第二十六章
presented by 紫雲様
虚数空間―
「飛鳥、大丈夫?」
「うん、こっちは平気よ。電力も生命維持活動だけに限定しているから、あと16時間は持つわ」
虚数空間の内部に取り込まれた2機は、シンジの咄嗟の行動により、抱きついたまま固まっていた。もっとも、そのおかげか接触状態にある部分が多いため、通信が使えた事だけが唯一の救いである。
「外部への連絡は反応なし、前と同じか」
悔しげに顔を歪めるシンジ。
「シンジ、元気を出して!そんな事じゃ、もう一人のアタシに笑われるわよ?」
「ありがとう、飛鳥。君も不安だろうに」
「アタシは大丈夫よ。こうしてシンジが傍に居て話しかけてくれるし、ママも弐号機の中からアタシを守ってくれている。何も不安なんてないわ」
電力の節約の為、映像機能はカットされている。その事に、飛鳥は感謝していた。本当の所、彼女は虚数空間という未知への不安の為に、その全身を細かく震わせていた。今にも叫びだしそうなほど怖いのだが、それを押しとどめているのが、シンジと母親の存在だったのである。
「シンジ、アンタ初号機を暴走させるつもりだったのよね?暴走すれば脱出できるんでしょ?いつ頃、始めるの?」
「・・・ああ、しばらく待つ必要があるんだよ」
実を言うと、シンジは混乱する思考を纏め上げることで精一杯であった。本来の作戦なら、シンジは初号機へ狂気の魔術をかけ、意図的な暴走をさせるつもりでいた。だが弐号機の存在がそれを不可能にしてしまったのである。
初号機に眠る碇ユイの意思を利用した暴走は、子供を守ろうとする母親の意思。つまり子供を護り、生き残らせようとするための暴走なのである。そこには碇ユイの意思が介在するため、弐号機も一緒に助けようとするだろう。だが狂気の魔術による暴走は同じ暴走でも意味が違う。破壊の為の暴走なのである。そんな時に弐号機を抱えていれば、間違いなく、最初の標的は弐号機となってしまう。
(・・・一つだけ、方法はある・・・けど・・・)
決断できないまま、シンジは時間の経過に身を任せてしまっていた。
作戦部ブリーフィングルーム―
「・・・以上がディラックの海に関する基礎知識です」
「赤城博士、説明ありがとう。次に私から、敵使徒の能力についてだ。現在、我々が目にしている空中の球体、あれは影であり、地面に広がるディラックの海、それこそが本体である事が判明している。奴の能力はディラックの海のみに限定されているが、その分、非常に強力だ。MAGIは攻防ともにランクSSを支持している」
「三佐、宜しいですか?」
ミサトが声を上げる。
「使徒がATフィールドを使って、本体を維持している事は分りました。それなら、零号機を用いて、ATフィールドを中和することはできないのでしょうか?」
「確かに、理屈の上では効果がありそうだが、博士の意見は?」
「残念ながら、零号機単体では無理があります。使徒の体の大きさを考慮すると、最低でもあと1機、もしくはレイのシンクロ率が95%以上必要になります」
リツコの説明に、ミサトが悔しげに顔を歪める。
エヴァをもう一機準備する。アメリカで建造中の物を持ってくれば不可能ではない。だが肝心のパイロットがいない。
シンクロ率95%以上。現在のレイは70%前後。ここから数時間で25%も上昇させるのは無理がある。それでも可能にするならば、最悪の場合、薬剤や洗脳が必要となるのは間違いない。
「だが二尉の意見には聞くべき点がある。中和は不完全でも、外的要因による刺激が加われば、どうだろうか?例えばだが、中和と同時にN2攻撃をしかける。このような作戦は、博士としてはどう思いますか?」
「使徒を倒す事は可能でしょう。ですが、初号機と弐号機が無事で帰れる保証はできません。その作戦を遂行する頃には、間違いなく2機は生命維持モードにしているはず。つまりATフィールドを張れない状況にあるはずです」
考え込むウィリス。シンジと飛鳥の帰還が成らなければ、使徒を倒しても、敗北同然である。
「三佐、少し休憩をいれましょう。気分転換すれば、何か閃くかもしれません」
「・・・そうだな、15分後、もう一度集まってくれ」
席を立つ職員達。だがその顔は、決して明るくはない。それでも諦めるものか、という不退転の決意が気力となって漲っていた。
「・・・レイ、ちょっとついてきて」
「分かりました、博士」
技術部部長専用研究室―
「そこに座って、コーヒーを持ってくるから」
リツコに言われた通り、進められた席に座るレイ。やがて手渡されたコーヒーに口をつけ、即座に顔を顰めた。
「博士、これは?」
「・・・コーヒーは初めてだったわね。ゴメンナサイ、ミルクと砂糖、入れてあげる」
出来上がったコーヒーに、ゆっくりと口をつけるレイ。今度は苦味が少なかったのか、先ほどよりは美味しそうに飲んでいた。
「考えてみると、診察と実験以外で、あなたと2人になるのは初めてなのよね」
「赤木博士?」
「レイ、真面目な話だけど、2人を助ける方法、1つだけあるの」
レイの顔が跳ね上がった。その希望に満ちた双眸を見つめるリツコは、逆に罪悪感に満ちていた。
「それはね、あなたが零号機のコアの中にいる魂と会話すること。それができれば、あなたは零号機のシンクロ率を飛鳥と同じレベルにまで持っていく事ができるわ」
理論限界値99.89%。それはエヴァの力をほぼ100%引き出せる。
「でも、今までのあなたには、それができなかった。あなたはエヴァに魂がある事を知り、それを拒絶しようとせず、心を開いてきた。それなのにシンクロ率が飛鳥に比べて低かったのには理由があるの」
「どんな理由なんですか?」
「零号機の中の魂は、憎しみの心に染まっているから。10年前、当時はまだゲヒルンと呼ばれていたここで、一人の女の子が死んだの。その子は孤独な死を迎え、死後も零号機の中へと押し込まれていたの」
真剣に耳を傾けるレイを、リツコがそっと抱きしめる。
「あなたは知らなかったはず。その女の子、最初の綾波レイが零号機の中で眠っている事を」
「・・・」
「レイ、もう一人のあなたを救ってあげて。それしか、2人を救う方法はないの」
リツコの腕の中で、レイは黙って頷いていた。
零号機エントリープラグ内部―
『聞こえるわね、レイ。いつも通りシンクロを開始してくれればいいわ。重要なのは、あなたから呼びかける事。あなたの想いを、ぶつける事なの』
「はい、赤木博士」
『シンクロの邪魔にならないよう、通信機能は切っておきます。準備が良ければ、すぐに始めるわよ』
コクンと頷くレイ。通信画面が消え去り、プラグ内部に1人となる。
(・・・聞こえる?私の声が聞こえる?お願い、応えて・・・)
レイの戦いが始まった。
虚数空間内部―
「ねえ、シンジ。お腹すいたね」
「そうだね、取り込まれてから6時間だからね。帰ったら、御馳走作るから、一緒に頑張ろう」
「うん、期待してる」
シンジは知らない。通話機能の向こう側で、飛鳥が必死になって恐怖と戦っている事を。
シンジは決断できないままでいた。決断すれば、飛鳥も自分も救えると分かっている。だが赤い世界の光景が、それを許さないでいた。
「きっと、みんなも慌てているだろうね」
「そうね、帰ったら謝らなきゃいけないかしら?」
「僕も一緒に謝るよ、心配かけてゴメンナサイ、ってね」
「ねえ、シンジ。アタシ、眠くなってきたの。少しだけ、眠っても良い?」
「うん、お休み、飛鳥。僕はここにいるから、安心してね」
その言葉に安堵を覚えると、飛鳥は意識を手放した。
ちょうどその頃、外の世界では太陽が沈もうとしていた。
零号機エントリープラグ内部―
シンクロを開始して、すでに2時間が経過していた。
発令所では見かねたマヤがリツコに休憩をいれるように提案したのだが、連絡を受けたレイは休憩を拒否。シンクロの続行を希望していた。
(お願い、私の声に応えて。時間がないの、お願いだから応えて)
(・・・)
返事はない。だがレイは、零号機に眠るもう一人の自分が聞いてくれている確信を持っていた。
(お願い、応えて。私は2人を死なせたくないの。初めてできた、護りたい人なの。だからお願い、私の声に応えて!)
2時間に及ぶ過剰なシンクロは、レイの体調に少なからず悪影響を与えていた。それでなくても、レイはアルビノという体質上、本来は虚弱なのである。過酷な訓練によって鍛えてはいるが、それでも限界はある。
(お願いだから応えて!聞いているのでしょう?もう一人の私、綾波レイ!)
(・・・やっと、呼んだわね。私の名前)
レイの前に、レイの面影を宿した、幼児が現れた。
(状況は理解してるわ。私の協力が必要なのでしょう?)
黙って頷くレイ。
(交換条件よ。あなたの体を私によこしなさい。こんな零号機の中に押し込められるのは、ウンザリなのよ!)
(・・・私の体と引き換え・・・約束を守ってくれるのなら、この体、あなたにあげてもいいわ。でもお願い、みんなの前、特にシンジ君と飛鳥の前でだけは、私のふりをしてほしいの。それだけ約束してくれるのなら、この体をあげる)
(・・・どうして、そう思うの?)
(シンジ君は私が好きな人、飛鳥は私のライバルで友達、二人とも私の大切な人で、二人も私に絆を持ってくれている。だから、私が消えたら、あの二人は悲しむと思うの。自分達のせいで、私が消えてしまった、そう苦しむと思うの。それが理由)
レイの両目に、光る物が浮かび始めた。
(私だって死にたくない!みんなと離れたくない!一緒に学校へ行きたい!一緒に遊びたい!一緒にご飯を食べたい!一緒に生きていたい!・・・でも、私にはそれすら許されなかった。赤木博士が処方してくれる薬を飲み続けなければ、LCLの中から出られないような不完全な存在だから)
(・・・)
(それなら、せめて自分の命ぐらいは、自分の意思で使いたい。私の命と引き換えに、二人を助けてくれるというのなら、私は躊躇わない!)
(それが、あなたの覚悟なのね)
(好きにして。私の意思は伝えたわ。あとはあなた次第だから・・・)
そっと目を閉じるレイ。その全身は、これから命を落とすという恐怖に、細かく震え始めた。
(さよなら、シンジ君、飛鳥。今度は人間として、生まれてきたい。そしたら、ずっと傍にいるから・・・)
小さな手がレイにそっと触れた。
To be continued...
(2010.03.27 初版)
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