ようこそ、最終使徒戦争へ。

第一章

第七話 テロ

presented by SHOW2様


墓所−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………12月30日、ドイツ。




”………カーン………カーン………カーン………”


何時の間にか、太陽からの光を遮るように辺り一面に薄灰色の霧が満ちた小高い墓地に、

 死者への手向けと鳴らされた鐘の音が響き渡る。

「…アスカ。」

父親に手を繋がれている女の子は、母親の死を見た時から笑顔を失っていた。

口を”ぎゅっ”と閉じている娘を見る父は、今だ愛妻の死を受け入れられなかった。

愛する家族を喪った親子にとって、ここは正に色彩を失った灰色の世界だろう。

参列している人々は彼女の死を悼む友人や職場の同僚達だろうか?

”ザッ………ザッ………ザッ………ザッ”

スコップと擦れる土の音だけが支配するような重たい雰囲気の中、呆然とそれを見る夫にとって、

 埋葬される棺の周りを囲む多くの参列者達と妻の関係はどうでも良い事だった。



………彼らの囁く声を聞くまでは。



…仮定が現実の話になったな。

あぁ、因果なものだ。提唱した本人が実験台とは。

では、あの接触実験が直接の原因と言う訳か。…精神汚染…その後、崩壊。

それが接触の結果か。

早すぎる死だな。惜しまれるヒトほど早いものだ。

…しかし、まさか彼女が殺されるとは。

何でも安全装置の不具合を見過ごした助手がその責任を免れる為に、彼女を殺害して自殺を装ったとか。

いや、案外それだけが動機では無かったかも知れんよ。

ピョートルが彼女の不倫相手だったって言うあの噂か?

かの惣流・キョウコ・ツェッペリン博士だぞ、信じられんな。

まったくだ、あの博士に限って有り得んよ…その話は本当なのか?

まぁ、どんな人間でも、その内面には信じられない様な意外性を持っているものさ。

何れにしろ、残酷なものだ。…まだ、あんな小さな子供がいるのに。



研究所に降って湧いたような突然の事件…ピョートルの殺人容疑と自殺は、

 ゴシップ好きの”他人”にはキョウコの不倫、殺人へと達した愛憎劇を創る格好の材料になってしまった。


………黒い服を着た女の子は、周りで自分達を蔑み面白そうに喋っている大人たちを睨んでいた。


隣に居た叔母がそんな周りの声に堪えかねて、じっと動かないアスカに泣きながら言った。

「ぅ、ぅ。偉いのね…アスカちゃん。いいのよ、我慢しなくても。…泣いていいのよ?」

「いいの。私は泣かない。人形を娘と言ったママの為には泣かない。

 アレは本当のママじゃないもの……だから、私は自分で考えるの。」

(本当のママはパパと私を愛してくれていたもの。偽者のママなんか知らない。だから私は泣かない!)

誰が喋っているのかよく分からないのに、その言葉だけは彼の耳にこびり付く様にハッキリ聞こえ、

 父親は一度も想像した事の無いその内容を聞くに従い、頭の中を激しく乱していった。

(え?何だって?…不倫?…な!そんな馬鹿な!キョウコが浮気?…まさか!…うそだ!!…そ、ん、な。)

くだらない噂話を否定してくれる愛妻は永遠に喪われてしまった。

父親は出口を照らす光の無い心の迷路に足を踏み入れていく。


………そして深い愛情は憎しみへ…強い想いは一度狂ってしまうと元には戻らない。


彼は心のバランスを失ってしまった。

その後、彼は精神的に全く余裕の無い今の状態では仕事を失ってしまうと考えて病院を訪れた。


「……ご主人のお気持ちはお察しします。」

「まさか、妻が浮気をしていたなんて、信じられません。

 そんな事は有り得ないと頭では分かっているのですが、仕事に手が付かなくなってしまって……。」

「奥様も一人の人間ですわ。普通の人なのですから、過ちを犯してもなんら不思議ではないのですよ?」

女医は彼に諭すように優しく話し掛ける。

「そうそう、お昼まだでしょう?

 気分転換にどうですか?この病院のレストランって意外とおいしいんですよ?」

その優しげな女性の笑みを見て葬儀以来、暗闇に支配されていた心に一筋の光を感じてしまった男。

男女の関係に時間や今までの経過など関係の無い些細な事のように、

 カウンセリングを担当してくれた女医に縋ってしまった父は娘に何の慰めも出来なかった。


……その娘は純粋に自分を愛してくれた”本物の”キョウコを慕う事で心のバランスをとっていた。

アスカは、自分の知っている母が家族を裏切るような行為などするハズが無いと考えていた。



「どうして、パパはママの悪口を言うの!?」

「アスカ。キョウコは僕らを裏切っていたんだよ?」

「嘘よ!そんなの嘘に決まっているわ!」

「……アスカ。」

「もういい!NERVに行く時間だわ…パパ、行ってきます。」



アスカは母の悪口を言うようになった父に不満を持つようになった。

そんな親子は自然とすれ違いも多くなってしまう。

……何処にでも有りがちな家庭の問題だろうか。しかし、彼女は選ばれし特別なチルドレンだった。

アスカは大学から帰るとそのままNERVに行きチルドレンとしての訓練を必死に励んだ。

ママのEVAに乗るために。その席を誰にも渡さないように。

自分がEVAのエリートパイロットであり続ける事をレゾンデートルにして。

大好きなママが誇りに思ってくれるから。…そう信じて。





休暇−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………サンディエゴ。



”ザァァァァァァ”

月の蒼い光が黒い海を照らしていた。その鏡のように静かな水面を崩し壊すように巨艦は突き進む。

アメリカ大陸の西海岸、太平洋側に面しているカリフォルニア州に向かい、

 空母オーバー・ザ・レインボーはカリブ海からパナマ運河を通過していた。

「…知らなかったなぁ。改修されたパナマ運河って空母でさえ通れるようになっていたなんてね。」

「アオ君、セカンドインパクトから世界は変わっちゃったんだよ。」

マナはデッキに居たA・Oを見つけて彼の独り言に加わった。

「マナ…。」

シンジが振り向くとブラウンの髪を海風に揺らす女の子が立っていた。

「綾波さんは?」

「自室で休んでいるんじゃないかな…僕は夜風に当たりたくなってね。マナも早く休んだ方が良いよ?」

「うん、分かってる。…月が綺麗だね。」

ゆっくりとシンジの左に歩き寄り、海原を眺めるマナは意を決したように一息に言葉を出した。

「あの、ちょっと聞きたい事があるんだけど…いいかな?」

「?、なんだい?」

「アオ君って綾波さんとどういう関係なのかなって、その…どう想っているのかなって…」

シンジから向けられた視線を感じるが、マナは海原に映る月から目を逸らす事が出来なかった。

「レイと僕の関係?」

「…うん。」

(何て言えば良いんだろう…)シンジは恋愛事には不慣れである。

しかし、暫く頭の中で整理をつける時間を使ったシンジはマナに嘘を言う事は無かった。

「レイは僕のとても大事なヒト、僕の命よりも大事なヒトなんだ。」

マナは耳に入ってきたその言葉に思わず彼の方を向いてしまう。

そこに見えた彼の力強い光を宿す様な真紅の瞳に、まるで自分の視線が縫い付けられてしまったかの様に、

 逸らす事も動かす事も出来なくなってしまった。

マナはまるで心が吸い込まれてしまいそうな、そんな不思議な感じを覚えた。

女の子は熱を帯びた様に”ぼ〜っ”としてしまいそうな頭を必死に動かして何とか会話を続ける。

「ぁぅ…あ、そ、そうなんだ。あ、あの…幼馴染なの?」

シンジは逡巡する様に瞳を海原に向け、そこに光を反射して揺れる様に浮かぶ月を見た。

「う〜ん、……ちょっと違うけど。でもずっと側に居てくれたんだ。」

蒼銀の月明かりが降り注ぐ誰も居ないデッキの廊下に、二人の影が静かに浮かんでいる。

暫く静寂が二人を支配していたが、マナは突然”くるっ”と身体を回し廊下の先に向かって歩き出した。

「…そっか、ゴメンね。突然、変な事聞いて。私、もう部屋に戻るね。お休み…アオ君。」

「うん、お休み。」

マナは自室のベットに倒れるように寝そべると、A・Oの事を考えていた。

(はぁ。す、凄いわぁ…。初めて聞いちゃったよぉ!

 …”僕の命よりも大事だよ”って普通言えないわよぉ〜。うぅ〜私もそう想われたいぃ〜。

 アオ君に…あの綺麗なルビー色の瞳で見詰められて言われたいぃ!!

 ……私、綾波さんに勝てるかしら……いえ!勝つのよ!!そう、勝ってみせる!!)



………妄想に暴走、恋する乙女にブレーキは無い。



それから数日後。白い雲が浮かぶ青空の下、OTRは予定通り目的地に着いた。

ここ、カリフォルニア州サンディエゴ市は、アメリカ最南西端に位置する街である。

そして、この街はOTRの母港ノーフォークと同じ様に大規模な軍港を再建されていた。

現在のアメリカでは、航空母艦がそのまま利用できる軍港はこの2ヶ所のみであった。

OTRは物資の補給とメンテナンスの為にゆっくりと入港して行く。

シンジ達トライフォースはこの補給に合わせる様に初の休暇が与えられていた。

その休暇に入る前の隊員を集めたOTRの会議室からシンジの声が聞こえる。

「総司令部から通達があった通り、我々トライフォースは今日より1週間の休暇を与えられた。

 OTRが出港するのは1月17日午後13時である。

 諸君はそれまで市内のホテルに滞在しても良いし、OTRの自室を利用しても構わない。

 但し、決して乗り遅れの無い様に。…それでは、解散。」

通達を終えた、隊長A・Oに向かってマナが近付いていく。

「ねぇ、アオ君。休暇はどうするの?」

「え?、あぁ…僕とレイは市内のホテルに部屋を取ったんだ。まぁ、観光とかしてのんびりかな。」

本当は日本に行く予定であるが、そんな事は言えない。

「えぇ!いいなぁ…って、まさか綾波さんと同じ部屋、なんて事は無いよね?」

「当然、一緒よ。」

何時の間にかシンジの横に居たレイはマナに対して死刑宣告の様な事をサラッと言い放った。

「え、え、えぇぇ!!」

マナはその瞳を大きくして驚いてしまう。

「ちょっと!アオ君、どういう事!?…私も一緒に泊めてよぉ!…ね?いいでしょぉ〜?」

「ま、マナ。それは無理だよ。2人部屋だし…。お金が勿体無いからそうしただけなんだよ?」


………お金は腐るほど持っているシンジは流石にレイと離れたく無いだけとは言えない。


「ふぅ〜ん、アオ君って意外とエッチなんだね。」

マナは横目になりシンジに”じ〜っ”と視線を投げる。

「ナ、何言ってるのさ、マナ!」

その本心を見透かされてしまうような居心地の悪い視線を感じたシンジは、

 どうしたモノかと落ち着き無くあたふたしていたが、

「A・O君、行きましょう。」

 レイに手を取られて引き摺られるように連れて行かれてしまった。

「あ、ちょっと待ってよぉ…って聞いて無いし。」

(こうなりゃ…ついて行っちゃおう!)

出発準備を終えたレイを見たシンジは彼女の久しぶりの私服姿に”にっこり”と満面の笑顔を向けた。

「…どうしたの?」

「可愛いね、レイ。」

「な、何を言うのよ。」

大好きな笑顔と突然の言葉にレイは俯き顔を紅らめてしまった。


………シンジ達は久しぶりに踏んだ大地の感触を味わうようにゆっくりと軍港を歩いて出て行った。



………同日、ドイツ。


アスカの父は、心の平穏を取り戻すために不倫をしたと決めつけた妻を恨み、精神科の女医と肌を合わせた。

情事の跡が残るベットに女と寄り添うように寝ている彼は、唐突に思い付いた事を口に出した。

「……しかし、精神崩壊の切っ掛けがなぜ人形だったんだろう?

 あの様子では…アレでは、まるで人形の親子だ。

 いや、そもそも人形と人間なんて紙一重かもしれないか…。」

……気だるそうに男の腕に頭を任せていた女医はゆっくりと彼に答える。

「そうですわね、これは憶測になりますけど…精神汚染を受けた彼女は無意識に心の境界線を創り、

  都合の良い世界とでも言うべき意思の無い人形の家族を創造して、自我を失いかけた自らの心、

   その精神を守ろうとしたんじゃないかしら。

 自己完結する精神世界は、まず自身を絶対的な存在とするところから始まり…

  そして、人形とは決して逆らわないモノの象徴ですわ。

 …もし、神が居たとしたら我々はその人形に過ぎないのかもしれませんよ。」

「おいおい、近代医学の担い手とは思えない言葉だな…。」

「…うふ、私だって医師の前に唯の人間、一人の女ですわ。」

「そうか、どれ…。」

「…あ…んぅ…」

再び彼は女を組み敷くと貪る様に抱き始めた。



………サンディエゴ市内。



軍港から出たシンジとレイはゆっくりと市内を歩いていた。

カリフォルニア州はセカンドインパクトによる被害は有るものの、

 それでもまだ海や山、砂漠等の豊かな自然の景観を保っている所も残っているようだ。

『シンジ君?』

『うん、分かっている。後ろに200m位の所だね。』

『居るわ、彼女。』

『ふぅ、どうしよう。』

シンジはレイに少し困ったような顔を向ける。

レイは歩きながらジッと彼の真紅の瞳を見ていた。

『…シンジ君の好きにすれば良いと思う。』

『じゃ、彼女には悪いけど…撒いちゃおう?』

悪戯っぽく答えた男の子にレイは振り返り手を伸ばす。

『くすっ…了解。』


………好きにすれば良いと言った割には、レイは嬉しそうに彼の手を握り走り始めた。


(あっ!!気付かれた!!)

マナは振り返ったレイが彼の手を取り、突然走り始めたように見えた。

尾行していた目標であるカップルは物凄い勢いで遠ざかって行く。

マナは考えるよりも先に追走を開始した。

一方のシンジはレイと手を繋ぎ走っている事を楽しむ様に笑っていた。

「…レイ、4つ先の交差点を右。600m先を左、後は直線でホテルだよ。」

「うん、急ぎましょ。」

「ははは、マナも頑張って付いてくるね。訓練の成果かな…ってレイ、楽しそうだね?」

「ふふっ。そうかもしれない。シンジ君、霧島さんは鬼なのね?」

「え?あ、あぁ。そんな感じかな。」

(…そっか。コレって、鬼ごっこみたいだね。…レイにはもっと色々なことを経験させてあげたいな…)

レイが楽しそうに笑うとシンジも同じ様に微笑を浮かべる。


………かなりのスピードで疾走している状態ではあるが。


(っぜぇ、ぜぇぜぇ。みぃ、見失っちゃったぁ…。)

必死に追走していたマナはホテルまで後1km、

 という所まで彼らを追跡する事に成功していたが、交差点を曲がった先で見失ってしまった。

(…く、くやしい!…いいわ、綾波さん。そっちがその気ならこっちもあらゆる手段を講じるだけよ!!)

マナはリュックから国連軍の特殊部隊用に開発された情報端末を出すと、

 折りたたみ式キーボードを接続し、市内に点在するホテルのサーバーを片っ端からハッキングし始めた。


………彼女は情報戦第3位の腕前である。


その特技を生かす為に用意された端末は彼女の為にシンジが改造を施し更に性能を向上させたモノであった。

しかし、彼女の努力は今のところ実っていないようだ。

”カタカタカタ、カタカタカタ。”

(……いない、リストに無いわ。どうして?

 あ、そっか。もしかすると、ホテルで利用する名前ってA・Oじゃないかも。……本名か。

 ……そう言えば、まだ教えて貰ってなかったな。よし、綾波さんの名前で探そう。)

道端でブツブツ独り言を言っている女の子。

まさか、白昼の往来で堂々とサイバーテロをしているとは、道行く人々には想像も出来まい。

その頃、シンジは事前にマユミにお願いして予約を取って貰ったホテルにチェックインをしていた。

『マスター、霧島さんが手当たり次第に各ホテルのサーバーに対してハッキングを仕掛けています。』

『困ったもんだね、でもシンジ・リカイという名前を知らないんだから見付からないと思うよ。』

『マスター、彼女が使用しているのは正式な軍用IDです。後で司令部に怒られてしまいますよ?』


………腕は良いのに少し抜けているマナ。後で目玉をもらう事になりそうだ。


『う〜ん。ドーラ、彼女の回線を強制的に切って。メッセージを添えて、ね?』

『畏まりました。』

路上に座り一心不乱にキーを叩く女の子の手が止まる。

「あ!切れた!いえ、切られた?…ん、なに?」

《悪戯はそこまでだよ?霧島准尉。》

「げ!見付かっちゃったか…。あ、まずい!ログ消さなきゃ!」


エレベーターを昇り切ったシンジは、レイと屋上に用意されていたVIP用のペントハウスに入って行く。


………どこが2人部屋なのだろうか? 


シンジは荷物を置くと、彼女から”スッ”と飲み物を差し出されたのでそのまま受け取った。

「はい、シンジ君。」

「ありがとう。走ったから、少しのどが渇いていたんだ。」

”ごくっごくっごくっ…ぷはぁ!”

シンジはレイが用意してくれたスポーツドリンクで渇きを癒したが、腑とした疑問が頭に浮かんだ。

「あの、レイ?」

「なに?」

「これ、飲みかけだったみたいだけど…」

「…間接キスなの。」

頬を紅く染める女の子。

照れているレイを見ていて更に疑問が彼の頭に浮かぶ。

「そういえば、コレっていつ買ったの?」

「シンジ君がチェックインしている時に。」

「レイって現金持っていたっけ?」

「シンジ君、自販機でも国連軍のカードが使えたわ。」

「はは、マナのハッキングを止めて良かったよ…。」


………危うくログから滞在するホテルがバレる処であった。


「しんちゃん、マナちゃんの波動が離れて行くよ。どうやら、諦めたみたいだねぇ。」



………路上。



(ちぇ!しょうがないか。空母に戻るかな。…でも折角ココまで来たんだから、市内でも見てから帰ろう。)

マナは端末をリュックに戻し、ゆっくりと街の中心へ歩いて行った。

そんな彼女が商店街の様な小さな店の連なる通りをぶらっと歩いていると、後ろから名前を呼ばれた。

「あら?マナじゃない。どうしたのこんな所で?…あなた一人なの?」

振り返ると第2班のカーチャとベッキーが居た。

ベッキー・ジョーンズは黄金色に輝くロングヘヤーをポニーテールに結っていた。

彼女はその髪型の名前通り、馬の尻尾のように揺らしながらマナに歩き寄る。

「へぇ、こりゃ意外。…ツウだねぇ、マナ。ここの通りって地元の奴らしか来ないような場所なんだよ?」

その気取らない男っぽい話し方で喋るベッキーの表情は母性を感じさせる優しい微笑だった。

青い瞳を嬉しそうに細めた彼女は、伸ばした右手でマナの頭を柔らかく撫ぜた。

「そうね、私も地元のベッキーの案内が無ければココは分からなかったわ。

 結構安くて良いモノを置いているお店が多いのよ。」

カーチャは撫ぜられてくすぐったそうにしているマナを見ながら言う。

「そ、そうなんですか?…適当に歩いていたらココにいたって感じなんですけど。」

「暇なら、あたし達と一緒に市内観光でもしないかい?」

「いいんですか?」

「マナが一人って事は…どうせ、隊長は嫁さんと出かけたんだろう?」 

「ち・が・い・ま・す!…まだです、まだ、嫁じゃ無いですよ!」

キッと睨むマナを見るベッキーは面白いおもちゃを見付けた様な顔をしている。

「そうかい、そうかい。分かったよ。じゃぁ、取り合えずコーヒーでもどうだい?アソコのは旨いんだ。」

ベッキーはタイトなミニスカートを履いているが、それが捲れてしまいそうな歩幅でさっさと歩いて行く。

カーチャとマナはベッキーに続いて小さな喫茶店に入って行った。



………NERV。



(ふう、EVAの素体、装甲、運用システムは大体の仕様が決まりつつあるな。)

ゲンドウは、司令執務室で書類に目を落としていた。

(第3新東京市…その実権もMAGIが予定通り稼動すれば、我がNERVの手中に収まるだろう。)


…スパコンを使った多数決による民主的で公平な政治のモデルケースとしての実験と実証を行わせろ、と

 委員会が日本政府に圧力を掛け、第3新東京市の市政は特務機関NERVに委ねられる予定であった。

もちろん、今まで通り政治家が立案や審議等をするが最終決定権はMAGIにある。

ゲンドウは机に書類を投げると、特殊端末からメールを打ち始めた。


………かれこれ、何年になるのか。


その文を知らぬ者が見たら喪った愛しいヒトを想い、

 その慰めとしてバーチャルな恋人と遣り取りしている可哀想な男に映るかも知れない。

ゲンドウは愛妻ユイと文通をしていた。ある意味、プラトニックと言っても良いかもしれない。


《ユイ、こちらの時間では、あと4年とちょっとだ。もう直ぐだよ、ユイ。

 シンジは相変わらず忙しいようだ、連絡すらよこさん。綾波クンの定時連絡でおぼろげながら、

  2人の状況が分かる程度だ。彼女の文面は非常に簡素なので、想像で補うところは多々あるがな。

 ところで、そろそろ初号機にも外装を取り付ける時が来たのだ。仕様は決まっているが、

  細かな点は決定していない。……ユイ、初号機のベーシックカラーは何色にする?

 ドイツの2号機は赤、本部の零号機はオレンジだ。青色か、シンジの色…白にでもするか?

 …話は変わるが、先日、対外交渉に役立つと冬月に言われて、貫禄を出すために髭を蓄えたのだ。

 私自身はまぁまぁだと思ったのだが、貫禄というより…ひょっとすると周りを威圧しているのかも知れん。

 私を初めて見た赤木リツコ博士の助手、伊吹マヤ君は”ひっ”とか言って腰を抜かしたのだ。

 その横に居た赤木クンは横を向き、笑いを堪えるように苦しげに肩を震わせていたしな……。 

 ………失礼なお嬢さん達だ、まったく。

 MAGIが完成し稼動すれば、初号機との直結リンクも可能となるハズだ。

 シンジに頼めばログを残さずに、君の意思で望む情報を得ることが出来るだろう。

 それまでは、私の文章で我慢してくれ。 お前に早く逢いたいものだ。   

 それではな。  ユイ、愛しているぞ。  

                                 ゲンドウ》


”プシュ”

ゲンドウがメールを送信したタイミングで彼の片腕、冬月が執務室に入って来た。

「碇、新年度のNERV採用試験についてなんだが、如何だろう…私に作成させてはもらえんかね?」

「どうしたんだ、突然?」

「この前、リツコ君の採用した助手、マヤ君は若いがなかなか優秀だ。彼女の様なスタッフを採用するには、

 今までどおりの試験方法ではなかなか見い出せまい。

 レイ君が置いていった国連軍の採用試験は非常によく出来ていた。アレを参考にして組み直し、

 2月の入社試験に取り入れようと思うんだが、どうだろうか?」

「かまわん、冬月。必要ならスタッフを集めて取り掛かってくれ。」

「よし、それでは早速動こう。」 

元教授としてのサガか、冬月は試験問題作成の仕事を嬉々として開始した。



………喫茶店。



窓際のテーブル席に3人の女性が座っている。

その中の一人は、メニューを見て悩んでいた。

「あの、ベッキーさん。このお店ってココアとか紅茶とか無いんですか?」

「コーヒーはあるぞ?」

「私、コーヒーって苦手なんですよ、あの苦いのが。」

目の前でまだ何も飲んでいないのに既に苦そうな顔をしているマナを見たベッキーは思わず噴き出した。

「ぷっ。まぁいいから騙されたと思ってコーヒーを飲みな。ダメならミルクを多めに入れれば大丈夫だろ?」

「は、はぁ。」

並んで座っているカーチャもベッキーと同じコーヒーを注文し、その香りを楽しんでいた。

マナは自分の目の前にあるコーヒーを飲み、想像と全く違う味に思わず声を上げた。

「え?コレ全然苦く無いよ?…っていうか、凄く良い香り。おいしい!」

「はははっ、ありがとうよ!お嬢さん。」

カウンターの奥でコップを拭いていたマスターはその素直な感想を述べた少女を見て嬉しそうに笑った。

「ところでさ、マナ。」

「なんですか?」

「隊長の事、諦めないのかい?」

「へ?どうしてですか?」

意外な質問を聞いたと言う顔をしているマナを見たベッキーとカーチャはお互いに顔を見合わせて、

 肩で軽いため息をついた。

「あのね、マナ。隊長とレイはかなり固い絆のようなモノを持っているわ。分かるでしょう?」

優しく諭すようにカーチャは言う。

「む、む〜。そ、それはまぁ…何と無く。でも、絶対じゃないと思いますよ…多分。」

ベッキーは”にやっ”と笑いながら言った。

「そうだ、マナ。一度強引なアタックでもしてみちゃどうだい?」

「え?」

「レイの目の前で、ぶちゅっとキスをするとかさ。」

「あなたねぇ、そんな事したらマナが殺されるかもしれないわよ?」

「大丈夫だって。その固い絆とやらがあるなら、案外それ位じゃ〜レイは動じないんじゃないの?」

「そんな事したら、綾波さんの前にアオ君に嫌われそう。」

「そうよ、からかうのは良くないわよ、ベッキー。アナタこそロビーを放っておいて良いの?」

「な、なんで、ロビーのヤツの話が出てくるんだい?私には関係ないよ。」

「だって、ベッキーさんって何時もロビーさんと一緒じゃないですか。」

マナは攻勢に転じた。

「あ、ありゃ〜頭でっかちのロビーのヤツが周りに迷惑をかけるから、その…仕方なく私が、

 アイツの尻拭いをしてやってるだけだって。」

キョロキョロと視線の落ち着かないベッキーを横目で見たカーチャは、また肩で軽いため息をついた。



………京都。



シンジ達が戻ってくるという知らせを受けたこの屋敷は歓迎の準備に追われていた。

当主は今夜8時に帰宅する予定であった。

客人として招かれたリツコは日の沈みかけた夕方6時に屋敷へ到着し、客間で寛いでいた。

有給休暇を2日間使った一泊の旅行だとマヤと同僚には言っておいた。

リツコは母の遺品の一つになってしまった赤いスポーツカーに乗り、

 暫く記憶に無い位のゆったりとした時間と移りゆく景色を楽しむようにドライブをしてきたのだ。


”コンコン…カチャ”

「失礼致します。当主様が到着されました。赤木様、宜しければ応接間に御出で下さいませ。」

「分かったわ、ありがとう。」

飲みかけのティーカップをテーブルに置いたリツコはメイドの案内で応接間に向かう。

ゆっくりと歩く彼女は身体のラインを強調する様な紫色の艶やかなチャイナドレスを着ていた。

リツコは、母の事で弱っていた自分を励ましてくれた彼らに会う事を非常に楽しみにしていた。

廊下を暫く歩き見えてきた、豪奢な応接間に案内される。

「シンジ様、赤木リツコ様をお連れ致しました。」

「どうぞ、入って下さい。」

通された部屋の中を見るとソファーに座っていたシンジとレイが立ち上がり笑顔を向けてくれた。

その陽だまりの様な暖かな笑顔に誘われる様にリツコも自然と笑みがこぼれる。

「よかった、姉さん。笑ってくれて…。」

「お久しぶりです、リツコお姉さん。」

「シンジ君、レイちゃん、お久しぶりね。……会いたかったわ。」

シンジ達はリツコの笑顔を見て、彼女が母の死の悲しみを乗り越える事が出来たのだと感じ取り喜んだ。

この夜、碇家で催された夕食会は玄、シンジ、レイ、リツコだけでという訳にもいかず、

 屋敷の大広間で大宴会の様相になってしまった。碇家で働く人々は等しく当主を敬愛しているのだ。



………再びNERV。



「碇、そろそろ初号機の特殊装甲を作成しなければならん。色は決めたのか?」

「あぁ、考えている。」

「おい、碇。今日が期限だ。今決めろ。」

「む…」

ゲンドウが決められる訳が無い。ユイの返事待ちだ。

「分かっている、冬月。では少し一人にしてくれ。」

「何を言う、私は今決めろと言ったのだ。一人で考え込む様な事かね?」

”ピピッ”

ゲンドウは冬月を無視して、今来たメールを読み始める。


《こんばんわ、ゲンドウさん。

 ゲンドウさんに髭……確かに少し強面に見えるかもしれませんね。

 でもりっちゃんとその助手、伊吹さんを怒らないであげてくださいね。

 あなたの言う通り、早くMAGIが稼動してくれないかしら。

 私はやっぱりシンジとレイちゃんの動向をなるべく知りたいの。

 コアの中って思ったより退屈なんですもの。

 ふふっ…ですから、アナタのメールがとても嬉しいわ。

 あ、そうそう。初号機のカラーは紫をベースにしてくださいな。

 シンジの好きなおもちゃのロボットは紫色でしたものね。

 ここの時間で後2日とちょっと、もう少しで始まってしまうのね…使徒との戦いが。

 私達に出来るサポートをしてあげましょう。

 あなた、頑張ってください。 私も早く逢いたいですわ。

                                 ユイ。》


「どうした、碇。誰からのメールだ?」

「(ユイ、EVA初号機をオモチャのロボットと一緒にせんでくれ…。)

 む。いや、そうだ、冬月…。

 初号機のカラーは決めてある。…紫だ。」

「紫か?これはまた兵器とは縁の遠い色だな…本気かね?」

「あぁ。紫の魔人。EVAは兵器ではないのだ。神の使い、使徒を殲滅する紫の悪魔だ。そうだろう?」

「言い得て妙だな……確かにそうかも知れん。よし、分かった。これから製造部門に指示を出しておこう。」

冬月は執務室を出て行った。



………京都。



リツコは酔っている。

彼女が他のヒトを気にせずここまで”地”を出す事は珍しいだろう。

それほど彼女にとって、シンジやレイと過ごす時間は楽しく、また居心地の良いものらしい。

「シンジ君♪こっちにぃ、いらっしゃいな♪」

上座中央に用意された席に当主は居ない。

彼はまめまめしく働く使用人達の労をねぎらう為にマユミの用意した酒で酌を注いで廻っていた。

そして、その終盤の一角で姉に捕まった。

「リツコ姉さん。大丈夫?ちょっと飲みすぎじゃないの?」

「あらぁ?シンジ君。アナタにお酒の事なんて分かるのかしら?」

そう言ったチャイナな金髪美女は男の子の腕を引き寄せ”ぎゅっ”と彼を胸に抱く。

レイは反対側の離れた席で調理場のおばさん達に花嫁とは、妻とは…と切々と教育されていた。

「いい、レイちゃん。夫婦ってモンは同じ床で起居するもんだよ?」

「そうなんですか?」

「そりゃそうさ。いいかい、成長し大人になったシンジ様は、絶対におモテになる。

 …あんな良い男、この世の女が放っておくもんかね。

 レイちゃん、当主様との愛は永遠かもしれないけど、男ってぇ生き物は間違いをするもんだ。

 その時、レイちゃんがどう対処できるか、それがとても大事なんだよ。」

「…シンジ君は、そんな事しないと思う。」

「そうだね、確かにそうだ。

 けれども、相手から無理矢理だとしても、前後も分からず偶々そんな場面を見たらどうする?」

「………分からない。」

「レイちゃんは、大人しいからねぇ。偶には自分の持つ感情をぶつけても良いんだよ?」

シンジはマユミに助けられて漸く酔っ払いの腕から逃れることに成功した。

「シンジ様、大丈夫ですか?」

そう言いながら、シンジの乱れた服と髪を直すマユミ。

「うん、大丈夫だよ、ありがとう。って…リツコ姉さん、ちょっと大丈夫?」

「大丈夫よぅ〜……」


………酔っ払いの大丈夫は、大抵大丈夫ではないものだ。


リツコは目を回してそのまま畳に”ぱたんっ”と倒れると静かな寝息を立て始めた。

そんな彼女の穏やかな寝顔を優しく見ているシンジに有馬が声を掛ける。

「シンジ様、リツコ様を寝室へお運び致しましょう。ここでは、体調を崩されてしまいます。」

「うん、そうだね。お願い。」

マユミは乱れたリツコのドレスを直していた。

「シンジ様は何時お戻りになってしまうのですか?」

「明日リツコ姉さんを見送るまでは居るつもりだよ。」

マユミの問いかけに答えながら、シンジは周りを見渡すように立ち上がった。

「シンジや、何か必要なものは無いのか…用意するぞ?」

玄はシンジの両肩に手を乗せると、心配するような顔で彼を覗き込んだ。

「う〜ん。特に無いよ、おじいちゃん。」

「ところで、レイと婚約は何時するんじゃ?」

イベント好きの祖父はニコニコしながら聞いてきた。 

「へ?」

「婚約じゃよ、婚約。」

その玄の言った単語を、おばさん達の会話の間から耳に入れたレイはその遣り取りをジッと見ている。

先程まで飲めや歌えやと騒がしかった大広間の使用人達も何時の間にか水を打ったように、

 2人の遣り取りを静かに見守っていた。

シンジは大広間中から注目されているこの状況に耐えられないのか、慌てたように祖父に言う。

「…う!な、な。ま、まだ、早いよ。レイにまだ、その、言って無いし…って、おじいちゃん?」

「レイや、こっちにおいで。シンジが何か言いたい事があるようじゃよ?」

孫のうろたえぶりを楽しむように玄は更にシンジを追い込む。

レイはすくっと立ち上がりシンジに向かって歩き出す。


………かなり素早く。


「なに?シンジ君。」

レイの深紅の瞳が何かを期待するかのように”きらきら”と輝いている。

「あ、レイ…、もぉ、おじいちゃん。」

シンジはレイの雰囲気に耐えられず、祖父の方へ困ったような視線を投げる。

「何しておるんだ、シンジ。男ならガツンと言わなきゃなぁ、うん。」

玄はニコニコしながらシンジとレイを見ている。

シンジは熱っぽい瞳で見詰めているレイに向き直ると、咳払いを一つする。

「あ…ゴメン。…ゴホン、えと。レイ?」

「何?」

「もう少し大きくなって、大人になったら、僕と結婚して欲しいんだ。」

シンジの言ったその単語は、際限無くリフレインする様に彼女の頭に響き渡った。

(けっこん……けっこん……けっこん……けっこん……結婚…結婚…今のが、プロポーズ?)

……レイはその言葉の意味を頭に入れて処理するのに少し時間が掛かっていた。

そんな動かない彼女を見るシンジは、返事をくれないの?と流石に不安気な表情になるのだった。

「レイ?」

「はい…喜んで。」

白磁器の様に白い顔、首と言うに及ばず身体中を紅く染め上げた女の子は嬉し恥ずかしそうに答えた。

この世は二人だけ、と言う静寂な世界を大人達は許してくれなかった。

「ぃ〜よぉく言ったぁ!シンジ!…レイ、コレでお前も碇の一員じゃ!ほれ!皆も飲め!今日は飲むぞ!」

”どぉぉっ!!”と、この大広間の大人たちは歓喜に沸き、酒を手に幸せそうな2人を囲み、

 注ぎつ注がれつの酒盛りは尽きる事無く京都の夜は、にぎやかに更けて行く。

『レイ、ごめん。こんな所で。…本当はもっといい場所でしたかったんだけど。

 ちゃんと指輪を用意してもう一度言うからね?』

『…いい。嬉しかったもの。私、シンジ君の許婚なのね。』


シンジは翌朝、頭の重そうなリツコを見送りサンディエゴに帰って行った。





ラングレー−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………1月30日、ハンブルク。



アスカはご機嫌であった。

EVAのパイロットとして訓練を始めて約1ヶ月経った今日、

 トレーナーからEVAパイロットに必要な訓練方法や実験などの基本を、
 
  アスカを基準に作成すると決定された事を聞いたのだ。

日本に居るもう一人のパイロットはよく知らないが、聞けばNERVでの訓練は一度もしていないそうだ。

(はっ、どうせ使いモノに成らないんだわ!日本の本部はそれがバレるのがいやなのね!)

アスカはパイロットのベーシックとなる自分に対してエリート意識とそのプライドを高めてゆく。

NERVでの訓練が終わり自宅へ戻ると、玄関には父の靴と見慣れぬ女性用の靴が置いてあった。

(あれ?…お客さんかな、だれなんだろう?)

そんな事を考えながらアスカがリビングのドアを開けると、その部屋に先程の靴の持ち主が居た。

「おかえり、アスカ。」

「お帰りなさい、アスカちゃん。」

父は女性と共にソファーから立ち上がり、慈愛に満ちた笑顔でアスカを迎え入れた。

「ただいま、パパ。えっと、そちらのカタは?」

「あぁ、アスカの新しいママになるヒトだよ。

 パパはこのヒトと再婚を前提にお付き合いをする事にしたんだ。

 アスカと仲良くなって欲しいから、今日からこの家で一緒に暮らしてもらうんだよ。」

「……どうして?」

「アスカ…。僕にとっては妻が、アスカにとってはママが必要なんだよ。」

(そっか、パパはママじゃなくても良いのね……。)

「初めまして、アスカちゃん。仲良くしましょうね。」

その女性は眼鏡を掛け直して、袋から包みを出して女の子に差し出した。

アスカは何と無く受け取ってしまった包みを持て余すように女性に問い掛けた。

「あ、アリガトウございます。開けても良いですか?」

「えぇ、どうぞ。」

女の子が開けて中を見ると人形が入っていた。

突然固まった様に動かなくなってしまった娘を心配した父は彼女の顔を覗き込む様に言った。

「どうしたんだ?アスカ。新しいママからのプレゼントだよ?気に入らなかったのかい?」

「……いいの。」

「何が良いのかな?」

人形を持つ自分の手に落としていた視線を静かに”スゥー”と女性に向けてアスカは言った。

「…私は大丈夫だから、パパをヨロシクね。それと私…人形は好きじゃないの、ゴメンなさい。」

女の子はそう言うと握手を交える事も無く、リビングを飛び出し階段を駆け上ってしまった。

「まったく、難しい子だ。……ホントすみません。」

「いえ、しょうがありませんわ。突然来て新しいママなんて、納得出来ないでしょう。

 …でも、私は頑張りますわ。アナタにも、あの子にも支えが必要ですもの。」

「ありがとう、そう言って貰えると助かるよ。」


……部屋に入ったアスカは包みごと人形をカーペットに叩きつけ、足で何度も何度も踏みしめた。


(こんなもの!…人形なんて!…人形なんて!…人形なんて!!このっ!!このっ!!)

暫く時間を空けて彼女の様子を見に来た女性はベットに突っ伏す様に寝ていたアスカに布団を掛けた。

(よっぽど疲れていたのね…それで不機嫌だった、と言う訳じゃないわよねぇ。)

そしてこの娘の部屋を何気に見渡した時、

 ゴミ箱に棄てられているボロボロの人形を発見した彼女は、自分の迂闊さに目眩を感じてしまった。

(ッ!ばか!…私は馬鹿だわ!………あの時、人形を見たこの娘はトラウマを感じていたのね…)


この日から女性はアスカの母親たろうと、心を込めて彼女に接した。

彼女も女医として忙しい仕事をこなしながら、それでも家事を疎かにしないように努力をした。

母親として子供に温かな家庭料理を振る舞い、大学へは手作りのバランスの良い弁当を持たせた。

そしてその努力を無駄にする程、アスカは子供ではなかった。

妻として、母親として努力をする彼女に同じ女性として一定の理解を示したのだ。

「ただいま。お弁当美味しかったわ、ママ。」

2週間経ったある日、アスカは初めて彼女をママと呼んだ。

「まぁ!ありがとう、アスカ。ママって呼んでくれて嬉しいわ。改めて、これからもヨロシクね?」

「うん、分かっているわ、ママ。じゃNERVに行ってくるから…行って来ます。」

「行ってらっしゃい。」

照れているのか、素っ気無くアスカはカバンを持って家を後にした。



………3月30日、教会。



今日、女の子の名前が変わった。

この日より、彼女は惣流・アスカ・ラングレーとなった。

父は、今日この日から自分達の全てを再スタートさせるという意味を込めて、ラングレーと姓を変えたのだ。

先日、彼からそう告げられた時にアスカはキョウコの事を思い考えたが、

 これからの生活に希望を持ち、自分の事を大事に考えてくれている父親にあえて反対はしなかった。

自分の母親になろうと一生懸命に努力をした女性と父は、

 天に祝福されているような晴天の中、今日この教会で結婚式を挙げた。

教会には式を執り行う神父と主役を除けは、娘だけというとてもシンプルで質素な式であった。

しかし、どんなに豪華な式でもこれ程幸せそうなカップルはそうはいないと思わせる、

 純白のウエディングドレスに身を包んだ女性と父は本当に幸せそうな顔だった。

母親になる女性が照れくさそうな笑顔を女の子に向けると、それに応える様にアスカも自然と顔を綻ばせた。


アスカが太陽のように暖かな笑顔を自然と浮かべる事が出来たのはあの母の死以来、初めての事だった。





MAGI稼動−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………NERV。



4月1日、今日は日本の大多数の会社で入社式が催される日である。

特殊な組織であるNERVでも本日等しく入社式が執り行われていた。

ここに一人の青年が居る。

彼は良く言えば物怖じしないその図太い性格と冷静な判断力を買われて、この組織に採用された。

用意されたパイプイスに座り退屈そうにしている彼は、二昔前に流行った様な肩に掛かる髪を揺らしていた。

その横に座る青年は落ち着きの無い、

 やや緊張した面持ちでこの組織の上役であろう壇上の人物の話を聞いていた。

『……で、あるからして諸君らは、……………NERVとは、そもそも………』

「なんだか、さっきから詰まらない話ばっかだな?」

「…え?」

突然、話し掛けられた眼鏡の青年は咄嗟に反応できなかった。

「いや、さっきからよくもまぁ詰まらない話を延々と喋っているなって、そう思わないか?」

「でも、それを聞くのも仕事じゃないかな。」

横目で見ると、ロンゲの青年は本当に詰まらなそうに”ぼけっ”と天井を見ていた。

その気の抜けた様子を見た青年は、意気込み緊張していた自分が馬鹿らしくなってしまった。

「はは、いや、そうだね…詰まらない話かもしれない。僕は日向マコトって言うんだ。よろしく。」

「あ、あぁ。オレは青葉シゲルってんだ、よろしく。」

彼らは情報処理、分析能力に秀でていた。唯それだけならば、例年では採用されなかったであろう。

冬月の実施した今回の採用試験は画一的なものではなかった。

それぞれの必要なスキルを満足するのは当然として、

 機知に秀でたスタッフを効率的に得る為に工夫を凝らした試験だったのだ。

それゆえ、通常のテストの点数だけ良い頭の固い人間は尽く不採用になっていた。

式も終わり、それぞれがセクション毎に別れて今後のスケジュールを確認する。

日向と青葉はそれぞれ渡された案内書どおり3階の会議室に集められていた。

「あれ、君もココだったんだ?」

「あぁ、なんだかそうみたいだ。」

コレも縁であろう。2人は一番後ろの席に並んで座り、開始までの時間を緩慢に過ごしていた。

”カチャッ”

会議室のドアが開き入って来た女性に青葉は思わず目を見開いた。

「わぁ〜ぉ、可愛いねぇ!あのショートの娘。」

「静かにしろよ。聞こえるぞ。」

「皆さん、初めまして。えっと私は伊吹マヤと申します。宜しくお願い致します。」

マヤはぺこっとお辞儀をして話し始めるが、人前で話をする事に慣れていないのか、顔が赤い。

シゲルはキョロキョロと落ち着き無くマイクを握るマヤをじっと見ていた。

「えっと、この会議室にいらっしゃる皆さんは他の会場に案内された通常の採用者と違い、

  申し訳ありませんが、まだ所属部署が決定されていません。

 なぜかと言うと、ある一つのプロジェクトを早期に完成させるのに、

  組織の枠組みが邪魔になるであろうと判断された為なんです。」

(あっ!センパイ!)

静かに会議室の後側にあるドアを開け、リツコが入って来たのを見たマヤはニッコリと笑った。

(おっ!!オレを見て笑った?……こりゃ、脈有りって感じかな…。)


………青葉シゲルは勘違いをしている。


「…えっと、通称MAGIと呼称されるスーパーコンピュータとのネットワーク構築、

  そのシステムを完成する事が、当面の我々の仕事と言えます。

 それでは、この計画の責任者を紹介致します。

 赤木リツコ博士です。博士、お願い致します。」

マヤがマイクで言うと、ちょうど青葉達が座っていた席の後ろに立っていた女性が前に歩いて行く。

「皆さん、初めまして。技術開発部技術局第一課所属、赤木リツコです。

 さて先程、伊吹から説明のあった様にあなた方には、

  この組織の中核を担う重要なシステムの構築を手伝っていただきます。

 システムの構成上、それぞれ必要な人員を配置し効率よく開発を行うためにチームを編成します。

 皆さんの能力であれば半年を待たずに完成すると、私は考えています。   

 それでは用紙に従い、各チームに分かれて作業をおこなって下さい。

 皆さんの健闘を期待しますわ。」

青葉は金髪の女性を見て渋そうな顔をする。

「うぇ、キツそうなヒト。」

「理路整然としているだけだろ?」

マコトはシゲルをたしなめる様に言った。

彼らはその配られた紙に目を落として内容を確認したが、彼らにはよく分からないようだ。

「何?MAGIネットワークリンク総括調整?」

マコトが首を傾げる横でシゲルは天井の蛍光灯に目線を上げた。

「オレもだ。一体何をやらされんだか……。」

机に投げた紙をヤル気無しで見ているシゲルに声が掛かる。

「あ、あの、すみません。」

「…はぁ?…あっいえ!何でしょう?」

彼らの机に来て声を掛けたのは先程司会をしていたマヤだった。

「あの…青葉さん、日向さんですよね?」

「モチロンであります!」


………シゲルのヤル気ゲージは急上昇中だ。


「…は、はい。」

マコトは彼の変わり身の速さについていけない。

「……あ、えと、あなた方2人は各チームの統括としてリツコ先輩と、私の補佐をお願いします。」

マヤはシゲルに引き気味ではあるが、二人の男性にそのまま話を続ける。

「はい、よろこんで!」

MAGIに用意されたOSの完成は間近であったが、

 補助システムとして稼動するI/Oシステムは様々なネットワークに対する柔軟な接続を求めれた。


マヤから分厚い資料を渡されたシゲルとマコトはMAGIの基本言語と仕組みを的確に理解していった。



………6月、第一発令所。


MAGIと周辺システムに火が入った。

宙に浮くように立体的に映っているモニターに表示された情報を確認しているマコトとシゲル。

「ひゅ〜なるほど、こりゃ大したモンだ。」

外部とのリンクを拡げ、自動的に独自のファイアウォールを構築して行くシステムを見たマコトは、

 素直に第7世代のコンピュータに感心する。

「しかし、この教えれば教えるほど成長していくようなOSはちょっと怖い感じがするけどな。」

シゲルは独自の配列で作られたキーを叩きながら言う。

「でも、面白いと思いませんか?」

何時の間にか第一発令所に来ていたマヤがシゲルに言った。

「も、モチロンだよ、マヤちゃん!世界広しと言ってもまだココだけだもんね。」

「青葉さんも日向さんも理解が速くて助かります。

 私も去年からセンパイのお手伝いをさせて貰っているんですけど、なかなか難しくて。」

「あら、マヤも大したものだと思うけど?」

リツコはコーヒーメーカーからカップにコーヒーを注ぎながら言った。

「あ、センパイ。こちらにいらしたんですか。」

「そうだ、マヤちゃん。どう?この前、美味しいラーメン屋を見付けたんだけど行ってみない?」

マコトはマヤに色々話し掛けているシゲルを無視してイスをリツコの方へ回転させる。

「ふぅ。そうだ、宜しいですか赤木博士。どうして本部と各支部で同じシステムを構築しないんですか?」

「あぁ、人格移植OSの弊害では無いけど、初期の基本プログラムが同じでも使われ方やリンクシステム、

  それに経験値みたいに貯まるシステムパラメータに3系統による合議制、
 
   そういう要因によってどうしても仕様が変わってしまうのよ。

 だから、それぞれ使用される環境に適合したシステムを創る必要があるの。

 本部はオリジナルだし、余計そういう色が強くなるわね。」

「順調にOSが発展していけば、かなりのモノになりますね、センパイ。」

「そうね、それでなくては困るわ。この第3新東京市の市政を任される予定なんですもの。

 ま、頑張りましょう。」

リツコはそれぞれのチームから送信され、

 組み込まれるソフトのプログラムと設定をホログラムディスプレーで確認している。


………画面に羅列される文字のスクロールスピードが異常ではあるが。


「はぁ〜相変わらず凄まじい速度だよなぁ。」

マコトは横に座るリツコを眺めて、ため息混じりの感想を漏らした。

「素敵ですぅ。」

「え?」

マヤの独り言にシゲルが反応するが、リツコに見入っている彼女は気が付かない。

「ちぇっ。さて仕事、仕事、と。」

シゲルはオペレーター用のイスに座り、バグチェックを始める。

リツコを中心としてマヤ、マコト、シゲルが補佐し組み上げたシステムは8月19日から正式に稼動した。

それから約半年の月日を掛けて更にポテンシャルを上げたMAGIは、

 2012年の5月、非公開組織であるNERVの特殊性から公表される事はなかったが、

  日本政府より正式に第3新東京市の市政を受け持った。





旅行−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………2012年5月、OTR。



トライフォースは明日から予定されている夜戦訓練の為、一ヶ月ほどOTRを留守にする。

これで特殊部隊に用意されていたプログラムの半分が修了となる。

そしてこの訓練を無事に終えれば、2週間の休暇が約束されている隊員達のテンションは高かった。

カーチャはベッキーとロビーに触発された訳ではないが、同じ班長として時間を共にする機会の多い、

 第3班の班長アル・ジャックロウと仲を深めていた。

班長達は隊員の各技能の練度や体調管理等の書類仕事を行うのだが、

 今、その執務室で2人の仲の良い様子をずっと見せつけられているシンジは、

  机に頬杖をついてちょっとだけ詰まらなそうだ。

「……ふぅ。」

「ありゃ、隊長。ため息なんて珍しいじゃないの?」

「そうね、どうしたんですか?A・O隊長。」

「いや、仲良き事は良い事だと思うんだ。だけどね…」

「「けど?」」

(はぁ、ユニゾンしてるし。)

シンジはジト目で彼らを見る。

「最初にこの執務室を提督に用意してもらった時に、レイが入り浸ってたよね?

 その時に君達は仕事に集中出来ないからって、

  この部屋は緊急時以外は班長のみ使用するって、うちの隊規として決めたんだよね。」

「その通りですね。」

「今、あの時の君達の心境が良く分かる様になったんだ、僕。」

「そんなにイチャついて無いよなぁ?カーチャ?」

「そうよね。」

お互いに見詰め合っている2人にシンジは再びため息を出す。

「はぁ、コレじゃ〜レイが居ても良いような気がするよ?」

「ダメですよ。そうなったら、今度はマナも付いてくるんだから。」

「そうだよ、隊長。乙女心を弄んじゃ〜いけねぇよ?」

「何言ってんだよ、全く。」

シンジは立ち上がり、ドアを開けると振り返り2人を見て言う。

「僕は終わったから自室に戻るけど、二人きりだからって変な事しないでよ?」

「おいおい、そんな事するわけねぇだろ!ベットも無ぇのに”ボグッ!”…ぐぇ!…いってぇ!」

カーチャが思い切りグーでアルを殴っていた。

(……ふぅ、お腹空いたかも。)

そんな2人を見たシンジは肩でため息をして食堂へ向かった。



隊長が書類を整理している頃、レイはマナと接近戦を想定したトレーニングをしていた。

マナは必死にレイを捕らえようとするが、なかなか難しいようだ。

A・Oやレイの身体能力は非常に高い。

第1班の普通の娘マナはそんな彼らに鍛えられているので、そのレベルは素晴らしいまでに高まっていく。

”ブン!〜クルッ、スタンッタタタッ!”

レイに投げられたマナは空中でくるりと回って着地すると、

 ”シュン!…シュ!シュ!!”

  止まらず走り、そのままレイに追撃を開始する。

”…ジリリリリリッ!”

マナがレイを壁際に追い込み、更に攻撃を仕掛け様としたその時…ベルが鳴り、訓練終了の合図を出した。

「うっそ〜!!もぉ終わり?…あぁ〜もうちょっとだったのに!」

マナは初勝利寸前で止められて憤慨遣る瀬無いという顔で叫んだ。

………マナのスタミナもかなり上昇しているようだ。

「ふぅ。私、シャワーに行くわ。」

1時間休み無しで行われた訓練で激しく身体を動かしたレイも流石に汗をかいている。

「あ!私も行く行くぅ〜。」

女子更衣室に設けられているシャワーを浴びているマナは隣のレイを盗み見るようにチラチラと横目をやる。

(何時も思うけど、ウエスト細すぎぃ!胸も私よりあるのにぃ…何か特別な運動でもしてるのかな?)

「なに?」

「へ?あ、いや、その綾波さんはこれからどうするの?部屋に直行?」

「………………いえ、食堂に行くわ。」

暫く考える様に間を空けて言ったレイは、シンジの波動を感じたようだ。

「あ、私も行こっと。お腹空いちゃったよねぇ〜。」



廊下を歩くシンジを呼び止める人物がいた。

「……リッジ提督。」

「呼び止めてスマンな、A・O。ちょっと、いいか?」

「はい、何でしょう?」

艦隊司令との雑談は海原を眺めながら20分程続く。

リッジはどんなに難しい話でも明快に答えるA・Oを非常に気に入っていた。



クリーニング済みの清潔な軍服に身を包み、身繕いを終えたレイはマナと将校用の食堂に来ていた。

「えへへ、ここのハンバーグって美味しんだよねぇ!」

マナはハンバーグとサラダ、スープにライスと迷い無くトレーに載せていく。

レイは同じ様に皿に盛るが、皿が多い。

先に席に座ったマナはその盛り付けられた皿の数を見て不思議そうな顔をした。

「あ、綾波さん、そんなに食べたら太るよ?っていうか、食べれるの?それ全部?」

「…いいの。」

「そう…ま、いっか。うん、がんばってね。じゃ〜いただきま〜す!」

マナはフォークを手に取りハンバーグを食べ始めるが、レイは動かない。

「あれ…食べないの?」

彼女が聞いたその時、後ろから声が掛かった。

「あぁ、お腹空いた。あれ?レイ、用意してくれたの?」

”コクリ”「…A・O君、頂きましょう。」

(ちょっと、ちょっとぉ!…何で、隊長が来るのがわかったの?)

マナは”ポカン”とちょっと間の抜けた顔をしてしまった。

「いただきま〜す。」

シンジはごく自然にレイの隣に座り食べ始めた。

「レイもハンバーグ食べる?」

「うん、一口。」

「じゃ、はい。あ〜ん。」

そう言ったシンジはナイフで食べ易い大きさにしたハンバーグをフォークに載せ彼女に食べさせる。

”はむっ”レイは嬉しそうにそれを口にした。

自然すぎて見過ごしそうになったマナは今行われた行為を頭で租借するのに少しの時間を消費した。

「……え、あ、あの…綾波さん、今のアオ君のフォークだったよ?」

レイは頬を少し紅くして答えた。

「かまわないわ。」

負けてはいられないマナは、小首を傾げてA・Oを見詰めておねだりを開始した。

「ねぇ、アオ君。私もハンバーグぅ、食べたいなぁ…。」

「霧島さんが食べているのは同じハンバーグよ。」


………冷ややかなレイのツッコミが入る。


「あぅ!(……違うメニューにすれば良かったよぉ!)」

「ん?…マナ、足りないんだったらもっとハンバーグ貰ってこようか?」

乙女心に疎いA・Oに”恋する乙女”であるマナは、さっきのは間接キス狙いです…とは言えなかった。

「あ、あははは。だ、大丈夫。」

「そう、よかったわね。」

レイはそう言いながらシンジにお茶を渡した。



………山間部。



あれから3週間経った今、マナの体力は限界に近かった。

この一ヶ月間に予定され行われていた彼女の生活は、

 夜間行われる模擬戦闘の教練時間と、それ以外は生きる為のサバイバル訓練であった。

この人里離れた山間には幸いに綺麗な泉と川があったので、
 
 飲料水の確保や最低限の水浴び等で身体をまぁまぁ清潔に保つ事は出来たが、

  昼夜逆転の生活が女の子の正確な生活リズムを狂わせまくっていた。

しかも、模擬弾等の訓練に必要な物資を保管するベーステントはあったが、隊員用のテントは無かった。

時間が空き休憩として睡眠を摂るにしても、土の上か草の上か…マナは睡眠不足で頭の機能が低下している。

「大丈夫?マナ…」

A・Oが心配そうに隣に座ると昼食を摂り終わったマナは彼の方に凭れ掛かるように頭を預けてきた。

「ま、マナ?」

シンジが少し驚いて見ると、彼女はどうやら寝ているようだった。

「隊長…。」

「レイ、マナは相当疲れが溜まっているね。」

彼女の穏やかな寝顔を見るシンジに、

 レイはマナの反対側に座り彼女と同じ様にシンジに凭れ掛かる。

「あ…ごめん、レイ。何だかマナって妹みたいで放って置けなくてね。」

”コクリ”『いいの…シンジ君は優しい。私、知っているもの。だから何があっても私は側にいるわ。』

『ありがとう。』

シンジはマナを起こさない様に気を付けながら、レイの方へ少し体重を預けるように寄り掛った。

マナは久しぶりに快適な睡眠を摂る事が出来たようだ。

暫く寝てしまったのだろうか、

 マナはスッキリした頭に疲れの残る体を起こそうとするが、違和感があった。

……何だか右側がとても暖かい。

(あれ、なんか柔らかくて暖かい?)

彼女が首を捻って確認すると太陽が沈みそうな赤い空にシンジの顔が間近にあったのでかなり驚いた。

(わ、わ、私アオ君にくっ付いて寝ていたの?………むむぅ、やっぱり反対側には綾波さんがいるか。)


………やっぱり2人きりじゃないのか、と少しだけ残念そうな顔をした彼女は身体を動かす気は無いらしい。


シンジはこの1年で大幅に背が伸びていたので、マナやレイに比べると頭一つ分高かった。

今度の誕生日に11歳を数える最早、少年と呼んだ方が相応しい位に成長したこの男の子は、

 身の丈170cmの身体に、細身ではあるが無駄の無い鍛え上げられた筋肉を纏っていた。

その男の子は瞼を震わせて、ゆっくりと紅い瞳を開ける。

それを見たマナは急ぎ目を閉じて、動かず寝たフリを実行してA・Oにくっ付くという幸せを享受した。

シンジはゆっくりとレイの腰に右腕をやり抱くと、自由に動かせる左手で優しくマナの髪を梳く様に撫ぜた。

(ッ!!!!アオ君?)

マナは突然の感触に驚き肩を”ピクッ”と動かしてしまったが、シンジは気にする事無く撫ぜ続けてくれた。

覚醒した彼女の脳は温かな幸せに癒されるように、次第にゆっくりとまどろんでいく。

そしてシンジは”力”を使い、彼女の疲労を少しだけ軽減してあげたのだった。

マナが再び気が付いた時には、陽はとっぷりと暮れていた。

(暖かい…ん?コート?え!こ、これって、アオ君のだよ。…むふぅ、いい匂い…。

  大人っぽいなぁって思っていたけど…なんだか、アオ君ってお兄ちゃんみたいだね…。)

「何時まで寝ている!霧島准尉!集合時間だぞ!」

「ハッ!」

隊長の声に反射的に飛び起きつつもコートを抱えて集合場所に走るマナ。

(あれ?身体が軽い!?なんで?……アオ君と一緒に寝たからかな?)

マナはこの休憩で摂った睡眠で体力がほぼ回復したのを不思議に思ったが、

 そのお陰で残り1週間の教練を怪我する事無く、無事に修了する事が出来たのだった。



………6月3日、OTR。



1ヶ月の厳しい訓練が無事に終わりOTRに戻ったシンジ達は、

 国連軍アメリカ基地に向けて兵員輸送用に用意されたヘリ、ブラックホークで飛び立った。

これから2週間の休暇である。

総司令部に提出された申請書には、A・O、レイ、マナは日本に一時帰国する予定と記載されていた。

マナは約1年と半年ぶりに鹿児島の両親の元へ帰省する予定であった。

シンジとレイは群馬県の草津温泉へ旅行する予定である。

今回は公共機関による交通手段で行きたいと姉に提案されていた彼らは、

 群馬県の長野原草津口駅で待ち合わせをしていた。

ゲンドウと同じスケジュールで有給休暇を取ったという事を知らないリツコは気付いていなかった。

偶々それを知ったマヤがあらぬ想像をめぐらしてリツコを護ると決意し、隠れて付いて来ている事を。



シンジはリツコと待ち合わせの約束をした駅のバスターミナルに到着していた。

時間を見ればリツコの乗る電車が到着するには、まだ30分ほど掛かるようだ。

「レイ、喫茶店で待っていよう?」

”コクリ”と頷いた彼女の手を取り、シンジは喫茶店に向かった。

コーヒーを飲み、レイがチーズケーキを美味しそうに食べているのを見ていたシンジは、

 物凄く久しぶりにドーラから波動では無く、”直接”呼び掛けられた。

『マスター……すみませんが、”剪定の刻”で御座います。』

『は?…へ?…なんかあったの?』

シンジはちょっと間の抜けた顔をしてしまった。

『あ!!…しんちゃん、分かったよ。リツコさんに付いて来ちゃっているよ…マヤちゃん。』

波動を感知したリリスはシンジにちょっと困っちゃったねぇ、という波動を込めて教えてくれた。

『ありゃ…そうなんだ。ドーラ?』

シンジは出来るだけ前史を辿る為に、神の力{言 霊}をなるべく使わないようにしているのだ。

彼の力で世界を変える事は容易い。しかし、それでは詰まらないし、

 第一、人間社会の中で普通のヒトとして、レイと結婚だってしたいと思っているシンジは苦労している。

『はい、マスター。

 1.旅行を止めてゲンドウ、リツコ、マヤと会わない。

 2.旅行続行するが、マヤに会わない。

 3.マヤとも旅行する。

 以上で御座います。』

『う〜ん、どうしよっか?…レイ、どうしよう?』

『シンジ君…司令、呼んだの?』

………レイはソコにちょっと驚いていた。

『うん、もう後ちょっとで始まるから、

 NERVの準備がしやすいように二人が”知っている”って教えようと思ってね。』

『そう、分かったわ。……シンジ君はどうしたいの?』

『僕としては、レイに家と違う温泉と旅情を体験してもらいたいからね…うん、旅行は絶対に続行しよう。

 さて、2番か、3番か。』

『しんちゃん、マヤちゃんにも教えてあげれば?』

『マスター、どうしますか?』

『う〜ん、そうだねぇ。リリス、それはやめておこう。………悪いけど、彼女には前史の事を教えない。

 それから僕とレイの事は姉さんと、父さんに協力してもらって、

  ある事情で秘密裡にEVAパイロットの訓練をしているって事にしよう。』

『そうね。』

『畏まりました、マスター。それでは3番を選択し、他の枝を消滅させます。』

『うん、お願い。』

「レイ、時間だよ。姉さんを迎えに行こう。」



その頃ゲンドウは草津に向かっていたが、彼は自分でNERVの用意した対テロ用の自動車を運転していた。

(シンジから久しぶりの連絡がきたと思ったら、温泉旅行か。ふっ、ユイと来たかったが仕方あるまい。)

にやりと笑い少し嬉しそうなゲンドウは高速道路を走りながら、

 先日、休暇を取り一人温泉へ休養しに行くと言った時の冬月を思い出していた。



「…温泉?一人でかね?……碇、お前に今何かあったらどうするんだ。とても許可などできんよ。」

「冬月、私はユイを喪ってから殆ど休養をとった覚えが無い…MAGIが稼動し、計画は一段落ついたのだ。

  ここで一人になり、今までとこれからの事をゆっくり整理したいのだ。」


………ゲンドウは息子と温泉旅行に行きたいとは言えないので苦し紛れのいい訳をする。


「保安部の人間を一人も付けないのかね?」

「あぁ、大げさにすればそれだけ目立つからな。」

「一度言ったら聞かん、まったく仕方のないヤツだ。ふぅ…では、せめて対テロ用の車で行きたまえ。
 
 それならば、余程の事が無い限り大丈夫だろう。…で、どれ位の予定なんだ?」

「あぁ、2泊ほどだ。まだ宿は決めてないが、まぁ…このご時世だ…やってる宿は少ないだろう。」



リツコもゲンドウもお互いに自分がシンジを知っているという秘密を誰にも話してはいないし、

 気取られない様に細心の注意を払っていた。

それなので、まさか同じ旅行に参加しているとは知らなかったし、発起人のシンジも教えていなかった。

シンジはそろそろ、ゲンドウにもリツコにもNERV内に自分を知る仲間がいると言う事を教えようと、

 今回の旅行を企画したのだ。


………レイが温泉旅館に行ってみたいと言ったのが、主目的ではあったが。



1年以上会っていなかったリツコはシンジの成長に驚いていた。

「やぁ、姉さん。」

「まぁ!…シンジ君、随分と大きくなったわねぇ。」

「リツコお姉さん、お久しぶりです。」

「レイちゃんも元気そうねぇ。」

(あれ?…子供?…って、ま、まさかセンパイと司令の?)

駅からバスで草津温泉街へ向かうリツコについて来たマヤはゲンドウではなく仲良く手を繋ぐ、

 ちょっと見ない色合いの女の子と、背の高い男の子を見ていた。



………宿。



マユミがシンジの為に予約を入れた高級旅館は、2階建ての歴史と趣のある純和風の造りであった。

突然の電話で、2階の全ての部屋を貸し切りに…と予約された上客、碇家の人間が泊まるのである。

この旅館と言うには高級過ぎる宿の女将は、記憶の限り2階を貸し切った客は初めてであった。

シンジが自分の名前で宿に泊まるのはこれが初めての事だが、この宿には昔ながらの宿帳しか無かった。


………アナログであるが故にある意味セキュリティは高いのかもしれない。


同じバスに揺られて付いてきたマヤは、野球帽を目深に被っていた。

(センパイ達が入っていった宿って、とっても高そう……お金、間に合うかな。)

マヤが暫し道端でどうしようかと逡巡していると、黒い乗用車が彼女の横を通っていく。

”ブロロロ……バタン”

彼女の目指す宿に入り駐車したその黒塗りの車から出てきたのは、見た事のある厳つい男であった。

(あ、あああぁ〜!!碇司令!!やっぱり!!もう〜迷っていられないわよ、マヤ。行くわよ!!)

マヤの頭の中で想定されているシナリオでは、

 弱み?を握られたリツコがやもめ暮らしの中年男に無理矢理旅行に付き合わされてあらぬ事を迫られる、

  という分かりやすいモノであった。

ゲンドウが入って行った重厚そうな門構えに多少及び腰ではあるが彼女はゆっくりと向かって行った。


さて、先に宿に着いたシンジ達は、浴衣に着替えて一番広い部屋に集まり寛いでいた。

「リツコ姉さん、ちょっとお願いがあるんだ。」

「なにかしら?…あ、ありがとうレイちゃん。」

リツコはレイに淹れて貰ったお茶を受け取りながらシンジの方を見た。

「実は、今この宿に姉さんの助手、マヤさんが着ているんだ。」

「何ですって?…どうしてマヤが?」

怪訝そうな顔をするリツコはシンジに問い質す様な視線を投げる。

「うん、実はこの旅行は姉さんやレイと旅行を楽しみたいっていう事の他に、もう一つ理由があったんだ。」

「目的があったっていう訳ね。」

「お願いなんだけど、レイ。そろそろもう一人が到着した様だから迎えに行ってくれる?」

『父さんには部屋の場所だけ言って、マヤさんをここに連れて来て…2階は一般客立ち入り禁止だからね。』

”コクリ”「分かったわ。『少し時間を空ければいいのね…』」

シンジの意図を的確に理解したレイは部屋を出て行った。

「シンジ君、もう一人来たって…その人と私を会わせるのが目的という事かしら。」

「その通りだよ、姉さん。マヤさんはその一人のせいでここに来たっていう感じかな…。」

リツコは何かを企むシンジに試されている様で、少し愉快ではない。


………いいわ。受けて立つわ…その人物が誰かを当ててあげましょう、と彼女の頭の回転数があがる。


「…その人はね、……」

「それ以上はいいわ、シンジ君。当てるから。」

ピシャリとシンジの話を止めてリツコは考え始めた。



姉が頭を捻っている時、レイは階段を上がって来たゲンドウに会っていた。

「綾波クンか。シンジはどこだ?」

(むぅ、大きくなったな……。)

「…そこ。」

「ん、どこ?」

成長した女の子に見入っていたゲンドウは間抜けた受け答えをしたが、構わずレイは廊下の先を指さした。

ゲンドウはメール同様に相変わらず簡素な受け答えだと思いながら、教えられた部屋に向かって歩き出した。

レイはそんな彼を見る事無く、階段を下りて行く。

「…お嬢様、お出掛けですか?」

「いいえ、フロントへ。」

階段下で警護をしている屈強な男性に答えたレイは、そのままマヤを探しに行った。



「シンジ君、その人は私の知っている人よね?」

「さて、どうでしょうか。」

(シンジ君はレイちゃんの為に…が大前提ね。

 使徒との戦いへ向けてのこのタイミングで、私に対してメリットが有る……NERV絡み…。

 委員会?違うわね、政府?…内務省とか……いえ、シンジ君は目立つ行動をする事はないわ。

 NERV内部の人間ね……上位の人、そうなると限られてくるわね。)

リツコはその頭脳を働かせて、ある程度の結論に達する。

「シンジ君、そのヒトは…司令じゃない?」

「どうして、ですか?」

シンジもここまで姉が頭を使った答えの根拠を聞いてみたくなった。

「単純にあなたがこの世界に戻ってきた時間、時代ね。お父様とお母様には言ってあるんじゃないかしら。

彼らこそ、この計画の根幹に関わる人物ですモノ。 

それにこのタイミング。確かにNERVは使徒戦争に向けて準備をしているけど、

  私が会って、あなた達にメリットが有る人物というとかなり限られるわね。」

「NERV以外の人物、という可能性は無いんですか?」

弟の質問に姉は得意そうな顔で言う。

「ふふっ。モチロン可能性は考慮したわ。でも、今までのあなたの基本的な行動理念と言えばいいかしら、

  あなたは不用意に目立つ事をしないわ。

 私には、超常の力を使わずにわざわざ苦労しながら前史より良くしようとしている様に見えるわ。 

 となれば、あまり外部の人間に積極的になるとは考えづらいわね。」

「さすが、姉さん。正解です。」

その時、部屋のドアが開く音がした。

”カチャ”

「シンジ、居るのか?」

「とうさん、中に入ってよ。」

息子の声が中から聞こえたゲンドウは、靴を脱ぎ徐にふすまを開ける。

「久しぶりだな、シ…赤木君?」

ゲンドウは想像もしていなかった浴衣姿の部下を見て固まってしまった。



「あ、あのぉ、すみません〜」

マヤが入り怖ず怖ずと声を上げると、和服の仲居が”スススッ”と寄ってきた。

「いらっしゃいませ、お客様。お泊りでしたら、宿帳への記入をお願い致します。」

「え、と。宿泊料金っておいくら何ですか?」

キョドキョドと落ち着きの無い野球帽姿のボーイッシュな女性に仲居はにこやかに答える。

「宿泊料はフロントの者にお尋ね下さいまし。どうぞ、こちらです。」

「あ、は、はい。」

履物を用意されて、
 
 反射的に返事をしてしまったマヤは何と無く強引に番台のようなフロントの受付に案内されてしまった。

今、彼女の頭の中は、

 その目に映る洗練されたとても高級そうな宿の造りに自分の財布が追従出来るか不安で一杯であった。

「いらっしゃいませ。お客様。」

「あの、宿泊を………。」

「申し訳御座いません、お客様。今日、明日とこの宿一押しの2階の部屋は全て貸切で御座います。

  1階の部屋で御座いましたら、まだ空室が御座います。一部屋1泊5万円からで御座います。」

その料金を聞いたマヤは固まってしまった。

(どうしよう、でも、でもこの宿に留まらないと、何か方法は……あ、そうだ!温泉のみって無いかな?)

「すみません。宿泊じゃなくて、温泉に入ってみたいんですが…」

「勿論大丈夫ですよ。入湯料はお一人様1000円で御座います。個室での休憩は………」

「あ、じゃ入湯料を払いますね。……はい。」

受付の説明を聞かぬマヤは財布からお札を出してニッコリ笑っていた。

無事に受付を終わらせ、お客になったマヤは宿の捜索を開始しようとした。

さっき受付で聞いた言葉を彼女は確りと憶えていた。

(2階が貸切って……あからさまに怪しいわよね。)

マヤは2階に上がる事の出来る階段を見つけて廊下を進もうとしたが、

 屈強な身体がまるで行く手を遮る壁のように立っている見張りの男性が見えて止まってしまった。

(ど、どうしよう。やっぱり護衛?そっか、NERVの司令がいるからなのね……やっぱり2階ね。)

廊下の手前で佇む女性の後ろから、蒼銀の美しい髪を揺らしながら静かに少女が近付いていた。



「どういうことだ?シンジ。」

「まぁ、座ってよ、父さん。」

ゲンドウはリツコを見やり、大きく成長した息子を見ながら座った。

「大きくなったな、シンジ。どうだ、国連軍は?」

「まぁ、順調だよ。父さん…忙しいのに旅行に来てくれてありがとう。」

「かまわん。どういう事だ?」

ゲンドウはもう一度、目の前にいるリツコを見やり息子に問うた。

「…前にも言ったけど、僕でも未来は分からないんだ。

 だから、予測、対応しやすいようになるべく前史を辿るように頑張ってきた。

 父さんにも、リツコさんにも僕の事を知って貰っているからね。

 MAGIの完成で、そろそろNERVも本格的に動き出そうとしているこの時に、

  僕を知る仲間として、二人を紹介したかったんだ。」

「……そうか、まさか赤木クンがシンジを”知っている”とは思わなかったがな。」

「司令、私がシンジ君に最初に会ったのは、2004年の7月ですわ。」

「そうか。シンジ、この旅行の目的は赤木クンと私が”知る”ことだな?」

「その通りだよ。後、もう一つお願いがあるんだ。」

「なんだ?」

「今回の旅行でイレギュラーな事が起こってね。……正に僕が未来を分からないって、こういう事だね。」

シンジは面白そうな顔をしてリツコとゲンドウを見た。

ゲンドウは多少訝しげな顔をしたが、数年ぶりに直接会った自分の息子の成長した姿をジッと見ていた。

「姉さんの助手、マヤさんがこの宿に来ているんだ。…ドーラ?」

「はい、マヤさんはMAGIメンテナンスの処理中にNERV職員の休暇取得状況を見てしまったようです。

 その際、今回の旅行に合わせて休暇を取ったお二人の関係を疑い、リツコ様の後を追って来たようです。」

「うそよ!…ゲンドウさん!まさか、まさか…りっちゃんと浮気なんて、ヒドイ!ヒドイですわ!」


………突然、ユイの声がゲンドウの背後から聞こえた。


「ぬぉぉ!!ユイ!そんな訳ないだろう!…ユイ!」

慌ててゲンドウは背後を振り返ると、紅い本が浮かんでいる。

「ぷっあっはははは!リリス…ダメだよぉ、くくく。父さんをからかっちゃ!」

「むぅ?…ぅ…リリス、か……ふぅ〜。しかし声がソックリだったな。」

ゲンドウは無実の癖に額から汗が吹き出ている。……よほどユイが怖いのか?

リツコも肩を震わせて苦しそうだ。

「し、司令。大丈夫ですか?」

「あぁ、問題ない。というよりも、シンジ、赤木クンを姉さんとはどういう事だ?」


………ゲンドウは話題転換を試みる。


「あぁ、知り合った時にね…ご飯とか色々お世話になったんだ。その時に何と無くって言うか、

 こんなお姉さんがいたら良いなって思って呼んだのが切っ掛けかな……。」

「ふふっ、ありがとう。そうだったわね、もう、随分前の事のようね…あ、そうだ。」

リツコは何かを思い出したようにカバンを開けて中から袋を出した。

「はい、シンジ君。お誕生日おめでとう。コレ貰って頂戴。」

「ありがとう、姉さん。」
 
袋を開けるとカード型の小さなデジタルカメラが入っていた。

「カメラ?」

「そう、シンジ君。あなたは忙しいからなかなか逢う事が出来ないわ。

 …だからそれで写真を撮って近況報告をして欲しいのよ。

 ドーラさん、お願いね。」

「はい、マスターの記録を残すように致します。」


………ドーラも主人の写真が欲しいようだ。


シンジは一通り触ってみたカメラをテーブルの上に置いて、話を再開させる。

「二人にお願いって言うのはね、マヤさんに対する僕やレイの説明だよ。

 彼女には前史の事は教えないって決めたからね。」



「何しているの?」

「へ?」

マヤは声の掛かった方を向くと、見た事も無いような可憐な少女がいた。

(うわぁ、綺麗。妖精みたい。……って、センパイと一緒にいた子?そうだ!聞いてみよう。)

「あ、こんにちわ。

 あのお姉ちゃんね、人を探しているの。髪が金色で左目の下に黒子のある女の人を知らない?」

レイはマヤの横を通り過ぎてそのまま廊下を歩き出すが、立ち止まって振り返り動かない彼女に声を掛けた。

「……こっち、付いて来て。」

マヤは、こんなに簡単に案内して貰えるとは思っても見なかったので逆に驚いてしまった。

「え?…あ、ありがとう、え、と。私、伊吹マヤって言うの。」

「…そう、こっちよ。」



レイに案内されたマヤは2階の部屋に入った。

彼女の反省すべき点は、ここでリツコに会うという事を余り深く考えていなかった事であろうか。

普通に考えれば、ストーカーのような行為だ。それでなくとも余り良い印象は持たれまい。

シンジのフォローがあったのでそれ程の事にはならなかった様だが、マヤはリツコに怒られていた。

「……いい、マヤ?ちょっと間違えれば、犯罪行為になってしまうのよ?

 アナタのセキュリティレベル、見直しが必要かしらね…。」

「姉さん、それ位にして上げて?…ね?………ほら、マヤさんも反省しているようだし。

 ねぇ、父さんも何か言ってよ?」

「……伊吹君。」

テーブルに肘付き手を組むゲンドウの威圧するような雰囲気にマヤは小動物のように小さくなっている。

「はい、すみませんでした。」

「うむ。個人情報の取り扱いについてセキュリティを見直す。君の今回の件に関しては、

 セキュリティホールの発見に繋がったという事を踏まえて、厳重注意処分とする。

 これより、この件に関しては一切の異議申し立ては受け付けん。

 伊吹君も休暇を取ったのだろう…折角の旅行だ、一緒に楽しみなさい。……これでいいか?シンジ。」

「ありがとう、父さん。」

マヤは反省しきりではあったが、この旅館に一緒に泊まる事ができると聞いて喜色を取り戻した。



大浴場で温泉を満喫し、今は夕食に舌鼓を打っているマヤは先程の失敗を忘れたかの様にご機嫌であった。

「うわぁ♪これ、おいしい!!」

「はい、シンジ君、あ〜ん。」

カップルはデフォルトでイチャイチャしているが、邪魔するものはこの宴会場にいない。

「レイ、はい、あ〜ん。」

寄り添うようにぴたっとシンジにくっ付き、彼に食べさせて貰ったレイはとても幸せそうである。

リツコは料理の作り方、見せ方、その技巧凝らした一品一品に感嘆のため息をついていた。

「…はぁ。すごいわね。あら、これもおいしいわぁ。」

ゲンドウは日本酒をちびりと飲みながら、黙々と食べていた。

(久しぶりにゆっくりと休む事ができたな。…しかしやはり、ユイと来たかったが……ユイ。)



「じゃ、お休みなさい、父さん、姉さん、マヤさんも。」

「……お休みなさい。」

そう言うと、シンジとレイは一番景観の良い部屋のドアを開いた。

ごく自然に同じ部屋に消えて行った二人をその廊下で見送ったマヤは驚いてしまう。

「え?し、シンジ君、レイちゃんと一緒の部屋なの?センパイ、それって……。」

しかし、答えたのはゲンドウであった。

「問題ない。」


………その問題有りの短すぎる説明を補足するのはリツコであった。


「マヤ、シンジ君とレイちゃんは許婚なのよ。親公認、何も問題ないわ。それにシンジ君は紳士よ。」

シンジ達が入った部屋には既に寝具の準備が終わっており、2人分の布団が並んで敷いてあった。

その奥にこの高級旅館の売りである、2階の部屋に用意されている源泉掛け流しの露天の部屋風呂があった。


「レイ、お風呂に入って休もう、明日は湯畑の方を見に行ってみようよ。」

「そうね。シンジ君、一緒にお風呂に入りましょ?」

「いいよ。」

レイは絶対に断られると分かっていた提案だったので、了解を告げられて反応できなかった。

「え?……いいの?」

提案者である少女は顔が火照った様に紅くなっていた。

「レイ、本当は湯船にタオルとかを入れるのはマナー違反だけど、部屋の風呂なら大丈夫だからね。

 だから、バスタオルを巻いてね。それが条件だよ。」

正直なところ、シンジも男である。


………誠意ある彼は愛する女の子の裸はとても嬉しいがそういう関係になるにはまだ早いと自重している。


しかし、他人の目が無ければやはり一緒に温泉に入ってみたいと思うのも正直な処だ。

シンジにとっても今回はチャンスである。

「僕、先に入っているから、準備が出来たら…その、来てね。」

少年は、そう言って露天風呂の方へ行ってしまった。

レイはシンジの後姿を見ていたが、腑とその瞳に2人分の布団が映った。

(シンジ君と一緒にお風呂に入れるのね……その前に、コレを片付けましょう。)

レイは布団を一組畳むと、さっさと別の部屋に運び片付けてしまった。

そして、”シュルシュル”と衣擦れのする音。

上気したレイの頭脳には先程シンジが言った、一般的な注意事項やお願いなど余り残っていなかった。

浴衣を床に脱ぎ捨て露天風呂の扉を開けた少女のたおやかな美しい身体を覆い隠すモノは何も無かった。


シンジは軽く湯で身体を流し、湯船にゆっくりと足を入れる。

熱めの湯に浸かったシンジはそこから出る湯煙をぼんやりと見ていた。

”カララ……ヒタヒタヒタ……カタン…ザァァァ、ザァァァ……ヒタヒタ”

(…初めて、レイと一緒にお風呂かぁ〜)

流石に振り向く勇気の無かったシンジは、何かを誤魔化すかのように星空を見上げた。

”……チャプン…トプン”

揺れる水面……彼女が入って来たようだ。

「お待たせ…シンジ君。」

「ふぃ〜、草津の湯って家と違ってちょっと熱いね、レイ。」

そう言ってシンジは彼女の方に顔を向けると、もの凄く綺麗な微笑が目と鼻の先にあった。

月明かりに浮かぶ神秘的なレイの穏やかな表情を見たシンジは心から暖かく癒されていく。

「そうね…ちょっと、熱いわ。」

「そうだね。……レイ?」

「何?」

「もの凄く…綺麗だよ。」

シンジは右手で彼女の左頬を優しく撫ぜる様に触れるとゆっくりと顔を近づけた。

”チュゥッ………”

甘い口付けを名残惜しそうに離して見えたレイの頬は紅に染まっていた。

「……シンジ君。」

「…レイ。」

月明かりを反射して銀色に煌く湯船に浮かぶ愛しい少女を見たシンジの表情は満ち足りた笑顔だった。

暫く見詰め合っていたが、シンジは真紅の瞳を上げて星空に視線を投げる。

シンジの波動が変わっていくのを感じた少女は彼の方へ移動し、背中から腕を回すように抱く。

「……どうしたの?」

(う!…ムニュって…レイ、随分と薄いバスタオルだね。)

シンジは背中に感じた柔らかな膨らみの感触に神経が集中してしまった。


………それを誤魔化すように彼は最近考えている事をレイに告げる。


「あ、アダムの子達をどうしようかって、ね。」

レイは更に攻撃を開始する。

「”ちゅ”………もう直ぐ始まるのね…使徒戦争。」

「…う、うん、あと3年だね。」

シンジは首筋にキスをされてから耳元でそっと囁かれてドギマギしてしまう。

「…シンジ君……。」

「うん、紅の世界で言ったように、僕は今回でこの繰り返されてきた戦いを終わりにする。

 だから強制的に彼らの由来を”黒き月”へ変えようと思うんだ。

 そして、アダムのガフの部屋を破壊する。 

 由来の分かっていないあの女は、彼らをリリンの可能性の一つ何て言っていたけど勘違いも甚だしいね。」

「…そうね。でもシンジ君、何を悩んでいるの?」

”ムギュ!”レイは悩む波動を出す愛するシンジの頭を包み込むように抱き、彼の白銀の髪を優しく撫ぜる。

「はぅ!(!これって……レイ!バスタオル巻いてないの!!)

 ……うぅ……そ、その後、彼らの生存を許すか、どうか。

 カヲル君は生と死は等価値、なんて言っていたけどそれはガフの部屋に還り転生できる事が前提だからね。

 確かに人や動物に転生する事も出来るし、植物にも出来る。

 ………僕が決めれば反対に魂の消滅も出来る。」

「まだ、時間はあるわ。私はシンジ君がしたいようにすれば良いと思う。」

「……あ、ありがとう。」

背後からレイに密着されているシンジは体の一部が熱膨張しない様に懸命に努力をしていた。

「レイ、あの…嬉しいんだけど、僕…のぼせちゃいそうだから、先に上がるね。」

シンジはタオルで隠すべきところを隠し、”ざばぁっ”と湯船からそそくさと出て行ってしまった。

レイは月明かりに照らされて湯気が立つシンジの裸体をその深紅の瞳に焼き付けるように確りと見ていた。

(シンジ君、私も上がるわ………そして、一緒に寝ましょう。)

火照った身体に浴衣を着た少年は部屋に戻ると、布団が一組消えている事に気が付いた。

(あれ?…あぁ、そっか。…フフッそうだね、一緒に寝よう…レイ。

 さっきもそうだったけど、やっぱりこういうのって嬉しいね。

 ……どんなに巨大な力を持っていたとしても、根源的に僕の精神、その心は人間なんだね………。)

シンジは、レイが戻って来るまで、窓から蒼銀色に輝く月を眺めながてボンヤリとそんな事を考えていた。

暫くの後に戻ってきた湯上りのレイの浴衣姿に見とれてしまったシンジはその夜、

 彼女の望み通り同衾をして甘い香りに包まれた暖かな心地の良い朝を迎えるのであった。



同じく部屋に戻ったリツコはマヤにシンジ達の説明をしていた。

「マヤ、さっきは紹介だけで終わってしまったけど、シンジ君達の事について少し説明するわね?」

「センパイの本当の姉弟では無いんですよね?」

「えぇ、そうよ。彼らは私の事を姉のように慕ってくれているだけ。」

「司令の息子さんなんですよね?」

「そうよ、シンジ君は碇司令の実子よ。」

「じゃ、あのアルビノの様な容姿は、何かの病気なんですか?」

「病気ではなく、遺伝子の突然変異らしいわ。いい、マヤ?この旅行で彼に会ったという事は秘密よ。」

「どうして、ですか?」

「彼は公には行方不明という事になっているの。」

「行方不明?」

「そう、彼の母、

  碇司令の妻でありE計画の責任者だったユイ博士の第一次接触実験から行方知れずになっているの。

 これは、司令とユイ博士しか知らない事らしいわ。

 くわしい事はAAA級の秘匿情報だから、あなたには教えられないけれど。

 兎に角、誰にも話してはダメよ?……いいわね?」

「分かりました。センパイとの秘密ですね!」 

マヤは深く考えていないようだった。

そう言えば、と話が終わり部屋風呂に行こうとしたリツコは自然に部屋にいるマヤを見た。

「あなた、この部屋に泊まるの?……貸切ってある2階の部屋はまだ沢山空いているわよ?」

「何と無く、一人って落ち着かなくて……センパイ、ダメですか?」

「いえ、構わないけど。私は一浴びしたら休むわよ。」

「あ、私も部屋風呂に行ってもいいですか?」

「……そうね。」

リツコはマヤと部屋風呂に入って、サッパリとしてから就寝したのだが、

 彼女の風呂場での強めの視線に少し警戒感を抱いてしまった。

翌日も一日ゆっくりと温泉街を散策して久しぶりの休息を満喫した4人は3日目の朝それぞれの帰路につく。

「父さん、身体に気を付けて…元気でね。今度は家族みんなで旅行しよう。」

「あぁ、そうだな。シンジ、お前も身体に気を付けろ。綾波クン、シンジを頼む。」

「はい、分かりました。」

車で帰っていく父を宿から見送ったシンジとレイは、姉とマヤとゆっくりバス停に向かって行った。

「シンジ君たちは何処まで帰るの?」

マヤの何気ない質問に困ったような表情でシンジが答える。

「どこ、とは言えないんです。ごめんなさい、マヤさん。」

「ふぅ、マヤ?」

リツコは一昨日言ったでしょ?という目でマヤを見る。

「え?……!あ、そっか!ごめんなさい、シンジ君。お姉ちゃんってダメね。」

マヤは申し訳無さそうに”ぺこっ”と謝った。

「…車を用意してもらったんで、それで帰ります。」

バス停にはちょうど駅に向かうバスが停まっていた。

「それじゃ、シンジ君、レイちゃん、またね?」

「姉さんも、身体に気を付けて。マヤさんも…それじゃ。」

「リツコお姉さん、お元気で。」

シンジ達に見送られてバスはゆっくりと駅に向かい出発した。

2泊3日の草津温泉旅行を楽しんだ二人はバス停から少し歩いて、曲がり角を右に入ると忽然と消える。

飛行場に着いたシンジとレイは温泉まんじゅうを土産にアメリカに帰って行った。





テロ−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………2013年、10月下旬のNERV。


第二新東京大学で情報工学を専攻する学生マヤはNERVの職員としても非常に優秀であった。

MAGIを始めとするNERVのオーバーテクロノジーとも言える技術に携わるスタッフとして働き始めて、

 早いもので、もう3年になろうとしている。

彼女は準職員扱いではあったが、実質的に技術部を統括しているリツコの右腕になり、

 尊敬する上司の補佐を不足なく行うべく常に彼女の近くにいた。

そんな彼女も来年の4月から正式な職員となるべく、大学の卒業論文を作成していた。

最近、学業と仕事の両立で多忙になってきた後輩の様子にリツコも心配をする。

そんな彼女は自分の執務室でパソコンに向かって休みなくキーを叩くマヤに声を掛ける。

「あなた、大丈夫?最近…疲れているみたいだけど。」

「大丈夫です。卒論も大体の目処が立ってきましたし。」

「そう、どれ…ちょっと、見てあげましょうか?」

「え?…良いんですか?」

今作成していた卒論のデータをコピーし、リツコに送信したマヤは褒められるのを待つ子供のようだった。

リツコは専用端末に送信されてきたマヤの卒論データを見ていたが、彼女はゆっくりとため息を吐いた。

「……はぁ、残念だけどマヤ、これはダメよ。」

「え、ダメなんですか?センパイ……」

マヤはここ最近の努力の成果が振り出しに戻ってしまったと、がっくりと肩を落としてしまう。

「あのねぇ。……MAGIは機密なのよ。その言語も、ロジックも。」

「だって…大学の方にレベルを合わせると、もの凄く低くなっちゃうんですよぉ。」

「それは仕方の無いことよ。……NERVの技術はまだ人類にとって”OT”ですもの。」

「オーバーテクノロジーと言っても、センパイ、既に何年も前から使っているじゃないですか?」

口を尖らしたマヤは珍しくリツコに非難がましい目をやる。

彼女にとって、この数年慣れ親しんだ技術である。

……今更これらを一切知らない世間一般のレベルまで落として、

 自分の作品である卒論を出すとは納得出来ないという気持ちである。

「ふぅ、いい?マヤ。NERVの技術はまだ一般的には早すぎるモノが多々あるわ。

 だから、特権を持つ非公開組織なのよ。
 
 でも、アナタが予定通り来年からNERVの正職員にならなければ、私が困るわ。

 卒論については、私も手伝ってあげるから、さっさと仕切り直して、終わらせちゃいましょう?」

「うぅ〜……分かりました。ふふっ、でも、センパイが手伝ってくれるなら直ぐに終わっちゃいますね。」

「あら、マヤは博士課程も十分に通用する実力があるんですもの、私の手伝いは少しだけよ?」

「えぇ〜そんなぁ。」

リツコは優秀な後輩に笑って答えた。

そんなマヤの卒業論文は、かなりレベルを落としたものではあったが首席で卒業するに足るものであった。




………12月、アフリカ大陸。




スーダン共和国、通称スーダンは、北アフリカに位置するこの大陸最大の面積を持つ国である。

この土地はセカンドインパクトによる影響で季節、四季ができた。

今、12月のこの国は日本で言う処の冬が訪れていた。

その国の首都ハルツームで一人の女性が重責ある職務を終えて、

 ホテルの一室でプライベートの時間を過ごす為の準備をしているようであった。

「……えぇ、分かっているわ、パパ。国連特命大使としての仕事はさっき無事に終わったわ。

 大統領も国連のテロ対策法に全面的な協力を約束して下さったわ。

  ……これでセカンドインパクト後、最も危険と言われていたアフリカ大陸の治安も向上するでしょう。」

身軽な装いで手荷物は白いリュック。活発そうなこの女性は、27歳くらいだろう。

この女性と電話で話をしている相手は国連事務総長であるクルト・ハマーショルドである。

「パパ、私これから隣町に行ってみるわ。折角来たんですもの。この国の現状を広く見てみたいの。」

そう言うと、胸に掛かっていた腰まで伸びる長いブラウンの髪をファサッ…と掻き揚げた。

「…えぇ、大丈夫。プライベートですから…目立たないようにするわ、えぇ。SPもちゃんと付けるわよ。」

彼女の父、クルトは国連特命大使としてスーダンに向かわせた一人娘、

 マリアを目に入れても痛くない程に溺愛していた。

その彼女は幼い頃から正義感溢れる優しい父を見て育った。

マリア・ハマーショルドと言う女性はその翠の瞳に強い正義感を秘め、弱きを助ける優しい心を持っていた。

彼女はホテルから出ると、そのままタクシーを拾い自分の目的地であるナイル川対岸の街に出掛けて行った。



………ビクトリア湖。



トライフォースは東アフリカに位置する国家ウガンダの首都カンパラにいた。

A・O達は今、黒ずくめのフェイスガード、ボディアーマーに身を包んでいた。

(テロリスト達を殲滅せよ………か。)

「各員、準備はいいな!では、行くぞ!」

軍ご用達の乗り心地の悪い車に揺られるシンジは、

 右手に持っているブルパップ型の最新鋭アサルトライフル”F−2000”を眺めながら、

  2013年11月下旬に隊員全員で国連本部に出頭した時を思い出していた。



………洋上。



OTRのブリッジに呼ばれたA・Oはリッジより速やかに日本の国連本部へ出頭するように下達された。

旧ハワイ沖を進んでいた空母よりシンジ達はそれぞれ教練で使用している戦闘機、

 スーパーホーネットF/A−18E及びFにそれぞれ480ガロン燃料タンクを3基装備してもらい、

  6機による編隊飛行訓練と空中給油訓練を兼ねたフライトプランで日本へ飛び立った。

トライフォースでは班長機は復座のF型、もう一人が単座のE型を使い、各班2機での教練を行っていた。

6回の空中給油を含む約6,800kmの距離を僅か約5時間30分という時間で、

 日本の国連軍航空基地に到着したA・Oたちトライフォースは、

  その見事な技術とその特殊性から注目を浴びていた。

そのまま休む事無く輸送車に詰め込まれ、基地を出された彼らは、

 道中乗り心地の悪い車に揺らされながら第二新東京市の国連本部、国連軍総司令官執務室に着くと、

 息を抜きたいと言うような、少し疲れのある表情を浮かべていた。

シンジは基地や、会議室ではなく態々総司令官執務室まで呼ばれた理由が分からなかった。

「お疲れ様だったな、トライフォースの諸君。

 君達の順調な訓練課程については全ての報告書を見せてもらっている。

 責任者としても、その成果と実力に誇りを持っているよ。」

執務用の重厚な机に手を組み置いているワーグナーに隊員達は対峙する様に一列に並んでいる。

「ハッありがとう御座います、ワーグナー閣下。」

その隊列の中央一歩前にいるA・Oが右手で敬礼して返事をする。

「君達を態々空母から呼んだのは、君達に仕事が出来たからなんだ。」

ワーグナーはそう言うと、机の引き出しから書類を数枚出して机の上に置いた。

「国連事務総長の進めている平和維持活動の計画の一部を君達に任命する。」

総司令官は内線電話を押し、秘書官を呼んだ。

執務室に入って来た秘書官は木製の箱を大事そうに手にしていた。

徐にワーグナーはその箱を受け取ると中を開けてA・Oに顔を向けた。

「さて、これより、君達は国連軍総司令部直属対テロ特務部隊トライフォースとして正式に組み込まれる。

  隊長、A・O二尉……。」

「?……二尉ですか?」

ワーグナーは構わずシンジの前に歩いてくる。

「そうだ。君はこの新たな実戦任務を受け、部隊を生還させなくてはいけない。」

そう言うと大きな手でシンジに二尉の階級章を渡した。

「君達も、全員が生き残るように全力を持って任務に当たって欲しい。」

ワーグナーは他の隊員にも三尉の階級章をゆっくりと渡していく。

「閣下、任務の詳細をお願い致します。」

「勿論だ、A・O。」

ワーグナーにより説明された内容は、かなり過酷なモノといえた。

今の世界情勢で言えば、セカンドインパクト後のアフリカ大陸は最も危険な地域とされていた。

各国家の経済は破綻し、治安維持に必要な経費など捻出する事が全く出来なかったのだ。

犯罪天国と言うよりも、犯罪大陸。

不正輸出された兵器の類が世界中から集まり、それを売買する格好のマーケットになってしまった。

多くの金が動くその利権の為に多くの地域で多くの血が流されている。

その社会に翻弄される弱い人々は、その理不尽な暴力から救いを安価な宗教に求めた。

しかし、心の救済を求めたはずの宗教は新たな争い、宗教戦争となっていく。

自分の信ずるモノの為、自分の利権の為、あらゆる人々が争う混沌が支配する地域。

世界平和の為に動く国連はこの事態を打破すべく、

 あらゆる神の名を語る犯罪集団が巣くうこの大陸の各国家に、

  テロを根絶し、治安の回復を目指そうと計画し動き始めていた。
 

………弱き人々に救済を、犯罪者には厳罰を。


物資や医療等の救済を行うのは国連の特命大使を筆頭とする官僚や政治家たちだ。

シンジ達に与えられた役目は、厳罰を与える恐怖を司る情け容赦の無い死の部隊であった。


安全保障理事会の各国の代表者は最近、軍上層部に評判の少数精鋭で構成された特殊部隊に注目した。

未だ正式に配属されていないヴァージンフォースではあるが、成績は世界トップクラスである。

エリート部隊の実力有る猛者達だ、

 素人のテロリスト殲滅などたやすいだろうと実行部隊の候補リスト最上段に持ち上げられたのだ。

ワーグナーとしてはまだ教練過程にある彼らを実戦部隊として組み込むという事に反対をしていたが、

 安保理の強力なごり押しを最高意志決定機関である人類補完委員会が認めてその一声で決まってしまった。


………使えるものは何でも使え、と。


実は人類補完委員会、というよりゼーレはこの生真面目な国連事務総長の提案を喜んでいたのだ。

碇グループでも手を出していない地域。そうこの世界は確かに日本、アメリカ、中国、

 ヨーロッパを中心に経済活動が行われているが、それはあくまで表である。

資金力の弱まっていたゼーレはこの地域で動く大量の裏金に注目していたのだ。

労せず、国連軍が正式にアフリカ大陸を支配しているテロ組織を潰してくれるようだ。

その後、その利権の全てをゼーレが支配してしまおうと画策したのだ。



こうした動きの中、

 12月1日、正式にトライフォースは対テロ特務部隊として国連軍総司令部に所属と記された。




………カンパラ。



「隊長、ここは粗方片付きましたよ……。それにしても胸クソ悪ぃヒデェ奴らだった……。」

アルはそう言って硝煙と血の臭いが充満し弾痕の跡が残る室内を見やった。

「全くだ。しかし、彼らはその罪に対する罰……死を与えられたのだ。それ以上はもう何も言うな。」

A・Oは硬い表情で第3班の班長が言いたい事を言わせなかった。

アルはあいつ等はクズだ、人の風上にも置けない、と言いたい様に口をパクパクさせて無音で蔑んでいた。

危険物など無いかと捜索しているこの部屋に、無傷で騒乱を終えたテレビから何かのニュースが流れていた。

『それでは、先程大統領との会談を終えた国連特命大使の記者会見の模様です。

 ………今日行われました大統領との会談は非常に有意義であったと考えています。

 大統領は国連の平和・治安維持活動と社会支援活動に理解と協力を示して下さいました。

 アフリカ大陸に平和と治安をもたらす為に我々は同じ人として…………』

アルはテレビに映っているブラウンのロングヘヤーに翠の瞳を嬉しそうに輝かせている女性を見て、

 苛立たしげにテレビを蹴った。

「”ガン!”なぁにが平和だ!なにが治安だ!お前らは表向きに金と物資をバラ撒いているだけじゃねぇか!

 裏で俺らがどんだけの人間を殺していると思っているんだ!」

「やめろ!ジャックロウ三尉!我々は断罪者なのだ。彼らの罪を裁いているにすぎん……そう納得しろ。」

「すまねぇ。隊長が一番ツライのに……殺す命令を出すアンタは何時も遣り切れん顔をしているもんな…。」

「そうね、隊長はこの任務についてから、何時も難しい顔ばっかりね。レイも、マナも心配しているわよ?」

壊れたドアからカーチャが入って来た。

アルに蹴られて丁度カーチャの正面を向いていたテレビはまだニュースを映していた。

カーチャは会談終了後にニッコリ笑って握手している女性を冷めた目で見て言う。

「ま、何事にも表と裏があるのよ。表裏一体。どちらも必要、なくなることは出来ない。

 彼女が多くの人々から”平和のマリア”なんて呼ばれる事が出来るのも、私達が居てこそよ。」

「その通りだね。カーチャ、撤収準備をして。ここにはもう何も無いよ。子供達は?」

「生きている子達は全員国立の病院へ搬送したわ。後は丁重に葬るってところね。」

「……そう。僕は司令部と衛星回線で報告をしてくるから、カーチャ、アル…後ヨロシク。」

「「了解。」」

隊長が漸く戦闘モードから抜け始めた事を話し方で感じた2人は優しく気遣う様な表情で返礼をした。

灰色の重たそうな雲が月を隠しているそんな空の下、ビルの屋上に出たシンジは作戦結果を報告していた。

『総司令部へ、特務隊A・Oより達する。

 子供を部品として扱い売買していたテロ資金支援組織は壊滅した。

 これよりベースキャンプへ撤収する。以後、到着までは通信不可である。オーバー。』

背後よりレイがそっと近付き、シンジに優しく抱き付いた。

「シンジ君。」

シンジはゆっくりと身体をレイの方へ向けると優しい瞳でレイを覗き込んだ。

「レイ、大丈夫?…怪我とかしていない?」

「私は平気。シンジ君、無理しないで。私に嘘はつかなくていいの。」

「………これで、潰した組織は25。最大勢力のテログループの主要な組織はまだある………。

 頭をいきなり潰しても直ぐに替わりが出てくるもんね……だから、僕らは彼らの組織機能を奪うべく、

 こうして作戦に従事している。……この手が血に染まっても、アフリカの人々の為にって思えば……ね、

 そんなに辛く無いんだ。……一番、ツラいのは人殺しに慣れちゃっていく感覚かな。

 ははっ…イヤなんだけどね……」

シンジの波動にレイは彼の背に回している腕に力を込める。

「シンジ君は、いつも最小限にしようと努力をしている。組織のトップを見せしめのようにするのだって、

 余計な抵抗をさせない為。冷酷な仮面を被りその心を硬くしている……その波動を感じるの。」

レイは彼の真紅の瞳をじっと見詰める。

彼女の優しさを湛えた深紅の瞳を見るシンジの視界は次第にぼやける様に歪んでいく。

”ぽたっ”少女の頬に透明の雫が落ちる……見上げていたレイは左手でそっと彼の濡れた頬を拭う。

『”力”があっても何も出来ないね。』

『そんな事ないわ。シンジ君は……』

『違うよ、僕のわがままさ………単純な。

 好きなように”力”でこの世界に干渉してしまえば、この世が偽物になる様な気がするだけなんだ。

 死んだ人を生き返らせる……記憶を改ざんさせる……この世の王になる……何でも出来るんだ。

 でも、それをしてしまったら、嘘になる様な気がする。』

『シンジ君は誰が何と言おうと、私は偉いと思う。これは、私の絶対的な価値観…変える事は出来ないわ。』

『ありがとう、レイ。君が居てくれて本当によかった。………愛してるよ。』

『私もよ、シンジ君。』

「さて、みんなが待っている。ハンヴィーでベースキャンプに帰ろう。」

”コクリ”レイは帰投準備を確認する為、無線機で通信を開始した。

この部隊、特務隊トライフォースが正規に任命された時、レイは部隊全体の副隊長になっていた。

マナは情報統括と各隊員のリンケージを維持する為に、

 非戦闘域まで待避し情報戦様に改造した特殊ハンヴィーで待機していた。

………未だ、マナは一人も手に掛けていないのだ。

「”ピッ”霧島三尉、撤収準備はどうか?」

『”ピッ”完了しました、綾波三尉。報告ですが、今回の作戦での損傷率はゼロでした。』

「”ピッ”了解。」

「ま、不用意にバロットが動かなかったからね。」

「そうね。…ボイルシェフ三尉は先日の戦闘で足に被弾したから、大人しく霧島三尉の補佐をしてるわ。」

戦闘の舞台となったビルに横付けして待機している、

 3台の巨大な四輪駆動車は出発準備を終えて隊長達を待っていた。

その最後尾に多数のアンテナを伸ばし、待機している自動車の天井が割れるように”ばかんっ”と開くと、

 黒いフェイスマスクを取ったマナが”にょきっ”と上半身を出した。

「隊長ぅ〜!隊長ぅ〜!!」

「どうしたの、マナ。」

「ありゃ、もう…戦闘モード終わってる?ま、いっか。ねぇアオ君、”ボロット”何とかしてよぉ!」


………シンジは作戦行動が終わってもなかなか、普段のモードなれなかった。


大抵、作戦終了しても1〜2時間はピリピリとしていたのだ。

隊員達は彼の負担を気遣い、シンジが自身の心を整理している、そんな時間を邪魔する事はなかった。

「ボロだとぉ〜!誰が、”ボロ”だ!!俺はバロットだ!」

マナの隣から金髪角刈りの男が出てきた。

「うわっち、いててて!!」

彼の顔が車から出て見えた瞬間、その顔を歪めてそのまま車内に消えた。

「はぁ、馬鹿じゃないの!怪我している足に力入れたら痛いに決まってるでしょ〜。」

呆れた視線をぶつけるマナは、再びA・Oに声を出した。

「アオ君、このロシアな人、使えないよぉ。っていうか、居ない方がマシ。」

「は?…どうして?」

シンジは無能な人間はこの隊にいないと理解している。

「各隊員のカメラ画像を見ては、横から”あぶない!”とか”よけろ!”とか、五月蠅くてぇ。

 プロレスじゃないってぇの!まったく!」


………マナは自分の仕事を邪魔されたとお冠である。


「あぁそっか、了解。…あぁ〜と、お〜い…ボイルシェフ三尉!貴官はこれより3号車の運転手を命じる。

 ベースキャンプまで機嫌を損ねたお嬢様を丁重にお連れしろ!……それでは、これより移動を開始する!」

シンジ達はビクトリア湖の朽ちて捨てられた工場跡地へと移動していった。



………スーダン、オムドゥルマン。



…シンジ達が作戦行動を起こす4時間前。

トライフォースが拠点にしているビクトリア湖北岸のカンパラから約1800km北に位置するこの街は、

 スーダンの首都ハルツームのナイル川対岸にあり、

  最大の商業都市としてセカンドインパクト後も変わらず栄えていた。

今は16時、早くも陽は落ち込みその空は紅く染まりきっていた。

タクシーを降りたマリアはゆっくりと街を歩いていた。

コートを羽織りリュックを背負う女性は真剣な表情でにぎやかな商業地域やダウンタウンを歩き見ている。

2人のSP達はあっちこっちに歩き回る彼女の後ろを離れず、常時警戒を怠らなかった。

彼女は本当の貧困層にまで確実に物資やその援助が行き渡らなければ、

 自分の仕事の意味がないと考えていたので地元の人でも行かない様な治安の悪い処まで足を伸ばしていた。


うらぶれた、というのは失礼かもしれないと思ってしまう様な寂れた路地。

(ココにすむ住民には生きる気力というモノが感じられ無いわ。それ程ヒドイのね。)

マリアは自分の住む世界との現実的な落差に唯、目をやり自分に出来る事を考えていた。

何気に見ると、破け汚れたシャツを着ている男の子が建物の入り口の階段に座っていた。

この近所には絶対居ない小奇麗なコートを羽織った美しい女性を見た男の子は、ニッコリと笑った。

その笑顔に応える様に道端からマリアは声を掛けた。

「こんにちわ、坊や。」

「こんにちわ、お姉さん。観光だろ?コレあげるよ。」

男の子はそう言ってズボンの後ろのポケットをもぞもぞさせると、小さな黒い筒を彼女に投げた。

その放物線を描く物体にSPも目をやり、何かに気付いて声を上げようとした瞬間、

 ”バ−−−ン!!”

  耳を破壊しそうな強力な音と、白い閃光が辺りを埋め尽くした。


1時間後にSPの一人が気絶から回復し、連絡してきた事で発覚したこの事件は捜索開始をしたものの、

 行方不明になってしまった女性の生存情報や居場所の手がかりなどは一切発見されなかった。


その2時間後、国連大使館に一枚の紙が投げ込まれた。

その紙を見た国連職員が理解した事は、

 国連特命大使として首都ハルツームでの公務を終え、

  非公式に西のスーダン第二の都市オムドゥルマンを訪問していた”平和のマリア”は、

   アフリカ大陸を支配している最大のテログループ”アフリカ解放聖戦”に攫われたという事であった。



………国連本部。



SPの証言により、彼女の攫われた状況が分かった。

道端に居た男の子は、見知らぬ男に”ココに綺麗な女性がやってくるコレをプレゼントだと渡して欲しい”、

 と小遣い稼ぎの為にやったらしい。

彼女は最初から狙われていたのだ。

そして、国連事務総長にこの事態の報告がされた。

「何ていう事だ!!…マリアがテロリストに攫われるなどとは!!」

「落ち着いて下さい、クルト事務総長。相手はアフリカ解放聖戦だと犯行声明を出したのです。

 テロリストグループのリーダーはあの、”アブ・バカル・アイマン”です、絶対に要求を出してきます。

 世界最高のネゴに事に当たってもらいましょう?」

「分かっている!しかし、うまくいくのか……彼らは過激派だ。」

秘書官の予想通り、FAXで送られてきたテロ組織からの第二の犯行声明による要求は、

 娘と引き換えに、高濃縮ウランを10kgと要求されたのであった。

武器の専門家に言わせると、これは汚い爆弾(放射能爆弾)の作成を目的としたものであるらしい。

テロリストに屈する事は避けねばならなかったが事務総長クルトは、父親として娘の命を取った。


この世間にはまだ発表されていない事件は、違う形でその一端が報道された。

頼みの綱である、ネゴシエーターにウランを持たせ交渉を行わせたが、

 その結果は翌日、ナイル川に変死体が流れたとニュースになっただけであった。


国連本部で”変死体の意味”を理解した事務総長執務室に緊張感が走った。

クルトは極秘にウランを交渉役に持たせたのだ。

核拡散防止の観点からも、この事件が明るみに出るのは避けねばなるまい。

そうなると、この件をいかに早急に片付けるかがカギとなる。

彼はワーグナーに協力して貰おうと彼を執務室に呼んだ。

「娘さんが誘拐され、その上ウランを奪われたとは。早まりましたね。」

「彼らは私に時間をくれなかった。それに今更言った処で事態は変わらん。」

「彼らを殲滅させようと主要な下位組織を潰し回っているのが本体の組織に効いて来たんだな。

 それならば、事件が明るみに出る前に………」

”コンコン!”

「なんだ?」

秘書官が慌てて入って来ると何も言わずにテレビの電源を入れた。

国際報道チャンネルに映っていたのは、彼らの第3の犯行声明。



『……国連事務総長は我々の要求の正当性を認め、要求通りウランを自分達にプレゼントして下さった。

 彼の愛娘”平和のマリア”は今の所無事である。次の要求は、アフリカ大陸に用意されている、

  テロ根絶計画の無期限廃止。その発表は本日20時より96時間以内に行う事。

 実行されぬ場合、一人の女性が我らの神の贄として捧げられる事になるであろう。』



NERV第3支部長はそんな日、国連本部に出張していた。

野心高く人の機微に敏感であった彼は、先程会談していた事務総長の雰囲気が普通で無い事を察知していた。

そして、その理由を偶々ロビーに流れていたニュースで知った彼は走るように事務総長執務室を目指した。

「まずいぞ、奴らに先手を打たれた。早急に対応せねば………。」

「あぁ……マリアが、わたしのマリアが……。」

机に突っ伏すように頭を下げてしまった彼にワーグナーが励ますように確りした口調で提案をする。

「落ち着くんだ、クルト。私が救出作戦を指揮しよう。最高の部隊が丁度近くに居る。

 対テロのエリート達がね。許可を求める。」

クルトはワーグナーの青い瞳をジッと見た。彼らはかなり長い期間、共に仕事をした仲間だった。

「分かった……頼んだよ、ワーグナー。事務総長としては、アフリカの計画は破棄できん。

 しかし、父として娘を見捨てる事などとても出来ん。………お願いだ…マリアを救ってくれ。」

「任せろ!彼らなら可能だ。」

”ピピピッ”秘書官からの内線電話が鳴る。

「何だ!?」

「特務機関NERV第3支部長がもう一度、お会いしたいそうですが……。」

「今、取り込んでおる。ダメだ。」

「……あぁ、それでしたら直接…委員会に行きますが…よろしいですかな?」

秘書官から少し強引に受話器を取り上げ、支部長は構わずクルトに言い放った。

「…むぅ。わかった、話は聞くが、手短に頼むぞ。」

「勿論ですよ。事務総長閣下。」

入って来た男の話は、事務総長の娘マリア救出作戦に第3支部の部隊を参加させてくれというモノであった。


………半軍事組織として全く実績を持たないNERVが実績を得るチャンスである。

この事件で活躍し多大な貢献をあげたという実績を作れば、自分は本部の総司令官に成れるかも知れない、

 と考えている男は執拗に2人に掛け合う。


指揮官としてワーグナーは呼吸の取れない色の違う部隊を編成する事はデメリットが多いと反対したが、

 二言目には委員会に掛け合う、と言う男に事務総長は折れた。

クルトはワーグナーにドイツの部隊は支援だけに限定させれば影響は少ないだろう、と目で語った。

ワーグナーもしつこい男にやれやれと肩を落とした。


………こうしてNERV第3支部の”精鋭部隊”も救出作戦に参加する事になったようだ。



………ビクトリア湖。



第3の犯行声明が発表されていた12月21日、A・O達は装備のメンテナンスをしていた。

ここビクトリア湖は標高1000m以上の高さにある世界三位の広さを誇る古代湖である。

特務任務を受け、そのまま湖の北岸に来て打ち棄てられた工場の跡地を拠点にして約20日経っていた。

物資の補給はわざわざ目立たぬように湖の南側から漁船に偽装した輸送船を使い行われていた。

「アオ君、ちょっとシステムイジったから見てぇ!」

「今いくよ、マナ。」

シンジは机の上で整備していた拳銃”FN5−7”を素早く組み上げる。

このオートマチック拳銃は凶悪犯罪者に対抗するべく開発された凶悪な代物で、

 装填される弾丸はライフル弾の様な特殊性のある5.7mm×28弾を使用する。 

その破壊力は200mの距離でクラス3の防弾チョッキを撃ち抜く能力を持っていた。

”カシャン!”

組み上がった拳銃を右腰のホルスターに仕舞ったA・Oは3号車に向かった。

レイは第2班と第3班を率いて船から卸された物資をチェックしていた。

「アオ君、ちょっとチェックして見て。」

「どれ、えぇっと…?」

シンジはモニター並ぶ机でキーを叩くマナの横のイスに腰掛け、彼女が指差す画面を見た。

「?……マナ、これ?」

「そうよ、ちゃんとよく見てよぉ。」

マナに言われて左に身を乗り出すようにシンジは画面に近付いて見た。

「何が違うの?」

「へへへ……。」

マナは自分の目の前に身体を寄せているA・Oの背中からお腹に腕を回して彼を”きゅっ”と抱いた。

「うわっぁっちょっと!!マナ?」

シンジは慌てて体を動かそうとするが、後ろから彼を抱く少女は腕に力を込めて顔を彼の背に埋める。

「アオ君、大丈夫?……無理しているんじゃない?…私、心配だよぉ…変わっちゃヤダよ?アオ君。」

マナも突然実戦部隊に編成されてしまったこの事態に戸惑いを持っていた。

……いくら自分は手を下していないと言っても、仲間の心が傷付いていくように感じるのだ。

「マナ、大丈夫だよ。そりゃ確かに初めての時は色々考えたけど、僕はそれで救われる人が居ると、

 信じたい。…もっといい方法があるかもしれない。手を汚さなくても解決できるかもしれない。

 でも、僕が手を出した事で、誰かが汚れずに済んだとしたら、それならそれで……それでもいいと思う。

 ゴメン、旨く言えないけど僕の本質は絶対に変わらないよ。マナ、心配してくれてありがとう。

 もし、マナが悩んで困った事があるなら、力になるから……ね?」



”ビーービーービーー”

3号車の通信機に総司令部からの緊急通信が入ったのはそんな時であった。






第一章 第八話 「解散」へ










To be continued...


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