるの?」
 ゴホッ
 むせる飛鳥とシンジ。レイは少し冷たい目つきでシンジを見る。
 「そうよ!アタシはシンジと付き合ってるの!」
 「お、おい、飛鳥。なんでそんな」
 「シンジ君は私の恋人よ、飛鳥」
 「あ、綾波まで!」
 突如始まる三角関係の論争。ヒカリは3人と接するようになって日は浅いが、それなりに性格は把握している。
 勿論、誰の言葉が一番信用できるのか?という点についても理解はしていた。
 「ブリュンスタッド君も大変ね」
 「わ、分かってくれるんだ、ありがとう、洞木さん」
 「「ヒカリ(洞木さん)に色目を使わないで!」」
 見事にユニゾンする言葉と動作。シンジは臀部に鈍い痛みを感じるも、ひたすら声を出すのを我慢していた。
 「まあ、飛鳥の気持ちは分かったから、今回は止めとくね」
 「結局、何だったのよ?」
 「お姉ちゃんのクラスメートから、飛鳥を紹介してほしいって頼まれてたのよ。でも今の飛鳥には迷惑だろうから、断っておくわ」
 「ダンケ!ヒカリ」
 
NERV本部発令所―
 「3名とも、シンクロ率でました。零号機69.7%、初号機0%、弐号機99.89%です」
 「相変わらずね、シンジ君は」
 「理論上、最高と最低の2人がライバルってのもおかしなものね」
 定期的に行われるシンクロテスト。シンジは初搭乗以来、ずっと0%を記録し続け、飛鳥は来日以来、ずっと理論限界値を記録し続けている。
 「ドイツの連中、天狗みたいよ?ドイツ支部の2ndチルドレンは、我々が育てた天才なのだ!ってね」
 「いいじゃない、勝手に天狗にさせておけばいいのよ。鼻が折れてから後悔した所で遅いのだから」
 リツコの言い分に、ミサト我が意を得たり、とばかりに頷く。
 「それより、明日の結婚式、何着てくか決めたの?」
 「一応ね・・・ああ、出費が痛い・・・」
 「あなたの場合、車とビール代を削れば良いのよ。一応は高給取りなんだから。それか加持君と結婚して、御祝儀を貰う側にまわるのね」
 「・・・その加持がいないのよね。一体、どこほっつき歩いてるんだか、あのヴァカは」
 不機嫌になるミサト。一時は見放しかけた親友だが、それなりに感情はある。やはり知人には幸福になってもらいたい、リツコはそう素直に考えた。
 「いいわ、3人とも上がってちょうだい。それより、ミサト、気がついた?」
 「ん、何が?」
 「シンジ君よ、すこし暗い感じがしない?」
 モニターに映るシンジを見直すミサト。だが彼女には、全くそうは見えなかった。
 「気のせいじゃないの?」
 「・・・やっぱり、気になるのかしらね・・・」
 明日が意味する日を理解していたリツコは、気の毒そうにシンジを見つめていた。

翌日、シンジ宅―
 「本当に行かなくていいの?シンジ」
 「行く必要なんてないよ。僕はあの2人とは縁を切ってるんだからね」
 久しぶりにチェロを弾こうと、調弦をしながら受け答えするシンジ。
 「それに墓の中身は空っぽなんだ。中身は初号機の中だと分かってる。それで、よくあの男は墓参りなんて行く気になれるよ」
 「あなたがそう言うのなら、これ以上は言わないけどね」
 「そういえば、飛鳥とレイはどこへ行ったの?」
 「・・・さあ?朝早く出て行ったから、私は知らないのよ」
 「そう・・・」
 シンジの顔に、どこか不満気な表情が浮かんでいた。

第3新東京市郊外、墓地―
 「ふう、やっと行ってくれたわね」
 墓地の外れで、NERVとペイントが施されたVTOLが飛び去ったのを確認した上で、飛鳥は物陰から出てきた。そのすぐ後にレイが続く。
 「リツコが副司令のお墓参りの時間を知っててくれて助かったわ。ばったり会ったら気まずかったからね」
 「そうね。それより、お参りを済ませましょう」
 「分かったわ、行きましょう」
 紅と蒼の少女がしばらく歩いて立ち止ったのは、すでに花が供えられている1つのお墓である。そこに刻み込まれているのは『Yui Ikari』。
 「ここがシンジのママのお墓ね」
 お花を供えて、静かに祈りを捧げる飛鳥。飛鳥の場合はキリスト教式の祈りであり、レイの場合はただ目を瞑るだけである。
 「シンジのママは、どう思ってるのかな。シンジはママの事、すごく嫌ってる。副司令に至っては、それこそ敵扱いしてる。3rdインパクトの犠牲になったシンジの気持ちを考えれば、仕方ないとも思う。でもこのまま放っておいていいのかな」
 「・・・私には、分からない。でも、人間を止めてまで過去をやり直したいと願うシンジ君が、和解を望むとは思えないわ」
 「アタシさ、弐号機の中でママと会ったのよ」
 レイの視線が、飛鳥に向く。
 「ママはずっと弐号機の中でアタシを見守ってくれていた。それに気づいた時、アタシは本当に嬉しかったの」
 「ママ・・・母親・・・私にはいない・・・」
 「いるわよ、絶対に。そうじゃなきゃ、アンタどうやって生まれてきたのよ」
 「私は、ううん、私も人間じゃないの。シンジ君とは違った意味で」
 レイの告白に、飛鳥が顔を上げる。
 「私はエヴァの操縦、いや副司令が自分の目的のためにこの世に生みだしたクローン人間なの。だから、私には母親はいないの」
 「う、嘘よね、レイ」
 「本当の事なの。私のオリジナルは・・・碇ユイ博士、そうシンジ君の母親が、私のオリジナルなのよ。だから、私は人間なんかじゃないの。それなのにシンジ君は、そんな私の事を人間だと言ってくれた。私の秘密を知っていて、それでも友達になろうといってくれたの」
 レイは知らなかった。レイは自分が試験管のなかで生を受けたと思いこんでいた。それを否定する者も、真実を伝える者も周りにいなかった。そしてレイ自身も尋ねようとは思わなかった。
しかしレイはユイのクローンではない。第2使徒リリスと碇ユイの遺伝子を継いだハイブリッドであり、初号機へ取り込まれた碇ユイが生み出した存在、敢えて言うならシンジの妹であることを。
 飛鳥がレイの体をそっと抱きしめる。
 「ゴメンね、レイ。辛いこと告白させて。でもアンタもバカよ、黙ってても良かったのに」
 「イスラフェル戦の日、シンジ君を支える事を誓い、自分の非を認めた飛鳥なら、信じる事ができると思った。だから話したの」
 レイの目には、イスラフェル戦の前にシンジが見せた、強い意思の光が宿っていた。
 「それにね、私はシンジ君を諦めたわけじゃない。クローンとは言っても、遺伝子的に改造されてるから、血縁的には従姉妹ぐらいなの。だから諦める理由はないわ」
 「えーと・・・レイ?それってひょっとして・・・」
 「シンジ君には私が添い遂げてみせる。飛鳥、あなたには絶対、負けないわ」
 「・・・言ってくれるじゃない、クールで無感情な優等生だと聞いてたのに、そこまで言ってくるとは思わなかったわ。私だって負けたりしない!シンジは私が幸せにしてやるんだから、レイには渡さない!」
 墓前で始まる恋の決闘。他に人のいない墓地に、明るい声が響き渡った。

夜、第3新東京市、シンジ宅―
 夕食後、シンジの家では、チェロを見つけたレイの希望により、演奏会が行われていた。そして聴衆の中には、明日香も飛鳥のふりをして参加していた。
 奏でられる優しい音色。人を止めたシンジであるが、その心の根本に変わりはない。それが音色から伝わってくるようであった。
 (・・・馬鹿シンジ、前よりも腕、上げたんだ・・・)
 昼の記憶を受け継ぐ明日香。心に抱えていた負の衝動は、当初に比べると、かなり抑えられていた。だが負の思いは決して消えた訳ではない。
 (アタシの知らない4年間を、馬鹿シンジはベルリンで過ごしてきた。一体、どんな経験をしてきたんだろう)
 やがて終わる演奏会。拍手が起こり、シンジが嬉しそうに微笑んでいる。
 (・・・アンタはアタシの事を愛してるんでしょ?ここにいるのはアタシじゃないって思ってるんでしょ?なのに、どうしてそんなに笑っていられるの?)
 幸せそうなシンジを見ると、心の中から沸き起こってくる暗い衝動を、明日香はコントロールできない。
 シンジを取り巻く3人の少女―明日香、飛鳥、レイ―の中で、明日香だけが自分の心の闇に抗うことができないでいた。
 キスしても、抱きしめてくれない馬鹿シンジ―
 使徒に心を侵されても、助けに来てくれない馬鹿シンジ―
 量産型エヴァ相手に戦っていても、援軍にこない馬鹿シンジ―
 明日香は気付いていない。彼女が正体を隠しているのは、シンジに復讐するためには正体を知られるのは都合が悪いから、と考えている。だがそれは建前であり、本当はシンジの前に出るのが怖いからであった。
 量産型エヴァとの戦いで弐号機ごと母親を亡くした明日香にしてみれば、シンジは自分を知る唯一の存在。そんな彼に拒絶される事を、明日香は無意識のうちに恐れていた。
 
 「良い風が吹いてるなあ」
 夜空には満月が輝き、月光に照らしだされた夜の公園は、幻想的な美しさをシンジに感じさせていた。
 第3新東京市を一望できる公園。かつてユニゾン訓練の最中に、シンジとレイのユニゾンに嫉妬した明日香が、この公園でリベンジを誓った。
 『傷つけられたプライドは、10倍にして返してやるのよ!』
 「明日香、君に会いたいよ・・・」
 少し先にあるベンチは、シンジと明日香だけが知っている秘密の場所。明日香がリベンジを誓った2人だけの聖域―
 「・・・なんで、飛鳥が・・・」
 「馬鹿シンジ!?」
後ろからかけられた声に、明日香は振り向いた。同時に、自分の失言に気づく。飛鳥は『馬鹿シンジ』ではなく、『シンジ』としか呼ばないからだ。
「はは、そう呼ばれると、なんか懐かしいなあ」
「お、脅かさないでよ。ビックリするじゃない」
「ゴメンよ、飛鳥。隣、良いかな?」
とりあえず誤魔化せた事に安堵する明日香。だが隣から伝わってくるシンジの体温が、明日香の心を激しく揺さぶる。
「まさか、誰かいるとは思わなくてね。こんな時間だし」
「・・・アタシだって、一人で考えたい時ぐらいはあるわ」
「そうだね、邪魔しちゃ悪いから、僕は他へ行くね」
立ち上がるシンジの服の裾を、明日香が咄嗟に掴む。
「飛鳥?」
「一つ教えて。今もアタシ・・・ううん、もう一人のアタシのこと、忘れられないの?明日香の事を、愛しているの?」
「そうだね、飛鳥の言う通りだよ。僕の心の中から、明日香への想いが消える事はないと思う。この前、明日香の夢を見た事があったんだ。ウジウジしていた僕に、頭にきたんだろうね。でもその時、僕は再確認できたんだよ。僕にとって、明日香は太陽なんだ」
シンジの目から伝わってくる真剣な想い。だが闇に染まった明日香だからこそ、気づいた物があった。シンジの眼差しの中に潜んだ負の衝動―僅かな狂気の色に。
「明日香がいない世界で生きていくのは辛すぎるんだよ、僕にとってはね」
(・・・アンタは、アンタなりに苦しんでいたのね・・・)
父親、碇ゲンドウとの確執―
母親、碇ユイの顔すら知らない寂しさ―
チルドレンを駒としてしか見ていないNERVの大人達―
バルディエルに寄生された参号機ごと、鈴原トウジを傷つけた苦しみ―
親友、渚カヲルをその手で握りつぶした悲しみと自己嫌悪―
そしてLCLの海の中で、シンジと一つになる事を拒絶し、ATフィールドを纏い、他者を傷つけるかもしれない存在として、赤い世界に舞い降りた明日香という存在―
今の明日香には理解できた。シンジは決して明るくなった訳ではない、今もずっと、罪の意識に苛まれているのだと言う事に。
「見届けてあげるわ、アンタがこの世界でどう生きていくのか、アタシが最後まで見届けてあげる」
「飛鳥、それはムグッ・・・」
唇に伝わる温かい感触。
息苦しくなるまで続けた後、明日香はプハッと息を吐いた。
「いいわね、一切の反論は認めないわ!よく、憶えておきなさい!」
「・・・分かったよ、飛鳥」
「じゃあ、ここに座りなさい。アタシが良いと言うまで、アンタはボディーガードをするのよ」
肩をすくめて座り直すシンジ。その横で満足そうに月を眺める明日香。
二人の姿を、月だけが眺めていた。



To be continued...
(2010.03.20 初版)


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