ようこそ、最終使徒戦争へ。

第二章

第九話 使徒、襲来

presented by SHOW2様


模擬接触実験−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−




………6月14日。



「………ごめんね。」


”フルフル”

「……待ってる。」



「うん……じゃ、綾波も実験とか大変だろうけど、頑張ってね?」


”コクリ”


「…リリスもいい子で待っててね?」

『うぅ………お兄ちゃん。』

哀しく、寂しげな波動を出す幼女。


………そして、彼は旅立っていった。





………現在。



2015年、1月の公園。

常冬になってしまったドイツ・ハンブルクは珍しく空も高く、輝く陽の光に暖められた空気が心地よい。

アスカは義母のお弁当を久しぶりの青空の下で味わう為に、敷地内に造られた公園のベンチに来ていた。

(……ぷっはぁあぁ〜…お腹一杯っ。でも、いくら成長期とはいえ、食べ過ぎかしら?)

弁当箱を片付けて朝の訓練で疲れた足を投げ出し、青々とした空を見上げた少女の瞳に白い雲が映る。

動くことのないような真っ白い大きな雲、静けさの中に雄大な時間を感じる昼下がり。

アスカはボンヤリと眺めた遠い雲に最近感じる自分の周りの環境、大学のエリートクラスの変化を思い出す。

(……あ〜あぁ!…ったく。どうして男の子って、ああ馬鹿でスケベなのかしら!?)

早いもので、大学の特別コースで学ぶこの学生生活も、後半年ほどで終わってしまう。

少女は一昨年無事に修士課程を修めて、今年には博士課程を修了する予定だ。

しかし、自分の努力で望みどおり成績トップのまま卒業できそうなアスカは、

 大学の同級生を思い出して、どことなく詰まらなそうな顔になっていた。


………彼女はどうしてそんな顔をしているのだろうか?


早い話、何年も同じクラスの中で成長した子供達は思春期になり、最近カップルが乱立し始めたのだった。

モチロン容姿端麗、成績トップというステータスを持ち、猫をかぶっているアスカの人気は非常に高かった。

しかし、その少女は大学の講義が終わればNERVへ、という多忙な生活を送る身の上であり、

 また彼女自身一般的な子供と違い、大人の世界に住んでいるという自覚があったので、

  どう良く見ても子供にしか見れない男の子がいくら交際を申し込んできても、相手にしなかったのだ。

先程アスカが思い出した男子も、しつこく”付き合ってくれ!”と言っていきなり抱き付いてきたので、

 少しばかり手荒い返事……彼の頬を思い切り張って丁重にお断りしたのであった。


………幸いに呼び出されたのが人通りの少ない場所だったので、目撃者はいなかった。


(はん!馬鹿なガキに興味は無いわぁー。もぅ面倒くさいから、呼び出しもラブレターも無視しよっと。

 ……だいだい、私を誰だと思っているのかしら?世界一優秀なエヴぁのパイロットなのよ!)

人格誘導を自然に施されているアスカは、

 内面の弱さを見せられるような気の許せる友人を持つ事はなかった。

暫く眺めていた雲が何となくEVAに見えてしまった彼女は、午後から行われる実験に思いを馳せた。

(午後から、やっとエヴぁとの実験か。……確か、模擬テストって言ってったっけ?)

ドイツ第3支部も本部のスケジュールに遅れを取らぬように、チルドレンの起動実験準備を計画していた。

タイムスケジュールでは今年の7月中にEVAを起動させなくてはならない。


………NERVに残された時間は少ない。


(さ〜て、お昼休みも終わりだわ。………アスカ、行くわよ!)

”きっ!”と青い瞳に力を入れた少女は、力強く歩いて行った。



………NERV本部21:30。



アスカが第3支部の実験場へと歩いていた、その時。

レイは更衣室にいた。

プラグスーツに着替えて、白いポンチョを手に更衣室を出ようとした時に鳴った内線電話機。

”…カチャ。”

手にしていた受話器を戻した少女は、今の会話を頭の中で何度もリピートしながら実験棟へと向かって行く。

そして、手にネックレスを握り締めて実験用エントリープラグに搭乗した。

6月の誕生日以降、残された時間の少なさからNERVでの実験漬けの生活になってしまった少女は、

 就寝前の彼との電話だけを楽しみにする、という遠距離恋愛のような状況になっていた。

(碇君、私……頑張るわ。)

LCLにたゆたうネックレスに通された婚約指輪を眺めたレイは、半年前の愛しいシンジを思い出す。





「…綾波。」

「……え?」

久しく呼ばれる事のなかった呼び方に、レイは本を読んでいた顔を上げ、紅い瞳を少し大きくして彼を見た。

少年は座っていたイスから立ち上がると、彼女が座っているソファーまでゆっくりと歩き寄った。

どうしたの?と、少女は立ち上がろうとしたが、彼の手に止められてしまった。

「あ、座ってて、綾波。」

レイは無表情な彼の様子に不安を感じて、必死にシンジの波動を感じようとしたが、なぜか上手くいかない。

(?……え?……どうして?……どうして?)

「………やっぱりか。」

その様子を見ていたシンジは、レイの悲しみに支配されていく心の波動を感じていた。

「………シンジ君、どうして?……どうして名前で呼んでくれないの?」

何があったのかワケも判らぬ少女は、今にも泣きそうな顔を愛しい彼に向ける。

「あっ!ごめん、違うんだ。君を悲しませる為に”綾波”って呼んだんじゃないんだよ。

 う〜んと、これは………そう、ちょっとした確認みたいなものなんだ。」

シンジはレイを安心させるように暖かな微笑みを彼女に向けた。

「そ、それにね。……正式に婚約してさ、あの、ちょっと考えたんだ。

 君と結婚したら、もう綾波って呼べないんだなって。ふと、それに気付いてね。それがちょっと寂しくて。

 だから、久しぶりに呼んでみたくなったんだ。僕にとって、”綾波”って言うのはやっぱり特別なんだ。」


………悲しみで凍えた少女の心が、少し頬を染めたシンジの微笑みとその言葉で”じんわり”と暖められる。


「……碇君。……私も”碇君”は特別な言葉。」

レイも”ポッ”と頬を紅く染めると、瞳を閉じてそっと呟いた。

「そっか。……また暫く、そう呼びあおっか?」

シンジは、にっこりと嬉しそうに笑った。

「………ええ、喜んで。…碇君。」

(碇君……特別な言葉。

 やっぱり……碇君、と呼ぶだけで心が暖かくなる。

 私の心……碇君。)

深紅の瞳をシンジに向けて、レイが柔らかく幸せそうに微笑む。


………シンジが彼女の座るソファーの横に腰を落とすと、何かを決心したように先程の話の続きを始めた。


「えっと、綾波。さっき君は僕の波動を上手く感じられなかったよね?」

そのことを思い出したレイは”はっ”とシンジの顔を見やった。

「……どうして?」

「うん、タネ明かしをすると、

 僕の波動の強度というか距離感を2000kmほど離したフィールドを作ってみたんだ。」

シンジがワザワザそんな事をする理由が判らない少女は、不思議そうな顔をして彼の話を聞いていた。


「あのね………明日から約一年間、僕は君と逢えないんだ。」


突然の彼の言葉。……レイは、その言葉を上手く咀嚼する事ができなかった。

(……なんて、いったの?……いかり君。

 …今、なんて?

 あ、え、な、い………逢えないって、どういうこと?)


………レイの頭脳は考える事を拒否して、止まってしまったようだ。


シンジは隣に座る、まるで色を失ってしまったような彼女に、ゆっくりと腕を回し包むようにそっと抱いた。

「ごめん、本当はもっと早く言いたかったんだけど、なかなか言えなかったんだ。」

今、レイが感じる事ができる彼の波動は暖かく、まるで優しい風のように心地良い。

「…な、ぜ?」

自分の半身をもぎ取られてしまうような感覚にレイの思考は、唯々縋るように彼の言葉をループさせている。

(…碇君はどこにも行かない。だって…私と”一緒に居てくれる”って言ったもの。

 …ね、碇君?)

「先日ね、僕の転属先がやっと決まったんだ。」

「………どこ?」

シンジは腕に少し力を込める。

”きゅ!”

「ぁん……………碇君?」

小さな吐息を漏らした彼女の耳に、シンジは囁くように言った。



「南極……だってさ。」



「……でも。」

「うん、どこに居ても君に逢える。……でも、出来ないんだ。”力”を使えるような状況じゃない。

 この任務は少人数の船の生活なんだ。 ……それこそ、いつも誰かの目に触れているような。

 しかも、あの加持リョウジと一緒なんだ。」

シンジは抱き寄せた身体を少し起こして、レイの深紅の瞳を覗き込んだ。 

「……だから、さっきちょっと実験をしてみたんだ。

 僕からの呼びかけや力を使わず、君の力で僕に干渉できるのかってね。……でも、上手くいかなかった。 

 つまり、綾波は距離があり過ぎると、波動を上手く感じ取る事が出来ないみたい。

 ………という事は、超遠距離間での波動を使ったコミュニケーションはうまく出来ないね。

 だから、綾波、これからは多分、できても………電話くらいだね。」


………レイはたおやかな細い腕を”そっ”と彼の首に回す。


「……私、どうすればいいの?」

悲しみに暮れる波動。じっと自分を見詰める愛しい彼女の心が判ってしまう少年は、申し訳なさそうに呟く。

「………必ず、連絡するから。それと、リリスをお願い。彼女は連れて行けない。」

『え!お兄ちゃん!!!』

リリスは驚いた。どんな過酷な状況でも、決して自分を置いて行く事はなかった主人の予想外の言葉に。

「…ダメだ。君を1年近く加持の目から護れるような気がしない。いつかバレると思う。……だから。」

『お、お兄ちゃん…。』

「いい子のリリスは判ってくれるよね?」

『…ぅう……判った、よ。……でも、でもぉ……できるだけ早く帰ってきて…ね?』

「うん。」

「………碇君。」

「綾波、ホンの少しだよ?……僕らには無限の時間がある。僕は君のためにいる。だから、ね?」

「………私も碇君のためにいるもの。」

そう言ったレイは引き寄せるように彼の首に回した両腕に少し力をいれると、そっとシンジの唇を塞いだ。




”〜ん、〜ん、チュパ…”

1分後、ゆっくりと絡めた舌を離したシンジはレイの深紅の瞳を見詰める。


「………ごめんね。」


”フルフル”

「……待ってる。」


「うん……じゃ、綾波も実験とか大変だろうけど、頑張ってね?」


”コクリ”


「…リリスもいい子で待っててね?」

『うぅ………お兄ちゃん。』

哀しく、寂しげな波動を出す幼女。


………そして、彼は旅立っていった。




”ピピ!”

レイが”彼”を思い出していると実験管制室の準備が終わったようだ。

エントリープラグに満たされたLCLが電荷されると、液体はオレンジ色から透明になった。

その液体に浮かび上がるように表示されたバーチャルモニターの一つ、

 ”SOUND ONLY”と書かれたモニターからリツコの声が聞こえる。

『レイちゃん、準備はいいかしら?』

「……………はい。」

レイは循環するLCLに浮かび揺れていたプラチナのネックレスを”そっ”と手に取り、首に下げた。



………物語の時間を、少女の思い出していた半年前に遡せよう。



2014年、6月8日の15時。

久しぶりに軍服に身を包んだシンジは、国連本部ビルの国連軍総司令官執務室を訪れていた。

「やぁ、元気だったかね?A・O。」

「えぇ、閣下もお変わりなく。………漸く私の転属先が決まったんですね?」

笑顔を向け嬉しそうなA・Oとは対照的に、ワーグナーの返事は少し濁っていた。

「…う、うむ。…そうなのだ。」

そう言った司令官は、机から出した一枚の紙をシンジに渡した。


(ん……え!!!)


意外すぎる転属先………その紙に書いてあった文字を読んだシンジは予想外の場所に思わず固まってしまう。




………封地され、何人をも寄せ付けぬ南極であった。




「これは、どういう事でしょうか?」

「人類補完委員会が南極の第3次調査団を計画してね。

 極小規模ではあるが、南極大陸の現状のレポート、

  そして今だ生命を寄せ付けない特殊な”力場”とでも言うのか……そのシステムの解明。

 予定された調査期間は1年間。

 君にしてもらいたいことは、研究スタッフ達のサポートとガードだ。

 何が起こるか分からないあの地域での研究活動。

 委員会からの要請に私は状況判断能力に優れ、あらゆるモノを扱うことができる君が適任と判断したのだ。

 研究に携わる学者は5名、ガードは君を含め2名。調査船のスタッフは10名だ。

 6月15日、出港だ。準備に掛かってくれ。…いいな?」

「………はい、………了解しました。」



………そして、現在。



シンジが”力”を使って、自分を待っているレイに逢いに行かない理由。 

いや、逢いに行けない理由。

それはもう一人のガード、加持リョウジであった。

彼と常に行動を共にする。このような状況下では、僅かな時間でも姿を消すというリスクは負えなかった。

加持がこっそりとシンジのPDAを黙って起動させようとしたのも、数え切れないほどだった。

僅かなスキを突いては自分の好奇心を満足させようとするこの男に、シンジは呆れるばかりであった。

その為、自分が予想したとおり、レイが不振に思われないように就寝する前の30分間だけドーラに頼んで、

 MAGIの通信記録に残らないように細工をした衛星回線を使用し、

  今日の出来事やお互いの事を話すというのが、シンジの唯一の生き甲斐になってしまった。

今日はEVAを使用した初の実験という日だったので、

 その実験前にドーラの”力”で5分間だけ、回線をNERV本部の女子更衣室に直接繋いでもらっていた。

「………うん、愛しているよ、綾波。頑張ってね?…じゃ。」

”ピッ”

加持は船内の廊下から部屋に戻ってきた少年を見て、少し意外そうな顔になった。

「おや、A・O君。彼女との電話、もぅ終わっちゃったのかい?」

「……えぇ。」

「今回は、随分短いんじゃないか?」

(よくチェックしているな……まったく。とぼけておこうっと。)

「そうですか?」

「……なぁ。もうそろそろ半年近くも経つんだ。いい加減、どんな子なのか教えてくれないか?」

「いいじゃないですか……どんな娘だって。」

「いやぁ、君ほどの男の子を夢中にさせる女の子だ。興味深いじゃないか。」

悪戯っぽく笑う加持に、シンジは相変わらずな人だなと考えていると、船が減速し始めた。

「…秘密です。ほら、加持さん……次の調査ポイントに着いたようですよ。……防護服、準備しましょう?」

「はいはい、上官殿のご命令ですからねぇ、準備、準備っと。」

「何か言いました?」

「いいえ、なぁんにも…A・O三佐。」

「まったく。……海に落ちても助けませんからね?」


………ジト目のシンジを見た加持は笑って答える。


「ははは。ま、そうならないように気を付けるから、大丈夫さ。」

シンジと加持は、もう着慣れてしまったオレンジ色の防護服に身を包むと調査船の外に向かう。

軍事組織ではないこの小さな調査団、シンジは軍隊モードではなく普通の少年として加持に接していた。

(う〜ん、やはりトライフォースの時とちょっと雰囲気が違うなぁ。……柔らかい、というか何というか。

 ま、オレはコッチのA・O君の方が何かと気楽だけどねぇ。)

デッキに出るA・Oの背中を見ながら加持は後ろに続いた。



………リリス由来の生物を許さないような世界。見渡す空のオーロラは崩れ、その海は紅い。



(………紅い世界。あの世界に似ているけど、違う。

 ここはアダムの残したアンチATフィールドが微弱だけど……今だ、残っている。)

シンジ達は南極大陸の存在した場所を中心に、紅く変質してしまった海水を採水していた。

『A・O君、そっちはどうだ?』

『はい、表層、中層、深層とも終わりましたよ。』

『……いよいよだな。』

『えぇ、加持さん。先生達のスケジュールでは、予定通りだそうですよ。』


………半年の期間を掛けて、やっと終了した採水作業は480地点で2880回に及んだ。


防護服の無線機で会話をしていたシンジ達は、今からあの惨事の中心地に向かう予定だった。



………NERV本部、実験棟。



白衣を羽織った女性の凛とした声が部屋に響く。

「これより起動実験に向けた準備として、EVAのコアをシミュレートした模擬接触実験を開始します。」

実験に携わるスタッフに向け、リツコは用意した資料を手に実験をスタートさせる。

レイのパーソナルパターンと模擬コアを経由させたEVA零号機との接触実験。

「マヤ、準備はいいわね?」

「はい、センパイ。計測機器は全て問題なく稼動しています。」

頷きを返したリツコはマイクのスイッチを入れた。

「レイちゃん、準備はいいかしら?」

『……………はい。』

(……ふぅ。元気ないわね。後、半年だから……頑張ってね、レイちゃん。)

リツコは”キラキラ”と煌くネックレスを首に下げた少女を見て、軽くため息をついた。

「では、リスト1番から365番までスタート。」



………白き月。



塩に変質してしまった南極大陸の一部。それは白い小さな島のようであった。

シンジは下船し、まるで雪のように白い大地を踏みしめて研究者達の横を歩いている。

……その向かう先はあの実験場。

ここはセカンドインパクトの中心地。爆散した資材やガレキが辺りに散らばっている。

加持は余りの光景に目を奪われていた。

(……ここか。ここで……ここで、あのセカンドインパクトが起こったのか。一体、あの時……何が?)

彼らは”白き月”に下りる為、ぽっかりと口を開けたような洞窟に足を踏み入れた。

ライトを手に自然に出来たような不規則な階段というよりも段差を使って、外周を下りるように歩いていた。

『加持さん、よそ見ばかりしていると危ないですよ?』

『ははっ。A・O君、いくらなんでも、オレはそんな間抜けじゃ……』

”つるんっ!”

『!!どぉぉぉぉ……ぉわあぁぁぁぁ!!!』
 
”ガン!…ドッ!…ガン!…ガン!…ガツン!”

『……ぐぇぅ!』

加持は足を滑らせバランスを崩すと、防護服を転がして方々の岩に当たりながら30mほど落ちていった。

(加持さんって、あんな人だったっけ?)

シンジは呆れながら用意したロープを投げてやった。

『……ほら、早くしないと先生たちが行っちゃいますよ?』

『っ〜いっててて。…スマンな、A・O君。まさか滑るとはねぇ……。』


………調査団が階段を降り切ると、その広い空間には黒く焦げたような大きな壁があった。


『…また、こりゃ、何というか……でかいなぁ。』

設置した照明に煌々と照らされた”ソレ”を見て、呆れたような声を上げた加持が視線を巡らせると、

 その丸みを帯びた巨大な壁は数百mほど続いていたが、先端部分は段々と細くなっているように見える。

(………ロンギヌスの槍。)

シンジは何気に触れてみる。

”どくんっ!!”

『な、ナンだ?』

『わからん!突然聞こえた今の音はナンだ!?』

巨大な太鼓を打ち鳴らしたように聞こえた地響きのような振動。

到着した時から休みなくこの壁の調査をしていた研究者達は騒いでいた。

(……僕に反応した?……そっか、アダムなき今、プログラムによって新たな主を探しているのか………。)

シンジは誰にも気付かれぬように気を付けながら、何気ない散歩のような歩調で調査団から離れて行った。

そして誰の目にも触れぬ場所に来ると防護服の手袋をとり、右手の親指を少し傷つけた。

”じわっ”

自分の内側から滲み出てくる血を見ていたシンジは、そのまま親指の腹をそっと槍に触れさせた。

(僕の為に協力をしてもらいたいんだ。……契約してくれるね?)

”トクン!”

新たなる”主”との血の契約に応えるように、聖なる槍は従順な反応を示した。

(……ありがとう。)



………模擬接触実験。



『……これより、模擬接触実験を行う。』


シンジが聖なる槍に触れていた時、

 初めてエントリープラグに搭乗した少女は目を瞑って、沸き上がる緊張を誤魔化すように集中していた。

(………このエヴぁが全て。私の全て。……だから、だから絶対に成功させる!!)

赤いプラグスーツを着た少女の心の裡を占めているこの思いは、正に彼女の何者にも勝る一番の願いだ。

操縦桿を握る少女の手に”ぎゅっ”と自然に力がこもる。

『…いけるな?』

”コクッ”

『では、実験開始。』

赤いエヴァンゲリオンに電源が投入される。



………同時刻、NERV本部。



タイムスケジュールシートを見たゲンドウは、”ふん、下らん”という表情でその紙を机に投げる。

「ドイツのごり押しにも……困ったものだな、碇?」

”やれやれ”と冬月は先程自分が持ってきた報告書が、大きな机に捨てられるのを横目で見ていた。

ゲンドウは机に肘をついてゆっくりと手を組むと、徐に口を開く。

「……本部と同時に実験を行う、それはいい。大した事ではない。……しかし、」

冬月はその机の横に用意されている応接用のソファーに腰を落とした。

「ふむ、そうだな。……強まった第3支部長の発言権。……コレは如何にかせねばなるまい?」

「あぁ。」

「予測された使徒襲来まで、後7ヶ月ほどだぞ。……肝心のEVAは間に合うのかね?」

「…問題ない。」

「初号機パイロットたるシンジ君はどうしたのだ?」

「調べた処、今は第3次調査団の一人として……南極だ。」

「……なぜ、呼ばん?」

ゲンドウは目を閉じて、軽く息をつくと自分の計画を確認するようにゆっくりとした口調で答えた。

「………先生、委員会はA・Oとシンジが同一人物だとは気付いていません。

 もし、知られれば拉致、洗脳されゼーレの手駒とされる可能性が高いでしょう。

 そうなってしまってはこちらの真の目的、それに至るシナリオの修正は困難になります。

 第一、我々の計画の最重要ポイント、コアに眠るユイの覚醒にはシンジが必要不可欠なのです。

 ……その為、実際にシンジを呼び出すのは”事の始まる”直前になるでしょう。」

ゲンドウのシナリオを聞いた冬月は、自分の言葉で確認をする。

「…使徒襲来、その時何も知らないシンジ君をEVA初号機に乗せ、戦わせる……と言うのか?」

冬月が横目で見ていたゲンドウは顔を若干上げると、瞳に力を込めて答えた。

「そうです。シンジの危機にユイの魂は目覚め、自分の子供を護るでしょう。」

「ユイ君はシンジ君を大層可愛がっていたからな。まぁ、間違いなく覚醒する……か。」

虚空を見詰める冬月は遠い過去の日、子供をあやす彼女とゼーレについて話していた湖畔を思い出していた。



………実験場。



模擬接触実験とは、擬似的に作られたソフト上のコアを媒介させて実際のEVAの反応を観測する物だった。

「聞こえるかね?」

『……はい。』

流石のアスカも緊張の為か、いつものような威勢はない。

「”赤”はどうだ?」

パイロットの映るモニターを見ていた技術主任の問い掛けに、女性オペレーターが報告を上げる。

「はい、EVA弐号機に問題は認められません。……EVAの反応は予定数値、いえ期待値以上です。」

「…うむ。」

(やはり、母親の魂か。……このまま、起動できるんじゃないか?)

何も知らないアスカが出した実験結果は、技術主任が嬉しそうに笑うくらいの好成績であった。


………さて、零号機とレイの模擬接触実験の結果はどうだったのであろうか?


マヤが見た、尊敬する上司は落胆していた。

リツコは先日の執務室で、レイと相談した上での今日の実験結果を目を細めて冷静に見ていた。

(……自分の立てた計画とは言え、ドイツに負けたみたいで………愉快ではないわね。)

擬似コアに対するパイロットの接触。

…擬似、といっても、現状のコアの波形パターンなどのあらゆるデータを入力して創ったものである。

今回の実験結果は、ほぼ間違いなく本番の結果に近いものになるという事は、誰にでも判る話だろう。

先程終わった実験の結果は、魂の宿る弐号機は順調な成績を残したが、零号機は無反応だった。





中学校−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………2015年、2月2日の第3新東京市立第壱中学校。



「えぇ、皆さん。今日から我が校に転入してきた、新しいお友達を紹介します。…では、入ってください。」

”……カラッ”

クラスの視線は、スライドしたドアから入って来た少女に釘付けになった。

揺れる蒼銀色に輝く髪…白磁器のように白い肌、美しい顔立ちに一際輝く宝石のように深いルビー色の瞳。

制服の上からでもわかる見事なスタイルの良さ。

早熟なのだろうか…彼女の身体は緻密な計算により算出された黄金律を体現した様な、魅惑のラインを描く。

……出るべき所は出ていて、締まるべき…そのくびれたウエストは中身を疑うほど細かった。

(((((うぉぉぉぉぉぉ!!!!!か、かわいい!!!かわいい!!!)))))

(((((メチャクチャ可愛いぃぃ!!!……いいぃぃ!!!!……すごく、いいぃぃぃ!!)))))

(((((わぁぁ!きれい………すごく、きれい!!……ウエストぉ細すぎぃぃ!!!)))))

(((((うわぁぁ神秘的ぃ……蒼い髪……綺麗ぇ………何?紅い目?……うゎぁぁ!!)))))

(…う、売れるぞぉぉぉ!!これは、売れる、売れる、売れるぅぅぅう!!!)


………一瞬にして沸き起こったどよめきと大きな歓声。


多くの男子、女子の感想に混じって一人だけ少し方向の違うのもいたが、

 クラス中の生徒は黒板を背に立った少女に熱い視線を投げ、その声を聞こうと固唾を呑み見守っていた。

「それでは、自己紹介をしてください。」

老教師が彼女を促すと、その少女は一言だけ抑揚のない声を出した。

「綾波、レイです。」

音量は小さく、また無表情ではあったが、鈴の転がる透きとおるような綺麗な声。

その可憐な美少女に男子生徒は全員撃沈されていた。


………その神秘的な女の子にクラスメートの注目が集まる中、もう一人廊下で出番を待っている子がいた。


「…はい。では、綾波さん……席は空いているところで、好きに決めて結構です。」

「……はい。」

”すっ”と転校生が歩を進めると、その姿を追うようにみんなの首が動く。

男子たちは”自分の近くへ!”という念を込めるように熱い視線を彼女に投げる。

偶々、隣の席が開いている男の子などは、

 手を強く強く握り、まるで祈っているのか呪っているのかわからないような格好であった。

そんな生徒達の注目する中、レイの選んだ席は隣が無人の前史と同じ窓際の席だった。

「では、もう一人。……入ってきなさい。」

”ガララ!”

クラスの視線は操られているように乱れることなく揃って、若干大きな音を発した入口を見やる。

(((((…へ?????)))))

そして、想いを一つにした生徒達は一斉に眉根を寄せてしまった。

(((((は?……なんでジャージ?)))))

「ぇ、ごほん!……ワシは鈴原トウジです。宜しゅうお願いしますゥ。」


クラスの生徒達は、
 
 先程の少女の鮮烈な印象覚めやらぬ目で見た……この平々凡々な男の子に特に反応はしなかった。

(なんや、元気のないクラスやのぉ。……さっきの女は…お、おったおった。ホンマに無愛想やったのぅ。)

トウジは職員室で会ったレイに挨拶をしたのだったが、返事は”…そう。”の一言だけであった。


………クラスメートが待ちに待った休み時間。


早速、転校生である可憐な少女と友好を図ろうとした男子達は、彼女の雰囲気に近寄ることが出来なかった。

(…あ、あやなみさん!、お友達になりましょうぉぉ!!!)

……心で叫んでも彼女には届かない。

レイは微弱なATフィールドを張って、紅い革でカバーされた文庫本を読んでいた。

『ねぇ、レイちゃん。…お友達作らないの?』

『必要、ないもの。』

実際の処、精神年齢が離れすぎている彼女がクラスメートを見ても、興味を抱く事はなかった。

子供の中に放り込まれたような感覚だろうか。

その反面、最初は薄い印象であったジャージの男の子は、元気な声をクラスに轟かせていた。

(ふ〜ん、コイツは扱いやすそうだな……よし、友達になってやろう……ふふふ。)

単純そうなトウジを観察していたケンスケは眼鏡を”キラン!”と光らしていた。

(さ〜て、僕の綾波さん……写真を撮ろうね。………僕が最高に綺麗に撮ってあげるから。ぐふふ。)

『う!…相変わらずの黒い波動……相田ケンスケね。』

『……どうしたの?』

『レイちゃん、ケンスケに写真撮られるよ?』


………ケンスケはカバンに手を伸ばしている。


『そう。』

『気にならないの?』

『どうして?』

『だって、多分ケンスケはレイちゃんの写真を販売するわよ?……前史同様に。』

『…売る?』

『そう、そして多くの男子生徒が買うわ……色んな男の子に色んな目で見られるのよ、その写真。』

シンジと同様にリリスの知識を得ているレイは、常識的な感情や世間一般というモノを知っている。

『……それは、イヤ。……私は碇君だけだもの。』

ケンスケはデジカメを構えた。

”カシャ!…カシャ!…カシャ!”

早速、記録した画像をチェックしたケンスケは、あれ?と訝しげな顔をした。

(はぃ?どうしてピンボケなんだ?)

そのモニターに映っているのは、ボンヤリとした輪郭。何と無く人の形が判る程度の画像であった。

(こ、これじゃ売り物にならないよ!)

ケンスケはもう一度カメラを構えたが、その指にかけたシャッターを押すことは出来なかった。

「ちょっと、相田君!?…そうやって断りもなく人を撮影するのってスゴク失礼だよ!」

(げ!委員長かよ。……いっつも、うるせぇなぁ……チッ!)

メガネの少年は内心のイラ立ちを押さえ込んで、ヒト当たりの良さそうな顔で返事を返す。

「あ、あぁ、そうだね。ほら、プロのカメラマンを目指す僕としては、

 美しいモノを見ると無意識にカメラを向けちゃうんだよ。

 も、もちろん今、綾波さんに許可を貰ってくるから。」

”ガタッ”と席を立ったケンスケは転校生の方へ向かった。

(第一印象が大事だよな。い、いい関係になれるように。もしかしたら……いや!できれば、僕の彼女に。)

ケンスケも他の男子同様、このクラスに突然転校してきた絶世の美少女に淡い恋心を感じていた。

「あ、あの。」

その声に反応して、紅い本に向けていた視線を少し上げたレイは、声を掛けてきた男の子を見ると、

 関係ない…と判断したように”すっ”と、また視線を元に戻した。

「あ、あの。」

頭がホワイトアウトしそうになる少年は、機械のように同じ言葉を繰り返す。

「………なに?」

絶対的な拒絶を感じた男の子は、更に頭に血が上ってしまい固まってしまう。

(え、と。なんて、言えば。……どう言えば。)

その時、ケンスケは周りからの視線を感じて教室を見ると、クラスメートの殆どが自分に注目していた。

(ぅえ!?)

そう…転校生に声を掛けた第一号の彼と、その少女の遣り取りがどうなるのか、と興味津々で見ていたのだ。

「ぼ…僕は、相田ケンスケっていうんだ。……その、写真を撮りたいんだ、けど…い、いいかな?」

緊張と数多の視線に天空に舞い上がったケンスケは、真っ赤な顔で自分の要求を素直に口にしてしまった。

「いや。」

逡巡の無い即答。


………初対面でいきなり写真を取らせろ、では誰もOKはしないだろう。


(どあぁぁぁ!!しまったぁ〜。そう言うんじゃなかったのにぃぃ!!!………警戒されちゃったかなぁ?

 チッ!まぁ、しょうがないかぁ。……くっそ〜〜、ここは下がるべき処だね。)

「…そ、そうだよね。突然、ごめん。あ、あははは。」

計算高いケンスケは誤魔化すように笑うと、”すごすご”と自分の席に戻った。

(……ふふん。やっぱり、自然体の写真を撮るためには盗撮が一番だよね!)


………頭の中身はやっぱり、自己チューで勝手な事を考えていたが。


しかし、彼の望みは叶わない。レイがATフィールドを身に纏っている限り。

そんな彼女は、紅い本との会話を続けていた。

『そうだ。レイちゃん、なんで零号機は起動させないの?』

『リツコお姉さんと相談したら…ドイツの状況に合わせる、と言っていたわ。』

『あぁ、そっか♪…いきなり起動させちゃったら、色々調べられそうだもんね。ふぅ〜ん、なぁるほど。』

『リリス?…それよりも。』

『あ、はいはい。お兄ちゃんの居場所ね?う〜んと、今日はここだね。』

日課のように欠かさず頼まれるレイのお願いに、リリスは間を置かずに応えてあげる。

羊皮紙に黒インクで描かれた地図に点で表示されたシンジと、その横を加持がゆっくりと歩いていた。

レイは、愛しい彼を描いている羊皮紙のインクに”そっ”と指で触れて、

 遠い地で調査団の一員として働いている彼に思いを馳せると、柔らかな微笑みを浮かべた。

(……碇君。)

変わる事がないように今まで無表情であった少女の、初めて表した喜びの感情。

(…綾波さん?)

クラスメートは馬鹿騒ぎをしているトウジを見ていたが、唯一人だけそのレイを見ている人物がいた。

(うわっ綺麗。……あんなに綺麗に笑うんだ、綾波さんて。)

洞木ヒカリ、この学年の学級委員長だった。





起動実験−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………時は流れて、7月15日の第壱中学校。



中学校に通うクラスメートは、休みがちなレイを前史と同じように遠巻きに見るだけで、

 積極的に会話をするという生徒は一人を除いて、いなくなっていた。

レイに恋心を抱く多くの男子達はケンスケに何度も写真を頼むが、

 彼がいかに努力をしても、撮った写真は相変わらずのピンボケで販売することは出来なかった。

読書している深窓の令嬢のような蒼銀の美少女を見てはため息をつく、そんな男子生徒の数は減っていない。


………彼女を超高嶺の花と考え、紳士協定でも結んでいるのだろうか?


シンジの帰還を心待ちにしている少女はそんなお子様達の視線など気にもせず、今日も紅い本を読んでいた。

『ねぇ、レイちゃん。今日は初の本番、起動実験だねぇ。』

『ええ。』

『…どうするの?』

リリスは前史と今回ではレイの”力の質”が違うことを指摘している。

今回は、元々のリリスの”力”に愛するシンジの”力”も少し加わって、より強くなっている。

『……直接シンクロするもの。』

『前史と同様?』

『そうよ。』

『でも、お兄ちゃんの力を僅かとはいえ貰っちゃってるんだもん、上手くいくかな?』

『本部のEVAも同じだと思うわ。……碇君の遺伝子情報が使われているもの。』

『う〜んと、なんかねぇ…、すんごく微弱だけど……ちょっと前から波動を感じるんだよねぇ。』

『…零号機に?』

『うん、コアにね。』

『どちらにしても、シンクロすればわかるわ。』

『ま、なるようになるか。………そろそろ行かないと、時間になっちゃうよ?レイちゃん。』

『…そうね。』

レイは”パタン”と本を閉じてカバンに仕舞うと、そのまま手に持って教室を出ようとしたが、

「あ、綾波さん、どこに行くの?」

 中学校2年生に進級しても唯一、積極的に彼女に声を掛けているヒカリが、どうしたの?と聞いてきた。

「…早退よ。」

「え?…どうして?」

「……病院だから。」

「あ!そっかぁ、ゴメンなさい。」

申し訳無さそうに”ペコッ”と謝る彼女にレイはゆっくりとかぶりを振って答えた。

「…構わないわ。」


………レイは前史と違い、クラスの女子にだけは最低限の会話をしていた。


そのまま教室から出て行った少女を見ていたヒカリやクラスの女子は、
 
 彼女のアルビノ体質が原因で学校を休みがちなのだ、と理解していた。

「大変ねぇ、綾波さんって。」

クラスの女子が自然とヒカリに集まってくる。

「そうよねぇ。……ねぇ、無口なのもきっと前の学校でイジメにあったからなんじゃないの?」

「あぁ〜、そうなのかも知れないわね〜。」

ヒカリは周りに集まった女の子たちに、力強い微笑みを浮かべて振り向くと言った。

「…だったら、なおさら私たちが力になってあげなきゃ!……ね、みんな?」



………NERV本部、第2実験場。



EVA零号機の起動実験には、この組織の主だった重要人物が集まっていた。

肩と腕をロックボルトで拘束されている山吹色の巨人に視線を向けていた男が、徐に振り向く。

「…これより、EVA零号機の起動実験を行う。」

普段の実験には顔を出さない、組織のトップが声を出す。

「起動開始。」

ゲンドウが右手で黄色いメガネを掛け直しながら号令を出した。

それを受けて技術のトップであるリツコが指示を出す。

「主電源、全回路動力伝達。」

「主電源接続完了。…起動用システム作動開始。」

”ヴォォォォォォォ…………、ヴォン”

電源がEVAに投入され、頭部に装備された緑色の丸い電磁波アンテナに鈍い光が灯る。

「稼動電圧、臨界点まであと0.5…0.2…突破!」

”ドシゥゥゥゥゥゥンンン!!”

高電圧の伝わる独特の振動のような音が実験場に響き渡る。

「起動システム第2段階へ移行。」

『LCL濃度、正常値。』

「パイロット接合に入ります。」

「システムフェーズ2、スタート。」

『LCL圧力、現状値を維持。』

「シナプス挿入。」

「接合開始。」

「パルス送信。」

「全回路正常。」

「初期コンタクト異常なし。」

「左右上腕筋まで動力伝達。」

零号機の腕に《EVA 0 PROT》という緑色の文字が浮かび上がる。

『脚部伝導経路解放。』

「オールナーブリンク、問題なし。」

「チェック、2550までリストクリア。」

実験責任者のリツコが状況を逐次確認すると、流れるように次の指示を出す。

「第3次接続準備。」

「2580までクリア。」

零号機の顔が、まるで意識を持ったかのようにゆっくりと持ち上がる。

「絶対境界線まで、あと0.9…0.7…0.5…0.4…0.3…」

システムモニターに映っていた、レッド表示がオペレータのカウントに合わせるようにグリーンに変わり、

 そのグリーン表示が絶対境界線であるボーダーラインに到達し、超えようとした瞬間に変化が起こった。

「…パルス逆流!!!」

”ビーーー、ビーーー、ビーーー”

「第3ステージに異常発生!」


………ブラックアウトするモニター。その先に見える巨人が震えるように動き始めた。


「……グォォォォォォォォオオオオ!!!!!!」

唸るような巨人の声が狭い実験場を支配する。

『直通モニター断線!!』

「中枢神経素子にも拒絶が始まっています。」

「パルス、更に逆流!せき止められません!!」

スタッフから次々に上がる報告に、リツコは最善の指示を出す。

「コンタクト停止、6番までの回路を開いて!」

しかし、即座に彼女の命令を入力しEnterキーを押したマヤは、悲鳴のような声を返した。

「ダメです!信号が届きません!」

”ガキン!……グガガァァ!…バキッバキ!バキン!!”

零号機が何かに抗うかのように腕に力を込めると、

 その巨体を拘束していたロック機構がまるごと強化コンクリートの壁から引きちぎられてしまった。


………EVAは自由になった体を震わせ、苦しむかのように両腕で頭を抱える。


「零号機、制御不能!」

今まで冷静に事の推移を見ていた総司令は決断を口にした。

「実験中止、電源を落とせ!」

「はい!」”ガチャン!グイッ!”

リツコはパネルを叩き割って非常停止用のレバーを引くと、

 零号機のアンビリカルケーブルを接続しているボルトが爆発して、コネクターがパージされる。

”バシュ!……シュ!ゴトン!”

ケーブルの先端が落下して地面に衝突する瞬間、

 その落下速度を相殺する為に制動用の爆薬が作動して、連結装置を保護する。

「零号機、予備電源に切り替わりました。」

「完全停止まで、あと35秒!」

『自動制動システム、今だ作動せず。』

もがき苦しむように震えていた零号機は、その苦しみを晴らすかのように実験管制室に拳を叩き込む。

”バキン!”

その一撃で、分厚い特殊樹脂で作られた窓にひびが入る。

”バキン!……バキン!…バキン!バキン!バキン!バキン!”

管制室がその衝撃で地震のように揺すられる。

”ガシャーン!”


………吹き飛ぶ窓に動かないゲンドウを見たリツコが悲鳴に似た声を上げる。


「危険です!下がってください!!」

『自動制動システム、命令遂行を断念!』

『……パイロットの保護を最優先事項と判断。』

マヤがモニターの変化に気付いた。

「オートエジェクション作動します!」

「いかん!」

”バシューー!…ガン!シュィィーーーーン!!ガン!…シュィィィン!…ガン!ガァァァ!!!”

ゲンドウが叫んだ瞬間、エントリープラグのロケット燃料が点火し強制射出の為に飛び上がる。

しかし、その白い筒は直ぐに天井にぶち当たると、

 その強烈な推進力の逃げ道を求めて、暴れるように自身を壁に擦り付けながら飛んでいく。

『システム残留!停止せず!』

「特殊ベークライト、急いで!!」

リツコの指示が飛ぶ。

『完全停止まで、あと10秒…8、7…』

オペレーターがカウントダウンをしていたその時、緊急脱出用の燃料が尽きて……白い筒は落下してしまう。

”ィィィィン…プシュン!”


………ゲンドウは落ちるプラグに目を開いて叫んだ。


「綾波クン!!」

”………ガァァンン!!”

自由落下のまま、激しく床に叩きつけられたエントリープラグは何度かバウンドすると、転がって停まった。

ゲンドウは、反射的に走り出して管制室を出ていった。

そして、実験場の壁の一部がスライドすると、特殊ベークライトがあらゆる方向から零号機に放射される。

”ブシュァァァァァァァアアア!!”

操縦者を失っても零号機は機械のように拳を振るっていた。

”ドガン!ドガン!…ガン!ガン!”

オペレーターのカウントは続いている。

『3…2…1…ゼロ。』

”ヴシュゥゥゥゥンンン…………”


………その瞬間、零号機は右手を放った状態で停止した。


ゲンドウはエントリープラグに走り、非常口と書かれたハンドルを両手で掴んだ。

「ぐぁぁぁううう!!」

ロケットの噴射炎で過熱したレバーの余りの熱さに、彼はメガネがすっ飛ぶほどの勢いで身を仰け反らせた。

ゲンドウがもう一度、とレバーに手を伸ばすが、その腕に突然開いた非常ハッチが勢いよくぶつかる。

”…バシュン!!…バチン!”

「グハッ!」

両腕に受けた余りの衝撃と痛みにゲンドウが転がり身悶えると、

 開いたハッチから彼の身の上に容赦なく湯気立つLCLが噴出してきた。

「ぐふぁぁぁ、あつ!あつ!あち!!」

総司令が熱湯のようなLCLを被っていると、中から少女が降りてくる。

「…熱かった。」

蒼銀の髪から滴るLCLは湯気を出している。

「はぁ、はぁ…レイちゃん、大丈夫!?」

走ってきたリツコに少女は”コクリ”と頷いた。

彼女の様子を確認したリツコは、ホッとした安堵の表情になる。

「そう、本当によかったわ。……ほら、医療センターに行くわよ?何かあってからじゃ遅いんだから……。」

今は遠くの方へ転がっているゲンドウを見たレイはリツコに、あれは?という顔を向けた。

「…あぁ、直ぐに医療班が駆けつけてくるから大丈夫よ。…さ、行くわよ?」

レイは歪んだメガネを見ることなく、リツコに連れられていった。


………あわれ、ゲンドウ。


その後、到着した医療班に搬送されたゲンドウは医師の診断の結果、

 手の平に火傷、両腕の打撲と内出血、そして全身に軽い火傷という全治2週間の負傷を負ったのであった。

その病室に、実験報告書を纏めた冬月が訪れていた。

「冬月、メガネを頼む。」

「歪んでいては使えんよ、新しいのを買えばよかろう?」

「む…いや、これはユイが買ってくれたものなのだ。」

「ふぅ、物はいつかは壊れる。壊れたものは直せんよ。」

ゲンドウは包帯で固定されてしまった両手に、歪んだメガネをのせて呆然と眺めていた。

冬月は咳払いをすると、話題を変えた。

「そんな事よりも、ドイツは無事に起動したそうだぞ?」

「あぁ。報告書は読んだ。……セカンドのシンクロ率は、16.5%か。」

「ドイツ支部は大喜びだそうだ。……それで、零号機はどうするのだ?」

「原因が判明するまで、あのまま凍結だ。」

「いいのか?…使徒襲来まで、あと22日だぞ?」

「問題ない。ファーストチルドレンはどうした?」

「赤木博士のメディカルチェックでは精神的な疲労が激しいそうだが、ケガなどは無いそうだ。

 …まぁ、LCLの対ショック性能の高さが立証されたな。」

「そうか、とりあえずチルドレンが無事であるなら、それでいい。」



………その頃の技術開発部長の執務室。



「はい、レイちゃん。」

「…ありがとう御座います。」

ソファーに座っていたレイは、リツコから冷たいアイスティーの入ったコップを受け取った。

「一応、計画どおり起動実験は失敗したけど、あんなに暴れるとは思っていなかったから、驚いたわ。

 ふぅ。……まぁ、レイちゃんが無事なら、いいんだけどね。……本当によかったわ。

 あなたにもしもの事があったら、シンジ君に顔を向けられなくなるもの。

 珍しく司令も慌てていたしね。……ねぇ、あの時何があったの?」

レイはリツコの瞳を見詰めて、あの時を思い出すように瞼を閉じるとゆっくりと口を開いた。

「私は、コアに直接シンクロするようにしました。

 今回は私も本部のEVAも、碇君の力の影響を受けています。

 第3フェーズで私がEVAに接触した時にハッキリと判ったのですが、

  零号機は開発されてからの時間を使って、独自の思考を構築していました。

 そして魂のないEVAは本能的に魂を欲します。

 私の魂を捕食しようとしたEVAは、どうやっても取り込めないという事が判ると、

  コアに接触した私を侵入者とみなして攻撃をしてきたのです。」


………レイを見ていたリツコは、彼女の言葉を聞いてある程度の事態を理解した。


「つまり、前史と違いシンジ君の力を得たEVAは本能だけではなく、自我をも構築していた。

 電源を入れられ、目覚めようとした時に自分の思考、意識に触れる者を認識。

 そして、本能のままレイちゃんの魂を捕食しようとした。

 しかし、レイちゃんのほうが強く、取り込めなかった。

 不要なモノと判断したEVAの思考があなたを排除しようとした。……そういう事?」

”コクッ”

頷いたレイは、その後の顛末を語る。

「……事前にリリスから微弱な波動を感じる、と聞いていましたが、

 それはコンピュータのような機械の反応に近い、プログラムのような感じでした。

 ですから、コミュニケーションを知らないEVA零号機に語りかける、という事は出来ませんでした。

 結果、精神的な戦いというか、ATフィールドを使ってコアのプログラムを消去したのです。

 その思考が消滅する瞬間、EVAの判断でエントリープラグが強制射出されてしまいましたが。」

「……では、まだ零号機に自我がある、というの?」

”ふるふる”

かぶりを振るレイは、ティーカップを机に置くとカバンから紅い本を取り出した。

「リリス?…零号機に波動を感じる?」

『〜にゃ?…うぅ〜ん、消えてるにょぉ〜。』


………惰眠を貪っていた幼女は、突然の問いかけに何とか半眼で応える。


腰を浮かして、その羊皮紙の反応を見たリツコは、何ともいえない顔になるが、真面目に少し疑問を持った。

「それって、動力が無いからじゃなくて?…電源を入れてないからとか………」

『違うよ、リツコさん。レイちゃんのATフィールドでコアを書き換えてあるから、もう消えているよ〜。』

なんともやる気の無い返事にリツコはイスに座りなおすと…そうだ、と思い出したようにレイに顔を向けた。

「そ、そうなの。……あ、そうそう、レイちゃん。もう一ついいかしら?

 エントリープラグの落下と衝突の際の衝撃は物凄い力だったと思うけど、無事だったのはLCLの性能?」

レイは再び眠りについた紅い本を静かにカバンに仕舞っていたが、その手を”ぴたっ”と止めて答える。

「ATフィールドを張っていました。」

「……ふぅ、ATフィールドって大したものね。原理も良くわからないけど………。

 ま、シンジ君の予定どおり零号機は凍結になったわ。司令のケガは予定外だったけどねぇ。」

 




使徒、襲来−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






………8月6日。



今日はアダムの強制覚醒、あのセカンドインパクトから太陽が昇る事、5500回目の朝。

太平洋の沖合いに小さな赤い玉が浮かんでいた。

動く事なく、佇むようにそこにあった玉は、

 日の光を浴びた瞬間まるで何かの”力”を得たように……ゆっくりと胎動を始めた。

その1時間後、哨戒に当たっていた国連軍のフリゲート艦から国連軍総司令部に、

 水中を移動する正体不明の巨大物体発見の一報が入った。



………国連本部。



『ワーグナー……どうしてもやる、と言うのかね?』

「はい、NERVの実力は未知数です。……火力においてはこちらの方が上でしょう。

 先に叩けるのでしたら、それはそれで人類にとっては、良い事だと思うのですが?」

『そうか…判った。それでは国連軍に先に指揮権を与えよう。

 ………万が一の時は、君の判断で作戦指揮権をNERVに移譲するのだ、いいな?』

「判りました。ではこちらで作戦を立案し、実行します。」

『では、我ら委員会からNERVに伝えておく。』

「お願いします。」

”…ガチャ”

受話器を置いた彼は、目頭を押させるように右手で疲れた目を揉み解していた。

「我々人類の審判の時…とでも言うのか。全くふざけた事態だ。さぁ…陸、海、空の元帥達に伝えねば。」

ワーグナーは決意を宿すように青い瞳を力強く見開くと、己の職責を果たす為に受話器を再び持ち上げた。


………数時間後、会議室に召集された国連軍上層部の提案によって4段階の迎撃作戦が決定された。


上陸予想ポイントである相模湾を中心とした沿岸部に戦車大隊を配置、

 その内陸部に多連装ミサイル発射システムを搭載した戦闘車両を展開させる。

そして、空軍からは重爆撃機部隊を展開させ、その後方に大型ミサイルを装備させた戦闘機を配置した。

また、最悪の事態を予想して、最大の火力であるN2兵器を用意させた。

「判っているとは思うが、N2の使用は私が判断する。

 戦場となるポイント、御殿場市の住民の避難をこれより直ぐに開始させろ。」

士官の一人が手を挙げる。

「総司令閣下、御殿場市にもシェルターが有りますが?」

「ばかもん、N2を使えばそんなものに意味は無い。時間のあるうちに戦場から離れてもらうのだ。」

「ハッ、了解しました。」



………相模湾。



”シュバッバッバッバッバ!”

偵察機が飛ぶその先の海は、海面の上昇により一つの街が沈んでいた。

今は魚達の住処になってしまった朽ちかけたビルの間を、巨大物体の影がまるで泳ぐように進んでいた。


”ミーン、ミンミンミンミンミンミン…ジィーーー”

常夏になった日本、今日も抜けるような青空である。聞こえる音は代わり映えのしないセミの鳴き声のみ。


『”ガピ!”こちら、チャーリー!!目標を発見。繰り返す、目標を発見!!』

「…やっと、おいでになったか…。」

青色に輝く穏やかな海の水平線に視線を向けたベテラン士官は、そのまま無線機を手に取った。

『”ピ!”…全車両、歓迎の準備に掛かれぇ!!』

その無線を合図に、待機していた数多の戦車部隊はゆっくりと砲塔を旋回させて沖合いの目標に向けていく。

”ウィーーーーーン……ゴゥン!”


そして、静かな水面に変化が訪れる。

巨大物体の浮上する圧力を受けた海水は、まるで何かを爆発させたかのように弾けて巨大な水柱を作った。



………御殿場市街。



この街に突如として齎された強制避難命令に、多くの市民は戸惑い混乱した。

しかし、国連軍が主導となって効率的に実施した市民の避難は現在完了しており、この街に動くモノは無い。

誰も聞いていない録音されたアナウンスが、何度も空しく街に響き渡っている。


『………本日、12時30分、東海地方を中心とした関東中部全域に特別非常事態宣言が発令されました。

 住民の方々は至急シェルターに避難してください。…繰り返し、お伝えします。本日、12時30分、…』



”ブロォォォ……”

青い自動車がゆっくりと交差点を横断していく。

「……ヨリによってこんな時に見失うだなんて、参ったわねぇ〜。」

ナビの画面を横目で確認した女性は、”はぁ”とため息をついた。



電車が停まってしまい、強制的に御殿場駅に放置された少年は、茶色いカバンを持って佇んでいた。

カバンを持っていない方の手には先日、調査船に届けられた便箋が握られている。

白いポロシャツにブルーのジーンズという格好の少年は、周りを見渡して無人の駅を出て行った。

(……ふぅ。南極から戻ってちょうど乗った電車が、”あの時”の電車だったとはねぇ。

 ………やっぱり、あの人が迎えに来るのかな?)



……キィ。



黒塗りの乗用車が、青空を見てボンヤリと立っていた少年の後ろまで走り寄ると静かに停車する。

”カチャ!”

後ろのドアが勢いよく開け放たれると、

 少年に向かって白いワンピースを着た少女が飛ぶような速さで抱きついてきた。

「碇君!」

「あ!…綾波ぃ。」

振り向いた少年は”きゅ!”と優しく少女を抱き締め返して、蒼銀色に輝く美しい髪に優しく触れる。

「碇君……碇君……碇君……」


………約一年ぶりの逢瀬に感極まった少女は、唯々愛しい彼の名を呼び、その胸に顔を埋めていた。


運転席のドアがゆっくり開くと、金髪の女性が優しい微笑みを湛えて白髪紅眼の少年を見ていた。

「お久しぶりね、シンジ君。」

「リツコ姉さんが、迎えに来てくれたんだ。」

「えぇ、レイちゃんがどうしても迎えに行きたいってね。まぁ、私もその気持ちは良く判るし…ふふっ。」

「ありがとう、綾波。」

少女は返事の変わりに、かぶりを振って少年の胸に顔を強く埋める。

「さ、行きましょう。時間が勿体ないわ。」

リツコに促されて、シンジとレイが後部座席に乗り込むと、彼女の運転で黒塗りの車は静かに出発した。


………”えいっ”と彼を膝枕して、その絹のように柔らかな白銀の髪を撫ぜて嬉しそうな顔をしているレイ。

そんな彼女のされるがままになっている少年は少し顔を紅くして、姉に現在の状況を聞く。


「あ、あの、リツコ姉さん、NERVを離れて大丈夫なの?」

「え?…あぁ、今は国連軍に作戦指揮権があるの。うちの出番はその後よ。」

バックミラーを見て返事をしたリツコは、レイしか映っていない鏡を見て思わず後ろに振り向いてしまった。

(…あらら。シンジ君たら。)

姉と目が合ったシンジは更に顔を紅くして、しどろもどろに会話を続ける。

「う…か、葛城さんが…迎えに来るのかと思いましたよ。」

リツコは前に向き直ると、戦術作戦室に籠もっているハズのミサトを思い出して答えた。

「あら、彼女は作戦課長として、国連軍の後の作戦を策定するのに忙しくてそれ処じゃないと思うわよ?」

「前史では、葛城さんだったんで。」

「まぁ、そうだったの。」

”ドォォゥゥゥン!!………ズゥン…ズゥン…ズゥン”

その時、地震のような地響きが車内に伝わる。

身体を起こしたシンジが車の後ろに視線を巡らせると、

 小高い丘からVTOL型の重戦闘機を引き連れて、白い仮面を胸につけた巨人がゆっくりと現れた。

「……サキエル……ふふっ」

思わず顔を綻ばした少年に、レイは”きょとん”とした顔を上げて問う。

「?…どうしたの、碇君?」

「いや……やっと始まるんだなぁ、って思ってね。無事に使徒を見たら何となく嬉しくなっちゃって………。

 何て言うかなぁ、そう…ようこそ、この舞台へ、サキエル。ようこそ最終使徒戦争へってね。」

シンジは嬉しそうにレイの深紅の瞳を見詰めながら、予想外に長い時間使った準備期間を思い出して呟いた。



………発令所。



第一発令所のスタッフが報告を上げる。

『正体不明の移動物体は、以前本所に対し進行中。』

『目標を映像で確認。主モニターに回します。』

巨大3Dモニターに映る巨大生物を確認した、ゲンドウと冬月は取り乱すことなくその侵攻を見ている。

彼らは人類の危機に直面しているにも関わらず、場違いとも取れるのんびりとした会話を交わしていた。

「……15年ぶりだね。」

「あぁ、間違いない。……使徒だ。」



………御殿場駅付近。



シンジ達が第3新東京市へ向かって郊外を走っている頃、ミサトは青いルノーを降りて少年を探していた。

「御殿場駅で電車が停まったのに、なんでいないのよぉ!…こんな時にドコほっつき歩いてんのよぉ!?」

そんな彼女の直上、超低空を飛んでいたVTOL機から遠慮なくミサイルが発射される。

”バシュゥ!バシュゥ!”

ミサトが耳を押さえて白煙の向かう方向、父の敵である使徒を睨みつける。

第3使徒サキエルに数多のミサイルが降り注いでいく。

”ガン!ガァン!…バァァァンン!!”

しかし、その巨体に当たる直前に鉄の壁に当たったような音を出したミサイルの攻撃は、無駄に終わった。

(やっぱり、通常兵器じゃダメなのね。……折角EVAパイロットを懐かせようと思って来たのに!)

『目標に全弾命中!……う!うわぁぁぁ!!』

サキエルの腕から光の槍が伸びると、数百メートル離れた場所を飛んでいたVTOL機をあっさりと貫く。

「ちょ、ちょっと、嘘でしょ!」

使徒の攻撃を呆然と見ていたミサトは、自分の真上に落ちてくる機影を確認して我に返った。

「たんま!たんま!…ダメぇ!!」


………そんな事を言っても、自然の法則は変わらないのだ。


ミサトは、曲がり角の先に停めた愛車に向かって逃げるように走り出した。

サキエルの身体が淡い黄色に光ると、重力を無視するかのように”ブワァッ”と浮き上がり、

 落下したVTOL機に”トドメ”と体重を乗せた足で踏みつける。

”バキン!ドカァァァンン!”

爆風に煽られたミサトは、為す術もなく吹き飛ばされて転がっていく。

「いやぁぁぁ!!……ぐぇ!…ゲホ、ゲホ!…と、とりあえず、ゲホ!…車に乗りましょぉ……。」

彼女がホコリまみれになった体を青い車に滑り込ませると、丁度助手席に投げてあった携帯電話が鳴った。

”ピリリリン、ピリリリン…ピ!”

「(ったくぅ、ダレよ?)…はい、もしもしぃ!?」

『あ、葛城一尉!やっと繋がった。…今、どちらにいらっしゃるんですか?』

「あら、日向君、どうしたの?」

発令所にいる日向は、周りに気付かれないように小声で答える。

『……まずいですよ、作戦立案を放り出して。そろそろ国連軍の作戦も終盤ですよ?』

「サードチルドレンを探しているんだけど、見付からないのよぉ。」

『碇シンジ君なら、既に赤木博士と一緒にこちらに向かっていますよ?』

「えぇぇぇぇ!何でリツコがぁ!?」

ちょっと行って来るわぁ、と電話で日向に伝えて、勝手に出てきたミサトはモチロン知らなかった事実だ。

『…何言っているんですか?…総司令の命令ですよ?

 我々NERVは国連軍の作戦が終了して、指揮権がこちらに移譲するまでは行動する事が出来ませんから。

 ですから、作戦課の我々はこの時間を有効に使い、敵性体の分析、作戦の立案をしなくてはいけません。

 だから、責任者の葛城さんがそんな場所に勝手に出ているのは、マズイですって!』


………ミサトの持つ携帯電話に総司令の静かな声が聞こえる。


『……日向二尉、葛城一尉はどうした?』

『ハッ、敵状を把握する為、自ら偵察をしております。』

(さんきゅ〜!!日向君!あんたはエライ!)

ミサトはにんまりと笑って電話を切ると、車のエンジンを掛けて飛ぶような勢いで来た道を戻って行った。

”ドカドカドカドカ!”

”バシュー!バシュー!バシュー!”

”シュドドドドド!!”

国連軍の航空機からの激しい攻撃は休むことなく続けられていた。

数多の弾丸、ミサイル。その衝撃や爆圧を一切無視して、サキエルはゆっくりと歩を進めた。



………発令所。



「……日向二尉。MAGIには音声ログが残ることは知っているな?」

ゲンドウの威圧的な言葉を聞いた日向は、ゆっくりと振り向いて”じわっ”と額にアセをかく。

「あ、あの、葛城一尉はサードチルドレンを迎えに行くと、言っておりました。」

(……スミマセン、葛城さん。バレてしまいました。)

日向はここにいないミサトに、心の裡で手を合わせて謝っていた。

「私は作戦の立案をしろ、と言ったはずだ。……葛城一尉を3ヶ月間10%の減棒処分にする。」

ゲンドウは相変わらず勝手な行動を取るミサトに、僅かに呆れた表情になった。

「葛城教授の娘さんとは、思えんな。」

冬月も疲れたような顔で、小さなため息を漏らす。

「あぁ。」


”ビーービーービーー”


発令所に新たなアラートが鳴り響く。

『目標は依然健在、現在も第3新東京市に向かい進行中。』

戦場の女性通信士から悲鳴にも似た報告が上がる。

『航空隊の戦力では足止めできません!』

派遣されてきた国連軍の3名の指揮官たちは、自分達の予想を超えた強大な敵にイラ立ちを隠せなかった。

「総力戦だ!厚木と入間も全部上げろ!!」

「出し惜しみはなしだ!…なんとしても目標を潰せ!」

怒声と共に握られた鉛筆が”ベキッ”とへし折られる。

その指揮官達に答えるように、第3弾の多連装ミサイル発射システムを搭載した戦闘車両が火を噴く。

一層激しくなる爆発や熱量にも、サキエルは仮面の黒い穴のような目をパチクリとするだけであった。

そして、最大級のミサイルが航空機より発射される。

”キィィィィィン……ドシューーーーーー!!!”

その相手であるサキエルは人間の想像を超えた反応をした。

ゆっくりと右腕を上げた巨人は、そのまま自分の身長ほどもあるミサイルを受け止めたのだ。

変形し、推進力で押されたミサイルはそのまま爆発した。

発令所の巨大3Dモニターが爆炎で真っ赤に染まるが、その中から出てきた敵に一切の傷はなかった。

”ドン!”

悔しそうに机を叩いた指揮官は叫ぶ。

「ナゼだ!!直撃のはずだ!」

「戦車大隊は壊滅………誘導兵器も砲爆撃もまるで効果なしか。」

「ダメだ!…この程度の火力では埒があかん!!」

その慌てようを後ろから静かに見ていた冬月が、呟くように小さな声を出した。

「やはり、ATフィールドか?」

ゲンドウは3Dモニターから目を離さずに答えた。

「あぁ。……使徒に対し、通常兵器では役に立たんよ。」

”ピリン…ピリン…ピリン”

国連本部と直通で繋がっている特殊内線電話機が鳴った。

”シャコ!…ピ!”

指揮官は自分の持つセキュリティカードを通して受話器を上げる。

『…こちらワーグナーだ。N2の使用を許可する。』

「……判りました。…予定どおり発動いたします。」


マヤが自分のオペレーター席に掛かってきた電話にインカムで答えていた。

「…はい、発令所。……あ、センパイ。はい、判りました。直ぐに直通カートレインを用意します。」

シンジ達はNERV本部直通のカートレインゲートに到着していた。



………峠の路上。



その頃のミサトは、やはりどうしても使徒が気になるのか、支給された特殊双眼鏡で戦況を観察していた。

(あれじゃ、まるでダメね……ん?)

今まで敵に群がっていた航空機が、慌てたように一斉に離脱を始めた。

「ちょっと…まさか、N2地雷を使うわけぇ!?」


………離れた使徒を観察できるこのポイントに、身を護るような遮蔽物は一切なかった。


”ピカッ。…ドシュゥゥゥガァァァァーーン!!!!!”

使徒を包み込んで天高く燃え上がった光と熱。……その数秒後、激しい爆風がミサトの車に襲い掛かる。

”ブワッブォォォァァァァア!!!”

「きゃ〜……ぐえ!!ぐぇ!!」

情け容赦のない空気の力でオモチャのように転がる青いルノー。

その中で激しくシェイクされる彼女は車内のあちこちに身体を激しくぶつけていた。



………発令所。



第一発令所の指揮官は初めて見るその圧倒的な破壊力に思わず立ち上がり、子供のような歓声を上げた。

「やったー!!!」

そして、もう一人がゆっくりとNERVのトップに振り向き得意気に話しかけてくる。

「残念ながら、君達の出番はなかったようだな。」

『衝撃波、きます。』

”ズァーーーーー”

外部を映していたモニターが砂嵐になるのを見ていたゲンドウたちは、指揮官達に特に反応はしなかった。



………車内。



車をカートレインに固定すると、侵入ゲートが隔壁によって閉ざされる。

『ゲートが閉まります。ご注意下さい。発車いたします。この列車はC−22特別列車です。

 途中駅は全て通過いたします。ご注意下さい。』


……アナウンスが終わると、列車は動き出した。


「一応、これを渡すわね。」

カートレインが出発すると、

 運転から解放されたリツコが、助手席に置いてあった荷物から一冊の本をシンジに渡した。

彼が受け取った本に目を落とすと、

 《ようこそ、NERV江》という、前史と変わらぬタイトルが黒いインクで大きく書かれていた。

「ありがとう、リツコ姉さん。」

「ふふっ。中身はご存知よね?」

「ええ、前史と同じならば。」

「碇君。NERVは同じだけど、お姉さんは違うわ。技術開発部長だもの。」

「へぇ、そうなんだ。」

「…葛城一尉は同じ。戦術作戦部、作戦局第一課の課長。」

少し詰まらなそうな顔の少女に、シンジは質問をする。

「僕らは、葛城さんの下に組み込まれるの?」

その質問に答えたのは姉であった。

「シンジ君は、私と同じ三佐ですもの。……組織的に下には組み込めないと思うわよ。」

「そうですか。でも、作戦部では一応最先任士官なんですよね?」

”ふるふる”

「……私。」

「そっか、綾波レイ一尉か。そうだね。」

”ガタンガタン!ガタンガタン!ガタンガタン!”

シンジがレイに顔を向けると、地層の構造体を抜けたカートレインにジオフロントの光が降り注ぐ。

その光に思わず窓の外を見たシンジは、眼下の光景に呟いた。

「ジオフロント……。」

「そう、これが私達の秘密基地、NERV本部。

 シンジ君の知るとおり、表向きの世界再建の要。人類の砦となるべきところよ。」

リツコの冷めた言葉を聞きながら、シンジは夕日のような紅い光に煌いている湖面の輝きを見ていた。

 

………発令所。



『……その後の目標は?』

『電波障害の為、確認できません。』

「あの爆発だ、ケリは着いている。」

『センサー回復します。』

ワイヤーフレームで描かれた地形が3Dモニターに映されると、中心地点に反応が現れる。

”ピピピピ!”

『爆心地にエネルギー反応!!』

「なんだとう!?」


………先程、自分に言い聞かせるように戦果の太鼓判を押した指揮官は、無様に取り乱して立ち上がった。


『映像回復します。』

「「「おぉぉ!!」」」

その燃え広がる灼熱の大地に佇む巨人を見た、残りの指揮官達も思わず立ち上がる。

信じられない、と言う顔で立ち上がった3人の指揮官はゆっくりと力尽きたかのようにイスに座った。

「我々の切り札が……。」

「なんてことだ……。」

「…化け物めぇ!!」


………そのモニターに映る巨人は、流石に無傷では済まなかったようだ。


N2地雷の圧倒的な熱を逃がす為にフィンのような鎧を上下に動かしている。

その様子はまるで呼吸をしているようだった。

そして胸の仮面は、もう一枚内部から出現した同じような仮面に押しやられるようにズレていた。

余りにも、禍々しい巨人。胸の赤い玉を鈍く光らすその様子に、発令所の人々は言葉を失った。



………道路。



”ガタガタッガタガタ”

ミサトの愛車は主人の期待に応えるために、何とかタイヤを回転させていた。

その青いルノーは多大なダメージを受けて振動が酷い為に、出せる速度は遅い。

(つぅつつ!!いったぁぁ〜。口ん中に砂が入ったわぁ…シャリシャリいってるぅ〜。さいてぇ〜。)


………シンジが聞いたら、ソイツは結構。と皮肉を込めて答えてくれたかもしれない。


「……あ、日向君?…今からそっちに戻るから、カートレイン用意しておいてねぇ。…そ、直通のヤツ。」

『判りました。なるべく早く戻ってくださいね。葛城さん?』

「おっけぇ。じゃ。」

(……しっかし、もう最低ぇ!!折角レストアしたばっかだったのにぃ〜早くもベッコベコぉ。

 ローンが後33回プラス修理費かぁ〜……おまけに一張羅の服まで台無しぃ。

 折角気合入れてきたのにぃ…サードチルドレンには会えないわ、踏んだり蹴ったりよぉ。…とほほぉ。)



………動きを止めた使徒の周りを偵察機が飛び交う。



冬月とゲンドウは静かにモニターを見ていた。

「…予想どおり、自己修復中か。」

「そうでなければ、単独兵器として役に立たんよ。」

”チカッ!”

巨人の2枚目の仮面が光ると、モニターの信号が途絶える。

その新しい攻撃に、発令所はどよめきに包まれた。

「ほぉ…大したものだ。機能増幅まで可能なのか。」

「おまけに、知恵もついたようだ。」

「再度侵攻は、時間の問題だな。」

撃墜された偵察機とは別の映像信号でモニターが復帰すると、使徒を見上げるようなアングルであった。

『…ワーグナーだ。N2の有効性は認められたが、地上では連続的に何度も使う事は出来ない。

 現時刻を以って、国連軍の作戦を終了とする。…NERVへ作戦指揮権の移譲を行いたまえ。』

(A・O……いや、碇シンジ君に全ては委ねられたか……我が軍でカタをつけてあげたかったが…)

受話器を置いたワーグナーは先日、突然送られてきた特権を振りかざしたNERVの召喚状を思い出す。

「ハッ…了解しました。」

”ガチャ!”

白髪の指揮官が、受話器を置くとNERVの総司令に向かって”イヤイヤ”と口を開く。

「今から、本作戦の指揮は君に移った。…お手並みを見せてもらおう。」

ゲンドウは無表情に切り替えした。

「了解です。」

「…碇君。我々の所有兵器では、目標に対し有効な手段がない事は認めよう。」

「だが、君なら勝てるのかね?」

総司令は初めてその表情を変える。

「……その為のNERVです。」

眼鏡を右手で掛け直し、返事をした彼の顔は若干誇らしげであった。

「……期待しているよ。」


………使徒戦の舞台を降板した国連軍の指揮官達は、そのまま指揮していた卓ごと階下に下りて行った。


『目標は今だ変化なし。』

『現在、迎撃システムの稼働率は7.5%』

そのオペレーターたちの声を聞いていた冬月は振り返ってゲンドウを見る。

「国連軍もお手上げか。どうするつもりだ?」

「初号機を起動させる。」 

「初号機を、か。……パイロットがいないぞ?」

「問題ない。もうまもなく届く。」






EVA初出撃−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






「碇。シンジ君が着いたそうだ。」
   
「判った、冬月。」

「今は赤木博士の案内で、所内を歩いているようだぞ。」

「そうか。」



………レベル20。



「あれ、おかしいなぁ〜。確か、ここの道よねぇ?」

セントラルドクマR−20と書かれた地図を片手に、ミサトはR−015の動く歩道に乗っていた。

開くゲートから、”ゴォ!”と風が巻き上がるように吹き抜けていく。

(これだからスカート、はきづらいのよね…ここぉ!……つ〜か、どこよ、ここ?)

「ま、いっか。システムは利用する為にあるものねん♪」

勝手なことを言うミサトは廊下の内線電話機で親友を呼び出す。


『技術開発部長…赤木リツコ博士。赤木リツコ博士。至急作戦部第一課葛城ミサト一尉までご連絡下さい。』


「……呆れた。また迷ったのね……レイちゃん、シンジ君と第7ケージに行って頂戴。」

”こくり”

頷いた少女は、彼の手を握ってエレベーターホールに向かった。

NO.55のエレベーターに乗っていたミサトは、”チン!”と開いた扉の先に厳しい表情の親友を見た。 

「ぅぇ!…あ、あら、リツコ。」

”ズイッ”と一歩踏み出して箱に乗った金髪の美女はキツめの口調で問いただす。

「何やってたの?葛城一尉。人手もなければ、時間もないのよ?」

「うぅ〜ごみん!」

「……ふぅ。そんな事よりも、あなた……作戦はちゃんと立案したんでしょうね?」

「え?……そ、そりゃ、も、もちのロンよ。」

目を泳がせているミサトを見たリツコは、まだなのね…と大きなため息をついた。



………発令所。



「……では、後を頼む。」

”ヴゥン!” 

ゲンドウはそう言うと、一人用のリフターのスイッチを押して階下へ下りて行った。

それを見ていた冬月の表情は、さてさて、と何ともいえない表情であった。

(………約11年ぶりの対面か。)

オペレーター席の真ん中に座る日向が報告を上げる。

「副司令、再び目標が動き始めました。」

「…よし。総員、第一種戦闘配置。」

『……繰り返す!総員、第一種戦闘配置!対地迎撃戦用意!』

緊張した女性オペレーターの構内放送にミサトがリツコの顔を見る。

「……ですって。」

リツコは顔を上げてミサトを見るが、どこか気楽な雰囲気だった。

「…これは一大事ね。」

「で、初号機はどうなの?」

「B型装備のまま、現在冷却中。」

「それ、ホントに動くのぉ!?まだ、一度も動いたこと無いんでしょ?」

「起動確立は、0.000000001%。オーナインシステムとは良く言ったものだわ。」

(…ま、シンジ君なら、100%でしょうけどね。)

「それって、動かないって事?」

半眼で彼女を見たミサト。しかし見られたリツコはやはり気楽な返事を返す。

「あら、失礼ねぇ。ゼロでは無くってよ。」

零号機の巨大な手を見たミサトは、”きっ”と瞳に力を込める。

「数字の上ではね………ま、どの道、動きませんでした…ではもう済まされないわ。」

昇降用のリフターを降りた二人は、LCLに浮かぶゴムボートに乗って初号機の待つケージに向かった。



………第7ケージ。



その頃、シンジはレイに連れられてケージの初号機を見ていた。

(久しぶりだね、母さん……初号機。)

「碇君。」

「なに、綾波?」

初号機を懐かしんで見ていたシンジは、寄り添うように立っているレイを見た。

「…大丈夫?」

「モチロンだよ。」

にっこりと屈託なく笑う彼の顔を、レイは心配な面持ちで見ていていた。

「…約束して。」

「ん?」

レイはゆっくりとシンジの前に歩くと、彼の真紅の瞳を見詰めて言った。

「どうしたの、綾波?」

「…ケガ……しないって。」

「うん、判ったよ。」

「あと……」

レイは更に一歩寄る。シンジとレイの距離はゼロ距離だ。

「…危なくなったら、本気で”力”……使って。」

レイは愛しの彼が、余り神の”力”{言 霊}を使いたがらない事を理解していた。

これは巨大すぎる力を持つ彼が、無意識にこの世界に余り影響を出さないようにしている配慮であろう。

「うん。君の悲しむ顔は見たく無いから。……約束するよ。」


………シンジは彼女の深紅の瞳を見詰め返して、全てを優しくさせるような波動で包み込んだ。


”プシュ!”

リツコとミサトが入口からケージに入ると、アンビリカルブリッジに蒼い頭と、背の高い白い頭が見えた。

「お待たせ、シンジ君。」

リツコはさっさと歩いていくが、ミサトは待ちに待ったサードチルドレンを見て、時間を止めてしまった。

「…え!?ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと!!なんで、アンタがココにいんのよ!?」

再起動したミサトは”ダダダダ!”と走って、リツコを追い抜き、ブリッジの中程にいるシンジに詰め寄る。


………その彼女を見たレイは、あからさまに不快な瞳を彼女に向ける。


「…お久しぶりですね、葛城一尉。あなたの疑問の答えかは分かりませんが、僕の名前は碇シンジです。」

白銀の髪を柔らかく揺らして振り向いた少年は、その真紅の瞳をミサトに向けて答えた。

「え!だって、アンタの名前はA・Oでしょ!」

「それはコードネームですよ?」

ミサトは、パクパクと口を開いたり閉じたりしている。

追いついてきたリツコは固まっているミサトを横にどけると、シンジ達に顔を向けて一応説明を始める。

「…これは、ヒトの創り出した究極の汎用人型決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン。

 その初号機。……建造は極秘裡で行われた。これが我々人類の最後の切り札よ。」

シンジはその説明を聞くと、無意識に前史と同じ事を口にした。

「これも、父の仕事ですか。」

『そうだ。…久しぶりだな、シンジ。』

巨大な初号機の頭部の上、その天井にある部屋のガラス窓に一人の男が立っていた。

「あぁ…父さん、久しぶりだね。」

『ふ……出撃。』

その言葉に反応したミサトは、当たり前の事を言い始める。

「出撃ぃ!?…零号機は凍結中でしょ!…まさか、初号機を使うつもりなの?」

何のためにココにいるの?と呆れた顔でリツコは答える。

「他に道は無いわ。」

「…ちょっと、レイはまだ動かせないでしょ?…パイロットがいないわよ!」


………何のために自分が迎えに行ったのか……ミサトは無意識の偽善ぶりを発揮していく。


「さっき着いたわ。」

「マジなの?」

『シンジ。……我々には時間が無い。』

「……僕にこれに乗れって言うんだね?」

『そうだ。』
 
「ちょっと待って下さい!碇司令。

 …そこにいる綾波レイでさえ、EVAとシンクロするのに7ヶ月も掛かったんですよ?

 今着たばかりのこの子にはとても無理です!!」

リツコが冷めた目で返答する。

「…座っていればいいわ。それ以上は望みません。」

「しかし…」

「今は使徒撃退が最優先事項です!

 …その為には、誰であれ僅かでもEVAとシンクロ可能と思われる人間を乗せるしか方法は無いわ。

 判っているハズよ?……偽善はお止しなさい…葛城一尉。」

リツコの言った意味を理解したのか、ミサトは無表情に返事を返した。

「……そうね。」

(…ほぇ〜。相変わらず、手の平を返すのが早いねぇ……なんて勝手な人なんだろう。

 冷静に見れば見るほど、こんな人を家族だと思っていた自分が恥ずかしいね………。)

そんな彼女の言葉を聞いていたシンジは、内心の呆れと共に感じるイラ立ちを隠して、顔を上げて父を見た。

「父さん、乗るなら……条件がある。」

『…なに?』

「そのロボットを使って、外の化け物と戦うって言うのは、判った。……その条件だよ。」

『言ってみろ……。』

「まず確認だけど、ロボットはこの1機しかないの?」

リツコは即答を返す。

「シンジ君。ここにはもう1機あるけれど、今は使えない状態だわ。」

「ふぅ〜ん。その機体が、彼女の機体なんですね?」

シンジが振り向いて見た白衣の女性は頷いた。

「そうよ。」

「誰でも操縦できるんですか?」

「いいえ、特殊な条件があるわ。…国連の外部組織、ある機関で調べて選ばれないと資格は無いわ。」

「そうですか。………では、ロボットとそれを扱うパイロット、ぼく達を独立中隊として扱って下さい。

 一々の命令に従っての戦闘なんて、よっぽどでなければできませんから。」

「ちょっと、待ちなさい!私が作戦指揮を執るのよ!あんたは、従っていればいいのよ!」

シンジはミサトを無視するように、一瞥もくれず話を続ける。

「刻々と変化する戦況に外野が騒いでも、五月蠅いだけです。」

「なんですってぇ!」

ミサトは掴みかかろうと近寄るが、振り向いたシンジの氷のように冷たい瞳を見て動きを止める。

「あなたの仕事は、これからパイロットになる人間とケンカをすることですか?」

「…うっ、くっ。」

ゲンドウはくだらないやりとりをバッサリと切った。

『……条件はそれだけか?』

「非公開とはいえ、ここは国連直属の特務機関なんでしょ?…僕の階級、知っている?」

『ああ。』

「アンタ、今はそれどころじゃ無いでしょ!」

「お止めなさい!葛城一尉!!忘れているの?彼は三佐よ!?」

「あ!!」

ミサトは根本的な事を思い出して思考を停止した。

「パイロットに登録されると、どうなるの?」

ミサトを無視して質問したシンジに答えたのはリツコだった。

「EVAに関する実験やテスト、訓練をしてもらうわ。」

「う〜ん。そうですか。じゃ、それらは命令ではなく要請って事でぼく達に拒否権を持たせてもらいます。」

『…かまわん。』

「じゃ、報酬は?」


………シンジの質問に答えたのは、サキエルの攻撃だった。


”…プシュン!…ドカァァァァンン!!”

漸く目的地にたどり着いた使徒が、第3新東京市への侵攻を開始する。

その放たれた光線の爆発は、まるで熱と光を伴う巨大な十字架のように立ち昇っていた。

ゲンドウは地上の敵が見えるかのように顔を上げて悪態をつく。

『…ヤツめ、ここに気付いたか!』


”ピカッ!………ドカァァァァァァンン!!”


『第一層、第8番装甲板、損壊。』

被害状況が放送されると、リツコはシンジに向いた。

「シンジ君、時間が無いわ。」

「判りました。詳細は後で決めましょう。……操縦方法を説明してください。」

「では、こっちへ。」


………その時、サキエルの第3射目の攻撃で、天蓋都市の一部が落下する。


”………ドガァン!……ドカァァン!…ズズゥゥゥンン!!!”

今迄で一番大きなその振動は、まるで巨大地震のようだった。

「あぶない!」

照明器具が落下してくる”それ”を見たシンジは、レイに覆い被さるようにして彼女を護った。

”ザァパァァァ!!”

その時、大きな水しぶきを伴って動く巨大な腕が、シンジを護るように落下物すべてを弾き飛ばす!

”ガキィン!!ガン!……ガシャーーン”

その様子をゲンドウは嬉しそうな顔で見ていた。

振動が収まり、信じがたい光景を目にした整備スタッフが騒ぎ始める。

『EVAが動いた!』

『…どういう事だ!?』

『右腕の拘束具を引きちぎっています!』

「まさか、有り得ないわ!…エントリープラグも挿入していないのよ!?……動くはずないわ!!」

目を見開いたリツコは、科学者として理解出来ない状況に…ただ声を上げるしかなかった。

「インターフェースもなしに反応している……というより、護ったの?彼を。…………いける!!」

振動で転がっていたミサトは柵に凭れながら、その状態をただ都合よく解釈してニヤッと笑った。

「ふぅ。…綾波、大丈夫?」

「ええ、ありがとう。」


………僅かに頬を染めたレイの腕は、確りとシンジの背中に回っている。


怪しく笑った女性は仕切り直しよ、という感じで抱き締め合っている少年少女に向かって行った。

そこに、天井のボルトに僅かに引っ掛かってぶら下がっていた照明用のカバーが時間差をつけて落ちてくる。

”ヒュ〜…ベコン!!”「ぷぎゃ!!」

おかしな音がしたな、とシンジが首を回して見たものは、頭を抱えて転がっているミサトであった。

リツコはその様子を無視して、シンジにインターフェース・ヘッドセットを手渡した。

「さ、シンジ君?…これを持って、こちらに来て。」

「あ、はい。リツコ姉さん。…行こう、綾波。」

”コクッ”

レイは頷きで返事をすると、シンジに起こしてもらった手を離さずにそのままついて行く。

勝手に物事が進んでいく様子を見ていたゲンドウは、少し寂しそうに発令所に戻って行った。



………第一発令所。



”ドドドドドドドド!!”

冷却の為にケージに満たされていたLCLが滝のように豪快な音を出し、凄まじい速度で排水されていく。

『冷却終了。』

『右腕の再固定終了。』

『ケージ内、全てドッキング位置。』

「了解。停止信号プラグ排出終了。」

マヤがケージからの報告をモニターの表示と合わせて確認する。

その様子を見ていたミサトの頭には白い包帯が”ぐるぐる”と雑に巻かれていた。

「ぷっ…くく。」

思わず吹き出した親友にミサトは”じろっ”と不機嫌そうな顔を向けるが、それすらも滑稽であった。

「あによ?リツコ。」

「あなた、運が悪いわね。」


………2人のやりとりに関係なく現場の作業は続けられる。


『…了解。エントリープラグ挿入。』

『脊髄伝導システムを解放。接続準備。』

アームで固定された白い筒がゆっくりとEVAに運ばれ、そのまま半分ほどの位置まで挿入されると、

 ロックが解放されて、回転するように沈み込んでいった。

『プラグ、固定終了。』

『第一次接続開始。』



………エントリープラグ。



”ゴゥン!”と落ちる感覚が止まって、シンジはエントリープラグがEVAに固定されたのが判った。

”ブゥゥゥン”

そして、自分の座るインテリアの計器、スイッチ類に光が灯る。

『エントリープラグ、注水。』

シンジの足元から少し粘度の高そうな液体が静かに上がってくる。

(LCL…久しぶりだな。)

”ごぼごぼがぼっ”

シンジは息を吐き出して、LCLを肺に満たした。



オペレーターの脇にある小さなモニターでシンジの様子を見ていたミサトは、驚いた顔をリツコに向ける。

「えっ、うそ!…彼、ぜんぜん驚かないわね?」

「ちゃんと説明したもの。」

「え、でも!」

『……血の味がする。』

そのシンジの声を聞いたミサトが、イラ立たしげにマイクのスイッチを入れて声を上げる。

「我慢しなさい!男の子でしょ!!」

流石のシンジも目を細めて、スピーカーから聞こえてくるミサトの声に悪態をついた。

『あぁ、もぉ…五月蠅いなぁ。』

「あんですって!」

彼女のいるフロアよりも上から声が掛かる。

「葛城一尉、今はパイロットの邪魔をしないでくれたまえ。」

冬月はいさめるような目でミサトを見ていた。

「…しかし。」

「…葛城一尉、作戦課長としての職務を真っ当したまえ。」

威圧感のあるゲンドウの声にミサトは背筋を伸ばした。

「ハッ。」

『…主電源接続!』

『全回路、動力伝達…問題なし。』

「了解。」

リツコは各スタッフの報告を確認して後輩を見ると、頷きを返したマヤは次の指示を出す。

「第2次コンタクトに入ります。」



プラグ内のLCLが電荷され、各種モニターが機能し始める。

『A10神経接続異常なし。』

『LCL電荷率は正常。』

『思考言語は日本語を基礎原則としてフィックス!』

『初期コンタクト、全て問題なし。』

七色のまぶしい光が収まり、漸く映った景色をシンジはボンヤリと眺めて、発令所の声を聞いていた。

『双方向回線、開きます。』

(さて、いよいよだね。)



発令所のマヤがモニターをチェックする。

「双方向回線、開きます。シンクロ率……」

「……?…どうしたの、マヤ?」

なぜか止まってしまった報告に、リツコは怪訝そうな視線をマヤに投げる。

「あ、すみません。シンクロ率、95.3%です。ハーモニクス、全て正常位置。…暴走、有りません。」

「す、すごいわね。」

アスカのシンクロ率を知っているミサトが、その予想外の数値を聞いて目を見開く。

「そうね。才能…いえ、天才かしらね?」

理由を知るリツコはすっ呆けて、ミサトに振り向き言葉を続けた。

「…でも、これで……いけるわ。」

技術部のトップのGOサインを聞いたミサトは、頭の包帯を抑えながら命令を出した。

「発進、準備ぃ!」

その号令にケージのスタッフが慌ただしく動き出す。

”ガララララララッ!”

ケージという名前が相応しい証のような大きな柵が左右に開いていく。

『発進準備!』

『第1ロックボルト、外せぇ!』

油圧で固定されていたボルトが持ち上がると、両肩のロックが外れる。

『解除を確認!…アンビリカルブリッジ移動開始!』

警報音を出しながら、先程までシンジ達のいた橋がスライドしていく。

『第2ロックボルトぉ、外せ!』
  
”バシュ!”という音と共にロックボルトが解除されると、EVAを挟み込んでいた左右の壁が動き出す。

『第1拘束具、除去。』

『同じく第2拘束具を除去。』

『1番から15番までの安全装置を解除。』

『解除を確認。』

『現在、初号機の状況はフリー。』

『内部電源の充電は終了。』

『外部電源接続、異常なし。』

チェックを終えたマヤが指示を出す。

「了解。EVA初号機、射出口へ。」

ゆっくりと運ばれていく巨人を、ケージで作業をしていた整備部の職員は感慨深げな表情で見送っていた。

何しろ全てが、”初”なのだ。ここまで滞りなく上手くいった事が、彼らを誇らしい気持ちにさせていた。


”………ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガチャンン!”


射出用のカタパルトにEVAが固定されると、地上に向けて上部の装甲板が次々にスライドして開いていく。

「進路クリア。オールグリーン!」

マヤが報告した瞬間、エントリープラグから通信が入る。

『えっと……すみません、あの。』

「発進準備完了!……って、え?…何?シンジ君?」

流れるように最終報告をしたリツコの声に被ったシンジの声は、戸惑いの色があった。

『え〜と、作戦は?武器は?』

リツコは、説明していなかった部分をわびた。

「あ、そうだったわね。ごめんなさい。武装は肩のウェポンラックに収納されているナイフよ。

 他の武装は開発、製造が間に合わなくて、現在使えるのはそれだけなの。本当に申し訳ないけれど……。」

『そうですか。判りました。…で、作戦は?』

大画面の主モニターに映った、

 白銀の髪に真紅の瞳の少年を初めて見る発令所のスタッフは一様に驚きの顔になった。

女性スタッフの多くが彼の美しく燃えるような瞳に見惚れていたのは、まぁお約束だろうか。

面識のあるマヤも、巨大モニターに凛々しく映る少年を”ぽ〜”とした表情で見上げていた。

「……なぁ、碇シンジ君って司令の息子さんなんだろ?」

メガネのオペレーターがロンゲのオペレーターに聞く。

「う〜ん、似てナイっすねぇ…」

「ていうか、度胸が据わってるなぁ。」

「なんでも、国連軍の三佐らしいぜ?」

「げげ。なんだよ、それ。…ホントかよ?」

「詳しい事は判らなかったけどな……ファイルにアクセス制限がかかっててさ……。」

そんな日向と青葉の場違いなやりとりを、上段からの重い一言が一瞬にして黙らせた。

「……葛城一尉、作戦を提示しろ。」

「ハッ。こちらの武装はナイフのみです。となれば、敵性体との格闘戦のほかは有りません。

 現在の進路方向、移動速度を勘案し、背後を取れるような射出ポイントを選定します。」

振り向いて、総司令にナゼか自信たっぷりに答えるミサト。

「それだけなのか?……それは、作戦といえるのかね?」

目眩を覚えた副司令が思わず聞いてしまうほど、ミサトの作戦はチャチだった。

「私に考えが有ります、お任せ下さい。………では、構いませんね?」

ゲンドウは頭の中で、(まぁ、シンジなら大丈夫だろう)と結論付けると、

「……まぁ、いいだろう。使徒を倒さぬ限り我々に未来はない。」

「碇、本当にこれでいいんだな。」

 冬月が最後の確認を取る。

ゲンドウは口の端を上げるのみであった。

(ふふふ、既に神はいるのだ。…冬月、この戦争に敗北は無い。)

「発進!!!」

ミサトがパイロットに確認も取らずに命令を出すと、日向は条件反射のように射出ボタンを押した。

”バシューーーーー!!!”

突如、凄まじい加速力で射出されて、その衝撃に襲われたシンジの声がスピーカーから流れてくる。

『え!!ちょ、!!…ぐぅぅぅぅ!!!』

その苦しそうな声を聞いたレイは、無意識にワンピースの裾を”ぎゅっ”と握っていた。



………地上。



サキエルは地下から急速に近付いてくる巨大なプレッシャーを感じて足を止めた。

(ちょっと、なんで足を止めるのよ!)

ミサトの作戦では、使徒がその進路のまま歩いてゆけば初号機が背後を取れる射出口を選んでいたのだ。

その目論見は、一瞬にして瓦解した。

サキエルは、ジッと佇んでいる。

「ちょ、さっさと歩きなさいよ!」

思わずミサトは叫ぶが、

「ミサト、使徒に言葉が通じるとは思えないわよ?」

 リツコの厳しいツッコミが入る。


”ビーーービーーービーーー”


警告音が静かな街に鳴り響くと、幅の広い幹線道路に区切られた射出口が紅く光りだす。

そして地面がスライドして口を開けると、間を置かずリニアレールが2本伸び上がる。

”ゴゴゴォォォォォ……ガシュン!”

人類の希望、紫色のエヴァンゲリオンが一瞬にして地上に登場した。





第一次直上会戦−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………エントリープラグ。



(…くぅ…いってて。油断してた。)

シンジは停止の衝撃の凄まじさを忘れていた。

痛みを払うように少し頭を振って正面に目をやると、

 数百メートル先に、まるで頭のないウエットスーツを着込んだようなシルエットが立っていた。

(…さてと、あんまり壊さないように戦わなくちゃね。)

『いいわね、シンジ君?』

「…はぃ?」

シンジは考え事をしていて少し間の抜けた返事を返すが、ミサトは気にせず手順どおりに命令を出す。

『…最終安全装置解除!エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ!』

”カチャ…ガシュン!”とロックボルトが外されると、フリーになったEVAの肩が重力で前に動く。

リツコが、再度操縦のアドバイスをする。

『シンジ君、EVAはあなたの思考に反応するわ。』

「そうでしたね、判りました。」

ミサトは、取り敢えずの命令を下す。

『シンジ君、まず歩いて!』

(…はぁ。敵の目の前に出しておいて、歩けはないよねぇ……。)

シンジはその言葉を無視して瞳を閉じた。

そして、口を少し動かす。

誰にも聞こえぬその{言 霊}は、使徒にだけ聞こえていた。



「{我と対峙するアダムの子よ。永きに渡る戦いの鎖を解いてあげよう。

 我に勝てれば自由を。負ければ、白き月に還る事は叶わない。}」



『ちょっと!聞いてるの?……こらぁ!…遊びじゃないのよ!……もしもぉ〜し!シンジ君!?』

(……本当に五月蠅いなぁ。そうだ、からかってやれ。)

シンジは真紅の瞳を開けると、ミサトを大きく映していたバーチャルモニターを切った。

ミサトの怒声が響く発令所で、モニターの数値の変化に気付いたマヤが声を上げる。

「あっ!初号機のシンクロ率が下がりました。65%です。」

「な!!ちょ、……ちょっと!!ヤル気あんの!?シンジ君!!」

「更に低下!…35%です。」

「ちょっと、ミサト!シンジ君の集中力を削ぐような発言は控えて!!」

技術部門の責任者が声を上げる。

「あっセンパイ!シンクロ率が戻りました!現在95%です。」

まるで自分の言葉に当て付けるように変化する、シンジのシンクロ率にミサトはキレ始める。

「……な、なによぉ。言っておくけど、今は作戦行動中よ!作戦指揮権はわたしにあんのよ!!」

「葛城一尉!その作戦と指揮というのは、さっきの歩けと言ったアレだけなのかね?」

冬月がこめかみをピクピクとさせながら赤いジャケットの女性に言った。

「あっ!いえ、副司令。まず、サードチルドレンがEVA動かせないと話になりません。そのためには……」



(…ふ〜ん。じゃ〜動かしてあげよう。)

シンジは操縦桿をゆっくりと握った。



ミサトの発言は、モニターを見ていた日向の報告で遮られる。

「…EVA初号機が動きます!」

戦場を映している巨大3Dモニターを発令所の人々が固唾を呑んで見上げる。



初号機はゆっくりと膝を曲げて体を丸めるようにした。

サキエルはその巨人を見てたが、何の前触れもなく突如、強力な光線を放った。

”ピカッ!…ドゥゥゥゥゥン!”

「シンジ君!」

ミサトは叫ぶだけであった。

レイはただ瞳を大きく見開いていた。

発令所に激しい振動を与えた使徒の攻撃は地面をえぐり、燃え上がる爆炎は十字を切る。

日向が叫ぶ!

「初号機をロスト!……いや、使徒の上空に出現!」

初号機は使徒の攻撃を目に見えぬほどの素早さと、力強さを伴ったジャンプで避けていた。

そして、飛び上がった頂点で”クルンッ”とトンボを切る。


………まるで人間のように滑らかな動きを見た発令所のスタッフは、思わず感嘆の声を漏らす。


「おおぉぉ!!」

マヤがモニターで確認し、状況の報告を続ける。

「ウェポンラック展開!初号機、プログレッシブナイフを装備!」




初号機は使徒を飛び越すように着地すると、ナイフを握る右手を構えて走り出した。

振り返るサキエルのコアに向かって、躊躇なく思い切りナイフを立てる。

”カッキィィィィィィン!”

シンジの目の前に8角形の赤い波紋が広がった。

『ATフィールド!』

リツコの叫びのような声を聞きながらシンジは舌打ちをした。

(ちっ…意外と反応がいいね、サキエル!)

『ドーラ!』

『はい、マスター。』

操縦桿を握る右手の上、20cm程の場所に新たなバーチャルモニターが開く。

その画面に映っている女性は、何時ものように優しさを湛えた緑色の瞳にキャラメルカラーの髪であったが、

 彼女の服装は初めて見るものであった。


………主人と同じデザインのプラグスーツ姿のドーラは、初号機の頭脳である生体コンピュータにいた。


『えっと、プラグスーツ、緑色なんだ?』

右手に視線を落として彼女を見たシンジは、何となく見たまんまの感想を漏らした。

『えっと、色…変えましょうか?』

似合わなかったのかな、とドーラはしょんぼりな顔になる。

”チィィィィイインン!!”

そんな彼女の小さなモニターの周りに映されている光景は、緊迫しているはずの戦場。

ナイフの攻撃をATフィールドで退けている巨人。

『えっと…いや、中々似合っていると思うよ。

 ……あの、ドーラ?

 良ければ、発令所にバレないようにMAGIをコントロールして、鈴原ナツミの居場所を検索して!』

『…あ、はい、了解致しました!』

彼女は似合っていると言われて顔を綻ばしトリップしかけるが、主人の少し緊張感のある波動で我に返った。

シンジはサキエルを牽制するために、更にナイフを振るう。

”カキィィィン!…カキィィィンン!”



「やはり、使徒もATフィールドを持っていたのね。…マヤ?」

「はい、データ収集に問題ありません、記録しています。」

ミサトは戦闘指揮を執る事も忘れ、ただ悔しそうな顔をしてモニターの戦況を口にするのみであった。

「ATフィールドがある限り、使徒に接触する事は出来ない!!」



『マスター、西の第323シェルターに確認。』

『距離は?』

『はい、ここより5Km離れた場所です。戦闘影響範囲外と思われます。』

『ありがとう。』

(さて、お待たせ。いくよ?サキエル。)



マヤがサブモニターの変化に声を張り上げる。

「初号機もATフィールドを展開!!位相空間を中和していきますぅ!!」

初号機はナイフを引く動作のまま腰をひねって左手を突き出すと、そのまま右から左に払った。

たったそれだけの動作で、

 サキエルの展開した8角形のATフィールドは、横に真っ二つに割れて消し飛んでしまった。

リツコは呆気に取られて呟いた。

「…これは、中和というスピードではないわ。まるで、消し去ったみたいね。」

「あのATフィールドをいとも簡単に……」

ミサトの呟きは、サキエルが至近距離の初号機に放った光線の轟音にかき消された。

”ピカッドゥゥゥゥゥンン!!”

「碇君!!」

溜まらずレイが叫ぶように声を上げる。

彼女は指輪をはめた左手を右手で包み込むように強く握っていた。

マヤは初めて聞く少女の取り乱した声に思わず振り向いて、まるで祈るようにしている彼女を見たが、

 すぐに自分の仕事を思い出すと、慌ててコンソールに向き直り状況の確認を始めた。

「チッ…初号機は?」

飽くまでも機体の心配しかしないミサトに、レイは自然と睨むような目付きになる。

「マヤ、シンジ君のバイタルは?」

「はい……あッパイロット、呼吸、心拍共に有ります。無事です!」

『映像、回復します。』

初号機は何事も無かったかのように、ナイフを握る右手をかざして立っていた。

その手の先には先程のサキエルよりも、よりハッキリとした赤い波紋があった。

「…すごい、ATフィールドを使いこなしているの?彼は?」

ミサトは呆然とモニターを見ていた。



(あちゃ〜。あの光線はヤメてもらいたいね……街の被害が大きくなっちゃうよ。

 前回は知らないうちに倒したけど、サキエルってバランスのいい能力を持っているねぇ。

 まぁ、そろそろ終わりにしよう。)

シンジが操縦桿を握る手に少し力を込める。

”…ガァンッ!…ガァンッ!…ガァンッ!…ガァンッ!”

サキエルは光の槍を初号機に向けて放っていたが、シンジの展開するATフィールドを破る事は出来ない。

使徒が渾身の力を込めるように左手を引いた瞬間、初号機は神速の速さで踏み込み、白い仮面を殴りつけた。

”ドォッッコォォン!!”

空気の壁を叩き破った突然の攻撃に、サキエルは為す術なく一直線にふっ飛んでいく。

紫の巨人はそのまま追撃の為に走り、倒れている使徒に向かって飛び掛った。

”ヒューーーン…ガァァァァアン!!!”


………飛び上がった初号機の全体重をのせた膝が、使徒の身体にめり込む!


サキエルは衝撃の凄まじさから、ピクピクと痙攣して上手く動けないようであった。

シンジは右手を思いっきり振りかぶって、ナイフをコアに突き立てた。

”ガッ!チィィィィィンンン!!!”

金属がこすれるような音と、飛び散る火花が暗闇の街を明るく照らす。

そして、プログレッシブナイフが半分ほどコアに刺さった瞬間、サキエルが悲鳴を上げた。

「キイイィィィィイ!!!」

突然、初号機に抱きつくように起き上がった使徒。



ミサトが発令所で叫ぶ。

「まさか!自爆する気!?」

モニターに映る使徒は、初号機に纏わりついて身体を球体のように変形させる。

その丸の中心、初号機の顔の正面にある赤いコアが眩しく輝きだす。

”キュィィィィン!!…ドッゴォォォォォォォォォンンン!!!”

巨大な火柱が第3新東京市に立ち昇る。

膨大な光と熱を放射した爆炎は遥か上空で十字を切る。

激しい振動に見舞われた発令所のモニターは真っ白であった。

「…じょ、状況は!?」

ミサトの問いにマヤが答える。

「はい、センサー回復しました。…初号機を確認。…えっ!?、初号機を中心にATフィールドを確認。」

リツコはそのモニターを見て、シンジの行動を理解すると嬉しそうな顔をした。

「凄いわ。ATフィールドで街を護ってくれたのね、シンジ君。」

『…映像回復します。』

初号機を中心に展開していた赤い波紋が消えると、装甲を少し焦がした紫の巨人はゆっくりと歩き出した。

”ズゥン!…ズゥン!…ズゥン!…ズゥン!”

その様子を見ていたミサトは、あの大爆発でも少しもダメージを受けないエヴァンゲリオンに恐怖を覚えた。

(……あれが、EVAの本当の姿。……す、すごい。)

そして、初めての使徒戦が終焉を迎えた事を肌で理解した彼女は、

 心の裡にフツフツと沸き上がる釈然としないイラ立ちを初号機パイロットに向けていった。

(……それよりも、アイツ!!このあたしの命令を無視するなんて!)

『…発令所、こちら初号機。…帰還ルートを教えて下さい。』

「お疲れ様、シンジ君。こちらで誘導するから、モニターに映るルートを使って戻ってきて頂戴。」

『了解しました。』

リツコは、マヤに先程の戦闘データの収集・解析をするように、と伝えるとレイに歩き寄った。

「大丈夫?レイちゃん。」

「…はい、大丈夫です。」

「初号機、シンジ君とも無事よ。何はともあれ良かったわ。さ、ヒーローを迎えに行きましょ?」

”コクリ”

レイは嬉しそうな顔をリツコに向けた。



冬月はモニターを見ているゲンドウに近付いて、確認を取る。

「碇、シナリオと違うのではないか?」

「かまわん、使徒はまた現れる。」

「シンジ君のシンクロ率。これは異常ではないかね?」

「それだけ、母親を求めている…それだけでしょう。」

「ミサト君はどうするのだ?いくら委員会からの命令とはいえ、あれはマズくは無いか?

 あの悲劇の生き残りが人類の危機に立ち向かう、というプロパガンダ以前の問題だと思うが。」

「老人達は生き残る為に必死だ。危機感を覚えれば、彼女の処遇も改まるだろう。」

「それまで、あのままか?」

「実際にEVAを操るパイロットに命令権は与えていない。…サードとの条件だ。」

「条件?……取引をしたというのか?」


………ゲンドウの意外な言葉に冬月は訝しげな顔になる。


「詳細はこれからだが、要は作戦課は作戦を立案し、サポートするのが仕事というのがアイツの主張だ。」

「つまり、現場で戦うパイロットは我々の命令、その制約は受けない……と言う事か?」

「使徒殲滅……これを完遂する為には、大した事ではない。

 第一、サードはこの組織の武官としてはトップの三佐という階級を持っているのだ。」

「そうか。…まぁ、これから詳細を詰めるならば、オレも同席しよう。……ところで、」

冬月は、発令所を見渡すと、赤いジャケットが見えない。

「日向二尉、葛城一尉はどうした?」

「はい、冬月副司令。葛城一尉はケージに向かいました。」

「?…作戦報告書を直ちに作成するように伝えたまえ。」

「ハッ。」



………第7ケージ。



戦闘を終えた初号機を拘束する、という作業を整備部のスタッフは総出で行っていた。

人類の危機に唯一人立ち向かい、

 正体不明の巨大怪物を見事倒したヒーローを、少しでも早く自由にしてあげたかった。

『…アンビリカルブリッジ移動開始!…アームを動かせぇ!……初号機に通信ケーブルを繋げろ!』

初号機を冷却する為のLCLがケージ内に注がれる。

”プシュ!”

アンビリカルブリッジが所定の位置に固定されて、上部入口のランプがグリーンに変わった瞬間、扉が開く。

そこから白衣の女性と、白いワンピースを着た少女が入ってきた。

整備部の主任が次々に指示を出している声がケージに響き渡る。

『…よし!…エントリープラグの排出信号を送れ!』

初号機の顔がお辞儀をするように前に垂れると、脊椎の装甲がズレてプラグが飛び出る。

”プシューー!”

『アーム、準備遅いぞ!』

エントリープラグをロックしたアームが持ち上がり、プラグの上面が大きく開いていく。

操縦席であるインテリアを移動させる、別のアームがゆっくりとデッキにシンジを連れて行く。

腰をロックしていたインテリアを解除すると、シンジは搭乗デッキに降りた。

そのデッキには、彼を労う愛しの少女と姉が立っていた。

「お疲れ様、碇君。」

レイはバスタオルを彼に渡して言った。

「シンジ君、着替えを用意したから、更衣室でシャワーを浴びて頂戴ね。

 その後、簡単なメディカルチェックと、質問、いいかしら?」

「はい、覚悟していますよ。姉さん。」

シンジはレイから渡されたバスタオルで、とりあえず簡単に顔を拭いながら返事をした。

「「「わぁぁぁぁぁぁ!!」」」

ケージにいたNERVの職員は、訳も判らず戦場に送り込まれ、

 人類の危機を救うという任務を見事に果たした少年に、掛け値なしの歓声と拍手を送った。

”プシュ!”

そんな雰囲気のケージに赤いジャケットを来た女性が”ズンズン!”と聞こえるような勢いで歩いてきた。

「碇君…ケガ、ない?」

「綾波。…約束したろ?…大丈夫だよ。」

「ちょっと、アンタ!!!」

シンジが目を向けると、ブリッジの真ん中にミサトが仁王立ちで立っていた。


………包帯を頭に巻いているその姿に、オレンジ色のツナギを着た整備スタッフの笑いを誘っていたが。


「…なんですか?」

「なんで、私の指揮に従わないのよ!?」

「指揮って?」

「命令よ!!」

「知りませんよ?」

「嘘おっしゃい!」

レイは彼を護る為に一歩前に出る。

「何を言っているのか良く判りませんが、僕はこれから更衣室に行きますので…失礼します。」

シンジ達はスタスタと歩いて行く。

「ちょっと!」

シンジは、クルッと振り向くと一言。

「あぁ、もしかして指揮って、あの時の”とりあえず歩いて”…じゃないですよね?」

「あ、アンタが従ってりゃ、続きがあったのよ!」

ミサトが更に声のボリュームを上げようとした時、耐え切れなくなったリツコが振り向いた。

「お止めなさい!……ミサト、シンジ君の言うとおり、あなたは明確な作戦を伝えていなかったわ。

 それに、彼のパイロット承諾の条件の一つに、あなた達…作戦課の命令系統に組み込まれない、

 独立中隊と扱うように、とあるわ。だから、あなたが彼にできるのは、要請であって命令ではないわ。」

「えぇ、な、あによ…それ!」

「それに、レイも同じ扱いになったわよ。」

「き、聞いてないわよ!!って言うか、なんでよ!?」

「司令とのやりとりで、シンジ君は”ぼく達”と言ってたもの。司令も”かまわん”と言っていたし。」

「そ、そんな…」

「ま、戦闘行動を取るには、モチロン作戦課の立案した作戦がなければいけないけれど。

 詳細はこれから決める事になるわ。それよりも、あなた……作戦報告書の作成、終わったのかしら?」

痛いところを突かれたミサトは、”うぐっ”と気まずそうな顔になる。

「葛城一尉、いい加減…もういいですよね?」

呆れかえったシンジを見たミサトは、瞬間湯沸かし器のように頭に血が上り反射的に殴りかかった。

「…この!」

シンジはミサトの放った右手を受け流すように掴むと、そのまま投げた。

”ひゅ〜〜”

「きゃぁぁぁ〜!!!」

”どっぽ〜ん!!”

冷却用LCLに落ちてバシャバシャもがいているミサトを横目に、リツコは整備部の職員に声を掛けた。

「保安部を呼んで頂戴!…葛城一尉が錯乱しているわ!」

黒服の人々がわらわらと集まってくると、ミサトは濡れたまま後ろ手にがっちりと拘束され連れて行かれた。

こうして、葛城ミサト一尉は上官に対する暴行罪で3日間の重営倉行きとなったのであった。



………更衣室。



シンジがシャワーを浴びて用意されていた着替えを見ると、それは白いカッターシャツに黒いズボンだった。

(あ、第壱中学の制服だ……懐かしいね♪)


………シンジが制服に袖を通すのは何年振りであろうか。


まるで卒業した学校の制服を着るOBのような、懐かしさと少しの恥ずかしさが込み上げてくる。

更衣室を出ると、レイが待っていた。

「ごめん、待たせちゃったね。」

それに答えたのは、彼女が持っていた紅い本だった。

まるで少女が投げつけたかのような勢いで飛んでくる。

『お兄ちゃん!!』

本を両手で受け取ったシンジは、嬉しそうな顔で本を開いた。

『ただいま、リリス。』

彼の手が羊皮紙に優しく触れると、それに縋りつくように幼女が泣きじゃくる。

『ヒック、ヒック、うゥゥ……お兄ちゃん、……ううぅううぅ。』

『いい子で待っていてくれて、ありがとう。』

リリスは、かぶりを振って答えるのみであった。

暫くシンジは幼女の頭を撫ぜるようにして、彼女が落ち着くのを待った。

『ねぇリリス、お願いがあるんだ。』

『……私に?』

『うん、いいかな?』

主人に頼られて嬉しい幼女は満面の笑みで答える。

『もちろん!』

シンジは周りにレイ以外の人がいないのを確認すると、ポケットから小さな赤い玉を取り出した。

「碇君、それは?」

「これは、サキエルだよ。」

「!!!」

レイは紅い瞳を大きく見開いて驚いた。

『リリス、第3使徒を封印するよ。』

『判ったけど、どうして?』

『使徒の魂の由来を白き月から黒き月に変えるのにホンの少し時間が必要って事。

 ま、消滅させても良かったんだけど……後で何かに使えるかもしれないし。

 それに{言 霊}で負けたら自由にはならないって言っちゃったからね。

 ……何て言うか、僕の使徒になっちゃったっていう感じかなぁ。』

『ねぇ、お兄ちゃん。…あの、その子、この本で動くの?』

リリスはこの本の住人として、もっともな質問をする。

『いや、使徒のページは固定するから動かないよ。』

『そっか。』

ほっと安心したような表情になるリリスに”クスッ”とシンジは笑っていた。

『じゃ、封印するね。』

シンジは赤い玉を羊皮紙に押し付けると、その紙は僅かに光って”すぅー”と静かに玉を飲み込んだ。

その薄い輝きが収まり、羊皮紙を見ると《第3使徒サキエル》という表題と、

 2枚の仮面を付けたサキエルの絵が描かれていた。

シンジが本を閉じて、レイに手を伸ばす。

「さ、行こう。姉さんが待っている。」

”こくっ”

少女は頷くと、彼の手を優しく握って姉の待つ執務室に向かった。



………総司令官執務室。



「碇、ミサト君が保安部に拘束され、3日間の重営倉行きになったぞ。」

ゲンドウは顔を動かさず、視線だけを冬月に投げて続きを促した。

「……なんでも、サードチルドレンに手を上げたそうだ。」

「シンジはどうした?」

「ケガは無いそうだ。」

「ならば規律どおりだ。問題ない。」

「ま、そうだな。……しかし、シンジ君の心配をするとは、お前も人の親だな。」

冬月は珍しいモノを見た、と言う顔になるが、ゲンドウは表情を変えずに一言だけ返した。

「まだ、サードは必要なコマだからな。」

「…処で、パイロットの処遇についてなんだが、こちらで腹案を作っておいた方がいいのではないか?」

「構わん、どうせ大した事ではない。」

「そうか。」



………技術開発部長執務室。



「お待たせしました。リツコ姉さん。」

「いらっしゃい。シンジ君、レイちゃん。」

リツコは彼らを柔らかな微笑みで迎え入れた。

「じゃ、形だけだけど、メディカルチェックをするわね。」

白衣の女性はイスに座った少年に簡単な診察を行った。

「さて、質問をしたいんだけど、いいかしら?」

シンジは瞳を輝かしている姉の言葉に、暖かな笑顔で返した。

「僕が答えられる範囲でしたら。」

レイは座ったシンジの後ろに立ち、彼の後ろ頭を抱くように腕を優しく回す。

”むにゅぅっ”と豊かな双丘の柔らかさを感じたシンジは、姉の視線に顔を真っ赤に変化させていく。

「あ、あ、あの、質問…どうぞ。」

相変わらずのカップルに微笑みながらリツコはバインダーとボールペンを手に取った。

「ふふっ。…え〜と、まずシンジ君は、ATフィールドを使いこなしている、これは正解?」

「えぇ、正解です。」

「では、初号機とのシンクロ率、これもコントロールしているわね?」

「はい。」

「前回と、今回の使徒の差はあったのかしら?」

「う〜ん。姉さん、覚えていないんですよ。前回は、初号機の暴走で勝ったんです。

 でも、今回実際に戦って、サキエルはバランスのいい能力を持っていた、という事は判りました。

 前回と今回の差は、多分ないと思います。」

「今回の使徒戦で、シンジ君は何割の力を使ったのかしら?」

「む〜…そうですねぇ。……正直言って1割……いや、1分弱かなぁ。」

「そ、そうなの?」

「えぇ。綾波との約束で危機的状況なら、なりふり構わず力を使いますが、そんな状況でもなかったし。」

リツコはシンジを後ろから抱いて、幸せ満開なレイに視線を移した。

「レイちゃん、約束って?」

「…お姉さん、私はシンジ君に危なくなったら、躊躇なく全力の力を使うようにお願いをしました。」

「そう、判ったわ。……シンジ君、ATフィールドについて実験を頼みたいんだけど、いいかしら?」

「それは、ドイツのセカンドの為ですか?」

「データをドイツに渡せば、結果的にはそうなるかもしれないわ。」

「…イヤです。」

「どうして?」

「ドイツ支部の風習かは判りませんが、本部をライバル視していますから、

 こちらのデータを渡しても彼女に上手く伝わらないと思いますし、

  第一、彼女は自分で出来るから大丈夫ですよ。」

「シンジ君はセカンドが嫌いなの?」

姉の質問に、”ピクン!”とレイの腕に力が入る。

「正直に言って、どうでもいいって感じです。……まぁ、僕を拒絶した人ですし。」

シンジはレイの腕を優しく撫ぜた。

「そう、そうなの。まぁ、彼女の性格は何となくミサトに近いモノがあるしねぇ。」

リツコも何となくシンジの言わんとしている事を理解した。

(ま、確かにドイツ支部は協力的に自分の処のデータを渡さないしね……)

「じゃ、ドイツにはデータを渡さないから、実験……お願い出来ないかしら?」

「まぁ、構わないですけど……」

”ピピピ!”

リツコが電話機を取ると、オペレーターが事務的な口調で連絡事項を告げた。

『サードチルドレン、ファーストチルドレン、赤木リツコ博士は至急総司令官執務室にお越し下さい。』

「あら、残念。急な呼び出しねぇ……しょうがないわ、行きましょう、シンジ君、レイちゃん。」



………総司令官執務室。



”プシュ!”


「やぁ、お疲れ様だったね……シンジ君。こちらに来て、座ってくれたまえ。」

冬月がソファーを勧める。

「はい、ありがとう御座います。」

シンジとレイは揃ってソファーに腰を落とした。

リツコは一歩下がっている。

「さて、シンジ君。君が先程提示した条件、その交渉の続きをしようと思うのだが、いいかね?」

シンジは冬月に顔を向けて、首を縦に振った。

「お久しぶりです、冬月先生。研究所以来ですね。」

「ん!!…そうだね。もぅ何年になるか……。」

(なんと、シンジ君はあの幼い頃の事を憶えているというのか!)

「改めまして、碇シンジです。いつも父がお世話になっています。」

ペコッと人当たりの良い笑顔でシンジが挨拶をすると、冬月はその顔にあの女性、ユイの面影を見た。

(むぅ!さすがユイ君の子供だ。なんと礼儀正しい。…まったく父親も見習ってもらいたいものだな。)

ジッと見られているシンジが少し居心地悪そうに冬月に声を掛ける。

「え、と。すみません。あの、」

「あ、あぁ。すまなかったね。え〜と……」

冬月は何となくレイを見て、いつも無表情な彼女が少し嬉しそうな柔らかい表情であるのに気が付いた。

(?……レイ君…まさか、彼女はシンジ君に好意を抱いている、というのか?)

持ち前の好奇心に、冬月は思わず質問を口にした。

「その前に、シンジ君。…キミはレイ君の事をどう思っているのかね?」

意外な質問にシンジは少し戸惑いを感じたが、別に気にする事でもないと返事を返す。

「僕の愛する大事な人です。」


………レイはピトッとシンジにくっ付いて座っている。


「そ、そうかね。……突然、失礼な質問をしてすまなかったね。」

(……もし、シンジ君が……彼女がヒトではない存在だと知ったらどうなるか……さて。)

冬月はシンジの紅い瞳を見て考え込んだような顔になる。

「冬月、下らん話はいい。…シンジ、お前はNERVのパイロット、チルドレンとして登録された。」

ゲンドウは一向に進まない会話に痺れを切らしたように話を始めた。

「……父さん。」

「碇、シンジ君に労いの言葉も無いのか…まったく、お前というヤツは。

 ……まぁ、いいだろう。では、シンジ君…早速だが、パイロットとしての登録にあたり、

 君達の義務、実験やテストに関する事だが……」

「冬月先生、それは先程父と確認しました。あくまでも要請であって、義務や命令ではないと。」

「うむ、そうなのだが。…協力をして欲しい、というのは判るね?」

「はい。先程、赤木博士にも言われましたから、できる範囲での協力はします。」

「そうか、それと君の住居なんだが…」

「それは僕が自分で用意しましたので、ご心配なさらずに。」

「NERVで用意しているよ?…もちろんタダだ。」

「大丈夫です。こちらに呼ばれた時に住所の変更手続きもしてしまいましたから。」

(むぅ、監視・警備体制に支障が出るのではないか?)

冬月は、シンジの用意のよさに渋い顔になる。

「…構わん。」

ゲンドウは冬月の考えている事を正確に把握して声を出した。

「碇、いいのか?」

「第3新東京市にいれば、それでいい。」

「判った。…さて、報酬についてなんだが、国際公務員として……一般的な給料という形で良いかね?」

「一般職員と同じ、と?」

「もちろん、違うよ。…訓練や実験などを行うからね。基本的にはレイ君と同じ歩合制に近いものだ。」

「綾波、給料貰っていたの?」

シンジは意外なことを聞いた、という少し驚いた顔でレイを見た。

”コクリ”と頷いた少女はゲンドウに視線を投げた。

これはゲンドウが将来の為に、と出向から戻ってきたレイに施した処置であった。

実験を行い、拘束した時間だけ特別手当てを青天井に上乗せしていく。

この一年間でレイが手にした給料は、アスカの10倍であった。


………ドイツのセカンドチルドレンは、そんな本部の内部事情を知らされていないため、

 一般的な職員の基本的な給料(約400万程度)しか貰っていなかった。


冬月が話を戻す。

「まぁ、シンジ君の今回の働きに対する報酬もモチロンある。」

「どれ位ですか?」

「出撃報酬、使徒撃退の成功報酬などで、1000万ほどだ。どうかね?」

中学生では想像も出来ない金額だろう、と冬月はニヤッと笑ったが、相手が悪い。

「それっぽっちなんですか?命を懸けて戦うのに?2名しかいないパイロットなんですよね?」

「少ない、というのかね?」

「何となく、僕らの価値が低いみたいに感じます。」

「大金だと思うが……」

「10倍だ……どうだ?」

ゲンドウが息子を見て言う。

「ま、お金については後で決めましょう。……先生、あと、命令系統の徹底をして欲しいのですが。」

「ン……どう言う事かね?」

冬月は勝手な提案をしたゲンドウに厳しい目を向けていたが、シンジの声を聞くと、にこやかに向き直った。


………まるで、昔のユイのように先生、先生と自分を呼んでくれるシンジを冬月は気に入ったようだ。


「はい、父にも言いましたが、命令が絶対で、それ以外の行動が取れない、では戦闘は出来ません。

 あれこれ指示を受けてから行動を取るのでは、変化する戦況に即座に対応する事は難しいでしょう。」

「むぅ。」

なるほど、と思わず冬月は頷いてしまった。

「その事については、父にこの組織のトップとして了承してもらいましたが、

 発令所で騒いでいた女性には上手く伝わっていなかったようです。」

はぁ、とリツコが自然と手を額に当てる。彼女の頭痛のタネは今頃、重営倉で何をしているのやら。

「今回の戦いでは自分だけが出撃をしましたが、今後は綾波と共同の作戦もあるでしょう。

 その時に、また騒いで命令系統を乱して欲しくないんです。」

冬月は確認を取る。

「では、シンジ君とレイ君。君達2人を作戦課の所属としない、でいいかね?」

「はい、僕と綾波を独立中隊として扱ってください。」

(よし、とりあえずセカンドの事は知らないようだな。)

冬月は余計な話が出る前に、この話を決定させようとシンジを見る。

「よし、判った。君達2人の扱いはそうしよう。平時は技術部の実験などに協力してくれ。

 葛城一尉に関しては、作戦の立案とキミ達のサポートに徹するように伝えておく。」  

「宜しくお願いします。」

「碇、何かあるか?」

「問題ない。」

「では、以上だ。今後のスケジュールについては、赤木博士と相談して欲しい。

 あ、それとシンジ君、キミにはレイ君と同じ中学校に通ってもらうことになる。

 その手続きはしておくので、あわせて確認してくれたまえ。」

「判りました。……では、失礼します。」

シンジ達は、そのまま執務室を後にした。



………NERVゲート。



リツコと別れた後、地上に上がったシンジとレイはNERVの正面ゲートにいた。

シンジの右手には、南極の調査船で使っていた茶色いカバンと、もう一つ。

「綾波の荷物って、これだけでよかったの?」

オレンジ色のボストンバックがシンジの右手に追加されていた。

「……とりあえず。」

嬉しそうなレイは、シンジの左手をキュッと握った。

「あ、多分、アレだ。」

ゲートの直線道路の先から、こちら向かってくる自動車。

”…キィ……ガチャ、バタム!”

「お待たせいたしました、シンジ様。」

「お疲れ様、マユミさん。家の方はどう?」

「えぇ、引越し作業は終わっておりますわ。レイ様のお着替えも京都からある程度見繕って運んでいます。」

「いつも、ありがとう。」

眩しい笑顔にマユミは慌てたように返事を返す。

「と、飛んでもございませんわ。さ、シンジ様、お乗り下さい。今日は、お疲れでしょう?」

ニッコリとマユミは微笑むとリムジンの後部座席を開ける。

「あ、そうだね。早く帰ろう…ね、綾波?」


………蒼銀の髪を揺らして頷いた少女の優しい笑顔に、シンジは見惚れていた。







第二章 第十話 「転校生」へ










To be continued...


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