第三十六章
presented by 紫雲様
???―
目の前で繰り広げられる光景に、アスカは憎悪を覚え始めていた。
シンジは自分の事を愛しているのではないのか?
レイは妹ではないのか?
その暗い衝動が、どこから来たのか、アスカはその事に思いを巡らす余裕すら持てずにいた。
『ふふ、とんだ道化ね』
振り向いた先にいたのは、もう一人の自分。赤いプラグスーツを身にまとい、右腕と片目に包帯を巻いた惣流=アスカ=ラングレー。
「何、アンタは?」
『アタシはもう一人のアンタよ。アンタの心の中で抑圧され続けてきた、もう一人のアンタ』
「・・・何、意味の分からない事を・・・」
拳を握りしめ、もう一人のアスカを睨みつけるアスカ。
『そろそろ自分に正直になりなさいよ』
「何を言いたい訳?」
『アタシは一人って事よ。誰もアタシを見てくれない。誰もアタシの周りにいてくれない。シンジも本当はレイの事が好きで、アタシの事を見てくれない、って事実よ』
「違う!シンジはそんな事・・・」
アスカの前に、ある映像が浮かび上がった。
『それはアタシの記憶の再現。アンタにも覚えがある筈よ?』
それは過去の記憶。今までシンジと出会ってから、体験してきた経験。
『シンジは明日香を愛して、飛鳥を仲間として戦ってきた。今のアンタは、明日香であり飛鳥である。それは事実。でも明日香ではないし、飛鳥でもない。それも事実なのよ』
「そ、それがどうしたってのよ!」
『アンタのシンジへの想いは、しょせん、作られたもの。明日香と飛鳥が残した記録というべき物にすぎない』
押し黙るアスカ。それは彼女自身がずっと隠してきた悩み。アラエル戦の後、目覚めて以来、彼女はアイデンティティについて悩んできた。自分は明日香ではない。飛鳥でもない。だが明日香と飛鳥の記憶と経験を受けついでいる。それならば、自分は一体、何者なのだろうか?
『アンタの想いは記録にすぎない。だからシンジは、アンタから離れたのよ』
「・・・がう・・・」
『いい加減、現実を見なさいよ。後ろにあるのが、現実何だから』
フラフラと振り向いたアスカの前に、口づけをかわすレイとシンジの姿があった。
初号機エントリープラグ内部―
「三佐!今からしばらく音信不通になりますが、必ずアスカと戻ります!」
『・・・分かった。必ず戻って来い!』
「レイ、必ず戻ってくるから、無事を祈っていて」
『・・・うん。必ず帰ってきてね・・・お兄ちゃん』
力強く頷くと、シンジはシンクロ率を上昇させ始めた。
『初号機のシンクロ率が上昇していきます。120・・・150・・・210・・・上昇が止まりません!』
『初号機からATフィールドが発生!これは・・・使徒のATフィールドへ侵食を開始しています!』
発令所から聞こえてくる報告の声。だが今のシンジの集中の深さの前には、彼の心に僅かな波紋すら引き起こせない。
(・・・聞こえてるんだろう、母さん・・・)
(聞こえてるわ、シンジ。今度はどうしたの?)
(また力を貸してほしい。アスカが危ないんだ。このままでは使徒に取り込まれてしまう。その前に、アスカを助け出すんだ)
(具体的には、どうすればいいの?)
(ATフィールドを利用して、アルミサエルを初号機に取り込む。そうすればアルミサエルを媒介に、初号機と弐号機が繋がる。あとは僕が直接、アルミサエルの精神を叩いてやるだけだ)
(分かったわ。でもアスカちゃんのフォローは忘れないでね。女の子なんだから、優しくしてあげるのよ)
(分かってるよ。じゃあ、よろしく)
???―
「ここか、ホントに何もない世界だな・・・」
一面真っ白な世界に、シンジはポツンと立ち尽くしていた。
「さて、アスカを探さないとな」
「やっと来てくれたのね、シンジ君」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはアスカの面影を残した、白衣姿の女性が立っていた。
「キョウコさん、お久しぶりです」
「挨拶は良いわ。それよりアスカが危険なの。もうアタシの声も届かないわ」
それが意味するものを、シンジは正確に理解する。
「すぐに向かいましょう。場所は分りますよね?」
「分かるわ。でも一つだけ言わせてほしいの。アスカはね、あなたとレイの絆の強さに嫉妬と不安を感じているの。今回、使徒に付け込まれたのは、それが原因なの」
キョウコの言葉に、シンジが凍りつく。
「あなたがレイちゃんを大切にしているのは分かる。あの子だって、頭では理解しているの。でも心が受け付けない。理解して、我慢して、堪えようとするたびに、あの子の心は悲鳴を上げていたの。お願い、アスカを救ってあげて」
「・・・アスカは明日香であり飛鳥です。少なくとも、僕はそう考えている。ですが、明日香へ抱いていた想いをそのまま押し付けるのは間違いです。僕が望むのは、新しいアスカとの絆を作り上げる事です」
「それでいいわ。その事を、あの子に伝えてあげて」
シンジは頷くと、キョウコの案内に従い、走り始めた。
「アスカ!」
その声に、アスカは振り向いた。
「・・・シンジ・・・」
「アスカ、無事だったんだね、良かった」
「シンジ、どうしてアタシを助けたいの?」
顔を俯けたまま、アスカがシンジに近寄る。
「決まっているだろ、僕がアスカを助けるのは、アスカを護りたいからだ」
「どうして、護りたいの?アタシは明日香じゃないのよ?アタシは明日香の代わりじゃないのに・・・」
シンジの腹部に走る熱い感触。
「シンジはレイさえいればいいんでしょ?アスカという存在は、護らないといけないだけで、必要な存在ではないんでしょ?」
二度、三度と立て続けに熱さが生じる。
「レイは、僕の妹なんだ。兄として、護らなきゃいけないんだよ」
「じゃあ、アタシは何?戦友として戦おうにも、シンジの力になれるほど強くない。シンジの想いを受け止められる明日香にはなれない。シンジに少しでも近づきたいと願った飛鳥にもなれない」
「・・・そうだね。アスカは明日香ではないし、飛鳥でもない。それは事実だよね」
そっとアスカを抱きしめるシンジ。熱さは依然残ったままだ。
「でもね、僕はこう思うんだ。新しく出会えたアスカと、新しい絆を結びたい、そう思うんだよ」
「シンジ?」
「明日香と飛鳥への想いは、本当の事だ。でも、それを君に押しつける真似はしない。僕はアスカという女の子を見ていきたいんだ。それは明日香や飛鳥への裏切りになるのかもしれない。でも、僕はそうしたいんだ」
「・・・」
「君に見せたい記憶がある。僕が秘密にしてきた、君に纏わる記憶。それを見てほしい。結果として君に嫌われることになっても、その覚悟はできている。だから、君に見てほしい」
アスカがコクンと頷く。
「ここは精神の世界。意志の強さが顕現する世界。僕の意思で、僕の記憶を君に渡すから、受け取って」
額をくっつける2人。次の瞬間、シンジからアスカへ2年前の事件の記憶が流れ込んでいった。それだけではない。海の上で再会するに至るまでの募った想いや、明日香に纏わる全ての記憶まで流れ込んできていた。
かつて空母の上で下着を見て、頬を叩かれた記憶。
かつてユニゾン訓練の最終日に明日香の顔と胸を間近で見て、キスしたい衝動に襲われた記憶。
かつて溶岩の中へ飛び込み、引っ張り上げた記憶。
かつて一緒に屋台のラーメンを食べた記憶。
かつてお互いに意地を張ったファーストキスの記憶。
かつてシンクロ率が原因で、口喧嘩をした記憶。
かつてアラエル戦で傍観者に徹してしまった記憶。
かつて傷心の明日香との間の距離が、どんどんと離れていった記憶。
かつて病院で、明日香を欲情の捌け口にしてしまった記憶。
かつて絶望の世界で、自分の想いを口に出した記憶。
かつて猟奇事件から助け出した後、飛鳥を怖がらせてしまった記憶。
そして、明日香への想いを封じた記憶。
全てを伝えられたアスカは、シンジから離れた。
「・・・よ・・・ンタ・・・」
「無理はしないでいいよ、アスカ」
「アンタはバカよ!大バカよ!馬鹿シンジなんて表現じゃ、全然足りないわよ!」
アスカは心の底から後悔していた。目の前にいる少年は、筋金入りの『馬鹿』である事に、今まで気付けなかった事に。
シンジは自分にとって都合の悪い事実までも伝えてきていた。そんな事をすればアスカに嫌われると分かっていて、なお、伝えてきた。
「そんな辛い思いするぐらいなら、アタシなんて見捨てれば良かったじゃない!なんで、アタシに嫌われても、そこまで想い続けられたのよ!」
「僕にはアスカが必要なんだ」
アスカの両目に浮かんだ涙を、シンジがそっと拭う。
「アスカを苦しめてゴメンね。でもアスカの傍に、僕はいたい。アスカと一緒に生きていきたいんだ。これは義務でも責任でもない。僕の我儘なんだよ。僕の我儘に、付き合ってもらえるかな?」
「だったら、はっきり言いなさいよ!馬鹿シンジ!」
「愛してる、アスカ」
アスカの顔に笑顔が戻った。
発令所―
「弐号機に変化があります!」
「正確に報告しろ!」
「弐号機シンクロ率が上昇中!・・・120.5%で停止しました!」
同時に通信機能が回復する。モニターに現れたのは、アスカ。
「おまたせ!戻ってきたわよ!」
少女の勝気な声の宣言に、発令所に活気が戻る。
「三佐!お待たせしました!」
少年の帰還報告に、大人達が勝利を確信する。
零号機エントリープラグ内部―
「おかえりなさい、お兄ちゃん、アスカ」
『心配掛けたわね、レイ。でも、もう大丈夫だからね!』
「分かってる、あの使徒倒したら、色々聞かせてもらうから」
レイの冗談に、アスカがサムズアップで応える。
未だ初号機と弐号機は浸食されたまま。だがその姿に不安を感じる事は無い。
『レイ!アスカ!アルミサエルが逃げられないように、ATフィールドで周囲を取り囲んで!』
「分かったわ」
アルミサエルを取り囲むように、真紅とオレンジのATフィールドが発生する。
初号機エントリープラグ内部―
「だいぶ手間取ったけど、そろそろ終わりにさせてもらうよ」
シンジの予想と違い、アルミサエルはシンジの前に姿を現さなかった。本能的にシンジの危険性を察知したのかもしれない。
「出て来ないなら、他にも方法はある。心を侵食される苦しみ、お前にも味わってもらうぞ!」
プラグスーツにまで融合してきているアルミサエルに対してエーテライトを放ち、使徒へ逆侵攻を仕掛けるシンジ。アルミサエルが慌てて融合を解除して、逃げ出そうとするが、すでに零号機と弐号機のATフィールドで囲まれ、脱出は不可能な状況に陥っている。
エーテライトを利用した心のハッキングは、すでにATフィールドを体の構成・維持に使用しているアルミサエルに対しては致命的な攻撃となった。
ハッキングを防ぐこともできず、アルミサエルはその活動を停止せざるをえなかった。
第16使徒、アルミサエル撃破―
To be continued...
(2010.05.01 初版)
(あとがき)
紫雲です。今回もお読みくださり、ありがとうございます。
今回はアスカに焦点をおいた話でしたが、いかがでしょうか?
・・・でもアルミサエルも厄介な使徒ですねえ。殲滅方法に悩ませられます。
ところで次回ですが、タブリス戦前に、番外編第3話となります。子供達の最後の平和な一時をご覧ください。
裏タイトルは思いつかなかったので無し(笑)。
ネタとしては番外編で有りがちな『記憶喪失』・・・だったのですが、そのままでは芸がないので、グリッと捻ってみました。楽しんでいただければ幸いです。
それでは、今度は番外編でお会いしましょう。
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