遠野物語

本編

第八章

presented by 紫雲様


市立第1中学校―
 「起立!礼!」
 ヒカリの号令が終わると、生徒達が思い思いの放課後を過ごそうと行動に移る。クラブ活動に励む者、遊びに向かう者、図書室で勉強に向かう者、実に様々である。
 「遠野!一緒にゲーセン行かへんか?」
 帰り支度を済ませたシンジは、友人の呼びかけにクルッと振り向いた。
 「えっと今日は・・・」
 「行くわよ!シンジ!」
 「ちょ・・・アスカ!?」
 シンジの非難めいた口調も、アスカは全く気にしていない。
 「いいから、行くの!たまには息抜きぐらいしなさいよ!」
 「・・・ねえ、アスカ。いつから遠野君と名前で呼び合うようになったの?」
 躊躇いがちに訊いてきたのはヒカリである。彼女と同じ疑問を持った者は他にも大勢いたらしく、こっそりと聞き耳を立てている。
 「この前、シンジに命を救われたのよ。それからかな、サードとかって呼ぶの止めたのわ」
 「一体、何があったのよ!」
 シンジが慌てて話を止めさせようとするが、トウジとケンスケが、他のクラスメートの力も借りて、数人がかりでシンジの口を塞ぐ。
 モガモガと意味不明の言葉を発するシンジを、意味有り気にアスカがチラッと見る。
 「溶岩の中にいる使徒を倒しに行ったんだけど、敵が頑丈すぎて全く歯が立たなくて、殺されそうになったのよ」
 「はあ?」
 「そしたら、この馬鹿シンジが耐熱処理すらしてないエヴァで『私を助ける為に』溶岩の中へ飛び込んで、『私を助ける為に』気絶するまで戦ってくれたのよ。『私を助ける為に』激痛を我慢し続けてね。あなた達は知らないだろうけど、エヴァって傷つくと、パイロットに痛みが返ってくるの。だからシンジは『私を助ける為に』溶岩で全身を炙られる痛みを味わっていた、って訳」
 とにかく『私を助ける為に』と強調し続けるアスカの説明に、女の子を中心に歓声が沸き起こる。
 「ア、アスカ!それは機密だろう!?」
 「あら、何を言ってるのかしら?アタシはあなたが言った通りに、責任を取っているだけですわよ?」
 妙に丁寧な口調に、シンジの背筋に寒気が走る。
 「あの時のこと忘れたの?『責任とってくれるよね』そう言ったわよね?」
 「それじゃあ責任じゃなくて、嫌がらせだろう!」
 「だって、あの時の一部始終、NERV中に知れ渡ってるのよ?」
 グッと押し黙るシンジ。
 アスカを励ます為にシンジが暴露した、一連のキス騒動。それらはNERV職員全てが知るところである。
 何故そうなったのか?それはシエルが音声を本部へ流していたからである。折しも本部の発令所にはマヤが待機しており、彼女はそれをコピーすると、同僚の女性職員に次々と渡していたのである。
 翌日、2人が本部へ帰還した時の光景は、悪夢その物であった。
 マヤ曰く『いつのまに、そんな仲良くなってたの!?』
 リツコ曰く『マヤ、あまりレイを刺激しないで、怖いから』
 まあマヤの場合は、リツコが懸案中の初号機専用特殊装備の開発の為に、徹夜続きでハイになっていたのも原因かもしれない。
 とにもかくにも、この一件でアスカとシンジはNERVの公認カップルと認められてしまったのであった。公認となった以上、当然、その一方は彼の耳にも届いた。
 『シンジ君、アスカの事頼むぞ』
 不精鬚の男が、どことなく嬉しそうな雰囲気だった理由が、シンジには分からない。
 「まあ、アンタの励ましのせいで、私は加持さんに振られちゃったわけ。だから、シンジは責任を取らないといけないのよ!先に言っておくけど、復縁の為に間を取り持とう等とは考えないでよね!」
 アスカに釘を刺されたシンジは、グウの音も出せない。アスカの言った通りの事を考えていたのだから、彼にしてみれば反論など出来る訳がない。
 そこへ、レイが足音を立てずにそっと近づいてきた。
 「レ、レイ、助けて・・・」
 「遠野君、安心して。私が責任を取るから」
 「レ、レイ?君は一体何を・・・」
 「私が遠野君をお婿さんに貰ってあげる」
 真面目な表情のレイに、アスカが食ってかかる。
 「レイ、アンタねえ!アタシの方が先でしょうが!」
 「アスカ怒ってるの?・・・そう、嫉妬してるのね」
 「ううう、うっさいわね!」
 レイがシンジの右腕を自分の胸に押し当てるように抱きつけば、アスカが同じように左腕に抱きつく。
 羨ましすぎる光景に、男子生徒から落胆のため息が漏れる。
 ちなみに温泉でシエルと話をしてから、アスカとレイはお互いをライバルと認め、名前で呼び合うようになっていた。
 「話がずれちゃったけど、シンジは最近頑張りすぎだから、息抜きしなきゃダメなの。シエルさんからも、今日ぐらい休ませるように頼まれてるんだから」
 「お姉ちゃんから?」
 「そそ。シエルさんから薬も預かってるから、私とレイで塗ってあげるからね」
 アスカの言葉に、レイがコクコクと頷く。
 「ヒカリ!先に2馬鹿達とゲーセンに向かってて。後から3人で追いかけるから・・・さあ、シンジ。覚悟は良いわね?」
 何故か両手をワキワキと握ったり開いたりを繰り返しながら、アスカとレイがシンジににじり寄る。空気を読んだのか、いつのまにかシンジを押さえていたクラスメートは距離を取っていた。
 「服ぐらい自分で脱ぐから止めてよ!恥ずかしすぎる!」
 「じゃあ、さっさとしなさいよ!」
 渋々とYシャツを脱ぐシンジ。シャツと包帯を外し、上半身裸になる。
 その至る所に刻まれた無数の生々しい傷跡と古傷に、生徒達が息をのむ。
 「レイは背中をお願いね」
 コクンと頷くと、レイは後ろに回って背中の傷に薬を塗りこんでいく。
 「何で教室で、こんな恥ずかしい思いをしなきゃならないんだ・・・」
 「アンタが怪我ばかりするからでしょうが!真剣使って訓練なんて、今時、軍隊でもやらないわよ!」
 「仕方ないだろ、実戦形式なんだから」
 試合ではなく、殺し合いの実戦形式である事に気付いているのは、アスカとレイだけである。
 「前は塗り終わったわ。じゃあ顔の包帯外して」
 「・・・外さないとダメ?」
 「当たり前でしょうが!それとも、廊下で鏡見ながら塗りたいの?」
 大きなため息をつくと、シンジはスルスルと包帯を外していく。その下から現れた、中性的な美形の容貌―所々にある生々しい切り傷が、逆に倒錯的な美しさを与えていた―に女の子から再び歓声が起こる。
 「目は閉じてなさいよ・・・よし!終わりよ。アンタは顔の包帯戻しておきなさい。私とレイで体の方を巻いておくから」
 身嗜みを整え、立ち上がる3人。そのすぐ傍に、トウジやヒカリが立ち竦んでいた事に初めて気がつく。
 「先に行ってなかったの?」
 「・・・お前ら・・・」
 「・・・不潔・・・でも羨ましい・・・」
 3人はお互いに顔を見合わせると、首を傾げていた。

ゲームセンター―
 「よっしゃあ!これでイーブンや!」
 1対1の格闘ゲームを遊ぶトウジとケンスケ。そこから少し離れた所では、ヒカリ・アスカ・レイの女の子3人組がヌイグルミを手に入れるべく、キャーキャー騒ぎながらコインを投入していた。
 「元気だねえ、みんな」
 自分一人が年寄りじみた印象を自覚しながら、シンジが呟く。シンジはゲームの類にはあまり興味がない。と言うのも、大半のゲームは目が見えないと遊べないからである。
 「ケンスケ!もう1ラウンドや!」
 「来い、トウジ!」
 「ヒカリ、もっと右だってば!」
 「手前すぎない?」
 「えっえっえ?」
 戦闘から解き放たれた、平和で緩やかな時間。だがそれも、突如破られる。
 停電―
 急に全ての電気が落ちる店内。来店していた客がざわめきだす。
 同時に、外から激しいブレーキ音と、ガシャン!という衝突音が聞こえてきた。
 「何の音!?」
 外へ飛び出す6人。停電により信号機がストップしたせいで、交通事故が起きていた。
 「まさか、街全体が停電してるのか!?」
 「そんな事はどうでもいい!今は怪我した人を助けるんだ!」
 シンジが包帯を外しながら、衝突した車に駆け寄る。さすがに両目を閉じたままでは、救助活動や応急手当もできないからだ。
 「私、水とお薬取ってくるね!」
 ヒカリがゲーセンのカウンターに駆けていく。その間に、シンジ達は衝突した車の中から、40代前後の男性ドライバーを引っ張り出していた。
 「大丈夫ですか!?」
 「ああ、大丈夫だよ、ありがとう」
 額から流れ出る血を、ヒカリが持ってきた消毒とガーゼで応急手当を施していく。その間にも、男3人はもう片方の車から、買い物帰りらしい親子連れを助け出していた。
 「子供は、子供は大丈夫!?」
 「掠り傷ぐらいしかありませんから、心配しないで!それよりお母さんの方が、怪我が酷いですよ!」
 泣き叫ぶ子供をヒカリに任せて、レイとアスカが応急手当を施していく。
 母親は動揺も収まってきたのか、手当てが終わると何度も御礼を言いながら、子供の無事を何度も確認していた。
 周辺を見回し、状況を確認するシンジ達。近くで数件、同じような事故が起きているのを確認し、トウジ達がそこへ駆け出そうとする。だがシンジがそれを止めた。
 「・・・トウジ!ケンスケと洞木さんを連れて、すぐにここから離れるんだ!」
 「ど、どうしたんや、遠野」
 グッと呻き声を上げながら、シンジが片目を押さえて蹲る。慌てて駆け寄ったアスカとレイが目にしたのは、右目だけが銀色に変じたシンジであった。
「ア、 アンタその眼、どうしたのよ!?」
「分からない、お姉ちゃん達のサポート無しで、視える訳がないのに、今、はっきり視え
たんだよ・・・使徒が来る!」
 銀色に変じた右目から鮮血を流し続けるシンジの言葉に、子供達は緊張で全身を強張らせていた。

時は少し遡ってNERV本部―
 発令所では、今日もリツコの指示の下、MAGIを使って情報分析に励んでいた。
 「先輩、最近機嫌が良いですね?良い事でもあったんですか?」
 マヤの指摘に、リツコが笑顔で返す。
 「ええ。公私ともに充実しているからこそ、調子が良いの」
 つい最近まで、本部へ寝泊まりするのが当たり前と言っていいリツコだったのだが、1週間ほど前から、夕方5時には必ず帰宅するようになっていた。
 だからと言って仕事の手を抜いている訳ではない。明らかに仕事の処理が早くなっているのである。
 「公私ともに充実?・・・先輩、まさか・・・」
 頬を赤らめるマヤ。周囲の職員達がこっそりと聞き耳を立てている。
 「ふふ、想像にお任せするわ」
 リツコがポチっとスイッチを押す。同時に、発令所全体が暗闇に覆われた。
 「「「「「やっぱり、赤木博士だなあ」」」」」
 「何で私なのよ!?」
 その抗議を真面目に受け取る者はどこにもいなかった。

NERV医療センター―
 一仕事を終えた彼は、トレードマークの髪の毛を揺らしながら、廊下を歩いていた。手土産は花束とリンゴ。時折、擦れ違うナースに手を振りつつ、気軽に歩いていく。
 やがて目的の場所に到着した彼は、軽くノックをすると、返事を待たずに室内へと入った。
 「よお、葛城。今日の気分はどうだい?」
 「・・・最悪に決まってるでしょう・・・」
 シンジの怒りに触れたミサトが『転換性ヒステリー症』という病名で入院してから、約一カ月半。加持はアスカのお供として来日して以来、週に二回は必ず顔を出すようにしていた。
 持ってきた花束を、これまた自分で持ってきた花瓶に活ける。
 「ところで、診察の結果はどうなんだ?精神科医の先生は退院について何か言っていないのか?」
 「・・・フン!」
 ミサトは加持と顔を合わそうともしない。ただひたすら、窓の外を眺めている。
 「私には、もうNERVに居場所なんてない!サードチルドレンが言った通りよ、私なんかより優秀な指揮官は幾らでもいる。その程度の事すら理解できなかった、大馬鹿者なのよ、私は!」
 「それが理解できただけ、良いじゃないか」
 ミサトが初めて加持を見た。だがその視線は、怒りに満ちていた。
 「俺はな、前からお前は指揮官役には向いていないと思っていた。確かにお前は、机上の成績は良い。それは認める。けど、お前はあまりにも感情が強すぎる。言い換えれば、お前はヒステリックだったんだよ」
 リンゴの皮を、きれいに剥きながら加持は続ける。
 「だが、お前はその事を自覚できた。自分に非がある事を認められたんだ。それだけでも、お前は一歩、前に踏み出す事が出来たと、俺は考えている」
 加持は、ミサトの精神面の進歩は、シンジとの確執を通して自分自身で自覚したのだと思っているが、事実はそうではない。
 加持が来日するよりも前に、シンジの頼みを受けたシエルが、洗脳というレベルにまで達していた暗示を強制的に解除していたというのが本当である。
 暗示から解放された事により、ミサトはゆっくりとではあるが、使徒への憎悪からその身を解放しつつあった。その為に要した時間は一カ月半。表向きはヒステリーによる入院であったが、その実は暗示からの強制解除の経過をみる為であった。
 そして加持の見舞いを受けている今も、ミサトは自己嫌悪に苦しんでいた。確かに今のミサトは暗示から解放されている。だが、これまで採ってきた行動や考え方が、全て消えてなくなる訳ではないのだから。
 「・・・今更よ・・・どちらにしろ、もう手遅れなのよ・・・」
 「そうかもしれんな。だが、お前はどうしたいんだ?」
 切り分けたリンゴを加持が差し出す。
 「分からないのよ・・・自分がどうしたいのか、何をしたいのか、それすらも分からなくなっちゃったの・・・」
 「NERVに戻るのも嫌か?」
 コクンと頷くミサト。
 今のミサトは正式なNERV職員ではない。ラミエル戦の責任と病気療養を理由に、一等降格の二尉扱いで依願退職という扱いを受けていた。
 「・・・お前が前を向いて、この先の人生を歩いていきたいと望むなら、お前にはまだやれる事がある」
 「加持君?」
 「だが、普通の人間として、何も知らずに生きていく事だって、悪い事ではないと思うんだよ。とりあえず、お前が退院するまで、じっくりと考えて貰いたいんだ」
 加持は真剣な目でミサトを見つめた後、病室から出て行った。
 その直後、停電が起きた。

NERV本部正面ゲート―
 トウジ達と別れたシンジ達は、本部へ向かうべく正面ゲートに来ていた。だがゲートは電源が落ちていて、カードリーダーが動いていなかった。
 「まずいわね、もしシンジの予知が当たっていたら・・・」
 アスカのぼやきに、レイが手帳を取り出して緊急通路の確認を始める。
 「そこのドアから入れば、ケージまで向かえるわ」
 「シンジ!手伝ってちょうだい!2人がかりで開けるのよ!」
 錆びついたドアを開けようと力を込めるシンジとアスカ。錆びついた扉がギシギシ軋みながらゆっくりと開かれていく。
 「行くわよ、シンジ、レイ」
子供達は暗闇の中へと消えた。

「しかし、暑苦しいわねえ・・・」
3人の最後尾を歩くアスカが、胸元にパタパタと風を送りながら呟いている。
「遠野君、突き当りを左に曲がって。その先にある9番のドアの奥よ」
「了解」
先頭を歩くのはシンジ。ナビ役のレイが中央である。
「遠野君、次を右に曲がって。しばらくはまっすぐだから」
レイの指示通りに歩く3人。だがシンジが足を止めた。
「・・・そこにいるのは誰だ!」
シンジの怒声に、少女達がビクッと肩を竦める。
「悪い悪い、つい悪戯心を出してしまったよ」
「加持さん!」
闇の中から出てきたのは、加持であった。
「すまなかったね。その代わりに、護衛役を務めるというのはどうかな?」
「そうですね・・・レイ、ケージまで、あとどれぐらいかな?」
「・・・あと5分も歩けば到着するわ」
その言葉に、シンジが一歩前に出た。
「加持さん、アスカとレイを連れてケージへ走ってください。ここは僕が食い止めます。幸か不幸か、四号機は壊れているからね」
「正気か!?」
「正気です。これでも僕は、シエルお姉ちゃんの直弟子なんです。ついでに言うなら、暗闇の戦闘は、僕にとってもっとも相性の良い戦場です」
その言葉に、加持が頷いた。
「行くぞ、2人とも!」
「か、加持さん!?」
「君達がやるべき事は使徒の迎撃だろ?」
ハッとなるアスカとレイ。
「ここへ来る前に、肉眼で使徒を確認した。すぐに発令所へ連絡を入れて、エヴァのスタンバイを要請しておいたよ。あとは君達が行くだけだ」
「・・・行くわよ、レイ!シンジ、必ず追いかけて来なさいよ!」
走り出した3人の姿が廊下の奥へ消える。同時に、シンジが黒鍵を作り出し、天井の一角へと投じた。
直後、呻き声と同時に、一人の人間が落下してきた。全身を漆黒のスーツに身を包み、両目に暗視装置をつけた男―破壊工作員である。
「・・・随分、大所帯で乗り込んできたようですね。3人小隊が都合4チーム。内2チームがここにいて、残り5人。責任者の名前は村上三尉。戦自の特殊部隊ですか・・・使徒が攻めてきている時に停電騒ぎを起こすなんて、愚かとしか言えませんね?」
その言葉に、闇の中から驚きで息をのんだ気配が伝わってきた。
「出てきたらどうですか?戦自の特殊部隊隊員さん?名前は佐藤さん、水野さん、原田さんが軍曹で、金田さんと篠田さんが曹長。小隊長は金田さんと篠田さんですよね?」
闇の中で撃鉄の上がる音が響く。
作戦開始前、チルドレンには危害を加えないよう指示はされていた。だが正体がばれている以上、見過ごすわけにはいかなかった。
「・・・撃て」
サイレンサーをつけた銃口から、鉛の弾丸が放たれる。5人による一斉射撃は、間違いなく目の前の緑の瞳の少年を貫いていた。
音もなく崩れ落ちる少年。その全身から赤い液体が静かに流れていた。
「・・・小隊長!」
「言うな!我々の正体が、明らかになる訳にはいかんのだ!」
「・・・だからと言って、僕を殺してどうするんですか?使徒迎撃に失敗した責任は、始末書程度ではすまないんですよ?」
死んだはずの少年の不満に、工作員達は慌てて遺体に振り向く。そこにはスーッと空気に溶け込むかのように消えていく少年の肉体があった。
あまりに非現実的な光景に、彼らは愛銃に弾丸を込めるのも忘れて茫然とした。同時にドスドスドスッと音を立てて、彼らの背中に何かが刺さった。
崩れ落ちた工作員の数は、都合3体。その背中には無骨な黒鍵が突き刺さり、確実に心臓を抉っていた。
「自分の体を模倣するなんて実戦では初めてだったけど、結構、騙されてくれるもんだね」
背後から聞こえてきた少年の声に、死を予感する工作員。
「・・・君は、何者だ?俺達を、こうも手玉に取るなんて・・・」
「殺し屋の直弟子です。もっとも先生には『ヴァチカンの』という言葉がつきますけど」
闇の中から飛んでくる黒鍵を避ける事も出来ずに、残りの二人も絶命する。
「あと6人か。ついでに倒しておくかな、どうせ四号機は使えないし・・・それにしても技術部も大変だよな、溶岩を利用して壊してあげたのに、一生懸命直そうとしてるんだもん。幾らエヴァが高いと言っても、見切りをつけるぐらいすればいいのに」
投影の魔術には、そこに至るまでの過程の中において『解析』と呼ばれる段階がある。文字通り投影する対象の構成を分析する作業なのだが、シンジはこれを利用してエヴァ四号機の素体を解析した。そしてサンダルフォン戦で溶岩の中に飛び込んだ際、アスカを救う傍ら、溶岩熱を逆利用して、四号機の素体を修復不可能なレベルにまで破壊していたのである。
「四号機も悪い機体じゃないけど、踊らされるのは癪だからなあ」
シンジは残る六人の工作員を倒す為、闇の中へと消えた。

第3新東京市、本部直上―
 「何、アレ?クモみたいね」
 予備のバッテリーを兵装ビルの影で再セットしながら、アスカが呟く。その隣では、同じくバッテリーを交換し終えたレイが、パレットライフルを手にしながら用心深く、溶解液で地面を溶かし続けるマトリエルを見つめる。
 「アスカ、敵は溶解液が主な攻撃手段のようね。一気に攻めましょう」
 「そうね、レイは射撃をお願い。私は真上からスマッシュホークを振り下ろすから」
 言うなり兵装ビルを足場に、弐号機が空高く跳び上がる。同時に零号機がマトリエル目がけてパレットライフルをフルオートで連射する。
 瞬間、轟音とともに周辺の兵装ビルが倒壊。土埃が零号機と弐号機の視界を塞ぐ。
 土埃は間もなく晴れはしたが、マトリエルの姿はそこには無かった。弾丸も、スマッシュホークもアスファルトを盛大に砕いていただけであったのである。
 捉えていた筈なのに、姿を見失ってしまった2人は、慌てて周囲を見回した。
 「どこに!」
 再び起こる轟音。今度は零号機の前面に衝撃が叩きつけられる。痛みを堪えながら愛機を立ちあがらせたレイは、周辺の兵装ビルが倒壊している光景と、その中でマトリエルに組み伏せられている弐号機の姿を見つけた。
 「キャア!」
 アスカの悲鳴に、零号機がパレットライフルを構える。マトリエルに押し倒された弐号機が、その溶解液で装甲を溶かされつつあった。
 「アスカ!」
 再びフルオートで弾丸を叩きこむレイ。同時にアスカが激痛をこらえながら、強烈な膝蹴りを放つ。
 だが先程と同じく、轟音と衝撃が周辺に撒き散らされる。その衝撃の痛みを堪えながら周辺を確認する少女達。だがマトリエルの姿は消えていた。
 「消えた!?」
 「・・・そこ!」
 再びパレットライフルを放つレイ。だが今度は先程と違っていた。
 撃ったのは1発だけ。代わりに食い入るようにマトリエルに見入っている。
 弾丸を『避ける』マトリエル。僅かに遅れて砕け散る周辺の兵装ビルと、同時に轟音が轟く。その光景に、レイは答えに気付いた。
 「アスカ!この使徒の能力は高速移動よ!弾丸を躱わすほどの反射能力と、音速で移動可能な機動力。それがこの使徒の、もう一つの能力!」
 レイは知らなかったが、クモの中には家蜘蛛(ヤグモ)と呼ばれる種類のクモがいる。ヤグモは巣を張らないのだが、代わりに非常に早く動く。その速度は、ゴキブリを捕食するほどの速さである。
 マトリエルは音速での移動を可能とする、高速戦闘が可能な使徒であった。そして副次的な効果として、音速で移動するたびに、周辺に衝撃波(ソニックブーム)を撒き散らすのである。
 「・・・レイ、バッテリーの時間は?」
 「残り2分半」
 「オーケー、アタシに考えがあるわ。レイ、兵装ビルの上に登って、高い所から、アイツに弾丸を撃ち込んで!」
 言われるがままに、レイが零号機を手近な兵装ビルの上にジャンプで飛び乗らせる。すぐに射角を確保したレイは、アスカの言う通りに弾丸を撃ち込んだ。
 道路を高速で移動するマトリエル。遅れて弾丸が降り注ぐ。そしてマトリエルが正面に来た所で、弐号機がスマッシュホークを振りかぶった。
 「くらえ!」
 スマッシュホークを投擲武器のように投げつけるアスカ。だがスマッシュホークはマトリエルを捉える事なく、兵装ビルを一基、粉砕するだけにとどまった。
 その間に、マトリエルはスマッシュホークを掻い潜り、弐号機に再度襲撃を仕掛けていた。
 音速での移動による体当たり。そこから溶解液による直接攻撃。それがマトリエルの攻撃パターンであった。
 白煙を上げる弐号機。だがアスカは苦痛に顔を歪めながら、意地で愛機を操った。
 弐号機の右手が、マトリエルの足の1つを鷲掴みにする。
 「使徒であるアンタはチェスなんて知らないだろうけど・・・クイーンってのは、最後まで動かないのが定石なのよ!」
 スマッシュホークを投げつける前に、左手に握らせておいたプログナイフを、アスカは一閃させた。ATフィールドを纏わせた刃は、マトリエルの右側の足を、全て寸断してのける。
 突然の攻撃に、バランスを崩すマトリエル。だが片方の足を全て断ちきられた今のマトリエルは、最高の武器である音速移動を行う事ができなかった。
 アスカの策は、自分を囮にすることで、高速移動してきたマトリエルを捕まえ、その機動力の要である足を断ちきることであった。
 レイがパレットライフルをフルオートで叩きこむ。マトリエルはせめてATフィールドで耐えようとするが、アスカがそれを中和してしまい、フィールドで耐えるどころか、弾丸にその体を貫通されて、大地に崩れ落ちた。

発令所―
 無事にマトリエルを撃破したアスカとレイは、発令所へと戻ってきていた。
 「リツコ!シンジは!?」
 「シンジ君なら、さっき加持君が捜しに戻ったわよ」
 リツコの言う通り、加持の姿が発令所には無い。
 「シンジは無事なの!?よく分からないけど、アイツ、足止めしてたから」
 「どういう意味?詳しく説明できる?」
 そこで初めて、アスカから状況の説明を聞いたリツコと日向は、顔を蒼白に変じた。エヴァのパイロットであるシンジが正体不明の敵を相手に足止めをしたのも理由だが、それ以上に今回の停電の意図に気づいたからである。
 「マヤ!すぐにダミープログラムを走らせて!それからシンジ君と加持君の反応を調べなさい!」
 急に慌ただしくなる発令所。そこへ連絡が入る。
 「日向部長はいるかい?」
 「加持部長!?」
 「すまないが、保安部員を派遣してほしい。場所は今から送る三ヶ所だ。そこに今回の犯人だった物が転がっている。後始末を頼む」
 「待って下さい!シンジ君は無事なんですか?」
 「問題ない、掠り傷一つないよ」
 途絶える通信。とりあえずシンジが無事だと聞いて、安堵のため息をつく職員達。
 「よ、よかったあ・・・」
 「本当ね・・・」
 脱力して座り込むアスカとレイの姿に、リツコは苦笑せざるを得なかった。

NERV本部某所―
 携帯電話を切った加持は、それをポケットに戻した。
 「これでしばらくは時間を稼げる。取引の為の時間をな」
 「取引ですか?僕にメリットがあるんでしょうか?」
 シンジの言葉に、加持が黙って頷く。
 「最初に言っておくが、君の眼の事についてはリッちゃんから聞いている。それでも俺は、君の前に立っているんだよ」
 「それが分かっていて立つなんて、取引が成立しませんよ?だって加持さんの情報、全部知る事ができるんですから」
 「だからこそ成立するのさ。君は俺の情報を知る事が出来る。だが俺の知らない情報を知る事はできない。その知らない情報を取引の対価としたい」
 「・・・そりゃあまあ、三重スパイが四重スパイになるぐらい、大したことじゃないんでしょうけどね」
 加持の言いたい事を、シンジは正確に理解していた。
 「良いですよ。取引成立としましょう」
 「なら教えてくれ。セカンドインパクトの真相、それを俺は知りたい。セカンドインパクトの舞台裏まで、全てを含めた情報をな」
 「・・・てっきり、エヴァの事を訊いてくるかと思ったんだけど、意外ですね」
 しばらく考え込むシンジ。
 「セカンドインパクトについては、手持ちの情報がありません。だから知っている人から教えて貰って来ます。あの男か副司令なら知っているでしょうから」
 「そうか、よろしく頼むよ。ところで、君の求める対価は?」
 「今回、戦自を裏で操っていた連中―おそらく加持さんが所属しているSEELEでしょうけれど、そいつらについての情報が欲しいです。加持さんはSEELEの工作員でもあるのだから、何とかなるでしょう?加持さんが未だに知りえない、深い情報をお願いします」
 「分かった。それじゃあ、分かり次第連絡を入れるよ」
 2人は握手をすると、発令所へと戻り始めた。



To be continued...
(2010.08.14 初版)


(あとがき)

 紫雲です。今回もお読み下さり、ありがとうございます。
 今回は最弱使徒として名高いマトリエルを、いかにして最強にするかをテーマにしてみました。
 ヤグモをヒントに思いついた能力ということで、最初は高速移動だったのですが、どうせ使徒なんだからと考え直し、音速に変更。移動するたびに衝撃波で兵装ビルを砕いてまわるハタ迷惑な使徒となりましたw
 ちなみにこちらの設定としては、いきなり音速になる訳ではありません。若干のタイムラグ(加速時間)を経て、音速というトップスピードになるという設定です。あと音速で移動する間は、曲がれないという弱点もあります。作中のアスカの作戦は、この点を利用した物ですね。
 今回、シンジ君は使徒戦欠席ですが、たまにはアスカとレイに活躍させたいという考えもあって、こうなりました。代わりにシンジ君は戦自とドンパチしてます。
 話は変わって次回ですが、サハクイエル戦と番外編の2話になります。ちょうど会社が夏休みに入るおかげで、執筆時間が取れそうなので・・・ちょっと気合い入れて書きあげてきます。
 サハクエイル戦では、初号機が復帰。初号機専用特殊兵装(F型装備)のお目見えとなります。さらにゲンドウも登場。彼の出番に御期待下さいw
 番外編は都古と琥珀が登場。タタリの因子を受け継ぐ琥珀の暴走の舞台はNERV本部。都古にはシンジとともに琥珀の暴走を止める為に動いて頂きます。
 それでは、また次回もよろしくお願い致します。



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