遠野物語

本編

第七章

presented by 紫雲様


第3新東京市―
 「加持さんとデートできるなんて、本当ラッキーだったわ!修学旅行用の水着も見立てて貰えたしね!」
 運ばれてきたジュースをストローで吸い上げる、機嫌のよいアスカ。イスラフェル戦から、はや2週間。一時は鬱に近かったアスカではあったが、今はほとんど治っていた。ただ、シンジが視界内にいる時を除いて。
 「俺が言うのも何だが、あの水着は、少し派手すぎないか?」
 「何言ってるのよ!あれぐらい、普通だってば!」
 「やれやれ、まあアスカが納得できるなら、それで良いんだけどな」
 こちらはアイスコーヒーを飲みながら、額に浮かんだ汗を拭っていた。
 「修学旅行、楽しみだな!加持さんは、どこ行ったの?」
 「・・・俺達の時は、修学旅行なんて無かったよ。セカンドインパクトが直撃した頃だったからな・・・」
 遠い目をする加持。
 「・・・アスカ。まだ気になっているのか?彼の事」
 ビクッと震えるアスカ。
 「彼が好き好んで力を使う様な人間じゃない事は理解しているんだろう?それでも、やっぱり怖いか?」
 「・・・うん。どうしても、耐えられないの。包帯をしてれば、力を使えない事はアタシも理解できた。でも、ダメなのよ・・・」
 アスカの心の傷は、あまりにも深い。だからこそ、絶対に知られたくないという思いがアスカを恐怖で縛りつけていた。
 「加持さんは、どうしてアイツの事を気にかけるの?」
 「何と言えばいいのかな・・・昔、俺のせいで死んでしまった弟の事を思い出したんだよ。今、彼を見捨てたら、俺には二度と贖罪のチャンスは与えられない、そう感じたからかな」
 アイスコーヒーを飲み干す加持。グラスの中で氷がカランッと音を立てる。
 「アスカは、シンジ君の事について、どれだけ知っているんだい?」
 「・・・力がある事。シエルさんが戦闘の先生な事。ファーストと仲が良い事。あとは昔、虐待を受けてた事」
 「虐待だって?・・・そんな事があったのか」
 煙草の灰を、加持が灰皿に落とす。
 「俺も資料は見たが、シンジ君は基本的には善人だ。家族を守る為にエヴァに乗っている事や、シャムシエル戦の際のいざこざだけを見ても、彼が悪い人間じゃないのは断言できる。行動が過激すぎるのは、フォローできんが」
 困ったように笑いながら、加持は続ける。
 「もしかしたら、彼は他人との距離の取り方が分からないだけなのかもしれないな」
 「どういう意味?」
 「つまり、シンジ君はああいう力の持ち主だから、自分に近づいてくる人間が、どういう思惑を持って近づいてくるのかが分かってしまう訳だろ?だから遠ざけてしまう。ここまではいいな?」
 コクンと頷くアスカ。
 「逆に遠野家の人間のように、力を気にせず近寄ってくる人間に対しては、全く警戒心を持っていないし、彼の方も無条件に頼ってしまっている。敵意を感じないのも理由だろうが、それ以上に、彼らがシンジ君を無条件に受け入れてしまっていたことが、最大の要因だろうな」
 「じゃあ、アイツは完全に断るか、無条件に受け入れるかの2択の付き合い方しか知らないってこと?」
 「たぶんな。彼はユニゾン作戦自体に反対だった。だから作戦を潰す為には、アスカに嫌われるのも止むなし。そう判断したんだと思う」
 スッと立ち上がった加持を、アスカが見上げる。
 「少し、俺の方で彼の事を調べてみよう。三咲町に行けば、その辺りの事を教えて貰えそうだからな」

NERV本部作戦部部長執務室―
 「えー!修学旅行、行っちゃダメえ!?」
 アスカの悲鳴が、執務室に響いた。
 「悪いとは思うんだけど、いつ、使徒が来るか分からないからね。チルドレンは戦闘待機なんだよ。シンジ君にも訊いてみたけど、行く気はないそうだし」
 「何で、アイツだけ特別扱いなの?」
 「シンジ君は正規のNERV職員じゃないからね。おまけに作戦拒否権も持っている。本人が行きたいと望めば、法的に留める事はできないんだよ」
 日向の口調から察するに、この件に関してよっぽど心労が溜まっていたのかもしれない。
 「ファースト、アンタはどうなのよ!」
 「・・・私、興味無いから」
 踵を返し、執務室から出ていくレイ。
 「あー、もう!たまには、こちらから攻めるとかしたらどうなのよ!」
 「居場所が分かれば、そうするんだけどね。まあ、修学旅行の代わりに、職員プールを解放してあげるから、それで我慢してくれないか?」
 「あーあ、つまんないの!・・・そういえば、サードは何でいないの?」
 「シエル二尉と戦闘訓練をしているからだよ」
 日向がMAGIで検索をかける。反応はジオフロントの森の中からであった。
 さらに操作を進めると、モニターに訓練風景が映った。
 包帯を巻いたシンジが、全身に切り傷を作って、肩で息をしている。対峙するシエルは尼僧服の所々に切れ目は作っているものの、息は静かであり、その全身から余裕が感じられていた。
 二人とも両手に黒鍵を握っており、その訓練が真剣を使った物である事が、すぐに分かった。
 日向もアスカも、予想外の光景に息をのんだ。
 「な、何をしてるんだ!」
 シンジの切り傷が、本物である事は一目瞭然である。日向にしてみれば、戦闘訓練ではなく実戦訓練であったなど、寝耳に水であった。
 「シエル二尉!一体、何をしてるんですか!」
 『いつもの戦闘訓練ですよ』
 一気に距離を詰めるシエル。懐に飛び込むと同時に、右手に握っていた黒鍵を素早く振り抜く。その手の部分をシンジは足で受け止め、勢いを利用して樹上にまで飛びあがる。同時に右手に握っていた黒鍵をシエル目がけて投じる。
 シエルはそれをよけると、木の陰へと姿を消す。シンジもまた、木の葉を利用して、己の姿を消した。
 木の枝や草が、ガサガサと激しく揺れる。そして黒鍵が急に木の幹や地面にグサグサと突き立っていく。
 シエルやシンジにしてみれば、黒鍵を使った戦闘訓練は、極日常的なものである。2人にとっては、あくまでも真剣を使った訓練でしかない。だが日向にしてみれば、この光景は戦闘訓練ではなく、本物の殺し合いであった。
 「保安部、こちら作戦部日向!緊急出動を要請します!」
 日向からの要請に、保安部が出動したのは仕方ない事だったのかもしれない。

翌日―
 修学旅行へ向かうクラスメートを見送ったレイとアスカは、本部の職員プールに来ていた。イスラフェル戦以降、シンジはアスカがいる場所には滅多に現れなくなっている。空港へ見送りに行かなかったのも、アスカが空港にいたからである。
 その事実に気づいた彼女の心は困惑に満ちていた。自身がシンジを避けているのは間違いないが、逆にシンジに避けられている事に苛立ちを感じていたのである。矛盾しているが、それが真実であった。
 ガムシャラにクロールで泳ぎ続けるアスカ。やがて力尽きたのか、途中で仰向けに浮かび上がった。
 「・・・どうしろって言うのよ・・・」
 眉をしかめるアスカの表情は複雑極まりない。レイもシンジがプールにいない事で、どことなく物足りなさそうな雰囲気である。
 「おや、シンジ君はいないのか?」
 聞き覚えのある声に、アスカが慌てて顔を向ける。そこには加持が立っていた。
 「加持さん!」
 「元気だな、アスカは。ところで、シンジ君の事について調べてきたんだが、聞く気はあるかい?」
 その言葉に反応したのはアスカではなく、レイの方であった。
 「私、聞きたいわ」
 「勿論、構わないとも。ただ俺も疲れているんでね、そこのイスに座って話そうか」
 汗を拭きながら椅子に座る加持の真正面に、白い競泳水着姿のレイが陣取る。アスカはストライプのビキニ姿で、少し離れた所に座っていた。
 その天の邪鬼な態度に、心の中で苦笑する加持。
 「結論から言おう。俺の予想通りだった。シンジ君の人との付き合い方は、完全に断るか、無条件に受け入れるかの2択しかなかったよ。彼の保護者に確認したから、この点は間違いない」
 「・・・つまり、私は受け入れてもらっているのね?」
 「君に関して言うなら、そう言う事になるな。彼は間違いなく、君を受け入れている」
 レイがほんのりと頬を赤く染める。
 「ただ、問題がある」
 真剣な表情を作った加持の姿に、少女達は顔を引き締めた。
 「彼は自分の命に関心がない。いつ死んでも構わない、そう考えているんだ」
 「何で!」
 「・・・過去に実父に捨てられた経験、虐待を7年に渡って受けた経験が、彼を歪めてしまったんだ。遠野家の住人も、その事には気付いていたらしい。何とか治療しようと試みたようだが、結局治せなかったそうだ」
 「じゃあ、アイツが歪んだ原因に責任取らせればいいじゃない!」
 「それは無理だ。実の父親はシンジ君に両手両足を切断されて達磨状態で入院治療中だし、養父母は遠野家の告発で刑務所の中にいるからな」
 煙草を取り出す加持。
 「ついでに言うなら、実の父親は碇ゲンドウ。NERVの総司令だ」
 「ウソでしょ!?」
 「本当さ。間違いなく、あの2人は実の親子だ。もはや関係修復は不可能だがね」
 加持は紫煙越しに、キラキラと光る水面に目を向けた。
 「正直な話、遠野家としてはシンジ君を返してほしいそうだ。このままNERVにいては遠からず、シンジ君は死ぬと考えている。より正確にいうなら、シンジ君は自分の命を犠牲にするだろう、とね・・・」
 その証拠が、シャムシエル戦である。戦場に迷い込んだ級友を救うため、彼は戦闘中にエントリープラグを排出するという自殺行為を行っている。
 「ここへ来る前に、彼の訓練を見てきたよ。あれを見て確信した。遠野家の言い分は正しい。もし君達が彼と一緒にいる事を望むなら、生半可な覚悟では付き合えんぞ?もし彼が犠牲になって死ぬとすれば、それは一番身近な人間―つまり恋人というべき存在の身代わりになる可能性が一番高いんだからな」
 恋人が自分の身代りになって死ぬ事に耐えられるか?言外に問われた少女達は、沈黙するしかなかった。
 重苦しい沈黙を破ったのは、全館放送によるチルドレンの招集であった。

発令所―
 「溶岩の中に使徒!?」
 アスカの素っ頓狂な悲鳴が発令所に響いた。
 「たった今、浅間山の観測所から入ってきた情報を調査したところ、パターンブルーが検出された。調査データから、使徒が休眠中である事が判明した。この為、NERVは溶岩内部に潜む使徒の捕獲を行う」
 「日向さん、本気ですか?使徒を捕獲なんて、正気の沙汰じゃありませんよ?そもそも捕獲した使徒を、どうやって捕まえておくんですか?まさかエヴァで四六時中、見張らせるつもりじゃないでしょうね?」
 すでに両目を包帯で巻いているシンジが、どれだけ険しい目つきをしているのか、日向にも容易に想像はつく。
 「気持ちはよく分かる。だが上の決定なんだよ。これ以上は上層部批判になるから、言えないけどね」
 「その砂糖漬けの脳みそ保持者の名前を教えてください。僕と一緒にエヴァで溶岩の中に素潜りしてもらいますから」
 砂糖漬けの脳みそと評された老人が、発令所の上の方でゾクッと身を震わせる。
「けれども、捕獲にしろ殲滅にしろ、結局、エヴァを潜らせる必要はあるんだ。下手にN2を火口に放り込んで、噴火を起こす訳にはいかないからね」
 日向の言い分は正しい。浅間山は火山活動こそ静かだが、それでもれっきとした火山なのである。
 「今回の作戦は、弐号機と四号機で行う。零号機を外したのは、特殊装備であるD型装備を着けられないのが理由だ。まずは赤木博士にD型装備の説明を受けて貰うから、まずはケージへ移動してくれ」
 
ケージ―
 「アタシの弐号機があ!!」
 悲鳴を上げたアスカの目の前には、まるで宇宙服でも着込んだような弐号機が、鎮座していた。
 「こんな格好悪いので戦うの?」
 ガックリと肩を落とすアスカを、リツコがこめかみを引き攣らせながら『格好悪くて悪かったわね!』と言い返していた。
 「日向さん、四号機をD型装備にして下さい。僕が潜りますよ」
 「シンジ君?」
 「別に問題は無いでしょう?」
 シンジの言う通り、四号機もD型装備は可能なので、作戦上の問題はない。
 「シンジ君、自分が何を言っているのか、分かっているのか?」
 「分かってますよ。最悪、溶岩の中で使徒と戦闘になるという事もね」
 その言葉に、居合わせた者達がギョッとした顔でシンジを見た。
 「今回の使徒、恐らく擬態ですよ。自分が弱い振りをして、手ぐすね引いて待っているんです。間違いなく捕獲作戦は途中で中止、そのまま戦闘になるでしょうね」
 「だから自分で行きたいというのか?」
 「ええ。この中では、一番適性があると思います。だって、溶岩の中で視界が通るとは思えませんから。それなら目を使わない人間が行く方が、デメリットが無くなる分、有利に事を運べるでしょう?」
 あくまでも冷静に判断をするシンジに、周囲の大人達は感心するのを通り越して、不気味な物すら感じ始めていた。
 「アタシが行くわ!サード、アンタはフォローに回んなさいよ!」
 「・・・本気で言ってるの?最悪、死ぬって事が分かってる?」
 その言葉を聞いたアスカとレイは、シンジが己の命に関心がないという加持の報告が、どれだけ正しい物であったのかを理解した。
 「聞きなさい!サード!アンタはアタシの事、全く信用してないでしょ!だからユニゾンだって、ぶっ壊してくれたんでしょうが!これ以上、見下されるのは許せないのよ!」
 アスカの言葉に、シンジが沈黙で肯定する。正確に表現するなら、シンジは一緒に戦う戦友としてアスカの事を信用していない。そしてレイの事も、戦友としては信用していなかった。シンジにとっては、二人とも自分が守るべき相手であって、背中を預ける相手だとは考えていないのである。
 彼にしてみれば、シエルや秋葉、志貴といったあまりにも強いメンバーの事を知っているが故に、アスカやレイの実力に、物足りなさを感じていたからであった。
 「シンジ君、ここはあなたが譲るべきですよ?」
 「シエルお姉ちゃん?」
 「シンジ君も、他者を信じるという事を、そろそろ学ぶべきです。アスカさんとレイさんに信頼を置く事が出来ないと、この先、あなた一人で対抗できない敵が現れた時に、敗北を喫する事になりますよ?」
 「・・・分かったよ。僕は四号機でバックアップに入る」
 「それでは2時間後に出発だ。潜行役は弐号機、バックアップは四号機、同行するのは僕とシエル二尉と青葉二尉だ」
 
 その5分後、リツコからパイロット用D型プラグスーツの使用方法をレクチャーされたアスカは、年頃の少女には辛い体型となる事に対して、早くも潜るのをやめたい衝動にかられていた。

浅間山火口付近―
 (・・・やっぱり、僕が潜った方が良いんじゃないかなあ・・・)
 グツグツと煮えたぎる溶岩をモニター越しに眺めなら、シンジは腕を組んでパイロット席に座っていた。これから潜る弐号機の命綱は、冷却液とアンビリカルケーブルが通されたパイプのみである。
 「シンジ君、聞こえる?」
 「何?シエルお姉ちゃん」
 「今、あなたが何をしなければならないのか、分かってる?」
 「・・・弐号機のバックアップじゃないの?」
 「アスカさんは女の子なんですよ?励ましぐらいかけてあげなさい」
 いくらアスカが勝気でも、溶岩に潜るという行為に対して、緊張しているのは当然である。加えて、溶岩内での戦闘も想定されているのだ。
 シンジは自身の視野が、自分一人しか見ていなかった事に、改めて気付かされた。
 「教えてくれてありがとう、お姉ちゃん」
 「早くしなさい、もうすぐ時間よ?」
 作戦開始まで、あと5分。シンジは慌てて両目に包帯を巻くと、すぐに弐号機へ連絡を入れた。
 「聞こえる、惣流さん?」
 「何よ、サード?今、集中してるんだから」
 「じゃあ、手短に言うよ。確かに惣流さんが言った通り、僕は君の事を信用していなかったんだと思う。君だけじゃない。レイの事だって、戦友としては信用していなかったのかもしれない」
 シンジは静かに続けた。
 「だから、君達を信じる事から始めてみようと思うんだ。まずは、君がこの作戦から無事に生還してくると信じるよ。こちらで出来るバックアップは完全に行うから、思いっきりやってきなよ」
 「・・・30点!女の子が死地に向かうのよ!もっと気の利いた事を言いなさいよ!」
 「気の利いた事ねえ・・・」
 シンジには見えなかったが、通信モニターには、ムスッとした顔の少女が映っていた。その気配を敏感に察知したシンジは、通信が指揮車にも流れている事に気づき、ちょっとした悪戯を思いついた。
 「じゃあ、帰ってきたら、責任を取ってもらうというのはどうだろう?」
 「責任?何の責に・・・」
 「そりゃあ勿論、君が僕を公衆の面前で押し倒して、力任せにファーストキスを奪った事に決まっているでしょう?」
 一気に顔を真っ赤に染めるアスカ。同時に指揮車と繋がっていた通信モニターの中から、ガタガタガタンッ!という激しい音が聞こえてきた。
 「アアア、アンタねえ!何でそう言う事言うのよ!」
 「酷いなあ、奪ったのはそっちなのに・・・初めてだったんだからね?」
 「それはアタシのセリフだあああああ!」
 指揮車から、シエルの笑い声が聞こえてくる。
 「しかも2度目は学校だったし。何でキスシーンを公開しなきゃいけなかったんだか」
 「うっさい、黙れ!これ以上口を開いたら、溶岩に素潜りさせるわよ!」
 「溶岩に素潜りなんかしたら、お婿に行けなくなっちゃうから止めとくよ。じゃあ、頑張ってね」
 プツンと弐号機との通信を切るシンジ。同時に、指揮車から日向が必死で笑いを堪えながら、作戦開始を告げた。
 D型装備の弐号機が、心なしか荒っぽい足取りで火口へ向かう。そして火口の中へ飛び込む寸前に、四号機に向かって首を掻っ切る真似をした。
 「元気だねえ。僕、第3に帰ってこられるか心配だよ」
 「シンジ君、良かったらヴァチカンに来なさい。埋葬機関を紹介してあげるから」
 姉の優しい申し出を、丁寧に辞退するシンジ。
 「お姉ちゃん、あんな感じで良かったかな?」
 「ガチガチに緊張しているよりはマシでしょう。まあ戻ってきたら、2・3発は殴られる覚悟ぐらいはしておくのね」
 「まいったなあ」
 そこへ警戒音が響いた。
 「どうしたの!?」
 「弐号機のプログナイフが落ちてしまったのよ。取り付けが甘かったようね」
 「惣流さんに通信を送っておいて下さい。今から四号機のナイフを投げ込みますから、受け取るように、と」
 四号機が火口へ近づき、ナイフを溶岩目がけて全力で投じる。この時点で弐号機の深度は、すでに1200mを越えていた為、ナイフの到着までには、まだ時間が必要だった。
 ジッと溶岩を見つめたまま動かない四号機に、指揮車から通信が入る。
 「どうしたの、シンジ君?」
 「どうも嫌な予感がするんだよ。こちらの事は気にしないで」
 シンジは包帯を外すと、ジッと溶岩を見つめた。

火口内部―
 「LCLは温度調整されてる筈よね?何で、こんなに暑く感じるのかしら?」
 見渡す限り溶岩ばかりの光景に、アスカは大きなため息をついた。
 すでにD型装備の耐圧限界を越えてから、それなりの時間が経っている。
 その時、ピーという信号音が鳴った。
 『弐号機、聞こえるか?そろそろ目標が近いぞ。キャッチャーの準備をしてくれ』
 日向の言葉通り、弐号機の近くに使徒らしき物体が浮いていた。
 緊張で体を強張らせながら、アスカがキャッチャーを作動。特に問題もなく、使徒は捕獲される。
 「指揮車、聞こえる?捕獲は成功。引き上げてちょうだい」
 浮上を開始する弐号機。だが浮上し始めてしばらく経つと、今度は警戒音がエントリープラグ内部に響いた。
 「まさか・・・孵化する気!?」
 『すぐにキャッチャーを破棄!使徒殲滅に移る!』
 アスカはキャッチャーを放棄し、戦闘態勢に移ろうとし、愕然とした。
 プログナイフは溶岩内部の環境に負け、すでに落下していたのである。
 『落ち着いて!四号機のナイフが、あと10秒ほどで到着する。それを使うんだ!』
 「了解!」
 早くも孵化を終えた使徒―サンダルフォンが、溶岩内部という極限の環境下において、弐号機へ攻撃を仕掛けてきた。
 異常なまでのスピードでの体当たりを、弐号機が紙一重で避ける。サンダルフォンは弐号機に体当たりを避けられると、グルッとUターンをする。
 「ナイフはまだなの!?」
 そこへ、やっと待ち望んだナイフが到着した。四号機と同じ、銀色の柄のプログナイフは、溶岩の中でありながらも、煌きを放っていた。
 サンダルフォンの体当たりを、プログナイフも利用して避ける弐号機。超振動装置も働かせているのだが、サンダルフォンには掠り傷一つ与えられない。
 「・・・そうか!こいつ、溶岩の中でも生きていられるほど頑丈なんだ!ナイフ程度じゃ歯が立たない!」
 再び体当たりをしてきたサンダルフォン。それを見て弐号機が回避に移ろうとした瞬間に、サンダルフォンは急停止をかけた。
 予想外の行動に、体勢を崩す弐号機。
 その瞬間、サンダルフォンは一気に弐号機へと肉薄した。
 「フェイント!?しまった!」
 完全に裏をかかれた弐号機の左足に、サンダルフォンが食らいつく。
 「きゃああああああ!」
 フィードバックによる痛みに悲鳴を上げるアスカ。それを知った指揮車が、左足の強制切断と耐熱処理を行う。
 『聞こえるか?バラストも放出して、最短距離で戻ってくるんだ!』
 痛みを堪えながら、アスカがバラストを捨てる。急に浮上速度が上がり、サンダルフォンが一瞬、弐号機を見失う。
 もし手元にパレットライフルがあれば、アスカは迷わず全弾撃ち込んでいたほどの隙だったのだが、残念ながら今の弐号機は借り物のナイフしか装備がない。
 「チッ!絶好のチャンスなのに!」
 弐号機を見つけたサンダルフォンは、再び体当たりを敢行。瞬く間に弐号機を追い詰めていく。
 (マズイ!このままじゃやられる!何とかしないと・・・)
 何か武器になりそうな物はないかと、周囲を見回すが、あるのは溶岩ばかり。プログナイフにATフィールドを纏わせて外装を切り裂く事は可能だが、サンダルフォンは溶岩内でも平気で口を開けてくる。溶岩が体内に入ったところで、痛くも痒くもないのだろう。
 『聞こえますか、アスカさん?』
 「シエルさん?」
 『奴の口の中に冷却材を注ぎ込むんです!奴は高温には強いでしょうが、その分、低温には弱いでしょう。体内に冷却材を入れる事で、熱膨張を起こせば、いくら使徒でも耐えきれないでしょう』
 シエルの助言に、アスカはすぐに行動に移った。弐号機の命綱でもある冷却パイプを纏めて切り裂き、断面を突撃してきたサンダルフォンの口の中に突っ込む。
 「くらえ!」
 一発逆転の一撃。だがそれはアスカにとって、結果として悪手となってしまった。
 確かに、冷却液による熱膨張は、有効な作戦だった。だが、敵は使徒。人間の予想を越える、生命体。
 「そんな!」
 溶岩の中へ逆流してくる冷却材。その原因はATフィールドにあった。
 サンダルフォンは冷却材の侵入を感知すると同時に、自らの口内にすぐさまATフィールドを形成。冷却液の体内への流入を、最低限度に止めて見せたのである。
 その光景は、地上の指揮車にも届いていた。
 『そんな!』
 シエルにとっても、全く予想外の展開であった。命綱の冷却剤のパイプすら犠牲にしたにも関わらず、結果は作戦失敗。多少の熱膨張は起こしている物の、致命傷とはお世辞にも言えない損害しか与えられなかった。
 アスカの顔に、焦りが浮かんだ、その時だった。
 「惣流!手伝え!」
 「サード!?」
 弐号機の視界に、銀色の四号機が映る。D型装備を着ていない四号機は、溶岩熱で装甲を溶かしながら、サンダルフォンに向かっていく。
 新たな敵の登場に、サンダルフォンが狙いを変え、四号機へ襲いかかる。
 「うおおおおおおお!」
 ガバッと口を開けるサンダルフォン。その瞬間、四号機は上の前歯を右手で、下の前歯を左手で掴み取った。
 「惣流!早く!」
 「どうすればいいのよ!」
 「コイツの口を引き裂いてやるんだ!弐号機と四号機、2機掛かりなら引き裂ける!」
 ナイフを突き刺すような攻撃は、外部からかかる圧力。サンダルフォンは、そのような攻撃に対して、とても強い特性を持つ。
 ならば、逆に引っ張られるような、外部に向かってかかる圧力に対してはどうなのか?
 シンジが咄嗟に思いついた作戦は、サンダルフォンの口を、限界を超えて上下に開ききり、そのまま口を裂く事であった。
 「いいわ、その賭け、のってやるわよ!」
 弐号機がサンダルフォンの口内に飛び込み、四号機と同じく、牙を両手で掴む。
 激しく暴れ出すサンダルフォン。だが一度取りつかれたサンダルフォンには、2機を引き剥がす術がない。
 「「開け開け開け開け開け開け開け開け開け開け!」」
 弐号機と四号機の瞳が、不気味に輝く。
 次の瞬間、サンダルフォンは赤と銀の巨人により、その口から真っ二つに引き裂かれ、その生命活動を永遠に停止させた。
 「やったわ!」
 アスカの叫びに、指揮車からも歓声が沸き起こった。
 だが、歓声は悲鳴へと変わる。
 『四号機に異常発生!サードチルドレンの生命反応に異常感知!』
 「サード!?」
 思わず叫ぶアスカ。だがシンジの返事は無い。
 四号機は全く動きを見せない。そして、そのまま重力に引かれ、ゆっくりと沈み始めていく。
 思わず手を伸ばす弐号機。その瞬間、激しく警告音が響く。
 それは冷却パイプの限界を告げる音。無理をすれば、弐号機も溶岩の底に沈む。
 「サード!」
 アスカが必死に叫ぶが、返事は無い。地上からも呼びかけているが、同じように反応は全くない。
 徐々に遠ざかる四号機。
 『別に気に病む事はないよ。普通の人間が、僕を嫌うのは当たり前の事だ。けど、これで踏ん切りがついただろう?僕と一緒に行動する限り、君は僕に心を読まれる事になる。だから、ユニゾン作戦はこれで終わりだよ』
 公園で、シンジが告げた言葉が、アスカの脳裏に浮かぶ。
 ここでシンジが消えれば、アスカには恐れるものは何もない。アスカは心を読まれる事を心配しなくてすむし、その上、トップエースの地位まで転がり込んでくる。
 何より、物理的に助けるのは不可能。無理をすれば弐号機までも道連れ。ここでシンジと四号機を見捨てた所で、誰もアスカを責めたりしない。
 ―カルネアデスの板―
 その言葉がアスカの脳裏に浮かぶ。
 画面に映る四号機は、更に小さくなっていた。
 その時、アスカの脳裏に、何の前触れも無く浮かんできた物があった。
 『彼は自分の命に関心がない。いつ死んでも構わない、そう考えているんだ』
 『正直な話、遠野家としてはシンジ君を返してほしいそうだ。このままNERVにいては遠からず、シンジ君は死ぬと考えている。より正確にいうなら、シンジ君は自分の命を犠牲にするだろう、とね・・・』
 加持が教えてくれた事実を、アスカは思い出した。
 シンジはD型装備も無しに、アスカを助ける為に飛び込んできた。その事に、改めて気付かされるアスカ。
 彼女の両目に、小さな輝きが宿る。
 『僕は自分の為に誰かが犠牲になるなんて認められない。偽善者と言われようが、愚か者と言われようが、絶対に変えるつもりはない。誰だって犠牲になるのは嫌なんだ』
 『だから、君達を信じる事から始めてみようと思うんだ。まずは、君がこの作戦から無事に生還してくると信じるよ。こちらで出来るバックアップは完全に行うから、思いっきりやってきなよ』
 「アタシは・・・アタシは・・・」
 ますます小さくなる四号機、指揮車からは絶望の悲鳴が聞こえてくる。
 『・・・本気で言ってるの?最悪、死ぬって事が分かってる?』
 この作戦が始まる前。本部でシンジがアスカにした警告の言葉。
 アスカははっきりと理解した。
 「この・・・馬鹿!自分勝手に死ぬんじゃないわよ!」
 右手で自ら冷却パイプを引き千切る弐号機。その蛮行に、指揮車から悲鳴と怒声と制止の声が上がる。
 「黙れ!サードを見捨てるなんてできるもんか!」
 自由になった弐号機は、すぐさま四号機の傍まで泳ぎ着き、その機体をがっちりと抱え込む。アスカはすぐさま反転すると、冷却剤を垂れ流しにしている引き千切られたパイプに手を伸ばした。
 しかし、いくらD型装備とは言え、冷却剤が無ければ、周囲の環境に負けてしまう。事実、アスカの耳には耳障りな警告音と、ミシミシという寒気を覚える音が聞こえてきた。
 だが不思議な事に、アスカに不安は無かった。
 「待ってなさいよ!サード!すぐに助けてあげるからね!」
 少しでも早く上がろうと、片方しかない弐号機の足を懸命に動かすアスカ。
 だが、あと少しという所で、更なる障害が彼女を襲った。
 特徴的な甲高い警告音。それは内部電源の枯渇。パイプを切断された弐号機には、当然の事だがアンビリカルケーブルが繋がっている訳が無い。今までは内部電源で活動してきたが、それも限界であった。
 地上まであと少し。アスカの両目に、悔し涙が浮かぶ。
 「ごめん、ごめんねサード。アタシのせいで、アンタまで・・・」
 「・・・大丈夫だよ。諦めるのはまだ早いから・・・」
 「サード!?」
 弐号機と四号機の直通回線。そのモニターに、緑の瞳を晒したシンジが映っていた。
 「聞こえるかい?ガギエル。お願い、アスカに力を貸して・・・」
 「・・・サード?」
 「ガギエル、君が認めたアスカを救う為に、君の力を貸して。眠りから覚めるんだ、ガギエル!」
 瞬間、弐号機の四眼が、激しく輝きだす。
 『弐号機、S2機関稼働開始!』
 指揮車から沸き起こる歓声。
 「サード?」
 「・・・ごめん、ちょっと気絶するね。さすがに体中が痛すぎて・・・」
 「分かったわ、楽にしなさい。アンタはちゃんとアタシが連れ帰るから」
 同時に気を失ったシンジに、アスカは小さく『ありがとう』と呟いた。

浅間山近辺にある温泉宿―
 夕陽に照らされた露天風呂。そこにアスカはいた。一緒にお湯につかっているのは、保護者役のシエルと、作戦終了後にペンペンと一緒にやってきたレイである。
 何故、ペンペンがここにいるのか?シンジによってミサトがリタイアした後、ペンペンは自力で生き抜くために、葛城邸を脱出した。だがその道のりは決して楽な物ではなかった。縄張りに煩い野良犬の集団と喧嘩したり、生ゴミとして捨てられていた生魚を巡って野良ネコと喧嘩したりと、野良ペンギンとして第3新東京市を生き抜いてきた。そしてついに、新たな飼い主として巡り合ったのがレイであった。
 レイもペンペンの抱き心地が気に入ったのか、なかなか手離そうとしない。ちなみにレイは現在、遠野邸に居候中の身なのだが、琥珀もペンペンを気に入り、早くもペンペンの住居である冷蔵庫を手配していた。
 「シエルさん、アイツ、大丈夫なんですか?」
 「ええ、今夜一晩休めば、回復します。ところで、私からも聞きたい事があるんだけど、良いかしら?」
 コクンと頷くアスカ。
 「シンジ君の事は平気になったのかしら?」
 「平気って訳じゃ無いと思う。ただ・・・アタシからも踏み出すべきかな、って」
 ニコリと微笑むシエル。
 「私は、シンジ君に幸せになってほしい。私だけじゃない、遠野の人達は、全員がそう思っています。だからあなた達には頑張ってほしいんです」
 「それって、私かレイにアイツの恋人になってほしい、って事?」
 「できれば、それが理想なんですけど、こればかりは本人の意思が大切ですから。でも、その時がきたら、シンジ君の力になってあげてください」
 どこか不吉な雰囲気の物言いに、今まで沈黙を保っていたレイが、不思議そうにシエルを見つめる。
 「・・・あなた達には説明しておきます。シンジ君が心を読む事が出来るのは知っていますね?でも、シンジ君の力は、それだけじゃないんです」
 地平線の彼方に沈もうとする夕陽を眺めながら、シエルは静かに続けた。
 「ある条件下に限り、シンジ君は過去視・未来視・透視・遠視、あらゆる情報を時間と空間を無視して、その眼で読み取る事が可能なんです」
 「アイツ、そこまでできる訳!?」
 驚きのあまり、ザバーっと音を立てて立ち上がるアスカ。
 そんな彼女に座るように、シエルが腕を引っ張る。
 「問題なのは未来視なんですよ。以前、ラミエル戦の直後に治療の為に入院していた時期がありました。レイさんは付き添っていたから知っているでしょう?」
 レイがコクンと頷く。
 「あの時、シンジ君は見たそうです。自身の『死』の未来を」
 アスカとレイが、全身を硬直させる。
 「未来は確定ではありません。状況次第で流れは変わる。現に、シンジ君は第3へ来るまでに何度か未来視を行った事がありますが、そのような未来を視た事は無かった。第3へ来てエヴァに乗ったからこそ、『死』の未来という流れが発生したんです」
 「・・・つまり、アタシ達でアイツを守るか、もしくは未来を変えてしまえ、そう言いたいのね?」
 「ええ。一番死亡要因として高いのは、間違いなく使徒絡みです。私はシンジ君を鍛える事は出来るけど、使徒戦に乱入する事はできない。使徒戦で直接の力になれるのは、あなた達だけですから」
 シエルの頼みに、少女達は大きく頷いていた。



To be continued...
(2010.08.07 初版)


(あとがき)

 紫雲です、お疲れ様です。今回はペンペン初登場・・・もとい、サンダルフォン戦となりました。
 今回は敢えて原作準拠で進めて、途中から展開を変えると言う方法で挑戦しました。堕天使の帰還のサンダルフォンに比べれば、かなり強くなっているのではないかと思います。
 アスカとシンジの間に生まれた溝。それを今回から、時間をかけて2人には修復していって頂きます。当面は喧嘩友達みたいな感じになりそうですが、ある意味、2人らしい関係だと思っております。
 次回ですが、マトリエル戦となります。先に番外編を書こうかと思いましたが、マトリエル『最強バージョン』を思いついたので、先にマトリエルとなりました(でも戦闘は短めwマトリエル、ごめん)。一応、2パターンの『最強』を考えたのですが、今回は片方のみのお披露目となります。
 キーワードは『家蜘蛛』。勘の良い方は、色々想像してみて下さい。でも答えに気付いても答えを書かないようにwネタばれしちゃいますので。
 それでは、また次回もよろしくお願い致します。



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