第三十一章
presented by 紫雲様
その光景は多くの人々が目撃していた。左胸から鮮血を吹き出し、階段を滑り落ちていく蒼銀の髪の少女。あまりにも非現実的な光景のため、誰もがその光景に呆然とし、自分が何をすべきか、その事を考える事すらできなかった。
ただ一人、少女を守りたい、そう願った少年を除いて。
フラフラの体に無理矢理言う事を聞かせ、少女に少年が駆け寄る。
そして、少年が起こした事件は『悪魔の奇跡』としてSSS指定の機密情報として扱われることになるとは、誰一人として想像しなかった。
ケージ―
「綾波―――!」
よろめきながら駆け寄る少年の姿を、レイは『どうしてそんなに慌ててるの?』という顔で眺めていた。
突然受けた衝撃で、レイの左胸は心臓ごと吹き飛んでいた。こうして即死せずに、生きているのが不思議な状況である。穿った物の見方をすれば、レイの中に眠る第2使徒リリスのおかげかもしれないが。
「綾波、ゴメン・・・僕が、僕が油断してたせいで・・・」
シンジの顔は、今までレイが見たこともないほど情けない顔をしていた。両眼から止めどなく涙を流し、鼻水だって流れている。だが、不思議とレイは嫌悪感を抱かなかった。
「何故、泣いてるの?」
「綾波と別れるのが辛いから、寂しいから、悲しいからだよ」
「・・・悲しい・・・?」
レイは冷静に状況を捉え始めた。自身が死を免れえない状況にいることは理解している。同時に自身の3人目が動き出す事も。
『また、会える』
そう言おうとして、レイは言えなかった。自分の頬を流れ落ちていく物に気づいてしまったから。それが意味する物に気づいてしまったから。
「私・・・死にたくない・・・寂しいのは嫌なの・・・死にたくないの・・・助けて、シンジ君・・・私・・・死にたく・・・ないの!」
必死でシンジにしがみつくレイ。死を拒否し、生きたいと願う少女を、少年は心の底から助けたいと願った。
「シンジ、決断しなさい!あなたがレイちゃんを助けたいと望むなら、行動しなさい!」
振り向くシンジ。そこにいたのはスミレであった。
「私達ならば、それができる。けどレイちゃんをそうしていいのは、あなただけ。この意味、分かるわね」
駆け寄ってきた医療班を片手で制しながら、スミレはいつもと違う真剣な表情を浮かべていた。そこに込められた27祖の一角たる気迫は、普通の人間に対抗しうるものではない。
「綾波、僕と一緒にくるかい?そうすれば、生き延びる事が出来る。僕と同じ存在になるんだ。その覚悟はあるかい?」
「・・・うん・・・シンジ君が一緒なら・・・怖くない・・・」
「分かった。目、閉じてて」
そっと目を閉じるレイ。彼女は見ずに済んだが、その時にシンジが浮かべていた表情を見れば、そんな顔を二度とさせはしない、そう誓ったであろう。
怒り―
レイ暗殺を指示したゲンドウへの怒り、レイを守れなかった不甲斐無い自身への怒り、そして自身と同族にするしか彼女を助けられない怒り―
シンジは隠し続けてきた牙で己の唇を噛みきると、そっとレイに口づけた。
NERV本部副司令執務室―
「くっくっく・・・」
モニターに映し出された光景に、ゲンドウは己の策が成就したことに興奮を覚えていた。愛妻ユイを取り戻すため、レイをリセットする。それは彼にとっての正義である。
その結果、周りがどうなろうと構わない。彼には碇ユイしか存在しないのだから。
泣き崩れる実の息子を、ゲンドウは笑いながら冷たく見ていた。
その時だった。
激しいアラームが鳴り響いた。使徒の接近を告げる、警戒音。
発令所―
「何を呆けている!すぐに医療班を出動させろ!」
ウィリスの叱咤に、急に動き出すオペレーター達。レイの暗殺はそれほどまでに大きな衝撃を与えていた。
「赤木博士に連絡を!」
「了解!」
それぞれが、それぞれの役割を果たすべく行動を開始する。もはや手遅れと理解はしていても、一人の少女を救うため、精一杯足掻いていた。
モニターに映る、レイを抱きしめるシンジの姿に、ウィリスは心の中で謝ることしかできなかった。レイ暗殺を防げなかった、その事実は罪として、ウィリスの心に重く圧し掛かる。
その時だった。
激しいアラームが鳴り響いた。使徒の接近を告げる、警戒音。
咄嗟に指揮官としての顔が表に出る。
「状況を報告しろ!」
「ATフィールドの発生を感知!パターンブルー、使徒です!場所は・・・そんな馬鹿な事が・・・」
「日向三尉!状況は正確に報告しろ!」
ウィリスの叱咤に、日向がハッとなる。
「す、すいません!場所はケージからです!」
「何だと!本部へ侵入を許したのか!?」
「画像、拡大します!」
そこに映し出されたのは、レイとシンジである。他には何も映っていない。誰もが機械のバグかと考えていた。だがウィリスだけは違っていた。
(・・・まさか・・・)
「三佐、どうやら最悪の状況みたいですな」
背後からかけられた声に、銃を取り出しながら振り向くウィリス。そこにいたのが加持である事を確認すると、静かに銃から手を放した。
「君は、この状況をどう見る?」
「恐らく激発した感情が、抑えを吹き飛ばしたのでしょうな。それが向く先は決定している。それならば、我々のするべきことは1つだけです」
「そうだな・・・総員、注目!」
ウィリスの号令に、発令所にいたメンバー全ての注目が集まった。
「伊吹三尉!エヴァがケージへ帰還してから、これから起こるであろう全ての出来事を、SSSランク指定の機密映像扱いに指定だ!」
「は、はい!」
「青葉三尉!今の警報は誤報だと関係機関全てに通達だ!それとケージから、大至急、職員を避難させろ!何が起こるか分からんぞ!」
「りょ、了解です!」
「日向三尉!作戦部及び保安部に第3種対人装備をさせろ!敵は諜報部だ、発砲も許可する!同時に綾波特務准尉暗殺の首謀者である六分儀副司令を捕えるぞ!」
「わ、わかりました!」
「そして全職員に命じる!この場で見聞きした全ての出来事に対して、緘口令を敷く!口外したものには、例外なく死んでもらう!分かったか!」
『了解!』
最低限の指示を出したウィリスだったが、まだ役目は残っている。
「ちょっとまった、三佐。あなたには諜報部迎撃の指揮官という役目が残ってます。司令へは俺から報告に行きますよ。シンジ君の味方としてね」
「・・・そうか、では頼むぞ!」
「さて、っと。俺もやることやりますか」
加持は司令に事情を打ち明けるため、発令所の上へと上がっていった。
ケージ―
「・・・ゴメン・・・綾波。僕は君に幸せになってほしかった・・・それなのに・・・こんな事しかできないなんて・・・」
唇を離す。その間を、一本の鮮血の糸が繋いでいた。
すでにレイの呼吸は安定し始めていた。左胸に空いていた風穴も瞬く間に癒えていく。
「シンジ?ひょっとしてレイちゃんは・・・」
「間違いない、僕と同じだよ。綾波は、すでに僕の眷属―死徒に生まれ変わった。たぶん、綾波がリリスだからだろうね」
そっとレイを抱き上げるシンジ。そのまま後ろで見守っていたスミレに、レイを託す。
「姉さんはレイをお願い。傍についていてあげて。ここから先は、僕がする」
末弟の両目に浮かぶ狂気の色に、スミレは以前から気が付いていた。それを癒してあげようと思い、ずっと傍にいた。だが狂気はすでに末弟の精神の一部として根付いていてしまっていた。
それを抑えてきたのは、スミレではない。少年の心に眠る、2人の少女への真摯なまでの想い。
紅茶色の髪の少女―に抱いた、純愛という名の愛情。
蒼銀の髪の少女―に抱いた、家族愛という名の愛情。
それを踏みにじったのは、他でもない、実の父親。
もはやスミレに止められるシンジではない。
レイを守る。末弟との約束を守るため、スミレはレイを抱き上げるとケージをあとにした。
スミレとレイがケージの外へ避難したのを確認すると、シンジは自分の感情を抑えるのを止めていた。
もはや、ケージどころか、本部の人の目など気にしていなかった。
あるのは怒りと狂気。それが向く先は、ただ1人。
「ゲンドウ!」
シンジを中心に、風が巻き起こる。その時、ケージにいた者たちは、ありえない光景に目を奪われていた。
全身に緑の雷光を纏わせる少年。その双眸はいつもの漆黒ではなく、鮮血のような真紅に輝いていた。
「・・・シンジ=ブリュンスタッドの名において、契約の履行を命じる!我が命に従い来い!ティルフィング!」
シンジの頭上の空間が、歪み始める。その中にシンジは右手を無造作に突っ込み、さらにその中から一本の大剣を取り出した。
魔剣ティルフィング。呪われた剣。その呪いは意味なく鞘から抜くと、兄弟や仲間の誰かを切り裂かざるをえなくなるという、伝説に名高き魔剣。
シンジは第3新東京市に来る前に、剣の師であるリィゾから『とりあえず合格だ』という言葉とともにティルフィングを譲られていたが、今まで一度も抜いた事は無かった。その魔剣が、この時、初めて鞘から抜かれてしまった。
「許さない!」
シンジのプラグスーツの背中が、勢いよく弾け飛ぶ。そこから現れたのは、6対12枚の黄金に輝く、葉脈状の翼―
かつて、第18使徒リリンの名を冠し、さらに死徒の口づけを受けた心優しき少年が、その内包された力を狂気とともに表へ出した瞬間であった。
To be continued...
(2010.04.17 初版)
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