ようこそ、最終使徒戦争へ。

第二章

第十一話 被害者

presented by SHOW2様


戦闘準備−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………戦術作戦室。



「葛城さん、現在の第3新東京市で執れるであろう作戦行動を纏めました。…これがその検討案です。」

モニターに囲まれた会議室で、マコトが中央の席に座る上司に分厚い資料を手渡す。

「さんきゅ〜、日向君。…やっぱ、持つべきモノは優秀な部下ねぇ。」

ミサトは”ニッコリ”と笑って優秀な部下を褒めた。

彼女の満面の笑顔を見たマコトは自分の頬が自然と熱くなるのを感じてしまったが、

 手渡された資料に一瞥もくれず、彼女が机の横に”ドサッ”とソレを置いたのを見て、心の中で泣いた。

(…ううぅ。ソレ…徹夜だったんですよぉ〜……葛城さぁん!!)

そんな部下の反応など全く眼中にないミサトは、四方の壁にあるモニターに目をやった。

「現在の第3新東京市の稼働率は?」

彼女の補佐官であるメガネのオペレーターは、

 何とか気を取り直して横に立つと、バインダーの紙を数枚捲って確認しながら答える。

「え〜と、現在の工事進捗率からですと、全体で43%…対空防御システムが48%っていう処ですかね。」

「…そう、完全稼動まで相手が待ってくれるかしらね。」

ミサトは、画面に映っている第3新東京市の兵装ビル郡と主要な設備を確認していた。

「第一種戦闘配置の発令から街の戦闘準備完了までって、どれ位掛かるのかしら?」

「市民の避難、都市の戦闘形態への移行を含めて約20分ですね。」

「……あらま、意外と掛かるのねぇ〜。」

「強制命令とは言え、生活している住民の完全避難には、

 やはりどうしても時間が掛かってしまいますからね。

 それと葛城さん、これが先程…技術開発部から提出された使徒のデータです。」

マコトはキーボードを操作して、ミサトの目の前のモニターに出力されていた映像を切り替えた。

「え、どれどれ?…日向君。……なに?ブラッドパターン…ブルーって?…日向君、分かる?」


……作戦課長は情けない事にう〜んと目を細め、眉根を寄せて…何のことやら?という表情になってしまう。


コロコロと変わる心情を素直に表現する彼女を見て、マコトはまた頬に血が集まるのを感じながら答えた。

「…は、はい。どうやら、先の使徒戦のデータをMAGIで解析・分析した結果、

 使徒は特有の波長パターンを持っている、と言う結論が導き出されたそうです。

 そのデータを使用し、MAGIを使って使徒をパターン表示すると、”青”って事らしいんですよ。」

「つまり、各所に設置したセンサーにこのデータを入れておいて、ソレに引っ掛かれば…」

「そうです、使徒出現って事になるんでしょうね。」

「…あの使徒ってヤツは、みんな同じなのかしらねぇ〜。」

照明をワザと落としている薄暗い部屋の天井を見て呟いた上司に、部下は肩をすくめて答えた。

「それは、誰にも分からないんじゃないですか?」

「…ま、そりゃそっか。」

マコトは机の上に打ち捨てられた感のある…徹夜で作った報告書の中から、一つの紙束を出しながら聞いた。

「前回の使徒と同型の敵が侵攻してきた場合、葛城さんならどういう作戦を立てますか?」

「…そうねぇ。」

”むー”と眉根を寄せて悩む作戦課長。

「一応、こちらが作戦課で纏めたものになりますが。」

その戦術立案書を受け取って見たミサトは、”ふぅ〜”と肩の力を抜くようにタメ息をついた。

「そうなのよねぇ。日向君の言う通り、ATフィールドなのよ…この戦いの”キモ”は。

 コイツのせいで通常の戦術は…ほぼ無効化されてしまうし、どんな手を使ってくるか判らないのよね〜。」

彼女は手にした報告書を机に投げて、マコトの顔を見た。

その彼も同意するように深く頭を縦に振った。

「そうなんですよ、前回の使徒でさえ短時間で攻撃機能を増幅させましたからね。

 ……まるで、進化をしているっていうか。」

「やっぱし…短期決戦で、一気に畳み掛けるしかないわねぇ。…長引くとロクな事、なさそうだし。」

「そうですねぇ。」

「畳み掛けるんだったら数が欲しいわ。…そ〜言えばぁ、零号機の凍結ってまだ解除されなのかしら?」

「あぁ、そう言えばそうですね。…既に敵が現れたのですから、直ぐに解除されるんじゃないですか?」

「ぃよし!…ちょっち、リツコに聞いてみるわぁ〜。」

そう言うと、仕事をサボれる口実を得たミサトは”うっしっし”と戦術作戦室を出て行ってしまった。



………第二新東京市、首相官邸。



部屋には、二人の男がいた。

一人は、今党内の調整会議を中断して取り急ぎやってきた、この国の代表である。

もう一人は、この執務室に用意されていた黒いソファーに、不遜な態度で”ドカッ”と座っている大男。

この部屋の持ち主は自分のイスに座りながら、訝しげな視線を男に投げると、徐に口を開いた。

「突然の訪問だな。…特務機関NERVの碇総司令閣下、だったかな?」

「…首相、あなたは”ゼーレ”を知っていますか?」

大男は”ジロリ”と自分に刺さった視線を無視するように、特に気にする事なく会話を始める。

その彼の言った単語に、白髪の中年男性の目が”ピクッ”と反応した。

「政治の根幹に携わる者で知らぬ、というモノはおるまい。…さて、キミの用件は一体何だね?」

きちんと手入れの行き届いた背広を着ている細身の男性は、自分の執務用の机に肘を付くと、

 この部屋に突然と訪問してきたサングラスの男を、ゆっくりと品定めするような目で見ていた。

「国家の行政を任されている現内閣として…いえ、日本国としての将来を”今”あなたに決めて頂きたい。」

ソファーに座っていたゲンドウは、上体を起こして自分のヒザに肘を付いて顔の前で手を組んだ。

「一体何の話をしている?…キミは金の無心に来たのではないのかね?」

「表向きの用件はその通り…追加予算要求ですが、違います。」

「…ほぉ、どういう事だね?」


……漸くゲンドウは一国の代表の目を見るように顔を向けた。


「首相、国連最高意思決定機関である人類補完委員会は、ゼーレそのものなのです。」

「ッ!なんだと!?」

ゼーレは裏で世界経済を動かしている正体不明の闇の組織、というのが首相の見識であった。

それが、表でも堂々と世界を動かしているという薄ら寒い事実を知り、自分の背中にイヤな汗を感じて、

 ”ゴクッ”と喉を鳴らし…唯、目を見開き驚いてしまった。

「…そ、それが、それが事実だとして、この国の将来と…どう繋がり、関係するのだ?」

「首相は我ら人類の敵、”使徒”をご覧になりましたか?」

「あぁ、戦自からの偵察映像を見たよ。」

総理大臣はイスに座り直し、手元のリモコンで先の戦闘映像をスクリーンモニターに映した。

「全く、冗談のような事態だ。…まァこれが来なければ、キミの組織も意味が無かったのだろうが。」

ゲンドウは首相のイヤミを気にする事なく言葉を続ける。

「……ゼーレは南極で起きたあの大惨事、セカンドインパクトよりも大規模な人災、

 サードインパクトとでも言うべきモノを、この日本で起こそうと計画しています。」

「な、な、な、何だとう!!」

首相は予想外の突飛な話に、思わず立ち上がってしまった。

「き、君達はソレを防ぐのが最大の目標なのだろう!?…その為の強権であり、特権なのだぞ!!」

「その通りです、首相。我々NERVは最大限の尽瘁を以って、この事態に対応しています。

 しかし、上位組織の思惑は別にある……そういう事なのです。」

「これが、突然来た理由かね。……ふぅ、態々トップの君が来たのだ、詳しく聞かせてくれるんだろうな?」

「やはり、あなたは私の思った通りの…優秀な政治家のようだ。」

ゲンドウは若干嬉しそうに、口の端を上げて”ニヤリ”と笑った。




顔を青くしている男は疲れ切ってしまったのか、自分の机に顔を”ガクッ”と落としていた。

「……はぁ、信じられんな。その予言書、死海文書と言ったか。……本当なのかね?」

「はい、信じて頂けると思います。…なぜなら、もう間も無く次の使徒が来ますからね。」

「な、なにぃぃ!!」

首相はこの日、何度目か分からない叫び声を上げた。

”ピピピ!”

「どうした!?」

机の受話器を乱暴に取った総理大臣は声を荒げた。

『総理!…戦自の巡洋艦より報告です。相模湾方面に向かって巨大物体が移動しているそうです!

 予想される侵攻ポイントは先の化け物と同じ、第3新東京市と思われます!!』

”……ガチャ、ン”

白髪の男性はその報告を聞くと、力が抜けたかの様にゆっくりと受話器を置いて眉間を揉み解した。

「ふぅ…な、何という事だ。碇君、キミの言ったことは本当なのか……。」

「…はい、首相。今は表向き何も動けませんが、現在のゼーレは全盛期に比べ、影響力も落ちています。

 最後の使徒を殲滅した時、この世の”ウミ”を一掃するチャンスが訪れるでしょう。

 その時、あなたが先陣を切るのです。…この日本が新たな世界のリーダーになるためにね。」

ゲンドウの迷いのない強い目を見た首相は希代の政治家として、ここで一つの決断を下した。

「むぅ…判った。…詳しい事は、追々決めよう。こことキミの所にホットラインを設けようじゃないか。」

「ありがとう御座います。…もう一つお願いが有ります。」

この会談が始まってから初の要求に、首相が興味深げな顔になる。

「ほぉ…何かね?」

「戦略自衛隊…この組織と我々NERVとの架け橋になって頂きたいのです。」

「ふむ、…国連軍はいいのかね?」

「UNは、世界平和・治安維持活動の為、簡単に身動きが取れないのが現状です。

 それに、私の息子がワーグナー総司令官に気に入られていますので、そちらは大丈夫だと考えます。

 日本の独立軍である、戦略自衛隊の戦力が敵になるか、味方になるのかでこれからの対応が変わります。」

「そうか、判った。私の権限で極秘に会談の場を設けようじゃないか。……ソレで良いかね?」

「結構です。…ありがとう御座います。」

自分の持つ機密情報、そのカードを惜しげもなく切る目の前の男に首相は興味を抱いた。

「しかし、ここまで話したキミには、一体何のメリットが有るのかね?」

「…護らねばならぬ家族の為です。首相、私達市民には安心して暮らせる国と言う土台が必要なのですよ。」

「君が市民?…ははははっ…そうか。キミはいい政治家になれそうだな。」

「興味有りません。」

「残念だな、ウチの党から出馬せんかね?」

「この戦争に生き残れば、考えましょう。」

「…キミは本当に面白い男だな。」


……前史と違う日本国政府と特務機関NERVの関係はこうして築かれていった。



………技術開発部長執務室。



「…ダメよ。そしてムリ。」

作戦課長の提案は無下に却下された。

「何でよぉ〜。」

白衣の女性は、コーヒーカップを机に置いて”ぶすっ”とした表情の赤いジャケットの女性に顔を向けた。

「先の起動実験の原因はまだ特定できていないわ。…分かっていないんでしょうけど、EVAは危険なの。 

 それにあなた、何も考えずに今の提案をしたんでしょうけど、この話はシンジ君には絶対に言わない事ね。

 …殺されるわよ。」

”ポカン”とした表情になると、”何をバカな事を言ってるのよぉ…”と笑いながらミサトは言った。

「クゥ〜クックック♪、ヤだなぁ〜♪…リツコって冗談も言えるんだァ〜。コレは新たな発見ねぇ〜。」

肩で大きなタメ息をした金髪美女は、腹を抱えて苦しそうに身体を揺すりながら笑っている友人に言った。

「冗談?…笑えないわ。碇三佐は綾波レイの為なら何でもするわよ。」

「ハッ…それと、零号機の凍結解除と何の関係があるって言うのよぉ?」

”ふぅー”と、深く息を吐き出したリツコは、ミサトに向き合うように席を立った。

「…ミサト、二度と言わないわ。」

リツコの余りに真剣な表情に、”うっ”と気圧される作戦課長。

「ちょ、と…な、なによ?」

「シンジ君は……レイちゃんの為に生きているわ。…それこそ、純粋以上の愛情によって。」

「だから、高々ガキの色恋沙汰が何だってぇのよ?」

(…ふぅ、違うわ…神の寵愛よ。それを一身に受けているのは、この世で唯一人…レイちゃんなのよ?)

「……原因も特定されていない危険な機体にもう一度パイロットを乗せろと言ったら、

 間違いなくEVA独立中隊の隊長はキレるでしょうね。

 万が一、”あなた”の要請に応じてくれて起動実験をしたとしても、

 零号機が再び暴走して…もしも、レイちゃんに怪我でもさせて御覧なさい……。

 シンジ君がその時にどうするか…なんて想像するのは、呼吸をするよりも簡単な事よ?

 綾波レイの敵がこの世界と仮定した場合、導き出される結論は、この世界の終焉ね……終わりってワケ。

 EVA初号機に勝てるモノは存在しないのが現実。……これはあなたも理解した方が身の為よ?」

「そんなの、あのガキをEVAに乗せなきゃいいだけじゃない。」

ミサトは”リツコも意外と馬鹿ね〜”という視線を投げた。

「…まだ小さい頃のシンジ君に…コテンパンに負かされてヤケ酒飲んだのは、ドコのドナタだったかしら?」

その人を小馬鹿にした視線に”お返し”をしたリツコの言葉に、ミサトの顔色は真っ青に変化した。

(ぐっ……そういえば、アイツって国連軍で不敗のトップエースだったわ。)


……軽い気持ちで言ったミサトの提案は、世界の破滅を呼ぶほど危険に満ちたモノだったようだ。



………第一発令所。



”ビーッ!!ビーッ!!ビーッ!!ビーッ!!ビーッ!!ビーッ!!”


当直で第一発令所にいた青葉は、突然鳴り響いた警報音に顔を上げた。

「なんだ!?」

監視モニターには《 PATTERN BLOOD TYPE BLUE 》と表示されていた。

「こ、これは!…まさか、もう次のが来たって言うのか!?」

彼は慌てて電話機に手を伸ばした。


”リリリリ、リリリリ…ピ!”

『…はい、伊吹です。』

「マヤちゃん、非常召集だ!!…赤木博士を発令所に!!”次の敵”が来たぞ!」

(…ちぃ!マニュアルだと、政府、関係各省に通達をしないと!……マコトはドコだ?…戦術作戦室か!!)



………中学校。



”ピピピピ、ピピピピ”

「…あ、電話だ。」

メインオペレーター3人衆の一人、青葉シゲルが慌ただしくコンソール端末を叩くように操作していた時、

 シンジは少女の蒼い髪に埋めていた顔を上げて、ズボンのポケットに入れていた黒い携帯電話を手にした。

『お取り込み中、申し訳御座いません…マスター。』

「…いや、いいよ。どうしたの?ドーラ。」

『はい、シャムシエルが出現したようです。』

「そう、判った。…ありがとう。」

少年は携帯電話を仕舞うと、抱きしめていた少女の手を取った。

「綾波、使徒が来たみたいだよ。……教室に鞄を取りに行こう?」

”コクリ”

シンジとレイは教室に向かって走った。

”ガラッ”

「先生、すみません…僕と綾波は早退します。」

英語を担当していた女性教師は、突然入って来た生徒に驚いたが、

 その生徒はそんな教師を見る事なく自分の机の鞄を取ると、隣の席の鞄も取って教室を走り去っていった。

教室は、その一瞬の騒乱を起こしたシンジに注目していたが、教師は生徒の事情を思い出して返事をした。

「ぇ!…う、えと…あ!!…そう、判ったわ。二人は早退ね。」

先生が勝手な事を言った生徒に理由を聞く事もなく、

 すんなりと出席簿に早退と記入しているという反応を見た生徒達は、少し不思議そうな顔をしていた。

少し時間が経ち、再び教師の授業が再開されると、2−Aの教室にいつもの落ち着いた雰囲気が戻ってくる。


……先程の少年は何だったのだろうか、とクラスメート達の頭がそんな事を考えていた時、また扉が開いた。


”ガラッ!”

「遅れてスマンです、先生。」

「…鈴原君、今まで何していたの?…もうとっくに授業は始まっているのよ?」

いつもは優しい印象で生徒に人気のある若い女性教諭は、少年に少し厳しい表情を向けた。

「ホンマに、スマンです。」

黒いジャージのポケットに手を入れたまま、トウジは自分の席に座った。

(…鈴原?)

ヒカリは何時にも増して不機嫌そうな少年を見て、少し心配そうな表情になってしまった。




”ピピピピ、ピピピピ”

静かな廊下に電子音が響く。

「”ピ!”はい、もしもし?」

『あ、シンジ君?…授業中悪いわね、至急NERVに来て頂戴。非常召集よ。』

「…姉さん。”次の敵”ですか?」

『ご明察。学校の校門に保安部の車を寄越すからソレに乗って来てね…勿論、レイちゃんも一緒にね。』

「了解です。では、また。”ピ!”」

下駄箱で靴に履き替えていた少女が、少年の目の前に立っている。

「非常召集…行きましょ、碇君?」

「そうだね。」

靴に履き替えて返事をしたシンジは、手を差し伸べているレイの右手を取って校庭に向かった。


……校門の外には姉の言った通り、既に黒塗りの頑丈そうな車が待機していた。


シンジ達が校庭を横切るように走って近付くと、運転席から黒いサングラスをした男が出てきた。

「碇三佐、綾波一尉、お待ちしておりました。」

「はい、ご苦労様です。……行きましょう。」

少年と少女を回収した車は、その大きな車体からは想像も出来ないほど軽快に加速して走り去っていった。

退屈な授業に飽きて外を眺めていた窓際の生徒は、

 この学校一の美男美女カップルが黒い車に乗って何処かに行くのを”ボンヤリ”と見ていた。

 
……その時、二度目の避難警報が第3新東京市全域に鳴り響いた。



”ゥウウウウウゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーー!!!”



指導要領の記載された教本に目を落としていた先生は、突然の音に驚いた。

「え……あ!!…皆さん、落ち着いて!!…指定のシェルターに非難します!洞木さん…誘導、お願いね。」

「あ、はい、判りました。」

先生に指名された学級委員長は、”ガタッ!”と席を立った。

「落ち着いて、訓練と同じように、ね?…さ、皆さん、荷物を纏めて…列を作って!」

女性教諭の落ち着いた避難指示に生徒達は黙って従っていた。



………校舎裏。



(…やったァ!…また来たんだ、未知の敵が!!)

友に殴られた後、暫くヤル気を無くして”ぼぉ〜”と地面に転がるように横たわっていたメガネの少年は、

 今起きている事態を理解すると、ゆっくりと身体を起こした。

(…いてて。このまま教室に戻っても避難でシェルターに押し込まれるだけだもんなぁ……そうだ!)

いい事を思いついた、とケンスケは身体に付いた土埃を払うと、周りを窺いながら”そっ”と歩いて行った。



………路上。



”ビー!ビー!ビー!”

シンジ達を乗せた車が走る幹線道路の両脇にそびえ立つビルが警報を出し始めた。

”ガシュン!グォオオゥーーー”

その超高層ビル郡は、地表に固定する為の巨大なロックボルトが回転して外れると、

 唸りの様な大きな音を辺りに轟かせて、次々と地下に収容されていった。

保安部の車が進む中央ブロックの路上にある信号機は全て、ストップを示す赤いランプが点滅していたが、

 運転を任されている保安部員は、何も気にせずにアクセルを踏み続けて走っていった。

後部座席に乗っているシンジは、状況を確認するため携帯電話を取り出した。

『はい、こちら発令所。』

「こちらEVA中隊、隊長の碇三佐です。…敵はどれ位でこの街に侵攻してくるのか、判りますか?」

『は、はい、碇三佐。現在目標の移動スピードは時速…約50km程です。

 このまま進路・速度共に変化しないと仮定して、上陸まで1時間40分、

 ここまでは…あと2時間を切るという処ですね。』

シゲルの答えを聞いたシンジは、前史よりもNERVの対応が速かったのかな…と考えてしまった。


……なぜなら前の世界では、戦闘開始まで1時間もなかったのだ。



………第一発令所。



シンジ達が保安部の車で学校から走り出す数分前、非常招集を受けた発令所は喧騒に包まれていた。

「もう次のが来たってぇの!」

ミサトは慌てたように発令所に入って来ると、マコトの席まで小走りに駆け寄った。

「…はい、現在目標をレーダーで補足しています。」

「…ちょっと、映像はまだなの?」

しばらく待っても変化のない状態に、じれてきたミサトの問いに答えたのは、

 スピーカーから発令所に響いたシゲルの声だった。

『目標を光学で補足…領海内に侵入しました。』

「総員、第一種戦闘配置!」

そのシゲルの報告を聞いて、最上段にいた副司令からの指示が飛ぶ。

『了解!…対空迎撃戦用意!』

『第3新東京市、戦闘形態に移行します。』

『中央ブロック収容開始。』

シンジ達を乗せた車が走る街の超高層ビル群が定期訓練どおり、次々に地下に収容されていく。

『中央ブロック及び、第一から第七管区までの収容完了。』

『政府及び関係各省への通達、終了。』

『目標は依然侵攻中。』

『現在、対空防御システム稼働率、48%。』

「非戦闘員、及び民間人は?」

ミサトが腕を組みながらシゲルに聞いた。

その彼は素早くモニターで確認を取り、報告を上げる。

「はい、既に退避完了との報告が入っています。」

リツコは右側のオペレーター席に歩き寄って、後輩に確認を取った。

「マヤ、敵性体のデータを残さずに記録するのよ。」

「はい、センパイ。」

「しかし、何て言うべきかしら……今回の敵さんは。」

リツコはモニターを見ると、片方の眉を吊り上げて…何とも言えない表情を作った。

「え、と…イカ、ですか?センパイ。」

「そうねぇ烏賊、烏賊ねぇ…でもアシがないわよ?」

「センパイ、胸部付近に海老のような節足が有りますよ。」

「うん?…そうね。あら…胸…いえ首?のような部分にある…あの赤い玉が多分コアね。」

つぶさに観察している技術部の二人はこの何とも言えない、巨大お化け烏賊のような敵を分析していた。

『こちら保安部13号車、EVA独立中隊、碇三佐及び綾波一尉を無事にNERV本部にお連れしました!』

「了解、碇隊長はどうした?」

マコトの問いに、モニターに映っている保安部員は即座に答えた。

『ハッ、碇三佐はパイロット更衣室へ、綾波一尉も随伴されております。』

「了解!」

「おっけぇ!!…ファーストチルドレンは発令所に、サードチルドレンはそのままケージに直行させて!」

颯爽とマイクを握って当然のように命令を下したミサトは一見、”デキる”女性のようであったが、

「…ミサト、あなたに命令権は無いって言っているでしょ?」

 と言いながら、手元のスイッチを押した技術開発部長に”ぶちっ”と回線を切られてしまった。

そんな発令所の遣り取りを知らないシンジ達は、エレベータに乗りパイロット専用更衣室に急いでいた。

”コォォォォーーー”

「綾波、発令所にいてね?」

「ケージまで行くわ。」

「判ったよ。」

「…無理、しないで。」

「もちろん、この前の約束は守るよ。危険だと感じたら…”力”を使うから。」

シンジはレイに優しく笑いながら言った。

”チン!…ガァァァ”


……シンジ達は手を繋いで開いた先の廊下を走って行く。


発令所のミサトはイラ立ちを感じていた。

「…チルドレンたちは?」

マコトが”ちらり”と後ろで腕を組んでいる上司を見て答えた。

「はい、現在…碇三佐が更衣室でプラグスーツに着替えています。」

”リリリリ、リリリリ…ピ!”

「はい、こちら発令所、伊吹です。」

『こちら碇三佐です。…伊吹二尉、そちらに赤木博士は居ますか?』

初めての仕事モードのシンジの声に、マヤは声を失ってしまった。

「あ、う…えと。」

オロオロしている後輩の…その横に立っていたリツコがマイクのスイッチを入れて応える。

「シンジ君?…私は発令所に居るわよ?」

『赤木博士、スミマセンがこのままEVAに乗り込みたいと思います。可能でしょうか?』


……リツコもここで漸くシンジの雰囲気が違うことに気が付いた。


(…そうね、仕事という事ね。ケジメをつけなきゃいけないのは、私たち大人っていう事かしらね……。)

「えぇ、もちろん準備は出来ているわ。碇三佐、第7ケージに行って頂けるかしら?」

『了解しました。EVA中隊はこれより敵性体との交戦準備に掛かります。

 出来得る限りの情報をこちらに送って下さい。』

「了解、データは初号機に送ればいいかしら?」

『結構です、では。』



シンジはマントのような深い蒼色のポンチョを身に付けた。

(これは、前になかったねぇ…チルドレンの人権問題が少しは改善されたみたいな感じだね。でもなぁ…。)

少年は鏡に映っている自分の背を見ていた。

その蒼いポンチョの背中には、白い大きな筆で書かれたような…達筆な文字が縦に書かれていた。


……《 初 号 機 》と。


(……まるで、前世紀の暴走族みたいだ。)

シンジはリリスの選んだ余計な知識の一部に引っ掛かった単語を思い出して、少しため息を付いてしまった。

”プシュ”

「お待たせ。僕はケージにいくから、綾波は発令所に行って僕のサポートをお願いするよ。」

「…判ったわ。」

そう言って、シンジの後について行こうと歩き出したレイは彼のポンチョの文字を見た。

「…あ、やっぱりヘンだよねぇ?」

シンジは彼女の深紅の瞳が自分の背を”じぃー”と見詰めているのに気が付いた。

「いいと思う…私も欲しい。」

「綾波のには…零号機って書いてないの?」

”コクッ”

「今度、姉さんに言って書いて貰おうね?」

「…うん。」


……シンジは彼女が”零”と書くと思っているが、彼女はちょっと違うようだ。


会話をしながら走っていても、あっという間にケージにたどり着いた彼らは俊足だった。



………第334シェルター。



市立第壱中学校の生徒達はシェルターに避難していた。

その避難場所では、女性のアナウンスが何度も繰り返し放送されている。

『……小中学生は各クラス、住民の方々は各ブロック毎にお集まり下さい。……小中学生は……』

その一角に集まっている2年生達を確認していたヒカリが、足を投げ出して座っているトウジの横に来た。

「…ねぇ、鈴原。」

「なんや…イインチョ?」

「あのね、相田がいないのよ…鈴原、知らない?」

「ふん、ワシはそんなヤツ…知らんわ。」

顔を上げてお下げの少女に答えた少年は、不機嫌そうに顔を横に向けた。

「…はぁ、困ったわねぇ。一応このシェルターにいるハズだから、ちょっと探してくるわ。」

「イインチョ、あんなヤツ…探すことあらへん。」

「鈴原?……何があったの?」

小首を傾げたヒカリは、ヒザを付いて少年の顔を見た。

トウジは顔を横に向けたまま、”ついっ”と目だけをヒカリの方へ向ける。

「ワシはアイツと絶交したんじゃ。……アイツがスジを通すまでのぅ。」

「え、どうして?…結構、仲良かったじゃない?」

「センセを……アイツはセンセを殴ったんや。」

「え!?…碇君を?何でまた……。」

「その理由を聞いてもアイツは言わんかった。ふん!…どうせ下らん事だったんやろ。

 だから、ワシは許せんかったからアイツを殴ったんや。」

ヒカリはトウジの顔を見て話を聞いていたが、”スクッ”と立ち上がった。

「…そう。……でも私は相田を探しに行くわ。クラスメートには変わらないし。

 でも、鈴原が相田の事を叩いたのは、間違いだと思うわ。だって…それは碇君と相田の問題でしょ?」

「…それは、そうかも知れんが。」

「鈴原は相田に謝るべきじゃないの?」

トウジは暫く考え込むように顔を下に向けていたが、その顔を上げてヒカリに言いながら立ち上がった。

「チッ…しゃ〜ないのぉ、イインチョ…わしも一緒に探したる。

 アイツを殴ったのはワシやし…泣き顔見られんように、どっかに隠れているんかも知れんしの。」

「え、い、一緒にって……べ、べ、別に平気なんだから、私は大丈夫よ。」

なぜか突然慌てたように答えた少女を不思議そうに見ながら、トウジは気にせず歩き出した。

「遠慮すんなや。ワシも探すっちゅーとるんじゃ。」

「あ、ちょっと…待ってよ!」

”スタスタ”と歩くジャージの少年の後を追うようにヒカリはついて行った。



………第一発令所。



モニターに映るその巨大物体は、重力を無視して超低空を飛んでいた。

そのスピードは、時速50Km程だったが飛行する物体が巨大すぎる為、実際よりも速く見える。


『目標上陸、真鶴方面よりゼロエリアに向かい侵攻中。』

『移動速度、及び飛行高度に変化無し。』

赤いジャケットを着た女性がオペレーター席の中央に立っていた。

「碇司令の居ぬ間に第4の使徒襲来……意外と早かったわね。」

「前は15年のブランク、今回はたったの三週間ですからねぇ…。」

コンソールを叩いているメガネのオペレーターが、その手を止めて振り向き返事をした。

『対空迎撃用オートシステム稼動します。』

発令所の巨大モニターに、正面からのアングルで”でかでか”と映されている使徒を睨みながら、

 ミサトが冗談交じりに言った。

「こっちの都合はお構いなしか……女性に嫌われるタイプね。」

木々が生い茂る小山の地肌が横にスライドすると、小型ミサイルの発射口が出現する。

間髪を入れず、その45門から一斉に対空ロケットが放たれていった。

更に、山中にあるロープウェイに偽装した銃座からも激しい攻撃が開始される。


……しかし、その爆炎と爆発の光と熱に包まれた敵は全くダメージを受けていない様だった。


『目標は依然健在、その外形に外傷は認められず。』

「……税金の無駄遣いだな。」

どうしたものやら、と冬月は使徒の非常識なまでの防御力に呆れたような顔で呟いた。

受話器を置いた青葉が、作戦課長に向けて報告をする。

「委員会から再びエヴァンゲリオンの出動要請が来ています。」

「…五月蠅いヤツらね、言われなくても出撃させるわよ。」



………第7ケージ。



「じゃ、行って来るよ。」

シンジはレイに蒼いポンチョを預けた。

「…気を付けて。」

その布を受け取った少女は、心配そうな心情を深紅の瞳に浮かべていた。

「うん、ありがとう。」

シンジは彼女の蒼銀の髪を梳くようにゆっくり撫ぜてから、インテリアに乗った。

『…初号機パイロット、インテリアに搭乗、エントリープラグに移動開始!』

レイはシンジが白い筒の中に運び込まれる様を見やると、

 蒼いポンチョを両手で抱くように持ちながらデッキから発令所に向かい静かに歩いていった。

少年がプラグに固定されるのを確認した整備主任はクレーンを操作し、初号機に白い筒を運ぶ。



発令所のショートカットのオペレーター伊吹マヤは、その様子をオペレーター席のモニターで確認していた。

『エントリースタートしました。』

『LCL電荷。』

『圧着ロック解除。』

「エントリープラグ挿入、起動準備完了。……双方向回線開きました。」

リツコはシンクログラフを見ながら、初号機との通信回線を開く為にスイッチを押した。

「…碇三佐、聞こえて?」

『はい、赤木博士。こちらは問題なく聞こえます。』

「これから、現時点で集められた敵性体のデータを送ります。」

『了解。…コレが今回の敵ですか。………戦術作戦部、作戦課長はいますか?』


……数瞬の沈黙の間が発令所に訪れる。


『あれ?……日向二尉?』

「ハッ…いえ、おります!」

マコトが後ろを振り向き小声でミサトに声を掛ける。

「か、葛城さん?…何しているんですか!?」

(へ?…ハッ、あ、あたしの事か。)

ミサトは作戦課長と余り呼ばれないため、自分の役職を失念していた。

「ごみん!…何?シンジ君?」

”タハハ…”と笑って誤魔化すようにマイクのスイッチを入れて、彼と会話をしようとミサトが聞いた。

『…戦術作戦部が立案した作戦を提示してください。』

シンジの真紅の瞳は、少し冷たい色になっていた。

「シンジ君、今回はパレットライフルが兵装ビルに用意されているわ。それを使って頂戴!」

『…自分は今回の作戦を聞いたのですけど?』

「だから、敵のATフィールドを中和しつつ、敵のコアに向かってパレットライフルを使っての一斉射。

 殲滅させてって言っているんじゃないのぉ…何で判んないかぁ?」

『敵に効かなかった場合は?』

「大丈夫、大丈夫!…ちゃんと効くわよ。」

(データを見てないの?この人って…)

シンジは呆れながら呟いた。

『代替案がないんですね?…それは、作戦とは言わないですよ。』

「何ですってぇ!!」

少年はミサトを無視して言葉を続けた。

『……え〜と、では侵攻中の敵に対しての射出ポイントは?』

「う、…と、それは」

少年の一層冷たくなった視線がモニターに映る。

『まさか、考えていない…の?』

「…葛城一尉?」

リツコも流石に彼女の方に問い質すような視線を投げる。

(うぅ、敵がドコで止まってくれるかなんて、判んないじゃなぁ〜い。…適当でいっか。)


……ミサトがそんな事を考えていたこの発令所には、僅かな静寂と共に気まずい空気が満たされていく。


戦術モニターを監視していたマコトが、イヤな空気に包まれた発令所に新たな局面を伝える声を上げた。

「第3新東京市に使徒がたどり着きました!」

条件反射のようにミサトが力強く命令を下した。

「シンジ君、出撃…いいわね?エヴァンゲリオン初号機、発進!」


……しかし、紫の巨人は射出されなかった。


「あ、あれ?…ちょ、ちょっと日向君、何しているのよ?」

赤いジャケットの女性は”つんつん”と左の肘でメガネのオペレーターを突付いた。

「…え、でも、我々に命令権はないですし…第一、射出ポイントが決定されていませんよ、葛城さん?」

「アンタ、何悠長な事言ってんのよ!?…使徒が攻めて来てんのよ!!これって人類のピンチなのよ!!」

シンジはプラグのバーチャルモニターに呼び出した、第3新東京市のマップと敵の位置を確認していた。

『マスター…D−22を推奨いたします。』

『…そうだね、前史と同じだけど…そこから郊外へ連れ出そう。…被害を少なくしなきゃね。』


……シャムシエルは地下深くに感じる、アダムではない”強烈な存在”に向けて進路を取った。


『日向二尉、射出ポイントはD−22に設定して下さい。

 …冬月副司令、EVA初号機の発進許可を願います。』

「ちょっと、待ちなさいよ!」

モニターに映っている少年にミサトが噛み付くが、上段からの声でそれ以上喋る事は出来なかった。

「葛城一尉、それ以上命令系統を混乱させるなら、処罰の対象にするぞ?

 ……ふぅ、碇三佐、エヴァンゲリオン初号機の出撃を認める。…月並みだが、頑張ってくれたまえ。」

『…了解。EVA初号機出撃します。日向二尉、射出して下さい。』

「了解しました。…出現位置の設定を完了、射出します。」

マコトはコンソールのスイッチを押した。

”バシューーーーー!!!”

モニターに映っていた紫の巨人が地上に向けて放たれた。





第二次直上会戦−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………丘陵地帯。



「はぁ、はぁ、はぁ。」

小高い山の中腹に木製の鳥居を構えている神社があった。

中学校を抜け出し、自宅から高性能ビデオカメラを取って来て、

 第3新東京市が一望できるココまで休まず走ってきたのは、メガネの少年だった。

「はぁ…やっと着いた。よし、ココからならこのビックイベントの全てが撮れるぞ!」

”キィィィィイン…”

ココが決戦の舞台と感じたのか、使徒は突然として空中に停まった。

”…グッググググゥ”

そして腕の無い、肩の様な部位を展開させながら、毒々しい赤紫色の巨体をゆっくりと起こしていった。

ビデオカメラのファインダーに映るのは、その蛇のように鎌首をもたげて見える大きな目のような模様。

「すごい!…これぞ、苦労の甲斐もあったというモノ!」

”ビーッ!ビーッ!ビーッ!”

「お、待ってました!!」

警報音の方へカメラを向ける少年は鼻息荒く、どっぷりと愉悦に浸っている表情であった。

射出ポイント”D−22”は第3新東京市が戦闘形態に移行する際に、

 通常の商業ビルと入れ替わるように現れる、兵装ビル郡と共に用意された偽装ビルの一つであった。

”ーーゥゥゥウウ…ガァン!!…バシュー…ウィィィン”

リニアリフトがストッパーに当たるとロックが解除されて、瞬時にビルのシャッターが下に格納される。

紫の巨人が第3新東京市に出現した。

「…出た。」

初めて見たその圧倒的な存在感に、唖然としながらもケンスケは唯…嬉々としてカメラを回していた。

”…シュゥゥゥウン”


……初号機の周りの空気が歪むように揺らぐ。


『ATフィールド展開。』

エントリープラグにマヤの報告が聞こえる。

シンジは窺うようにビルの隙間から使徒を確認した。

”ウィィン!”

目の前のビルのシャッターが下りる。

『…碇三佐、パレットライフルを用意しました。』

シゲルの声と共にB−26ウェポンビルからライフルが”ガシャン!”と出てくるのを見たシンジは、

 そのまま右手で掴むと、初号機を走らせてソレを構えた。

”ドガガッ!”

ビルの隙間から牽制するようにライフルを撃ち、即座に場所を移動する。

シンジは都市部から使徒を引き離そうと誘うように行動を開始した。

”ドガガッ!”

その様子をカメラに収めているケンスケは、その無駄の無い動きに感心していた。

(戦い慣れてるなぁ…碇のヤツ。前の学校でサバイバルゲームでもしていたのか?)

使徒はシンジに向かってゆっくりと間合いを詰めるように動き出す。


……正面を向き合うカタチになった巨像たちは、時が止まったかのように動きを止めた。


シンジはシャムシエルを見て、呟くように口を動かした。



「{さぁ、我と対峙するアダムの子よ。永きに渡る戦いの鎖を解いてあげよう。

 我に勝てれば自由を。負ければ、白き月に還る事は叶わない。}」



この世のルールとなった…その{言 霊}を理解したのか、シャムシエルの腕のない肩の先端が光り始める。

”ッシュパン!!!”

空気を切り裂いて伸びる光の触手の後に、何かが破裂したような音が聞こえる。

その瞬間…初号機は地面を蹴って後ろに飛び上がり、その攻撃を避けた。

『まさか、ソニックブーム?…あの触手は音速を超えていると言うの!?』

リツコの悲鳴のような声が開きっぱなしの通信回線から聞こえる。

『はい、センパイ!…秒速約400m以上、マッハ1.2です!!』

”ヒュン、ヒュン、ヒュン”

初号機を追いながら、牽制するように光のムチを揺らしてシャムシエルは動き始めた。

(ふ〜ん、どうやら、あのムチは無限に伸ばせるわけじゃないんだね。)


……シンジはエントリープラグに映されている敵を観察していた。


ケンスケから見て右の山間部に向かって戦いの場が移って行く。

「あ、そっちに行ったら上手く撮れないじゃないかぁ!」

カメラのズームを最大限にして夢中になって撮影をしている少年は、目の前の戦いに見入っていた。




発令所のミサトは悔しそうに巨大3Dモニターを見ていた。

「私の指揮で使徒を殲滅させなきゃ、意味無いじゃないの…。」

マコトが振り向いて上官の顔を見た。

「何か言いましたか?葛城さん?」

ミサトは自分の考えていた事が無意識に口に出ていたと気付いて、慌てて周りを見ながら答えた。

「え、い、いえ、何でもないわ。…あら、レイ、いつから居たの?」

ミサトが左から右に視線を巡らせた時に見えた制服の少女は、蒼いポンチョを手にリツコの横に立っていた。


……ミサトの問いかけも耳に入らないのか、レイは視線を動かさずに、”ジッ”とモニターを見ている。


「ったく、相変わらずね…レイは。」

ミサトは視線をモニターに戻して状況の確認を取る。

「日向君、初号機の動きは?」

「はい、葛城さん。どうやら初号機は都市部での戦闘を回避する為に、

 北側の山間部へ使徒を誘い込んでいるようですね。」




”ガシン!ガシン!ガシン!ガシン!…ビシッ!”

紫の巨人は使徒を牽制しながら走っていたが、背のケーブルが”ピン!”と張って急停止した。

『マスター、アンビリカルケーブル最大延長です。電源ビルはココより東に1kmです。』

『了解、ドーラ。』

”バシュ!”




「EVA初号機、アンビリカルケーブルをパージしました。」

”ビッビッビッビッビッ!”

発令所右側の巨大スクリーンに《5:00:00》と大きく表示されたカウンターが、

 ”0”に向かって動き始める。

「EVA内蔵電源に切り替わりました。」

「活動限界まで後、4分53秒!」

モニターに映っている初号機は、使徒を無視するように東に向かって走り出し非常用電源スポットに来ると、

 そのまま電源ケーブルを引き出して再接続した。

「EVA外部電源に切り替わりました、再充電開始。」

そのまま初号機はパレットライフルを構えて使徒のコアに弾丸を集中させる。

”ドガガガガガガガガガガガガガァァァンン!!”

今までの牽制とは違い、その全弾をコアに当てるが…使徒はATフィールドを張らずにその攻撃をしのいだ。

”…カチン。”

「ライフル、残弾ゼロです!」

その報告を聞いたミサトは日向を押しのけるようにして指示を出す。

「シンジ君、予備のライフルを出すわ、受け取って!!」

『いえ、ライフルはもう使いません。』

「あんでよ!」

『……全くダメージを与えていないみたいですから。』

シンジに向かって更に声を上げようとするが、隣からの声で遮られた。

「ミサト…ライフルの攻撃であの使徒にダメージを与える確率は”0”ね。

 ……だって、ATフィールドすら張っていないのよ?」

…見てて判らないの?とリツコは敵性体のデータを冷静に見ながら、作戦課長を見ずに冷たく言った。




シンジがプラグのバーチャルモニターに映された発令所の様子を見ていた時、使徒の攻撃が始まった。

その2本のムチが周りのビルを豆腐のように切り裂いていく。

(……?、何をしているんだ?)

”ヒュヒュヒュヒュ!!……ドガン、ドガガガン!ドォォオン!!”

シャムシエルの周りに次々と大きなビルのガレキが出来ていく。

初号機は敵の動きを観察しながら、ゆっくりと足を動かした。

…その瞬間。

使徒は徐にガレキを触手で拾い上げると、初号機に向けて投げつけてきた。

”ブン!!”

(うぉ!…危ない!)

”ボッ!”

超音速で飛来する大きなガレキを見たシンジは、とっさに首をすくめて…思わず冷や汗をかく。

大気との摩擦で赤く燃え上がる隕石のような初弾は”ぎりぎり”外れて、初号機の頭上を飛んでいった。

(…即席の飛び道具か。こちらに対抗したんだね…頭良いねぇ!…って、感心している場合じゃないっ!!)

シンジは続けて目の前に飛んできたコンクリートの大質量に向かって、強固にATフィールドを展開した。

”ガン!ガン!ガン!ドガン!ドガン!ドカァン!ドカァン!”

休む事無く投げられたコンクリートが粉砕し、その灰色の粉塵が”もくもく”と煙のように初号機を覆う。

見えなくなった相手の状態を確認するためか、シャムシエルは攻撃の手を止めて窺うように佇んでいた。

(…今だ!)

その僅かなスキを逃さぬようにシンジは初号機を駆り、使徒に向かって突き進んだ。




「初号機、左肩のウェポンラック展開!右手にプログナイフを装備!!」

マヤが報告を上げた発令所は、先程の使徒の意外な攻撃に言葉を失って…今だ驚きに包まれたままであった。

灰色の煙から一瞬で出現した初号機の素早い攻撃に、使徒は何とかATフィールドを展開する事に成功した。

”カキィィィィンン!!!”

「コレは、前の使徒と同じ!?」

ショートカットのオペレーターはその映像を見て、思わず声を上げてしまった。


……八角形の赤い波紋がナイフと使徒を隔てている。


「…いえ、違うわ。」

一言声を出したレイは、変わらずリツコの横に立っていたが、

 今は、彼の無事を祈るように手を組んでモニターを見ていた。

マヤは”えっ?”と振り返って質問した。

「えっと…レイちゃん、何が違うの?」

「…大きさ。」

リツコも横の少女の顔を見て質問してしまった。

「大きさ?」

「…そう。…無駄がない様に、必要最小限の大きさで張っているもの。この使徒は、知能が高いわ。」

姉はそれを聞いて、視線を巨大モニターに映る戦闘映像に戻すと、

 確かにナイフの攻撃を退けているATフィールドは、まるで小さな盾のように見えた。



………第3新東京市、郊外。



「おっと、その手は食わないよ!」

ナイフを突き立てていた初号機の足元に、

 超音速で飛んでくる左側の光のムチを見たシンジは、素早く反応した。

その初号機の右足首のあった空間を貫くように光のムチが飛んでいく。


……しかし、それはワナ…シャムシエルの用意した囮だったようだ。


「え!?…う、うわぁぁぁ!!」

シャムシエルはもう一本の右側のムチを初号機の左手に絡ませると”グイッ”と手前に引っ張った。
 
”バシュン!!バチッバチチチッ!”

そして先程、右足を掴もうと伸ばした左側のムチを戻す、その返し刀でアンビリカルケーブルを叩き切った。




悲鳴のような報告が発令所のサブオペレーターから矢継ぎ早に上がってくる。

『アンビリカルケーブル断線!!』

『初号機、内蔵電源に切り替わりました!!』

メインオペレーターであるマヤ、マコト、シゲルが慌ただしくコンソールを叩く。

「初号機の活動限界まで、あと4分55秒!!」

使徒を中心にシンジの乗る紫の巨人は円を描くように振り回されて、次々に兵装ビルをなぎ倒していく。

”ドカッ…バキバキバキバキバキィ!!!”

「兵装ビル損壊ッ!!…4ブロックの施設の機能停止を確認!!」

「…くっ!EVA初号機、プログナイフを喪失しました!」

『…碇君!』

モニターを見ていたレイは、その瞳を大きくし…固まった。




『あ、綾波、安心して。大丈夫、ATフィールドを張っているから、僕と初号機にダメージはないよ。』

(……でも…ちょっと、気持ち悪いかも。)

プラグに映る映像が”ぐるぐる”と回っている。

ATフィールドのお陰で初号機にはダメージはないが、半径200mの兵装ビルは全て無くなっていた。


……波動でレイに返事をしていたシンジは、そのまま”ポイッ”とシャムシエルに投げ捨てられた。


(おぉ!…やるねぇ、シャムシエル。)

丘陵地帯に飛ばされている初号機の中のパイロットは、どこか呑気な雰囲気のままだった。



”…ヒュゥゥーーーーーーーーーーンン”



少年はビデオを回していた。


……彼にとってファインダーを通して見ている世界は、正にアニメや映画の世界のようだったのだろうか?

しかし、ケンスケが録画しているモノは紛う事無き現実なのだ!!


「おぉ〜っとぉ!!…飛ばされたァァ!」

メガネの少年は”ヘラヘラ”と笑いながら実況して、初号機を捕らえているカメラを動かしていた。

カメラのズームアウトの速度が追いつかぬ速さで、段々と黒い影のようなシルエットが大きくなってくる。

「へ……え、ちょ、ちょっと待ってよ!!く、く、来るなぁァァーー!!!!」

ケンスケは漸く事態を把握すると、ファインダー越しに思いっきり叫んだが、

 カメラの画面が黒い影に支配されると、手の力が抜けてしまったようにビデオを構えていた腕を下ろして、

 一歩も動けぬまま…愕然と近付いてくる巨人を見ていた。

初号機は、着地寸前の空中で”グルンッ”と回り、獣のように四つん這いの姿勢で小高い山中に着地した。

”ドォッッズズゥゥゥゥンン!!!”


……その衝撃はケンスケにとって大地震というよりも、まるで足元の地面が爆発した様だった。


「のぅわぁぁぁぁぁあ!!」

大質量の落下エネルギーで吹き飛ばされる大量の土や木々と共に、空中に飛ばされた少年。

折角撮っていたビデオも受けたその衝撃で、手を離れてドコかに飛んでいった。

シンジは、エントリープラグの映像に映った小さな白い人影を見た。

(え!?…もしかして…あれって、ケンスケ?)

”パシッ”

初号機はそのままの姿勢で素早く左手を動かし、空中の少年を掴んだ。

「ごぁぁぁぁあ!!」

ケンスケは自分に何が起こっているのか、まったく把握できていなかった。



………第一発令所。



初号機の僅かに開いた左手に映された少年の映像から、MAGIにより彼の情報が瞬時に用意される。

”ビーー!ビーー!…カシャン!”

警報と共に新たにホログラムディスプレーに表示された情報を確認したミサトが叫ぶ。

「え!?…まさか、シンジ君のクラスメート!?」

「ナゼこんな所に!?」

リツコも怪訝な表情で確認を取る。

「避難状況の確認をします!」

マヤがコンソールを叩いて確認を始めた。

「第334シェルターには、彼の避難記録が有りません。…どうやら、この丘陵地帯にいた模様です。」



………第334シェルター。



ヒカリとトウジは階段を上っていた。

メガネの少年を探してあちこち歩いていたが、まだ見付ける事は出来なかった。

「なぁ〜、イインチョぉ。」

地上に続く階段を上っているお下げの少女に、後ろからジャージの少年が疲れた声で話し掛ける。

「な…何よ、鈴原?」

ヒカリは二人きりのこの状態に、我知らずに少し頬が熱くなるのを感じていた。

「もう、ココにはいないんとちゃうか?」

足を止めたトウジに振り向いたヒカリは、少し怒ったように腰に手を当てて口を開いた。

「何言っているのよ!相田は学校にいたんだから、このシェルターに、いる…きゃ!!…」

”ドォウウゥゥゥン!!!”

初号機と使徒の戦闘で起きる激しい地震の様な振動で、”ぐらっ”とヒカリが階段から崩れるように落ちた。

「危ない、イインチョ!!」

咄嗟にトウジは彼女の身体を受け止める。

”ズゥゥゥウウウン!!…ドゥォォオオン!!…ズドォォォオオオン!!…ゴゥォォオオン!!”

尚も止む事の無い激しい振動に、二人は無意識に目を閉じ…強く抱き合っていた。

震源地が移動しているかのように、段々と音と振動が遠くなっていく。

「ふぅ…だ、大丈夫か、イインチョ?」

トウジは自分の胸で”ガタガタ”と震えているヒカリに声をかけた。

「あ、あり、がとう。…こ、怖かったァ〜。」

瞳を潤ませている少女を見て、トウジの頭は漸く自分の状況を冷静に理解することが出来た。

”…ドキン!”

(な、な…ワシは…)

少年は身体を預けるように自分の背に腕を回している少女の柔らかさを自覚し、顔を真っ赤にした。


……お子様だったトウジが、初めて異性を意識した瞬間であった。


(イインチョ…って、こんな小さかったんか?…柔らかいな…ってワシは何考えとんのや!!)

いつも自分に向かって怒鳴ってくる少女と、今自分の腕の中にいる娘が同じとはとても思えなかった。

「…ありがとう、鈴原。」

この非常事態の空気のせいか、ヒカリは身体を離そうとはしなかった。

「お、おう。漢やからの……オナゴを護るんは当然のことや…。」

「…ううん、ありがと。」

”キュ!”

安心したように瞳を閉じたヒカリは、無意識にトウジの背に回した腕に力を込めた。

トウジは自分の心臓が”バクバク”と早鐘のようになっているのがバレると感じて、少し身体を離した。

「い、イインチョ、下に戻ろうや。

 まさか、いくらあのケンスケでも、生のドンパチ見たいっちゅうて外におるワケないやろし、

 ま、ココにおらんでも、どっかのシェルターに避難しとるやろ。」

「そ、そうね。」

自分が好意を寄せている男の子に抱き付いていた事を自覚したヒカリは、今更ながら顔を赤くしたが、

 それよりも自分を心配させぬように、ワザと明るい口調で話してくれるトウジの優しさが嬉しかった。

「それに、この戦いをしているんはNERV……いや、センセや。

 センセやったら間違い無く怪獣をやっつけてくれるやろ。」

「ねぇ、どうして鈴原は、そんなに碇君の事を信頼しているの?」

「あ?…あぁ、それはこの前、妹を助けてくれたんや。そのさり気なさっちゅうのが…漢らしくてのぉ。」

「へぇ〜、そんな事が会ったんだ。」

階段で向き合うように座っている二人。……いつもより大分距離が近かったが、お互いに違和感は無かった。



………丘陵地帯。



初々しくもジャージとお下げの二人が抱き合っていた時、シンジは悩んでいた。

(…彼の判断は、彼のもの。だから、その結果どうなっても、これは彼自身が背負うべき責任。

 ……判っているんだけどね。……う〜〜ん……やっぱり、見捨てられないよねぇ。)

”ちらり”とシンジが見た初号機の左手の上には、身体を丸くして震えているメガネの少年がいた。

発令所のミサトは持ち前の偽善を発揮し始める。

『シンジ君、その子を保護しなさい!』

「へ?…どうやって?」

モニター越しに聞いてきたシンジと目が合ったミサトは、視線を横にずらした。

(え、え〜と、どうすれば…あ、そうよ、確かエントリープラグって頑丈なのよね。)

『その子を操縦席に収容した後、一時撤退…出直すわよ!!いいわね!?』

『許可のない一般人をエントリープラグに乗せられると思っているの!』

『私が許可します!』

『越権行為よ!!葛城一尉!』

リツコとミサトの険悪なやりとりを聞いていたシンジは、逡巡していた。

(う〜ん…やっぱり、ソレしかないのかなぁ。)


……シンジが悩んでいる時間を使徒は待ってくれない。


シャムシエルは飛行形態のように横に身体を伸ばして浮かび上がり、ゆっくりと近付いてきた。

光る触手は変わらず威嚇するように波打っている。

”ピュン!”

「おっと!」

シンジは初号機を前転させて伸びてきたムチを避けた。

『初号機、活動限界まで、あと3分28秒!!』

”ズゥゥウン!”

転がって、斜面を滑るように移動したEVAを追うようにシャムシエルが向きを変える。

背後から近付いてくる使徒を迎え撃つ為に、初号機が体制を整えようと振り向いた。

シャムシエルは2本のムチを同時にクロスさせるように、初号機に向けて打った。

『初号機、活動限界まで、あと3分7秒!!』

「くそっ!!」

シンジは光の触手が交わった瞬間、初号機の右手で2本のムチを掴んだ。

”バチバチバチバチバチィ!!”

ムチを掴んだ手は、まるで超高圧の電気が流れているかのように青白く光る。

(…く、母さんの魂にダメージがいかない様にしなきゃ!!)

前史のゲンドウも分かっていなかったが、

 ユイの覚醒は子供を護る、というのも勿論あったが直接的なダメージによるモノの方が大きかった。


……前史、初号機が暴走する度に、ユイの魂は削られて最終的には獣のような本能しか残らなかったのだ。


シンジは素早くEVAの左手を肩に乗せるようにしてから、

 初号機を現行命令でホールドしてエントリープラグを半分ほど出した。




「EVA初号機、現行命令でホールド…シンクロ中断、プラグ出ます!!」

発令所でマヤの報告を聞いたリツコは思わず叫んだ。

「シンジ君!!」

ミサトは自分の命令どおりに事が進むのを見て、嬉しそうに”ニヤッ”と笑った。

(いいわよぉ!そのまま私の命令どおりに動きなさい!!)




”…ゴウゥン!!”

『相田ケンスケ、こっちだ!!…早く乗れ!!』

(死ぬ!!死ぬ死ぬ死ぬぅぅう!!!いやだイヤだイヤだ……イヤだぁぁああ!!………え!?)

突然聞こえた声に反応したケンスケが”ガクガク”と震えながら見ると、巨人の背から白い筒が出てきた。


……今、少年は初めて”戦場”というモノを肌で感じているが、それは彼の想像とは全く違うモノだった。


なぜなら、ココには自分が感じた事のない”死”の匂いが充満していたのだから。

彼の本能は、一刻も早くここから離れろ!と命令していたが、素人の自分はどうして良いのか分からない。

その時、筒の入口が開くのを確認すると、”助かる!!”と直感したメガネの少年は無我夢中で飛び込んだ。

”ドボン!”

「ゴボガボボボ……み、水ぅ!?、水だぁぁ〜!!…お、溺れる!!溺れるぅぅ!!!」


……ケンスケはシンジの座るインテリアに掴みかかろうと必死に暴れだした。


戦闘の衝撃で受けた絶対的な死への恐怖と、その後の水攻めにケンスケは完全なパニック状態に陥っていた。

シンジは”やれやれ”とケンスケの額に左手の人差し指を当てる。

”ピィーーーン”

シンジの指を中心に波紋が広がると、LCLが僅かに震えた。

「…落ち着いた?」

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、……い、碇…っ!碇なのか。」

目に正気を戻したケンスケは、漸く自分の周りを見渡す事が出来た。




発令所のモニターに映される映像を見ていたレイは、”ギュッ!”とシンジのポンチョを抱き締めていた。

『エントリー、リスタート。』

『LCL再度電荷。』

”ビーッ!ビーッ!”

「神経系統に異常発生!」

マヤが警報を出すモニターを確認していく。

『脊椎伝導系に問題が見受けられます。』

リツコはハーモニクスグラフと神経接続ネットワークを見ながら絶望的な表情になった。

「異物をプラグに挿入したからだわ。……神経パルスにノイズが混じっている。」

「シンクロ率低下!!現在57%!、ハーモニクス48%!!」

マヤが悲鳴に似た声を上げた。




(…ぐっ!!右手が!!)

シンクロをリスタートさせたエントリープラグに外の映像が映るが、それはブレる様に歪んでいた。

ムチを掴んでいる初号機の右手に受けているダメージが、ダイレクトにシンジを襲い始める。

ケンスケは転校生の座るシートの背もたれを掴んでいた。

(…こ、これが…あのエヴァンゲリオンの操縦席かぁ。)

助かったと安堵したメガネの少年は落ち着くと、やはり興味を引かれるのか、

 キョロキョロと興奮気味に周りを見回し始めた。

ケンスケが操縦システムを見ようとした時、ふと前方のシンジへ目をやると、右手付近から気泡が出ていた。

”…コポコポコポコポ…”

「い、碇、お前の右手…ヘンだぞ!」

『ま、マスター、フィードバックを切りましょう!』

(…戦闘の辛さを知れば、ケンスケも少しは変わるかな?)

『…いや、いいよ。母さんにダメージがいってしまうからね……ドーラ、このままでいいんだ。』

『……マスター。』

そして、シンジはケンスケに苦しげに答えた。

「ぐうぅ〜…あ、熱いんだ、右手が。」




「え?…初号機パイロットの右手の温度が上がっています!!」

マヤがプラグスーツから送信されている生体データの異常に気が付いて、リツコに報告を上げた。

「まさか、EVAのダメージがパイロットに伝わっていると言うの?…有り得ないわ!!

 マヤ、直ぐにフィードバックの係数を一桁落としなさい!!」

「はい!!……え!?ダメです!…初号機のフィードバック値がロックされています!!」

「…そんな!」

「碇君!!」

レイはマヤの横にあるディスプレーにサーモグラフィーで表示されたシンジの右手が、

 赤色から段々高温を示す白に変わるのを食い入る様に見ていた。




……プラグのモニターに映る巨人の右手がスパークしている。


「ま、まさか、このロボットのダメージってパイロットにも影響があるって言うのか!?」

ケンスケは驚き、苦しげなシンジの顔を見た。

「ぐぐぐ、そうみたいだね。」

痛みに耐えるような声で答えたシンジの右手から、泡がどんどん出てくる。

”ジューーーー”

LCLで匂いは分からないが、音は聞こえてくる。


……まるで、生肉を鉄板で焼いているような音が。




「よし!…シンジ君、距離をとって後退して!!」

ミサトの出す指示に冬月は目眩を覚えた。

(使徒を殲滅させず、後退してどうする。ふぅ……シンジ君はどうするのだ?)

司令席にあるモニターには苦しそうな表情のパイロットが映っている。

(作戦立案能力無し…彼女の処遇を改めるべきではないのかね……碇。)

主の居ないイスに視線をやりながら、副司令は軽くため息をついた。




シンジは自由の利く初号機の左手に、右肩にあるもう一本のプログナイフを装備させると、

 ムチを掴んでいる右手を地面の方へ思い切り引っ張った。

”グイッ!!……ドゥゥゥウン!!”

シャムシエルは勢い良く地面に仰向けに投げつけられた。

初号機は素早く回り込み…使徒に跨るように組み伏せると、左手のナイフをコアに突き立てる。

”チュィィィィイン!!”

『初号機、活動限界まであと1分3秒!!』

”バチッ!バチバチバチバチ”

「う…うおぉぉぉぉおお!!」


……自由を求めるように暴れる2本のムチを抑える初号機の右手が、煙を上げて茶色く変色していく。


ケンスケはシンジの叫び声を聞きながら、殺るか殺られるかという”緊迫した恐怖”を味わって固まった。



………その時、予想外の出来事が起きた。



『EVA初号機、顎部ジョイント破損!!』

「え!?」

青葉の声を聞いたシンジは、戦闘中に間の抜けた声を出してしまった。

「ヴォォォォーーー!!!!」

巨人の咆哮がエントリープラグに”ビリビリ”と轟く。

『そんな!…センパイ!オートエジェクションが作動します!!』

「は!?」


……シャムシエルのコアに突き立てられたナイフから盛大に火花が飛び散っている。


その映像が”ブシューン…”と落ちると、強烈な”G”がシンジとケンスケを襲った。

”ゴゥン!バシューーーーー!!”

メガネの少年はプラグの先端に向かって転がっていった。

「…どぅわぁあぁあ!!……”ゴン!!”ぐぇっ!」

シンジは慌てて状況の確認をした。




発令所は勝利寸前での、この状況変化に蜂の巣を突付いたような騒ぎになっていた。

「何よ!!どうなっているの!?」

何の前触れもなしに射出されてしまったエントリープラグを見た、ミサトの叫ぶ声にマコトが答える。

「判りません!…いや、初号機、制御不能!!」

「パイロットは?」

リツコが確認を取る。

「はい、バイタルチェックモニターに問題はありません、無事です!」

マヤはコンソールを叩いて確認している。

『グルゥゥウ…ヴァアア…ヴオォッ!…ヴォオオォオオォオオ!!!』

”ブチィン!”

再び荒い咆哮を上げた初号機は、ムチを持っていた右手を強引に引っ張り、その2本の触手を千切った。

「まさか、暴走!?」

目を見開いたリツコは、唯…呆気に取られてしまった。

煌く光の粒子のように消えたムチの事など、何の関係もない事のように初号機は自身の右手を見ると、

 力を込めるようにその負傷した手を握り込んだ。

”…シュゥゥン!”

有り得ない状態を確認した青葉シゲルが叫んだ。

「ッ!…しょ、初号機の右手が復元していきます!!」


……シャムシエルを見た初号機の瞳が”ギラリ!”と光り輝いた。




空中を飛んでいる筒の中のシンジは状況の確認をして原因が判ると、肩の力を抜いた。

(ふぅ…そうか、完全に覚醒している母さんには、僕のダメージが判るのか。それで暴走しちゃったんだ。)

シンジは、プラグスーツの焦げて溶けたように変色した自分の右手を見た。

ケンスケはプラグの先端に当たった時に気絶している。

シンジはコントロールレバーを握り直すと、EVAのコアに直接ダイブするように”すっ”と瞳を閉じた。




発令所の巨大3Dモニターに映っている巨人同士の戦い。


……赤紫色の使徒は、圧倒的な存在感を放っている目の前の敵に恐怖を感じているのか、震えていた。


左手のナイフをコアに突き立てたまま、右手を振りかぶった初号機は思いっきり平手打ちをかました。

”バッチィィーーーン!!”

シャムシエルの左頬のような部分が見るも無残に腫れ上がる。

”バッチィィーーーン!!”

初号機による攻撃は、単純な往復ビンタであった。

『初号機、活動限界まであと46秒!!』

”バッチィィーーーン!!”

初号機の圧倒的な力で、あれだけ防御力の高さを誇っていたシャムシエルの姿が、見る間に変形していく。

ミサトは初号機の圧倒的な攻撃を見ても、その様子に思わずお気楽な感想を漏らしてしまった。

「……ん〜なんつーかぁ、EVAの暴走って言うより…う〜ん、

 戦い方を知らない素人の女がキレて暴れているって言う感じ、ねぇ……。

 ねぇねぇ、リツコぅ…初号機って、もしかして女性なのかしら?」

マヤの傍らに立ってモニターを見ていたリツコは、自分を見ているミサトの何気ない言葉に驚いていた。

(!!…そうね、ユイさん…か。全く、ミサトって余計な事にだけは勘が鋭いって言うか。……ふぅ。)

EVAのコントロール方法の真実を知らないミサトが、

 ある意味核心を突く言葉を発したのには、冬月ですら驚いていた。

(…リツコ君、上手く誤魔化してくれよ。)

上段から副司令の視線を感じたリツコは、チラッと冬月を見てからミサトに答えた。

「面白い事を言うわね、ミサト。…でも残念ながらEVAに性別はないわよ。

 今の状態も原因は不明。…この後、MAGIを使って詳しく調べても原因が判るかどうか。」

「……そうよねぇ。」

初号機が使徒を蹂躙する様子を映しているモニターに視線を戻して、ミサトが返事をした。




コアの時間を調整したシンジの意識が、飛ぶような速さで青い海を進んでいった。

その先にいたのは興奮している母親。

少年が”そっ”とその様子を窺い見ると、彼女は叫びながら何かを掴んで右手を振っていた。

『よッくも、うちの可愛いシンちゃんに怪我させたわね!!…この!!この!!この!!』


……ユイが跨って、左手で掴んでいたのはシャムシエルを模した様な赤紫色の人形であった。


母親は、それの頭部を右手で何度もビンタしていた。

(…か、母さんって怒ると、あぁなるんだ。)

初めて見たユイの剣幕の凄さにシンジは少し冷や汗をかいた。

『謝りなさい!!…この!…この!』

(え、え〜と…ほっ。…大丈夫だ。あの様子じゃ、魂は削られていないみたい…っていうより、

 …これは、早い時期にサルベージしたほうがいいねぇ。……また”母さん”が暴走したら危険だ。)

シンジは自分の左手に小さな玉が現れたのを感じて、コアから意識を戻した。




発令所のスタッフが異変に気が付くと、叫び声のような大きい声で報告を上げた。

『ッ!…エントリープラグ、メインパラシュートが開きません!!』

その声にリツコが”ハッ”と我に返ったように反応した。

「…救護班を現場に!!パイロットの回収を最優先!速く!!急いで!!!」


……堪らず、レイは走り出した。


”パサッ…タタタタタ!!”

「レイちゃん!?」

ポンチョが落ちて遠ざかる足音を聞いた姉が見た少女は、振り返らず走って発令所を出て行ってしまった。

弟専用のポンチョを拾ったリツコは素早く電話を掛けた。

「こちら発令所の赤木です。」

『こちら救護班です。…すみません!出発準備に手間取っています…後、5分で終わらせます!』

「…そちらに、綾波一尉が向かいました。彼女を現場に同行させて頂戴。」

『それでは、時間が掛かり過ぎます!…パイロットの救出は一刻を争うと思われます。反対です!』

「よくて?これは、命令。……いいわね?」

『そ、そうですか、……分かりました。…では一尉が到着次第、救助に向かいます。』

「ふぅ…お願いね。」

救護班の主任は、赤木部長に”お願いね”と言われて首を捻った。

(……矛盾しているんじゃないか?)

「”ピ!”…マヤ、予備パラシュートの強制作動信号をプラグに送って!!」

電話を切ったリツコは、即座に指示を出す。

『初号機、活動限界まであと10秒!』

「ダメです!予備パラシュートの信号がプラグに届きません!」

「ダメか!!…あぁ、シンジ君!」

絶望的な声をリツコが上げた。

”バチィ〜ン!バチィ〜ン!”

EVAは変わらず右手でビンタをしていたが、その時使徒のコアに変化が訪れた。

”パキン!”

ガラスが割れたような音が聞こえると、火花を散らしていたコアが割れてその輝きを失った。

「バターン青、消滅!!…使徒の殲滅を確認!!」

マコトが報告を上げた瞬間、初号機の動きも止まった。

「3、2、1、0!…EVA、活動限界です。…活動停止を確認!」

「よっしゃぁぁあ!!」

発令所のスタッフが全力で初号機パイロット救出の為に尽力していたその時、

 一人だけ喜声を発してガッツポーズを決めたのは、周りの見えないミサトであった。





被害者−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





………第3新東京市。



破壊し尽くされた兵装ビル郡。

初号機を振り回した使徒の攻撃により出来上がった半径200mのガレキのサークル。

ちょうど、その中心に向かってエントリープラグが”着弾”しようとしていた。


……コアから意識を戻した瞬間、シンジの耳はドーラの切羽詰った叫び声を聞いた。


『マスター!!地面に当たります!マスター!!地面に当たります!』

その言葉を聞いたシンジは咄嗟にケンスケを保護する為に、

 左手を突き出して”ギリギリ”ではあったが、何とか彼にATフィールドを纏わせる事が出来た。

(クッ!)

”ヒューーーーン……ガァン!!ゴン!ゴゥォォオン!!…ゴォォオォン!!…ゴゥッ!!”

一切減速する事なく、ミサイルのように地面にぶち当たったエントリープラグは、

 激しく何度かバウンドして転がり、大きなガレキに当たると漸く停止した。

「くっ…ぐぅぅ、クッ!!!…いってて。」

その激しい衝撃に、シンジは痛みを払うように”ぶるっ”と頭を振った。

『…碇君!!』

『………あ、綾波、大丈夫。………ぼくは大丈夫だよ。』

『いいえ…苦しそうなのが、判るわ。』

『ははは……ちょっと、怪我をしただけだよ。MAGIのレコーダーに記録されちゃったから、

 ここで身体を直しちゃうと後々マズイね……病院に搬送されてから直すよ。』

『待ってて、すぐに行くわ。』

『…ありがとう。』

シンジが波動で会話をしている時、プラグの先端からうめき声が聞こえた。

「う、う〜ん。」


……着地の衝撃で失神していたケンスケの意識も戻ったようだ。


「大丈夫かい?相田君。」

プラグの照明は最小限度に落としている。これは、電力の大半を生命維持ユニットに回しているからだ。

「つぅ〜。………い、碇、俺達って、どうなっちゃったんだ?」

「ああ、敵は無事にやっつけたよ。」

「そ、そうか。」

ホッと安堵の表情になったケンスケは、”あれ?”と顔を上げた。

「何でこんなに暗いんだよ?…どうして、何も映っていないんだよ?」

「ロボットの安全装置の一つ、緊急脱出装置が働いちゃったんだ。」

「…そ、そうなのか。」

暗闇に慣れたケンスケの瞳に映ったシンジは、逆さ吊りの状態だった。

「お、おい…だ、大丈夫かよ!?」

「へ?…あ、あぁロックが外れないんだ。」

「そんなの外してやるよ!」

少年はシンジの座るインテリアまでLCLの中、身体を動かした。

「…え?」

メガネの少年の記憶では、この操縦席はキレイな円形だったハズだ。

しかし、シンジの座る左側は不自然に狭かった。

「な、なんだよ、これ……」

ケンスケが理解した事、それはパイロットシートの左側が異常に狭い事だった。


……シンジの身体に、変形したインテリアがめり込むように食い込んでいる。


「…どうやら、着地した場所が悪かったんだね。」

”なんでもないよ…”という表情で静かに答えたシンジは、左側の肋骨が3本折れていた。

「い、痛くないのかよ?」

薄闇の中、ケンスケが恐る恐る聞いた。

「え?…モチロン痛いよ。とってもね。息もしづらいし……でも、キミには怪我が無くて良かったよ。」

「な、なんでそんなに平気な顔が出来るんだよ!」

「…僕は、痛みには慣れているんだ。」


……瞳を閉じて答えたシンジは、前史を通して心も身体も痛みに慣れてしまっていた。


(…碇君!)

その波動を感じたレイは、ヘリポートに向かって走る速度を限界まで上げていった。


(コイツって、本当に中学生か?)

薄暗いプラグの中、ケンスケは目の前の少年が自分と”同じ”とは全く思えなくなっていた。

暫くの沈黙がプラグを支配していく。



………NERV本部。



5分前に発令所からの救助命令を受けて、準備を整えた救護班は緊急出動のためにヘリに向かった。

「これより、初号機パイロットの救出に向かう!!」

救護班の主任が、力強く頷いて応えた4名の部下を確認するように見た。

その時、ヘリポートのドアが勢い良く開いた。

”バン!”

「…連れて行って。」

救護用のヘリに乗り込みを始めていた大人たちは、突然の乱入者に驚いた。

「ハッ…綾波一尉、連絡を受けております。…お待ちしておりました。こちらから、お乗り下さい。」

その相手が誰だか分かると、主任は不思議に思いつつも自分の横の席を空けた。

(……発令所から、5分で来たのか?…20分は掛かるのに……どうやって?)

”キューゥゥン…シュン、シュンシュン……シュ、ババババババ!!”

飛び立ったヘリは、用意されたゲートに向かう。


……ジオフロントのヘリ専用ルートにある特殊装甲板が次々に開いていく。


レイは一定の速度で上昇するヘリの中で、もどかしげな表情になっていた。

(…碇君。)

ジオフロントから東側の山中に躍り出たヘリコプターは、

 途中に見えた使途を組み伏せて止まっているEVAを無視して、目的地点に向かって真っ直ぐに飛んだ。

巨大なサークルには大小様々なガレキが散乱しており、ヘリの着陸地点は中々定まらなかった。

見ると白いエントリープラグは、大きなガレキに当たって真ん中ほどから曲がっているのが見て取れた。

「まずい!あれでは、パイロットが負傷している可能性が高い!」

「超低空でホバリングして、そのまま機材を下ろしましょう!!」

部下の提案は危険度が高かったが、時間が無いと感じた主任は頷きを返した。

”シュババババ”

エントリープラグまで250m程離れた地点に、やっと地上1mの高度でホバリングしたヘリコプターから、

 蒼い髪の少女が飛び降りた。

救護班の5名もそれぞれの機器と担架を用意して少女に続いて走り出した。

”タタタタタ!!”

足の踏み場もないほどのガレキが散乱している道なき道を、レイは疾風の如く走っていた。

”タン!…タン!…タン!”

少女は、リズミカルなジャンプを繰り返して大きなコンクリートの塊を超えて行く。

(…速過ぎる!!)

溶断用の溶接機、油圧カッターや担架、救急機材を抱えて走る救護班は”あっ”と言う間にレイを見失った。



………プラグ。



「……碇、悪かったな。」

暫く静かだった筒の中に、”ポツリ”と謝罪したケンスケの声が響いた。

「…ホント、そうだね。」

「っ!」

メガネの少年は、下に向いていた顔をシンジの方へ向けた。

「約束してね、今度からちゃんと避難するって。」


……そう言った少年の瞳は優しさを湛えたままだった。


「…あぁ、判った。」

「想像していたのと、同じだったかい?」

「え、何がだよ?」

「キミの想像していた、ヒーロー…とさ。」

「……いや、違ったよ。本当の、現実は甘くないって事は…さっきイヤって言うほど判ったさ。」

「そっか。」

「…本当にすまなかった。碇、許してくれとは言えないけど、本当にすまなかった。」

シンジは静かに返事をした。

「分かってくれればいいんだ。……幸い誰も死ななかったしね。」

”ビクンッ!!”

先程、本物の”死”というものを本能で実感したケンスケは、死という言葉を聞いただけで、

 まるで”ぎゅっ”と心臓を掴まれたような冷たい感覚を覚えて、大きく肩を震わせた。

「……おまえって、優しいんだな。」

ケンスケは初めて素直な気持ちでシンジの顔を見た。

「…ははは。そうかな?」

逆さの少年は可笑しそうに笑っていた。

(絶対、コイツには敵わない……オレとは違いすぎる。多分、こういうヤツが…本当の、ヒーローなんだ。)

「ああ、お前は優しい。オレだったら多分見捨てていたよ。…戦場にノコノコ出てきた間抜けなガキ何て。

 ………碇、殴ってすまなかった。突き飛ばしてすまなかった。本当にごめん。」


……ケンスケは初めて本心から本気で謝った。


「じゃ、仲直りしよう。………はい。」

そう言うと、シンジは左手を差し出した。

その手を見たケンスケは、

 急速に視界がぼやけて上手く見えなかったが、ゆっくりと両手で白銀の少年の左手を包んだ。

「うっ…うっ…あ、ありが、とう…いかりぃ……ぅぅぅ。」

ケンスケはシンジの手に縋るように泣いた。

『…碇君。』

『綾波?』

レイの見たシンジのプラグは、真ん中から”く”の字に曲がっており…エントリーハッチは地面の下、

 緊急用ハッチは歪んで開かず、後部ハッチは変形して使い物にならない状態だった。

『…開けられないの。』

『…僕も動けないんだ。救護班は?』

『もう直ぐ到着するわ。』

”ザッザッザッザッザッ”


……オレンジ色の防護服を来た5人の大人が走り寄ってくる。


「綾波一尉…スミマセンが、ちょっと宜しいですか。」

レイの立っていた場所に来た救護主任の男はそう言うと、聴診器のようなモノをプラグにつけた。

「碇三佐、聞こえますか?こちら救護班です!!意識が有りましたら返事をして下さい!」

聴診器のコードの先に繋がれたスピーカーからパイロットの声が聞こえた。

『…聞こえます。自分の意識は有ります。保護した民間人は無事です。』

「分かりました。…ハッチが使い物になりませんので、プラグを溶断します。

 ……三佐、プラグのLCLは排出できますか?」

『やってみます。』

”カチャン”

エントリープラグ後方の4ケ所から排出口が開くと、オレンジ色の液体が非常用ポンプで排出される。

”ゴポン!…ゴポン!”

先程、救護班が取り付けたスピーカーから、別の少年の苦しそうに咳き込む声が聞こえてくる。

『ゲホッゲホッ、げほぉ!!』

『…慣れていないと辛いよね、肺の液体を抜くって言うのは……』

「三佐、プラグ前方を輪切りにします、民間人の方は後方へ移動して下さい。」

『…了解、どうそ。』

”バチューーーー!!”

エントリープラグを溶断する溶接機に火が入る。

レイはその様子を”ジッ”と見ていた。

”ゴォゥゥゥーーーー”

救護班の一人が蒼白い炎を操り、白いエントリープラグに一本の黒い線を描くように特殊合金を切っていく。

”ジュゥゥゥゥウ……カラン!…ゴゥン!”

先端が切り落とされると、救護班がライトをプラグの中に向けた。

「…大丈夫ですか!?」

「…相田君、先に出て。」

中から子供が一人出てくる。


……それは、今回の戦闘で人類に迷惑を掛けた、メガネの少年。


NERVの見解では、彼のせいで作戦行動に多大な支障が発生し、初号機に損害が発生した。

「大丈夫ですか?」

救護班に聞かれた茶色の髪の少年は、すまなそうに静かに頷いた。

レイはそんな男の子に一瞥もくれず、エントリープラグに入っていった。

「碇君!」

「綾波、ゴメンね?…心配掛けちゃったね。」

”フルフル”

「今外すわ。」

”カチッ…カチカチ!”

レイはスイッチを押したが、機械の反応は無かった。


……すぐに少女は、彼の腰を固定しているインテリアを無理矢理引っ張ろうと力を込めた。


「変形しちゃったみたいだね。……だから外れないんだ、ロックが。」

「いかり…くん。」

何も出来なかった少女は、せめて彼の苦痛を和らげようと、

 LCLに濡れている逆さの少年の顔を包むように抱き締めた。

主任はスピーカーから”インテリアのロックが外れない”と聞いて油圧カッターを用意した。

「…綾波一尉、スミマセンが三佐の救助を開始します。」

救助班がインテリアの一部をカッターで切断すると、漸くシンジは自由になった。

レイに肩を貸してもらい、ゆっくりとプラグから出てきた少年の右手は”グズグズ”に焼けていた。

用意された担架に乗せられたシンジを見たレイは漸く一息ついて、周りを見渡した。

そして、佇んでいる少年に走った。

近付いてきた蒼い髪の少女を見たケンスケは深々と頭を下げた。

「あ、綾波、すまなかった。」

”バチーン!”

頭を下げて謝ったケンスケのメガネが吹き飛ぶ。

レイは深紅の瞳を震わせながら睨みつけていた。

「…あなたのせいで、碇君はケガをしたわ。」

ケンスケの左頬に真っ赤な手形が浮かんでいる。

「クゥ…いてて……判ってるよ。…碇にはさっき、ちゃんと謝ったんだ。だから、………。」

ケンスケは腫れ上がった頬に手を当てて、尚も言い訳を続けようとしたが、

 ”つー”と彼女の左目から雫がこぼれたのを見て、それ以上何も言えず俯いてしまった。

「綾波一尉、碇三佐を搬送します!!」

「…はい、今行きます。」

涙を拭かずにレイは”クルッ”と踵を返し、担架を運び入れているヘリに走った。


……その姿を呆然と見やって、ケンスケは自分の秘めた想いが今、終焉を迎えたという事を実感した。


「…相田、ケンスケだな?」

メガネの少年が振り向くと、いつの間にか黒いサングラスを掛けた男たちが囲むように5人立っていた。

その四隅に立っている男達のリーダーだろうか、中心にいた男が冷たい言葉を放つ。

「私達はNERV保安部の者だ。…すまないが、キミの身柄を拘束させてもらう。」

ケンスケは自分のしでかした事の重大さに今更ながら気が付いた。

(”ゴクッ”…あ、遊びじゃないんだ。)



………ジオフロント、病院。



使徒を無事に殲滅したパイロットは、ジオフロントに用意されている病院に直ちに収容された。

緊急用の通路をストレッチャーが走っている。

「…綾波、発令所にいる冬月副司令を呼んで欲しいんだ。」

「判ったわ。」

少年をICUまで運ぶストレッチャーを押していたナースは、

 一緒に走っている少女が携帯電話でダイヤルするのを見て言った。

「…スミマセンが、病院内で携帯電話の使用は禁止なんです。」

レイは携帯を持ったまま、ナースを見た。

「あ、そうなんですか。…ゴメン、綾波。じゃ、いいや。」

申し訳無さそうに謝った少年を見た少女は、かぶりを振って、

 手にしていた携帯電話をポケットに入れると、再びシンジの左手を握った。

「…お待ち下さい。」

そう言ったナースは、ポケットから病院専用の無線電話機を取り出して操作をすると、どこかと話を始めた。

「はい…繋がりました、碇さん。このまま、どうぞ。」

看護婦はそう言うと、手にしていた電話機をシンジの耳に当てた。

『こちら発令所です。』

「あ、シンジです。副司令はいらっしゃいますか?」

『お待ち下さい。』

落ち着いた女性オペレーターが、電話を転送してくれた。

『大丈夫かね?…シンジ君。』

「はい、僕は大丈夫です。…冬月先生、お願いがあります。」

『何かね?』

「保護した相田ケンスケ君の尋問は、保安部ではなく広報部にさせて下さい。」

『スマンが、それはできんよ。こういう事の対処は決められておるんだ。…また、規則では…』

シンジは冬月の言葉を遮った。

「…お願いします。民間人の避難完了を確認したのは、NERVですよね?」

『…ふむ。』

「彼は十分に反省しています。…それに未成年を一方的に罰したら、

 こちらのイメージが悪くなると思うのですが。」

『む〜ぅ。…手緩いが市民感情を勘案し、厳重注意とする。…これで、いいかね?』

「はい、ありがとう御座います。」

『シンジ君、キミは母親に似て優しいのだな。…少年の件は心配しないで、確りとケガを治したまえ。』

「はい、先生。」

『うむ。…ではな。』

「看護婦さん、ありがとう御座いました。…電話、もう良いです。」


……彼の耳に電話を当てていたナースは、穏やかな少年の笑みを見て頬を染めた。


ICUに搬送されたシンジは検査を受けていた。

代謝機能を増幅させるカプセルに横にされて、蓋が閉まるとLCLで満たされる。

パイロットの生体データの記録が始まり、レントゲン写真やデータが収集されると医師に渡される。

「…ご苦労様。」

レントゲン写真を渡されたパイロットの主治医はシンジの肋骨部分の亀裂を見て、ゆっくりと息を吐いた。

(ふぅ、こんなに無茶して…全く。)

『……パイロットをカプセルから出して、胸部にバストバントの処置。

 右手については融着したプラグスーツと外皮を慎重に切り取って頂戴。』

ICUに待機していたベテラン医師はスピーカーからの指示を聞くと、切開の準備を始めながら返事をした。

「判りました、赤木博士。」

『今から、そちらに行くわ。』

”カッ!”


……診察台の照明がシンジを煌々と照らす。


医師はシンジの焼け爛れた右手の表皮だった部分をメスで薄く切り取り、LCLで充填したバックで包んだ。

そして、骨折した肋骨を保護する為、胸部に負担を掛けぬようにバストバントを巻いた。

”プシュ”

手術室に入って来た女性は、いつもの白衣ではなかった。


薄緑色の手術着に身を包んだ姉は、手術台の少年を見て口を開いた。

「ご機嫌いかがかしら、碇三佐?」

「心配掛けて…ゴメンなさい、姉さん。」

シンジは申し訳無さそうに左に首を捻って、心配を掛けた姉を見た。

「判っていればいいわ。…レイちゃんにもちゃんと謝るのよ?…彼女、とっても心配していたんだから。」

リツコはゆっくりと少年の白銀の髪を撫でた。

「…はい、判ってます。」


……その時、レイはシンジが入って行ったドアに一番近い廊下のベンチに座り、一切動かなかった。


「赤木博士、パイロットの処置は無事に終わりました。」

外科医の報告を聞いたリツコは、指示を出した。

「では、サードチルドレンを505号病室へ…彼のカルテを頂戴。」

「はい、こちらです。」

「ありがとう。」


……4人のナースが患者に負担を掛けぬように、”そぉっ”と手術台からストレッチャーに移した。


点滴と共に移動を始めたベットに付いて行くようにリツコは足を進める。


”プシューーゥ!”


廊下のベンチに座っていたレイは、顔を上げてリツコを見た。

「お待たせ、レイちゃん。…さ、行きましょう。」

レイは”フラッ”と立ち上がって、手を差し伸べてくれたリツコの右手を取った。

「大丈夫?」

「…はい。」

そのままレイはベットの横に立って、少年を慈しむような瞳で見入った。

『…碇君、大丈夫?』

『…綾波。』

シンジは少女を見て、彼女を癒すように掛け値なしの優しさで創った波動で包み込んだ。

『うん。大丈夫、ありがとう。…心配掛けてばっかりで、ごめんね?』

”フルフル”

『…碇君が無事なら、それでいい。』

エレベーターに乗り5階に運ばれていく少年は、

 隣に立っている少女のキレイな瞳を見て、嬉しそうな笑顔を向けた。

『ありがとう、綾波。』

…その笑顔にレイは撃沈された。

『……いい。』



………闇の部屋。



”ガチャ!……ドン!”

「…うわぁ!」

”バタン!”

後ろ手に縛られたまま、背中を強引に押されたメガネの少年は、床に転がった。

(ぐぅ…いってぇ〜)

彼は痛みを堪えて、”モゾモゾ”と何とか体を起こして周りを見渡す。

(…はぁ、何も見えないな。)

”カッ!”

ケンスケが肩でため息をした瞬間、天井の照明が光を放った。

「うわぁ!」

『相田、ケンスケだな?』

突然、部屋に鳴り響いた男性のマシンボイス。

「なんだよ、これ!」

少年は余りの眩しさに瞼を開ける事が出来ない。

一切の感情を感じさせぬ冷たい声が、再び部屋に響く。

『…相田、ケンスケ…だな?』

「あぁ、そうだよ!」


……少年のいる部屋の四方は鏡張りの壁だった。


『では質問だ。…なぜアソコに居た?』

「…え、それは……」

『…なるほど、お前はスパイだな。』

ケンスケは静寂の中、鏡に映る自分を見て……想像もしなかった言葉に慌てた。

「っな!!ち、違うよ!!…そんなワケないだろう!!」

メガネの少年は声の聞こえた方向、天井に顔を上げて大きな声で答えた。

『…では、今一度問う。なぜアソコにいた?』

「ぼ、僕は、…ただ…見たかったんだ。」

ケンスケは自分の心の裡を暴露した。

『…その結果、人類が滅びても?』

その言葉にケンスケは唖然とした。

「え!?……な、何言っているんだよ?…どうして僕がアソコに居ただけで、人類が滅びるんだよ!?」


……NERVの広報部が用意したシナリオを聞いた少年は、理由を聞かされて青い顔になっていく。



………505号病室。



このVIP用の広い個室には、

 右手をLCLで充填されたパックで固定され、更に包帯で巻かれた少年がベットに寝かされていた。

「綾波、お願いがあるんだ。」

「なに?」

「更衣室から僕のカバンを取って来て欲しいんだ。」

「判ったわ…他に必要なもの、ある?」

少年はゆっくりと、かぶりを振った。

「じゃ、直ぐに戻るから。」

蒼銀の少女が部屋から出て行くのを見た、白衣の女性が少年に声を掛ける。


……リツコは、先の戦闘報告を始めた。


「シンジ君、あなたの要望どおり…あのクラスメートは、

 保安部や、諜報部ではなく広報部が対応すると決定したわ。」

「ありがとう、姉さん。」

中学生の尋問を手加減のない保安部や諜報部が当たったら、

 せっかく素直になったケンスケがまた歪むかもしれない、と考えた少年の願いは無事に叶った。


……広報部は演出がかった事が好きだし、直接手を出す事はない。


「でも、いいの?彼のせいで、あなたが負傷したようなものなのに…。」

「いいんですよ、”前”の時の友達でしたから。……ちょっと、歪んでいるのは変わっていないけど。」

「……そう。じゃ、シンジ君?…先程の診察結果を教えるわね。

 まず、左側の第六肋骨から第九肋骨までの骨折。……コレは変な折れ方じゃなかったのが幸いだったわ。

 今巻いているバストバンドで固定しておけば大丈夫そうよ。分かっていると思うけど、安静にしていてね。

 それと右手のヤケドは深達性2度で全治3週間って処ね。」

「…そうですか。」

「それと今回の戦闘の被害だけど、残念ながら被害者がいたわ。……一人ね。診察の結果は重体。」

「そうですか、やっぱり被害者が出たんですか。…せっかく、都市部から離れて戦おうとしたんですが……」

暗い顔になって下を向いた少年を見た姉は、軽い口調で言った。

「それは、あなたよ。…シンジ君。」

「…は?」

「だから、今回の戦闘の被害者…それは初号機パイロットである、碇シンジ三佐よ。」 

「ぼく、僕だけだったんですか?……あれだけビルを壊したのに。」

「あぁ、兵装ビルは無人管制システムなのよ。戦闘形態の第3新東京市には地上に人はいないハズだったの。

 それがまさか、民間人の…しかもシンジ君のクラスメートが居るとはね……これは、想定外だったけど。」
 
「はははっ…そうですね。」

シンジはこの戦いで、被害者がいなかった事に素直に破顔して喜んだ。

「全く無茶して……戦闘中にシンクロを中断するなんて、もし起動しなかったらどうするの?」

「ごめんなさい、でも大丈夫……その心配はないですよ。」

「シンジ君の右手のヤケドについて教えて頂戴。

 …通常EVAが受けたダメージは、直接パイロットに伝わらないハズなんだけど?」

「コアの魂に、ダメージを与えない為の処置です。」

「それって、お母様である…ユイさんの為って事かしら?」

「そうです。」

「じゃ、暴走したのは?」

「完全に覚醒している母さんには、僕のダメージが判ったみたいですね…それでキレちゃったみたいで。」

「…そ、そうなの。」

(ミサトの言った事は…まぁまぁ正解だったのね。)

リツコは、今頃…作戦報告書と格闘しているであろう友人を思い出した。

「パラシュートについては、謝罪の言葉がないわ。整備部の不手際のようね。」

「…みたいですね。…それは、ドーラから聞いています。」

「ねぇ…シンジ君。今回の戦いって、前と同じだったの?」

「…大体は。…でも、若干違いますよ。」

「あなたって、抱え込みすぎていると思うわ。もっと、私達に頼ってもらっていいんだけど。」

「頼ってるよ。…姉さんにも、父さんにも。」

「…そうかしら。」

リツコは穏やかに微笑むと、弟の柔らかな髪を優しく撫ぜた。

「姉さん…このケガは全治2週間って、カルテには書いて欲しいんだ。」

「…あら、どうして?折角なんだからゆっくりと休めばいいじゃない。」

「……”次の”が来ますから。」

「ッ!!…え!?」

リツコは撫ぜていた手を止めてしまうほど驚いた。

「だから、姉さんに頼るべきお願いがあるんだ。」

「…まぁ、早速ね。…なぁに?…言って頂戴。」

リツコは弟の顔を覗き込むように、頼られて嬉しそうな瞳を湛えながら…その顔を近付けた。

”…チャ”

「お待た、せ……碇…君?」

レイがドアを開き見えたのは、リツコがシンジにキスをしている様な場面だった。

「…あら、レイちゃん?」

リツコは穏やかに振り向いたが、レイの凍りつくような表情を見て心配そうな顔になった。

「どうしたの?レイちゃん。」

「ありがとう、綾……なみ?」

シンジはカバンを取って来てくれた彼女の波動が”ギュルギュル”と変化しているのを感じた。

(なに?…どうしたの?綾波…う〜ん、入って来た瞬間に彼女が見た風景………あ、あ!!もしかして!?)

シンジは”バッ”と飛び起きると、ケガを無視して…そのまま愛する少女の方に走ってしまった。

「シンジ君!?」

突然の少年の行動に、リツコは目を大きくし驚いていた。

シンジは彼女を動かせる左腕で確りと抱き締めると、彼女を安心させるように愛情を込めた波動で包んだ。

『…綾波、どうしてそんなに動揺しているの?』

『……ぁ…そ、それは、』

『もしかして…さっき、僕と姉さんがキスでもしている様に見えたの?』

”ビクゥ!”

彼女の震えた肩に優しく手を乗せて、シンジは微笑んだ。

『それは…誤解だよ、綾波。姉さんは僕のお願いを聞く為に顔を寄せただけなんだから。』

『…あ…ごめんなさい!』

反射的にレイは少年を抱き締めた。

”ぎゅ!”

「いて。」

レイは”バッ”と顔を上げて、またシンジに謝った。

「…ご、ゴメンなさい。」

シュンと肩を落として、回した腕を所在なさげにした少女は、そのまま彼の入院患者用の病衣の袖を掴んだ。

「…いいんだ、僕の方こそゴメンね?」

”フルフル”

シンジは、かぶりを振ったレイの蒼銀の髪に優しく触れた。

「違うんだ、さっきの戦いの事。…キミの心配と悲しむ波動は感じていたんだけど、力を使わなかった。

 だから…ゴメンね。」

「…ぃぃ。」

レイは顔を上げて、シンジの瞳を見詰めると、おねだりする様にゆっくりと瞳を閉じた。

ソレを見たシンジは、自然に彼女の薄桃色の唇に顔を近づけていく………が、

「……そろそろシンジ君はベットに戻って欲しいんだけど。」
 
 カップルがいつも通りイチャイチャし始めたのを見た、姉の一言が病室に水を打った。

「……あ!、ゴメンなさい…姉さん。」

シンジは、二人きりではなかったんだ…と思い出し、”すごすご”とベットに横になった。

「シンジ君?」

「…はい。」

「ちゃんと安静にしていないと、直らないわよ?」

「すぐに直せますよ?」

「本部にもゼーレのスパイが居るんじゃなくて?」

「あ、そうですね。」

レイはシンジのベット横にあるイスに腰掛けた。

その少女がシンジの左手を握るのを見ながら、金髪の女性は話を続けた。

「宜しければ、先程の話を続けて欲しいんですけど?」

「あ、そうですね。…え、と。前にお願いした武装で、近接戦闘用の装備の開発を早急にお願いします。」

「この前、設計書を見せたアレでいいの?」

「はい。それと、つくばの戦略自衛隊技術研究所で試作されたポジトロンライフルを”徴用”ではなく、

 ”借用”できるように父さんに進言して下さい。」

「…そこまで、必要なの?」

「はい。……次のは、強敵なんです。」

シンジにソコまで言わせる次の使徒とは…とリツコは考えてしまった。

「特徴や敵の武器を教えてくれれば対処のバリエーションが増えると思うんだけど……どぅ?」

「それこそ、ゼーレに不振がられるんじゃないですか?」

「そう、そうよね。」

「大丈夫です。”保険”は掛けますから。」

「保険?…それはどういう事かしら?」

リツコは瞳を輝かせて少年に聞いた。

「次の使徒戦が無事に終わったら教えます。」

リツコは落胆気味にシンジを見た。


『赤木リツコ博士、赤木リツコ博士…技術開発部技術局一課、伊吹二尉まで連絡を下さい。繰り返します…』


「…あら、残念ね。」

リツコは病院の館内放送を聴いて、カルテを手に取るとシンジとレイを見やった。

「カルテには全治2週間、入院3日と書いておくから。じゃ…レイちゃん、何かあったら呼んで頂戴ね。」


……姉は少女の頭を撫でると、そのまま部屋を出て行った。


レイの座る膝の上にあったシンジのカバンが”もぞもぞ”と動き出す。

少女が留めを外して開けると、心配そうな波動で紅い本がカバンから飛び出てくる。

『お兄ちゃん、大丈夫!?』

『おっとっと。大丈夫だよ、リリス。』

シンジは左手で紅い本を受け取ると、そのまま抱き締めてあげた。

『ぁん、もう…何で、こんな無茶ばっかりするの?』

『ふふ、リリス…ケンスケの波動を感じてごらん?』

『う?…ありゃ?……波動の黒色が消えかかっている……なんで?』

『精神的なショック療法と言うべきかなぁ。ま、これからはケンスケにとって…やり直すチャンスだね。』

『何でそこまでしてあげるの?』

『…僕と同じだったから……かな?』

『お兄ちゃんと?……どこがよぉ?』

『僕だって……ルール違反をしているじゃない。』

『…へ?』

『誰もが望むけど出来ない事……時間を遡っての、やり直しだよ。』

『でも、それは…』

『僕は傲慢だ。世界の全ての人なんて知らないし、知りたくもない。

 でも、ちょっとした気まぐれで、ケンスケに手を差し伸べたりするんだから。』

「…碇君。」

少年のカバンを机に置くと、レイはシンジの左の頬を優しく撫ぜた。

「綾波。」

シンジは彼女の柔らかな手の暖かな体温をより一層感じ取るように、頬を”すりすり”と預けた。

「…ぁ…碇君っ!」

”きゅ”

そんな彼を見て胸が熱くなったレイは、堪らず彼の頭を優しく抱き締めた。


……静かな病室に訪れる暖かな時間を邪魔するものはいない……リリス以外に。


『…あ!!』

『うゎ!…ど、どうしたの?リリス?』

カップルに挟まれていた紅い本は突然、驚いたような波動を出した。

少女のジト目を感じた幼女は、とりあえず謝っていた。

『ご、ゴメンね…レイちゃん。邪魔するつもりは無かったんだけど。』

『…いいわ。…で?』

レイは少し身体を離してリリスが動けるスペースを作ってあげた。

シンジの左手を離れて、目の前に浮かぶ紅い本…リリスは”パラララァ”とページを捲りだした。

そして、ある頁で本の動きが止まる。……それは、サキエルのページだった。

『ねぇ、見て見て。』

『うん?』

シンジがサキエルを見ると、一ヶ所だけ変化があった。

『ああ、やっと終わったんだね。』

『どういう事?…碇君。』

『綾波、魂の由来変更が終わったんだよ。……意外と時間が掛かったねぇ。』

リリスの本に封印されているサキエルに訪れた変化、それはコアの色だった。


……赤いコアは、今では深い蒼色に変わっていた。


『さて、隣のページにも封印しちゃおう。』

シンジの左手には、いつの間にか小さな赤い玉があった。

『リリス、お願いするね。』

『りょ〜かい♪』

サキエルと同様、赤い玉は薄く光る羊皮紙に溶け込むように浸透していく。

そして、そのページには《第4使徒 シャムシエル》という表題と、赤紫色の使徒が描かれていた。



………中学生。



トウジとヒカリは、このクラスで成立した二番目のカップルに上げられていた。

今回の避難時間は、前回のロボット事件よりも圧倒的に短かったが、

 それでも、4時間は拘束されていたのだ。

その時間の半分以上を二人きりで過ごした、この少年と少女を見るクラスメートは様々な視線を投げた。

女子の大半は、ヒカリの想いを知っていたので冷やかしながらも、応援するような暖かなモノだったが、

 子供っぽい男子はトウジを奇異なモノを見る目で面白可笑しく”やんや”と、はやし立てていた。

「トウジ、やるぅ!…お前の狙っていた娘って委員長かよぉ!!」

「ヒカリ、やったわねぇ…ねぇ、どうやって彼を落としたの?」

クラスメートの避難している場所に戻ってきたのを二人とも後悔したが、その心の裡は大分違った。

(もう、みんなして!!)

ヒカリの頬は赤く染まっていたが、満更でも無さそうである。

(な、な、なんや?…どう、したらええんや?)

トウジはただ、自分の予測出来ない事態に、思考スピードを落としていった。

「トウジ、おまえから告ったのかよ?」

そんな時、一人の男子からの声を聴いたジャージの少年はココに至って、漸く皆が言いたい事を理解した。

(な、な、ワシと、イインチョが……え、と。あ……。)


……シェルターは解放されており、避難していた市民は地上に向かって移動していた。


トウジは落ち着きなく周りを見ると、何も考えられなくなり…弾かれたように走り出した。

「!…す、鈴原?」

ヒカリは、逃げるように走り出したジャージの少年の背中を見て…瞳を大きく開いて驚いた。

クラスメートは走り逃げた少年を見て、何も言えなくなってしまった。


………はやし立てていた男子は、何とも気まずい空気を感じていた。



………深夜、総司令官執務室。



「冬月、使徒戦はどうだった?」

第二新東京市からVTOL機で帰還した責任者は、自分の部屋に居た参謀に顔を向けた。

「ああ、碇。総理大臣との会談、随分と時間が掛かったな。……その首尾はどうだったのだ?」

「問題ない。…ここと首相官邸にホットラインを引いてもらう。

 …この国最大の戦力、戦自とのパイプを約束してもらった。……で、どうだったのだ?」

「ふむ、第二次直上会戦か。…今、MAGIに映像を出させよう。」

ゲンドウは自分の席に座ると、モニターを注視した。


……その大きなモニターに、低空を飛ぶ赤紫色の使徒が出現した。


通常兵器が役に立たないのは前回と同様であったが、今回の敵はATフィールドを張っていない。

「……硬そうだな。」

「あぁ、防御力は優れていたようだな。」

二人は、そのまま映像を見続けた。

出現した初号機が牽制を繰り返し、戦闘域を郊外に移していく。

「やはり、シンジ君は戦闘に慣れているな…碇?」

「…問題ない。」

シャムシエルがコンクリートのガレキを投げつける。

ゲンドウは手を組んで見ていたが、意外な手段で始まった使徒の攻撃に少し顔を上げた。

「適応能力が高いな……知恵が付いたか。」

「ふむ。…そう考えるのが妥当だろうな。」


……初号機が投げられ、宙を舞い丘陵地帯に場が移っていく。


「…この少年は何だ?」

「シンジ君のクラスメートだ。…今、本部で拘束している。」

「…そうか。」

初号機が使徒のコアにナイフを突き立てた。

「…勝ったな。」

ゲンドウは口の端を上げて”ニヤリ”と笑った。

「碇、ここからが重要なのだ。」

「どういう事だ、冬月?」

「見ていれば判るよ。」


『ヴォォォォーーー!!!!』


スピーカーから大地を揺るがすような巨人の咆哮が響いた。

「なに!?まさか!!」

「…ふっふっふ、そうだ…碇。我々が待ち望んだ初号機の暴走…ユイ君の魂の覚醒だよ。」

冬月は、目を大きくしモニターを凝視している男に、自慢げに笑った。

初号機の背から白いプラグが飛び出るのを見た、ゲンドウは更に驚いた。

(…シンジ!!!)

”ピクッ”と肩を動かしてしまったが、父親は何とか声に出さずに再生される映像を見続ける。

「サードはどうした?」

努めて冷静に質問をしたゲンドウを見た冬月は、いつもの通り”全く、冷徹な男だな”と思いながら答えた。

「ジオフロントの病院に入院しとるよ。…なに、命に別状はない。

 パイロットの主治医でもある赤木博士の報告によると、全治2週間だそうだ。」

(…普通に大ケガ…だな。何かあったのか?)

ゲンドウは、神シンジが態々ケガをして入院している、という事態に色々と考えを巡らせてしまった。

「…そうか、ならばいい。綾波クンはどうした?」

「相変わらず彼の側に居るようだな……シンジ君の看護をしている、と報告がきているぞ。」

「…そうか。」

ゲンドウは、再生の終わったモニターの電源を切り、自分の端末を起動させた。

「では、オレは執務室に戻る…お前も早く休め、碇。」

「ああ、判っている…冬月。」

”プシュ!”

”ピピ!”

副司令が部屋を出て行ったタイミングでメールが届いた。


《 お疲れ様…父さん、シンジです。

 先の戦闘に”巻き込まれた”男の子に余りひどい事はしないでね。

 彼も反省しているだろうから。…出来れば、早いうちに開放してあげて。

 それと、戦闘記録はもう見た?

 ……初号機の暴走は、僕の予想外の出来事だったんだ。

 それで、決心したんだけど、母さんを早い時期にサルベージするよ。

 いつするか、具体的な事はまだ決めていないけどね。

                         じゃ、またね。 》


ゲンドウは、”ユイをサルベージをする”と書いてあった手紙に興奮した。

(ユイ、ユイが戻ってくるのか!!)

暫くその事を考えていた男は、幾分冷静になると手を組んで思慮に暮れ始めた。

(…むぅ、ゼーレへの対処は……そうか、見舞いに行った時に、これからのシナリオの確認をすべきだな。)



………翌日の病院。



ナースステーションで看護婦は争っていた。


……今は、朝の検温の時間であった。


「あら、先輩の受け持つ階ではありませんよ?」

「いいじゃないの!…あなた昨日彼に会ったんでしょ?」

「そういう問題じゃ有りませんよ!」

「あなた達!…お止めなさい!……私が行って来るわ!」


……二人の争いを止めた婦長の頬が赤いのは、果たして気のせいだろうか?


「「婦長は黙っていてください!!」」

見事なユニゾンをしたのは、先程から一人の患者のカルテを奪い合っていた独身のナース達であった。

”プシュ!”

「騒がしいわね?…どうしたの?」

婦長がその声に背を伸ばした。

「あ、赤木博士。…すみません。」

「505号病室のクランケ、どう?」

「はい、昨日からの経過は特に問題ありませんが……。」

「何かあったの?」

言いづらそうにしている婦長に、リツコは顔を向けた。

「はい、付き添いの女の子が昨日は帰らずにいまして。」

「…そう。あの子達は、それが当たり前なの。気にしないでいいわ。」

その言葉を聞いたナースの一人が、博士に質問をした。

「あの、あの二人ってどういった関係なんですか?」

「夫婦よ。」

リツコはその質問した看護婦からカルテを取って、事実よりも少し未来の関係で答えた。

「「ええぇええぇ!!」」

ナースステーションは驚きに支配されて、その機能を停止してしまった。

「もぅいいでしょ。あなた達、仕事に戻りなさい。…体温計を貸して頂戴、私が検温するから。」



………部屋。



アレから一晩がたった。

自分の予想を超えた話を聴いた少年は、まんじりともしない夜を明かした。

(疲れているハズなのに…寝れないなんて。)


……広報部が凝りに凝った演出は、まるでスパイ映画の尋問のようだった。


少年は判り易いからこそ、真実だと思ってしまった。

自分にスパイ容疑が掛けられた事。

利敵行為を働き、人類滅亡の危機を招いた事。

図らずもクラスの少年を負傷させてしまった事。

何よりも…その結果、自分の淡い恋も終わってしまった。

頭の中は”ぐるぐる”と回るが、最後に浮かぶのは好意を寄せていた蒼銀の美少女ではなく、

 透き通るような笑顔で自分を見てくれた転校生。

人を許すこと、その意味を体現してくれた人。

自分が今まで合理的だと思って打算的に行動していた事の真逆にいる少年。


……ケンスケは、考えた。


「遅いよな…もう。」

その呟きは、誰も聞いていない。

「でも、碇は許してくれるって言った。…仲直りしようって……。信じていいのかな。」

”ガチャン!!”

「…出ろ、相田ケンスケ。」

黒服の男は、サングラスを掛けたまま少年を呼んだ。

ケンスケは拘束を解かれ、NERV正面ゲートの外で解放された。



………505号病室。



”コンコン……チャ”

「シンジ君?」

リツコが見た部屋は、まだ遮光カーテンが”ピッチリ”閉まっており薄暗かった。

この部屋にはイスや机、ソファーは言うに及ばすシャワーも完備していたが、ベットは一つしかない。

彼女は足を進めて”ぐるり”と見渡したが、居るハズの少女の姿は見えなかった。

(…もしかして。)

姉はある程度の事態を正確に予想すると、ゆっくりと羽毛のベットカバーを捲ってみた。

そこには幸せそうに眠る白銀の髪と、彼の左側に絡み付くように寝ている蒼銀の髪があった。

(レイちゃん…着替え、持って来なかったのね。)


……レイは女性用の薄いピンク色の病衣を着ていた。


「う…ん。」

外気の冷たい空気が顔に触れると、少女は温もりを求めるように更に少年にくっ付いた。

(あら、まぁ。)

リツコはどうやって起こせば良いのか…悩んでしまった。

そんな事を暫く考えていると、少年の瞼が震えた。

「……ぅん……あれ?…姉さん?」

「お早う、シンジ君。もう朝よ?」

薄っすらと開いたシンジの瞳は、優しそうに微笑んでいる金髪の女性を映した。

「はい、検温の時間だから…こっちね。」

姉はシンジの右側のワキに体温計を入れた。

「シンジ君、痛くないの?」

姉は一晩中少女の腕に包まれていたであろう、少年のバストバンドを見て言った。

「ぅ、え〜と…骨折だけ、治しちゃいました。」

シンジは少し恥ずかしそうに答えた。

「あら、レイちゃんと寝る為?」

リツコは少し意地悪そうに聞いたが、姉に見られている少年は顔を紅くして視線を泳がせていた。

「ま、いいわ。…でも、バストバンドは外さないでね?」

「…はい。」

”ピピピ!”

姉は体温計を取って少年の体温をカルテに記入すると、

「もう直ぐ、朝食よ。ナースが来る前にレイちゃんを起こしておきなさいね?」

 と、言って病室を後にした。

少年は言われた事を理解すると…ナースにこの状態を見られるのは恥ずかしい、と早速行動に出た。

「…綾波、起きて。」

左腕を揺らしてみる。……反応は無かった。

左手で優しく髪に触れて見た。……もちろん、反応は無い。

肩を揺らした。……やっと、彼女の顔に反応が出た。


……少女は少し眉根を寄せた。


「…ぅ。」

(チャンス!)

「綾波、起きて…朝だよ。」

ゆっくりと瞼を震わせて、薄っすらと深紅の瞳が開いていく。

「綾波、お早う。」

「…いかりくん。」

そう言うとレイはゆっくり顔を近づけて…彼の唇を塞いだ。

”ちゅ”

ゆっくりと顔が離れていくと、少女はまた”すー、すー”と穏やかな寝息を立て始めた。

「ちょ、ちょっと、綾波!」

少年は慌てて上半身を起こすと、左腕で少女を抱き起こした。

「ぅ、ぅ…ん。」

レイはむずがるようにシンジに縋りついてくる。

「シャワーを浴びてきなよ、綾波。…スッキリするよ?」

「…ぅん……わかったわ。」

レイはゆっくりと起き上がり”ふらふら”とシャワールームに向かって行った。

(ほ、何とか看護婦さんが来る前に起こせた。…綾波って相変わらず朝に弱いね。)



………総司令官執務室。



(ふゎぁぁ……眠いわぁ〜…つーか、あたし、何かしたかしら?)

重厚な金属製の扉を前にした赤いジャケットの女性は、インターフォンに伸ばした指を見て逡巡していた。

昨日、執務室の机で山積みになった資料を基に、作戦報告書を纏めていたのだが、

 知らぬ内にそのまま寝てしまった女性は、今朝方…内線電話機に起こされた。

朝早くからの出頭命令。


……それは、この組織のトップから直々のお呼び出しであった。


(ま、取り合えず入んなきゃ…ね。)

そのボタンを押す女性の顔には、素直に嫌そうな表情が作られていた。

”ピピ!”

「葛城です。」

『…入れ。』

”プシュ!”

「失礼します。」

”カッカッカッ”とヒールの音を響かせて、この部屋の中央まで進むと足を止めて”サッ”と敬礼する。

「葛城ミサト一尉、出頭しました。」

この部屋には、総司令官である碇ゲンドウの他、

 副司令官である冬月コウゾウ、技術開発部長の赤木リツコがいた。

(何なのかしら?)

ミサトがこの広大な執務室を見やり、天井に描かれたセフィロトの樹を見た。

(何の模様かしらね?…コレは。)


……沈黙を破ったのは、ゲンドウの左側に立っていた初老の男性だった。


「ミサト君。」

「…はい。」

「キミの仕事は何だね?」

迷いのない答えがミサトの口から出る。

「使徒を殲滅させることです。」

冬月は、厳しい表情で首を横に振った。

「違う、それはパイロットの仕事だ。…キミの仕事はそれに至る道筋を立て、サポートする事だ。」

「しかし、戦局に対しての臨機応変な指揮も必要です!」

ミサトは自分が主役ではないと感じる”サポート”という言葉に、拒絶するような反応を返した。

冬月は目眩を感じながら、何とか隣にいる技術開発部長に声を掛けた。

「フゥ…リツコ君、スマンが”先程の”を頼むよ。」

「はい、副司令。」

白衣の女性が、手元のリモコンを操作すると、

 昨夜、ゲンドウと冬月が使徒戦を見た大型モニターに電源が入った。

その映像は、第一発令所の天井から全体を映せるカメラが撮っていた記録を再生しているようだった。



「ごみん!…何?シンジ君?」

『…戦術作戦部が立案した作戦を提示してください。』

「シンジ君、今回はパレットライフルが兵装ビルに用意されているわ。それを使って頂戴!」

『…自分は今回の作戦を聞いたのですけど?』

「だから、敵のATフィールドを中和しつつ、敵のコアに向かってパレットライフルを使っての一斉射。

 殲滅させてって言っているんじゃないのぉ…何で判んないかぁ?」

『敵に効かなかった場合は?』

「大丈夫、大丈夫!…ちゃんと効くわよ。」

『代替案がないんですね?…それは、作戦とは言わないですよ。』

「何ですってぇ!!」



”プッ”と映像が止まる。

「ミサト君、コレは何だね?」

「昨日の映像ですね。」

「そう言う事じゃない、キミがEVA独立中隊に提示した作戦の事だよ。…アレは何だったのかね?」

「…はい、今回は制式配備となった新兵装、パレットライフルによる使徒殲滅作戦です。」

「ライフルを、かね?」

「はい、ATフィールドを中和して無防備になった敵性体の弱点と思われるコアに向け、ライフルの一斉射。

 …単純かつ明快な作戦だと思いますが?」

ミサトは自信たっぷりに説明した。

「その前段で、使徒は通常兵器の攻撃を退けていたんだよ?ATフィールドを張らずにね……。」

冬月の視線が鋭くミサトに刺さる。

「え、えと、それは……EVA専用の兵装は通常兵器では有りません!」

「威力が違う、と言いたいのかね?」

「もちろんです。」

ミサトはアレだけでかい銃器の威力が普通のワケがない、と思っていた。


……リツコは落胆した。


「ミサト、あなた発令所にいて…使徒をリアルタイムに分析しているMAGIのデータを見ていないのね。」

「…な、何よ?」

「確かに、対空オートシステムに使われている兵器よりは、桁違いの威力があるわ。

 パレットライフルは、弾頭後部にプラズマを封入してバレル内の電磁場で加速させるレールガンですもの。

 ……でも、その前段の攻撃で得られたデータでライフルが効かない事は判っていたわよ。」

「ぅえ!?」

思わず声を出してしまうほど、ミサトは驚いていた。

「…あの使徒の防御力に対して、貫通する程の威力がない事はパイロットにも分かっていたのよ?

 第4使徒に対してライフルを使用するなら牽制用としてね。…でないと、意味がないわ。

 だから、そのデータを確認した碇三佐は、あなたに作戦を聞いていたんじゃないの。」

ミサトの顔色が悪くなる。

「うっ…で、でも。」

「ミサト君、射出ポイントを指示しなかったのはナゼかね?」

「そ、それは。」

「…くだらん、もう良い。」

漸くゲンドウが口を開いたが、その口調はイラ立たしげだった。

「…葛城二尉。」

ゲンドウがミサトを呼んだが、呼ばれた女性は”ぽかん”とした顔だった。

「へ?」

「…葛城二尉だよ、キミは。…今日からね。」

そう言った冬月がゆっくり歩き寄って、彼女に紙を一枚手渡した。

「な、何でですか!?」

辞令用紙を見たミサトは、慌てて目の前の副司令官に聞いた。

「…自覚がないのも困ったものだな。キミは作戦立案を放棄し、度々命令系統を混乱させたのだ。

 降格処分も仕方ないだろう?…その一尉の階級章は、後で二尉の階級章を持ってきた職員に返納したまえ。

 また、併せて減給処分もあるぞ。

 …確か、今キミは10%カットを後2か月分残しているが、4ヶ月の期間延長とプラス20%の減給だ。」


………6ヶ月間3割カットだった。


「な、何ですって!!」

声を荒げるミサトを重い声が黙らせた。

「葛城ミサト二尉。」

「は、はい!」

ゲンドウは手を組み、サングラスの奥から刺すような視線をミサトに投げて言った。

「我々NERVは人類の危機を救うために尽力している。…自分の職責を果たせぬモノに用はない。」

「…ハッ。」

赤いジャケットを伸ばすように、体を直立させたミサトはゲンドウに向かって敬礼をする。

「次の使徒戦が最後のチャンスだ。使えぬと判断された場合は、判るな?」

「ハッ。」

「では、以上だ。…退室したまえ。」

「……失礼します。」

がっくりと肩を落として”スゴスゴ”と部屋を出て行ったミサトを見ていた冬月は、肩の力を抜いた。

「ふぅ、まったく…朝からこういうのは疲れるな。…では、私は執務室に戻るよ。」

「…判った、冬月。」

”プシュ!”

ゲンドウが、執務室に残ったリツコに威圧するような雰囲気の無い、自然で静かな口調で質問をした。

「…シンジの容態はどうなんだ?赤木クン。」

リツコも同じ秘密を知るモノとして、柔らかな雰囲気と表情で答えた。

「はい。先程、彼の病室に行って来ました。

 骨折は”治癒”したそうです。右手については、通常の”医療”に委ねるようですわ。」

「…そうか。」

「ご心配ですか?」

「いや。……この世の全ては、シンジのままに…だ。」

「ふふっ…そうですわね。」


……ゲンドウは独り言のように言葉を続けた。


「私はアイツのために冷徹な仮面を付けると誓ったのだ。シンジの為ならば悪魔にでも…何でもなってやる。

 そう…私はこの10年間、家族の為に生きてきたのだ。

 そして、遂に始まった使徒戦争。……昨日、シンジが私にメールを送ってくれた。」

突然、話題の転換をした男にリツコは口を挟んでしまった。

「メール…ですか?」

「…あぁ。シンジはユイをサルベージする、と決めたようだ。」

「そ、それでは彼を”適格者”として扱うのですね?」

「そうなってしまうな。……その詳細を聞きに、私はこれから見舞いに行ってくる。」

「判りました。私はシンジ君に頼まれた”モノ”の製造を急ぎますわ。

 …”次”は2週間を切ったと言っていましたから。」

「そうか…頼む。」



………505号病室。



シンジは昼食のトレイを下げに部屋を出ていた。

レイは一度家に戻り、着替えや必要なモノを取りに戻っていた。


……ジオフロントの官舎には、すでに彼女の荷物は無かったのだ。


”カチャ”

病室には、総司令がいた。

(…あれ?)

シンジは、特に気にする事なく病室の中に足を踏み入れた。

「…父さん。」

ゲンドウはパイプイスに座ったまま、顔だけを入口に向けた。

「…シンジ、ご苦労だったな。右手は大丈夫か?」

「え?あ、あぁ…姉さんに聞いたんだね。うん、大丈夫だよ。少し不便だけどね。」

少年の右腕は、肘から先を丸い筒の様に包帯で巻かれている。

「…そうか。」

シンジがベットに座るのを、ゲンドウは静かに見ていた。

「綾波クンはどうした?」

「荷物を取りに家に戻ったよ。僕が行かなきゃ、学校に行く気は無いみたいだね。」

「構わんのだろう?…シンジ。」

「うん、僕らには勉学って意味無いからね。…知識はあるし。」

シンジは父親を見て、ふと思い出したように聞いた。

「ねぇ父さん。…そう言えば、昨日ってドコに行っていたの?」

「……A−801だ。”使徒戦争後”の布石を打つ為に首相と会談していたのだ。

 …お前の影響がある国連軍は特に問題なかろう。しかし、戦自には何も”パイプ”がないからな。」

「ふ〜ん、そう……そっか。…ねぇ、父さん。」

「なんだ、シンジ。」

少年は、神妙な面持ちになった。

「……母さんの事なんだけど。」

その雰囲気に、父は思わず身を乗り出して息子の顔を見た。

「ゆ、ユイがどうかしたのか?」

下に落としていた真紅の瞳を父に向けると、急に”ニコッ”と笑って言った。

「全く歳を取ってない、若くてキレイなままだったよ。」

「…そ、そうか。」


……ゲンドウの脳裏に優しく笑うユイの眩しい笑顔が蘇る。


「くす…やっぱり、嬉しい?」

惚けたような父親を見て、悪戯っぽく聞いた少年の瞳は笑っていた。

「…も、問題ない。」

シンジに”ジッ”と見られたゲンドウは顔を横に向けたが、その耳は少し赤かった。

誤魔化すようにゲンドウは身体を丸め、モモの上に肘をついて顔の前で手を組み、その表情を隠した。

「…さ、サルベージは、いつするのだ?」

「ふふッ…い、つ、に、しようっかなぁ〜。」

「し、シンジ。」

”くすくす”と笑う息子を見て、ぶきっちょな父親はどうしたら良いのか判らず、”オロオロ”としている。


……第4使徒との戦いでシンジは怪我をしたが、その少年の周りには穏やかな空気と時間が流れていた。


そして、第3新東京市に雨雲が近付いていた。







第二章 第十二話 「雨、逃げたした後。」へ










To be continued...


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