遠野物語

本編

第十四章

presented by 紫雲様


NERV本部発令所―
 「二人とも、もうやめて!お願いだから、もうやめて!」
 『・・・うるさい・・・お前なんかにアタシの気持ちは分らない・・・』
 『・・・その通りよ・・・』
 発令所の正面モニターに映る少女達は、普段なら誰もが振り向くほどの美少女と表現して差し支えない容貌の持ち主である。
 レイは無表情な少女。だが最近は、何かしてもらうと『ありがとう』と頬を赤らめながらお礼の言葉を口にするようになっていた。その儚さすら感じさせる態度に、好感を持つ職員達は多い。
 アスカは快活な少女。気力に充ち溢れ、一部では男勝りとまで言われていたが、最近はとみに女の子らしさを身につけつつあった。
 2人を変化させたのは、本部でサードチルドレンと呼ばれている少年。その事は、職員達なら誰もが知っている。
 その少年を見捨てるという判断を下した本部に対する憎悪と、助けられなかった自分の実力不足に対する怒りが、今の彼女達から冷静な判断力を根こそぎ奪い取っていた。
 『今のアタシ達なら2分あれば本部を壊滅できるわ』
 『アスカ、やりましょう』
 「待ってくれ!君達の気持は理解できる!だが、ああしなければ、サードインパクトが起きていたんだ!」
 青葉の叫びは、真実を知らない職員としてみれば、正しい意見である。アスカからみても、その言い分には頷かざるを得ない。
 だがレイは違う。レイは地下にいる巨人が、アダムではなくリリスであるという真実を知っている。そしてアダムでない以上、使徒が触れてもインパクトは起こらないことも。
 『部外者が偉そうな事を言わないで頂戴』
 絶対零度のような冷たさを秘めた口調のレイに、職員達が黙り込む。
 「伊吹二尉、LCL圧縮濃度を限界まで上昇させろ」
 「副司令!?」
 「命令だ、早くしろ」
 涙を浮かべながら、指示を実行するマヤは、敬愛する上司がここにいたら、どう行動しただろうかと考えていた。

松代―
 「よ、目が覚めたか」
 「・・・加持君・・・」
 「動くなよ、頭を怪我していたんだからな。応急手当はしておいたが」
 無理に動くことを止めて、横になったまま左右を向くリツコ。隣には日向がバツが悪そうな表情で横になっていた。その向こう側には、見覚えのある女性が座っていた。
 「・・・ミサト・・・」
 「久しぶりね、リツコ」
 「あなた、なんでここに」
 体を起こそうとするリツコを、ミサトが制する。
 「入院している間に色々考えてね、今は加持の個人的な相棒として一緒に動いているのよ。だからNERV職員じゃない。正確にいえば、一市民ってとこね」
 「一市民がここにいること自体、まずいでしょうに」
 「そこは加持に頑張ってもらったわ。特殊監査部部長権限でね」
 クスッと笑うミサトとリツコ。久し振りの親友同士の邂逅である。
 「それより加持部長、シンジ君ですが・・・」
 「さっき本部から連絡が入ったよ。参号機は第13使徒として処分。シンジ君は一命を取り留めたそうだが・・・」
 「何があったんですか!」
 激痛を堪えながら、日向が体を起こす。
 「シンジ君は両足を失ったそうだ」
 「そんな!」
 「それだけじゃない。アスカとレイが、現在、反逆罪で営倉に放り込まれている」
 「アスカとレイが?どういうことなの?」
 「シンジ君が犠牲になったショックで、2人揃って本部を恫喝したそうだ。チルドレンを戦線離脱させる訳にはいかないから、すぐに出られるとは思うが・・・」
 頭を抱える加持。
 「問題なのはシンジ君だな。遠野家と碇家は勿論だが、下手をするとヴァチカンが敵に回りかねない。一緒になって報復してくるかもしれん」
 「何でヴァチカンが!」
 「リッちゃんは知らないだろうけどな、シエル二尉はヴァチカンの中でも特殊な部署に籍を置いている。彼女が犠牲を顧みずに動き出せば、間違いなくヴァチカンは敵に回るだろうよ。そして最悪なことに、副司令はその真実を知らないんだ」
 紫煙を燻らせる加持は、肺一杯にため込んだ煙を一気に吐き出した。
 「一番の問題は、子供達が本部へ不信感を持ってしまったことだ。碇司令が子供達を同じクラスにした本当の理由は、子供達に友達という『守るべき対象』を作らせる事で、第3からの逃亡を未然に防ぐ事だった」
 「そうね、私が言えることじゃないだろうけど」
 「だが今回の一件は、それを根本から崩すほどの意味合いを持っている。アスカもレイも、シンジ君に好意を持っている。その好意の対象を傷つけられたんだ。最悪、戦闘中に戦闘放棄を起こされかねないぜ?」
 その言葉に、大人達は暗澹たる未来を予想していた。

3日後、NERV本部司令室―
 営巣から出されたアスカとレイは、両側を保安部に固められたまま、冬月が待つ司令室へと通されていた。
 少女の周囲を固める職員達も、少女達が反逆行為に至った経緯については、同僚経由で耳にしているので、どちらかというと同情気味であるが、仕事である以上、私情を挟む訳にはいかなかった。
 「冬月副司令、ファースト・セカンド、両チルドレンを連れてまいりました」
 司令室で待っていたのは、冬月ただ一人である。
 「ご機嫌麗しいようで何よりですわ、副司令」
 会うなり飛び出た皮肉に満ちた挨拶に、周囲に緊張が走る。
 「別に飛びかかったりはしないから、安心しなさいよ。その代り、エヴァに乗ったらすぐに殺してやるけど」
 「そうね。使徒迎撃は爺さん達だけでやればいい。私達は二度と協力なんてしたくないから。もしエヴァに乗ったら、使徒より先に本部を破壊してあげる」
 殺意のこもった言葉に、温厚で有名な冬月もさすがに顔色を変える。だが今さら時間を巻き戻すことはできない。
 「だが、それでも君達にはチルドレンとして使徒迎撃に携わってもらう」
 「お断りよ。シンジを見殺しにするような組織なんかに、誰が協力するもんか!アンタを含めて、上層部全員が自殺してくれるなら、乗ってあげてもいいわよ」
 「自殺じゃ駄目よ。私達がエヴァで全員、握り潰してあげるの。遠野君が味わった恐怖と苦痛を、平等に味わってもらうのよ」
 「・・・そうか。ならばセカンドチルドレンは登録を抹消。今後NERVへの立ち入りを厳禁とする。ファーストチルドレンは禁固とする」
 冬月の言葉に、アスカが怒声をあげた。
 「どういうことよ!どうしてレイだけ禁固なのよ!」
 「部外者に説明する義務はない。保安部、元セカンドチルドレンを退室させたまえ」
 「そこまでにしていただけませんか?冬月副司令」
 予想しなかった人物の出現に、視線が集中した。
 「シエルさん!?」
 「ごめんなさいね、遅れてしまって。それとシンジ君の事を心配してくれてありがとう。あの子の姉として、お礼を言わせてね」
 シエルは2人に近づくと、優しく少女達を抱きしめた。
 「辛かったでしょうね、苦しかったでしょうね。でも、あなた達がしないといけないことは、喧嘩することじゃないわよ?」
 「シエルさんも、黙って従えと言うんですか?」
 「違います。医療部の302号室へ向かいなさい。あの子に会って、生きているのを確認してきなさい。それがあなた達がしないといけないことよ?」
 驚いたようにシエルを見つめる少女達。だが頷くと、即座に身を翻した。
 「シエル二尉!」
 「副司令、少しは落ち着いてください。今回の一件は副司令にも責任があるんですよ?そもそも初号機を凍結させなければ、今回の事件は起きませんでした。違いますか?」
 「む・・・」
 言葉もない冬月。初号機凍結は上位組織であるSEELEの意思である。だが使徒迎撃という現場に立つ責任者として判断すれば、初号機が最大戦力であるのは間違いない事実。その最大戦力の凍結処分に対して、責任者である冬月が何も行動をしなかった点を突かれたのである。
 冬月個人にしてみれば、初号機の凍結を利用する事で、中に眠るユイを補完計画発動まで安全に確保しておきたかったという思惑があったのだが、まさかそれを口にする訳にはいかず、結果として彼は何も言えずに口ごもるしかなかった。
 「それに、シンジ君が戦線離脱、アスカさんが登録抹消、レイさんが禁固となったら、誰が使徒を迎撃するんですか?反抗心の塊になったレイさん一人に迎撃を任せるつもりですか?万が一、使徒襲撃にタイミングを合わせて、本部破壊の為に動き出したら、どうするつもりですか?」
 「それは確かにそうだが・・・彼女達が恫喝した事実はどうするつもりだね?」
 「そんな物は握り潰してしまえばいいんです。2人が恫喝した事実など無かった。それで良いんです。そうしたら、誰か困る人がいらっしゃるんですか?」
 そんな者はいない。実質的な被害もでていないのだから。
 「そんな事より、今後の使徒迎撃計画を見直すべきです。シンジ君と初号機が離脱した今、レイさんと零号機、アスカさんと弐号機で迎撃しなければなりません」
 「・・・確かにそうだな」
 「規則にこだわって、迎撃に失敗してしまっては本末転倒です。まずは2人の不信感を取り除くことを考えましょう。その為に、大局的な判断をお願いします」
 「・・・分かった。シエル二尉の意見を採用する。恫喝した事実など無かった以上、2人を拘束する理由もない。現時点をもって解放する」
 
NERV医療部302号室―
 少女達が飛び込んだ先には、すでに先客が来ていた。
 ストレートの黒髪を背中まで伸ばした、着物姿の美女である。
 気質的に欧州系であるアスカにしてみれば、艶のある長い黒髪は憧れの対象である。それ故に、場違いとは知りながらも小さな嫉妬を感じていた。
 「あら、この部屋に何の用かしら?」
 「秋葉お姉ちゃん、入れてあげて」
 珍しく包帯を外したままの弟の言葉に、秋葉が『そう』と頷くと中へと招き入れる。
 「初めまして、ね。私は遠野秋葉、シンジの姉よ。あなたがアスカさんで、あなたがレイさんね、話は聞いているわ」
 「は、始めまして。惣流=アスカ=ラングレーです」
 「綾波レイです」
 「シンジ、お姉ちゃんは席を外すからね」
 すれ違いざまに、意味ありげに秋葉が少女達に目配せをする。その意味を理解できない彼女達ではない。
 「「ありがとうございます!」」
 事前に申し合わせたかのように、揃って頭を下げた少女達の姿に、秋葉はクスッと笑うと花瓶を手にして廊下へと出て行った。
 「シンジ、大丈夫?」
 「遠野君・・・」
 「・・・大変だったね、二人とも。でも二人に怪我がなくて良かったよ」
 「良くなんてないわよ!」
 アスカが激昂しながらシンジに掴みかかる。レイが制しようとするが、止まるアスカではない。
 「アタシのせいだ!アタシが弱ったから、アンタは足を・・・」
 「アスカは何も悪くないよ。本当なら、こうして話す事もできなかったんだから」
 シンジの予知通りなら、弐号機によってシンジは命を落としていたのだから。それを考えれば、生き残れただけ、幸運と言えるかも知れなかった。
 「違う!アタシのせいなのよ!アタシは」
 「もういいんだよ、アスカ。君が自分を責めているのは、僕には良く分かる。他の誰でもない、君自身を許せないでいる事が。だから、もういいんだよ。君がどうしても自分を許せないと言うのなら・・・僕が君を許してあげる。だから、もう泣かないで」
 少年の胸元に額を押しつけるようにして、少女は泣き声を上げずに、涙だけを流し続けていた。
 「レイにも心配かけちゃったね。ごめんね、ダメなお兄ちゃんで」
 「そんな事ない!そんな事ないよ!」
 「そっか・・・ありがとう、レイ」
 そっと右手を伸ばし、レイの頭を優しく撫でる。
 「・・・それより、二人に真面目な話があるんだ。聞いてくれるかい?」
 口調こそ優しいが、いつになく厳しい雰囲気の言葉に、少女達が顔を上げる。
 「実はね、明後日に、僕は三咲町へ帰る事になったんだよ。戦力外通告って事なんだけどね」
 「そんな!こんな目に遭わせておいて、役に立たないから切り捨てるっていうの!」
 「落ち着いてよ、アスカ。僕が戦力外通告を受けるのは仕方ないさ。それに、これは遠野家からの要望でもあってね」
 少女達が受け入れやすいよう、殊更にゆっくりと言葉を紡ぐシンジ。
 「お姉ちゃん達は僕を死なせたくないんだよ。京都のお爺ちゃんも、同じ考えだって言ってた。僕の家族にとっては、僕を取り戻す絶好の口実。NERVにしてみれば、役立たずを切り捨てる大義名分になる。お互いに都合が良かったんだ」
 「・・・お兄ちゃんは・・・ここにいたくないの?」
 「本音を言えば、ここにいたいよ。でもね、どう考えても僕は足手まといにしかならないんだ。避難すら、僕一人ではできない。それが現実なんだよ」
 大切な仲間を置いて、一人安全な所へ去らなければならない。そして危険地帯には、二人の少女を置き去りにしていく。その苦痛は、少年の心を容赦なく蝕んでいた。
 「二人の面倒は、今まで通り琥珀お姉ちゃんが看てくれるって、秋葉お姉ちゃんが約束してくれたよ」
 「そんな事を心配してるんじゃない!アタシとレイはね!」
 激怒するアスカを、シンジが静かに抱きしめる。
 「たとえ離れても、僕は二人を忘れないよ。この戦いが終わって平和になったら、必ず会いに来る。約束するよ」
 緑と銀のヘテロクロミアで、シンジがじっと二人を見つめる。
 「レイは僕のただ一人の妹。戦いが終わったら、普通の兄妹として、一緒に暮らそう。普通に学校へ通って、普通に買い物を楽しんだりして、普通に喧嘩したりして、どこにでもいるような、普通に『お兄ちゃん』『レイ』って呼びあえるような兄妹になろう」
 コクンと頷くレイ。その真紅の瞳に、光る物が浮かんでいる。
 「アスカ。正直に言うけど、僕はアスカをどう想っているのか、自分でもよく分らないんだ。君は単なる友達なんかじゃない。親友や戦友という表現でも物足りない。個人的に好きなのは間違いないけど、それが愛しているという物なのか、よく分らないんだ」
 「・・・そっか、見えちゃったんだね・・・今さら隠すのも変だから、言うわ。アタシはアンタの事が好き。アタシの本当の気持ちよ」
 「アスカ、君に約束するよ。僕は自分を見つめ直す。その結果がどうなるのかは分らないけど、必ず君に、その結果を伝える。だから待ってほしい。本当に僕がアスカの事を愛しているのか、その事をはっきりさせるから」
 真剣なシンジの言葉に、アスカが呆然とする。そして慌てて口を開く。
 「同情なんか死んでもごめんよ!それにアンタにはあの人が・・・」
 「都古さんは初恋の人だし、憧れていたのは事実だよ。でも何というか・・・最近ではお姉ちゃん、って感覚しか感じられないんだよね。向こうも僕の事は弟としか認識してないし」
 「・・・いいわ、信じてあげる。でも、長くは待たないからね!」
 やっと見せたアスカの笑顔に、シンジは己の鼓動が激しくなったのを自覚していた。

 笑顔を取り戻した少女達が立ち去ると、それを見ていたかのように、秋葉が室内へと戻ってきた。
 「シンジ、もう一度訊くわ。本当に三咲町へ帰っても良いの?」
 「僕は足手まといでしかないんだよ。それが現実なんだ。もし僕がここに残るとするよね?そして僕の避難が間に合わなくて、戦闘に巻き込まれて死んだりしたら、レイとアスカは立ち直れなくなるよ」
 「こういう時ぐらい素直になりなさい。あなたは子供なの。たまには我儘の一つぐらい言ったって怒ったりしないわ」
 ベッドの傍らに無造作に置かれていた椅子に、静かに座る秋葉。
 「・・・残りたい・・・離れたくないよ・・・」
 「そうね」
 「初めて・・・初めて僕が自分で手に入れた、自分の居場所なんだ・・・なのに、どうして・・・どうして!」
 両の拳を振り上げ、全力で叩きつける。叩きつけられた先は、失われた両足。
 「悔しいよ・・・僕は・・・僕は欲しい物を手に入れちゃダメなの?」
 固く閉じられた両目から、光る物がポツポツと滴り落ちる。固く閉じられた口からは、押し殺した嗚咽が漏れる。
 「僕は、僕はこんな結末の為に強くなりたかった訳じゃない!」
 「・・・ごめんね、シンジ。それでも私は、姉としてあなたを連れ帰らないといけないの」
 黙ってコクンと頷くシンジ。
 「全てが終わったら、また会いに来ましょう。それぐらいなら、私にもしてあげられるから」
 その時、鼓膜を激しく叩く警戒音が病院中に鳴り響いた。
 ハッと顔を上げるシンジ。
 「お姉ちゃん!」
 「ダメよ!シンジ、あなたの気持は痛いほどわかる。でも、絶対にダメ!」
 「嫌だ!僕の妹が、僕を好きになってくれた女の子が戦ってるんだ!お姉ちゃん分かってよ!」
 姉の肩を掴み、必死に説得するシンジ。今のシンジは自力でケージまで行くことすらできないのだから、どうしても姉の協力は必要不可欠なのである。
 「・・・ダメよ、我慢しなさい。車椅子を取ってくるから、あなたはここにいなさい」
 すっと席を立ち、部屋から出ていく秋葉。その背中を悔しげに見つめていたシンジは、決断を下した。
 唯一、自由に動かせる右腕で、ベッドの端に近づく。掛け蒲団を床に放り投げると、その上へと転がり落ちた。
 蒲団をクッションにしたおかげで、特に怪我もなく、痛みも感じない。シンジは右腕一本で、匍匐前進を始めた。
 「待ってて、二人とも。僕も、今行くから」
 部屋のドアを開け、長尺シートの廊下に這い出る。人気の無い廊下を、シンジは懸命に前進していく。
距離にして僅か30mほどの所にある階段。そこまで辿り着くだけで、今のシンジは全力を尽くさねばならず、5分以上の時間をかけて、やっと辿り着いた。
「エレベーターさえ使えれば・・・」
今のシンジにはエレベーターの昇降スイッチを押す事すらできない。その為、移動手段は階段しかなかった。
その上、安全を気遣ってゆっくり移動していては、時間をかけすぎてしまう。覚悟を決めたシンジは、体を階段に対して平行にすると、そのまま転がり落ちようと―
「シンジ!」
車椅子を持ってきた姉の怒声に驚き、シンジはバランスを崩し、階段を転がり落ちていく。
想定以上のスピードで、踊り場の壁にぶつかるシンジ。苦痛のあまり、声もない。
「何をしてるの!」
「・・・僕は・・・僕はサードチルドレンなんだよ・・・お姉ちゃん、分かって」
抱き起そうとする秋葉の手を、シンジが痛みを堪えながら、そっと押し返す。
「僕には守りたいものがあるんだ・・・だから、お姉ちゃんが止めても、僕は戦う」
「シンジ!」
「お姉ちゃん、一生に一度の我儘だよ。僕を戦わせて。僕は守りたいんだ」
「そんなに守りたいの?」
「三咲町のみんなに、碇のお爺ちゃん。最初は、それだけだった。でも、ここへ来てから増えたんだ。トウジ、ケンスケ、委員長は僕の大事な友達だ。日向さんは『不幸な子供を増やさない為に、力を貸してほしい』と本音で頼んできてくれた。リツコさんは自分の立場が危なくなるのを承知の上で、レイの真実を教えてくれた。加持さんは僕の頼みを聞いて、危険な調査を引き受けてくれた。レイは僕をお兄ちゃんと慕ってくれる。そしてアスカは、こんな足手まといでしかない僕を好きだと言ってくれた」
右腕で体を起こし、下の階へと近づいていくシンジ。
「シンジ君。気持は分かるが、一人では間に合わないぞ?」
聞き覚えのある声に振り向くシンジ。階段を降りてきた人影は二人分。
「加持さん・・・それに葛城さん・・・」
「久しぶりね、二人とも」
真剣な表情のミサト。その横に立つ加持もいつになく真剣な表情であった。
「NERV本部特殊監査部部長、加持リョウジ一尉です。以前、三咲町へお邪魔して以来です、遠野会長。改めて、お願いがあります。サードチルドレン、いや遠野シンジ君をエヴァに搭乗させて下さい」
「・・・それが何を意味するのか、本当に理解しているんですか?」
絶対零度の冷たさを発揮する秋葉。怒りに反応し、髪の毛が深紅に染まる。やがて髪の毛の1本1本が、まるで蛇のように蠢きだす。
その異常な光景に不安を感じたミサトの前に、加持が立つ。
「あなたの事は聞いています。古来より三咲の地を守ってきた混血の末裔。その当代の盟主である、あなたの事は。あなたが怒るのも無理はない。だが、それでも俺は、あなたの弟に頼るしかないんだ」
加持がズイッと前に踏み出る。それを迎え撃つ秋葉の髪の毛は、すでに加持の背中にまで到達していた。
「理由を聞きましょうか」
「俺は俺の大切なものを守りたい。俺の後ろにいるミサトは恋人。赤城博士は大学時代からの友人だ。アスカはあいつが小さい頃からずっとボディガードとして守ってきた、妹のような存在だ。だが俺がどれだけ足掻いても、使徒には勝てない。人間相手なら、いくらでも戦えるが、使徒だけはシンジ君に頼らざるを得ない」
「つまり、自分の為に、弟を犠牲にする。そう言いたい訳ね?」
加持の四肢と首を、秋葉の髪の毛が縛りだす。
咄嗟に止めさせようとするミサトを、加持は右手で制した。
「言葉を言い繕っても意味はない。俺達大人が、子供を最前線に立たせているのは紛れもない事実だからな。今さら善人ぶるつもりはないんだ」
「・・・覚悟はできているでしょうね」
「待ちなさい!それなら私を殺しなさいよ!」
耐えられなくなり、飛び出すミサト。秋葉もミサトの事は、覚えていた。
「秋葉さん、今さらだけれど、殺すなら私を殺して!言い訳なんてしない、それは私が犯した罪だから。でも、私達にはシンジ君の協力が必要なの!」
「いいわ、それならまとめて殺してあげます。二人一緒なら、地獄に落ちても寂しくはないでしょうから」
全身から妖気を放ち始めた秋葉は、紅赤主としての姿を表に出していた。その威圧感に言葉もない二人。
「お姉ちゃん、やめて。僕は二人と一緒に行きたい」
「シンジ!?」
「お姉ちゃん、遠野シンジは遠野秋葉の弟なんだ。大切な人を守る為なら、命だって惜しくはない。その気持ち、お姉ちゃんなら分かるでしょ?兄さんを誰よりも大切に想っているお姉ちゃんなら」
弟の言葉に、秋葉の髪の毛が、元通り艶のある黒髪へと戻っていく。
「全く・・・痛い所を突いてくれるわね」
「その代り約束する。絶対に帰ってくるから、だから僕を信じて!」
弟の熱意に、秋葉は白旗を上げることしかできなかった。

発令所―
 「状況を報告しろ!」
 「第3新東京市から直線距離にして5キロの地点に、パターンブルーを確認!対象は以前進行中!」
 「市民の避難状況は?」
 「まだ避難が始まったばかりです!」
 マヤの悲鳴じみた報告に、激しく舌打ちする日向。そんな日向の後ろから、冬月が叫ぶ。
 「伊吹二尉!初号機はダミープラグで起動だ。すぐに起動させろ!」
 「ダミー挿入します」
 モニターにダミーを挿入される初号機の姿が映る。だが―
 ビーッ!
 けたたましい警告音。
 「だめです!初号機、ダミーを拒絶しています!」
 「ダミーを拒絶だと・・・ユイ君、君は・・・」
 冬月の顔に焦りが浮かぶ。そんな冬月を横目に、矢継ぎ早に指示を下す日向。
 「避難誘導に全力を尽くさせろ!警察や戦自にも協力を要請するんだ!零号機と弐号機は?」
 日向の言葉に、発令所が沈黙する。青葉もマヤも顔を下に向け、気まずそうにしている。
 「良い年をした大人が、何をしてるんですか!」
 発令所全体に轟いた一喝。その声の正体は、発令所へ駆けこんできたシエルであった。
 「子供を最前線に出すんですよ?せめて、無条件に信じてあげるぐらいの事はしてあげなさい!恥ずかしくないんですか!」
 「・・・シエル二尉の言う通りだ。零号機と弐号機の通信を」
 『聞こえてるわよ』
 口調だけなら不機嫌そうだが、どこか楽しげな雰囲気を持った返事はアスカである。隣のモニターに映ったレイは、無表情で発令所を見つめている。
 『アタシはNERVの為には戦いたくない。でも戦わなきゃ守れない物がある。だから戦うわ』
 『そうね、遠野君はもう二度と戦えない。自分の身を守る事もできない。だから私達が守ってあげるの』
 「・・・それでいい。君達は自分が守りたい物の為に戦ってくれればいいんだ。後始末は不出来な僕達で何とかする。だから・・・勝って戻ってくるんだ。みんなの所へ」
 コクンと頷く二人の少女。その両目に宿るのは憎悪ではなく、強い意志。その身を滾らせるのは怒りではなく、守るという誓い。
 「作戦を説明する。敵がジオフロントに侵入と同時に、2機で遠距離射撃。その後、弐号機は近接戦闘、零号機は支援射撃に徹するんだ。いいね?」
 『『了解』』
 「これよりジオフロント迎撃戦を開始する」

ジオフロント―
 「レイ、準備は良いわね」
 「ええ、大丈夫よ。私達の後ろにはお兄ちゃんがいる。絶対に負けられない!」
 2体の巨人は、ポジトロンライフルを構えて、使徒―第14使徒ゼルエルが進入してくるであろうポイントを見張っていた。
 『もうすぐ使徒が現れる。ジオフロント内部に入れてしまえば、地上の市民に被害が及ぶ確率は低くなる。二人とも、頼んだぞ』
 日向の言葉に、少女達が無言で頷く。
 『零号機シンクロ率78.4%に上昇、弐号機シンクロ率99.89%を維持。2機ともにコンディションはオールグリーン。S2機関も稼働しています。武装にも異常はありません!』
 やがてゆっくりと姿を現すゼルエル。同時に2体の巨人が陽電子の槍を解き放つ。
 「くたばれ!」
 「ここから先は行かせない」
 次々に突き刺さる陽電子の槍。下降速度を落とすゼルエル。その様子をチャンスと捉えたアスカが、愛機を全速で突撃させる。
 「行くわ!でりゃあああああ!」
 ポジトロンライフルをその場に捨て、横に突き刺してあったスマッシュホークを手に取り、空中から襲いかかる。
 速度と重力、更にエヴァの怪力を組み合わせた一撃は、ゼルエルの肉体をいとも容易く切り裂く。
 「このまま!キャアアアアア!」
 更なる一撃を入れようとする弐号機を、ゼルエルの加粒子砲が襲う。次の瞬間、アスカの左腕に激痛が走った。
 『弐号機左腕切断!左腕部のシンクロカットします!弐号機シンクロ率80.3%まで低下!』
 マヤが即座に判断しシンクロをカットする。おかげですぐに痛みは消えたものの、アスカの心に刻み込まれた屈辱までが消える訳ではない。
 「よくもやってくれたわね!10倍にして返してやる!」
 「落ち着いて、アスカ!ここは私が前に出るわ」
 零号機がプログナイフを構えて弐号機の隣に立つ。
 「冗談!この程度で負けてられないわよ!」
 隻腕となった弐号機がスマッシュホークを構えなおした。

NERV本部―
 3人分の足音が響く廊下。人気のない廊下は静まり返っているが、時折、ジオフロントでの戦闘の衝撃が、激しい揺れと轟音となって襲い掛かってくる。
 その中を、3人の大人が駆け足で移動していた。そして先頭を切って走る加持は、右腕1本で切り札である少年を抱きかかえていた。
 「シンジ君、大丈夫か?」
 「問題はありません。それより」
 不安そうに天井を見上げるシンジ。それが意味する物を理解できない者は、ここには存在しない。
 「大丈夫よ、アスカもレイも強いんだから」
 「そうだな。あの二人を倒せる奴なんて、酒を飲んでる時のお前ぐらいだろうよ」
 「加〜持〜?あんた、何を言いたいのかしら?」
不安を払拭しようと、敢えて軽口を叩き合う二人。そんな二人に、NERV職員ではない秋葉が、当然の疑問を口にする。
 「シンジ。エヴァンゲリオンに乗るのは良いとしても、操縦はどうするの?右腕一つでできるような物なの?」
 「問題ないよ。エヴァは僕が思った通りに動いてくれる存在だから・・・前に兄さんから聞いたけど、お姉ちゃんって『式神』って力を持っているんでしょ?それに近いんだ」
 険しい表情を作る秋葉。彼女が使う『式神』は、己と命を共有させる力。かつて、その力の対象となっていたのが、現在は夫である遠野志貴その人である。
 「エヴァには、人間が入っているんだよ。正確には、人間の魂がね」
 大人達の視線がシンジに集中する。
 「エヴァという巨大な生命体を操る為の生贄として、人間の魂が必要だったんだ。そして僕、アスカ、レイといったチルドレンは、その魂と意思を通じあい、エヴァを操縦する鍵でしかないんだよ」
 「・・・私は命を共有していたわ。あなたは意思を共有していると言う訳ね?それじゃあ、あなたのエヴァンゲリオンの中にいるのは、一体誰なの?」
 「碇ユイ。僕の実のお母さんだよ」
 決定的な言葉に、沈黙が場を支配する。
 「エヴァは母親が子供を守ろうとする、母子愛を基本理念とするシンクロシステムで動いているんだ。弐号機にはアスカのお母さんが入っているんだよ」
 「シンジ君。君がNERVを外道と言った理由は・・・」
 「そうだよ。僕達からお母さんを奪っただけじゃない。お母さんを戦闘の道具として使われているんだ。怒るのは当たり前だよ」
 唯一、自由になる右手から鮮血が滴り落ちる。皮膚を食い破るほどに握りしめられた拳には、それほどの怒りが込められていた。
 「確かに、お母さんは自分の意志でエヴァの起動実験にテストパイロットとして志願した。だからと言って、全てが正当化される訳じゃないんだ」
 
ジオフロント―
 弐号機の一撃必殺を狙った大振りの一撃と、零号機の素早く的確なプログナイフの攻撃を、ゼルエルは加粒子砲と、自身の持つ装甲の高さで凌いでいた。
 「こいつ、メンドクサイ奴ね!」
 再びスマッシュホークを叩きつける弐号機。だがゼルエルの加粒子砲がスマッシュホークの柄に直撃。爆音とともにスマッシュホークが砕け散る。
 舌打ちしつつ、距離をとりナイフを準備する弐号機。その隙をつかせまいと、レイが零号機を弐号機の前に立ち塞がらせる。
 止んでしまった2体の巨人の攻撃をチャンスと捉えたのかどうかは分らない。だがゼルエルは、両肩と思しき部分から、細かく折りたたまれた、白く薄い物を出してきた。
 キョトンとするアスカとレイ。次の瞬間―
 ザシュ!
 ゼルエルは剃刀のように鋭い、両手による一撃で、零号機の右肘を、弐号機の右肩を一瞬にして切断した。
 轟音とともに、大地へ転がる巨人の腕。
 フィードバックしてきた苦痛に、少女達は悲鳴を上げたくても、上げられない苦しさにプラグの中で苦痛に身をよじらせた。
 『二人とも、大丈夫か!』
 「こんなことで・・・!」
 「・・・発令所、至急、N2の準備を」
 レイの支援要請に、近くにあった兵装ビルからN2が姿を現す。それを瞬時に掴み取った零号機は、ゼルエル目がけて全力で突撃した。
 「アスカ!遠野君をお願い!」
 「止めなさい!レイ!」
 「大丈夫、私が死んでも代わりはいるもの」
 ATフィールドを中和しつつ、N2をゼルエルのコア目がけて突き出す零号機。だがその瞬間、ゼルエルの両目が激しく煌く。
 ほぼ零距離からの加粒子砲は、無防備だった零号機を直接叩き、その上、N2に誘爆していた。
 ジオフロントに超高温と爆風が吹き荒れる。
 やがて静まり返っていく炎と煙。その中から現れたのは、無傷なゼルエル。その足元には、全身の装甲を破壊され、無残な姿を晒す零号機が転がっていた。
 「レイ!よくも、レイを!」
 『いかん!弐号機のシンクロ全面カットだ!早く!』
 両腕を失った弐号機が自殺同然の突撃をすると判断するなり、日向はシンクロ全面カットを指示していた。
 再び疾るゼルエルの腕。切断される弐号機の首。
 『子供達は!』
 『生きてます!二人とも無事です!』
 発令所から聞こえてくる通信に、アスカは悔し涙を流していた。
 「ごめんね、シンジ。アタシ、アンタを守れなかった・・・」
 沈黙した2体の巨人を置き去りにし、ゼルエルは侵攻を再開した。

発令所―
 「全職員に緊急通達。ただちに本部より避難させるんだ」
 日向の指示に、青葉が無言で頷く。それが意味するものを、理解できない者は、この場にはいない。
 「シエル二尉、あなたも避難してください。ここで死ぬわけにはいかないでしょう?」
 「・・・みなさんは?」
 ジャコッと音を立てて、拳銃に弾丸を装填する日向と青葉。
 「少なくとも、俺達二人だけは、避難できないんですよ。俺達の願いを託した結果、シンジ君は足を失った。だったら、俺達も逃げる訳にはいかないんだ」
 青葉の言葉に、日向がニヤッと笑う。すでに本部を死地と定めた二人には、もうどんな言葉も届かない。
 「マヤちゃんと赤城博士も避難してください。それほど時間は残されていませんから」
 本部防衛に失敗という現実に、呆然とするマヤの頬を、リツコが叩く。
 「正気に戻った?マヤ」
 「・・・先輩・・・」
 「マヤ、上司としての命令よ。すぐに逃げなさい。いいわね?」
 リツコはマヤを退かすと、マヤが座っていた席に腰をおろした。
 「マヤの代わりが必要でしょう?慣れないけど代役ぐらいは勤められるわ」
 「赤城博士!?」
 「私も同じなのよ。子供たちに重荷を背負わせた罪は償わないといけない。私も逃げてはいけないのよ」
 煙草を取り出し、フウッと一息つく。
 「先輩が残るなら、私も!」
 「ダメよ。あなたは保安部と一緒にアスカとレイを保護に向かいなさい。いいわね?」
 任務という口実を使い、マヤを逃げさせるリツコの胸中を、全員が気づいていた。だがそれに異を唱える者は一人としていない。
 「・・・わかり・・・ました・・・」
 涙を堪えながら、発令所を後にするマヤ。その後ろ姿を見ながら、リツコが特大の紫煙を吐き出す。
 「赤城博士、ありがとうございます」
 「・・・お礼を言うぐらいなら、追いかけたらどうなの?青葉君」
 「まだ、間に合うぜ?シゲル」
 「できませんよ。子供たちを不幸にしておいて、大人だけがのうのうと幸せになれと?」
 青葉がマヤと恋仲である事を、リツコは知っていた。青葉の親友である日向も知っていた。
 本当なら青葉も避難させたかったのだが、青葉がそれを自分に許さない以上、二人がどれだけ説得しようとも意味はなかった。
 「そういえば、副司令は?」
 「副司令でしたら、先程、初号機の所へ向かうと言ってましたが」
 3人が振り向いた先には、シエルが立っていた。
 「どうして避難しないんですか!」
 「どうせインパクトが起きれば、どこにいたって同じでしょう?それなら確率は低くても、足掻くべきでしょうから」
 シエルの顔には、一片の諦めも浮かんではいなかった。そこにあるのは、生きようとする決意―
 「さて、それではジタバタ足掻きましょうか」
 どこか楽しげな雰囲気のシエルに、3人が首を傾げる。
 「先輩、救助については他の方に任せたので、オペレーター役を代わってもらっていいですか?」
 聞こえるはずの無い声に、振り向く3人。
 「伊吹二尉、チルドレンの救護隊長役を、保安部職員に委任してきました」
 「何で!」
 「シゲル、少しは私の気持ちも考えてよ。残される身にもなってみてよね」
 両目を赤く腫らした恋人の言葉に、青葉が長い髪を掻き毟りながら『俺の負けだよ、畜生!好きにしやがれ!』と叫んでいる。
 「どうです?そう簡単には死ねなくなったでしょう?でも、悪い気分じゃ無い筈です」
 「・・・否定はしませんけどね。でも、奴が来たら自爆する事に変わりは」
 「自爆は待って下さい。私の悪あがきが終わるまではね」
 シエルはそう言うと、身にまとっていたシスター服を脱ぎ始める。その下から出てきたのは、ノースリーブに近い紺色の戦闘服と十字架の手袋。そして露になった両腕には、天使の翼を模したのであろうと思われる、翼の刻印が施されていた。
 「久しぶりに本気で戦闘させてもらいますから、巻き込まれないようにして下さいね。それとこれから見る光景は、生涯、秘密にしてください。守れない人には、御仕置きしちゃいますからね」
 「シエルさん?」
 冗談めかした口調のシエルの両手に、3本ずつ黒鍵が音もなく現れる。
 時を同じくして、発令所を大きな揺れが襲う。正面モニターを突き破って姿を現したのは、零号機と弐号機を倒した、最強の使徒ゼルエル―
 「くらえ!」
 シエルが6本の黒鍵を咄嗟に放つ。同時に足もとから緑の雷光が走り、複雑な紋様―魔方陣を描いていく。
 火葬式典により爆炎に包まれたゼルエルは、視界を塞がれ動きを止める。
 その隙に新たな黒鍵を生み出したシエルは、床や壁を走る雷光の要所要所に、次々に黒鍵を突き立てていく。
 「う・・・あああああ!」
 発動の鍵となる魔力の一撃を、叩き込むシエル。即座に地面から天に向かって、特大の電撃が迸り、ゼルエルを飲み込んだ。
 (この奇襲が通じなかったら、負けだ!)
 魔術協会においては最高位の長老格に匹敵する魔術師であり、教会においては最高ランクに位置づけられる暗殺者は、己の力の全てをこの一撃に注ぎ込んでいた。

ケージ―
 「何故だ、何故、ダミーを受け入れないのだ、ユイ君」
 沈黙を続ける初号機を前に、冬月は一人、立ち尽くしていた。
 「やはり、シンジ君でなければダメなのか?君は・・・」
 「・・・その通りですよ、冬月副司令。母さんが動かない理由はただ一つ。あなた達の行動を認めていないからです」
 聞こえるはずのない声に、冬月が振り向く。そこにいたのは、シンジを抱えた加持と、ミサト、それに秋葉である。
 「・・・シンジ君、君は知っているのかね?」
 「ええ。あなたの思惑には気づいています。人類補完計画。その中核となるのが初号機とレイであることも。そして、それを母さんが認めていないことも」
 一介のパイロットにすぎないシンジが、何故、人類補完計画の事を知っているのか?その疑問を思いつけないほどに、冬月は打ちのめされた。
 「・・・道化は我々の方だった、という訳か。まさかユイ君に拒絶されていたとは思わなかったよ・・・」
 「人類補完計画が発動すれば、僕も命を落とす事になる。それを認める母さんではありません。反対するのが当然でしょう?」
 「・・・そうか。それならば仕方ないだろうな・・・」
 冬月が背を向け、ケージから立ち去ろうとする。その背中に、ミサトが声をかけた。
 「副司令は、これからどうなされるおつもりですか?」
 「正直、分らんよ。今までの人生その物を否定されたも同然だからな。だが、とりあえずは副司令としての責任を果たすつもりだ」
 静かに立ち去る冬月。その姿を見届けると、シンジは口を開いた。
 「母さん、力を貸して。僕の大切な人を、僕が守りたい者を守るために、母さんの力を貸して!僕は初めて自分で手に入れた居場所を、守りたいんだ!」
 その瞬間、初号機の双眸に光が灯った。

発令所―
 「・・・すごい・・・」
 目の前で繰り広げられる光景は、その一言に尽きていた。
 エヴァと同等の大きさをもち、なおかつATフィールドという絶対的な防御能力を持ち、更には零号機と弐号機を倒した最強の使徒―ゼルエルを、人間が一人で動きを封じ込めていたからである。
 それを行うシエルが、どんな素性の人間なのかは、発令所のメンバーも詳しい事は知らない。かろうじて魔術の存在を知るリツコでさえも、まさか人間が生身で使徒と正面切って戦うという光景は、全く想像していなかった。
 真下から湧き起る電撃の嵐に、ゼルエルは全く動きが取れない。その光景を見れば、彼らが勝利という希望を見出しても、誰も彼らを責められないだろう。
 「・・・みなさん、逃げてください」
 シエルがそう言った時、誰もが耳を疑った。
 「奇襲は失敗です!だから、逃げてください!」
 「シエルさん!?」
 「使徒の能力を甘く見ていました!私の持つ最大の破壊でも、あれを足止めするのが限界です!いえ、足止めも、もう持たない!あれは・・・電撃に対する耐性を身につけ始めています!」
 シエルの言葉通り、ゼルエルは僅かずつではあるが、前進を再開していた。同時に、その眼に光が灯る。
 悔しげにゼルエルを睨みつけるシエル。そのゼルエルが、何の前触れもなく、突然、消えた。同時に轟音が発令所中に響き渡る。
 「・・・初号機!」
 ゼルエルを床に押し付けているのは、NERVの切り札たる初号機であった。
 『みんな、無事ですか!』
 「シンジ君!?」
 聞こえるはずのない声に、日向が戸惑いの声を上げる。
 『こいつは僕が引き受けます!もう一度、力を貸せ!レリエル!』
 シンジの叫びが響く。同時にゼルエルの真下にディラックの海が出現。ゼルエルは初号機とともに虚数空間へと飲み込まれた。

第3新東京市、本部直上―
 愛機から救助されたアスカとレイは、地上へと退避していた。本部が戦場である以上、のこのこ戻るわけにもいかなかったからである。
 とは言っても、アスカやレイが自ら決断した訳ではない。自責の念にかられる少女達は救助にきた保安部員の指示に素直に従っただけであった。
 悔し涙を流し続ける少女達を前に、大人達は慰める言葉を持ち得なかった。少女達がどんな想いでエヴァに乗っていたのかを、誰もが知っていたからである。
 そんな時だった。
 「惣流!綾波!何でお前らがこんなとこにおるんや!」
 顔をあげた少女達の前には、ジャージ姿のトウジが立っていた。その傍にはヒカリやケンスケといった級友達がいた。
 「何で、あなた達が・・・」
 「ワシらも、まだ避難している最中なんや。今回はいきなりだったからな」
 「それより、何があったの!どうして二人が泣いてるのよ!」
 駆け寄るヒカリに、アスカとレイが縋りつく。
 「アタシ、守れなかった・・・絶対守ろうと思ったのに、守れなかった!」
 「遠野君・・・遠野君・・・」
 「遠野君に何かあったの!一体、何があったの!」
 ヒカリの叫びに、少女達は泣きながら真実を告げた。その苛酷極まる現実に、級友達もかけるべき言葉がない。
 沈黙が場を支配する。その時だった。
 「お、おい!あれは何だ!」
 ケンスケの叫びに、全員の視線が集まる。指さした先―上空には、直径50メートルほどの真っ黒い円が出現していた。
 「あれは・・・ディラックの海!?どうして!」
 驚愕するアスカ。だがそれだけでは収まらない。
 ディラックの海から、ゼルエルが出現する。そのゼルエルを真上から押さえつけるように現れたのは、初号機。
 「初号機!?まさか!」
 「そんな!シンジは、もう戦える体じゃないのよ!」
 上空から出現した初号機は、ゼルエルとともに落下を始めた。

 最初に戦場を支配したのは轟音だった。
 続いて、激震が大地を激しく揺るがし、人間達を思う存分弄ぶかのように、激しい揺れで翻弄する。
 外部スピーカーがONになったままの初号機から、シンジの叫び声が響いていた。
 『力を貸せ!サキエル!』
 ゼルエルを大地に押し付けた初号機は、右手に光の槍を出現させ、その切っ先を幾度も突き立てる。そのたびにゼルエルの体から、真紅の鮮血が迸る。
 その衝撃に、再び激しい揺れが大地を襲う。
 「キャアアア!」
 振動に耐えられなくなった兵装ビルが、崩壊を始める。その瓦礫は、無情にも子供達の頭上へ降りかかる。
 誰もが死を覚悟したが、結局、死が彼らを襲うことはなかった。
 「危なかったわね。怪我が無いようで安心したわ」
 「「秋葉さん!シエルさん!」」
 子供達の命を救ったのは、その黒髪を真紅に染め上げた秋葉と、黒鍵を手にしたシエルであった。秋葉は髪の毛を周囲一帯に伸ばし、瓦礫を弾き飛ばすほどの結界を作り上げて子供たちを守り、シエルは結界でも守れそうにない特に大きな瓦礫を、黒鍵で狙い撃ちにしていた。
 「レイ!アスカ!」
 続いて駆け寄ってきたのは、発令所から飛び出してきたリツコ達である。正面モニターも破壊された以上、本部にいたところで何も力になれないと考え、地上へ出てきたのであった。
 『力を貸せ!ラミエル!』
 彼女達がホッとしたのも束の間。ゼルエル相手にマウントポジションを取っていた初号機が、その最大の破壊の力を解放する。
 零距離から放たれる加粒子砲は、ゼルエルの体を次々に抉っていく。同時に、加粒子砲による破壊の力が、更なる巨大な振動となって、第3新東京市に襲いかかっていた。
 「このままじゃ、先に街が潰れちゃうわよ!」
 アスカの悲鳴に、マヤが慌ててノートパソコンを開き、初号機と通信を開く。
 「シンジ君!落ち着いて!このままじゃ、みんな戦闘に巻き込まれて死んじゃうわ!郊外へ誘導して!」
 シンジを落ち着かせたのは、マヤの要請ではなかった。マヤの後ろに立つ、2人の少女の無事が、少年に冷静さを取り戻させていた。
 『アスカ!レイ!』
 「シンジ!」
 「遠野君!」
 急速に冷静さを取り戻すシンジ。初号機の動きが、一瞬だけ止まる。
 そこを待っていたかのように、ゼルエルが反撃の加粒子砲を放つ。
 『グアアアアッ!』
 右肘から先を切断される初号機。苦痛のあまり、シンジの絶叫が響く。
 「初号機、シンクロ率184.2%に低下!フィードバックによりシンジ君の右腕が切断されました!」
 マヤの報告に、大人達が蒼白となる。シンクロ率100%越えの代償は、完全なフィードバック。
 『マヤさん!LCLの圧縮濃度を限界まで引き上げて!』
 「シンジ君!?」
 『早く!今の僕は止血できないんだ!』
 シンジの指摘に、咄嗟にリツコが行動を起こす。濃度を上げたところで、完全に止血などできる訳ではない。時間を延ばすのが関の山である。
 その間も、初号機は戦闘を続けていた。倒れこんでいたゼルエルを残った左腕で持ち上げると、全力で蹴り飛ばす。
 空中を真横に飛んでいくゼルエル。そのあとを追いかけるかのように、初号機の加粒子砲がはしり、ゼルエルを爆炎に飲み込んでいく。
 「初号機シンクロ率上昇開始!203・・・220・・・253・・・変です、上昇が止まりません!」
 『力を貸せ!レリエル!シャムシエル!』
 足もとに出現させたディラックの海に飛び込む初号機。次に初号機が現れたのは、吹き飛んでいたゼルエルの背後であった。
 初号機は失われた右肘から、シャムシエルの光の鞭を作りだすと、息もつかせぬほどの連続攻撃を仕掛ける。
 「初号機シンクロ率290・・・310・・・330%突破!上昇、止まりません!」
 「マヤ!シンクロカット!早く!」
 「・・・駄目です!反応ありません!」
 背後から切り刻まれるゼルエル。だがゼルエルも無抵抗なままではない。
 零号機と弐号機を切断した、剃刀のような鋭さを秘めた両手を持ち上げる。
 「逃げて!」
 アスカの叫びは、シンジには届かなかった。
 ゼルエルの放った一撃は、初号機の胸部装甲を破壊し、その素体に突き刺さっていた。
 人間の心臓に位置する部分に。
 『・・・そっか・・・未来、変えられなかったな・・・』
 その呟きに、アスカとレイは悲鳴を上げた。

初号機エントリープラグ内部―
 最初に来たのは激痛だった。続いて、喉の中をマグマのような、灼熱の熱さが凄まじい速さで駆け上がってきた。
 口から噴き出た鮮血は、あまりにも多すぎた。その勢いは止まる気配など微塵もなく、瞬く間に少年の命を奪い去っていく。
 『初号機胸部破損!シンジ君の生体反応に異常発生!心音停止しました!』
 マヤの叫びを、シンジは正確に理解していた。
 「・・・そっか・・・未来、変えられなかったな・・・」
 絶対の力による死。それがシンジの視た未来。
 「せっかく頑張ったのに・・・何で、こうなっちゃったんだろう・・・」
 倒れこむ初号機に、ゼルエルが報復とばかりに反撃を仕掛ける。
 胸部装甲を破壊された初号機は、成すすべもなく蹂躙されていく。
 「ごめん・・・守れなかった・・・」
 どんどん意識が薄れていく。気力が断たれ、出血多量に追い込まれ、そのうえ心臓をフィードバックで失ったのだ。今までもったのが不思議なのである。
 シンジの脳裏を走馬灯が掠めていく。
 三咲町で帰りを待っている家族。
 同じクラスの生徒達。
 仲の良い友人達。
 自分に希望を託した大人達。
 『遠野君』
 『シンジ』
蒼と紅の二人の少女。

 「・・・いやだ・・・死にた・・・くな・・・い・・・」

 『初号機のシンクロ率上昇再開!375%まで上昇!いえ、上昇止まりません!』

 「ま・・・だ・・・守り・・・たい・・・人・・・」

 『シンクロ率394.5%!』
  
 「おかあ・・・さん・・・たす・・・けて・・・」

 『初号機シンクロ率400%突破しました!』
 
 初号機の顎部ジョイントが、大きな音を立てて砕け散った。

 ウオオオオオオオオオオオオッ!
 咆哮とともに、立ち上がる初号機。その上半身は見るも無残な姿を晒している。
 だがゼルエルの剃刀のような両腕を、初号機は無造作に受け止める。
 同時に、ゼルエルの両腕に血管のようなものが浮き上がっていく。
 「初号機・・・再起動・・・シンクロ率・・・計測不能・・・」
 淡々と告げる事しかできないマヤ。
 「まさか、初号機が使徒を侵食しているというのか!?」
 驚愕する日向。
 「初号機、素体胸部及び右腕復元開始しました!」
 絶叫する青葉。
 「いくら遺伝子が同じとはいっても、そんな真似が・・・」
 呆然とするリツコ。
 ウオオオオオオオオオオオオオオッ!
 ゼルエルを蹴り飛ばす初号機。その威力の大きさに、ゼルエルの両腕がブチブチっと音をたてて引き千切られていく。
 両腕を失ったお返しとばかりに、加粒子砲で反撃に転じるゼルエル。光が煌くと同時に爆発が生じる。
 だが爆炎の中から姿を現した初号機は、傷一つない無傷のままであった。
 その初号機が右腕を振り上げ―振り下ろす。
 放たれたATフィールドが、ゼルエルの肉体を袈裟がけに真っ二つに切り裂く。
 崩れ落ちたゼルエルに、初号機が獣のように駆け寄る。最後の反撃をゼルエルが試みるが、初号機のトドメの前に沈黙する。
 そして―
 ブチッ、ブチブチブチッ・・・
 「しょ、初号機が・・・」
 「使徒を・・・食ってる・・・」
 その光景に、嘔吐を堪えるマヤ。だが誰もがマヤを気遣えないほどに、その光景はショッキングな物であった。
 やがて食事を終える初号機。その両腕を拘束していた、装甲板という名の拘束具が弾け飛んだ。



To be continued...
(2010.09.25 初版)


(あとがき)

 紫雲です。今回もお読み下さり、ありがとうございます。
 今回のテーマは2つ。1つはゼルエルをどこまで強くできるか?という物です。遠野物語の場合、エヴァは3機ともS2機関所持、その上、初号機と弐号機はシンクロ率が非常に高い。そうなるとゼルエルも半端な強さでは対抗できないんですよね。結局、弐号機と零号機を蹴散らし、あまつさえ初号機すらも実力で倒せるほどの攻撃力を両腕に持たせてみました。初号機の猛攻にも沈まないほどのタフネスも合わせれば、かなり強くできたんではないだろうか?と考えてます。
 2つ目はシンジです。レリエル・バルディエルを上回る不幸。これを考えた時、出た結論は『よし、殺そう』でしたw
 結果としてシンジ君、心臓が吹っ飛んでますw恐るべきはフィードバック。こんな機体には乗りたくないですねw
 次回ですが、サルベージ編となります。シンジの不幸については、このサルベージ編が最高潮になる予定です。是非、次回もよろしくお願い致します。

 追伸:番外編2はサルベージ編終了後になります。もう少しお待ちください。



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