遠野物語

本編

第十二章

presented by 紫雲様


遠野宅マンション―
 ガバアッという音を立てて、少年はベッドから体を跳ね起こした。
 「ハアッ・・・ハアッ・・・」
 額に浮かぶ汗を手の甲で拭い去る。普段、包帯に包まれている緑と銀のヘテロクロミアが、満月に照らし出された暗い室内の中でも、色鮮やかに浮かび上がる。
 彼は無言のままベッドから降りる。背中に浮かんだ大量の汗が、少し涼しめの夜気に触れ、背中をヒンヤリと冷やしていく。
 寝ている家族を起こさないよう台所へ行くと、彼は冷蔵庫からよく冷えた麦茶を取り出し、コップに注ぐと一気に飲み干した。
 麦茶の香ばしい味わいと、体が欲する水分が、少年の動悸を徐々に静かにさせていく。
 彼は麦茶を冷蔵庫にしまうと、静かにベランダへ出た。
 大きな満月が、少年の視界に飛び込んでくる。
 ブルッと身を震わせると、彼は己の両手で自身の体を掻き抱いた。
 「・・・死ぬもんか・・・絶対・・・生きて帰るんだ・・・」
 確かに少年は強い。同年代はおろか、10は年上の戦闘のプロを相手取っても、確実に勝利を勝ち取ることができるほどに。
 だが、その内面は決して強くはない。
 幼い頃のトラウマは、滅多に表へ出てこない。それほどに、彼の家族が支え、護り、導いてくれたのである。
 しかし、それは彼が本来持っていた、心の弱い部分まで強くした訳ではない。あくまでも、心の傷を覆い隠しただけにすぎないのだ。
 それは彼の罪ではない。
 勿論、彼の家族が悪い訳でもない。
 だが、今の彼を家族が見たら、どう思うだろうか?
 悪夢に苛まれる姿。
 他人に頼る事ができず、一人で苦しみ続ける姿。
 そして、自身の『死』という未来図に、恐怖する姿。
 「・・・でも・・・怖いんだ・・・誰か・・・助けてよ・・・」
 緑と銀の瞳から滴り落ちる光の粒を、満月だけが静かに見下ろしていた。

本部発令所―
 ビーッ、ビーッ、ビーッ
 耳をつんざくような、けたたましい警報に、職員達は緊張しながら正面モニターをジッと食い入るように見つめていた。
 いや、それは見つめていたのではなく、睨みつけていたのかもしれない。
 空中に浮かぶ、ゼブラ模様の球体。その直径は少なくみても100m近い。
 「状況の報告を!」
 「分かりません!突然、市街地上空に現れました!周辺の電波観測所からは、特に何の反応も無いという連絡が入っています!」
 「MAGIは?」
 「情報不足により判断を保留しています!」
 「市民の避難状況は?」
 「現在、5%が避難完了。全てが完了するまで、残り2時間。ただし市街地の避難は、すでに完了しています!」
 文字通り戦場と化した発令所を、情報が怒号となって飛び交う。
 「ただいま到着しました」
 そこへ、相も変わらず尼僧服姿のシエルが飛び込んでくる。
 「子供達はケージへ向かわせておきました」
 「助かります、シエルさん」
 「それより、状況を教えて頂いてもよろしいですか?」
 次々に明らかとなる『不利』な情報に、シエルが眉を顰める。
 「使徒なのは間違いないでしょうね・・・ところで日向一尉。仮に、あの球体が使徒だと仮定します。そうすると、どんな攻撃をしてくると思われますか?」
 「難しいですね。一見、近接武器と思しき物は見当たらない。ラミエルのような遠距離攻撃手段を持っているのかも、とも思いましたが、それらしき発射孔もない」
 「そうなんですよ。先ほど、周辺の監視カメラを利用して、出来る限り多方面から映像を集めておいて頂いたのですが」
 シエルの指示に従い、オペレーターがモニターに、使徒の姿をいくつも出す。
 「御覧の通り、表面は模様だけで、他には何も無い。他の使徒のように、コアも見当たらないんです」
 「そうなると、コアは体内と考えるべきか・・・」
 「・・・確かに、それもあり得るでしょうが、実はもう一つ、気になっている点があるんです」
 オペレーターの指示に従い、正面モニターに様々な情報が浮かび上がる。
 「全てに共通点があります。『そこには何も無い』という共通点が」
 「おかしいですね。僕達の目には、はっきりと姿が見えるのに」
 「ええ。あれだけ大きな物体があれば、調査機器に何らかの反応が無いとおかしいんですよ。それなのに、反応は無いんです」
 「・・・シエル特務二尉。あなたは対使徒戦のオブザーバーとしてこの場にいます。どんな非常識な意見でも構いません。何か、感づいているのではありませんか?」
 日向の言葉に、シエルがボソッと呟く。
 「・・・ろし」
 「え?」
 「あれは、幻なのかもしれません。蜃気楼、影絵、言い方は何でも良い。少なくとも、あれは実体では無い。それが私の勘です」
 シエルの言葉に、発令所全体が呆然とする。当然と言えば当然だが、シエルの言葉は、さすがにすんなりとは受け入れられなかった。
 ざわめく発令所。それを鎮めたのは日向である。
 「もし、あれが幻だとするなら、確認する方法がある」
 どよめく職員達。
 「あれが幻なら、あの球体がある筈の空間には、普通に空気が存在している筈だ。赤外線センサーで、あの球体が存在している筈の空間と、その周辺の温度を比較してみましょう。もし温度が同じなら、あれは幻の可能性が非常に高い。違えば、あれは実体と考えて間違いないでしょう」
 日向の言葉に従い、MAGIが調査を始める。結果は―同じ温度。
 「で、でも!もし、あれが幻だとしたら、本体はどこなんですか?それに、地面の影はどう説明すれば・・・」
 マヤの叫びに、シエルが笑みを返す。
 「それが答えなんですよ。伊吹二尉、あなたは使徒の本体を見つけています。いえ、あなただけではない、この場にいる者全てが、すでに使徒を見つけています」
 「・・・そうか、何も無いなら、影が地面に映る訳がない」
 「そうです。恐らく、使徒の本体は地面に映る影です」
 絶句する職員達。
 「いくら空中の幻を調べても、反応が出ないのは当然だと思います。それよりは影に対して、パターンブルーの反応を調べるべきでしょうね」
 慌ててMAGIを操作するマヤ。そして、すぐに結果がでる。
 「パ、パターンブルー!対象は地面の影で間違いありません!」
 「敵の本体は判明した。そうなると、次は敵の攻撃方法だが・・・」
 「普通に考えれば、影と誤認してノコノコと近寄ってきた敵を、真下から串刺しにしそうです。少なくとも、敵本体の真上に陣取る事は危険でしょう」
 「同感です。基本戦術は遠距離射撃戦。影の上に乗らない事。この2点は必須。後は情報収集を行いながら、随時戦術を組み立てていくしかないか」
 「あとはエヴァの射出位置ですね。一か所にまとめて出すよりは、ある程度バラけさせた方が良いと思います」
 シエルの助言に、日向が力強く頷く。
 「聞こえるか、3人とも。3機ともポジトロンライフルを装備。零号機は3番シャフトから、弐号機は6番シャフトから、初号機は7番シャフトから射出。まずは遠距離戦で様子を見ながら、戦ってくれ。くれぐれも、地面の影には乗らない事。いいね?」
 「「「了解」」」
 
第3新東京市本部直上―
 バラバラに射出された3体の巨人は、ポジトロンライフルを兵装ビルの屋上の上で構えていた。高さを稼いで射線を確保する事もあるが、それ以上に、不測の事態が起きた時に対応する時間を稼ぐ為でもある。
 『ここまで、敵に反応がない。これから20秒後に一斉に射撃を開始。危険を感じたら、すぐに下がってくれ。ではカウント始める』
 エヴァ内部のモニターに数字が浮かび上がる。やがて、その数字が0になると同時に、3体の巨人たちは陽電子の槍を同時に放った。
 轟音とともに、影へ3本の槍が突き刺さる。だが光の槍は、爆発する事もなく影の中へと呑みこまれた。
 『どういうことだ!?ATフィールドの反応は!』
 『フィールドの反応は、確かにあります!場所も本体からです!』
 そんなやり取りを聞きつつ、シンジは攻撃を中断して、ジッと影を見つめた。
 「・・・攻撃が効いてない・・・呑みこんでいるのか、こちらの攻撃を・・・」
 『初号機、シンクロ率が130.5%に上昇!S2機関、稼働開始しました!』
 『シンジ君!』
 「加粒子砲を撃ちこみます!情報収集をお願いします!」
 初号機の左手に、現在、もっとも破壊力のある光の槍が収束していく。
 「くらえ!」
 轟音とともに撃ち込まれる槍。発射の衝撃に耐えきれず、崩れ落ちる兵装ビル。その瞬間、敵は動いた。
 『使徒、移動開始!いえ、範囲が広がります!3人とも逃げて!』
 マヤの叫びを聞いた訳でもないだろうが、赤と青の巨人は即座に飛び退る。だが加粒子砲を放っていた紫の巨人は、飛び退るのが目に見えて遅れていた。
 メインモニターは光の嵐に埋め尽くされ、使徒の動きを見る事は不可能。マヤの叫びは加粒子砲の轟音で、かき消されていた。加えて、兵装ビルが崩れ落ち、完全に体勢が崩れていた。
 ここまで悪条件が重なっていては、いくらシンジが気配を読む事が出来ても、それを活用する事は出来ない。
 初号機が立ち上がろうとした時には、すでにその腰の高さまで呑みこまれていた。
 「しまった!」
 慌てて脱出を試みるが、初号機の足元はレリエルの虚数空間。その為、いくら蹴りつけても地面が存在しない以上、飛びあがる事はできない。
 シンジの危機に、赤と青の巨人が全力で走り寄る。
 「シンジ!」
 「遠野君!」
 だが2体の巨人は、足下を見ていなかった。
 踏み込んだ先はレリエルの本体。当然、2体ともレリエルに呑みこまれていく。
 『何をしてるんだ!すぐに逃げろ!』
 日向の怒声がプラグ内部に響く。
 まだ沈みきっていないビルに手をかけ、屋上を足場として脱出する巨人。
 脱出間際に2人の少女が見た光景は、紫の指が何かを掴むようにもがきながら、闇の中へと静かに消えていく光景だった。

発令所―
 シーンと静まり返る職員達。間違いなく、人類最強の戦力と言って良い初号機が、成す術もなく姿を消していく光景は、彼らの中から希望を奪い去り、絶望を植え付けるのに十分な光景であった。
 「・・・初号機・・・反応、ロスト・・・」
 マヤの呆然とした呟きが、虚ろに響く。
 「何を呆けているんだ!シャキッとしろ!」
 日向の喝に、職員達の視線が注がれる。
 「ここで俺達が諦めたら、本当にシンジ君が死ぬ事になるんだぞ!俺達には、まだ出来る事がある。最後まで足掻くんだ!伊吹二尉は、今までの情報を分析して作戦部へ送信。青葉二尉は市民の避難を完全に終わらせてくれ。零号機パイロットと弐号機パイロットは一度帰還して準待機扱いだ。赤木博士と作戦部職員はブリーフィングルームへ。この使徒への対抗案を練り上る!」
 徐々に戻り始める生気。
 「さあ!すぐに行動開始だ!」

初号機エントリープラグ内部―
 幸い、レリエルに呑みこまれた後も、S2機関は順調に稼働を続けていた。残り電力の心配をしなくて済む分、シンジもとことん足掻いていた。
 周囲をセンサーで調査し、時には加粒子砲を撃ちこんで反応を調べる。
 だが周囲の反応は皆無だった。
 「夜を司る天使、レリエル・・・厄介な能力だな・・・」
 呑みこまれたあと、レリエルとの会話によってシンジは自分がいる場所が、レリエルの能力による虚数空間である事を知っていた。
 そして自分がいる場所が、無限に続く空間である事も。
 「どうする・・・どうすれば、ここから出られるんだ・・・」
 戦友たる2人の少女はいない。頼りになる姉はいない。指揮官たる青年はいない。バックアップしてくれる発令所の職員達はいない。
 少年は、ただ孤独に包まれていた。
 己に課せられた『死』と言う名の運命が、確実に忍び寄ってくる足音を聞きながら。
 「こんな、こんな所で死ぬ訳にはいかないんだ!」

本部ブリーフィングルーム―
 作戦部職員と、リツコを交え、対レリエル戦の作戦が練られていた。
 「・・・以上が赤木博士による、今回の使徒が持っている能力『ディラックの海』に関する説明だ。今の説明を踏まえた上で、対策案を練り上げる」
 日向の言葉に、作戦部職員達の間で喧々諤々の話し合いが起こり始める。
 その様子を眺めながら、リツコがボソッと呟いた。
 「不幸中の幸いなのは、初号機にS2機関が搭載され、それが稼働している点ね。少なくとも、バッテリーが切れてLCLの浄化ストップによる酸欠死だけは防げるわ」
 「そうですね。もしS2機関が無かったら、と思うとゾッとしますよ」
 「ですが油断は禁物です。相手は使徒、何をしてくるか分かりません。出来得る限り、早い救助が必要です」
 シエルの言葉に、日向が頷く。そこへ2人の少女達が息を切らしながら駆けこんできた。
 「どうなの!?何か案はできたの!」
 「いや、今考えているところだ。幸い時間だけはあるからな、入念に準備をしてから」
 「ダメ!急いで救出しないと、アイツが!」
 明らかに血相を変えているアスカに、室内にいた者達の視線が突き刺さる。
 「シンジ君に、何かあったのですか?」
 「シエルさん!この前の温泉の話、憶えていますよね!」
 「ええ、シンジ君の視た物の事よね」
 「アイツ、この前言ってたんです!これから3連続で死が襲いかかってくるって!その最初に来るのが、闇の死だって」
 アスカの言い分を理解できたのは、この場にはシエル1人だけだった。そのシエルの顔色が、瞬く間に蒼白に転じる。
 「それは、本当なんですね!」
 コクンと頷くアスカ。その後ろにいたレイも、同じように頷いていた。
 「日向一尉、赤木博士、隣の部屋に来ていただけますか?」
 「分かりました、すぐに行きます。みんなは、作戦を練っていてくれ」
 シエルの要請に、隣室へ移動した日向とリツコは、そこで初めてシンジの持つ、別の異能を知らされた。
 「未来予知・・・そんな事までできたなんて・・・」
 「自分でコントロールできない異能など、当てにはできません。使徒戦の迎撃プランに組み込もう等とは考えないで下さいね?」
 「残念だけど、意識的に使えないのでは仕方ないか。とりあえず、口外はしないようにしておくよ。それはともかく、救助を急がなければならない理由は」
 「はい。時間をかけ過ぎると『闇の死』によってシンジ君が命を落とす可能性が高いと思われます。準備は確かに必要でしょうが、時間を不必要にかけ過ぎないように対応をお願いしたいのです」
 「参考までに聞かせてください。その予知ですが、的中確率は?」
 「・・・私が知る限り、予知が外れたのは数回。そのどれもが、予知を外そうと懸命に努力した結果、紙一重で外れたにすぎません。この前のサハクイエルのように。努力をしなかった予知については、的中率は100%です」
 シエルの言葉に、日向がゴクッと唾を呑みこんだ。
 
初号機エントリープラグ内部―
 「・・・取り込まれて2時間・・・きついなあ・・・」
 油断すると恐怖に呑まれかねない精神を奮い立たせるかのように、シンジは分かり切った事を敢えて口に出していた。
 S2機関のおかげで、動力源に困る事は無い。LCLは疑似血液なので、栄養面もフォローされているから、餓死するまで十分な時間がある。あまりLCLに詳しくないシンジだったが、それでも1週間ぐらいはもつだろうと考えていた。
 問題なのは、肉体では無く精神―心の死。
 レリエルが初号機に対して、直接攻撃を仕掛けて来ない事はシンジにも予測できた。いくら使徒が人智を超越した能力を持っていたとしても、ディラックの海以外の攻撃手段をレリエルが持っているとは思えなかったからである。
 もし直接攻撃手段を持っているのならば、今まで初号機が攻撃されていなかった説明がつかない。おまけに、初号機はともかく、シンジという人間は無限に戦える訳ではない。今の状態で四方八方から間断なく攻撃をされれば、間違いなくシンジは疲労で戦闘停止に追い込まれてしまう。それにレリエルが気づいていない筈がないのだから。
 「今の僕に出来るのは、2人を信じて待つ事だけ。レリエル、君は確かに強い。君に正面からぶつかって勝てる者がいるとは思えない。でも、僕には仲間がいる。必ず僕を助けてくれる仲間が。だから、僕達の戦いは」
 大きく息を吸い込むと、シンジはゆっくりと言葉を紡ぎだした。
 「2人が来るまで僕が耐えられれば僕の勝ち。それまでに僕が発狂すれば君の勝ち。僕の心が潰れるかどうかが、勝敗の決め手なんだ」
 決して恐怖に負けたりしない。改めて誓うと、シンジはささくれはじめた心を少しでも癒そうと、両目を閉じてしばしの眠りにつく。
 意識を手放したシンジは気づかなかった。
 彼が意識を手放すと同時に、初号機のS2機関がゆっくりと停止し始めた事に。

ブリーフィングルーム―
 「では作戦についてだが、零号機と弐号機を、使徒を挟むように配置。次にUNが現存する全てのN2爆雷を使徒に投下。こちらからの指示に合わせて、2機はATフィールドを展開し、中和させる。以上だが、何か質問はあるかい?」
 質問が無い事を確認すると、日向は咳払いをしつつ、ことさらに大きな声を出した。
 「作戦開始時刻は、今から4時間後。17:00きっかりに作戦を開始する。各員は準備してくれ」
 一斉に席を立ち、室外へと出ていく職員達。残ったのはチルドレン2人とリツコとシエルである。
 「ねえ、リツコ。アタシ、疑問に思った事があるんだけど」
 「何かしら?」
 「エヴァが取りこんだS2機関って、どうやって動いている訳?アイツに言われて取り込んだのは良いんだけど、改めて考えてみると不思議なのよね。車のエンジンみたいにキーを回す訳じゃないのに、アタシの意思というか言葉に従って動いているじゃない?」
 「言われてみれば、そうよね。私もシンジ君が当たり前のように稼働させてたから、疑問に思わなかったけど、確かに不思議ね」
 リツコの言葉に、レイもまた無言で頷いている。
 「あれが止まる条件も、いまいち分からないのよね。戦闘が終わってケージに帰還するでしょ?でも、それまでの間にS2機関を意識して止めた事はないのよ。それなのに、いつのまにか停止している」
 「意思が関係しているとすれば、もしかしたら戦闘本能が関係しているのかもしれないわね。戦闘が終わった安堵感が、S2機関を停止させるのかもしれないわ」
 「ふーん、それじゃあアタシ達も気をつけないとね。戦闘中に油断したりとかしちゃったら、S2機関が停止しちゃうってことだから」
 彼女達は夢にも思わなかった。
 今まさに、初号機にその事態が起きている事に。

司令室―
 主不在の司令室。最近の冬月は、いつもここで書類決裁を行っていた。
 「失礼します」
 「む?レイか、一体、どうしたのだね?パイロットは待機扱いの筈だが」
 書類への記名押印をストップして、冬月が顔を上げる。
 「はい。現在、攻めてきている使徒の件で来ました」
 「使徒迎撃は日向一尉に任せてある。提案があるのならば、彼に言い給え」
 「いえ、副司令でなければならないのです。地下の槍の使用許可をお願い致します」
 冬月の手から、愛用の万年筆が零れ落ちた。
 「レイ。あれは切り札なのだ。貴重な切り札を、今、使う訳にはいかん」
 「ですが、このままでは碇君と初号機は・・・」
 「それは分かっている。その為の救出作戦なのだ。レイ、今の君の役目は作戦成功の為に体調を整える事だ。優先順位を間違えてはならんぞ」
 「・・・了解しました」
 無表情のまま司令室を後にするレイ。だがその心中は、時化の海面のように暴れ狂っていた。

初号機エントリープラグ内部―
 (・・・何でだろう、寒気がする・・・)
 うっすらと目を開けるシンジ。LCLに長時間浸かっていたせいで、風邪でも引いたのかもしれないと何気なく思う。
 右手をゆっくりと自分の額に当てる。手が触れた額は、いつも通り、いや、いつもより冷たい感じがしていた。
 (・・・何かだるいなあ・・・)
 とりあえず体を起こそうと、体に力を込める。だが、体は彼の意思に従おうとはしなかった。
 その不自然さに、ゆっくりと周囲を見回す。
 薄暗いエントリープラグの中は、非常灯を残して、完全に光が消えていた。
 (あれ?何で灯りが消えているんだ?)
 ぼんやりとする意識を振り払おうと、頭を左右に振る。鈍い頭痛が頭部を刺激し、ますます動くのが億劫に感じてしまう。
 (・・・まさか・・・)
 S2機関の停止。最悪の事態が、彼の脳裏をよぎる。だがエントリープラグ内部の灯りが消えているのも、動力源であるS2機関がストップしている為だとすれば、納得のいく理由であった。
 (それなら、また起動させれば・・・)
 S2機関を動かそうと、声を出す。だがその口から漏れ出たのは、途切れ途切れの掠れがちな声。
 S2機関の停止によって、LCLの循環が停止してから、すでに数時間。シンジはS2機関は自分が眠っている間も、動き続けてくれると思い込んでいた。その為、バッテリーをフル稼働のまま眠りこんでしまい、今の事態を招いてしまったのである。
 LCLの循環が止まれば、酸素の補充もストップする。今のシンジは、限りなく酸欠に近い状態であった。
 (嘘だ!何で、何でこうなるんだ!)
 自らの思い込みによる状況悪化は、彼の命を確実に縮めていく。加えて、焦り始めた脳は、ただでさえ少ない酸素を、過剰に消費していく。
 『死』の足音が近寄ってくるのを、少年ははっきりと自覚した。
 (嫌だ!死にたくない、死にたくないんだ!)
 焦りが、恐怖が、混乱が、悔しさが、怒りが、少年の心を荒れ狂わせる。
 徐々に希薄になっていく意識。
 次々に浮かぶ、無数の顔。紅茶色の髪の少女が、蒼銀の髪の少女が、自分を守ってくれた家族が、自分が護りたい小さな命が、友達が、次から次へと現れては消えていく。
 (助けて!死にたくない!助けてよ!)
 少年の意識は、闇の淵へと静かに落ちた。

第3新東京市本部直上―
 『では作戦を開始する。UNの爆雷投下後に、2人はATフィールドを展開、使徒のフィールドを中和するんだ』
 2体の巨人を前に、空から無数の爆雷が投下される。それらが半分以上、使徒に呑みこまれたところで、2人の少女は全力でATフィールドを中和にかかった。
 『零号機シンクロ率67.5%、弐号機シンクロ率99.89%です!』
 「シンジ!とっとと戻って来なさいよ!」
 「お願いだから帰ってきて!」
 『爆発予定時刻まで残り5秒!4・・・3・・・2・・・1・・・0!』
 マヤのカウントダウン終了と同時に、2体の巨人が更なる力をATフィールドへと注ぎこむ。
 カウントダウン終了に僅かに遅れて、レリエルの本体が不気味に蠢きだした。
 「帰って来なさいよ!馬鹿シンジ!」
 「遠野君!」
 少女達の叫びに呼応するかのように、巨人の目に更なる光が灯る。だが―
 『使徒のエネルギー総量に異常発生!急激に上昇していきます!』
 マヤの悲鳴じみた報告に、いち早く反応したのはシエルだった。
 『逃げなさい!二人とも!』
 その叫びに、ワンテンポ遅れて後ろへ飛び退る巨人。その後を、まるで追いかけるかのようにレリエルがその体の範囲を広げていく。
 『まさか・・・N2の爆発エネルギーすらも吸収したとでもいうのか!』
 『MAGIによれば92.3%の確率で、その可能性を支持しています!それから・・・作戦失敗による撤退案が出されています・・・』
 マヤの報告は、最後は微かにしか聞こえなくなっていた。
 作戦失敗。それは初号機と、シンジのロストを意味している。
 同時に、レイが射出口の蓋を力任せに粉砕。ポッカリと開いた穴に、零号機を飛びこませた。
 『レイ!』
 「副司令、ドグマへ向かいます!他に方法がありません!」
 『・・・分かった、使用を許可する』
 切羽詰まった表情のレイ。苦虫を噛み潰したかのような冬月。そんな2人のやり取りに、日向が指揮官役として当然のように質問を投げかけるが、冬月はそれには答えず、正面モニターを睨みつけるように凝視する。
 そんな発令所に、別の怒声が飛び込んできた。
 「帰って来なさいよ、シンジ!」
 アスカが叫ぶ。シンジが失われるという現実を前に、彼女は自分がどういう状況にあるのか、もう理解できなくなっていた。
 レリエルはその範囲を弐号機の足下にまで伸ばしていた。ゆっくりと沈み始める弐号機の姿に、発令所のメンバーが声を張り上げる。
 だがその声はアスカの耳には届かない。
 アスカは外部スピーカーのスイッチを入れると、心の底から叫んだ。
 「シンジのママ!お願いだから、シンジを助けて!」
 叫び続ける間も、弐号機はゆっくりと沈降していく。
 
発令所―
絶望が満ちる発令所。その間も、マヤが悲痛な声で状況を報告していく。
 「使徒のエネルギー総量、さらに増加・・・もう、手に負えません・・・」
 職員達はもはや何も言えない。ただ黙ってモニターを見つめるだけである。
 『使徒迎撃に失敗』。その事実はサードインパクトを引き起こす事になる。
 もはや本部の自爆しかない。そう考えた日向は、本部自爆の承認手続きに入ろうとしていた。
 「少し待って下さい!アスカさん、聞こえるでしょ!最後の賭けに出なさい!そのまま使徒にわざと取り込まれて、シンジ君へ呼びかけなさい!」
 『シエルさん!?』
 「もう時間がない!こうなってしまっては、他に方法はないわ!」
 シエルの決断に、アスカは険しい表情で頷くと、自らレリエルの虚数空間へと飛び込んだ。

虚数空間内部―
 「シンジ!いるなら応えて!」
 アスカの叫びは、どこまでも無限に続く空間を、虚ろに響き渡っていく。
 「シンジのママ!アイツを助けて!」
 喉が張り裂けんばかりに、必死に叫ぶ。
 「ママ!力を貸して!シンジを助けたいの!お願いだから、力を貸して!もう、独りになるのは嫌なの!お願いだから、助けて!」
 その瞬間、弐号機が取りこんだガギエルのS2機関が稼働を開始。莫大なエネルギーをその身に発生させはじめた。

第3新東京市直上―
 弐号機までもが取り込まれると、レリエルは急に動きを停止させた。
 その突然の沈黙に、発令所ではどよめきが広がっていた。
 「一体、何が起きているというんだ」
 モニターを見つめる日向は、自爆解除手続きを止めてしまっていた。
 静けさに支配された世界。その静けさを破壊したのは、レリエルであった。
 空中に浮かんでいたゼブラ模様の球体が、漆黒に変色。やがて不気味に捩じらせながら、形を歪めていく。
 さらには本体である地上部分も、突然地割れが発生し、その真紅に染まった断面を無残に曝け出していた。
 「何が・・・何が起こっているんだ!」
 漆黒の球体の内側から、1本の腕が飛び出し、球体その物を引き千切り始めた。
 球体の中から現れたのは、紫の巨人。その後ろに真紅の巨人が続く。
 紫の巨人は、顎部ジョイントを引き千切ったその口から、天まで届くような咆哮を上げていた。

発令所―
 初号機から回収された直後に緊急入院となったシンジと、その付添に残ったアスカとレイを病室に残したまま、リツコは険しい表情のまま発令所へと戻ってきた。
 「赤木博士、シンジ君の容態は?」
 「・・・酸欠による後遺症がでています。脳細胞の一部に壊死が認められます」
 「そんな!それではシンジ君は!」
 リツコが黙ってコクンと頷く。
 「壊死したのは左腕を司る部分。つまり、シンジ君はこの先、一生左腕が動きません」
 悔しげに俯く日向。その報告を聞いていた青葉は大きなため息をつき、マヤは大粒の涙をこぼしはじめた。
 シエルの魔術知識や巫淨の血であっても、今回ばかりは手の打ちようがない。そんな状況に、シエルも歯ぎしりするばかりである。
 「治癒の可能性は?」
 「神のみぞ知る、という所ね。こちらでも、出来る限りの事はします」
 「分かりました、ところで、あの2人は?」
 「シンジ君の付き添いです。シエルさんも、後で顔を出してあげてください」
 リツコの言葉に、シエルがええ、と頷く。
 「日向一尉、もう一つ報告があります。初号機ですが、先ほどの使徒の物と思われるS2機関を、初号機が吸収していることが分かりました」
 リツコの言葉に、発令所に沈黙が降り立った。



To be continued...
(2010.09.11 初版)


(あとがき)

 紫雲です。今回もお読み下さり、ありがとうございます。
 結局、レリエル君ですが暴走での討伐となりました。
 正直、ロンギヌスでATフィールドを破壊という方法も考えたのですが、冬月の立場にしてみれば、レリエルの時点でロンギヌスを使う訳にはいかないだろうと考えた結果、こんな感じになりました。ロンギヌスの存在を知るレイにしてみれば、さぞ歯がゆかっただろうと思います。
 また今回の最後において、シンジが左腕を使えなくなりました。多分、突っ込まれると思うので、先に言っておきます。
 酸欠状態に追い込まれた時のシンジですが、幾らなんでも無理があるのは自覚してます。そもそもあそこまで追い込まれていたら、左腕どころか脳死していてもおかしくないですからw
 話は変わって次回ですが、番外編の予定を変更して、バルディエル戦になります。番外編2はゼルエル戦終了後までお待ちください。
 何故、こうなったのかと言うと、レリエル〜ゼルエルまで、話の展開がとことんシリアスになるからです。そんな中に、いきなりギャグ満載の番外編をぶち込むのはどうだろうか?と考えた結果、番外編を後に回す事にしました。その分、頑張って書きますので、どうか勘弁して下さい。
 それでは、また次回もよろしくお願い致します。



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