第一章
第二話 絶望を希望に
presented by SHOW2様
紅い革の本。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
……その本の羊皮紙に、誰か…いや”何か”が描いている。
そう思わざるを得ないほど、
迷いのない達筆というよりも、どこか機械的な、まるでプリンターを思わせる正確さ。
シンジは、その様子を”じー”と見詰めることしかできなかった。
(何だろう、この模様? …いや、図? …こ、これは!)
彼に注目されているその羊皮紙は、凄まじい勢いで文様を描いている。
……宗教家でなら知っているかもしれないその図は、”セフィロトの樹”だった。
子供の手の平にはちょっと大き目の、文庫本サイズの羊皮紙の片面に、
今は動く場所すらない、というほど見事に踊る黒いインクが占領していた。
その”進化の樹”を描き切ると、全てのインクは”サッ”と、一瞬にして消えてしまった。
……次は何が起こるのか?
という期待に満ちた面持ちで見ていると、浮かび上がってきた文字は、
”提供……Powerd By Shinji With Lilith♪”
ソレを見たシンジは、ズッコケるように、本に突っ伏してしまった。
……CMなの?
(……ちょっと、おぉ〜い。)
最早シンジにとって自在に変化するインクが踊る羊皮紙に、一遍の違和感も持ち得ないほど、
神秘的に綺麗な紅い本に感じる、その”モノ”。
「……り、リリスぅ。」
ため息の言葉が子供の口から漏れる。
……とても自然なやり取りである。
そんな羊皮紙の上で踊るインクに乗せた”意思”は、今までの閉じた空間から解き放たれたような、
躍動感あふれる感情を如実に表し、自分の主人に問うた。
『お…っそぉおいぃ!!! …いつまで待たせるかなぁ? まったくぅ!
このままどっかに捨てられるかと思ったよぅ!? ホントにぃ〜。』
「う…ご、ゴメン。」
……その剣幕に思わず本に謝るシンジ。
しかし、残念ながら男の子の声は小さすぎるのか? この本には、ぜんぜん聞こえていないようだ。
『…う? あ、あれぇ? あれあれ? なにかなぁ? コレって、いわゆる無視ってヤツですか?
むっ…かぁ〜! なにぉ、しんちゃんのいけずぅ!
はいはい、はぁ〜い! せぇんせぇ〜い! しんちゃんが無視していまぁ〜す!』
どうやら耳がない、というよりこの本に音声認識機能は無いようだ。
しかし、シンジはその本の様子を真剣に見て、そして考えた。
(…え、聞こえない? って、そうだよ! だから僕だって書いてみようとしたんじゃないか…)
太めの蒼い万年筆を握り直したシンジは、恐る恐るその羊皮紙に自分の存在を教えようと、構えた。
しかし、眼下のインクは、そんな周りの世界なんて関係ありません…というように、
羊皮紙の上を元気に動き回っている。
……果たして、どうすれば彼女とコミュニケーションが取れるのか?
シンジは無意識に、その紙の上を踊っているインクの動きを止めるように、
幼女の意思に触るように指で押さえながら、
『ど、どうすればいいのさ? あの…リリス、だよね?』
…と、考えていると。
『ん? いやん、しんちゃん。 …ノゾキしちゃダメよぉ♪ ……って、あれ?』
何日、何時間か、聞いていなかった主人の思考に反応したリリス。
……その紙の上に、文字で表現しているだけなのに、まったく変わらない騒々しさ…いや、愛らしさ。
『……あ! ぼ、僕が、判る?』
『うん、モチロン判るよ、しんちゃん♪』
……彼らは、やっとコミュニケーションが成立したようである。
『…よかった。 キミは無事だったんだ。 …もう、誰もいない世界に来てしまったのかと思ったよ。』
『うふふ、あれ〜? もしかして寂しかった? 大丈夫だよ?
私は、しんちゃんに”創られたモノ”だから…勝手にいなくなるって言うことは絶対ないからね♪』
その文字を見たシンジの肩が”ピクンっ”と動いた。
そして、今までのやり取りが嘘のような、真剣な眼差しを本に向けて言う。
『…あのね、リリス。…お願いがあるんだ。』
『にゃ?』
『これから2度と、自分の事を、”創られたモノ”って言わない、思わないでほしいんだ。』
『ふぇ??』
……羊皮紙いっぱいに描かれるクエスチョンマーク。
せっかく自分が何度も説明しているのに、主は因果律を理解していないのか?
創られたモノは、”主”に対して絶対であると。
そんな本が描いている”?マーク”の意味を正確に理解しているシンジは、小さな女の子に語りかけた。
『僕はね、何もキミを支配したくて、その姿にしたわけじゃないんだよ?
キミは、キミなんだ。 …だからキミは自由であるべきだ。』
『っ!! …あ、ぁ……ありがとう。
わかったわ、しんちゃん。 私、二度とそんなこと思わないようにするし、言わないわ。』
『うん、そうだよ。 僕はキミと友達でいたいんだからね。 …ね?』
温かく染み渡る優しい本心からの言葉。 リリスは彼の心から感じる波動に感動し、歓喜に打ち震える。
普段のやり取りでは、あまり……というか全然感じることは不可能というものだが、
彼女はシンジに対して、一応、絶対的なモノを持って接していた。
……それが何と主人は、対等に接しろと言っている。
上・下という関係は望んでいない、いやだと。
それが命令なら”有無”なく従えるが、これは自分の意思を尊重した”お願い”である。
……自分の判断に、彼は真剣に耳を傾けてくれている。
それを感じた彼女の心の裡から、絶大な喜びが止め処なく湧き出てくる。
それでも。 リリスは、彼に確認するように聞いてしまった。
『…し、しんちゃん。あなたは、私の造物主なのよ?
やっぱり、対等に接することはできない…かも、だよ。』
男の子は、”ふるふる”と柔らかくかぶりを振った。
『だめだよ。 …キミは、キミであるべきなんだ。 僕と対等なパートナー、仲間であるべきだ。』
もし、リリスに心臓があれば、その鼓動は早鐘を打っていただろう。
『ッ! え!? いいの? 私の…好きにしても?』
『うん、もちろん!』
男の子の満面の笑顔。 それを見たリリスの意識は、ついにバットで打たれたように”ガツン”と弾けた。
……それは、リリスを縛る主従という”枷”からの解放だった。
まぁ…そんなものは、最初から何もなかったような気もするが。
しばらくして解放の余韻から復活した幼女は真剣に悩みだす。
『…むぅ、ぅう。 ぱ、パートナーだもんね。 …こ、これは色々考えないと、だね。
しんちゃんのパートナー・・・伴侶? ”アッ!”そう、そうなんだね。 …そういうことだったんだね。
そう、あれがプロポーズってヤツだったのね? でも…でもお返事は、まだ早いような気もするよぉ。』
シンジは、”いやんいやん”と踊り狂っているその黒インクに嫌な予感、というか文面を見た。
『へ? …あ、あの。』
主人を無視した幼女の妄想は止まらない。
『…そうね、しんちゃんの望みを叶えるの。 コレは絶対なのぉ♪ だからモチロンOKのお返事をするわ。
う〜ん、でも…このままの私でいいの? いえ…ダメ!! よし! これから花嫁修業にしなくちゃ。』
『…ちょっと、待ったぁ!』
シンジは羊皮紙に出てきた文字を読むと、それを消すように左手の親指で必死に”ゴシゴシ”と擦った。
『…う?』
男の子は、やっとこちらの世界に戻ってきた幼女に言い聞かせるように言った。
『…リリス、あのね? 僕はキミと友達でいたいんだよ? 僕の言っていること分かるよね?』
『そうね、そうだよねぇ。 ゴメンなさい。 てへへ…焦っちゃダメだよね。 …順番は大事だもんね。
やっぱり最初はお友達から、だよねぇ〜♪』
物凄く嬉しそうな波動が紅い本から溢れてくる。
『いや…最初は、というか。 ハッキリ言っておくけど…僕の花嫁は、綾波レイ”彼女”以外にいないよ?』
……リリスの初恋は、モノの数秒で撃破され轟沈したようだ。
『…ぅ、あ! あ、そっか。 そうだねぇ。 …ライバルがいないと面白くないもんねぇ。』
リリスは、”うんうん”と理解の波動だった。
『いや、これは宇宙のルールというか。 …僕の絶対的な気持ちなんだけど。』
『あぅ。 …しんちゃんたら、そんなに照れなくてもいいよ♪
わたしは、障害が大きいほど燃えるタイプだと思うし♪
…ぉ、お話的にもその方が盛り上がるしぃ♪
もう♪ …さすがだねぇ。 しんちゃんたら、色々考えが…ふ・か・い♪』
……めげない、諦めない、その心意気はたいしたものである。
『……ふぅ〜』
先に折れたのは、主人の方だった。
しかし、この手の”誤解”はしっかりと解いておかぬと後々大変なことになる。
恋愛経験値不足で未だレベル1という勇者シンジに、そういう事が解からぬのは当然のことか。
『わたし、がんばるから♪』
『はぁ。 …そ、それよりも。』
”…カチャ”
「…しんちゃん? 起きている?」
助け舟になるのか、母親が部屋に入ってきた。
シンジは、反射的に本を”パタン”と閉じると、右手に持っていた万年筆をキャップにしまった。
「か、母さん。 何?」
「しんちゃん、お父さんに書くものを借りたのね。
お父さんが、何だかシンジは退屈しているようだって言うから、
小さいけれど、このテレビを持ってきたのよ。」
彼女を見ると、左手に持っているのは携帯型の小さなアンテナの付いた箱だった。
母親は、それをシンジの目の前に持ってきて、机に置くと適当にセッティングを始める。
「う〜んと、よし、と。 …あ、あら? ……意外と映りがよくないわねぇ。
…こっちのほうかしら?」
ユイは、7インチ位の画面をシンジの見えやすそうな角度にすると、
アンテナを伸ばし”くるくる”と回した。
シンジは、この時代の情報が手に入ると内心では喜び、
そういった考えが今まで浮かばなかった自分に…ちょっと情けなくなってしまった。
「うん♪ …これでよし。」
画面の映りに満足したのか、ユイは納得顔でシンジに言った。
「…あ、ありがとう、母さん。」
「なに言っているのよ、しんちゃん。
……でも、ありがとうだなんて…う〜ん。 なにか、急にお兄ちゃんになっちゃったみたいねぇ。」
ユイは不思議そうな顔をしている。 …シンジは、現在、3歳児である時代だ。
……まぁ、精神年齢は15歳だが。
(ぅう…まずい。)
「そ、そうかな? そんな事はないと思うけど。 …あ、あの、母さん、僕は、何時までココに居るの?」
誤魔化すような質問だったが、それはユイの心の裡に、的確にヒットした。
「え? あぁ…し、しんちゃんの身体については、まだ、色々調べている最中なのよ。
もちろん、ちゃんとお母さんが治してあげるから、何も心配しないでね?
ちょっと退屈かもしれないけれど、お体が良くなるまで、もう少し我慢してね…」
ユイは、その微笑みに少しの”申し訳なさそうな影”を落として息子に言った。
「そう。 …うん、分かったよ、母さん。 僕、テレビ見ているね。」
シンジは、何やら映っていたその画面に目を向け、音のボリュームを若干上げる。
「何か、必要なモノがあったら、隣の部屋に来てちょうだいな。
お父さんと、お母さんもいるから。」
「うん。」
シンジはユイに頷き、満面の日の光がこぼれるような温かい微笑みを浮かべた。
(………ぅ。)
子供を支えようと、いろいろ言葉を探していたユイは、その子の表情を見ると、
まるで何も心配は要らないと言われたような気がして、
我知らずと目頭が熱くなり…慌てて部屋から出て行ってしまった。
因果律のルール。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
さて、暫くテレビを”ぼ〜”と見ていたシンジは、何かを忘れているような気がして、周りを見た。
……白い部屋に目立つようにあるのは、やはり、綺麗な紅い革の本。
(ぅ! …リリスを忘れていたよ。)
シンジは、恐る恐ると本に手を伸ばす。
この部屋には、女の子の楽しげな声がテレビから聞こえている。
そのテレビの電源が入ってから既に1時間ほど時間が経っていた。
『り、リリス?』
『…なぁ〜んか、よお?』
……予想どおり、幼女は思い切り不機嫌だった。
『あ、あの。』
『しんちゃん、今まで何をしていたのかなぁ? いきなり、何にもナシの音信不通って、どぉぅいう事?
なになに? もぅ、釣った魚にエサはあげないよって事? ひっどぃの! この女の子の敵ぃ!!!』
『ち、違うよ! …って、何言ってんのさ? 母さんが来たから、慌てて本を閉じちゃっただけだよ?』
『へぇ〜…ずいぶんとお話長いのねぇ?』
『あぅ。 …いや、この時代の情報が欲しくてね。 ちょっと、テレビを見ていたんだ。』
更に責めるはずであろう紅い本は、テレビを”見る”という言葉に、ふと気が付いて話題を変えた。
『う? そういえば、トンネルの時まで私は普通に喋れたし、
しんちゃんの声も聞こえたのに、何で今は出来ないんだろう?』
そんな文字にシンジも自身の変化を考え、思った。
『そうなんだ。…僕も{言 霊}使えないんだ。…それに、綾波がいない。
逆行してきた方法が悪かったのかな?』
リリスは、考え中というように羊皮紙のインクをゆっくりと時計回りに動かして円を描いている。
……処理中?
『…う〜ん。 やっぱり因果律が原因だと思うよ? うん。
レイちゃんが離れた時間ってば、確か…しんちゃんが小学校3年生の9歳の時だよね?』
『…うん、そうだね。』
『それってね。 レイちゃんの自我が生まれた時だよ。 多分、心の芽生えた時。
魂が、心が生まれたその瞬間以上逆行しようとした時、先代の因果律に触れたのね。』
『魂の存在しない時間には、戻れないって事?
…生まれより、以前には戻れない…だから、僕も体が小さい?』
『う〜ん。…そう、なるのかねぇ。
過去に行く”逆行”というより、時間の巻き戻しに近いかも、だね。
…でも、巻き戻した時間に対して、心はそのままなんだね。 …つまり、精神の時間は戻っていない。』
『そうだね、知識も記憶もちゃんとあるよ。』
シンジは、紅い本に描かれる字を読み終える度に、ゆっくりとページを捲っていく。
……その姿は、普通に本を読んでいる子供にしか見えない。
『僕の、力の消失の原因はなんだろう?』
『…それこそ、しんちゃん…自分で唱えた{言 霊}のせいだと思うよ?
レイちゃんは因果律に触れて、2010年までしか逆行する事ができなかった。
けれど、しんちゃんの力で{ずっと共に、一緒に居る}って唱えたから、無理やりに時を遡ろうとした。
魂の消滅する、巻き戻りのカウントゼロの瞬間に、
今度は{力は全てレイのため}って唱えた、レイちゃんを護る{言 霊}の力が彼女の魂を保護する為に、
しんちゃんの中からレイちゃんと一緒に離れちゃったんだよ。
私は、しんちゃんに創られたから、その影響を受けて力が減少したのね。
…だって、因果律はしんちゃん由来だし。
あの時、”しんちゃんの為の意識体で、手に在れ”って言ったわ。
だから、私の自我は存在しているし、こうやって一応コミュニケーション取れてるの。』
『う〜ん、もっと調べてから、戻ればよかったな。 …綾波は平気なのかな? 大丈夫かな?』
シンジは、どうやってレイを取り戻すか考え始める。
『それは絶対に大丈夫だよ! …だって、しんちゃんの力で護られているんだもん。
…ただ、どういう状態か…分からないけどねぇ。
この2004年の世界の、どこかにたどり着いたのか?
それとも、2010年の離れた時間の世界にいるのか?
または、出口の閉じた”ディラックの海”にいるのか?
次元をずらしたり、変えたりしていないから、時間軸は同じだと思うけど…確かめようがないよ。
う〜ん、困ったねぇ。』
『いや、リリス。 …多分、ディラックの海だね。
…反次元からこっちに出るには、綾波の力じゃ出られないし、僕の力は、僕じゃなきゃ使えない。』
「…はぁ、これからどうしよっか?」
シンジは、無意識に口に出して呟いた。
リリスは、インクに触れるシンジの僅かに変わった心の波動で、思考から喋りに変わったのを感じ取った。
『やっぱり、目と耳がないのは不便な感じだねぇ。 う〜ん、よし! とりあえず描いてみよう!』
そう言うと、シンジがボンヤリと眺めていた羊皮紙の開いているページに、
写真と見まがうほどリアルな”眼球”と”耳”が左右それぞれのページに現れた。
「ッ! ど、どぁ! な、なにやってんの?」
『ぅ?…え、えと。何って、目と耳だよ? 分かんないかなぁ?
って…ぉ、およ? やったよ! しんちゃんが見える! 声も聞こえる!!
やっぱり、成せば成るねぇ! ……うんうん。』
……ハッキリ言ってグロテスクもいいところだ。 …なぜ眼球に脈動する血管までリアルに描く?
「ぅ、リリス? …あのさ、お願いがあるんだけど。」
『なになに? しんちゃんのお願いなら何でもオッケ〜よっ♪
このお姉さんに何して欲しいのかなぁ? …あ、わかった! この愛らしい声が聞こえなくて寂しいのね!
今度は”口”を描いてぇ! とか!? 私、がんばるから何でも言ってね♪』
……幼女は、愛する主人を見ることが出来てテンションも面白可笑しく駆け上がっていく。
「で、できればさ、その…もうちょっと可愛くっていうか。 …デフォルメして欲しいというか。」
……主人はパーツで描くなよって、そう言いたいみたいだ。
『…う?』
幼女は、予想と違うお願いに少し反応が遅れる。
「できれば、アニメとか漫画みたいにしてくれると嬉しいんだけど。」
『う〜ん、分かったぁ。 …やってみるよ。 がんばらないと、だね。 …ぅ、ふん!!!』
……変な気合いを込める文章、なかなかシュールだ。
そして、紅い世界で見た女の子が現れる。
登場当初というのか…羊皮紙に現れた時は、漫画のように静止画の更新というべきか、
動きがぎこちなかったが、しばらくの練習した成果なのか、気合か、根性か。
……5分も経つとテレビアニメよろしくの速度で動き始める。
平面には変わりないが、かなり自由な感じだ。
『やっほ〜♪』
”ぶっるるぅぅ♪”と紙が振るえまくる。
その紅い本は、ついに発声にチャレンジし始めた。
しかし、主人にとっては、その震える振動が持つ手に不連続に伝わって、とても気持ち悪かった。
「…う、持ちづらいから、音声は禁止の方向でお願いしたいな。
吹き出しみたいなので十分だから。」
『…ぅう、だめぇ?』
「吹き出しの方が、色々都合がいいよ? その、本読んでいるだけみたいだし。
本に向かって喋っていたら、周りから変な目で見られると思うし。
突然、他の人に見られたら、何かの研究材料になっちゃうよ?」
『ぅ、了解。 …でもでも、じゃあ、いつも読書するステキなしんちゃんになってくれるんだよね?』
「…そ、そうだね、なるべく見るようにするよ。」
『う、うれしい♪ 世界で二人っきりの秘密ぅ。 これは燃えるねぇ。
そうだ、役立つようにメモとか、何でもできるように…私、頑張るから!
…目指せ! 最強の手帳! ね? …うん!』
羊皮紙の左のページには、ご機嫌な様子で”くるくる”と愛らしく回っている幼女がいる。
……最強アナログPDA誕生か?
そんな紅い本の幼女リリスが、突然ページ側に寄ってきて真剣な懇願の顔で言った。
『あのね、お願いがあるの。』
その必死な様子にシンジも自然と顔が真剣になる。
「ん、どうしたの?」
『白黒のままじゃ、イヤなの。 しんちゃん、お願い! …時代はカラーなの。』
「? つまり、他の色のインクを持って来いと?」
「うん♪」
「…分かったけど、どんなインクでもいいのかな? 油性でも、水性でも?」
「う〜…たぶん、平気。 …けど、顔料とかの方がいいかもよ?」
「よし、隣にいる父さんか、母さんに言ってくるから、おとなしく待っていてね?」
シンジは、本を閉じると隣の所長室に向かった。
その部屋には、先程と変わらず執務用の机に父ゲンドウがいたが、見渡してみても母ユイの姿はなかった。
「父さん、あの、母さんは?」
「……………………」
(…無視?)
「ねぇ、父さん? …ふぅ。 …………パ、パパ?」
「む、なんだ、シンジ?」
「…はぁ。 …あの、ママはどこ?」
とても恥ずかしかったのか、シンジの顔は赤くなっていたが、
彼の父、ゲンドウは物凄く満足そうな感じで、口の端を上げるように、”ニヤリ”と笑った。
「フッ…ママは、ちょっとお仕事をしているのでここには居ない。
それよりも何か用か? …パパに言ってごらん。 …うん?
パパは何でもできるぞ? 遠慮は要らん。 …ほれ、なんだ?」
ゲンドウは自分の”ポイント”を上げたいのか? …なんだか必死な様子だ。
「あのね、さっき借りた色は黒だったから、今度は違う色が欲しいんだ。」
「む? クレヨンとか、色鉛筆が欲しいのか?」
「…う〜ん。 できれば顔料とか、インクの方がうれしいな。」
「が、顔料? シンジ、随分難しい言葉を知っているのだな…」
(うぁ! しまった! 僕って小さいんだった。)
「あ、えと、その。 …う〜ん。 パパ、やっぱりママに頼むよ。 …うん、パパ忙しいみたいだし。」
……少し目を泳がせた子供は、そう言うと”クルッ”と回って出入り口に歩いていく。
「む!! ぅ、か、構わん。 ”パパ”が今持って来てあげるから、部屋で待っていなさい。
…ほ、ほらっ…何色がいいのだ? ん?」
……何か焦るような父の声に、息子が再び身体を回転させる。
(え〜と、基本色でいいハズだから、CMYK…黒はさっきので良いから、要らないな。)
「え、と、シアンとマゼンダ…ん〜と…後は、イエローかな。」
「は?」
「どうしたの、パパ?」
”ポカン”とした表情のゲンドウは、この子の言っている事を、頭の中で整理する。
(…シアンだと? シンジが言ったのは色の三原色だな。それに先程の黒を合わせればCMYKとなるか。
印刷の基本的な知識だが…よく知っているな?
…この前まで、こんな事を言う子じゃなかったんだが。一体どこで知ったんだ?
遺伝子変異による影響か? しかし知能が上がったとしても、知識が上がるわけじゃないと思うんだが。
…う〜む、ユイと相談し気付かれんように、何がしかのテストをしてみるか?)
「分かった。 …直ぐだ。 直ぐ持ってくるからな、シンジ。 …いい子にして部屋で待っていなさい。」
「…あ、ありがとう。 …パパ。」
シンジは取り敢えず、誤魔化せたと思い、来る時よりも若干速めに歩いてドアの向こうへ戻って行った。
……全知に近いシンジにとって、意識もしないほどの普通の知識というモノが、
普通の子供とどれだけ違うか自覚をしないと、かなりマズイと思うが。
暫く何をする事もないシンジは、リリスとこれからについて相談しようと、本を開いた。
『あの、リリス…ねぇ?』
『…更に便利に、しんちゃんのリリスは、只今カラー化に向け工事中、ご迷惑をおかけ致します…』
ページを画面と見るならば、まるでスクリーンセイバーの様な字が浮かんでは、
右側から左側に流れている。
(おぉ〜い。 …はぁ、だめだね、こりゃ。)
……シンジは大分、この子を分かってきたのか、見切りというよりも諦めがよくなっている。
紅い本を閉じ、机の上に無造作に置こうとしたが……うるさそうなので、一応丁寧に置いた。
”…ガチャ!”と、この部屋では珍しい、大きめの音がしてドアが勢いよく開くと、
「待たせたな、シンジ! 持って来たぞ。 …どうだ?」
とても得意そうな顔でゲンドウが現れる。
「ありがとう、と、ぅっ……パパ。」
”父さん”と言おうとすると、とても過敏に反応するゲンドウの顔を見て、
シンジは笑いそうになるのを、肩を震わせながら必死に耐えた。
そんなゲンドウが手に持っていたのは、それぞれシアン、マゼンダ、イエローのインクだが、
妙に高級そうな感じの、とても豪華な箱に入っていた。
それらをシンジの前の机に置き、得意満面で”にやり”と笑ったゲンドウは、かなり不気味だった。
一つの箱の中からインクを取り出して見ると、やはり、かなり高級そうだ。
その色合いは値段に比例するのか、かなり鮮やかだった。
「どうだ? シンジ? …気に入ったか?」
「あ、うん。 …でも、結構高かったんじゃないの? …何処かで、買ってきたの?」
「ああ。 …それは、ふゆつぅ…うぉほん。 …ゴホン、ゴホン。 問題ない。
ここの事務所に置いてあった不要なモノだ。 …だから、気にせず思い切り使いなさい。」
「そ、そう、ありがとう。」
……シンジは正確に、これは冬月先生のだと分かったが、とりあえず、人の目の前では、
紅い本にしてやる事もできず、さっさと、用の済んだ父が部屋から出て行かないかと思っていた。
「どうした、シンジ? …なぜ使わん?」
「父さんがいると恥ずかしいから、絵なんて描けないよ。」
「む? そうか、判った。 …しかし、せっかく持ってきたのだ、後で見せてくれるのだろう?」
「え? だめ…恥ずかしいから見せないよ。」
ゲンドウは、かなり食い下がりたかったのだろうが、
シンジの有無を言わせぬ即答に肩を落として”渋々”と部屋を出て行った。
男の子は、紅い本を開いて、そこに書いてあるモノを無視すると、箱から取り出したインクを手にした。
『リリス、取り敢えず垂らすからね。』
その鮮やかな3色のインクをそれぞれ片方のページに”ぽたっ”と少し垂らしてみた。
『…ご利用、真にありがとうございます、ただいま準備中ですので暫くお待ち下さい…』
……そんな字が色変わらぬ黒文字で現れる。
いったい、何処にインクが消えていくのか? …3色のインクも最初と同じ様に染みるように消えた。
暫く、5分ほど待っているとページの真ん中に出ていた黒文字が薄っすらと消えていった。
シンジは、漸くリリスが出てくると思って羊皮紙を注目した。
実は、この5分という時間は、何も必要ある処理にかかる時間などではなかった。
……せっかくの初披露カラーを、
リリスはどうやってカッコよく可愛く登場するか、と真剣に悩んでいたのだ。
そして、ようやく登場方法を決め、いざ登場! …と、”お待ち下さい”の黒文字を消した時だった。
”カチャ”
突然と、この部屋のドアが開く。
その瞬間、”…パタン”と紅い本は閉じてしまった。
……あぁ、無情である。
この部屋に入って来たのは、ユイだった。
彼女は、机の上に開けられたインクの箱を見て、ため息をついた。
「はぁ。 開けちゃったのね。 …シンジ、こめんなさいね、…お父さんからもらったインクなんだけれど、
…悪いけれど、ちょっと返してね? これは、冬月先生のなの。 ものすごく高い研究用の顔料なのよ。
お父さんが、勝手に先生の部屋から持って行くのを職員の人が見てねぇ。 ホント困った人ね。
そこで聞いたら、”シンジの為だ、問題ない”…なんて言っているから、ちょっと怒ったのよ。」
(…う、父さんってそんな人だったっけ?)
シンジは”タラリ”と額に汗を浮かばせる。
「ごめん、母さん。 …そんなに急いでいた訳じゃないんだけど、父さんに悪い事しちゃったね。」
「いいのよ、シンジ。 …ねぇねぇ、その本を結構見ているみたいだけど、何が書いてあるの?」
「え、これ? えっと…あの、その。」
「ちょっと、お母さんにも見せてね♪」
シンジが、いきなりの話題転換に言い淀んでいるのも構わず、
ユイは”ひょいっ”と息子から紅い本を奪い取って手に取る。
普段であれば、主人以外には絶対に開かないはずと、シンジも思っていたその本は、
先程のカラー化の初披露を今か、今かと待ちかまえていたので、いとも簡単にユイに開かれてしまった。
(…げっ!!)
シンジの想像では、ご機嫌に花畑に踊る幼女の姿でも映っているか? とユイの方へ視線をやる。
母親は、息子に関するモノであろうこの本の中身をやっと見られると、目を落とした。
”し〜ん”と空気が止まったような嫌な沈黙がどれ位、続いただろうか?
…今、この部屋に音を出すモノは無かった。
数瞬の時間が過ぎ、ユイの口が動き始める。
………果たして、その瞳に一体何が映ったのか?
「ねぇ。 …し、しんちゃん? 本当にこの本を読んでいたの?」
シンジにとっては、賭けのような質問だ。 …さあ、どっちに答える?
「う、うん…おかしいかな?」
ユイの余りに固まっているその様子に、シンジは一瞬迷ったが読んでいると答えた。
「そ、そう、しんちゃんって、結構すごいのね?
…お母さんは、なんて書いてあるのか、良くわからないわ。」
彼女はゆっくりと本を机に置き、暫し呆然とした様子で”ふらふら”と部屋を出て行ってしまう。
……我が子に一体何が起こっているのか、夫に相談しなくてはいけないかもしれないと、
真剣に考えながらユイはおぼつかない足取りで歩いた。
シンジは、母親の変わりように一体何がそこに描いてあったのか、かなり不安になりながら再度本を開く。
『…り、リリス?』
『ほ、よかった。 …本当にしんちゃんだよね?』
左のページに、柱の影に隠れているような幼女が”きょろきょろ”と周りを確認しながら現れると、
右のページに黒い文字が浮かび上がる。
「一体、かあさんに何を見せたのさ?」
『う…ぁ、あのね…』
……びっくりしたのは彼女のほうだろう。
何せ、大好きなご主人様に向けて、最上級の笑顔を作り、
大きく”ありがとう!”と用意していた彼女が見たのは、彼ではなく女性だったのだ。
ユイが目を落とし始めた瞬間、
リリスはこの方法で表現を始めて以来の”最大戦速”で、用紙全面の入れ替えを行なったのだ。
結局、ユイが視認できたモノとは、
左のページに優しそうに笑っている小さい女の子が描かれており(かなり引きつった表情だったが。)
右のページには羊皮紙一面に”びっしり”と記されたアラビア文字だった。
……そのギャップ、というよりも…はっきり言ってワケが分からないモノだった。
幸いなことに、ユイには、そのギャップのお陰か…女の子の絵と隣の文字に、ただ”?”であったので、
その文章がまさか彼女の知る死海文書だとは夢にも思わなかっただろう。
その絵と、文書を見やったシンジは、もぅ…ため息しか出ない状態だった。
『…あぅ。 だって、だってぇ…とっても慌てたんだもん。
でも、でもね? 今みたいに綺麗なカラーは間に合わなかったから、
唯のワケ分からない古そうな本…ってぇ感じですんだと思うよ? …ぅ、だめ?』
「リリス。」
『は、はい!』
シンジの真剣な声に、”ビシッ”と敬礼して答える小さな女の子。
それを見たシンジは、ため息混じりに言葉を続けた。
「…まぁ、見られちゃったのは仕方がないから、今後はちゃんと波動で誰かを確認してね?」
相変わらず優しい波動。 それを感じたリリスは、うれしそうに顔を上げると元気に返事をした。
『うん、りょ〜かい♪』
……”にこっ”と笑った幼女は、それぞれのインクを配合し、
なんとまぁ、写真のようなクオリティで自身を描いて、好きに動いている。 …全くたいしたモノだ。
コアリリス。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
……6月6日。
今日はシンジの誕生日だ。
シンジは、リリスがフルカラーになった記念日?から今日まで、
前史のどおりイベントが発生するまで特にする事はないと、彼女とのやり取りを楽しんだり、
家族との触れ合いをしてみたりと、外に出る事は許されなかったが、
人生始まって以来と言ってよい…ゆっくりとした時間を過ごしていた。
この穏やかな時間の中で変化した事は…と言うと、
リリスとのやり取りが、本に触らないで波動で会話をする事も可能になった位だった。
……両親としては、シンジに遺伝子治療の方法が未だに見付けられず、かなり消沈していたのだが。
しかし、今日だけはそんな夫婦のテンションも違っていた。
朝から、二人は行き来を繰り返し、彼らの子が息をつく間もないくらいだった。
冬月は、あの実験の負い目からか、数える程度しか今まで来なかったが、今日は1度だけ顔を見せていた。
ユイとゲンドウは昼にプレゼントを渡し、おやつの時間には誕生日用の大きなケーキを持ってきた。
シンジは喜び笑顔だったが、さすがに疲れたのか…言葉少なくなっていた。
その様子を見たユイは自粛を決めたようで、それ以後、両親は夕食を運んで来るまで部屋に来なかった。
「はい、しんちゃん。 晩御飯を持ってきたわ。
ほ〜ら! 今日は御馳走よ。 ふふっ…お母さんと一緒に食べましょう♪」
「…む! 私も一緒だぞ、ユイ。」
「あなた、シンジのこの机は小さいのよ? …3人分は無理ですって、さっきも言ったじゃないですか?」
「し、しかし、私だけ隣の部屋で一人で食べるというのは…」
「あら、冬月先生をお呼びになればいいじゃないですか?」
「…ぅ…いや、せ、先生はとても忙しい身なのだ。 わざわざ呼ぶ事は…」
「あなたは先生にインクのお小言、今でも会うたびに言われるのが嫌なだけでしょう?」
ユイの容赦のない攻め。 しかし、夫は食い下がる。
「で、では、いますぐ机を探してだな…」
「ダメです。 シンジはお腹を空かしているんですのよ? そんな時間はありません。 …いいですわね?」
………”ぴしゃり”と妻に相席を断られたゲンドウは、背中を小さくして去って行った。
「ねぇ、母さん。 何だか、父さんが可哀想だったね…」
オレンジ色のドアに目をやっている子が”ポツリ”と呟いた。
「いいのよ、しんちゃんは気にしないで。」
そう言った母は構わず配膳をして、飲み物を子供の前に置いた。
「じゃ、改めて…しんちゃん、お誕生日おめでとう。」
「あ、ありがとう…母さん。」
……母親との食事というのは、彼にとって10年以上ぶりの食事である。
シンジの求めていた家族との食事は、彼をとても温かい気持ちにさせた。
食事もほぼ終わりという時にシンジは、ユイにお願いをしてみた。
「母さん、僕…同じ部屋ばっかりで飽きちゃったよ。 明日、外に散歩をしに行きたいなぁ……ダメ?」
母親は子供のお願いに、少し瞳を大きくすると、申し訳なさそうにかぶりを振った。
「え!? ごめんなさいねぇ。 …シンジ、もうちょっとだけ待って頂戴ね? …ね、お願いよ。」
今までの和やかだった部屋の雰囲気が変わり、ユイは静かに食器の片づけを始める。
その様子を見ながらシンジは、親に頼んでも外に出ることはできないんだな、と思った。
(ま、いいや。 …今夜、気分転換に勝手に出ちゃおうっと。 そろそろ色々考えた方がよさそうだしね。)
彼には、大人の思惑なんて関係ないのだ。
………その夜、23時。
シンジは自身の身体を初めてチェックして、
超常の力は無くても、身体能力は常人の十数倍はある事を理解した。
(うん…コレなら窓から出ても、大丈夫だね。)
男の子は、左手にリリスの本を持つと、そのままの姿で徐に窓を開けた。
”…ふわぁ”と優しい風が部屋に入ると、シンジは気持ち良さそうに一瞬、瞳を閉じたが直ぐに眼下を見る。
(よし、誰もいない。 …下は植え込みの土みたいだし、このサンダルでも大丈夫だろう。)
次の瞬間、”…シュッ”と音がすると彼は部屋から消えた。
そして、1階の植え込みに”…スタンっ”と非常に身軽な音と共に降りてきた子供を見た者はいなかった。
白銀の子供は、昼間、窓から見えた湖畔の方へ向かって静かに歩いていった。
………その湖畔。
木で造られたベンチが、今は暗闇の中に沈む湖を見渡せるところにあった。
周りに聞こえるのは虫の音だけ、という月明かりも雲に隠れて薄暗いそんな夜。
小さな子はベンチに腰を掛けると、これからについてを本と相談し始めた。
『さて、と。 これからどうしよっか、リリス?
…このまま、あの使徒戦争を待っているだけじゃ、この時代にいる意味がないよ。』
優しい風が吹く中、紅い本と”念話”のような会話が始まる。
『うん、そうだね。 ねぇ、しんちゃん…この時代を選んだのはユグドラシルだよ?
間違いなく、何かしらの意味があるはず、だね。』
『うん、その意味をちょっと考えてみたんだ。
逆行してきた”今”は、あのEVAとの初実験のちょっと前だ。
そう、碇ユイが…初号機に取り込まれる前って事なんだよね。
となると、ここにいる意味、そして綾波の為に歴史を変えるべきは…』
『う〜んと。 しんちゃん…もしかして、ユイさんの実験をやめさせるの?』
『いやいや、それだと歴史が変わり過ぎる。 …今後の情勢に対する影響が大きすぎると思うよ。』
『……だよねぇ。 すでに”今”は、前史と少し違っているよ?』
『うん。 分かっているよ、リリス。
…前史では、人工進化研究所には実験時以外、たった2回しか来た事がなかったんだ。
1回目は去年この湖畔で、母さんと冬月さんが…そう、
ちょうどこの場所でゼーレについて話をしていた、その後。
その次は、僕が病室にいた先日だね。 …前史のその日は、公園で遊んでいた。』
『うん。 しんちゃんが運命に選ばれた日。 …その運命からプレゼントを与えられた日だったよね。
…黒き月より発現された”コアのキー”をしんちゃんの目に触れさせ、ユイさんに見せた時。』
『そう。 …あの時は、ただの紅い綺麗なビー玉だと思って、母さんに見せたんだ。
…でも、あれが発見、使用される事が歴史的に必然と仕組まれていて、
予定どおりリリスの細胞が活性化するとはね。』
『…まあ、今は違うモノで、すでにリリスの細胞は活性化を始めているよ?』
『…うん、波動を感じるよ。
だから、前史と違いキーは必要ないから出現もしていない。』
『…ユイさん達、勝手にしんちゃんの遺伝子情報を元に実験をしたみたいだねぇ。』
前史でも、やはり研究所のメンバーは、実験を軒並み失敗させていたのだ。
打つ手がない、というそんな時に子供が持ってきた紅い玉を見たユイは、何となくそれを調べてみたのだ。
その結果、有機物質とも無機物質とも判断が出来ない、人の世界には発見されていない不思議な物質を、
今回と同じように実験に使用して、培養実験を成功させていたのだ。
しかし、今回は同じ実験でも、その意味と性質が全く違う。
……使われたのだ、神のDNAが。
前回の初号機でさえ基本スペック、構造、建造方法は零号機と同じだった。
前史でのその強さの違いは、正しく魂の違い。
今回は由来が変わった為、生体部品がまるで比較の出来ない別物のようにスペックアップしてしまった。
その証拠に、今回の初号機はその再生能力とでもいうのか、
爆発的な細胞の分裂速度のお陰で、建造方法が全て培養・育成で可能となっていた。
それ故、リリスベースの本部エヴァの開発経緯は、
アダムベースの支部EVA開発部隊、関係部署には秘匿とされる所以でもあったが。
『まぁ、いいんだけど。 …そんな事は、どうでもね。
それよりも、綾波のことだよ。 …そう、僕にとって一番大事なことだ。
僕は、彼女の為にココにいるんだ。 …彼女の為に変えるべき絶対的、必要事項がある。
僕たちが離れなきゃいけないような事が!
…そう!! そう理解しなければ……到底、こんな事に納得ができるはずないじゃないか!!』
……シンジの真紅の瞳の色が、どんどん濃くなっていく。
『ぅ……う、し、しんちゃん? お、お願いだからぁ…ぁ、あんまりぃ、怒らないでぇ…』
シンジの心の変化に敏感なリリスは、主人の激情した波動の波に激しく揺らされている。
『…ぅ、ご、ごめん。
怒っているつもりはないんだ。 …ただ、いかに僕でも未来は判らない。 …すでに前史と違うしね。
…コレだけ、力がなくなってしまったのも、綾波と離れてしまったのも、
今回起こる、未来が判らなかったから。 それに僕は、深く考え抜いて行動をするって事が苦手だしね。』
『ぅ…そうだね、しょうがないよ。 …うん、これからもがんばろうね。 …ふぁいとぅっ! …だよ?
ねぇ、しんちゃん。 お話を戻すけれど、これからの行動はどうするの?
できれば、私は…その、お手伝いがしたいの…』
そのリリスの優しい波動に、シンジは心から全てを暖かく照らす日の光のような微笑みを浮かべた。
『…ありがとう、リリス!』
(…はぅ。)
……その微笑みは幼女の心を容赦なく、激しく揺さぶる。
『もちろん、手伝ってもらうよ。
この時代に来た意味っていうのは多分、{使徒戦争を僕と綾波が楽しむ}っていう
{言 霊}が効いてるんだと思う。
前史の綾波はゲンドウとの絆、というか最初の頃は妄信している状態だった。
ただ繰り返しても……そんな状態じゃ、お互いに楽しくもないし、
それに、あのトンネルで離れてしまった彼女の心、
その心を持っている綾波でなくては、僕がイヤだ。 …それは絶対に失ってはいけない。』
『うん、うん……それから、それから?』
……はい、続きをお願いします。
『だから、この時代なんだと思う。 そう、変化のタイミングは今ココなのさ。
碇ユイをこちらの味方につける……というよりも、彼女の目的を変えさせる。』
『あの、”ヒト”がいた証を遺すっていうヤツ?』
『うん、あんなもの遺したってしょうがないよ? …それに、もう僕が在る。
変な話だけど、ゼーレ、ユイ両方の目的は既に達しているのさ。』
『ふふっ。 …だよね♪ ゼーレの行き詰った人類の解放と神への昇華、それとユイの証。
既に完成してるモンね、完璧に♪』
『…ゲンドウはあくまでもユイと共になんだよ。生き方も、目的も。
あと良く分からないけど、冬月さんもね。』
『う〜んと、ていう事は、つまりユイさんを抑えちゃえば、NERVは頂きって事?』
『う〜ん。 まぁ、前史を巧くなぞる事ができれば、大体ね。
前史で狂ってしまった人々はそれでほとんどカバーできるかな? …でも”アノ”葛城ミサトは厄介だ。』
『偽善者、迷惑者、痴呆者、……んと、んと、ばか、あほ、まぬけ、色ボケ、強制接吻女…毒物製造者?』
前史、主人を下僕のように扱い、調子のいい時だけ家族風の偽善姉さんにリリスはだいぶお冠の様子だ。
……多分、シンジの唇を奪ったところがポイントか?
彼女が描かれているであろう、紅い本の左のページで憎憎しそうな波動があっちこっちに動いている。
『…う、うん。 だから、これからの方針を、レイと進むべき方向を”今”決める。
…あのNERVでの一年間を楽しむ為にね。
う〜ん。
…よし。
うん、決めた。
…今、方針を決めたから、{言 霊}なんて軽いものではない…
僕の全て、その存在をかけて今、誓う!!!』
シンジは、創造主としての力を軽いと…そう言うほどの”絶対の決意”をその真紅の瞳に宿して言った。
「…綾波レイは、彼女は僕の”命”だ! …失うことは、この僕が許さない!
…全てを懸けてもう一度、絶対に君に逢う! もう……もう2度とキミを離さない!!!」
ベンチに座り、”ぎゅっ”と固く握る右手を見ながら、その言葉一つ一つに全てを懸けるように叫んだ。
……その時だった。
突如、静かで薄く遠かった月の輝きが、まるで目の前に感じるほど、周りが明るくなった。
シンジが地に向けていた真紅の瞳を月空に上げて見ると、
音のない静寂に包まれた空に、いつの間にか……そこに数える事など出来ない程の幾億の蒼銀の光点が、
まるで、満天の星のように輝いていた。
そして、”キュィィィイン……”と耳を覆いたくなるような甲高い音が聞こえた瞬間、
彼の上空、その中心に向かって、爆発を巻き戻すかのように”星”が1箇所に集まると、
真っ直ぐにシンジの方へ舞い降りてきた。
その空を見入っていたシンジは、”フラッ”とベンチから立ち上がり、
ゆっくり降りてくる”柔らかい光”を受け取るように右手を上げた。
……優しい光に輝いている”光の結晶”がシンジの右手にそっと握られる。
(あたたかい、ぅ、ん? …あっ!! この包み込むような優しい感じ……まさか!?)
シンジは右手の中のモノを見ると、それは深く紅い宝石のように月明かりに浮かぶ涙形の玉だった。
その大きさは2cm位だろうか。 …内側から滲み出てくるような温かさと輝くような風合いがあった。
『綾波!!! ……あ、綾波!? …あやなみ?』
語りかけても、その紅玉は静かに在るだけで、何も反応はしない。
……しかし、シンジには、これはあの少女であると確信にも似た気がしてならなかった。
『…リ、リス。…これは、もしかして?』
シンジは、ベンチに置かれていた本を左手で持ちながら”ある確信”の確認を、幼女に問う。
『ッ! ……すっごいねぇ! すごい! 因果律を超える絆…それほどの愛だっていうの!?
くぅぅーー!! まさに、私のライバルにふさわしぃ〜!!』
『は? …そうじゃないでしょ!?
これは多分…いや、絶対に綾波レイの”心”だ! …さっきの誓いの言葉に虚数海にある僕の力が反応し、
因果律から、動かしようの無い魂を残して、なんとか心を結晶とし…この時代へ運んできた!!』
『…ぅ、ライバルだよぅだ…ライバルだもんねぇ。 ……ふんっ! 負けないもん!
っていうかぁ、リードしてるもん! そうだよぅ。 しんちゃんのぱぁとなぁ…だもんね? …ぅん。』
……この幼女、都合の悪い言葉は一切、聞こえていない。そして羊皮紙の中で現実から逃走中である。
まぁ、その気持ちは分かる。
なにせ、あと最低でも6年近くは現れないであろう、最大のライバルが想像を超えた方法で現れたのだ。
モチロンその状態では、ナニも出来ないし、心配するような進展も有り得ないだろうが、
彼の心の支えとなるのは必至であろう。
……そして何という絆だろうか!
シンジは、紅い玉を大事そうに胸に当てて、ぞこから感じ取ることの出来る温もりをじっくりと堪能する。
薄暗かった夜空は、いつの間にか雲間から…というよりも、空一面を覆っていた雲が一切なくなっていて、
満天の星空と満月が全てを洗うような蒼銀の光でシンジを照らしていた。
男の子は、その光に導かれるように真紅の瞳を大きな満月に向けると、やっぱり前史と同じような事を思う。
(何だか、月って綾波みたいだな。 …静かに、だけど確実にソコにいる、僕に必要で大事なヒト。)
……しばらく月を見ていた彼は、紅い玉を右手に紅い本を左手に持って、静かに研究所へ戻って行った。
ドーラ。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
部屋に戻ったシンジは、優しい微笑みを浮かべたまま、その紅玉を見詰めていた。
(綾波…)
彼は、手の中に在るその紅玉に感じる事の出来る蒼銀の少女に思いを馳せる。
そして、その大事な人を取り戻す為に、どうやってユイを説得するか考え始めた。
リリスの現在は、というと、
『……本日の営業は終了いたしました。またのご来店をお待ちしております……』
……いじけた後、勝手に職場放棄し終了していた。
シンジは、これからユイに自分の話をする際に、この紅い玉を一つの物的証拠として見せることに決めた。
彼が母に見せる気になったのは、先ほどコレを机に置いた時に起きた、不思議な変化を発見したからだ。
シンジの手から離れた瞬間、深いルビー色に輝いていたこの紅玉は、
今までの溢れるような温かさと輝きを失って、
”だんだん”とくすむように、美しかった透明感を失うという変化を見せたのだ。
……このようなモノは、決してヒトには持ち得ないだろうし、創れないだろう。
また、色々な話をする時に、この紅玉を”レイ”とは呼べないので”コアリリス”と呼ぶことに決めた。
そしてシンジは、ユイ一人に前史に起きた”事実”を告げ、今回の歴史を変えるべきか?
それともゲンドウも含めるべきか? と、かなり悩んでいた。
ある程度、前史をなぞらなければ、社会そのものの流れが変わってしまう。
一番重要なのは、前史に近い状態で使徒戦争を迎える事だ。
自分がEVAのパイロットとして選ばれるためにも、やはりユイは初号機のコアに入って貰わねばなるまい。
しかし問題は、その際のゲンドウの動きだ。
ユイと自分が何も言わなければ、冬月と共謀し始め、前史に近くなると思うが、
もはや自分が変わってしまった事で、ゲンドウが前史同様の行動を起こすか、核心が持てない。
……自分が未来を分からないという事が、どれだけの不安をもたらすか。
だからこそ、なるべく前と同じ行動になるように、修正出来るようにしなければならない。
もしかすると、ユイにも言わない方がいいのではないか?
それとも、もっと範囲を広げて冬月まで含めるか?
さて、どうしたものか。
深夜、彼は進むべき道を悩む。
……まぁ、答えてくれぬ、というより不貞寝している幼女は最初から当てに出来ない。
段々、考えが纏まらなくなってしまったシンジは、今日はもう寝てしまおう…と体を横たえた。
柔らかな枕に頭を載せて、気持ちまで静かになってくる…そんな時だった。
……遥か遠くから、何か人の声のような音が僅かに聞こえた。
その声に気が付いたシンジは、跳ねるように勢い良く起きて、右手に包んでいたコアリリスを見るが、
残念ながらと言うか、やはりレイではないようだ。
その声はリリスと違い、落ち着きのある声……だが、レイのように抑揚のない声でもない。
『…新しき、ご主人様。 …お待たせ致し、大変申し訳ありませんでした。
この機能が使用されるのは幾億年ぶりか、タイムカウントをやめてしまってから、ともて久しいですから。
あ、言い訳ですね。 …重ねて申し訳ございません。
今後は、この時空に探査針を打ち込みましたので、二度とお待たせすることはございません。
…? あの? ……ご主人様?』
……行き成り頭の中に現れた女性のイメージに、シンジは全く反応が出来なかった。
とても丁寧な言い回しをした女性は、
優秀なキャリアウーマンが重要な仕事を決める時に着るような、”パリッ”とした紺色のスーツ姿だった。
そして、彼女のキャラメル色の髪は、背の中ほどまで伸ばされている。
それは、彼女の性格を現しているかのように、正確に三つ編みに結い上げられていた。
見た感じ20歳くらいの女性は、美しく整った顔に緑色の瞳と口元に優しそうな笑みを浮かべている。
しかし、全く反応を示さない相手の様子に、彼女の微笑みを浮かべていた表情が困惑気味に変化をしていく。
『…あ、あの。 すみません、私…何か失礼を致しましたか?』
『え…あの、きみだれ?』
……この見知らぬ女性がどうして自分の頭の…というより意識に干渉できるのか、シンジは不思議だった。
『あ、そう言うことですか。 申し訳ございません。 私、てっきりご存知なのかと思っておりました。
それでは、改めまして。 …初めまして、ご主人様。 私は”ユグドラシルシステム”の一部ですわ。』
……その言葉に、ようやく合点がいくシンジ。
『ああ。 君が、”そう”なんだ。
…システムって聞いていたから、その…てっきり機械みたいな”モノ”を想像していたよ。』
『はい、ご主人様。 私は、機械ではございません。
このシステムは、先代の管理人様が世界を維持管理する為に、その力の一部を自動化したモノですわ。』
『ふ〜ん。 それで…どうして、今、ココに現れたの?』
『はい、ご主人様。 今、この時空は”剪定の刻”。 …世界樹の育つべき枝を選ぶ”時”になったのです。
あなた様が今、枝を決定されることで未来への道が決まりますわ。
私は、ユグドラシルシステムとして、バランスのより良い樹になる為に、
用意できる枝を選択肢としてお知らせする為にやって来たのです。』
『それって、”僕の事を誰に話すか”ってさっき考えていた事?』
『左様でございます、ご主人様。』
……選択形式で矛盾を回避する便利なシステム。 前にリリスが言っていたのが、どうやら彼女のようだ。
『それでは、早速お知らせ致します。』
『…あの、その前に、ちょっといいかな?』
『? はい、何でございましょうか? ご主人様。』
『その、ご主人様はやめてよ? 後、そんな丁寧な言葉じゃなくて、普通にしてくれて構わないんだけど…』
『とんでもございません! 私は、システムとは自動機械のようなモノなのです。
どうか、実体のない私の事など御気になさらぬよう……』
『っ! …ダメだ。 キミはちゃんと意識を持っている。 自分自身で判断ができるじゃないか?
…そう、だから機械なんて、これからは言わないで欲しい。 キミは、キミだからね。
それに、できるなら”選択の刻”以外でも、僕の相談に乗ってもらいたいし、
仲間に、友達になって欲しい。 …その、ダメかな?』
『…………。』
『……あの?』
シンジは、何か…彼女の気に触るようなことを言ったのかと、怖ず怖ずと聞いた。
『何か、気に触ったのならゴメン。 その、上手く言えないんだけどさ…』
『っ!!! 申し訳ありません。 その…そのような事を、私に言わないでくださいませ!
私は、私は、そう、うれしいのです、”主”様。
…私、そのように言われたのが初めてなので、驚きに反応が出来ませんでした。』
このカタは、”意識を持っている”と言ってくれたが、
”ソレ”さえも単純に創られたAIソフトに過ぎないかもしれない。
……そんな自分に対しても、対等な優しさを以って接してくれる。
彼の優しさに、彼女は今まで感じたこともない”動く心”……感情というべきモノを初めて感じた。
『そう、この感覚は…うれしい、です。 ……主様。私で宜しければ、いつでもお呼び下さいませ。』
『その”あるじ様”って言うのも…”様”はとにかく無しだよ?
え〜と、そう言えば、何て呼べばいいのかな? …キミの名前は?』
『分かりました、マスター。 私は、ユグドラシルシステムの一部ですので、個別の名前はございません。』
『え? それは困ったね。 う〜ん。…よし、キミがよければ、僕が名前を考えよう……どうかな?』
『マスターの御心のままに。』
……本当に嬉しそうに微笑んでいるこの女性に、さてシンジは何という名前をつけるのか?
『…う、あ、あのさ。 希望とか、ないの?』
『マスターのご随意に、ですわ。』
即答で返ってくるその言葉に、シンジは自分で言い出したことだが、かなり困った事になったと思った。
『う〜ん、ゆ、ぐ、ど、ら、し、る……ゆ、ど、る、ぐ』
……どうやら文字の入れ替えで考えている。かなり安直な考えだが、彼女は構う事なく従うようだ。
『…う〜ん。 よし、決めた! 君の名前は、ドーラ。 …ど、どう?』
『はい、結構でございます。 私、ユグドラシルがシステムの一部、自動介入因果律設定矛盾回避機能は、
マスターの望みに応えるため、機能を増加し…名称を今この時よりドーラと改めます。』
『え? 機能追加って?』
『…マスターは先ほど”剪定の刻”以外でもこちらの時空にいるように…との仰せでございました。
私が元のシステムから、こちらの時空に出現する事が可能になるのは、剪定の刻のみでございます。
つまり、今現在はシステム本体の力で、マスターの意識に直接介入している状態なのです。
私は、マスターのご期待に応えるために、電子を自由にする力を増加するのがよいと判断したのです。』
『えっと、どうして?』
『この世界は、あらゆるモノに電子を使用しております。
今のように、直接お話しする事は出来ませんが、電話機、演算装置などを利用すれば、
コミュニケーションを取ることはできますし…』
ドーラは新たなる主人に対して、自分がどれほど役に立つのか、
傍らの机に大事そうに置いてある、あの”紅い革の本”には負けない、という雰囲気で言葉を続けた。
『…それ以上に、この能力は世界中のあらゆる電子デバイスを”自由”に操る事が出来ますので、
これからマスターがご経験なさる、あらゆる事へのサポートが不足なく出来ると、私は確信致します。
その本、”アカシアブック”リリスには、とても出来ない事でございます。』
『…う?』
不貞寝していたリリスは、シンジ以外のよく分からない波動を感じていたが、特に気にしていなかった。
しかし、ここに至って主人と会話をしているこの波動から自分の名前が出てくると、ようやく反応し始めた。
『…う、う〜ん。 しんちゃん、だれぇ? ソコに誰かいるのぉ?』
……完全に寝惚けているが。
『フッ…私は、あのようなだらしのない様子をマスターに感じさせる事もございませんわ。
僭越ではございますが、提案を致します。 …あの本を捨てて下さいませ。マスターの格が落ちますわ。』
『っ! …いいかい、ドーラ? …リリスは僕の仲間、大事な友達なんだ。
あのだらしないような波動も、僕がいると知っているから、分かっていて、ワザとしているんだよ?』
……そうであろうか? その割にはものすごく自然だと思うが。
『リリスの存在、その個性を否定するって言う事は、キミも同じ事になるんだよ?
それに僕は、役立つから…とかそういう物差しでキミたちを見ているつもりはないんだ。
…キミの個性を認めた僕とリリスを認めた僕、その僕に格なんてモノはないし、必要ないんだよ?
ドーラ。 さっきも言ったけど、リリスは君と同じように僕の仲間であり、大事な友達なんだ。
だから、2度とそんな事を言わないって約束して欲しい。』
『は、はい! …大変、失礼致しました!』
……彼女は、世界樹の持ち主からのお願いによって、新たに”ドーラ”となった時から、
シンジに創造されたのとほぼ同義の因果律が設定されていた。
と言うよりは…まぁ、その設定は多分、彼女の”好意”が大分効いているようだが、
間違いなく全ての思考がシンジの為となっている。
『ふふっ。 別に怒っていないけど、仲良くしてね?』
……折角、場が纏まりかけるが、自分を無視したやり取りに黙っていられる程、幼女は大人しくない。
『むぅ? …ぅ、ぇ? ぃ、イヤァァァアア!! …しんちゃんの浮気者ぉ!! 誰よ? この人ぉ!?』
『…マスター。 大変失礼とは存じますが、先程の提案を再提唱致します。』
『ちょ、な、何、無視してんのよ!!』
……騒ぎ始めるリリスとそれを無視するドーラ。 この二人は、まるで水と油のようである。
彼はこの騒ぎはちょっとイヤだな、とため息をついた。
『ねえ、リリス、ちょっと静かにしてよ。 君は知っているんじゃないの?
彼女は、キミが逆行前に言っていたユグドラシルシステムのドーラだよ?
今、3つの選択肢を持ってきてくれたんだ。 これが、どういう事か……分かるよね?』
『…う?』
そう言われてみれば、とシンジに開かれたページで眉根を寄せて何か思い出している様子の小さな女の子。
『う〜ん。でも、そんな名前じゃなかったような気がする、よぅ?』
『そりゃそうだよ。 …だって、名前がないって言うから、たった今、僕が名付けてあげたんだもの。』
リリスは、彼の言葉を聞くと”しゅ〜めらめら”という感じで嫉妬交じりの視線を鋭くし始める。
『えっ! し、しんちゃんに名前を付けてもらったぁ!? …なぁ、なっまいきぃ〜!
ちょっと! 一体どういう事なのよ? あんたにそんな………』
幼女の後半の言葉を”ぶちっ”と切り、あくまでも冷静に話を運ぶドーラは、まるで超一流の秘書のようだ。
『それでは、マスター。 先程から話題に在りますとおり、選択肢を提示させて頂きます。
1.真実を打ち明けない。
2.碇ユイのみに打ち明ける。
3.碇ユイ、碇ゲンドウに同時に検証させながら打ち明ける。
…以上、この三点が、今回お選びいただく”良き枝”で御座います。』
『う〜ん。1から3は僕もシミュレーションしてみたよ。
…う、ん? 3の”同時に”っていうのを、わざわざ言う意味は? …ドーラ?』
『はい、マスター。 …ゲンドウ氏に伝える方法は、ユイさんと同席でなければなりません。
これは彼の疑り深い性格と、非常に高い行動力によります。
彼がユイさんと同席する事によって、マスターのコントロールがより利くようになり、
暴走の恐れがかなり低減され、レイ様の安全率がかなり上昇致します。
また、告白時は、私とリリスをマスターの説明の補完材料にする事をお勧め致します。』
『…なによ、なによぉ。 …ふたりだけ仲良くしちゃってさぁ…
男の子ってぇ…新しいモノが好きなのね。 …ふ、ふーんだ。 寂しくないよぉ…私、平気だよぉ…』
……幼女は、羊皮紙に”の”の字を書きながら、ひざを抱えて体育座りをしている。
『だったら、1と2はナシだね。 …ゲンドウの暴走による綾波への影響が心配だ。
君たち二人が協力してくれるのなら、
僕が”力ある者”として、彼らをコントロールした方が苦労は少ないし、何よりも綾波を安全に護れるね。
よし、ドーラ…3番を選ぶよ。』
『…了解しました。 これより3番の時空を育て、他の枝は消滅させて頂きます。』
そう言うと、瞬く間にドーラの波動が消えた。
『…あ、まだ詳細についての話をしたかったのに。』
『ほんっと、失礼な子だったねぇ? しんちゃん。
…あんな子よりも、もっちろん…わたしだよね♪ ね? ね〜ぇ?』
尻尾があれば、間違いなく全力で振ってアピールしているのであろう。 幼女は、何と無く必死な様子だ。
……おーおー。 リリスが、ここぞとばかりに勝手に消えたドーラを責め始めるが、そうは問屋が卸さない。
机の上に置いてあった小さいテレビから”プチュン”と電源が入る音がして、間髪入れずに映像が映る。
『大変、失礼致しました、マスター。 選択された瞬間にシステムに強制的に戻されてしまいました。
今後、2度とこのような事がなきように、設定変更をして、少しの猶予を持たせました。
あの、マスター。 …ぁ、あ、あの…御願いが御座います。』
7インチのテレビ画面に映っている女性は、なぜか顔を俯き加減にして、手をモジモジされている。
ソレを不思議そうに見ながら、シンジは聞いた。
『え? …何、ドーラ?』
『ユイさんとお話をされる時、できればPCを用意して欲しいのです。
それと、宜しければ…マスターにはPDAを常備していただきたいのです。』
『? …うん、いいと思うよ。』
……要は、リリスのように常に主人の近くにいたいだけなのだ、彼女は。
『っ!!? …っだ、だめだよぅ! …お母さんに迷惑だよ!?
…うん、きっとそうだよ! …しんちゃん、だめだって!!!』
……リリスとしては、これ以上のライバルはご遠慮願いたいようだ。
そして運命が変わる分岐点……7月1日がやってくる。
明かす未来。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
………人工進化研究所。
ゲンドウは、予想以上に順調に経過しているE計画の報告書を読みながら、
その内容とはまるで違う事で頭を悩ませていた。
彼の家族、シンジとユイのことだった。
ユイはあらゆる重要な生体研究について陣頭指揮を執っているが、何か問題がない限り、
または某かの新たな局面にでも遇わない限り、常勤ではあるが日常それほど忙しいわけでもなかった。
……最近の彼女は、自分の研究にゆとりができると、必ず愛する息子シンジの事に没頭するのだ。
普段の彼女の印象は、おっとりとしていて、朗らかな微笑み…箱入り娘だったから、
というような育った環境に由るものではなく、元々性格的に余り人を疑う事のない優しい女性であった。
しかし、自身の興味、研究などに対しては、その印象を”がらり”と変える。
……時間の概念を忘れる、というのか周りに気を配る事がとても疎かになるのだ。
現在、母親であるユイは、極秘に行っている息子の遺伝子調査、及びその治療法の確立に向けて、
調査を開始してから約2ヶ月間という時間のほぼ全てを費やし、没頭していた。
妻の努力を知っているゲンドウは、彼女が研究に夢中になって口走っている事や、
乱雑に取られるメモなどの書類が人の目に耳に触れる事のないように、それらを極秘に処分したりと、
公的に動けない分、裏方として気を配り出来うる事を援助し、手助けをしてきた。
……しかし、この世は無情である。
息子の前では、いつもと変わらぬ微笑みと思いやりに溢れる態度を振る舞うが、
実際、ユイの顔色は憔悴してしまったように優れない。
彼女が、息子の治療法という答えを求めて、調査・研究と言う迷路を彷徨い始めてから、
一体、どれ位の時間が過ぎたのだろうか。
「ふぅ。 …検査・実験は、もうこれ以上思いつかないわ。
これから後、数時間で出てしまう、最後の実験結果がもし他と同じようだったら…」
……たぶん…いいえ、もう治らない。 その結果、組織から逃す為に愛する息子との永遠の別れ。
ユイは、思わしくない最近の状況から、悪い方へ悪い方へと考えが向かってしまう。
そして息子と別れる情景を思い浮かべてしまうと、自然と目頭が熱くなってしまった。
(…ぅ、ぅ。 …ダメ。 まだ、諦めてはダメよ、 ユイ。あなたは、あの子の母親なんですから。)
彼女は、涙腺が決壊しないように、その考えを振り払うかのようにかぶりを振ると、
実験室から出て、自販機コーナーに向かった。
最近のユイの不安定な状態が気になっているゲンドウは、
第7世代有機体思考基礎理論の実験報告書類を机に仕舞うと、妻がいるであろう実験室の方に向かった。
自販機コーナーで、ユイはストレートティを選び簡易パイプイスに座っていた。
何気なく”ぼ〜”と廊下に目をやっていると、
ゲンドウが、ゆっくりとした足取りで前の廊下を歩いて行くのを見て声を掛ける。
「? …あなた、どうしたんですか?」
「…む? ユイ…どうしたのだ? こんなところで?」
実験室にいるはずのユイは、俯き、疲れたような顔で飲みかけの紅茶を持って佇んでいた。
「…もう少しですわ。 …最後の審判ではないですけれど、コレで、考え得る事の出来た検査、
研究の最後の結果がでます。 それで、も、もし解決の兆しが、な…無いと、
どうしたらいいんでしょうか? …わ、私は…私のやっている事って、ドウなんでしょう?
…あの子に会わせる顔が…っぅ、ぅ、ないわぁ…ぅ、ぅ…」
ついに涙が溢れてきてしまった妻の顔を見やると、ゲンドウは強い意志を持って言う。
「ユイ、いかん。 迷ってはいけないのだ。 いいか? ユイ、今…迷っている時ではないのだ。
シンジの事を考えるのだ。 …もし、の話だが、その…思わしくない結果から、
もしも、あの子を私達から出す事態になったとしたら、この前、冬月先生の言われたように、
あの子を護る為のタイミングはちょうど、今、準備している実験の時がいいのではないか?
幸いなことに今、ドイツ支部も同様の接触実験準備をしている。
そのお陰で、この研究所のゼーレの監視も薄くなっている。
…E計画は順調だが、ただ一点、ドイツも日本もEVAをコントロールする方法は確立されていない。
ゼーレも南極の失敗を繰り返したくはないのだ。
先生の提唱した人工生命体は、現在、あくまでも細胞としてしか成長していない。
オマエの考えたとおり、確かに今のアノ状態のモノを使用しても成功する確率は、まず低いだろう。
だから、接触実験はオマエがゼーレに提唱した、
死海文書に記載されていた”適格者”方式が認められたのだ。
…だがユイ、何もオマエが実験の被験者になる事はないのではないか?」
ゲンドウは、彼女がシンジの役に立つことが出来ぬと、その事を悔いて実験に望むのなら認められない、
と思い言ったが、ユイは冷静な研究者として実験に望む気でいるようだ。
「確かにココ暫くあの子の遺伝子を研究してきましたわ。
EVAの親和性を考えるなら、多分あの子が、神が用意した”適格者”かもしれません。
もし、そうであるなら私も適格者の可能性は高いですわ。 …ゲンドウさんよりも確実にね。」
「む。 …私だってだな。」
「あの子を見れば、どっち似かはお分かりでしょう?
シンジは、私の遺伝子情報のほうが多く伝わっていましたわ。」
「確かにそうかもしれんが、安全の保障は全く無い。 最悪の場合を想定すると、
あの子は片親になってしまう。 …そんな事は、私が認めんぞ。 断じてお前を失うなど認めん!」
「あら! まぁ、ありがとうございます。 そこまで言ってもらえるなんて、とても嬉しいですわ。」
……ユイは泣き腫らした瞳を拭うと、どうにか嬉しそうに微笑む事ができた。
ゲンドウは、その表情を久しぶりに見たような気がして、
お互いに何週間ぶりか”ほんわか”と温かい、落ち着いた雰囲気を持つことができた。
”…ピピピ、ピピピ……”
ユイの構内専用携帯電話が鳴った。 これは、待ち望んでいた最終実験結果が出たという知らせである。
その音を発した携帯を見た二人は、今までの雰囲気を霧散させて自然と見詰め合うと、
お互いに頷き、硬い表情を浮かべて足早に実験室の方へ向かった。
………その結果。
二人は、シンジの部屋に向かう。 …先程の実験結果は、冬月にはまだ伝えてはいない。
ユイは悲痛な面持ちで廊下を歩いている。
彼女の頭の中には、夫と何度も話し合った息子の事を思い出していた。
しかし、母親はいくら話し合ってもその結論が、
我が子と別れなくてはならないというモノでは、とても納得して認める事は出来なかった。
別れ話をしなければならぬ、この不幸をどうしたらよいものか、と思案に暮れる夫婦。
……その事で、人生の終端に来てしまったような、やり場のない思いを持ち向かう先の子供は。
シンジは、第一次接触実験がもうすぐ行われる事をドーラから教えてもらっていた。
彼は、ドーラ、リリスと相談して、今日7月1日に両親に必要な事を、
自分についてある程度の事を教えることに決めていた。
……愛する少女と自分が求める未来のために、行動を起こす時が迫っている。
”カチャ”とドアが開くと、暗い表情をした両親が入ってきた。
ユイは死刑判決を受けて、この世の終わりを迎えたような、
この2ヶ月の間に見たこともない沈んだ表情を息子に向けた。
「…シンジ。 あのね、お話があるのよ。 とても……だ、大事なお話が。」
「そっか。 …僕の身体について、結論が出たんだね? …母さん?」
ユイは我が子の聡明さに驚いて、言葉を続けることが出来なくなり、助けを求めるようにゲンドウを見た。
「…そうだ。 シンジ、これからのお前の事だ。」
ゲンドウは、この子の事を思えば真実を、そしてこれからの事を話すのは自分の責務だと考えて口を開いた。
しかし、その子は構わず自分の話を続ける。
「…まぁ、母さんがしていた実験とその検証じゃ、僕の事は分からないと思うよ?
それは仕方が無いんだ。 …だから、そんなに気を落とさないでね、母さん。
…それと、僕から二人に伝えなければならない事があるんだ。
母さんが、明日EVAとの第一次接触実験を行なう前にね。
まず、ぼくは正確に言うと3歳じゃないんだ。」
「っ!! 待って! シンジが何でEVAのことをっ!? なぜ、実験のことを知っているの!?」
……突然の子供の話にユイは、いやゲンドウも驚いてシンジを凝視し動けないでいる。
「うん。 まぁ、その事も含めて話をしようと思うんだ。
だから、母さん、できればノートパソコンを用意して欲しいんだけど、お願いできる?」
「? どういう事? さっき言ったのは? それに、3歳じゃないって??」
「落ち着きなさい、ユイ。 取り敢えず、シンジの言いたい事を聞こうではないか?
いいだろう。 パソコンは私が持って来よう。」
流石に生粋の研究者のユイと違い、
ゲンドウは所長という立場から対外折衝などに慣れているので、こういう時の対処が速く上手い。
「ありがとう、とぅ………パパ…」
……折角、褒めたのに一瞬足を止めた父親は、相変わらず詰まらない事に拘りがあるようだ。
ゲンドウが部屋から出て行ったが、ユイは未だに固まっている。
「…母さん、コレ見て。」
母親に手を差し伸べた息子が手にしているのは、紅い涙形の玉だった。
……ソレは内側から滲み出て来るような美しい深紅の輝きに溢れていた。
ユイは、その見たことも無い美しい玉に、自然と引き寄せられるように手を伸ばして受け取った。
「あ!!」
シンジの手を離れて、ユイの手に渡った瞬間、今まで美しく輝いていた玉は、
まるで意思を持っているかように”みるみる”その輝きを失って変色し、黒ずんでいった。
「それはね、母さん。…コアリリスっていうモノだよ。
僕の一番大事な人の心の結晶なんだ。 …? ……う? ……あの、母さん?」
変化する玉に、ではなく、突然告白したシンジの”大事な人”発言に、母ユイの表情が大きく変わる。
……そう”姑”の顔に。
「…しんちゃん? 大事な人って? どんな娘?
何処の子? いつ知り合ったのかしら? お母さん、知らないわよ?」
「え…いや、その、まだココにはいないんだ。 だから、母さんが彼女に会えるのは11年先になるよ。」
「は? …それ、どういう事?」
”チャ”とゆっくりドアが開き、ゲンドウが片手にパソコンを持って入ってきた。
「待たせたな。 …シンジ、これでいいか?」
「あ、うん。 それじゃ、今までとこれからについて、あと僕についての真実を二人に聞いてもらうよ。」
シンジは、そう言いながらユイから玉を返してもらい大事そうに胸ポケットに仕舞った。
「まず、今の僕の精神年齢は、15歳程度なんだ。
だから、このアルビノみたいな体質になってからの僕の言動には、
ちょっと違和感を持っていたんじゃないかな?」
そう、それは二人とも時折感じていた違和感だった。
……3歳児にいては妙に落ち着いたやり取りができるな、と。
「なぜ15歳なのか? なぜこの体質になったか?
…僕はね、……未来から、正確には2016年から来たからなんだ。
父さん、母さん、今このタイミングで本当の事を言う必要があるから、4月から今まで黙っていたんだ。
…本当に、ごめんね。」
「ッ!! タイミングって? どういう事、シンジ? …ぁ! EVAと関係があるのね?」
ユイは親だから、研究者だからという事には関係なく自身の全ての興味が今、目の前の子に向いている。
ゲンドウは、冷静に息子であるはずの人物の発言について、詳しく検証する必要があると感じていた。
「うん、そうだね。 …EVA、というよりも人類の未来に関わる事、サードインパクトに関係するよ。」
「っ!!!!!!!」
……二人は最早、この子の話は自分たちの想像を超えた、と感じる事しかできなかった。
「取り敢えず僕の話を聞いてね。 その後、真偽の検証はドーラとリリスに頼んであるから。」
そう言うとシンジはパソコンに電源を入れてゲンドウに渡し、
ユイには彼女が研究所に持ってきた、あの綺麗な紅い本を手渡した。
「ドーラ、リリス? …頼んであるってどういう事、しんちゃん?」
「…ああ、え〜とね、父さんに渡したそのパソコンは、ドーラがコントロールしてくれる。
母さんには、リリスのほうが良いと思ってね。」
不審気な母親に向かって男の子がそう言うと、それぞれ持たされたモノが反応した。
「初めまして、碇ゲンドウ様。 わたくしがマスターより紹介して頂きました、ドーラで御座います。」
そのパソコンの画面には、OSなど起動もしていないのに、CGとは思えないリアルな女性が映っていた。
小さなスピーカーから聞こえた挨拶の声は、とても合成音声とは思えないほど自然で流暢だった。
それを感じたリリスは、負けていられないと気合いが入る。
『初めましてぇ! ユイかあさま!! うふ♪ 私がリリスちゃんですよぅ!』
リリスは、ユイが持つ紅い本の左ページに、満面の笑みと最大限に可愛く見えるポーズで手を振りながら、
隣の右ページに、可愛い丸文字の書体で挨拶の言葉を浮かび上がらせてアピールした。
「…? む? な、な?」
「…え!? 絵が動いている???」
……二人とも思考がフリーズした。
「まぁ、慣れてね? 二人とも。
えっと。 じゃ、まず…僕はサードインパクトを体験したんだ。
そして、ゼーレの目的である人類の進化した状態の”モノ”になった。
だから、人の遺伝子情報との差が出来たんだよ? 母さん。」
「マスター、失礼致します。 補足させていただきますが、進化ではございません。
マスターは神でございます、その存在が違うのです。
…マスターは、魂の階梯の頂点に居られるカタでございます。」
「うん。そのとおりだね、ドーラ。 でも、まぁ…そんな実感もないし、自分の事を神なんていうのは正直、
余り気持ちのいい事じゃないから、そういう風に言わなくていいよ?」
「申し訳ございません。 …ダメですね、私の配慮が足りませんでした。」
『…そうだよぅ〜だ! しんちゃんは、何も偉そうにしたいワケじゃないもんねぇ♪
そんな事も分からないなんてぇ。 やっぱり、し、ろ、う、と♪ …ま、仕方ないよねぇ。
…こればっかりは付き合いの長さ…いえ…深さの差? だね、そうだね! うんうん♪』
「リリス、それはいいから。 …ほら、ドーラもいちいち反応しないの。
…まったく、話が出来ないじゃないか? 前にも言ったけど、仲良くしてね? 二人とも。」
息子の言葉に、母親が驚いた。
「ま、待って! しんちゃん、この本は声出ていないわよ? どうして見てもいないのに会話ができるの?」
「あ、あぁ。 う〜ん、何て言うかな。 …そう、念話というか、波動を感じるんだよ。
テレパシーって言われる能力って思ってもらえば分かり易いかな。
ま、それはどうでもいいけど。
……続けるね、僕はサードインパクトの依り代となって超常の力を持つようになった。
そして、詳しい説明は省くけど、大事な人の願いと僕の為に時間を遡ってやって来たのが4月の時。
父さんと、母さんが見た、この身体になったあの時だね。」
「っ!…じゃ、元々のしんちゃんは? あの子は一体、どうなっちゃったの?」
……母親としては当然の疑問だろう。ゲンドウも黙って頷きながら、その目で先を促す。
「うん。一体となった、というより元々僕だから一つだよ?
経験と知識が上乗せされたと思ってくれればいいと思う。」
「そう、消えちゃった、っていうワケじゃないのね。」
”ほっ”と安心したような顔になるユイ。 次にゲンドウが聞く。
「シンジ、お前はお前、それであるのなら、それでいい。 間違いなく私たちの子供であるならな。
…だが、おまえは何を成しに来たのだ? 目的があるんだろう?」
「そうだよ。 父さん、さっきも言ったけれど、僕が将来を誓った女の子の願いの為に来たんだ。」
「っ! しんちゃん、さっきも聞いたけど、一体、誰のことなの? 正直に言いなさいな!?」
……なぜか、ユイは有無を言わせない表情でシンジに詰め寄る。
「ぅ…母さん。 彼女は言うなれば…そう、人類の母たる存在。
そして、今は存在するけれど、ある時期にならないと分からないと思うよ?
これがヒントかな。」
「え!! それって、まさか!? ……あの…」
「冬月先生の実験は継続してもらうよ、絶対にね。 まぁ、先生が望む人工生命体にはならないけれどね。」
それを聞き、シンジの相手について予測が付いた夫婦は驚愕の表情だった。
「…むぅ。 …し、シンジ…その、相手は…」
「なに? ヒトじゃない、っていうのなら、既に僕もヒトじゃないんだよ?
父さん、そんなくだらない事はドウでもいいんだ。
…大事なのは、これから再開される使徒戦争についてだよ。」
「そんな、ヒトじゃないって…しんちゃん。 …それに、使徒戦争? 再開って?」
ユイの顔は、困惑の色を強めていく。
「今までの歴史については、それぞれ二人に聞いてね、教えてくれるから。
…僕は、それを終わらせる為に来たっていうのも…まぁ、目的の一部だよ。
僕にとっては過去だけど、その戦争に勝利する為に、二人には協力して欲しいんだ。」
「つまり、シンジ…お前は未来を体験してきた。 インパクトの代償として、その体質になってしまった。
そして、お前が知り得ている未来を変える為に、この過去に来た。 そういう事なのか?」
「うん、信じてくれる?」
「何言っているのよ? しんちゃんは、何があっても私たちの子よ? 信じるなんて、当たり前でしょう!?
あなたが体験した未来については、後でちゃんと教えてくれるっていうなら、それでいいわ。
しんちゃんが、必要だって言うなら…もちろん、お母さんは喜んで協力するわ!
それで私達は、どうすればいいの?」
ユイは、息子と暮らせるなら悪魔にでも何にでも縋り願うくらい、この部屋に来たくなかったのだ。
……それほどまでに、彼女は負の感情に支配されていたのだ。
しかし、予想の遥か彼方へと事態は急変する。
……愛する息子から、まるで逆転ホームランのようなこの突然とした話に、ユイは狂喜した。
それを信ずるなら、彼は神だ! この世に勝るものはないだろう! どんな組織でも彼に敵うまい。
それ以上にユイは、彼が親の協力が必要だと頼ってくれたのが嬉しかった。
「実はね、その娘を護る為に、今、僕の能力は殆ど空っぽの状態なんだ。
精々、身体能力が通常のヒトの十数倍っていうところだね。
それで、二人に協力してもらって、約11年後に始まる使徒戦争に向けて色々準備をしたいんだ。」
……シンジは彼らに、自分の未来に対する準備というモノを話した。
「そう。 …そこまでしないといけないの?」
「ゼーレにとって必要なのは全てを犠牲にしても、
後に提唱される”人類補完計画”を遂行する冷徹で頭の良い組織の長なんだ。
もう、既にEVAとの一次接触の方法とその許可が出ている今、その実験を変更したり中止には出来ない。
……その結果、母さんがEVAに取り込まれてしまうとしてもね。」
「なに!! シンジ、実験は失敗するというのか!! …ならばダメだ! 中止にする!!」
……ゲンドウは見た事がないくらいに取り乱し始める。
「父さん、人の話は最後まで聞いてね? …母さんは、別に死ぬわけじゃないんだよ?
EVAの適格者っていうのは、発見されないんだ。
でも歴史的に言えば、このEVAとの実験中に被験者が取り込まれるっていう事件によって、
近親者のインストールによるEVAのコントロール法が確立されるんだ。
日本の実験を中止したとしても、ドイツで既に準備されつつある接触実験によってね。
それにこの実験を母さんにしてもらわないと、僕がパイロットに選出される事もなくなってしまうんだ。
父さん、母さんはきちんと元に戻れるよ。 使徒戦争の時にね…」
「し、しかし…」
「…いいわよ、しんちゃん。 既に実験準備は終わっているし、変更すれば未来に良くないんでしょ?」
「うん、ゴメンね。 …でも、ドーラがいるからコミュニケーションは取れるよ。
前史と違ってね、だから、父さんも我慢してね。
母さんを取り戻す為には、全てを犠牲にするっていう非情なまでの態度とその行動力がないと、
ゼーレに不要と判断されれば、切られちゃうかも知れないし。」
「…む、ぅ。 ……判った。 いいだろう。 面倒事は全て、私が引き受けよう。
シンジ、お前が必要というのなら、接触実験後、私は冷徹な仮面をつけよう。
だが、公にはオマエと密に連絡も取れまい? それはどうするのだ?」
「とぅ、さん…パパ、PDAが欲しいんだ。 何か余っているので良いから、後でくれないかな?
メールって言う方法なら、痕跡すら残さずに連絡が取れるよ。 …僕には、ドーラがいるからね。」
………第5実験室。
シンジの話が終わった後、二人はそれぞれシンジから借りた、と言っていいのか?
リリス、ドーラという個性から、それぞれ前史を教えてもらっていた。
『…それでは、ユイかあさま、前史を教えるよ♪』
「あの、待って頂戴。 リリスちゃんは、何で私を”かあさん”って呼ぶの?」
ユイはそう言って、なぜか自分に似ているような幼女に聞いた。
『え? だってぇ、しんちゃんと私はパートナーだしぃ。 将来を考えると、その方がいいと思うの♪』
(? …シンジの大事な娘ってこの子じゃないのよねぇ? 確か、会えるのは11年後って言っていたし。)
「そっか。 リリスちゃんは、シンジのことが好きなのね?」
羊皮紙に最早、普通に存在している幼女は、その言葉を耳にすると”ぼんっ”と顔を真っ赤にして固まった。
「まぁ♪ あらあら、リリスちゃんたら。 …ふふっ可愛いわねぇ。」
ユイはこの子が気に入った。
……息子がどんな娘を好きになったのかはとても興味があるが、取り敢えず目の前の子で楽しむ事に決めた。
「あ、でも、しんちゃんの好きな娘って、あのコアリリスって言っていたほうの娘でしょ?
リリスちゃんは頑張らないとねぇ。 そうねぇ…いつか、その本から出てこないとね?」
『…う、そ、そうですよねぇ! うん…頑張らないと、だね!!
…うん、しんちゃんに力が戻ったら、お願いするの、出してって♪』
ユイは旨くいけば、娘が得られるかも、と考え始めている。
……息子が神様っていうのは、かなり可笑しいかも知れないが、しかし、現実に超常の本があるのだ。
その力がどの様なモノかは全く分からないが、簡単に幼女を本から出せそうな気がした。
彼女は、息子は勿論可愛いが、子供を授かった時に”チラッ”と娘もいいなと思っていた時期があったのだ。
そんな楽しい会話をしながら、ユイはシンジの体験した事を教えてもらっていた。
……その頃、ゲンドウは。
………所長室。
メガネの男は、執務用の机にノートパソコンを置き、手を組んで身構えた。
……が、先程のキャラメル色の髪をした女性はいつまで経っても映らなかった。
(…むう?)
本体に電源が入っていないのか? と思って目をやったが電源は確りと入っていた。
先程の女性はどうしてしまったのか? と男は不思議そうな表情でイスに座っていた。
……ドーラはその時、ゲンドウから貰った最新のPDAの中にいて、シンジと相談をしていた。
「マスター、碇ゲンドウ氏に、前史での赤木親子についてどのように伝えた方が宜しいのでしょうか?」
「…う。 そうか、”それ”があったね。 今回は、母さんとやり取りできるし、
ドーラがいるから浮気は無理だね…っていうか、絶対にさせないけれど。
そうだね。 前史でのナオコの誘いは断って、リツコは有能な部下だったって事にして巧く誤魔化して。
できる? ドーラ?」
……頼られた、と感じた彼女は、喜びの表情を浮かべて俄然、張り切りだす。
「勿論でございます! マスターのご期待を裏切るようなことは決してございません!
それでは、私の能力の高さをゲンドウ氏に理解させる為、彼専用の端末から侵入します。
行って来ます、マスター。」
「うん♪ よろしくね?」
ドーラは、優しく微笑んでくれた主人の顔を見て、暫く見惚れていた自分に気付くと、慌てるように消えた。
……その頃、ゲンドウは焦れていた。
彼が、どうしたものか、もう一度シンジに聞こうかと、席を立とうと腰を上げた時だった。
”プチュン!”
電気的な音が聞こえたので、ゲンドウはそちらに視線をやった。
「お待たせを致しまして、申し訳ございません、ゲンドウ様。
…それでは、前回の歴史上…
何が起きたのか、あなたの行動、世界情勢などを含めて説明させて頂きます。
なお、質問は適宜受付け致しますので、至らぬ説明で分からぬ点がございましたら、
遠慮なく仰って下さいませ。 …説明は、音声と文章、どちらが宜しいでしょうか?」
”ぼすっ…”
……ゲンドウは愕然としたままイスに腰を落とした。
その緑の瞳の女性が映っているモニターは、世界最高のハッカーでさえ侵入不可能であろうとされる、
最高度のセキュリティを誇っている特別端末だ。
……その端末に何事もないように当然と出現した女性。
それの意味する処、それはSSS級のセキュリティでさえ、シンジの好きにできるという事だ。
世界中の情報を自由に得られる我が子。
それでも力が無いというのか?
ABB級情報のEVAの実験を知り得たのもこの女性のお陰か、とゲンドウは固まったままの頭で考えた。
「ゲンドウ様、質問に答えて頂きたいのですが? もし、職務等でご都合が宜しくないのであれば、
仰って下されば、説明はその指定される時間に致しますが?」
「…いや、構わん。 キミは、シンジが確か”ドーラ”と呼んでいたが、私は何と呼べばいい?」
「? ドーラで構いませんが?」
ゲンドウは、この女性とリリスと呼ばれていた、あのユイに渡された紅い本は、
間違いなくシンジの仲間だと思った。
(…という事は、間違いなくこの女性と親しく接した方が良さそうだな。
それに彼女たちはシンジの”力の象徴”でもあるわけだし。
…今後、シンジとのやり取りや、情報操作などお願いも沢山でてきそうだ。
あの紅い本は、既にユイに取られたと思って間違いはないだろう。
…自分はどうにかして、この女性を味方につけるべきだ。)
「う、む。では、ドーラちゃんと呼ばせてもらおう。」
ゲンドウは何とかフレンドリィに呼ぼうと言った。
「…ドーラで構いませんが。」
呼ばれたこの女性は、主人にすら呼ばれた事のない言いように、少し不快感を持ったようだ。
「ぬ。 …ま、まぁ、良いではないか、ドーラちゃん?」
……挫けぬゲンドウ。
そして対外折衝の上手い彼は、シンジと彼女たち2人のやり取りを正確に記憶していた。
「キミとリリスと言ったかな? あの紅い本はライバルなのかね?」
その言葉に、いつもの冷静な言葉遣いに変化を見せるドーラ。
「とんでもございません! 私が彼女をライバルとは、到底認識できませんわ!
それにマスターにはくれぐれも仲良く、と言い付けられておりますから。」
その感情を理解したゲンドウは、この女性の心の裡をえぐる言葉を言う。
「そうだな、キミの方が優秀だろう。 …シンジの役にとても立ちそうだというのはよく分かる。
私もシンジの父親として、あの子に出来る協力をして上げたいのだ。
だから、キミは私にも協力をしてくれないかな?」
「マスターの為に、でしたら勿論ご協力致しますわ。」
「そうか、ありがとう、ドーラちゃん。」
「………では、早速、レクチャーを開始致します。」
……ドーラはそう呼ばれる事を諦め、無視した。
………数時間後。
……ゲンドウは前史を見聞きし、自分の行いを深く悔い、また情けなくて泣けてきた。
もちろん、この時点ではまだ何もしていないのだが、しかし。
……自分が妻を失うという事で、そこまでの狂気が自分の中に在るとは考えられなかった。
「まだゲンドウ様は、この前史の行動をされている訳ではございません。
…また、マスターはあなた様の事を理解できると仰っておりました。」
「っ!! な、なぜだ! 君の教えてくれた事が、本当に私がした事なら、
どうして理解する事が出来る!?
息子を捨て、人の心を捨てた私を、理解する事など出来るハズがないだろう!!」
ゲンドウの声は、心の叫びに近くなってきている。
しかし、全てを包み隠さず教えている女性は冷静に言葉を紡いだ。
「マスターは、もし自分の最愛の女性が手の届かない彼方へ消えてしまった時に、
唯一つの方法が見出されたなら、間違いなくそれに向け、全てを犠牲にしてでも遂行するだろうと。
だから自分は、間違いなく父ゲンドウの息子なのだ、と仰っておりました。」
「!!!」
ゲンドウは、今や何も言えず、ただ涙だけが溢れた。
前史、外道な行いをした自分を……自分で許せない自分を息子は理解し許してくれる、
その心に感動すら覚えた。
最早、自分に一遍の迷いはない。
全力を持って息子を護る、サポートしてやる……これはゲンドウの心に刻む誓いだった。
碇シンジの両親が前史で行った事…それぞれが自分の行い、過ごした時間を理解した。
……両親は、我が子の考えを理解し、その優しい心に本当に自慢の息子だと感じ喜んだ。
そして、これからの事を、未来を、息子の望みをかなえようと誓うのだった。
そして、世界初のEVAとの”適格者”方式による第一次接触実験が開始される。
第一章 第三話 「碇家」へ
To be continued...
(2006.12.23 初版)
(2008.06.07 改訂一版)
作者(SHOW2様)へのご意見、ご感想は、 または まで