遠野物語

本編

第一章

presented by 紫雲様


三咲町遠野邸―
 第3新東京市にサキエルが襲来したその日の夜、遠野家は客人と言う名の招かれざる客を迎え入れていた。
 来訪者はNERV本部に所属している赤木リツコと葛城ミサトの2人である。
 対して、2人を出迎えたのは秋葉とシンジであった。ちなみにシンジは包帯ではなく、サングラスをかけている。
 「それで、一体、どのような御用件でしょうか。こう見えても多くの社員に対して責任を持つ身、あまり時間を割けないのですが」
 皮肉に満ちた口調に、ミサトが反論しようとする。その寸前で、隣に座っていたリツコが全力で後頭部を叩く。
 「何すんのよ、リツコ!」
 「交渉をぶち壊されるよりマシでしょ。皮肉を言われたぐらいで、逆上しないで」
 「ぐ・・・」
 「改めて自己紹介させていただきます。私はNERV本部技術部部長赤木リツコ、隣は作戦部部長葛城ミサトです。本日、遠野会長にお時間を割いていただいたのは、会長が保護しておられる、義弟のシンジ君についてです」
 差し出された紅茶を口に含むリツコ。その出来栄えが良かったのか『あら、美味しい』と独り言を呟く。それを聞いた給仕役の琥珀が『ありがとうございます』と笑顔で礼を返す。
 「昨日、第3新東京市で起きた、テロ事件についてはお聞きになられているでしょうか?」
 「ええ、聞いております。幸い、我が遠野グループは第3新東京市には何の資産も無かったので、被害はほとんどありませんでしたけど」
 「一般にはテロと報じられておりますが、事実は違います。あの事件は『使徒』と呼ばれる生命体を足止めする為に、N2を使った結果なのです」
 ピクッと眉を動かした秋葉が、そのまま無言で話を進めるように要求する。
 ちなみにサキエル足止めの為、NERVは指揮権を再度、戦自へ委譲し直すという苦渋の決断を強いられていた。その為に使われたN2は約20個。結果、第3新東京市は、その面積の3割を焦土とせざるをえなかった。
 「使徒を倒すには、我々NERVが開発したエヴァンゲリオン、通称エヴァが必要となります。しかし、エヴァを操縦できる者は非常に少ないのです。現在、判明しているだけで3名。1名は重体の為に動かせず、1名はドイツで訓練中。そして残る1名が、他ならぬシンジ君なのです」
 「だからと言って、私がシンジを手放す理由にはなりませんわね。シンジは何の訓練も受けておりません。戦闘の素人を戦場に放り込む事が何を意味するのか?それが理解できない訳ではありませんから」
 「確かに仰る通りです。しかしシンジ君が有資格者と判明したのは、ほんの数日前。我々としても、他に選択の余地のない状況だったのです」
 リツコは必死になって説得する。正直なところ、シンジが有資格者であるのは、もう10年以上前に分かっていた事実である。だがユイとの再会というゲンドウの思惑の為、放置されていた等と口にできるはずもない。
そして弐号機の輸送は完全に手おくれ。レイは内臓破裂で入院。もはやシンジを初号機に乗せる以外、手立ては残されていない。何より、隣に座る親友が、癇癪を起して暴発するのを何よりも恐れていた。
そんなリツコの内心を、シンジはサトリの魔眼で黙って見ていた。
 「使徒を倒す事が出来なければ、15年前の悪夢セカンド・インパクトの再来となるのです。どうか、御一考下さい」
 「別にサード・インパクトが起きたとしても、私は困りません。困るのはあなた方であって、私達ではありませんから」
 「秋葉様、紅茶が無くなっちゃうと、少し困るのでは?」
 「そういえばそうね。琥珀、今のうちに蓄えておきなさい」
 「いい加減にしなさいよ!世界中の人間が死んでも、良いって言う訳!?」
 早くも癇癪を起こすミサト。隣でリツコが額を押さえながら大きなため息をつく。
 「全滅する訳ではありません。何割かいなくなるだけです。それでも、私が守りたいと願う者達は、私の力で守り切る事ができます。だから、私にとってはインパクトなど関係ないのです」
 「ふざけないで!」
 「私は本気です。ふざけているのは、あなたでしょう?風俗嬢の葛城さん?」
 すっと差し出された物は、シンジ宛てに送られてきたミサトの写真である。
 「遠野家全員の意見です。『風俗のお姉さん』そう判断しておりますが?」
 「葛城一尉!あなた、何、考えてるの!」
 激怒したリツコが、特大の雷を落とす。ミサトは必死で弁解するが、リツコの耳には届かない。
 「勿論、それだけではありません。NERVが信用できない、もう一つの理由がこちらにあります」
 さらに差し出されたものは『来い』とだけ書かれた手紙。
 「これを書いたのは総責任者だと伺いました。トップが満足に手紙も書けないほど、国語知識と礼節に疎く、さらには戦闘の要となる作戦責任者を風俗嬢が務める組織に、素人の弟を預けるなど、どうやったらできるのですか?その足りない頭で、少しは考えてみたらどうなのですか?」
 「うるさいわね!ガタガタ言わずにサードチルドレンを渡しなさい!」
 「止めなさい!葛城一尉!」
 拳銃を取り出すミサトを、制しようとするリツコ。だが秋葉もシンジも、全く反応しようとしない。それどころか、呑気に紅茶を飲んでいる有様である。
 「撃ちたければ、どうぞ、御勝手に。そんな豆鉄砲如きで、遠野家当主を殺そうなど、事情を知る者から見れば、愚か者としか思われませんよ?」
 全く動じる気配のない秋葉の態度に、リツコが呆気に取られる。それを隙と判断し、ミサトは秋葉に狙いを定めた。
 「もう一度だけチャンスをあげる。サードチルドレンを引き渡しなさい」
 「だから撃てるものならどうぞ、そう言っているのです。どうやらあなたも、国語知識が足りないようですわね。それとも耳鼻科か脳神経外科で精密検査をした方がよろしいかしら、風俗嬢さん?」
 立て続けに響く銃声。だが弾丸は、全て秋葉の横へ逸れて飛んで行った。
 「あらあら、こんな至近距離で満足に当てられないほど、お粗末な腕なのですね。なるほど、赤木さんが必死になって発砲を止めたのも理解できます。確かに、この程度の腕では、お披露目なんて出来ませんものね」
 「な、何をしたのよ、あんたは!」
 「何を言っているのですか?銃を撃ったのはそちらでしょう?私が何かしたように見えましたか?」
 リツコも、訝しげに秋葉を見ていた。リツコはミサトの銃の腕前を知っている。僅か3メートルの距離、それも動かない人間相手に全弾外すなど、絶対にあり得ない。
 「ま、銃を撃ったのはそちらですから、交渉は決裂ですわね」
 「待って下さい!葛城一尉の非礼と非常識については謝罪します!後ほど、一尉には厳重なペナルティも課されます!ですから、どうか交渉の決裂だけは止めてください!」
 「僕も交渉決裂に賛成です。話し合いの場で脅迫はおろか、銃を使って相手を殺そうとするなんて、あまりにも身勝手すぎます」
 今まで沈黙を保っていたシンジが、サングラス越しに冷たい視線を向ける。
 ウッと呻くミサト。沈黙を破ったのは、リツコであった。
 「御二人とも、申し訳ありませんでした」
 リツコは床に両膝を着いていた。そのまま両手と頭を床につける。
 「それでも、力を貸して貰わなければならないんです。碇ユイ博士が作った、エヴァンゲリオンを操れるのはシンジ君だけだから」
 「・・・母さんが作ったんですか?」
 「そうよ。碇ユイ博士の最後の作品であり研究成果。それがエヴァンゲリオンなの。人類を救うための最後の切り札。それを操れるのは、シンジ君しかいない。だから、お願いします。力を貸してください!」
 ふう、と両肩を竦める秋葉。
 「だ、そうよ、シンジ。あなたはどうしたいの?」
 リツコの心中を魔眼で見ていたシンジにしてみれば、ゲンドウの思惑通りにエヴァへ乗るのは納得がいかなかった。リツコもゲンドウの懐刀としての立場上、必要があったとはいえ、一部、嘘を交えて話をしていたのも理由の一つではある。
 だが初号機が母ユイの最後の作品であるという言葉には、心を動かされてもいた。
 「・・・条件付き、ですね。こちらが出す条件を全て呑んでくれるのなら、エヴァンゲリオンに乗っても良いですよ」
 その言葉にリツコが顔を上げる。
 「最初に給料とかはいりません。ただし僕は誰の命令も受けたくありません。NERVの人間が信用できないからです。ですから、あくまでも善意の協力者、NERVとは対等の立場であって、部下ではない。NERVが搭乗をお願いする、という関係です。だから無謀な作戦や、明らかな戦略・戦術ミスがある場合は戦闘その物を拒否します」
 「そんなの認められる訳ないでしょ!」
 「黙りなさい葛城一尉!これ以上仕事の邪魔をするのなら、今すぐ第3へ帰りなさい!今のあなたは足手まとい以外の何者でもないわ!」
 リツコの剣幕に、ミサトが見事に押し黙る。
 「2つ目は、僕が保護者を連れていく事を認める事。住居や警護の手配については、秋葉お姉ちゃんがしてくれるので、僕がNERVに望むのは私生活への干渉をしない事と、保護者の本部への立ち入り許可です」
 「いいわ、それも呑みましょう」
 「3つ目はエヴァで戦闘中にでた被害や必要経費については、NERVが負担する事」
 「当然ね。勿論、呑むわ」
 「最後に、条件に違反した場合。違反行為の責任者は、文字通り首となること」
 その一言に、リツコとミサトが凍りつく。
 「問題ないでしょう?エヴァの操縦者は世界中探しても3人しかいない。だから代わりがいない。でも作戦部責任者や総責任者には、いくらでも有能な人がいるでしょ?だったら、無能な方には舞台から降りていただくのは当たり前です」
 「何で、そんな事、認めなくちゃならないのよ!」
 「世界中の人間の命と、無能な人間のプライド、どちらが大事だと葛城さんは考えているんですか?失敗は即、死刑。これ以上の罰はないでしょ?それとも、代わりのいない操縦者を犠牲にして、恥知らずにも生き残るつもりですか?あなたは」
 シンジの言い分に、2人とも押し黙る。
 「最初の3つはいいわ。いえ、私が命をかけてでも、絶対に司令に認めさせます。でも最後の条件だけは厳しすぎる。そこだけは条件を緩和してほしい」
 「・・・じゃあ、いっそ葛城さんに聞いてみましょうか。自分の実力に自信があるなら、僕の出した条件を呑めるでしょうから」
 ミサトは自信過剰だが、それでも、自身の命を天秤にかけられる勇気は持ち合わせていない。使徒への復讐は、確かにミサトの人生と=で結ばれている。だが、それでも自分の命は惜しいのだ。
 「やっぱり、自分の命は惜しいですか」
 「・・・くっ・・・」
 「それじゃあ、条件変更。3つの条件に違反する度に、ペナルティを払って貰います。ペナルティの内容は、その時の状況に応じて臨機応変に対応します。対象となるのは違反行為の直接の責任者、それから総司令と副司令には全ての違反行為に対して連帯責任を負って貰う。この条件に変更します」
 「・・・本当にいいの?シンジ君」
 「いいですよ。ちなみに契約書は作らずとも結構です。口約束で構いません。もし口約束だから破っても構わない、そう考えて実行に移した馬鹿には、ペナルティを払わされた事を、一生、後悔していただきますので」
 妙に自信有り気なシンジの言い分に、リツコは背筋に寒気が走ったのを自覚した。

 「ちょっとリツコ、あんなふざけた条件、本気で呑むつもり?」
 「私は約束を破るつもりはないもの。それよりも問題なのはあなたの方ね。作戦ミスをしたら、下手すれば殺されるのよ?」
 「馬鹿言わないでよ。何で私がそんなめに遭わなきゃならないのよ!」
 本部へ帰る車の中、2人が激しく言葉を交わす。
 「あら、あんな至近距離で拳銃外されておいて、まだそんな事を口にするの?」
 「ふん!どうせ昨日のお酒が残っていただけよ!それに、来るのはサードであって、その憎たらしい女じゃないわ!」
 「随分な言いようね。もっとも、風俗嬢の写真を送ったあなたには、彼女も言われたくないでしょうけど」
 うぐう、という奇妙な呻き声をあげるミサト。
 「ま、覚悟だけはしておいた方がいいでしょうね」
 「私の作戦ミスは前提な訳?」
 「当然でしょ。机上の理論と実戦は別だもの。それに自信がないから、シンジ君の挑発に怖気づいたんでしょうが、無様ね」
 リツコの言い分に、ミサトがますます不機嫌になる。
 「・・・全く、諜報部もちゃんと仕事しろっての!そもそもサードが遠野家に引き取られていたなんて、何で今まで気づかないのよ!」
 NERVからの書類が遠野家へ到着したのは、全て遠野家の仕業である。シンジを弟として引き取るにあたり、秋葉はあらゆる力を使って、シンジの養父母を刑務所へ送り込み、ゲンドウの親としての責任能力の欠如を表に出したのである。
 裁判所もゲンドウに出頭を命じたが、多忙なゲンドウは欠席(出頭命令書すら確認していない始末である)。こうしてゲンドウが知らぬ間に、シンジは遠野家の住人として正式に認められ、シンジ宛ての郵便は全て遠野家へ送られるようになったのである。
 シンジが来ていない事で、ゲンドウは初めて養父母に連絡を取るが、何故か音信不通。MAGIで調べて、初めて幼児虐待と養育費搾取を理由に刑務所へ入っている事に気づいたのである。この辺り、普段から諜報部員をシンジの周辺へ張りつかせておけば防げた事態ではあったのだが、今更言っても詮無き事である。
 リツコとマヤがMAGIをフル稼働させ、遠野家の存在に辿りついたのは夕刻。それからリツコとミサトが急遽、訪問したというのが真相であった。
 「せいぜい、作戦ミスをしないように気をつけるのね。私達はシンジ君にお願いして、乗ってもらう立場なのだから」
 「ふん!乗せてしまえばこちらのものよ!洗脳だろうが薬だろうが脅迫だろうが、いくらでも手段はあるわ!」
 「あなた、本気?そんな事して初号機とシンクロしなくなったらどうする気なの?あなたが人類滅亡の引き金を引く気?」
 「例えよ、例え。一発ぶん殴れば、あんなガキ一人、どうとでもできるわよ!」
 (・・・遠野家がその程度の事、予想していないとでも思ってるの?それでもシンジ君を送ってくる、そこにはシンジ君を守る事が出来るという自信があるのよ?)
 2人を乗せた車は、第3新東京市目指して高速道路をひた走った。

少し時を遡る―
 「シンジ、本当に行く気なの?」
 遠野家から離れていくルノーを見下ろす秋葉。その顔には誰が見ても分かるほど、はっきりとした不快感が刻まれている。
 「僕がここにいたら、間違いなく遠野家に災難が降りかかるからね」
 「シンジ!あなたがそんな事、気にする必要はないわ!」
 「そうですよ?シンジ君は家族なんです。ここにいつまでいてもいいんですから」
 「私も同感です。シンジ君だけが、犠牲になる事はありません」
 「3人の言う通りだ、考え直せ、シンジ」
 その言葉に、シンジがニッコリと笑う。
 「ありがとう、僕、この家に引き取られて幸せだよ。でもね、だからこそ、僕は第3へ行って使徒と戦おうと思うんだ」
 「何故なの?説明しなさい」
 「僕はみんなを守りたい。僕は今までみんなに守られていた。今度は僕が守る番だと思うんだ。それだけじゃない、インパクトが起きた時、確かに秋葉お姉ちゃんの力なら、僕達を守る事は出来ると思う。でも、それじゃあダメなんだよ」
 シンジがスッと前に出る。そこにはお昼寝している春奈と、身重の翡翠がいた。
 「もう一度インパクトが起きたら、春奈や翡翠お姉ちゃんの子供は、きっと辛い生活を送る事になると思う。以前、教科書で見た事があるけど、セカンドインパクトが起きた頃は、食糧事情とか医療体制とか、すごい悲惨な事になった、って書いてあった」
 「・・・そうだな」
 「僕は春奈に笑ってほしい。翡翠お姉ちゃんの子供にも幸せになってほしい。それができるのは僕だけなんだ。だから今、僕が秋葉お姉ちゃんに甘えて、戦いから逃げちゃいけない、そう思うんだ」
 決意した弟の言葉に、誰も異論を唱えられない。特に翡翠は、自身の子供の為に戦うと決めた弟の思いに、両目を押さえていた。
 「大丈夫だよ、僕は必ず帰ってくるから。それにね、僕の戦闘技術はシエルお姉ちゃん仕込みだからね。ちょっとやそっとじゃ潰れたりしないよ」
 冗談めかしたシンジの口調に、一同の顔に明るさが戻る。
 「そうだね、戦いが終わったら恋人でも連れて戻ってこようかな。兄さん、なんか良い口説き文句教えてよ、ベテランでしょ?」
 「シンジ!お前は何て事を言うんだ!俺はナンパなんてしてないぞ!」
 「何言ってるのさ、秋葉お姉ちゃんと琥珀お姉ちゃんと翡翠お姉ちゃんに手を出してるじゃないか。どう見てもプロだよプロ。そういえば、時南先生とこの朱鷺恵さんもそうだっけ?あと手を出してないのは都古さん?」
 「ほほお、是非とも詳しい事を聞かせていただきましょうか」
 志貴の後ろに、真紅に染まった髪の毛を揺らめかせた鬼が静かに忍び寄る。
 「ま、待て!秋葉!話せば分かる!」
 「あ、忘れてた、シエルお姉ちゃんにも男の子がいたんだっけ。春奈と同い年だっけ?」
 「言うなあ!」
 「天誅!!」
 その日、遠野家本宅の半分が文字通り吹き飛んだが、それはまた別の話である。
 
翌日―
 「やっと到着したね、琥珀お姉ちゃん」
 「ええ、思ったよりも時間がかかって疲れました」
 わざとらしく肩を叩く、割烹着姿の琥珀に、シンジが笑いかける。
 「一応、駅前へこの前の風俗のお姉さんが迎えに来てくれる事になってるんだけど」
 駅の外側は、無人のロータリー。避難警報だけが虚しく響いていた。
 「これって、僕達の事、忘れられているのかな?」
 「あらら、それは困りましたねえ」
 「まあ、いざとなったら琥珀お姉ちゃん一人ぐらいなら守れるから問題ないけど」
 携帯電話を取り出し、緊急連絡先として訊いていた番号へ電話をかけるシンジ。
 「もしもし、赤木博士ですか?」

発令所―
 にゃーん、にゃーん、にゃーん・・・
 再侵攻を間近に控え、厳粛な空気と緊張が張りつめる発令所に、可愛らしい仔猫の鳴き声が静かに響き渡った。
 ゴホンという咳が上から聞こえてきた事に、やや顔を赤らめながらリツコが電話に出る。
 『もしもし、赤木博士ですか?』
 「シンジ君!一体、どうしたの!?早く本部へ来て頂戴!」
 『それが、迎えに来るはずの風俗のお姉さんが、駅前にいないんですけど』
 ビシッ
携帯電話にヒビの入った事を、発令所のメンバーは敏感にも察知した。
(・・・お、おい、また葛城一尉か?)
(勘弁してくれよ、もう・・・)
(先輩の機嫌が悪くなるのは困りますよ・・・)
「分かったわ。すぐにこちらで手配します。近くにいるはずの戦自の車両を回しますから、少しだけ時間を頂戴」
ピッと電話を切ると、すぐに手配にかかる。幸い、近くに戦自の車両がいたので、NERVまで連れて来てくれるように依頼する。
「・・・司令、サードの到着が予定より遅れます」
「葛城一尉はどうしているのだ?すぐに呼び出せ!」
「一尉は執務室にいるようです。反応がありますから」
執務室でお昼寝を堪能していたミサトであった。

 「そういえば、琥珀お姉ちゃんって軍用車へ乗ったのは初めてなの?」
 「そうですね、言われてみれば初めてですね。シンジ君はパトカーなら乗り慣れているんでしょうけど」
 「僕の場合、都古さんのオプション扱いだよ?いつも止める側なのに、何で僕まで過剰防衛で捕まるのか理解に苦しむよ」
 「あのね、シンジ君。息の根を止める寸前で止めても、それは遅すぎるの。もっと早く止めなきゃダメなのよ」
 「嫌だよ、僕だって命は惜しいからね」
 後部座席から聞こえてくる愉快な会話に、運転していた戦自の隊員が口を挟む。
 「そんなに暴れん坊なのかい?君は。目も見えないのに、よく暴れられるもんだ」
 「先生のおかげで、気配を読むぐらいの芸当はできますから。暴れっぷりについては、興味があったら三咲警察署の乾有彦刑事に尋ねてみてください。あの人少年課勤務でもないのに、僕達の担当警察官なんですから」
 「おやおや、その乾刑事さんも大変だ」
 傍で聞いていた琥珀と、助手席に座っていたもう一人の隊員がクスクスと笑う。
 「でも、僕はしばらくこちらにいるから、乾さんは都古さん一人を担当すればいいんだよなあ。たぶん、仕事は減るんだろうな」
 「それはどうかしら?シンジ君と言うストッパーが消えたのよ?誰が都古様を止められるのかしらね?」
 「うわ、そうだった。やっばいなあ、有間のおばさんからも頼まれてたのに、どうしよう?」
 真剣に考え込むシンジ。
 「ところで、君達はNERVの関係者なんだろ?こんなタイミングでここへ来るなんて、大変だねえ」
 「全くです。しかも本来、僕達を呼びにくる人は来ないですし。これ見て下さいよ」
 スッと差し出した写真を見て、助手席に座っていたお巡りさんがブッと噴き出す。
 「これは風俗の広告写真かい?」
 「いえ、NERVの作戦部長だそうです。世も末ですよね」
 「・・・ちょっとまて、この女、見覚えがあるぞ。確か・・・」
 うーんと唸るように考えていたが、やがてポンと手を叩いた。
 「こいつ、道交法無視の常習犯じゃないか!」
 「何ですか?その変な罪状は」
 「速度超過、一停無視、飲酒運転、信号無視等々、間違いなく第3新東京市最悪の運転マナーの持ち主だよ。捕まえてもNERVの特務権限でウヤムヤにしやがる女だ。俺の弟が警察署の交通課に勤務していてな、前に酒を飲んだ時に教えてくれたんだよ」
 「うわ、あの人、そんな事までしてたんですか?」
 シンジが呆れたように質問を返す。
 「交通課じゃ何とかして留置所に入れられないか、検討しているそうだが、この街じゃNERVは別格なんでな。全く、国連所属だか何だか知らないが、一般人に迷惑かけて良い訳がないだろうに」
 「・・・なんかNERVを潰した方が良い気がしてきますね。いっそエヴァに乗ったら、最初に本部を踏みつぶしてやろうかな?」
 シンジの言葉に、助手席に座っていた隊員が、ギョッとした顔で振り向いた。
 「ひょっとして、君が戦うのかい!?」
 「どうも、そうらしいですね」
 「いや、それ以前に子供を戦わせるなんて、NERVは何考えてんだ!」
 本気で怒る隊員を見て、琥珀が『まあまあ』と取り成す。
 「まあ、僕にも戦わなきゃならない理由がありますから。エヴァに乗る事自体については、恨んだ事はありませんよ」
 「そうなのかい?」
 「ええ、もし今攻めてきている化け物が世界中を荒らしたとしますよね?そうすると、今年で3歳になる姪っ子と、妊娠5か月のお姉ちゃんが辛い目に遭うんですよ。守る方法があるなら、躊躇いはしません。それが僕の選んだ選択ですから」
 「そうか、君は優しい子だな。もし俺達にできる事があれば、何でも言ってくれ。俺達は、弱い人を守りたくて戦自に入ったんだ。なのに、守るべき子供を最前線に出して、後ろで守られているのは歯痒くて仕方ないんだよ」
 「ありがとうございます、もしその時が来たら、助けて下さいね」
 シンジの言葉に、彼等はサムズアップで応えた。

NERV本部―
 2人を本部ゲート前で下ろすと、軍用車はすぐに走り去った。彼らも避難しなければならないからである。
 「お疲れ様、いきなり迷惑かけてごめんなさい。ところで、何で包帯なんて巻いてるのかしら?」
 迎えに来ていたのは、リツコであった。
 「僕にとっては、包帯を巻いているのが普通なんですよ。それより、時間は大丈夫ですか?」
 「そうね、疲れているとは思うけど、時間がほとんどないの。話は移動しながらにさせて貰えないかしら?」
 「いいですよ、でも琥珀お姉ちゃんも一緒ですよ?」
 「ええ、分かってるわ。私は約束を守るから」
 カードをスリットに通し、中へと入っていく。リツコは一度も迷う事もなく、エレベーターまで何の問題もなく辿りつく。
 「赤木博士、口約束を破りそうな人は、何人ほどいましたか?僕の予想だと、あの風俗のお姉さんと、礼儀知らずの司令の2人だと思うんですが?」
 「惜しいわね。副司令は司令に忠実だから、3人になるでしょうね。まあ副司令はここで一番忙しい人だから、ある程度は大目に見てあげてくれないかしら?」
 「そうですか、まあ2人なら余裕かな」
 「随分、腕に自信があるみたいね?」
 「常にクールを維持し、客観的に彼我の実力差を把握し、一切の希望的予測を捨て去ること。僕が先生から教わった教えです。それから判断しても、勝てる自信はありますよ」
 チーンと音が鳴り、エレベーターが到着する。3人は乗り込むと、下層のケージへと向かった。
 「あと、先にエヴァの操縦方法を説明しておくわね。エヴァは考えた事、言い換えるならイメージした通りに動いてくれるの。例えばパンチをイメージすればパンチ、ジャンプをイメージすればジャンプ、という具合にね。ここまではいいかしら?」
 「ええ、大丈夫です」
 「エヴァの基本概念は、操縦者とエヴァの一体化―シンクロにあるの。そしてシンクロが高いほど、エヴァの力をより強く発揮できる。ただ注意点が3つ」
 リツコは一息つくと、説明を再開した。
 「まず行動のタイムラグ。エヴァとどれだけシンクロ出来るかによって、エヴァの行動へのタイムラグは変わってくる。シンクロが高いほど、思った通りに動いてくれる。逆にシンクロが低ければ、動きは鈍くなるのよ」
 「便利かと思えば、とんだ欠点ですね。僕みたいな初心者にはきついシステムですよ」
 「それだけじゃないわ。エヴァが損傷すると、操縦者にも痛みがフィードバックしてくるの。シンクロが高いほどフィードバックは大きくなるけど、シンクロが低ければフィードバックも小さくなる」
 露骨に嫌だなあ、という表情を作るシンジ。
 「最後に動力源よ。エヴァは電気で動くわ。だから背中からアンビリカルケーブルという電線を使って電気を得ています。だからケーブルが切れると、内蔵電源に切り替わってしまう。内蔵電源の時間は戦闘時間で5分しかないの」
 「・・・何と言うか、改良点だらけの欠陥兵器ですね。母さんは、一体、何を考えていたんだか」
 「ごめんなさいね、確かに欠点を改良できなかったのは、私達NERVのミスよ。謝っても許される事ではないわね」
 チーンと音が鳴り、扉が開く。一本道の先には、ケージがある。
 「こっちよ」

ケージ―
 無人のケージには紫の巨人―初号機が出陣の時を待っていた。
 「これがエヴァンゲリオン初号機、シンジ君が乗る機体よ」
 リツコの説明を聞きながら、シンジはその両眼に巻いていた包帯を外した。
 「シンジ君?」
 その緑色の瞳の美しさに、リツコが息をのむ。だがシンジはリツコに気づくことなく、黙って初号機を見上げていた。
 そして、その緑の瞳から、透明な雫が静かに流れ落ちていく。
 「そういう事だったんだ・・・」
 まるで労わるかのように、シンジは初号機の装甲に優しく触れる。
 「・・・さん・・・ただいま・・・」
 シンジの口から漏れ聞こえた声に、リツコの心臓が激しく踊る。
 『よく来たな、シンジ』
 ケージにスピーカー越しの声が響く。
 上を向くと、そこにはガラス越しに一人の男が立っていた。
 「あのう、赤木さん、あの鬚親父は何者ですか?」
 「碇ゲンドウ。シンジ君の父親であり、NERVの総司令よ」

 「「ウソだ!」」

 見事にシンジと琥珀の声がハモる。
 「赤木博士!シンジ君に謝罪してください!幾らなんでも、名誉棄損ですよ!?」
 「そうですよ!どこをどう見たら、遺伝的に繋がりがあるんですか!納得のいく説明をして下さい!こんな嫌がらせは酷すぎます!人間としての良識が、あなたにはないんですか!?」
 「ふふ、そうよね、そう思うわよね。でもね、これが現実なのよ」
 3人揃って酷い評価の仕方だが、当事者であるゲンドウはどこ吹く風である。
 『出撃』
 「「は?」」
 再びハモる琥珀とシンジ。とても息がピッタリである。
 『シンジ、乗るなら乗れ、でなければ帰れ!』
 「・・・あのさあ、こちらが出した条件の事、忘れてるだろ?そんなに死にたいの?」
 傍にいたリツコがビクッと身を震わせて、後ずさる。琥珀は長年、秋葉の側で殺気を経験しているので、もはや慣れっこである。
 『ふん。お前などエヴァに乗るしか価値は無いのだ。黙ってそれに乗れ』
 「へえ、そういう事言うんだ。ねえ、赤木博士。使徒が行動起こすまで、どれだけ時間がありますか?」
 「え?あと30分ぐらいかしら」
 「そう、ありがとう。じゃあ、エヴァに乗る前にお灸を据えてあげるよ」
 再び包帯を巻き直すシンジ。その不穏な気配を察したのか、ゲンドウが何か指示を下した。
 ケージの外へ集まり出す気配の塊を、シンジが敏感に察知する。
 「ふうん、力づくで取り押さえるつもりか。琥珀お姉ちゃん、赤木博士と一緒に下がっていて」
 「分かったわ、シンジ君、怪我しないでね?」
 「な、何をする気なの!?」
 琥珀に引きずられるように、後ろへ下がるリツコ。だがシンジの全身を埋め尽くすかのように走りまわる緑色の雷光を目撃し、リツコは驚きで全身を硬直させていた。
 雷光が右手に収束し、3本の直剣―黒鍵―へと姿を変える。
 そのままシンジは黒鍵を気配の集まっている扉目がけて投擲する。黒鍵は扉を紙のように貫き、さらに貫通した後で爆発を起こした。
 さらにシンジは黒鍵を左手と右手で交互に投げつける。その度に耳を塞ぎたくなるような爆音が響いた。
 続いて火災を感知して警報が鳴り響く。
 「疑似火葬式典。火傷程度ですめば良いね。ところで御自慢の私兵は消えたよ。次はお前の番だ」
 黒鍵を両手に3本ずつ構えたシンジの姿に、強化ガラス越しに対峙していたゲンドウが、大きく後ずさった。
 『シンジ、お前、一体・・・』
 「さあ、行くよ」
 シンジがその場で黒鍵を投擲する。今度の黒鍵は、極低温の力場を発生させる力を付与した、彼オリジナルの黒鍵であった。強化ガラスは、液体窒素等の極低温に晒されてしまうと、非常に脆くなるという弱点を持っている。シンジはその弱点をついたのであった。加えて、埋葬機関で編み出された投擲技術―鉄甲作用によって強化ガラスはいとも簡単に砕け散る。
 『お前は、お前は一体、何者だ!』
 「僕は遠野シンジ。お前に捨てられ、虐待を受けてきた弱い子供。でもね、僕は望んだんだよ。小さい命を守れるだけの強さを。それがこの力『投影』の魔術。己の魔力を媒体に、望んだものを模倣する力」
 シンジとゲンドウを遮る物は何もない。もはやゲンドウの命は風前の灯である。
 「僕を鍛えてくれたのは聖堂教会の異端審問代行機関、通称、埋葬機関の第7席に位置する人だよ。お前も国連の偉い立場の人間である以上、ヴァチカンの暗部―埋葬機関の噂ぐらいは聞いているだろ?僕の戦闘技術は、埋葬機関譲りの代物だ。大昔から受け継がれてきた悪魔退治の戦闘技術を見せてあげるよ」
 驚きのあまり声も出せないゲンドウに、シンジがゆっくりと近づこうとする。だが、ゲンドウもユイを取り戻す為なら、手段は選ばないほどの覚悟を持ち合わせている。ましてやユイ奪還の為に、シンジは自分の道具としなければならない。
それを考えれば、シンジの迫力に飲み込まれる事など、ゲンドウにしてみれば決して許される事ではない。しかし、現実として自身が息子の迫力に呑まれかけている現実に気がつくと、情けない自らへの憤怒を糧として、その場に踏みとどまった。
これまでの人生において、ゲンドウ自身も、様々な修羅場を潜ってきている。特に暴力に対する経験など、山のように持ち合わせていた。
サングラスの奥から、呑まれてたまるか、とばかりにシンジを睨みつけるゲンドウ。
ゲンドウから発せられる雰囲気が、覚悟を決めた者のそれに切り変わった事に気付いたシンジが、一瞬だけ目を大きく開く。
その時、ケージを大きな揺れが襲った。
 『聞こえますか!先輩!?』
 「何?何があったの、マヤ!?」
 『大変です!使徒が侵攻を再開しました!』
 その知らせに、シンジが構えていた黒鍵を解除。黒鍵は空気に溶け込むかのように姿を消した。
 「搭乗準備をお願いします。続きは帰ってからです」
 割れた強化ガラスの間から、躊躇いなく飛び降りたシンジを、ゲンドウは黙って見ている事しかできなかった。

発令所―
 琥珀とともに発令所へ駆け込んだリツコは、テキパキと起動準備を進めていく。多少、顔色が悪いが、周囲はそれを指摘できないほどの忙しさに追い回されていた。
 正面モニターが切り替わり、薄手の私服姿のシンジが映る。その両眼に包帯を巻きつけたままの姿に、発令所全体からどよめきが起こる。
 「シンジ君、聞こえるわね?これからLCLを注入するわ。そのまま肺へ吸い込んでちょうだい」
 『ええ、分かりました・・・うえ、なんか気持ち悪い液体だなあ』
 「黙りなさい、男でしょ、あんた!」
 ムッとしたシンジが、即座に切り返す。
 『ああ、なるほど。赤木博士、この風俗嬢にたらふくLCLを飲ませてあげてください。そうしたら、僕も前向きに協力しますよ』
 「そうね、それでシンジ君が協力してくれるのなら、安い代償ね」
 「うう、止めてよリツコ」
 急に弱気になったミサトの態度に、溜飲を下げたのかシンジが落ち着きを取り戻す。
『ところで、作戦はどうなってるんですか?』
 「作戦は葛城一尉から説明させるわ」
 リツコがミサトと交代する。
 「いいわね?これから初号機を射出、目の前に使徒がいるから倒しなさい」
 『嫌です』
 「ちょっとふざけないでよ!こんな非常時に何考えてんのよ!」
 『ふざけてるのはそっちだろ!この30過ぎの風俗嬢が!そんなのは作戦とは言わない!』
 シンジの発言にリツコが口を押さえて必死で笑いを堪える。どうやら『30過ぎ』という表現がツボに嵌ったらしい。
 『それと、昨日の約束を忘れているのですか?失敗したら、どうなるか、分かっているんでしょうね?』
 「はあ、約束なんかした覚えはないわよ♪」
 してやったりという表情で、上機嫌なミサト。だがシンジは怒る事もなく、お腹を押さえて笑い声を上げた。
 「ミサト!命が惜しいなら、すぐに撤回しなさい!本気で殺されるわよ!」
 「何、言ってんのよ。こんなガキに殺されるほど、私は弱くないわよ」
 『赤木博士、もう良いでしょう?この風俗嬢は、世界には『裏』を凌駕した『闇』が存在する事を知らない、おめでたい人間なんですよ。教えて差し上げる良い機会じゃないですか』
 その闇の一端を垣間見たリツコにしてみれば、この後で親友を襲う将来図をイメージせずにはいられない。
 『さてと、じゃあこちらも準備しないとね』
 包帯をスルスルと解くシンジ。その下から現れたのは、エメラルドに輝く瞳。
 その美しさに、発令所にいた人間は、男女を問わずに凍りついたように魅入られた。
 すでにケージで一度見ているリツコは多少の耐性ができたのか、ポーッと見ている後輩を叱咤する。叱られたマヤが正気に戻り、慌てて起動確認にはいる。
 「シンクロ率・・・99.89%!?そんな理論限界値です!ハーモニクスは±0.5です!」
 マヤの絶叫に、発令所にざわめきが広がる。だがリツコだけは違った。モニター越しにシンジの顔をジッと見ている。
 (・・・やはり、さっきのは聞き違いではなかったのね。シンジ君、ユイさんの存在に気づいたんだわ)
 その瞬間、シンジの唇が小さく動いた。その動きに、リツコの背中に冷や汗が伝わる。
 シンジが紡いだのは『はい』という短い単語。
 (私の考えている事が分かるの!?そんな非科学的な事がある訳が・・・でも、だったら何で包帯なんかしていたの?昨日、サングラスで出てきていたのは何故!?)
 『赤木博士、それ以上は秘密ですよ?他人に喋ったら、僕には分かっちゃいますから。僕にウソは通じませんよ』
 他人には何のことやら分からない会話である。だが真実に気づいたリツコと、4年に渡って生活してきた琥珀には、誤解なく通じていた。
 「赤木博士、シンジ君は知り得た事を軽々しく口にするような性格ではありませんし、好き好んで調べる訳でもありません。あれはシンジ君の意思とは関係なく、勝手に動きだしてしまうんですよ」
 「琥珀さん、でしたね。ひょっとして、あなたは知っているんですか!?知っていて、一緒に生活してきたんですか!?」
 「はい、シンジ君は私達遠野家の家族なんですよ?遠野家の住人は、例外なくシンジ君の事を知っています。それでも一緒に暮らす事を選択したんです」
 その言葉に、リツコは驚きを隠せない。そんな2人をよそに、ミサトが周囲の空気も読まずに出撃を指示する。
 「エヴァンゲリオン、発進!」
 「待ちなさい!葛城一尉!!」
 リツコの制止は間に合わず、初号機は地上へと射出された。

第3新東京市、本部直上―
 大きなGに耐えると、そこには第3新東京市の街が広がっていた。そして前方100メートルほどの位置には、第3使徒サキエルが立ち、初号機をジッと見ていた。
 バチンバチンと音を立てて解除される拘束具。
 事前に説明を受けていたシンジは、慌てる事もなく動きをイメージする。説明通り、動いてくれる事を理解すると、シンジはサキエルに目を向けた。
 サキエルの心がシンジの目に流れ込んでくる。
 「そうか君は還りたいんだね・・・でもごめんね、君を還らせる訳にはいかないんだよ。僕にも守りたいものがあるから」
 ミサトの怒鳴り声が響くが、シンジの耳には聞こえていない。シンジの心は、全てサキエルに向けられていた。
 「そうだね、僕達は相容れられない存在なのかもしれない。でも変わっていく事は出来ると思う。僕がそうであるように、僕を受け入れてくれた人達がいるように」
 サキエルはジッと初号機を見つめる。その姿を見た者達は、サキエルが初号機と会話をしているように感じていた。
 「今すぐ、僕達を信じてとは言わない。今は戦い、殺し合う関係なのかもしれない。でもいつか必ず、その関係は変わってくれると僕は期待しているんだ。だから君も、僕に遠慮をしなくていいよ。君の心は、受け継がれていくのだから」
 半身に構えを取る初号機。対するサキエルも、右腕どころか両腕から光のパイルを作り出した。
 「行くよ!サキエル!」
 初号機が正面からサキエルに突撃する。カウンターを合わせるかのように、光線で迎撃を計るサキエル。だがそれを文字通り読んでいたシンジは、初号機を咄嗟にジャンプさせ、そのまま空中からサキエルへ踵落としを敢行する。
 完璧なタイミングだったが、踵落としはサキエルのATフィールドに阻まれ、不発に終わる。異様な手応えに、シンジが慌てて距離を取る。
 『シンジ君!今のは使徒が持っているATフィールドと呼ばれる壁よ!ATフィールドは同じATフィールドでしか破れないわ!』
 「じゃあ、それをどうやって出せばいいんですか!?」
 『ごめんなさい、私達もそこまでは分かっていないの!でも初号機には、ATフィールドを張る力があるのは間違いないわ!』
 無茶苦茶だよなあ、と思いながらも初号機を操り、光のパイルを避けていく。
 「・・・さん、力を貸して!」
 シンジの呟きは、戦闘の喧噪にかき消されて、誰の耳にも届かない。だが発令所のメンバーが見守る中、初号機はATフィールドを発生させ、瞬く間にサキエルのATフィールドを中和させていく。
 『シンジ君!使徒の弱点はコアよ!赤い球体を狙って!』
 リツコの指示に、シンジが右手を伸ばす。ガシッとコアを掴むと同時に、全力でサキエルの胴体を蹴り飛ばす。
 ブチブチブチッという肉を引き裂くような音を残して、サキエルは路上に落下。初号機の手には、赤いコアがポツンと残されている。
 「そう、それが君の選択なんだね・・・ありがとう、君は優しいね。うん、ありがたく使わせてもらうよ。だから、いつか必ず会おう・・・またね」
 シンジの呟きが聞こえたのかどうかは分からない。だがシンジが『またね』と言った後で、サキエルは爆発し、十字の閃光を残してこの世から消え去った。
 その光を見つめながら、シンジは初号機へ指示を下す。
 バキンッ
 初号機の顎部ジョイントが引きちぎられる。自由になった口の中へ、シンジはサキエルのコアを放り込んだ。
 
発令所―
 「使徒殲滅を確認しました!・・・初号機の顎部ジョイントが外れます!」
 マヤの叫びに、勝利に沸いていた発令所に、再び緊張が走る。彼らの脳裏をよぎったのは『暴走』。だが、事実はそれを上回った。
 初号機が手にしていたコアを口の中へ放りこんだのである。そのまま初号機は、ゴクッとコアを呑みこんでしまった。
 「初号機!使徒のコアを取り込みました!」
 愕然とする発令所。
 「シンジ君!聞こえる!?」
 『大丈夫ですよ、聞こえてます。それより、どうやって帰れば良いんですか?』
 「今、リフトを送るわ。そこで待っていてちょうだい」



To be continued...
(2010.06.27 初版)


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